ブルーアーカイブを、もう一度。   作:トクサン

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誤字脱字報告に感謝致しますわ~!
今回約一万三千字ですの!


血路の先に(流した血の先に)

 

「はぁ、はっ、ぅ……ッ!」

 

 一歩、一歩。

 足を動かし廊下を進む。

 最早寒暖差など感じなくなった足裏から、微かにだが冷たい感覚が伝わって来る様な気がした。

 ぺたぺたと、微かに水音を含んだ足音が耳に届く。靴を脱がされ、衣服を中途半端に裂かれた先生は、素足のままシャーレの白い廊下を進んでいた。

 地下から何とか階段を登り切り、そのまま正面入り口とは反対の方向へと進む先生は、裏口からの脱出を目指し動き続ける。

 

 しかし、その足取りは余りにも重い。

 

 原因は分かり切っていた。

 何度も振るわれた暴力も確かに堪えたが、ただ歩く事さえ困難になった原因は――右足の負傷である。

 主要な大腿動脈、静脈を避け徹底的に肉を削る様に穿たれた弾痕は、辛うじて処置こそされているものの、それは最低限殺さない為の代物であり、現在進行形で出血が続いている。

 潰された爪先から滴る赤が、先生の足跡となって白い廊下に点々と痕跡を残す。過度な暴力が先生の奥底に眠っていた微かな痛みを呼び起こし、足先に鈍い痛みが走っていた。

 それでも、マシな方なのだろうと思う、これで普通の痛覚を残していたのなら――きっと、凄まじい量の冷汗を流していたに違いない。

 

「ふぅーっ、ぐ――ッ!」

『せ、先生……!』

 

 壁に肩を預け、半ば擦り付ける様に歩行していた先生の身体がふらつき、姿勢を崩して蹈鞴を踏む。

 途端右足に力が入り、乱雑に巻き付けられた包帯から溢れた赤が脛を伝って床に垂れた。

 ぽたぽたと、先生は滴るそれを横目に、自身の爪先に視線を向ける。

 

 視界に、爪を剥がされ、弾丸で潰された爪先が見えた。

 中程から千切れ飛んだそこには、すっかり血の滲んだハンカチが乱雑に結ばれている。階段を登る際、先生が苦心しながらも自ら括りつけたものだった。

 

 ――足の指が無いだけで、こんなに歩き辛いものなのか。

 

 まるで他人事の様に、そんな事を考えた。

 足が丸ごと吹き飛んだ経験はあるが、指だけ欠損した経験は無かった。特に重心の移動が困難だった、右足の踏ん張りが効かないという点もあるが、前方向へと動こうとした途端にバランスが崩れる。

 地面に接地する面積が少ない為か、グリップも無い。特に靴が無い分、それが顕著に感じられた。

 鼻から垂れる血が唇を湿らせ、そのまま顎先へと流れる。先生はそれを肩口で拭うと、苦悶を噛み殺し再び歩行を開始した。

 息が弾み、鈍痛が骨を震わせる。

 けれど、こんな所で足を止めている暇はない。

 廊下に、足音(水音)が響いていた。

 

『せ、先生、ごめ、ごめんなさい……! わ、私が、私が、もっと早く……!』

「違う、よ……アロナ」

 

 懐に欠き抱いたシッテムの箱から、アロナの声が聞こえた。

 きっと画面一杯に張り付き、涙を堪えながら叫んでいるに違いない。視線を向けずとも、まるで瞼の裏に浮かぶ様だった。

 壁に肩を預け、シッテムの箱を掻き抱きながら一歩、また一歩と進む先生は掠れた声で答える。

 何度も殴打され傷付いた口内は、少し震わせるだけで血が滲み出す。痛みは殆ど無かったが、足の鈍痛に釣られてか、少しだけ針で刺されるような感覚があった。

 それでも、いつか受けた傷よりは遥かにマシだ。

 滴る赤をそのままに、どうか謝らないで、と。

 先生はそう続けた。

 

「アロナの、判断は……間違って、いないよ」

 

 絞り出された声に、迷いは一切無かった。

 あれで良かったのだ。

 少なくとも、アロナが認証を通さなかったお陰でカイザーコーポレーションに制御権を奪われずに済んだ。

 もし彼らに制御権を奪われていれば、キヴォトスにどのような災禍を振り撒いたか定かではない。

 今回の対処で、時間は相応に稼げる筈なのだ。

 寧ろ、彼女に凄惨な現場を目撃させてしまった事こそを先生は悔やむ。自分の指先一つで目の前の行為を止められるというのに、それでも尚自制する事を強いられた彼女の心情は察して余りある。

 だからこそ。

 

 ここから先は――自身()の問題だ。

 

「急げ、地下でジェネラルが襲撃を受けているッ!」

「第七班は外部の応援に向かえ! 外周部の部隊が到着するまで、何としても持ち堪えろ!」

 

 薄暗い廊下の奥から声が響いていた。

 反響するそれは徐々に近づき、先生は壁に身を寄せながら、少しでも影に同化しようと身を縮こまらせる。

 地下での戦闘は既にカイザーPMCの知る所となっており、上層から地下に向かって次々と増援が向かっている様だった。

 カイザーPMCの兵士に見つかれば再び囚われの身となる、そうなればもう二度と陽の目を見る事は無いかもしれない。

 俯き、腫れ上がった瞼を何とか押し上げながら前を見つめる先生は、アンバランスな姿勢のまま必死に足を踏み出す。大した運動などしていない筈なのに、口から疲労感の滲む、大きな息が漏れた。

 

 ――一刻も早く、此処を離れなければ。

 

 頭では理解していた、体が意志に反して動かずとも、そうしなければ未来はないと。

 焦燥する感情が背中を押し、先生は少しでも早く、少しでも大きく一歩を踏み出そうとして、床から足を離す。

 

 しかし、焦りが過ぎた。

 血に塗れた足が床との摩擦を減らし、指先を失った右足は踏ん張りが効かない。加えて奪われた義手の分、左腕の重量が失われ先生の重心はブレにブレていた。

 義手を装着した生活に慣れていたという点も大きい、普段よりも僅かに右に傾いた体は自然、負傷した右足に体重を掛け、同時に踏ん張りの利かなくなった足先では体重を支える事が出来ず。

 

 拙い、と思った時には遅かった。

 カクン、と膝が折れ曲がり、先生は肩から地面に倒れ込む。シッテムの箱を胸に掻き抱いた先生は碌な受け身も取れず、顔面を強かに床へと打ち付けた。

 鼻血が噴き出し、先生は唇を噛み締めながら床に這いつくばる。

 

『先生ッ!』

「く……そ――……ッ」

 

 溢れ出る血に溺れながら、思わず悪態を吐く。

 右足が、全く動かない。

 先程まで辛うじて自身の意思を汲み取っていた足先が小刻みに震え、終ぞ血を流すだけの重しとなった。

 シッテムの箱から手を離し、先生は右手で拳を握り込むと、二度、三度と右足を叩く。しかし、ただ微かな鈍痛が響き、既に赤黒く染まった包帯から血を溢れさせるだけで、何ら戻ることは無い。

 

「アロナ、補完……強度を」

『で、ですが、もうバッテリーが……!』

 

 アロナの悲壮と後悔の混じった声に、先生は歯噛みする。

 義手を奪われた現状、シッテムの箱に残されたバッテリー残量が先生の生命そのものである。運搬中に多少充電出来たと云っても、それは生命維持に必要な補完分しか存在しない。新たに右足を補完し、動作を補助しようにも、最適化されていない補完は大きく電力を喰う。

 平時であれば問題なかったかもしれない、しかしこの様な状況に陥っては悪戯に残りの時間を削る悪手でしか無かった。

 

 ――これ以上、補完強度を上げるのは不可能だ。

 

「――……ッ!」

 

 先生は大きく息を吸い込むと、シッテムの箱を掴み、その右腕を大きく前に突き出す。そして指先ではなく、腕全体で床を捉えると、そのまま引き摺る様にして体を前進させた。

 ズリ、ズリ、と。

 這いずる様に、僅かずつ距離を稼ぐ。

 左腕の無い先生にとっては余りにも拙く、不格好な動作であったが、それでも少しでも前に、僅かでも進む為に、諦める事を先生は良しとしなかった。

 

「う、ごけ……ッ!」

 

 自身を鼓舞する様に、口元から唾液の混じった血を滴らせながら、先生は必死に顔を上げる。

 古傷に混じり、新たに幾つもの切傷の刻まれた首元が、軋みを上げた。

 大きく前に突き出した腕が地面を叩き、懸命に体を引き寄せる。ほんの一メートル、数十センチの距離を詰める事が、今の先生には何よりも苦痛を伴う。

 しかし、諦観の内に果てる事は無かった。

 何故なら。

 

「腕を、擦り、潰して、でも――……ッ!」

 

 先生は、生き延びねばならない。(まだ、斃れる訳にはいかない)

 

 ■

 

 爆発音が廊下に木霊した。

 それは周辺の窓硝子に罅を入れ、周辺に降りたシャッターを大きく揺らす。続いて金属の擦れる音が響き、何体ものオートマタが爆発に吹き飛ばされ、シャッターや壁に背中を叩きつけられ、機能を停止した。

 飛び散った硝子片を踏み締め、シャーレ内部へと侵入を果たしたRABBIT小隊の面々は素早く周囲を警戒し、まだ意識のあったオートマタには容赦なく弾丸を撃ち込む。

 薄暗い廊下にマズルフラッシュが瞬き、空薬莢が床を跳ねた。

 

「な、何だ、侵入者――ッ!?」

「大人しく眠っていろッ!」

 

 爆発に巻き込まれながらも、辛うじて直撃を免れたオートマタの一人が、握り締めていたアサルトライフルをRABBIT小隊に向けるも、引き金を絞るより早くサキの蹴撃が顔面を跳ね上げた。

 フェイスモニタに罅が入り、大きく体を跳ねさせた彼はそのまま力なく横たわり、沈黙する。

 シャーレ一階の窓、降りたシャッターごと爆薬で吹き飛ばし侵入を果たした三名は、倒れたオートマタ達をなぞる様に銃口を向けながら、次いで廊下の奥へと構え、素早く移動を開始する。

 

「クリアッ!」

「先生の保護を最優先にルートを取ります、RABBIT3!」

『目標の居る可能性が高い場所は現状三つ! 地下の機密エリア、先生の私室がある宿舎エリア、後は先生が普段仕事しているオフィス!』

「一階からは地下が最短です、まずは其処を目指します! 次に宿舎、最後にオフィスです!」

「了解!」

 

 目標を定めた彼女達はサキを先頭に、中央にミヤコ、最後尾にミユというフォーメーションで進行する。その動きに迷いは無く、サキの背後にはミヤコがぴったりと張り付くように動き、ミユは後方からの接敵に備え常に後ろ向きで動いていた。

 

「おい、正面入り口が突破されたのかッ!?」

「なんだ、どうなっている……?」

「状況は不明だ、兎に角、今は至急応援に――!」

「コンタクト! 正面に四!」

「突破します!」

 

 唐突な爆発と振動に、一階層に集っていたカイザーPMCの兵士達が廊下の奥より顔を覗かせる。暗闇の中で薄ぼんやりと発光するフェイスモニタは、彼女達の視界にはハッキリと映っていた。

 相手が体を晒した瞬間、サキは接敵を叫び即座に膝を突き、発砲――ミヤコもまたサキの肩口から腕を突き出すと、立射のままフルオートで弾丸をばら撒いた。

 爆発によって生まれた粉塵を裂き、凄まじい勢いで放たれる9mmの弾幕、そこにサキの7.62mmが混じる。

 

「がッ、ぎ――!?」

 

 最初に顔を出していたオートマタの身体が幾つもの弾丸を浴びせられ、一瞬で外装が抉れ、穿たれた。ミヤコの浴びせた9mmの幾つかは装甲に弾かれるものの、関節部位や露出したフレーム部分であれば、問題なく弾頭がめり込む。

 

「っ、敵襲! 攻撃を受けて――ッ!」

 

 唐突に浴びせられた射撃に対し、オートマタ達は浮足立つ。体を晒し、横一列に駆けていた三名は先の射撃でフレームが損傷し、そのまま弾丸に押し出される形で次々と背中から崩れ落ちた。

 ただ三名の後ろを駆けていた、最後の一名は腕を突き出しフェイスモニタを保護、前列のオートマタが壁となった事もあり辛うじて稼働可能状態を維持していた。

 オートマタは弾丸に穿たれ、火花を散らす右腕でフェイスモニタを庇ったまま、左腕で腰だめに構えたSMG、その引き金に指を掛ける。

 サキは空になった弾倉を切り離し、マガジンポーチに押し込みながら、しかし冷静な顔つきでその光景を見ていた。

 

「――RABBIT4!」

 

 瞬間、直ぐ横合いから鳴り響く銃声。二人の髪が微かに靡き、弾丸が通過する。

 間髪入れずSMGを構えていたオートマタの腕ごと顔面が弾け、そのまま膝から崩れ落ちた。一拍遅れてカコン、というコッキング音。背後を見れば、振り返ったミユが赤い瞳を覗かせながら愛銃を構えている姿が在った。

 空薬莢が足元に転がり、甲高い音を鳴らす。

 

「流石です、RABBIT4」

 

 サキが彼女のコールサインを呼び、振り返ってから照準を合わせるまで一秒も無かった。どんな状況でも驚異的な命中率を誇る彼女の腕前に、ミヤコは感嘆の声を漏らす。

 

「警戒を怠らず、このまま前進します」

 

 三名はそのまま打ち倒したオートマタの身体を跨ぎ、中央フロアへと侵入する。

 幸いフロアの中にカイザーPMCの姿は無く、方々に銃口を向けながら壁に沿って移動するRABBIT小隊は、そのまま地下空間へと続く階段の前へと進む。扉は開け放たれ、セキュリティは解除されている様だった。

 

「て、敵影なし……」

「地下の機密エリア階段、安全確保!」

「直ぐに突入を――」

 

 ミヤコはそう云って銃口を階下に向け、一歩を踏み出すが――視界の隅に何か、赤色が過った。

 それは薄暗い闇の中でも確かに目に映り、同時に鼻腔を擽る鉄の香り。目を凝らすと、階段に付着した足跡、そして点々と続く赤に気付く。

 

「っ、血痕?」

 

 顔を顰め、階段から続く血痕を視線でなぞる。

 見れば扉の内側には、誰かが血の付着した手で寄り掛ったのか、はっきりとした手形も残っていた。

 凝固した血液はこびり付いたまま消えず、ミユやサキもまた壁や床に付着したそれらに気付く。

 

「こ、この血って……」

「まさか――」

 

 二人の視線が血痕を追い、フロア脇の裏手口へと回る廊下へと伸びていく。

 オートマタは血を流さない、或いは人工血液を用いて稼働する素体が存在するかもしれないが、彼女達はその様なオートマタを見たことが無かった。

 自然、この血を流した人物が誰か、想像がつく。

 地下へと降りようとしていた足は、すぐさま踵を返した。

 

「二人共――ッ!」

「あぁ、追跡するぞ!」

「う、うんっ!」

 

 ミヤコが叫び、二人は頷きながら血痕の後を追う。

 不規則に、しかし確かに床へと刻まれたそれには足跡もあった。

 靴底ではない、人の素足の様な土踏まずの見える足跡だ。

 しかし、足跡に指先の痕跡は無く、まるで踵を軸に歩いている様な、奇妙な痕だった。時折壁には血の手形も付着しており、肩を擦りつけているのか掠れた血の痕も散見された。

 痕跡は追跡を続ける内に、通常の足跡から徐々に這って移動するような、何か重いものを引き摺った様な跡へと変化する。

 その伸びる赤を目視する度、RABBIT小隊面々には云い表す事の出来ない焦燥の念が募っていった。

 

「こっちだ、この角に続いている!」

「RABBIT2、十分に警戒を……!」

 

 中央フロアから角を二つ曲がり、その度に彼女達は奇襲や不意の遭遇に備える。慎重に角の終わりに体を押し付け、その先を覗き込むと敵の影が無い事を確かめた。

 

「……!」

 

 そこで先頭に立つサキは、廊下の壁際で横たわり微動だにしない人影を視界に捉えた。

 咄嗟に銃口を向けたサキであったが、血の痕跡はそこで途切れており、横たわる影の背中には見覚えがある。

 即座に銃口を下げたサキは、確信を持って後続の二人に報告した。

 

「居た、居たぞっ! 目標発見!」

「っ、急ぎ保護をッ!」

 

 ミヤコが叫び、即座に曲がり角より飛び出し駆け寄るRABBIT小隊。

 横たわる影を囲う様に三名は展開し、前方と後方を警戒しながら床に膝を突くと油断なく愛銃を構える。

 

「しゅ、周辺警戒!」

「今の所敵影はありません、状態の確認をお願いします!」

「あぁ……!」

 

 ミユが後方に目を向け、ミヤコは前方に銃口を構えたまま横目でサキに指示を出す。サキは腰に提げていたIFAKのポーチに手を掛けながら、床に横たわる人影――先生の右肩を掴んだ。

 目元は前髪に隠れ、良く見えなかった。廊下が薄暗かったという理由もある。けれど間違いない、薄暗い影の中で縁取られる輪郭と恰好は、サキの知る先生だった。

 サキは力なく瞼を閉じ、頬を床に付けたまま沈黙する先生の安否を確認する為に、肩を掴むと軽く揺する。

 

「おい先生っ! しっかりしろ、大丈――……」

 

 ぬるりと。

 不意に、指先の滑る感触があった。

 

「……っ」

 

 グローブ越しに感じるそれに、一瞬何だと手を離し――彼女は目前で掌を広げる。

 先生を掴んだ掌に、べっとりと血が付着していた。

 横たわった身体がサキの加えた力によって、仰向けへと無造作に転がる。

 すると今まで横になり、隠れている部分が全て露になった。

 

「ひっ……!?」

 

 視界に入った惨状に、背後で見守っていたミユが引き攣った声を漏らす。

 それは暗がりの中で、良く響いた。

 

 這いずって移動した為か、先生の腹部から両足に掛けては、血がべっとりと沁み込んでいる。

 加えて(はだ)けた衣服の向こう側に、大小様々な傷痕が散見された。それらは赤に塗れ、薄暗い視界の中ではまるでついさっき刻まれたかのような、生々しい色合いに見えた。

 片裾だけ飛び出した先生のシャツは、片側が血に浸り、最早嘗ての白い面影は何処にも無い。

 

 サキは目に入ったその光景に、胸部か、腹部から出血が起きているのだと誤認した。常よりも数段青白い顔で、打撲痕の残る先生の頬を掴み、顔を寄せたサキは懸命に呼びかける。

 

「お、おい、この怪我、一体どうしたんだ……!? まさか、爆発にやられたのか!? 先生っ! 先生ッ!?」

「ぅ……」

 

 間近で見る先生の顔は、血と痣に塗れ、あまりにも痛々しく思えた。この痣は、逃走する最中に受けたものだろうか。

 サキの呼びかけに、先生は閉じていた瞼を薄らと押し上げた。こんな状況になっても尚、抱えたタブレットは決して離さず、その瞳が自身の頬を掴み、不安げに見下ろすサキを捉える。

 

「――サキ?」

「そ、そうだ、私だぞ先生っ! RABBIT小隊が助けに来たんだ! もう、大丈夫だから……!」

「そう、か――……」

 

 サキが必死に歪な笑みを浮かべ、その様に告げれば、見下ろした先生の表情が微かに緩む。それは口元がほんの少し上に持ち上がった程度の変化であったが、今にも消えてしまいそうな表情からすると、確かな感情、その発露に見えた。

 先生の声を聞いたサキは多少なりとも安堵し、無意識の内に強く握り締めていたIFAKのポーチに気付き、慌ててポーチを開き、床に広げる。

 

「待っていろ、今応急処置を……!」

 

 そう云って先生のシャツを開き、傷を探ろうとするサキ。

 しかし、血に塗れた腹部や胸部にそれらしい出血箇所は見られなかった。銃創、切創、裂創、熱創、挫創、視界に映るその殆どは古傷だ――表面で赤黒く光る血液が、それらを生々しい傷口に見せかけていただけだった。

 

 サキは一瞬、混乱する。

 何故こんな量の傷がとか、ならばこの出血は何処からだとか、様々な疑問が脳裏に過った。

 先生の身体に手を這わせ、出血部位を探る――すると直ぐに原因が分かった。

 

 右足だ、切り裂かれ、捲り上げられたスラックスの上から強引に巻き付けられた包帯。そこから溢れた赤色が床に滴り落ち、先生の半身を赤く染め上げていたのだ。

 サキは広げたポーチの中からターニケット(止血帯)を取り出し、梱包を乱暴に破る、そして先生の太腿上部に巻き付けながら足の先に視線を向け、悲鳴を呑み込んだ。

 

「こ、これ、足の指が、ぜ、全部……」

 

 恐らく自分で巻き付けたのだろう、巻き付けたハンカチは血に染まり、這いずって移動していた為か半ば外れかけていた。

 覗く爪先は完全に欠損しており、千切れたような肉の断面と骨片が覗いている。直視に堪えないとはこの事か、ある程度の傷や血に慣れている筈のサキですら、思わず目を背けたくなる様な惨状だった。

 ミユは完全に視線を外し、肩を震わせながら背中を向けている。後方を警戒するという役割に没頭しなければ、完全に身が竦んで動けなくなってしまいそうだったのだ。その口元は、先程からずっと歯を鳴らしていた。

 

「う、腕だって、何処にも……」

「――先生の左腕は、義手です」

 

 怯み、中々手の進まないサキの代わりに愛銃を床に置き、広げたIFAKのポーチから救急包帯の梱包を手に取ったミヤコは、手早く梱包を裂くと、先生の爪先に巻き付けながら無機質な声色で云った。

 それは、感情を押し殺したが故の声色だった。

 

 サキの視線は、先生の消失した左腕に向いている。

 丁度二の腕付近から消えた腕は、袖を余らせ、平たく全体を圧し潰していた。サキとミユの視線が、先生の足元に屈み込むミヤコに向けられた。

 その瞳には、愕然とした色が宿っている様に思えた。

 

「え……えっ?」

「はっ……?」

「この右目も、いつも髪で隠していましたが――もう殆ど機能していないのだと思います」

 

 爪先を包帯で覆い、止血したミヤコは先生の右目、その皮膚の変色した瞼を指先で軽く撫でつけながら呟く。「う、嘘だろ――」という、サキの震えた声が聞こえた。顔を上げれば、視線を揺らしたサキが先生とミヤコを順に見つめながら、緩慢な動作で首を振っていた。

 

「だ、だって、そんな事、先生は今まで、一度も……」

「………」

「な、何で今まで、ずっと隠して――!?」

「理由は、分かる筈です」

 

 ミヤコの断じる様な、強い口調に、サキは吐き出そうとした言葉を咄嗟に腹へと戻した。先生の性格を考えれば、その理由は明らかだと、確かに思ったのだ。

 

 大人だってきっと、やせ我慢をする。

 ただ彼は、生徒(子ども)の前で吐露する事を、良しとしなかった。

 これはただ、それだけの話に過ぎない。

 

 ■

 

『――先生が意識不明の状態となられてから、本日をもって百日が経過致しました、この節目を受け、担当医療チームより正式な報告がございます』

 

 ■

 

「ッ――!」

 

 ミヤコの脳裏に焼き付いて離れない、悪夢の言葉が脳内で繰り返されていた。

 何度忘れようとしても、振り切ろうとしても、その警句は延々にミヤコの背中に潜んでいる。自身の目元を掌で覆い、思わず歯を噛み締めたミヤコは、首を振って否定する。

 違う、絶対にそんな未来にはさせないと。

 内心でそう叫び、胸中を支配しようとする(悪夢)に抗おうとしたのだ。

 

「兎に角今は此処を離れます、表側からの脱出は――」

 

 放心し、黙り込むサキとミユを横目に、ミヤコはただ一人冷静に状況を見極める。

 先生の状態は良くない、本格的な治療が必要だった。しかしこの場で処置を続けるには危険が大きい。きちんとした医療施設に運び込む為にも、移動する必要がある。

 ミヤコはインナーイヤー型のヘッドセットに指を添え、先程周波数を合わせた公安局のカンナと通信を試みた。正面入り口の戦況が優勢ならば、手筈通り最短距離で脱出を試みようと考えたのだ。

 

「カンナ局長、応答を」

 

 二度、三度、通信を試みる。しかし呼びかけに応える声は無く、無線がやられたのか、それとも応えられる状況に無いのか、小さく歯噛みしたミヤコは即座に方針を切り替えた。

 

「……厳しそうですね、仕方ありません、事前の計画通り公安局を囮にシャーレの裏手から脱出します」

 

 決断は早かった。

 周波数を手早く切り替え、今度はキャンプを離れたRABBIT3――モエへと通信を繋ぐ。

 声は、直ぐに繋がった。通信が開通した瞬間、ヘリ特有の唸るようなエンジン音が耳元より響いて来る。

 

「――RABBIT3、たった今目標を保護しました」

『さっすが! それで、先生は無事な訳?』

「……難しい所です、辛うじて息はありますが」

 

 モエの問い掛けに、ミヤコは言葉を濁した。口が裂けても無事等と、そう言葉にする事は躊躇われ、曖昧な表現で留める。一から十まで、詳しく状況を説明している余裕は無い。床に置いていた愛銃を拾い上げ、肩にスリングを掛けたミヤコは立ち上がり、薄暗い廊下の先を見据えながら言葉を続ける。

 

「兎に角回収を要請します、正直に云って先生の状態は良くありません、一刻でも早く比較的近場のLZへ通じるルートを――」

『今急行中! 後少しでシャーレが見えて来る筈、そうしたら……』

 

 ミヤコの要請に応えながら片手間にコンソールを叩くモエ、恐らくルートを構築しているのだろう。彼女の支援があれば、何とか離脱まで漕ぎ付けられる筈だ。

 そんな風に思考し、小さく息を吐き出したミヤコは――ヘッドセットの向こう側から響く、耳を劈く様な甲高い警告音に背筋を凍らせた。

 

『っ、警告(アラート)! ロックオンされた!?』

 

 一瞬、苦し気な呼吸音と共に、通信が乱れる。

 何かあったのだと、耳元から響く悲鳴染みたそれに、全員が察する事が出来た。

 シャーレの内部では、上空で何があったのか肉眼で確認する事は出来ない。三名は装着したヘッドセットに耳を傾け、血が凍るような感覚を覚える。

 

「RABBIT3ッ!?」

「も、モエちゃん……!」

『いや違う、これはヒートシーク(赤外線誘導)ッ!? 多分地上からスティンガーが飛んできて……ッ! IRセンサーが検知しっぱなしッ、フレアを放出して回避行動に移る!』

 

 早口で叫ばれる言葉、奥側から鳴り続ける警告音、同時に機体が揺れ、モエの歯を食いしばる様な苦悶の吐息が確かに聞こえた。荒い息遣いの中、モエは悪態を吐く様に叫んだ。

 

『攻撃はシャーレ近辺、地上から! 対空準備バッチリって!? これじゃ近付けないじゃんッ!』

「まさか、MANPADS(携帯式防空ミサイルシステム)か……!?」

 

 モエの報告に、サキは戦慄と共に声を漏らす。

 個人携帯可能な対空誘導兵器――モエが受けた攻撃は、地上からカイザーPMCのオートマタが放った誘導弾頭(ミサイル)によるものだと考えられた。

 或いは、自走式地対空ミサイルか。どちらにせよこれがある限り、航空機の類はそう簡単に近付く事は出来ない、早急に対策を考える必要があった。

 想定していなかった相手の防備、その厚さにミヤコは顔を盛大に歪めると、俯きながら必死に思考を回す。

 

「仮にMANPADSならば、目視で発射を察知するのは困難です、このままではRABBIT3が着陸出来ません、此方でどうにか無力化するしか……!」

「こ、こっちで無力化って云っても――」

「そんなの、一体どうやって!?」

「それは……」

 

 ミユが狼狽した様子で声を震わせ、サキは困惑と怒りを滲ませ声を荒げた。ミヤコは投げかけられるそれに、明確な答えを持たない。

 モエが此方をピックアップする為には、対空兵器、あるいはそれらの装備を持つ敵性戦闘員を無力化しなければならない。しかし、携帯式防空ミサイルシステム(MANPADS)を持つカイザーPMCのオートマタを一人一人見つけ出し無力化するなど、到底不可能な話であった。

 対空陣地があるならばまだしも、シャーレ近辺にその様な設備がある話など聞いた事もない。或いは秘匿され、隠蔽工作が行われていた可能性も否定は出来ないが――どちらにせよ、負傷者である先生を連れた状態で敵の対空陣地を潰しに行くなど、正気の沙汰ではなかった。

 

 前者はそもそもあらゆる意味で困難で、後者の場合でも火力や人手、情報、多くのものが不足している。車両を一台、二台撃破するならばまだしも、何台用意されているかも分からない対空車両や陣地を潰すだけの装備と火力は手元に存在しない。

 つまり、現状のRABBIT小隊には為す術が無い。

 その無慈悲な現実だけが、目の前に横たわっていた。

 

「いたぞ、侵入者だッ!」

「決して逃がすなッ!」

「!」

 

 思考と処置に、時間を掛け過ぎた。

 上層より非常階段を下り、一階へと辿り着いたカイザーPMC達がRABBIT小隊を発見し、電子音声を響かせる。声に反応したミユが即座に照準を合わせ発砲、弾丸は直視し叫んだオートマタの一人、その顔面を弾いた。

 

 フェイスモニタの液晶、その破片が周囲に飛び散り、後方へと倒れ込む影。後方のカイザーPMC達が銃口を突きつけ、ミヤコは腰だめに構えた愛銃、そのトリガーを絞り込み、弾丸を吐き出した。

 暗がりを照らす閃光、フルオートで放たれたソレが数名のカイザーPMC、その装甲を強かに叩き、咄嗟に物陰へと隠れた彼等を目視し、制圧射撃を続けながらミヤコは両名に叫ぶ。

 

「今はこの場を離れます! RABBIT2先導を、RABBIT4は撤退の援護をお願いします!」

「りょ、了解……!」

「私が先生を担いで移動します――ッ!」

 

 片手で愛銃を発砲しながら、先生の傍へと屈んだミヤコはもう片方の腕で先生の襟元を掴むと、そのまま脇の下に腕を差し込み、持ち上げようとする。

 血だまりがミヤコの腕を汚し、滴り落ちる赤が水音と共に跳ねていた。サキは後方のオートマタ達に射撃を加えながら、不安に塗れた、芯の定まらない声を漏らす。

 

「だ、だが、RABBIT1(ミヤコ)……っ!」

「う、後ろ、サキちゃん、次が来るよッ!」

「ッ!?」

 

 ミユが叫び、サキが振り向いた。

 見れば前方から響く足音、このままでは挟撃されると分かった。鋭い発砲音が響き、ミユの放った弾丸がまた一人カイザーPMCの兵士を射貫き、戦闘不能へと追いやる。カコン、というコッキング音。床を跳ねる空薬莢の音が、やけに大きく響いた。

 

「迷っている暇はありません! RABBIT2、走ってッ!」

「っ、く――……!」

 

 先生とミヤコ、そして徐々に近づいて来る足音が響く暗がりの廊下、その最奥。

 順に視線を向け、歯噛みするサキはこれ以上ない程に早鐘を打ち鳴らす心臓を鷲掴みながら、荒い息を繰り返す。

 冷汗が顎を伝い、床に落ちた。

 同じように先生の潰れた爪先から、血が滴り落ちていた。

 

 先生の姿は、どう見てもこんな風に、乱暴に動かして良い状態には思えない。臓物がどうなっているか不明なのだ、下手に動かす事は悪手に見えた。加えて脱出手段は無く、支援も存在しない、どう考えても詰みの状況。

 しかし、今動かなければ――決断しなければ此処で全滅は避けられない。

 ならば我武者羅でも動かなければならない。それは正しい、全く以て正しい思考の筈だ。

 

 ――指針が、大丈夫だという確証が欲しい。

 

 自身の中に在る安心出来る材料は何だ。

 そうだ、教範だ。

 サキは自身の胸元を掴みながら、荒い呼吸をそのままに考えた。先人に倣えば良い、正しい行動からは正しい結果が生まれる。だから、正しさに則った思考が必要だと。

 こういった状況、戦況で正しい、模範的な行動、教範では確か――。

 

「――サキッ!」

 

 ミヤコの切羽詰まった、コールサインさえ投げ捨てる、血の滲む様な声が響いた。

 それは鼓膜を震わせ、サキの沈みかけた意識をこれ以上ない程に鮮明にさせる。

 見開いた彼女の視界に、今にも泣き出しそうなミヤコの顔が映った。

 

「……っ!」

 

 隊長だから、自分が気張らなければならないと、先頭に立ち、先生の惨状を見ても動じず、ずっと耐え凌いでいた彼女のあらゆる負の感情、その欠片が噴出しかけているのだと分かった。

 今まで決して見せなかった、目尻に光る涙(弱さの象徴)

 それを見た瞬間、サキは自身の中にあったあらゆる軸、安心の材料足る教範を投げ捨て、叫んだ。

 

「くそぉォッ!」

 

 後方に数発、愛銃で弾丸を撃ち込み、そのまま前方へと勢い良く駆け出す。

 疾風のように身を屈め、走り出したサキの後姿に、ミヤコもまた後方へ応射を継続しながら続く。

 最後にミユが一発一発、丁寧に相手の武器や頭部を撃ち抜きながら、後退を始めた。後方から散発的に弾丸が放たれるも、その殆どは狙いも付けない弾丸であり、直撃には至らない。

 

 ――何なんだ、何でこんな事に……ッ!

 

 先頭を駆けるサキは涙を堪え、歯を食いしばり、その隙間から漏れる自身の呼吸音を耳にしながら強く思う。ぐるぐると、様々な感情が胸中に渦巻き、酷く痛んだ。その苦痛は物理的なものではない、しかしそう錯覚してしまう程に心臓が軋みを上げ、鼓動を刻んでいたのだ。

 

「目標発見! 捕らえ……っ!」

「退けぇェッ!」

 

 飛び出し、退路を塞ごうとしたオートマタを、サキは半ば蹴り倒す様な形で文字通り蹴散らした。

 勢いをそのままに飛び上がり、頭部目掛けて放たれる飛び蹴り。それを正面から受けたオートマタは仰け反り、首のフレームを軋ませながら後方へと吹き飛ぶ。受け身も取れず、背中から倒れ込んだ所を、サキは胸部を足で踏みつけ銃撃。顔面が左右に弾け、オートマタの手に握られていたSMGが力なく転がった。

 その脇をミヤコが駆け抜け、肩に担いだ先生の左腕、余った袖が虚しく靡く。血を吸い、赤く染まったそれは、まるでマフラーの様にミヤコの首元を彩っていた。

 

「っ――……ミヤ、コ……!」

「喋らないで下さいッ!」

 

 鳴り響く銃声が、先生の虚ろな意識を刺激し、辛うじて唇が言葉を紡ぐ。

 先生の肉体は失神と覚醒を交互に繰り返し、断続的なそれは既に本人が制御出来ない所にあった。

 後方から飛来する弾丸が先生に当たらない様、確りと掴み走るミヤコは、白い吐息を背に流しながら、力強く、悲壮な覚悟を秘めた声を響かせた。

 

「――絶対、私達が助けますからッ!」

 


 

 今回書いていてめっちゃ楽しかったですわ~! 

 本編と解離した展開のせいで終盤の厚みがとんでもない事になりそうですが、そんな事は些事です事よ~! 三百四十万字書いておいて、十万字、二十万字増える程度は誤差ですわよ誤差!

 そろそろカルバノグの兎編も終盤中程ですが、此処から絶望の撤退戦、RABBIT小隊単独でのカイザーコーポレーション決戦、そしてプレジデントとの邂逅に続きますの!

 それを超えて漸くクライマックスですわ……!

 

 カルバノグ兎編はRABBIT小隊、SRTの物語ですもの! 内に秘めた彼女達の憧れた正義、誰に憚る事無くそれを世界に掲げる、そんなシーンを書くが為に今章を駆け抜けるのですわ~!

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