ブルーアーカイブを、もう一度。   作:トクサン

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誤字脱字報告、ありがとうございますわ~!


泥を掻き分け、掴んだ輝き(泥中の希望)

 

「お疲れ様です、お待ちしておりましたよ――カンナ」

「……はっ」

 

 執務室へと足を踏み入れたカンナを待っていたのは、何処か寒気を感じさせる様な薄ら笑いを浮かべた防衛室長(不知火カヤ)であった。背後から扉の締まる音が聞こえる、同時に一歩、二歩と彼女のデスクへと近付くカンナ。

 足取りは重く、その表情からは葛藤が見え隠れしている。

 カヤは飲みかけの珈琲をデスクに移すと、椅子に勢い良く腰掛けた。ギシリと音が鳴り、彼女は上体を反らしたまま直立不動を貫くカンナに視線を移す。

 

「そんなに緊張しないで下さい、何も貴女を虐めたくて呼んだ訳ではありません、ただの進捗確認ですよ」

「……進捗確認、ですか」

「えぇ、それで、どうでしょう――計画の方は順調ですか?」

 

 計画、その単語が冷ややかな声色と共に飛来した。カンナはゆっくりと唾を呑み込み、それからカヤと視線を合わせる事無く、告げる。

 

「派閥の切り崩しにつきましては、僅かずつではありますが進行しております、現在は体育室、文化室に介入を――人材資源室長と連携して事に当たっておりますので、詳細については紙面で後ほど」

「結構です、ではFOX小隊の足取りについては?」

 

 FOX小隊と約束を交わしてから、既に一週間が経過しようとしている。結局彼女達が約束の場所に現れる事は無かった、あの四名は防衛室の提示した条件を跳ね退けたのだ。

 しかし、カヤはその現実を前にして余裕の態度を崩さない。どちらにせよ、早いか遅いかの違いなのだ――キヴォトスは広大だが、延々に逃げられる筈がない。カイザーと防衛室の手は長く、大きい。

 

「D.U.区画内の警備ドローンや公共施設の防犯カメラに、僅かですがFOX小隊らしき生徒の活動痕跡が散見されました、既にD.U.区画全域に捜査網を敷き、各区画にて捜索を開始しています、そう遠くない内に報告が上がって来るかと」

「ふふっ、順調の様ですね」

 

 打てば響く様な返答に、カヤは上機嫌に頷きを返した。やはり自身の指示通りに動くのは気分が良い。特にFOX小隊に関しては公的な指名手配犯として仕立て上げた為、防衛室の手が及ばない範囲に於いても助力が期待出来る。他自治区に逃げ込んだとしても同様だ、尤も逃げ込む先にアテなど無いと知ってはいるが。

 

「では最後に、『友人達』との公共事業について、進捗は如何でしょう?」

「……それについてなのですが」

 

 最後に掛けられた問い。先の二件と比較すれば、大した業務ではない。単なる地上げだ、ヴァルキューレの公安局、その力を以てすれば容易い事だと見越していた。

 しかし、その考えに反してカンナの歯切れは明らかに悪くなる。カヤはそんなカンナの態度に対し眉を顰め、疑念を滲ませる。

 

「なんでしょう?」

「実は、子ウサギタウンの建設については、少々手間取っておりまして」

「――は?」

 

 その、予想だにしない回答に対し。

 カヤの口から、底冷えすような声が響いた。

 

「……あの周辺には浮浪者が多く、立ち退きに合わせ建物の撤去作業が遅れております、何でも撤去作業に入ろうとすると、何処からともなく現れ襲撃される様でして――本来の進捗予定と照らし合わせると、全体の半分程度に留まっているかと」

「それはつまり、こういう事でしょうか?」

 

 カヤの纏う気配が一変する。その指先が、不機嫌そうに何度も机を叩いていた。乾いたその音が、まるで針の様にカンナの精神を突き刺す。

 

「キヴォトスの治安を担うヴァルキューレ警察学校、その精鋭である筈の公安局が浮浪者如きの立ち退きに苦労している――と?」

「っ……」

 

 それは本来、あってはならない事だ。もし其処らの浮浪者集団に敗北する様な対テロ組織があれば、良い笑いものになるだろう。SRTや各自治区の治安維持組織相当の相手ならば分かる。しかし今回の相手は正規の訓練を受けた訳でもなければ、きちんとした背景を持つ組織ですらない。

 そんな相手に公安局が後れを取るなど――目に見えて険しい気配を纏った防衛室長を相手に、カンナは眉間に皺をよせ、苦し気な様子で釈明を行った。

 

「云い訳になりますが、現在立ち退きを妨害している集団の装備――銃火器が本来の浮浪者とは思えない程に強力でして、弾薬も一体何処から確保しているのかも分からず、現在のヴァルキューレ制式装備では対抗が……」

 

 ヴァルキューレ警察学校は現在、予算不足に悩まされている。それは警備局や公安局であっても同様であり、装備の一新など夢のまた夢。旧式の装備を引っ提げ、何とか業務遂行可能なラインの弾薬を都合しているのが現状だった。

 

 加えてSRTの生徒達も、あの子ウサギ公園に残り続けている。シャーレの先生が彼女達の背後に立っているのは周知の事実だ、大っぴらに動く事は躊躇われた。

 しかし、その弁明に対しカヤは眉を顰め、これ見よがしに肩を竦めて見せる。薄らと開いた瞳が、カンナの内面を覗き込む様に煌めいた。

 

「あら、それはつまり、貴女達の失敗は私の責任であると?」

「い、いえ、その意図な事は決して……失礼しました」

「はぁ」

 

 直立不動で返答するカンナに対し、重い溜息が零れた。それは目前に立つ彼女の精神を揺さぶり、胃が裏返る様な心地になる。コツコツと、苛立ちを孕んだ指先が机を再度叩いていた。ゆっくりと椅子を回転させたカヤは、体を横に向けながら虚空に向かって告げる。

 

「カンナ、私は責任感のある方が大好きです」

「………」

「円滑に物事を運ぶには、私は私の、貴女は貴女の、それぞれの責任を果たさなければなりません」

 

 策謀を練る側と、実行する側。その責任の所在は明確に分かれており、実行部隊の公安局、そのトップに立つ人物が目の前のカンナである。音を鳴らしていた指先が止まり、すっとデスクの縁を撫でるのが分かった。意識せず、カンナの瞳は彼女の指先を追う。

 

「無いとは思いますが、万が一その責任を放棄されてしまうと……そう」

 

 横合いに向けられ、虚空を眺めていたその視線が、じろりとカンナの顔を捉えた。

 

「――どこぞのSRTの様になってしまっても、文句は云えませんよね?」

「っ……!」

 

 その言葉の意味するところを、カンナは良く理解している。

 この計画に万が一にでも失敗があれば、それはカンナ個人の問題ではない。公安局、延いてはヴァルキューレ警察学校全体に及ぶ問題に発展するのだと。

 それは悪事が世に露呈するだとか、そういう話ではない。彼女の計画通りに事を運ばず、意図してだろうと、意図せずだろうと、命令を遂行出来ず彼女の機嫌を損ねる事に問題があるのだ。

 不知火カヤの手が及ぶ範囲は広い、ヴァルキューレの名前をそのままに、何かしらの理由を付けて少しずつ内部の生徒を入れ替える事など、防衛室の長たる彼女にとっては造作もない事の筈だ。或いは、どこぞの(FOX小隊)の様に、あらぬ罪を着せられ捕らわれるか。そう考えると、放逐を告げられた方が、まだ何倍もマシだった。

 背中に冷汗が流れるのを、カンナは自覚する。

 そんな硬直するカンナを前に、カヤは大きく息を吐き出した。

 

「全く、仕方ありません、計画が遅れても面白くありませんし、『利害関係が合う友人』に協力を依頼する事にしましょう」

「っ、それは、つまり――」

「あら、こういう事は最後まで云わない方が『粋』なんですよ?」

 

 唇の前に指を立て、小首を傾げたカヤは悪戯っぽく告げる。しかしその言動に反し、カンナを見つめる瞳は冷徹で、無機質でさえあった。

 パンと、部屋の中に乾いた音が響く。それはカヤが掌を叩いた音だった。

 

「では件の浮浪者についてはお友達にお任せしましょう、公安局は恙なく、私の指示を遵守し計画を進める様に――貴女の責任に於いて、ね?」

「……はっ」

 

 ぎしりと、カンナは従順な返答を装いながら、奥歯を噛み締めた。目の前のカヤがその葛藤に気付いた様子はない。気取られるよりも早く、カンナは小さく頭を下げ踵を返す。

 

「……失礼します」

「えぇ、朗報を期待していますよ、カンナ」

 

 扉の影へと消えていくカンナの姿。両開きの扉が完全に閉まり、その背中が見えなくなった後、カヤは取り繕う事無く脱力し、憂う様に首を振った。

 

「はぁ、全く……確り動いてくれる部下が少ないと寂しいですねぇ、優秀な人材には優秀な部下が必須であると云うのに、FOX小隊がすんなりと降ってくれたのなら、こんな苦労はせずに済んだのですが」

 

 軽く小言を零しながら、カヤはぐるりと椅子を一周させる。まぁ、尤もそれも時間が解決してくれるだろう。多少面倒はあるが、計画自体は順調に前進しているのだと、カヤはあくまでポジティブに捉える。

 自分はゆっくりと計画の細部を詰め、来る瞬間に備えれば良い。事が始まる頃には、FOX小隊も自身の掌に堕ちている事だろう。

 その為にも、彼等との協力関係の構築は必要不可欠だ――そう考え、カヤはデスクの上に放られていた端末を手繰り寄せ、画面を数度タップする。そして端末を耳に当てると、数秒の間鳴り響くコール音に耳を傾けた。

 間もなく、コール音は途切れる。

 

『――これはこれは、防衛室長、一体どうしたのかね?』

 

 電話口の向こうから聞こえて来たのは、微かな電子音の混じった、低い機械音声だった。カヤは笑みを湛えた、ままゆっくりと含む様に口を動かした。

 

「実は、少々人手を回して欲しい案件がありまして……以前、カイザーの部隊を回して頂けると仰っていたではありませんか、その言葉通り部隊をお借りしても?」

『あぁ勿論、他ならぬ仲間の為だ、協力は惜しまないとも』

「ふふっ、話が早くて助かります――それでは、部隊を動かして欲しい場所についてなのですが」

 

 カヤが具体的な内容を口にしようとして、しかしそれよりも早く通話の相手――将軍(ジェネラル)は云った。

 

『察するに、部隊の派遣先は子ウサギタウンの周辺かな?』

「――あら」

 

 その一言に、カヤは純粋に驚きの声を漏らした。内心に滲むは驚愕と感心、そして微かな信頼。口元の笑みを深くしたカヤは、背凭れに預けていた上体を起こし告げる。

 

「流石カイザーの情報部、既に掴んでいましたか」

『当然だとも、元々我々が共同して行う計画だ、何やらヴァルキューレの方で立ち退きに苦労しているらしいと、つい最近小耳に挟んでね』

「えぇ、浮浪者如きが一体何処から銃器を調達しているのか、まぁどうせ碌な手段ではないのでしょうけれど」

『――くくっ、全くだな』

 

 カヤの不満げな言葉に、ジェネラルは軽薄な笑い声を返した。言葉は同調を示すものだが、内心は全くの逆である。何せ彼女達が手を焼いている浮浪者集団について、カイザーは心当たりしかないのだから。それを内側に覆い隠し、彼は言葉を続ける。

 

『大方ブラックマーケットか何かで安価な火器を買い付けているのだろう、裏社会では良くある事だよ、防衛室長』

「粗製のハンドメイドガンやゴーストガンで公安局が撃退出来るとは思いませんが……報告では強力な銃火器との事でしたし、それに資金源も不透明、浮浪者集団ではなく、武装テロ集団か何かの間違いではと、正直疑りたくなりますね」

『だとしても我々カイザーPMCに掛かれば問題はない、子ウサギタウン周辺の浮浪者については私達が直々に対処しようではないか』

「あら、宜しいのですか?」

『この程度は簡単だとも、是非任せて欲しい』

 

 ジェネラルは公安局を撃退した浮浪者集団に対し、あくまで強気な態度を崩さない。元々カイザーPMCという民間軍事会社を保有する企業である、資金力も、統率力も、公安局に劣らないという自負があるのだろう。彼の言葉からは、その自尊心がひしひしと伝わって来た。

 

『――連中の組織名は確か、【所確幸】とか云ったかな? 数日もすればD.U.から連中は消えているだろう』

「……流石はカイザーグループ、ヴァルキューレにも見習って欲しい位ですね」

 

 その情報力も、統率力も、単純な武力でさえ、これこそ本当の意味で武器と呼べる存在だろう。彼らはカイザーコーポレーションのトップであるプレジデントの手足となって動く存在であるが――こうも優秀な姿を見せられると、少々羨む気持ちも湧く。

 

『代わりと云っては何だが、防衛室長』

「何でしょう? 今回の一件、働きに見合った報酬はお支払いしますよ?」

『そこに関しては信用しているとも、防衛室の財源に不安は無い、話はその後の事だ、現在のヴァルキューレ制式装備、その新調の件だが――』

「あぁ、その件ですか」

 

 ジェネラルの言葉に、カヤは小さく頷きを返す。

 ヴァルキューレ警察学校の装備に関しては、カヤとしても思う所があった。何せ現状自身の手足となって動く組織だ、貧弱な装備のまま戦わせる事に辟易としていたのは彼女とて同じである。故にそれに対する手は、前々から用意していた。

 

『カイザーインダストリーの方で用意した装備だが、全て購入という事で良いのかね?』

「勿論です、漸く予算が降りましたので手筈通りに事を運んで下さい」

 

 問い掛けに答える声は上機嫌だった。漸く自身の努力が実を結んだのである、カヤは弾んだ声色で言葉を続けた。

 

「丁度良く何処かの特殊学園に振られていた予算が浮いておりましたからね、その確保には少々手間取りましたが、その甲斐あって公安局の装備も買い替えが出来そうです、まぁその為に態々急ぎ手を回して在校生を受け入れたのですから、これ位は融通して頂かないと」

『ククッ、良く云う、単純に優秀な手駒を増やす為でもあるのだろう?』

「一石二鳥、というものですよ、ジェネラル」

 

 ――二兎を追う者は一兎をも得ず、等と云いますがそれは凡人の考えです。真に偉大な存在というものは二兎を追い、二兎を手に入れるのですから。

 

 カヤはそう告げ、笑い声を零す。自身にはそれを為す能力も、才もあると自負していた。ましてやただ一人、自身が敵わぬと仰いだ『あの人』を欠いた組織など。

 

(RABBIT)も、(FOX)も、或いはその(SRT)も、ね?」

『あぁ、実に頼もしい言葉だ』

 

 感嘆の声を、ジェネラルは素直に送った。

 今はまだ行政委員会の防衛室という一部門の長に過ぎない、しかし彼女が連邦生徒会長と成った暁には扱える権限の範囲も、予算の額もまた跳ね上がる。

 其処から生まれるのは連邦生徒会長カヤと、カイザーグループによる蜜月の日々だ。

 カイザーは見返りに莫大な利益を。

 カヤはカイザーの助力を得て確かな権力と名声を。

 それぞれ己の望むものを手に入れる事が出来る。

 互いが協力し合えば、決して不可能な未来ではない。

 そんな明日を想い、カヤは恍惚とした表情を浮かべた。

 

「予算が組め次第、不足分の装備も買い付ける事になるでしょう、そうでなくとも私達は一蓮托生――今度とも是非良い関係を」

『あぁ、勿論だとも防衛室長――互いの利益の為に、な』

 

 ■

 

「はぁ……」

 

 一歩一歩、前へと進む。

 その足取りはあまりにも重く、鈍かった。

 思考を過るのは先程防衛室長である不知火カヤと交わした言葉の数々。公安局局長であるカンナは公安局の事務所へと戻る道中、外気との気温差で薄らと靄の掛かった硝子を横目に、ぽつりと独り言を漏らした。

 

「――私は、こんな事をいつまで続けるんだ」

 

 ヴァルキューレの理念に、掲げた正義に背いた行い――悪事。

 そう、悪だ。

 自身は今、悪の片棒を担いでいる。

 否、片棒どころの話ではない。肩まで汚泥に浸かり、最早抜け出そうと足掻く事もなく、諾々と全てを受け入れているだけの毎日。そんな現実に目を向けると、途端に全身が鉛の様に重くなり、ぐっと臓物を押し上げられた心地になる。

 しかし、そんな姿を部下に見せる事も出来ず、事務所へと戻ったカンナは苦り切った感情を飲み下し、背筋を正した。

 扉に手を掛け、押し開けると――その音に気付いた人影が声を上げる。

 

「あ、お帰りなさいっす、姉御!」

「……副局長だけか」

 

 デスク周りに見受けられる生徒はただ一人、公安局の副局長、コノカのみだった。

 彼女は着崩したアロハシャツに、最早つけている意味がない程に緩めたネクタイを垂らしている。羽織ったヴァルキューレ警察学校の制服はずり落ち、中からシャツの裾が飛び出していた。

 明らかに公安局に在籍する生徒には相応しくない装いだ。加えて彼女の肩書が公安局副局長となれば、尚の事。

 しかし、現実として彼女は公安局のナンバー2であり、相応の実力もある。そうでなければそもそも、ヴァルキューレ警察学校の中でも公安局に配属される事はない。彼女は掛けていた椅子から立ち上がると、喜色を滲ませながらカンナの元へと小走りで近付いて来る。

 カンナはそんな副局長の姿を一瞥しながら、がらんとした室内を見渡した。周囲は静寂に満ちており、聞こえて来る音と云えば空気清浄機の稼働音程度。コノカは口元のマスクを下にずらすと、「どうしたんすか?」と問いかける。

 

「他の面々はどうした、私が出る前は数人残っていた筈だが」

「あー、ついさっき全員出払っちゃいました、最近妙にお上からの出動命令が多くて、あっちもこっちもてんてこ舞いって感じっす」

「そうか……」

「もー、近頃は予算だって削減されているのに、業務時間は増えるばっかりで嫌になるっすねぇ」

 

 げんなりした表情でそう苦言を呈するコノカは、「あ、因みに留守中に来た書類は、デスクに置いといたんで!」とカンナの席を指し示した。そこには平積みにされた幾つかの紙の束がある。カンナはそれを見下ろすと小さく、コノカに分からない程度に嘆息した。

 捌いても捌いても仕事は中々減らない、公安局長等と云う肩書を背負ってからは、特に。

 

「こういう時、副局長はいの一番に出動するものだと思っていたがな」

「ん~、まぁ、普段ならそうなんすけれど……というか事務所の中で書類と睨めっこするのが好きな奴なんて、そうそういないっすよ? 姉御だって、実際はそうっすよね?」

「仕事に好悪を持ち込むな、やるべき事をやれ――仮に、それが嫌悪の対象であってもな」

 

 僅かに、翳りのある声だと思った。

 自身のデスク、その上に積まれた書類を手元に広げながら椅子に腰掛けるカンナ。そんな自身の上司を見下ろしながら、コノカは彼女の横に佇む。相変わらず強面で、睨みつける様な眼光。その中に、コノカはいつもと異なる色を感じ取った。

 それは微細な感情の揺らぎ、コノカは数秒何か考え込む様子で、マスク越しに顎先を撫でると、徐に口を開く。

 

「姉御、また何かあったんっすか?」

「………」

 

 その一言に、カンナの眉間に皺が寄るのが分かった。

 普段から強張った顔で、その執念深さと恐ろしさから狂犬とまで呼ばれるようになった彼女。後輩からは何かと恐れられているが、しかし、その内に秘めた理想、信念は良く知っている。伊達に彼女の下に付いて、副局長として活動して来た訳ではない。

 コノカはデスクに寄り掛りながら、努めて軽い調子で云った。

 

「隠したって無駄ですって、大体察していますもん、他の連中が居る時なら兎も角、今はあたしだけなんすから」

「………」

「それに、あたしも姉御程じゃないですけれど、副局長権限で閲覧可能な資料はありますし? お上――防衛室の狸が何を考えているかは、大体分かるってモンです」

「……それ以上はやめておけ、事務所内とはいえ何処に耳があるか分からない」

「ありゃ、じゃあ今のは聞かなかった事に」

 

 ――どこぞのSRTの様になってしまっても、文句は云えませんよね?

 

 まるで怖いモノなどないと、ペラペラ舌を回すコノカに対し、カンナは重々しい声で釘を刺した。つい先程、防衛室長から聞かされた言葉が未だ彼女の中で燻っていたのだ。彼女は宙に浮いた存在とは云え、SRTを閉鎖に追い込んだのだ。あの言葉が、単なる脅迫や法螺であるとは思えなかった。

 

 カンナは公安局局長ではあるが、公安局内部であっても、全てが全て自身の把握している範疇にあるとは考えてない。自分の知らない場所で、知らない誰かが、此方を監視ていたり、シンパイザーとして活動していても驚きはない。不用意な発言は、控えるべきであった。

 そんな事ばかり気に掛けているからだろうか、最近は疲れも取れないし、妙に体が怠く感じる。背凭れに身を預けた彼女は、辟易とした様子を隠さず呟いた。

 

「それにな、愚痴を吐いた所で現実が変わる訳でもない、為すべき事を為す……私達はそれで良い」

「――その為すべき事に対して、納得いかねぇ~! って顔しているのにっすか?」

 

 ぐん、と。

 直ぐ真横に、コノカの疑念に満ちた瞳が迫った。

 その勢いに思わず仰け反り、面食らったカンナに対し、彼女は唇を尖らせる。そこにはコノカの秘める不満や鬱憤が、目に見える形で滲んでいた。

 

「姉御、いつも仏頂面ですけれど結構分かり易いっすよ?」

「………」

「特に最近は、いつにも増して酷いし、こんなの、姉御らしくないですって」

 

 それは叱咤か、それとも単なる苦言か。その、自分らしさに言及する言葉に対し。

 カンナは黙り込んだまま、静かに拳を握り込んだ。掴んでいたペンが軋み、カンナの耳が微かに震えるのが分かった。

 

 確かに、コノカの云っている事は正しい。自身は防衛室より出された要請、指示に対し納得がいっていない。自身が云った通り、嫌悪すらしている。

 自分らしくないと云えば、そうなのだろう。

 為すべき事を為す、しかしその為すべき事は、自分が憧れていた理想の行いとはまるきり逆の事で。

 その現実に辟易とし、感情を抑制され、不満を抱く事は当然とも云えた。

 

 しかし、感情や信念だけで動く事は、余りにも軽挙で無責任だとも思えた。

 自分一人ならば良いだろう、ただ一人勝手に破滅するのであれば、それは自身の不適切な行いな結果と受け入れられる。

 しかし、自身の下にはこんな己を信じ、付いて来てくれた部下達が居る。事は既に尾刃カンナひとりが処罰されれば終わる話ではなく、何も知らず、ただ目の前の職務と向き合って来た部下でさえ、巻き込まれる状況だった。

 その事実が、中途半端な立ち位置と現状が、今の彼女を作り上げ、その四肢に楔を打ち込み、身動きを封じているのだ。

 カンナの目には、その楔と繋がれた鎖が、目に見える形で存在していた。何か動こうとする度、決意を抱こうとする度、ジャラジャラと存在を主張し、その先にある暗闇を見せつけて来るのだ。

 鎖を持つ人物は一人――ただの一人。

 その不安や恐怖、汚泥に塗れるしかない己に対する失望と絶望を、コノカは知らない。

 ペンを握り締め、じっと紙面を見下ろすカンナは――腹の底から絞り出したような、血の滲む声で呟いた。

 

「仮に」

「……?」

「仮にそうだとして、私に……公安局に、何が出来る」

 

 カンナは懸命に、自身の中にある感情を爆発させぬよう、堪える様に吐き捨てた。

 声は震えていたが、それは彼女なりの優しさ、その発露だった。

 自分はヴァルキューレ警察学校の公安局という一部門の長に過ぎず、その上には連邦生徒会と防衛室が存在する。全ての責任を負える程の立場ではなく、全ての方針や意向を決定する権限もない。自身に存在するのは、どこまでも中途半端な肩書と権限だけだ。

 いっそ、何も知らず盲目的に目の前の事件を、公務を追い続けられたのなら幸せだっただろうか。或いは全てを背負える権限が、立場があったのなら。あらゆる可能性を考える、けれどそれは所詮、『もしも』の話であり、決して現実ではない。

 

「答えろ、副局長」

 

 俯いていたカンナの鋭い眼光、その双眸がコノカへと向けられた。

 身震いする様な威圧感と重圧、それを真正面から受けながらコノカは平然と佇む。その雪の様な白が混じった瞳が、冷静に此方を見下ろしていた。

 

「今の私に何が出来る? 我々は公的な規則に従い、公正であるべきだ、それが本来あるべき姿であり、ヴァルキューレの理念だろう――だが、それは所詮理想だ、それを追い求め、自身の信念に殉じれば、文字通り全てを失う」

「………」

「そんな状況で、一体何が出来る?」

 

 コノカとて、理解している筈だ。

 副局長という立場から、どれだけ現場が妥協と忖度に塗れ、掲げる理念と程遠い場所か。

 自分達が見上げた理想は、余りにも遠く、昏い。

 そんな立場で、状況で、自分達に何ができるというのか? そんなカンナの問い掛けに対し、コノカは大きく息を吸い込むと、云った。

 

「――さぁ?」

 

 気が抜ける程に軽妙で、投げやりな云い方だった。

 肩を竦めながら返された、あまりにも軽い返答に対し、カンナは一瞬で毒気を抜かれた。

 暫し呆然としていた彼女だが、ややあって苦々しい表情と共に、彼女のその軽薄さを咎める。

 

「さぁって、何だ、そのいい加減な返答は……」

「だって分からないんですもん、そもそもアレコレ頭回す事はあたしに合わないっすよ! 怠すぎますもん!」

「………」

 

 彼女の口から発せられる正直する過ぎる訴えに対し、カンナは頭が痛いとばかりにデスクに肘を突き、額を指で押し込んだ。

 副局長の人柄は良く理解している、故にその言動そのものに対し違和感はない。しかし、もっと云い方はあるだろうとか、取り繕う努力位はしろとか、そう指摘したくもなった。そんなカンナの胸中など知らず、コノカは腰に手を当てると、ふんふんと鼻息荒く自身の主張を高らかに叫ぶ。

 

「ただあたしは、仏頂面でも我が道を往く! って感じの姉御に付いて行きたいだけなんすよ、滅多に自分の事とか喋らないですけれど、姉御のそういう所に惚れ込んでいる局員、結構多いんすよ?」

 

 カンナはヴァルキューレ内外に於いて、狂犬の名で恐れられているのは事実だろう。けれど同じ位、その内面や性格を知る者からは慕われているのも事実だった。

 

 知らなかったでしょ、とでも云いたげにコノカは笑った。その溌剌とした笑みが、能天気とも云える性分が、カンナから見れば煩わしくもあり、悩みの種でもあり、同時に羨ましくもあった。

 ふっと、苦笑を零し、釣られた様に笑ったカンナを見て、コノカは胸を張る。

 

「ま、あたしが姉御の毒抜きって云うのは、流石に力不足も良いところなんで……」

「――?」

 

 ずいっと、彼女はポケットに入れていた携帯端末をカンナの目前に突き出す。ヴァルキューレより支給された連絡用端末ではなく、私用の着飾ったソレ。突き出された画面を一瞥しながら、カンナは困惑の色を滲ませた。

 

「何だ、これは」

「姉御の悩みを吹っ飛ばせる、とっておきの助っ人を呼んでおきました!」

 

 にこやかに、ぺかーっという効果音さえ聞こえてきそうな程眩い笑顔で告げるコノカに対し、カンナは何となく嫌な予感を覚えた。少しずつ怪訝な表情へとシフトし、恐る恐る問いかける。

 

「……呼んだって、誰を?」

「シャーレの先生っす」

「シャーレの先せ――……はぁッ!?」

 

 思わず、自身でも制御できない、焦燥に塗れた大声が出た。

 慌てて彼女の突き出した携帯端末を手に取り、画面を注視すれば――開いたモモトークのトーク画面が飛び込んで来る。連なる履歴を遡れば、先生とのやり取りが表示されていた。

 

『先生! ちょっと時間貰っても良いっすか!?』

『どうしたの、コノカ?』

『姉御が至急相談したい事があるとの事でして』

『相談?』

『はい、めっちゃ大事な相談らしいっす!』

『シャーレに戻る途中だったから、すぐ行くよ、待っていて』

『ありがとうございます! 公安局の事務所入り口で姉御が待機していますので! よろしくお願いします!』

 

 画面を凝視しながら震える指先でトーク内容をなぞるカンナ。それからゆっくりと顔を上げた彼女は、信じられないと云った様子で唇を開閉させる。

 その表情は赤く紅潮したり、蒼褪めたり、怒っているのか、照れているのか、喜んでいるのか、悲しんでいるのか、どうにも判断が付かなかった。

 ややあって、カンナは辛うじて言葉を絞り出す。

 

「ちょ、コノカ、お前……っ!」

「あははっ! めんどい仕事は私に任せて、カンナの姉御は先生とゆっくりお茶でも――って事で!」

 

 ビッ、と軽々しく指二本で敬礼し、そのままスルリとカンナの手の中から端末を回収したコノカは、自分のデスク脇に立て掛けていた愛銃を肩に掛け、事務所の出入り口へと小走りで駆けて行く。振り返った時に見えたその表情は、満面の笑みだった。

 

「それじゃ、あたし先に片付けないといけない業務があるんで、今直ぐ出て来るっす~!」

「ま、待てコノ――副局長ッ!」

 

 椅子を蹴飛ばす勢いで立ち上がるが、それよりも早くコノカは部屋を後にする。閉まった扉越しに、「あっはっは~!」と楽し気な笑い声が廊下に響いていた。

 

「……っ~!」

 

 一瞬、その背中を追って一発でも後頭部を叩き、先生に謝罪と断りの連絡を入れたい衝動に駆られるが、アレでも身体能力は折り紙付き。恐らく全速力での逃走劇を繰り広げれば、数時間は意地でも逃げ回る事だろう。最終的に捕まえる事は出来るだろうが、時間が掛かり過ぎる。

 先生への連絡は既に済ませてしまっていた、つまり現在進行形で此処に向かって来ている訳だ――多忙な先生の時間を奪ってしまった以上、下手な対応は出来ない。此方の端末からメッセージを送っても、先生の事だ、心配して様子を見に来る位の事はする、その確信があった。

 つまり、この時点でカンナが取れる選択は一つだけ。

 

「くそっ、覚えていろ副局長……!」

 

 カンナは小さく悪態を吐き、それから平積みにされた書類に手早く目を通す。コノカがこんな事を仕掛けた以上、緊急を要する案件が無い事は分かっていたが、それでも念の為自身の目で確かめ、それからデスクの引き出しからコンパクトミラーを取り出し、軽く身嗜みを整える。

 つい先程、防衛室前で顔を合わせたばかりだが――殆ど無意識の所作だった。

 

「……よし」

 

 血色や隈に関してはどうしようもない、代わりに改善できる点は拘る。カンナは髪と服装を細部まで正し、それから席を立った。

 また今度と挨拶を交わしたばかりだった手前、間を空けず顔を合わせる事に気恥ずかしさもあったが、しかしそれでも部屋を後にするカンナの表情には――薄らとした笑みが浮かんでいた。

 

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