ブルーアーカイブを、もう一度。   作:トクサン

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誤字脱字報告感謝ですわ!
遅れて申し訳ありませんの、ただ文字数見れば分かりますわ!
今回文字数二万六千字ですの!


死力を尽くしたその先へ(ラスト・スタンド)

 

「降伏して下さい、もうこれ以上、この場で先生が切れる手札はない筈です」

 

 突きつけられる銃口を前に、先生は唇を固く結ぶ。彼女の背後には倒れ伏す生徒達の姿、ゲーム開発部、エンジニア部、C&C――その負傷はひと目見ただけで分かる程深く、この場に集う全員が戦闘不能である事は誰の目から見ても明らかであった。

 

 先生の背中に冷汗が伝う、そうだ、彼女の言葉は正しい。

 

 自身には既に抵抗する術がない、少なくとも今この場に於いて、自身が指揮可能な生徒は存在しなかった。生徒の助けが無ければ己は戦う術を持たない――只の人間。

 それは自分が一番良く理解しているとも。

 

「――大人として、賢明な判断を」

 

 トライポッドの銃口を突きつけたままトキは告げる。どこまでも起伏の無い声と共に。それは事実上の勝利宣言に等しい。

 その現実を前に血が凍る様だった、しかし同時に肉体は投薬の影響で熱を帯びている。先生は自身の襟元に指先を掛け、ゆっくりと息を吐き出す。首元を緩めると、少しだけ息苦しさが薄らいだ気がした。

 

「……いいや」

 

 先生は呟き、奥歯を強く噛み締める。

 彼女の言葉に頷く訳にはいかない、その理由が自身にはあるから。

 

「まだだよ」

「……?」

「まだ、私が残っている」

 

 そう云って先生は、トキを真正面から見返した。向けられる表情は余りにも真剣で、強い意志を感じさせる光が宿っていた。

 返された言葉に困惑したのはトキだ。彼女は突き出した銃口を微かに震わせ、思わずと云った風に言葉を詰まらせる。

 

「……それは、どういう」

 

 先生に戦う術はない筈だ。それは明らかな事実、しかしそれでも尚彼は提案を跳ね退けた。その現実に彼女は眉を顰め、行動に迷いが生じる。

 

『―――』

 

 一連のやり取りをトキのバイザー越しに確認していたリオは、小さく息を呑む。リアルタイムで交信を行っているアビ・エシュフはあらゆるバックアップをエリドゥの中央タワーより受けており、同時に管制室でモニタリングしているリオにはトキを通じて情報が常に送られている。

 リオは今この場で交戦可能な生徒が居ない事を入念に確認していた。モニタに表示される周辺マップ、トキの近辺半径一キロ圏内に生徒の反応はない。唯一気掛かりであるヒマリ達の姿もなく、つまり先生は現在単独――直ぐ傍に指揮する生徒を持っていない。

 ならば遠隔から戦闘支援を行い、奇襲か狙撃を狙っているのか。仮にそうだとしても、余程優秀な狙撃手が潜伏していたとて、アビ・エシュフはその不意打ちすら回避して見せるだろう。アビ・エシュフの未来予測と運動性能は決して伊達ではない。

 八方塞がりだ、此処から先生が逆転する芽は存在しない筈だ。

 

 だと云うのに――先生は一体何を考えて。

 

『――トキ、ホログラム機能を』

「っ! イエス・マム」

 

 分からない、だからこそリオは自ら先生に投降を促す事を決めた。耳元のインカムから響いた声に、トキはアームギアのホログラム機能をオンにする。途端アビ・エシュフ前方にリオの立体映像が投影され、先生の姿を照らした。

 

『先生』

「……リオ」

 

 二人が再度視線を交わす。シッテムの箱を抱えたまま空中に投影されたリオの虚像を見上げる先生は、その表情を険しいモノへと変化させる。

 

『貴方が何を企んでいるのかは知らないけれど、今となっては全て無駄な事よ』

「………」

『如何に先生であっても、この現状を打破する事は不可能、アビ・エシュフの性能は絶対であり、どれ程の戦力を搔き集めたとしても届く事はない――加えてこの場に居る貴方の生徒は全員が戦闘不能、此処からエリドゥを攻略出来る確率は……』

「確率云々ではないんだよ、リオ」

 

 彼女の言葉を遮り、先生は敢えて一歩を踏み出す。

 

「それは君だって、分かっている筈だ」

『………』

 

 放たれた言葉に、リオは口を噤んだ。優秀な彼女は既に薄々理解している。先生は確率や合理性と云った点で足を止める事はない。判断の基準に用いる事はあれど、過程がどれ程困難で、到底現実的ではない確率であったとしても、その先に理想的な未来があるのなあらば躊躇わずに突き進む精神性を堅持している。

 自身の生徒が望んだ未来があった、それに今手が届かなかったとしても、彼女達が諦めない限り――彼が先に諦める事など、あり得ない。

 生徒より先に先生が折れるなど、あってはならない。

 その何よりも絶対的で、大人としての在り方が先生の肉体を形作り、恐ろしいまでに強靭な精神を確立していた。

 彼にとって、確率や降りかかる困難は、足を止める理由足り得ないのだ。

 

「それに云った筈だよ、私は私自身の責務を果たさなければならない、最善の道を、希望を諦められない、それがどれ程低い確率であろうと、どれ程無謀に思える行いであろうと――私が諦める事は、決してない」

『――………』

「私は、生徒(子ども)達の苦しむ明日を肯定したくないんだ」

 

 先生は想う。

 それは決して、アリスだけの話ではない。

 リオも、トキだってそうだ。

 彼はいつだって、子ども達の幸福を願っている。誰かが苦しむ明日ではない、誰かが涙を零す明日でもない、ただ朗らかに、何の憂いもなく笑みを零せる明日こそを――先生は望む。

 

『……仮に、そうだとして』

 

 ぽつりと、リオは言葉を漏らした。彼女の表情はいつも通り能面の様で、その内面は察する事が出来ない。例え胸の内に激情が渦巻いていても、素知らぬふりで色を押し殺す――存外リオは、それが得意であった。

 

『今の貴方に、何が出来ると云うの? 武器も、兵装の一つも持ち込んでいないというのに』

「この身体があるよ、前に歩く為の足も、何かを掴むための手だってあるんだ」

『私はそんな曖昧な話をしているのではないの、先生……理解しているのでしょう?』

 

 はぐらかすなと、彼女は僅かに語気を強めながら云った。

 

『生徒を率いない貴方に戦う力なんて無いと、私はそう云って――』

「だとしても」

 

 先生の声がリオの語気を押し返した。込められるのは同質の、或いはそれを凌駕する信念。先生の瞳が暗闇の中で煌めき、星々の明かりに同化する。それは絶える事のない希望の光だ、立ち向かう意思の光だ。どんな逆境に在っても掻き消える事のない、唯一無二の不変の力。

 

それ(力の有無)を理由に、未来を諦める訳にはいかない、私にはそれを証明し続ける――責任がある」

 

 そう、先生には報いるべき、積み重なった無数の声がある。その鼓動が止まる、最後の瞬間まで諦める事は許されない。

 ずっと続いて来た道だ、長い長い時間積み重ねて来た罪悪、積もりに積もった願いを、祈りを、想いを、まだ己は降ろす訳にはいかないのだ。

 だからこそ、先生はどれ程の絶望に覆われた世界でさえ、その二本の足で立ち上がり続けた。何度だって、何十回だって、何百回だって、血を流し、歯を食い縛り、叫び、足掻き、あの日追い求めた未来に手を伸ばし続けている。

 それは――今でも何ら、変わりはしない。

 

『――……そう、そうね』

 

 呟き、リオは先生の理念を肯定する。彼の内面も背景も、その過去さえ理解出来なくとも――先生()は常にそう在った。そう在る事で内外問わず自身の在り方を証明し続けて来た。それは、それだけはリオも肯定せざるを得ない

 生徒の為であれば決して惜しまず尽力し、どんな困難にも立ち向かう大人。そう彼を称したのは、果たして誰だったか。

 

「――リオ、何度でも云うよ」

 

 再度、リオを見上げた先生の瞳はとても澄んでいた。いいや、ずっと彼の瞳は真摯で、イノセントで、どこまでも透明だった。リオの心の奥底を見つめる様な、言葉で表現できない透き通る様な輝きがあった。

 リオはその瞳を見ると、無性に胸が苦しくなる。

 まるで――見たくない自分を見せられるような気分だった。

 醜悪な自身の姿を水面の反射で直視させられるような、そんな感覚。

 

「一緒に、話をしよう」

 

 先生の指先がリオに差し出される。ホログラムに向かって伸ばされたそれは、手に取る事は出来ない。だからこれは心の所作――互いの認識を重ねる為の儀式に過ぎない。

 けれど、そこには大きな意味がある。

 

「ちゃんと話し合って、相談して、力を合わせる道だってあった筈なんだ」

『………』

「何度だって私は云うよ――それはきっと、まだ遅くない」

『同じ問答を繰り返す事は好みじゃないの、けれどそう、貴方の頑固さに免じてもう一度問うわ――先生、これは簡単な話なの』

 

 自身の額を指先で撫でつけ、リオは想う。そうだ、リオにとってこれは余りにも単純で、故にこそ残酷な、無慈悲な二択を迫られるもの。どちらか一方を選ばなければ誰かを救う事は叶わず、どちらを選んでも代償を伴う。

 ただ、それだけだ。

 ならば、少ない犠牲で大多数を救う――それは最も合理的で、真っ当な選択だろう。

 

『彼女を失って世界を救うか、彼女ひとりの為に世界を滅ぼすか――ただそれだけ、それだけが現実であり、私達に許された選択肢』

「……いいや、違うよ」

『――?』

 

 しかし、先生はその選択自体に否を突きつける。

 

「まだ一つ、アリスを失わない方法がある」

 

 先生は酷く真剣な表情でそう口にした。それは以前部室棟で邂逅した時には口に出さなかった――出せなかった言葉。それを耳にしたリオは思わず目を見開き、怪訝な表情を浮かべる。

 

『そんな方法――……』

「此処に来る前、ミレニアムの生徒達に協力を要請したんだ、セミナーの皆にも、特異現象捜査部にも、ヴェリタスの皆にも――彼女達の力を借りて、アリスの人格を分離させる、そういう方法だってある」

『――人格?』

 

 唐突に語られた内容、それに対しリオはピクリと眉を跳ねさせた。

 

「薄々リオも気付いているだろう? アリスの中には無名の司祭が持つオーパーツ、それを起動させるトリガーAI(もう一人の誰か)が存在していると……ヒマリや君が『Key』と呼ぶ(存在)だ」

『………』

「ヴェリタスで起こったあの事故も、アリスが自身の意思で起こしたものじゃない、彼女の中に眠る【名もなき神々の王女】が引き起こし、無名の司祭が望んだ行動――その咎は、彼女達に背負わせるものでは決してない」

『……そのトリガーAIを、アリスの内側から分離させると、貴方はそう云うのね』

「そうだ」

 

 先生の言に対し、リオは唇をなぞりながら思案する素振りを見せる。アリスの中に存在するトリガーAI、彼女の言動と行動パターンからその事についてリオは認知していた。Key()と呼称される彼の存在、それがアリスを内側から操作、或いは誘導し人格を切り替え終焉を呼び込むと云うのなら――分離させ隔離、或いは破壊を為せばアリスは無害な存在へと成り果てるだろう。

 これはつまり、そう云う話だ。

 

「あれは心の在り方だ、表面上はデータだとしても感情が、心がある、説得は可能な筈だよ、ならば私はその可能性に賭けたい」

『……分離した人格、トリガーAI(Key)の処遇は』

「心苦しいけれどきちんとした義体を用意出来るまでは、一時的に別の媒体に身を移す事も視野に入れている、管理については私が責任を持つよ」

『――破壊する、とは云わないのね』

 

 よもや義体を用意するなど、それではみすみす敵を増やすだけではないか――リオはそう考え、しかし一拍後先生の思考を正確にトレースし溜息を吐いた。よもやこの大人は、件のトリガーAIさえ自身の寄り添うべき生徒(子ども)と見なしているのか、と。

 まさかとは思う、しかし人工の肉体を持つAL-1S(アリス)でさえ先生は生徒であると叫んで見せた。その可能性は、決して否定できないのも事実であった。

 

 リオは視線を細めながら、しかしそれらの事を一度脇へと退ける。処遇について思う所は大いにあるが、今重要なのはアリスの中に潜むトリガーAIを実際問題分離し、彼女を無害化出来るかどうか(爆発の導線を切り離せるか否か)の一点のみ――脳内で幾つもの案が浮かんでは消え、様々な可能性が過る。

 

此処(エリドゥ)にもダイブ設備はあるのだろう?」

『えぇ、それを使ってアリスの内部に潜行し、Keyとなる人格と言葉を交わすと……それに、先生は同行するつもり?』

「うん、私とゲーム開発部、可能なら皆で」

『かなり危険な話に聞こえるわ、それに不確定要素が多すぎる――成功する確率は?』

 

 リオは強張った声色で問いかけた。

 そう、結局の所この話はその説得が成功するかどうかという結論に落ち着く。

 先生曰く言葉も交わせれば心もある、交渉する余地はあるとの事だが、トリガーAI(Key)が態々此方の言葉に耳を傾け、快くアリスより分離する道を選ぶとは到底思えなかった。

 向こうには無名の司祭による意味付けが存在し、何よりそれを目的として生み出されている。そもそもの話、AIに言葉による説得を試みる事自体が酷く不安で仕方なった。

 ならば何か秘策か、説得できる目算があっての事なのだろう。そう思い、先生へと問いかけたリオは――しかし。

 

「分からない」

 

 その期待を裏切られた。

 成功する確率は一切不明、正に出たとこ勝負とでも表現すれば良いか。そんな提案を先生が口に出した事にリオは面食らい、思わず目を見開く。

 

「けれど、勝算はある――あの子(アリス)の存在だ」

『……アリス?』

「うん」

 

 先生が説得可能だと口にする根拠、それはアリスの存在に他ならない。

 いつかリオが云った様に、彼女は無名の司祭が崇拝するオーパーツであり、遥か古代の記憶に存在する名も無き神々の王女。彼女が生み出された理由は世界を破滅に導く為だったのかもしれない、或いは本来であれば自分達と敵対し、殺し合う様な運命にあったのかもしれない――けれど、そうはならなかった。

 それがどれ程大きな意味を持つか、リオならば理解出来る筈だ。

 例え世界を滅ぼす為に生まれたのだとしても、生まれた理由と異なる道を行く事が出来る。彼女はそれを証明した。彼女達は何にだってなれるし、自身の望む道を進む事が出来る。その言葉に嘘はない。

 望めばどんな存在にだって、どんな未来にだって進んで行ける。

 

 そう、魔王が勇者になったとしても――可笑しくなんて無いのだから。

 

「――だから私は、彼女達(私の生徒達)を信じる」

 

 その未来を、可能性を。

 先生は腹の底から信じ、尽力する。

 リオは先生の話を最後まで聞き届け、一文字に結んでいた唇を開いた。隙間から吐息が零れ、コンソールに触れた指先を軽く震わせる。

 アリスの証明した可能性、先生の想い、第三の選択肢――全て理解した。

 

 だからこそ、リオは断言する。

 

『――論外よ』

 

 声は冷徹で、余りにも重く響いた。

 先生の指先が握り込まれ、その瞳が悲壮を帯びる。歪んだ表情から向けられた感情は、余りにも分かり易く思えた。

 

「リオ……!」

『私も繰り返すわ先生、そのリスクは許容できない、人格の分離が確実ではないのなら、器ごと破壊する事こそ最も合理的な選択』

 

 成程、全員が笑って迎えられるハッピーエンド――確かにそれが成功すればアリスも破壊されずに済むだろう。謂わば爆弾の起爆スイッチ(起爆トリガー)を無効化する様な話だ、誰も失われず、こうして銃口を交える必要もない。

 だがそもそもの話、爆弾そのものを破壊してしまっても結果は同じなのだ。爆弾本体を破壊してしまえば、スイッチ(トリガー)は意味を為さない。

 態々起爆するかもしれない愚を犯す必要はないのだ。起爆スイッチを解体するには複雑な手順が必要だろう、手順を間違えれば即座に爆発する可能性もある。ならばそんな危ない橋を渡る必要はなく、やはり本体を破壊する事こそが最も安全で合理的な手段だと断じる事が出来た。

 破壊さえ完了すれば、残された爆弾(リスク)に怯える必要も、手間を裂く必要もなくなる。

 先生の提案で得られるのはアリス(爆弾)の安全と生存――しかし。

 

『トロッコ問題ではレールの上に存在するのはどちらも人、けれど彼女はそうではない、アレは――アリスは人ではないの、ただの機械よ』

 

 リオは目を瞑り、断固とした口調で主張を繰り返す。

 アリスは人ではない、そもそも機械なのだと。

 人か機械か、どちらを選ぶかなど決まっている。悲しむ必要などない、人の為に機械が壊れる事なんて――良くある事ではないか。彼女は努めて、何でもない事の様に云い放つ。

 

『失われるのは命などではない、多くを救う為に機械が壊れたって……何とも思わない筈でしょう?』

「それはリオ、君がそう思いたいだけだ」

 

 だが、先生はリオの言葉に否を突きつける。リオはアリスを機械であると再三主張した。しかし、その言葉の奥には別の色が込められている様に思える。如何に巧妙に取り繕うとも、先生が生徒の本質を見誤る事は決してない。

 

「リオ、自分で分かっているのだろう……!」

『――何を』

「彼女を、アリスを君は……きちんとした、ひとりの少女として見ている筈だ!」

 

 先生は確信を持って告げる。そうだ、彼女は繰り返しアリスを機械だと口にしていた。それは執拗なまでに、彼女を物であると思い込むための儀式、自己暗示に過ぎない。その奥底ではアリスを一人の生徒だと――何より彼女自身が認めている。

 彼女はアリスを機械だと口にする時、その瞳を微かに揺らす。それは葛藤だった、彼女の中にある良心、抱え込む罪悪感の証だった。

 

「その道は、君が苦しくなるだけだよ……!」

 

 くしゃりと顔を歪めた先生は必死に叫ぶ。

 何もかもを背負い込み、汚泥を被る覚悟で道を突き進む。自分ならば問題ないと、大丈夫だと嘯きながら、これしかないのだと足を踏み出す事の恐ろしさ――それを先生は良く理解しているからこそ。

 リオを、彼女を止めなくてはならない。

 

「リオ、私は――」

『やめて、先生』

 

 しかし、先生が言葉を発するよりリオが手を翳した。ホログラムで表示される彼女は片手で顔を覆い、もう片方の手を先生に突き出す。其処には拒絶の色が色濃く反映されていた。彼女は唇を一文字に結び、ゆっくりと息を吸う。

 

『これ以上――私の合理(正しさ)を損なわせないで』

 

 それは悲鳴だった。

 同時に肯定であり、何よりも彼女が見せたくないと願っていた弱さの証そのもの。何かを選ぶために、何かを切り捨てる時、その先頭を行く人物が迷いを見せてはならない。その弱さは、リオが合理という名の鎧で固め、ずっと守って来た柔からな内面の一つだった。

 

「リオ様」

『………』

 

 トキが彼女の名を呼ぶ。声には心配の色が灯っていた。故に二度、三度、リオは深呼吸を繰り返す。乱された心を整える様に、自身の正しさを持ち続けられるように。

 そして再び顔を上げた時、リオの瞳には理性の光が灯っていた。其処に揺らぎはなく、確固たる信念が輝くのみ。

 例えそれが取り繕った強さであっても、彼女には纏い続ける理由があった。

 

『――どうあっても、変わらないのね』

「……あぁ」

 

 沈黙を守っていた先生に、リオは改めて問いかける。先生はゆっくりと頷きを返した。何度問われても、彼の答えは変わらない――変えられない。

 

「私はこの意志を変えられない」

『――そう』

 

 どれだけ傷付いても、貴方は。

 

 リオは言葉を呑んだ、事此処に至って言葉は無意味であると理解したからだ。ヒマリと自身がそうであった様に、正しい情報が正しい認識を生むとは限らない。同じ結果を求めるとしても、過程が余りにも異なる。

 そして、もしそうならば――。

 

『なら、力づくでも阻止するわ』

 

 リオは感情を押し殺し、断言する。

 言葉は少しだけ彼女の心を強くした。声に出す事で、自身がそれを為すのだと云い聞かせると、自身の心が鋼になった様な心地になる。例え錯覚であっても、重要な事だ。

 

『えぇ、これは全く合理的ではない判断――けれど、此処まで来て止まる事は出来ない、私の判断にミレニアム全体、いいえ、キヴォトス全域の命運が掛かっている、そのリスク、呑み込むには余りにも大きい……だから』

 

 リオは両手を強く握り締め、告げた。

 

『――私は、私の合理(正義)を貫かせて貰う』

 

 性質の異なる正しさ、犠牲を容認し絶対的な安寧を求める道を彼女は望む。それこそがミレニアムの生徒会長、己の責務だと信じているから。

 

『トキ――』

「………」

『先生の意識を奪いなさい、可及的速やかに』

「……イエス・マム」

 

 非情な命令に対し、トキは何の反論も口に出さない。それが自身の役割ではないと、そう理解しているが故に。

 

「せ、せん、せいっ……!」

「っ、ユズ……!」

 

 声がした。先生が視線を向ければ、地面に這いつくばりながら血の滲む指先を先生に伸ばすユズの姿。辛うじて意識を取り戻したのか、未だ焦点の合わない瞳で此方を見つめていた。彼女は必死の形相を浮かべ、喉を震わせる。

 

「は、早く、に、逃げて、くだ、さい……ッ!」

「――……いいや」

 

 だが、彼女の言葉に先生は緩く首を横に振る。対峙するトキを見上げながら、その瞳は微塵も怯えを孕んでいなかった。

 

「私は、逃げないよ」

 

 ――今苦しんでいる生徒を見捨てて逃げる事など、どうして出来ようか。

 

「抵抗は無意味です、先生」

 

 アビ・エシュフを身に纏い、一歩踏み出したトキは語気を強める。街灯に照らされた巨大なアビ・エシュフは先生に暗い影を落とし、無意識に先生の足は後退を選ぼうとする。しかし、それを驚異的な精神力で以て押さえつけ、彼はその場に踏みとどまった。頬に冷汗が伝い、顎先から滴る。

 

「先生はただの人間です、銃器や武装の類を持ち込んでいない事は既にスキャンによって確認しています」

「……あぁ」

「そうでなくとも先生が私に勝利出来る確率はゼロに等しい、どれ程の武装で身を固めても、或いはアビ・エシュフを身に纏わずとも、私が徒手空拳であっても、それは揺ぎ無い事実です」

「……その通りだよ、身体能力も、武装も、戦闘経験も、何もかもがトキ、君が勝っているのは事実だ、それに私は生徒相手に銃口を向けるつもりは無いし、暴力に訴える気も、勿論ない」

「それなら――」

「でも」

 

 先生は怯まず、トキを見返し告げる。

 

「それでも、降伏するつもりはない」

「………」

「アリスを連れ帰るまで――君とリオを止めるまで、私は決して退かない」

 

 そう、先生がこの場を去るとすれば、それはリオとトキの行動を阻止し、アリスを救出した後の話だ。それまで先生はこの道を諦めるつもりはないし、退くつもりもない。それはトキやリオがどれ程強大な武力を行使し、乗り越え難い困難を用意したとしても変わらない。

 先生はトキを見上げたまま、声を張り上げる。

 

「退くのは君だトキ、私の進むべき道は、君の背中にあるんだ」

「……先生」

「私はトキ、君も、リオも、そしてアリスも、全員が揃って笑い合える明日が欲しい」

 

 アリスだけじゃない。

 誰か一人の為じゃない。

 先生は自身の胸元を叩き、思い返す。

 求めるものは一つ、ただ一つ。

 此処に居る全員が、全ての生徒が笑い合える世界(未来)の為に。

 

「――その為なら、どんな困難にだって挑むとも」

 

 覚悟だ。

 覚悟があった。

 到底叶う筈もない、夢物語の様な未来――それを追い続け、本気で手を伸ばそうとする覚悟が。

 トキは暫し先生を見下ろし、口を噤む。そこには断ち切れぬ迷いが見え隠れしていた。

 

『トキ、言葉はもう十分よ』

「………」

『彼はきっと意思を曲げない、精神は挫けない、それは以前十分理解したわ、ならば――物理的に阻むまでの事』

「――イエス・マム」

 

 疾うの昔に道は分かたれている。ただその溝が深まっただけ、互いの主張が平行線を辿るのであれば決着は一つしかない。トキは主腕を握り締め、先生を見つめる。アビ・エシュフで彼を攻撃すれば、簡単にその命を奪ってしまいそうだった。

 この力は、先生に対して余りにも過剰。

 であれば、取れる手段は一つ。

 

「……アビエシュフ、自律モード起動」

 

 彼女は呟き、同時に両手両足をアビ・エシュフより抜き去った。稼働音が一段と低く唸り、その機能の大半が遮断される。膝を折り、地面へと内部を晒すアビ・エシュフ。彼女は重力を感じさせない軽やかな挙動で地面に降り立つと、そのままアビ・エシュフは独りでに立ち上がった。最低限の自衛、索敵、緊急装着シークエンスを待機しながら佇むアビ・エシュフ。それを背にトキは自身の拳を固める。小指から順に、ゆっくりと握り締めた彼女は先生を鋭い視線で射貫く。

 

「……行きます」

 

 そう、先生を行動不能にするだけであれば――この拳一つだけで十二分だった。

 

「っ――!?」

 

 トキの姿が掻き消える――先生の目からは正に、残影すら残らず、一瞬で。

 一拍遅れて地面が弾け、風が頬を撫でた。

 

「がッ!?」

 

 そう認識した次の瞬間、先生の頬に強烈な衝撃が走った。それは頬を突き抜け、頭蓋を軋ませ、そのまま横合いに身体が傾く程。

 殴られたのだと自覚した時、既に先生の肉体は地面の上を転がっていた。本能的にシッテムの箱を胸に掻き抱き、硬い街道に背中をぶつける。僅かに遅れて鼻から血が噴き出し、ぐにゃりと歪んだ視界のまま先生は地面に這い蹲った。

 頭が重い、思考が纏まらない、視界が一瞬――白黒に染まる。

 

「ッ、せ、先生……ッ!? そんな……!」

「ぅ、せ――先、生……?」

 

 一部始終を視認していたユズが蒼褪めた表情で叫ぶ。同時に、傍に倒れ伏していたカリンがヘイローを点灯させ、辛うじて意識を取り戻す。そして視界に映った先生の姿、頬を赤く腫らし、地面を這い蹲る彼の様子に凡その事態を把握し、思わず目を見開いた。

 

「まさか……!? 本気、か……!? 相手は、先生……だぞ!?」

 

 よもや、先生に攻撃を行ったのか。そんな非難の声を孕んだ叫びに、トキは拳を振り抜いた姿勢のまま目を細め、努めて冷静に答えた。

 

「全力ではありません、多少の怪我はあるかもしれませんが決して致命傷にはならないよう加減しました、先生にはこのまま暫くの間、意識を失って貰います」

「っく……!」

 

 そう、トキは十全に手加減をした上で先生の頬を打ち抜いた。力で云えば一割にも満たない。戦闘訓練を受けたエージェントである上に、キヴォトスの生徒である彼女が全力で先生の顔面を殴りつければ、頭蓋を粉砕する事だって可能なのだ。だと云うのに先生は地面と水平に吹き飛ぶ事もなく、頭蓋が陥没した訳でも、首が捻じ切れた訳でもない。ただ地面に倒れ込み、鼻血を噴き出す程度で済んでいる。これが何よりも明らかな加減の証拠だった。

 

「………」

 

 殴りつけた拳、それを緩慢な動作で引き戻したトキは無意識の内に拳を撫でつける。嫌な感触だった、仮にもか弱い人間を殴り飛ばす感触というのは。

 ましてやそれが、一般的に善人と呼ばれる存在であり、多少なりとも好感を覚える人柄ならば尚更。

 しかし、彼女はその一切を表情に出す事無く目を瞑り、踵を返す。もう起き上がる事は出来ないだろう、人間であれば強烈に脳を揺すられ、意識が飛ぶ筈だ。

 カリンは街道を這う恰好のまま、震える腕で上体を起こし、トキに向かって声を叩きつける。

 

「もっと、穏便な方法だって、ある筈だ……!」

「……そうですね、否定はしません」

 

 そうだ、トキは彼女の言葉を肯定する。ただ拘束して、身を縛るだけでも良かった。人間の先生であれば、それで無力化も出来る筈だと理性は告げている。彼の力では通常の紐で縛るだけでも脱出は困難だろう。

 けれど、それでは意味が無いとトキの奥底に眠る本能が叫んでいた。その程度では先生は折れないと、決して諦めはしないと――この大人を意識のある状態で拘束する事は、看過できない結果を引き寄せる。

 そんな予感を、トキの優秀なエージェントとしての直感が告げていた。

 

 兎角、これで先生は暫くの間意識を失い動く事は出来ないだろう――トキは先生に背を向け、アビ・エシュフの元へと足を運ぶ。倒れ伏した生徒達と先生を拘束し、運搬、収容する為に。

 

「――ッ、ぅ」

「っ……な!?」

 

 だが、背後から衣擦れの音と、苦悶の声がした。

 驚きと共に振り返れば、身に纏った制服に血と砂利を付着させ、ゆっくりと立ち上がる先生の姿。彼は震える両足を 咤し、ゆっくりと、しかし確実に立ち上がろうとしている。

 打たれ、赤く腫れあがった頬。しかし流れ出る鼻血を拭い、未だ開いた瞳でトキを捉えた先生は薄らとした笑みすら浮かべ、告げる。

 

「この、程度かい……トキ?」

「――まさか」

 

 自力で起き上がり、薄らと笑みさえ浮かべて見せる先生に対し、トキは唖然とした表情を晒す。意識を失うどころか、こうして二本の足で立って見せる事がどれ程驚愕に値するか、きっと彼は理解していないのだろう。

 先生は震える膝をそのままに、シッテムの箱を強く握る。内側から、彼女の声が微かに響いていた。

 

『先生――ッ!』

「手を、出さないで、アロナ……」

 

 液晶の中に居るであろう彼女に、先生は小さく呟く。これは私が自ら対峙すべき問題だ。反則には反則で対応する、けれど事この状況に於いて理不尽な悪意が降り掛かった訳ではない。第三者からの介入はなく、事は生徒達間の対立に終始する。

 だからこそ、先生は等身大の己、その身一つで以て困難に立ち向かう必要があった。

 それは信念だ――生徒と真っ直ぐ、真摯に向き合う為の信念。

 トキは数歩後退し、肩で息を繰り返す先生を直視しながら、ぎこちなく首を振る。

 

「あり得ません、演算上人の意識が留められる衝撃では……」

「確かに、凄い一発、だったよ――まるで、鈍器でぶん殴られた気分だ」

 

 唇に滲んた赤を拭い、途切れ途切れに先生は云う。

 恐らく覚悟していなければ耐えられない一撃だっただろう。強烈な攻撃が来ると、最初から気構えが出来ていたからこそ意識を飛ばさずに済んだ。

 そのほんの僅かな意識、構えの差が先生の意識を守った。

 

「でも……この程度じゃ、私は、倒せない」

 

 そして意識があり、立ち上がれる以上――先生は再度歩みを進める。

 再びトキへ向かって一歩を踏み出した先生に対し、ユズとカリンは焦燥に塗れた表情で声を荒げる。

 

「先生、やめて……っ!」

「ぅ、ぐッ、駄目だ、よせ……ッ!」

 

 先生がトキに勝る事はない、そもそも彼に戦う意志などない。ただ痛めつけられに行く様なものだ、それは誰の目から見ても明らかだった。

 しかし、それでも尚、立ち向かってくる先生を前にトキは動揺を隠せない。握り締めていた指先が解け、その指先は冷たく温度を失くす。

 

「最低限の力とは云え、あの拳を受けて何故……? 一時間は昏倒する程度の打撃を、確かに私は――」

『……トキ』

 

 自失するトキ。彼女の耳元、そのインカムからリオの声が響く。ハッと、先生の気迫に呑まれかけていたトキは我を取り戻し、俯いた。

 

『彼の精神が強靭である事は理解していた筈、なら最低限のセイフティ(ボーダーライン)を設けた上で、阻止する他ない』

 

 そうだ、リオにとって先生が立ち上がる事など想定内。

 この人は限界ギリギリまで、或いは限界を超えたとしても、立ち上がろうとするだろう。だからこそ、遠慮は無用――致命的な一線を超えない、その瀬戸際まで追い詰めなければならない。

 先生は本気だ、いつだって本気だった。だからこそ、此方も本気を見せる必要がある。そうでなければ彼の意思に、精神に勝る事は決してない。

 彼を打ちのめす――その事実に付随する重圧が、二人の肩に圧し掛かる。

 

『言葉では、彼は止まらない――なら、何度でも』

「っ――……」

 

 此方を見据える先生の瞳、真っ直ぐなそれは僅かな曇りもなく、彼にとって大きな一撃を受けて尚色褪せない。ゆっくりと拳を握り直す。リオの言葉に耳を傾けるトキ、その表情には複雑な色が混じっている。

 

『――ごめんなさい、嫌な役割を背負わせるわ』

「……いいえ」

 

 リオの確かな震えと罪悪感の孕んだ声に、トキは首を振った。

 誓ったのだ――口に出さずとも、この身は貴女と共に在ると。

 その約束を違えるつもりはない。故にこそ彼女は大きく息を吸い込み、常に口ずさんでいた言葉を返す。

 

「――……イエス・マム」

 

 その忠節に、曇りがあってはならない。

 

 内心で決断したトキは拳を構え、大きく足を広げ先生を睥睨する。その全身から戦意が迸り、彼女の背中を見つめていたユズとカリンは感じたそれに怖気を覚える。

 

「ッ……!? やめろ、これ以上は――ッ!?」

「せ、先生、お願い、だから……逃げてッ!」

 

 ――逃げない。

 

 先生はユズとカリンの悲鳴に声を返さず、ただ前進する事で応えた。

 逃げはしない、絶対に、退いてなどやらない。

 この道(アリスの未来)は、この道(全員が揃って迎えられる明日)だけは死んでも譲らない。

 震える足で、しかし一歩、一歩、力強く前へと進む、その瞳を真正面から見返すトキ。構えた両腕、拳が痛む。それは必要以上に握り締めているからだろう。然もすると血が滲んでしまいそうになる程に。

 しかし――為すべき事は、為さなければならない。

 

「……ふーッ」 

 

 息を吐き出す、体内に籠った熱を、感情を、諸共吐き出す様に。

 次いで腰を落とすトキ、先生が更に間合いを詰める。重心が安定する、狙いは顎先、掠める程度で構わない。意識を飛ばせればそれで良い。

 そんな想いと共に彼女は唇を一文字に結び、地面を蹴った。

 

「――ッ!」

 

 先生の視界が揺れ、目の前に居たトキの姿が掻き消える。

 来る――直感的にそう思った。先生は全身を強張らせ、肩を竦ませながら衝撃と痛みに備える。

 同時に、再び拳が先生の頭部を打ち抜いた。

 

「ごッ!?」

 

 先程よりも鋭い、しかし確かな加減を感じる打撃。横から撓る様なフック、顔が弾け血が飛び散る。視界が斜め上を向き、首の骨が軋んだ。意識が一瞬ブラックアウトし、先生の身体が後方へと流れる。

 

 倒れる――トキは打撃の感触からそう判断し、素早く後退した。

 

 確かに先生の顎先を掠めた、威力はないが先生相手であれば確実に意識を刈り取れる一撃。何よりコレは足に来る打撃だ、流石に二度目となれば立っている事も出来ないだろう。左右に震える膝を見れば明らかだ、先生は既に戦闘不能。

 

「ッ、ぐぅぁ――ッ!」

 

 だが、倒れない。

 血の滲んだ声を放ち、後方へと倒れかけた体を辛うじて踏ん張る。痙攣する右足を後方のつっかえ棒とし、不格好ながら踏みとどまった。ガクガクと揺れる上半身、だというのに決して膝を突かない――無様に蹈鞴を踏みながらも、何としてでも耐え切っている。

 先生の揺らぐ瞳が、強烈な意思で以てトキを捉えていた。

 

「っ、倒れない――!?」

「ぅ、ぎッ……!」

 

 先生の視線が泳ぐ、意識が朦朧とする。気を抜くと簡単に()の中へと沈んでしまいそうだった。しかし、先生は歯を食い縛って何とか意識の糸を繋ぎ合わせる。

 

「ま、だ――ッ……!」

「っ――!」

 

 先生の瞳から察せられる、無声の叫び。

 叩きつけられる想い。

 

 ――まだ、倒れる訳にはいかない。

 

「それ、ならば――ッ!」

 

 叫び、トキは自らを鼓舞した。それは宛ら迷いを断ち切る様に、両腕を構え自ら先生へと肉薄する。背後から聞こえる二人の悲鳴を顧みず、撓る様に振るわれるトキの拳、威力を落とした上で放たれる連続攻撃。

 先生の動体視力からすれば最早分身している様にさえ見えるソレに対し、咄嗟に体を丸めながら両腕で身を固め、先生は防御の姿勢を取った。

 

「シッ!」

「ぐッ……!?」

 

 固めた防御の上から叩きつけられる拳。肌が打ち据えられ、骨に衝撃が響く。其処から間髪入れず降り注ぐ打撃の雨、攻撃が命中する度に先生の身体が右へ、左へ揺れ動く。腕、肩、頬、腹、トキの拳が先生の身体を強かに打ち、先生の口から噛み殺せない苦悶の声が漏れた。

 

 防御に徹する先生の肌、傷の上に刻まれる青痣、打撃痕が浮かび上がる度、先生の表情は歪み、血が滲む。

 しかし、それは先生だけではない。

 彼を一方的に攻めているトキの方が、寧ろ気配は重く、表情は憂鬱に、苦しみに満ちた色を見せ始めた。月明かりに照らされ、額と頬に汗が滲むのが分かる。しかし、この程度の運動でエージェントとして鍛えられた彼女が根を上げる筈もない。

 それは、心理的な負担から発せられた汗だった。

 

 ――あぁ、痛覚が鈍くなっていて助かった。

 

 頬を打ち据えられ、蹈鞴を踏み、俯き、折れ曲がった肉体を揺らしながら先生は想う。

 おかげで、痛みに心が屈する事は無い。意識さえ残っていれば、立ち上がる力さえあれば、自分は何度だって立ち上がれる。

 

「はぁッ!」

「ごァッ――!?」 

 

 最後の一撃、トキの身体が反り、美しいフォームから放たれるストレート。先生は最早反射的な行動をとる事も出来ず、半ば偶然顔を背ける様にして肩に打撃を受けた。肉を打つ音、肩から二の腕辺りに衝撃が走り、先生は勢いに押されて更に三歩後退する。

 

「はぁ、はッ、はっ――!」

「っ、く、ぅう……!」

 

 トキは荒い息を繰り返し、何処か焦燥した様子で先生を見つめる。防御した腕が痛んだ、指先が震えて奇妙な熱さを帯びている。先生は体を丸めたまま後退し、項垂れる様にして腕を垂らす。恐らく、青痣程度では済まないだろう――しかし、骨が折れている訳ではない。打たれた瞬間の感覚で分かる、指は動く、膝も、肩は、少し動かし辛いが。

 トキは先生の負傷している箇所、特に骨折していた箇所には決して打撃を加えていなかった。それが無意識の内なのか、或いは意図しての事なのかは分からない。しかし、先生は後者であると信じる。

 ゆっくりと項垂れていた上半身を起こし、強く奥歯を噛み締める。

 蒼褪め、何処か懇願する様な視線で此方を見下ろすトキに、先生は語り掛けた。

 

「っ、これ、で――」

「ッ―――!」

 

 切れた口の端が引き攣り、殴られた口内は血が滲んでいた。上手く舌が回らない、しかし先生はゆっくりと、喉を鳴らしながら再度問いかける。ぽたりと、足元に幾つもの赤色が零れ落ちた。

 

「これで、終わり、かい……?」

『っ……』

 

 息を呑む。

 それはトキだけではない、モニタ越しに見ていたリオでさえも。

 無数の打撃を受け腫れ上がり、半ば塞がった左目。乱れた髪の向こう側には、酷い傷痕に閉じられた右の瞼が覗いている。擦り切れた口の端、鼻から血が滴り、トキの打撃を防御した右腕の袖口からは青痣が垣間見えた。頬も額も、どこもかしこも痣だらけ。

 満身創痍だ、最早立っている事も困難だろうに――小鹿の様に痙攣する両足は正直だ、彼は限界を迎えている。その筈だ。

 

「まだ、だよ……私は、まだ――……倒れちゃ、いない」

 

 それでも、先生は倒れない。

 血の滲む歯を剥き出しにして、必死に食い縛り、碌に動かない足を前に、一歩前に進ませようと足掻く。街道に血痕を残しながら、足を引き摺って前進する。

 自身の背中を見ている生徒達が居る。ならば己は決して、倒れはしない。

 

 ――その意思の強さこそが、先生をこの場に立たせていた。

 

『―――』

 

 リオは最早、言葉を失う他ない。

 この姿を目で見たのは二度目だ、一度目は部室棟の廊下で。二度目はたった今、強靭な精神力が肉体を凌駕する瞬間を。到底敵う筈のないAMASを跳ね退け、自身の歩みを阻止した時の様に。

 此度もまた、彼は自身の肉体的な限界を、驚異的な精神力で以て凌駕しようとしている。

 

「………」

 

 トキは暫しの間、呆然とした表情のまま黙り込んだ。どれだけの打撃を浴びせたか、トキでさえ定かではない。その全身を打ち据え、意識を刈り取る為に、決して甘くはない拳を何度も振るった。演算上で算出されている先生の耐久限界は疾うに過ぎている。彼女の両拳、微かに赤く変色し、血の付着したソレが物語っていた。

 

 しかし倒れない、膝を突かない――諦めない。

 

 塞がれかけた瞼の奥に光る瞳、血の滲んだ口元をそのままに尚も向かってくる大人。それを見ているだけで指先が震える。息が詰まる、気圧されたと云って良い。圧倒的優位に立っているのは此方だというのに、不安と焦燥が渦巻く。

 だが彼女は震えるそれを無理矢理握り込み、歯を食い縛った。

 

「リオ様」

『……トキ』

 

 リオは普段のそれと比較し、極めて不安定なトキの声に、『これ以上の攻撃は出来ない』と予想した。実際問題、彼女に圧し掛かる重圧はどれほどか、抵抗もせず、ただ向かってくる人間を殴り続ける。最初から酷な事を命令していた自覚はあった、故に彼女はトキの提案に言葉を返そうとして――。

 

「――全力での打撃、その許可を」

『――!』

 

 しかし、放たれたそれにリオは驚愕の色を見せる。予想とは真逆の言葉だった、俯いていたトキがその瞳を再度先生に向けた時、そこには覚悟があった。あらゆる罪悪を、憎悪と悲壮を背負う覚悟だ。彼女は血の滴る拳を握り締めたまま、云った。

 

「最低限の力で先生を無力化する事は困難であると判断しました、故に許可を、リオ様」

『……けれど、そんな力を振るえば、先生は』

「はい、最悪後遺症が残るかもしれません――ですが、死亡する事が無い様努めます」

『………』

「御命令を」

 

 トキは足を引き摺り、緩慢な動作で距離を詰める先生に、再度構えを見せる。額に滲む冷汗、土気色の顔色、しかし――彼女もまた、その瞳に曇りはなく。

 

「私は、私の出来得る限り最善を尽くし、命令を遂行します」

 

 例えそれが、どんな命令であったとしても。

 

 トキの言葉に耳を傾けていたリオは逡巡する。コンソールに手を突き、暫しの間沈黙を貫く。様々な感情、思考が脳裏を過った、最悪の展開、望むものとは異なる結末、その道筋を思い描き天秤にかける。

 取るべきリスクと未来――リオは唇を強く噛み、震える声で指示する。

 

『……頭部への打撃は禁止、その条件下に於いて許可するわ』

「――イエス・マム」

 

 命令は下った、ならば後は実行するだけ。

 トキは全力で拳を握り締め、身構える。先程とは異なる構え方だ、ネルを前にする様な緊張感と戦意。それを纏めて拳に乗せ、放つ準備を整える。彼女の足裏が、街道を擦った。

 

「――武装起動(アームギア・アクティブ)、腕部行動補正、開始」

 

 淡々と、彼女は両腕に纏ったアームギアを起動する。理想的な打撃を放つ為の演算、先生を見据えるトキの瞳は僅かも揺らぐことなく、ただ一点を穿つ様な集中力を見せる。

 

「冗談、でしょ――……?」

 

 ユズとカリンは、最早言葉も無い。そこまでやるのかと、恐怖にも似た感情が湧き上がる。カリンは何とか起き上がろうと体に力を籠めるが、意思に反し肉体は僅かも反応を示さない。口元を歪め、ならば援護だけでもと傍に転がっている愛銃に手を伸ばす。こんな状態で銃撃を行った所で、弾が狙い通りに飛ぶとは思わない――しかし、僅かでも注意を引ければ良い。

 しかし、そんな想いと共に伸ばした指先が愛銃に届く事は無かった。ほんの一歩、僅か数十センチ程度の距離が余りにも遠い。苦悶の声を漏らし、必死に腕を伸ばすカリン、ユズもまた先生の元へと、何とか這って行こうと足掻く。だがその動きは余りにも遅々としていて――そうこうしている間にも、トキは動き始めた。

 

「――攻撃を、開始します」

 

 宣言は冷酷で、淡白であった。

 

「先生、左腕による防御を」

「……っ?」

 

 朦朧とした意識の中、何事かを語り掛けられたと認識する先生。最早彼の聴覚は朧気で、トキとリオが何を話していたのかすら理解していない。ただ、視界に映るトキと、防御という単語だけは理解した。

 故に先生は実に緩慢な動作で、震える左腕を構えようと努める。しかし最早それだけの力もないのか、左腕は中途半端なまま、胸元の前で固められるだけに留まっていた。

 

「………」

 

 トキはそれを見つめ、拳の構える位置を僅かに下げる。殺す気はない、しかし――ある程度の代償を支払う覚悟でなければ、彼は止められないと肌で理解した。

 故に。

 

「これで最後です(倒れて下さい)――先生ッ!」

「あ、だ、だめぇッ!」

「やめろッ、トキ――ッ!」

 

 叫び、トキは地面を蹴り抜く。背後からユズとカリンの悲鳴が響いた、トキは風を切る様な速度で先生に肉薄し、弓の如く引き絞った拳を放つ。足から腰へ、腰から肩へ、肩から腕へ――力の伝搬した拳は先生の辛うじて構えた左腕(義手)に着撃し、そのまま胸元を強かに打った。

 ズン、と重い打撃音が響き、金属の拉げる音が響く。見れば、先生の義手、その外装が黒く変色し、表面が拉げ、凹むのが分かった。トキの拳が義手にのめり込み、衝撃が貫通する。

 

「――ッ!?」

 

 声が出ない、肺を貫く何か、込み上げる不快感。同時に一瞬、心臓がその音を止め、先生の身体が後方へと勢い良く吹き飛ぶ。到底、先生に放つ打撃ではなかった。くの字に折れ曲がった先生の身体が、塵の様に跳ねる。

 

「せ、先生ぇっ!?」

「ッ、まずい、今の一撃は――……!」

 

 吹き飛ばされ、街道を転がる先生。二度、三度、地面を跳ねた彼はそのまま力なく地面い横たわる。あれ程頑なに手放さなかったタブレットが地面を滑り、先生の傍に音を立てて零れ落ちた。

 倒れ伏した先生はピクリとも動かない、指先ひとつすら。

 その結果にユズも、カリンも、ただ蒼褪めた表情で声を失う。トキは打ち抜いた姿勢のまま先生を見つめ、息を止める。今の感触を忘れないように拳を緩く握り締め、細く、ゆっくりと息を吐く。

 

 皆が先生をただ、注視する。

 

 五秒、十秒、二十秒――先生は起き上がらない。うつ伏せになったままピクリともせず、沈黙している。ユズが嗚咽を零し、必死に這いずって先生の元へと向かう。カリンは地面を拳で殴りつけ、額に青筋を浮かべながら愛銃に手を伸ばす。先生を呼ぶ声が響く、ユズが必死に、何度でも。

 けれど、先生は沈黙を貫く。

 

「………」

 

 彼の意識は――既に消失した。

 トキはそう判断を下した。

 

 ――そうなる事が、当然である筈なのに。

 

「ッ……」

 

 微かに、暗闇の中――月明かりに照らされた先生の身体が、揺れた気がした。幻覚だろうか? トキは自問自答する。しかし何か、予感があった。背筋を駆け抜ける様な、全身を突き抜ける予感が。

 

 ぴくりと、先生の指先が震えた。義手ではない、右腕の、血の滲み、黒ずんだ指先が。

 それから五本の指が地面を捉え、ゆっくりと握り締める。その身体が、再び稼働を開始する。

 

「―――」

 

 トキは、もう何も云えずに居た。ただ息を呑み、思考を途絶えさえ、あり得ないものを見る心地で先生を見つめていた。

 ぽたぽたと、先生の顔面から滴り落ちる赤が街道を濡らす。鼻から、口から、黒く滲んだそれが手元を、地面を汚していく。それを拭う暇も、余裕もなく、先生は霞んだ視界で周囲をゆっくりとなぞった。

 自分の身に何が起こったのか、自分は今何処にいるのか、確かめる様に。そして直ぐ傍に転がっていたタブレットを見つけると、微かに口元を緩め、手を伸ばし、掴む。

 

「ぅ……」

「な、何故――……」

 

 先生の震える腕が、上体を支えた。そのまま蹲る様にして膝を突き、天を仰ぎ――ゆっくりと、しかし確かに起き上がろうとする。拉げ、破損した義手をぶら下げ、覚束ない足取りで立ち上がる先生。止めどなく流れる赤が彼のシャツを汚し、その瞳は虚ろでさえあった。

 

『まだ、立つと云うの――?』

 

 リオは恐怖さえ滲ませ、呟く。

 執念――最早、そう表現する他ない。

 誰もが先生の戦闘不能を予感した、或いは死ぬ可能性だってあった。少なくとも意識を飛ばす程度では済まず、後遺症が残る事さえ勘定にいれたのだ。

 だと云うのに先生は未だ意識を失わず、最早真面に声も出せぬ状態に陥りながら、それでも立ち上がった。実行したトキも、それを認めたリオでさえ、もう掛ける言葉が無かった。

 

 全くの未知――先生のそれ(精神力)は、常軌を逸している。

 

「――ぁ」

 

 だが、精神が如何に屈さずとも肉体に限界はある。ゆっくりと立ち上がった先生は、しかし膝に力が入らずにそのまま後方へと倒れそうになる。その事にユズやカリンが息を呑み、声を上げ、手伸ばした。

 しかし、それが届く事はなく。

 

「――ナイスファイト、先生」

「――………」

 

 代わりに、小柄な影が先生を背後から支える。受け止められ、虚ろな瞳で自身を支える人物を見上げる先生。彼女はゆっくりと先生を街道に座らせ、自身もまた彼に視線を向ける。彼方此方血が滲み、人影からは硝煙と汗の香りがした。

 月明かりに照らされた赤い瞳が、先生のそれを見返す。

 

「はは、少し見ねぇ間に、随分格好の良い血化粧してるじゃねぇか、先生」

「……ネ、ル?」

「――あぁ」

 

 呆然と、血の絡んだ声で呼ばれた生徒――ネルは確りと頷きを返す。

 トキと共に高層ビルより落下し、地面に叩きつけられ気絶していた彼女はしかし、いつの間にか意識を取り戻していた。ネルは先生の腫れ上がり、青痣と血に覆われた顔を見下ろし、破顔する。

 

「良い根性だ、最高じゃねぇか――それでこそ、あたしの先生だ」

「………」

 

 その言葉に、先生は暫しぼうっとネルを見上げ、小さく吐息を零した。それは彼女が起き上がった事に対する安堵の様に見える。だが口元を動かすと痛むのか、先生の表情はぎこちない。ネルは先生の口元をスカジャンの袖で拭ってやり、歯を剥き出しにして笑う。

 

「先生、ちっと休んでいろ――なぁに心配すんな、次はぜってぇぶっ壊して来るからよ」

 

 言葉には、万感の想いが籠っている。先生はネルを見上げたまま口を閉じ、ゆっくりと頷く。

 

「頼む、よ――……ネ、ル」

「任せろ」

 

 シッテムの箱を抱いたまま座り込む先生、その代わりにネルが立ち上がり――トキの前までゆっくりと足を進めた。

 その間、トキは動く事が出来なかった。アビ・エシュフを再度身に纏う事さえ忘れ、先生とネル、その両名を凝視していたのだ。

 

「まさ、か」

「ハッ、後輩……テメェよぉ」

 

 もう動けないと高を括っていたのか、その表情を見れば何となく予想はつく。あれだけの攻防戦を繰り広げた後、高所から地面に叩きつけたのだ。確かに並みの生徒ならば戦闘不能になり、数日は病院のベッドで呻く羽目になるだろう。

 だが生憎と――彼女は普通ではない。

 両腕に握り締めたツイン・ドラゴン、それを下げながら彼女は俯く。

 足元には、静かに血が滴っていた。

 

「勝ったって、思っただろう? 勝てる、じゃねぇ――あたしに勝ったって、そう思った、違うか?」

「っ……」

「――そいつは間違いだ、あたしが立っている限り、負けはねぇ」

 

 ジャラリと、既に耳が鳴れた鎖の音がした。ネルの愛銃を繋ぐ長鎖、それが地面に滑り落ち彼女を囲う。額に滲む赤色、弾丸を受け裂かれた制服、血と砂利に塗れた皮膚、先生と負けず劣らずな青痣だらけの四肢。それを見据え、トキは顔を歪めながら告げる。

 

「そんな体で――」

「あぁ、確かになぁ、ヒデェ状態だ、ちっと動くだけで吐きそうになるし、骨や靱帯も……クソ、あっちこっちイッちまってやがる」

 

 指先を動かし、両足で地面を踏み締めネルは悪態を吐く。状態は最悪だ、血も足りないし目も霞む、苦痛度合で云えば過去最悪レベル、本当ならば今直ぐにでも病院に担ぎ込まれるべき負傷だ。戦闘出来る状態かと問われれば、十人中九人が不可能だと断言するだろう。

 

「――で、だから何だ?」

 

 しかし、ただ一人違う答えを持つ彼女は勇んで告げる。

 赤の滲んだ歯を剥き出しにして、トキに挑む様な視線を飛ばし云った。

 

「その程度で諦める程、柔い精神してねぇんだよコッチは」

「先生も、ネル先輩も、そんな手負いの状態で……! これ以上の抵抗は無意味ですッ! 何故それが分からないのですか!?」

「同じ事何回も云わせるんじゃねぇよ、あれだけ先生をボコスカ殴りやがって……クソが、こんな最悪な気分は二回目だぞ」

 

 目元に流れる血を指先で乱雑に拭い、彼女は舌打ちを零す。

 

「抵抗は無意味だぁ? っざけんじゃねぇ、無意味かどうかはあたしが決める、他人に四の五の云われて、往く道変えてられるかよ……ッ!」

 

 立ち上がる事が無意味かどうか、挑む事が間違いかどうか、そんなのは蓋を開けるまで分からない。最後の最後に立っているのはどちらか、訳知り顔で語る事の何と傲慢な事か。ネルは毛を逆立たせ、小柄な体格に見合わぬ威圧感を撒き散らしながら一歩を踏み出し、咆哮する。

 

「それにな、先生があんだけ踏ん張ったんだ、分かるか、なぁ!? ――それに応えられなきゃ、あたしはあたしを許せねぇんだよッ!」

「ッ――!」

「鬼に金棒、龍に翼……ッ! そして、あたしには、この自慢の二丁サブマシンガンとぉッ!」

 

 ネルが両腕を広げる、ぶわりと宙を舞い、撓った鎖が金切り音を鳴らした。

 同時に二つの銃口がトキを捉え、月光がバレルを鈍く照らす。ネルは渾身の叫びと共に引き金を絞り切った。

 

「――先生ってなァッ!」

 

 重低音――明らかに口径に見合わぬ銃声と閃光。放たれた弾丸はトキの元へと飛来し、動揺し、浮足立っていた彼女は回避する事も叶わず咄嗟に両腕を交差して防御を固める。

 瞬間全身を打ち据える弾丸、鉛の雨。両腕、頭部、肩部、腹部、両足、全身を隈なく叩く弾丸は先程までよりも明らかに神秘濃度が上昇し、身体の芯にまで響く様な威力を誇っていた。微かに跳ねた弾丸が街道に穴を穿ち、破片が飛び散る。

 

「オラぁアァッ!」

「くぅッ!?」

 

 連続した発砲音、空薬莢が地面に落ち、弾む。トキは猛攻を受ける中アームギアを通じアビ・エシュフに指示を出す。瞬間、アビ・エシュフの巨躯が射線上に割り込み、ネルは顔を歪めながら射撃を中止した。アビ・エシュフの元へと飛来した弾丸は微かに弾道を逸らされ、その殆どは外装に浅い角度で着弾、弾かれる結果となる。

 トキは自身を保護させたアビ・エシュフを再度装着しながら、大きく後方へと退く。その表情には隠し切れない困惑と、焦燥が滲んでいた。

 

「理解、出来ません……ッ! なんて、非合理的なッ!」

「何回ぶっ倒され様と問題ねェッ! 最後に立っていた奴が勝つんだからなァ!」

 

 新しい弾倉を空中に放り投げ、寝かせた愛銃を交差、横に弧を描く様に振り抜く。カチンと、空中で再装填を終えたネルは地面を蹴飛ばし、低い姿勢を保ったままトキの元へと肉薄した。彼女の蹴り飛ばした街道は弾け、その加速は留まるところを知らない。

 

「演算や数字であたしと先生を知った気になってンじゃねぇぞッ!? 十回でも百回でも千回でも、勝てるまでやればあたしの勝ちだ! あたしは勝つまでやめねぇッ! つまりッ!」

 

 着地したアビ・エシュフ、トキは真っ直ぐ一本の弾丸の様に駆けるネルを目視し、身構える。それを見たネルは更に強く地面を蹴飛ばし、勢いを増した。

 

「あたしに勝負を挑んだ時点で、てめぇは負けてんだよ――後輩ッ!」

 

 振り被る鎖、それを見たトキは主腕を動かしトライポッドを突き出す。一拍間を置いて閃光が瞬き、臓物を揺らす様な重低音を搔き鳴らし弾丸が吐き出される。その内の数発がネルの振り被った鎖に命中し、甲高い音と共にネルの愛銃を繋ぐ鎖、その一部が破損、弾け飛んだ。

 撓る鎖が地面を叩き、制御を失う――だが、ネルは止まらない。

 鎖が破壊されたと見るや否や即座に思考を切り替え、トキ目掛けて跳躍する。

 

「――最終ラウンドだ」

「ッ……!」

 

 直ぐ目と鼻の先に、ネルが迫っていた。トキの瞳とネルの瞳が重なり合う。互いの視界に映る姿、満身創痍のネルは獰猛な笑みを、優位に立っている筈のトキは怯む様な表情を。

 

「今度こそてめぇの顔面、全力でぶん殴ってやるよ――なぁ、トキッ!」

「対応、再開――ッ!」

 

 ■

 

「――見えた、目的地だ」

 

 静寂の中に低く、鋭い声が響いた。暗闇に潜みながら行進を続けていたアリウス・スクワッド、彼女達の先頭に立つサオリは片腕を上げ、その場で停止の合図を出す。

 路地の片隅に身を寄せながら息を殺す彼女達が見つめる先に、中央タワーの出入り口、その内の一つがあった。二重の強化硝子扉にセキュリティ端末、正面入り口ではない為多少こじんまりとした印象があるものの、警備は相応に厳重。

 サオリは指先で帽子のつばを撫でつけ、背後の面々を一瞥する。

 

「作戦内容は各自、把握しているな?」

「うん」

「………」

「は、はい」

 

 直ぐ後ろにぴたりと続いていたスクワッドは、サオリの言葉に頷きを返す。サオリは端末の画面を点灯させ時刻を確認すると、一つ頷きを零し云った。

 

「――これよりエリドゥの中央タワーに侵攻し、電力中枢を叩く」

 

 それこそが彼女達に託された任務(ミッション)――ヒマリ救出後に先生から伝えられていた内容であった。

 サオリは物陰に身を寄せながら端末の投影機能を使用し、中央タワーの三次元マップを表示する。全員の視界に立体的な中央タワー、その構造が映り、サオリは指先で地下を指し示しながら言葉を続ける。

 

「各所に分散されたエネルギーライン、その大本が此処の地下に存在している、先生からの情報によれば現在中央タワーに電力が集中しているらしい、此処を叩けばエリドゥ全体に影響が発生する筈だ、それはつまり――敵方の切り札、その弱体化に繋がる」

「要塞都市って云う位なんだから、生命線である電力の大本はかなり防備が厚いだろうね、かなりの抵抗は予想しておいた方が良い」

「わ、私達だけで突破できるでしょうか……?」

「突破は問題ない、全員の火力を集中すればシャットダウンまでは持ち込める筈だ、問題は――」

 

 サオリが顎先を撫でつけながらミサキへと視線を飛ばせば、彼女も理解しているのか頷きながら声を返す。

 

「復旧の為に送り込まれる増援部隊と防衛設備、私達だけで中枢を占拠し続けるのは無理」

「……私のドローンで治療しながら戦っても、多分長くは持たない」

「あぁ――私達が脱出する分の弾薬、火力を保有したまま離脱できる限界点は既に計算してある」

「……制限時間(リミット)は?」

 

 ミサキは神妙な顔つきで問いかけた。現在のスクワッドが持ち込んだ装備、弾薬で戦闘可能な限界点。全員の視線がサオリに注がれる。彼女は自身のベルトポーチを指先で叩き、脳内で残りの弾倉を数えながら云った。

 

「――五分だ、五分間のみ全力で防衛に当たる」

 

 現在のスクワッドで耐久出来る限界点――それが五分。

 此処から中央タワー地下まで攻め入り、奪還の為に迫り来るであろう敵対勢力を撃退し続ける事が出来る時間。恐らくかなりの激戦が予想されるだろう、敵の生命線とも云える大本を抑えるのだ、死に物狂いで戦力を送り込んで来るに違いない。

 

「時間が経過した後は中枢を放棄し、そのまま後退、エリドゥ中央区画の外郭へ撤退し身を隠す、以上だ――何か質問は」

「……了解、現状の弾薬何かを考えると、その辺りが妥当か」

「せ、設備を丸々破壊しちゃったりとか……?」

「――それは無理だと思うよ」

 

 恐る恐る手を挙げたヒヨリの呟いた言葉、それに言葉を返したのはサオリではなく、後方に続いていた別の生徒であった。暗闇に身を潜めるスクワッド、彼女達の更に後方に佇む影。エイミはひんやりとしたビルの外壁に肩を預けながら、いつも通り抑揚のない声色で告げる。

 

「リオ会長は用意周到だから、物理的にどうこう出来るような環境にないと思う、仮にどうにかしようとしても、個人携帯可能な爆薬だと火力が足りない、だからどうにかするならシステム面からだけれど――多分、五分そこらでエリドゥの電力網を乗っ取るのは無理」

 

 指先で唇をなぞり空を仰ぐエイミは、軽く唸りながら頷く。エイミの試算だと、単純に此処の電力網を乗っ取るには自分一人では不可能で、ヒマリとタッグを組んでも難しい、恐らくヴェリタス全員この場に呼び込んでどうにかなるだろうか――と云うレベル。更に五分以内という制限時間が付けば、それはもうお手上げだ、どうする事も出来ない。

 彼女は自身の思考に区切りをつけ、直ぐ背後に顔を向けながら言葉を投げかける。

 

「でしょ、部長?」

「そうですね、業腹ですがその通りです」

 

 エイミの背後で車椅子に身を預けるヒマリ、彼女もまたエイミの言葉に頷いて見せた。

 

「私が直接同行出来るならば可能かもしれませんが、流石にそれは難しいですから、遠隔での操作となると煩わしいセキュリティ周りが幾つか……一つ一つは大した事がなくとも塵も積もれば何とやら、腐ってもビッグシスター、その辺りは手を抜いたりしないでしょうし、えぇ、全く以て腹立たしい限りです」

「……と、専門家がこう云っている」

 

 エイミとヒマリの所感、それを耳にしたサオリは手を広げ小さく肩を竦めた。残念な事に環境柄スクワッドは電子戦闘に慣れているとは云い難い。多少は心得があるものの、ミレニアムはその分野に特化した学園である。加えて相手はビッグシスターと呼ばれるミレニアムのトップ、残念ながらスクワッドが云々出来る領域に存在しない、その自覚があった。

 

「――まぁ、最悪私達の事は信じなくて良いよ」

 

 電子関係に詳しくないスクワッドに対し、エイミは何の悪意も、悪気も見せずにそう口にした。何だかんだ協力関係にある彼女達ではあるが、実際にこうして顔を合わせたのは初めてに過ぎない。知り合ってまだ一時間足らずの関係、それで信頼云々など育まれるはずもない。

 だから――。

 

「貴女達は私じゃなくて、先生の事を信じれば良い――そうでしょう?」

 

 自分の事は信じられずとも、先生の事は信じられる。此処でこうして顔を合わせたのも、全ては先生が紡いだ縁によるもの。その繋がりこそを見るならば、自身を信じられずとも、先生が信じた繋がりこそを信じろと――エイミは暗にそう告げていた。

 

「……いや」

 

 一瞬、サオリは口を噤む。しかしややあって、サオリは緩く首を振った。

 

「信じよう、私達は現地で五分防衛に専念し、先生達の活路を切り開く――それだけだ」

 

 サオリは想う、自身と肩を並べて戦ってくれた彼女に、或いは手を差し出してくれた相手を疑る真似は出来ないと。そうでなくとも自身には負い目がある、ならば多少の理不尽、不利益に苦言など零せる筈がない。だからこそ信頼には信頼で返す、先生が絡むのであれば尚の事。

 スクワッドは全身全霊で以て彼に報いる、それだけだった。

 

「では、私はこの場で皆さんの戦闘支援を行いましょう、ふふっ、周辺に展開したAMAS等は全て丸裸にして、道中のセキュリティ周りもお任せを」

「じゃあ、私も向こうに参加して良い?」

「えぇ、構いませんよ――あぁ、ただ直接操作しなければならないコンソールの類はお願いしますね、エイミ?」

「うん、任せて」

 

 エイミとヒマリの二人も行動方針を固め、ヒマリはこの路地にて身を隠し後方より戦闘支援を行う事を約束する。彼女を一人にする事に対して不安があったものの、単純なAMAS程度であればどうとでも出来るという彼女の言葉を信用し、戦闘可能な生徒は全員地下へと突入する事と相成った。

 

「良し、目標は定まった……早速行動を開始しよう」

 

 愛銃を抱え直し、口元をマスクで覆ったサオリは告げる。立ち上がった彼女に続き、スクワッドとエイミが頷きを返す。中央タワー入り口、頑強なセキュリティはヒマリかエイミが解除してくれるだろう。しかし、内部へと一度踏み込めば強固な防衛設備が立ちはだかる筈だ。

 故に侵入した後は力戦となる――安全装置を弾き、サオリは路地より一歩を踏み出す。その影となった表情を、月光が照らした。

 

「先生、これが私達の――最初の恩返しだ」

 

 償い切れない程の罪悪、しかしだからと云って何もしない事は耐えられない。だからこそ彼女達はどのような死地であっても、困難であっても、先生が望むならば喜んで身を投じよう。

 外套を靡かせ、アリウスのエンブレムを握り締めたサオリは力強く宣言する。

 

「――アリウス・スクワッド、出撃するぞ」

 


 先生殴ってたら文字数凄い事になっちゃった……。ストーリーラインはそのままなのですが、此処から少々独自設定や展開が入って来ます。まぁエデン条約やらアビドス編で好き勝手やっておいて今更何をというお話ではありますが、念の為記載しておきますわ! 具体的に云うとアビ・エシュフの攻略方法とか、アリス救出の際の展開ですわね! 地平線を覆う様な夥しい数の敵を前に、たった一人で決戦を挑む――わたくし、そういう展開大好きサムライですのよ!

 頑張れ先生! 負けるな先生! 体中ボッコボコにされようとも、生徒の為に命を振り絞るんですわよッ! 

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