ブルーアーカイブを、もう一度。   作:トクサン

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誤字脱字報告感謝ですわ~!
一日遅れて申し訳ありませんの!
今回約一万五千字ですわ!


第三の選択肢(誰も失われない道)

 

 痛みは、嫌いではなかった。

 それを感じている間、自分は生きているという実感が得られる。

 だから目を開き、自身の身体に鈍痛が走った時――先生は自身が生きているのだと安堵した。

 

 滲む視界に映る白い天井、耳元で鳴り響く電子音。微睡んだ意識の中で響くそれが、先生の覚醒を促す。此処はどこだ、そう考えて視界の先にミレニアムのロゴを見つける、周囲にずらりと並んだ機器類、薬品、モニター、それらに刻印されたロゴがこの場所を如実に表している。

 幸い、生徒の影は見えなかった。故に先生は少しずつ指先を動かし、自身の状態を確かめる。

 

「っ――……ぅ」

 

 息を吸い込もうとして、妙に詰まる感覚があった。肺が膨らもうとして、同時に胸元を襲う鈍痛と違和感。ゆっくりと体を見下ろせば、病衣の中に見えるガーゼと包帯、赤と黒、紫に変色した脇腹――恐らく、肋骨が折れていた。

 痛覚が万全に働いていれば、この時点で痛みに呻いただろう。先生は口元のマスクを取り外し、再度息を吸い込む。

 

 少し、息苦しい――いや、大分か。

 

 しかし躊躇うだけの猶予はなかった。先生は自身に貼り付けられたケーブルの類をそのままに傍の床頭台に目を向ける。其処に伏せられたシッテムの箱を見つけ、手を伸ばした。

 しかし、伸ばした先に腕が無い。呆然とした意識の中で疑問符を浮かべ、義手が取り外されている事に今更気付く。先の騒動で破損したか、記憶は幸いはっきりとしている。

 苦笑し、改めて右手でシッテムの箱を掴み、電源を入れる。充電残量は四割――いや三割か。

 身をゆっくりと起こし、苦痛を噛み殺す。そう時間は経っていない様子だが、背中が嫌に痛んだ。アロナが応答するまでの間、先生は傍に畳まれていたシャーレの外套を見つけ、ベッドの縁に腰掛けながら手を伸ばす。

 病室を見渡し靴やシャツの類を探したが、一向に見つからない。ならばこれだけ羽織って行くしかない、今は時間が惜しかった。

 

 ――生徒達が、待っている。

 

「……行こう、アロナ」

 

 貼り付けられたケーブルを剥がし、剥がれ落ちた保護膜をそのままに立ち上がる先生。その額に脂汗を滲ませ、ゆっくりと一歩を踏み出した。

 

 ■

 

「シャーレの、先生――?」

 

 リオの声色は愕然としていた、それは信じられないものを見たという表情で、常に冷静であった彼女の仮面が僅かに剥がれるのが分かった。先生は壁についていた手をゆっくりと離し、二本の足で確りと佇むと床の感触を確かめる様に軽く爪先を動かす。腫れ上がった指はテープで固定されているが、垣間見える紫色が何とも痛々しい。

 リオの背後に立つゲーム開発部が、先生を見つめながら声を漏らす。

 

「どうして此処に、先生が……?」

「た、確か、セミナーの監視下で治療中って――」

「……皆が必死に頑張っているのに、私だけ眠っている訳にはいかないよ」

 

 呟き、先生はその視線をアリスへと向ける。普段の天真爛漫と云った様子は形を潜め、不安と焦燥、自責の念によって押しつぶされそうな彼女は蒼褪め、一回りも二回りも小さく見えた。だからこそ先生は無理矢理にでも笑顔を浮かべ、安心させようと努める。

 リオは暫し先生を見つめた後、手元のタブレットを一瞥しながら呟いた。

 

「周辺一帯はAMASで封鎖していた筈だけれど、通知の一つも私の所には――」

「悪いね……私には、凄腕のパートナー(アロナ)が付いているんだ」

 

 答え、暗闇から一歩前へと踏み出す。爪先から伝わる衝撃、芯に響く鈍痛が、不快感が体を襲う。呼吸ひとつ挟む毎に身体が引き締められるような、肺が引き攣る様な感覚があった。だがそれを表情に出す事はしない、どれだけ傷に塗れていようと、先生は大人としてこの場に立ち続ける覚悟を持つ。

 リオは先生の返答に対し、感嘆の色を見せた。

 

「流石は件の先生、と云うべきかしら」

「……褒め言葉として、受け取っておくよ」

 

 自身の包囲網を気付かれずに突破し、この場に現れた事に対する称賛の言葉。感心、その瞳の奥にあるのは何処までも理性に律された意思。リオと視線を交差させる先生は、懐に差し込んだシッテムの箱を感じながら、細く息を吐き出す。

 

「ッ――……」

『―――』

 

 身体が――重い。

 時が経つ程に実感する気怠さ、歪む視界、鳴り響く耳鳴り。足先から滲んだ赤色が、部室棟の白いリノリウムの床を汚していた。

 痛覚が鈍くなり始めて良かった、先生は心の底からそう思う。

 何とか誤魔化しは効いている、思考しながら一瞥したシッテムの箱――その充電残量は既に二割を切っていた。部室棟を包囲するAMASを無力化した際、充電を大きく消費してしまった。恐らく次、大規模なクラックや防壁の展開を行えば、バッテリーが持たないだろう。現在の彼女は生命維持で精一杯、支援の類は一切期待できない。文字通り先生はその身一つで、この場所に立っていた。

 

「既に知っているかもしれないけれど」

 

 リオの声が廊下に響く。先生は逸れていた意識を改めて前方に向け、彼女を注視した。自身の胸元に手を当てたリオは、先生を真っ直ぐ見据えながら口を開く。

 

「私はミレニアムサイエンススクールの中枢であるセミナー最高責任者、そして千年難題の解決を望み、星を追う者――調月リオよ」

「……独立連邦捜査部シャーレ、担当顧問の先生だよ」

 

 薄暗い闇を挟んで、二人は互いの身分を明かす。こんな状況でなければもっと穏やかに言葉を交わす事も出来ただろうに。しかし現実は非情で、彼女とのファーストコンタクトは悲惨極まる状況の元行われた。それを悔やむ感情を彼女もまた持ち合わせていたのか、リオは無念そうに呟く。

 

「本来ならシャーレの先生とは、正式に挨拶を交わす席を設けたかったのだけれど――先生との記録的な出会いがこうなってしまったのは、極めて残念だわ」

「そうだね、私も……もっと穏やかな場所で顔を合わせたかったよ、リオ」

 

 先生としては格式張った場でなくとも良かった、ただミレニアムの廊下ですれ違う様な、ふと顔を合わせる様な気軽さでも構わない。日常の中で彼女と言葉を交わせれば、どれ程良かっただろうと、そう思ってしまう。ヒマリの顰蹙を買ってでも、或いはヴェリタスに秘密裏に依頼してでも、彼女の所在を掴むべきだったか。

 ただ、それだけが悔やまれた。

 

「……酷い顔色ね、とてもそんな風に立っていられる状態には見えないわ」

「……あぁ、そうだね、正直に云うと、今にも意識が飛びそうなんだ」

 

 目を細め、先生の状態を端的に表現した彼女に対し、先生は苦笑を零す。彼女相手に虚勢や誤魔化し、ハッタリが通用するとは思えない。故に先生は最初から自然体で、ごく当たり前の様に彼女の問い掛けへと答えた。

 実際問題、先生は動けるような状態ではないのだ。減速を行ったとは云え、生身での高所からの落下、加えて飛来する瓦礫片からモモイを庇った事による負傷、その肩や背中には無数の痣と大小様々な傷が残り、摘出された破片は十を超える。脊椎や頭部、臓器に致命的な負傷が無かった事が奇跡であると云えた。

 左腕の義手は街路樹へ突き出した事、飛来した破片群から頭部を守る為に盾とした際に破損しており、現在はエンジニア部が回収、修繕に当たっている。無論、これは先生の知る所にはないが――。

 兎角、生徒にとっては重傷に見えるそれは、先生にとっては比較的マシな怪我でもあった。臓器は無事、頭部にも大きな怪我はなく、四肢が捥げた訳でもない。多少の骨折と打撲、切傷程度、それは彼にとって動かない理由にならない。

 

 その様な怪我――先生から云わせれば、『比較的軽度な重傷』と称するそれにリオは目線を鋭く変化させる。

 

「――だと云うのに、貴方は病室を抜け出して来た」

「……うん、私には今、この場でやるべき事がある」

「………」

「だから、まだ倒れる訳にはいかない」

 

 先生を前に、リオは背筋を正す。彼女の纏う雰囲気が一段と張り詰めた気がした。

 

「――状況は理解しているのかしら?」

「……凡そは」

「そう」

 

 ならば話は早いとばかりに、リオはタブレットを胸元に抱き寄せると、期待を表情に滲ませ言葉を続ける。

 

「ならば手短に済ませましょう――先生、私は貴方に、シャーレに対して正式に協力を要請するわ」

「………」

「これはセミナーではなく、あくまで私個人としての要請だけれど」

 

 その言葉にゲーム開発部が、C&Cのネルが、リオに驚きの視線を向ける。そこに含まれている感情は、それぞれ異なるものであった。

 

 ミレニアムサイエンススクールとしてでも、セミナーとしてでもない、調月リオ個人としての協力要請。

 明星ヒマリと同じく、彼女が唯一同じ認識を持ち、協力出来る可能性を見出した相手――それがシャーレの先生、その人であった。

 これまで幾つもの事件を解決し、同時にその崩壊を防いで来た大人。彼の連邦生徒会長直々に指名され、独自の権限を持つ彼をリオは高く評価していた。そうでなくともヒマリに気に入られ、評価される人物である。能力面は折り紙付き、人格面に於いても評判は良く悪い噂は余り聞かない。そして彼の特性を理解する彼女は、協力出来る余地があると判断した。

 

「貴方も理解している筈よ先生、彼女の存在、その危険性を」

「それは……アリスの事かい?」

 

 その問い掛けに、リオは淡々と頷いて見せる。彼女の肩越しに、アリスの身体が震えるのが見えた。

 

「えぇ、無名の司祭が崇拝するオーパーツ、世界を終焉に導く兵器、『ソレ』を放置すれば必ずキヴォトスに厄災が訪れる――何百、何千と演算を繰り返しても同じ結果が得られた、これは確定された未来よ」

「………」

「だからそうなる前に、私と一緒に彼女を――」

「ごめん」

 

 彼女の言葉には熱が籠っていた様に思う、らしくもない饒舌。そこに込められていたのは期待だった。

 大人――先生への期待。

 自身の理解者足り得る可能性を持つ先生への。

 それを理解していながら、先生は小さく頭を下げて謝罪を口にした。言葉を止めたリオは、中途半端に唇を開いたまま、ゆっくりとそれを閉じる。

 先生は下げていた顔を上げると、リオを真っ直ぐ見据えたまま云った。

 

「リオ……私は、君に協力する事は出来ない」

「――それは、何故かしら?」

 

 間髪入れず、彼女は問うた。

 そこで自失したり、失望を見せなかったのは、目の前の大人が論理的に話せる相手だと信じていたからだ。淡々と、彼女は理由を先生に問い掛ける。何か見落としが、先生のロジックが在る筈だ。リオは頭の片隅で言葉を選びながら拳を握り締める。

 

「先生、私は貴方の事を高く評価しているつもり、貴方の経歴も、これまで為して来た事も全て把握している、その性質は、余す事無く調べ上げた」

「そうか……それなら、分かっている筈だよ、リオ」

「えぇ、理解しているわ――貴方が生徒を第一に考え動く事も」

 

 先生の活動、その成し遂げたあらゆる数々をリオは調査している。アビドス自治区の一件を始め、百鬼夜行での活動、ミレニアム内での大立ち回り、トリニティ総合学園でのクーデター阻止、エデン条約に於ける全面戦争の回避、アリウス自治区に纏わる顛末と事後処理――大小様々な事件、事故に先生は携わり、その殆どを良い方向へと、最善に近しい道へと導いて来た。

 だからこそ、彼女は重ねて告げる。

 

「貴方は生徒の為に常に全力を尽くして来た、どの様な状況であれ必ず……だからこそ今回の件でも協力できると思っていたのだけれど」

「……そうだね、私は生徒の為ならどんな無理難題にだって挑むとも、それは間違いじゃない」

「それなら――」

 

 ――手を組む事が、最も合理的選択の筈だ。

 

 シャーレの先生は、『生徒達』(子ども達)を助けたい。

 調月リオは、『キヴォトス』(ミレニアム)を救いたい。

 

 その目的は一致している、協力できるだけの土台は既に整っているのだ。生徒を助ける事は、キヴォトスを救う事に繋がる。生徒を第一に考える筈の先生ならば、この提案を受ける事が最も合理的であると理解しているだろう。

 リオはそう訴えかける様に口を開く。しかし先生は手を翳し、リオの言葉を止めた。

 

「だからこそ、だよ」

「……?」

 

 言葉を止められたリオは思わず目を見開く。先生の言葉、その意図を理解出来なかったからだ。

 先生の真剣な瞳が、リオの内面を覗き込む様に視線を寄越す。

 

「だからこそ、私は――リオ、君に協力する事は出来ないんだ」

「………」

 

 リオは暫し沈黙を守った。それは何かを思案しているからだ。彼女の赤い瞳が先生を凝視し、そのロジックを見極めようと煌めく。

 ややあって小さく、彼女の瞼が震えた。それは何かに思い当たったから――そうして一つの答えに行き着いた彼女は、視線を鋭く尖らせながら背後の彼女を一瞥した。

 

「――『ソレ』(アリス)が、貴方の生徒であると?」

 

 声は無機質であった。

 それが彼女の行き着いた結論、先生の言葉から行き着いた答えであった。

 先生は生徒の為に全力を尽くす、今回の一件も生徒達を助ける為ならば喜んで手を貸してくれただろう、そしてリオはそう在るものだと先生を定めていた。

 しかし、彼は自身の提案を断った――それは何故か?

 先生と自身の持つ、前提条件が異なったからだ。

 

 リオは、『AL-1S』(災厄)を排除すべきリスクとして認識しており。

 シャーレの先生は、『AL-1S』(アリス)を自身の生徒として認識していた。

 

 その僅かな違い、それこそがリオと先生を決定的に隔てるもの。それ以上に大きな変化を齎す要素。リオは何度目かも分からない溜息を零すと、自身の額に指を擦りながら苦々しい声色を隠さずに告げる。

 

「……先生、貴方は勘違いしているわ、『ソレ』はそもそも生命体じゃない、外側が如何に私達と同じ様に見えても根本的に異なる存在よ、この存在は――貴方が背負うべき生徒ではないわ」

「生徒だよ」

 

 だが、彼女の言葉に先生はハッキリと否定を告げる。

 リオの顔が歪み、先生は何処までも澄んだ瞳で以て断言する。

 

「アリスも、私の大切な生徒なんだ」

「………」

 

 声には真摯な響きがあった。

 だからこそリオは大きく息を吸った、感じるのは息苦しさ――自身の考えが責められるような、胃に鉛が詰め込まれる様な不快感。リオは二度、三度、無意識の内にタブレットを指先で叩きながら言葉を続ける。僅かな苛立ちが募っていた、それは自分自身に対してか、先生に対してか、或いはこの状況そのものに対してか。

 リオ自身にも、はっきりとした事は分からない。

 

「先生、貴方はたった一つの存在(機械)と、キヴォトスに存在する数多の生徒を秤に掛けて、前者を選ぶつもりなの? それが大人として、先生として、貴方が出した結論?」

「リオ、そうじゃない、そうじゃないんだ……どちらかしか選べない、片方を選ぶんじゃない、第三の選択肢だってある筈だ」

「……第三の選択肢?」

 

 その言葉にリオは疑問の声を上げる。アリスを破壊するか、世界に終焉が訪れるか――これは、この二つの道しかない。少なくともリオは導き出した答えはコレだけだ。しかし先生は第三の選択肢があると云う、リオは驚愕を押し殺しながら先生に続きを促す。

 

「両方選び取って守る、アリスも、キヴォトスの生徒も、両方救う――そういう(未来)だってあるだろう」

「――それは、余りにも安易な解よ」

 

 それは、リオの期待した解答ではない。自然、彼女の口調は厳しさを帯び、先生を見つめる瞳が変質する。

 だがそれでも尚、先生は言葉を重ねた。一歩、踏み出した足がリオへと近付く。彼女はその場に佇んだまま、微動だにしない。

 

「最初からそれを望もうとしなければ、その道を切り開く事だって出来ないよ」

「それは理想論に過ぎない、先生、私は今現実的な話をしているの」

「確かに理想論だ、けれど理想を抱くのは、それを現実にする為の第一歩だ――リオ、君は本当に全ての選択肢を真剣に検討したのかい? 何かを見落としている可能性は? 単独ではなく複数、周囲に助力を求めた場合の選択は? 一人では困難であると否決した手段も視野に入れれば、取れる手段はまだある筈だ、その為の協力であれば私は決して惜しまない」

「詭弁だわ、そもそも全てを救うなんて不可能、いえ、リスクを考えれば私はその意見に賛成出来ない――遺物に関して最も精通し分析したのは私、その自負がある、あのヒマリでさえ正しい認識を持てなかった、失敗すれば余りにも多くの犠牲が生まれるのよ? そんなリスク(世界の終焉)は到底許容できない、あるかも分からない選択肢を探して時間を浪費するのは、合理的ではないわ」

「――だとしても」

 

 先生は力強く告げる。

 向けられる瞳には誤魔化しや、嘘が一切なかった。先生は本気でその道を模索しようとしているのだと、リオは嫌でも理解してしまう。理解してしまうからこそ、どうしようもない遣る瀬無さが燻る。

 先生の道と自身の道は交わらない、その決定的な証明が目の前にあった。

 

「リオ、その道を見つければ、全員が笑って明日(ハッピーエンド)を迎えられる――アリスも、トキも、君もだ」

「………」

「アリスを失わない未来だって、絶対にある筈だよ」

 

 ――私はその道(第三の選択肢)を選びたい。

 

 先生の口から発せられた言葉に、リオは無言で天井を仰ぐ。閉じられた瞼は瞳を覆い隠し、彼女の口元から吐息が零れた。呆れか、怒りか、或いは単に自身の感情を吐き出そうと試みただけか。二人以外の誰もが固唾を呑んで見守る中、リオはぽつりぽつりと言葉を漏らす。

 

「……感情に支配されず、冷静に状況を判断しリスクを回避する――貴方の立場は、その為にある筈でしょう」

「私は諦めたくないんだ――最初から何かを、誰かを切り捨てる様な道を、選びたくない、ましてやその切り捨てるべきリスクが私の生徒であるならば、尚更」

 

 全員が救われる可能性、子ども達が幸福であって欲しいという願い。その代償として失われる生徒(子ども)が居るのならば、そうではない道を探す。それがどれ程困難であろうとも、那由多の果てに手を伸ばす様な可能性であろうとも。

 

それだけ(生徒の犠牲)は、絶対に認められない」

 

 拳を握り締め、先生は宣言する。

 そこには揺ぎ無い決意がある。リオが持っていたソレと似た、強固な意思。それを向けられたリオは一切の色を排した声で問う。

 

「……それで、失敗した場合は」

「――責任は、私が負う」

 

 責任の所在を問うならば、先生は喜んでそれを受け入れよう。仮に生徒が起こした事であったとしても、彼は率先して泥を被りに行くだろう。分かっていながらリオは問うた、そして皮肉なことに、今度は予測した通りの言葉が飛んで来た。

 先生は自身の胸元に手を添えながら、鋼に勝る意思を以て告げた。

 

「どんな結末を迎えようと――私が必ず、何とかしてみせる」

「………」

「私自身の、全てを賭して」

 

 沈黙が流れた――長い、沈黙であった。

 先生もリオも、互いの主張を譲る気配はない。リオは最悪の事態を回避する為にアリスの処断を望み、先生は全員が救われる道の模索を望んでいた。その道が交わる事はない、最終的な結果が同じであっても辿る道筋が余りにも異なる。

 だからこそ惜しい――リオは強くそう思う。

 

「……その意思は、変わらないのかしら」

「……そうだね、私はこれを変えられない、変えちゃいけないと思っている」

 

 リオの計画に先生が賛同する条件、それはアリスを先生が生徒と見做していない場合に限る。もし先生がアリスを生徒として、守るべき対象として見ているのならば――リオの計画に彼が賛同する事はないだろう。

 それをリオは良く理解していた。

 顔を覆っていた手を払い、リオは大きく肩を落とす。

 

「ふぅ――……そう、そうね、アリスを生徒であると認識しているのならば、きっと先生が折れる事は無い、その事もまた、私は理解している」

「……リオ、話し合おう、まだ事は起こってないんだ、皆で協力すればきっと新たな選択肢が見えて――」

「いいえ」

 

 まだ話し合いの余地は残っている。彼女は計画を練っても、実行には移していない――アリスのヘイローを破壊するという凶行には及んでいない。

 だからこそ、まだ取り戻せる筈だった。互いに歩み寄り、意思を語り、相談し、協力する道はある。そう説く先生に対し――しかし、リオは拒絶する様に掌を向けた。

 暗闇の中で伏せられた表情は、視認する事が出来ない。

 

「私も本当ならば先生と対立などしたくないの、勿論それ以外の生徒達とも、敵対する気も、憎まれる気も無かった――けれど」

 

 ゆっくりと持ち上がる顔、その向こう側に煌めく赤色が先生を見据える。

 

「……っ!」

 

 先生は瞳の奥に、不穏な光を見た。

 

「この選択(正しさ)だけは、譲れない」

「リオ……ッ!」

「――AMAS」

 

 先生が何事かを叫ぶよりも早く、リオの指先がタブレットを叩いた。

 瞬間、先生の正面、ゲーム開発部を取り囲んでいたAMASの一体が駆動音を鳴らしながら飛び出す、背部を覆っていた外装が開き、そこから二本のサブアームが伸びた。先生が身構えるより早く、開いたサブアームの指先が両肩を掴み、先生を床へと叩きつける。

 

「がッ――!?」

 

 床に押し倒された先生は苦悶の声を上げ、衝撃に視界を揺らした。唐突なそれに対応も、反応する事さえ許されなかった。それを見ていたネル、ゲーム開発部の面々が悲鳴を上げる。

 

「なッ、て、テメェ、リオ、正気かッ!? 相手は先生だぞ!?」

「せ、先生!?」

「ぅ、ぅあ……!」

「――動かないで頂戴、私もこの様な形になったのは不本意なの……けれど、私は先生、貴方のやり方に賛同出来ない、目の前に確実な方法があるのならば、私はそれを選択する」

 

 地面に這いつくばる先生は、自身を押し付ける機械腕を一瞥し、それからリオに視線を向ける。何とか起き上がろうと手足に力を籠めるも、自身の肩を押さえつけるAMASの力は強く、まるで微動だにしない。サブアームとは云えキヴォトスの生徒基準で作られたロボット、ましてや人間の先生が抗えるようなスペックではない。

 リオは地面に押さえつけられて尚足掻く先生を一瞥し、小さく呟いた。

 

「……ごめんなさい先生、全てが終わった後、改めて謝罪させて貰うわ」

 

 ――だから今は、そこで大人しく見ていて。

 

 その呟きが耳に届き、先生は思わず歯を食い縛る。

 

「リオ……ッ!」

 

 彼女の名を今にも擦り切れそうな声で叫び、残った右腕を必死に伸ばす。しかし爪が床を掻き毟るばかりで、先端は彼女に掠りもしない。リオは這い蹲る先生を振り切り、改めてアリスへと向き合う。

 

「せ、先生――……!」

「さぁアリス、これでもう分かったでしょう、貴女に選択肢はない」

 

 自身を覆い隠す影、リオのそれに包まれたアリスは一歩、二歩、後退しながら身を震わせる。視界の中にAMASに押さえつけられ、必死に足掻く先生の姿が見えた。開けた衣服の隙間から垣間見える傷跡、包帯とガーゼだらけの身体、蒼褪め、血の気の失せた顔はまるで生きている様には見えない。

 それでも、先生は苦しみながら進もうとしている。

 

「せ、んせい――」

 

 それを見てアリスが感じたのは、歓喜でも感謝でもない。

 悲しみと後悔――深い色を滲ませるそれが胸元に広がり、アリスの身体全体を鉛の様に重くする。胸元がきゅっと締め付けられ、寒気がした。

 

 ――全部、全部……アリスが居るから?

 

 ふと頭を過る言葉。それはこの状況を引き起こした原因を追究する言葉だった。

 これはアリス(自分)が、【魔王】だから起きた事なのだろうか? アリス(自分)が、此処に居たから。ミレニアムに、ゲーム開発部に、存在するから、こんな事になってしまったのだろうか? そんな言葉がぐるぐると頭を巡り、離れない。

 アリスには何も分からない、気付いたら廃墟の片隅で目覚め、其処にはモモイとミドリ、先生が居て。ゲーム開発部に受け入れられて、ユズと出会って――そこから色々な出来事、出会い、冒険があった。

 輝かしい日々だった、幸福な毎日だった。アリスはそんな日常を、心の底から愛していた。

 

 けれど、自分が存在する事でこんな風に皆が傷付くのなら。

 モモイも、ミドリも、ユズも、ネル先輩も、先生も――多くの仲間達(それ以外の友人達)が傷付いてしまうのなら。

 

「……アリスが」

 

 もし――そうなら。

 

「……アリスが、勇者じゃないのなら」

 

 自分の存在が、皆を傷付けるの(不幸にするの)なら。

 

 アリスは俯き、もう動かなくなった光の剣を抱き締め呟く。もしそれが真実ならば、彼女の云う通り選択肢はない。アリスは――彼女は、仲間達が傷付く事を望まない。喉を鳴らし、アリスは決断する。

 それを。

 仲間が傷付かない未来があるのなら。

 

 たとえ――ヘイローを破壊されたとしても。

 

「ち、がうッ――!」

「……ッ!?」

 

 アリスの鼓膜が、大きく震えた。

 俯いていた顔を上げれば先生の身体が、床に押さえつけられていた身体が、僅かずつ起き上がろうとしていた。右腕一本と両足で、全力で抗い、AMASのサブアームを押し退けているのだ。震え、膨張し、青筋の浮き上がった肉体。先生の剥き出しになった犬歯に血が滲み、その眼光がリオを、アリスを射貫く。

 

「――まさか」

「なッ……!?」

 

 トキとネルが驚きの声を上げ、リオですら思わず息を呑む、その気迫に、凄まじさに。思わずタブレットを一瞥し不具合の類を疑うが――システムは正常に稼働し、機体状況も変わりなし。先生を拘束するAMASは正しく機能し、働いている。

 

「あり得ないわ、サブアームとは云え先生の、人間の抗える力では――!」

「アリスは、勇者っ、だよ……ッ!」

 

 肩を押し付ける力、それに全身で抗いながら先生は震える足で床を踏み締める。うつ伏せに転がっていた状態から、不格好ながら屈み、足を着く恰好まで持ち込んだ。アロナの補助などではない、文字通り人間の底力――所謂火事場の馬鹿力とでも云うべきもの。膨らんだ太腿、巻き付けられた包帯に赤が滲み出し、全身の骨が軋む。

 痛覚を鈍らせて尚続く痛みが先生を苛む。

 

「君は、魔王なんかじゃ……ないッ!」

「せ、先生……」

「生まれなんて、関係ない、んだ――ッ!」

 

 何処で生まれて、どうやって育って、何を教えられてきたのか。

 何の為に生まれたのか、何故創られたのか。

 人か、人ではないか。

 機械か、機械ではないか。

 そんな事は、大した問題ではない。

 そう、大した問題ではないのだ。

 先生は真正面から、断じて見せる。 

 

「何者かなんて、関係ッ、ないッ!」

「――AMASッ!」

 

 血を滲ませ叫ぶ先生に、リオが声を被せた。タブレットを操作し一時的な出力限界を取り払う。サブアームの圧力が一段と増し、先生の身体全体に凄まじい力が加わった。ミシリと、押さえつけられた肩が悲鳴を上げる。思わず床に平伏しそうになり――だが、先生は寸の所で堪える。奥歯を噛み締め、残った右腕を床に突き立て、痙攣する指先を見つめながら耐えた。

 全身の傷が開き始める――ぽたぽたと、音を立てて垂れ始める赤。

 

「なりたい、ものにッ……! 目指したい、何かに――君達は、なれる……!」

「何を――ッ!」

「その為に、私は、此処に居る――ッ!」

 

 そうだとも。

 だって――。

 

子ども達(生徒達)の中にはッ! 無限の可能性があるんだから――ッ!」

 

 それは先生の信じる、子ども達の光。彼の信念そのもの。

 自分のなりたいものに、進みたい道に、選びたい未来に、彼女達は向かって行ける。それは誰だって、どんな生徒だって、そう在る筈なのだ。

 モモイも、ミドリも、ユズも、アリスも、ネルも、トキも。

 リオだってそうだ――先生はそれを、腹の底から信じ続ける。

 

「ッ……!」

 

 先生の咆哮、全力の叫び。それを目の前で見ていたモモイは、両手を握り締め、強く歯を食い縛った。

 そして俯いていた顔を上げると、大きく息を吸い込み――全力で地面を蹴り、駆け出す。

 

「お、お姉ちゃん!?」

「モモイ……!?」

 

 皆の驚愕の声、それを振り切ってリオの横をすり抜ける。過った影に目を見開くリオ、そして全力で駆けていたモモイは両手を突き出し、先生を拘束していたAMASへとタックルを敢行した。

 

「――先生を離せぇーッ!」

「なっ!」

 

 肩からAMASへと勢い良く衝突したモモイは鈍い音を響かせ、AMASを横合いの壁へと叩きつける。ぶつかった衝撃で弾かれ、けたたましい音を立てて転倒するAMASとモモイ、それを見たユズとミドリ、そしてリオは驚愕するも――しかし意図を理解したユズ、ミドリの両名は一瞬顔を見合わせ、その表情を一変させた。

 

「……ユズちゃん!」

「――うんッ!」

 

 ゲーム開発部を取り囲む残った二機のAMAS、背後に佇んでソレへと振り向き、ユズとミドリの二人はモモイに倣い駆け出す。アリスの髪が靡く、両脇を駆け抜けた二人を視界に捉え、彼女は咄嗟に二人を目で追った。

 

「此処、通して貰うからッ!」

「そこを、ど、退いて――ッ!」

 

 一番近くに居たAMASに身体全体で体当たりし、その体勢を崩す。そして下から全力で押し込み、そのまま壁へと叩きつけた。衝撃で外装が拉げ、二人の矮躯が揺れる。そのまま全力で相手を壁に押し付け、顔を真っ赤にしながら踏ん張る二人。

 

「っ、うぐぅッ――!」

「ゆ、ユズ!?」

「ぅ、ぎッ……!」

「み、ミドリ……!」

 

 両腕を震わせ、歯を食い縛ってAMASを無力化する二人。唐突な行動に面食らうアリス、しかし彼女達はアリスに顔を向けず、必死になって叫ぶ。

 

「あ、アリスちゃんは、絶対に、連れて、行かせない……!」

「あ、アリスちゃん、私達が道を作るから、早くッ――早く逃げてッ!」

「っ、アリスッ、行って! ミレニアムじゃない、もっと別な場所にッ!」

 

 床に転がっていたモモイは即座に起き上がり、復帰しようとするAMASに馬乗りになって押さえつける。自身に向けられそうになる銃口を掴んで逸らし、アラートを搔き鳴らすAMASを涙目で睨み付けた。

 アリスを逃がす――此処ではない、何処かに。

 捕まってしまえばヘイローを破壊されてしまう、それなら彼女をこの場から逃すしかない。突発的な思考ではあったが、身体が勝手に動いた――彼女達にとって他に選択肢はない様に思えたのだ。

 しかし、これは何も悪い選択ではない。ミレニアム自治区を出れば、リオの追跡の手は大きく制限されるだろう。何せ他所の自治区で表立った戦力を動かす事は出来ない、そうなれば学園間の大きな火種となる。秘密裏に動くとしても、取れる手段は限られる、逃げ込む先によっては大きく時間を稼げる筈だった。

 少なくとも、ゲーム開発部の視点から見れば、そうだった。

 包囲していたAMASは先生によって無力化されている筈、逃げるなら今しかない。

 

「リオ様――っ、く!?」

「てめぇの相手は、あたしだろうがァ――ッ!?」

 

 咄嗟にトキが動き出そうとするが、ネルが叫び牽制する。少しでも力を緩めれば、即座に反撃してやると鈍く光る瞳。トキは制圧した彼女を見下ろし、臍を噛む。今彼女を自由にする訳にはいかない――ネルが居る限り、トキはその場から動く事が出来ない。

 

「行けェッ! チビッ!」

「アリスちゃん!」

「アリス、ちゃん……っ!」

「アリスッ!」

「み、皆――……」

 

 全員がアリスを助ける為に、逃がす為に死力を尽くす。皆の声を一身に受け、その表情に戸惑いを浮かべる彼女。しかし、その想いを無駄に出来ないという感情が――一歩、また一歩、後ろへと体を運んでいく。

 アリスの身体が、暗闇の中に消えて行く。

 

「っ、待ッ――!?」

 

 この場でアリスを逃がす訳にはいかない、そう思考し駆け出そうとするリオ。しかし、その足元を掴む手があった。ぐんっ、と引っ張られる身体、一体何だと見下ろせば――血の滲んだ衣服を身に纏う、先生がリオの右足首を掴んでいた。

 モモイの行動によって助けられた先生は、反動で殆ど力の入らなくなった足を引き摺り、リオの元まで足を進めていた。

 這い蹲って尚、輝きを失わない瞳、それに見上げられたリオは喉を引き攣らせながら叫ぶ。

 

「先生っ!? ッく、この手を離して――ッ!」

「断る……ッ!」

「っ、どうしてそこまで――ッ!?」

「さっき、云った……筈、だよ――ッ!」

 

 リオの足を掴む強い力、リオは必死に振り解こうと力を込めるも、先生は決してその手を離さない。彼の身体はもう限界の筈だ、包帯やガーゼから溢れた血が衣服に滲み始めている。よく見れば床には引き摺った様な血痕――傷が開いているのは明白、こんな事が出来る状態じゃない。

 だというのに――。

 

「私は、生徒の為なら――どんな無茶だって、押し通すとッ!」

「ッ……!」

 

 くしゃりと、リオの表情が歪む。そこに込められた感情は、本人にしか分からない。先生は残った右腕に全ての力を注ぎながら、歪む視界の先でリオを射貫いた。

 

「アリスは、絶対に、連れて行かせない……!」

「っ、先生、貴方は――!」

「この、手は……絶対に、離さない――ッ!」

 

 文字通り――命を懸けて。

 

「―――」

 

 リオの思考が加速する。目の前の大人は、先生は、言葉通り生半な事ではこの手を離さないだろう。その確信が、結論が彼女の中では出ていた。先生の覚悟、その意思は鋼に勝る、言葉を交わし内面を微かでも理解したからこそ、彼女には分かった。

 

 この場に持ち込んでいたAMASは無力化され、トキはネルを制圧する為に動かす事が出来ない。今切れる切り札が、動かせる手札がない――それは即ち、アリスの逃走を許す事に繋がる。

 

「―――」

 

 リオは咄嗟に自身の右足に備え付けられていたレッグホルスターに手を伸ばした。滅多に使用する事のない、護身用の愛銃(ソレ)――威力、口径共に強力なものでは決してない。

 しかし、ただの人間を始末するには十分過ぎる殺傷能力を持つ。

 否、こんな状態の彼を殺害するのなら、どんな我楽多だって十分な筈だ。

 這い蹲る先生を見て、リオはそう判断する。

 

 ――けれど。

 

「っ、く……!」

 

 リオは伸ばした手を停止させ、愛銃を引き抜く事が出来なかった。

 銃口を向ける事すら、彼女は躊躇ってしまう。

 彼女の想定する犠牲はひとり(ひとつ)、たったひとり(ひとつ)――それ以上の誰か(何か)を犠牲にする事を、彼女は想定していない。

 

 脳裏にちらつく殺人(破壊)の文字、彼女はその覚悟を持ってこの場に立っている。だがそれは、こんな風に突発的で、原因でも何でもない他者に向けらたものではなかった。込み上げる不快感、蒼褪める表情、震えそうになる指先――それは犠牲という言葉が、これ以上ない程に現実性を帯び、肌を通して内側に浸透して来たから。彼女は字面や数字上でそれを語っても、実体験として理解した訳ではなかった。

 しかしリオはそれすらも呑み込み、指先を強く握り締めると、掴まれていない左足を振り上げる。

 

「ぐ、がッ!?」

 

 足を振り下ろし、リオは先生の鎖骨周辺を踏み躙った。頭部を選ばなかったのは万が一を考え、恐ろしくなったからだ。ならば痛みを、苦痛を以て先生を退けるしかない。そんな思惑と共に振り下ろされた蹴撃は――しかし、その手を離すには至らない。

 寧ろリオの足を掴む掌、その力は増すばかり。

 痛みはない、しかし人間である先生からすれば渾身の力だろう。

 

「ッ、これでも――……!?」

 

 自身に足蹴にされ、踏み躙られて尚伸ばされた腕に声を漏らす。リオはその表情を一層歪め、二度、三度と先生の身体を踏み躙り、打ち付け、必死に叫んだ。

 

「ぐ、ぅ、ぎッ!」

「もう離しなさい先生ッ! 貴方の身体は限界でしょう!? そんなに血を流しているのに……ッ!」

「――ッ!」

 

 蹴りを浴び、幾度踏み躙られて尚、先生はリオから目を逸らさない。その身体に青痣が増えていく、恐らく彼女も本気を出している訳ではない。あくまで痛みを、苦痛を思い起こさせる為の打撃――優しい子だと、先生は内心で想った。

 今にも泣きそうな表情を見れば、尚更。

 

 だが、それでも先生はこの手を離す事が出来ない。子ども達が、目の前で踏ん張っているのだ。だと云うのに、大人の自分がどうして諦められよう? 衝撃と痛みに顔を顰めながら、しかし先生の右腕は微動だにしない。

 この手は、離さない。

 

「っ、お願いだから――ッ!」

 

 リオの声に、終ぞ悲鳴染みた色が滲む。それは懇願だった、これ以上自身に貴方を傷付けさせないで欲しいという、純粋な。その感情を理解して尚、垂れ下がりそうになる瞼を押し上げ、先生は耐える――堪え続ける。

 そうしてリオが息を呑み、より高く足を振り上げた瞬間。

 

「――もうやめて下さいッ!」

 

 アリスの涙の滲んだ絶叫が、廊下に木霊した。

 


 

 別に先生はリオのスカートの中を覗いていたから目を逸らさなかった訳じゃないですわよ。

 本当ですわよ。

 先生の右足賭けても良いですわ。

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