今回約23,000字ですの、なので四日目での更新ですわ!
RABBIT小隊が寝床とする天幕の中は、存外に快適でそれなりのスペースがあった。本来はもっと大人数で使用するテントなのだろうか、空いたスペースには保管箱の類やガンラックが並べられ、寝床脇には簡易テーブルがあり、先生はミヤコと共にテーブルへと腰を落とす。
元々テーブルは四人掛けなので、モエとサキは自身の
「なぁ、先生」
「うん?」
「私達にこういう差し入れをくれるのは凄く有難いんだが、先生自身は大丈夫なのか?」
口に一杯に稲荷寿司を詰め込みながら、サキは先生を一瞥し云った。唐突な問いかけに目を瞬かせる、一つだけ稲荷寿司を口に詰めた後、以降は白湯を一杯、持ち込んだ水筒から啜るだけの先生。意図が伝わっていないと思ったのだろう、サキは足を組みなおし、太腿の上に乗せた紙皿を揺らしながら此方を指差した。
「いや、ちゃんと食べているのかって話だよ、色々と助けて貰っている私達が云う事でもないけれど……何か、前と比べても顔色が悪く見えるし」
「えっ、そうかな?」
サキの指摘に、先生は軽く自身の頬に触れる。グローブ越しである上に、感覚も既に無くなっているので単なるポーズに過ぎないが、そんな酷い顔色をしていただろうかと疑問に思ったのだ。
自分では、良く分からない。何せ毎日眺めている、多少の変化は些細なものと感じられた。
彼女達から見ると、寒さのせいで若干赤らんで見えた頬は、しかし本来の顔色を見れば血色が良い等とは口が裂けても云えない。雪の白と相まって、先生の肌は世界に溶けてしまいそうな程白く見えた。それは単純に陽に当たっていないだとか、そういう話ではない。
「まるで病人だぞ? 忙しいのは分かるが、そういう状況が続くと良くない、食事は重要だ、食べないと一気にガタが来る、私達もこの生活を始めて実感した事だ」
「うーん……一応、栄養バランスとかには気を遣っているんだけれどね、サプリとか、栄養食品とか食べているし」
「それってワーカーホリックの古典的な食事じゃない? ほら仕事片手に栄養バーを齧る、みたいな」
「………」
モエが苦言を呈し、隣に座るミヤコからは強い視線を感じた。それは先生からすれば、非常に馴染みのある圧を感じるものだった。「はは」と乾いた笑いを漏らし、誤魔化す様に後頭部を掻く。手に持った水筒のカップ、その中にある白湯を啜ると、味も温度も分からないが、何となく落ち着く気がした。温かいものを飲むと心が落ち着く、それは半ば本能的なものなのだろうか。
「や、やっぱりシャーレは、自治区を超えて活動している訳ですし、大変ですよね……?」
「……大変じゃないと云えば嘘になるかな、けれど全部必要な事だから、手を抜く訳にはいかなくて」
ミユの言葉に頷きながら、しかし先生は微かな喜びと共に答えた。単純な忙しさや労力を考えれば、決して大変ではない等と云えない。しかし、それを疎んでいたり、嫌っているのかと云えばそうじゃない。その先に子ども達の笑顔があると思えば、多少の困難なんて大した事ではないのだ。
勿論、こうしてRABBIT小隊に顔を出す事も。
そんな先生の表情に、言葉にせずとも、伝わるモノがあった。
「そう云えば最近、子ウサギ公園周辺で事件とかは無かった?」
「事件?」
「そう、どんな小さな事でも良いよ」
「事件、事件ねぇ」
カップを両手で握り締めながら、穏やかに問いかける先生に対し、RABBIT小隊は互いに顔を見合わせる。
事件と一言に云っても、直近の大事件はやはり例の子ウサギ公園浸水事件だろう、あれからまだ一週間と経っていないのだから。
ここ数日行っていた事と云えば、兎にも角にもキャンプの整備と補修だ。無事な物資を確認、整理し、駄目になった装備の処分と再設置。防衛陣地としての役割も合わせ持つこのキャンプは、先の大雨で地雷やタレット等が殆ど駄目になった為、それらの補填が急務であった。
「とは云ってもなぁ、別にそんな日にちも経っていないし、態々先生に報告する程の事なんて早々――」
「あ、サキが食べられるかどうか分からない茸見つけて来て、試しに炙って見たら凄い香りがしたってアレは、一応事件?」
「いや、規模が小さすぎるだろう……」
サキが髪を搔きながら呟けば、モエはカラカラと笑って些細な事件を掘り返す。そんな事を先生に云ってどうするんだと、僅かな羞恥心を覗かせながらサキは唇を尖らせた。
「あー、じゃあ武器取引の時にあったアレは? 私達の身に起きたって訳じゃないけれど、結構大きな事じゃない?」
「……確か、在庫がないという話だったでしょうか」
ミヤコが思い返す素振りを見せながら呟けば、モエは大きく頷いて見せる。先生は彼女達の様子に身を乗り出すと、重ねて問うた。
「――それ、詳しく聞いても良いかな?」
「えっと、モエちゃんが浸水で使えなくなった武器、弾薬を補給する為に、昨日の夜、色んな会社に声を掛けてくれたんです」
「大雨で色々な装備が故障してしまったが、それだけで価値がゼロになった訳ではないからな、使えるパーツは抜き出せるし、そういう物を提供して、少しランクの落ちる装備とか、弾薬を回して貰ったんだ」
「SRTの装備は基本的に高性能な上に特殊だし、多少錆びていようが何だろうが、ブラックマーケットとかには幾らでも需要があるって訳!」
SRTでも補給担当であったモエは、学園に滞在していた頃からその手の営業所などと伝手があったらしい。当時の連絡網を駆使し、使い物にならなくなった装備を多少なりともマシな装備に一新した、という話だ。
「その時、新しい武器の中でも強力な火砲とか、弾薬を希望したんだけれど、そういうのが軒並み無くなっているって話でさぁ、幾つかの企業に連絡を回してみたけれど、大抵どこも在庫払底――現在販売出来る武器が無いってね、変な話でしょ?」
「タレットや通常の機関銃、弾薬、燃料の類は手に入りましたが……」
ミヤコがやや憂いを帯びた視線を手元に落とし、モエは訝しむ様に顎先を撫でる。
「大体ある程度の規模の会社が持っている
――それだけ武器を用意して、何をするつもりなんだろうね? もしかして、戦争を起こすつもりだったり。
声は冗談めかした調子だったが、言葉自体は確かに物騒だった。複数の組織が買い占めたのか、それともどこかの自治区が介入したか――或いは、自分達で使う為に、売れなかったのか。
尤も、購入者を明かす筈もなく、どこの企業も取引先を明言する事は無かったが、複数の企業、その在庫を払底させる程の資金力を持つ組織となると自然に候補は絞られてくる。しかし、それを特定した所でどうなる訳でもなく、事件と云うには他人事で、学園を持たぬ彼女達にとっては少しばかり規模の大きすぎる話でもあった。
先生は彼女達の言葉を黙って聞き入り、口を噤む。その眉間には、僅かに皺が寄っていた。
「後はそうですね、見知らぬ浮浪者集団がトラップに引っ掛かったくらいでしょうか?」
「……あぁ、例の武装した集団か、何か良く分からない事を喚いていた気もするが」
「あの襤褸布纏ったくせに、銃火器だけは妙に新しかった集団でしょ? 連中の組織名、何て云っていたっけ? 確かショカツ何とかだか、ショカッケーだか……余りにも馬鹿馬鹿しすぎて、記憶にも残らなかったなぁ」
「えっと、確か所確幸だったような……?」
「あぁ、ソレだ」
ミユが恐る恐る手を挙げながら発言すれば、サキが指差しながら頷いた。
「良く憶えていたねミユ、あんな訳の分からない集団の事」
「ぎゃ、逆にインパクトがあったから……」
モエが感心した様にそう口にすると、身を竦めながらミユは呟く。兎にも角にも濃い相手だった、戦力的には確かに大した事の無い集団だったが、見た目と口調、そして語った内容のインパクトが凄かった――あぁいう人物を見ていると自分も何か、奇抜な恰好でもすれば忘れられる事も無いのかなとか、そんな益体も無い事を考えたりする。
「まー、何をしに来たかは知らないけれど、トラップとタレットにやられて門前払いだったし、設置し直したばっかりの防衛装置が働いたから、試運転って意味だと丁度よかったかな? 事件って程大袈裟なイベントでも無かったけれど」
「イベントってお前……少なくとも茸を炙った事よりは重要度が上だろうが」
「いやいや、食糧問題は十分重要でしょ?」
茸の件と戦闘を一緒にするなと小言を漏らすサキに、食糧は重要だと譲らないモエ。互いに何やかんやと云い合う間、それとなくミヤコは先生の傍まで身を寄せる。それに先生が気付くと同時、此方を覗き込む様にして彼女は問い掛けた。
「あの、先生の方はお変わりありませんか? 体調もそうですが、シャーレの仕事等も、全体的に」
「私かい? 私は……いつも通りだよ、これと云って変わった事は、本当にないし――」
先生は覗き込んで来るミヤコの瞳を見返しながら、穏やかに言葉を返す。忙しい事は今に始まった事ではない、既に肉体的にも、精神的にも慣れたものだ。そんな風に語って聞かせる先生の胸元が、不意に振動した。
「――?」
振動の発生源は胸ポケットに入れていた携帯端末であった。咄嗟に胸元に手を当て、端末を取り出し画面を確認すれば、そこに表示される名前は見知ったもの。
先生はテーブルに手を突き席を立つと、直ぐ隣のミヤコとミユに一声掛ける。
「ごめん、ちょっと電話」
そう云って小走りで天幕の外に出ると、ひらひらと舞う雪が視界に入った。
天幕の中は比較的暖かいが、フラップを一枚隔てると途端に冷気が全身を襲う。尤も先生がそれらを感じることは無く、フラップを背後に平然とした様子で端末の通話ボタンをタップし、耳に宛がった。
「リンちゃん?」
『リンちゃ――……いえ、何でもありません、おはようございます先生、今お時間宜しいでしょうか?』
聞こえて来た声の主は、連邦生徒会の生徒会長代行を務めるリン。先生は声がテントの中に漏れないよう、数歩天幕から距離を取りながら頷きを返した。足元の砂利が擦れ、音を鳴らす。
リンは一瞬、愛称で呼ばれた事に反応し掛けたが、余りにも頻繁に呼んだ為か、僅かな溜息と共に飲み下す事を決めた様だった。これぞ、継続の勝利である。
「大丈夫だよ、何かあった?」
『はい、実は今日の午後から予定されていた、先生との会談についてなのですが……』
「あぁ」
そう云われて、先生は今日の予定を脳裏に思い浮かべる。
確かに、午後からは連邦生徒会に向かう予定があった。件の子ウサギ公園補修工事と、アリウス自治区についての相談が幾つか。加えてシャーレが活動するにあたり必要な特殊対応関連書類、特にFOX小隊から進言されていた危機管理に関する相談も。
残りは細々とした、進捗報告や公文書管理について、この手のものは廃棄手続きで少々手間が掛かる。合わせて今日中に済ませてしまおうと考えていたが――どうにも、予定通りという雰囲気ではない。そんなリンの態度に、先生は言葉の先を促す。
『昨夜、人材資源室より全体会議の招集要請がありまして、今日の正午より私も総括室代表、及び生徒会長代行として出席しなければならなくなりました』
「会議?」
『はい』
それはまた、随分と急な話だった。
この手のものは、数日前に連絡が回る筈だが。それほど急を要する内容という事だろうか。
『明日の午前なら時間を取れる筈なので、申し訳ありませんがスケジュールを調整して頂いても宜しいでしょうか?』
「そっか、分かった、明日ならスケジュールにも余裕があるから、リンちゃんの良い時に連絡を貰えれば直ぐに向かうよ」
『助かります』
「気にしないで、寧ろ無理をしないでね、リンちゃんは色々頑張り過ぎだ」
『……忙しさで云えば、先生も人の事は云えないでしょうに』
電話口の向こうから、若干の呆れを孕んだ溜息が聞こえて来た。
ですが、ご厚意は有難く。そんな風に呟いて、リンは一拍間を置いた。彼女の微笑が目に浮かぶ様だった。
「一応聞くけれど、何か連邦生徒会で大事があったとか、そういう訳ではないんだよね?」
『えぇ、この手の権限は行政委員会の役員が有している正当なものですし、珍しい事でもありません』
「なら、良かった――それじゃあまた明日、改めて」
『えぇ、では失礼します』
流れ落ちる様なリンの言葉に、先生はそっと通話を切る。端末の画面が消灯すると、その暗い画面に映る自身の顔を見つめながら、彼はひとり呟いた。
「……会議、か」
数秒程、先生は何かを思案する様子で黙り込む。音もなく降る雪がその肩や髪に付着し、吐き出す白は色味を増す。暫くして端末を胸ポケットへと仕舞い込んだ先生は、天幕のフラップを潜り顔を覗かせた。テント内部では相変わらず、モエとサキが云い合いをし、ミユとミヤコは稲荷寿司を突いている。
フラップを潜ると同時、全員が此方に目を向けるのが分かった。
「ごめん皆、今日はそろそろシャーレに戻るよ」
「えっ、もうですか?」
「さっき来たばかりなのに……」
「ちょっと調べたい事が出来てしまってね」
そう云って先生は目の前に手を掲げると、申し訳なさそうに告げた。
「また近い内に、様子を見に来るから」
■
何か、漠然とした予感があった。
それは多くの事件や困難に直面し磨かれた、事の起こりを察知する嗅覚に近い物だったのかもしれない。
RABBIT小隊の皆から聞いた武器、兵器の買い占め。所確幸の動向と、唐突な連邦生徒会の全体会議――それも招集要請を行ったのは人材資源室だという。
一つ一つは然程違和感がない、同時に発生したとしても関連性は見いだせず。しかし、先生の勘が、何かが引っ掛かると警鐘を鳴らしていた。
疑問を疑問のままにしておく事は、シャーレの立場からすると看過できぬ事であり、同時に先生は自身のこういった第六感に対し、多少なりとも信を置いていたのである。
「アロナ、少し探りを入れて欲しい事がある」
『RABBIT小隊の皆さんが取引したという、企業の方々でしょうか?』
「それもだけれど……武器を買い占めたという相手が気になるんだ、私の杞憂ならそれで良い、念の為調べておきたい」
一先ずシャーレに戻った先生は外套を脱ぎ、シッテムの箱をデスクに置きながら、アロナと協力して武器を買い占めた企業が何処か探りを入れようと動き始めた。搔き鳴らされた警鐘の根底が奈辺にあるかは知れず、兎にも角にも動かぬ事には仕方ないと考えたのである。
もし転売目的ならばブラックマーケットで動きを追う事が出来るだろうし、そこから背後組織を特定出来る。仮に表に流通させようとするならば、取り扱う商品で関与の可能性を見出せるだろう。市場価格にも注意が必要である、上手く行けば販売経路を辿る事も出来る筈だ。後は単純に顧客を装って探りを入れ、情報を引き出すか。
思い浮かぶ方法は幾つかあった、アロナの協力もあれば特定自体はそう難しい事でもないだろうと高を括る。
そこまで考え、いざ取り掛かろうとした所で――先生のポケットに入ったままの連絡用端末が、再び振動した。
不意に震えたそれは先生の意識を刺激し、その視線が自身の胸ポケットに落ちる。今度は何処からだろうと画面を見下ろせば、表示された名前に目を瞬かせた。
「――ホシノ?」
発信者は小鳥遊ホシノ。
思わず時計に目を向ければ時刻は昼前、この時間に彼女から連絡が来る事は少し珍しい。大抵深夜から朝方に掛けてパトロールを行っているホシノは、午前から昼間に掛けて昼寝をしている事が多い。そんな彼女が貴重な睡眠時間を削って連絡して来るとは、何かがあったに違いない。先生は端末を手に取り、画面をタップする。通話は直ぐにつながった。
「もしもし」
『あっ、先生? やっと繋がったよ~!』
電話を繋げた途端、向こう側から聞こえて来る緩やかな口調。声からは、微かな疲労と安堵が感じ取れた。今まで電波の通じない所にでも居たのだろうか、「ホシノ、どうしたの?」と先生が問いかければ、彼女は間延びした口調をそのままに、僅かな逡巡を含ませ言葉を続けた。
『あー、実は、先生に頼まれていたお仕事なんだけれどさ』
「―――」
頼まれていた仕事。
その一言に、否が応でも精神が尖るのを自覚した。
ホシノに、アビドスに依頼していた仕事。それは他らぬ先生にとって重要な一件であり、自然と気配が強張る。端末を片手に佇まいを正した先生は、数段と低くなった声で問いかけた。
「もしかして、見つかった?」
『うん――何か、凄く大きな船』
確定だ。
内心でそう断ずると同時、『取り敢えず座標データを送るね』と彼女からマップ情報が送られて来た。画面を一瞥すれば、アビドス砂漠の南部、アビドス本校舎からのルートと詳細な現地周辺の地形データが表示されている。どうやら、かなり大規模な地下施設があったらしい、現地の地形データを眺めればその広大さが良く分かる。
『先生が云っていた通り、地下にあったんだけれど、見つかった洞窟……って云って良いのかな? それ自体が吃驚する位広くてさ、危険なものが無いかとか、色々周辺も洗っていたら少し報告が遅くなっちゃって』
画面をスクロールし、情報をつぶさに確認する先生に対し、ホシノはどこか申し訳なさそうに云った。
『本当は昨日の夜にも連絡するつもりだったんだけれどね、何でか通信が繋がらなくなって……まぁ同じ位の時間に砂嵐も重なっちゃっていたから、多分その影響だと思うんだけれど』
「――いや、十分だよ」
一通り情報を頭に叩き込んだ先生は頷き、答える。箱舟のある位置は、それなりに深く、良く見つけてくれたと賞賛の念を抱いた程だ。少なくともこれで、彼に対抗する手段が手に入ったのだから。
「船を発見したのは、昨日?」
『うん、おじさんに連絡が来たのは夕方頃だったかなぁ?』
昨日の夜には連絡する予定であったという、その口ぶりから予想出来ていた事だが、船を発見したのは昨日の昼から夕方に掛けてという事になる。
そうなると――先生は鋭い視線で端末に表示される時計に目を落とし、それからデスクの引き出しから薬品の入ったパッケージを取り出した。上着の懐を捲り、内ポケットに入っていた薄型の薬品ケースを目視する。ケース内側に収納されたアンプルは三本、それからパッケージの中に収められていたアンプルを指先でなぞり、告げる。
「今から準備して、直ぐに向かうよ」
『えっ、先生今からアビドスに来るの?』
「あぁ、これは私が自分の目で確認したいんだ」
『……分かった、ひとりで大丈夫? おじさん、迎えに行こっか?』
「座標データを貰ったから大丈夫、皆と待っていて欲しいかな」
『……そっか、じゃあ皆と一緒に待っているから、何かあったら絶対に呼んで』
「それと、ホシノ」
『ん?』
「――念の為、船周辺の警戒をお願い」
先生の声が、静謐な空間に響いた。
それは暗に、襲撃を仄めかす様な言葉だ。一拍間が空き、二人の間に沈黙が流れる。それからホシノは先程まで響いていた、間延びした声色とは全く異なる真剣な声色で問い返した。
『……警戒?』
「そう、皆を不安にさせたくはないのだけれど、その船を狙っている人や組織は多いから」
『それは、黒服とか、カイザーとか?』
彼女が具体的な名前を上げれば、先生は小さく頷いた。それは電話越しに行う返答としては不適切で、殆ど呼気に等しい。しかし言葉にせずとも伝わるものがある。ホシノは微かな沈黙とその滲み出る気配から、先生の意図を正確に汲み取った。
『――分かった、おじさん達に任せて、先生』
凛とした声色だった。
同時に底冷えする様な重さを感じる。普段の昼行灯とした態度から一転、如才なく、抜け目なく、刃物の様な鋭さを孕んだ毅然な態度に。彼女の中に存在する、目に見えないスイッチが切り替わった様な感覚があった。
そんな彼女から掛けられる言葉の、何と頼もしい事か。
先生はデスクで出立準備を進めながら、今日の夜にでも伝えようと考えていた事を口走った。
「今、そっちに私が協力を依頼した生徒達が向かっている筈だから、もしもの時は頼って欲しい」
『協力を依頼した生徒……それって他所の自治区の生徒って事?』
「うん、何処か大きな自治区に所属しているとかじゃないから、安心して」
彼女達の身の上を語る事は、少し難しい。先生が詳細を語らずに、曖昧な表現で留めている事に気付いたホシノは、何か訳がある事を察した様子だった。その事に先生は内心で感謝を述べながら、朝方に出発したFOX小隊の特徴を伝える。
「四人組の、狐耳の可愛い子達だよ、万が一襲撃があった場合は皆に加勢して貰えるよう、頼んでいるから」
『……ふぅん』
返答は、少しだけ棘があったように思う。しかし、別段此方を責めている様な色はなく、先生は目を瞬かせた。何か含む所でもあるのだろうかと言葉を詰まらせれば、二の句を継ぐ前にホシノは急かす様に云った。
『まぁ、何にせよ、なるべく早く来てね、待っているから』
「……あぁ、勿論」
その後は二、三言葉を交わして通話を切る。連絡用端末のバッテリー残量を確認した先生は、ゆっくりと両目を閉じながら自身の内側に意識を向けた。
■
「代わりに――そう、万が一アレの起動にシャーレの先生、貴方の力が必要な時、協力して欲しいのだよ」
■
「FOX小隊の皆を向かわせて、正解だった」
目を閉じたまま、先生は誰に向けるでもなく呟きを漏らした。
まだ予想に過ぎないが、大まかに見えて来た。
恐らく既にカイザーは動き出している、RABBIT小隊が取引した企業が何処かは分からないが、ブラックマーケットにネットワークに持つ大企業は多くない。中小を含めれば膨大な数に上るだろう、しかし表側でも同様に商売をしている所は少ないのだ。
そして以前あったプレジデントとの会合、アビドスの一件にてカイザーが箱舟に興味を示しているのは周知の事実。
アビドスが箱舟を確保した事を連中が掴んだのなら、部隊を差し向けられていてもおかしくはない。今すぐにでも、備える必要があった。
「……兎に角、
端末をデスクの上に置いた先生は、先程脱ぎ捨てたばかりの外套に手を掛け、静かに声を発した。視線を上げれば硝子越しに降り注ぐ白、曇天は暗がりを作り出し、日中でも薄暗く感じてしまう。明かりのないオフィスの中で、シッテムの箱、その罅割れた液晶だけがぼんやりと光を発していた。
『……先生』
シッテムの箱、その画面に映るアロナは、仄暗い表情を浮かべ先生を呼んだ。その表情には隠し切れない不安があった。画面に張り付くようにして手を伸ばした彼女は、か細い声で問いかける。
『やはり、衝突は避けられないのでしょうか?』
「黒服達の言葉を信じるのなら、近い内に必ず来るだろうね」
先生はアロナを見下ろしながら断言した。
ウトナピシュティムを用いてまで衝突する相手。その矛先が誰に向いているのか、二人は分かっている。
それはコレから対峙するであろうカイザーコーポレーションではない、もっと先の。恐ろしく、強大で、悍ましい存在だ。
スクワッドに協力し、アリウス自治区へと突入した折、バシリカへと続く回廊にて対峙した彼。もし先生単身で挑んでいれば、既に全てを使い切って、果てていただろう相手。当時を思い返し、先生は両手を握り締め、重々しく声を発する。
彼等は来る、必ずのキヴォトスに――再び。
「唯一の懸念が、あるとすれば」
呟きながら、先生は自身の掌に視線を落とした。
残った右手、徐にグローブを捲れば覗く黒色。肌に食い込む様に広がっていく罅割れ、その浸食は日に日に増大している様に思う。右足も同様だった、体の末端から中心に向けて少しずつ、少しずつ崩壊が始まっている。
――そう、懸念があるとすれば。
「私の肉体が、
『………』
先生の言葉に、アロナは沈痛な面持ちで唇を噛んだ。
彼等に対抗出来る唯一無二の策、それを用意する所までは何とか漕ぎ付けた。しかし、用意するだけでは意味がない、それを運用出来なければならないのだ。
そして、肝心な先生の肉体は、その運用に耐えられるかどうかが分からない。先生はその事実を、懸念と称した。
「アトラ・ハシースの箱舟に対抗出来るのは、同じ存在――ウトナピシュティムの本船だけだ」
正確に云えば、ウトナピシュティムの本船は――箱舟ではない。
限りなく箱舟に近い、別の存在である。
だが、その本質はアトラ・ハシースと同様のキヴォトス、その根源が込められた兵器の最終形態。
あれを起動させる事だけが、唯一の勝ち筋だと先生は判断していた。起動出来なければ、そもそも土俵に上がる事さえ出来ず。それを理解しているからこそ、先生は是が非でもと箱舟を追い求め、果たして見つけ出したのだから。
「アロナ、演算結果は出ているよね」
『………』
先生の言葉に、アロナは沈痛な面持ちと共に唇を一文字に結ぶ。返答は無かった、しかし彼女の態度が全てを物語っていた。
「結論を、教えてくれ」
部屋の中に、先生の声が響く。
結論。
それはつまり、アロナが演算によって導き出した、先生の肉体が箱舟の運用に耐え得るか否か。
その結果について教えて欲しいと、彼は云っていた。
アロナは画面の中で俯き、徐に指先を組む。その視線は足元に落ちたまま、ややあって口を開いた彼女は微かな吐息を漏らし、弱々しい声色で以て答えた。
『……ご存知の通りウトナピシュティムの起動は、先生の肉体とシッテムの箱、両方に莫大な負担を強います、これは私が肩代わりする事も、打ち消す事も出来ません』
前時代に創造されたウトナピシュティムの本船、この時代に於ける文字通りオーパーツであり、これ一つでキヴォトスを統べる事が出来ると称される超古代兵器の畢竟。
しかし同時に、これを運用するには相応の権限と代償が必要とされる。
『恐らく、起動の瞬間にシッテムの箱が持つ補完機能は著しく効果を落とします、箱舟の起動と航行に必要な負荷は、シッテムの箱のリソース、その大部分を占める訳ですから――先生本来の肉体に、大きな損傷か、影響が出るのは確かです』
「それは、生命維持も困難になる程に?」
『………』
アロナは、ぐっと口元を引き締めた。表情からは、彼女の深い葛藤が読み取る事が出来た。衣服を握り締め、数秒程沈黙を守った彼女は、それから勇気を絞り出すように首を振る。
『【維持だけ】ならば、可能です』
それは。
逆に云えば
アロナは歯を食いしばり、それから顔を上げると、虚勢を張って捲し立てる様に続けた。
『で、ですがウトナピシュティムの制御はシッテムの箱を用いずとも可能です! サンクトゥムタワーの制御権があれば、先生の負担だって――ッ!』
「アロナ」
希望的観測を携え、努めて明るく振る舞うアロナに対し、先生は静かに首を振った。それを見た彼女は中途半端に開いた口元を閉じ、くしゃりと顔を歪める。
そうであって欲しい、そうあったら良い、想いは先生とて同じである。だが口にしたそれが、どれだけ低い確率であるかを二人は知っているのだ。
「分かっているだろう、向こうもソレは重々承知の上だ――十中八九、彼等は顕現と同時にサンクトゥムタワーの制御を奪う」
『ッ……!』
「そして恐らく、私達にそれを防ぐ術はない」
到来する時期も、タイミングも不明。
そして、『彼』の有するキヴォトスに顕現した神秘を己のモノとする権能は、此方から介入する方法が存在しない。狙われた時点で奪われたと同義、であればこそ虚妄のサンクトゥムを打ち立てられた上で、演算機能の加速したアトラ・ハシースからサンクトゥムタワーを守り切る事は困難であった。
恐らく、アロナのリソースを全て割いたとしても――勝ち目は限りなく薄い。
そう、だからこそ先生は知らなければならない。
「アロナ、私の意思はずっと前から変わっちゃいない」
『………』
「ウトナピシュティムの起動にはシッテムの箱を用いる事になるだろう、そして仮にサンクトゥムタワーを何とか守り切れたとしても、最悪の想定は常にしておかなければならないんだ」
先生の口調は柔らかくあったが、その態度は余りにも落ち着きを払っていた。胸の内に決して変わらない意思を秘めていたのである。
ウトナピシュティムを扱う上で欠かせない、
サンクトゥムタワーか。
或いはそれに匹敵するオーパーツ――シッテムの箱か。
サンクトゥムタワーを用いれば、確かに負荷は大きく軽減されるだろう。しかしタワーを破壊されてしまえば、或いは制御権を奪われてしまったら、何らかの理由で起動できなかったら。最後に頼るのは、己の身とシッテムの箱という事になる。
故に備える必要が、知る必要があった。
己の末路が、どのようなものになるか。
「起動にシッテムの箱を用いた場合――私の肉体は、どうなる?」
再度、先生は問うた。
何処までも澄んだ声色で、そこには恐怖も、不安もなかった。
深く、硬く、強い、ただ決然とした色だけが宿っていた。
空に似た色が、アロナを見つめる。その双眸に射貫かれた彼女は、まるで金縛りにあったかのように身を強張らせ、舌を縺れさせた。
『それ、は――……』
「私の肉体は、起動に耐えられるのか?」
重ねられる問いにアロナは云い淀み、視線を彷徨わせると、軈て項垂れる様にして身を縮こまらせた。悲哀、或いは後悔か。両手を握り締め、文字通り幼子の様に肩を震わせたアロナは、両目を強く閉じ、云った。
『せ、先生の肉体は』
「………」
『恐らく、ウトナピシュティムの起動に対し――……』
――耐える事が、出来ません。
声は、確かに耳に届いた。
暗く、内面の葛藤が滲んだ声だと思った。
アロナの結論を聞き届けた先生は静かに目を閉じ、天を仰ぐ。漠然と、予感はしていた筈だった。しかしいざこうして耳にすると、どうにも感傷を抑える事が出来ない。
『……正確に云えば、辛うじて起動する事は出来ると思います、ですが起動と同時に、先生の肉体は崩壊を始めるでしょう』
五感の完全消失、それで済めばまだ良い方だと。時間と共に失われる筈であった、あらゆる肉体の感覚。その即時消失と共に、先生の肉体は加速度的に崩壊を始めると、彼女は語った。
大人のカードを用いなければ、緩やかに終わっていく命――あと二ヶ月か、三ヶ月か。
残された猶予、その殆ど全てを引き換えとすれば、ウトナピシュティムを運用する事は叶う。
それがシッテムの箱のOSたるアロナが導き出した、演算結果であった。
しかし、それは先生の存在そのものとウトナピシュティム稼働を引き換えにする代物だと。そんなものを、『可能である』とは口にしたくないと。アロナは全身で、そう訴えていた。
『先程、生命維持は可能と云いましたが、ウトナピシュティムの起動は先生の肉体に取り返しのつかない負荷を強いて……それは先生の持つカードとは異なります、アレは先生の存在そのものを削ぎますが、あの船は――先生の肉体のみを蝕むんです』
それも、他とは一線を画す程に強く。
大人のカードが存在の根源を代償として支払うのであれば、ウトナピシュティムが求める代償は器の方だ。シッテムの箱の持ち主である人物の生命を削り、宙を目指す
そして残念ながら、サンクトゥムタワーではなくシッテムの箱を用いる場合、その代償を支払う対象は一名。
本来分散し、軽減される代償が、その箱の所有者のみに集中する。
アロナの瞳が潤み、その左目から一筋の涙が零れ落ちた。
『先生が仮に万全の状態で、補完を用いずに活動を行える状態であったとしても、掛かる負荷は最悪命に届き得る代物なのに、それを今の先生が受ける訳ですから……肉体に生じるダメージは、計り知れません』
それは既に壊れかけの身体を、更に打ちのめす様な。
或いは短く、今にも尽きかけた蝋燭を炎で炙る様な。
兎角、到底耐えられる筈もなく、誰の目から見ても結果は目に見えている、そんな行為なのだとアロナは告げた。
そうなった場合、先生に残される時間は――。
喉元まで出かかった言葉を呑み込み、項垂れるアロナを見つめながら、先生は大きく息を吸った。この呼吸さえも、いつかは止まるのだろう。けれど恐ろしいとは思わなかった。ただ目の前には、決意だけがあった。
「ウトナピシュティムは、アトラ・ハシース突入まで保持出来れば良い、突入後補完機能をフルで使用した場合は、どれだけ生きられる? 使用するバッテリーは、度外視して良い」
『………』
「その後の後遺症も、何もかも、全て考慮しない――この際辿り着けるのなら、何だって構わないんだ」
先生は云う。
アトラ・ハシースへと突入する間の半日。
いや、数時間だけでも構わない。
その後の全て、残りの寿命を全てを投げ捨て、その数時間に注いだ場合。
あらゆる感覚を失った後、補完機能を使えば生きて彼等と対峙する事は叶うかと。
生徒達と共に、戦う事は叶うかと。
そう問いかける。
『――……』
アロナは緩慢な動作で首を持ち上げると、先生を見上げ、それからすぐ手元にホログラムコンソールを出現させた。
『本船を起動してから、仮に補完強度を最大で、先生を支援した場合……恐らく』
先生の言葉に小さく頷きながら、ホログラムコンソールを叩く。打鍵する指先は弱々しく、余りにも遅かった。しかしその指先に反し、優秀な演算装置は入力したデータより演算結果を容易に弾き出す。
アトラ・ハシース突入後の補完強度を最大に、バッテリーの消耗、その後の後遺症を一切顧みない状態での行使。
目も見えず、音も聞こえず、何も感じず、生きているかも分からない状態の先生を支援し、最低限の生命活動を
そこから導き出される、先生の肉体が保たれる限界値。
アロナの双眸が、青い教室に浮かび上がったホログラムモニタを見つめていた。
『――凡そ、十二時間』
虚空に表示されたモニタを凝視していたアロナの瞳がゆっくりと動き、先生を見上げる。その奥に、先生は悲壮な光を見た。
『それが、先生の肉体が保たれる、
十二時間。
それが仮にウトナピシュティムを起動した場合、先生に残されるタイムリミット。
つまり、彼等が顕現し、対抗手段であるウトナピシュティムを起動した時点で、十二時間以内に決着をつける必要があるという訳だ。
それは果たして長いのか。
それとも、短いのか。
生命活動の長さで見れば、あまりにも短いだろう。
しかし、彼等と対峙する時間の長さと思えば。
「十分だ」
先生は齎された結果に薄らと笑みさえ浮かべ、そう云い切った。
それは決して虚勢ではなかった。確かな算段と覚悟の元、断じたのだ。
「
『……先生』
アロナの震えた声を、先生は敢えて受け取ろうとしなかった。其処に込められた感情も、想いも、理解して尚。
先生は既に、決めていたのだ。
――ナラム・シンの玉座。
それはアトラ・ハシースの最奥に存在する、『彼』と【彼女】の繋がった次元、時間、実在の有無が確定されず混ざり合う混沌領域。
彼が歪曲し、構築した、教室を失った彼女の為の世界。
しかし、だからこそ彼――【色彩の嚮導者】は死して尚、活動が可能だった。
嘗てアロナがそう口にしたように、色彩の嚮導者は最早、生きてはいない。
骸を晒して尚、ただ一つの信念を貫く為に色彩へと手を伸ばした存在。
次元、時間、実在の有無が確定されず混ざり合うという事は、即ちあらゆる可能性が混在しているという事であり。
対象がどの時間に、どの次元に存在しているのか、それともしていないのか。
現実なのか、虚構なのか、はたまた電脳なのか。
其処に立つ人物は生きているのか、死んでいるのか。
ナラム・シンの玉座では、それら一切は全てが肯定され、同時に否定される。
極論、ナラム・シンの玉座に於いて死者は生者であり、生者とは死者なのだ。
既に生命を失った、死者たる色彩の嚮導者――プレナパテスが活動を許されている様に。
あの場所に於いて、生死は混ざり合い、あらゆる可能性が肯定される限り、骸が斃れる事はない。
――畢竟、
ナラム・シンの玉座に辿り着いた時点で、先生の目的は半分達せられる。
その領域に於いて、先生は物理的に肉体を破損させない限り、理論上疑似的な生命活動が可能な筈だから。
アロナの力を借りれば、可能だ。
同じシッテムの箱、そのOSとしてナラム・シンの玉座と自身を繋ぐ事が。
元を辿れば色彩の力、アレはただ到来する不吉な光故に、それを利用する事は出来る。
自身を、
同等の条件――同等の信念。
屍ならば、屍として。
骸のまま戦い続ける覚悟が先生にはあった。
そして仮に、
自分は既に、敗死している事だろう。
「アロナ」
シッテムの箱を見下ろす先生が、彼女の名を呼んだ。
事、この段階に於いて、先生は自身の生存など端から望んでいない。
否、エデン条約でその身全てを補完し、生命を欺瞞したあの瞬間から――その選択肢は失われていたのだ。
ならば。
それならば。
「後、少しなんだ」
『っ――……』
穏やかに、優し気に、日常で零す様な微笑みを先生は見せた。
それは余りにも儚く、確かな安堵さえ含まれていた様に思う。自身が役目を果たせる事に、最後の最後まで命が辛うじて繋がれた事を喜ぶように。
先生は安心していたのだ。
――
望めるのなら、生徒達と共に歩む明日を望みたかった。
けれどそうはならなかった、ならば最悪の中でも最善を尽くす他ない。足掻いて、足掻いて、足掻いて、その生命が終える最後の瞬間まで足掻いて。文字通り、この身に代えても、
残り滓の様な生命を搔き集めて、全てを捧げよう。
――それが、今の私に出来る精一杯だから。
二人の間に沈黙が流れる。シッテムの箱越しに見上げるアロナ、見下ろす先生。共に世界を超え、時間を超え、あらゆる苦楽を共にしたからこそ通じるものがある。
感情を言葉にするのは、難しかった。二人の歩んだ道は余りにも険しく、奇怪で、曲がりくねっていて、複雑だ。その過程を思い返せば、一言二言で済ますには短すぎて、長々と言葉を連ねるには情緒的過ぎた。
アロナの口が小さく息を吸い込む。
鼻を啜り、袖で目元を拭ったアロナは、それから改めて先生を見上げる。その両目が、力強く煌めくのが分かった。
抱く想いは、同じ筈だった。
「――?」
『あっ』
不意に、部屋全体へと電子音が鳴る。それは来客用の通知である。誰かがこのオフィスエリアへと踏み入った証拠だ。アロナが声を上げ、先生は訝し気に振り返った。
この時間に、誰かが来るという話は聞いていない。
「どうも、お届けものでーす」
ややあって、部屋の前で誰かが声を上げるのが分かった。先生とアロナは一瞬顔を見合わせ、互いに疑念を滲ませる。
「……私、何か頼んだっけ?」
『い、いえ、ここ最近の通販で届け物の予定は――』
アロナの困惑を滲ませた声に、「そうだよね」と同意を示す先生。少なくともネット上で何かを注文した記憶も、誰かから何かを送る旨を伝えられた記憶も無い。しかし、このまま無視する訳にもいかず、先生は衣服をそれとなく正し、オフィスの扉に手を掛けると、ゆっくりと開いた。
「あっ、シャーレの先生……で良いんですよね?」
果たして、部屋の前に立っていたのは見覚えのない生徒だった。
バイト用の制服だろうか、深い青色に身を包んだ彼女は、段ボールを抱えたまま貼り付けた様な笑みで此方を見つめている。
随分、背が高く感じた、殆ど自分と変わらない――恐らく百八十以上はあるだろう。これ程の長身は、ハスミかツクヨ位しか覚えがない。目元を隠す黒色の髪が跳ね、先生は一瞬言葉に詰まりながら、小さく頷きを返した。
「そうだけれど……えっと、君は――?」
「あぁ良かった、ではこれお届け物です!」
そう告げるや否や、先生に向かって抱えていた段ボールを押し付ける様に突き出す生徒。反射的に受け取った先生を見た彼女はニッ笑みを漏らし、それから踵を返すと大きく手を振った。
「じゃあ、確かにお届けしたので!」
「えっ、いや、受け取りサインとか、そういうのは――」
「それではッ!」
先生の困惑を滲ませた声に返答もせず、咄嗟に呼び止めようと手を伸ばせば、するりと腕を避け廊下を駆けていく。廊下全体に、彼女の靴音だけが響いていた。鉄同士が擦り合うような音だと思った。その背中を先生は呆然と眺め、それから半ば強引に手渡された段ボールを見下ろした。
『もしかして、ミレニアムからの荷物でしょうか? エンジニア部の方々は、定期的にパーツなどを送ってくれますし……』
背後から、アロナの声が響く。先生は訝し気な表情を維持したまま扉を閉め、抱えた段ボールを来客用のテーブルに置いた。重さはそれほどなく、大きさは片腕で抱えられる程度。外観は一般的な段ボールで、開け口には透明なテープで封がされていた。
先生は上から段ボールを眺めながら、アロナの言葉に首を振る。
「いや、多分違うと思うよ――もしエンジニア部からの配達なら、ロゴが付いている筈だし」
ミレニアムのエンジニア部から届く箱は、外観からして異なるのだ。近未来的なボックスはひと目見れば分かる、一度配達用のボックスを何故こんなに凝ったものにしたのかを本人達に問うた事があるが、「その方が面白いし、格好良い」という実に彼女達らしい理由だったのを思い出した。
だから、少なくともエンジニア部ではないと先生は判断していた。
「……アロナ、さっきの生徒のIDを検索出来るかな?」
このオフィスフロアに入るには、学生証を通さなければならない。自然、入館記録は残り、先程の生徒が所属する学園や学年などが分かる筈だった。先生の言葉に頷いたアロナは、手元に電子コンソールを呼び出し告げる。
『分かりました、調べてみますね』
「頼むよ、もし間違った配達先だったら困るだろうし――」
尤も、シャーレを配達先として間違えるか否かと云えば、何とも疑問に思うが――そんな事を考えていると、三度連絡用の端末が振動した。一瞬メッセージの類かと思ったが、二度、三度と振動は続く。
今日は良く電話が入る日だ、先生は端末を手に取り、画面を見下ろす。表示される名前は――桐藤ナギサ。
「もしもし?」
『ごきげんよう先生、今お時間宜しいでしょうか?』
画面をタップすれば、途端に上品な声が鼓膜を叩いた。先生は一瞬云い淀み、アロナを一瞥する。彼女は丁度、記録を開こうとしている所だった。アビドスの一件があるので長電話は出来ないが、数分ならば問題ない筈だ。先生はそう判断し、自身のデスクに寄り掛りながら頷く。
「あぁ、勿論、大丈夫だよ」
『助かります、実は――ふぐッ!』
「ナギサ?」
電話越しに、ナギサの苦し気な声が響いた。普段の彼女から到底想像出来ない様な声だった。同時に何か、硝子同士が擦り合うような音が届く。くぐもった音声は、ナギサが端末を手で覆っているからか。音は断続的に鳴り響き、それからナギサの声が聞こえた。
『ちょ、ちょっとミカさん、大人しく……』
『ナギちゃんばっかり狡い! 私だって先生とお話したい、声が聞きたーいっ!』
ガタガタと、何やら忙しなく反響する声と物音。遠くから聞き覚えのある声が木霊する、端末に向かって叫ぶような、溌剌とした声だった。
『やっほ~先生、聞こえる~ッ! ねぇねぇ、先生~ッ!』
『やめっ、ミカさん離れ――……ミカさんッ!』
『やれやれ……』
ミカの自身を呼ぶ声と、ナギサの怒声が同時に聞こえた。それと微かに、セイアの嘆息する様な声も。「はしたないですよッ!」とか、「少しは落ち着き給え」とか、そうやって云い合っていた彼女達であったが、暫くして落ち着きを取り戻したのか、僅かに息を弾ませたナギサが改めて声を発した。
『んんッ、失礼しました先生、ちょっとしたアクシデントがありまして……』
「いや、皆元気そうで安心したよ」
『……ミカさんに関しては、少々元気すぎるきらいがありますが』
それは兎も角。
咳払いを挟んだナギサは声色を整えると、先程までの雰囲気を変える様に意図して腹に力を込めた。発せられる声は真剣で、ティーパーティーの主に相応しい貫禄がある。
『今回お電話差し上げたのは、少々先生にご相談がありまして』
「相談? それは……トリニティについてかな?」
『いえ、今回は派閥間の調整や、アリウスや運営に関する事ではありません――大枠で見れば、それらに該当する事かもしれませんが』
「……?」
ナギサから来る連絡は、大抵ティーパーティーから直接赴くと角が立つ、所謂派閥間の仲介や緩衝材の役目を期待するものが多かった。しかし、どうやら今回は異なるらしい。そうなるとナギサ個人からのお茶会の招待かと疑ったが、ミカやセイアが同席する場でそれを切り出す様な性格でもないと思った。
兎にも角にも慎み深く、淑女然とした彼女はそう在ろうとする努力に余念が無い。お茶会の誘いは大抵メッセージによるものか、ひとりきりの時にそっとだ。
『相談の内容は、セイアさんが最後に見たという――予知夢についてです』
先生が思案に暮れていると、ナギサは言葉の先を促されていると感じたのだろう。ワンクッションを挟む事なく、率直に言葉を投げかけた。
予知夢について、その言葉に先生は僅かに目を見開く。セイアが予知の力を持っている事は、既に皆の知る所である。
しかし、その力は既に――。
「けれどセイアは、確か……」
『はい、御存じの通りセイアさんは既に予知の力を失っています、代わりに得たモノもありますが――その彼女が最後に見たという予知、これについて先生にご相談をと思いまして』
「………」
どうやら、セイアが見た最後の予知というのは只事ではないらしい。先生は暫し沈黙を守り、眉間に皺を寄せる。決して無視は出来ない、この話は近い内にでも膝を突き合わせて相談すべきだと思った。
先生は頭の中でスケジュールを組み立て、頷きを返す。
「分かった、なら直接会って話した方が良いね、ただ私はこれから別件が――」
『せっ、先生……ッ!』
ナギサにこれからアビドスに向かう旨を伝えようとして、けれどそれよりも早くデスクの上に置いたシッテムの箱より声が上がった。視線を落とせば、画面に張り付いたアロナがホログラムモニタをスクロールさせながら、焦燥に塗れた声を上げている。先生は端末を手で覆うと、怪訝な色と共にアロナの名を呼んだ。
「アロナ?」
『先程の生徒さんですが、その、入館記録が何処にも無くて……!』
――記録が無い?
アロナは指先を何度も上下させ、ここ数日の入館記録をつぶさに調べ上げていた。しかし、何度調べても今日の、それもつい先程訪れた生徒の入館記録が見当たらなかった。本来であれば十秒程度で判明するそれが、空白で表示される。
それどころか今日に限った話であれば、シャーレに出入りしたのは。
先生、ただひとりだ。
「―――」
不意に、微かな電子音が鳴った。
それは確かな、ビープ音だった。先生が振り向くと、音は来客用のテーブルに乗せた段ボールから鳴ったのだと分かった。
唐突なそれに目を見開き、先生は口を噤む。一秒、二秒、沈黙が流れ、先生の瞳孔が徐々に開いて行く。それは全身に浴びせられるような怖気と、予感から。
何の変哲もない段ボール、入館記録の無い生徒、唐突に入った全体会議、本来であれば今日、リンとの会談で自分は此処に居ない筈だった。
そして箱舟発見の報告と――カイザーコーポレーションの動向。
「まさか」
巡る記憶と、鍛え抜かれた危機に対する直感。
一瞬にしてあらゆる可能性が脳裏を巡り、先生は全ての意図に勘付いた。
しかし、勘付いた時には遅かった。
咄嗟にシッテムの箱を手に取り、デスクを蹴飛ばす勢いで身を投げ、その裏へと転がり込む。けたたましい音が周囲に響き、愛用していた椅子が床に叩きつけられた。
シッテムの箱を胸に掻き抱き、体を丸める様にして床に伏せる。
「アロナ――ッ!?」
『先せ――?』
そして、次の瞬間。
凄まじい爆音と共に爆炎と衝撃が、シャーレのオフィスを呑み込んだ。
■
「きゃっ!?」
突然、ナギサは耳に宛がっていた端末を手放し、身を竦ませる様にして悲鳴を上げた。軽い音を立てて足元に転がる端末、それを見たミカとセイアが目を丸くして、驚きの色と共にナギサを凝視する。
「ナギサ?」
「ちょっと、どうしたのナギちゃん?」
「い、いえ、今何か、突然大きな音がして――」
呟き、ナギサは弾んだ心臓を抑える様に胸元へと手を宛がう。確かに、電話の向こう側から凄まじい音が聞こえたのだ、何か爆発したかのような音だった。
スピーカーモードでは無かったので、他の面々には聞こえなかっただろう。しかし突然のそれに硬直し、悲鳴を上げてしまった。
数秒して、ナギサは回線の不調か何かで入ったノイズかと思い直し、慌てて地面に落としてしまった端末を拾い上げる。そして改めて端末を耳に当てると、申し訳なさそうに口を開いた。
「し、失礼しました、先生、突然大きなノイズが入ったもので……」
『―――』
「……あの、先生?」
『―――』
しかし、先生からの返答は無い。ただ無機質な、無音が続いているだけだった。
「切れた……?」
訝し気に呟き、ナギサは耳から離した端末を一瞥する。しかし画面に表示される、『通話中』の文字と時刻、上部には先生の名前もあった。
「い、いえ、通話自体は繋がっていますね――?」
つまり通話が切れた訳ではない、現在も通知上は先生の端末と繋がっている筈。だというのに改めて耳を澄ませてみるも、やはり声は聞こえない。困惑したように端末を眺めるナギサは、助けを求める様にミカとセイアに視線を向けた。
「セイアさん、ミカさん、これは一体……もしかして、端末の故障でしょうか?」
「―――」
自身の端末の故障を疑ったナギサだったが、対面に座る二名――特にセイアの表情は、どんどん険しくなる。数秒、間を置いたセイアは指先に乗せていたシマエナガをテーブルへと移し、立ち上がった。
「ナギサ、今直ぐ正義実現委員会に出動命令を出すんだ」
「はっ?」
「……セイアちゃん?」
唐突な言葉だった。
正義実現委員会の出動命令、それは余りにも突拍子が無く、ミカも、ナギサですら面食らった様に疑念を滲ませ呆けていた。しかしセイアは強張った、真剣な表情を浮かべたまま、絞り出すように声を発する。
「――嫌な予感がする」
嫌な予感。
その一言に、二人の纏う気配は一変する。
これを口にしたのが、他の生徒であったのならば、彼女達は冷静に諭すか情報収集を優先したであろう。しかし、予知夢の力を持ち、数多の未来を垣間見て来た彼女が口にしたそれは、相応の重さを伴った。
加えて、予知の力を失って以降得たと云う――第六感の鋭さ。
それを加味し、判断した結果――ミカは椅子を蹴り飛ばす勢いで立ち上がると、ソーサーとカップが跳ねるのも構わず、けたたましい音を鳴らしながらテーブル脇に立て掛けていた愛銃を手に取った。
そのまま速足でテラスを後にしようとするミカ、浮かべたその形相は凄まじく、鬼気迫るものがある。壁に控えていた給仕の生徒、その一人がミカの顔を直視し、小さく引き攣った悲鳴を上げた。
しかし、それを止める影がある。
「ミカ、早まるな」
「ッ、でも、セイアちゃん……!」
「君ひとりでは出来ない事もある、先程も云ったが、落ち着くんだ」
セイアだ。
彼女はミカの纏ったケープの端を掴み、諭す様に云った。彼女の掴む力は弱々しかった、振り解こうと思えば簡単に出来ただろう。しかし確かに、ミカは足を止めた。ミカは振り向き、怒りの形相を浮かべたまま訴える。
しかし、それでも尚セイアは譲らず、ミカの目を真っ直ぐ見つめながら問いかけた。
「君はまた、ひとりで戦うつもりかい?」
「っ……!」
その一言は、彼女の足に杭を打ち込む。くしゃりと顔を歪め、縫い付けられたように動きを止めたミカを一瞥し、次いで未だ逡巡するナギサにセイアは視線を向けた。
「ナギサ、出動命令を、私は救護騎士団とシスターフッドに協力要請を行う――彼女達を相手にするなら、私が適任だ」
「セイアさん、しかしこの様な独断は……出動命令にも、裏付けされた情報、理由がなければ議会も納得――」
「ナギサ」
このまま直情的に動けばティーパーティーがまた強権を振るっているのだの、各派閥から顰蹙を買う可能性がある。そうでなくとも正義実現委員会を動かすには、余りにも情報が不足し過ぎているのだ。この状態では、議会に弱みを与える様なもの――そんな風に云い募ろうとしたナギサに対し、セイアは力強い瞳と共に云った。
「私を、信じてくれ」
「―――」
ナギサとセイアの間に、一瞬沈黙が降りた。
セイアは決して視線を逸らさず、ナギサは困惑と逡巡を滲ませたまま閉口する。二秒、三秒、テラスに満ちた静寂の中で、カタリと音が鳴った。ナギサがティーカップを手に取った音だった。
彼女はそのままカップを口に近付けると、ぐいっと一気に中身を呷る。そして彼女らしくない――粗野な動作でカップをソーサーに戻すと、カチャリと敢えて大きな音を出し、告げた。
「……正義実現委員会に出動命令を」
「はっ?」
直ぐ傍に控えていた親衛隊の一人が、思わずと云った風に聞き返した。
「出動命令を、早くッ!」
「は、はいッ!」
ナギサの一喝に、親衛隊の生徒は飛び上がると、慌ててテラスを後にする。その背中を見送りながら席を立ったナギサは、テーブルを囲う
「セイアさん、救護騎士団及びシスターフッドに出動要請を」
「……あぁ」
「ミカさん、パテル分派で信頼出来る生徒を集めて下さい」
「……うん」
立ち上がったまま視線を交わす三名。指先で唇を拭ったナギサは、小さく息を吐き出し、力強く頷いた。セイアには交流のある救護騎士団、シスターフッドに交渉を。ミカには武闘派で鳴らすパテル分派に戦力の確保を。そして自分は、これから起こるであろう騒動の後始末と理由づけ、そして根回しを。
嘗ての自分達では成し得なかった事。
けれど、今の
「――信じていますよ、二人共」
■
「――爆発を確認」
D.U.郊外――シャーレ本棟前、大通り。
そこにはシャーレを囲う様にして展開するカイザーPMCの姿があった。完全武装に、近辺の公道は全て装甲車を用いて封鎖する徹底ぶり。表口、裏口、シャーレ出入り口全てに部隊を配置したジェネラルは静かに帽子のつばを撫でつける。
「良くやった、後は装備を整え部隊に合流しろ」
「ハッ!」
直ぐ傍には、先程先生に段ボールを押し付けた生徒が佇んでいた。彼女が取り出した端末を操作すると、蜃気楼のように空間が歪み、その姿は一般的なカイザーPMCのオートマタへと変貌する。PMCの中でも特殊な任務に従事する、云わばカイザー内部に於いての特務。
彼が先生を欺く為に使用した物は、嘗てアリウス自治区外部工作部隊に手渡されていた――ヘイロー欺瞞装置である。
一部独断で自治区を離脱した生徒が、路銀の為にブラックマーケットで装備を売り払い、その中にコレが含まれていた。
生徒用の、加えて先生を欺く事に特化した装備、酷く限定的な用途しか持たないが、今回に限っては特攻でさえある。
装置を生徒ではなく、オートマタに適用出来るように改良し、同時に視覚による擬態を行う為にホログラムとナノスキンを用いる。手を加えたのはあくまで視覚部分に限るが、それでもほんの一言、二言話す程度であれば見破られる確率は低い。
ヘイローを含めた擬態投影装置は、確かに仕事を果たした。
頭上を見上げれば、今しがた仕込んだ策謀が見事に実行され、先生の居たであろうオフィスが丸々吹き飛んでいる光景が見える。
降り注いだ硝子片は足元に散乱し、雪に紛れて綺麗なものだ。黒ずんだ外壁は爆発の威力を物語り、並みの生徒であっても気絶、人間ならば粉微塵に吹き飛んでもおかしくはない。
だが問題ない、件のオーパーツは頑丈であると聞く。
ジェネラルは吹き上がる黒煙を横目に、後方へと並んだ部下へと問いかける。
「区画閉鎖の進捗は?」
「外郭地区は既に全ての脱出経路を封鎖済み、サンクトゥムタワー制圧後、行政制御権を奪取し戒厳令を発令予定です」
「宜しい、各部隊に通達しろ」
その報告を聞き届け、満足げに頷いたジェネラルは指を一本立て、その指先をシャーレへと向けた。
「――突入開始」
これより連邦捜査部シャーレを制圧する。