ブルーアーカイブを、もう一度。   作:トクサン

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誤字脱字に感謝ですわ!
今回約一万七千字ですの!


差し出された掌、その温もりに

 

「お、お久しぶりです、先生……え、えへへ」

「うん、久しぶり、先生」

「……相変わらず、無茶しているみたいだね」

 

 彼女、サオリの背後に立つ三人がそれぞれ声を上げる。全員が口元をマスクで覆い隠し、その顔はハッキリと目視する事が出来ない。しかし特徴的な装備をした四人組だとエイミは思った、一人はロケットランチャーらしき火器を担ぎ、もう一人も大型の狙撃銃を抱えている。残りはSMGとARが一人ずつ、役割が明確な部隊である。ある種C&Cに近い理念を感じるが、全員をそれとなく観察するエイミはゆっくりとマルチタクティカル、その銃口を降ろした。

 

「彼女達の恰好、ミレニアムの生徒には見えないけれど」

 

 訝し気な声色を隠す事無く呟きを漏らすエイミ、先生はその声に肯定を示しながら僅かな喜色を滲ませ云った。

 

「学外から駆け付けてくれた生徒なんだ、正確に云えば偶然ミレニアム自治区に来ていた子達、かな」

「学外――?」

 

 この騒動に学外の生徒に助力を頼む――それは最悪、内政干渉になりかねない。無論、それを知らない先生ではないだろう、ならば彼女達は『連邦捜査部シャーレ』としてこの場に立っているのか。エイミがそんな想いと共に彼女達を見つめれば、一歩踏み出した先生が彼女達に声を掛けた。

 

「こうして来てくれたって事は、力を貸してくれるんだね?」

「あぁ、私達の力はいつ如何なる時であっても先生に預けると決めている、必要ならば何処であっても駆け付けよう」

 

 先生の言葉に全幅の信頼を以て頷いたサオリ。自身のリーダーの返答に、後方に立つ三人もまた同意の意思を示す。

 

「……リードはあげるって、そう云ったから」

「せ、セーフハウスも使わせて頂いていますし……!」

「沢山、助けてもらったから、今度は私達の番だよね」

 

 ミサキ、ヒヨリ、アツコ、彼女達も胸中は同じである。そうでなければそもそも、この場にこうして現れる事も無かっただろう。彼女達の返答に先生は安堵した様に笑みを零し、深い感謝を抱いた。

 

「ありがとう、本当に助かるよ」

「……先生から受けた恩に比べれば、些細なものだ」

 

 サオリはそう云って肩を竦めると、ぽつりと声を零す。エデン条約で受けた恩、それを彼女は昨日の事の様に思い出す事が出来る。あれだけの尽力を受けて尚、先生の提案を突っ撥ねる様な真似は出来ない――様々な物事を学んだ今でなくとも、自身はそう判断しただろう。サオリにはそんな確信があった。

 

「端末に送った内容は確認してくれたかい?」

「あぁ――私達は『彼女』と同行し、目標を救出、その後指定されたポイントに向かえば良いんだな?」

 

 彼女、と告げた瞬間向けられる視線。サオリの瞳はエイミを捉えていた。まさか自身に同行させるとは思わず、エイミは一瞬驚きに目を瞬かせる。

 

「うん、出来れば並行して周辺を探って貰えると有難いけれど、無理はしなくて良い」

「了解した、此方は出来る範囲で地形の把握、敵性勢力の発見に努める」

「頼むよ」

「……必要なら、部隊を分けて先生の護衛に充てるが」

 

 声には若干の不安が残っていた。彼女達もまさか先生が殆ど単独で動く事になるとは思っていなかったのだろう。スクワッドは基本チームとして動く事で本領を発揮するが、だからと云って個人技能が劣っている訳ではない。ツーマンセルでの任務行動も当然、アリウスにて学んでいる。

 そう云った意味でチームを分け、二人を先生の護衛に就かせる事を提案するが――先生は彼女の提案をやんわりと断った。

 

「大丈夫、今は皆で動いて欲しい」

「分かった……先生にも考えがあるのだろう、問題が発生した場合は連絡してくれ、現場に急行する」

 

 先生が大丈夫と口にするならば、自分達はそれを信頼するだけだ。サオリはそんな感情を滲ませながら、確りと頷きを返す。

 

「――その校章」

 

 不意に、エイミの声が周囲に響いた。四人の様子を探っていた彼女の視界に、見覚えのあるマークが映っていた。

 棘の冠を被った髑髏に薔薇の紋様、その様な特徴的な校章を持つ学園を――エイミは一つしか知らない。サオリとヒヨリはベルトの帯に、アツコにはベストの中央に、ミサキは武装の外装に、それぞれ校章が刻まれている。

 エイミの凝視するそれに手を翳すと、サオリは表情を歪め重々しい声と共に呟いた。

 

「呪いの様なものだな、生まれと云うのは」

「呪い?」

「……あぁ、そうだ」

 

 エイミの問い掛けに、弱々しく肯定を返す。これは一生背から降ろせぬ、呪いだ。サオリは続けてそう云った。

 だが同時に祝福でもある――どれだけ袂を分かとうとも、自分達が生を受けたその場所は唯一無二で在り続ける。アリウスという場所(故郷)は、彼女達にとって複雑な感情を抱かずには居られない場所だった。

 

 自分達が生まれた場所、自分達の根源を形作った場所。

 痛みも、苦しみも、絶望も、暗闇も――全てあの場所で知った。

 同時に、微かな希望(未来)幸福(家族)もまた、あの場所で知った。

 その比率が如何に偏っていたとしても、それを否定する事は出来ない。

 家族との出会いを、ささやかでありながら、けれど確かに輝きを放っていた日々を――サオリはまだ、ずっと抱えて生きている。

 

「私達は『そう在る様に』と育てられ、教えを受け、疑いを持たず生きて来た、それが正しいと、それ以外の道が無いと思っていたんだ」

「………」

「けれどいざそれを捨て、異なる生き方を望んだ時、同時にそれまでの人生が常に自分達を苛み始める、誰も苦しみからは逃れられない――過去を無かった事には出来ない」

 

 サオリの指先が強く、その校章を擦る。その指先は何よりも雄弁に、彼女の内面を語っている様に思えた。

 スクワッドがその校章を身に着け、この場に立っているのは――それだけの理由が、罪悪があるから。何も自罰的になっている訳ではない、ただ逃げるべきではないと思ったのだ。

 過去と――自身の背負う罪悪と。

 一人では圧し潰されそうなそれ、けれど家族(仲間)と一緒であれば耐えられる。

 サオリはそう信じている。

 

「――今回の一件も、それに近しい状況だと聞いた」

「……それは、アリスの事?」

 

 エイミは、僅かな逡巡を経て問う。既に彼女の中で四人の素性は割れていた、その正体を確信していた。

 サオリはエイミを一瞥すると、目を伏せながら頷いて見せた。

 

 天童アリス――彼女の境遇をスクワッドは大まかにだが把握している。

 

 自身の望む未来と、自身の生まれた理由が異なった時――そこには強い摩擦が生まれるだろう。その道を行けば決して幸福を、未来を手にする事が出来ないと理解しているのに、身に刻まれた教えが、環境が、本能が、前に進む事を許してくれない。暗澹たる未来を前にした時、恐れずに突き進む心の強さを持つ者は一握りだ。

 暗闇で蹲り、一歩を踏み出す勇気も、力も無い時――差し出された手の有難さと暖かさを、きっと彼女は知らない筈だ。

 

 ――だから、今度は自分達の番だと思った。

 

 あの時、一番最初に先生が手を差し伸べてくれた。何度振り払われようとも、恩を仇で返したとしても、それでも何度も、何度も。

 そしてその手を握った時、一時とは云え幾人もの生徒が自分達を助けてくれた。あの時の衝撃を、胸に込み上げる感謝と祈りを、サオリは一生忘れはしない。

 与えられたのならば、返さなければならない。

 それが自分達の罪悪に対する、僅かな償いとなるのであれば尚更。

 

「私達の正体について、見当は付いていると思う、信頼も、信用も出来ない事は承知している、だが私達を信じられずとも……先生を信じて欲しい」

「先生を――」

「あぁ、そうだ」

 

 暗闇の中で微かな光を放つ瞳が、真っ直ぐエイミを見返した。

 

「――私達は、先生を裏切る事だけはしない」

 

 力強く放たれた言葉だった。サオリの背後に立つ三人もまた、その声にゆっくりと頷きを重ねる。

 サオリとエイミの視線が交わる。互いが互いの瞳を射貫き、言葉よりも雄弁に語り合う。

 サオリの身体が強張っていた、彼女らしくもない、それは拒まれても仕方がないという想いから生まれる緊張だった。

 

「………」

 

 エイミは暫しサオリを見つめ、自身の胸元を指先で撫でる。それは何か奇妙な感覚が渦巻いていたからだ。感情と云うものを良く理解していない、そう自身で吐露するエイミは合理性ではなく、不意に蹲りそうになる不快感に眉を顰めていた。だがそんな彼女の脳裏に、先生とヒマリの笑顔が過る。屈託のない笑みを見せる二人の姿を思い出すと、胸中に渦巻いていた不快感が――微かに和らいだ気がした。

 

「――うん」

 

 頷き、エイミは手を差し出した。余りにも無造作に、ぶっきらぼうに。

 

「……これは?」

「握手」

 

 言葉は端的で簡素、しかし差し出されたそれに怒りや憎しみと云った感情は見えない。呆然とするサオリを見つめたまま、エイミは言葉を続ける。

 

「喧嘩したり、仲違いした時は、こうやって握手をして仲直りをするって聞いたから……別に私達が直接喧嘩した訳じゃないけれど、色々な蟠りだとか、感情的で複雑な変数が絡んでいる訳だし、こうした方が良いと思って」

「――そう、なのか」

「うん、多分」

 

 感情――自分で口に出しておいて戸惑うが、多分これはそういう事なのだろうとエイミは判断する。

 しかし差し出されたそれに一番困惑を覚えていたのは、きっとサオリだった。彼女はどういう表情を浮かべれば良いのか、どんな言葉を掛ければ良いのか、それすらも分からずに恐る恐るエイミの手を取る。繋がれたそれは、少しだけ――いや、かなり暖かく感じた。

 

「ん……あ、待って、やっぱりアイスとか、お菓子の方が良かったかも」

「は……アイス? お菓子?」

 

 唐突に放たれた言葉、見開かれた瞳と共に呟かれたそれは、余りにも場違いに思えて、サオリは一体何の事だとばかりに呆れた声を返す。しかし当の本人は飄々とした態度で指先を立て、云った。

 

「うん、喧嘩した子と仲直りする方法って、女子高生向けの雑誌に書いてあった、美味しいスイーツ店とか、アイス屋さんに行って一緒に甘味を食べるのが効果的らしいよ」

「あっ、その記事、私も読んだかもしれません! 確か『LALA』、今月号の六十八頁の……!」

「……はぁ」

 

 呟かれた言葉にヒヨリが食いつき、ミサキが露骨に呆れた溜息を吐き出す。アツコはそんな二人を眺めながら、隣でクスクスと笑い声を零した。サオリは一瞬面食らった様に目を瞬かせ、意外そうな声色と共に呟く。

 

「……お前も、その手の雑誌を読むのか」

「うん、私最近の流行とか分からないから友達の話についていけなくて、雑誌とかネット記事でリサーチしているの」

「そういう、ものか」

「そう」

 

 大変だな。

 呟かれたサオリのそれは、何処か別世界の事を眺める様な色が籠っていた。だがその中には、ほんの僅かな羨望に似た響きがあった様に思う。

 エイミは咳払いを挟み、思考をリセットする。甘味が効果的という話はあったが、しかしこの場にスイーツの類などある筈もなく。故に今はこうして握手を交わす事が最善であると思い直したのだ。

 

「まぁ兎に角、ヒマリ部長は貴女達の件に関して穏健派だし、私も思う所が無い訳じゃないけれど――今回は味方として来てくれたんでしょう?」

「あ……あぁ、勿論だ」

「なら大丈夫、それに一緒に戦った方が効率的」

 

 告げ、エイミは不器用ながら笑みを浮かべようとした。けれど、どうにも上手くいかなくて――結局いつもの、何とも云えぬ仏頂面のまま告げる。

 

「よろしく、私はエイミ――和泉元エイミ」

「――……錠前サオリだ、よろしく頼む」

 

 一瞬、サオリは言葉を詰まらせた。一拍置いて彼女の手が自身の口元に伸び、顔の半分を覆っていたマスクを取り外す。

 

「……ぁ」

 

 晒された口元はエイミと同じように、不器用な微笑みを浮かべようとしていた。それが彼女なりの、精一杯の御返しであり、歩み寄りだと分かった。けれど余りにも歪すぎて、不格好過ぎて、エイミは思わず吹き出した。

 

「――ふふっ、何それ?」

「あ、いや、その……すまない、笑う事に慣れていないんだ、最近はマシになったと、そう思っていたんだが」

 

 恥ずかしそうに視線を逸らし、云い訳を口にするサオリ。アツコの用意したスマイルマスクの一件で、何だかんだ笑みというものに抵抗が無くなっていた彼女であったが――どうにも自身の表情筋は強固であるらしいと、恥じる様に俯く。

 しかし、それが逆に自然な笑みを誘った。エイミの表情が朗らかな微笑みと変わり、釣られてサオリも笑った、笑う事が出来た。

 二人は改めて握手を交わし、友好の証とする。それは儀式的なものかもしれないが、それでも彼女達にとっては大きな意味を持っていた。

 

「え、えっと、槌永ヒヨリ、です……!」

「……戒野ミサキ、別に覚えなくても良いよ」

「秤アツコ、よろしくね」

「――うん、全員記憶した、大丈夫」

 

 後方に立つスクワッドの面々、その全員と握手を交わすエイミ。その表情はすっかり平常時に戻ってしまったが、それでも敵意や悪意と云ったものは感じない。

 アリウス以外の生徒、その交流にサオリは今しがた繋いだ掌を見下ろし、ぽつりと想いを漏らす。

 

「……まさか私達がこうしてまた、他の学園の生徒と手を取り合う事が出来るとはな」

 

 声は柔らかく、喜びが滲んでいた。

 思い返すのはアツコを奪還する為に至聖所へと駆け抜けた一幕。あの時もこうして先生ではない、多くの生徒に助けられて成し遂げた事だった。だから感慨深く思ってしまう――僅かな感傷に浸ったサオリは再びマスクで口元を覆い、表情を隠した。

 

「サオリ」

「っ……先生」

 

 自身の肩に触れる先生の手を感じ、振り返ったサオリは申し訳なさそうに首を振る。

 

「済まない、任務開始前だと云うのに、こんな――」

「まさか、駄目な事なんて無いさ」

「……先生?」

 

 自身の行動がこの場に相応しくなかったと思い込むサオリは、しかし腹の底から嬉しそうに笑う先生を見て面食らった。

 

「そうだね、本当なら沢山話したい事はあるんだ、でも今は――」

「あ、あぁ」

「また落ち着いたら話そう、セーフハウスでも、シャーレでも構わない……私はずっと待っているから」

 

 先生の言葉に頷きを返し、サオリは帽子のつばをそれとなく深く下げた。何となく今のやり取りを見られていたのが気恥ずかしく思えて、仕方なかった。

 それは先生の自分達を見る瞳が余りにも優しく、穏やかだった事もあるだろう。まるで眩しいものを見る様な、温かみに満ちた色だった。サオリは速足でエイミの傍に身を寄せると、目元を隠したまま感情を押し殺し告げる。

 

「戦闘の露払いは任せて欲しい、元より潜入任務は私達の得意とする所だ」

「あ、うん、分かった」

「……では出発する、アツコ、私の後ろに、ヒヨリとミサキは後衛を頼む」

「は、はい!」

「分かった」

「……了解」

「――先生、では行ってくる」

「うん」

 

 手早く指示を出し、地上へと繋がる廊下へと足を進めるスクワッド。強弱の差はあれど全員が先生に手を振り、暗がりへと姿を消していく。その背中を見送る先生の肩に、エイミの手が掛かった。

 

「……ねぇ、先生」

「ん?」

「もしかしてこれが狙いだった?」

 

 エイミの言葉に先生は目を見開いた。しかし、それは本当に僅かな間だけで、先生はほんの一瞬で普段通りの表情に戻ってしまう。

 

「えっと、狙いというのは」

「スクワッドと私達――他人(生徒)と接点を持たせたかったのかなって」

 

 それは彼女が感じた違和感、その断片。しかし確信に至る程のものでもなく、エイミは自身の顎先に指を当てながら天井を仰ぎ、ぽつぽつと言葉を並べた。

 

「私と部長、他と比べて元々彼女達(スクワッド)に敵対的って訳じゃなかったから、最初に交流させるには丁度良かったのかなぁとか、そこから彼女達の知見と云うか、そういうのを広げようとしたのかなって……私の考えすぎかもしれないけれど」

「……別に、意図していた訳ではないんだけれどね」

 

 うーんと唸りながら呟かれたそれに、先生はハッキリとした肯定も否定も口にしなかった。彼の表情には微かな驚愕と安堵が滲んでいる、エイミは自身が人の機微に疎い方であると自覚していたが、それでも今だけは何故か、そう感じる事が出来た。これも彼女達と交流した結果なのだろうかと、内心で首を捻る。

 

「ただ――やり直す機会は私が何度だって作るって、彼女達とそう約束したんだ」

「……そっか」

 

 呟きに、エイミは声を返した。其処には様々な感情が籠っていた。

 閉じた世界では、可能性は見えてこない。様々な生徒、世界を知ってこそ彼女達の人生は彩を取り戻す。先生はそう信じている。

 

 エイミは思う。きっと、先生にとっても半ば恐怖を伴う行為だっただろう。博打とまでは云わないが、此処で自分とスクワッドが戦闘に発展する可能性だって考えた筈だ。ならば先生が『今』を選んだ理由はなんだろう? 自身に問い掛け、エイミは自分の胸元を摩った。

 多分――これ(感情の自覚)もまた、答えの一つだった。

 先生は自分に、これを教えようとしてくれたのだろうか。

 

「でも私が作れるのは機会だけだ、そこからは本人たちの意思次第――勿論、エイミもそうだよ」

「うん、分かっている」

 

 友好の押し付け――そんな事を先生が望む筈もなし。それを十二分にエイミは理解している、強制的に作られた和に意味など無い。だがそうならば、先生は此処で自分達が云い争う様な事になったとしても、それはそれで良かったのだろうか? ふと、そんな事を考えた。

 多分、それもまた一つの経験になると、先生は肯定するのだろう。どんな状況になったとしても、それは自身の責任であると口にして。幸い、そうなる事は無かったけれど――エイミは自身の胸元を見下ろし、指先で軽く叩いた。

 胸元に渦巻いていたあの不快感は、もう感じない。

 

「うん……それじゃあ、行ってくるよ、先生」

「頼むよ、エイミ」

「――任せて」

 

 ごく自然に笑って、スクワッドに続き駆け出したエイミ。その背中を見送る先生は思う、彼女だって自然に笑う事が出来る。ただ、そう、少し不器用なだけなのだ。

 

 先生はステーションに一人取り残され、誰の気配も感じなくなってから――懐に仕舞っていたタブレットを取り出し、アロナの名を呼んだ。

 

「――アロナ」

『はい、先生!』

 

 途端、画面一杯に広がる彼女の顔。先生はタブレットを見下ろしながら、何処か安堵した様に息を吐き出す。どんな状況であっても、アロナを見ると少しだけ慰められるような気がした。

 一度目を瞑り、意識を切り替える。

 此処から先は戦場、一瞬の油断が命取りになると自分に云い聞かせる。

 

「地上の戦況は?」

『えっと――あまり、芳しくはないみたいです』

 

 先生の問い掛けに答えたアロナは、手元を動かし幾つかのウィンドウを先生の正面に配置する。そこにはC&C、ゲーム開発部、エンジニア部と云った面々を表示する点が動いており、エリドゥのマップが全体に広がっていた。

 

『現在C&Cは分断され、ゲーム開発部とエンジニア部は苦戦中みたいです、エリドゥ全体のインターネット網は完全に遮断されています』

「電子戦闘面は全てリオに掌握されているか――そうなると、それを取り返すには」

 

 彼女達の協力が必要不可欠――そう思考した途端、先生の耳にコール音が届いた。見れば連絡用の端末に着信、先生は良いタイミングだと内心で零しながら画面をタップする。

 

『――先生、聞こえる?』

「聞こえているよ、ちーちゃん」

『ちーちゃんって……はぁ、まぁ別に良いけれど』

「ごめんごめん、それで――首尾は?」

『丁度今から仕掛ける所』

 

 連絡を寄越したのはヴェリタスの副部長であるチヒロ。彼女は端末の画面越しに自身を映し、何とも云えない苦笑いを浮かべていた。浮かぶ表情の中には、若干の緊張が見て取れる。

 彼女が居る場所は薄暗く、はっきり視認する事は出来ないが、何処か廊下の様な場所だった。チヒロはその片隅に身を隠しながら、手にした愛銃――バックドアの銃身を撫でつけると深く息を吐き出す。

 

『バックドアを使うの何て、随分久しぶりな気がするよ』

「ごめんね、無茶なお願いをしてしまって……」

『先生の頼みは断れない、それにアリスの件についても賛同出来ないし、多分先生から応援を頼まれなくても勝手に動いていたと思う』

 

 先生の言葉に軽い調子で言葉を返すチヒロ、これは決して嘘などではない。恐らく先生に頼まれなくとも、後輩たち(ヴェリタス)が動いているのだ――何だかんだ独自に動いていた可能性が高かった。故に感謝される必要はないと、チヒロはそう断ずる。

 

『問題は警戒網を敷いているドローンを突破して、尚且つ防衛出来るかだけれど……ユウカとノアの二人はノータッチだって云うし、相手は普通の警備ドローンの類だけ、それに今回は心強い味方も居るし、ね?』

『――トレーナー、其方は大丈夫ですか?』

 

 ぐいっと、チヒロの横合いから顔を覗かせる影。活発な印象を与えるポニーテールが弾み、チヒロの顔が半分見切れた。顔を出したのはトレーニング部のスミレである、彼女は画面に映る先生を視認するとパッと表情に喜色を滲ませる。

 

「うん、こっちも順調……協力してくれてありがとう、スミレ」

『いえ、私もチヒロさんと同意見ですので、僭越ながら協力させて頂きます――それに今回は元気のよい新人も一緒ですから』

『スミレ部長、ちょっと、近いって……』

『あぁ、ごめんなさい、チヒロさん』

 

 自身を押し退けて画角に入ったスミレに苦言を呈し、チヒロは咳払いを一つ挟む。その視線は廊下の向こう側、暗闇の中に在る目的地へと向けられていた。

 

『さて、首尾良く行けば一時的にリオ会長から主導権を取り戻せると思う、アレのスペックは良く知っているし、ただ効果は絶対的なものではないから、そう長い間維持するのは――』

「大丈夫、その間に何とかして見せるよ」

『……分かった、信じているよ、先生』

『トレーナー、御武運を』

「皆も、十分気を付けて」

 

 先生がそう告げると同時、画面の中に映った二人が得意げに親指を立て通信は途切れる。先生は暫し暗転した端末を見つめ、それからゆっくりと連絡用の端末を懐に仕舞った。手にしたシッテムの箱、青白い画面に映るゲーム開発部、エンジニア部、C&C――苦戦を強いられる戦況ではあるが、決して絶望的な状況ではない。

 

「――これで準備は整った」

 

 呟き、先生は顔を上げた。薄暗い地下の中で、先生の瞳はより一層強い光を秘め、輝きを増す。ヒマリの救出を開始したスクワッドとエイミ、リオよりネットワークを奪還すべく仕掛けるチヒロとスミレ。

 後は、自身が為すべき事を為せば良い。

 

「行こう……皆が待っている」

 

 ■

 

「どわぁあッ!?」

 

 頭上を薙ぎ払う弾丸の嵐、アバンギャルド君と呼ばれるロボットから放たれた攻撃に、モモイは思わず素っ頓狂な悲鳴を上げた。彼の持つアサルトライフルは対物ライフル並みの口径を持つ弾丸を連射し、コンクリート壁どころか複合電磁装甲すら正面から貫通しかねない。当然だが直撃など許せば一瞬で意識を奪われる訳で、ゲーム開発部及びエンジニア部は必死の回避を余儀なくされていた。

 ビルの外壁を粉砕し、抉り取る弾丸。降り注ぐ硝子片を払い除けながら地面にダイブしたモモイは、甲高い走行音を鳴らしながら履帯ドリフトを敢行するアバンギャルド君を睨み付ける。

 

「な、何なのアレ、強すぎでしょ!?」

「あんなふざけた見た目なのに……」

「これは、想像以上に状況が悪いね……!」

 

 このアバンギャルド君とやらと戦闘を開始して、どれ程が経過しただろうか? 恐らく二十分以上は経過しているだろうが、正確な所は分からない。ヴェリタスの戦闘支援が途切れた中でも、此処まで粘れたのは奇跡に近いとウタハは思った。

 

 このアヴァンギャルド君――見た目は中々どうして奇抜だが、中身は全く以て可愛げが無い。相当優秀なAI、戦闘システムを搭載している。

 この機体の戦闘スタイルは盾を構え攻撃をシャットアウトしつつ、残った三本の腕でそれぞれ攻撃を担当する。汎用性に優れた突撃銃が主力となり、敵の放った弾頭や複数の攻勢に対しては連射砲で対応、ロケットランチャーはここぞという所の決め手、障害物に隠れた相手に使用。

 基本的に一機でどのような距離にも対応し、また厄介な事に機動力まで持ち合わせている。最大速力は整地で凡そ七十キロという所か、少なくともキヴォトスの生徒が全速力で走っても追いつくのは難しい。弾薬に関しては背部にバックパックか、内部に給弾機構が備わっているらしく、腕部を背後に回すと同時にリロードを完了していた。

 観察に徹したウタハが解明できたのはこの程度――少なくとも現状、この相手を崩すのは困難であると結論付けた。

 

「このぉッ!」

「あ、当たって……!」

 

 モモイが叫び愛銃を腰だめに構えたまま乱射、ユズが後方よりグレネードランチャーを発射する。共に放たれた攻撃は真っ直ぐアバンギャルド君目掛けて飛来し、着弾の瞬間に彼は手に持っていた大型の盾を斜めに構えた。

 瞬間――着弾、炸裂。

 モモイの弾丸は盾の表層に弾かれ、グレネードは爆発するも微かな焦げ跡を残すのみ。アバンギャルド君本体には傷一つ付いていない。爆炎を裂き、走行する巨躯を見たユズが絶望に染まった表情で呟く。

 

「だ、駄目、全然効いていない……!」

「あの盾、幾ら何でも硬すぎでしょう!? こっちが何発撃ったと思っているのさ!?」

「皆、下がるんだ! 足を止めてはいけない!」

「ほらお姉ちゃん、走って!」

 

 憤慨するモモイの襟元を掴み、駆け出すミドリ、ユズ、エンジニア部。その背中目掛けて走行音を鳴らし、追撃を開始するアバンギャルド君。その上腕が構えた連射砲――ガトリング砲が駆動音を鳴らし、銃身の空転を開始した。

 攻撃が来る、そう確信したコトリは羽織った外套の懐からガジェットを複数取り出し、それぞれ仲間へと放る。

 

「ウタハ先輩! ヒビキ!」

「助かる!」

「あ、ありがとう……っ!」

 

 投げ渡されたそれ――球体型の携帯電磁防壁発生装置を受け取った彼女達は、そのまま電源ボタンを押し込み、装置を稼働させる。瞬間彼女達の周辺に青白い電磁シールドが発生し、周囲を覆った。

 

「皆、私達の近くにッ!」

「わわっ!?」

「ひぇっ……!」

 

 直ぐ傍を共に駆けていたゲーム開発部、三人をそれぞれが抱き込み、シールドの内部へと引っ張る。瞬間、後方より咆哮染みた重低音が鳴り響き、彼女達の周辺一帯を弾丸の嵐が襲った。着弾した瞬間地面が爆ぜ、捲り上がり、隣り合うビル群に穴が穿たれる。抉り、粉砕された破片が頭上より降り注ぎ、幾つかの直撃弾は電磁シールドによってあらぬ方向へと弾かれた。その衝撃に全員の身体が揺れ、転倒しかける体を必死に支え、駆ける面々。

 

「あっ、危な……っ!?」

「これは、そう何度も受けて良い攻撃ではありません!」

「ど、どうしよう……!? こっちの攻撃は全然効かないのに、向こうの攻撃は凄いし……!」

「取り敢えず路地に逃げ込もう! あの巨体だ、細い道は追って来れない筈だ!」

 

 ウタハの言葉に全員が直ぐ傍にあった路地へと駆け込み、ビル群に挟まれた暗所の中に身を滑り込ませる。それでも足を止める事はせず、狭い細道を全員が一列になって駆けて行く。エンジニア部、ゲーム開発部、全員の額に冷汗が滲んでいた。

 

「全く、こんな強力な伏兵を隠し持っていたとはね、どうやらリオ会長の切り札は、あのメイドの子一人ではなかった様だ……!」

「わ、私達がこっちに来るのを、予測していたのでしょうか……?」

「その可能性は高い、かも……!」

 

 ウタハの呟きに声を返すコトリとヒビキ。その声を拾ったのか、クラックされた彼女達の通信、端末やインカムからリオの声が響いた。

 

『その予想は、概ね正しいわ』

「っ、リオ会長……!」

 

 彼女達の操作とは無関係に投影されるホログラム。その向こう側に立つ彼女を、ゲーム開発部とエンジニア部の六人は苦々しい表情と共に見つめる。

 

『本来は別の目的の為に備えていた機体だけれど――C&Cが離反し、正面から仕掛けて来た時点で貴女達が二手に分かれる事は予測していたわ』

「っ、やはりか」

「な、なら、最初から……」

「私達は、会長の掌の上だった、って事……?」

 

 ウタハは苦り切った表情を浮かべ、ミドリとユズが愕然とした声を零した。彼女はこの状況すら読んでいた、だからこそこんな高性能機を事前に配備する事が出来たのだ。それを理解した途端、何とも云えぬもどかしさと怒りがモモイの胸中に湧き上がった。

 

『ヴェリタスからの支援も無い、加えて彼がこの場に居ない以上、貴女達がアバンギャルド君を突破出来る確率は非常に低い――降伏するなら、今の内よ』

「だ、誰が……! アリスを取り戻すまで、私達は絶対に諦めないよッ!」

『そう……なら、もう少し強めに行くわ』

 

 そんなリオの声と共に、彼女達の進行方向から地面を揺らす走行音が響く。ハッとした表情で一行が足を止めれば、暗闇の向こう側から光るモノアイが路地を覗き込んでいた。肩に担いでいたガトリング砲を突き出し、路地へと向けるアバンギャルド君。ウタハは咄嗟に周囲を見渡し、自分達が避けられぬキルゾーンへと誘い込まれたのだと理解した。

 

『アバンギャルド君、パターン変更――【全力射撃】!』

「ッ――!」

 

 ■

 

 中央タワー、管制室。

 表示されるモニタ、その中に映る生徒達――アバンギャルド君を前に逃げ惑うゲーム開発部、エンジニア部を見つめながらリオは思考を巡らせる。

 

「戦況推移……予測範囲内、C&CはトキとAMASが抑え、救出部隊である彼女達はアバンギャルド君が抑える、これで向こうの動かせる戦力は頭打ちになる」

 

 ――制圧は時間の問題だ。

 

 C&C、ゲーム開発部、エンジニア部。姿こそ見えないものの、今現在も後方よりエリドゥ内部ネットワークへと侵入を試みるヴェリタス、それら全てはリオの予測した範囲内に留まっている。

 最も危険な戦力であるC&Cをトキで、それ以外の救助部隊となり得る存在をアヴァンギャルド君とAMASで抑える、この作戦は上手く機能し現状は自身の想定通りに事は運んでいる。リオは確信を持ってそう断言する事が出来た。

 

 ただ一つ、懸念するべき事柄があるとすれば。

 

「唯一の変数は――シャーレの先生」

 

 そう、自身がキーマンと称した存在。

 先生の行動、参戦した場合の変化が未知数である事。

 彼の存在は自身の持つ情報だけでは計り知れず、此処から逆転の芽があるとすれば彼の参入、及びそれに付随した生徒達の奮起である。感情的なものを数値化する事は出来ない、しかし士気や戦意と云ったものが時折重要視される事をリオは理解していた。

 良くも悪くも先生の参戦は、現在苦戦を強いられている生徒達が息を吹き返す理由に足るだろう。

 

「……彼が眠っている間に事を済ませられるかどうか、万が一目を覚ました場合、アリスの奪還を彼が躊躇する筈がない」

 

 この作戦の分水嶺を考えるとすれば――先生が目覚める前に事を起こせるか否か、その一点に尽きる。

 先生がこのまま参戦せず全部隊を鎮圧出来るのならば、リオにとってそれが最善。しかし、万が一先生が目覚め、このエリドゥに辿り着いた場合は――。

 

「先生の存在は確かに脅威――けれど、指揮する生徒がいなければ幾らシャーレの先生と云えど最終的に受け入れるしかないわ」

 

 現在進行形で変化する戦場を見つめながら、リオはそう断じる。

 先生の恐ろしさは彼自身の戦闘能力ではない、彼が率いる生徒の戦闘能力――それが何倍、何十倍にも膨れ上がる事にある。そして当の本人のカリスマ性か、或いは何らかの人心掌握術か、リオの知らない何らかの魅力によって、彼の周りには常に生徒が集まる。

 その人望故に、敵に回せば恐ろしく、味方にすれば心強い。

 

 そんな先生に拒まれた事実を思い返し――リオは拳を握り締める。

 

「……きっと分かってくれる筈、時間は掛かっても、どれが正しい選択なのか――どれが最も合理的な判断なのか」

 

 その合間に受ける誹り、恨み、辛み、全て受け入れるつもりだ。泥を被るという言葉に嘘はない、けれど事が済めばきっと――皆も理解してくれると、リオはそう信じる。

 

「だからこそ、これでチェックメイトよ――ヒマリ」

『……成程、リオ、あなたの考えは良く分かりました』

 

 直ぐ横合いで自身と同じように現状を観察していたヒマリに対し、リオは告げた。

 監視カメラの映像には、億劫そうに表示されるホログラムを見上げるヒマリの姿があった。彼女は隔離施設の投影装置を用いて敢えてヒマリに現状を見せ、諦観を誘おうとしていたのだ。自身の合理の証明、そして戦況を分析させる事により、彼女達に勝利はないのだと。

 監視カメラ越しにリオを見つめるヒマリは、呆れ半分、怒り半分と云った様子で溜息を零す。其処にはリオが期待した感情、その色は無い様に見えた。無論それを表情に出す事はしない、向こうから此方が見えていないと理解して尚自身を律したのは、彼女の気質によるものだった。

 

『貴女がこの時の為にどれだけ綿密に計画を練ったのか、その手法も、心根も……えぇ、ある意味ではこの道も、合理的なのかもしれません』

「ヒマリ――」

『ですが』

 

 微かな希望を覗かせる言葉、それにリオの声が僅かに明るさを帯びる。しかしそれが浸透するよりも早く、ヒマリはぴしゃりと否定の言葉を投げつけた。

 

『やはり私は、その様な独善に賛同出来ません』

「………そう」

『リオ――ひとつだけ忠告しておきます』

 

 ヒマリは車椅子に背を預けたまま、モニタの向こうで佇むリオに視線を向ける。

 彼女は内心で想う――この女の内面、その何と不安定な事かと。

 合理と理性で自身を律していると思いきや、その実心の奥底では自身の賛同者を、理解者を強く求めている。他者を必要としないと宣いながら、誰よりも他者の寄り添いを求めているのは彼女自身だ。

 何と云う矛盾か、何よりどうしようもないのは――その矛盾を理解していながら、それを顧みようとしていない一点に尽きる。

 彼女は他者に寄り添おうとしない、心に沿った会話を放棄している。『合理(正しさ)こそが全て』と宣い、積み重ねるべき誠実さを切り捨ててしまっている。

 その在り方は――何と独善的で、虚しいものか。

 

『……貴女は確かに優秀です、よくもまぁ裏でこれだけの規模を持つ都市を建設出来たものだとある種感心すら抱いてしまう程に、その行動力と計画を実行し、実際に成し遂げる手腕は確かなのでしょう』

「ヒマリ、貴女らしくない物云いね」

『人が珍しく褒めているのですよ? もっと喜んだらどうですか?』

 

 片目を瞑り、鼻を鳴らしながら告げるヒマリ。

 だからこそ信用ならないのだけれど、リオはそんな言葉を咄嗟に呑み込んだ。

 普段自身をあらゆる言葉で以て罵倒する彼女が褒める事など、想像もしていなかった。故にリオは不気味に感じた、その言葉の意図が読めなかったのだ。

 

『ですがリオ、貴女は自身が正しいと信じたら、振り返らずに突き進むでしょう? よくも悪くも揺ぎ無く、顧みる事もなく、そこが貴女の長所であり――そして同時に弱点でもあります』

「弱点――?」

『あぁ、弱点とは云いましたが、そこまで大袈裟なものではありません、それだけ貴女の才覚が優れているという、ある種の証明でもあるのですから』

「………」

 

 ヒマリの言葉は何処か軽薄で、寒気すら覚える程に色のない口調だった。モニタ越しにリオを捉える彼女の瞳は、親愛や優しさと云った感情からは程遠い、憐れみや虚しさと云ったネガティブな感情に彩られていた。その色が、どうしようもなくリオの内面を揺さぶる。今この場に立つ自分をヒマリは目視していない筈だというのに、まるで心の奥底まで見通される様な恐ろしさがあった。

 

『優秀過ぎるが故に他者と歩幅を合わせる事も、相手を待つ気も無い、なまじ一人で物事を進める才覚があるからこそ頼る事も、力を合わせる事もしない――最初から他者を頼る、その選択肢を除外してしまっている』

 

 リオという生徒は、自身を誰かが助けてくれるなんて思っていない。

 それどころか誰かに頼ろうなんて思ってもいない。

 誰もが認める才覚があるからこそ、大抵の物事を単独で片付けられてしまうからこそ、その選択肢に合理性やメリットを感じない。そう云った現実を積み重ねるうちに、彼女の内側に確固たる経験則が生まれてしまう。

 全知に比肩し得る能力を持つ彼女にとって大多数の他者とは――『守るべき対象』であって、『頼るべき対象』ではないのだ。

 ヒマリは細い指先を突き出し、リオを示した。

 

『リオ、貴女にとって他者とは――自身が守るべき対象なのです』

「……それは」

 

 断言されたソレに、リオは咄嗟に反駁を口にしようとした。しかし、滲み出る様な感情があった。それは納得であり、共感である。ほんの僅かでも感じたそれにリオは言葉を呑み、声を途絶えさせた。

 

 無論、例外は存在するだろう。自身(ヒマリ)を含めた彼女(リオ)の才覚に比肩する頭脳を持つ生徒、或いはC&Cのネルや現在彼女の命令で動いているトキと云った力を持つ生徒、不可解な大人と断じながらその功績と信念を認めた先生。

 全員が全員そうではない、頼る事の出来ない他者などではない。けれどそれ以外の多くの生徒は、彼女にとって頼るべき対象にはなり得ないのだ。

 

 ――それこそが彼女の瑕疵だった。

 

 嗚呼、或いは――ヒマリはこうも想う。

 自身の身体が病弱ではなく、こんな車椅子を用いずとも自由に駆け巡る事が出来る肉体であれば、自身もリオと同じ様な結論に至った道があったのかもしれない、と。

 他者の力を借りず、必要とせず、自身の決定こそが最も正しいと断じ突き進む道。それは余りにも傲慢な在り方だ、しかし同時に才覚を持つ者にのみ許された道でもある。

 生来の病弱さから、他者の助けが無ければ満足に生活する事も出来ないヒマリにとって、如何に己の才覚が優れていようと、他者に頼る事の心理的ハードルは随分と低く設定されていた。それは彼女のか弱さが生んだ学びであり、経験である。

 自身とリオの間に決定的な差があるとすれば――其処だろう。

 

 無論、リオを前にこの様な事は決して口には出さない。自身とリオが同じ道を歩めたかもしれないなど、口が裂けても云いたくなどない。

 故にヒマリは薄らと笑みを浮かべながら、続けてリオに言葉を送った。

 

『大袈裟なものではないと口にしましたが……リオ、私はあなたのそういう所』

「………」

『その、ほんの些細な欠点(瑕疵)が――』

 

 監視カメラ越しに突き出された指先が、ゆっくりと折り畳まれ。

 その向こう側に輝いていたヒマリの瞳が、真っ直ぐリオを射貫いていた。

 

『実の所、最大の弱点だと思っているのですよ』

「ッ――!?」

 

 不意に、爆音が周囲に響いた。

 唐突に響いたそれにリオは身を強張らせ、次いでモニタ全体が白煙に呑まれる。

 爆発が起きた、場所は隔離施設の天井、丁度ヒマリの頭上を狙ったかのように。監視カメラのレンズが粉塵に覆われ、破損したのかノイズが走る。

 咄嗟にコンソールへと飛びついたリオは、驚愕を滲ませながら画面を凝視した。

 

「爆発? 監視機能が、まさかセキュリティを――いえ、これは……!」

『チェックメイトですって? まさか、あり得ません』

 

 スピーカーよりノイズ混じりの声が聞こえた。粉塵に塗れた視界の中、微かに動いた影、その輪郭が滲んでいく。まるで暗闇の中に溶ける様に、彼女の姿と声は徐々に形を潜めて行く。

 その姿をリオは焦燥の滲む瞳で、縋る様に凝視していた。

 

『本当の戦いは、これからですよ――リオ』

「ヒマリ、待っ……!?」

 

 そんな言葉を最後に、一発の銃声が鳴り響く。同時にリオの注視していたモニタは暗転、画面全体が砂嵐に覆われてしまう。破壊されたのだと分かった。

 数歩後退り、コンソールより離れた彼女は愕然とした面持ちのまま暫し沈黙を守る。最後の銃声、あれはヒマリの攻撃ではない。彼女の銃器は既に押収してある。つまり、ヒマリではない第三者が隔離施設に侵入し、彼女を救出したのだ。

 

「一体、何が――」

 

 リオは信じられない心地のまま、コンソールに指を走らせる。モニタに表示させるのは隔離施設全体の監視映像、廊下、外周部、屋上、一階出入口、あらゆる場所を映すもそれらしき影は何処にもない。当然、探知ログも洗い出すが立ち入り記録はなし、設置されていたトラップ、防犯設備、全てクリア。

 その事実に思わず唇を噛む。

 

「……侵入報告は何処からも上がっていない、探知ログもなし、完全に目を盗まれた? C&Cと救出部隊に注視していたとは云え、エリドゥの監視網から逃れるなんて――あり得ないわ」

 

 険しい視線のままモニタを睨み付けるリオは、ヒマリ救出を行った第三者に思考を巡らせながら思わず声を漏らす。彼女の構築した探知網は優秀である、それは彼のヴェリタスの協力を得た上で侵入したゲーム開発部、エンジニア部、及びC&Cの早期発見を為した事からも分かる。終焉に備え構築したこのエリドゥは、決して伊達ではない。

 

「こんな事が出来る人物なんて、ミレニアムの何処にも――……」

 

 もし、これらの探知網を全て欺き、悟られる事無くこの場所に辿り着ける者が居るとすれば――。

 そんな荒唐無稽な言葉を口にしようとして、彼女は思わず口を閉じる。

 一人の存在が、脳裏を過ったからだ。

 

「……居る」

 

 呟きは力強く、確信を孕んでいた。

 たった一人、自分の想像も出来ない様な芸当を成し遂げるかもしれない存在が、彼女の思考を縛る。自身をして計り知れない存在である彼ならば、或いはこのエリドゥの監視網を潜り抜けヒマリを救い出す事が出来るかもしれないと、そう思った。

 

 それは予感であった――何かが、覆される予感。

 リオはコンソールに触れた両手を強く握り締め、震える声でその名を呼んだ。

 

「――先生」

 

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