ブルーアーカイブを、もう一度。   作:トクサン

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誤字脱字報告、ありがとうございますわ~!
今回約一万四千字ですの!


カルバノグの(怪物)

 

「………」

 

 雨が降っていた。

 いつかの大雨を思い出す様な、大量の雨だった。天幕を強かに叩く雨音は、彼女達の耳にずっとこびり付いて離れない。ミヤコは出入り口のフラップを軽く手の甲で持ち上げながら外を眺め、曇天を仰ぎ呟いた。

 

「雨、止みませんね」

 

 空は昏く、世界を覆い尽くしている。幸いなのは雷や風はなく、ただの大雨である事だろうか。補修工事も終わり、排水が機能している子ウサギ公園がいつかの様に冠水する心配はない。

 同じテントの中で沈黙を守る二人――ミユは自身のコット(簡易ベッド)に腰掛けながら、収集した小石を掌の上で転がし眺めている。その表情は憂鬱で、どこか寂し気に見えた。

 モエは設置されているデスクに腰掛け、キーボードを操作しながら情報収集を行っていた。室内の空気は心なしか、重々しく感じられる。しかし、それは今に始まった話ではない。

 大分前から――そう、ここ三ヶ月はずっとそうだ。

 

「クソッ、酷い雨だ、どこもかしこも荒れ放題――こんな状態じゃ、パトロールだって碌に出来やしない!」

「サキ」

 

 水を弾く足音と、声。視線を向ければ、此方に向けて駆けて来る人影があった。ミヤコの押し上げていたテントのフラップを潜り、悪態を吐きながら室内へと踏み込む影。彼女――サキは雨水に塗れた合羽を手早く脱ぐと、表面の雨粒を外に向かって払う。彼女は一時間ほど前、単身でパトロールに出ていた筈だった。

 

「外は、どうでしたか?」

「……どうもこうも、いつも通りだ」

 

 この周辺じゃもう、殆ど人は見なくなったからな。

 直ぐ横から投げかけられたミヤコの問い掛けに対し、サキは素っ気なく応えた。雨水を滴らせる鉄帽が、彼女の頬に雫を垂らす。

 

「商店街の空き家に、またブラックマーケットの不良達が勝手に住み着いていた、何度追い払っても同じだ、別の奴が我が物顔でやって来る……まるでイタチごっこだな」

「そう、ですか」

 

 最早慣れ過ぎて、口にするまでもないと云いたげに、サキは担いでいた愛銃を荒々しくガンラックへと立て掛けた。彼女の内心に秘めた苛立ちが、手に取る様に分かった。

 

 ミヤコはサキの報告を耳にし、暗い影を表情に落としながら沈黙する。

 これもまた、今に始まった話ではない。特に目に見えて近辺の治安が悪化し始めたのは、二ヶ月程前になるか。D.U.郊外であるこの場所に居を構えていた商店街の人々でさえ、その波に抗う事が出来ず、ひとり、またひとりと店を手放し去って行った。

 

 その事自体を責めるつもりはない、寧ろ自分達の不甲斐なさに自責の念さえ覚える程だ。しかし、彼等、彼女達はそんなRABBIT小隊を責める所か、此方を気遣ってさえくれていた。

 どうしてこんな事になったのか、今でも時折考える。

 けれど、答えはいつも同じだった。

 

「――皆、ちょっとコレ見て」

「……?」

 

 不意に、端末を操作していたモエが声を上げた。彼女は見つめていたモニタをずらすと、皆に向けながら口元の棒付き飴を上下させる。

 

「ついさっき、治療中の先生について、連邦生徒会から発表があったみたい」

「何だって?」

「ッ、見せて下さい……!」

 

 その一言に、テント内の全員が慌ててモエの元に駆け出し、モニタを凝視した。デスクに齧りつき、皆の視線が集中する中、モニタの中で幾つものフラッシュが焚かれるのが分かった。

 

『――先生が意識不明の状態となられてから、本日をもって百日が経過致しました、この節目を受け、担当医療チームより正式な報告がございます』

 

 画面の中に映るのは連邦生徒会、プレスルーム。

 正面に立つ生徒は総括室の生徒か。連邦生徒会の腕章を身に着けているが、顔に見覚えはなかった。今回の発表の担当者か、彼女は幾つものカメラを前に毅然とした様子で壇上に立ち、たった一人で手元の紙面を読み上げていた。

 

『皆さまご存知の通り、先生は生命維持装置を含む高度な医療介入により現在も状態の安定が図られています、しかしながら専門医療チームによる慎重な診断および経過観察の結果、脳機能の著しい低下が確認されており、現行の医学的技術では意識回復の可能性は極めて低いとの判断に至りました』

 

 その一言に、プレスルーム内で幾つかのどよめきが起こった。複数のフラッシュが瞬き、画面の中で幾つかの生徒、その後頭部が揺れ動く。この手の発表は首席行政官、或いは行政委員会の室長クラスが行うモノではないか、そんな疑念が過る。しかし、佇む生徒の両脇に――他の連邦生徒会の姿は無い。

 

『この判断は、関連する医療法規および終末期医療に関する指針に基づき、適切な手続きを経て確認されたものです、また、この過程においては各自治区の医療組織の倫理委員会の審査を経ると共に、連邦生徒会総括室、行政委員会、専門医療チームを派遣するに至った主要自治区代表組織、万魔殿、ティーパーティー、セミナーの意向も十分に尊重しながら慎重に検討されました』

 

 一呼吸、今まで謳う様に紡がれた言葉が止まった。

 白い連邦生徒会の制服、彼女は手元の紙面を凝視しながら、一瞬だけ唇を小さく噛み締める。それは彼女の見せた、僅かな躊躇と葛藤。

 しかし、この場に立った以上、それを伝える事こそが彼女の役目であった。そしてまた、彼女の内面を汲み取り、知る者はこの場に一人として存在しない。

 息を吸い込み、やや強張った表情を浮かべた彼女は、構えられた無数のカメラを見据え、云った。

 

『これらを総合的に勘案した結果、延命措置の継続は治療的意義を持たないとの結論が下され――シャーレの先生、その延命治療の中止が正式に決定された事を、此処に公表します』

『なッ!?』

 

 放たれた一言に、記者席で固唾を呑んでいた生徒の幾人かが、勢い良く立ち上がった。

 ガタリと、部屋中から起立音が響く。最早画角がどうなのだとか、映像が云々だとか、そんな事は関係ない。全員が壇上に立つ生徒に向かって身を乗り出し、次々と声を張り上げ始めた。

 

『本気ですか、連邦生徒会はッ!?』

『この決定にトリニティやミレニアム、ゲヘナも同意したと?』

『これは連邦生徒会長代行も承知の上なのですか!?』

『あり得ませんッ! その様な事、他の自治区は……ッ!』

『落ち着いて下さい、静粛に、本件に関する詳細やご質問については――!』

 

 プレスルームは一瞬にして怒号と喧騒に包まれ、画面は人の波に埋もれる。聞こえて来る声は最早洪水の如く、収拾がつかない事は誰の目から見ても明らかであった。

 それを見つめるRABBIT小隊の面々もまた、画面の中の多くの生徒がそうであるように、言葉を失う。

 

「―――……」

「そ、そんな……」

「ッ!」

 

 流れた映像に、全員が絶句していた。

 ミユが愕然とした様子で声を漏らせば、堪らずと云った様子でサキが画面を切る。モニタは真っ暗な暗闇に覆われ、反射したサキの鬼気迫る表情だけが映っていた。

 

「何の冗談だ、これは――」

「……連邦生徒会からの、正式な発表だよ」

 

 モエが消えた画面をじっと見つめながら、目を細め云った。

 

「各自治区が協力しても、先生の状態はどうにも出来なかった、だからもう――諦めるしかないって、そういう事でしょ」

「……っ」

 

 どこか他人事のように、感情の一切を排したモエの口調が、サキの逆鱗に触れた。

 

「ふざけるなァッ!」

 

 サキが怒号を上げ、デスクの上にあったモニタを勢い良く払い退ける。ケーブルが無理矢理抜け落ち、地面に叩きつけられるモニタ。けたたましい音と共に地面に叩きつけられたそれは、そのまま液晶が罅割れ、砕けた破片が周囲に飛び散った。

 肩で息を繰り返し、歯を食いしばるサキは、血走った眼でモエに食って掛かる。

 

「それはつまり、先生を見殺しにするって事か――ッ!?」

「サキ、落ち着いて下さい」

 

 声を荒げ、今にも殴りかかりそうな彼女に対し、ミヤコはあくまで冷静を装い、肩に手を置く。しかしその冷静さが、逆にサキの癪に障った。添えられた手を跳ね退け、サキはミヤコを睨みつけ、その冷徹さを糾弾する。

 

「落ち着けって、冗談だろうミヤコ! 寧ろお前は、何でそんなに平然としていられるんだよ!? こんな事、こんな事を他の自治区の連中は許すっていうのか!? どう考えても、おかしいだろッ!」

「……この発表に至る経緯、詳しい内情は私達には分かりません、しかし連邦生徒会が正式に発表した以上、何らかの形でトップ同士に於ける合意は行われたのでしょう」

「と、トリニティも、ゲヘナも、ミレニアムも……全部?」

「えぇ、不承不承か、あっさりと頷いたのかは分かりませんが――恐らくは」

 

 どんな形であれ、先生の専門医療チームがそう決断したのであれば、各生徒を派遣した学園も既に報告は受けているのだろう。連邦生徒会が独断でこの様な発表を行ったとは思えない。ミユの問い掛けに答えたミヤコは、そう考える。

 つまり、キヴォトスに於ける最大規模の学園三つは、先生を見限ったのだ――少なくとも、今の発表だけを鵜呑みにするのであれば、そう取る事も出来た。

 

「そんな、馬鹿な――……ッ!」

 

 サキは愕然とした様子で呟き、血の気の失せた顔で項垂れた。ガタリと、デスクに凭れ掛かり、屈み込んだ彼女は縁に額を擦りつけ、震える声を絞り出す。その姿は常の彼女からは想像も出来ない程弱々しく、打ちのめされている様に見えた。

 

「こ、こんな、こんな終わり方なんて、あり得ないだろ、何で、う、嘘だ……っ!」

「百日間、長いのか、短いのかは、分かりませんが――……」

 

 そこまで口にして、ミヤコは自身の発言を恥じる様に目を瞑った。

 

「いいえ、先生が居なくなった百日間は――とても、長かったですね」

 

 感傷に浸る様に、声は力なく、虚空に溶けて消えた。

 そうだ、彼の顔が見れなくなってから百日。

 もう、百日も経ったのだ。

 

「それで」

「………?」

 

 項垂れ、力なく屈み込んだサキを見下ろしながら、モエが声を上げる。その双眸がゆっくりと、ミヤコへと向けられた。声は張り詰めていたが、込められた色に諦観は無かった。

 

「どうするの、ミヤコ」

「モエ……」

 

 どうする、とは。

 ミヤコがそう繰り返し問うことは無かった。だがモエの瞳が、何よりも雄弁に問い掛けていた。

 

「延命治療が打ち切られるって発表があった以上、猶予はそんなにない筈だよ」

「……猶予、ですか」

「うん、明日にでも先生の生命維持装置が外されてもおかしくない、そうなったら一巻の終わり、もう二度と先生とは会えなくなる」

「………」

 

 その一言に。

 真正面から突きつけられた現実に、明瞭な死という別れの予感が、確かな質感と共に去来した。

 ミヤコは口を噤み、目を伏せながら強張った表情を浮かべる。モエはそんな彼女を見据えたまま、重ねて問うた。

 

「私達はそれを、ただ指を咥えて見ているだけ?」

「――………」

 

 二人の視線が交わる。

 どれだけ彼女の双眸を見返しても、そこに躊躇いや怯えは微塵も存在しない。力強い視線だ、既にモエの中では決定事項なのだと分かった。

 彼女の意図するところ、云わんとする事は理解出来た。

 ミヤコはじっとりと、僅かに汗ばんだ掌を二度、三度、緩く握り締める。

 つまり、モエは――こう云いたいのだ。

 

「襲撃を仕掛けると云うのですか――連邦生徒会(サンクトゥムタワー)に」

 

 保護された先生の身柄を、確保する為に。

 その一言に、全員の視線がミヤコに集中した。項垂れていたサキも、打ちひしがれて呆然としていたミユでさえ、まさかという表情を浮かべながら。

 その言葉を聞いたモエは椅子に凭れ掛かり、軽い口調で告げた。

 

「……私さぁ、先生と約束しちゃったんだよね」

「約束?」

「そう、まだ先生が口をきける頃にね」

 

 ギシリと、椅子が音を立てる。彼女用にカスタマイズされたそれは、作戦中座りながら作業する事の多いオペレーターであるモエに、先生が贈ったものだった。先生は何かと理由を付けて、RABBIT小隊の活動を支援してくれた。隊員の誕生日には、食費を削ってまでプレゼントを用意してくれていた事を知っている。

 その手摺を彼女は撫でつけ、モエは薄らと笑う。

 

「いつか耐えられない位追い詰められたら、私を呼んで」

 

 彼女は今でも鮮明に覚えていた。先生とは多くの時間を共に過ごした、そしてふと、ある日思いついたままに約束を交わしたのだ。一方的かもしれないが、モエは本気だった。今でもその想いは、色褪せてなどいない。

 彼女は口に咥えていた飴を指先で挟み、抜き出すと、当時の事を反芻する。ぬらりと光る飴玉は、あの時と同じ味がする。

 確か口にした文言は、こうだ。

 

「――どんな破滅にだって、付き合ってあげるから」

 

 呟いたモエの瞳が、妖しく煌めいた。それは決意の煌めきだ。

 モエは先生と破滅を共にすると誓った。

 それはどんな絶望的状況だろうと、双方がどんな状態だろうと、関係がない。

 彼が終わり(破滅)をを迎えるのならば、その隣に自身が居ない事――これ自体が問題なのだと。

 彼女はただ、力強く断じて見せた。

 

「み、ミヤコちゃん」

 

 背後から、ミユの声が響いた。

 振り向くと、俯きながら歯を食いしばるミユの姿があった。彼女は身を竦め、どうしようもない恐怖に震えながらも、しかし断固とした口調で告げた。

 

「私も……私も、このまま見ているだけなんて、嫌だよ――!」

「……ミユ」

「だって、先生はこんな私を、見つけてくれて、まだ……まだ、何も恩返し出来てないのに……ッ!」

 

 ぽろぽろと、堪え切れなくなった涙が零れていた。大粒のそれはミユの頬を伝い、地面に濡れ跡を残す。握り締めた制服が皺になるのも構わず、彼女は自身の想いを伝えようと必死になっていた。

 

「っ……」

 

 そんな仲間の姿に、ミヤコは重く口を閉ざす。それは葛藤だった、RABBIT小隊の隊長として、ひとりの生徒として。

 そして、彼女達の友人として。

 

「――ミヤコ」

「………」

「皆、同じなんだ」

 

 サキの掌が、ミヤコの腕を掴む。

 ぎしりと、力強く握られるそれ。サキの激情が、想いが、そこから伝わってくるような。

 顔を上げれば、直ぐ傍にサキの瞳があった。雨音の響く中で、サキの双眸が此方を凝視する。至近距離で見つめ合う色が、互いの内面を覗き込んでいた。

 

「覚悟を、決めろ」

「……サキ」

「お前だって、そう思っているんだろう?」

 

 ――本当は、先生を助けたいって。

 

「キヴォトスは、他の学園は先生を見捨てたかもしれない、でも――まだ私達が残っている」

 

 或いは、まだ全ての生徒が納得した訳ではないのかもしれない。合意した各自治区の代表組織の中でも、意見が割れている可能性は大いにある。

 代表組織の他はどうだ? トリニティに限った話ならば、ティーパーティーと医療担当の救護騎士団は兎も角、正義実現委員会は? シスターフッドは? 自警団は? 分派に区分けすればもっとだ。潜在的な賛同者は、きっと望める。

 あらゆる自治区、部活動、組織、委員会、同好会と先生は接点を持っていた。今この瞬間、この発表に納得できないと声を上げる生徒が居るかもしれない。いや、きっと居る筈だと。

 そしてそれは、RABBIT小隊も同じだ。

 

「声を上げなければ、私達が声を上げなきゃ、本当に終わる」

「―――……」

「先生は、こんな死に方をして良い人じゃない――違うか、ミヤコ!?」

 

 両腕を掴み、真正面から訴えかけるサキ。声が、鼓膜を震わせる。皆が、ミヤコを見つめていた。

 RABBIT小隊の隊長は彼女だ、全ての判断はミヤコが下す。

 そして仲間達は、彼女を腹の底から信じている。

 ミヤコの在り方を――秘めた信念(正義)を。

 

 嘗てそうして、巨悪を打ち砕いた様に。

 

「―――」

 

 大きく、息を吸った。

 それは自分の中にある、様々な感情と折り合いをつける為だった。合理と理性、本能と感情。連邦生徒会を襲撃するなど、恐らく実行すれば自分達の立場は危うくなる。RABBIT小隊だけの話で済めば良い方だ、最悪SRTの復活が永遠に見込めなくなる可能性だって。否、確実にそうなる筈だ。

 それは自分達の大望を、これまで積み上げて来た全てを、投げ捨てる行為。取り返しのつかない行いだと思った。

 

 けれど――先生の命にだって、取り返しはつかない。

 

 数秒、ミヤコは沈黙を守る。皆が固唾を呑んで自身を見つめる中、ミヤコの両手が軋みを上げ、その双眸がゆっくりと開かれた。

 

「――分かりました」

「ミヤコ……!」

 

 小さく、頷きを零す。

 それを見たRABBIT小隊の全員が表情を変化させ、ミヤコは全員を見渡しながら、その瞳に確かな覚悟を秘め宣言する。

 

「――RABBIT小隊はこれより、先生の奪還に動きます」

 

 彼女の声は重々しく、周囲に響き渡った。

 

「ですが私達だけで動くのは難しいでしょう、サンクトゥムタワーの防備もそうですが、先生の身柄を確保したとしても、生命を維持し続けるだけの環境が必要です、その為の手配は――」

「そっちは私が何とかする、生憎と先生のお陰で、色んな自治区の生徒と知り合えたからね」

 

 ミヤコの口にする懸念に対し、即座に声を返したのはモエだった。彼女はポケットから取り出した携帯端末をタップし、薄らとした笑みを貼りつける。表示される連絡先には、ずらりと名前が並んでいた。

 

「特にミレニアムの生徒会(セミナー)と仲が悪いハッカー集団とか、こっちから連絡をすれば直ぐに応じてくれると思うよ、あの自治区は医療関係の技術も凄いし、連邦生徒会の用意した環境と同程度のものなら、直ぐ揃えてくれるでしょ」

「分かりました、なら戦力は――」

「な、七囚人の……」

 

 今度はミユが、そろりと手を挙げながら進言した。

 

「わ、ワカモさん、あの人なら絶対……手を貸してくれると思う」

「……よりによって、七囚人ですか」

「だが、贅沢は云っていられない、確か不良集団を率いて事件を起こした奴だろう? ――今回に限って云えば、人を集める伝手は有利に働く筈だ、本人の戦闘力も折り紙つきだろうしな」

「うん、使えるものは何でも使わないと、相手がどんな生徒だろうと、ね」

 

 不良生徒達――本来SRTが組む様な相手ではないが、彼女達の本質は数にある。スケバン、ヘルメット団、傭兵バイト、彼女達の所属や括りは様々だが、七囚人の生徒は何かしらこういった生徒達と繋がりがある場合が多い。何度も手を焼かされた相手ではあるが、協力を取り付けられたのなら心強い味方となるだろう。

 一瞬顔を顰めたミヤコであったが、今回は事が事なだけに手は尽くすべきだと判断。モエのネットワークを利用し何とかコンタクトを取り、反応を待つ事とする。恐らくそう遠くない内に返答が来るだろう。

 尤も、来なかったとしても――自分達のやる事は変わらない。

 

「連邦生徒会を襲撃したら、もう後戻りは――」

「……出来ない、よね」 

「あぁ、そうかもな、今回こそ学籍情報の抹消だってあり得る」

 

 モエとミユの口から漏れたそれに、サキは頷きを返した。以前先生に庇われ、無罪放免となったRABBIT小隊――しかし今回に限っては、失敗すれば必ず相応のペナルティが課される事になるだろう。

 しかし。

 

「だが、私は躊躇わないぞ」

 

 サキは怯まず断言した。

 地面に転がっていた自身の鉄帽を拾い上げ、その表面を軽く手で払いながら口を開く。

 

「――先生を見殺しにしたら、私は一生後悔する」

 

 彼女の表情は仄暗く、しかし決意に満ちていた。覗く瞳から感じ取れる意志は、鋼の如く。たとえどんな困難であろうとも、どんな高い壁であろうとも、真正面からぶち当たる覚悟があった。

 恩人を見殺しにして、どんな正義を語れるというのか。

 少なくとも、自分達の――RABBIT小隊の信じる正義とは。

 今この瞬間を、見て見ぬふりで済ますものではない。

 形だけではなく。

 

 ただ、色褪せない正義(変わらない価値)を証明する為に。

 

「……そうですね」

 

 言葉は、思ったよりもすんなりと口をついた。

 ミヤコは自身の目元を指先で拭い、改めて前を見据える。その瞳に、サキと同質の決意を宿しながら。

 

「――えぇ、その通りです」

 

 たとえ、未来に希望を持てずとも――それでも、今日足を止める理由にはならない。

 立ち止まる事も、項垂れる事もあるだろう。苦しさに耐えかねて、その場に座り込んでしまう事さえ。

 でも、それでも――一歩ずつ進む自分達を、先生は信じていたのだ。

 

「モエはこのまま協力者からの返答確認をお願いします、私達は作戦の準備を進めましょう」

「具体的な作戦開始時刻は、どうする?」

「連邦生徒会からの発表により各地で混乱が起こっている筈です、自治区全体が揺れている今が好機、この隙を突きます――今日の夜にも、動きましょう」

「……分かった、なら急ぎ装備を準備しておく」

「ミヤコ、今回の作戦名はどうするの?」

 

 ――作戦名。

 

 モエは端末を操作しながら、その様な事を問いかける。これまでの作戦には、何かしら彼女が命名していた。作戦そのものを指す事も考えれば、名称は必要だ。

 ミヤコは一瞬言葉に詰まり、それから自身の頭部に手を添え、兎の耳を模したタクティカルヘッドセットに触れた。

 

 その洞窟には怪物が住む。

 外見は普通の兎とは変わらないが、ひとたび領域を侵されると狂暴化し、幾人もの騎士団返り討ちにした。

 その怪物が何故、その洞窟に居座っていたのか。何かを守っていたのか、誰かを待っていたのか、それは誰にも分からない。騎士団を含め、作中に登場する大勢の人々は分かろうともしなかった。

 しかし、もし彼の兎に何か、大切なものがあって、それを守る為に怪物と成り果てたのならば――。

 ミヤコは件の小説、その一節を思い浮かべながら頷く。

 

「作戦名は、決まっています」

 

 触れていた指先を下ろし、ミヤコは皆を見つめ、云った。

 大切な人を、先生を守る事が出来るのなら。

 

「カルバノグの兎、です」

 

 ――私達は、カルバノグの兎(怪物)に成り果てたとしても、きっと後悔しない。

 

 ■

 

「――い、ミヤ――……」

 

 遠くから、薄らと誰かの呼ぶ声が聞こえた気がした。

 まるで泥の中に沈んでいるように、全身が重く、全ての感覚が曖昧だ。ひょっとすると、このまま永遠に沈んでいくのではないかと、そう思ってしまう程に全て鈍く感じた。

 何か目に見えない恐怖心を煽られ、ミヤコは小さく呻き声を上げる。視界は昏く閉ざされ、泥の中へと沈む、沈んでいく。

 息苦しい、寒い、何かが、自分を包んで――。

 そんな彼女の肩を暖かく、力強い掌が掴んだ。

 

「――おい、ミヤコ」

「ッ!?」

 

 目が覚めた。

 押し上げた瞼、視界に映る見慣れた顔立ち。鉄帽を脱いだサキが、此方を心配そうに覗き込んでいるのが分かった。

 早鐘を打つ心臓、僅かに滲む汗、額のそれを指先で拭い、荒い呼吸のままミヤコはゆっくりと周囲を見渡す。辺りは薄暗いが、早朝である事が分かった――RABBIT小隊のキャンプ、此処は自分の寝床で、眠っていたのだと少し遅れて理解する。

 ミヤコはサキに視線を戻し、彼女の名前を呼んだ。

 

「……サキ?」

「大丈夫か、大分魘されていたぞ?」

 

 ミヤコが目覚めた事を確認した彼女は、すっと身を起こし眉間に皺を寄せる。コット(簡易ベッド)から上体を起こしたミヤコは、両手で顔を拭いながら大きく息を吐き出した。胸になにか、べっとりと張り付く不快感がある。或いは、不安と云い換えても良い。

 

 今のは、夢だったのだろうか?

 だとすれば――嫌に、現実的な夢だった。

 

 まるで本当にその時間を過ごしたかのような質感、背中にじっとりと掻いた汗が彼女の内面を物語っている。二度、三度、自身の掌を見下ろしながら沈黙を守ったミヤコは、軽く首を振って呟く。

 

「大丈夫です、少し変な――そう、変な夢を見ていただけですので」

「変な夢?」

「えぇ」

 

 そう、自分に云い聞かせた。

 何故、あんな夢を見たのか。

 自身の胸元に手を当て脈拍の安定を図るミヤコは、銃器を担いだままのサキに視線を向けた。それから手に巻き付けたままの腕時計に視線を落とし、失念していたとばかりに自身を覆っていた毛布を跳ね退け、立ち上がる。

 

「すみません、交代時間ですね」

「あぁ、そうなんだが……体調が悪いならもう少し寝ているか? 顔色、かなり酷いぞ」

「いえ、問題ありません」

 

 どうやらサキは交代の為にテントへと戻って来ていたらしい。本来であれば事前に起床し、スムーズに入れ替わらなければならないと云うのに。

 先程見た夢もそうだが、余程昨日の大雨が堪えたのか。疲労を考えれば然もありなん、ミヤコは寝床脇に用意されていた装備を手早く回収し、タクティカルベストを身に付けながら言葉を紡いだ。

 

「今日も一日、野営地の修繕作業に追われそうですから、サキもきちんと休んでください」

「お前がそう云うなら、従うが――」

 

 本当に平気なのかと、何とも云えない表情で頬を掻くサキ。それ程までに体調が優れないと思われているのだろうかと、ミヤコは自身の頬に手を当てる。

 直ぐ横に視線を向ければ、同じくコットに寝転がるミユとモエの姿が見えた。ミユは毛布に包まったまま静かに寝息を立て、モエは仰向けになったまま腕をコットの外にはみ出させている。

 二人も夜間、交代で見張りを担当している筈だった――自分だけその責務を放棄する事は、彼女の強い責任感が許さない。

 

「――では、行ってきます」

「あぁ」

 

 装備を整えたミヤコは、愛銃を肩にぶら下げサキと入れ替わる形でテントの外へと踏み出す。フラップを退けると、冷風が肌を撫でつけた。

 テント内部は小型のヒーターで温められているが、その恩恵が良く分かる。たった一枚、厚い布を隔てただけで別世界だ。暖気が逃げない様に、素早くフラップを下ろし、大きく息を吐き出す。途端ふわりと、口元から白い靄が漂った。

 確かレッドウィンターの方では、あまりにの寒さに吐き出した息が一瞬で凍る事があるのだとか。その音を、星の囁きとレッドウィンターの人々は呼ぶらしい。手袋越しに手を擦り合わせ、彼女は空を見上げる。

 

「今日は、雨の心配をする必要はなさそうですね……」

 

 幸い見上げた空に翳りはなく、清々しい程の快晴である。

 まだ陽が登ったばかりの為か、横合いから差し込む陽光が長い影を伸ばしていた。ミヤコは暫しの間、冬特有の澄んだ空気と空を堪能しながら、大きく伸びをする。

 それからふと、視線を横合いのテントに向けた。

 

 ――そういえば先生は、まだ眠っているのでしょうか。

 

 ミヤコ達RABBIT小隊の寝泊まりするテント、そこから少し歩いた所に設営されている天幕。本来であれば予備の装備などを保管しておく場所で、比較的スペースもあり整理整頓もされている。先生は昨日、そこで一泊する事になっていた。

 予備のコットは無かったので、保管箱を横に並べ上に毛布やら何やらを敷き詰め、その上で寝袋を渡した。防寒着も手渡した上、懐炉もあるそうなので、寒さについては大丈夫だと思うが。

 ミヤコは歩哨に立つ前にひと目、先生の様子を見ようと足を向けた。

 

「……先生、失礼します」

 

 自分達のテントと比較すると、少しばかりこじんまりとしたテントだ。そのフラップを掌で押し退けながら、先生を起こさないように小声で呟く。中に一歩踏み込むと、薄らと先生の匂いが鼻腔を擽った。

 彼の香りは、どことなく、ほんのりと甘い。

 

「………」

 

 先生の寝床は、比較的テントの中心に近い位置にあった。両脇に退かされた保管箱の間、即席の毛布や何やらで作られた寝台。ミヤコは音を鳴らさない様、細心の注意を払いながら一歩一歩、先生の元へと近付いて行く。

 

 ――まだ、眠っていますね。

 

 先生の眠る寝台を覗き込んだミヤコは、寝袋に包まって眠る先生を見下ろしながら胸中で呟いた。

 寝息は小さく、瞼は落ち切っている。乱雑に払われた前髪からは薄らと右目の瞼が覗いており、ミヤコは暫くの間、先生の古傷をじっと見つめていた。

 

 先生の顔色は、昨夜と比較すると少しだけ良くなったように思える。しかし微動だにせず、微かに漏れる吐息が無ければ、正しく死んだように眠っている様にも見えた。

 じっと見つめていると心配になって、ミヤコは右手の手袋を脱ぎ、そっと先生の口元に指先を近付ける。指先に感じる吐息の感覚に、ミヤコは人知れず胸を撫でおろした。

 

「あの夢のせいですね、本当に、どうしてあんな――……」

 

 こんな風に不安になるのも、奇妙な夢を見たせいだ。疲労によるものだろうが、全く以て気分が悪い。

 先生の無事も確認出来ましたし、歩哨に戻らないと――そう考え、立ち上がろうとしたミヤコであったが、ふと先生が身動ぎするのが分かった。

 衣擦れの音と、微かな呻き声。ミヤコは思わず、外に向けようとしていた足を止める。

 

「ぅ……」

「……先生?」

 

 起こしてしまったか。

 ミヤコは困ったように頬を掻き、先生の名を呼ぶ。すると先生はゆっくりと左目を開け、焦点の合わぬ瞳で周囲を伺っていた。

 暫しそうやって辺りを見渡していた彼だが、一向にミヤコと視線が合うことは無い。

 恐らく、寝起きで思考に靄が掛かっているのだろう。ふっと微笑んだミヤコは、先生の傍に屈みながら口を開いた。

 

「おはようございます先生、すみません、起こしてしまって……」

「――その声は、ミヤコ?」

 

 ミヤコが言葉を紡ぐと、先生はどこか惚けた様子で彼女の名を呼んだ。声は寝起きの為、僅かに擦れている。「はい」とミヤコが頷けば、先生の瞳はミヤコを捉えた。

 しかし何故だろう、先生はまるで遠くのものを見る様に、目を細める。

 

「――暗い、な」

「えっ?」

 

 暗い? 

 ミヤコは思わず問い返す。確かにテント内部は薄暗いが、此処のテントは目立たない高遮光性テントではなく、中程度のものだ。現に天幕に降り注ぐ陽光は内部を照らし、視認性は決して悪くない。それこそ一メートルも離れていない、互いの顔を見つめるのに困る事は、まずないだろう。

 しかし、先生はそんなミヤコの思考に反し、横たわったままゆっくりと頷いて見せた。

 

「うん、随分と、暗い……まだ外は、夜なのかな」

「―――」

 

 その一言に、ミヤコは漸く事の異常さを理解した。

 先生は相変わらず焦点の合わぬ瞳で、ミヤコの方を見つめている。しかし、今の先生の瞳に、自身の姿は映っていないと確信出来た。

 息が詰まる、唐突なそれに思考が追いつかない。酷く動揺し、声を詰まらせたミヤコは二の句を継ぐ事が出来なかった。

 

「? ミヤコ、そこに、居るんだよね……」

 

 一向に返ってこない声に、先生は暗中を探る様に、寝袋から腕を抜き出すと、恐る恐る此方へと指先を伸ばした。差し込む陽光に照らされた先生が、ミヤコの名を呼ぶ。

 

「っ、は――」

 

 息が詰まって、苦し気な声が漏れる。それでも咄嗟に、手が伸びた。

 予め手袋を脱いでいた右手を差し伸べ、先生の指先を握る。

 寝袋で暖を取っていた筈だというのに、掴んだ右手は恐ろしく冷たかった。

 そして気付く、あの夜は暗がりで気付かなかったが、先生の指先は全て黒く変色していた。まるで夜空の様に、昏く、真っ黒に――その中で、微かに罅割れる様にして走る亀裂が、爪先に垣間見えていた。

 それらを凝視しながら、ミヤコは震える唇で必死に言葉を紡ぐ。

 

「――はい、私は、此処に居ますよ」

 

 声は、辛うじて震えていなかった。

 

「まだ夜中です、先生が眠って、然程時間も経過していませんから、私は歩哨のついでに先生の様子を見に来ただけで……モエやミユもまだ、隣のテントで眠っています」

「……そっか、良かった」

 

 嘘だった。

 朝日の差し込む中で吐いた、余りにも分かり易く、拙い嘘。

 しかし、今の先生はそれを信じてしまう。

 努めて冷静に、何でもない事の様に、振る舞うミヤコの言葉に。

 生徒の言葉に。

 先生は安堵し、ゆっくりと全身から力を抜いて、瞼を閉じた。

 

「なら、もう少しだけ、眠っても良いかな……?」

「……勿論です」

「ありがとう、ミヤコ」

 

 ミヤコの言葉に、先生は薄らと笑みを浮かべる。

 明日になったら、直ぐ起きるからね、と。

 そう。

 明日になったら――また、皆と一緒に、頑張るから。

 

「………」

 

 先生はそれだけ呟き、肺を膨らませ、ゆっくりと息を吐き出す。部屋の中に流れる沈黙。微かに聞こえる吐息が、寝息へと変わるのにそれ程時間は必要なかった。

 

 ミヤコは先生の右手を握ったまま、口を一文字に結ぶ。俯いた表情は影になり、誰に見られる事も無い。その胸中は、様々な感情によって埋め尽くされ、綯交ぜになっていた。

 零れる吐息が揺れ、震える。ミヤコは左手の手袋を脱ぎ捨て、足元に落としながら、両手で先生の手を包み込んだ。そして少しでも熱を起こそうと、緩やかに彼の手を擦る。

 どれだけ熱を、体温を伝えても。

 先生の(黒色)は、冷たいまま(凍えたまま)

 

 ■

 

『――先生が意識不明の状態となられてから、本日をもって百日が経過致しました、この節目を受け、担当医療チームより正式な報告がございます』

 

 ■

 

「……あれは」

 

 ぽつりと、声が漏れた。血の気の引いた顔色で、項垂れ、先生の掌を両手で掴みながら、ミヤコは記憶を反芻する。

 つい先程まで、自分が見せられていた、嫌に現実的な世界。所詮は夢の話だ、疲労が生んだ悪夢の類だ。そう断じる事が出来るのは、分かっていた。

 けれど、もしかしたら。

 とても信じられる話ではないが。

 妄想の類と、そう切り捨てられても仕方ない事ではあるが。

 あの夢が、もし万が一。

 

 ――これから起こる、未来の出来事だとしたら。

 

「いいえ、あり得ません」

 

 自分で口にしながら、ミヤコは即座に首を横に振った。否定の声は強張り、先生の掌を強く握った。それは痛みを伴ってしまうのではと思う程、強く。起きてしまってもおかしくない力だと云うのに、先生が目を覚ます事は無かった。どれだけ掌を擦っても、握り締めても、彼は何の反応も示さない。

 ただ掌の冷たさだけが、ミヤコを苛み、凍えさせていた。

 

「……絶対に、あり得ません」

 

 もう一度、ミヤコは呟いた。

 言葉は殆ど、自分に云い聞かせる為のものだった。

 そのままじっと、先生の傍に屈み込んだまま、ミヤコは先生の掌を擦り、握り締める。

 何度も、何度も、何度も。

 

 それは、先生が再び目覚めるまで――ずっと続いていた。

 

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