「リーダー、情報を集めて来ました」
「結構」
月光の遮られる路地裏、辺鄙な郊外の夜道は人通りが少なく、静寂に包まれている。特に治安が良くないとされる区画ならば尚更であり、罅割れた街灯が時折点滅しながら、周囲を淡く照らしていた。そんな暗闇の中で蠢く影が複数、影達は背の低いビルの裏手、光の届かない場所でドラム缶に薪をくべ火を焚き、顔を突き合わせていた。ゆらゆらと揺れる炎の輪郭が影を照らし、薄らとその表面を浮かび上がらせる。
「縁というものは風のように訪れ、風のように去るもの、それが悪いモノであるかどうかは早々に断定し切れませんが――さて、今回の縁はどうでしょうか」
影の中でも一際奇妙なシルエットを持つ人物が、ゆっくりと言葉を噛み締める様に問うた。肩に羽織った布切れが、ふわりと身動ぎに合わせて揺れ動く。
「彼女達に、『無所有』の誇る高潔な心は存在しましたか?」
「いいえ、残念ながら」
「それどころか、欲に塗れていましたね」
問い掛けに、同じく焚火を囲む者達は一斉に首を横に振った。ここ数日張り込み、彼女達の様子を伺っていた一団は皆、一様に口を揃えて云う。
「行動力もあり、近場の廃材なども一通り収集され、私どもの住処を補修する事も……」
「加えて、彼女達は何処からか食糧やら物資を調達している様です、最初こそ苦労している様子でしたが、今は一日一食必ず贅沢な食事を……うぅ」
「特にあの根城は物騒で、情報を得ようと近付いた同胞が地雷に吹っ飛ばされてしまい、泣く泣く撤退を――」
「そうですか、折角の縁でしたが――所詮は道徳を失った俗物でしたか」
顔面を掌で覆い、酷く失望したと云わんばかりに嘆く影。新しき同胞の訪れかと期待したが、どうやら縁は紡がれなかったらしい。であるならば仕方ない、やるべき事は一つである。覆っていた掌を振り払ったリーダーは、力強く断言する。
「仕方ありません、それでは予定通り動くとしましょう」
「……えっと、本当にやるんですか?」
「えぇ、勿論です」
万が一でも、自分達と志を同じくする同胞ならば迎え入れる事も吝かではなかった。しかし、そうでないのならば選ぶ余地はない。何より、自分達にこの話を持って来た相手は強大であるが故に。
「私達の教え、『所有せずとも確かな幸せを探す集い』――『所確幸』の教えを実践するのです!」
路地裏にその甲高い声は良く響き、軈て夜空へと吸い込まれて行った。
募った集団――所確幸のメンバーは気炎を上げ、そう叫ぶ自分達のリーダーを見つめる。メンバーの瞳には僅かだが、隠し切れない困惑の色があった。それを悟ったのだろう、全員の視線を感じながらリーダーは強気な姿勢を崩さず告げる。
「皆さん、我々ならば出来ます、何を恐れる事がありますか? 私達には親切な、『支援者』の存在もついているのです」
「それは、まぁ……」
リーダーの言葉に頷き、見下ろした視線の先。皆に一つ支給されたそれは、到底所確幸が所有出来る代物ではない、最新式の銃火器が握られていた。今の所確幸には支援者から齎された確かな銃火器と弾薬がある、破棄されたジャンク品を漁って何とか組み上げたスクラップガンとは、命中精度も信頼性も、何もかもが違っていた。確かにこれがあれば、大抵の存在とは渡り合えるだろう。
抱えたそれが所確幸のメンバーに確かな自信を与え、その背中を後押しする。
「ごほん、という事で皆さん、明日はくれぐれもお願いしますよ?」
「りょ、了解、リーダーがそう云うのなら」
「分かりました……」
その号令と共に散っていく同胞達、メンバーは明日に備えそれぞれの居場所へと戻っていく。その背中を満足げに見送っていると――ふと羽織っていたマント、その内ポケットに入れていた端末に着信があった。慌てて背を向け端末を取り出せば、表示される画面に思わず笑みが零れる。
応答ボタンを押すと、即座に声が響いた。
『――首尾は』
「んんッ! えぇ、恙なく、例の公園に大人が一人通っている事は同胞が確認しました、恐らく彼がシャーレの先生とやらでしょう、白い制服に青の腕章、肌身離さず抱えるタブレットに右目の隠れた大人……間違いありません」
『そうか、どうやら協力者からの情報は正しかった様だな』
防衛室も、中々どうして抜かりが無い。漏れ出た呟きは他に届く事無く虚空に消える。電話の相手は暫し何かを考えるように沈黙を守り、それから重々しい口調で言葉を続けた。
『宜しい、ならば後は指示通りに、成功すれば報酬はその場で渡すと約束しよう』
「おぉ、有難い話です! 確りと仕事は果たしますとも!」
『ふん――では明日、件の場所で落ち合おう、通信終了』
それだけを告げ、一方的に打ち切られる通信。所確幸のリーダーである影は暫くの間無言で端末を見下ろしながら、それから独りでに忍び笑いを漏らした。
「フッフッ……降って湧いたこのチャンス、活かさねば勿体ない、今回の報酬さえあれば更にアジトを拡充し、同志を増やす事も叶う筈――ッ!」
ぐっと、端末を握り締めた掌を見下ろしながら震える声を絞り出す。暗闇の中、円形のレンズが焚火の光を反射し、きらりと煌めいていた。
「待っていて下さい、シャーレの先生……!」
■
D.U.郊外、子ウサギ公園近辺、市場。
その場所はD.U.郊外の中でも比較的中程にあり、子ウサギ公園と比較すれば多少なりとも人通りがあった。流石に夜間ともなれば郊外という事もあり静かなものだが、こうした日中は人の喧騒もあり、先生はそんな市場をゆったりとした足取りで回っていた。
市場には八百屋や喫茶店、甘味処に呉服屋、古物商店など様々な店が立ち並んでいる。中央区画と比べると店の景観が古めかしくも感じるが、それはそれで味がある。先生は両手に幾つかの紙袋を抱えており、その視線は周囲の店を一つ一つに向けられていた。
「――次は此処だね」
そして不意に足を止めると、先生はとある一軒の店へと足を踏み入れる。暖簾には甘味処の文字が躍っており、店の扉は年季を感じさせるものだった。先生が扉に手を掛けると、ガラガラと音を立てて中へと踏み入れる。店内は所狭しと並べられた懐かしい駄菓子が手前を彩り、奥側には新聞を広げる店主の姿があった。
大きな猫にも見える店主は和服の袖を揺らしながら、ゆっくりと落としていた視線を出入口へと向ける。そして来店者がシャーレの先生であると気付くや否や、その恰好を崩した。
「おや、先生じゃないか」
「どうも、お邪魔します」
そっと頭を下げる先生に対し、店主は手に持っていた新聞を丁寧に畳むと、上がり框となっていた畳から腰を上げ、揃えていた草履に足を伸ばす。立ち上がった店主の背は僅かに曲がり、年月の重みが滲み出ていた。それでも足取りに淀みは無く、対面した店主は莞爾として笑った。刻まれた老いの証明が、どこか愛嬌を感じさせる気がした。
「最近は良く顔を出すね、
「えぇ、まぁ」
「もしかして、最近この近くの公園に越して来た子達かい?」
「……流石に、分かりますか」
そんな店主の言葉に、先生は思わず苦笑を零した。やはり年月の重みというのは、こういう聡さにも繋がるらしい。店主は腕を組みながら、ふふんと肩を竦める。
「そりゃあね、先生がそんな風に汗水垂らして動く時は、大抵生徒さん絡みだもの」
「えぇ、皆さんから何かをして欲しい訳ではなく、ただ見守って欲しいと、お願いに」
「それ位なら、お安い御用さ」
云われずとも、この辺りの住人ならばそうするだろう。悪人ならば相応の対応を考えなければならないが、今回の一件はそうではない。先生が方々を駆け回って一言添えている相手には、覚えがあった。
「一昨日くらいかな、偉いキチっとした生徒さんに声を掛けられてね、どうも近くを自主的にパトロールしているとか何とか、だからもし困ったことがあったら相談して欲しいと云われたよ……最初は新しく巡廻に来たヴァルキューレの生徒さんだと思ったんだけれど、違った格好だったからね、多分あの子達がそうなんだろう? 公園に越して来た子達ってのはさ」
当時の事を思い返し、伸びた髭を指先で引っ張りながら店主は告げる。当時はどこぞの学園に所属している他所の自治区の生徒さんか、ヴァルキューレ警察学校の所属だとばかり思っていたが、どうにも違うようだと気付いた。それから一体どこの誰だとずっと疑っていたが――その正体に勘付いたのは、先生がこの辺りで挨拶回りを始めたと聞いてからだ。
詳しい事は分からない、しかし長い事商いを続けていると人を見る目は嫌でも養われる。店主はその瞳を優し気に細めると、年長者特有の温和な笑みを見せた。慇懃でありながら柔らかで、嫌みのない口調には確かな気品を感じる事が出来た。
「正義感に溢れた、良い子達じゃないか」
「――えぇ」
その通りだと、先生は店主の言葉に深く同意する。自分達の中に、きちんとした正義を持った子達だ。それは決して永遠でもなければ不壊でもない、しかし真正面から向き合い、乗り越えようとする彼女達は確かな強さを持っている。
先生の内心を見通す店主は、笑みをそのままに視線を傍の棚へと移した。
「ついでだ、何か買って行っておくれよ、その生徒達さんにでも――勿論、安くしておくよ」
近場の駄菓子を指差しながら、そう告げる店主。しかし先生の手元を見ると、「おっと」と目を見開き、頭を掻いた。
「他所でも同じような事を云われたかい? こりゃ、荷が一杯だ」
「いえ、是非」
店主はそう云うが、持てない程ではない。彼女達の現状を考えれば、何をどれだけ用意しても足りない位なのだから。先生は店主の勧める商品を幾つか買い込み、また一つ紙袋を増やした。とは云っても値段は本人が云う通り良心的なもので、正直この倍を買い込んでも良い程だった。しかし残念ながら、先生が持てる量には限りがある。何事も程々が一番、という事だ。
「それでは、また」
「またいつでも歓迎するよ」
挨拶を交わし、店主の声を後にその場を後にする。扉を後ろ手に閉め、こんな事ならばバッグの一つや二つ持って来れば良かったと自身の見通しの悪さを悔いた。両手一杯に抱えた紙袋は、流石にもう増やせないだろう。
「さて、そろそろ子ウサギ公園に――」
「あれ?」
そんな事を考えながら次の目的地を脳裏に浮かべていると、不意に横合いから聞き覚えのある声が響いた。視線を其方へと向ければ、肩を弾ませながら此方に駆けて来る影が一つ。器用に結われた長い髪が元気に跳ね、羽織った白い上着が動きに合わせて靡いていた。
「先生! このような所でお会いするとは、奇遇ですねっ!」
「――キリノ」
現れたのは、パトロールの最中と思わしき生徒――キリノであった。生活安全局に身を置く彼女は日常的に巡回を行っており、この区画も彼女の順路に含まれていたのだろう。パタパタと駆け寄って来た彼女は先生の手前で足を止めると、満面の笑みを浮かべて見せた。
「こんにちはキリノ、もしかして今日もパトロール?」
「こんにちは! はい、市民の安全の為にも重要な事ですので! 先生は此方でお買い物ですか?」
「うん、そうなんだ」
そう云って先生は抱えた紙袋の山を見せる。パッと表情を輝かせた彼女は、どこか共感する様に何度も頷いて見せると、口元を緩めながら言葉を紡いだ。
「確かにこの辺りは美味しいお店は勿論、屋台も沢山ありますから、私もパトロールついでに昼食も済ませようかと思っていたんです」
「あぁ確かに、この辺りは屋台も美味しいよね」
「はい! 特にあそこのお肉屋さんのカツサンドは絶品で、巡回中に小腹が空いた時、何かを買うといつも揚げたてのコロッケをおまけしてくれたりして……!」
へへ、とその事を思い出しだらしのない表情を浮かべるキリノ。しかし先生の前である事を思い出し、慌てて口元を拭うと羞恥心を隠しながら咳払いを挟む。
「ご、ごほんっ! 勿論、食事に現を抜かしてパトロールを疎かにする様な事はありません! この辺りは不良達が屯しているという事もあってですね……っ! 常に目を光らせる必要がありまして――」
「キリノが頑張っている事は良く知っているよ、いつもありがとう、皆がそうやって頑張ってくれているから私も安心して買い物が出来るんだ」
「そ、そうですか? それなら、えへへ……」
後頭部を掻きながら、満更でもない様子で照れるキリノ。自分の苦労や努力がどんな形であれ、報われるのは悪い気分ではない。単なるパトロールとは云え、それでも多少なりとも抑止力になっているのならば本望である。
「っと、そう云えば先日公園で騒ぎを起こしたSRTの生徒達について、その後の事はシャーレが担当すると伺ったのですが――」
「あぁ、RABBIT小隊かな」
「はい、その後は大丈夫でしたか? 何かトラブルなど起こっていなければ良いのですけれど……」
「大丈夫、皆良い子達だよ」
「そうでしたか、先生がそう仰るのなら……ただデモを起こしヴァルキューレに対抗する程の方々でしたので、もしかしたら危険があるのではないかと心配だったんです、たとえばですが、銃器で先生を威嚇して食べ物を強奪したり、何か大きな要求をしたりとか、謂れのない罵詈雑言を投げかけたりとか――」
「……あはは」
キリノが強い口調でその様な事を告げれば、先生は誤魔化す様に笑った。そんな事ないさと、精一杯彼女達のフォローを口走る。実際、RABBIT小隊にキリノが思っている様な危険はないのだから。彼女の言葉が正しいかどうかは兎も角、先生自身は全く苦にしていない。
「わ、私も、その――……」
キリノはふと俯くと、何事かを口にしようとして、思わず呑み込む。
先生にも、余り無理をして欲しくないので。
キリノは胸中でそんな言葉を呟いた。しかし実際に言葉にする事は出来なかった。それを形にするには少しばかり勇気が必要で、恥じらいが先立った。
故に首を振り、キリノは先の言葉を振り切る様に声を張る。
「と、兎も角、私も先生の様な立派な大人になる為、今日もまた精進します!」
「えっと、私はそんな風に進んで参考にされるような大人ではないのだけれど……」
「そんな事はありません! それに、先生が困った時は本官に、或いはヴァルキューレ警察学校にご連絡頂ければ、直ぐに駆け付けますので! 二十四時間、年中無休で!」
「ね、年中無休かぁ……」
「それに、最近この辺りでも変な噂があるので、先生も十分に気を付けて頂いて欲しくて――」
流石に、休みは大事だよと、自分を棚に上げて発言しそうになった先生ではあるが、キリノの口から気になる文言が飛び出した事により動きを止めた。
「噂?」
「はい! 何でもこの周辺で武装した放浪者集団が歩き回っているとか何とか、荒っぽい服装をした定住地を持たない集団との事なのですが」
「荒っぽい服装に、武装した放浪者、ね」
「どこで手に入れたかも分からない強力な銃火器を持ち歩いている為、市民の方々からも不安の声が上がっているとの事で、先日もどうやら湾岸区域に無断で立ち入り、廃材を窃盗したというお話もありました、後は何やら各地に分散して、発見報告もまばらだとか何とか――一体何が目的なのでしょうか?」
「………」
その言葉を聞き、先生はその視線を鋭く変化させる。それは明らかに、何か事情を知っている様な素振りに見えた。キリノは思わず先生の顔を覗き込み、無垢な表情をそのままに問いかける。
「先生? もしかして、何か心当たりでも?」
「あぁ、いや――そうだね、半分ある様な、ない様な」
「……?」
先生の何とも歯切れの悪い様子に、キリノは小首を傾げる。一見誤魔化したようにも見えるが、純粋に先生も疑わしさ半分、確信半分といった内情であった。確かな情報はあるものの、不明瞭な面も多い。不確定要素を孕んだまま、それを口走る訳にはいかなかった。
「まぁ兎に角、何かあれば一報を! 直ぐ駆けつけますので!」
「……うん、分かった、約束するよ」
何かあった場合は、キリノに助力を要請する。きっと彼女ならば力強い味方になってくれるだろう。先生はそう約束した。その事に安堵し、キリノは改めて佇まいを正すと、ふと自分の脇に提げた愛銃二つを見下ろしながら、何とも複雑な表情を浮かべて云った。
「しかし、以前のSRTの件はさておき、強力な銃火器を持った放浪者集団だなんて、何だかこのままではヴァルキューレ警察学校の武装が貧弱に見えてしまいそうです、これを機にヴァルキューレも、より最新式の銃器に変えて貰えると良いのですが……とは云っても、そもそも生活安全局の基本業務に、犯罪者の制圧は含まれていないのですけれどね」
専らそういう騒動に駆り出されるのは、警備局や公安局の方々なので、たはは――と苦笑するキリノ。彼女の愛銃は第三号ヴァルキューレ制式拳銃、彼女がヴァルキューレの門を潜った際、支給された拳銃である。手入れは欠かしていない上、射撃訓練での成績向上を目指している分、きちんと機能している事は理解しているのだが。
それはそれとして、他の自治区の風紀委員会相当の部活動と比較して優れているかと云われると、素直に頷く事も出来なかった。
そんなキリノに対し、先生は疑問を投げかける。
「強力な武器があればと、そう思う事が多いのかい?」
「えっと、そうですね、本官としては別に最新式の銃器まで欲しいとは云いませんが、流石に弾薬が無いと困ってしまって……ここだけの話ですが、現在ヴァルキューレ全体で財政状況が良くないとの事で、特に生活安全局は弾丸の補充にも一苦労なんです」
「それは――」
「基本的に生活安全局は市民対応が主な業務ですから、どうしても武器弾薬の補充や配備は警備局、公安局の方が優先されてしまって、その為生活安全局全体で弾薬を節約する様に務めるよう指示が……」
落ち込む様に肩を落とすキリノ、その業務内容を考えれば優先的に警備局や公安局に装備や銃火器、弾薬が支給されるのは仕方がない。しかし、それでも十分に足りているとは云えないらしい。そうなるとただですら支給の少ない生活安全局が、更に苦しくなるのは必然。いつかこの負の連鎖を断ち切れると良いのですがと力なく呟いたキリノは、しかし先生の表情を見てパッと顔を上げ、捲し立てた。
「あっ、ですがご安心下さい、いざとなれば徒手空拳であっても、必ず先生を御守りしますので!」
銃火器が無くとも、戦う事自体は出来る。何なら自身は射撃の腕が評価されない分、足で犯人を追い詰め、素手で確保する事も多い。ビッ、と素早く身構える彼女の動きは堂に入っており、その研鑽を感じさせるには十分な機敏さであった。
「それに、以前の功績で警備局に転属出来るかもしれませんし、そうなれば新しい装備も支給されるかもしれません! ヴァルキューレも現状は理解している筈ですから、きっと弾薬不足も解消される筈です!」
「……そうだね、キリノがそう望むなら、きっと」
「はい!」
先生の淡い微笑みと共に漏れ出た言葉に、キリノは溌剌とした声を返した。そのまま敬礼を見せた彼女は、そのまますれ違う様に駆け出し、叫ぶ。
「では本官も引き続き食べ歩――いえッ! パトロールに戻りますので!」
■
「………」
子ウサギ公園へと向かう道中、住宅街の道を歩きながら先生は一人、キリノの言葉を頭の中で反芻していた。武装した放浪者集団、その存在について先生は心当たりがある。しかしその行動を把握している訳でもない。口を噤み、黙々と足を進めていた先生ではあるが――子ウサギ公園入口まであと五分そこらと云った所で、不意に足を止めた。
『――先生』
「あぁ」
懐に仕舞い込んでいたシッテムの箱、そこからアロナの声が聞こえて来た。先生は四方に視線を向けながら、ゆっくりと振り向く。
「……面識は無かった筈だけれど、何か私に用かな?」
閑静な住宅街、人影らしい人影はなく、先生の声は虚空に虚しく響くばかり。しかしその表情は真剣で、誰かの存在を確信している様に見えた。
暫し沈黙が続き、先生は無言で佇み続ける。
「――ほう」
果たして、アロナの警告は正しかった。
幾つかに分岐している住宅街の路地、その薄暗い暗闇から現れる人影があった。それは一つではない、住宅街の至る所、遮蔽物の裏より人影は顔を覗かせ、先生を取り囲む様に続々と姿を見せる。人数は十名ほどか、先生は抱えていた紙袋をゆっくりと地面に置き、シッテムの箱を抜き出す。
「私に気付きましたか、中々どうしてやりますね」
集団の中心に立つ存在、奇妙な布を羽織った人物――オートマタは愉快そうに告げた。頭には赤い布を巻き付け、剥き出しのフレームは胸元に外装を貼り付けただけに過ぎない。加えてその外装には奇妙なアクセサリーが掛けられており、大きな眼鏡にも見えるレンズが陽光を反射し輝いていた。
左右に並ぶ同胞を一瞥しながら、オートマタは先生を指差す。
「君に少々用事がある、付いて来てくれるかね?」
「………」
「出来れば、手荒な真似はしたくありません、君はキヴォトスの外から来た人物、何かあっては私達も心苦しい」
「……断る、とは云えない雰囲気だね、これは」
中心のリーダーは兎も角、他の面々は真新しい銃を抱えている。その銃口こそ此方に向けられてはいないものの、穏やかな気配は無かった。必要があれば、武力で脅してでもという意図が透けて見える。知らず知らずのうちに、シッテムの箱を握る指先に力が入った。アロナの力を借りて、彼等の基幹システムをクラックする事は可能だ――しかし。
先生は油断なく集団と対峙しながら、足元の紙袋を指差し云った。
「これから私は、大事な生徒達に会いに行く予定だったのだけれど」
「それは失礼、しかし君が手に持っていたものなら、責任を持って此方で公園入口に届けておきましょう――届ける場所はあの、子ウサギ公園にやって来た生徒でしょう?」
既に此方の情報は凡そ掴んでいると、遠回しな伝え方だと思った。先生は薄らとした笑みを浮かべながら、目の前に立つ集団のリーダーを見据え、敢えて問い掛けた。
「名乗ってはくれないのかい?」
「……あぁ、御挨拶が遅れました」
その問い掛けに、リーダーと思われるオートマタはその貼り付けられたパーツを変化させ、驚いた様な表情を模る。それから羽織った布をはためかせ、ゆっくりと腰を折って見せた。
「私の名はデカルト――この所確幸を率いるリーダーです」
――カイザーコーポレーションの重役が、君とコンタクトを取りたがっている。
所確幸のリーダー、デカルトと名乗った人物はそう云って、ゆっくりと手を差し出した。
ある日予知で先生と結ばれる事を知ったセイアちゃん。先生に対しては満更でもないし、好感も抱いているので、その予知夢を見た瞬間はかなり動揺したものの、何とも云えない喜びを覚え、「ふむ、まぁ……そういう未来も、悪くない」とひとりベッドの上で微笑む。
それから先生にそれとなく恋愛攻勢を仕掛けるミカやミレニアムの会計、風紀委員会や正義実現委員会、あらゆる生徒を横目に、しかし「ふぅ、全く、忙しない事だね、もう少し余裕と云うものを持たないと、想い人にも重いと思われてしまうよ?」と余裕の表情。何せ予知で自分と先生が結ばれる事は知っているのだ、だからこそ余裕を崩さず、先生と御茶会をする時も積極的にはならず、あくまで普段通りを装い穏やかに過ごす。
先生との惚気話をするミカにも変わらぬ対応で、「もっとお淑やかに過ごしたらどうだい?」と苦言を呈す。そんなセイアに対しミカは、そんなんじゃ一生ひとりになっちゃうよ~? と煽る。しかしセイアはふっと、彼女の発言を鼻で笑った。
何せ、未来は既に見えているのだから。
そんな余裕綽々で過ごしていたある日、唐突に見た予知夢で先生が自分ではない誰かと未来を歩む可能性をセイアは垣間見てしまう。
慌てて飛び起きた彼女は、今見た夢が予知夢である事を理解し、慌てて先生とコンタクトを取る。ついこの間まで他人の先生に対するアピールを「忙しない」だとか、「浅ましい」だとか称していた癖に、いざ予知で他の可能性を見せられた途端、必死になるセイアちゃん可愛いね。
時間を見つけてはシャーレに足を運び、仕事を手伝い、それが原因で体調を崩して先生が見舞いに来れば、これ見よがしに病弱アピールして少しでも先生と時間を共にしようとする。
そんななりふり構わない努力を必死に続けていると、先生と結ばれる予知が再び復活し、彼女は大層喜ぶのだ。
このセイアちゃんは予知を見ているので、多分その力を失う前だろうけれど、それでも自分の力で未来を取り戻す、或いは変える事は出来るのだと、彼女にとってはとても大きな一歩を踏み出すだろう。
そんなセイアちゃんの所に調印式で爆散して、サオリに全身穴だらけにされた先生を持っていったら凄い事になりそうだよねというお話。
ミカは「始めよっか、私達の血に塗れたエデン条約を!」になるだろうし、ナギサは爆撃の影響で寝込んでいるだろうし、恐らく先生ルートに入ったセイアは凄まじく悪い体調も気にせず、先生の所に這って行くのだろう。そして寝台に寝そべり、文字通り骸となった先生に呆然とした様子で縋り付き、無言のまま彼の腕に額を擦りつけるのだろう。素晴らしき予知もあれば、地獄の様な予知もある、「こんな事に、なるのなら……何で、あんな
しかし可能性はあるのだ、此処から復活し未来を取り戻す可能性、そのほんの僅かな可能性を、彼女の予知は汲み取っていたのだから。先生は復活しても、復活しなくても美味しい、何と素晴らしいのでしょう。
でも復活したら復活したで、「どうか行かないでくれ、先生……! もう嫌だ、もう手を離すのは嫌なんだ――ッ!」って先生の残った片腕に全身で引っ付いて、先生を戦場に出すまいと大粒の涙を零し、子どものように必死に首を振るセイアちゃんが見れそうで素敵。
どちらもあり得る、それだけですの。