今回は約一万三千字ですの!
「FOX4、追跡者は?」
「多分大丈夫、後をつけられてはいないよ」
「良し……区画は離れた、近くの建物を確保する――FOX4はこのまま後方警戒、FOX3は先行しろ、FOX2はバックアップを」
「了解」
D.U.区画を抜け出したFOX小隊は闇夜に紛れながら外郭区の更に外れ、老朽化したアーケード街へと踏み込んだ。嘗ては賑わっていた場所なのか、アーケードの下に立ち並ぶ店は降りたシャッターにグラフィティが目立ち、中には外壁を蔦に覆われた建物もあった。その中から比較的損傷が少なく、かつ出入り口が制限された一軒を選び、ユキノは割れた窓硝子越しに内部を覗き込む。
まずは屋内に人影が無いか、暗闇の中で良く確認し、気配がない事を確かめた後は素早くライトで四方を照らす。後は窓枠を乗り越え死角のクリアリング、内部は埃を被ったステンレス製の棚とカウンター、そして剥がれ落ちた天井にコード類が散らばるばかりであった。
「クリア、FOX3」
「クリア、廊下の先は三部屋」
「手前から順に回る、FOX2は廊下で警戒を続けろ」
「問題なし――万が一を考えれば、メインフロアを使用するべきだな」
「了解、小休止?」
「あぁ、
「うん」
ニコが背負っていた鞄を下ろし、中からパッケージングされた水と食糧を取り出す。以前利用した観測所の物資の一つだ。飲料水に関しては嵩張らず、携帯もし易い、付属のチューブを突き刺して飲むタイプのもので、配られたソレをオトギは何とも云えない、辟易とした表情で受け取った。
「これ、あんまり美味しく無いんだよなぁ」
「食べられるだけマシでしょう、文句を云わない――FOX1、見張りは私が立つわ」
「頼む」
クルミが防弾盾を持ち上げ、出入り口の傍に立つ。其処から外側を眺めながら、渡された携帯食糧を齧っていた。ブロック体のそれはパサつき、味も薄く美味とは云えない。しかし限られた物資状況の中で口に出来るものがあるのは有難い事だった。胃に入れてしまえば、大した違いも無い。
廃れ、錆び付いたカウンターに背を預けたユキノは、薄暗い部屋の中でパッケージを器用に剥き、手早く口に放り込みながら周囲を見渡す。
元は本屋か何かだったのだろうか、地面にはポツポツと放られた文庫本が転がっていた。微かにだが、特有のインク染みた香りが感じられる様な気もする。しかし大抵は黴と埃の匂いで、余り衛生的に好ましい環境ではない。
「それにしても、まさか本当に話をするだけだったなんてね」
近くのステンレス製の棚、横倒しになったそれに腰掛けたニコがチューブを口に咥えながら云った。呼び出しを行った防衛室長についてだろう、ユキノは頷きを返す。
「そうだな……しかし、まだ油断は出来ない、追跡されている可能性は常に念頭に置いて動くべきだ」
「こっちも十分警戒して動いたし、万が一奇襲されても一戦位なら押し返せるわよ、それより――」
壁に身を預け、外をじっと注視していたクルミの視線がユキノへと向けられる。その表情には強い懸念の色があった。
「これからどうする訳、
「正直、かなり拙い状況になっちゃったよねぇ」
「………」
クルミの言葉に同意し、思わず項垂れるオトギ。ニコも口には出さなかったものの、同じ思いを抱いている様だった。何とか身の潔白を証明しようと始まったこの逃走劇、しかしそもそも前提条件が異なっていた。最悪の結末を突きつけられた気分だった。
「凄い今更だけれどさぁ、やっぱり逃げ出したのは悪手だったんじゃないかな――あのまま留置施設に残って身の潔白を証明した方が、可能性があったんじゃ……」
「いいやオトギ、それは違う」
オトギの漏らした弱音に、しかしユキノはきっぱりと否定を返した。
「如何に私達があの場所に留まり声を上げた所で、防衛室長の言葉を鵜呑みにするなら、幾らでも話を捻じ曲げる事が出来る以上意味がない、加えてSRTの性質上連邦生徒会との主な繋がりは
「……それにしては、半年以上運営が許されていたよね」
「確かに、去年と比べてカリキュラムは随分と変わっていたけれど」
連邦生徒会長が消えたと聞かされた時、SRTの生徒は誰もが未来を憂いた事だろう。創設された理由が理由だ、連邦生徒会長の失踪はSRTの機能停止を意味する。指揮する人物は居らず、出動する事も無く、粛々と研いだ刃は振るう先を失う。それは心に暗澹たる色を積もらせるには、十分な時間であった。
「――どちらにせよ、過ぎた事を今更どうこう云っても仕方ない」
「……なら、今からでも連邦生徒会に乗り込んで、代行に直談判してみる?」
「直接会って、何と説明する」
唇を尖らせながら呟いたオトギの声に、思わず自嘲が漏れた。手にした空のパッケージを握り潰し、視線を足元に落とす。
「確固たる証拠もない、嫌疑をかけられ指名手配された私達が、自分達は犯人ではありませんと情に訴えかけて、信じられると思うか?」
「それは……」
「無駄だ、そもそもSRTの閉鎖は連邦生徒会の全体会議で決定された事、今更私達が何を云った所で覆る事は無い――たとえそれが、仕組まれた事であっても」
現連邦生徒会は腰が重く、融通が利かない、それはキヴォトスの住人にとって共通認識だ。そしてその重い腰が上がった時、下された決定を撤回するには幾つもの手続きと時間を要する。少なくとも第三者から見て明らかな証拠を示す必要があり、同時にそれを拡散するだけの伝手が必要だった。
そのどちらも、FOX小隊は持ち合わせていない。
「なら、このまま逃げ続けるしか……」
「それも、難しいと思うよ」
今度は、ニコが緩く首を振った。全員の疲弊度合い、物資状況、味方、拠点の有無、それらを改善せずこのまま逃げ続けるとして――恐らくそう遠くない内に、自分達は自滅するだろう。敵の手によるものではない、部隊を維持するだけの手段が残されていないのだ。文字通り、八方塞がり。
自分達に残された手段は――法に縛られない、無法のみ。
あの留置施設を脱した時の様に、力で押し通るしかない。そして、その選択すらも時間と共に失われつつある。
決断は急がなければならなかった。
「………」
だが、誰もがその選択を頭に浮かべながら、
それを分かっていた。
しかし――。
「じゃあどうするの、もしかしてユキノは、
クルミは苛立った様子で防弾盾を軽く地面に打ち付け、そう問いかけた。このまま逃げ続ける事も出来ない、直談判も無意味、無法者にも堕ちない、助けも求められないと云うのなら――後はあの、
それは半ば皮肉交じりの言葉だった。きっとユキノも否定するだろうと、そう思っていたのだ。
「――他に、選択肢はあるのか」
「なっ……!」
しかし、返って来た言葉は彼女の予想したものとは正反対のものだった。
全員が思わず驚愕の色を貼り付け、ユキノを凝視する。
「ユキノ……!」
「ちょっと、本気?」
「………」
クルミが声を荒げ、オトギが信じられないと云った様子で立ち上がっていた。ユキノはただ強張った表情のまま、俯き沈黙を守る。
「ユキノちゃん」
直ぐ傍に腰掛けていたニコが、重々しい口調で自身の名を呼んだ。ユキノは億劫そうに首を擡げ、ニコを見る。空を想起させる青い瞳が、真っ直ぐ此方を見据えていた。
「それは、その選択は」
「………」
「本当に――
正しい事。
何て事のない問い掛けの筈だ。しかしずっしりと、心に重く圧し掛かる過去と信念がある。何処までも透き通った輝かしい記憶が、彼女自身を蝕んでいた。光が強く煌めく程、彼女を覆う影は濃く、大きくなる。ユキノの耳にいつか胸を張って宣言した己の声が響く。
――SRTの正義は、決して。
「学園が無くなれば……」
それは残響だった。俯いたまま、ユキノは過去の幻影を振り切り、ぽつぽつと語り出す。震える唇は、酷く渇いていた。
「学園が無くなれば、私達はどうなる?」
「………」
「FOX小隊は、後輩たちは、何処に行けば良い?」
自分達は、掲げられた眩い正義に憧れて集った。SRTという輝きに、何者にも侵されず、忖度せず、折れず曲がらずの、屈強な正義に。
その正義が、学園が無くなってしまったのなら――自分達の志した正義は、一体何処へ。
ユキノの苦しみを帯びた声に、クルミは顔を顰め、横合いへと視線を逸らすと、声を返す。
「……在校生は、ヴァルキューレ警察学校に編入するって話だったけれど」
「あの、防衛室長の管轄下にある学園にか」
ふっと、嘲る様な声が出た。それは隠し切れない失望の色だった。
「断言する――
両手を組んだまま、ユキノは云い放った。視線は相変わらず自身の足元に落ち、顔色は伺えない。ただ、重苦しい気配を纏っている事だけは確かだった。
「ヴァルキューレ自体を否定する訳じゃない、だがあの場所に、私達の望んでいた正しさは存在しない、皆も良く分かっているだろう? SRTの正義は、唯一無二だ」
「でも、その為にアイツの使い走りになるなんて……!」
「云うな」
声を荒げるクルミに、ユキノは静かに掌を突きつけた。気持ちは同じだ、理解も出来るし納得もしよう。しかし現実問題、選択肢は限られている。自分達の憧れ、胸に刻んだ正義の象徴――それを取り戻す為ならば。
「――SRTの正義は、いかなる状況でも揺るぎはしない」
呟き、ユキノはゆっくりと目を見開いた。
そうだ。
「学園さえ、SRTさえ復活すれば――たとえ、私達の正義が損なわれたとしても、抱いていた正義は決して潰えない、輝きは色褪せない」
「ユキノ……」
「私達は、その礎となる」
自分達が泥を被る事で、その正義を取り戻せるのならば。
畢竟、正しきを行うのは自分達でなくても構わない。
ただその志を、いつか見た屈強な正義を、正しく理解する
くしゃりと、握り締めた空のパッケージが音を立てた。
「だからこそ、学園を復活させる為ならば、汚泥を被ってでも、私は――」
「………」
最後まで言葉にせずとも伝わる、ユキノの決意。暗闇の中で爛々と光る赤は彼女の意志、その強固さを示していた。クルミが、オトギが、ニコが、互いに顔を見合わせる。よもやこの様な道を選ぶとは思っても居なかった。本当にそれで良いのか、そんな疑念が首を擡げる――しかし、共にチームを組み、此処まで自分達を引っ張って来たのは他ならぬユキノの力によるものだった。
FOX小隊は七度ユキノを信頼している。能力面に於いても、人格面に於いても。
そして、自分達の
「……それが、ユキノの選択なんだね」
ニコが立ち上がり、静かに云った。ユキノの前へと足を進めたニコはそのまま彼女を正面から見つめ、最後に問い掛ける。青と赤の瞳が正面から、互いを射貫いていた。その背後にオトギが、クルミが続く。
「――良いんだね、それで」
「………」
この道を進めば――もう戻る事は出来ない。
ニコの言葉に、ユキノは思わず喉を鳴らした。重く、辛い選択であった。思わず額に冷汗を滲ませてしまう程の重圧が体全体を包み込む。唇を噛み、苦悩するユキノを前にしてクルミが溜息を零した。
「別に、ユキノひとりだけの決断じゃないわ、道を往くのは私達も一緒だし」
「……だね、隊長が決めたなら、私達は付いて行く、留置施設から逃げた時も似たような感じだったじゃん?」
クルミは肩を竦めながら、オトギは笑みすら浮かべて、そう口にした。それが正しいのかどうか、そこには疑問が残る。しかし自分達の信頼する彼女が決断し、決めた事ならば。
――FOX小隊全員、その判断に殉じる覚悟がある。
「全ては、
「……!」
「――信じるよ、隊長」
全員の視線がユキノに集中する。彼女は一度深く息を吸い込み、それから握り締めたパッケージを鞄に突っ込み、壁から背を離した。
ひとりひとり、その瞳を見返しながらユキノは気持ちを固めて行く。汚泥を被る覚悟は決めた、恐らくこれからFOX小隊の名は地に落ちるだろう。嘗て掲げた正義を名乗る事すら許されなくなる。そんな予感が、確信があった。
しかし、その果てに守れる
「私は――」
この道を往く――そう言葉にしようとして。
「――ッ!?」
それに気付けたのは殆ど偶然だった。
磨き上げた彼女の察知能力が、自分達ではない誰かの気配を感じ取り、微かに入り込む月光が、第三者の影を伸ばしているのを目視した。
「奇襲警戒!」
「ッ!」
ユキノの声に、FOX小隊は全員が即座に反応した。クルミが防弾盾を構えながらユキノの見ていた方向へと飛び出し、オトギがサイドアームを素早く抜き放つと反対を警戒する。ニコは飛び出したクルミの背後に張り付き、脇から愛銃を構えた。ニコの手がクルミの肩を叩き、クルミは伸びた影を視界に収めながら大きく声を張り上げる。
「そこに居る奴! 出て来なさいッ!」
「FOX4、敵影は」
「こっちは見えないよ、気配も感じない」
暗闇の中、目を凝らすオトギは真剣な面持ちを崩さず告げた。ユキノも全ての出入り口を順に目視し、銃口でなぞるが――それらしい気配、影はない。確認出来る敵影は一つ、オトギと二人でゆっくりと後退し、ニコとクルミの背後に続く。
「――待て、撃つな、此方に争う意図はない」
声がした、FOX小隊のものではない――クルミとニコの銃口が、ゆっくりと姿を現す影へと張り付いていた。薄らと輪郭が見える人影は、両手を挙げたまま廊下からメインフロアへと踏み込んで来る。罅割れた窓から差し込む月明かりは、彼女の足元を照らしていた。
その出で立ちはロングコートに帽子を被り、口元もマスクか何かで覆っているのが分かった。銃器は肩に掛けた突撃銃と左足のホルスターに収められた拳銃だけか。クルミは目の前の人影を観察しながら、小さく声を漏らす。
「ヴァルキューレ、って感じではないわね」
「カイザーPMCにも見えないけれど……」
背後から聞こえたニコの言葉に、クルミは小さく頷いた。後方警戒をオトギに任せ、人影へと向き直ったユキノは油断なく銃口を構える。薄らと浮かび上がる輪郭は、どこか申し訳なさそうに口を開いた。
「すまない、まさか先客が居るとは思っていなかったんだ」
「……こんな所に、一体何の用だ」
D.U.区画の外れ、それもこんな廃墟同然のアーケード街に踏み込む理由など早々ない筈だ。理由があるとすれば後ろめたいものを抱えているか、人目を避けているのか、或いは――誰かに追われているか。
凡そ思いつく理由は、碌なものでは無い。
「今夜、寝泊まり出来る場所を探していた、周辺で死角が少なく、比較的安全に宿泊できる場所を探して、此処に辿り着いた」
「寝泊まりって、こんな場所で――?」
「まぁ、何だ、色々事情があって、な」
どこか言葉に詰まった人影を前に、顔を顰めるニコ。だが人の事は云えない、自分達も似たような理由で此処に訪れたのだから。ユキノは影の背後に視線を投げかけながら、努めて冷静な口調で問いかけた。
「一人か?」
「あぁ、少なくとも此処には一人で来た」
「……外に仲間が?」
「アーケードの外だ、寝泊まりする場所が決まったら呼びに行くつもりだった」
「念の為、そちらの部屋を確認する」
「構わない」
銃口で移動先を指示し、一歩、二歩と下がっていく人影を注視する。距離を詰めたクルミが盾越しに廊下を見渡し、それから人影が侵入して来たであろう部屋の内部を確認した。
「誰も居ないわ」
彼女の云う通り、どうやら本当に単独で来たらしい。ユキノは数秒程沈黙を守り、それから静かに銃口を下げた。安全装置こそ弾かないものの、放たれる圧力は幾分か和らいでいる。
「……銃を降ろせ、ただの不良生徒だろう」
「でも、FOX1」
「見た限り、問題ない――相応に訓練は受けている様子だが、傭兵か何かだ」
少なくとも、防衛室長経由で放たれた追っ手ではない。自分達の存在を知っている様子も無かった、つまり完全な偶然であり、第三者だ。ユキノはそう判断した。
「今は、騒ぎを起こす方が問題だ」
「……了解」
ユキノの言葉に、全員が銃口を下げる。オトギが深く息を吐き出しながらサイドアームをホルスターに戻し、先頭に立っていたクルミも引き金から指を離す。それを見た人影は露骨に安堵し、ゆっくりと両手を降ろした。
「理解して貰えて助かる」
これで即座に攻撃態勢に入る様であれば反撃する準備があったが――彼女はぶら提げた銃に手を伸ばす素振りも無く、寧ろ何処か申し訳なさそうな気配を発していた。奇妙な奴だと内心で思いながら、ユキノはメインフロアを指差しながら云い放った。
「悪いが宿泊場所は他を当たってくれ、今夜は私達が先約だ、他にも適切な場所はあるだろう」
「あぁ、その様だな……邪魔をした」
彼女はユキノの言葉に反発する事もなく、一つ頷きを漏らすと部屋の窓枠に手を掛けた。微かに差し込んだ月明かりが彼女の外套を照らす、白いそれは窓枠を飛び越えるとぶわりと靡き、一瞬大きな影を作った。
「……その」
「まだ、何か?」
窓枠一つを挟んだ向こう側で、人影が口ごもる。全員が彼女を注視すれば、恐る恐ると云った風に口を開いた。
「余計なお世話かもしれないが、もしかしてお前達は――誰かに追われているのか?」
「ッ!?」
それは、全員の警戒心を呼び起こすには十分な一言だった。妙に勘が良い、或いは単純に自身が見落としたのか。ユキノが素早く再度愛銃を構えれば、FOX小隊がそれに続く。一変した状況に、人影は目を白黒させると慌てて弁明した。
「待て、お前達と敵対するつもりはない! 勿論、外に漏らすつもりも……!」
「じゃあ、何のつもり? 答えによっては……ッ!」
クルミの険しい口調に、彼女はそっと外套の内側に手を伸ばす。即座に引き金に掛けた指を絞ろうとして、しかし「武器ではない、本当だ」と彼女は云った。そのまま静かに、ゆっくりと何かを取り出す。指先に挟まったそれは折り畳まれた紙の様に見えた。掌サイズで、多少厚さもある。
「――これを」
「……?」
罅割れ、硝子片の残る窓枠にそっと置かれるソレ、彼女はゆっくりと後退しながら手を挙げる。クルミは一瞬背後に視線を向け、ユキノの指示を仰ぐ。ユキノはニコとオトギが警戒を維持している事を確かめ、クルミへと頷きを返した。
防弾盾を構えながら愛銃を手放し、スリングで肩に提げる。そのまま窓枠に乗せられた紙を回収すると、裏表を確認し問うた。
「何よ、これ」
「地図だ」
「は?」
その答えに、思わず面食らう。地図? 一体、何故そんなものを――そんな疑念が漏れたのだろう、人影は淡々と、しかし真剣な様子で言葉を続けた。
「私はお前達がどういう存在で、何故追われているのか、どんな事情があるのか、全く知らないし、聞くつもりもない――だが助けを求めているのなら、そこに記された場所を尋ねると良い」
「……何、怪しい壺でも売りつけられる訳?」
「違う」
オトギの疑る様な言葉に、彼女は即座に否定を口にした。それはどこか、気迫が籠っていた様に思う。
「
彼女の声には、その恩人とやらに対する深い感謝の様なものが滲んでいた。クルミはその場で手を振り、盾越しに折り畳まれた地図を開く。中に怪しいものはなく、使い古され、擦り切れた地図が表面を晒す。月明かりに掲げながらじっくりと観察したそれは、確かにD.U.区画の地図に見えた。
「確約は出来ないが、力になってくれるかもしれない……いや、きっと力になってくれるだろう、自分達でどうにも出来ない問題でも、誰かが手を差し伸べてくれたら何とかなったりするものだから」
最近、私はそれを学んだ。
人影はゆっくりと手を下ろし、噛み締める様に言葉を漏らす。妙な説得力があると思った、或いは彼女自身、似たような経験で恩人とやらに助けられたのか。困惑を滲ませるクルミは背後のユキノを見る、彼女は静かに首を振った。ゆっくりと降ろされる銃口、どうにも嘘を云っている気配は無かった。
「勿論足を運ぶかどうかは任せる、お前たちの選択を尊重しよう、ただ――」
「……何よ?」
「お前達は、互いを大切な仲間だと思っている様に……見える」
「………」
こうして注視すれば分かる、一糸乱れぬ統率、薄暗い夜の中でも感じられる疲弊具合。足元は砂に塗れ、衣服は所々解れがあった。何度か銃撃戦を行っているのだろう、しかし修繕する伝手や方法が無い。それでも銃器に汚れが無いのは、普段の訓練によるものか、装備も一般的な生徒のそれよりも充実しており、何らかの理由がある事は明らかであった。
そんな環境であっても、彼女達は互いに信頼し、結束している。苦境にこそ人の信頼というのは目に見える形で現れる筈だ。それを鑑みれば、彼女達の強固な繋がりは明らかである様に思えた。
故に彼女は真剣な声色で、努めて穏やかに言葉を紡ぐ。
「私にも似たような
その声が、誰かに届かずとも。
本当に大事なら、大切ならば、なりふり構わず叫ぶ事も必要なのだと。彼女はたどたどしく、時折言葉に詰まりながら云った。それから自身の口にした内容を恥じたのか、帽子のつばを掴んで目元を隠す。
「その、すまない、私もこういう事を口にするのは初めてで、何というか、上手く云えないのだが……」
「――いや」
その、何とも云えぬ不器用さに。
或いは拙い善意に。
ユキノは毒気を抜かれた。
肩から力を抜くと、自然強張っていた腕からも力が抜けた。口から吐息が零れ、思わず苦笑を漏れる。
「不器用で、不明瞭だが、伝わった――少なくとも善意で手を差し伸べてくれた事は」
ユキノはクルミの肩を叩くと、窓際に歩み寄り人影と対峙する。互いに暗闇に包まれ、表情さえ定かではないが――それでも薄らと感じられるものがある。
「その善意に感謝する」
「――あぁ」
ユキノの一言に、彼女はパッと喜色を滲ませ――それだけ云って、路地の向こう側へと駆けて行った。
その動きは素早く、無駄がない。消えて行く背中をじっと見つめ、ユキノは壁に寄り掛る。「あのまま行かせて良いの?」とオトギは問うた、彼女の言葉がまるきり嘘で、偵察か何かではないかと疑っている様だった。ユキノは軽く手を挙げ、首を横に振る。どうせ此処からは直ぐ出立する事になる、簡易トラップを仕掛けるかどうかは決めていないが、此処を離れてしまえば偵察も無駄になるだろう。態々追跡する必要はない、そう告げる。
「直ぐに此処を発つ、用意しろ」
「了解」
その声に従い全員がメインフロアへと戻り、床に放っていた鞄を背負い直す。クルミは手にした地図を揺らし、訝し気な視線で眺めていた。その様子に気付いたオトギは、どこか揶揄う様子で問いかける。
「それで、その地図、目的地は何処なのさ?」
「……ちょっとオトギ、あんな怪しい奴の事を信じる訳?」
「って云っても、指名手配されている私達が頼れる相手なんて、早々いないと思うけれど」
ニコの困惑した声に、ユキノは鞄を背負い直しながらクルミ広げた地図を覗き込む。パッと見た限り地図の内容はD.U.区画のもの。それなりの期間使用していたのか、地図の端は擦り切れ、折り目がくっきりと付いていた。
そんな地図の端に、ペンで赤いマークが記されている。
「マークされた場所はD.U.区内だな、外郭地区の……名称は」
ユキノは赤色を指先でなぞりながら、月光の示す名前を口ずさんだ。
「――
■
「あっ、戻って来た」
「サッちゃん、お帰り」
「お帰りなさい、サオリさん!」
アーケード街の外れ、入り口より脇に少しズレた所にある裏路地。狭く、寂れた室外機やパイプの合間を潜って進んだ先に、少しだけ開けた空間があった。湿った空気が流れる場所だが、頭上からは月明かりが差し込み視線も通らない。身を隠すにはうってつけの場所だ。
そこで背嚢を地面に降ろし、食事を摂っている仲間達の姿が薄らと見えて来た。手にしたペンライトで手元を照らし、リーダーの帰還を待っていた彼女達――スクワッドは裏路地へと戻って来たサオリの姿を見て、笑顔を浮かべる。壁に寄り掛っていたミサキは端末の画面を伏せると、今しがたアーケード街を見て来たサオリへと問いかける。
「リーダー、アーケードの方はどうだった? 良い場所は見つかった?」
「あぁ、それらしい建物は見つかったんだがな……既に先客が居た」
「先客?」
何処か気まずそうに視線を横へと向けるサオリに対し、ミサキは訝し気な声を上げる。こんな場所に、と後ろに言葉が続く事は察せられた。ヒヨリもまた、少し驚いた様子で呟きを漏らす。
「この辺りはブラックマーケットやスラム街からも離れていますし、不良生徒の類は少ないと思っていたんですけれど……こんな所にも居るんですねぇ」
「まぁ、少ないだけで居ない訳ではないと思うし、別に変な事じゃないけれど」
「大丈夫サッちゃん、襲われなかった?」
「あぁ、こんな所で撃ち合うのも不毛だ、話し合いで解決出来た」
「そっか、良かった」
その一言に胸を撫でおろすアツコ、彼女としてもなるべく争い事は避けたい様子だった。ある程度環境が整えられとは云え、相も変わらず追われる身である事は変わりない。騒ぎは避けるべきだろう。
「なら直ぐ移動しよう、誰とも分からない連中の傍で一晩過ごすの危険だと思うし、別の場所を探さないと」
「大丈夫だよ、この辺りは建物が沢山あるし、ね?」
「――あぁ、そうだな」
ミサキの言葉に頷き、スクワッドは再び移動の準備を始める。幸い、アーケード街に限らずとも周辺には老朽化し、廃墟と化した建築物が多く点在する。それらを一つ一つ探して行けば、一晩過ごせる程度の寝床は確保出来るだろう。次のセーフハウスまでの辛抱だ、数日程度の野営は苦でも何でもなかった。
皆に見張り番を頼んでいた背嚢を背負い直し、ショルダーストラップの具合を確かめる。中には一夜を過ごす為の寝袋も圧縮した状態で収納されており、数日分の食料もある。ずっしりとした重さは時折疲労を生むが、それ以上に安心感の元となる。気力、体力共に十分、まだ数時間寝床を探して歩く力は残っていた。
「リーダー?」
「サオリさん?」
「……ん?」
ふと気付くと、皆が自身を注視している事に気付いた。サオリは背嚢を背負ったまま振り向き、疑問符を浮かべる。
「何だ、一体どうした」
「どうしたって、それはこっちの台詞」
「サッちゃん、何か良い事でもあった?」
唐突に、アツコが小首を傾げながらそんな事を口走った。一瞬面食らい、思わず問いを返す。
「……何故、そう思う」
「だって、何となく嬉しそうだから」
それに対し、アツコはミサキやヒヨリと目線を合わせながら、何でもない事の様に云った。それは本当に、余りにも何気ない口調であった。
「嬉しそうって、私が?」
「うん」
「あっ、もしかしてアーケード街の方に最新号に近い雑誌とかが捨てられていたりしたんですか……!? それを拾って、ご機嫌だったり……!?」
「いや、ヒヨリじゃないんだから、リーダーがそんな事で喜ぶ訳ないでしょ」
歓喜を滲ませその様な事を口走るヒヨリに対し、ミサキは呆れた様子で首を振る。そんな事で一喜一憂する筈がないという確信がある、しかしならばサオリの浮かべる感情の出所は一体何処なのか、そんな疑問を視線で投げかければ――サオリは自身の口元を覆うマスクを撫でつけながら、自分でも驚いたような様子で口を開いた。
「いや、その……何だ」
「……?」
彼女らしくもなく、言葉を詰まらせる。躊躇と云うよりは、どう伝えたものかと考えあぐねているようにも見えた。ややあって、彼女はポツポツと語り出した。
「先程、口にした先客なんだが……」
「うん」
「どうにも、困っている様に見えた、行き場もなく、助けてくれる人も居ないような状況で……装備はかなり上等に見えたが、酷く疲弊していた」
「それは……」
――いつかの私達と同じ。
全員が口に出さずとも、過去の境遇と重ねている事が分かった。そして、それを見たサオリがどの様に感じるのかも勿論、付き合いの長いスクワッドの面々は理解している。サオリは皆の視線を受け、恥ずかしそうに俯き、首を振った。
「――すまない、どうにも放っておけなかった」
「……まぁ、リーダーらしいと云えば、らしいけれど」
「でも、良い事だよ」
「そうですね、ある意味それが許される状況にまで、余裕が出来たって事ですし……えへへ」
サオリの言葉にアツコとヒヨリは破顔し、ミサキも仕方ないと溜息を零しながら、笑みを漏らしていた。
キヴォトス全体で見れば、その様な境遇は珍しい事ではないのかもしれない。ブラックマーケットやスラム街等で似たような事例を探せば、それこそ幾らでも出て来る事だろう。更に云えば、その先客とやらがブラックマーケットや他自治区で不義理を働いた可能性もある。傭兵として働く中、雇われた傭兵や私兵が護衛貨物を持ち逃げする話なんて、何度耳にした事か。
以前の自分達であれば、アリウスでの光景を幻視し、見慣れた事だと目を背けたかもしれない。何もない底で生まれ、必死に生き、足掻き続けた彼女にとって、誰にも手を差し伸べられる事無く消えゆく姿は余りにも日常的で、何ら珍しい事でも無かったから。
飢えに苦しみ、病に苦しみ、不当な暴力に唇を噛んで耐え、薄汚い路地裏で横たわる苦痛と惨めさは――良く理解している。
しかし、人の優しさに触れ、誰かに託される事を知り、罪を赦し、赦され、祈る意味を知った今のサオリにとっては、どうにも許容できない姿に見えたのだ。嘗ては当たり前の様に存在していたその光景に、今は行き場のない感情を抱いてしまう。
確かに自分達の出来る事など限られている。しかし小さくとも、一つ一つに手を差し伸べる行為に意味はある筈だと、そう云い聞かせて。
「彼女達は悪人には見えなかった……恐らく、何か深い事情があるのだろう」
「なら、余り深入りは厳禁、私達が出来るのは精々助けてくれる所を教える位でしょ、下手に動いて騒ぎになったらそれこそ面倒だし、迷惑も掛かる」
「あぁ、だからそうした」
サオリの言葉に、ミサキは一瞬目を見開いて、それから納得した様に肩を竦めた。どうして彼女が満足そうだったのか、喜色を滲ませたのか、それを理解したのだ。サオリはマスクの内側で口元を緩めながら、自身の掌を見下ろす。月光に淡く照らされ、薄汚れた掌は――けれど、いつかとは異なり、目に見えない沢山のモノを掴んでいる。
「先生の真似事かもしれないが――ほんの僅かであっても、誰かの力になれる、手を差し伸べられるというのは」
ぐっと、拳を握り締める。
羽織った外套の内側に、肌身離さず仕舞っている薄汚れた腕章。その輪郭をなぞりながら、サオリは微笑み云った。
「存外、嬉しいものなのだな」
新イベのストーリー、先生の恰好ところ見れて満足でしたわ……。
いつか「先生の手足や目を元に戻すのだ!」って奮起して、エラい事になる話も書きましょうね……。「こ、こんな筈じゃ……」ってなっても良いし、本当に治って永久機関が完成しちまったなぁ! これでノーベル賞は私のモンですわッ! てなっても良いし、でも肉体が捥がれるエクスタシーは天然ものだから素晴らしいのですわ~って自分も居る……。贅沢な悩みですわね。