ブルーアーカイブを、もう一度。   作:トクサン

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誤字脱字報告感謝ですわ~!


幕間
幸運の白兎


「会長、此方レッドウィンターからです」

「……そう」

 

 忙しなく動き回る役員達、彼方此方から電子音が鳴り響いては対応に苦慮する声が聞こえて来る。端末の画面と書面、それらと睨み合いをしてどれ程の時間が経過したのか、そんな事を考える暇もなく、目前に立ったノアは薄らと笑みを浮かべたまま執務机の上に書類の束を追加した。

 ドサリと、既にあった書類の上に圧し掛かるソレ。「もしかしてコレ、全部抗議文かしら?」等と問いかける気力すらなかった。考えるまでも無い、答えは明らかなのだから。

 

「それと此方はトリニティからです、こっちがゲヘナで、百鬼夜行と山海経からも――あぁ、そう云えばクロノススクールより取材の申し込みがありましたが……」

「後で対応するわ、脇に置いておいて頂戴」

 

 分かりました、と飾り気のない返答。遅れてノアの背後に台車がある事に気付いた、視界に映る段ボールに詰め込まれた書類と云う名の抗議文書。ずっしりと詰まったそれをノアは一つ、二つと彼女――リオの執務机に乗せていく。

 それからふと、彼女は三つ目の段ボールを抱えながら目を見開いた。

 

「――あら、もう置き場がありませんね?」

「……台車ごと横に」

 

 額を軽く揉み解しながらそう云えばノアは頷き、キュルキュルと音を立てながら執務机横に付けられる台車。これを全て電子で処理出来ればまだ楽だと云うのに、内心でそう零しながらも紙媒体から逃れる事は出来ない。左手でホログラムコンソールを叩き、右手でペンを動かす。数日ずっと執務机に張り付いていたリオの目元には隠し切れない疲労の証が刻まれていた。

 しかし、それは何も彼女だけではない。

 

「はぁ、全く、どれだけ対応しても全然減らないんだけれど……!?」

 

 リオの直ぐ傍には彼女に負けず劣らず、書類の山に囲まれたユウカの姿があった。半ばデスクを睨み付ける様な眼差しで、いっそ怨嗟を込めながらペンを走らせる彼女の背中には鬼気迫るものがある。その目元にはリオと同じく、消えない隈が刻まれていた。

 というより、ここ最近はセミナー全員がそうだ。普段滅多に疲労を表に出さないノアでさえ、どことなく草臥れた様子を見せているのだからどれ程大事か。

 僅かによれた襟元を正しながら苦笑を零すノアは、手帳をぱらぱらと捲りながらペンで項目にチェックを入れる。

 

「仕方ありません、今回は全面的にミレニアム側の不手際ですから」

「ミレニアムというより、私個人の不手際よ……ごめんなさい、皆」

「謝罪はもう何度も聞きましたから、今は兎に角手を動かして下さい!」

「……えぇ、そうね」

 

 ユウカの一喝に肩を落とし、黙々と手を動かすリオ。最初はリオ会長がまたどこかに雲隠れするのではないかと、そんな事を危惧したユウカが始めた監視体制であった。しかし、今ではそんな余裕は無く、兎に角彼方此方から押し寄せる学園の対応で精一杯。最早会長個人に云々と口にしている暇すらない――加えて、これでもまだマシな状況になったというのだから堪らない。

 

 今は先生がシャーレの職務に復帰し、各方面に抑えが利いている。先生が病院に入院中、表に顔を出す事も出来ない間の状況は――ちょっと思い出したくない程だ。

 あの時はリオ会長も職務に復帰しておらず、殆どセミナー総出で対応に当たる必要があった。修羅場とは正に、あの状況の事だろう。人としての在り方は兎も角、こういった業務に於いてリオは無類の優秀さを誇っていた。百人力とまではいかないが、誇張なしで十人力程度はある気がした。

 

「あぁ、そう云えばユウカちゃん、ゲーム開発部より臨時予算の申請がありましたよ」

「は? 臨時予算?」

「はい」

 

 ふと、思い出したようにノアが口を開いた。各学園の対応を迫られているユウカだが、それはそれとして学園の運営業務が無くなった訳ではない。予算に関しては会計である自身を通す必要がある、そちらを疎かにする訳にはいかなかった。

 しかしノアの発言に対し、ユウカは怪訝な表情を浮かべながら言葉を返す。

 

「そんな話、聞いてないけれど……」

「申請があったのはつい数時間前の事ですから――何でも今開発しているゲームで現実的な【金の延べ棒】を出したいそうです、しかし『現物がないと重さとか光沢とか、良く分からないし!』との事で、実際に購入する為の臨時予算を……」

「そんなの通る訳ないでしょ!? というかその程度、想像で補いなさいよッ!」

 

 思わずと云った風に叫び、デスクにペンを叩きつけながら憤慨するユウカ。金の延べ棒って、購入したら一体幾ら必要になると思っているか。そもそもそんな理由で臨時予算案を提出するなとか、審議が通る訳ないだろうとか、様々なフラストレーションが重なり爆発しかけていた。「あらあら」と云わんばかりに小首を傾げるノア、しかし何故だろう、恐ろしい形相を浮かべるユウカを眺める彼女の瞳は何処か楽しげでさえあった。

 

「ゲーム開発にどうしても必要なのかしら? それなら、私個人の資産から出して構わないけれど――」

「それは横領した予算の返済に充てて下さい!」

 

 そろりと手を挙げ、淡々と口にするリオ。それに対しユウカが火を吐く勢いで却下すれば、シュンと身を縮こまらせながら下を向く。その表情は相変わらず無機質であったが、心なしか残念そうに見えた。

 時折ゲーム開発部に招待され一緒に遊ぶ仲になって以降、どうにも会長はゲーム開発部に対し甘くなっている気がすると、ユウカは内心で呟く。元々の関係を考慮すればそれは驚くべき事だし、きっと善いとされる事なのだろう。しかしソレはソレ、コレはコレ、こんな地獄の様な状況を作り出した事に対して文句の一つや二つは出て来ると云うもの。

 ユウカは顔を覆いながら深く椅子に座り直すと、背凭れを軋ませながら口元を歪めた。

 

「はぁ、こんな状況、それこそ猫の手も借りたい位なのに――ッ!」

 

 セミナーの人手は有限だ、業務が業務なので下手に外部委託など出来ないし、他所の生徒を引っ張ってくるなど以ての外。一人雑用が増えるだけで大分助かるのにと呟くユウカの脳裏に、ふと憎たらしい笑みを浮かべたとある生徒の顔が浮かんだ。

 

「……あ」

 

 ぴたりと動きを止めたユウカは、そのまま天井を見上げ口を開く。

 

「そうよ、居るじゃない、こんな状況なのにまだ呑気に過ごしている生徒が、ひとり」

「?」

 

 呆然と、心なしか血走った瞳で声を漏らすユウカ。ノアは一瞬誰の事を指しているのか分からず首を傾げる。しかし数秒を経て、ユウカが誰に対して意識を向けているのかを悟り驚愕の色を見せた。

 

「ユウカちゃん、まさか……」

「そもそも私達がこんな目に遭っている間、呑気に惰眠を貪っている事自体がおかしくない? だって、あの子だってセミナーの一員の筈でしょう?」

 

 ぶつぶつと呟き、何度も小さく頷いて見せるユウカ。それは最早自問自答に近い。彼女の目は虚ろで、声は力なかったが、同時に確固たる意志を感じさせた。流石のノアもこれには少しばかり気圧され、心配げな視線を向ける。しかしどうやらユウカの中で議論は決着したらしく、ゆっくりと立ち上がった彼女は携帯端末をポケットに突っ込みながら告げる。

 

「そう、そうね、反省ならたっぷり仕事を捌く事で果たして貰いましょう――また逃げ出そうとしたらC&Cを嗾けてやるわ」

 

 声は本気だった。背凭れに掛けていた上着を羽織り、ユウカは軽く肩を回すとリオに声を掛ける。

 

「会長、これから反省部屋に行ってきます」

「反省部屋?」

「そうです」

 

 疑問符を浮かべるリオを他所にコツコツと靴音を鳴らし部屋を後にするユウカ。不意にその足を止めると、ノアに視線を移した。

 

「ノア、良かったら少し付き合って頂戴、大事な人手を確保するわ」

「それは構いませんが、ユウカちゃん、その人手ってもしかして――」

「多分考えている通りよ」

 

 セミナーの業務に携わる事が出来て、尚且つ彼女の向かう場所――反省部屋に居るであろう生徒。ノアがその生徒の顔を思い浮かべると同時、ユウカはいっそ清々しい程に悪辣な笑みを浮かべ云った。

 

「――黒崎コユキを釈放するわ」

 

 ■

 

「……ふがっ」

 

 不意に、目が覚めた。

 何か夢を見ていた様な気がするけれど、内容は定かではない。悪夢だった様な気もするし、良い夢だった様な気もする。しかし、いざ内容を思い出そうとすると途端に掻き消え、記憶の彼方へと沈んでいく夢物語。夢と云うのは、いつだってそうだ。

 皺だらけのシャツに腹を出したままソファに横たわっていた彼女――黒崎コユキは口元の涎を拭い、気怠そうに上半身を起こした。ボサボサに跳ねた髪を軽く払い、そのまま額を指先で掻く。

 

「ん――……?」

 

 ぼんやりと虚空を見上げたまま、何となく胸を二度、三度摩る。

 内容は憶えていないし、全く以て朧げな感覚ではあるのだが。

 

 夢の内容は――悲しいモノだった様な、気がする。

 

「って、まだこんな時間……」

 

 ソファの傍に転がっていたボール型の電子時計を指先で転がせば、ディスプレイはまだ日中を指している。こうしてこの場所、反省部屋に叩き込まれてからというもの昼頃まで惰眠を貪ったり、昼夜逆転する事はいつもの事なので驚きはしない。もう少し眠っても良いかなぁと、視界に掛かった靄をそのままに再びソファへと横たわる。

 しかし、彼女の耳にはいつもと異なる音を捉えた。

 

「……んぇ?」

 

 ピッ、ピッ、という微かな電子音。

 それは反省部屋に通じるコンソールを操作する音だ。内部と外部のコンソールは同期しており、何方かが操作すれば分かる仕様となっている。当初は此処のコンソールをクラックし、「にははっ! こんなの楽勝ですよ~だッ!」と意気揚々と脱走しようとしたものだが、開放された重厚な扉の前で恐ろしい形相のユウカが仁王立ちしていた光景を目にして、そっと扉を閉めるという事――実に二十四回。

 

 その後の事はちょっと思い出したくない。

 コユキからすれば反省部屋からの脱出など直ぐにでも可能ではあるが、その後セミナーやC&Cに捕まる度に凄まじい目に遭うので正直暫く大人しくして居ようと思っていた。そう思う程度には、彼女達の折檻がトラウマになっている。

 

「これ、扉の解錠音――って事は、もしかして先生!?」

 

 そんな反省部屋に来客。コユキは暫し呆然とし、それから慌てて寝転がっていたソファより飛び起きた。その際に幾つか雑誌を踏み躙ってしまうが気にしない、この反省部屋は利用者が実質コユキひとりの為、殆ど彼女の私室と化していた。

 

こんな所(反省部屋)に来てくれる人なんて先生位ですし……! あっ、どうしよう、今日は何して遊ぼう!? ボードゲーム――はこの前遊んだし、えっと漫画、アニメ、ひっそり持ち込んだ携帯ゲーム……!」

 

 ソファから飛び起きたコユキは皺らだけのシャツを引っ張って何とか見栄を良くしようとしたり、結局駄目で床に放られたままの上着――制服を羽織って、それから慌てて先生と一緒に遊ぶ代物を探し出す。

 先生は多忙だ、会える事なんて稀だし、それも数時間程度。コユキからすれば正に閃光の如く、あっという間の出来事だった。入院中は手持ち無沙汰だったのか、時折ひっそりと遊びに来てくれていたが、最近は職務に復帰したとかで顔を合わせていない。一分一秒が惜しい今、ドタバタと忙しなく部屋を走り回る彼女は取り敢えず遊べそうなものを片っ端から引っ張り出した。

 

 彼女の玩具はソファの下に貼り付けられていたり、戸棚の裏側に放られていたり、観葉植物の植木鉢底に隠されていたり、トイレのタンク内部にビニール袋と共に沈められていたり、洗面台の偽装パイプの内部にあったり。そうやって搔き集めたゲーム機やら漫画やら、トランプなどを腕の中に詰め込み、急ぎ扉の前に駆け出す。

 必死に駆けまわる彼女の表情は、久方振りの歓喜に満ちていた。

 

「っと、と……!」

 

 ふと、洗面台を横切ろうとしたコユキは一瞬足を止めた。鏡に映る自分の姿は随分ズボラに見えるが――まぁコレはどうしようもないので仕方がない。

 しかし、最低限身嗜みを整える努力はしないといけない。そんな風に考えたコユキは玩具を抱えたまま指先で前髪を軽く整える。所々跳ねたままの髪だが、やったという事実が重要なのだ――大人相手には礼儀正しく、ね。

 

「ぃ~……よしッ!」

 

 そんなこんなに何とか到着に間に合わせ、両手一杯に遊び道具を沢山抱えたコユキは満面の笑みで来客を迎える。ゆっくりと開く重厚な扉、通常金庫等に用いられる円型で分厚いそれは急激に開く事無く、僅かずつ外部をコユキに晒していった。

 

「――にはははっ! ようこそ先生、歓迎しま……」

 

 そして、その先に立っているであろう先生に向かって溌剌な笑みを浮かべ。

 

「お久しぶりです、コユキちゃん、良い子にしていましたか?」

「……悪かったわね、先生じゃなくて」

「―――」

 

 その並ぶ二つの顔を見た瞬間、コユキの時間は文字通り停止した。

 笑顔のまま石像の如く固まった彼女は、数秒程静寂を守る。予想していたのはいつも通り穏やかで、暖かな笑顔を浮かべた先生の姿。しかし現実には裏側の見通せない貼り付けた様な笑みと、目元に隈を拵え普段の数倍は重苦しい気配を纏う先輩二人の姿。その現状を脳が現実を理解すると同時、両手に抱えていた遊び道具を後方にぶん投げながらコユキは慌てて扉より距離を取った。

 

「うぇ、うぇええッ!? せ、先輩方!? な、なんでこんな所にっ!?」

「はぁ、コードネーム『白兎』――いえ、黒崎コユキ、出て来なさい、釈放よ」

 

 腕にぶら下げた愛銃、リーズンの方を揺らしながら告げるユウカ。コユキは唐突な展開について行くことが出来ず、部屋の中で腰を抜かしながら困惑を隠せずにいた。今先輩方は何と云った、釈放だと? 自分が? 此処から? 今までずっと放置されていたのに? 二人の態度を訝しみながら、コユキは恐る恐る問いかける。

 

「わ、私が釈放? い、今になって? なんで?」

「今セミナーは大変なのよ、それこそ猫の手も借りたい位に――ね?」

 

 俯き気味に答えたユウカは、そのまま地面に尻餅を突いたコユキを見下ろし告げた。

 血走って、乾いた瞳だ。何かもう一杯一杯である事が伝わって来るような鬼気迫る表情だった。よく見れば普段ツンケンしつつも、きちんと身嗜みも整えて過ごしているユウカの制服が、どこか縒れて肌の血色も悪い事に気付いた。

 

 ――あのユウカ先輩が、こんな状態になる状況って何? 絶対ヤバいじゃん。

 

 コユキの顔からさっと血の気が引き、地面を這う様にして部屋の奥へと退避する。どう考えても厄介事だった、碌な目に遭わない事が約束されている――自身の第六感、コユキレーダーが叫んでいた。

 

「い、嫌です! いきなり先輩がやって来て釈放とか、絶対コレ碌な事じゃないですよね!? 行きませんよ! 私此処から絶対出ませんからっ!」

 

 普段とは真反対の事を叫びながら、傍にあったタオルケットを掴むコユキ。通常であれば此処から早く出してくれ、自由にしてくれと騒ぎ倒したであろう――しかし、二人の状況を鑑みれば、この場所で暇を持て余している方が何倍もマシだと彼女の本能は判断していた。

 その返答を聞き届けたノアとユウカの二人は顔を見合わせ、それから殆ど同時に一歩を踏み出した。コツコツと、二人の姿が反省部屋の中へと消えて行く。迫り来る二人の影を、コユキは恐怖に染まった瞳で見上げていた。

 

「なっ、なんで無言で近付いて来るんですか……!? う、うわぁああッ! こ、来ないで、先輩怖い! やだ、無理! パワハラ反対! 先生助けてぇぇええッ!?」

 

 コユキが泣き喚きながらそう叫ぶも、残念ながら先生はこの場に居ないし、彼女の味方は何処にもいない。

 そうして数分程反省部屋の中で格闘し、コユキは最低限人前に出る事が出来る恰好を整えた後、ユウカに引き摺られる形で廊下へと姿を現した。

 

「うわぁぁあ~ッ!」

「ほらっ、キビキビ歩く! いつまでも引き摺らせないでよ!」

 

 駄々っ子のように両手を広げて地面との摩擦を少しでも増やそうとするコユキ、その両足を引っ張って歩くユウカは額に青筋を浮かべ怒声を上げる。隣を歩くノアの手には、ユウカの愛銃が預けられていた。

 

「な、なんなんですか! 今まで大人しくしていたじゃないですか! 問題も起こしていないですし、勝手に脱走もしてませんよ!? 酷い、暴力反対! 冤罪です!」

「はぁ? 反省部屋にあんたが叩き込まれたのは自分の起こした問題のせいでしょうが! どこが冤罪だって云うのよ!?」

「まぁまぁユウカちゃん、コユキちゃんもこんなに泣いて、反省もしている様ですし」

「反省? こんな態度の、どこが反省しているって云うのよ!?」

「そっ、そうですよ! 反省だなんて、そんな……! まるで私が悪い事をしたみたいな云い方はやめて下さい!」

 

 横合いから入ったノアの弁護に対し、コユキは涙を流しながら反駁する。三人の声が廊下に響き渡り、滅多に人通りのない別棟の中でコユキは腕を振り回しながら云った。

 

「あれは不可抗力と云うか、ハプニングというか、全部そんな感じで……!」

「債権の偽造がハプニング!? 一体どこがよ!?」

「だ、だってほら、すっごいコワモテのC&Cの先輩を使って私を捕まえに来たじゃないですかっ! もうギッタンギッタンのボコボコにされて、トラウマなんですからね、アレ!? あの一件でもう罰は十分じゃないですかぁ!」

「――すぅ……」

 

 泣き喚きながら謎理論を展開するコユキに、ビキリとユウカの青筋が一際強く浮かび上がる。ノアはそんな彼女の様子を一瞥すると、小さく溜息を零しながらコユキの横に立ち影を落とした。

 

「コユキちゃん、反省――しているんですよね?」

「え? あ、えっと、その……だ、だって、あんな杜撰な暗号システム使っている様な状態が悪いって云うか、あの程度のセキュリティで運用している方に問題があって、私は、別に、悪くないって、云うかぁ――」

 

 自身を見下ろす笑顔――その奥に潜む仄暗い怒り。それを感じ取ったコユキは視線を彷徨わせながら、何とか責任を回避しようと足掻く。しかしコユキの自己弁護が重なる度、ノアの纏う空気はどんどん重くなる。

 

「………」

「あ、あの、ノア先輩……? そ、その、笑顔で無言なのやめて貰えますか? な、なんかこう、ちょっと、まるで私が悪いみたいな雰囲気、あれはちょっとしたハプニングで、不可抗力で、に、にはは~……」

 

 笑って誤魔化そうとして、けれど目の前のノアはピクリとも表情を変えない。いっそ不気味なまでに綺麗な笑顔で此方を見下ろすノアからは、言葉では表現できない威圧感があった。パクパクと、口を開閉させながら瞳を泳がせ、五秒、十秒と時間が経過する。空気が重さを増す、コユキは目尻から涙を流しながらくしゃりと表情を歪めた。

 限界だった。

 

「わ――……」

「わ?」

「私が間違っていました……」

「――ふふっ、良い子ですね」

 

 ぱっと、先程とは打って変わって穏やかな空気を放ったノア。彼女は嬉しそうにコユキの頭を撫でつけ、コユキは為されるがままに青白い顔で全てを受け入れていた。ユウカはそんな彼女達を横目に掴んでいた後輩の両足を放ると、溜息交じりに問い掛ける。

 

「前から思っていたんだけれど、あんた何でノアには大人しい訳?」

「や、だってノア先輩怖いですし、夢に出てきそうだし、昔の発言を何時何分まで記憶して、あの時と云っている事が違いますよ? とか真顔で詰めて来るから、マジで、その、ちょっと……」

 

 その場で正座姿勢になり、冷汗を流しながら答えるコユキ。殆ど涙目で肩を落とす彼女からは哀愁が漂っていた。

 コユキには逆らえない存在が居る、筆頭は目の前の二人を加えたミレニアム先輩組、それと自分に良くしてくれる先生その人だ。

 その中でもある程度、『逆らいたくない序列』の様なものがあり、その筆頭が目の前で微笑むノアであった。

 

 基本的に楽観主義で、刹那的で、その場の勢いで生きているコユキであるが、ノアはその言動一つ一つを記憶し一秒毎に言質が増えて行く。そして問題が起こると記録していた記憶を紐解き、詳らかに事実を語り自身の行動の矛盾、整合性の欠如を指摘、完膚なきまでに押さえつけに来るのだ。

 これならまだ直截的に暴力を振るわれた方がマシだ、彼女のそれは精神的な攻撃そのものであり、コユキの一番苦手とする分野だった。

 

 じゃあそもそも議論に付き合わなければ良いのでは、という話ではあるが――それをした結果、もっとえげつない目に遭った記憶もある為、一度彼女に捕まれば大人しく話を聞く他ないのである。

 そんなの知りませんよーだっ! と舌を出しながら逃げ出していた頃の自分は余りにも無鉄砲だった。その後差し向けられたC&Cに捕まり、ニコニコと笑みを絶やさないノアと密室で二人きり、延々と自身の過去の言動を掘り返され続け、強制的に反省させられる事を半日以上繰り返す――あれは正しく地獄だ。もう二度と味わいたくない、コユキは強くそう思う。

 

「えぇと、それで一体どうしたんですか、お二人が此処に来る何て、よっぽどの事じゃ……」

「さっきも云ったけれど、今セミナーが大変な事になっているの、外部の生徒に助けを借りる訳にもいかないし、あんたには今直ぐセミナーに復帰して貰うわ」

「せ、セミナーにですか? でも、私はもうクビになったんじゃ……?」

「そんな筈ないでしょ、会長だって復帰したんだから――ほら行くわよ」

 

 会長が職務に復帰? あの人、何か仕出かしたんですか? そんな疑問を口にするより早く、ぐいっと襟を引き上げられ強制的に立たされる。そのまま腕を引かれ、三人は廊下を歩き始めた。

 

「そう云えばコユキちゃん、随分先生と仲良くなったんですね?」

「えっ? あー、いやだって、反省部屋ってやる事ないですし、会いに来てくれるのは先生位でしたし……」

 

 ノアの問い掛けに対し、ぼそぼそと小声で答えるコユキ。これは嘘でも何でもない、そもそも反省部屋に足を運んでくれるような奇特な友人など居る筈もなく、自身を此処に叩き込んだセミナーの面々は常に多忙。「もしかして、私って存在忘れられている?」と疑問符を浮かべた事は一度や二度ではない。それでも脱走を行わなかったのは、先輩達の恐怖が骨の髄まで沁み込んでいるからなのだが――。

 

「まぁコユキちゃんの立場上、余り外部の方と接点を持たれても困りますから……」

 

 苦笑交じりにそう告げるノア、彼女の状況には思う所もあるものの、セミナーの一員として学園の重要機密を持った歩く災害であるコユキは、何処の誰にセミナーの機密情報を漏らすかも分からない。そうなると自然、彼女と接触できる人員は限られ、反省部屋に訪れる人物が先生だけになるのも仕方ない事であった。

 ぎゅっと、コユキの腕を掴むユウカの手に力が籠る。

 

「……へぇ、それで先生と一緒に楽しく遊んでいた訳ね」

「そ、そうですけれど……何かユウカ先輩、怒っていたりします?」

「別に怒ってないわよ、えぇ――それで、私達が切羽詰まっている間、どんな事をして遊んでいたの? 私達が顔を見せた時、持ち込み禁止の筈の代物が沢山見えたけれど」

「えっ!? あー、いや、えーっと、えへへ……」

 

 ユウカのどこか感情を噛み殺したような声色に、しかしコユキは何一つ気付く事無く誤魔化す様に笑った。先生と遊んだ内容、それを反芻し脳裏に想い描いた彼女はぽつりぽつりと指折り数えていく。

 

「い、一緒に漫画を読んだりとか、アニメを見たりとか、偶に映画も……画面が小っちゃかったので、殆どくっついて見ていましたけれど」

「……ふぅーん」

「あ、でも一番はゲームを一緒に遊んでいました! 携帯ゲームとか、ボードゲームとか! 実際にお金とかは賭けないんですけれど、先生が持って来てくれるお土産のお菓子とかの取り分で運試しをすると結構楽しいんですよ? 大勝ちした時は先生に食べさせて貰ったりして……まぁ大負けしても先生は私にお菓子を分けてくれるんですけれどねっ! にははは~っ!」

 

 溌剌と語って聞かせるコユキは思い出して愉快な気分になってきたのか、その顔色には血色が戻り明るい笑い声が廊下に響いていた。隣を歩くノアの表情は、いつも通りの笑顔――先頭のユウカの顔は、影になって伺えない。

 不意にユウカが足を止めた。

 

「……コユキ、先生と接触禁止令か、十日分の仕事を今日中に終わらせるか、選びなさい」

「ヴぇッ!?」

 

 濁点の付いた声だった、目を見開きながら声を漏らしたコユキは「何で」と問い掛けようとして、ぐるりと後方へと振り返ったユウカの顔を見て――絶句した。

 そこには般若が居た、もう視線で人を殺せそうな嫉妬と憎悪と怒りに塗れた存在だ。心なしか角が生えているようにも見える、黒い翼も、勿論錯覚だ。錯覚だが正に、コユキにはそんな風にユウカが見えていた。

 

「さぁ行くわよ――仕事が終わらなかったら、暫く先生との接触禁止ね」

「う、うわぁあああん! なんでぇ~ッ!?」

 

 余りにも横暴だ、こんな状況の仕事十日分とかちょっと想像出来ないレベルだというのに。鬼、悪魔、ユウカ先輩、そんな声が廊下に響く。しかし彼女が足を止める事はなく、屈んで抵抗するコユキをユウカはズルズルと引き摺って行った。

 

「ふふっ、ユウカちゃん可愛い♪」

 

 そんな二人の背後に続くノアは、手帳にたった今起こった出来事を記録し満足げに微笑む。彼女はユウカの内心を正しく理解し、その上でその喜怒哀楽の変化を純粋に楽しんでいた。素直に感情を吐露し、表に出す彼女の姿は見ていて飽きない。

 

 業務に忙殺されるセミナー、その中で起きた黒崎コユキの復帰。

 それがどんな変化を齎すのか――それはまだ、誰にも分からない。

 


 

 と云う訳でジャスト二ヶ月で戻りましたわ!

 また定期的に更新していきますの、頻度は前回と同じですわよ!

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