「あ~、もうッ! 何で繋がらないのよ!?」
ミレニアム自治区、セミナー執務室。
一向に繋がる気配のない端末をデスクに放り、ユウカは自身の髪を掻き乱しながら声を荒げる。その表情には焦燥と不安が滲み、普段予算について設問する表情より三割増しの威圧感を醸し出しながら彼女は地団太を踏んだ。ユウカの背後、執務室へと通じる扉がスライドし向こう側から端末と手帳を手にしたノアが顔を出す。ノアは荒れ切った友人の背中を見つめながら苦笑を零し、穏やかな口調で問いかけた。
「ユウカちゃん、其方はどうですか?」
「全然ッ駄目! トリニティの部活動総括本部に聞いても現在ティーパーティーには繋げないの一点張りだし、先生については知らぬ存ぜぬ、現在調査中としか云わないし……!」
「う~ん、困りましたねぇ、保安部の方も今は手が空いていませんし……」
「それよりノア、エンジニア部の方はどうだったの?」
ユウカが振り向き勢い良くそう問いかければ、ノアは自身の手元にあるタブレットを指先でなぞりながら答える。
「先生の義手から発信された救難信号の範囲は大分絞り込めたみたいです、ヴェリタスにも協力を要請していますし、恐らく最終発信位置はトリニティ自治区で間違いないかと……」
「これが先生の最終位置情報?」
「はい」
タブレットを覗き込んだユウカは目を三角にして問い掛け、ノアはゆっくりと頷く。画面にはトリニティ自治区の一部に赤いサークルが表示されており、恐らくこのエリアから発信されたのだと分かる。しかし、残念ながらユウカをしてその場所に辿り着く為の具体的なルートは不明だった。発信場所は地下であり、その地下空間に辿り着く為の出入り口が見当たらなかったのだ。ミレニアムの事ならば兎も角他所の自治区、それも中央区画以外の僻地に関しての地形情報などユウカは把握していない。思わず歯噛みし、頭を抱える。
「トリニティはトリニティでも、何処なのよ此処ぉ……」
「トリニティ自治区自体が広いですし、どうも地形が複雑で――幾つかそれらしい入り口は発見されましたが、確証はありませんし、うーん」
「こうなったらもう、この位置情報の場所に直接航空機で乗り込んで片っ端から……!」
「流石にそれは、学園間の問題にも発展しかねませんよ?」
「うぐぅ……っ!」
ユウカの発言に対し、ノアはあくまで冷静に言葉を返す。全く以て正論である。先生の危機である以上、ある程度の武装は必須であるし、そんな状態で許可も得ずにトリニティへと乗り込めば面倒事になるのは目に見えている。ユウカは暫くの間デスクに顔を埋めて呻くと、勢い良く立ち上がって叫んだ。
「ま、まずトリニティに直接出向いて説明を求めましょう! それで理解を得られなかったら、何とか捜索の許可だけでも取り付けて後は全員で捜索……! ノア、悪いけれどもう一度エンジニア部に行って航空機を借りて来て、出来るだけ速い奴!」
「あら……そういう事なら、分かりました」
「急ぎでね! 後は出来るだけ人員とドローンを集めて、それから――」
■
「マコト議長」
「キキッ……! 何か情報が入ったか?」
ゲヘナ自治区、
深夜だと云うのに未だ明かりの灯るその場所に、音も立てずに入室する人影が一つ。現れた生徒に対し椅子に背を預け足を投げ出していた部屋の主――マコトが不遜に応じる。黒い外套に赤いネクタイを身に纏う生徒は彼女の問い掛けに対し、淡々と頷いて見せた。
「はい、カタコンベ周辺と中央区画郊外に張り込んでいた生徒より、トリニティが動き出したとの報告がありました、アリウス自治区攻略作戦が近く開始される様子です」
「
「いえ、スクワッドに関しては未だ目撃情報もなく、諜報員の配置された各カタコンベ出入口より脱出したという報告は上がっておりません、トリニティにもそれらしい様子は」
「――となると、このマコト様ですら把握していない緊急避難通路の類があるのか、或いは」
呟き、顎先をそっと撫でつける。彼女の脳内では幾つかの可能性が浮かび上がっては消えていく。
「……捕まったなら既に情報が出ていても可笑しくない、そうなるとアリウス内部で逃げ回っている最中か? もしそうなら――キヒャヒャッ! 活きが良くて結構な事ではないか!」
「情報収集と確保の為、カタコンベ内部に諜報員を動かしますか?」
「いいや、このままで良い、カタコンベに関する情報は収集出来なかったからなぁ……唯一分かった事と云えば、あの場所は開拓も碌に出来ていない広大な迷路だという事だ、そんな場所に地形データも持たずに突入させる真似は出来ん、只ですら動かせる人員は少ないんだ、引き続き現地に待機と伝えろ、動きがあったら都度万魔殿情報部に送れ」
「はっ!」
「はぁ……疲れた、マコト先輩面倒事がまた増えて――」
背筋を正し、威勢の良い返答を寄越す万魔殿の生徒。そんな彼女の背後からぬるりと現れるイロハ。胸に何枚かの書類を抱いて入室した彼女は、いつも通り不遜なマコトと彼女の前に立つ生徒を見て顔を顰める。
「……何ですか、また面倒くさい事を企んでいます?」
「キキッ、心外だぞイロハ、このマコト様は常日頃から真摯に職務と向き合っているとも――さぁ動け、朗報を期待している」
悪辣な笑みを浮かべ手を払うマコト、それに対して一礼した生徒はきびきびと退出する。イロハは去っていく彼女の背中を見送りながら溜息を零した。あの顔には見覚えがあった、確か万魔殿の諜報部――どう考えても良い予感はしない。イロハはマコトの執務机の前に立ち問いかける。
「それで、次は何を企んでいるんですか? 出来れば早めに説明して下さいね、いの一番にイブキと逃げないといけないので」
「キキキッ! なぁに、単なる火消しの様なものだ! アリウスとこのマコト様がコンタクトを取っていた事を知られては不都合だからなぁ!」
「……あぁ、そういう事ですか」
火消し、という言葉の意味を理解したイロハは呆れとも感心とも取れる声を発する。この目の前の生徒の嗅覚というか、何と云うか、自身が罪に問われないように立ち回る手腕と悪運だけは認めざるを得ない。そう云った点は見習うべきかもしれないと思う反面、何分手間暇かけて何かを行うという事に対して自分は致命的に向いていないという自覚がある為、それを表に出す事はしない。そもそも、目の前の彼女は尊敬だとか、敬意だとか、そう云った言葉とは対極の位置に存在する生徒であった。
「目標はスクワッドですか?」
「あぁ、私と関与していたのは連中だけだ、トリニティに捕縛されていたら尋問前に身柄引き渡しの要求、或いは強奪、最悪逃走幇助だけでも構わん、他校に弱みを握られるよりはマシだからな……なぁに、諜報員もアリウスから拝借したコートとマスクを被れば見分けはつかんよ、全ては追い詰められたアリウスのやった事にすれば良い、キキッ!」
「これがバレたら本当に面倒な事になりそうですね……私としてはスクワッド云々よりも、先生の安否の方が気になるのですが」
「あぁ、シャーレの先生か、それに関しては私も懸念しているが――」
イロハの言葉にマコトは椅子を軋ませ、天井を見上げる。一瞬マコトの眉が顰められるものの、次の瞬間には吊り上がった口角に覆われ見えなくなった。
「キキッ! なぁに、一度死んだと聞かされたのに蘇った先生の事だ、今回も大丈夫だろう!」
「いや、一体どこから来るんですかその自信……」
「このマコト様を信じろ、万魔殿の未来には――いいや、このマコト様の未来には華やかで素晴らしい世界が広がっている筈だからなぁ! キヒャヒャヒャッ!」
「はぁ」
重々しい溜息を零し、目を逸らす。この人の自信はいつも何処から来るのだろうか、それも彼女が企む作戦というのは大抵悉くが失敗している気がする。というか成功した悪だくみなどあっただろうか? 自分が知らないだけで、今までもこういった策謀でこの地位に辿り着いたのか、それすらも定かではない。まぁ、自分に火の粉が降りかからないのならば構わない、考えるのも面倒くさいし。
「あぁ、そうでしたマコト先輩、これ追加の仕事です」
「――ヒャ?」
思考を打ち切り、マコトの執務机に書類を差し出す。広がった数枚のそれに視線を落とし、マコトが哄笑を打ち切って視線を下げた。指先で書類を手前に引き寄せる彼女に向けて、イロハは至極面倒そうな気配を隠さずに告げる。
「風紀委員会の方でも今回の動きを情報部が掴んでいたみたいです、トリニティ自治区との交渉許可と自治区間の部隊移動の申請が――」
「却下だ、却下!」
風紀委員会――その単語が出た瞬間、マコトはイロハの説明を全て耳にする事無く却下の二文字を叩きつける。分かり切っていた反応だった、故にイロハは「あぁ、やっぱりか」と表情に浮かべながら一応問いかける。
「良いんですか?」
「構わん、却下理由は適当に云い繕っておけ!」
「具体的には?」
「あー……その、何だ、今トリニティを刺激する様な真似は慎めとか、既に向こうが動いているからその必要はないとか、そんな感じだ!」
「ヒナ委員長が怒り出しそうですね」
「寧ろ良い気味ではないか! キキキキッ!」
「はー、面倒くさい……」
恐らく一度却下した程度で風紀委員会は引き下がらないだろう、寧ろ怒りながら
「いつも思うんですけれど、マコト先輩って風紀委員会……というよりヒナ委員長を目の敵にしていますよね、何か理由とかあるんですか?」
「何ぃ? そんなもの、あるに決まっているだろうが!」
イロハの問い掛けに、マコトは怒り心頭と云った様子で執務机に手を叩きつける。周囲に響く音に、内心でこの場にイブキが居なくて良かったと安堵する。まぁ、イブキが居たら居たでマコトはこんな攻撃的な態度を見せないだろうが。マコトはふんふんと鼻息荒く窓辺に足を進めると、イロハに向かって振り返り叫ぶ。
「まずこのマコト様より名前が知られている事! この万魔殿のトップに立つマコト様より、一介の風紀委員長の方が名が通っているとか可笑しいだろう!? ゲヘナと云えばこのマコト様、そういう認識が普通だろうがッ!? いや、認知されていないからこそ好き放題出来るという面はあるが、それはそれとして気に食わん!」
「はぁ、そうですか」
「それに、あいつは私の完璧で究極の作戦を何度も潰して来たからな、しかもため息交じりに、如何にも面倒くさそうな顔で、何度も何度も何度も簡単に……ッ!」
「いや、それはマコト先輩が暴走するからでしょう」
「後はほら、そのぅ、アレだッ!」
「アレ?」
「――何となく気に入らんッ!」
「………」
「何だその胡乱な目は、何か云いたい事でもあるのか!?」
「いえ、別に……何と云うか、本当に面倒な議長だなと思っただけです」
つまりは殆ど私怨によるものだと、イロハは聞いた自分が馬鹿であったと云わんばかりに肩を竦めた。これは益々、風紀委員会と事を始める前に退散する必要があると内心で考える。
そんな彼女の耳に、木製の扉が軋む音が届いた。イロハは音のした方に視線を向け、思わず目を見開く。幸いマコトは窓の向こう側に顔を向けており、此方の状況には気付いていない――イロハは無言で踵を返すと、そそくさと彼女の脇を抜けて執務室を後にした。
代わりに入室した小柄な影、矮躯に見合わぬ愛銃を引っ提げた彼女は先程イロハの立っていた執務机の前に足を進める。マコトはその影に気付かず、クツクツと喉を震わせ笑い続けていた。
「キキッ、それになイロハ、理由などそう必要なものではない――
「――そう、ならこれから私がする事も、好き嫌いで済む話だから無罪放免ね」
「……あ?」
想定していた声とは異なるもの。マコトが間の抜けた声を上げ、ゆっくりと振り返る。其処には自身の部下であるイロハではなく、風紀委員長のトップであるヒナが立っていた。それも常と同じ正装で、彼女の愛銃であるデストロイヤーまで担いでいる完全武装。彼女の身の丈を超えるそれは奇妙な威圧感を放っており、特徴的なヘイローがゆっくりと周囲を紫色に彩っていた。
自身を射貫く威圧的な双眸、視界に踊る白髪を凝視し、自身の目の前に立っている存在が今しがたこき下ろした相手だと理解したマコトは――素早く後退し窓に背を貼り付けながら叫んだ。
「な、何ぃィーッ!?」
「……どうせ却下されると思って来てみれば、私の事が気に入らないって話が聞こえたから、勝手にお邪魔させて貰ったわ」
溜息交じりに、「正解だった様ね」と零すヒナ。聞かれていた、何処から? 恐らく彼女の悪口を口にした辺りからだろう。アリウスとの云々を聞かれなかった事は不幸中の幸いか、いやそんな事を考えている場合ではない。マコトは先程まで傍に居た自身の腹心の姿を探し、右往左往する。
「なっ、ば、馬鹿な……! い、イロハ! 議長の危機だ、今こそ鋼の忠誠心を発揮して――!」
しかし、彼女が如何に叫ぼうともイロハは現れない。それどころか痕跡ひとつ残っておらず、唯一執務机に散らばった風紀委員会の提出した申請書が彼女が此処に居た証明である。
「い、イロハッ!? イロハっ、何処に――!?」
「あの子なら私と入れ違いで廊下を走って行ったわよ」
ヒナがそう云って開けっ放しの扉を指差せば、蒼褪め、冷汗を流すマコトが大口を開けて絶句する。
「ばっ、な、がッ、あ……!?」
「……はぁ」
まさか見捨てられるとは思っていなかったのか、或いは何か算段でもあったのか。どちらにせよ、残念ながら数分間この執務室に誰かが訪れる事は無い。議事堂周辺は既に風紀委員会の面々で固め、退館ならば兎も角入館に関しては制限している。
ヒナは愛銃を脇に挟みながら両手のグローブを強く締め直す。その瞳には苛立ちと怒りが滲み、何かを取り繕う事さえ億劫に感じた。
「確か万魔殿の議長が何かしらの理由で決裁が困難な場合、各委員会はある程度自身の裁量で行動出来るという校則があったわよね? 今、代理を務められる行政官、議員は居ない筈だし、此処であなたを蜂の巣にすれば勝手に動いても問題はなくなる筈だけれど……」
「だっ!? ま、待っ――」
「それで、マコト」
ガシャンと、重々しい音を立てて突き出される銃口、本来であれば片腕で振り回す様な代物ではないソレをヒナは容易く手足のように操る。明かりに照らされ鈍く光る銃口、その向こう側に佇むヒナは僅かな笑みすら浮かべずに、告げた。
「
その日――議事堂の一部が深夜に吹き飛んだという噂が、実しやかに囁かれた。
しかし、議事堂の爆破などゲヘナでは日常茶飯である為、数日後には誰の記憶からも忘れ去られる事となる。
■
「さぁ、出動の時間っすよ! 一番近い遺跡まで駆け足っす!」
「は、はいっ!」
トリニティ総合学園、正門前。
未だ陽も差し込まぬ時間帯だと云うのに本校舎正門前には幾人もの生徒が忙しなく駆け回っていた。彼女達は大多数が黒い制服を身に纏う、正義実現委員会の面々である。弾薬や銃、医療品を抱えながらは走る彼女達は今しがた組織された先遣隊。カタコンベの暫定通過ルートがシスターフッドより提出され、ティーパーティーがそれを受理し正義実現委員会より正式に先遣隊としての命が下ったのが数分前の事。ツルギとハスミを中核とした本隊は、イチカ率いる先遣隊が開拓したルートを後から通る事となっている。
今は兎に角速度重視、そんな思いと共に声を張り上げるイチカの元に駆け寄る影がひとつ。
「あ、あのっ!」
「ん、あれ?」
自身に声を掛けて来た人影に、イチカは振り向く。正義実現委員会の黒いベレー帽にピンク色の髪、ややだぼっとした制服の着こなしには見覚えがある。イチカはその細い視線を彼女に注ぎ、記憶の中から目の前の生徒、その名前を引っ張り出す。
「確か君は、コハル……?」
「あ、ぅ……わ、私も正義実現委員会だけれど、今は補習授業部で、い、一緒に出動できないから――だから、えっと、先輩にお願いがあって」
「えっと、何すか?」
やや強張った表情で、舌を縺れさせながら口走るコハル。こんな大事な時に一体何の用だと疑問を抱くと同時、後輩の必死な様子は見過ごせないという気持ちでイチカは首を傾げる。コハルは慌ただしい手つきで肩に下げていたポーチを手に取ると、中から折り畳まれた紙袋を取り出した。そして、イチカへとそれを指し出し震える声で告げる。
「こ、これ……ミカ様に」
「――?」
イチカは紙袋を受け取りながら僅かに目を開く。視線で中を覗いても? と問いかければ、コハルは遠慮がちに頷いた。彼女の頷きを確認したイチカはそっと紙袋を開き、中を覗き込む。差し出されたソレに入っていたのは、何とも奇妙な物品だった。
「リボンに、アクセサリーに……煤けた小箱?」
中のものに触れない様、覗き込んだイチカは疑問の声を上げる。中に入っているのはリボン、シュシュ、ヘアピン等様々。どうやら小物やアクセサリーの類に見えるが、一体どういう意図でこれを自身に差し出したのか。疑念と共にコハルへと視線を戻せば、彼女は俯き衣服を強く握り締めたままポツポツと言葉を零した。
「そ、その、これは正義実現委員会の押収品管理室に保管していた、ミカ様の私物……です」
「――あぁ、云われてみれば確かにそうっすね、これはミカさんが集めていたアクセサリーっす」
コハルの言葉にイチカは理解の色を見せる。紙袋の中に仕舞われたそれらは、何となく見覚えがある小物だった。一体何だったかと思い返せば、ティーパーティーのひとりであるミカが身に着けていたアクセサリーだった。リボン然り、シュシュ然り、ヘアピン然り――しかし、納得すると同時に新しい疑問が沸き上がる。
「あれ、でも確か……風の噂で盗まれたとか、燃やされたとか、聞いた気が――」
「あ、えっと、燃え残ったものとか、無事なもの、こっそり集めたり、現場を押さえて取り締まったんです、ほ、本当は、駄目なんですけれど」
ミカの私物はサンクトゥス分派の過激派や、一部嫌がらせ目的の生徒に持ち出されたり、盗まれて燃やされたとイチカは聞き及んでいた。それがパテル分派とサンクトゥス分派の衝突要因の一つでもあったのだが――今は置いておく。
イチカがそんな風に呟けば、コハルは更に身を縮こまらせながら申し訳なさそうに答えた。現在補習授業部に所属しているコハルは、学内のそう云った行為を取り締まる権限を持たない。それを自覚した上で、彼女は独自に動いていたのだ。
「ちょ、ちょっと燃えちゃったものもあるけれど形はちゃんと残っているから、箱の中のものは全部無事の筈……です、それは絶対に、大切なものだって思ったから――」
強く、皺になる程に制服を掴みながら呟くコハル。見れば、彼女の指先やはみ出した肩の一部には、湿布やガーゼが散見された。それらを目視し、イチカは思い出す。そうだ、確かハスミが茶の席で云っていた期待している一年生。自分の正義を貫く意思を秘めた、期待のホープ。
思い出す、彼女がその生徒だ。
イチカは手渡された紙袋をもう一度見下ろし、それから丁寧に畳んで小脇に挟むと、俯いたコハルに視線を合わせる様に屈んで告げた。
「……成程、了解っす――これは絶対に届けて見せるっすよ」
「あ、ありがとうございます……!」
■
【アリウス自治区攻略作戦から数日前の夜】
それは、本当に偶然の事だった。
補習授業部に配属されそれなりに時間が経過し、もしかしてこのまま正義実現委員会に所属している時間より、補習授業部で過ごす時間の方が長くなるのではないだろうか? と戦々恐々としていた頃。日々の勉強に悲鳴を上げながら毎日を過ごしていたコハルは、時折自主的に周囲をパトロールする様になった。
最近のトリニティはどうにもきな臭い、以前のようにシスターフッドや救護騎士団、ティーパーティーで睨み合ったり策謀渦巻く――と云った事は無くなったが、代わりにティーパーティー内部の派閥間対立が顕著となり、その余波が一般生徒にまで及ぶ事も珍しくなくなっている。
そんな状況で忙しなく駆け回る
そんな彼女が本校舎から離れて、やや歩いた先にある補習授業部合宿所付近を巡回していた時である。視界の先に、薄らと灯る緋色と煙を認めたのだ。
「何、あれ――煙?」
視界に入ったそれに対し、コハルは立ち止まると目を細めて呟く。合宿所近辺は自然に囲まれ、決して高くはないがちょっとした起伏、山もある。そこで焚火でもしている生徒が居るのか、コハルは疑問符を浮かべながら恐る恐る煙の立ち昇る方へと足を進めた。
そして慎重に進んで行くと開けた場所に辿り着き、その片隅で焚火を囲む四人組のグループを見つけた。野外活動か何かだろうかと、木陰に隠れて様子を伺っていたコハルであるがどうにも様子がおかしい事に気付く。彼女達は頻りに周囲を見渡し、何かを警戒している様にも見えたのだ。更に焚火周辺に転がる、煤けた何か――よく見ればそれは、燃やされたアクセサリー、その残骸であった。
明らかに普通じゃない、良くない事をしている。そんな確信を抱いたコハルは湧き上がる怯懦を呑み込み、一歩を踏み出しながら声を上げた。
「な、何しているの!?」
「ッ! ――何だ、お前は」
コハルの叫びに肩を跳ねさせた生徒達。すわ誰かに見つかったのかと素早く振り向けば、視界に入ったのは小柄な生徒ひとり。それも見るからに非力で、仲間の姿も無い。暫く周囲を警戒していた彼女達であるがコハル単独である事が分かると、分かり易い侮蔑と嘲笑を浮かべながら面倒そうに視線を寄越す。
悪意と害意に塗れた視線、それに晒されたコハルは両足が震えない様に必死に堪えながら指先を突きつけ声を張り上げた。
「それ、何を燃やそうとしているの!? こんな誰も居ないような所で、こそこそ隠れて……!」
「……別に、不要なものを処分しようとしているだけだ、お前には関係ないだろう」
両手に握り締めたそれを揺らし、吐き捨てる様に答える生徒。まともに取り合う気など無いのだろう、億劫そうに再び背を向けた彼女に、コハルは言葉を叩きつけた。
「手に持っているソレ、ミカ様の私物じゃないの……!?」
「っ……!」
反応は劇的であった。
この場合は、彼女のその動揺こそが何よりも証拠であると云える。
コハルは先の事件の折、ミカの身に着けていたアクセサリーの類を覚えていた。そうでなくともティーパーティーはトリニティに於いて有名な三名、媒体問わず目にする機会は多く、目の前の生徒が握り締めた手から覗くリボンの端に、コハルは見覚えがあった。咄嗟に両手を背に隠すが既に遅い、コハルの目は確かに彼女が両手に握っていたアクセサリーを捉えていた。
「それ、ミカ様のシュシュと、
「――ちッ」
コハルの糾弾に対し、生徒の舌打ちが漏れる。しかしそれは、拙い所を見られたと云う焦燥感や不安から漏れたものではない。唯々面倒な事になったという、倦怠感や怒りから生まれたものであった。
「だとしたら、一体何だと云うんだ」
「ふん、妙な正義感を振りかざして、私達を止めるおつもりでしょうか?」
「たった一人で、随分勇ましい事」
「ぅ――……!」
集った生徒達がコハルに視線を向ける。当たり前だが友好的な反応など一つたりとも存在しない。攻撃的な瞳にコハルの肩がぶるりと震えた、大多数の悪意ある視線は彼女の精神を勢い良く削り、なけなしの勇気すら踏み躙ろうとする。しかし抱えた愛銃を強く握り締めながら、彼女は尚も食い下がる。
「ひ、人のものを勝手に燃やしたりしたら、だ、駄目なんだからッ!」
「はっ、駄目だったら、どうする? あの女は魔女なんだぞ? こういう仕打ちを受けて当然の事をしたんだ」
「たっ、確かに、ミカ様は色々悪い事をしたし、良くない事も、沢山悪い事も、したと思う……で、でも!」
俯き、歯を食いしばりながら一歩を踏み出す。聖園ミカは確かに許されない事をした、沢山の生徒を傷付けた。真相を聞いた時は確かに怒りの感情も沸き上がったし、思う所は確かにある。
けれど――。
「だからって、そんな事をして良い理由にはならないじゃない!」
顔を上げ、強い口調で叫ぶ。
誰かに傷付けられたから傷付けて、恨み辛みでやってやり返して。相手は悪者だから、悪い事をしたから、罪を犯したから、何をしても良い――そんな事が正しい事の筈がない。
コハルに小難しい事は分からない、政治的な云々だとか立場から来る正しさとか、そういう背景や事情の絡んだ側面の正義を語る事は出来ない。
けれど、彼女は普遍的な正義を信じる。自身の信じる正しさを決して曲げない。
屯する生徒達に指を突きつけ、コハルは声高に訴えた。
「それは、絶対に正しくない! 他の誰が何を云っても、わっ、私が絶対に許さないんだから……!」
「――はっ」
及び腰になりながらも、その愛銃を構えるコハルを見た生徒が悪辣な笑みを零す。身に纏う制服は正義実現委員会、しかし委員長の放つ圧倒的な暴力の気配も、副委員長が持つ冷静さの欠片も見えない。木っ端の構成員、それも弱小。それを確信した彼女はコハルに一瞥をくれた後、手元のシュシュと髪飾りを燃え盛る焚火の中へと放った。
「口では何とでも云えるさ」
「あっ……!」
ゆっくりと虚空を舞うアクセサリー、明るい火に照らされたそれらが、ゆっくりと燃え盛る焚火に消えていく。
「だっ、駄目――ッ!」
「なっ……!」
咄嗟にコハルは自身の愛銃を手放し、燃え盛る火に放られたアクセサリーに手を伸ばした。半ば焚火に飛び込む様にして宙を舞ったコハルは、両手にアクセサリーを抱えたまま腹から地面に衝突する。焚火に覆い被さる様にして転がるコハル、衝撃で撒き散らされた火の粉、圧し折れた薪、頬に煤が付着し何とも云えない熱さがコハルの胸元を焼く。しかし彼女は両手に握り締めたシュシュと髪飾りの感触を確かめ、僅かに口元を緩ませた。
「火が……! お前! そこを退けッ!」
「い、嫌っ! 絶対に退かない!」
「っ、この――ッ!」
弱火になった焚火、じりじりと肌を焼く熱を感じながらコハルは必死に腕を動かして地面に散らばった小火を掻き消そうとする。火が無ければアクセサリーを焼く事は出来ない。そんな思いから彼女はその場から動く事無く、両手を握り締めたま肘や肩を駆使して枝を圧し折る。
「あぐっ……!?」
唐突に、コハルの脇腹に衝撃と鈍痛が走った。体を折り曲げ悲鳴を上げるコハル、肋骨が軋み臓物を突き上げるような痛みだった。見れば足を振り上げたトリニティの生徒が怒りと滲ませた視線で自身を見下ろしており、腹部を蹴り飛ばされたのだと分かった。
「痛めつければ、少しは気が変わるか――ッ!?」
「ぅ、ぐ、ぃっ……!」
遠慮なく浴びせられる蹴撃、肩、頭、腹、背中、次々と自身を襲うそれらに歯を食いしばって耐えながら、コハルはその場で両手を胸元に引き寄せ丸まる。泥と煤に塗れながら、コハルは涙の滲んだ声で叫んだ。
「や、やだッ、ぜ、絶対に……ど、退かない――ッ!」
「コイツ……!」
痛みには耐えられる。
心の痛みに比べれば、ちょっとやそっとの怪我なんて、何ともない。
コハルはそう零しながら絶対に動いてなどやらないと、心に決める。小さな体ひとつで自身の邪魔をする生徒、彼女を囲うトリニティの生徒は無言でコハルを見下ろす。その瞳が強い悪意を滲ませ、大きく足を振り上げた。
「――良いだろう、その意地が何処まで通せるか見てやる!」
■
「報告があったのは、この辺りですか――」
呟き、ハスミは吐息を零した。時刻は深夜という程ではないものの、それなりに遅い時間。本部にて執務作業に追われていたハスミの元に齎された報告。本来であれば態々が彼女が出向く様なものではなかったが、最近はパテル分派とサンクトゥス分派の衝突が増え何処も人手が足りない。その穴埋めの為に彼女自らが腰を上げ現場へと駆け付けていた。
暗闇の中、微かに立ち昇る煙。自然に囲まれた山の中腹辺り、狙撃手として鍛えられた視界は確かにそれらを確認する。
「確かに、煙が見えますね」
「はい、生徒からの通報だと何やら数人の声も聞こえたとか、何とか……」
「全く、火を扱う場合は各所に届け出が無ければならないと云うのに――手早く取り締まりましょう、どうせ悪戯か、ちょっとした遊びでしょうが、火事にでも発展すれば大事ですから」
「分かりました」
引き連れた三人の
「……人の姿が見えませんね」
「まさか、既に解散を?」
「通報されたのを悟ったのかもしれませんね、全く――」
この手の悪戯や悪巧みをする生徒というのは、兎に角逃げ足が速い。正義実現委員会や自警団と云った組織が駆け付ける前に、大抵中心人物は逃げおおせているのが殆どだ。一応周辺を見て回るかとハスミが内心で呟くと、ふと自身の衣服を引っ張る感触に気付いた。見れば傍に立っていた委員がひとり、前方を指差している。
「あ、あの、ハスミ先輩」
「何ですか?」
「えっと、あそこに誰か一人……倒れて」
「……?」
云われて初めて気付く。微かに煙を立ち昇らせている薪、その少し離れた場所で倒れ伏した影。黒い制服は闇に同化し、ピクリとも動かない。ハスミが目線で指示を出し、各々が銃を構えたまま警戒を見せる。ハスミもまた愛銃を構えたまま倒れ伏した人影に近付き、徐々にその輪郭がはっきりと見えるようになる。
「――コハル?」
月明かりに照らされたその髪色には見覚えがあった。うつ伏せに倒れ、何かを抱き締める様にして蹲っていたのは自身の後輩であるコハルであった。ハスミは素早く彼女の元に駆け寄ると、愛銃を地面に放り後方に居る委員に向けて指示を叫んだ。
「っ、救護騎士団に連絡を、早くッ!」
「えっ、あ、は、はい!」
ハスミより指示を受けた委員がポケットから端末を取り出す。それを横目にハスミはコハルの身体を仰向けに転がし、その煤と泥、青痣に塗れた頬を優しく撫でつけた。
「コハル、コハル……ッ!」
「う、ぅ……」
ハスミに揺り動かされ、苦悶の声を漏らすコハル。良く見れば彼女の制服は泥と砂利に塗れ、くっきりと靴跡が残っている。何度も何度も体を蹴り飛ばされたのだろう、はだけた肩にも痣が残り、口の端を切ったのか血が滲んでいる。銃を撃つでもなく、ただ相手を甚振るだけを目的とした陰湿な暴力行為。ハスミはコハルから滲み出る暴力の残り香に怒りを滲ませながら、コハルの名を呼び続ける。
「確りしなさいコハル、一体何があったのですか――!?」
「は、ハスミ、先輩……?」
自身の名を呼ぶ声に薄らと目を開けるコハル。半分塞がった瞼の向こう側、滲む視界に映る敬愛するハスミを認め、彼女は思わず安堵の息を吐き出す。ハスミ先輩が来てくれたのなら、もう大丈夫だ。溢れ出たのはそんな感情、コハルは最後の力を振り絞って震える腕を伸ばし、最後まで喰らい付き、死守したそれを指し出す。
「ハスミ、先輩……こ、これ」
「――?」
自身の負傷も顧みず、差し出されたソレにハスミは視線を落とす。煤と砂利、血の滲んだ両手一杯に握り締められたもの。汚れ、皺くちゃになったリボン、泥の付着したシュシュ、それに焦げ目が残る小箱に、ネックレスやヘアピンと云った小物が沢山。差し出されたアクセサリーを受け取ったハスミは、両手一杯のそれを見下ろしながら問いかける。
「コハル、これは……?」
「お――」
ハスミに守り切ったそれらを手渡した後、コハルはどこか懇願する様に口にした。
「――押収品、です」
誰かが、誰かから奪い取った品物。
それは、きちんと持ち主に返還しなければならない。
「押収品、だから……私が、責任を持って、管理、します」
「………」
「だ、だから、管理、室に、お願い、します」
震える指先でハスミの手に触れたコハルは、ゆっくりと口を動かす。
「き、きっと――大切な、物だと、思うから」
大切なもの。
その言葉にハスミはふと気づく、自身の手の中にあるアクセサリー、その色合いや模様に見覚えがあると。何より焦げ跡や煤が付着している所を見るに、何者かがこれを燃やそうとしていたのは明らかであった。汚れが目立つが品質自体は高級品、それを態々燃やそうとするとなると悪意があるのは明らか。最近のサンクトゥス分派とパテル分派の衝突、そしてそれの主な原因となった人物が脳裏を過る。
「まさか、これはミカ様の――……?」
漸く理解する。
恐らく何者かが此処でミカの私物を焼却しようとして、そこにコハルが鉢合わせたのだ。そして彼女は身を挺してミカの私物を、宝物を守った。彼女はたった一人で暴力に晒されながら、小さな体で彼女の宝物を守り切ったのだ。
「………」
その事実に、ハスミは強い動揺を覚えた。しかし先輩の務めとしてそれを表に出す事はしない、無言で頷きを返したハスミは両手一杯に握り締めたアクセサリーをそのままに立ち上がった。
「ハスミ先輩! きゅ、救護騎士団に連絡を取りました!」
「分かりました、ありがとうございます……それと、これを正義実現委員会本部の押収品管理室に」
ハスミは自身の胸ポケットから取り出したハンカチを広げ、コハルより受け取った押収品を包み込む。それを駆け付けた委員に手渡すと、彼女は背筋を正しながら確りと頷いた。
「はっ、了解しました! 保管分類は――」
「最重要です」
告げ、再びコハルへと向き直る。彼女の目の前に膝を突いたハスミは口元を緩め、慈愛に満ちた表情でコハルの額を撫でつけた。
「――コハル、よく頑張りましたね」
声は優しく、同時に尊敬の念が滲んでいた。結んでいた髪が解け、乱雑になった前髪を払ってやると、コハルは半分腫れ上がり、痣に覆われた目を瞬かせながら呟く。
「は、ハスミ、先輩……?」
「私がコハルを抱えて山を下ります、身体は起こせますか?」
「ぇ、ぁ、ふ、服、汚れちゃ――……」
「気にしません、それに正義実現委員会の制服は汚れが目立ち難いですから、この程度は何でもありませんよ」
慌て、何事かを口にしようとするコハル、その唇に指先を当てながらハスミは微笑む。そんな彼女の背中に駆け寄った委員が一人、声を潜め報告する。
「……犯人と思わしき痕跡を発見しました、恐らくまだそう時間は経過していません、我々の接近に気付いて山岳方向に逃走したものと思われます、足跡に加え不自然に折れた枝がそちらの方に――追跡は?」
「当然です、然るべき対応を――ミカ様の私物窃盗に届けの無い火の使用、
「はっ」
冷徹に、それでいて確かな怒りを滲ませた返答。それを聞き届けた委員は頷き、端末を操作して何処かへと連絡を取る。ハスミはそれを横目に愛銃を肩に掛けると、コハルの身体を抱き上げそのまま立ち上がる。敬愛する先輩の手で抱えられているという事実に赤くなったり、青くなったりするコハル。しかし身体が碌に動かせないのは事実であり、観念したように彼女はハスミの首に手を回した。
「コハル、あなたは強い子ですね」
枯葉を踏み締め下山するハスミは、絞り出すような声色でそう云った。掛けられた言葉にコハルは顔を俯かせ、弱々しく答える。
「で、でも、私、結局負けちゃい、ました……」
「力は後から付ければ良いのです、けれど正義を為す心、そればかりは決して簡単に手に出来るものではありません、正義が芽生える事はあっても、あなたの様に一から生み出す事は、大変難しく勇気の要る事なのです――あなたの
ハスミは強く、けれど穏やかな口調でそう云い聞かせる。正義とは何か? 正しさとは何か? 立場や状況、時の流れによってそう云ったものは悉く変化する。正義の反対が必ずしも悪である保証はない、自身の正義と他者の正義がぶつかる事だってある、寧ろ大多数の争いというのはそう云った形で勃発する事が殆どだ。
その中で自身の中にあるそれを信じる、信じ続けられるというのは――どんな生徒にも出来る事ではないのだ。
「コハル、私はあなたを――誇りに思います」
「ぁ……」
自身を抱え見下ろすハスミの表情が、微笑みと共に月光を浴びる。それを見上げた時コハルの胸に何か暖かくて大きな、強い感情が沸き上がった。それは敬愛する先輩に認められた事実に対する歓喜だとか、自身の行動が間違っていなかった事に対する安堵だとか、そう云った色んな感情が綯交ぜになって一つになった想いだった。
「え、えへへ……」
思わず頬が緩み、痛みに引き攣った不格好な口元で笑みを零す。一歩一歩、暗闇の中を月明かりに照らされ歩いて行くハスミ。その中で丸まるコハルは小さく、囁く様な声でふと呟く。
「こ、今回の事、先生には、内緒にして、貰えますか……」
「あら――」
「わ、私は、その、正義実現委員会の、え、えっと……エ、エリート、ですから……!」
自身の敬愛する彼女の前でこんな事を口走るのは何とも不遜で、気恥ずかしく思えるけれど。今なら、今だけなら云える気がして、彼女は紅潮した頬で破顔し、云った。
「先生には、格好良い私を、見せたいんです」
オデ コハル スキ。
最後敢えてハスミの前で自身をエリートと呼んだのは照れ隠しの為、格好良い私を見せたいと見栄を張っているが本当は先生に心配を掛けたくないから。因みに正義実現委員会の接近に気付いて逃げ出そうとした生徒に掴み掛って、残った小箱やアクセサリーの奪取にも成功しているコハルちゃん。頬を切ったのはその際、全力で殴られた為。先生を失ったと感じたあの瞬間に比べれば、どんな痛みだって大したことじゃないと自分に云い聞かせ全ての暴力に耐えきった。ずっと先生の背中を見て来たので、良くも悪くも影響され始めている素晴らしきコハルちゃん。
エデン条約後編第一章で暴行されるミカを庇うコハルちゃんが出来なかったので、こちらで活躍して貰いましたわ!
そして恐らく次回がエデン条約編、最終話ですの。
遂に此処まで、という心地ですわ……。