ブルーアーカイブを、もう一度。   作:トクサン

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誤字脱字報告、感謝ですわ~!
今回約一万六千字ですの!


理想をこの()

 

『――せい、先生……!』

「ん……」

 

 声が聞こえた気がした。

 自分を呼ぶ声だ、先生が薄らと意識を取り戻し瞼を押し上げた時、視界に映ったのは横に伸びた自身のデスクと、山積みになった書類であった。

 思考には靄が掛かり、周囲は少し肌寒感じた。息を吐き出し、数秒ほど昏い視界に目を瞬かせた先生は、ゆっくりと両手をデスクに突いて上体を起こす。

 ギシリと、掛けていた椅子が軋みを上げた。

 

『あっ、やっと起きましたか!?』

「アロナ……?」

 

 目元を擦り、音の出所を探る。

 それは視線を横にずらせばすぐに見つかった、画面一杯に張り付いたアロナが鼻息荒く、指先で外を指し示している。僅かに掌をスライドさせると、こつんとペンと衝突した。転がり始めたそれを慌てて掴み、書きかけの書類に気付く。

 

「そうか、作業中に眠って――」

 

 パソコンのモニタは作業中のまま、先生は額を撫でつけると自身が半ば意識を飛ばす形で入眠したのだと理解した。珍しい事ではないが、仕事中に寝落ちすると腰や背中が強張ってしまう。懸念通り先生が微かに背を正すと、背中全体が軋みを上げ、骨が音を鳴らすのが分かった。

 せめて眠気を感じた時点で、ソファで横になれば良かったものを。云っても仕方ない事ではあるが、先生は内心で昨日の自分に悪態を吐く。

 

「ん――?」

 

 そうこうしていると、先生は先程から自身の耳に届く音に気付いた。立ち上がり、窓の方へと視線を向ければ、周辺を一望できる街並みは曇天に覆われ、激しい雨が降り注いでいる。

 時折雷の音も響き、強い風音も聞こえて来る。見れば街道に植えられた街路樹がその枝葉を大きく靡かせ、中には枝を圧し折られているものもあった。

 先生は硝子越しに街を見下ろすと、その眉間に皺を寄せる。

 

『予報は全く無かったのですが、つい数十分前に突然降り出しまして……現在、キヴォトス広域に大雨注意報が発令されています』

「………」

 

 大雨注意報――その言葉に先生はデスクに駆け寄ると、手早く出立の準備を始めた。義手の充電残量を確かめ、連絡用の端末をポケットに捻じ込み、椅子に掛けていた外套を羽織る。

 

「アロナ、子ウサギ公園の補強は大分前に終わっているよね?」

『はい、ですがあくまで限られた予算の中で行われた事ですし、元々再開発の予定もあって、手を加えられた範囲は広くありません、この規模の大雨となると――』

「……そうか」

 

 どれだけ備えたとしても、絶対とは云い切れない。寧ろ外に見える雨の激しさは、先生の記憶にあるそれよりも幾分か強まっている様に思えた。予報があれば、また別の手段もあっただろうが――先生は数秒程考え込み、それからシッテムの箱を手に取った。

 この天気だ、公共交通機関は軒並み止まっている事だろう。

 頼れるのは、自分の足だけだった。

 

 先生はデスクの引き出しから小さなケースを取り出し、中を開く。内部には強心剤の詰まった注射器が四本。それを懐に差し込み、踵を返した。

 

「直ぐに出る、戸締りを頼むよアロナ」

『あっ、はい! 任せて下さい!』

 

 ■

 

「おい、こっちのタープが破れたぞ! これじゃ中に雨水が――ミユ、早く追加の防水シートを!」

「そ、それが、もう予備は無くて……! さ、さっき使ったのが最後、みたい……!」

「なッ!? くそっ、こんな事ならビニールでも何でも、学園から持ち込んでいれば……!」

 

 雨でぬかるんだ泥に足を突き立て、サキは天幕のタープに繋がれたロープを必死に引っ張る。掴んだロープは雨水が滴り、良く滑る。吹き荒れる暴風が隙間からテントを煽り、靡かせていた。

 頬を打つ雨粒は大きく、はっきりと目を開けている事も出来ない。叫ぶ度に雨が口に入り、既に全身はずぶ濡れだった。暴風の雑音に紛れ、遠くから雷の音が聞こえて来る。雨脚は、時間を経るごとに強くなっている気がした。

 

「おいモエ、早くこっちを手伝え! いつまでも機械を抱き締めている場合か!」

「いやいやいや、通信装備に浸水したらヤバいでしょ!? この辺の機器、全部合わせて幾らになると思っているの!?」

「知るか、どうにかしろッ!」

「無茶振りでしょっ!?」

 

 モエはテント内部にあった電子機器の電源を抜き、コードなどを含め片っ端から防水シートに包み、保管箱に避難させる作業を進めていた。搔き集めた保管箱の中には、重要な機器から順に詰め込む。

 兎に角どこも人手が足りなかった、近年稀に見るレベルの暴風雨は天幕を吹き飛ばさんと荒れ、全身を打ち据える冷たい雨は彼女達の野営地に容赦なく降り注いでいた。

 

「くそっ、一体いつまで続くんだ、この雨は……!?」

「サキっ!」

 

 雨風を撒き散らす曇天を睨み付け、思わず悪態を吐いたサキの耳に、誰かの叫び声が届いた。

 

「ミヤコ……!」

 

 振り向けば、全身ずぶ濡れになりながらシャベルを持ったミヤコが此方に駆けて来るのが分かった。彼女の両足は泥に塗れ、制服の白いラインは泥水が沁み込んでいた。

 

「テントの補強が完了したら、次は排水路をお願いします!」

 

 彼女は野営地後方を指差しながら、焦燥感を滲ませ声を張る。彼女の声は、雨音の中でも確かに届いた。

 

「排水路に土砂が詰まった様です、このまま放置すれば水が溢れます……ッ!」

「えっ……!? は、排水路から水が溢れたら――」

「周辺一帯、テント全部浸水しちゃうじゃん!?」

「クソッ!」

 

 そうなったら、いよいよ野営地は終わりだ。テントが吹き飛ばないようにとか、そういう話ではなくなる。

 文字通り自分達のキャンプは雨水と泥の中に沈むだろう。

 サキはロープを手繰り寄せ、体重を掛けながら顔を大きく歪ませた。

 

「分かっているんだ! でも、こっちの補強が、中々――手が足りない!」

「こっ、このテント、手を離したら今にも倒壊しちゃいそうで……!」

「お願いだから今は崩れないでよ……っ!」

 

 ミユとサキがロープを引っ張る中、モエは手早く電子機器を保管箱に詰めていく。テントを地面に固定していたアンカーペグは暴風の中でそよぎ、二人が両端よりガイロープを引っ張っる事によって辛うじてテントの倒壊を防いている様な状況であった。

 多少の悪天候であれば、野営地に張ったテントが吹き飛ばされる様な事はあり得ない。しかし想定外の雨量に地面がぬかるみ、加えて人であっても吹き飛ばされそうな程強い暴風が固定していた筈のアンカーペグを引っこ抜いていた。

 自分達が他の作業に移るには、何とかロープをもう一度地面にペグで固定するか、別の方法で保持しなければならない。

 ミヤコは今にも倒壊しそうなテントを一瞥すると、シャベルをその場に突き刺し、小走りでサキの元へと駆け寄った。

 

「サキ、固定をお願いします、ロープは私が……!」

「っ、助かる!」

 

 ミヤコがそう云ってサキの引っ張るロープに手を伸ばした所で、不意に凄まじい閃光が周囲を照らした。

 同時に、一拍遅れて轟音が鳴り響く。

 

「ひぅッ!?」

「な、なんだ今の!?」

「らっ、落雷!? めっちゃ近いよ!?」

「こんな時に――」

 

 臓物を揺さぶる様な、凄まじい轟音であった。

 比較的至近距離に落ちたのか、幸い火の気は無かったが、凄まじい音と光に彼女達の意思とは関係なしに身が強張った。

 一瞬、それに気を取られたのが悪かったのか。

 ミユが両目を瞑り、肩を竦ませながら指の力を抜いてしまった。

 

「なっ!? 馬鹿、ミユッ!?」

「あっ……!」

 

 サキが驚愕に声を張り上げるのと、するりとミユの両手からロープが抜け落ちるのは同時であった。支えの一つを失ったテントは風の煽りを受け大きく変形し、上部からガコンと嫌な音が響く。

 

「嘘っ、フレームが……!?」

「倒壊しますッ! モエ、逃げて下さいッ!」

「ッ!」

 

 咄嗟にミヤコが叫び、モエは中途半端に詰め込んだ保管箱、その蓋を勢い良く閉めると、そのまま全力で外へと押し出し、次いで自分もテントの外へと身を投げた。

 一拍遅れて形を崩したテントが倒壊、騒々しい音を立てながら崩れ落ちる。剥き出しフレームがタープを突き破り、風に煽られ靡くロープ、その合間から雨水が内部へと容赦なく入り込んでいくのが見えた。

 周囲に飛び散る泥水、それらが足元を汚し、雨音が一際強く鳴り響く。

 

「痛った、あぁもう、最悪……」

「あ、あぁ……」

 

 地面に身を投げたモエは口に入った泥と雨水を吐き出しながら、唇を歪める。

 折り重なったテントを前にして、ミユは呆然と言葉を失っていた。

 降り注ぐ雨だけはその勢いを止めず、彼女達の全身を打ちのめし、内部にあった物資を無情にも濡らしていく。

 

「……クソッ」

 

 泥と雨に塗れたそれを見下ろしながらサキは呟き、その場で膝に手を突いた。

 ミヤコは暫しの間無言で倒壊したテントを見つめ、それから雨水に濡れた中のケースに目を向ける。横転したそれは中から幾つかの弾薬が転がっており、ミヤコは項垂れるサキへと問いかけた。

 

「このテント、確か中身は――」

「弾薬だ、もう……全部駄目になった」

「……こっちに在った電子機器も、この様子だと浸水しちゃったかな」

 

 辛うじて持ち出せた保管箱に手を掛けながら、モエは溜息を零す。一部を持ち出す事には成功したが、だからと云って何の慰めにもならない。崩れ落ちたテントの下には、まだ持ち出せていない通信機器類が残っていた。通信プロトコルコンバーターやデータリンク装置、屋外ルーターにドローン操作用の遠隔操作端末。雨に晒されたそれらは、果たして正常に機能するかどうか。

 モエはそれらを前にして眼鏡を取り外すと、曇天を見上げながら自嘲の笑みを浮かべた。

 

「――全部、終わりかぁ」

 

 その声は、諦観に満ちていた。

 モエは空を仰いだまま無言を貫き、屈み込んだサキは顔を上げる事無く。自責の念に駆られたミユは力なく項垂れ、唇を噛み締めていた。

 

「いいえ」

 

 しかし、諦観に支配される彼女達の中で、唯一動き出した人影があった。

 項垂れたサキの隣から、水気の混じった足音が聞こえる。

 億劫そうに視線を向けたサキは、地面に突き刺さったシャベルを抜き放ち、今なお諦める様子を見せないミヤコを見上げた。

 

「諦めるには、まだ早いです」

「………」

 

 泥に塗れた彼女は力強く、前を見据えたまま断言する。

 項垂れ、疲弊し、折れ掛かったRABBIT小隊を前にして、ミヤコは淡々と次に行うべき事を考えていた。

 サキが、モエが、ミユが、色褪せた瞳で彼女を見つめる。

 ミヤコは仲間達の様子に気付く事無く、シャベルを握り締めながら排水路へと足を進めた。

 

「まずは排水路をどうにかします、公園全体が冠水してしまう状況は絶対に避けなければなりません」

「おい、ミヤコ……」

「それから倒壊したテント内部より、浸水の少ない装備を回収しましょう、簡易ケースの弾薬は駄目かもしれませんが、ペリカンケースの装備や弾薬は問題ない筈です、あれは防水性の上、衝撃にも強いですから」

「おい……!」

「装備は回収次第、順次無事なテント内に避難を――」

「ミヤコッ!」

 

 だが、そんな彼女の背中に絶叫が叩きつけられた。

 最初は小さく、しかし最後は喉が張り裂けんばかりに大きく。

 荒げた声は周囲に響き渡り、豪雨の中でも確かに届いた。

 ぴたりと、足を止めたミヤコがゆっくりと振り返る。その両目は大きく見開かれ、驚愕に彩られていた様に思う。

 

「……サキ?」

「なぁ、ミヤコ――お前だって本当は、分かっているんだろう……!?」

 

 ぱしゃりと、力なく項垂れていたサキが立ち上がり、一歩を踏み出した。

 泥が跳ね、彼女達の衣服を汚す。深く目元を隠した鉄帽、その向こう側にサキの瞳が覗いていた。瞳に浮かぶ色は、怒り、焦燥、苛立ち、悲嘆、諦念――様々な感情が渦巻き、それらは真っ直ぐミヤコの双眸を見返していた。

 

「装備だけの話じゃない、全部、全部だ……! なぁッ!? 私達SRTには、もう何も、何も……ッ!」

「さ、サキちゃん……」

「……はぁーッ」

 

 声を荒げるサキに対し、ミユは怯えた様に両手を握り締め、彼女の名を呟く。

 モエは乱雑に自身の髪を搔くと、縛っていた髪を解き、水に濡れた額を拭った。影になった目元が、無気力に染まっている気がした。

 

「こんな事になるって分かっていたら、私だって、最初っから――」

 

 まるで小馬鹿にしたように、自分自身を嘲笑うかのように、彼女は顔を覆ったまま呟く。その後に続く言葉は何だろうか? 「こんな馬鹿げた事、しなかったよ」と続けたかったのだろうか。モエは雨に打たれたまま、強い虚無感に浸っていた。

 そんな風に、諦めを滲ませる仲間達を見て。

 

「な、何を……」

 

 ミヤコは酷く、動揺した。

 

「――何を云っているんですか」

 

 彼女達を、仲間達を凝視しながら、ミヤコは震える声で問いかけた。

 伸ばした指先が虚空を掻き、仲間達はそんなミヤコから目を逸らす。

 隊員たちは俯き、陰を背負いながら諦めを滲ませたまま。

 どうして、何故、そんな諦観を滲ませるのか、ミヤコには理解出来なかった。

 故に握り締めたシャベルを震わせ、訴える。

 

「だって……だって、最初にみんなで、云ったじゃないですか」

 

 そうだ、ミヤコは今でも鮮明に覚えている。

 互いに誓った筈だ。

 言葉にして、約束したのだ。

 学園が閉鎖になると聞いて、自分達の母校を去らなくてはいけないと知らされて、ヴァルキューレ警察学校への編入を蹴ってまで自分達は抗議を行うと決めた。自分達の学校はSRT特殊学園だけだからと、自分達の信じる正義は――あの場所でしか実現出来ないと信じていたから。

 だから、私達(RABBIT小隊)は――あの日、学園を去る最後の日に。

 

「私達が諦めない限り、SRTの名前は消えないって――ッ!」

「ミヤコ」

 

 そう、誓った筈だ。

 訴えるミヤコに対し、モエが平坦な声で彼女の名を呼んだ。

 それは余りにも無機質で、(感情)のない声だった。

 

「全員、薄々分かっていた筈でしょ、こんな馬鹿みたいな事、いつまでも続けるわけにはいかないって」

 

 曇天を見上げたまま、モエは吐き捨てるように云う。

 

「そんな綺麗ごとだけで、動き続けられる程、世界は優しくないんだって」

 

 自分達が幾ら抗議した所で、SRTが復活する目途は立たない。連邦生徒会は取引に応じる事は無いだろうし、肝心のデモは数日も続かず頓挫した。抗議活動と云う体でこの公園に居座っても――それがどれだけ意味のない事なのか、皆薄々理解している筈だと。

 SRT特殊学園を復活させる、その名前を守る。

 掲げた理想は立派だ、それを目指した事は否定しない。

 けれど。

 

「今の私達に、一体何が出来ているのさ?」

 

 モエは目を細め、ミヤコへと現実を突きつけた。

 向けられた瞳の無機質さに、ひゅっと、ミヤコが息を呑む。

 

「治安維持どころか、食料品を探し回って、自分達が生活するのに必死だってのに、訓練も出来ない、碌な装備もない、そんな中必死に這い蹲って――まるで、馬鹿みたいじゃん」

「……モエ」

「ミヤコ、もう正義がどうとか、犯罪者がどうとか、そんな事を云々している状況じゃないんだよ、その段階はもっと後だ、それ以前の問題なんだよ、私達は――ッ!」

 

 モエの言葉に同調し、サキは自身の膝を叩いた。跳ねた泥をそのままに、雨水を滴らせる彼女は薄汚れたグローブを広げ、後方を指し示す。

 

「見てみろ、ミヤコッ!」

 

 翳り、色を無くした表情。サキは歪み切った表情のまま、自分達の野営地だった場所を示した。

 崩れ落ちたテント、雨水が溜まった塹壕、泥濘に変わった防衛陣地、散らばった弾薬に、浸水した装備の数々。吹き飛ばされそうなテントは一つだけではなく、必死に近辺から集めた薪や廃材、資材もまた滅茶苦茶に飛び散っている。彼女達が寝床としていたテントもペグの一つが外れ、捲れ上がった隙間から豪雨が降り注いでいるのが見えた。

 これらを全て元通りにするのに、どれだけ時間が掛かる? そもそも、元通りに出来るかどうかも分からない。

 それらを背に、サキは歯を食い縛り、血を吐く様な苦痛と共に叫んだ。

 

「私達のキャンプはもう、何処もボロボロで、何も、文字通り何もないッ! 学園を追い出されて、必死に抵抗して、ちっぽけな装備を握り締めて、雨と泥に塗れて無力を嘆いている! それが今の私達だ! RABBIT小隊だッ! 無慈悲な現実だッ!」

「………」

「――こんな状態でSRTの名前が守れると、お前は本気で思っているのか……ッ!?」

 

 悲痛な叫び。

 それは理想と現実の狭間で自身の無力を嘆く、サキの本音であった。

 輝いていた理想を追い求め、必死に足掻き、歯を食い縛って耐えた。けれど齎された結果は余りにも残酷で、酷薄で、願った未来とは程遠い。

 彼女は力なくぬかるんだ地面に膝を突き、そのまま両手で顔を覆う。豪雨に打たれ、力なく項垂れた彼女からは強い自己嫌悪の念が感じ取れた。

 

「もう、自分が何をやっているのか、何でこんな事を続けているのか、分からなくなってきたんだよ……!」

「はッ……そうだね、本当に、何をやっているんだろうね、私達」

「ふ、二人共……」

 

 彼女達の想いは、同じである様だった。

 ミヤコはただ、無言で彼女達を見つめる。胸中には様々な感情が渦巻いていた。けれどそれをぶつけるだけの言葉が、仲間達を奮い立たせる言葉が、見つからない。

 ただ、強い衝動だけが湧き上がって来る。

 それを噛み締める様に、ミヤコは拳を握り締める。

 

「何もかも雨に洗い流されて、お腹も空いたし、野宿生活も疲れたし、私の大好きな火器も無いし……ねぇミヤコ、私達は十分に頑張ったんじゃない? たった四人だけで、何日もさ」

「それは……」

「だから」

 

 モエが、ゆっくりと視線を落とす。ミヤコから足元へ、降り注ぐ雨越しにその双眸を。

 

「――もう、諦めて良いんじゃないの?」

 

 その一言は、雨音に混じってミヤコの耳へと届いた。

 気怠さと悲嘆の混じった、力ない声だった。

 諦める――それは、この抗議活動を諦めるという事だろう。

 それはつまり、SRT特殊学園の復活を諦めるという事であり。

 先輩達の汚名を晴らす事を諦める事であり。

 

 そして、自身の信じた正義(色褪せない正義)を諦めると同義であった。

 

「………」

「み、ミヤコちゃん……」

 

 ミヤコは何も云わず、何の反応も示さず、ただ雨の中立ち竦む。

 両手でシャベルを握り締め、俯き口を一文字に結ぶ彼女からは何の感情も読み取る事が出来ない。濡れた前髪が、彼女の頬に雨水を滴らせる。

 ややあって、ミヤコは俯いたまま、ミユへと小さく問いかけた。

 

「……ミユも」

「っ!」

「ミユも、二人と同じ考えですか」

「わっ……」

 

 唐突に水を向けられたミユは驚愕し、それから視線を彷徨わせる。濡れ切った指先を擦り合わせ、動揺した様に言葉を濁した。

 

「わ、私は……」

「………」

 

 返答は、無い。

 迷っているのか、或いはこの状況に怯えているのか。しかし視線を落とし、唇を震わせる彼女からは消極的賛成の意が感じられるような気もした。

 その反応を見届け、ミヤコは静かに目を閉じると――そのまま踵を返し、シャベルを抱えたまま歩き始めた。

 

「――……おい、何処に行くんだミヤコ」

 

 その背中に、サキは声を投げかけた。

 けれどミヤコの足は止まらず一歩、また一歩と暗がりへと進んで行く。豪雨に遮られた視界でも、その背中はハッキリと視認する事が出来た。

 泥濘を掴み、顔を上げたサキが三度問う。

 

「まさか、こんな馬鹿みたいな事を、まだ続ける気か……?」

「そうです」

 

 ミヤコの返答は短く、簡素であった。

 けれど込められていた色は鮮烈で、強固で。

 モエが思わず、くしゃりと顔を歪めた。

 

「……正気?」

「えぇ」

「ふざけるなよッ!」

 

 泥濘を掴んだサキが吼えた。

 滴る雫が飛び跳ね、犬歯を剥き出しにしてサキは首を振った。

 

「もう碌な装備も、弾薬も、資材も残っていないんだぞ!? こんな事を続けて一体何になるッ!?」

 

 地面を掴んだ指先が泥を掻き、背中越しにサキの身体が大きく震えるのが分かった。自身の不甲斐なさに、現実の遣る瀬無さに、あらゆる理不尽に震えていたのだ。絞り出した声が、ミヤコの背中を強く叩いた。

 

「ただ苦しいだけじゃないかッ! 苦しくて、惨めで、辛いだけの――ッ!」

「それでも」

 

 ミヤコはただ一人、歩みを止めずに答える。

 

「それでも、私は諦める事が出来ません」

 

 はっきりと、僅かな迷いさえ見せずに。

 陽光が遮られ、曇天に覆われた世界、雨が視界を遮っても――彼女は前だけを見続けていた。

 

「――私の信じた、SRT(正義)の為にも」

 

 ■

 

 勢い良く、シャベルを積もる土砂へと突き立てた。

 水を多量に含んだ土砂が足場を不安定にし、少し体勢を崩せば募った泥の中へと突っ込んでしまいそうになる。長靴なんて便利なモノは無い、靴の中に泥水が入り込み、指先に砂利を踏み締める感覚があった。前傾姿勢で懸命に土砂を払うミヤコは、自身の背中を打つ大雨にも負けじと歯を食い縛る。

 

「はぁッ、ハッ……!」

 

 鼻先や顎から雫が伝い、悴んだ指先が痛みを発し始めた。徐々に徐々に、濡れたグローブに包まれた指先の感覚が無くなり始めている。

 排水路脇に設置されたパイプから、時折ごぽりと詰まった泥が排出された。この様子だと恐らく暗渠も同じような状況になっているのだろう。公園が冠水し、キャンプに浸水が始まるのは、時間の問題であるように思えた。

 

 ――こんな状態でSRTの名前が守れると、本気で思っているのか……ッ!?

 

 先程、サキの叫んだ言葉が耳にこびり付いて離れない。

 何をやっているんだと、何でこんな事をしているのだと。冷静な自分が直ぐ背後から心ない言葉を投げかけて来る気がした。

 じわりと、視界が歪んだ。

 それは決して涙によるものではない――全て、雨のせいだ。

 ミヤコは袖で目元を拭い、そう自分に云い聞かせた。

 

「……確かに、私達の行動は、無意味かもしれない」

 

 呟きながら、再び勢い良くシャベルを突き立てる。跳ねた泥が彼女の衣服を汚し、水嵩は彼女の脹脛を覆ってしまいそうになっていた。

 それでもシャベルを突き立て、掘り起こし、排水路上部に放る。ただ無心に、少しでも水通りを良くする為に、彼女は動き続ける。

 

 ――もう、諦めて良いんじゃないの?

 

 モエの言葉が、彼女の身体を強張らせる。必死に動かしている体が、寒さを訴え始めるのが分かった。吐き出した息は白く濁り、しかしそれでさえも雨の中で簡単に掻き消される。

 雨音が、世界を覆っている。

 自分の吐息と、雨音と、シャベルが掻き分ける土砂の音。それだけを耳にしながら、ミヤコは悴んだ指先でシャベルを握り締める。

 

「諦める方が、利口なのかも、しれない……ッ!」

 

 背後に立つ自分が、理性的な己が問いかけた。

 何故こんな苦労をする必要がある? 何もかもを失って、勝算の低い道まで選んで。到底利口な選択とは云えないのに、と。

 理性(彼女)はそう叫んでいた、そうだ、ずっと前から。こんな抗議活動を行う前から、学園が閉鎖すると聞かされた時から。

 自分達の塞ぎ切った未来(結末)を、予期した時から。

 突き立てたシャベルが、音を立てて土砂の中へとめり込んだ。払っても払っても、土砂は延々と積もっていく。水嵩は増えていく。

 

 辛い現実に、たった一人では抗えない。

 

 ――わ、私は……。

 

 ミユは、自身の意見を呑み込んでいた。きっと、二人の言葉に『その通りだ』と思ってしまったのだろう。そうなる気持ちは理解出来た、決して間違いなどではないと、ミヤコはそう思う。

 けれど。

 

「――でもッ!」

 

 知らず知らずのうちに、力が入った。

 深く突き刺さったシャベルを持ち上げ、土砂を思い切り払う。泥が頬に付着し、雨脚は更に強まっていた。全身を押さえつける様な雨、凍える様な寒さ、冷たさに耐えながら、彼女は大きく息を吸い込み、ひとり叫ぶ。

 

「私の、信じた正義は……!」

 

 この腕に巻き付けた、SRTの文字は。

 あの日、満面の笑みと共に身に着けたSRT(正義)の輝きは。

 たとえ、学園を失ったとしても。

 たとえ、どんな困難があっても。

 たとえ、絶望の底に転がり落ちても。

 それでもミヤコにとって、眩しい位に輝いていて。

 

「私の憧れた、SRT(屈強な正義)は……ッ!」

 

 ――私達(SRT)の正義は、如何なる状況でも揺るぎはしません。

 

 いつか見た、憧れた在り方。

 先輩達が世界に示した正義。

 (ミヤコ)が抱え続けた、夢の原点。

 今でもその光景を、忘れられずに居る。

 

「――ッぅ、ハァッ!」

 

 シャベルを深く突き刺し、ミヤコは荒い息を繰り返しながら額を持ち手に擦り付けた。指先が大きく震え、吐き出す息は濁り切っている。

 

 限界が、近かった。

 

 一時間以上、キャンプを守る為に走り回っていた彼女の肉体は、不慣れなキャンプ生活もあって酷使され切っている。この土砂を取り除く作業さえ、もう何十分一人で続けているのか。

 寒い、痛い、疲れた、辛い、苦しい――様々な感情が胸中に湧き上がり、彼女は必死にそれらを噛み殺す。容赦なく増していく水嵩が、全身の体温を奪っていく。色を失った唇が、温度を求めて戦慄く。

 

 ――大事の前の小事、ほんの一年程度身を寄せれば叶う夢、何を躊躇う必要がありますか?

 

 いつかヴァルキューレ警察学校の取調室で防衛室長より掛けられた言葉。

 不意に、それを思い出した。

 薄らと開いた視界の先で、滲んだ不知火カヤの不敵な笑みが浮かんだ気がした。

 本懐を遂げる為に、何かを捧げるのは正しいのかもしれない。自分があの時、彼女の手を取っていれば何か変わっていたのだろうか? もっと具体的な道筋で、SRTの復活を成し遂げる事が出来たのだろうか? 

 それを考えれば、確かに自分は間違った選択をしてしまったのかもしれない、そう思った。

 

 ――でも。

 

「それは、違うんです」

 

 自身の言葉で、その思考を否定する。

 項垂れ、シャベルに支えられたまま、彼女は声を振り絞った。

 腹の底から絞り出されたそれは、彼女の偽らざる本音。

 曲がっていた上体を起こし、彼女は曇天を仰ぐ。

 

 ――私の憧れた、正義とは。

 

「私の憧れた、正義は……ッ!」

 

 そうだ――腹の底から彼女は叫んだ。

 震える体に鞭打ち、覚束なくなった足に力を籠め、再びシャベルを握り締める。

 感覚を失い、痛みを発する指先を握り締め、ミヤコは降り注ぐ雨音に負けじと声を張り上げる。

 薄暗い曇天の下で、ミヤコの瞳は煌めいていた。

 

「絶対にっ、どんな時だって、諦めなかったッ!」

 

 振り払ったシャベルが、音を立てて土砂を放った。泥に塗れ、苦痛に染まり、無力感に喘ぎ、それでも彼女の瞳から光が消えることは無かった。

 正しい形で取り戻せなければ、意味がないのだ。

 どんな困難な状況だって、折れず、曲がらず、真っ直ぐ進まなければ。

 妥協や譲歩で、貫ける正義など。

 

 ――それは、私の憧れた正義(あの日知った、正しさ)ではない。

 

「はぁ、ハぁッ――……っ?」

 

 肩で息をして、挑む様に曇天を見上げるミヤコ。容赦なく降り注ぐ雨は止まず、冷え切った口内に雨が滴る。

 不意に、彼女の視界に影が映った。

 億劫そうに彼女が振り向けば、排水路の脇に誰かが立っている事に気付いた。

 ゆっくりと目を見開き、彼女は荒れた息をそのままに、声を発する。

 

「――先生?」

「………」

 

 ミヤコの直ぐ傍に、傘も差さずに佇んでいる人影。

 それはシャーレの先生、その人だった。

 

「ミヤコ」

 

 いつもどおり、日常の中で呼びかける様な声が耳に届いた。

 彼はいつか見た様な大きなバックパックに、両手には防水シートに包んだ大きな袋をぶら提げ、排水路に呆然と立つミヤコを見下ろしていた。

 数秒、二人は見つめ合う。よく見れば先生は息を弾ませていて、全身はずぶ濡れだった。曇天の下では、普段から白い先生の顔色も、より悪く見える。

 ミヤコはシャベルに手を掛けたまま、静かに息を吸い込む。

 

「……今日は、一体何の用ですか」

「………」

「そんな、大荷物まで背負って」

「……酷い、大雨だったから」

「……雨」

「うん、それで慌てて来たんだ」

 

 先生は微かに乱れた息をそのままに、両手の袋を軽く掲げて見せた。

 中には何が入っているのか、色に覆われた外側からは分からない。けれど彼の事だ、在るものを全部搔き集めて、必死に走って来たのだろう。そんな確信がミヤコにはあった。

 

「中に必要なものを沢山詰めて来た、けれど今は――」

 

 告げ、先生は徐にバックパックを降ろす。雨水が跳ねる音がした。そして袋を脇に置き、ミヤコが排水路脇に置いていた予備のシャベルを無造作に拾い上げる。

 二度、三度、黒いグローブ越しに感触を確かめた先生は、ミヤコに視線を向けながら問いかけた。

 

「排水路の土砂を、退かせば良いのかな?」

「………」

 

 ミヤコが返答をするより早く、先生は一も二も無く排水路の中に降り立った。

 ばしゃりと、跳ねた泥水が先生の下半身を汚し、同時に外套も裾が泥水に浸る。純白の白が泥を啜り、瞬く間に変色していった。青の腕章さえ、例外ではない。

 先生はそんな状態にも関わらず一切の躊躇も見せず、ミヤコの直ぐ隣に立ち、シャベルを土砂に突き立てた。ミヤコは呆然と、隣で作業を開始した先生を見つめる。

 変色した唇が、無意識の内に言葉を紡いだ。

 

「服が、汚れますよ」

「構わないさ」

 

 ミヤコの呟きに、先生は淡々と答えた。シャベルを持ち上げ、掬った土砂を排水路脇へと放る。跳ねた泥は先生の肩や頬、胸元を汚し、雨水が滴った。濡れた前髪が張り付いて目元を露にし、景色を映さなくなった右目がミヤコの視界に映る。

 

「……泥の汚れは、中々落ちません、連邦捜査部(シャーレ)の制服は、真っ白なのに」

「服の色なんて、どうでも良い」

 

 綺麗な、真っ白な制服だったのに。先生が土砂にシャベルを突き立てる度、その色は失われて行く。

 淡々と、それが使命であるかのように先生は砂利を掻き分けていく。肉体労働には不慣れなのだろう、手捌きはぎこちなく、一分もすれば息が上がり始めた。先生が肉体的に脆弱である事は、理解していた。

 けれど彼は、その手を止めない。

 

「風邪を、ひいてしまいます」

「風邪程度で、見て見ぬふりは出来ない」

 

 一際強く、先生は土砂にシャベルを突き立てた。

 何度声を掛けても、先生は止まらない。

 

「今は、RABBIT小隊の皆(目の前の生徒)を助けたいんだ」

 

 その一言が、全てであった。

 

「――どうして」

 

 雨に打たれながら口を突いた言葉は、純粋な疑問であった。

 何故そんな風に頑張れるのか、自分達に手を差し伸べようとするのか、助けようとするのか。

 自分達が先生の厚意を断り、善意を跳ね退け、悪し様に云った事を憶えている。普通、そんな風に扱われたのならば腹を立てるべきだ。もう二度と手を差し伸べてやるものかと、背を向けるべきだ。

 それが普通だ。

 けれど目の前の先生は何度差し出された手を跳ね退けても、何度その善意を疑っても、自分達に苦難が降り掛かる度に手を差し伸べる。

 理解出来なかった――不思議で仕方なかった。

 そんな想いが、口から零れた。

 

「私は」

 

 豪雨の中、ただ呆然と此方を見つめるミヤコに、先生はゆっくりと顔を向ける。

 欠けた青色、色の異なる双眸がミヤコを射貫く。光を映さずとも、その瞳はどこまでも透き通っていて。

 ニッと、どこかミヤコを安心させる様に。

 静かで柔らかな笑みを浮かべ、先生は云った。

 

「先生だからね」

「――………」

 

 それ以上は、何もない。

 本当に、それだけなのだと。

 自分は先生で、RABBIT小隊の皆は生徒だから。ただそれだけの理由で先生は今、此処に立っているのだと。

 ミヤコはそう、理解した。

 

「み、ミヤコちゃん!」

「――!」

 

 声がした。

 豪雨の中響いたのは、聞き慣れた仲間の声だった。

 慌てて振り向けば、此方に向かって駆けて来る人影が一つ。水音を立て駆け寄って来る小柄な影に、ミヤコは目を見開いた。

 

「……ミユ」

「わ、私も手伝う……!」

 

 ミユは自分と同じシャベルを抱えながら、必死の形相で叫んだ。そのまま先生と同じように排水路へと飛び降りた彼女は、半泣きになりながら詰まった土砂にシャベルを突き立てる。

 

「わ、私の居場所は、此処だけだから……!」

 

 ぽろぽろと、涙か雨かも分からない雫を零しながら、ミユは大きく口を開けて叫んだ。

 

「ごめん、ごめんね……! いつも一番に声を上げられなくて、怖がって、皆の後ろに隠れてばっかりで……!」

 

 土砂を払いながら、ミユは同時に裾で目元を何度も擦る。鼻を啜る音に、蹈鞴を踏んだミユの足元から水音が鳴った。けれど彼女は白いタイツを土色に染めながらも、必死になって作業を続けた。

 

「でも、私にとって皆は、大事な友達だから……! RABBIT小隊の全員、大切な仲間だから――皆が居なくなるのは、嫌だから……っ!」

「………」

 

 独りよがりな感情かもしれないけれど。

 自分だけが、そう思っている状態なのかもしれないけれど。

 ミユにとってRABBIT小隊の皆は、大事な仲間で、友人で、唯一無二で。

 だからこそ皆の意見が割れた時、仲違いをするように声をぶつけ合うと、彼女は身が竦んで何も出来なくなってしまう。意見を求められても舌は回らず、ただおどおどと視線を彷徨わせて顔色を伺うばかり。

 意見を求められる事は苦手だった、誰かと対立する事は更に苦手だった――けれど、友達(仲間)を失う事は、もっと嫌だった。

 

「――ミユ」

 

 彼女のその言葉に、ミヤコの両手に力が籠るのが分かった。

 自分(ミヤコ)にとってRABBIT小隊がそうである様に、彼女にとっても、また。

 このRABBIT小隊(居場所)は――。

 

「おい、先生」

「……!」

 

 ぐん、と。

 先生の肩を、誰かが強引に引っ張った。

 慌てて振り向けば、いつの間に排水路へと降りていたのだろう。サキが背後に立っており、彼女はそっぽを向いたまま不器用に手を突き出し云った。

 

「……シャベルの使い方が下手過ぎだ、見ていられない――私に貸せ」

 

 私の方が、もっと上手く、効率的に土砂を除去できる。

 サキがそう云うと、先生は数秒目を瞬かせ、それから嬉しそうに破顔し、シャベルを彼女に手渡した。彼女のシャベルの使い方が上手いのは、良く知っている。

 

「――あぁ、頼むよ、サキ」

「……ふん」

 

 その言葉に答える事無くサキはただ小さく鼻を鳴らすと、先生の肩を二度叩き、入れ替わる様に足を進めた。

 ミヤコの隣に立ったサキは無言でシャベルを突き刺し、そのまま上部へと放る。一度で、先生の倍近い土砂が排水路脇へと退かされたのが分かった。

 

「はー、ほんと、私は何やってんだか」

 

 同時に、排水路脇に降ろしたバックパックの傍に屈み込むモエの姿。彼女は解いた髪を濡らしたまま、眼鏡のレンズを袖で拭うと、雨水の滴るバックパックを指差し問いかける。

 

「先生、この背嚢の中身勝手に使って良いの? 残っている装備は雨に濡らしたくないからさ、今からでも使えそうなものは片っ端から回収したいんだけれど~?」

「うん、何でも使って、足りなかったら追加で用意するから」

「それは何とも、気前の良い事で……嘘、ホントに助かるよ」

「先生、今は兎に角人手が足りない、モエと一緒に装備の回収を手伝ってくれ、こっちは私とミユ、ミヤコの三人で何とかする」

「分かった、任せて」

 

 モエが背嚢を背負い、先生は両手にぶら提げて来た袋を回収し、駆け出したモエの後に続く。忙しなく動き出す仲間達、ミヤコはシャベルを緩く握り締めたまま、彼女達を眺め呆然と呟く。

 

「――皆」

 

 再び動き出したRABBIT小隊、一度諦観の淵に立った彼女達であったが、今はもうその色は何処にもない。ただ目の前の困難に立ち向かう、強い意志と気概だけが覗いていた。

 

「……折れかけて、悪かった」

 

 隣で土砂を掻き分けるサキが、ぽつりと言葉を零した。

 

「お前は、ずっと本気だったな、先も見えないし、最初から成功する確率が低いと、そう分かり切っていたのに……それでもお前は、ずっと、ずっと本気でSRTを復活させようとしていた」

「……サキ」

「でも、私達だって――SRTを離れたくないって気持ちは本当で、本気だったんだ」

 

 悔やむ様に、サキは苦々しい表情で云った。

 あの時、ミヤコが叫んだように。

 学園を去る事になったあの日、自分達は同じ想いを胸に抗議活動を始めた筈だった。

 たとえ過程がどれだけ辛くても、惨めでも、苦しくても、その果てにSRT特殊学園が復活するのならば。

 どんな困難でも乗り越えようと、どんな苦しみであっても耐え抜こうと。

 自分達(RABBIT小隊)が叫び続ける限り、SRTの名前は無くならないから――そう互いに、約束して。

 

「ミヤコ」

 

 彼女の名を呼び、サキが顔を上げた。

 反動で弾かれた雨粒が跳ね、視界を彩る。

 見上げた視線の先に、ミヤコの双眸があった。

 泥と雨に塗れ、酷い顔色の二人だった。

 けれどそんな中でも、彼女(ミヤコ)の瞳は輝いていた。

 じっと見ていると此方が気恥ずかしくなって、目を逸らしてしまうような――信念に輝いていたのだ。

 サキとミヤコの視線が交差し、数秒沈黙を守った彼女は、ゆっくりと口を開き問い掛ける。

 

「続けるんだな、この生活を」

「……はい」

「どれだけ苦しくても、どれだけ惨めでも、達成出来るかどうかも分からなくても、どれだけ時間が掛かっても――お前の正義の為(信じるものの為)に」

「そうです」

 

 重なる問い掛けに、ミヤコは緩慢な動作で、けれど力強く頷いて見せた。

 彼女にとって、それは諦める理由にならない。困難である事は最初から分かっていた、苦痛がある事も、賢い道でない事も。けれど彼女は諦めない、諦められない。

 だって――。

 

「――私達は、RABBIT小隊(SRT)ですから」

 

 どこまでも透き通った色、曇りのない視線と共に彼女は断じた。

 その言葉に、向けられた信頼に、サキはふっと苦笑を零す。

 

「……あぁ、そうだな」

 

 ミヤコはきっと、こんな風に自分達を信じていたのだ。それを理解した途端、底から冷え切り、疲労した肉体に、ほんの僅かな力が宿った様な気がした。

 シャベルをより一層強く握り締め、サキは積み重なった土砂と向き合う。

 

「その通りだ……ッ!」

 

 裂帛の気合と共にシャベルを突き刺し、思い切り持ち上げる。ミユも、負けじと腕を動かし、少しずつ、けれど確実に土砂は削れて行く。自身の足元を流れる水が、勢いを増しているのが分かった。

 

「――っ!」

 

 ミヤコもまた、再びシャベルを握り締め、土砂と向き合う。これらを全て除去し、キャンプの装備を回収し、最低限活動可能な環境まで野営地を建て直す。果たしてどれだけの時間が掛かるか、想像もつかない。

 けれど、不安は無かった。

 

 ――辛い現実に、たった一人では抗えない。

 

 けれど自分達(RABBIT小隊)は、決して一人ではない。

 


 

 次回はRABBIT小隊とのコミュニケーション回ですわ、一杯お話して相互理解を深めようね先生……好感度稼いだら風邪ひこうね。本編でも風邪をひいたみたいですし。

 そしたらミヤコが看病してくれる筈ですもの、事情を知っているミヤコをどんどん引き摺り込もうね。

 いつかキサキがやったみたいに、風邪ひいた後にRABBIT小隊のキャンプで一夜を明かす事になって、真昼間に起床して、「先生、起きたんですね」って微笑み掛けて来るミヤコに、「暗いな……」って云おうね。

 唐突なそれに想わず面食らって、「えっ――?」ってなっているミヤコに、「まだ、夜なのかな……?」って問い掛けようね。昼間なのにその陽光すら感じられず、朧げな視界でミヤコの居る方に微笑んで、絶句させようね。

 約束ですわよ、先生。

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