ブルーアーカイブを、もう一度。   作:トクサン

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誤字脱字報告感謝ですわ!
深夜の更新になって申し訳ありませんの。
今回がエデン条約編最終回、一万八千字ですわ!


陽の当たる場所で(何て事の無い)笑い合えた日(小さな奇跡)

 

「トリニティの、皆が――」

「あぁ、多くの生徒の力を借りて、私達はこの場に立っている」

 

 セイアから語られる、自分が駆け出した後のトリニティ総合学園。多くの混乱があった、窮地であったと断言できる。ひとつ間違えば全員がバラバラになってしまうかもしれない状況、けれど今まで睨み合っていた面々が力を合わせ、一つの目的の為に手を重ねる事が出来た。

 それは彼女達にとって、とても大きな意味を持つ。

 

「私達とて、いつまでも先生の力を借り続けていてはならない、彼の人の道先に光を灯せてこそ理想的な関係足り得るからね――だから」

 

 セイアが小さく、細いその掌をミカに差し出す。何処もかしこもボロボロで、自罰的で、面倒な手合いで、楽観的で、考えなしで、けれど――確かな友人に向けて。

 小さな彼女の口元が微笑みを浮かべ、告げた。

 

「――(友達)を救いに来たよ、ミカ」

「……あはっ」

 

 その言葉を聞いた時、ぽろりとミカの目尻から一粒の涙が零れ落ちた。

 

「……ミカ?」

「……ミカさん?」

 

 ミカの涙を見た時、セイアとナギサは思わず目を丸くする。それは隠しきれない動揺だった。

 けれどミカからすれば、この光景は余りにも眩しくて、嬉しくて、仕方ない事だったのだ。だって、先生だけじゃなかったと知れたから。こうして手を差し伸べてくれる人が居る、自分をなりふり構わず助けようとしてくれる友人が居るのだと。

 

「ごめん、ごめんね、ちょっとさ、予想外過ぎて……うん、あはは、本当に吃驚しちゃったんだ」

 

 それは聖園ミカだけの感傷ではなかった、彼女の内に秘めた記憶に刺激され零れ落ちた涙でもある。こんなにも必死になって、自分の為に何かをしてくれる人が居る、友人がいる――それが喪われていない今、その事実がどれ程貴く素晴らしい事か。

 彼女(聖園ミカ)は、良く理解しているのだ。

 

「ふふっ、でもさセイアちゃん、相変わらず何云っているのか分からないよ、本当に偉そうだし、云い回しが一々小難しいし、心底ムカつく」

「むっ……何だい、その云い草は?」

「そういう所、何度も懲らしめてやろうって思ったよ」

 

 むっとした表情で眉を顰めるセイアに対し、擦り切れた指先で目元を拭いミカは屈託なく笑う。

 傷だらけの頬で、けれど心底嬉しそうに。

 

「――それでも大好き、セイアちゃん」

「……あぁ、知っているとも」

 

 セイアの声色は優しかった。何て事のない親愛の表れ、言葉にすれば何て簡単で、容易い事か。そんな言葉を私達は今まで一度も口にした事がなかった。

 

「ナギちゃんはヒステリー酷過ぎ! っていうか、後ろのあの傍付きが抱えているのって何? ナギちゃんが使っているティーテーブルの椅子じゃん! もしかして、こんな所まで紅茶を持って来て飲もうとしているの?」

「まぁ、その、紅茶は私にとって安定剤の様なものなので……」

「ほんっと、ナギちゃんって紅茶が絡むと可笑しくなっちゃうよねっ!」

 

 苦笑を浮かべ、腹部を擦るナギサ。今この場に於いても彼女は今後の事を常に考えている。しかしそれが心身の負担になる事は間違いなく、ミカが単独でアリウス自治区に乗り込んだと聞いた時からナギサの腹部はずっと悲鳴を上げていた。キリキリと痛む胃に流し込む紅茶、これが効くのだ。例え戦場であったとしても紅茶を手放す事は出来ない。

 そんな何処かズレたナギサに対しても、ミカは笑みと共に告げる。

 

「――でも、そんなナギちゃんが大好き」

「……えぇ、知っていますよ」

 

 何せ、ずっと一緒に居た幼馴染なのだから。

 分からない事も沢山ある、理解していない事も、きっと秘密にしている事だってあるだろう。けれど知らない事よりも、知っている事の方が多い筈だ。時間は嘘を吐かない、ミカも、ナギサも、セイアだってそうだ。

 分からない事ならば、これから知って行けば良い。

 だって自分達にはまだ――未来があるのだから。

 

「うん――二人共、大好きだよ、私にとって大切な、とっても大切な友達」

 

 胸元を握り締め、一言一言を噛み締める様にミカは呟く。そんな風に言葉にして伝える事などしてこなかったから、酷く新鮮な気持ちだった。

 こうしてほんの一言、好意を、友情を伝えるだけで済んだというのに。

 一体何を自分達は躊躇っていたのか。

 

「だから、ありがとう――そして、ごめんね」

「いいや、寧ろ謝るのは私だ……すまなかった、ミカ」

 

 セイアはそう云ってミカに深く頭を下げる。それはずっとずっと、病床の上で云おうと思っても口に出せなかった言葉だった。

 

「いつも、君に謝ろうと思っていたんだ――でも、子どもの様な意地が邪魔をして、中々果たす事が出来なかった、もっと簡単に、何てことのない過程を経る事だって出来た筈なのに」

 

 そうだ、元はもっと簡単な話だったのに。

 発端は確かに彼女だったのかもしれない、だが其処に至るまでの過程は無数に分岐していた筈だ。彼女が事を起こす未来を回避する事だって出来た筈なのだ。ミカだけが(あやま)ったのではない、自分達三人、全員がそれぞれ過った結果が今だった。

 

「ミカ、君が……アリウスと和解したいと云い出した時、私は――」

「ううん、何も云わないで、セイアちゃん」

「……ミカ」

「私はもう大丈夫だから……ごめんね、私が悪かったの」

「いいえ、ミカさんだけの責任ではありません」

 

 ミカの言葉に、ナギサはゆっくりと首を振る。

 

「私達皆がもう少し、あと一歩だけでも歩み寄る事が出来たのなら――きっとこれは、そういうお話だったのです」

「ナギちゃん――……ッ!?」

 

 ナギサの悲し気な、それでいて強い口調で語られるそれにミカは眉を下げる。彼女の名を呼び、何かを口にしようとして――不意に集った親衛隊の頭上を凄まじい速度で過り、地下回廊の床に着地する影があった。凄まじい風圧と爆音に、ナギサとセイアは思わず目を瞑って顔を背ける。

 

「な、何っ!?」

「ッ、親衛隊、警戒を!」

「私の事は構いません、先生を守って下さいッ!」

 

 すわアリウスの襲撃か、そう判断した親衛隊は素早くミカやナギサ、セイアの前に壁を作り、先生に至っては数名の生徒が覆い被さって肉壁となる。全員の間に緊張が走り、幾つもの銃口が飛び込んで来た人影に向けられた。

 そして周囲を覆う砂塵を掻き分け現れたのは――。

 

「先生ぇえエエエエッ!?」

「っ、せ、正義実現委員会のツルギ委員長……!?」

「――っと、漸く合流出来たっす!」

 

 血走った眼で叫び、血に塗れ擦り切れた制服を身に纏う正義実現委員会トップ――ツルギ委員長。彼女に続いて地下回廊へと続く階段に響く足音、見れば息を弾ませ額に汗を滲ませた正義実現委員会の部隊が地下回廊へと駆け込んで来る所であった。先頭を切って飛び込んで来た生徒、イチカは親衛隊に囲まれた中で狂乱するツルギを確認し、ほっと胸を撫でおろす。どうやら撃たれる事は回避出来た様だと。それから流れ落ちる汗を指先で拭うと、先生とティーパーティーの元へと足を進め背筋を正した。

 

「ティーパーティーの御三方、御無事で何よりっす! ご指示通り周辺一帯の安全確保が出来たので手筈通り合流に来たっす!」

「えぇ、ご苦労様です……ただ、もう少し静かに入って頂けると驚かずに済んだのですが」

「す、すみません」

 

 宛ら砲弾の如く地下回廊に跳んできたツルギを見て答えるナギサに、イチカは身を縮こまらせながら頭を下げる。残念ながらツルギを制御出来るのは先生か副委員長のハスミ位なものである。後輩のイチカに彼女を云々する事は非常に困難な任務であった。

 

「せ、せ、せん、せせせせ……ッ!」

「……ツルギ、大丈夫だよ、私は無事だから」

「ぎぃ、きッ、い――」

 

 視線をあっちこっちに飛ばしながら震え、恐る恐ると云った風に歩み寄るツルギ。担架に寝そべって彼女を見上げる先生は、苦笑と共にツルギへと声を掛けた。死んではいない、死んではいないが――先生の恰好から死線を潜ったのは明らかであった。暫く大きく見開き血走った視線で先生の四肢を凝視していたツルギは、ぬるりと今度は傍に立っていた救護騎士団に目を向ける。唐突に恐ろしい瞳で射貫かれた救護騎士団員は肩を跳ねさせ、訳も分からぬまま只振り子のように頷いた。

 ツルギからすれば、「先生は本当に大丈夫なんだな?」という意味合いで視線を向けたつもりだが、当の本人には残念ながら伝わっていない。兎角、その返答を見届けたツルギは再び身を震わせ、その黒い髪を振り回しながら絶叫、回廊の向こう側へと駆け出した。

 

「きひィぃぃああアアアッ!」

「ひィッ!? ごめんなさいッ!」

「あっ、ちょ、ツルギ先輩!?」

 

 回廊に響く彼女の怪鳥染みた絶叫。傍に立っていた救護騎士団員が頭を抱えて蹲り、イチカは駆け出したツルギに慌てて声を掛ける。しかし彼女の健脚はものの数秒でトップスピードに乗り、その背中は瞬く間に小さくなった。暗闇の向こう側へと消えていく自身のトップを見送りながら、イチカは頬を掻き溜息を零す。

 

「はぁー……まぁ、ツルギ先輩なら大丈夫だと思いますけれど、一応一班は援護に向かって欲しいっす」

「りょ、了解しました!」

 

 単独で再び行動を開始したツルギ、彼女に限ってアリウスの生徒に負けるという事はないだろう。しかし、連絡を取る為にも常に正義実現委員会の生徒は同行させておきたい。そんな意図と共に指示を出せば、三名の正義実現委員会生徒がツルギの後を追って駆け出す。それを確認したイチカはふと細く絞っていた瞳を見開くと、担架に寝そべった先生の元へと歩み寄った。

 

「どうもっす、先生、正義実現委員会のイチカっす、あー、その、大分前に美食研究会の逮捕の際に一応お会いしたっすが……もしかしたら、憶えていないかも――」

「いや、憶えているともイチカ――また逢えて嬉しいよ」

「あっ」

 

 イチカと先生が顔を合わせたのはエデン条約調印式の前、それこそ深夜に美食研究会がトリニティ自治区内でゴールドマグロを強奪した一件以来だったか。以降も遠目に姿を見る事はあったが、実際にこうして顔を合わせて言葉を交わす機会は中々無かった。自分の事などきっと忘れてしまっているだろう、そんな想いから口をついた言葉であったが、先生は予想に反しイチカの事を記憶していると云う。微笑みと共に発せられた言葉にイチカはそれが嘘でも何でもない事を悟った。

 何とも云えない気恥ずかしさに襲われ、イチカはへらりと口元を緩めながら後頭部を掻く。

 

「え、えへへ……先生とちゃんと挨拶出来て光栄っす」

「此方こそ、寧ろごめんね、こんな格好で」

「い、いえいえっ、とんでもないっす……!」

 

 慌てて首を振るイチカ。折角先生と顔を合わせて話せる機会、多忙な彼は中々捕まえる事が出来ず一分足らずであっても会話出来たら幸運と云われる程。しかし、残念ながら今はお喋りに興じている状況ではない。惜しいと思う気持ちを噛み殺しながら、イチカは自身の肩に下げていたポーチを持ち上げ云った。

 

「あー、えぇっと、その、それで……実はミカ様に渡したいものがありまして」

「えっ、私?」

「えぇ、これを――」

 

 まさか自身の名が呼ばれるとは思っておらず、目を瞬かせるミカ。イチカは小さく頷くと、ポーチから折り畳まれた紙袋を取り出し彼女に手渡した。ミカは渡されたそれに訝し気な視線を向け、それから恐る恐る中を覗き込む。

 

「えっ、これ……私のアクセサリー? それに、この小箱って――ど、どうして、全部盗まれたり、燃やされちゃった筈で……!」

「押収品の管理室担当員が――コハルって子が、身体を張って集めていたそうです」

「……!」

 

 紙袋の中に入っていたのは自身が収集していた小物全般。ミカの私室から奪われたそれらは、既に喪われたものだとばかり思っていた。当然だ、悪意を以て盗んだ生徒が殊勝にも持ち去った戦利品を返す筈もない。燃やされるか、無惨にも棄てられるか、破壊されるか、どちらにせよ手元に戻って来る何て思っていなかった。

 しかし、これら全てをコハルが取り返したと云う。その事実に、ミカは信じられない心地で呟く。

 

「コハルちゃんが……?」

「はい、コハルが――って、もしかしてご存知でした?」

「……うん、知っているよ」

 

 ミカは勿論、記憶の中に佇む彼女ならもっと知っている。彼女の強さも、勇気も、在り方だって。自分とは比べ物にならない位、強く、気高く、正しく――優しい子だ。

 

「相変わらず、凄いなぁ――コハルちゃんは」

 

 思わずそんな言葉が漏れ出た。あんなに沢山酷い事をしたのに、それでも彼女はそんな相手の為に奔走する事が出来る。紙袋に詰められたそれらは、きっと一人二人から取り返したものではないのだろう。毎日のように走り回って、一つ一つ取り戻す彼女の姿が目に浮かぶ様だった。

 ミカはそっと紙袋の中に手を入れ、小物の中でも一際目立つ小箱を取り出す。本来であればお洒落に塗装され、純白に輝いていたものだが、今はもう見る影もない。

 

「ミカさん、それは――」

「……うん、ナギちゃんと小さい頃から集めていた宝物、小箱の外装は、ちょっと焦げちゃったけれど」

 

 取り出した小箱を見たナギサが声を上げ、ミカは小さく頷く。その小箱はナギサとミカが小さい頃から集めた色々なものが入っている、思い出そのものだった。焦げ目の残る外装を指先で撫でつけ、ミカは微笑みを浮かべながら蓋を開ける。

 

「――中身は全部、無事だった」

 

 黒ずみ、汚れの目立つ外装。けれど中身に詰まった想い出は――無傷。

 入っていたのは子どもっぽい指輪、お揃いのイヤリング、擦り切れ折り畳まれた手紙、押し花、手作りの栞、使い古されたペンに羽――それと沢山の写真。写っているのはまだ幼い頃のミカとナギサ、それにティーパーティー結成初期の三人並んだ写真も仕舞ってある。写真は最近になればなる程鮮明となり、ミカは一番最後に撮った三人の写真を手に取る。

 それら全て、ミカにとっては失ってしまったと思っていた大切な思い出だった。

 

「全部、無くなっちゃったと思っていたのに……」

 

 そんな事はなかった。

 一番大事だと思っていたものは、こうして自身の元に戻って来た。

 写真を眺めながら、ミカは呟く。

 満面の笑みを浮かべながらピースをする自分、紅茶を片手に微笑み背筋を正すナギサ、澄まし顔でシマエナガを手に乗せ撮影者を一瞥するセイア。

 今代のティーパーティーとして結成され、初めてあのテラスで撮影された一枚だった。まだ自分達の未来を知らず、気持ちを素直に吐露する事もなく、相手に対する想いを胸に秘めていた頃。

 無知で、無鉄砲で、恐れ知らずだった。

 

「っ――ミカ」

「……先生」

 

 先生が担架の上から、ゆっくりと上体を起こす。慌てて傍に立っていた生徒が介助すれば、先生は礼を云いながらミカを見上げ云った。

 

「聞きたい事も、話したい事も沢山ある、でも今は……」

 

 一度言葉を止め、先生は柔らかな口調で以て続けた。

 

「三人で、話さなくちゃいけない事も、沢山あると思うから」

「――……うん」

 

 そうだ、自分達は沢山――沢山話し合わなくちゃいけない。

 これまでの事も。

 これからの事も。

 ちゃんと、三人で。

 

「ありがとう、先生」

 

 感謝の言葉は随分とすんなり口に出来た。紙袋を抱き締め、ミカは小さく頷く。喪ったものは多い、けれど全部無くなった訳じゃない。

 今は――それだけで十分だった。

 

「ナギサ様!」

 

 地下回廊に生徒の声が木霊する。見れば階段を駆け下りて来る親衛隊の姿、彼女はナギサの直ぐ傍まで足を進めると弾んだ息をそのままに報告を行った。

 

「シスターフッド、正義実現委員会、救護騎士団、各区画の制圧完了との報告が――このエリアの安全が確保出来れば、アリウス自治区全域の制圧が完了するとの事です」

「そうですか、ご苦労様です」

「……ふぅ、何とか作戦は成功したようだね」

「えぇ」

 

 齎された言葉にナギサとセイアの二人は胸を撫でおろす。アリウス自治区の完全制圧、トリニティ総合学園の戦力を文字通りほぼ全て吐き出した上での結果なので、当たり前と云えば当たり前なのかもしれないが、肩の荷が下りた心地なのは確かだ。ナギサは両手を軽く合わせると淡々とした声色で告げる。

 

「であれば、そろそろ参りましょうか」

「参りましょうって、えっと……トリニティに帰るって事?」

「ミカ、それも間違いではないが、その前にやる事があるだろう?」

 

 ミカの言葉にセイアは呆れたような声で告げる。「やる事……?」と疑問符を浮かべるミカに対し、ナギサは仕方ない相手を見るような目線を送りながら口を開いた。

 

「ミカさんの聴聞会まで、もう時間がありません――議会は融通が利きませんからね」

「うぇっ!?」

 

 聴聞会――その言葉にミカの表情から血の気が失せる。

 そうだ、確かにそれがあった。時刻は既に早朝、陽が差し込む時間帯であり聴聞会の開始時刻も確か午前であった筈。今からトリニティに戻って間に合うかどうかと云った時間だろう。

 ミカは紙袋を抱えたまま自身の恰好を見下ろし思わずたじろぐ。だって肌も、髪型も、制服もボロボロで、とても大勢の前に出て行けるような恰好ではなかった。羽織った外套を強く掴みながら、ミカは慌てたように言葉を紡ぐ。

 

「い、今から? 私、結構ボロボロなんだけれど……? えーと、この恰好で行かなきゃ駄目? 着替えて傷の治療して、あっ、人前に立つんだから髪もセットし直して、化粧も――」

「はぁ……全く、君と云う奴は」

「まぁ、私達も徹夜した上に、前線に立っていましたから所々硝煙の香りが……しかし多少なりとも大袈裟な恰好をした方が同情を買える可能性も――? ミカさん程ではないにしろ、敢えて制服を汚していくのもアリかもしれませんよ、セイアさん」

「うわぁ……ナギちゃんこっすい」

「策略と云って下さい」

「……はぁ、止めたまえナギサ、私達が負傷すれば親衛隊に追及が飛ぶだろう」

 

 自分達の恰好すら政治的アピールに用いようとするナギサに、ミカは思わず率直なリアクションを取り、セイアは額に指を当てて首を振る。これはある意味、職業病に近いものなのかもしれないと、そんな事を思いながら。

 

「……聴聞会には、私も同行して良いかな?」

「え、えぇっ!?」

 

 ゆっくりと挙がる右手、先生は担架の上に座り込みながらそう口にする。掛けられた言葉にミカは驚きの声を上げ、セイアもまた目を見開く。

 

「い、いや、無理でしょ先生、そんな怪我で――」

「勿論です先生、全員で聴聞会に出席するのが、私達の約束ですから」

「な、ナギちゃん……!?」

「――と、云いたい所ですが」

 

 何処までも澄まし顔で頷くナギサ、まさか本当に連れて行くのかとミカが彼女に非難の視線を向ければ、ナギサは困り顔で再び問いかける。

 

「その、本当に大丈夫ですか? そもそも歩く事も出来ませんし、今にも死にそうな顔色で――」

「大丈夫さ、それに今にも死にそうな方が議会から同情が買えるかもしれないよ?」

「……い、いえ、確かに似たニュアンスでは口にしましたが、先生の場合は少々、度が過ぎているというか、洒落にならないというか」

「……まぁ救護騎士団も傍に付いてくれる筈だ、大事にはならないとは思う、しかし本当に問題ないのか、先生?」

「勿論」

 

 セイアの言葉に先生は自信に満ちた答えを返す。自分の事は自分が一番良く理解している、身体は碌に動かないし体調も最悪に近いが、しかし死ぬ事は無いと云う確信があった。バッテリーが無ければかなり厳しかっただろうが充電残量の問題が解決された今、生命維持を行うのに何ら支障はない。今直ぐ銃弾でも撃ち込まれない限り、即座に絶命する事は無い筈だ。死に行く感覚に関しては、先生はその直感と経験を深く信頼している。

 何なら聴聞会で敢えて体調を悪化させ、血反吐をぶちまけても良い。生徒(議会)に対し自身の身体を人質に取る様で心が痛むが、ミカの判決を有利にする為ならば芝居の一つや二つ打つ程度、何ていう事は無い。

 無論、これはどうしようも無くなった場合の最終手段になるだろうが。そういう事態にはならないだろうという信頼が、先生にはあった。

 

「う、うぅん……」

「ごめんねミカ、心配を掛けてしまって、実は私もトリニティに戻る道すがら皆に相談したい事があるんだ」

「相談したい事?」

「うん」

 

 不安げな声を漏らすミカに謝罪を口にしながら、先生は小さく呟く。小首を傾げるナギサ、目を瞬かせるセイア。先生は三人を視界に留めながら少しだけ考える素振りを見せ、それから崩れ落ちた外壁、地下回廊に差し込む陽光を見上げ。

 どこか遠く、噛み締めるような口調で告げた。

 

「トリニティ、アリウス、何よりこのキヴォトスの――未来について」

 

 ■

 

「――あら」

「………」

 

 トリニティ自治区――カタコンベ、外部避難通路。

 アリウス自治区を後にし、崩れ落ちた外壁を跨いで再び侵入したカタコンベ。トリニティ自治区へと続く薄暗い通路を歩くワカモの視界に、ふと見覚えのある銀髪が踊った。通路の終わり、出入口より差し込む陽光に照らされ薄汚れた外套を羽織ったまま振り向く彼女はワカモの姿と、その後方に続く忍術研究部の面々を見て笑みを浮かべる。

 

「忍術研究部の皆さん、御無事で何よりです」

「そちらも、無事切り抜けた御様子で」

 

 微かに罅割れ、血の付着した狐面を指先で撫でつけながら答えるワカモ。背後から響く荒い呼吸音に、彼女は肩を竦めながら仮面の奥で苦笑を漏らす。

 

「此方は無事、と云って良いのかは分かりませんが」

「う、うぅ……も、もう、無理ぃ~」

「さ、流石に、疲れ、ました」

「だ、大丈夫です、イズナは、まだ――」

 

 ワカモの背後に続くミチル、ツクヨ、イズナの三名。全員が全員、疲労困憊と云った様子で足元が覚束ない。地下回廊で別れてからというもの、ユスティナ聖徒会相手に大立ち回りを繰り広げていた彼女達は正に手持ちの弾薬、爆薬、忍具、全てを出し尽くした。アリウス自治区のユスティナ聖徒会、地下回廊に集った大半は全て撃退したと云っても過言ではない。

 

「ふふっ、此方も似たような状況ですわ」

 

 そしてそれは、美食研究会も同じである。苦笑を浮かべハルナが視線を背後に向ければ、カタコンベの壁際で屯する美食研究会の三名が見えた。

 

「私はまだまだ戦えますよ~☆」

「も、もう、歩けない……」

「お腹へったよぉ~……」

 

 壁に背を預け微笑を浮かべるアカリ、座り込んで動かないジュンコ、お腹を摩って項垂れるイズミ。全員どこかしらに負傷が見え、裂けた制服の向こう側には血や青痣の滲んだ肌が覗いている。持ち込んだ弾薬を全て使い果たしたのは彼女達も同じであり、ハルナはすっかり汗と硝煙の匂いが沁みついた髪を指先で払うとワカモへと問いかけた。

 

「それで、先生は何方に? あなたの事ですから、脱出前に確認したのでしょう?」

「……えぇ、トリニティに無事保護されたのをこの目で確りと、救護騎士団も同行していたので適切な治療も受けられるでしょう――例のバルバラと戦ったミカさんも無事の様でした」

「そうですか、それなら一安心ですわね……!」

 

 両手を合わせ、嬉しそうに微笑むハルナ。きっと先生は本懐を遂げたのだろう、スクワッドが何処に消えたのかは不明だが第一は先生、その生存と安否が確かめられたのなら云う事は無い。態々此処で待っていた甲斐があるという物。

 聞きたかった事を聞けた反動、安堵の為か不意にハルナの腹が鳴る。思わず赤面した彼女は指先で腹部を撫でつけ、恥ずかしそうに呟いた。

 

「あら、失礼致しました――夜通し動き回ったので、流石に空腹でして」

「………」

「あぁ、そうです、良い機会ですし、宜しければ御一緒に食事でも如何ですか? 丁度これから美食研究会の皆で食べに行こうと考えておりまして――」

「えっ、ごはん!?」

 

 その言葉に背筋が伸びるミチル、昨夜突然ワカモから招集が掛かり碌に食事も摂っていなかった忍術研究部。日付変更前から陽が上る今の今まで戦い続けた彼女達も相応に腹を空かせている。その反応を見たワカモは溜息を噛み殺し、彼女の名を呼んだ。

 

「ミチルさん」

「えっ、あ、いや、ほ、ほら……! 私達も結構動き回ったから、お腹減ったなぁ~って思って、ワカモも流石にお腹減ったでしょ!?」

「それは――」

「ふふっ、美食研究会の名に恥じぬ一品を保証致します、彼女ならば大人数であっても手早く作って下さるでしょうし――ゲヘナの食堂はとても広いですから」

「ほらっ、こう云っているし……! ね、ね?」

「何でも良いから、早く行こうよぉ~……」

 

 ハルナの言葉に目を輝かせるミチル。反対側で腹を擦るイズミは急かす様に声を上げる。ワカモは各々の表情を眺めた後、静かに息を吐き出し残った二名の名を呼ぶ。

 

「……はぁ、イズナさん、ツクヨさん」

「わ、私は、皆さんと一緒なら、な、何でも、大丈夫です」

「お腹は、確かに減っていますが……」

「先生の所に赴くにも、手土産の一つや二つなくては恰好が付きませんもの、先生の元――シャーレには後日、皆さん一緒に改めて伺いましょう」

「そ、そういう事であれば」

 

 ハルナの言葉に、イズナは渋々と云った様子で頷く。補給を済ませて直ぐにでも先生の所に急行したい気持ちがあるのだろう、そしてそれはワカモとて同じだ。しかし、現在先生の身柄はトリニティが保護している。指名手配犯のワカモ、ゲヘナ所属の美食研究会、どちらもトリニティ総合学園本校舎に堂々と正面切って入るのは難しい。ならば先生がシャーレに戻ってから伺うのがベスト、そんな思惑と共に告げられた言葉にワカモは口を噤んだ。

 

「あっ、でもあんまり高いのは……そのぅ」

「あら、そんな無粋な事は申しません、費用(食材)は全て此方で持ちますわ」

「えっ、良いの!?」

「一夜限りとは云え共に背中を預け合った仲ですから、遠慮はいりません」

「や、やったぁ! イズナ、ツクヨ、美味しいご飯がいっぱい食べられるよ!?」

「さぁ、そうと決まれば早速参りましょうか」

 

 手を合わせ軽い足取りで歩き出すハルナ、その背後に続く美食研究会。

 

「やったぁ~ッ! ごっはん! ごっはん!」

「ぅ……イズミ、あんた本当に元気ね……?」

「ジュンコさん大丈夫ですか? 辛かったら私が担いで歩きますよ」

「お、お願い、お腹が減ってもう一歩も歩けない……」

 

 アカリがジュンコを担ぎ上げ、イズミは食事に胸を弾ませながらステップを刻む。ワカモは狐面を二度、三度撫でつけ、それから観念したように足を進めた。彼女に続き忍術研究部も駆け出し、全員が並んだまま眩い陽光の中に消えていく。

 

「そう云えばワカモさんは普段、どの様なお食事を?」

「……基本的には和食でしょうか、あまり意識して口に運ぶ事はありませんが」

「あら、漫然とした食事は感心致しませんね? 食とは常に意識して行ってこそ、素晴らしい美食に繋がると云うもの――」

「ねぇねぇ、忍者ってやっぱりご飯も凄い奴を食べていたりするの? 身長とかおっきいのに速いし! 秘伝の料理とか、あったりする!?」

「え? い、いえ……その、多分普通の、えっと、精進料理とか、お、おむすびとか――?」

「それにしても、あの爆発は凄かったですねぇ~、私も榴弾を扱っていますから、アレには中々素敵なものを感じました☆」

「あっ、もしかして私の考案した忍術!? でしょ、でしょ!? やっぱりこう、忍者を名乗るからには火を扱えて漸く一人前みたいな所あるし、炎って動画映えもするから凄く助かってさ~! イズナの爆裂手裏剣も私が改良して威力と爆発した時の火花が――」

「ぅー……ねぇ、何かおやつとか、美味しいの、持ってない……? 飴玉とか、ガムとか、口に入れられるなら何でも良いんだけれど」

「おやつですか? うーん、イズナのポーチには基本的に忍具の類しか……あっ、一個これが残っていました!」

「な、なにそれ?」

「イズナ特製、狐の縫い包み(身代わり人形)ですっ!」

「……食べ物じゃないじゃん」

 

 ■

 

「わ、わっ……!」

「気を付けろヒヨリ、此処は足場が悪い」

「は、はい、そうですね……!」

 

 眩い陽が差し込んでいた。

 鬱蒼とした森の中、微かに地面を照らす木漏れ日を浴びながら歩き続けるスクワッドの四名。碌に整備もされていない錆びた鉄道に沿って歩き、時折見える木製の電柱を見上げながら息を吐く。吹きすさぶ風の肌寒さに指先を擦れば、先頭を歩いていたヒヨリが大きな背嚢を背負ったまま振り向く。

 

「こっちの方面に来るのは初めてですね、というか此処、殆ど森というか……」

「廃線になった鉄道を辿って来ているんだから、仕方ない」

 

 後ろに続くミサキが気怠そうに肩を竦め、答える。緊急避難通路の一つを使用しアリウス自治区を脱出したスクワッドは、遥か昔に廃線になった鉄道を辿って深い森の中を歩いていた。広大なトリニティ自治区の中、既に彼女達が知っている地図の外側へと足は進んでいる。風で揺れる木の葉を見上げながら、ヒヨリはぽつりと言葉を零す。

 

「この道は、一体どこに繋がっているんでしょうか……?」

「さぁね、地図もないし、端末も持っていないから」

「取り敢えず進んでみよう? 何処だって同じ、これから私達が初めて歩く道だから」

「そ、そうですね……!」

 

 姫――アツコの言葉にヒヨリは頷き、再び線路の上を歩き始める。この先が何処に繋がっているのか、道を歩いた先に何が在るのか――彼女達の誰もそれを知らない。知らないままに歩いて行く。

 

「………」

 

 ふと、最後尾を歩いていたサオリが足を止めた。疲労に草臥れた足を指先で軽く叩き、前を歩く仲間の背中を見つめる。

 途端、何とも表現し難い感情が胸中に湧き上がった。

 

「……私は」

 

 唇を噛み締め、呟く。

 それは迷いだった、葛藤と云い換えても良い。このまま自分は彼女達と共に、この道を真っ直ぐ進んで良いのだろうかと云う漠然とした不安。

 聖園ミカに語って聞かせた言葉に嘘はない。錠前サオリは、自分の事を疫病神だと信じている。自分が率いなければスクワッドはもっとマシな未来を掴めたかもしれない、自分が居なければ聖園ミカはあんなに苦しい想いをしなくて済んだかもしれない。自分がもっと――上手くやれていたら(白洲アズサの様になれていたら)。そんな想いが捨てきれない、自責の念が沸々と湧き上がる。

 このまま彼女達と共に道を歩む事で、再びそれを繰り返す事をサオリは恐れていた。大切だからこそ彼女達には良い未来があって欲しい、幸せになって欲しい。自分が居ればそんな彼女達の未来をまた邪魔してしまうのではないかと、そんな恐怖を捨てきれないで居たのだ。

 直ぐ前を歩いていたミサキの背が少しずつ遠ざかる。ミサキは頭が良い、きっと彼女が居ればスクワッドが他所の部隊に捕まる様な結末にはならないだろう。

 それなら、(サオリ)は――。

 

「――リーダー」

「っ……何だ、ミサキ?」

 

 ふと、そのミサキが足を止めた。

 土を踏み締めていた足音が止まり、傷と砂利に塗れたミサキが振り返る。担いだセイントプレデターを弾ませ、億劫そうに此方を見るミサキの目は真剣だった。木漏れ日が彼女の顔を照らし、その輪郭が淡く輝く。

 

「今更」

 

 乾き、血の滲んだ唇が言葉を紡いだ。

 

「今更、一人で何処かに行くなんて、ナシだよ」

「………」

 

 見透かされていた。

 或いは、予期されていた。

 サオリは思わず言葉を失くし、ぐっと自身の肩が強張るのを自覚する。ミサキはそんな彼女を見つめながら淡々と、けれど同時に懇願する様に、そっぽを向いて続けた。

 

「皆の事を家族って、最初にそう呼んだのは――サオリ姉さん(リーダー)なんだから」

 

 皆一緒だって、最初にそう叫んだのは。

 それはまだ彼女達が小さく、弱く、無力であった頃から。

 そして今日に至るまで常にサオリの中にあった言葉だ。何もかもバラバラで、血の繋がりなんてなくて、放っておけば直ぐにでも野垂れ死んでしまう様な自分達を集めたのは彼女(サオリ)だ。

 そして家族と云うのは、一方的な感情や関係によって成り立つものではない。

 サオリが皆をそう想い、呼んだように。

 彼女達もまたサオリをそう想い、呼ぶのだ。

 

 ――家族と。

 

「云ったよね、こんな酷い世界でも一緒に苦しんでくれる人が居るなら、まぁ、そんなに悪くないって」

「………」

 

 それは、ミサキの不器用な愛情表現に他ならない。普段遠回しでもそんな事を口にしない彼女が、精一杯譲歩して、或いは勇気を振り絞って告げた言葉。見間違いだろうか、微かに紅潮する頬はミサキの内心を表している様にも見える。ミサキは陽に照らされたそれを隠すように背を向けると、僅かに遠くなったヒヨリとアツコの背に視線を向け、ぶっきらぼうに云った。

 

「……行くよ、二人に置いて行かれる」

「……あぁ」

 

 ――そうだな。

 

 サオリの声は晴れやかで、吹っ切れた様に聞こえた。

 小走りで二人の背を負うミサキ。その背中に続いて、ゆっくりと足を踏み出すサオリ。踏み出す一歩は想ったよりも軽く、弾むように地面を蹴った。ミサキの言葉はサオリの背中を強く押し出し、鉛の様な感情を吐き出させてくれた。

 誰かに必要とされる事、家族だと認めて貰える事、想われる事。

 それは当たり前の様で、けれど少しだけ難しい。

 

「えっと、取り敢えずアリウス自治区から離れはしましたが、これからどうしましょう……?」

 

 いつも通り、何て事のない様子で先頭を歩くヒヨリが首だけで後方を振り向き問いかける。視界の先にはアツコ、ミサキ、サオリの順に顔が見える。誰も欠けてなんて居ない、ミサキは背後に続くサオリを一瞥し、それから答えた。

 

「アリウス自治区にも、トリニティにも、ゲヘナにも、私達の居場所はない、足を踏み入れたらすぐさま部隊を差し向けられるだろうね……多分だけれど、何処の自治区も同じ筈、これからも追撃から逃げる為に街を転々とし続ける事になると思う」

「………」

「私達を待ち受けているのは、そんな未来だよ」

「――大丈夫」

 

 ミサキの発言は至極真っ当なものだった。アリウス自治区から脱出出来たのは事実だが、しかし全ての問題が解決した訳ではない。過去からは逃げられない。為した罪は一生自分達を苦しめ続ける。そんな思いから発せられた言葉に、しかしアツコは手を叩いて明るく告げる。

 マスクに覆われる事無く、真っ直ぐ前を見据える彼女は強かであった。木漏れ日に照らされた彼女の表情はどこまでも輝いて見える。

 

「私達は、きっと大丈夫だよ」

「……姫、これからの生活は皆が思っているより簡単な事じゃない、一度味わったのだから知っているでしょう?」

「うん、でもきっと大丈夫」

「………」

「だって、こんな事で弱音を吐いたら、コンクリートに咲いた花に失礼だから」

 

 難しい事は理解している、これから自分達に降りかかる困難はきっと自分達が思っている数倍以上に辛く、苦しいものなのかもしれない。けれど、アツコは今度こそ諦める気なんてないし、悲観的になるつもりもない。

 彼女は振り向き、最後尾を歩くサオリに笑顔を向ける。

 

「ねっ、サッちゃん?」

「―――」

 

 だって、それを為した家族(アズサ)が既に居るのだから。

 数歩前に進んだ彼女は、指先を一本立てながら謳う様に告げる。

 

アズサ(あの子)はあの時、小さな青い花を見てこう云っていた、たとえそれが虚しい事であっても、抵抗し続ける事を止めるべきじゃないって」

「……姫」

「アズサがやり遂げているのだから、私達だって出来ない訳じゃない、だって――」

 

 ふと、足を止めたアツコが空を仰ぐ。

 樹々の隙間から垣間見える蒼穹は何処までも広がっていた。

 

「私達の青春は、私達だけのものだから」

「………」

「ちゃんと見守ってくれる大人もいる――ね、そうでしょう?」

 

 それが、誰を指している事なのかは明白だった。アツコの言葉にミサキとヒヨリの二人は口を噤み、思わず顔を見合わせ――しかしゆっくりと頷いて見せる。

 

「そう、ですね」

「……うん」

 

 確かに状況は好転していないかもしれない。これから過ごす未来は困難に満ち溢れているかもしれない。けれど、ひとつだけ過去と異なる点がある。

 頼れる大人が居る――自分達に味方して、見守ってくれる大人が。

 利益の為なんかじゃない、他者の為に、子どもの為に、自分達の為に必死になってくれる人が居るという事実は彼女達の心に勇気を与えてくれた。だから怖くても、苦難に塗れた道であっても、彼女達は恐れずに進む事が出来る。

 

「そ、そう云えばサオリさん、先生から頂いた腕章は付けないんですか?」

「ん、いや、これは……今の私が付けるものでは――」

 

 ヒヨリの言葉に、サオリは外套のポケットに仕舞い込んでいた腕章を取り出す。これは今の自分が身に着けるべきものではない。もっと未来の、道を定めた時の自分が身に着けるべき大切なものだ。そんな想いを秘め、僅かに汚れた青色を見下ろす。

 ふとサオリは、指先の違和感に気付いた。

 

「………」

「リーダー?」

 

 指先に感じるざらついた感覚、それに違和感を覚え腕章を裏返して見ればテープで貼り付けられた小さな紙に気付いた。サオリが訝し気な視線でテープを剥がせば、何やら異変に気付いたスクワッドの面々がサオリの元へと集まり彼女の手元を覗き込む。

 

「サッちゃん、それって」

「め、メモ用紙ですか?」

「……あぁ、腕章の裏面に貼り付けられていた」

 

 呟き、折り畳まれていたそれを開く。陽に照らしてみれば中には文字がびっしりと書き綴られており、サオリはそれを指先で丁寧になぞりながら読み取った。同じように視線で文字を追うスクワッドの面々は、綴られた内容を読んでいく内に困惑を滲ませる。

 

「これって、住所か何か?」

「い、色んな自治区と区画の名前が書いてありますけれど……」

「――多分これ、先生のセーフハウスの位置情報だ」

 

 ミサキはメモ用紙に視線を落とし読み進めていく内に、それが住所である事に気付いた。態々そんなものを秘密裏に仕込んだという事は先生の個人的なセーフハウス、或いは協力者がいる場所である可能性が高いとミサキは考える。

 しかし後者の場合は余りにもリスクがある様に思えた、スクワッドの悪名は既に多くの生徒が知る所だろう。故にミサキは記載されている位置情報には先生のセーフハウスがあるのだと推測し、口にした。尤もこれが自分達宛てに書かれたものであれば、という前提であるが。

 しかし腕章に態々こんな形でメモを仕込むなんて、十中八九自分達の為に用意したものだろう。ミサキは余りの用意周到さに溜息を吐き出す。

 

「え、えぇッ!?」

「補給に使えという事か……参ったな」

 

 綴られたそれは各自治区毎に分けられており、トリニティ、ゲヘナ、アビドス、ミレニアム、百鬼夜行、レッドウィンター等、主要な自治区には必ず一ヶ所存在している。用紙の最初から最後までびっしり埋まった文字に、サオリは苦笑を零した。

 

「もう既に、返しきれない程の恩があると云うのに――」

 

 或いは、困った時はいつでも頼って欲しいと云う事なのだろうか。逃亡生活の中で先生に連絡を取るのは中々難しいだろうが、しかし手段がない訳ではない。それに先生の事だ、この住所の場所に何らかの端末や連絡手段を用意していても可笑しくはない。

 

「せ、セーフハウスって事は、ご飯とか、お風呂もあるんでしょうか……!?」

「お風呂は分からないけれど、小さなシャワールーム位はあるんじゃない? 食料もまぁ、備蓄はあるだろうし……」

「そっ、それなら早く最寄りの場所に行きましょう! 何処かで地図か何かを調達して、それから、それから……!」

「ちょっと、ヒヨリ」

 

 目の前に現れた唐突な希望に、ヒヨリは勇んで駆けていく。ずっと逃走生活で、そこから戦闘に次ぐ戦闘、草臥れた体を休めたいという気持ちは良く分かる。それもちゃんとした場所で体を横たえられるというのなら気分も高揚するだろう。埃や苔に塗れた廃墟と比較すれば大抵の場所は快適に過ごせる筈だ。それも周囲を壁に覆われ、屋根があって、ベッドがあるかもしれないというのなら尚更。

 

「はぁ……全く、ホント現金」

 

 駆けていくヒヨリの背中、そんな彼女に辟易とした様子で言葉を零し続くミサキ。それを見て、サオリはゆっくりと足を踏み出す。

 

 私達は犯罪者だ――追われる身でもある。

 ここから先の未来はきっと、苦しい日々が続くだろう。自分達の居場所は無くなり、身一つで世界の只中へと放り込まれた。その日食べるものにも困るだろうし、安定した生活など望むべくもない。元々無いも同然の学籍であったが、身元も分からない自分達が生きていくとなると相応に厳しい環境に身を置かなければならない。

 

 しかし、その苦難の果てに――厳しい旅路の向こう側に、私達にも素晴らしい未来があるというのなら。

 そんな事を思うサオリの隣に、そっと並ぶ影が一つ。

 

「――きっと、訪れるよ」

「……アツコ」

「最後にはきっと、私達にも」

 

 まるで思考を読み取ったかのように彼女は告げる。並び歩くアツコは、サオリを見上げ笑っていた。

 とても綺麗に、花が咲いた様に。

 

「とっておきの、素敵なハッピーエンドが」

「――あぁ、そうだな」

 

 

 そう信じる事は、出来るのだ。

 

 

「サオリさん、姫ちゃん、早く行きましょう!」

「はぁ……リーダー、姫」

 

 先を駆ける二人が声を響かせる。降り注ぐ木漏れ日、陽に照らされた向こう側で笑う家族。木々の陰に佇むサオリは、同じように陰に覆われた姫――アツコに向かって手を差し出す。

 

「行こう、アツコ」

 

 陽光に浮かぶ傷らだけで、擦り切れた指先。

 ずっと自分達を守り続けた手のひら。

 それを見つめ、アツコはサオリの顔を見上げる。

 向けられた瞳を真っ直ぐ見返すサオリは、彼女と同じように笑みを浮かべ告げた。

 浮かべた笑顔は、今まで見た事もない程に晴れやかで――優しさに満ちていた。

 

「私達の青春(これから)を、取り戻しに」

「……うん!」

 

 サオリの言葉に、アツコは満面の笑みで差し出された手を取る。握り締めた指先、自分達の名を呼ぶ二人(家族)

 そうして陰から陽の当たる場所へ、彼女達は一歩を踏み出す。

 

 眩い陽光が、彼女達の笑顔を照らしていた。

 

 

 

 エデン条約編・後編 第二章 完。

 


 

 

【今後の方針と私信】

 

 長かった、唯々長かった。幕間の投稿をしたのが九月十日、そこから今日に至るまで四ヶ月以上が経過している。普段なら三ヶ月で完結する章がプラス一ヶ月必要だった、それだけエデン条約後編が濃い内容だったのですわ。

 その間に色んなメインストーリー、イベントが挟まって新しい情報も解禁されましたの。でも此処まで来るとマジでプロット捏ね繰り回す余地が無くなって来るのですわ……。一年と四ヶ月書き続けておいて、「実はこの設定はウソでした~!」なんて出来ません事よ、初期設定と何とか折り合いをつけて投入された新情報を臨機応変に盛り込んでいくしかないのです、そう、エデン条約編前編の最中に最終編がぶち込まれた時のように……! 

 

 兎にも角にも今はエデン条約編という大きな章を書き切れた事に安堵しておりますの。二百万字必要かもと云っていた一年前の私、ちゃんと二百万字以上必要でしたわ、Wordだとボツ含めて二百三十万字ですの、イカれてんじゃねぇですの? ワタシノカラダハボドボドダ!

 

 さて、次章についてですが、いつも通り一ヶ月か二ヶ月のお休みを挟んだ後、再び連載を開始しますわ! 色々考えたのですがパヴァーヌ編は後編から手を出す可能性が高いですの。後編前に一応、本編を履修していない方向けのダイジェストをサラっと書いて、そこから後編をそのまま書くのが良いかなぁと。正直パヴァーヌ前編を書くのならば、アビドス編の直後にやるべきでしたわ……。

 パヴァーヌ後編は必ず書くのですが、カルバノグの兎編に関しては正直書けるかどうか何とも云えない感じです。最終編を鑑みると書いた方が絶対に良いのは分かっているのですが、一章書くのにまた三ヶ月と五十万字前後なので仮にパヴァーヌ後編、カルバノグ前編をやるとなると今からプラス百万字になり、総文字数は三百万字になりますの。それに加えて最終編(エデン条約編に匹敵する長さと濃さ)になると多分総文字数四百万字とかになりますわ。もしパヴァーヌ前編入れたら四百五十とかですわよ。

 此処まで書いて半分とかマジですの? 嘘でしょ? と現実逃避したくなるので書けるかどうかは未来の私に任せますわ。此処で「書けますわ~ッ!」と断言出来る人間であれば良かったのですが、もう一年と半年書き続けられるかと聞かれると現実の忙しさと健康的に断言出来んのです、最終編は書きたくて書きたくて仕方ないのですが、其処に至るまでが余りにも遠いのです。エデン条約編で先生の四肢を吹き飛ばしたくて、その一心でアビドス編書いていた心境に似ていますわね。

 まぁでも恐らく書く事になるのでしょう、先生とプレ先の戦い見たい……ちゃんと最後まで足掻かせてあげたいのですわ。

 一先ず現状としては。

 

・私の肉体が爆発四散しそうな場合

【パヴァーヌ後編】⇒【最終編】

 

・ある程度余裕があって普段通りなら

【パヴァーヌ後編(前編ダイジェスト)】⇒【カルバノグの兎編】⇒【最終編】

 

・余りにも要望が多く、かつ私の気力があれば

【パヴァーヌ前編(過去)】⇒【パヴァーヌ後編】⇒【カルバノグの兎編】⇒【最終編】

 

 以上の四通りになっておりますの。まだ決まっておりませんが一、二ヶ月休んで復活したら考えますわ! 頑張って未来のワタシ!

 取り敢えず更新再開する時はTwitter(X)の方でお知らせ致しますわ。それと凄く今更な話なのですが、Twitterの方で沢山の方にフォローして頂いて恐縮ですの……。月に一回か二回しか投稿しないへっぽこアカウントですのに、殆ど返信できなくてごめんなさいね。

 

 さて、取り敢えずお知らせする事はこれ位でしょう。九月十日から今日の一月二十日まで、四ヶ月もの間お付き合い頂いて感謝ですわ! どうせ此処まで見たなら感想とか、評価とか、ここ好きとか諸々よろしくお願い致しますわよ~!

 

 それではまた一ヶ月か、二ヶ月後にお会い致しましょう!

 わっぴ~☆

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