ブルーアーカイブを、もう一度。   作:トクサン

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誤字脱字報告、感謝しますわ!
諸事情により一日遅れましたが、代わりに文字数が増えましたの。
今回約一万九千字ですわ!


希望(可能性)価値(選択)

 

「信号反応なし、観測地帯の数値は正常、想定値も上回っていない、観測システムの自立稼働設定、再起動は十二時間後……うん、今の所は大丈夫そう」

 

 特異現象捜査部の一室、ずらりと並んだモニタと操作盤を素早く操作するエイミはふと呟きを漏らす。ヒマリとエイミ、たった二人の部活である特異現象捜査部、基本的に殆どの時間を特異現象捜査部の部室で過ごすエイミは、観測機器の保守を一手に引き受け、各地に特異現象が発生していないか確認するのが日課となっている。

 彼女の能力は確かであり、特異現象捜査部の人員が限られているのはその秘匿性もそうだが、彼女自身の能力、それに依るところが大きい。あらゆる物事を効率的に、失敗無く進める彼女は流石、一年生にして極秘裏に創設された特異現象捜査部に引き抜かれただけはあるというもの。

 

 そんな彼女は椅子に背を預けながら、大きく伸びをする。肩まで開けたシャツは殆ど衣類としての機能を果たしておらず、その恰好は下着姿に近い。更に今は部室に一人きりである為、冷房も全力で稼働している。唸る冷房は冷風を彼女と部屋全体に送り込み、エイミは心なし快適そうに眼を瞑る。

 常人であればこの部屋に踏み込んだ瞬間、その余りの寒さに身震いし、半裸状態で平然としているエイミを凝視する事だろう。ヒマリが居れば、「エイミ? この可憐で儚い病弱美少女である私を凍死させるつもりですか? 冗談抜きで凍ってしまいそうなのですが、エイミ? 聞いていますかエイミ?」と全身を毛布で包みながら小言を口にするだろう。

 エイミはそんないつもの光景を想像しながら手元の端末に手を伸ばすと、画面を点灯させる。表示される日時、それを一瞥し思考を巡らせた。

 

『エイミ、もし私がリオに接触した後、四十八時間経過しても戻って来なかった場合、冷蔵庫に仕舞ってある私のプリンを食べても構いませんよ』

 

 そう云ってヒマリが部室を後にした事を覚えている。いつも通りの澄まし顔で、口元に微笑みを湛えながら出立したヒマリ、彼女が部室を出てから既に二日が経過していた。

 

「……部長の信号が途絶えてから、今で丁度四十八時間か」

 

 呟き、エイミは視線を部室の隅に設置された冷蔵庫に向ける。そのまま椅子を滑らせ、冷蔵庫の前まで移動すると、無造作に扉を開き中を覗き込んだ。ひんやりとした冷たさが肌を撫で、彼女は上機嫌に物品を検める。

 

「あ、これトリニティの……シラユキだっけ? そこの高いプリン」

 

 彼女の目に付いたのは、妙に高級感漂う瓶詰のプリンであった。それを手に取ると、横にラベルで、『ミレニアム最高の天才清楚系病弱美少女ハッカー明星ヒマリのプリン』と書き込んであるのが見えた。エイミは長いなと思いつつ、ぐるりと瓶を覆う様に張られたソレを剥がして手の中で丸める。

 そう云えば、部長はトリニティの生徒と友好関係を築いていた。確か、浦和ハナコと云ったか。どうやらトリニティの誇る才媛、各分派や組織にも顔を知られる要人らしい。まぁ、部長が目を付けたという事は相応に能力のある人物なのだろうと勝手に思考する。恐らく彼女から贈られたものか、或いは実際に接触する際に序で買い込んで来たものか。

 エイミは手の中のプリンを弄びながら、ふと冷蔵庫の中を再び覗き込む。プリンは三つあった、内ラベルが張られているのは二つ。恐らく三つのプリンはそれぞれ別々の人物が食べる想定で此処に仕舞っていたのだろう。内一つがヒマリ、もうひとつがエイミ、そして最後の一つは――。

 エイミは冷蔵庫に手を伸ばし、プリンが詰まった瓶を指先で回す。貼り付けられたラベル、内容は『シャーレの先生』だった。

 

「んー……」

 

 エイミはそれを見て頭上を仰いだ。数秒、思案する様に目を瞑る。

 そして結論を下すと、手の中でくしゃくしゃになったラベルを伸ばし、もう一度プリンの瓶に貼り付けた。少しばかり皺が目立つが、内容は分かるので問題ない。

 

「ま、一人で食べるのも味気ないし」

 

 呟き、彼女は冷蔵庫の扉を力強く閉める。そして椅子を蹴飛ばしながら立ち上がると、背凭れに掛けていた外套を手に取った。本当ならこの恰好で出かけたいが、ヒマリと先生が何かと薄着には敏感なので、きちんと上着は羽織った状態で出なければならない。尤も、それは二人に限った話でもないのだけれど。

 

「システム設定」

『音声認識、システムの設定を開始します』

「ルーム権限再設定、セーフティモードで稼働継続」

『指示を確認、ルームへのアクセス権の再設定、対象を指定して下さい』

「私とヒマリ部長、後は……シャーレの先生」

『――設定完了、セーフティで稼働を再開します』

「うん」

 

 口頭で指示を出し、特異現象捜査部へのアクセス権限はそのままに、セーフティモードで自律稼働を継続させる。これなら最悪、数日程間が空いても破綻はしない。並んだラックから弾帯を引っ張りだし、それを腰に巻き付ける。

 

「えっと、確かこの辺りに……あぁ、あった」

 

 ガンラックに立て掛けられていた彼女の愛銃――マルチタクティカル。

 エイミ曰く、扱いやすい多目的戦術施行道具。手入れは欠かしておらず、ポンプアクション、セミオートマチック、どちらでも運用が可能なショットガンであるそれは、自身が扱いやすい様にストックを取り外し、独自のカスタマイズが施してある。弾薬も状況に応じて使い分ける様に複数持ち込み、エイミは外套の内ポケットに必要なものが揃っている事を確認する。

 通常のソフトスキン相手に用いるバックショット、空中のドローン等を撃ち落とす為のバードショット、対ハードスキン用のスラッグ――一発一発の弾丸を吟味し、弾帯と外套の専用ポケットへと差し込む。

 戦闘準備を終えた彼女は最後に部室奥に設置されていた収納コンテナ、その中にあったジュラルミンケースを引っ張り出すと、中身を確認しながら一つ頷きを零した。

 

「さて――実務はちょっと、久々かな」

 

 ■

 

「――あら、エイミ?」

「あ、ユウカ?」

 

 特異現象捜査部を後にして、ミレニアムタワーへと足を踏み入れたエイミ。彼女はタワー内部のエントランスホールにて、何やら複数の書類を抱えたユウカと遭遇した。ユウカは四十八時間以内に発生した様々な騒動、その対応に未だ追われている様子で、エレベーターの扉を潜って現れた彼女の表情には疲労が色濃く反映されている様に思えた。

 ユウカは珍しい生徒との遭遇、そして彼女が身に纏う外套や手にしたケースを一瞥し、不思議そうな表情を浮かべながら問いかけた。

 

「どうしたの、貴女がこんな所に顔を出す何て珍しいじゃない、それもそんな荷物を持って」

「急用、特異現象捜査部の方でちょっと」

「ふぅん、あの部活動に関してなら止めるつもりはないけれど……それで、目的地は?」

「地下」

「……地下?」

「うん」

「地下って、えっと――ミレニアムタワー(この場所)の?」

「そう」

 

 一瞬、ユウカは面食らった様に動きを止める。そんな言葉を交わしていると、電子音と共にエレベーターが到着した。エイミは何て事の無い様子で中へと乗り込むと、そのまま認証システムに学生証を翳し、承認を確認すると閉じるボタンを押し込む。そして体を傾けユウカに顔を向けると緩く手を振った。

 

「それじゃあ、またねユウカ」

「えっ、ちょ、ちょっと、エイミ……? 此処の地下って、ちょ、待っ――」

 

 再起動を果たし、書類を抱えたまま慌てた様子で何事かを口にするユウカ。駆け出した彼女はエイミへと手を伸ばすが、それよりも早く彼女の目の前でエレベーターの扉は閉め切られた。

 そのままゆっくりと降下を開始するエレベーター、目的地はミレニアムタワー地下、特別保護区画。

 セミナーの役員、及び権限を付与された生徒しか立ち入りの許されていないエリアであるそこは一等警備が厳しく、様々な設備が取り揃えられている。特異現象捜査部として活動するエイミはこのエリアに立ち入る権限を有し、先程の認証がソレであった。

 

 目的地に到着し、ゆっくりと開く扉。エイミは無言でエレベーターを降りると、ホールと各部屋を繋ぐ白い廊下を見渡す。特別保護区画は広く、エレベーターホールから中央フロアまで進むと、各エリアを示すアルファベットの通路が顔を覗かせる。パッと見は病院の通路を彷彿とさせるが、あながち間違いという訳でもない。元より居場所については見当がついていた為彼女の足取りは迷いなく、Aの通路を選び真っ直ぐ靴音を鳴らして歩いた。

 暫くすると壁に突き当たり、何やら電子テープが行く手を遮っているのが見える。その先には治療室があり、設置された電子テープには『入室規制中』の文字が躍っていた。エイミはそれを見下ろしながら、無言でテープを横切る。

 瞬間、警告音と共に音声が廊下中に響いた。周囲から何やらドローン群が起動する音が聞こえたが、エイミは努めて無視する。

 

『入室規制中、特別保護区画第一治療室は現在立ち入りを制限されています、入室の際は管理者に入出許可の確認を――』

「先生に用があるから、通して」

 

 騒々しいとばかりに眉を顰めたエイミは呟き、そのまま振り返ることなく扉の前まで足を進める。そして壁に設置された硝子越しに中を覗き込むと、室内をゆっくりと見渡す。

 

「あ、居た」

 

 探し人――先生は直ぐに見つかった。

 あらゆる医療器具、電子機器、モニタに囲まれた寝台、先生は未だ目覚めず、何とも強張った表情のまま寝入っているのが視界に映る。横になった先生を確認したエイミは扉の前へと小走りで進み、認証装置に学生証を翳した。

 

『アクセス権限を確認、網膜認証を行います』

「ん……」

『――承認、和泉元エイミ、一年生』

 

 エイミが認証装置に顔を近付けると同時、電子音と共に開かれる扉。その事にエイミは内心で安堵する。もしコレで開かなかったら少々乱暴な手段を講じる(マスターキーで撃ち抜く)羽目になっただろう。システムの都合か、或いは単純に時間の問題か分からないが、新しい入室権限を求められる事がなくて助かった。

 病室の中に足を踏み入れると、最初に薬品の香りが鼻腔を擽った。それと微かな甘い匂い、病室に似つかわしくない香りに小首を傾げながら、エイミは先生の横たわる寝台へと近付いて行く。病室の中には、単調な電子音のみが鳴り響いていた。

 

「……うん、結構傷だらけ」

 

 傍に立ち、見下ろした先生は中々どうして酷い有様である様に思える。腕や頬、首筋に見える大小の切傷、打撲痕、アリスの暴走からまだ二日と経過していない今、傷が治り切っていないのは当たり前の話ではあるが、こうして直接目にするとまた何とも云えない生々しさがある。キヴォトスの生徒からすれば僅かな負傷であっても、人間の先生からすれば全治一ヶ月、或いは数週間を要する負傷。

 確か、骨も折ったのだったか、だとすれば一ヶ月どころの話ではないか――エイミは先生の身体を見下ろしつつ、思考を巡らせる。普通ならばこんな状態の人間を、大人とは云え起こすべきではない。このまま安全な場所で療養させ、回復させるのが真っ当な判断だと断言出来た。

 そしてそれは、エイミとて同じである。

 

 ――でも、此処で先生を起こさなかったら、きっと先生は凄く苦しんじゃう。

 

 先生を見下ろしたまま、エイミは内心で呟いた。それは殆ど確信に近い代物だった。

 エイミは暫し無言で佇み、先生の寝顔を見つめながら思う。彼女自身、先生と短くはない時間を一緒に過ごし、言葉を交わした。だからこそ理解した、彼の本質とも云うべき部分。

 きっと先生はこの瞬間、この日目を覚まさなかった事を、後悔するのだろう。それこそ、どの様な結果を辿るにしろ――。

 先生は、そういう人だった。

 それをエイミは知っていた。

 だからこそエイミはゆっくりと手を伸ばし、先生の肩を優しく掴む。

 

「先生、先生……起きて」

「――ぅ」

 

 声は静かで、呼びかけは穏やかでさえあった。微かに生まれる振動、それによって揺れる先生の身体。先生の反応は芳しくなく、喉元より辛うじて呻き声が漏れる。その表情が苦痛と苦悶に歪む。

 暫しそうやって先生に声を掛け続けていると、部屋の外から慌ただしい足音が聞こえて来た。エイミが視線を外に向けると、窓硝子越しに駆けて来る人影がひとつ。見覚えのあるツインテールが弾み、扉の前に駆け込む。

 

「はっ、はァッ……! ちょ、ちょっとエイミ!? 何をしているのよッ!?」

 

 叫び、扉を蹴破る勢いで飛び込んで来たのはユウカ、その人。彼女は跳ねた髪に荒い息を繰り返し、エイミの行動を非難する様に指差した。その表情は紅潮し、エイミは何度か目を瞬かせると、息を切らせる彼女を見つめながら淡々と答える。

 

「何って、先生を起こそうとしているだけ」

「だ、だけって!? あのねっ、先生はまだ傷も治っていなくて、今は絶対安静――ッ!」

「今回の騒動、先生抜きでどうにかするのはちょっと難しそう、だから手助けして貰うのが一番効率的だと思う」

「なっ……!」

 

 臆面もなく、真っ直ぐ視線を寄越しながら放たれた言葉。やや言葉足らずな面もあったが、彼女からすれば間違いという訳でもない。ユウカも頭では理解出来るし、確かに先生の助力は百人力だと思う。しかし実際に行動に移すかどうかはまた別である、その選択は先生に酷なものだと理解しているが故に。

 絶句し、口を開閉させるユウカを他所にエイミは先生の耳元に顔を近付けると、肩を揺らしながら声を掛け続ける。

 

「先生、ねぇ先生、起きて」

「――………」

「ヒマリ部長が帰ってこないし、ゲーム開発部も、何だか大変な事になっている、C&Cも、エンジニア部もそう……ミレニアム全体が、ちょっとずつ変わっていっちゃう」

 

 エイミは事態の全てを把握している訳ではない、しかし凡その事情は理解しているつもりだ。この騒動を、事態を収拾するには先生の力が必要不可欠だと、彼女はそう判断していた。少なくとも、この状況からただ一人の犠牲も出さず、事を収める可能性をエイミは他に知らない。

 未だ瞼を閉じる先生に向けて、エイミはハッキリとした口調で告げた。

 

「このままだと、アリスが居なくなっちゃうよ」

「――ッ!」

 

 その一言が覚醒を促したのか、或いは何か別の要因があったのか。

 先生の目が見開かれ、同時にその両足がシーツを跳ね飛ばした。体に貼り付けられていた複数のケーブルが音を立てて引っ張られ、周囲の機器を動かし、幾つか不自然な電子音とアラートを鳴らす。横合いに設置されていたスタンドが伸びたケーブルに引き倒され、けたたましい音を部屋に響かせた。

 

「あ、起きた」

「せ、先生……!?」

「っ、ふ、ぐぅ……!」

 

 唐突な覚醒と共に起き上がった先生は脇腹を抑え呻く、額に脂汗を浮かべた先生はしかし、素早く周囲を見渡し何かを――誰かを探している様に見えた。よく見れば左目は未だ光を宿しておらず、恐らく目が良く見えていない、起き抜けで思考にも靄が掛かっているだろう。焦燥ばかりが透けて見えた。

 

「此処は……? そうだ、リオは、アリスは何処に――アロナ、今は何日だ……!?」

「先生」

 

 そんな狂乱一歩手前という様子の先生に対し、エイミは普段と同じように語りかける。彼女の手が先生の肩を掴むと、周囲を忙しなく探っていた先生は身を震わせ、ゆっくりと視線をエイミに向けた。一瞬、無言で二人は互いを見つめ合う。

 ややあって、先生は渇き掠れた声で問いかけた。

 

「……エイミ?」

「うん、おはよう先生」

 

 目の前に佇む生徒、エイミの姿を認めた先生は呆然とした様子で身を硬直させる。その背後からユウカが顔を覗かせ、恐る恐ると云った風に口を開いた。

 

「お、おはようございます、先生……」

「ユウカまで、なら此処は――」

 

 二人を交互に見つめ、軽く息を吐き出す先生。霞んでいた視界を取り払うと、漸く真面に思考が働き始める。ユウカはそんな様子の先生に胸を撫でおろしつつ、努めて冷静な口調で問いかけた。しかし、その表情から不安は拭えない。

 

「み、ミレニアムタワー地下の特別保護区画です、それより先生、体調の方は……?」

「……大丈夫、少し意識がぼやける程度だよ」

「い、いや、そんな筈ないじゃないですか……!」

 

 ユウカに取り繕った様な笑みを浮かべながら、青白い顔をそのままに起き上がろうとする先生。そんな彼に対しユウカは声を荒げ、慌てて先生の腕を掴んだ。その間にも、先生の視線は何かを探している。エイミは部屋の隅、白いラックの上に整理されていた電子機器類の中から見覚えのあるタブレットを手に取ると、先生へと差し出した。

 

「先生が探しているのって、これ?」

「あ……あぁ、ありがとう」

 

 エイミが差し出したタブレット――シッテムの箱を受け取った先生は、安堵の色を見せながら礼を告げる。手慣れた様子で画面を点灯させれば、不安の種であった充電残量はフル。誰かが気を利かせてくれていたらしい。次いで時刻を確認すると、先生の表情に影が差す。

 

「私はまた、意識を失っていたのか」

「うん、でもそんなに時間は経過していないよ、先生が眠っていたのは半日位かな」

「……私が倒れてから、一体何が?」

 

 先生はエイミとユウカを見上げ、問いかけた。ユウカは先生の問い掛けに答えようとして、しかし口を噤む。それは正直に事を話せば先生が飛び出して行ってしまうという、確信を抱ていたが故の逡巡だった。微かに吐息だけを漏らすユウカを他所に、エイミは端的に事情を説明する。

 

「リオ会長がアリスを連れて行った、ヒマリ部長も戻って来ない、多分どっちもリオ会長の所に居ると思う」

「――それなら、助けに行かないとね」

「うん……先生なら、そう云うと思った」

 

 先生の迷いのない言葉に頷き、エイミは足元に置いていたケースを持ち上げる。銀色のそれは部屋の光を僅かに反射し、先生は瞳を細めた。

 

「これ、前に先生が部室に置いて行った義手(スペア)、持って来たよ」

「ありがとう、助かるよ」

「ううん、そもそもこういう時の為に用意していたんでしょう?」

「……出来れば、こんな形では使いたくなかったけれどね」

 

 受け取ったケースを膝元に置き、苦笑交じりに呟く先生。備えあれば、等と口にするが本来はその様な事、起きないに越したことはないのだ。そんなやり取りを見ていたユウカは暫し呆然と二人を見つめた後、慌てて口を挟む。

 

「ちょ、ちょっと本気ですか!?」

 

 声は部屋に良く響き、エイミと先生の間に体を挟み込むようにして歩み寄ったユウカは、先生に向かって懸命に言葉を重ねた。

 

「先生、この間大きな怪我をしたばっかりで、ついさっきまで昏倒していたんですよ……!? そんな状態で、一体何処に行こうって云うんですか!?」

 

 彼女の突き出した指は先生の身体に貼り付けられたガーゼや包帯を示しており、必死に云い募るユウカの表情は正に鬼気迫るものがある。しかし先生は首を緩く振ると、ケースの中に収められた義手を撫でつけながら云った。

 

「あれくらいは大きな怪我なんかじゃないさ、傷痕が残っても、元通りになる程度のもの……それなら、心配ないよ」

「で、でも先生! 骨折だってしているのに……っ!」

「……今動かなければ、アリスを助けられないかもしれないんだ」

「そ、それはッ! そう、ですけれど――っ!」

 

 先生の言葉に思わず歯噛みし、両手を握り締めながら俯くユウカ。彼女としてもアリスの事は心配しているし、不安にも思っている。しかし、だからと云って負傷した先生に無理をして欲しくはない。先生には安全な場所で治療に専念して欲しいという想いがある。そうゲーム開発部の子達やエンジニア部、ヴェリタス、C&Cとも約束した。

 先生の云う事も、エイミの主張も理解出来た――しかし、ユウカは包帯とガーゼに塗れ、血の気の失せた先生を一瞥し、唇を嚙み締める。

 

「ユウカちゃん、一体何が――」

「っ、ノア……!」

 

 そんな葛藤するユウカの元に、頼れる人物が現れた。騒動を聞いてやって来たのか、僅かに息を弾ませたノアが部屋の中へと駆け込んで来る。胸元に手帳を抱き、愛銃を手に握り締めながら部屋へと踏み込んだ彼女は、喜色を滲ませるユウカ、無言で佇むエイミ、そして目を覚ました先生の姿を一瞥し驚きの表情を浮かべる。

 

「先生、目を覚まされて――?」

「うん、ついさっき……ごめん、色々心配を掛けたね、ノア」

 

 穏やかな微笑みを見せる先生。ノアは安堵した様子で愛銃を腰にぶら下げると、何やら落ち着かない様子で縋る様な視線を向けるユウカ、泰然とした態度で佇むエイミ、最後に先生へと視線を向け、凡その状況を理解するに至る。

 ノアは指先で自身の顎先を擦ると、先生に問い掛けた。

 

「その様子ですと、アリスちゃんの事は……」

「うん、たった今聞いたよ――だから、これから助けに行こうと思う」

「………」

 

 自身の状態すら顧みず、平然とその様に宣う先生に対しノアは一瞬声を失う。それは驚きと云うより、若干の怒りと呆れを含んだ感情だった。黙り込んだノアに対しどの様に解釈したのか、ユウカは地団太を踏みながら詰め寄り声を荒げる。

 

「ノアからも何か云ってあげて! それはっ、確かにアリスちゃんの事は絶対に助けたいけれど、でも今の先生に無理をさせるなんて、そんな事許せる訳――……ッ!」

「――ユウカちゃん、少し」

 

 捲し立てるユウカに掌を見せ、ノアは先生へと視線を向ける。彼女らしくない所作だと思った。その普段より一段と冷え込み、しかし口元に笑みさえ湛えた彼女は改めて先生と向き直る。自然と、先生の背筋も伸びた。

 

「先生、御身体は大丈夫なんですか?」

「勿論」

「肋骨に足趾骨折、鎖骨にも罅が入って、殆ど治ってもいないのに?」

「……うん」

 

 ――そうか、鎖骨もやられていたのか。

 

 ノアの言葉に、先生は遅まきながら自身の状態を再確認した。確かに妙に痛むとは思っていたが、まさか罅が入っているとは。首元を撫でつけ、思わず苦笑を零した先生は内心で呟く。暫しそんな先生を凝視していたノアは、これ見よがしに溜息を零し云った。

 

「……分かり易い虚勢ですね、記録は嘘を吐きません、先生の肉体が現在激しい運動や前線指揮に耐え得る状態ではない事を、私達は把握しています」

「そ、そうですよっ! 大きな怪我じゃないって仰いますけれど、十分重傷なんですからねッ!? ノアの云う通り、今は大人しく療養して――!」 

「それでも、私は行くよ」

 

 云い募るユウカの言葉を遮り、先生はそう断言する。その表情は穏やかで、しかしこれ以上ない程に真剣だった。

 絶句するユウカ、前傾姿勢のまま固まった彼女を他所に、ノアは目を細め問うた。

 

「……何故、と聞いても?」

 

 それは分かり切った問い掛けの様に思えた。先生が生徒の為に、何処までも真摯に、献身を惜しまない事は理解していた。故にその問い掛けに含まれるのは、本質を問う声。もう一段踏み込んだ、先生の内側を叩く様な問い掛けであった。

 

 どうしてアリスを助けに行くのか? その負傷を顧みずに――これに対する回答は単純である、自身が先生であるからだ。しかしそれは、ノアが求めているものとは少し、異なっている様にも思えた。

 故に先生は数舜間を置き、目を伏せながら答えた。

 

「今、アリスを助けに行けなかったら、私はきっと――一生その事を後悔してしまうだろうから」

 

 畢竟、これに尽きる。

 先生が生徒を助けるのは当然だ、そこにどうしてだとか、何故だとか、そう云った疑問を挟む余地などない。それが大人の責任であり、役割だと先生は信じている。ならばそう云った立場や役割と云った観点からではなく、先生という個人から見た時、それでも尚手助けする理由を探るのであれば――それしかなかった。

 再び向けられた視線、自身の向ける瞳と交わる光。先生のそれを直視したノアは暫し沈黙を守り、それから小さく息を吸い込んだ。

 

「ちゃんと、戻って来て頂けますか」

「……約束する」

 

 ノアの問い掛けに、先生は頷きを返した。何処までも真っ直ぐな答えだとノアは想った。その実直さが少しだけ羨ましく、ずるい。

 二人を交互に見つめ、焦燥を滲ませるユウカ。ただ沈黙し見守るエイミ。ややあってノアは胸元に抱えていた手帳を開くと、小さく肩を落とした。取り出したペンで何事かを書き綴る彼女は、頁を見つめたまま淡々と告げる。

 

「――信じます、発言は記録しておきますので、後から云った、云っていない論争になる事はありません」

「ノ、ノア~!?」

「……参ったな」

 

 悲鳴染みた声を漏らすユウカ、破る気は毛頭ないが記録された事実に苦笑を零す先生。涙目で縋り付くユウカに対し、ノアは困ったように眉を下げながら口を開く。

 

「ユウカちゃん、こうなった先生は梃子でも動きません、それはユウカちゃんも良く知っている筈ですよ?」

「うぅ……! で、でもぉ……っ!」

「ユウカ、私は大丈夫だよ、今は兎に角アリスを取り戻さなくちゃいけない、もしこのまま何もしなかったら――私は、私自身を許せなくなる」

「っ~……!」

 

 優しく諭す様な先生の声、何処か仕方ない人を見る様な瞳をしている友人(ノア)、二人に挟まれたユウカは様々な感情が入り混じった表情で交互に視線を動かし、それから何かを堪える様に呻き声を漏らした。

 こうなった先生は梃子でも動かない、そうだ、その通りだ、ユウカは内心で零した。それでも、どうにも諦めきれなくて、ユウカは涙の滲んだ瞳で先生に訴えかける。声が無くとも内に秘めた感情はありありと伝わる程に、彼女は必死だった。

 しかし、先生は困ったように微笑むばかりで、彼女の想いを知っても尚道を曲げない。その分かり切った結末にユウカは頭を抱え、それから自棄気味に叫んだ。

 

「わ、分かりましたよ! でも、絶対に無茶はしないで下さいよッ!? アリスちゃんを連れ戻せても、先生が怪我をしたらまたアリスちゃんが悲しんじゃうんですから! 勿論、アリスちゃんだけじゃなくて、他の皆も、私達だって……!」

「うん、出来得る限り、無茶は慎むよ」

「――そこで絶対にしないとは、云って頂けないんですね」

 

 手帳に何事かを書き綴りながら零されたノアの声に、「……はは」と乾いた笑みが漏れた。ごめんねと、内心で先生は呟く。最大限努力はする、しかしそれでもどうにもならない時は、断言出来なかった。

 

「先生の事は任せて、私の傍に居る限り守り切るから」

「えぇ、お願いします」

「うぅ、わ、私も一緒に行けたなら――……っ!」

 

 沈黙を守っていたエイミは、全員の意見が纏まったと見るや否や愛銃を片手に告げる。彼女は情報戦にも長けているが、同時に銃撃戦から近接戦闘まで一通り優秀な成績を誇っている。護衛としてはとても心強い生徒であった。

 ユウカは両手を握り締めながら葛藤する様に屈みこみ、自身の立場を呪う。嘗てこれ程までにセミナー所属という肩書が煩わしく思えた事があっただろうか? 暫し唸り声を漏らしていた彼女は、ややあって勢い良く立ち上がるとノアに向かって問いかけた。

 

「ッ~! ノア、コントロールセンターって今日は大きな業務とかあった!?」

「CCですか? いえ、特にスケジュールに記載は――」

「なら今から貸し切って! 他の行政官も入れないようにして、私達だけで詰めるわよ! 今やっている業務は、申し訳ないけれど他の役員に割り振って、最低限私達で決裁しないといけない分は何とか一時間……いや、二時間位で終わらせて――!」

「それは……」

 

 ユウカのやろうとしている事を察知したのか、ノアは何処か呆気に取られた様な表情で言葉を呑む。しかし彼女が何事かを発するよりも早く、ユウカは先生に向かって捲し立てる様に云い放った。

 

「先生! ヴェリタスもバックアップに回っているので必要かどうかは分かりませんが、私達も先生の作戦支援に回ります! セミナーの設備があれば、遠隔情報収集(テレメトリ)も行えますし、何か新しい情報を掴み次第知らせますので……!」

「それは助かるけれど、えっと、大丈夫なのかい? リオはセミナーの会長だし、他の業務だって――……」

「問題ありません! それと万が一問題が発生しても、責任は私とノアだけに発生します! 他のセミナー役員は関与させませんから! それなら大丈夫ですよね!?」

 

 鬼気迫る表情で詰め寄るユウカ、自分から苦労を背負い込んでいる様なものだが何が何でも今回の件に、先生に関わって見せると云う気迫が彼女の姿勢からありありと感じられた。気圧された先生は一瞬言葉に詰まるも、ユウカはそのままノアに視線を向け殆ど断定染みた問いを投げかける。

 

「良いわよね、ノア!?」

「ふふっ、はい、ユウカちゃんがそう決めたのなら」

「……もしそうなったのなら、私が責任を取るよ」

 

 いつもの調子に戻った――或いは吹っ切れた様子のユウカに対し、満面の笑みを浮かべるノア。流石に此処まで詰められ断る訳にもいかず、先生は万が一何かしらの問題が発生した場合は自身が矢面に立つ事を約束する。無論、彼女達が協力を申し出なかったとしても同じようにするつもりではあった。先生は手に持ったケースを閉じると、三人を見渡しながら告げる。

 

「さて、それじゃあ救出作戦を練ろうか」

「既にC&Cやゲーム開発部、ヴェリタスは動いていますから、行動は早めに起こした方が良さそうですね」

「えっと、確かエンジニア部の協力でアリスちゃんの居る場所に潜入するって聞いたわ……!」

「そうなると、多分……」

 

 ノアとユウカの言葉にエイミは自身の端末を確認する。そうして表示された時刻を一瞥した彼女は、天井を見上げながらふと呟いた。

 

「――そろそろ到着している頃かも」

 

 ■

 

 エリドゥ内部、中央隔離施設。

 明瞭過ぎる光というものは時折人の精神を狂わせる、暗すぎる環境もまた然り。重要なのはリズムであり、明暗の切り替えである。

 その部屋は常に薄暗い光で満たされていた、明るすぎず暗すぎず、四方を隅々まで確認出来る程度の光量は確保しつつ、しかし明瞭と云うには薄暗い――そんな絶妙な塩梅。

 リオに囚われたヒマリへと宛がわれた部屋、隔離施設の内部は二つの部屋に分かれている。メインルームとバスルーム、そしてメインルームには簡易ベッドが一つ置いてあるだけで、他は何もない真っ白な空間。必要最低限、正に無駄を嫌う彼女の性格をこれ以上ない程に表現している気さえする。反対に壁や床、天井の強度は計り知れない程に予算が掛けられており、少なくともヒマリが個人で突破できるような代物ではない事は確かであった。

 

『――ヒマリ、食事を持って来たわ』

 

 暫しぼうっと周囲を眺めていたヒマリの耳に、天井のスピーカー越しに声が届く。見れば出入口脇に設置された小型の受け取り口から稼働音が響き、内部から食事が顔を覗かせた。出された食事、それを見たヒマリは思わずと云った風に顔を顰める。

 

「……またコレですか、リオ、貴女のセンスにはほとほと呆れ果てますね」

『生命維持、及び活動に必要な栄養素は全て備わっているわ、味も問題なし、五分未満で摂取可能……一体何が不満なのかしら?』

「あぁ、その汚泥に塗れた感性では理解出来ないのも納得です、しかしコレを見て貴女は本当に何とも思わないのですか?」

 

 そう云ってヒマリは車椅子を動かし、受け取り口から食事を取り出す。配膳されたそれを四隅に設置された半円形のカメラへと突き出すと、嫌悪感を滲ませた口調のまま告げた。

 

「このドリンク、ペースト状の食事、簡素なブロック――全く美味しそうに見えません」

『味に関しては味覚センサー(味認識装置)で測定、触感に関しては物性測定器(テンシプレッサー)やテクスチャーアナライザ、匂いに関してはHS/GC-MS(ヘッドスペース・ガスクロマトグラフ)で、それぞれ客観的な美味しさを数値化してあるわ、その値は既存の美食とされるものの水準を上回っている、この食事は完全食として十分な代物よ』

 

 答えるリオの口調は淡々としていて、何ら問題を認識していないのは明らかであった。歯応えはブロック体、柔らかな触感はペースト状とゼリー状のもので、更に色合いは食欲減退色は用いず豊かに。少なくとも数値上、これらの食事は美味とされる食事と同値、或いはそれ以上の値を持っている。

 ならば、これは『美食』である。リオの持つ基準であれば、そういう事になった。

 ヒマリは手にしたスプーンでオレンジ色のゼリー、赤色のペースト状の何かを突きながら口元を歪める。

 

「私は外観に関して問うているのですよ、リオ」

『……食事に見た目は必要なのかしら?』

「……はぁ」

 

 まるで腹に入れば全部一緒ではないかと云わんばかりの解答に、ヒマリは溜息を零した。恐らくこの相手に何を話しても無駄なのだろう、そんな気持ちさえ沸々と湧き上がって来る。全く、これだから普段甘味(スイーツ)を口にしないリオは、味や触感も大事ではあるが、見目もまた食欲を刺激する重要な要因だと云うのに。ゼリー状の栄養食を軽く崩しながら口に運ぶヒマリは、何とも不機嫌そうな表情を浮かべながらそんな事を思った。

 

「全く、これがミレニアムのビッグシスターなどと、呆れて何も云えませんね」

『……貴女はいつも悪し様に私を罵るわね、陰気だとか浄化槽に浮かぶ腐った水だとか、それでもきちんと食事は摂る、私の提供しているものだと云うのに』

「事実を口にしているに過ぎません、それにリオ、貴女の目的がそもそも私を害する事ならばこんな回りくどい事はしないでしょう? 食事に毒を盛る手間を考えれば、私の何処でも良い、銃で撃つなり、爆弾を投げ込むなり、或いは部屋を崩して圧し潰すなりした方が手っ取り早いのですから」

『……はぁ』

 

 恐らく彼女にとっては、それが絶対的な答えなのだろう。だからと云ってこうも自然と振る舞えるのは豪胆なのか、或いは合理的なのか。カメラの向こう側で額を抑えているであろうリオを幻視しつつ、ヒマリは食事の手を止めながら監視カメラ越しに彼女を睨み付ける。

 

「リオ、はっきり云って貴女が現在為している事は忌むべき行為です、正直な所――正視に耐えません、極めて不快です」

『……ヒマリ』

「以前より貴女とは馬が合わないと思っておりましたが、今回の一件でその考えはより強固なものとなりました、えぇ正に雪原に佇む月に照らされた花、雪月花である私と燃える塵である貴女、いえ、この場合は不燃の方が適切でしょうか……?」

『そんな風に私を真正面から非難する事が出来るのは、このミレニアムで……いいえ、このキヴォトスでもヒマリ、貴女くらいなものでしょうね』

 

 あぁでもない、こうでもないとリオを罵倒する語彙を探すヒマリに、リオは思わず呆れ半分、感心半分と云った様子で呟く

 仮にもミレニアムトップの存在、そんな自身を相手に真正面から罵詈雑言を浴びせられる存在など、彼女が知る限りヒマリ以外に存在しない。ヒマリは自身に絶対的な自信があり、それを裏付けるだけの実力と才覚を備えている。それはリオも認める所だ。

 そう、だからこそ――。

 

『……そんな貴女だからこそ、私が今から為そうとしている事を理解してくれるのではないかと、そう期待していたわ』

「――アリスのヘイローを破壊する行為を、ですか?」

『……えぇ』

「あり得ませんね」

 

 やや気勢を落として告げられた言葉に、ヒマリはしかしハッキリとした口調で断じた。そこには僅かな揺らぎすら存在しなかった。彼女は監視カメラに鋭い視線を向けたまま、辟易とした様子を隠さず言葉を続ける。

 

「貴女は自身の行いをミレニアム、延いてはキヴォトスを守るためのモノ、そういった類の行為だと信じているのでしょうけれど」

『………』

「結局のところ少女を誘拐して都市に監禁し、ヘイローを破壊しようとしているだけではありませんか、そんな非道の何処に賛同する余地があると?」

『そうね、その言葉に間違いはない、けれど――』

 

 言葉にすれば余りにも端的で、何の疑いのない非道。しかしそれは、ただ自身の行動、その表面をなぞっただけの言葉に過ぎない。その理由も、意図も汲んではいない、そう言及しようとして、リオは思わず口を閉じた。ヒマリが敢えてその様な云い回しをしたのだと気付いたからだ。遠回しな非難、或いは糾弾とも云うべきか。リオは暫しヒマリを見つめ、それからそっと息を吐き出す。

 

『いえ、そうね、貴女はそう考えているからこそ私の行いを理解出来ず……許容も出来ないのでしょう』

「えぇその通りです、私は貴女の計画、及び行動に決して賛同しません――そしてそれは、シャーレの先生も同様だったのではありませんか?」

『………』

 

 ヒマリが先生に関して言及した途端、リオはその口を閉じた。

 図星だ、リオは昔から、自身の感情を態度に出しやすい。他の生徒からは何を考えているのか分からない、感情が見えないと良く口にされるが、とんでもない。彼女はこれ以上ない程に内面の揺らぎを表に出す、ただその方法が他者と比較し露骨な沈黙、気配の変化、言動の揺らぎなどからしか察する事が出来ないだけで。

 不本意な事ではあるが、ヒマリはその付き合いの長さから直感的に彼女の感情、その揺らぎを感じ取れるようになっていた。

 十中八九、リオは先生に今回の計画、その協力を要請したのだろう。そして完膚なきまでに断られ、何らかの形でアリスを奪取した。

 先生の生徒に対するスタンスに関して、ヒマリは良く理解している。自身の身体に弾丸を撃ち込まれ、瞳と腕を奪われて尚敵対する事を選ばなかった彼の事である。最後までリオと会話を試みたに違いなく、暴力に訴えるなど以ての外。唯一懸念すべきは先生自身の負傷や不調に関してだが……。

 彼女がどうやってアリスを奪い去ったのか、目に浮かぶ様だった。

 

「どのような言葉を交わしたのかは分かりませんが、貴女がアリスを誘拐した以上、先生は必ずあの子を――自身の生徒を取り戻しに来るでしょう」

『……そうね、先生がアリスを回収しに来る確率は、ほぼ確実と云って良い』

 

 本来であれば自身の指揮下にあったC&C、ミレニアム最高峰の戦力も向こう(敵対)側に渡ってしまった。ネルを始めとしたエージェント、アスナ、カリン、アカネの四名が此方に味方する事はない。今更セミナーに協力要請を出す訳にもいかず、ましてや多額の予算を承認も得ずに使用し、横領した時点でその選択肢はあり得ない。他部活動の状態も悪くて敵対的、良くても中立、積極的な賛同者は期待出来ず。

 ――はっきり云って、状況は決して良好とは云えない。

 

『――全く、誰ひとり私の事を理解してはくれないのね、ただの一人でさえも』

 

 ぽつりと零れた言葉、それは弱音か、或いは単に零れた想いか。僅かな寂しさを孕んだそれにヒマリは一瞬驚いた様に目を見開き、それから重々しく口を開いた。そこには彼女らしくない、憂いの色が含まれていた。

 

「リオ……あなたはそれを理解しているというのに、何故この様な」

『それでも、構わないと(やり遂げなければと)思ったからよ』

 

 万人に理解されなくとも。

 多くの生徒に非難されようとも。

 そんな想いを噛み殺したリオは自身の額を指先で何度か叩き、湧き上がる色に蓋をする。自身の立場はミレニアムの生徒達を守る為にある。感情に左右されず、ブレず、曲がらず、合理的判断を以て取捨選択を行う。

 その為の立場、その為のビッグシスター。

 リオはそう、自身に云い聞かせる。

 

『ヒマリ、貴女はこの前云っていたわね、私がセーフハウスを作っているんじゃないかって……より正鵠を射るのであれば、このエリドゥは至る未来に起こる脅威を防ぎ、迎撃する為に建てた要塞そのもの』

「……リオ」

『理解されなくとも良い、この世が私を悪と規定しても構わない、例え汚泥と罵られようと、幾人に憎悪を向けられようとも――私は、私が正しいと信じた道を進むだけ』

 

 その為に準備を為して来た。破滅を回避する為に、キヴォトスを、ミレニアムを救う為に。

 既に賽は投げられた、ならば後はどのような出目が出るか――そして、その結果を最善(最低限の犠牲)のものにする為、彼女は今も尚足掻いている。

 例え誰に理解されなくとも――。

 

『それまでどうか、そこで大人しくしていて、ヒマリ』

 

 リオは決して歩みを止めない。

 最後に告げられた言葉、それと同時にスピーカーから途絶音が響き、静寂が再び部屋を覆った。ヒマリは背凭れに身を預けながら、草臥れた様に天を仰ぐ。彼女の表情には、憐憫の色が滲んでいた。

 

「――その合理(正しさ)は己と他者を傷付けるだけだと、貴女はそう理解している(知っている)というのに」

 

 ■

 

「……起こりうる全ての変数を考慮し、計算した上で――この段階まで事を進めた私が目標を達成する確率は九十九パーセント以上、備えは十全、あとは実行するだけで良い」

 

 エリドゥ、中央タワー管制室。

 要塞都市全ての制御を一手に担うその場所で、彼女はひとり一面に広がるモニタの光を浴びながら、呟きを漏らす。つい先程隔離区画に収容していたヒマリと言葉を交わしたリオは、手元のコンソールを見下ろしながら眉間に皺を寄せていた。

 既にアリスは奪取し、ヘイロー解体の準備は整っている。コンソールに実行コマンドを入力すれば、後は機械的に全ては進められる。そして今、それを阻むものは何もない。リオは手元を凝視しながら、再び呟きを漏らす。

 

「……実行、するだけで良い」

 

 そう、それだけだ、この指を動かす――それだけで全ては終わる。

 リオは暫し沈黙を守り、ふとアリスの眠る部屋の扉を一瞥した。今尚、寝台で横になっているだろうアリス、彼女の意識は既にない。せめて苦しみが訪れない様、あらゆる物事はアリスが眠っている間に行われる。彼女のヘイローを破壊すればミレニアムは、キヴォトスは救われる。

 その演算結果に、間違いはない筈だ。

 

「………」

 

 だが、それでもリオの指先がコンソールに触れる事はなかった。彼女の行動を縛る、阻止する最後の障害。それはリオが計画に入れていなかった、前提条件のひとつ。

 それこそが感情、内に秘めた心、覚悟の揺らぎ。

 自身の判断一つで今、ひとつの命を奪うという現実が彼女の肩に重く圧し掛かっている。

 そうだ、機械だ何だと口にしながら、リオは心の奥底で理解していた。

 微かに震える指先を見れば誰だって分かる。

 自分自身が、アリスという存在を――。

 

『リオ様』

「……トキ、何か問題でも?」

 

 そんな彼女の耳に届く声。不意に開いた通信、表示されたホログラムモニタを前にリオは指先を握り締め、内に怯懦(震え)を隠す。画面に映し出されたトキは相変わらず何の感情も覗かせないまま、淡々とした口調で報告を齎した。

 

『エリドゥの監視システムよりアラート、都市内部にて識別コードの確認出来ない反応が検出されました』

「――そう」

 

 彼女の武装は現在エリドゥのあらゆるシステムと接続されている、云わば歩く管制室とも呼べる代物。リオは応え、ゆっくりと背筋を正す。素知らぬ顔でコンソールを叩き複数のモニタを切り替えれば、映し出される生徒、その姿。

 リオはその影を見つめながら、思わず吐息を零す。

 

「……結局、データが示した通りになるのね」

『ご指示を』

「えぇ、これより迎撃プランを開始するわ、準備は?」

『既に』

「流石ね――なら手筈通りに、トキ」

『イエス、マム』

 

 力強く答え、トキは通信を終了する。こうなる事は予測していた、故に迎撃プランに余念はない。要塞都市の名は伊達ではなく、其処に自身の切り札であるトキが加わればまず負けはないだろう。演算により導き出された結果、そしてリオ自身の計算によって導き出されたそれは絶対だ。

 途切れ、再び一人きりになったリオは呟く。

 

「全てが終わったらヒマリ、貴女も――」

 

 モニタに表示される少女、ヒマリを一瞥しリオはタブレットを握り締めた。

 

「そして、シャーレの先生だって、きっと……」

 

 脳裏を過るのは自身の計画を否定し、最後の最後までアリスを連れて行かせはしないと抗った先生。その必死の叫び、想いを彼女は身を以て理解していた。リオが協力者として期待し、言葉を交わし、そして拒絶した両名。

 この計画が遂行され、ミレニアムが、キヴォトスが救われたのなら。

 

「きっと――」

 

 俯き、彼女は震える声を絞り出す。

 

 ■

 

 

『アリスはいつか、立派な勇者に――!』

 

 

 ■

 

「ぅッ――……!?」

 

 脳裏に過った映像、声、それに胃が裏返った。

 咄嗟に口元を抑え、その場に膝を突くリオ。コンソールデスクに縋る様にして崩れ落ちた彼女は、荒い息を繰り返しながら冷汗を額に滲ませる。手放したタブレットが軽い音を立てて床の上を滑り、彼女の青白い顔色がモニタの光によって照らされた。

 天童アリスについて、彼女は必要最低限の情報だけを収集していた。それは自身の覚悟を揺らがせない為であり、同情や憐れみを抱かない為であり、必要がないと判断していたからだ。どの様な結果を得るにしろ、彼女のヘイローを破壊しなければ終焉は回避出来ない、ならば彼女自身を知る事に意味はないと下した結論。

 だが、それでも得た彼女の断片がリオの心を苛む。

 内側から突き穿つ様な不快感と罪悪、それがリオを糾弾していた。

 だが――。

 

「っ、は――確り、しなさい、調月リオ……ッ!」

 

 デスクに顔を埋めたまま、リオは絞り出すように叫び、口元を拭った。両手を握り締め、自身の額を何度も叩く。齎される痛みが、衝撃が、僅かながら自身の罪悪を掻き消してくれる。そうしなければ、何かに圧し潰されてしまいそうだった。

 軈てコンソールデスクに手を掛け、覚束ない足取りで立ち上がったリオは挑む様にモニタを凝視し、告げる。

 

「――誰かが、やらなくちゃいけない事よ」

 

 目尻から零れる色、それを拭い、リオは唇を噛み締める。

 涙は零さない――零してはいけない。

 その資格は自身には無い。仕方なく、嫌々やったのだと叫んだ所で、救われるのは自身の心だけだ。己の罪悪に耐え切れず流す涙の何と醜悪な事か。

 分かっていた事だ――分かっていた筈だ、全て、全て。

 それでも尚揺らぐのは自身の精神が未熟であるから。だからこそ彼女は自身の剥き出しとなった心を、合理と云う名の鎧で守る。理解し、覚悟し、罪悪を背負い尚も進む。

 幾人に否定されようとも。

 幾人に罵倒されようとも。

 それでも――。

 

 生徒(いのち)一人(ひとつ)と、キヴォトス全土の未来(遍く人々の可能性)

 

「――これが、最も合理的な判断(犠牲の少ない道)なのだから」

 

 どちらかを選ぶかなど、決まっていた。

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