ブルーアーカイブを、もう一度。   作:トクサン

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誤字脱字報告、ありがとうございますわ!
投降再開二話目なので、前話読み飛ばしに御注意下さいませ!


()べるべき幸福の記憶

 

「ん――」

 

 最初に感じたのは視界に差し込む眩い光、そして全身を覆う倦怠感と鈍い痛みだった。デスクにうつ伏せになる様な形で寝入っていた人影――先生はゆっくりと身を起こし、滲む視界で周囲を見渡す。

 部屋の中にあるのは山積みにされた段ボールと書類、直ぐ傍には飲み掛けのマグカップに転がるペンとスリープ状態のモニタ。それらが窓から差し込む陽光に照らされ、先生は暫くの間ぼうっとそんな光景を眺めていた。

 

「此処は――……」

 

 一瞬、先生は自身が何処にいるのか分からなかった。その場所が自身の知っているソレより、遥かに綺麗で真っ当だったからだ。まるで異国に迷い込んでしまったかのように目を細め、ゆっくりと自身の身体を見下ろす先生。白くよれたシャーレの制服にシャツ、そんな衣服から顔を覗かせる左腕に指先を這わせ、彼は呟く。

 

「腕が、ある」

『――先生、目が覚めたんですね』

「……アロナ?」

 

 ふと、声が響いた。それはデスクの上、点滅するタブレット――シッテムの箱より。

 名を呼ばれた先生は彼女の声に何度か目を瞬かせ、それから自身の指先に感じる感触、金属特有の冷たさと硬さに全てを理解した。思考の靄が晴れ、はっきりとした記憶が蘇る。

 

「あぁ、そうだ、此処は――」

 

 シャーレか。

 押し殺した声が腹に落ち、先生は悔いる様に天井を仰ぐ。義手で顔を覆うと、ひんやりとした冷たさが頬の熱を奪い、僅かだが目が覚める様な気がした。

 

『昨日は業務の最中に寝入ってしまって、ずっとそのままに――』

「……そっか、拙いな、ちゃんとベッドで眠るべきだった、身体が彼方此方固まってしまったよ」

 

 答え、先生は小さく伸びをする。途端体の彼方此方から小気味良い音が鳴り響き、口元から息が漏れた。乱雑に髪を掻き上げると、僅かに気分が晴れる。差し込む日光が自身を照らし先生は思わず目を細めた。

 時刻は――八時を少し過ぎた辺り、完全に熟睡してしまっていた様だ。

 

『先生、顔色が優れません――何か、悪い夢を?』

「いや、そんな事は無い、或いは見たのかもしれないけれど、記憶にないから問題ないさ」

 

 顔色が優れないのは単純に血行が悪い寝方をしてしまったか、或いは寝起きだからだと云い聞かせる。それ以外の要因が思い当たらない訳ではないが、敢えて意識を向ける事はしなかった。伸びをした指先をデスクに降ろすと、僅かに黒ずんだ右手の指先が目に入る。

 一度その心臓を止めた時――這う黒色はあの時から僅かに、しかし確実にその色味を強め、指先全体を覆い尽くそうと浸食し続けている。先生は暫し日光に指先を照らし、それから無言で脇に退かされていたグローブを手に取り、手に嵌めた。

 

「……何だか、眠気を覚える事が多くなっている気がする、以前ならこの程度の徹夜、何て事なかった筈なんだけれどね」

『――それは』

「ふふっ、私もそろそろ歳かな」

 

 アロナの声を敢えて遮り、先生は苦笑を零した。それがてんで的外れな発言である事は自覚していた。しかし、言外にそういう事にしているという意思だけは伝わった。アロナは先生の言葉にそれ以上追及する事もせず、黙り込む。

 

「さて、朝食前に昨日やりかけた仕事を済ませてしまおうか」

『先生、その、退院したばかりですし、もう少しお休みした方が……』

「……気持ちは有難いけれど、それは難しいかな」

 

 そう云って、先生は手に取った書類の一番上に目を落とす。其処には、『アリウス自治区復興』の文字が躍っていた。

 

「只ですらアリウス云々に関しては早めに手を打たないといけないし、こうしている間にも自治区に居た生徒達が窮屈な思いをしてしまう――そうでなくとも入院中の仕事が溜まっているんだ、トリニティに関してもそうだけれど、出来得る限り色々な自治区に目を配っておきたい」

 

 トリニティ、アリウスに関する対応が急務である事には変わりない。しかし通常業務は勿論、自治区関連で対応しなければならない仕事は幾らでもある。そして先生はそれらを放置するつもりなど更々ない。

 そして、何よりも。

 

「もう、私達の知る世界とは――乖離してしまったのだから、尚更ね」

『………』

 

 早すぎる到来、彼の者の襲撃が先生の精神に暗い影を落としていた。

 ある程度の変化は予期していた、しかし此処まで逸れてしまえばどれ程知識を蓄えようと、何処まで通用するかが未知数となる。あらゆる出来事に目を光らせなければならない、それに気付かず介入すら出来なかったなど――そんな云い訳を口にしたくはない。

 

「大丈夫、今が一番忙しいだろうし、一段落したら半日休暇を取るよ」

 

 告げ、先生は隈の残る目元で笑って見せた。自身がトリニティの救護騎士団、そこから退院して一週間ほど――今こそが正念場だと、先生は気合を入れ直す。

 

 そんな彼の耳に、特徴的な電子音が届いた。それはシャーレ本棟に生徒が入館した場合に鳴り響く入館音である。

 

「――入館音?」

『あっ、どうやら、今日当番の生徒さんが来たみたいです、先生』

 

 アロナが即座にシャーレ内部の防犯システムを覗くと、廊下を歩く二人の人影を捉えた。そう云えば今日も当番をお願いしていたのだと、先生はぼんやり思い出す。尤も、その当番に関しては先生がお願いしたといより生徒が押しかけている状態なのだが。退院したばかりの先生を補助、もとい無理をしないか監視する為に毎日のように生徒がやって来るのだ。

 

 当番の生徒は大抵夜になると強制的に仕事を打ち切らせ、先生を私室に押し込んで寝るまで断固として離れない。先生も苦笑しつつ素直に従い、ベッドで横になり一時間程仮眠を取る。そして起床と同時に生徒が帰宅している事を念入りに確認し、ひとり静かに深夜の残業へと繰り出すのが此処最近の日常である。

 しかし、そんな先生にも少々『都合の悪い生徒』というものが存在する。

 

「アロナ、今日の当番って――……」

『えーと、ミレニアムのユウカさんと、ノアさんですね!』

「ッ!?」

 

 その名前を聞いた瞬間、先生はデスク下部の棚からファイルを取り出し、中に詰まった紙束を素早く確認すると椅子を蹴飛ばす勢いで立ち上がった。

 

『えっ、あれ、先生?』

「アロナ! 今の私は留守! 留守だからッ!」

 

 叫び、先生は部屋の中を見渡す。何処か隠れられる場所が必要だった。

 積まれた段ボールの影、デスクの下、ホワイトボードの裏――いや、そもそもこの部屋で隠れたとしても簡単に見つかってしまう予感がある。こうなれば廊下に出て、シャーレの格納庫か、倉庫、トイレ辺りに息を潜めて。

 

「ッ、遅かった――!」

 

 しかし、微かに耳に届いた靴音に先生は唇を噛んだ。直ぐ其処まで彼女達は迫っている、最早隠れ場所を吟味している余裕はない。先生はシッテムの箱を懐に仕舞い込み、素早く傍にあったソファ、その裏側へと飛び込んだ。

 

「先生、お邪魔しますね?」

「先生、約束通り今日の当番は私とノアが――」

 

 瞬間、部屋の扉が開き見慣れた二人が顔を覗かせる。室内へと足を踏み入れたノア、ユウカの二人は予想していた先生の出迎えがない事を訝しみ、疑問符を浮かべた。

 

「……あれ?」

「あら、先生の姿が見当たりませんね、席を外しているんでしょうか?」

「おかしいわね、この時間帯はいつも執務に励んでいる筈だけれど――」

 

 呟き、ユウカはゆっくりとした足取りで先生が先程まで作業していたデスクに足を進めた。そして散乱した書類や僅かに傾いた椅子に手を伸ばし、首を傾げる。

 

「書きかけの書類、点灯したままのモニタ、まだ暖かいカップ……」

「さっきまで此処に居たみたいですね、席を離れたのはつい先程――という感じでしょうか」

「椅子の暖かさからして、そうみたい……先生~? いらっしゃらないんですか~?」

 

 周囲を見渡しながらユウカは声を張り上げ、序にオフィス横にある洗面所の方にも顔を覗かせる。しかし先生の姿は全く見えず、その肩を僅かに落とした。

 

「うーん、もしかしたらお手洗いに行っているのかもしれません」

「そうね、それなら少し待って――」

 

 どうやらオフィスを離れているらしいと判断したユウカとノアは、そのまま来客用のソファに足を進めた。しかし、残念ながら其処こそが先生が隠れている場所。影から伸びた白い布、シャーレの制服、その端に気付いたユウカは目を瞬かせ、ソファから身を乗り出し裏側を覗き込んだ。

 

「あっ、ちょっと先生、居るじゃないですか! 居るなら返事位して下さいよ!」

「――ッ!」

 

 果たして、先生は見つかった。

 ソファ裏で蹲り、息を殺して隠れ潜んでいた先生は、自身を覗き込むユウカに気付くと地面に這う様な恰好のまま引き攣った笑みを浮かべた。

 

「や、やぁ、二人共、来てくれたんだね……」

「勿論です、只ですら当番で来れる日は少ないですし――それより何をしているんですか、そんな場所で蹲って」

「いや、そのぅ、えっとぉ……」

「というか先生、その恰好、また徹夜しましたね? 全く、退院してまだそう経っていないんですから、余り無理はしないで欲しいとあれ程――」

 

 先生の乱雑に跳ねた髪、皺になった制服、微かに香る彼の匂いにユウカはまた徹夜をしたのだと判断した。心なしか顔から血の気が失せている様にも見える。其処まで考えて、ユウカは咄嗟に口を閉じた。

 こんな状態で何故先生は地面に蹲っていたのか? その疑問を浮かべた時、一つの答えが脳裏に過ったのだ。さっと表情を変えたユウカは、何処か鬼気迫る表情で問い詰める。

 

「も、もしかして、先生、どこか具合が悪いんですか!?」

「――ユウカちゃん、先生をお願いします、私は救急班に連絡を」

「あ、いや、ち、違う、何処も悪くないんだ、本当だよ」

 

 即座に懐へと手を入れ、ミレニアムの救急に連絡を入れようとするノア。この様な事態は既に想定済み、万が一に備えてどの学園であっても救護部隊を即座に投入できる体制を整えていた。その姿に先生は思わず声を上げ、緩く手を振って見せた。大事になる事は避けたかった、ましてやこんな状況であれば尚更。

 

「……じゃあ、何でそんな場所に?」

「えっ、と……」

 

 ユウカの追及に対し、先生は何も云い返す事が出来ない。ただ言葉を濁し、視線を彷徨わせるのが精一杯。そんな彼の態度を二人が訝しむのは当然の流れであり――。

 

「ユウカちゃん、これは……」

「えぇ、ノア――」

 

 二人は静かに視線を交わすと、徐に先生の前へと立ち塞がった。そして無造作に先生の肩を掴むと、彼が抱き締めるようにして胸元に抱えたファイルを目敏く見つける。ユウカは手を伸ばすと、先生の抱えていたファイルを力強く掴んだ。

 

「ふんッ!」

「あっ、待って! 暴力反対! 暴力反対!」

「暴力ではありませんッ! どうせ何か隠しているんでしょう!? 知っているんですからねっ!」

「ち、違うよ! 隠しごとなんてないよっ!」

「ほら、良いから隠しているものを見せてくだ……さいッ!」

「あぁあ~ッ!」

 

 先生がこんな態度を取る時は大抵、自分達に見せたくない何かを抱えている。そんな確信と共に先生が抱えていたファイルを抜き取る。ファイルを奪われた先生は地面に這い蹲ったまま手を絶叫し、素早く中身を覗いたユウカは眉を顰めた。

 

「これって、レシート?」

「――あら?」

 

 ノアは何かを察して笑みを零し、ユウカはファイルを地面に放りレシートの束を一枚一枚念入りに確認していく。

 

「これはレーションに、飲料水、シャンプー、石鹸、バスタオル、サプリメント――」

「日用品の領収書ですか? 確かに量は多い様ですが、特に隠す様なものでは……」

「――待って、ノア」

 

 頬に指を添えながら疑問符を浮かべるノアに対し、ユウカの目は徐々に怒りを帯びていく。先生は最早身を縮こまらせ、額と背中から大量の冷汗を流す事しか出来なかった。

 

「化粧水にリップクリーム、ファンデーション、グロス、櫛……へぇ、香水まで」

「――……これは、また随分と分かり易いものを」

 

 ユウカの目がじろりと先生を捉え、溢れた怒りが彼の肌を刺す。ノアはどこか呆れた様な、或いは何とも云えない苦笑を浮かべていた。先生は微妙に腰を浮かせながら、恐る恐ると云った風に弁明する。

 

「ち、違うんだ、違うんだよ二人共、どうか話を聞いて欲しい」

「せ~ん~せ~い~?」

「明らかに先生ご自身の買い物ではありませんね?」

「待ってユウカ、ノア、待って、ほんとに、ほんとに違うの、これはね、私なりの気遣いと云うか、今までそういうものに興味があっても出来なかった子達にこう、少しでも着飾る楽しさを知って欲しいっていうか、何て云うか……」

 

 身振り手振りで必死に活路を見出そうとする先生、そんな彼の前に仁王立ちするユウカ。彼女からレシートを受け取ったノアはパラパラと束を捲り、目に付いた商品を一つ一つ読み上げていく。

 

「ユウカちゃん、よく見たら日用品ばかりではありません、縫い包みに、造花、小説に……あら、衣服まで」

「というかシャンプーや石鹼のブランドも全部女性向けの奴ばっかりじゃないですか! これは一体どういう事ですッ!?」

 

 這い蹲る先生に向けて顔を近付け、腰に両手をつけたまま怒声を発するユウカ。その額には青筋が浮かんでおり、場合によっては容赦しないという気配がありありと感じられた。先生は視線を泳がせながら更に身を縮こまらせ、ぼそぼそと呟く。

 

「その、どうしても必要で……」

「何で先生が女性向けの日用品やら化粧品やらを買い込む必要があるんですか!?」

 

 いや全くその通りです、先生は内心で思った。

 しかし、これには深い事情と諸々理由がありまして。しかしそれを口にするのも中々難しく、先生は煮え切らない態度のまま口を固く結ぶ。そんな先生の態度に益々目を吊り上げたユウカは、一つの可能性に辿り着いた。

 目元を引き攣らせた彼女は、血の気の引いた表情のまま告げる。

 

「せ、先生まさか、せ、生徒とシャーレで、ど、どどっ、同棲とかしているんじゃ――ッ!?」

「はっ? いや、違う、してない! してないよッ! 本当だよ! どうしても事情がある生徒に空き部屋を貸したりはしているけれど、皆も偶に利用しているでしょう!? それにシャーレで使用する身の回りのものは自己負担が原則! 事情があったら考慮するけれども!」

「それは知っていますけれど! だとしても、この買い物はちょっとおかしいでしょう!? しかもっ、結構高額――っ!」

 

 先生がこんなものを大量に買い込む理由など、それ以外に考えられない。しかもシャンプーや石鹸、化粧品の類はどれも安価なものではなく、そこそこ品質が良いとされているものばかり。

 もし先生が秘密裏に生徒の誰かと同棲、つまり――『そういう関係』になっているのだとしたら、こればかりはキヴォトスの一生徒として、セミナーの一員として、何よりユウカという個人からして認める訳にはいかない。

 

 先生がキヴォトスに到着した時、いの一番に味方となったのは自分である、初陣だって自分と一緒だったし、その後シャーレが軌道に乗るまで色々と手助けしたのも自分。金遣いの荒い先生の預金を管理し、先生が出先でフィギュアやらゲームやら漫画を見つけて目を輝かせ駆けて行こうとするのを羽交い締めにして阻止した回数は数え切れず。一番お世話をしたのは己だという自負がある。

 シャーレという組織がこうやってキヴォトス全土に影響を持つ様になったのも、先生が曲がりなりにも先生としてきちんと職務に励めているのも、自分が事ある毎に補佐し、支え、協力したからに他ならない。

 

 こんな事をしてくれる生徒など、自分以外にちょっと思いつかない。つまり先生を一番に考えている生徒は自分な訳で、先生が頼るべき生徒も自分な訳で、つまり先生が隣に置くべき生徒は自分なのである――Q.E.D(証明終了)、かんぺき~!

 

 ユウカの精神はより一層強靭なものとなった。

 

 さて、こうなれば徹底的に問い詰める他ない、先生には隣に立つべき生徒が誰なのかをきっちり理解させねば(分からせなければ)ならない。そんな意気込みと共に一歩を踏み出したユウカの肩を、ふとノアの手が引っ張った。

 

「ユウカちゃん、少し待って下さい」

「――ノア?」

 

 小声で、囁かれるようにして制止される。その妙に真剣な表情に対し、ユウカは踏み出そうとした一歩を引き戻した。ノアは手元のレシート束、それを最後まで捲り終えると小さく、しかしハッキリとした口調で告げた。

 

「一通り見て分かったのですが、金額の大部分で購入されているのはレーションや飲料水、サプリメントに市販の医療品などです、次いで石鹸や歯磨き粉、シャンプーなどの日用品、確かに嗜好品も散見されますが全体から見ればごく僅かで……そうですね、何方かと云えばこれは救援物資とか、備蓄物資に近いものに思えます」

「ほ、本当に……?」

「えぇ、それに以前起きた騒動を考えると、恐らく――」

 

 ノアは一瞬言葉を呑み、静かにユウカへと視線を向ける。救援物資に、以前起きた騒動、それらを結びつける事柄がひとつある。ユウカはハッとした表情で目を見開き、呟いた。

 

「あっ、アリウス自治区の……!」

「はい、先生の事です、自腹を切って一部逃れた生徒か、何かしら事情がある生徒を保護、或いは援助していてもおかしくありません、女性向けの化粧品等もそうでしょう」

「確かに、先生ならそういう事をしそうだけれど――さ、最初からそう云って貰えれば、私だって……!」

「先生には先生の考えがあるのでしょう、それにどうあれアリウス側の心証は現在のキヴォトスに於いて良くありませんし、アリウスに対しての援助を私達……正確に云えばアリウス以外の生徒が良く思わないと考えたのかもしれません、どちらにせよ此処は余り追及してあげない方が――」

「そ、そうね、ありがとうノア」

 

 そう云った事情が考えられるのならば――成程、理解出来なくはない。何より如何にも先生がやりそうな事柄でもある、ユウカがちらりと先生を見れば、項垂れたまま微動だにしていない姿が見える。当たり前だが、会話の内容に耳を立てる様な真似はしていなかった。小声での相談事を、自分に対する裁定の相談と受け取ったのか、その表情は何とも云えない過酷なものだった。

 ユウカは佇まいを正すと先程までと一転、努めて理性的な態度を装った。

 

「んんッ! 先生?」

「はい!」

 

 自然と正座になった先生は呼びかけに対し、背筋を正して対応する。

 

「――今回は見逃してあげます、でも個人で大きな買い物をする時は私に……わ・た・し・にッ! 相談してください!」

「わ、分かりました」

「丁度良い機会です、先生には前々から云いたい事があったので――ちょっとお時間頂けますか?」

 

 頂けますか? その口調は問い掛けであったが、有無を云わせぬ威圧感が滲み出ていた。先生がイエスとも、ノーとも口にする前からユウカは語り始める。正座をする先生の前に立つユウカを、ノアは背後からくすくすと微笑みながら見守っている。

 

「前も五千円以上の買い物をする時は相談して欲しいって云いましたよね?」

「……はい」

「なら、何でこんなに大きな買い物をするのに相談してくれなかったんですか?」

「……怒られると思って」

「子どもですかッ!」

 

 いや、しかし実際問題絶対怒る、怒髪冠を衝くレベルで怒るに決まっている。

 こんなレベルの買い物をして良いかとメッセージで聞けば、即座に既読が付き『今、何処ですか?』のメッセージと共にシャーレに乗り込んできて、「せ~ん~せ~い~!?」が第一声になるだろうし。

 ましてや電話で聞こうものなら問いかけた瞬間、『は?』と怒りを滲ませた声で返答し、そのままセミナーの業務中だろうが何だろうが即座に切り上げ、「今から反省会を開きます」と云って問答無用でやっぱりシャーレに乗り込んで来る。

 そんな未来が先生は容易く予想出来た。

 つまりどう転んでも自分は怒られるのだ。

 南無三。

 

「只ですら先生は浪費が激しくて、生徒の為に身銭を切って、それにガチャやらフィギュアやら限定品が云々、貯金だって碌に――先生、聞いていますか!?」

「き、聞いているよ!」

 

 咄嗟に背筋を正して声を張り上げたが、半分意識が飛んでいた。ユウカが顔を近付けながら恐ろしい表情で問い詰める。

 

「なら今回の出費で残高殆どなくなっちゃいましたよね!? どうするんですか!?」

「しょ、食費を削って――」

「それ前も同じ事云っていましたよねッ!? それでまた倒れたらどうするんですかッ!?」

「すみませんッ!」

 

 その後もユウカは先生を前にし次から次へと声を張り上げる。「そもそも最近、自分に対して連絡が少ない」だとか、「将来の為にも金銭管理はきちんとするべき」だとか、「こんなに親身になってくれる生徒は自分くらい」だとか――その話題は尽きる事無く、先生は精魂尽き果てたと云わんばかりの表情で項垂れる他なかった。

 

「ぅぐ――」

「……ふふっ、先生?」

「の、ノア?」

 

 正座を続け、そろそろ足の感覚が無くなって来た頃、背後からふと小さな声が聞こえた。振り向くとノアが直ぐ背後まで迫っており、正座した先生の肩に顔を近付け、妖しく微笑んでいた。前を見るとユウカは目を瞑ったまま指を立て、淡々と如何に先生が浪費家で自分の管理が必要かを語っており、ノアの行動に気付いた様子はない。

 そんなユウカを横目にノアはそっと先生にレシートの一枚、束の最後に貼り付けてあったそれを見せた。

 

「最後の方に記載されていた、コレに関してなのですが――」

「……あっ」

 

 その一枚を目にした瞬間、先生の表情がさっと変化する。途端に挙動不審となった先生の態度に、ノアはくすりと吐息を零した。

 

「バニー服やブルマ、浴衣から水着まで……お好きなんですか、こういうの?」

「ち、ちがうよ、私の趣味じゃないよ」

「へぇ、そうですか――ふふっ」

 

 声は明らかに理解した上で紡いだものだった。先生は背中に感じる冷汗をそのままに、縋る様な視線をノアに向ける。彼女はそんな先生を一瞥し、手にしていた愛用の手帳を開くとすらすらと手慣れた様子で何かを書き記す。

 そして徐に閉じると何の悪気も感じさせない、満面の笑みを浮かべ云った。

 

「――ユウカちゃんには内緒にしておいてあげますね♪」

「………ぉ」

 

 先生は深く身を曲げると、万感の籠った呟きを漏らした。

 

「お願い、します……」

 


 

 パヴァーヌ後編が始まったらどうせボコボコにされるのですから、今の内に先生には幸せな日常を噛み締めて頂かないと。穏やかな日常、暖かな陽射し、何て事の無い細やかなやり取り。そう云った幸福の積み重ねが、転げ落ちた奈落の底で「それでも」と踏ん張る為の燃料になるんですわよ。

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