ブルーアーカイブを、もう一度。   作:トクサン

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誤字脱字報告に感謝しますわ!
本当なら二回に分けるべきでしたの、でもどうしても一話に纏めたくて時間を頂きましたわ。
今回は二万三千五百字、恐らく最長ですわ。


勇者アリス(天童アリス)の過ごした、幸福な(最後の)一日。

 

「という訳でアイディア出しをしよう! これだけ集まれば何かしら良いアイディアも出るでしょ!」

「全く……」

 

 ゲームを片付け、部室の中央にテーブルを出したゲーム開発部。卓を囲んだ彼女達は以前書いた企画書やらアイディアノートをテーブルの上に広げながら企画会議を開始する。司会は基本的にモモイが務めるらしく、アリスは何処か期待を滲ませる視線を、ユズは不安半分、楽しさ半分と云った様子で皆を見ていた。

 

「先生に説明しておくと、うちが次に出すゲームは『まったりスローライフ系ダンジョン探索型RPG』に決定しているから! これを決めるのにも、紆余曲折があったんだよ……!」

「まったりスローライフ、それにダンジョン探索型のRPGかぁ」

「えっと、その、ち、地上に拠点があって、装備や持ち込むアイテムなんかの生産を行うんです、釣りとか採取とか」

 

 そう云ってユズはテーブルに広げた資料の内、一枚を引っ張り出して先生へと差し出す。受け取って内容をざっと眺めれば、池や畑のイラスト、鍛冶場等の概要がざっと書き込まれているのが分かった。そこで製作出来る道具やアイテムの種類も、大雑把ながら既に並んでいる。一枚一枚確認しながら、先生はゲームの凡その概要を掴む。

 

「あぁ、こっちがスローライフの要素なんだね、地上拠点で作ったアイテムをダンジョンに持ち込んで、少しずつ攻略していくと」

「はい、後は素材なんかもダンジョン内でドロップしたものを持ち帰って、拠点で新しい武器とか防具を作れるようにしようかなって」

「ハクスラ要素は大事です! 掘れば掘る程、強い武器が手に入ります!」

「成程、ハクスラか……」

 

 ハックアンドスラッシュ、所謂敵を倒してどんどんキャラクターを強化していくゲームデザインである。ある意味分かり易く、取っつき易い。装備の強化やレベル上げなど、きちんと時間を掛ければクリア出来るものが多い点もユーザーに優しいだろう。

 そんな事を考えていると、モモイが身を乗り出しながら告げる。

 

「でもやっぱり、一番大事なのはダンジョンの部分でしょ!」

「うん、そうだね……ダンジョンをどう設計するかで拠点の内容も、全体的な難易度も変わって来るし」

「決められたダンジョンを攻略するのか、それともローグライクにするのか、後者なら拠点の要素も大分変わるね」

「はい! はいっ! アリスはローグライクが良いです!」

 

 ユズの呟きに対し、アリスは元気一杯に手を掲げながら叫ぶ。

 ゲームの中にはドロップする素材や装備品にランダムなバフ効果、デバフ効果を与え、狙いの装備を『掘る』楽しみに主眼を置いたもの、ランダムデザインのダンジョンを採用し二度と同じマップは登場しない――何てものもある。

 それがローグライクだ。このローグライクとハクスラは相性が非常に良く、入る度に変化するダンジョンの中で、沢山の敵を倒しながら成長し、ランダム性の高いアイテムを獲得していくというゲームスタイルが基本となる。

 これが中々に中毒性が高いらしく、アリスも例に漏れずこの手のゲームが好みらしい。

 

「アリスはローグライクが好きなのかい?」

「はいっ! 毎回ダンジョンの構造が変わるので、今度はどんなモンスターやレア装備に出会えるのだろうかとワクワクします! 因みに前回みんなで作ったローグライクゲームは先生の名前でユニークアイテムを作りました!」

「私……?」

 

 予想もしなかった言葉に面食らう先生。ニコニコと満面の笑みを浮かべるアリスは、テーブル脇に置いてあった企画書・アイディアボックスに手を突っ込むと、その中から一枚の紙を引っ張り出した。どうやらそれはアリスが描いたアイディアノートらしく、何とも独創性に溢れた絵がびっしりと並んでいた。

 

「はい! 名付けて先生の花丸シールです! シールを手に入れるとアリスはとても嬉しかったです、使うとキャラクターが凄く強くなるんですよ!」

「あ、これ強化アイテムなんだ」

「あっ、えっと、それは若干の遊び心というか、何と云うか」

「お姉ちゃん、色んな生徒の名前をそれっぽくもじってゲームに入れるよね、魔王ユーカとか、策謀者ノッアとか……」

「わーッ! しーっ、その名前を出しちゃ駄目だよミドリ! ユウカに知られたらまた大変な事になっちゃう……!」

 

 ちらりと見えた別のアイディアノート、そこに二本角に恐ろしい形相、羽を生やしたユウカらしきモンスターが見えた気がしたが――先生は努めて目を逸らした。例え二本の足がどれだけ太く描写されていても、あれはきっと彼女達のオリジナルモンスターに違いない。違いないと云ったら、違いないのだ。すべてはフィクションである、先生は自身にそう云い聞かせた。

 

「んんッ! そんな事よりダンジョンの形を決めようよ! ほら、何でも良いから一杯意見を出し合って! えっと、ぶ、ぶ……ブレイブ・ストロングだよ!」

「……ブレインストーミングだよね、多分」

 

 焦ったように捲し立てるモモイに対し、先生は静かに訂正を入れる。微妙にあっている様で間違っている、そんな言葉を生み出すモモイのそれは一種の才能なのかもしれない、そう思った。

 

「う、うーん、やっぱり一番スタンダードだと地下遺跡とか、かな? ダンジョン系だと一番基本の形だと思うし……」

「森林にある遺跡なんかも良いんじゃない? ほら、古代文明っぽ感じとか結構あると思うし」

「それならアリスは深海遺跡を提案します! 勇者も良く海に繰り出しては重要アイテムを深海の遺跡から持ち帰りますので!」

「うーん、遺跡系かぁ……悪くはないんだけれど、折角作るならもっとこう特別感があって、壮大なのが良いんだけれどなぁ」

「壮大って云うと、具体的には?」

 

 モモイの何とも云えない漠然とした要望に、ミドリは首を傾げながら問いかける。

 

「こう、ズドーンって聳え立っている様な、ワクワクして、思わず攻略してみたくなる様な……!」

「う、うーん、ちょっと抽象的すぎない?」

「……えっと、それなら塔形式で登っていくのは? 聳え立って、インパクトのある絵だと悪くないと思うし」

「あぁ、地下に降りる形じゃなくて、登っていく方式にするのか」

「は、はい、そっちだと何となく目新しいかなって」

 

 ユズがおずおずと云った様子で提案すれば、先生は納得した様子で頷いて見せる。確かに漠然としたイメージしか掴めない地下と比べて、大きな塔というのは視覚に訴えやすくインパクトもある。先生には悪くない提案の様に思えた。

 

「大抵のローグライクゲームは深度が深まる毎に難易度が上がるから、こっちは登っていく度に敵が強くなっていく感じで……」

「えー、確かに悪くはないんだけれどさぁ、何か意外性がなくない?」

「もー、文句ばっか……じゃあ、肝心のお姉ちゃんのアイディアはどうなの?」

「塔を登っていくって発想は悪くないと思うんだよ、何なら遺跡と繋げちゃっても良いし……! 裏ダンジョン的な奴! だから使うのは階段とかじゃなくて、登り方、劇的で、意外性……うーんと」

 

 モモイはユズの出した塔というイメージを元に、うんうんと頭を捻る。発想をそのままに、プレイヤーを驚かせるような何か、意外性、それを彼女は捻り出そうとする。そして暫しの間苦悩したモモイは、ハッとした様子で叫んだ。

 

「エレベーター! エレベーターで移動するのとかどう!?」

「……エレベーターで階を行き来するの?」

「必要なのは華やかなビジュアル! そして壮大なシナリオと意外性! だから登って、登って、登って――最後に屋上で爆発するの! これぞ一大スペクタル!」

「……はぁ」

 

 どうやら彼女の中ではシナリオが出来上がったらしい。しかし、アリスやユズと云った面々は話について行けず、ぽかんとした表情を浮かべている。ミドリに至っては頭が痛いと云わんばかりに額を抑えている。というか屋上で爆発して、それからどうするのだろうか、もしかして全滅エンドを想定しているのか。もしそうならば、余りにも報われないと思うのだけれど――先生は反応を伺う様に、ゲーム開発部の面々を見守る。そんな周囲の反応に気付かず、腕を組みながらしたり顔で言葉を続けるモモイ。

 

「まずは華やかなビジュアルを意識して、ダンジョンも、こう、複雑な造りに――」

「お姉ちゃんッ!」

「うわっ、み、ミドリ……?」

 

 一人で発想を膨らませ、奇怪な動きで構造を表現する彼女、そんな自身の姉に対し、ミドリは我慢ならないとばかりに声を荒げた。唐突に響いた怒声に肩を竦めたモモイは、若干腰の引けた様子でミドリに視線を向ける。

 ミドリは身を乗り出しながら指を突きつけ、モモイに対し怒りを露にした。

 

「それ、この前も同じような事云っていたよね? このダンジョンを表現するには内部を細かく描写する必要があるとか何とか云って! みんなで一日中ダンジョン描く羽目になって!」

「や、あのっ、そ、そういえば、そんな事も……!」

「あっ、あの時の奴ですね! アリスも沢山描きました! あのダンジョンは色々なものが描けて楽しかったです! 確かこの辺りに――」

 

 ミドリの言葉で当時の事を思い出したのか、再び段ボール箱を漁るアリス。そして取り出した彼女の手には、分厚い紙の束が握られていた。どうやら全員で描いた分、全てが纏まっているらしい。ダンジョンの具体的な装飾、内装、床のタイルから天井の明かりまで、更には出現する敵も細かく描かれている。

 その中でも一際異彩を放つ一枚絵――それはアリスは手に取り、先生に満面の笑みで差し出す。

 

「先生、見て下さい! これ、アリスが描いたイラストです!」

「えっと、アリスこれは……?」

「アリス一番の自信作――ダンジョン最強の番人、『先生ガーディアン』です! いつもアリス達を導いてくれる先生のイメージから名前を付けました! とても強い、無敵のガーディアンです!」

「これは、中々どうして屈強な――」

「あ、あはは……」

 

 何とも反応に困った先生に対し、ユズは引き攣った笑みを零す。

 一枚の紙にデカデカと描かれた、件の先生ガーディアン。子どもの落書き染みた優しい顔に、何故か筋骨隆々のマッスルボディ。着込んでいるシャツはパツパツで、胸元にシャーレと描かれたシャツを身に付けていた。髪は七三分けで、当たり前だが義手も身に着けていなければ片目を失明もしていない。

 人間かモンスターかと問われると、ギリギリモンスターに入りそうな威圧感。しかしどうしてだろう、見た目は全く違う筈なのに親近感が湧いて来る――先生は奇妙なシンパシーを覚え、その事自体に戸惑った。

 

「いや、ほら、えっと、ミドリ? 華やかなビジュアルはあくまで、必要に応じた選択であって、何も全部そうしようって訳じゃなく、こう随所に散りばめる感じで……」

「お姉ちゃん、私は何も描く事自体が嫌って云っている訳じゃないよ、でもあの時、皆であんなに苦労して描いた案、ゲームでは殆ど使わなかったじゃん!」

「ぐぬ……」

 

 ミドリの言葉に、思わず反論出来ず言葉を呑み込むモモイ。事実、段ボール箱に詰められた彼女達のイラスト、アイディア、提案はこうして紙束のまま眠っており、ゲーム内部に実装される事はなかった。

 その現実を指差し、腰に手を当てたままモモイを見下ろすミドリは告げる。

 

「私達は大規模な開発チームじゃないんだから、出来るだけ無駄は省いて実現可能なレベルの話をしようよ、削れるところは削らないと完成が何年も先の話になっちゃうじゃん!」

「で、でも! それだと地平線の先、その景色が見れないよ! 限界を突破した先にこそ、本当の名作って云うのは生まれる筈なんだから!」

「拘る事が悪いとは思わないけれど、ダンジョンの一階層に拘って他が疎かになったらどうするの? そういう場合、自然と目にする事が多い拠点とか汎用通路に力を入れるべきじゃないの?」

「そ、そっちも力を入れるけれど、細部に神は宿るとも云うし……!」

「そっちもじゃなくて、力を入れるべきところは選んでって云っているの! また使わない絵を沢山描かされて、ゲーム開発が少しも進まないなんて事になったら、今度こそ本当に部費が底を突いて――!」

「ふ、二人共、落ち着いて……!」

 

 段々とヒートアップしていく二人に対し、ユズは慌てて仲裁に入る。互いに互いの意見を曲げない姉妹はユズに一度視線を向け、それから静かに佇む先生へと水を向けた。

 

「そうだっ、先生はどう思う!? どっちの味方!?」

「えぇ、こういう時こそ先生の意見が必要です! どちらが正しいと思いますか!?」

「やっぱり派手な方が良いよ!」

「実現可能なラインの妥協が必要です!」

「うーん……」

「ちょ、ちょっと二人共、ストップ! 先生が困っちゃうよ……!」

 

 二人に迫られた先生は腕を組み、思案する様子を見せる。制止するユズはおろおろと視線を彷徨わせ、アリスは相変わらず笑顔で佇んでいた。これもゲーム開発に必要な過程、という事なのだろう。先生は手元にある企画書を一枚一枚眺めながら、ふとユズに問い掛ける。

 

「ユズ、因みにゲーム開発部として開発期限とか、締め切りみたいなのはあるの?」

「あ、えっと、それは……」

「この間ユウカがやって来て、『いい加減次の作品を出さないと部費を減額するわよっ!?』と怒っていました! 流石は魔王の貫禄でした!」

「あ、アリスッ!?」

 

 ぺかーと、何の悪意も感じさせない笑顔で告げるアリス。因みに此処で云う魔王とは、この手元の企画書にある『魔王ユーカ』から取ったものだろう。怖いもの知らずと云うか、何と云うか。先生は蒼褪め、頻りに廊下を気にするモモイを尻目に企画書を静かに伏せる。

 

「確か以前ゲーム開発部が作品を発表したのは――」

「に、二ヶ月以上前ですね、もう直ぐ三ヶ月になるかも……」

「ゲーム開発のスパンとしては決して長い訳ではないんですけれど」

「というか、他所の部活がおかしいんだよ! 早い所だと二日とか、三日おきに新しい発明やら作品やら作っちゃうし!」

「た、多分ゲーム開発しないで遊んでばっかりいた様に見えたんじゃないかな?」

「失礼な! あれはちゃんとしたゲーム分析で、アイディアを育てていただけなのに!」

「お姉ちゃんがいつも怒らせるような事を云うからじゃないの?」

「そんな事してないよ!?」

「……牧場ゲームを開発しようってなった時、育てられる作物の名前、大根の品種名に『ユウカ』って付けて、すっごく怒られたじゃん」

「――モモイ」

「ふぐぅッ!」

 

 どれだけ弄れば気が済むのだ、魔王だけじゃなくて大根のアイテム名もソレにしようとしたのか。先生は思わず窘める様にモモイの名を呼んだ。それだけ以前の騒動でユウカに廃部寸前まで追いやられたのが遺恨として残っているのか、だとしても恐らく今度こそ「モ~モ~イ~!?」では済まない筈である。正座で説教一時間コース――あれは、辛い。

 

「けれど三ヶ月か、部費の件もあるし、そうなると出来るだけ早く完成には漕ぎ付けたいよね――それならある程度妥協は必要になるかもしれない」

「ぐッ、先生まで……!?」

「ほらね、お姉ちゃん」

 

 ミドリの意見に賛成する様な言葉を口にすれば、ふふんと勝ち誇った表情で胸を張るミドリ。反対にモモイは唇を噛み、項垂れる様にして肩を落とす。

 

「でもモモイの気持も分かるよ、世に出すなら出来得る限り完璧なものであって欲しい、少なくとも自分にとっては胸を張れる結果であって欲しいっていう想いは、とても」

「そっ、そうなんだよ先生! 自分の限界を超えて作った作品にこそ、魂が宿るって云うか、最高の体験が出来るっていうか……!」

「むぅ」

 

 モモイの意見に賛成する様な言葉を口にすれば、今度はモモイが息を吹き返し、ミドリが頬を膨らませる。

 この手の問題に正解はない、先生は神妙な顔つきで企画書を捲っていく。

 

「難しい問題だね、何方にも得るものがあって、失うものがある――両方を手に取る事は出来ない、か」

「……お姉ちゃんが全部に拘りたい気持ちは理解出来るよ、でも現実問題私達には時間も、人材も、予算も限られているんだから力を注ぐ所は厳選しないと!」

「で、でも、やっぱりミレニアム・プライスで優勝するってレベルの作品なら、他のどんな大企業にだって負けない様な、すっごいゲームを作らないとじゃない!? だから、その為にも拘りは必要で……!」

 

 二人の言葉がぶつかり、意見が食い違う。そんなモモイとミドリを見た先生は、手にしていた企画書をテーブルに一度戻し、手を叩いた。パン、と周囲に音が響き、全員の視線が先生に注がれる。

 

「分かった」

「せ、先生?」

「互いの意見が食い違う、そういう部分はこれからも必ず出て来ると思う、だから皆と良く相談して、一先ず『どうしても』という所だけは拘る様にしよう――それでも納得できないって、意見が衝突したら」

「……衝突したら?」

「――話し合う」

 

 先生は皆を見渡しながら告げた。

 

「とことん話し合おう、お互いが納得できるまで、或いはゲーム開発部だけで難しいと思ったのなら、外部の生徒に助けを求めても良い――以前の出来事で、皆はそれが出来た筈だ」

「………」

「その為なら、私は協力は惜しまないよ」

 

 先生の言葉に先程まで云い合っていた二人は顔を見合わせ、神妙な顔つきで口を噤んだ。先生の云っている事は分かる、きっと正しい。でも、長年一緒に居たからこそ分かるものもある。きっと言葉だけで決める事は難しい、互いに互いを知り尽くし、一定の理解と共感を持つからこそ意地の様なものが二人の根底にこびり付いていた。

 だからこそ、二人にはこうなった時に解決する為の手段があった。

 

「お姉ちゃん」

「ミドリ」

「……相手を納得させられたら、良いんだよね」

「……先生は、そう云ったね」

 

 頷き、二人は静かに立ち上がる。部室に備え付けらえたラック、そこに収納されていたボックス。表面に互いの名前が記載されたそれを取り出し、携帯ゲーム機を取り出す。全く同じタイミング、動作でゲーム機を取った二人は再び対峙し視線を交わした。

 

「こういう時、いっつも決着をどうやって決めていたか覚えている?」

「トーゼンでしょ? お互いに勝負方法を決めて十回勝った方の意見を呑む」

「うん、私達はゲーム開発部、だからこそ」

「勝負はゲームで――ジャンルはお互い、交互に指定」

 

 これはゲーム開発部に入る前からあった、二人にとって儀式の様なもの。尤もゲーム開発部に入る前は、じゃんけんとか、かくれんぼとか、鬼ごっことか、トランプとか――そう云った何て事の無い子どもの遊びに過ぎなかったが、ゲーム開発部として活動するようになってからは専ら電子遊戯での決着が殆どであった。互いにゲーム機の電源を入れ、視線をモニタに移しながら呟く。

 

「……お姉ちゃんの意見も分かるよ、私も時間や予算が許されるなら徹底的に拘りたいもん、作るなら一番良い作品を――そうだって分かるからこそ、恨みっこなし」

「うん、私もミドリの意見は間違っていないと思う、色々我儘を云っちゃったけれど、本当に皆の事を思うなら妥協も必要だって頭では分かっているから――だからこそ、負けても後腐れなしで……!」

『いざ――ッ!』

 

 二人の声が重ねり、対戦が始まる。軽快なBGMと共に始まった唐突なそれに目を瞬かせるユズは、戸惑った様に先生の袖を引いた。

 

「せ、先生、これは良いんでしょうか……?」

「うん、不公平な条件で不承不承って形なら兎も角、お互いが納得出来るのなら、これも一つの方法じゃないかな?」

「ゲームでの決闘(デュエル)――熱い展開ですね!」

 

 二人の周りを歩きながら輝く眼で眺めるアリス、真剣な表情で取り組む二人の表情は彼女にとっても好ましいものに見えた様だった。

 

「あっ、でも二人が決闘している間、アリスは何をすれば良いのでしょうか?」

「えっと、それなら……先生と一緒に何かアイディアを探してきてくれないかな? 普段と同じ景色でも、先生と一緒なら何か違ったインスピレーションを得られるかもしれないし」

「成程、アイディア取得クエストですね! パンパカパーン! アリスはクエストを受注しました!」

 

 手透きになったアリスに対し、ユズは何か新しいゲームのアイディアを得られる様冒険を提案する。部室に籠って考えるのも悪くないが、アリスの場合は外で様々な体験をした方が浮かび易いと判断したのだろう。ユズの言葉に満面の笑みと共に頷いたアリスは、そのまま部室の片隅に安置された光の剣を担ぎ、先生へと向き直った。

 

「先生、早速冒険に出発しましょう!」

「す、すみません先生、お願い出来ますか?」

「勿論、それじゃあアリスと一緒にミレニアムを冒険してくるね」

「はい、私はその間に以前のアイディアとか、色々纏めておきますので……」

 

 テーブルに広がった資料を纏めながら、ユズはそう云ってはにかむ。こうして先生とアリスはゲーム開発部を後にし、ミレニアムキャンパスへと繰り出す事と相成った。

 

 ■

 

「うーん、ミレニアムのキャンパスは相変わらずハイテクだね」

「アリスと先生はエリア移動しました! 見習い勇者アリスと先生の冒険はここから始まるのです!」

 

 部室棟を離れ、ミレニアム中央広場へとやって来た二人。モノレールが行き交い、ドローンが交差するキャンパス内は何とも近未来感に溢れている。何度もミレニアムに足を運んでいる先生ではあるが、自治区によって建築物や文化、装飾などが異なるものの特にミレニアムはその変化が顕著である様に感じられた。

 広場の中心で天を指差し叫ぶアリスに、先生は視線を向ける。

 

「おや、今日は見習いからなんだ」

「はい! 今日のアリスは先生に合わせて、レベル1です!」

「ははは、それじゃあレベルアップの為にも彼方此方回らないとね」

 

 レベル1ならば何をしてもレベルアップ出来るだろう、正に成長期真っ只中だ。或いは自身の戦闘能力的な面を指して云っているのかもしれないが、残念ながら先生が物理的な面でレベルアップする事はない。それこそ、全身を甲鉄(機械)にでも置き換えない限りは。

 

「少しずつモンスターを倒して、伝説の勇者を目指しましょう、先生!」

「まずはスネイル(スライム)から?」

「はい! レベル1で倒すモンスターと云えばスネイル(スライム)と決まっています!」

 

 自信満々に、何の疑いもなくそう断言するアリス。伝説的なRPGの代表的雑魚モンスター、スネイル。その何とも奇妙な見た目と愛嬌を感じさせる表情に好感を覚える者は少なくない。「ぷるぷる、ワタクシ悪いスネイルではありませんわよ」という台詞は何となく耳にした者も多いのではないだろうか。

 因みに代表的な雑魚モンスターではあるが、同時に彼、或いは彼女がラスボスとなった作品も存在する。長寿RPGである為、様々な続編、番外編が製作されているのだ。ラスボスとなったスネイルは、「死んで平伏しなさい! 私こそが魔王よッ!」と恐ろしい存在に変貌するのだが――詳しくは割愛する。

 

「でも、ユズのクエストをクリアするにはどうすれば良いのでしょう、先生?」

「うーん、ゲームのアイディアと云っても中々見つけるのは大変だからね、取り敢えず近くを回ってみようか、どんな難しい事でも、最初の一歩から始まる――レベルアップも、クエストもね」

「!」

 

 先生の言葉に目を輝かせるアリス。彼女からすると、冒険心、或いは勇者心を擽る様な言葉だったのだろう。光の剣を背負った彼女はフンスと気合を入れ直し、力強い一歩を踏み出した。

 

「そうですね! 始まりの一歩……! 先生、一緒に踏み出しましょう! 共に伝説的な一歩を――!」

「あ?」

 

 アリスが意気揚々と一歩目を踏み出した瞬間、見覚えのあるスカジャンが視界に過った。広場を横切ろうとした小さな影、しかし纏う雰囲気はその矮躯に見合わぬ強烈なもの。アリスは余りにも覚えがあり過ぎるそれに笑顔のまま動きを止め――反対に相手の生徒はアリスを見つけるや否や、楽し気に口元を歪めながら距離を詰めて来た。

 そしてごく自然な動作でアリスの肩に手を回すと、首を傾げながら告げる。

 

「おう――丁度良い所に居やがったな、チビ?」

「っ、や、野生のチビメイド様とエンカウントしてしまいましたッ!」

「誰がチビメイドだテメェッ!?」

 

 何の悪意も悪気もない悪口に思わず声を荒げるネル。アリスを捕まえた腕に力を込めながら額を相手の頬に捻じ込み、それから背後に立つ先生に気付く。

 

「――って、んだよ、先生も一緒に居たのか」

「こんにちはネル、今日も元気そうで良かった」

「はっ! あたしはいつでも絶好調に決まってンだろう?」

 

 先生が朗らかに手を挙げて挨拶すれば、相変わらず不敵な笑みを浮かべながら応えるネル。彼女にとって調子というのは常に絶好調らしい、流石というか何と云うか、変わらない安心感がある。

 

「せ、先生、レベル1状態でラスボスとエンカウントしてしまいました、あ、アリス達の冒険は此処で終わってしまうのでしょうか……?」

「云っている事は良く分からねぇが、良いタイミングだ、二人共ちょっと付き合ってくれ」

「おや、もしかして告白イベントかな?」

「ばッ……!? 先生、あんたまで変な事云い出すんじゃねぇよ……!」

 

 屈託のない笑みと共にそう呟けば、僅かに紅潮した頬と共に目を泳がせるネル。彼女はアリスの首根っこを掴むと、自身の感情を隠す様に顎先で前を示した。

 

「ほら、馬鹿な事云ってねぇでさっさと行くぞ!」

「うわぁあん! せめて冒険の書に記録を……! レベル1では蘇生用のゴールドが不足してしまいます!」

「プレイ料金はあたし持ちだから気にすんな――つぅか何時までチビメイド呼びすんだよ? いい加減にしろよチビ」

「で、では、アリスは何と呼べば……?」

「先輩で良いだろうが、普通に」

「先輩ですか……?」

「おう」

「わ、分かりました――チビネル先輩!」

「何でチビだけ残してンだよ!? それを外せ、それをッ!」

 

 コツン、と軽く頭を叩かれ、「あぅ」とくしゃくしゃになった顔で身を竦めるアリス。彼女はネルに捕まった状態で尚、何とか逃れようと足掻いていた。

 

「それより、アリス達はまだ冒険の途中で……!」

「あ? 冒険だぁ?」

 

 ズルズルと引き摺られるアリスが放った言葉に疑問符を浮かべるネル。先生はそんな彼女に対し、自分達が今何をしていたのか事情を説明した。

 

「ゲーム開発部の次回作について、アイディアを探しに行こうって話をしていてね、丁度アリスと一緒にミレニアムを回ろうとしていた所なんだ」

「あー……あの、部活で作る奴か」

 

 ふと足を止めた彼女は何かを思案する様に空を見上げる。ゲーム開発部周りの事情は先の騒動で知っているのだろう。彼女は暫し沈黙を守り、それからニッと破顔して見せた。

 

「はっ! なら丁度良いだろ、餅は餅屋……ゲームを作るなら、ゲームをやらねぇとな!」

 

 ■

 

「くっそ! また負けたッ! ぐあああ~ッ! ムカつく! んだよ、その技ッ! ハメ技じゃねぇか! 延々と壁際で投げられたぞテメェ!?」

「ユズはハメ技もゲーム要素の一つだと云っていました!」

「ンだとッ!? セコい手を使ってんじゃねぇよ!」

「う、うわぁあん! 画面外に波及するのは反則です! 現実での妨害行為、反対!」

 

 ミレニアム自治区、DBC(データベースセンター)Mライン入口駅前――ゲームセンター。

 その騒がしい空間の一角で、ネルとアリスは隣り合わせになって一つの筐体に向き合っていた。

 基本的に様々な商業施設も併設しているミレニアムキャンパスは、学園内部にすらゲームセンターを完備している。学園間をモノレールで移動し、複数の区画に幾つもの娯楽施設を持つミレニアムは、その校風から電子遊戯を好む生徒がとても多い。自然、こういったアーケードゲームを置く施設も増え、彼女達はその内のひとつに訪れていた。

 キャンパス内に存在するゲームセンターと比較すると、ややアナログな筐体が多くレトロな内装をしているその場所。先生は様々なBGM、SEが鳴り響く店内を見渡しながら物珍しそうに近くの筐体、その画面に映るデモプレイを眺めていた。

 

「成程、ゲームセンターか」

「あ? なんだ、先生はこういう所あんまり来ねぇのか?」

「いや、生徒達と来る事は偶にあるよ、ただ中々腰を据えてプレイする事がなくてね、クレーンゲーム何かは偶に触ったりするのだけれど」

「へぇ、なら良い機会じゃねぇか、この辺にはいろんなゲーム機があるし、見て回るのも悪くねぇぜ」

 

 ニッと口元を緩ませながら指差すネル、そして徐にスカジャンのポケットに手を差し込むと、ジャラジャラと音を鳴らしながら何かを取り出す。

 以前の記憶が蘇り、すわ鎖かと身を竦ませるアリスに対し、ネルは筐体の上に掌を叩きつけた。その中に握られていたのは、何枚も重ねられた硬貨。

 

「チビ――あたしは、今日こそコイツでリベンジさせて貰う!」

「り、リベンジですか?」

「あぁ、さっき手持ちを崩して来た、硬貨(百円)はたんまりある、へへ、前回は油断したがよぉ……今日のあたしは一味違うぜ? なんつったって、コンボの練習をしたからなぁッ!」

「――……その言葉、アリスは先週も聞いた覚えがあります」

「あァッ!? 云ってくれるじゃねぇか! それならもう一戦だ! 次こそ完封してやるぞチビ!」

 

 憤慨しながら筐体に硬貨を投入するネル。最新型のアーケードゲームとは異なり、二人がプレイするゲーム――ウーパールーパー大列伝は特にレトロの部類に入る。年季が入っている分筐体の置かれる場所は店の奥側となり、周囲に他の生徒は余り見られなかった。

 先生は必死にゲームをプレイする二人の背中を見守りながら、近くの空いた筐体、その椅子に腰かける。

 

「二人は良く此処に来るのかい?」

「む、ふッ……! はい、ネル先輩が良く挑戦してくるので、アリスはそれに応じています!」

「っ、この……! って、待てよチビ、それじゃまるで、あたしが無理に付き合わせてるみてぇじゃねぇか」

「えっ、違うんですか?」

「ちげぇだろうがッ!?」

 

 極自然に、何て事のないように答えるアリスに対し声を荒げるネル。「嬉々としてあたしをボコっておいて、良く云うぜ」と呟いた彼女は、手元のスティックとボタンを叩きながら口元を尖らせる。

 

「勘違いすんなよ先生、あたしがこうやってコイツ(ゲーム)に興じているのは、チビやゲーム開発部が作っているってモンが、どんなモンか気になって、調べている内に何回か対戦する事になっただけだ」

「ですがアリスの記憶によると、ネル先輩と対戦したのは今日で五十回目です」

「……たまたま、偶然任務の空き時間が被っただけだ」

「ネル、意外とゲームが好きなんだね」

「はい、アリスの経験によるとネル先輩はゲームが大好きです、偶に部室に遊びに来て、ミドリのプライステーションでゲームをしています!」

「………」

 

 先生の優し気な声と、アリスの余りにもはっきりした言葉に頬を赤く染めるネル。その表情は画面の青白い光に照らされて尚、はっきりとした紅潮が見て取れた。

 

「あ、因みにこれまでの戦績は五十戦五十勝、アリスの圧勝中です!」

「っ、クソッ……っせぇな! 調子こいていられるのも今の内だ! 見ていろよ、こんな勝率直ぐに逆転して――」

「――今です! 起き上がりの超必殺技ッ!」

「なっ、だぁアアッ!? てめぇ、チビッ!?」

 

 会話に気を取られたネルのキャラクターに対し、容赦のない必殺技を浴びせるアリス。画面の中でアリスのキャラクターが強烈な一撃を繰り出し、ネルのキャラにヒット、攻撃演出が発生する。ネルは椅子を蹴飛ばす勢いで立ち上がると、得意げな表情で鼻を鳴らすアリスに対し非難の声を上げる。

 

「今のはズリィだろう!? こっちが意識逸らした瞬間に最大火力叩き込むなんざ……!」

「勝負の世界はいつだって真剣です! ネル先輩は自分が万全の状態でなければ戦えない、隙を突くのは卑怯だと云うのですか?」

「――……云ってくれるじゃねぇか!」

 

 良くも悪くも喧嘩っ早く、仕事柄恨みを買いやすい故に様々な状況で襲撃を受けるネル。そんな彼女からすれば如何なる状況、状態であれ勝敗に云い訳は無用と考えている。だからこそアリスの言葉は彼女の闘争心に火を点け、勢い良く椅子に座り直したネルは再び筐体に硬貨を投入。挑戦的な表情を浮かべたまま、アリスに再戦を促した。

 

「もう一回だ! もう一回やるぞッ!」

「は、はい、またですか……?」

「うるせぇ、あたしが勝つまでやるんだよっ! ほら、さっきやったコンボ教えろ!」

「そんな、ネル先輩が勝つまでだなんて……アリス、今日は帰れないのでしょうか?」

「ナチュラルに煽ってんのかテメェ!?」

 

 愕然とした表情で自身を見るアリスに対し、額に青筋を浮かべるネル。どうやらアリスからすると、ネルの技量はまだまだ自身に至らないらしい。

 

「クッソ、今に見てろよ……! ほら、さっさとレバー握れ!」

「ネル先輩、レバガチャでコンボは繋がりません、一つ一つ丁寧に入力しないと駄目です」

「っ、わ、分かっているっての!」

「ネル先輩のキャラは高火力ですが防御面が弱いので、まずは定番のコンボを――」

 

 そんなこんなで指導する事一分、画面の中で動くネルのキャラクターはぎこちない動きを続けていた。そして『KO!!』の音声共に倒れるネルのキャラクター、反対に立つアリスのキャラは殆ど無傷。レバーから手を離したアリスが、お手上げと云わんばかりに叫んだ。

 

「うわぁん! ね、ネル先輩のコンボが繋がりません、下手過ぎます!」

「だッ、く、クソ! もっかい! 最初から教えろ!」

「……何か、飲み物でも買ってくるね」

「あっ、アリスはポコリでお願いします!」

「ネルは何が良い?」

「何でも良いッ! 適当な奴頼む!」

「分かった、行ってくるよ」

 

 熱中し、夢中でボタンを叩くネルに対し先生は苦笑を浮かべる。タブレットを片手に席を立った先生は、入り口付近に設置してある自動販売機へと足を進めた。ガヤガヤと、様々な音が交じり合う周囲を見渡し、先生は小さく呟いた。

 

「――何だかんだ、上手くいっているみたいで良かった」

 

 あの騒動以降、アリスはどうにもC&Cの面々――特にネルに対して苦手意識を抱いていた様だが、日常の中で触れ合う内に蟠りも解れた様子。先生はその事に喜び、そっと胸を撫でおろす。自販機の前に立ち、取り出した硬貨を摘まみながら、さて何を買おうかと顔を上げ――ふとゲームセンターに新しく入って来る生徒の姿が視界の端に見えた。

 

「あれ?」

「ん?」

 

 相手も背丈、恰好に見覚えがあったのか、声を上げながら此方に視線を向ける。双方の視線が交わり、先生を見つけた生徒の表情が一気に笑顔へと変わった。

 

「あっれ~! ご主人様じゃん!」

「先生? こんな所で会うなんて――」

 

 片や満面の笑み、片や驚いた表情で先生を見るのはC&Cの二人組――アスナとカリン。彼女達は普段身に纏っているメイド服とは異なる、一般生徒と同じ制服に身を包みながらゲームセンターへとやって来ていた。

 アスナは笑みを浮かべながら先生の傍に駆け寄ると、ごく自然な動作で右腕を抱え込む様に抱き着く。ふわりと香る彼女の匂い、以前のそれと比べれば随分と薄れてしまったが――どうやらまだ、辛うじて感覚は残っているらしい。

 遠慮のないアスナ、彼女の頭を撫でつけながら先生は笑みを零す。

 

「やぁ、二人共」

「あははっ、奇遇だねご主人様! 何していたの~?」

「ちょっと色々あってね、二人こそゲームセンターに来る何て珍し――」

 

 自身に抱き着くアスナを窘めながらそう口にすれば、カリンの背後から続く人影が二つ。彼女達もまた先生を視界に捉えると、その瞳を驚愕に見開く。

 

「先生?」

「うっわ、レアキャラじゃん! 久しぶり~!」

「……キララとエリカ?」

 

 そう、それは本当に珍しい組み合わせだった。ゲヘナ所属の生徒、キララとエリカ。大体一緒につるんでいる彼女達は先生を見つめながら喜色を滲ませる。ミレニアムにゲヘナの生徒が居る事自体は、別段そう珍しい事ではない――ミレニアム自治区はその特性上、様々な電子機器を豊富に取り揃えており、日用品から専用の機器までハイテクな一品を求め様々な自治区から人が集まって来るのだ。普段使いの端末、眼鏡、衣服、時計、家電から銃器まで、兎に角ミレニアムで揃わないものは無いと云われる程。

 無論娯楽もだ、故に彼女達がミレニアムに足を踏み入れる事自体に驚きはない、しかし二人の傍にC&Cの二人が立っていると――少々話が違ってくる。

 

「これは、本当に珍しい組み合わせだ」

「えっと、二人は先生と知り合いだったのか? あぁ、いや、先生は顔も広いしおかしな話ではないのだけれど……」

「あははっ、シャーレの先生だし大体の生徒は知っているんじゃない? 私達も何回かゲヘナでお世話になっているし!」

「まぁ、殆ど騒動でなし崩し的にって感じだけれど……」

 

 キララは溌剌と、エリカは苦笑交じりに答える。

 色々と問題が発生し易いゲヘナでは、自然と先生の出動頻度も増える事になる。その際様々な生徒と交流が発生する訳だが、彼女達もまたその流れで顔を合わせたクチである。尤も彼女達自身が問題を起こした訳ではなく、単に巻き込まれたという状況が殆どなのだが。

 事情を察したカリンは二人に対し、どこか気の毒そうな視線を向ける。

 

「そういう事か、その何だ、色々と大変だな」

「それが私の役目だからね――それにしても、一体どういう経緯で四人が一緒に?」

「ん~? えっと、何だっけ? あ、そうだ! リオ会長からゲヘナの情勢を調べて欲しいって云われてさ!」

「ちょ、ちょっと、アスナ先輩?」

「え? そうなの?」

「って云っても、いつもと変わらないんじゃない? ゲヘナ(うち)は基本、皆好き勝手やっているし、下剋上(クーデーター)とかなら兎も角、銃撃戦とか爆発は日常茶飯事だから」

 

 先生の問い掛けに何の捻りも無くストレートに答えるアスナ、その事に困惑と焦燥を見せるカリンであったがゲヘナ組の二人は特に何とも思っていないとばかりに小首を傾げる。

 

「万魔殿も何か変な事しては、毎回風紀委員会に叩かれているよね、何だっけ、前は奇妙な銅像みたいな奴広場に作って、風紀委員会に取り壊されていたじゃん?」

「あ、アレね~! あははっ、凄い変なモニュメントだったよね~! 直ぐヒナっちに壊されて無くなっちゃったけれど!」

「そっか……最近、マコトは元気かな?」

 

 どうやらいつも通りのゲヘナらしいと先生が肩を竦め、そのトップに座す人物の名前を挙げれば二人は揃って首を傾げ、云った。

 

「マコト? えっと、誰それ?」

「ゲヘナにそんな生徒いたっけ? あたしが知らないだけ?」

「……万魔殿の議長(リーダー)だね」

「えっ、万魔殿のリーダーってイブキちゃんじゃないの?」

「うーん、顔が全然浮かんでこないや」

「………」

 

 先生はただ無言で目を瞑った、それ以上に出来る反応が無かったからだ。

 反対にカリンは、「冗談だろう?」とでも云いたげな表情で二人を見ていたが、其処に嘘や誤魔化しの気配は微塵もなく、数秒もすれば本当に自分達の学園、そのトップを知らないのだと理解した。仮にも自分達のトップ、自治区の長だろうに。そんな言葉が喉元までせり上がるも、辛うじて飲み込む。

 これでは情勢云々を聞く以前の問題だと、カリンは内心で頭を抱えた。

 

「……人選を間違えただろうか」

「あははっ! 楽しければ全然オッケーでしょ!」

「っていうか、此処にはクレーンゲームしに来たんだよね?」

「あっ、そうそう、この間可愛い縫い包みが景品で置いてあってさ!」

 

 頭を抱えるカリンを他所に、アスナはからからと笑って告げる。二人も元々情報云々など気にせず遊びに来たつもりなので、出入口に比較的近い場所に設置してあるクレーンゲームを指差しながら盛り上がっていた。

 

「成程、任務だから恰好が違ったのか」

 

 先生は呟き、カリンとアスナの恰好に今一度視線を落とす。その視線に気付いたカリンは頬を赤らめ、反対にアスナは輝く様な笑みを見せていた。

 

「ん~? なぁに、ご主人様!」

「……何だ、先生、そんなじろじろと」

「あぁいや、カリンとアスナの制服姿が珍しくて、ついね」

「そ、そうか? いや、まぁ確かに普段は違う恰好だけれど、私達も生徒な訳だし……」

「あれ~、もしかしてご主人様は制服の方が好きな感じ? もしそうなら、今度からシャーレにはこっちの恰好で行こっか!?」

「いや――制服には制服の、メイド服にはメイド服の、それぞれの良さがあるんだよ」

 

 先生は二人を凝視しながら力強く告げた。その表情は真剣だった、これ以上ない程に真摯で、イノセントで、自分に正直な言葉だった。先生は自分の性癖に素直になると誓っていた、故に嘘は云えなかった。

 余りにも真面目な表情で断言する先生に対し、カリンは身を捩りながら視線を泳がせる。全く変な恰好でもないし、普段のメイド服と比べれば寧ろ正常な恰好であるとも云えたが、何となく羞恥心が滲み出し俯いてしまう。

 

「……そ、そうか」

「――あるんだよっ!」

「いや、そんな力説しなくても良いから、分かったから……っ!」

「あははっ、ご主人様本気だね~!」

 

 からからと笑うアスナに、先生はニヒルな笑みを零す。此処が外で良かったと心底思った。シャーレであればカリンの足に舌が伸びていたかもしれない――いや、流石に許可を得ずにその様な真似は決して行わないが。

 先生は常に紳士でありたいと自省した。今度ゲヘナに行ったらイオリを舐めよう、そうしよう。

 それまでどうか、味覚が残っている事を祈る――頼んだよ、アロナ。

 先生は心の中で呟いた。

 

「メイド服?」

「あ、あぁ、いや、気にしないで欲しい、こっちの話だ」

 

 キララが二人の会話に疑問を挟めば、カリンは慌てて首を横に振る。二人にはC&Cのエージェントである事を伏せているらしい。まぁ、任務である以上当然と云えば当然だろう。カリンは先生に抱き着いていたアスナを嗜めると、その背中を押しながらゲームセンターの中へと入っていく。

 

「そ、それじゃあ先生、また今度話そう、今はその……任務中だから」

「じゃあねご主人様! その内シャーレに遊びに行くから!」

「先生、ゲヘナに来た時はまた声を掛けてくれると嬉しいな」

「大体いつも暇してるから、まったね~!」

「うん、またね皆」

 

 四人がゲームセンターへと入っていく姿を、先生は微笑みと共に見送る。四人はクレーンゲームの中にある景品を指差し、奥へ奥へと進んで行く。掌に握った硬貨を弾ませながら、先生はふと呟いた。

 

「――次のゲームのアイディア、ギャルゲーとか駄目かな?」

 

 駄目だろうな、先生は天を仰ぎながら自問自答した。しかし、ゲームの中に衣装として実装する位ならば許されるかもしれない。そんな淡い希望を抱きながら改めて自販機へと硬貨を投入する。

 

「ポコリと……そうだな、コーラで良いか」

 

 アリスに頼まれていたポコリ、そしてネルに渡すコーラを購入し、ゴトンと音を立てて落ちて来る飲料。指先で二本を掴みながら二人の居る場所へと戻ると、二人はまだ筐体と向き合い、微動だにしていない。先生はそれを真剣にプレイしている故のものだと思い、飲料を掲げながら二人に声を掛ける。

 

「アリス、ネル、飲み物を買って――」

「どこでサボっていると思ったら――こんな所にいらっしゃったんですね、部長?」

 

 しかし、声は途中で遮られた。

 二人が微動だにせず、プレイに集中しているものと思っていた先生だが、事実は異なる。その指先は欠片も動いておらず、画面の中では既に対戦は終了し、デモプレイが流れ続けていた。

 二人の硬直した姿、その直ぐ脇から画面を覗き込む様に影を伸ばす存在。淡い髪色が。

 青白い光を反射し、身に纏ったストールが裾を靡かせる。

 ぎこちなく首を動かすネルが、らしくもない震えた声で呟いた。

 

「あ、アカネ、これには、深い訳が……」

 

 ネルの隣に立ち、笑みを浮かべる存在――C&C所属、室笠アカネ。

 彼女は爆発物を大量に詰め込んだケースを背後にしたまま、ネルをじっと見つめ続ける。アリスは口を噤んだまま視線を逸らし、必死に存在感を消そうと努力していた。ネルは何か云い訳を捻り出そうとするが、「あー」とか、「そのぅ」とか、何とも情けない声が漏れるばかり。

 眼鏡を指先で押し上げた彼女は、ネルの肩にそっと手を置く。

 

「私、云いましたよね? 今日は会長から任務の通達があるから準備をしておいて下さい、と――」

「あ、えっと……そ、それは、だな」

「もしかして、すっかり忘れていましたか?」

「ち、違う! これが終わったら、その、準備しようと思って……」

「――ゲームは」

 

 ミシリ、と。

 ネルの肩を掴む指先から、骨の軋む音が聞こえた。

 アカネの眼鏡が光を反射し、その目元が見えなくなる。

 

「一日一時間、確かそう約束しましたよね?」

「いや、そのっ……!」

「――さぁ、任務に戻りますよ部長、これ以上のサボりは許しませんから、遊んでいた分確りと働いて頂きます」

「だっ、まッ、ちょ、ちょっと待ってくれアカネ! あと少し、あと少しでコンボが……!」

「アリスちゃんも、宜しいですね?」

「は、はいっ! アリスは何も見ていません!」

 

 何とか筐体に張り付こうとするネルだが、手慣れた動作で彼女を回収し、そのまま首根っこを捕まえて引き摺るアカネ。アリスは不穏な気配を纏う彼女の問い掛けに、背筋を正しながら返答する。ケースを手に取りズンズンと進むアカネは、ふとペットボトルを片手に固まる先生を見つけ微笑んだ。

 

「――あらご主人様、この様な場でお会い出来るなんて」

「……えっと、こんにちはアカネ」

「えぇ、しかし申し訳ありません、今日は少々立て込んでおりまして――後日、また改めてシャーレにお伺い致しますね?」

「せ、先生! 先生からも何か云ってやってく――!」

「はいはい、ご主人様の手を煩わせてはなりませんよ」

「クッソォォオオッ!」

 

 ネルが一抹の望みを賭けて先生に水を向けるも、問答無用で引き摺られて行くネル。その怒声はゲームセンターのBGMに呑まれ、響く事は無い。先生は引き摺られたまま出入口方面へと去っていく二人を見送りながら、無言でネルの為に買って来たコーラを見下ろした。

 

 ■

 

「おぉう、ゲームセンターから出た瞬間、一気に静寂が……」

「ぷはっ……! やっと解放されました…! アイテムでHPとMPを回復です!」

 

 その後、ゲームセンターを後にした先生とアリス。ペットボトルに口をつけながら外へと出た瞬間、周囲の騒音が一気に遠のく。あの騒々しい空間も独特の空気があって悪くないが、先生としてはやはり静寂を好ましく思う。

 

「では、次の冒険に――!」

「おや、其処に居るのは……先生とアリスか」

「うん?」

 

 駅前を経由し、さて何処に行こうかとアリスに手を引かれながら思案していた先生。そんな二人の背中から、不意に声が掛かった。アリスと先生が揃って振り向くと、何やら工具箱を片手に屯する生徒達の姿。

 

「やっほ、二人共」

「どうも! お会いするのは一週間ぶりですね先生!」

 

 近場のベンチに腰掛けていたのはエンジニア部――ウタハ、ヒビキ、コトリの三名。彼女達はいつも通り各々の工具キットを手にしながら、駅前の一角で佇んでいる。先生は彼女達に手を挙げながら、不思議そうな表情で彼女達を眺めた。

 

「エンジニア部の皆か、工房以外で顔を合わせるのは久し振りかも……?」

「確かに、普段は余り外で活動する事がないからね、ただ今日はちょっと依頼があって――」

「もしかして、ウタハ先輩もクエストですか?」

「クエスト……まぁ、間違いではないか」

 

 アリスの疑問に頷きを返すウタハ、彼女のベルトには工具が差し込まれており、先程まで何かしらの作業をしていたのだと分かる。そうこうしていると、直ぐ傍から誰かが駆けて来る音が聞こえた。

 

「ふぅ、皆さん、お待たせしました」

「おや……丁度、依頼主が戻ってきたようだね」

「――?」

 

 ウタハが呟き、視線を横に流す。

 エンジニア部が待っていた依頼主――先生がやって来た人影の方へと顔を向ければ、如何にもスポーツ少女と云った格好をした生徒が丁度足を止める所であった。身体のラインがくっきりと分かるスポーツウェアを身に纏い、ミレニアムの上着を羽織った彼女は先生に気付くと、目元を覆っていたスポーツグラスを外し微笑む。

 

「こんにちは、スミレ」

「トレーナー! こんな所で奇遇ですね? それにアリスも、元気そうで何よりです」

「はい! アリスは体力回復後なので、HPは満タンです!」

 

 アリスの元気一杯と云った様子の返事に、彼女はグラスを胸元に掛けながら頷いて見せる。

 乙花スミレ――ミレニアムに於いて比較的少数派とも云える運動を好む彼女は、現在トレーニング部に所属している。そのトレーニングには余念がなく、先生も負傷後の回復訓練には大変助けられた。

 彼女がこうして現れたという事は、エンジニア部の云う依頼主とは彼女の事か。そう内心で呟きを漏らす先生。

 

「依頼主というのは、スミレ先輩の事ですか?」

「うん、トレーニング器具の開発と調整と頼まれてね、彼女の履いているその靴なんだけれど……」

 

 アリスの疑問に肯定を返すウタハ、彼女がスミレの履いている運動靴を指差せばここぞとばかりにコトリが指先を立て、特徴的な眼鏡を押し上げた。

 

「説明しましょう! 一見何の変哲もない運動靴に見えるこの品ですが、この靴の総重量は片側十五キロずつ、計三十キロの重さを持っています!」

「さ、三十キロ……?」

「はい! その重量をアテナにも使用される反重力機構を用いて軽減し、一キロから三十キロまでの自由自在な重量変動型トレーニングブーツとして使用できるよう開発したのです! テーマは『何処でも、いつでも、トレーニング!』、これと並行して衣服やアクセサリ型の重りも身に付ければ、正に全身トレーニングコーデ……!」

「さ、流石に其処までいくと、歩くだけでも難儀しそうだけれど、ね……?」

「……それは、何とも凄いな」

 

 先生はスミレの足元を注視しながら、思わず声を漏らす。三十キロの靴など正直想像も出来ない、走るどころか歩く事さえ困難になるのではないだろうか? しかし先生の不安とは裏腹に、当の本人は何て事の無い様子で両足を浮かし爪先で地面を軽く叩いている。

 

「それで、どうだい私達の発明品、『何処でも筋トレ君』の調子は?」

「軽く周辺を二十キロ程走って来ましたが悪くないですね、ただ重量の関係で足首に負担が掛かるので、もう少し固定を強められると助かります」

「ふむ、固定箇所か、そうなるとロングブーツタイプの方が走り易いか? 脹脛の辺りに固定部位(タイ)を増やす位なら簡単だが……」

「でもそうすると、蒸れちゃうんじゃない? 運動靴だし、それにロングタイプだと動きを阻害する気も……」

「改良の余地はまだまだありそうですね! この際少々素材も変えて、もっと通気性の良いものに変更して――」

「しかし、それだと重量に対する強度が――」

「私としては、その、デザインも――」

 

 スミレが実際に使用した所感、そして分析データを元に会議を始めるエンジニア部。彼女達はすっかり新しいトレーニング器具の改良に情熱を燃やしているらしい。そんな彼女達を見守る先生とアリスに振り向くと、スミレは良い事を思いついたとばかりに口を開く。

 

「そうです、良い機会ですし、トレーナーとアリスも御一緒に如何ですか?」

「一緒に、って云うと?」

「――運動冒険のイベントが発生です!」

「えぇ、アリスの云う通り、一緒にトレーニングです」

 

 爽やかな笑顔で以て告げるスミレ、アリスは両手を握り締めて無邪気な様子だが、反対に先生は背中に嫌な汗が流れるのを自覚した。

 

「運動は地道にコツコツ続けるのが肝要ですから」

「はい、モモイも云っていました、デイリーをサボるのは罪と!」

「あー、えっと、二人は良く一緒に運動を?」

「えぇ、アリスちゃんとは良く一緒にキャンパス内をジョギングしています、慣れたものですよ」

「デイリーを行わないと、直ぐにレベルが下がってしまいます! HPとMPの最大値は幾らあっても困りません!」

「ふふっ、毎日続けようとするその姿勢、とても偉いですね……!」

「そっかぁ」

 

 すっかり意気投合し、参加する流れとなっている。先生は諦める様に空を仰ぎ、シッテムの箱を懐の中に仕舞った。此処で断る選択肢はない、その選択をすればスミレも、アリスもきっと悲しんでしまうだろう。何より元々自分達に課されたクエストはゲーム開発のアイディアを得る事、様々な事を体験するのは何よりも新しい発想に繋がる――筈だ。

 

「おや、もう一度ジョギングに行くのかい? それなら予備として持っていた、この『何処でも筋トレ君』をアリスに――いや、光の剣(レールガン)で百キロを超える訳だし、もう重りを背負っている様なものか……それなら先生、どうだい?」

「あ、重量は一キロから設定可能なので、片側五百グラムでも可能ですよ!」

「五百グラムだと、あんまり普通の靴と変わらない、かな?」

「……それじゃあ、ちょっと借りようかな」

 

 先生は自身の履いていた革靴を見下ろし、流石に運動には適さないかと苦笑を零す。先生が頷きを返すと、早速とばかりにエンジニア部が予備の『どこでも筋トレ君』を取り出し、設定を開始した。

 

「重量設定は幾らにしましょうか?」

「取り敢えず最低値に設定しておいた方が良いんじゃ……」

「そうだね……それなら一キロずつ、計二キロでお願い」

「おや、大丈夫かい先生?」

「折角皆が作ってくれたものだし、どうせならと思って、ね?」

「ふふっ、分かったよ、ではその様に設定しよう――バッテリーが切れてしまうと本来の重量に戻ってしまうから、時間までには戻って来てくれ、とは云っても一日中走り続けても大丈夫な様にはなっているけれど」

「それなら安心だ」

 

 革靴を脱ぎ、用意された運動靴に足を差し込む。思っていた以上に履き心地は悪くなく、まるで柔らかなスライムにでも足を突っ込んだような心地だった。最初は戸惑うも、その形は徐々に先生のそれへとフィットし、僅かな硬さを生む。

 先生の足元に屈んでいたウタハは、内部機構が働いている事を確認し頷く。

 

「内部はある程度着用者に応じて変形してくれる、履き心地は悪くないだろう?」

「うん、全然――凄い技術だ」

「重量で足裏などに負担が掛かり過ぎない様、内側にも拘って設計しましたので!」

「元々は砲塔の旋回速度とか、滑りをスムーズにするものだったけれど、何で役立つか分からないね……」

 

 エンジニア部の面々に囲まれながら履き替えを終えた先生は、靴を履いたままゆっくりと足を前に出す。普段の靴よりも確かに、ずっしりとした重さを感じるが――走れないという程ではない。

 

「ん、やっぱり多少違和感はあるね……」

「最初は慣らした方が良い、走るより競歩位の気持で」

「まずは準備運動ですね、その後は、うーん……トレーナーもシューズを履いていますし、余り長い距離は走らないようにしましょう――軽く十キロ程度にしておきましょうか」

「分かりました!」

「……はは」

 

 軽く十キロ、その言葉に先生は乾いた笑みを零す。恐らく彼女達にとっては散歩程度の距離なのだろう、実際先程軽く二十キロ走って来たと云っていたし――本当のトレーニングとなると、フルマラソン(四十キロ以上)とか、そういうレベルになるのだろうなと諦観の念を抱く。

 しかし残念な事に、先生にとっては十キロでさえも十分どころか、オーバーレベルの運動量である。しかし、とても良い笑顔で準備運動を行う彼女達に水を差す真似は出来ない。先生は過酷な表情を浮かべながら彼女達に合わせ、アキレス腱を伸ばした。

 

「――これも一つのアイディア発掘か」

「先生、ユズのクエストについてなのですが、フィットネス・ゲームというのはどうでしょう? アリス、リング・フィット・RPGが楽しかったのを覚えています!」

「……帰ったら、思いついた案を全部皆に話してみようか」

「はい!」

 

 先生と一緒に準備体操をしながら、満面の笑みで頷くアリス。入念な準備運動を終え、スミレはスポーツグラスで目元を覆う。

 

「準備運動は終わりましたか? では――出発しましょう!」

「行きましょう先生、新しい冒険の始まりです!」

「……うん、出発しようか」

「行ってらっしゃい、十分気を付けるんだよ」

「使用してみての感想、楽しみにしていますねっ!」

「わ、私達は此処で、待っているから」

 

 エンジニア部の皆に見送られ、三人はジョギングに出発する。ルートは駅前からぐるりと周囲を大きく一周、先生は地図を頭の中に描きながら無心で両足を動かす。ペースは自身に合わせているのか比較的ゆっくりで、しかし先頭を走るスミレは何処か楽し気に見えた。

 きっと誰かとトレーニングする事自体が、彼女にとっては喜びを生む行動なのだろう。その顔を見れば、先生はもう何も云えない。ただひたすらに、全力で彼女について行くだけだ。

 

「先生」

 

 ふと、直ぐ隣を駆けるアリスが口を開いた。先生は弾む息をそのままに、まだ余裕がある内にと返事をする。

 

「何だい、アリス?」 

「えっと、その……アリスは、色んな人と出会って、色んな経験をして、沢山の事を学んで、まだまだ見習い勇者ですが、そう云った経験と知識を、全部、大事にして――」

 

 何か思う所でもあったのか、或いは今日一日の事を振り返ってか。

 光の剣を大切に背負い、先生と共に駆ける彼女はふと俯いていた顔を上げた。陽に照らされた彼女の表情は、その屈託のない笑みは――とても輝いて見えて。

 彼女の笑顔を見た先生は、眩しそうに眼を細めた。

 

「そして一杯レベルアップして――いつか皆で、世界を救いたいです!」

「――あぁ、そうだね」

 

 出来るとも、アリスなら。

 そんな言葉はきっと、口に出さずとも良い。彼女ならばきっと、自身なら成し遂げられると信じているに違いない。

 彼女の周りには沢山の仲間がいる、友人が居る。何かに挑む勇気も、強さも、彼女は既に手にしている筈だ。冒険の中で一番大切なものを、彼女は知っている。

 だから――大丈夫。

 

 先生はそう信じる。

 

 少しずつ傾いていく陽光、もう少しすれば陽も沈む。夕刻になればキヴォトスは茜色に染まっていくだろう。その中で緩やかに駆けていく影、アリスの幸福に満ちた笑みが歩む先を照らす。

 先生の伸びた影が、彼女に寄り添う様にして駆けて行く。

 けれど。

 

 

 アリス(彼女)が心の底から笑う事が出来たのは。

 

 ――この日が最後だった。

 

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