ブルーアーカイブを、もう一度。   作:トクサン

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誤字脱字報告、感謝ですわ!
ちょっと日付跨ぎましたが誤差ですわ、誤差!


夜の訪れ

 

「……どうやら無事、先生は退院なさって業務に復帰しているとの事です」

 

 端末を片手に小さく吐息を零したナギサは、そっと画面を伏せながらティーカップに指を掛けた。場所は限られた生徒のみが立ち入りが許されるティーパーティーのテラス、見慣れたテーブルを囲うのは三名――ナギサは背筋を正し凛とした佇まいのまま、セイアは垂れた袖の先にシマエナガを乗せながら。そしてミカは両肘をテーブルに突き、唇を尖らせながら話に耳を傾けていた。

 

「シャーレに戻ってからは殆ど連日走り回っているとか、何とか」

「そうか、本人から聞いてはいたが――全く、相変わらずの様だね」

 

 報告を聞き届けたセイアは肩を落とし、どこか憂鬱そうな顔で呟く。ミレニアムで起こった騒動、詳細こそ掴めていないものの先生の尽力で事態は収束したという話を聞いている。加えて数週間に及ぶ入院についても――千年難題に立ち向かう研究者が興した学園であるが故に、その技術力で先生の早期復帰を助けたとの事だが、それが分かるまでは救護騎士団の面々が随分と浮足立っていた事をセイアは思い出した。

 ナギサが手を回し、救護騎士団の(トップ)を抑えていなければ恐らく単独でミレニアムへと突貫していただろう。

 流石に、学園間での問題に発展しては不味い。今頃ミレニアム側も関係各所からの対応に追われているだろうし、学園上層部(セミナー)がパンクしかけている事は想像に難くない。もしトリニティが同じ状況に置かれてしまえば、部活動総括本部もまた同じ道を辿るだろう。

 それに、自治区侵犯を侵そうとしたのは何も救護騎士団だけではない――セイアは袖口を揺らしながら、ふと視線を横にずらす。

 

「ぶー、ぶー」

「……はぁ」

 

 そこには如何にも、「不機嫌です」と云わんばかりの気配を身に纏ったミカの姿があった。彼女の瞳には険があり、尖った唇はブーイングを鳴らしている。淑女としては全く以て落第と云える態度だが、最早慣れたものだ。セイアは呆れた様子で背凭れに身を預け、ナギサは咳払いを一つ挟むと紅茶を一口、それから努めて穏やかな口調で告げた。

 

「ミカさん? 何度も云いましたが、今回はトリニティ自治区内で起こった事ではないのです、軽率な行動は慎んだ上で――」

「あぁもう、分かっているってナギちゃん、何回も聞いたよ、それ」

 

 ナギサの言葉に顔を背け、面倒そうに云い放つミカ。彼女は椅子の後ろ足に体重を掛け軽く揺らすと、そのままテーブルに手を添えながら不承不承と云った様子で言葉を続けた。

 

「私だって皆に迷惑を掛けたい訳じゃないし、考えなしじゃないよ? だから今回は大人しくしていたじゃん!」

「――ふっ」

 

 大人しくしていた、その発言をセイアは鼻で笑った。それは明らかな嘲笑だった。ミカの視線が直ぐ隣に座るセイアへと向けられ、額に青筋が浮かぶ。

 

「大人しく、か――問答無用で自治区侵犯しようとした君を止めに来た親衛隊を幾人も薙ぎ倒して漸く止まった状態を、大人しくと云うのなら、そうなのだろうね」

 

 あくまで、君の中では。

 そんな言葉の続きが聞こえてきそうな声色だった。実際そこには僅かな嫌味が籠っている。しかし先生が入院するという一報を聞くや否や、先生の端末に百件近くの不在着信を入れ、返信が来ないと悟った瞬間埒が明かないと愛銃を手にミレニアムへと向かおうとしたのだ。それを止める為に駆け寄って来た親衛隊の生徒を片っ端から薙ぎ倒して突き進むミカの背中を見ていれば、こうも云いたくなる。

 危うく正義実現委員会にまで出動命令が下される所だったのだ。校門から一歩踏み出す直前、騒動を聞きつけた浦和ハナコが状況を悟り、補習授業部のコハルを引き連れ説得してくれたから助かったものの、それが無ければどうなっていた事か。

 

 因みに他自治区との会談で学園を空けていたナギサは戻って来た直後、死屍累々と詰み上がった親衛隊を見て、すわ他学園からの襲撃かと本気で焦っていた。

 この騒動で負傷した親衛隊の数は合計で四十八名、内銃撃を受けた者は皆無であり、全員が素手で叩きのめされている。

 

「えっ、なにセイアちゃん、声が小っちゃくて聞こえな~い☆」

「………」

 

 ミカはセイアの小言に対し、わざとらしく耳に手を添え聞き返した。ビキリと、セイアの額にも青筋が浮かぶ。関係を修復した二人ではあるが、それはそれとして水と油な性質である事には変わりなく――ナギサはソーサーにティーカップを戻し、額を指先で揉み解した。

 

「はぁ……お二人共、喧嘩はなさらないで下さい」

「そういうナギちゃんだって、ずっと紅茶漬けだった癖に」

「これは――元からですので、えぇ」

「分かり易い強がりだね、ナギサ」

「……んんッ!」

 

 ミカがナギサの手元を指差しながらそう云えば、彼女は落ち着いた佇まいを維持しながら何でもない事のように答える。しかし次いでセイアから入った指摘に、頬を染めながら咳払いを返した。

 実際先生の入院報告から、彼女が紅茶(精神安定剤)を摂取する頻度は確かに上昇したものの、普段から飲む量が量なだけに傍目からはそれほど変化した様には見えないだろう。

 それこそ、仲の良い友人にしか分からない程度の変化だった。

 

「兎に角、これでミレニアムの騒動は一先ず落ち着いたという事でしょう、トリニティに続いて他所の自治区でも事件に巻き込まれるとは、何とも不運な事ですが」

「どうせ先生の事だ、自分から巻き込まれに行ったのだろう」

「……ま、目の前で困っている生徒が居たら迷わず手を伸ばす、そういう人だもんね」

 

 先生に対する認識は一致している、呆れた様子で言葉を口ずさみながらも、そこに馬鹿にするような色は全く滲んでいない。先生はどんな状況であっても、生徒が困っているのなら力を貸す。分かり切った事だ、座り込んだ生徒に笑顔で手を伸ばす彼の姿が目に浮かぶ様だった。

 

「それでナギサ、先生の体調の方は完全に回復したと考えて良いんだね?」

「流石に、不調を抱えたまま復帰しようとすればミレニアム側が止めると思いますが……」

「そうか――なら、近く先生と会談の場を設けないといけないな」

 

 その一言にナギサも、ミカも目に見えて纏う気配を変化させた。テーブルに凭れ掛かっていたミカが背筋を正し、ナギサもまたカップから手を離す。

 一瞬、間があった。

 

「例のお話について、ですね」

「あぁ、そうだ」

 

 ナギサの問い掛けに、セイアは小さく頷いて見せる。

 先生に話す内容――それについて、既にティーパーティー内部では認識の擦り合わせが済んでいる。

 

「これは私達だけの問題ではない、学園の垣根を超えて、あらゆる自治区に波及する災い、或いは世界そのものが直面する危機とでも云い換えるべきか」

「………」

「ねぇセイアちゃん、その話、本当なんだよね?」

 

 神妙な顔つきで目を伏せ、無意識にシマエナガの頭を撫でつけるセイア。そんな彼女を横目に、ミカは普段とは異なる強張った声色で問いかけた。セイアは目を閉じたまま、確かな肯定を示す。

 

「勿論だ、今まで色々と口にする事を厭う道を選んだ私達だが、今はそうではない」

 

 以前の彼女達ならば、すれ違ったままであれば――こんな風に危機を共有し、手を取り合って対峙する様な未来にはならなかったかもしれない。

 けれど互いの友愛を確認し、認め合い、再び本心を語り合う仲になった自分達ならば。

 セイアはふっと口元を緩め、二人に視線を向ける。以前の自分ならばきっと、気恥ずかしくて言葉になどしなかっただろうが。

 今は、違う。

 

「――私達は新しく手を取り合う道を選んだ筈だ、そうだろう?」

 

 セイアらしからぬ、と云えば少し直截的か。しかし彼女にしては随分とストレートな言葉に、ナギサとミカの二人は一瞬面食らって。

 

「えぇ」

「うん」

 

 けれど、微笑みと共に頷きを返した。

 その返答を満足げに聞き届けたセイアは、真っ直ぐ視線を返しながら言葉を続ける。

 

「なら、隠し事は無しだ……これはキヴォトスの学園、全生徒に降り注ぐ災厄に等しい、私達だけでは対処は難しいだろう、だからこそ先生と、そして多くの生徒と言葉を交わす必要がある」

 

 極めて異例な事ではあるが、不可能ではないと彼女の直感が告げている。袖を払い、ふっと顔を上げた彼女の視界に広がる蒼穹。ふわりと吹いた風が髪を靡かせ、冷たい風が頬を撫でた。

 その蒼穹の向こう側――遥か彼方の(ソラ)を見据えながら、セイアは呟いた。

 

「私が予知を手放した際、最後に見せられた光景――破滅の未来(捻じれて歪んだ未来)について」

 

 ――私達は、話し合わなければならない。

 

 ■

 

「部長」

「あら、エイミ?」

 

 特異現象捜査部、部室。様々な機器が並び、青白い光に照らされた部屋の中ひとり画面と向き合うヒマリの背後から声が掛かる。振り向けば普段通り制服を着崩したエイミが扉を潜る所であった。ヒマリは表示されたホログラムモニタのデジタル時計に目を向ける。

 

「連絡を頂いた時間より、少し早い様ですが……」

「うん、用事が早く片付いたから」

 

 そう云って部屋の中に数歩踏み込んだエイミは羽織っていた外套を脱ぎ捨て、壁に設置されていたフックへと掛ける。その恰好は殆ど下着と変わらない状態だが、これでも彼女からすれば譲歩している恰好らしい。現在部室に居るのはヒマリだけである為、多少涼しい恰好をしても良いという判断なのだろう。

 

「相変わらずですね、エイミ……」

「今は部長しか居ないし、体温調節の為に衣服を脱ぐのは自然な事だよ」

「それはそうですが、貴女は先生の前でも平然と同じことをするでしょう?」

「うん、だって暑いし、先生もちょっと困った顔で許してくれるから」

「……もうそろそろ、冬なのですが」

 

 ぶるりと肩を震わせたヒマリは、徐に膝掛けを腹の頭りまで引き上げる。当の本人は愛用品のハンディタイプの小型扇風機(超冷却扇風機)を掲げて浴びているが、見ているだけで寒くなる程だ。

 

「それで、先生の黒い手――アレが何なのかは分かった?」

 

 エイミは暫し扇風機を浴びた後、十分に冷えた事を確認し、ヒマリの肩口から手元を覗き込む。車椅子側から投影されたホログラムモニタには無数の資料、画像が映し出されており、ヒマリは部室内部に設置されているモニタも利用し、それらを一つ一つ確認していた様だった。

 

「そうですね……」

 

 口元に指を添えながら、ヒマリは思案顔で答える。暫し考える素振りを見せた彼女はコンソールを叩き、幾つかのディスプレイを拡大表示させた。それらを指先で指し示し、ヒマリは言葉を続ける。

 

「取り敢えずセミナー側から上がって来た診断書と結果に目を通しましたが、それを見た限りあの黒色を示すものは何もありませんでした、かと云ってレイノー症候群とも違いますし、肢端紫藍症でもない、現象としては壊死か、壊疽に近いのでしょうが――まるで硝子の様に罅割れた形と云い、調べた限り既存の症状に当て嵌まるものは存在しません」

「……検査結果に現れない症状」

 

 視界に映るのは撮影された先生の手足、及びデータベースより検索された類似症例の画像。黒色に染まったそれは確かに、こうして直接見比べてみると違いは明確に感じられた。画像の中に映る先生の皮膚を浸食する悍ましい黒、加えて硝子に罅が入るかのように刻まれた亀裂が云い表す事の出来ない不快感を煽る。黒色は完全に先生の指先を呑み込み、掌の中程まで浸食していた。

 それらの画像をじっと見つめながら、エイミはヒマリの首元に顔を寄せる。

 

「なら現状、何も分からないって事?」

「口にはしたくありませんが、その通りです、ダーモスコピー(皮膚鏡検査)スクレ―ピングテスト(擦過検査)パンチバイオプシー(皮膚生検)、血液検査や超音波ドプラ法(CWD)画像診断(CT.MRI)も行った様ですが、望んでいた結果は得られなかったと聞いています」

 

 小さく溜息を零し、背凭れに身を預けたヒマリはコンソールに指を添えながら眉間に皺を寄せる。

 

「結果は全て問題なし――『先生の肉体に異常は無い』、それが今回の検査結果の全てです」

「……それ、何かおかしくない?」

「えぇ、その通りです、アレが先生にとって好意的な現象ではない事は、誰の目から見ても明らかでしょう」

 

 今回の検査結果が示した答えは――異常なし。

 だがこんなにも分かり易い異変があると云うのに、何が問題なしだと云うのか。これに関してはセミナー側も納得していない筈であった。しかし現在彼女達は他学園の対応に忙殺されており、当の先生は既にシャーレに復帰、問い詰める為の機会は次となるだろう。

 あのような黒を携えた状態、『異常が無い事が異常』――とでも表現するべきか。

 ヒマリは自身の指先を擦り合わせながら思考を巡らせる。

 

「あの怪我……ううん、怪我かどうかも分からないけれど、ミレニアムで治療できると思う?」

「原因を特定しなければ、根治は難しいでしょうね」

「……そっか」

「エイミ?」

「部長、私自身、良く分かっていないんだけれど」

 

 ふと、自身の背後から見慣れた指先が伸びた。彼女らしからぬ、何処か憂いを帯びた声色だったと思う。エイミの指先は拡大された画像、先生の変色した掌を指差す。画面を見つめるエイミの視線は絞られ、瞳には深い悲しみの色が見え隠れしているように思えた。

 

「先生の……この色を見ていると何だか、胸がざわつくの」

 

 エイミが余り感じた事のない色、何処か無機質である彼女がこの様な言葉を漏らす事自体稀である。ヒマリは彼女の言葉を重く捉えながら、同じように画面を見つめ続けた。感傷もあるだろう、しかしそれ以上に何か、出所の分からない不安があった。

 

「嫌な予感、というものでしょうか」

「うん、根拠も何もない、あやふやなものだけれど」

「あら、そう云うものは存外馬鹿に出来ないのですよ?」

「――部長の好きな占いみたいに?」

 

 ふっと、僅かに口元を緩めたエイミがそんな言葉を投げかける。一瞬驚いた様に目を瞬かせたヒマリだが、ややあって同じように笑みを零し答えた。

 

「良く分かっているじゃないですか、エイミ」

 

 感情や、予感というものは酷くあやふやで、信じるに足る根拠を示すのは難しい。しかしだからと云ってそれらを全て切り捨てるのもまた、ナンセンスだとヒマリは考えていた。世の中にはそれこそC&Cのコールサイン01(一ノ瀬アスナ)の様に直感のみで全てを動かす存在も居る。そうでなくとも、純粋にそう云った物事を信じる心というのは悪くないものだ。

 気を良くしたヒマリは再びコンソールを叩き、幾つかのホログラムモニタを操作する。

 

「幸い、そちらの分野に精通している方々がいらっしゃいますから、近い内に連絡を取ってみましょう」

「こっちの分野って云うと……」

 

 呟き、エイミの視線が操作されたモニタに向かう。其処にはミレニアムの生徒ではない、あらゆる学園の生徒の名前がリストアップされていた。

 

 ■

 

「うーん……」

 

 トリニティ総合学園、救護騎士団本部――とある一室にて。

 薄暗い部屋の中、デスク上部に設置されたフィルムビューアのバックライト、そしてディスプレイに照らされた人影が一つ。彼女は複数の資料を手元に広げながら、ディスプレイの中に表示される文字列と画像を指先でなぞり、時折何かを手元のメモに記入していく。

 

 時刻は既に深夜と云って良い時間帯であった。救護騎士団本部には救急に備えて複数の生徒が詰めているが、大抵の生徒は既に床に入っている。故に周辺は静かなもので、時折ペンを動かす音と液晶をタップする微かな音だけが部屋の中に響いていた。

 

「――セリナ」

 

 そんな彼女の耳に、ふと声が届く。

 手元を注視していた視線を上げれば、いつの間に部屋に入っていたのか、どこか険しい表情で此方を見下ろすミネ団長の姿があった。

 彼女――セリナは慌てて席を立つと、ミネに向けて小さく頭を下げる。

 

「あっ団長、お疲れ様です……!」

「全く、今日は非番の筈です、こんな時間まで一体何を――?」

 

 告げ、ミネは小さく溜息を吐く。セリナは今夜救急担当ではない、誰かを救護する立場だからこそ自身の健康には一等気を付ける必要があるというのに。そんな想いと共に彼女が座っていたデスクの方に視線を向けると――そこに表示される名前に、見覚えがあった。

 

「それは、先生の検査結果ですか?」

「えっと……はい、以前先生がトリニティで検査を受けた時のものです」

 

 ミネの問い掛けに頷きを返したセリナは広げていた資料を纏め、小声で肯定を示す。

 

「こんな夜中に、態々こうして引っ張り出しているという事は何か問題でも?」

「明確な問題――という訳ではないのですが」

 

 セリナの答えはどこか引っ掛かりを覚え、歯切れの悪いものだった。ミネが無言で小首を傾げれば、セリナはそっと検査結果を差し出す。電子媒体としても残っているが、紙媒体としても出力されているソレ。

 

「………」

 

 ミネは訝し気な表情で資料を受け取り、上から順に一通り目を通した。暫しの間紙の擦れる音が響き、ミネは目を細めたまま口を開く。

 

「血液一般、肝胆膵機能、脂質、腎機能、尿酸、糖代謝、血清、呼吸系、消化器系――エコーからCTまで、凡そ問題がある項目は見当たらない様ですが」

「はい、欠損したり負傷した部分は兎も角、全体的な数値は基準値に近い値を示しています」

「……要領を得ませんね」

 

 その一言に彼女の疑念は詰まっている。この結果の一体何が問題だと云うのか。言葉にせずとも伝わる疑問に対し、セリナは頬を掻いて何とも云えない、苦り切った表情を浮かべていた。

 

「全ての項目で基準値に近い値を出している、健康である事は素晴らしい事の筈、だと云うのに喜ばしいという感じではありません――セリナ、何か気になる点でもあるのですか?」

「……団長は、先生の私生活を把握していませんよね」

「?」

 

 唐突な問い掛けだった。手にしていた検査結果をデスクに戻しながら、ミネは疑問符を浮かべる。

 ミネは救護騎士団の団長として、そしてヨハネ分派の首長として多忙な日々を送っている。政治の場からは離れていたというものの、日々何らかの騒動が起こる学園内に於いて彼女程フットワークが軽く、同時に影響力を持つ救護騎士団の団員はいないだろう。

 だからこそ、シャーレとの連絡などは主にセリナやハナエが担当する事が多かった。セリナは先生の日常がどれ程異常で、健康と程遠いものかを知っている。

 

「健康的過ぎるんです、どんな方でもある程度数値にはバラつきが出ます、まるで狙ってみたいにこんな、全ての値を基準値に合わせる様な事……ましてや先生は多忙の身です、その食生活や生活サイクルが乱れに乱れている事は既に把握しています」

「それは――【救護】の必要があるのではありませんか?」

「……はい、場合によっては」

 

 ぐっと、ミネの視線が剣呑さを帯びた。不健康な生活、救護の必要性。それが見出されたのであれば、彼女は問答無用で【救護】を行う。そこに躊躇いは無く、その力強い言葉に普段であれば制止を口にするセリナが、ゆっくりと頷きを返していた。

 恐らくミネがその気になれば、先生を物理的に気絶させてでも休養させるだろう。自分には出来ない事だ、その大胆さや苛烈さが玉に瑕ではあるが、大事だからこそ踏み出せずに居る自分と比較したとき、その強さ(強引さ)が羨ましくもあった。

 その湧き上がる感情の根底には、過去の経験が関係している。

 

「エデン条約調印式襲撃の折、先生は心肺停止状態でトリニティに搬送されて来ました……直接この目で見たあの光景を、私は一生忘れません」

「………」

 

 今でも、時折夢に見る。

 校内に滑り込んで来た救急医学部の車両、その中で横たわる先生の姿。ストレッチャーの上に固定された先生は応急処置で生徒の制服を包帯代わりに巻き付けられ、何処もかしこも傷だらけで、赤黒い血が体全体に滲んでいた。めくれ上がった皮膚も、強い()の香りも、かさかさに乾いて動かなくなった唇も、青白い顔色も、二度と開かないと感じた瞳も――全て全て、憶えている。

 ぐっと、無意識の内に衣服を掴んでいたセリナは湧き上がる恐怖や不安を噛み殺し、声を絞り出した。

 

「先生が息を吹き返したのは、本当に奇跡みたいな出来事でした……だから、疑ってしまうのです、何か大きな、とても大きな悪い何かが残っているんじゃないかって」

「……つまり、先生が健康である事自体が不思議であると」

「はい、私が知らない間に何か検査に細工――とまでは云いませんが、誤魔化されている様な、そんな気がして」

「………」

「も、勿論、私の思い過ごしという可能性もありますけれど……!」

 

 本当は疑る様な事などしたくない、それはセリナの本音だった。しかしソレを見過ごした結果、先生に何か大きな悪影響があるのならば――暴く事に躊躇いは無い。

 しばし唇に指先を添え、考える素振りを見せていたミネは、ややあって頷きを一つ零し云った。

 

「そうですね、全ては憶測の域を出ません、こうして検査結果が出ている以上、先生は健康体であると認める他ありませんから」

「それは――」

「……しかし、セリナの疑念は理解出来ます」

 

 パン、と。

 ミネは軽く手を叩き決断を済ませる。その視線がディスプレイに表示される時計へと向けられ、丁度日付が変更されたばかりである事を確認した。遅い時間だが、恐らく先生の忙しさを鑑みればまだ業務の最中だろう。

 ならば起きている筈だ、そう確信する。

 

「――考えていても仕方ありません、先生に直接聞いてみましょう」

「えっ!? そ、それは駄目ですよ、団長!」

 

 決断は済ませた、ならば後は行動あるのみ。

 告げ、踵を返しシャーレへと足を運ぼうとするミネに対し、セリナは慌てて制止の声を上げながら飛びついた。彼女の腕を掴み体重を掛けるも、しかしズルズルと引き摺られるセリナ。今、先程羨ましいと思っていたミネの悪い面が顔を覗かせていた。残念ながらミネ団長の力にセリナ単独では敵わない、故に何とか言葉での説得を試みる。

 

「せ、先生の事ですから、きっと平気だとか、何ともないだとか、そんな風に答えるに決まっています! こういう時は、同じ疑いを持っている方と協力しましょう……!」

「と、云うと」

 

 ぴたりと足を止めたミネが振り向き、セリナに視線を合わせる。足を止めた事に胸を撫でおろしながら、セリナは真剣な表情を浮かべたまま答えた。

 

「ゲヘナの――救急医学部です!」

 

 ■

 

 ゲヘナ自治区――救急医学部、本部。

 

 彼女はその日の夜も、ただ静かにデスクに座って書類仕事をこなしていた。救急医学部は基本夜間であっても多くの生徒が運び込まれてくる。彼女達の専門は外科であり風邪などは管轄外ではあるが、ゲヘナでは銃撃戦やら爆発事故やら、そう云った騒動が余りにも多く、待機時間に書類仕事を片付けるのは慣れていた。

 

 ペンを動かしながら、時折人手が足りなくなった時、或いは出動要請が掛かった時に備え準備を済ませておく。椅子の背凭れに掛かったバッグには必要な装備が全て詰まっており、救急車両十一号はいつでも発進可能だ。

 

「……今日は、比較的静かですね」

「確かに、負傷者は少ない方かもしれません」

 

 ふと、手を止め何気なく呟けば、背後で備品の追加を行っていた生徒が頷きを返した。何の変哲もない日常、常を想えば穏やかであるかもしれない。

 そんな状況に彼女は暫し天井を見上げ、それから徐にデスクの引き出しに手を掛けた。スッと、音もなく開いた引き出し――その中にはポツンと、一枚の封筒だけが入っている。

 

「………」

 

 それを取り出し、両手でそっと握り締めるセナ。

 封筒の表面は何度も手に取った為か、微かに色褪せており、皺や汚れもあった。彼女は仕事をする時も、帰宅する時も、出動の時も、夜寝る時でさえ、肌身離さずこの封筒を持ち歩いている。

 

 ――中には手紙が一枚、入っているだけだ。

 

「……先生」

 

 呟きは小さく、彼女は封筒に額を擦りつけながら目を閉じる。

 声は誰に届く事もなく、その日もまたいつもの様に――夜は明けて行った。

 


 

 最終編に向けて少しずつ物語の収束を開始しますわ!

 因みに次回はカルバノグですの! 最終編と大変迷いましたが色々ストーリーラインを捏ね繰り回して現在進行形でプロットを作っております。

 カルバノグって二章からが本番みたいな所ありますし、一章だけやるのも何だか寂しいと思い、何とか最終編前に一章と二章を繋ぎ合わせて、そのまま最終編に進められないかなぁと悪戦苦闘中ですわ……!

 

 その為、エデン条約の時と同じように本編と所々設定が異なったり、特に後半の展開が変化したりしていますが、どうか海の様に寛大な心で眺めて頂けると幸いですの!

 よろしくお願いいたしますわ~!

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