ブルーアーカイブを、もう一度。   作:トクサン

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誤字脱字報告、大変感謝致しますわ~!


目に見えずとも、寄り添う影は。

 

「――ん?」

 

 いつも通り、執務室にて募った書類を片付けながら珈琲を啜っていた所、脇に置いていた端末が振動し、画面が点灯した。表示される名前は無く、小さく嘆息したカヤはペンを脇に放り、端末を手に取って画面をタップする。

 

「はい、此方防衛室」

『私だ、防衛室長』

「……これは、ジェネラル」

 

 電話を掛けて来たのはカイザーPMCのジェネラル。

 カヤはちらりと扉の方を一瞥すると、人の気配が無い事を確かめ椅子を回転させる。扉に背を向けたまま、彼女は淡々とした口調で問うた。

 

「防衛室に何か用件でも? あぁ、もしかして子ウサギタウンについてでしょうか、あちらに派遣した部隊に問題でも――」

『いや、その件であれば、派遣部隊は恙なく任務を遂行するだろう、特に問題はないとも』

「あら、では一体……?」

 

 カイザーコーポレーションと進めるべき話は、既に粗方片付いている筈だ。他に何か連絡を必要とする事柄はあっただろうか。カヤは頬に指先を添え、天井を見上げながら思案するも、それらしい内容は浮かんでこない。そんな彼女を他所に、ジェネラルは一瞬間を置き、それから慎重な声色で云った。

 

『防衛室長……率直に問うが、連邦生徒会に全体会議の招集を掛けられるかね? 議題は何でも構わん』

「は、招集ですか?」

 

 電話の向こうから唐突に問い掛けられたそれは、カヤにとっては思いもよらない事であった。目を瞬かせ、微かな困惑時滲ませる彼女に対し、ジェネラルは言葉を続ける。

 

『そうだ、総括室の首席行政官、行政委員会の各室長、主要役員が集まる場を設けて貰いたい』

「それは……」

 

 カヤは言葉を呑み込み、咄嗟に思考を巡らせる。可能か不可能かで云えば、可能だ。正直に云って、防衛室のトップである彼女からすればそれ程難しい要請でもない。しかし、同時に余りにも唐突で、脈絡のない事の様に思えた。

 

「普段の定例会議もありますし、招集自体はそう難しい事ではありませんが――理由を伺っても?」

『我々の計画に必要な事だ、一時的に連邦生徒会の視線を我々から逸らす必要がある』

「それは……此方からの隠蔽工作では、不安が残ると?」

『そうではない防衛室長、兎角これはプレジデントからの要請だ、私は単なるメッセンジャーに過ぎないのだよ』

「――プレジデントからの」

 

 その一言に、カヤはまた一段と空気を張り詰めさせる。

 つまりこれはジェネラル、延いてはカイザーPMCのみならず、カイザーコーポレーション全体に関わる案件という事だろう。そうなると、水面下で何か大きな計画、或いは意図がある筈だと思った。

 暫くの間逡巡していたカヤであったが、ややあって電話越しに頷きを零す。

 

「分かりました、他ならぬプレジデントからの要請であれば、此方で手配しましょう、日時に希望は? 流石に即日開会というのは難しいですし、ある程度時間的余裕は欲しいのですが――」

『無論だとも、カイザーコーポレーションとしても準備がある、今直ぐにとは云わんよ――だが、そうだな』

 

 一拍、間が開いた。

 

『明日の正午、と云えば問題は無いかね?』

「明日、ですか」

 

 その返答を耳にしながら、ちらりと時計を見る。

 時刻は丁度二十一時を回った所、もう直ぐ夜も本格的に深まる。まだ日付こそ変わっていないが、既に帰宅している生徒も多い時間帯だった。

 今から明日の正午に全体会議の招集を掛けたとして、恐らく開会に繋げる事は出来るだろう。しかし急な事に変わりはなく、各役員のスケジュールによっては欠席も予想される。開会の名目は幾らでも思い浮かぶが、役員のスケジュールばかりはどうしようもない。額を指先で掻きながら、カヤは難しい表情を浮かべた。

 

「分かりました、しかし何分急な事なので、全役員が揃うかどうかまでは約束しかねます」

『構わん、役員全員揃う場とは云ったが、最悪の場合、首席行政官が出席していればそれで良い』

「……首席行政官、ですか?」

 

 困惑の呟きが漏れる。いまいち、意図が読めなかった。しかし、他の役員ならば兎も角、連邦生徒会長代理となる首席行政官は、必ず出席する事になるだろう。そういう意味で、彼女が目を逸らす状況というのであれば正しいのだろうが。

 

『――では、また明日、頼んだぞ防衛室長』

 

 告げ、一方的に切られる電話。等間隔で鳴り響く電子音、訪れる静寂を前に、カヤは握り締めた端末を一瞥する。

 

「何とも、奇妙な話ですね」

 

 こんな時期に、一体連邦生徒会から何故視線を逸らす必要があるのか。子ウサギタウンの再開発、その目途は立った。浮浪者集団の追い出しが順調ならば、近く解体作業も進むだろう。ヴァルキューレ警察学校にも以前購入した銃火器が順次届き、配備が進められている。時間は自分達の味方、近い内にFOX小隊の補足も叶う筈だ――カヤからすれば、後は満願成就の時を待てば良い。

 しかし、カイザーコーポレーションは独自に何らかの動きを見せようとしている。

 

 ――今回は、人材資源室長に連絡を回しますか。

 

 暫し沈黙を守った彼女は、端末を操作し連絡先から人材資源室長の名前を探し始めた。明日は防衛室経由ではなく、人材資源室経由で全体会議を招集して貰おうと考えたのだ。

 カイザー側の意図は分からないが、今現在全体会議を招集するとなると、それらしい舞台を整える必要がある。協力的な室長もそうだが、あの部署は色々な意味で特殊であり、制御し易い役員が揃っている。多少焚きつければ、もっともらしい場を整える事は容易であった。

 こういう時の為に工作を行っていたのだ、存分に活用せねば勿体ない。端末に表示される名前、響く電子音を耳にしながらカヤは呟く。

 

「疑われる事はないでしょうが――念には念を、ですね」

 

 ■

 

「それでは先生、そろそろ出立します」

「うん」

 

 早朝、シャーレオフィスにて。

 見慣れたオフィスに、完全武装のFOX小隊が四名、整列し佇んでいた。彼女達は装備の調達や整備を済ませ、コンディションも十全、各々が最終確認を終え出立を迎えようとしている。

 ユキノは鞄を背負い直したり、最後に銃火器の調子を確かめる隊員達を尻目に、愛用の端末を操作しながら画面を先生と共有し口を開く。

 

「一応事前にお伝えしていたルートを通る予定ですが、ヴァルキューレやカイザーグループの検問、巡廻などがあった場合、迂回して自治区に向かう事になるでしょう、予備のルートは五ヶ所、その場合は一報を入れますので、遅くとも明日の朝には、ポイントに到着する筈です」

「分かった、自治区内のセーフハウスは――」

「位置情報から内部に入る手段まで、既に万全です」

「良かった、多分今は誰も居ないと思うから」

 

 凛然とした態度を維持したまま、小隊の移動計画を話すユキノ。先生がセーフハウスについて言及すると、ピクリとFOX小隊全員が怪訝な表情を浮かべるのが分かった。目を瞬かせる先生に、ユキノは若干強張った声色で問う。

 

「……先生以外に、誰か利用者が?」

「え? あー……まぁ、偶にね」

 

 ユキノの口調には、どこか問い詰める様な気配があった。先生はその空気に気付きながら、ぎこちなく頷きを返す。途端、防弾盾を担いでいたクルミがユキノの脇を通り、ずいっと距離を詰め、先生の胸元を指先で突き、云った。

 

「ちょっと先生! もしかしてだけれど、色々な生徒にセーフハウスの位置とか存在、バラしていたりしていないでしょうね?」

 

 此方を見上げるクルミからは、怒りの感情が見て取れた。語気を強めた彼女は、まるで危機管理能力に欠如している相手を説き伏せる様に、セーフハウスの重要性を語る。

 

「この手の避難所は、限られた範囲で運用しないと意味が無いのよ? 困っている生徒を助けようとするのは結構だけれど、本当に危険な時の避難先を一つや二つ持っておかないと、痛い目を見るのは先生自身――」

「いや、えっと、待ってクルミ」

 

 懇々と語るクルミに対し、先生は慌てて手を突き出し、首を振った。

 そもそも広く認知されたセーフハウスに意味など無い。文字通り安全な家とは、限られた人物のみ知るからこそ秘匿性と安全性が保たれるのだと。

 シャーレの事だ、よもやセーフハウスまで公共施設の如く開放しているのではないかと疑られていたが、流石にそこまで考えなしではなかった。

 先生は片目を開き、怪訝な色を隠さず此方を見上げるクルミに対し、へらりと締まりのない顔で告げる。

 

「その辺りは大丈夫なんだ、このセーフハウスの存在を知っているのは、君達と、後はもう一組だけだから」

「……そう、なら良いわ、私達が居なくなるんだから、身の回りには十分気を付けなさいよ? 此処のセキュリティ、本当にびっくりする位緩いんだし――その、私たち以外のもう一組は信頼出来るのよね?」

「勿論」

 

 クルミの問い掛けに、先生は力強く頷いて見せる。

 数秒、沈黙を守った彼女であったが、「そう」とだけ呟き、腕を組んだまま嘆息する。彼女達もシャーレに身を寄せて既に一週間以上が経過しているが、正直に云って此処のセキュリティ周りはSRTの基準に照らし合わせると、論外だ。

 学生証を持っている生徒であればオフィスまで簡単に侵入出来るし、そうでない生徒であっても一部居住区や施設の利用が認められている。食堂やシャワールーム、休憩室などはそれの最もたるものだろう。

 

 これは先生の方針によるもので、困った生徒がいつ、どんな場合でもシャーレで休める様にと配慮したものだった。学籍情報を持たない生徒であっても、居住区画の一部施設にはアクセスできる。勿論先生の許可があれば、オフィスの利用も可能だ。

 

 しかし、これが同時にシャーレ全体のセキュリティに悪影響を及ぼしているのも事実であった。何せその気になれば、先生の居る部屋まで一直線で向かえてしまう。学生証を持つ生徒ならば誰でも、持たない生徒であっても多少頭を使えば可能だ。

 理念としては共感するし、素晴らしいとも思う。しかし護衛する側の立場からすると、少々危険すぎると苦言を呈したくもなる。

 愛銃を詰め込んだ巨大なガンケースを担いでいたオトギは、そのケースを地面に立て、寄り掛る様にしながら首を振る。

 

「まぁ、困った生徒の避難所としては正しいんだろうけれどさ、護衛する側としては、ちょっと不安になるよねぇ、シャーレって」

「先生の方針ですから、可能な限り尊重したいとは思いますが、先生に何かあってからでは遅いので……」

「うん、ごめんね、近い内に何か対策を考えてみるよ――でも、万が一の時はRABBIT小隊の子達も居るから」

 

 オトギとニコが溜息交じりにそう軽口を叩けば、先生は頬を掻きながら申し訳なさそうに云った。

 セキュリティ上良くない事は重々承知しているが、こればかりは性分であり、先生のスタンスに関わる。出来得る限り対策を考えては見るが、取りこぼしを厭う以上、それ程大きな変化は生まれないだろう。

 それに自分には様々な面で助けてくれる生徒達が居る。彼女達の助力を前提に考えている訳ではないが、心強く思っているのは確かだ。自分を支えてくれる誰かが居るという事実は、精神的に大きな意味があった。

 そしてその中には勿論、RABBIT小隊の皆も含まれている。

 

「素質があるのは認めるけれど、あの子達もまだまだよ、圧倒的に経験が足りていないわ」

「それは、これから積んでいくものだよ」

 

 RABBIT小隊に言及すれば、クルミはそっぽを向きながら、「ふん」と唇を尖らせた。彼女からすれば、現在のRABBIT小隊はまだまだ自身の理想とする基準に至っていないらしい。尤も、まだ一年生で、中途半端なカリキュラムで現在に至る点を鑑みれば、仕方ない面も多い筈だ。

 妥協を良しとしない点は、ある意味SRTらしいとも云える。

 

「……そう云えば先生、今日もRABBIT小隊のキャンプに?」

「うん、一応向かう予定だけれど――」

 

 ふと、ニコがその様な問いを投げかけた。先生は頷きを返し、肯定する。数日と間を空ける事無く様子を見に云っている点から、予想は難しくないだろう。先生の言葉を聞いたニコは、ぱっと笑みを浮かべると、何やら鞄を漁り始めた。

 

「丁度良かった、それならこれを皆に渡して下さい」

 

 そう云うや否や、手に提げていた鞄の中から紙袋を取り出すと、先生に差し出す。先生は差し出されたそれを受け取りながら、疑問符を浮かべニコを一瞥した。

 

「これは?」

「お稲荷さんです」

 

 彼女の云う通り、紙袋の中を覗けば少し大きめの升とでも表現すれば良いのか、木製の器に並べられたお稲荷さんが見えた。器の中には笹の葉が敷き詰められており、上部はラップで包まれている。それが重なり、三つ程――一つの器に九つのお稲荷さん、全部で二十七個、量としては十分だ。

 

「私が作ったんです、折角だからD.U.を離れる前に渡したくて」

「これを、RABBIT小隊の皆に?」

「はい」

 

 頷き、微かな寂しさを覗かせ微笑む彼女は、公園で奮闘する後輩達を想い言葉を続けた。

 

「今、私達の存在を知らせる訳にはいきませんが、これで少しでもFOX小隊の想いが伝わればと、そう思って」

 

 言葉は短くあったが、そこに込められたニコの想いは多岐に渡る。FOX小隊はその立場上、彼女達の前に姿を現す事も、存在を知らせる事も出来ない。それを為せるときは、黒幕との対峙が決定的になった瞬間か、どうしようもない緊急時のみだろう。もしくは、全てが終わりを告げた時か。これはFOX小隊なりの思い遣りであり、同時に周囲の目を欺く為に必要な事だった。

 しかし、それでもニコは母校を失い、たった四人で奮闘する後輩達をただ見ているだけでは居たくなかった。冤罪とは云え、自分達の名前によってSRTが閉鎖になったという負い目もある。頻繁にあった訳ではないが、訓練で何度か振る舞った手料理――このお稲荷さんは、彼女なりのエールであり、秘めた想いの一欠けらを伝える手段だった。

 先生は受け取った紙袋を暫し見つめ、それからゆっくりと頷きを返す。

 

「分かった、任せて」

 

 受け取った紙袋を大事に抱え、先生はニコの願いを承諾した。これは自身が責任を持って、RABBIT小隊の元へと届けようと。「ありがとうございます」と、ニコは小さく頭を下げた。二人のやり取りを見ていたユキノは目を閉じ、小さく息を吸い込むと、それから腕時計に視線を落とし、告げた。

 

「時間だ――FOX小隊、出立するぞ」

「了解」

 

 ユキノの号令に全員が顔を上げ、装備を担ぎ直しオフィスを後にする。

 時刻は早朝、陽光がまだ顔を見せない時間帯。ひと目は少なく、世界はまだ薄暗い闇に覆われている。

 同時にユキノ曰く、『最も気が緩みやすい時間』だと云う。行動を起こすのならば真夜中の方が暗闇に紛れやすいが、人の心理的な隙を突くのであれば、この時間帯が合理的らしい。

 暗闇は時に人を安心させ、同時に警戒させる――地平から登る陽光はその強張りを、ゆっくりと溶かすそうだ。

 

「いってらっしゃい」

 

 先生が彼女達の背中にそう声を掛ければ、四人全員が背中越しに小さく掌を掲げた。

 声は無かったが、それで十分だった。

 

 ■

 

「はーッ……!」

 

 掌に嵌めたグローブ、その手首に生じた隙間に吐息を吹きかけ、内側で軽く擦り合わせる。悴んだ指先は針で指す様なジクジクとした痛みを発し、ミユは周囲に霧散する可視化された、白い吐息を視線で追った。

 

 早朝の子ウサギ公園は、かなり冷え込む。

 今朝は寝床から這い出るのに随分と苦労した。天幕の内側は暖房もあり、防寒着も着込んだ上で寝床に潜り込んだが、それでも夜中は寒さを覚える程だった。昨日と比較しても随分と空気が冷たく感じて、その理由は支度を終え、テントの外へと出た途端分かった。

 

「――雪、降って来ちゃったなぁ」

 

 雪だ。

 ひらひらと、雪が降り始めていた。

 呟いた言葉は、舞い落ちる白の中に吸い込まれて消えた。

 

 まだまだ小粒ではあるが、その白が視界にちらつく度、空気の冷たさを思い出すように肺が軋む。身に着けた防寒着に首を埋め、肩に担いだ愛銃を揺らしながらミユは警邏の為に道を辿った。

 彼女の担当するルートは主に雑木林の中にある獣道が殆どで、小柄な体格と普段の役割が合わさり、森林の中を歩くのには慣れていた。

 枯葉を踏む音が周囲に木霊し、時折ミユは頭上を見上げ、曇天を困ったように見つめる。雪はまだ積もっていないが、所々白に彩られる樹々が見えた。

 この様子だと、今夜にも積もり始めるかもしれない。重ね着したゴアテックスは風を通さないが、隙間から入り込んで来る冷気ばかりはどうしようもなかった。

 今日の夜は、特に寒い想いをしそうだと――そんな事を考えながら、ぎゅっと身を縮こまらせる。

 

「ミユ」

「ひぅッ!?」

 

 ぼうっと頭上を見上げていると、人の気配など無かった筈なのに、声を掛けられた。

 唐突なそれに肩が跳ね、咄嗟に担いだ銃に手が掛かる。しかし振り向けば、そこにあったのは見知った顔で。

 シャーレの先生がいつもと同じ、真っ白な外套を羽織ったまま背後に佇んでいた。

 寒さの為か、微かに赤らんだ頬に、髪には少しだけ雪が付着している。彼は微笑みを浮かべながらミユを見下ろしており、彼女は一瞬惚けて、それから慌てて銃に伸ばしていた手を引き戻し頭を下げた。

 

「おっ、おはようございます、先生……!」

「うん、おはよう、他の皆はもう起きているかな?」

「えっ、あ……は、はい」

 

 咄嗟の事で舌を縺れさせながらも、ミユは肯定する。いつの間にこんな近くまで寄っていたのか、全く気付かなかった。枯葉を踏む音すら聞こえていなかった、或いは自分がそれだけ注意力散漫だったのだろうか? だとすると、少し不用心が過ぎた。

 

 両手を握り締め、胸元で縮こまる様にして先生を見上げる彼女は、内心で思う。

 ミユからすると、先生は本当に不思議な人だった。この人は自分がどんな所に居ても、どんな状況でも、必ず見つけ出してくれる。

 最初に戦った時の記憶は苦々しいものだが、それでも草木に紛れた自分を見つけ出し、戦闘不能に追い込んだ事実はこれまで経験した事のない、確かな驚愕と安堵をミユへと齎していた。

 そう、安堵だ。

 小隊の皆には語れない事だが、あの時ミユは驚きと同じくらいの安堵を覚えていたのだ。

 影が薄く、存在感が無く、敵どころか味方にさえ時折忘れられてしまう自分。このままズルズルと誰に関わる事も無く、閉塞的に、世界と無関係に生きて。

 その果てに全てから忘れ去られて、道端の小石の様に、誰にも気付かれない存在になってしまうのではと危惧する彼女にとって、先生の出現は青天の霹靂に等しい事だったのだ。

 こればかりは万人には分かるまい――しかし、それで良いのだとも思う。

 ミユは寒さで若干赤くなった鼻をグローブ越しに擦り、キャンプのある方角へと顔を向けた。

 

「サキちゃんとミヤコちゃんは公園に配置した機関銃とタレットの修理に、前の大雨で色々壊れちゃいましたから……あっ、でもモエちゃんが伝手を辿って、使えなくなった装備の一部を売却してくれたんです、それでお金を都合してくれて、な、何とか最低限の装備は整えられたので」

「……そっか、良かった」

 

 あの大雨の後、彼女達も色々と奮闘していたらしい。ミユの説明に胸を撫でおろしながら、先生は背負って来たバッグを弾ませる。

 

「そう云えばミユ、朝ごはんはもう食べた?」

「えっ? いえ、まだですけれど……」

「なら、丁度良かった」

 

 ミユの返答に笑顔を浮かべた先生は、その両腕で大事そうに抱えていた紙袋を鳴らし、云った。

 

「朝ご飯、皆で一緒に食べよう」

 

 ■

 

「ん?」

 

 天幕の外、調達したばかりの備品、そのチェックを行っていたモエは、近付いて来る誰かの足音に振り向いた。するとミユと並んで歩く、背丈の大きい影が視界に映る。彼女は微妙にズレていた眼鏡を指先で押し上げ、ミユの隣を歩く人影を凝視した。

 すると徐々にピントが合い、見慣れた顔が浮かんで来る。ミユと並んで歩く人影が先生だと気付いた彼女は、パッと表情を喜色に変化させ手を振った。

 

「おっ、先生じゃ~ん? 今日もキャンプに何か用?」

「おはようモエ、色々差し入れにね」

「また差し入れ? 相変わらず律儀っていうか、何て云うか……まぁ貰えるものは貰うけれどさぁ、実際助かるし」

 

 へらっと笑って、そう告げるモエ。聞いてはみたが、半ば予想は出来ている事だ。先生はこのキャンプに訪れる度に、何かしらを手土産に持って来てくれる。数日と間を置かずに様子を見に来るのだから、律儀とも称したくなるだろう。

 ファー付きの防寒着に身を包んだモエは、寒そうに首を竦めたまま立ち上がると、そのままキャンプ裏手でタレットの整備と設置を行っていたサキ、ミヤコの両名に声を掛けた。

 

「おーい二人共、朝ご飯――じゃなかった、先生が来たよ~!」

「も、モエちゃん……!」

 

 冬空に響き渡る声、遠くに見える小さな背中が、ぴくりと揺れ動いたのが辛うじて分かった。地面に銃架をセットし、固定していた両名は白い息を吐き出しながら振り向くと、その目元を変化させる。

 

「うん?」

「あっ……」

 

 二人の視線がキャンプに訪れた先生を捉え、両名は抱えていた工具やら部品を一度保管箱に戻し、小走りで先生の元へとやって来た。

 

「先生……!」

「おはよう、二人共」

 

 駆け寄って来た二人に先生は小さく手を振り、朗らかに挨拶を交わす。RABBIT小隊四名が揃い、ミヤコは油汚れの付いた手袋を外すと、それとなく先生の顔色を伺った。その指先が先生の袖を引き、それから不安げに問いかける。

 

「あの、先生」

「ん?」

「その後、体調の方は――」

 

 恐る恐ると云った風に問いかけるミヤコの視線は、特に先生の開いた右目に注がれていた。その視線からは此方を観察する様な意図を感じ取る。先生はふっと纏う雰囲気を和らげると、意図して笑みを深くし、ミヤコの頭に右手を乗せ、撫でつけた。

 

「私は大丈夫だよ、心配掛けて、ごめんね」

「……そう、ですか」

 

 その言葉に、ミヤコは辛うじて口に出掛かった言葉を呑み込んだ。隊員達の手前、踏み込んだ言及をするのは悪手だと、そう思った。その判断を下す為の理性は、まだ残っていた。

 

「それで先生、こんな早い時間からどうしたんだ? 何か、朝ご飯って単語が聞こえたが――」

「あ、うん、皆でコレを食べようと思って」

 

 そう云って先生は皆の前に抱えていた紙袋を差し出した。代表して受け取ったサキは遠慮なく中身を検め、それから破顔し喜色の滲んだ叫びをあげる。

 

「おぉっ、これは――ッ!」

 

 何だ何だと皆が袋の中を覗き込み、それから程なくしてサキと同じように笑みを浮かべた。

 彼女達の視界に映ったのは、何とも丁寧に作られたお稲荷さん。モエは重なっていた三段の内の一つを手に取ると、頭上に掲げながら喜びを表現する。

 

「稲荷寿司じゃん!」

「わぁ……!」

「これは、懐かしいですね」

 

 今の彼女達からすれば、何だって御馳走に変わりないが、それはそれとして稲荷寿司には色々と特別な思い出がある。それを証明するように、ミヤコは稲荷寿司を見下ろしながら思い出に浸る様に眼を細めていた。

 勿論、手元にあるコレが彼女の料理である筈がない――しかし。

 

「あれ、この香り……」

 

 不意に、ミユが鼻を鳴らした。

 すんすんと、モエの掲げた器に顔を近付け、軽く匂いを確かめる。それを見ていたサキが、面食らった様に目を瞬かせた。

 

「ミユ、どうした?」

「あ、うん……凄く、懐かしい香りがした気がして」

「懐かしい香り?」

 

 鼻を指先で軽く擦りながら、その様な事を口走るミユに対し、他の面々も小首を傾げながら、それとなく器に顔を近付けてみる。

 すると確かに、微かに漂う香りは懐かしさを覚えるものだった。

 

「云われてみれば、確かに」

「……何だっけ、この匂い?」

 

 香りを言葉にするのは、難しい。しかし、目の前の稲荷寿司から漂っているのは確実だった。

 確かに何処かで嗅いだ事のある匂い、その正体に気付いたのはミヤコだ。

 彼女は少しだけ驚いた様に目を見開きながら、紙袋から稲荷寿司の入った器を取り出し、凝視する。

 

「恐らくですが、以前ニコ先輩が食べさせてくれた稲荷寿司、その香りに似ていますね」

「あっ、そうだ、それだ!」

「……驚いたな、あの稲荷寿司の風味は、先輩にしか作れないと思っていたんだけれど」

「も、もしかして、同じ素材を使っているのかな?」

 

 SRT特殊学園での演習、先輩方との合同訓練はそれほど多くなかったが、それでも彼女達にとっては確かに実りあるもので、今でも確りと記憶に刻まれている。

 その時の思い出の中に、この稲荷寿司があったのだ。

 

 休憩時間、懇々と自分達の反省点を指摘する先輩達の傍ら、優し気な笑みを浮かべながら振る舞ってくれた彼女の手料理。

 あの時食べた稲荷寿司は、本当に美味しかった。

 

「ふふっ」

 

 不意に笑みが漏れた。

 柔らかく微笑むミヤコは、先生が自身を見ている事に気付き、慌てて表情を取り繕う。口元を素手で覆った彼女は、羞恥心を滲ませながら慌てて言葉を続けた。

 

「あぁ、えっと、SRTに先輩が居たんです、お稲荷さんが凄く好きな先輩で――」

 

 先生はSRTの内情に詳しくないと、そう判断した彼女は自身が微笑んだ理由を告げる。

 まさか先生が、先輩と似たような香りのするお稲荷さんを持って来るなんて、思わなくて。

 そう呟いた彼女は次いで、憂う様な視線で空を仰ぐと、ぽつりと小さな、誰に伝えるでもない声を漏らした。

 

「先輩達は、今何処に……」

 

 同じSRTの仲間として、彼女達の薫陶を受けた後輩として、何より憧れを抱いた一人の生徒として。ミヤコはこの、曇天の下で同じ雪を浴びているだろう先輩方を想い、呟いた。

 そのまま暫く、彼女は無言を貫いていたが――ややあって気持ちを切り替えたミヤコは、手元の稲荷寿司を見下ろし、それから皆を見渡して、笑って云った。

 

「取り敢えず、皆で頂きましょうか」

 


 

 恐らくカルバノグの兎編、最後の穏やかな時間ですの。

 ゆっくりと噛み締めてくださいまし先生、此処から先は最終編に続く助走に入りますわ。

 即ち、わたくしの性癖ごった煮、先生ボコボコランド開園……本編の最終編序章、カルバノグの兎前編、後編を一緒くたにした独自設定が火を噴きますの。

 

 カイザーとの全面戦争、カヤの心境とRABBIT小隊の挫折、カンナの奮起とFOX小隊の決意。そして、アビドスで発見された箱舟と、その行方。

 此処からカルバノグの兎編、終盤ですわ。

 ブルアカ本編で今後カイザーがどうなるか分かりませんが、どうせ使えるなら使っちまおうの精神で突っ走りますの~!

 先生はね、かわいそうな程、素敵になるんですのよ。 

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