ブルーアーカイブを、もう一度。   作:トクサン

182 / 340
誤字脱字報告、ありがとうございますわ~!


欺瞞の(優しい)

「失礼致しますね~、フウカさん☆」

「………」

 

 ゲヘナ自治区――第八学生食堂、厨房。

 給食部として今日も今日とて多忙な一日を送るフウカは、昼時を前にして巨大な釜を前に汗を滲ませ、マスクにエプロン、三角巾を身に纏いながら釜を必死に掻き混ぜていた。

 給食部の器具は人数的な問題によりある程度自動化が推し進められ、多少放っておいても問題ないのだが、フウカにはそれが出来ない理由がある。ずばり、重要なのは異物が混入していないかのチェックであり、特に給食部では時折謎の生命体が誕生したり、唐突に跳ね回ったりするので、その辺りの確認を怠ると大変な事になる。というかなった。実体験としてフウカは身に染みているのだ。

 キヴォトス有数のマンモス校であるゲヘナ、その給食の一切を取り仕切る彼女は一日に何百キロという食糧の調理をしなければならない。その労力は並みではなく、一分一秒であっても無駄に出来ない――厨房は彼女の戦場と云い換えても良いのだ。

 

 そして、そんな場所に笑顔を浮かべてやって来る悪魔(見覚えのある生徒)。彼女の瞳が死に、顔から表情が抜け落ちるのもいた仕方ないというもの。フウカは溜息を零しながら、しかし手は一切止める事無く素っ気なく吐き捨てた。

 

「……後二十分で作り終わるから、それまで待っていて」

「あら、何の用かはお聞きにならないのですか?」

「いや、どうせまた誘拐されるんでしょう? 別に抵抗しないからちょっとだけ時間を頂戴、配膳とか細かいところだけならジュリひとりでも任せられるけれど、調理がまだ終わっていない部分があって、あと給食推進車は明日の早朝使うから絶対走れる状態で返却を――」

「え~っと、別に今回はフウカさんを誘拐しに来た訳ではありませんよ~?」

 

 淡々と全てを諦めた様に告げるフウカを前にして、厨房を覗き込む生徒――アカリは苦笑を零しながら小首を傾げる。美食研究会の一員として常日頃、嬉々として自身を誘拐するアカリは最早フウカにとって天敵であり、顔を出しただけで『今度は何処に連れて行くつもりだ』と警戒心を抱かせる。それだけの実績が彼女と、所属する美食研究会には存在するのだ。

 そんな彼女が今回は誘拐しに来た訳ではないのだと云う。フウカは意外そうな表情を隠す事が出来ず思わずと云った風に問うた。

 

「じゃあ何しに来たの? さっきも云ったけれど、給食はまだ出来ていないわよ?」

「ふふっ☆ 実は~……ちょぉっとだけ、フウカさんにお願いがありまして」

「………」

 

 お願い――その響きの何と不穏な事か。

 どうせまた面倒事に巻き込むつもりだろうという呆れと怒りの混じったジト目に晒されたアカリは、全く悪びれる様子もなくヒラヒラと手を振った。

 

「そんな目をしないで下さい、本当にちょっとだけですから!」

「……はぁ、それで何? 一応聞くだけなら聞くけれど」

 

 一瞬手を止めたフウカが肩を落とし、気怠そうに問いかける。アカリは両手を揃えながら微笑むと、僅かな茶目っ気を滲ませながら告げた。

 

「――私の御料理、手伝って頂けませんか?」

 

 ■

 

「――お、お邪魔します」

「いらっしゃいませ先生~!」

 

 ゲヘナ学園、第十三学生食堂。

 本校舎より離れた場所にあり普段あまり使用されない学生食堂の一つであるその場所は、通常の食堂と比較するとややこじんまりとしている。活用されるのは精々イベントごとや、何かしら理由があり主要な学生食堂が生徒で埋まった時位なもので、普段は離れにある事もあって静謐に満ちていた。

 そんな食堂の中に足を踏み入れる先生、それを満面の笑みで以て迎え入れるアカリ。

 

「はい、一名様ご案内で~す☆」

「おっと……!」

「さぁ先生、此処に座って下さいね~?」

 

 食堂に踏み込んだ先生は素早く歩み寄って来たアカリに手を引かれ、並べられたテーブルと椅子の一つに腰掛ける。溌剌とした様子のアカリに対し、先生はやや困惑を隠せずにいた。

 シャーレの仕事中、アカリより連絡が来たのが昨日の事。内容は明日の夕刻に食事でもどうか? という誘い。幸い緊急の仕事は全て片付き、数時間程度であれば都合も付いたので了承の返事を送った所――この第十三学生食堂を待ち合わせ場所に指定された。

 てっきり商店街で待ち合わせでもするのではと考えていた先生は、少々身構えてしまったのだ。

 

「えっと、アカリ? まずは誘ってくれてありがとう」

「いえいえ、寧ろ感謝するのは私の方です、先生はいつも予約で一杯ですから~……ふふっ、忙しい仕事の合間を縫って、私に逢いに来てくれたんですよね~?」

 

 どこか優越感と嗜虐心を感じさせる彼女の笑み。アカリの言葉に先生は苦笑いを浮かべる他ない。忙しいというのは事実、尤も先生としては仕事よりも生徒を優先したい気持ちがあるのだが――仕事もまた、生徒に関する事なので手は抜けない。

 

「それより、今日はアカリだけなんだね? てっきり美食研究会の皆で食事をするのだとばかり――」

「私だって偶には先生をひとり占めしたくなる時もありますよ~? 以前のお詫びも兼ねて今日は一対一でお食事をしようと思いまして! 所で先生、何でそんなに強張った表情をしているんですか?」

「あ、いや、アカリと食事って聞いたから色々頑張って、その、食事代の都合を……」

「あら?」

 

 先生の言葉に目を見開くアカリ。何やら食堂に入った時から妙にぎこちない表情だと思っていたが、どうやら自身にまた奢らされるのではと戦々恐々としていたらしい。いつぞやの回転寿司、商店街食事処梯子ツアーを思い出すが、今回は少々事情が異なる。

 アカリは口元を手で覆うと、くすくすと声を漏らした。

 

「ふふっ、先生は私の為に頑張ってくれたんですね」

「まぁ、そうなる……のかな? 私もアカリには沢山助けられたし、一杯食べる美食家のアカリを満足させられるかは分からないけれど、一応ね」

「そうですか、そうですか~」

 

 彼の返答に彼女は満足感を覚える、先生に心を砕かれるのは中々どうして悪くない。本来であれば色々と粗相をした自分達(美食研究会)が先生をもてなす方が自然だろう。しかし、どうやら本人にその意識は無い様だった。

 

「フフッ、でもご安心下さい、今日は私の手料理を一緒に食べるだけです! 先生は一円も払う必要はありませんよ~? 高級店を梯子するのも悪くはないですが――偶にはこういう二人きりの空間って云うのも、悪くないと思いませんか?」

「それには同意するけれど、と云うか手料理?」

「えぇ――と云う訳で、じゃ~ん!」

 

 先生の困惑を他所にアカリは厨房に駆けていくと、トレイ付きのワゴンを二つ同時に押して戻って来る。其処には大量の料理が乗せてあり、鼻腔を擽る何とも香ばしい匂いを放っていた。

 

「一杯作っちゃいました☆」

「これは――」

 

 輝く笑顔と共に告げるアカリ、先生は彼女の運んできた料理の数々に思わず面食らう。見た目や香りだけの判断ではあるが、かなり出来の良い品々である様に思える。

 

「私の手作りお料理です、足りなかったら云って下さいね? まだまだ沢山あるので!」

「え、あ、いや、私はそんなに沢山は食べられ……」

「ん~?」

「――有難く頂きます」

 

 目を細めながら顔を近付けて来るアカリ、その威圧感に屈した先生は思わず頷く。機嫌を良くしたアカリは鼻歌を歌いながら料理を配膳していく。手際よくテーブルへと並べられる料理の数々、それを前に先生は唾を呑み込むと無言の覚悟を決めた。

 ワゴンは二つだけではない様で、厨房からは次々と料理が際限なく運ばれ何十人もの生徒が座る長テーブルはあっという間に料理で埋め尽くされた。アカリは一仕事終えると徐に先生の隣へと腰を下ろし、スプーンやフォーク、箸を先生に押し付けながら笑顔で告げる。

 

「さぁさぁ先生、沢山食べて下さいね~! こうぐいっと、ぐいっと!」

「分かった、分かったよ、食べるから待って、ちょっと待って」

「ふふっ、楽しみですね~☆」

 

 それは料理の感想的な意味だろうか、それとも別の意味だろうか? 先生は背中に冷汗を流し、どうして自分は一食事でこうも緊張しているのだろうかと自問自答する。手渡された箸を手に取り、先生は一番手前にあった肉じゃがに手を付けた。掴むとほろりと崩れてしまいそうになるそれに、絶妙な煮込み具合を予感しながら先生は口へと運ぶ。そして噛み締めた瞬間広がる確かな旨味、染み付いた味が先生の舌に滲み思わず目を見開いた。

 微かであっても分かる、薄れ行く感覚の中でもこの味を忘れる事はない。それは確かに、先生の知っている味だった。

 

「……これは」

「――あら、お気付きになられましたか?」

 

 先生の様子に、どうやら勘付いた様だと笑みを浮かべたアカリは笑みを零す。先生はもう一口、二口と料理を口に運ぶと確信を持って告げた。

 

「この味というか、風味は……フウカの作る料理に似ているね」

「えぇ、実はフウカさんにも手伝って頂いたんです!」

「フウカに?」

「えぇ、自分だけ食べるならばまだしも、誰かの為に作るとなると少々不安がありまして、断られたら拉致、じゃなくて脅し、でもなく爆破――……過激な手段を取るつもりでしたが、素直に協力して頂けて大変助かりました☆」

「……うん、まぁ、成程ね」

「ふふっ、フウカさんの腕前は良く知っておりますから」

 

 ■

 

「――あら?」

「ん、何よアカリ」

 

 先生との食事会当日、早朝――買い込んだ食料を前に、第十三学生食堂の簡易厨房にて調理を行う二人の姿。

 最初は懐疑的であったフウカであったが、アカリより事情を聞き先生に手料理を振る舞いたいという彼女の真摯さを一先ず信じ、渋々ではあるが助力する流れとなった。恐らく先生に振る舞うという部分が決め手であったのだろうとアカリはそう考える。

 

 厨房を練り歩くアカリはフウカの仕上げた料理を次々と味見し、ふと声を零す。フウカの手料理を文字通り何度も食して来たアカリは、その些細な味の変化に気付けるほどに精通していた。

 普段の給食で振る舞われる彼女の食事は酷いものだが――尤も、それはフウカの瑕疵ではない事を、美食研究会の面々は良く理解している――彼女が個人的に作る料理に関しては好ましいと思っている。そうでなければ美食研究会が個人的に彼女の腕を頼る事はまずないだろう。

 普段彼女を誘拐する理由もまた、フウカの腕前を深く信頼しているからに他ならない。つまりこれは美食の為の致し方ない犠牲、美しき信頼の為せる(誘拐)と云い換えて良いだろう――恐らく、多分。

 

「いえ、普段より味が薄目だなと思いまして、これはこれで美味しいのですけれど」

 

 ひとつ、ふたつと料理を口に運ぶアカリは口を丁寧に咀嚼し、呑み込みながら呟く。フウカはいつも通りの流麗な包丁さばきを見せつつ、アカリの感想に対し肯定を返した。

 

「そうね、塩分とか色々控えめに作ってあるから、味は薄く感じるかも」

「もしかして、先生への配慮ですか?」

「そういう事、退院してそんなに日も経ってないし、何より先生の食生活って結構栄養食とかで済ませちゃうから、なるべく胃の負担にならない様にとか色々考えているの……本当なら私が毎日でもシャーレに通って食事を作ってあげたいんだけれど、誰かさんが頻繁に問題を起こしたりするから給食の支度をするだけで精一杯だし」

「成程、まったく悪い生徒もいたものですねぇ」

「………」

 

 何の悪気もなくそう答えるアカリ(元凶の一人)に、フウカは無言で視線を向けた。その視線は昏く、粘つき、若干怨嗟が混じっている様にも思える。

 しかし幾ら彼女にそれを訴えたとしても馬の耳に念仏、犬に論語、牛に経文、つまり全く以て意味がない事をフウカは知っていた。現にアカリは全く堪える様子を見せず、寧ろ楽し気にフウカの作った料理を丁寧に一品ずつ味見していた。

 故に溜息と共に留まっていた不満やら何やらを吐き出し、兎に角目の前の調理に集中するフウカ。

 

「フウカさん、薄い味付けって具体的にはどういう風に作るのでしょうか?」

「今回の料理だとニンニクとか、唐辛子とか、胡椒とか、香辛料の類とか、そういうのをなるべく避けて作っているの、その分ちょっと味付けが変わっちゃうけれど、それはそれで素材の味が引き立つし、悪い事ばっかりじゃない」

「ん~☆ 確かに、これはこれで素朴と云うか、優しい味ですねぇ、もっと沢山食べたくなる様な美食です! あ、これ特に美味しかったのでお代わり貰えますか?」

「……お願いだから、作った分を全部食べないでね?」

 

 一日に数千人規模の給食を作る彼女からすれば、一品二品作るのはそう苦ではない。しかし作った傍から味見と云う名の摘み食いを繰り返すアカリを見ていると不安に駆られる。フウカのそんな忠告とも不満とも取れる言葉に対し、彼女はきょとんとした表情を見せると首を傾げた。

 

「当たり前ですよ? 先生の為に作った料理を全部食べてしまう何て、そんな事する筈がないじゃないですか」

「心配だから云っているんだけれど……というか食べる手を止めて自分も作ってよ!」

 

 ■

 

 そんなこんなで出来上がった料理の数々、朝食代わりに色々と摘まみ食いをしてしまったが胃に入ったのは作った分の半分にも満たない量だ。アカリとしては十二分に自制した結果とも云える。

 

「さぁ先生、こっちはどうですか? これは私が一から作った自信作なんですよ~?」

「ん――うん、優しい味がするね」

「ふふっ、真心一杯、愛情も沢山込めましたから☆」

 

 これもこれもと料理を差し出し、先生が食べる姿を横から嬉々として眺めるアカリ。彼女自身食べる事が大好きだが、他者が食べる姿を眺めるのも中々どうして悪くない。ハルナの優雅な食べ方、ジュンコの気持が良い食べ方、イズミの元気一杯な食べ方、先生のは――慎ましくも穏やかな食べ方、だろうか。

 何方かと云えば淡々とした、けれど食事に対する真摯な姿勢を覗かせる佇まいだと思った。恐らく普段は仕事の片手間に食事を済ませるからだろう、食事の所作というものはそれだけで人柄が分かるものだ。

 アカリはテーブルに身を預けながら、にんまりとした笑みを浮かべる。

 

「特別な料理を食べて、素晴らしい時間を過ごす――なんて素敵なんでしょう、そうは思いませんか先生?」

「うん、素晴らしい時間と云うのは確かに、同感だね」

「ですよね? ふふっ、さ~て、それじゃあ私も食べちゃいます!」

 

 これは食事会、先生とアカリだけの時間。先生の食事を眺めるのも悪くないが、一緒に食べればきっと更に楽しいし、美味しい。

 アカリは手元にあったフォークを手に取ると、目に付いた料理を手元に置く。元々この食事会は先生と美食を味わう為のもの、量は十分に――それはもう十分に確保している。

 

「むぐ……うんうん、我ながら悪くない出来です! ハルナさんも仰っていましたが食事というものは料理単体ではなくシチュエーション、やはり誰と食べるのかという点も大事ですね☆」

「ひとりで食べる食事は味気ないからね、誰かと食卓を囲むと云うのは、本当に素敵なものだよ」

 

 仕事に追われ、栄養食を齧る事が多い先生からすると暖かい食事というだけでもかなり違いがある。苦労を背負った本人がそう口にするからこそ、その言葉には妙な説得力があった。

 

「ん、あら――」

 

 不意にアカリの食事、その手が止まる。

 ふと口にした漬物――確か山海経から取り寄せたザーサイを使った漬物だ。何気なく口にしたソレだが、かなり塩辛く感じたからだった。

 どうやら塩抜きの加減を間違ってしまった様子。フウカさんなら上手くやれたのでしょうが、アカリは内心で呟きつつ唸る。食べられないという事は全くない、しかし全体的に味が薄い食事の中で飛び切り濃いこれは、口にした瞬間吃驚する事請け合いだろう。

 アカリは暫く手にした漬物を見下ろし、それから黙々と食事を続ける先生に目を向けた。その瞳にちょっとした悪戯の光が宿り、アカリの口元が微笑を湛える。

 

「先生、こちらの品――一つどうですか?」

「ん?」

 

 先程口にしたザーサイの漬物、それが盛られた小皿をそれとなく先生に勧める。先生は彼女の意図に気付いた様子もなく、穏やかな佇まいで目を瞬かせた。

 

「漬物か、良いね、頂くよ」

「ふふっ」

 

 先生の箸が小皿に伸び、そのまま一摘みの漬物を口に運ぶ。その様子をどこか期待する様な目で眺めるアカリ。そして口に入れ、咀嚼する先生を見て彼女は悪戯っぽく問いかけた。彼女の脳裏には余りの塩辛さに驚き、咳き込む先生の姿が浮かんだ。

 

「お味はどうですか先生~?」

「ん、これは……」

「やっぱり驚きましたか? ちょっと失敗して――」

 

 僅かに見開かれる瞳、きっと驚いたに違いない、アカリはくつくつと肩を揺らしながら口直しに汁物を差し出そうとして――。

 

「――丁度良い塩加減で、とても美味しいよ、アカリ」

「………」

 

 満面の笑みを浮かべ、「美味い」と語る先生に思わず面食らった。

 想像とはかなり、百八十度異なる反応だったから。

 アカリは思わず差し出そうとした椀を手にしたまま硬直する。そのまま何て事のない様に食事を再開する先生、アカリは暫し先生を凝視したまま緩やかに再起動を果たした。

 

 ――先生は、塩辛い食事が好みだっただろうか?

 

 アカリはそう自問自答する、アレはかなり味が濃い、結構好みの分かれる塩辛さだった。自分が知らないだけで、先生がそういう味が好みだった可能性も勿論ある。しかし今まで先生と共に商店街の食事処や、あらゆるレストランを梯子して来たアカリは強い疑念を抱いた。

 先生の味覚は至って平凡――良い意味で好き嫌いが無く、特に好む味を持たない。その感覚はアカリやハルナと近しいラインにあり、特に振れ幅の大きい食事には反応を見せる。今食べた漬物は、そのラインを逸脱した味である筈だった。

 

「ん~……?」

 

 アカリは思わず食事の手を止め、唸った。

 高々一度の疑念、偶然味の好みが合致しただけ、そんな何て事の無い反応に拘る自分を不思議に思う。

 けれど何故か、何故か無視出来なかったのである。

 これまで先生と共に梯子してきた数々の店、美食の記憶が警鐘を、違和感を、異変を叫んでいた。

 

「……アカリ、どうしたの?」

「そうですね、えぇ――……先生、実はですね」

 

 食事の手を止めたアカリに気付いた先生が問いかける、故にアカリは一つ策とも云えぬ考えを実行する事にした。

 それは単なる悪戯の範疇、カマかけと云っても良い。

 それとなく、何て事のないように、アカリはいつも通りの笑みを浮かべながら嘯いた。

 

「今回の料理、全体的に味付けを【濃い目】に作っておいたんです、フウカさんに教わりながら、調味料の類に気をつけて先生の身体にも優しい味を目指したんですよ~!」

 

 何て分かり易い嘘だと、自身で口にしながらアカリは嗤った。

 今回の食事はフウカ監修の元、先生の身体に配慮した優しく素朴な味で統一されている。インパクトのある、ガツンとした味ではなく、包み込む様な柔らかな味わい。だからこそ先程の塩辛さが際立つ訳だが――これだけ食事を口にして、先生が気付かない筈がないという確信がアカリにはあった。

 

 何せ自身と、美食研究会と共にずっと美食を探求して来た先生である。当然ではあるが、彼の味覚もまた相応に鍛えられている。気付けない筈がない、「えっ、結構薄味だと思うけれど……」とか、「あれ、そうかな?」とか、「この漬物は確かに濃い目だけれど、他のは――」とか、そういう先生の反応をアカリは予感していた。

 そう在る事が自然な反応であると彼女は信じていた。

 だと云うのに。

 

「先生に気に入って頂けたか不安で――どうでしょう、濃すぎたりしませんでしたか?」

「……いや、寧ろ丁度良い位さ」

 

 先生は穏やかに微笑み、告げる。

 箸を下ろし、自然体に振る舞う先生。

 けれどアカリは見逃さなかった。

 何気なく落とした瞳の中に滲む後ろめたさを。

 

「最近味気ない食事が多かったから、こういう全体的に味の濃い食事は久し振りで――うん、こういう食事も偶には良いものだと感じるよ」

「―――」

 

 それは明確な。

 余りにも分かり易い、まやかし(誤魔化し)だった。

 

「ッ!」

 

 瞬間、アカリの中に噴き出す猛烈な感情、その波。それは一瞬にしてアカリの視界を真っ赤に染め上げ、彼女の身体を突き動かした。

 手にしていたフォークが甲高い音を立てて床に落ち、アカリの手は知らず知らずの内に先生の右腕を掴んでいた。箸を持つ先生の手が震え、思わず目を見開く。

 

「……アカリ?」

「――………」

 

 目の前に、アカリの特徴的な瞳があった。深い蒼の中に広がる妖しい光、それは彼女の開き切った瞳孔。その光は先生の奥底を見透かすように、或いは責めるようにして此方を捉えて離さない。

 

 ぎちりと、アカリの手に力が籠る。恐らく無意識の内に発生した力みだ、彼女からすれば何て事の無い力でも先生からすれば万力の様に感じる。思わず先生の骨が軋み、意図せず苦悶の声が漏れた。

 

「っ、アカリ、少し力が、強い――」

「この、フウカさんと一緒に作ったお料理は」

 

 低く唸る様な、それでいて寒々しい声が響いた。普段の朗らかなアカリとは異なる、怒りを滲ませた表情。彼女の手は先生が離れる事を許さず、寧ろ凄まじい力で引き寄せ、今にも鼻先が触れてしまいそうな距離へと詰める。

 そして疑念は、嬉しくも無い確信に至ろうとしていた。

 

「調味料を極力使わず、薄味で統一してあるんです」

「っ――」

 

 その言葉を聞いた瞬間、先生の表情が明確に崩れた。それはほんの一瞬、僅かな間だけだったが――確かにアカリは目視した。

 

 そして、それこそが何より雄弁な答えだった。

 

 アカリの左手がゆっくりと伸び、先生の唇をなぞる。

 普段であれば余りにも妖艶で、意味深な動作。しかし今の二人の間にその様な空気は一切なく――其処に漂うのは不穏な、それでいて今にも爆発しそうな気配のみ。アカリの表情に色は一切なく、能面の様なそれが先生に問うた。

 シルクの手袋を脱いだ彼女の指先が、先生の肌に食い込む。

 

「……アカリ」

「絶対に離しませんよ、先生――ですから、正直に答えて下さい」

 

 一切の虚偽は許さず、優しい嘘すら拒絶する。

 アカリは自身の胸中に渦巻く感情を押し込め、飲み下し、それでも一抹の希望に縋る様な心地で、震える唇を動かした。

 

「先生、もしかして――味が、分からないのではありませんか」

 


 

 長くなったので分割しますわ~!

 味覚イベント美食研究会全員分やりたい。というか各キャラにフォーカス当てた話全部書きたい。でもきっと膨大な文字数になるので完結後にひっそりと書くのですわ。

 何でアカリだけなんですの~? 美食研究会でハルナの出番が結構多く感じたから、アカリの素敵なところを書きたかったんですわ……。ジュンコとイズミの二人も、いつか輝かせてあげたいですわね!

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。