ブルーアーカイブを、もう一度。   作:トクサン

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誤字脱字報告に感謝ですわ~!


正義は珈琲の様に甘く(苦く)

 

 コツコツ、と。

 ペン先がテーブルの上で滑る音だけが響いていた。

 連邦生徒会のレセプションルーム、ただ一人その部屋で来客用のソファに腰掛けたリンは、手元の書類を黙々と処理していく。時折端末を操作し、飛んでくる連絡に返信を行う姿は多忙を極めていた。

 

「―――」

 

 そんな彼女はふと、視線を上げて壁に掛けられた時計を見る。

 端末のデジタル時計ともズレは無く、珍しい事に――どうやら待ち人は遅刻している様だった。普段であれば五分前には到着しているだろう、何か騒動に巻き込まれたか、或いは自分から首を突っ込んだのか。その姿が簡単に予想出来て、彼女は少しだけ笑った。

 大きく遅れるのならば連絡の一つや二つは送って来るだろう、それが無いと云う事は現在進行形で向かっている最中か、それとも騒動の只中か。リンはそう考え、動じることなく黙々と書類と向き直る。

 そうこうしていると、透明な硝子扉越しに駆けて来る人影が見えた。

 

「……あぁ、来ましたか」

 

 その大人の姿を視界に捉えたリンは呟き、手元に広げていた書類を纏め始める。ややあって、レセプションルームへと続く扉に手を掛けた彼は、息を弾ませながら声を上げた。

 

「――リン、ごめん、お待たせ!」

「廊下は走らないで下さい、先生」

 

 室内に、聞き慣れた先生の声が響いた。ひとりデスクに座り、書類を纏め封筒に仕舞い込んだ彼女は、自身の前に立つ先生を見上げ――その表情を訝し気に変化させる。

 

「随分と、服装に乱れが見えますが?」

 

 佇む先生の姿は、中々どうして悲惨だった。

 此処まで全力で駆けて来たのか所々跳ねた髪に、身に纏うシャーレの制服はネクタイがズレ、第一ボタンは開き、外套は着崩されている――というより、本人が気付いていないのか。

 よくよく観察すればシャツや外套に皺の類こそないが、これは先生本人の努力というより当番の生徒が嬉々として彼の衣服の洗濯、アイロン掛けなどを買って出ているからだろう。普段のきっちりとした服装は何処へいったのか、まるで遅刻寸前で教室に滑り込んだズボラな学生の様に見えた。

 

「あはは、えっと、ちょっと寝坊しちゃって……」

 

 先生は恥ずかしそうに頬を掻き、それから慌ててはだけていた外套を羽織り直す。寝坊とは云ったが、それは半分本当で半分嘘だった。RABBIT小隊のキャンプからシャーレまで走り、諸々の書類を取り纏め、着替えてから連邦生徒会へと向かった。そのハードスケジュールが故に、少々身嗜みに気を使う余裕がなかっただけだ。

 勿論、もっと早く起きていれば余裕をもって準備を進める事が出来たのだが――今朝に関して云えば、是が非でも時間を割かなければならなかった理由がある。

 先生は未だ掴まれ、はっきりと痣の残る右手を撫でつけながら、そんな事を想った。

 

「……急いで来て頂けるのは結構ですが」

 

 リンは溜息を零しながら立ち上がると、先生の前に立ち曲がったネクタイに手を掛ける。「うっ」と、先生は至近距離で此方を見上げるリンの圧力に呻き声を上げた。同時に、ぎゅっと喉元が締まる様な圧迫感。

 感覚こそ殆ど存在しないが、感じ慣れたそれは確かな質感を以て去来する。

 

「もう良い大人なのですから、きちんと身嗜みは整えて下さい」

「ぜ、善処します」

「はぁ、ただですらシャーレの先生という立場は、多くの生徒に注目されるのですから」

 

 苦言を呈しながら、リンは中途半端に緩んでいたネクタイを締める。それから襟を正し、軽く跳ねた髪を手櫛で整えた。一先ず、人前に立っても問題ない程度まで仕上げた彼女は、小さく頷きを零し、一歩先生より距離を取った。それからコホンと咳払いを一つ、改めて向き直ったリンは先生へと問いを投げかける。

 

「失礼しました――それで、態々直接会って話したい事があるとの事ですが、用件は一体何でしょう?」

「実は、どうしてもリンちゃんの顔が見たくて」

「………」

「ごめんなさい、ちゃんと用件もあります」

 

 目前から投げかけられる無言の圧力、じろりと此方に降り注ぐそれは、「こんな忙しい時に時間を割いて、ただ顔が見たかっただけなんて、とても面白い冗談ですね」という無言の訴えである。無論、そんな事を彼女が口にする事はないだろうが。

 肌を刺す極寒の視線に先生は委縮すると、小脇に挟んでいた封筒を取り出し両手でしずしずと差し出した。リンは差し出されたそれを一瞥し、小首を傾げる。

 

「……何でしょうか、これは?」

「えっと、浸水被害に遭った子ウサギ公園、その設備補修提案書」

 

 実を云うと、子ウサギ公園の補修自体は先生が予め、何度か行っていたのだ。

 暇を見ては散歩と称し公園に訪れ、自身に出来る範囲で水はけ回りや公道、街灯の類を補強していた。その甲斐あって、先の大雨の時に老朽化した街灯が圧し折れたり、公道の舗装が剥がれたり、崩れたりする事は無かった。

 しかし、やはり一人では限界がある。もう一度、あの規模の嵐や大雨が到来したらどうなるか分からないというのが本音だ。その前に、何か手を打つ必要がある。そしてそうなると、相応の規模の工事となるだろう。連邦生徒会に隠れてこそこそと実行するのは、無理があった。

 故に、こうしてお上(連邦生徒会)にお伺いを立てに来たのだが……。

 

「子ウサギ公園――」

 

 呟き、リンは受け取りながら中を検める。

 取り出した紙面には現在の子ウサギ公園の現状調査概要、調査目的、調査内容、調査方法から細かな日付、添付された現状写真に総合所見、補修を行う場合の施工範囲と具体的な工法、担当する組織、人員、企業などがキッチリと記載されていた。

 どうやら浸水した公園に直接赴き、一つ一つ問題となる部分を見つけて具体的な修繕案と声掛けまで終わらせているらしい。この場で自身が了承すれば、直ぐにでも着手出来そうな程だ。

 リンは一枚一枚、紙面を捲りながら眉間に皺を寄せた。公園が浸水被害に遭ったのは昨日の話だ、そこからこの話を立ち上げたと考えると余りにも早すぎる。そうなると補修計画自体は予め用意していたのだろう。そこに浸水被害が重なって、慌てて現地調査を行っていた――という所だろうか。一枚一枚ページを捲りながら、リンはそんな事を考える。

 その予想が外れているとは思わなかった。先生は、そういう人だ。

 知らず知らずのうちにリンの口から溜息が漏れる。提案書を差し出した先生は、彼女の反応を眺めながら戦々恐々としていた。

 

「別段、市民が使う公園を補修する事に異論はありませんが……」

「良かった、それなら直ぐにでも進めてしまって良いかな?」

「……普段の忙しい業務の合間を縫って、これを書き上げたんですか?」

 

 全てを読み終えたリンは指先で提案書を叩きながら、訝し気に問いかけた。其処には、僅かにだが責める様な色が含まれている気がした。

 それは、決して先生を糾弾する意図の元に発せられたものではない。寧ろ、その体調面を心配しているが故に出た色だった。

 シャーレの忙しさは知っている、常日頃から降り掛かる業務に加え、各自治区で問題が発生し、応援要請が飛んで来れば文字通りなりふり構わず飛び出して行く。規模の大小を問わず、シャーレへと帰還する頃には疲労困憊で、場合によってはそのまま自治区内の病院に搬送される事もしばしば。

 ミレニアムでの一件も記憶に新しい、また何かあって病院に担ぎ込まれてからでは遅いのだ。

 故に、暗に仕事量をセーブすべきだとリンは訴えていた。

 

「そもそも、シャーレの活動に必要な事ではないでしょう、これは――自ら仕事を増やして抱えきれなくなっては、本末転倒です」

「……それは、そうなんだけれど」

 

 眉間に皺をよせ、厳しい視線で此方を見上げるリンに対し、先生は弱り切った様子で身を縮こまらせた。

 

「けれど、これ必要にしている子達も居るから」

「それは、RABBIT小隊の四名でしょうか」

「……えーっと」

 

 紙面をなぞりながら放たれたそれに、先生は言葉に窮した。

 図星だった。

 当然、彼女の耳に事の顛末は入っているだろうし、内容を見ればこの補修工事を受け誰が利益を享受するかは明らかだ。先生は否定も、肯定も出来なかった。遠回しにRABBIT小隊を支援したいと云っている訳だが、それを直接的に表現する事は避けなければならなかった。連邦生徒会が絡むとなれば、尚の事。しかし、この場合先生の態度は、何よりも分かり易い肯定であった。

 

「沈黙は肯定と見做しますよ、先生」

「あ、あはは……」

「全く、カヤから既に話は聞き及んでいます、ヴァルキューレ警察学校への編入を拒否したSRT特殊学園の生徒達、彼女達が公園で野営を行っており、先生がそれをサポートしていると」

 

 元々、武力を用いたデモを行っていたSRTの生徒達を、先生がヴァルキューレ警察学校を指揮し鎮圧、取り調べの後無罪放免にしたという話は報告を受けていた。何より、取り調べ中に連邦生徒会に顔を出し、RABBIT小隊の処遇は自分に一任して欲しいと各方面に頭を下げて回ったのは先生自身だ。それだけならば、別段何を思う事もない。

 

「この件について何か口を挟むつもりはありません、そもそもシャーレは自由な組織ですし、先生の持ち得る権限の範囲内であれば、どのような活動をなさっても問題はありませんので……しかし」

 

 続けられた言葉の後、じろりとリンの双眸が先生を射貫いた。其処から覗く光の鋭さに、思わず仰け反る先生。

 

「私の立場から云わせて頂きますと、このまま何事もなく活動させ続ける事を是とする事は出来ません」

「……えっと、それはRABBIT小隊の肩書によるもの、かな?」

「はい」

 

 シャーレが彼女達の活動を支援したいというのであれば、それ自体を否定する材料をリンは持たない。しかし、それはあくまで個人の話であり、連邦生徒会、延いては連邦生徒会長代理として考える場合は、全く異なる結論に至る。

 もし彼女達が他の自治区――それこそ、どこの学園出身であろうとも気にしなかっただろう。しかし、SRT特殊学園出身という経歴は聊か事情が異なる。元はと云えば独立した権限を持つ特務の生徒であり、連邦生徒会長をトップとした何処にも依らない武装組織だ。自治区(学園)に属する生徒が何らかの問題を起こした場合、その責任の所在はその自治区、延いては学園そのものに返って来る。

 しかし、彼女達にはそれがない。

 

「SRTは連邦生徒会長から特権を与えられた、迅速に犯罪者を制圧する為の特殊な組織です――本来そう云った特権()は、正しい目的と正しい運用方法によって価値を発揮します」

 

 特別な装備、特別な環境、特別な権限、特別な人材――優れた人材に優れた訓練を行い、優れた装備を与える。そこから生じる力と云うのは、よくも悪くも人目を引く。同時にそれを振るうに足る指揮者に対しても。

 効率的に運用すれば何物にも勝る優れた武器になるだろう、しかし同時にそれが無辜の民に向けられた時、人々は抗う術を持たない。強大な武力が、どこの責任かも分からない力を、手綱もない状態で――だ。

 故に、その矛先こそを彼女は危ぶむ。

 

「力の方向性と責任、それは先生も良くご存知の筈ですが」

「……うん、それは、そうだね」

 

 先生は僅かに陰を孕んだ表情で頷いた。その辺りについては、よく理解しているとも。

 大いなる力と、責任――自身はそれを説く側に在るのだから。

 

「先生が彼女達を信頼している事は報告と口ぶりから分かります、恐らく彼女達は力を誤った方向に使ったりしないと、そう口にしたいのでしょうが……」

 

 その善い在り方に対して、リンは好ましく思う。信頼、信任、信用、どの様な形でも構わないが、子ウサギ公園で活動中の生徒達がその力を無辜の民や、或いは私利私欲の為だけに振るう事はないと考えているのだろう。

 先生がそう考える事自体は問題ない。しかし事の本質は先生ではなく、その他大勢の生徒や人々がどう見るか、これが問題なのだ。

 

「全員が先生の様に信じられる訳ではありません、現にRABBIT小隊の先任――FOX小隊の指名手配は現在も解除されておりませんし、連邦生徒会内部にはSRTの武力を危惧しているメンバーもおります」

 

 優れた装備を持ち、優れた才覚を持つ特務の生徒――それが今、誰の指揮下に在る訳でもなく、野放しになっているのだ。FOX小隊の一件も含め、神経質になっている行政官も少なくない。ましてや彼女達には一度、デモを行いヴァルキューレ警察学校を返り討ちにしたという悪い実績(前科)が存在する。

 また何かあれば暴動を起こすのではないか、連邦生徒会に襲撃を仕掛けて来るのではないか、或いはその力を私利私欲の為に振るうのではないか。そんな不安が消えないのだ。

 それを考えれば軽挙は控えるべきだ。頭が痛いとばかりに額を指先で撫でつけるリンは、暗にそう告げる。

 

「室長だけで業務が回っている訳ではないのです、連邦生徒会には様々な意見を持った生徒が居ますから――」

「あまり大っぴらに支援すれば、行政委員会からの反発が懸念される……か」

「えぇ」

 

 連邦生徒会がどのような形であれ、RABBIT小隊を支援しようとすれば何かしらの反発が予想される。先のRABBIT小隊が起こしたデモの際は、先生自身が現場に立ち、自ら指揮し鎮圧した為に承諾された側面もあった。

 しかし一度ならばまだしも、そう何度も先生が頭を下げて回れば、シャーレへの信頼が裏返り、RABBIT小隊そのものを快く思わない生徒が何かしらのアクションを起こす可能性だってある。無論、権限を盾に押し通す事も可能だろうが――それはリンの持つ信念に反する。

 力で抑えつけるやり方を、彼女は決して好まない。

 

「幸い、連邦生徒会に於けるシャーレの評判は良好です、表立ってシャーレを非難する生徒が出る事は無いと思いますが――全く、その根回しの労力を書類作業の方にも発揮して頂ければ、此方も多少楽になるのですけれど」

「いつもごめんね、リンちゃん」

「誰がリンちゃんですか」

 

 先生の親しみを込めた呼び方に反応しながら、リンは肩を落とした。小言は口にするが、先生が睡眠時間すらも惜しんで業務に当たっている事は知っている。これは信頼の裏返しでもあり、同時に彼女なりの不器用なメッセージでもあった。

 子ウサギ公園の補修提案書を小脇に挟んだリンは、眼鏡を指先で押し上げながら言葉を続けた。

 

「兎に角、現在私の方で出来る忠告はこの程度です、公園の補修に関しては受理しました……この後は、シャーレに?」

「いや、一度皆に挨拶していくよ、アオイとか、アユムとか、モモカとか、カヤとか、前の一件の御礼も伝えたいし」

「そうですか、分かりました――なら序です、シャーレに戻り次第此方の書類をお願いします」

 

 彼女はそう云って、レセプションルームのテーブルに纏めていた書類の束を掴む。そしてそれを封筒に詰めると、笑みを浮かべながら先生へと差し出した。

 

「えっと」

「期限は来週まで、お願いしますね」

「……はい」

 

 否やはなかった。また仕事が増えた。

 先生は血の気の失せた顔で差し出された分厚い封筒を見下ろし、それから受け取ろうと手を伸ばして――一度掴み損ねた。

 するりと、指先が何もない空間を掻く。

 それをリンは、きょとんとした表情で見つめていた。

 

「……? 先生」

「――あぁ、ごめん、ちょっと気が遠くなって」

「……まぁ、仕事が増えた時の感情は、理解出来ますよ」

「あはは」

 

 乾いた笑い声を漏らし、先生はそれからもう一度両手を伸ばして、今度は確りと受け取る。リンは一連の動作を、先生なりのジョークであると解釈した。仕方なさそうに此方を見つめる彼女の瞳に、先生は苦笑を浮かべる。

 受け取った封筒の重みは、心なしかいつもよりずっしりとしていた。

 

 ■

 

 防衛室、執務室。

 

「――おや」

「お邪魔するよ、カヤ」

 

 予定ではこの時間に、来客はない筈だった。

 しかしノックされた音に声を上げ、業務を片手に入室を促せば、開いた扉から顔を覗かせたのは珍しい人物。

 尤も、ここ最近は何かと顔を合わせる事も多いので、その珍しさも希薄に感じてしまうが。兎角、相対的に見れば珍しいと評してもおかしくない人物であった。

 カヤは手に持っていたペンを執務机の上に転がし、ニコリと微笑みを浮かべる。

 

「これはこれは、先生ではありませんか、防衛室(こちら)に何か御用でも?」

「いや、連邦生徒会にちょっと用事があって、ついでに皆の顔が見たくてね――それに以前RABBIT小隊を助けて貰ったから、その御礼も伝えたくて」

 

 後ろ手で扉を締めながら、その様な事を口にする先生。カヤは一瞬、探る様な視線を向けた。しかし、喜色を滲ませる先生からは含む所も、悪意も感じられない。本人からすれば、今口にした事以上の事は何もないのだから、ある意味当然でもあった。

 

「御礼も何も、判断を下したのは先生です、感謝される様な事は何ひとつありませんよ?」

「でも、防衛室の管轄だった事を横入りしてしまったのは事実だから、こういうのはちゃんとしないと」

「――相変わらず、律儀ですねぇ」

 

 義理堅いと云えば良いのか、配慮が出来ると云えば良いのか。

 こういった気配りと親しみを含む根回しが、カヤからすれば先生の油断ならない所でもあり、シャーレに何かとお株を奪われる連邦生徒会内部に於いても、彼が評判を落とさずに済んでいる理由なのだろう。

 元々SRT特殊学園の一件とて、もっと早く閉鎖が決定し部隊を傘下に収める事が出来ていた筈なのだ。しかし、それも彼の尽力と奔走によって大きく時期がズレ、また本計画から軌道修正を余儀なくされていた。

 肩を竦めたカヤは手元にあった空のカップに視線を落とすと、自身の内心をおくびにも出さず、軽い調子で問いかけた。

 

「立ち話も何です、先生も一杯如何ですか?」

「良いのかい? なら、お言葉に甘えて」

「えぇ、どうぞお掛けになって下さい」

 

 その返答を聞き届けると、カヤは薄らと笑みを浮かべたまま席を立ち、備え付けのコーヒーミルの元へと足を進めた。

 連邦生徒会にはトリニティ出身の生徒も在籍しているが、好んで飲まれるのは大抵珈琲だ。徹夜作業で眠気を払う必要があるからか、防衛室も例に漏れない。特に、カヤはこの手のものにこだわりのある人物であった。

 ブルーマウンテンは淡い酸味と爽やかな香りがあってこそ。雑味のない風味は品質の良い豆と確かな手間暇から。

 後は火加減を恐れぬ大胆さ、か。

 

 促されるままに来客用のソファに座って待つ事十分程、手前に差し出された淹れ立ての珈琲、先生は礼を告げながらカップの持ち手に指を掛ける。カヤは香りを楽しむ様にカップで円を描き、満足げに頷いた。

 

「あの後、RABBIT小隊の子達はお元気ですか?」

「うん、毎日頑張っているよ、上手くいかない事もあるし、慣れない環境で大変だけれど――それでも前に向かって進もうとしている」

 

 皆、強い子達だ。

 ぽつりと呟かれた声には、微かな喜びの響きがあった。

 対面に腰掛けたカヤはそんな先生の言葉に頷きを返しながら、静かにカップを傾ける。少し熱めの珈琲が舌を刺激し、何となく腹に活力が湧いて来る感覚があった。共に飲む相手が少々気に食わないが――彼女はそれをおくびにも出さず、微笑みを貼り付ける。

 

「そうですか、それは何よりです」

「だからこそ学園の復活も手助けしてあげたいんだけれどね、シャーレとして動ける範囲にも限りがあるから、一筋縄ではいかなくて」

「SRTの復活ですか……聞き及んではいましたが、また難しい事を仰いますね」

「やっぱり、難しいかな」

「えぇ」

 

 先生としても、理解した上での問い掛けなのだろう。投げかけられた言葉に対し、カヤは意識して困った様な雰囲気を醸し出した。

 指先を頬に添え、思案する様に虚空を見上げるのは彼女の癖だ。指先で軽く頬を叩きながら、現状の防衛室、その立ち位置と権限の及ぶ範囲を脳裏に思い浮かべる。

 

「此方としても協力したいのは山々なのですが、SRTは公的な扱いとして実質的な閉鎖に追い込まれてしまっていますから――ヴァルキューレ警察学校に編入した元SRTの子達も居ますし、今から動くとしても、一日二日でどうにかなる問題でもありません」

「それはそうだね、そうなるとやっぱり、私の方でRABBIT小隊を支援するのが精一杯か」

「えぇ、そして名目はさておき、シャーレではなく連邦生徒会が実体としては存在しない学園の生徒達の為に動くのは難しいでしょう、勿論あの子達にとってはまだSRTが消えた訳ではないというのは理解出来ますが……」

 

 少なくとも表立って連邦生徒会が彼女達を支援する事は出来ない、カヤは申し訳なさそうにそう述べる。

 実際問題、SRT特殊学園は既に閉鎖されRABBIT小隊は、『SRT特殊学園の元生徒』という扱いである。ヴァルキューレ警察学校に編入していれば、ヴァルキューレの生徒として扱う事も出来ただろうが――今の彼女達は、学籍情報が残っていても、学園自体は存在しないという、非常に不安定な立場に在る。

 

「先生の方でもRABBIT小隊の子達が野営地として選んだ公園を、どうにかして整備出来ないかと、方々に掛け合っていると聞きましたが」

「っと、流石に情報が早いな」

「ふふっ、防衛室にも独自の情報網がありますので――それに良くも悪くも、先生の行動は耳目を集めますから」

 

 少しだけ驚いた様に目を見開く先生に対し、カヤはしてやったりと笑みを零す。尤も、この程度は多少先生の動向に注目していれば分かる事だ。何より今の彼女の背後には強力な背景(カイザー)が存在する。扱える情報の質と量は、以前とは比べ物にならない。

 

「あの地域は元々再開発予定区域でもありますから、シャーレは兎も角、連邦生徒会名義で手を出す事は難しいですね、防衛室の方で動こうにも、あの場所は此処(防衛室)の管轄区域でもありませんし……それこそ私に出来る事と云えば、精々が彼女達の学籍データをそのまま維持する位の事で――」

「それでも十分さ、ありがとう」

 

 心苦しいと云わんばかり肩を落とすカヤに対し、先生は首を振ってそう告げる。

 失われた学園の学籍データを保持するだけでも、先生からすれば有難い事だ。カヤはそんな彼の姿を見つめながら、ふっと溜息を零した。

 薄らと、その口元が分からない程度に歪んだ。

 

「――せめてFOX小隊の軽挙が無ければ、先生の奔走もあり、この様な事態には陥らなかったのですが」

「………」

「本当に、儘ならないものですね」

 

 呟き、カヤは来客用のソファに身を預けた。

 辟易とした様子の彼女からは、強い苦悩が感じ取れる。少なくとも、纏う気配はそうであった。

 先生は一口、珈琲を啜る。砂糖もミルクも一切入っていない、その水面を見下ろしながら彼は不意に口を開いた。

 

「カヤ、一つ尋ねたいのだけれど」

「はい? 何でしょうか、先生」

 

 私に答えられる事なら、何でも聞いて下さい。彼女はそう云って、先生にあくまで協力的な姿勢を見せ続けた。

 そんなカヤに対し、先生が視線を向ける。覗く左目から伝わる感情は、まるで読めない。以前からそうではあったが――今はまるで硝子玉の様だと、カヤは思った。

 

「FOX小隊が連邦生徒会を襲撃したという件は既に何度も聞いた、それでSRTが閉鎖になったという話も」

「えぇ、あれは実に痛ましい事件でした――」

 

 あぁ、その事かと――当時の事を思い返し、カヤは嘆かわしいと云わんばかりに首を振った。その動作は大袈裟ではあったが、彼女の立場からすれば真っ当な反応であった。少なくとも、表向きは。

 

「連邦生徒会のメンバーが複数人負傷し、設備への被害も相応にありました、確かリン行政官の総括室メンバーも負傷した筈です、運悪くその場に居合わせた私の管轄、防衛室の生徒も一名……突然の事で、逃げる間もなかったと本人より聞き及んでおります」

「事件の捜査は確か、ヴァルキューレが担当したんだよね?」

「えぇ、その通りです」

 

 カヤはハッキリとした口調で肯定を返し、真剣な面持ちで言葉を続けた。

 

「綿密な捜査によって複数の証拠、加えてほんの数秒足らずの映像ですが、破壊された防犯カメラより記録映像も回収できました、FOX小隊の犯行である事はまず間違いないでしょう」

「――その証拠、私も確認する事って出来るかな?」

 

 すっと、斬り込む様な声色だった。

 先生はカヤを真っ直ぐ見つめたまま、そう云った。

 その、予想だにしなかった一言に、カヤは驚きに目を見開く。

 一瞬、二人の間に沈黙が降りた。カヤの表情が微かに強張り、無意識に背筋が伸びる。

 

「……先生が、ですか?」

「うん、可能なら、お願いしたいんだ」

「………」

 

 カヤの背中に滲むのは、戸惑いと疑念。

 カヤは努めて感情を表に出さない様、指先で口元を覆い隠す。細められた瞳はそれとなく先生を観察しているが、その胸中まで見透かす事は出来ない。何より、予め返答は決まっていた。コツコツと、テーブルを指先で叩きながらカヤは息を吸い込む。

 

「――残念ですが、シャーレの権限を用いたとしても、ヴァルキューレ内部の証拠品閲覧は難しいでしょう」

 

 はっきりと、しかし微かな憂いを含め、カヤは緩く首を振り云った。

 尤もらしい文言を並べる事は簡単だった、指先を絡め、先生と真摯に向かい合った彼女は懇々と説いて見せる。

 

「証拠品の取り扱いは厳格に管理されていますし、流出や不正な操作を防ぐ為に情報公開範囲も絞られています、それこそ証拠品の閲覧権限があるのは、捜査担当の生徒や捜査上の上官、分析や解析を行う専門家だけです、ヴァルキューレは私達防衛室の指揮下という事もあり、私自身も必要があれば閲覧権限を持ちますが――」

 

 私は現場の部下たちの人柄も、才覚も信頼していますので、彼女達の仕事を疑る様な事はしません。自ら閲覧を申し込んだ事など、本当に数える程度です。カヤはそう云って、大きく息を吐き出した。

 以前、RABBIT小隊の取り調べに同行の許可が出たのは、あくまでヴァルキューレ警察学校を指揮し鎮圧したという関与と実績があったからだ。しかし、FOX小隊の一件は違う。

 

「如何にシャーレとは云え、FOX小隊襲撃の一件は完全な第三者――そんな状態で閲覧許可を出す事は、私の立場としても、そうですね……」

 

 困ったように、或いは相手の情に訴える様に。徐々に言葉尻を弱める事で、カヤは心底参ったと云わんばかりに弱々しさを演出する。それが自身の立場上の見解であり、規則であると、言葉にしない気配に滲ませて。

 その返答に対し先生は数秒程沈黙すると、それから後頭部を掻いて申し訳なさそうに顔を顰めた。

 

「うん、いや、そうだよね……ごめんカヤ、無茶を云った」

「いえ、その様な事はありませんが――」

 

 予想よりも、幾分かあっさりと退いた先生。どうやら駄目で元々だったらしいと、カヤは意外そうな表情で彼を見つめた。

 しかし、気になるのは一点、何故先生がその様な事を口走ったのか。

 何か心境の変化があったのか、それとも何かしらの情報を掴んだのか――或いは、誰かの入れ知恵か。

 考えられるルートは幾つもある、しかしこの場合最も有力なのは。

 カヤは薄らと細めていた瞳を開き、慎重に言葉を選んだ。

 

「先生は」

「……ん?」

 

 ――先生は、FOX小隊が無罪である可能性をお考えに?

 

「………」

 

 そう、喉元まで出かかった言葉を。

 結局カヤが口にする事はなかった。

 

「カヤ?」

「……いえ、何でもありませんよ」

 

 不思議そうに此方を見る先生に、カヤは緩慢な動作で顔を上げ、微笑んで見せた。それは柔らかくも、しかし明確な拒絶でもあった。尤も、それが伝わる事は決してない。

 

「――不知火室長」

「おや」

 

 二人の耳に、執務室の扉をノックする音が届く。どうやら新しい来客らしい。カヤは苦笑を浮かべながら扉の方へと視線を向け云った。

 

「すみません先生、そろそろ次の仕事みたいです」

「ごめん、忙しい時に時間を割いて貰っちゃって」

「いえ、先生とお話しが出来て良かったですよ」

 

 一息に珈琲を呑み込み、先生はカップをソーサーに戻す。それから席を立つと、一言カヤに礼を云い防衛室を後にしようとした。両開きの扉に手を掛け、ゆっくりと開く。

 

「あっ――」

「カンナ?」

 

 扉の隙間から垣間見えた、執務室の前に立っていたのは、公安局局長であるカンナであった。

 彼女は扉を開き退出して来た先生を見て、驚きの表情を見せる。しかし、垣間見えた感情はそれだけではない、驚きの中に僅かな動揺と、後ろめたさがあった様に思えた。

 カンナは数歩後退り、それから動揺を押し殺すように苦り切った色を浮かべる。

 

「まさか、この様な場所でお会いするなんて」

「ちょっとカヤと話し込んでしまってね」

「そう、ですか……防衛室に何か用事が?」

「うん、少し――カンナは?」

「私は――……」

 

 先生の何気ない問い掛けに対し、カンナは一瞬言葉を呑んだ。まるで言葉を選ぶように、彼女らしくない、歯切れの悪い声で答える。その視線は、先生ではなく足元を捉えていた。

 

「その、個人的な用事……と呼べるかどうかは、分かりませんが」

「……?」

「いえ、すみません、実質的な業務の一環です」

 

 まるで誤魔化す様に、彼女は両腕を後ろに回し努めて無機質な態度で返答する。今の彼女からは、詮索されたくないと云う感情がありありと伝わって来るようだった。彼女は先生と入れ替わる形で部屋の中に踏み込むと、そのまま振り向く事無く告げる。

 

「また今度、別の場所でゆっくり話しましょう――今は仕事がありますので」

「……わかった、またねカンナ」

「えぇ」

 

 ゆっくりと後ろ手に閉められる扉。先生は遮られていくカンナの背中を、ただじっと見つめていた。

 

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