ブルーアーカイブを、もう一度。   作:トクサン

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誤字脱字報告に感謝ですわ~!


曇天に覆われた(まだ目に見えない)、青色。

 

「――待ち伏せは、居ないか」

 

 視界にちらつく白、薄らと積もった雪を踏み締めながらサキは呟いた。両腕で先生の身体を抱きかかえ、今しがたキャンプへと帰還したばかりの彼女は、警戒を解く事無く万が一の場合は即座に逃走に移れるよう、身構えながら慎重に視線を物陰などに移す。

 

「キャンプ内のタレットや、トラップの類が起動した痕跡もありませんでしたね」

「う、うん、足跡とかも、偽装の気配は無いし……」

 

 サキの呟きに応える形で、先にキャンプの中へと踏み込んでいたミヤコとミユが顔を覗かせる。それぞれ担当していた天幕を確認し、特に潜伏している敵も居ないと判断した二人は、僅かな安堵を滲ませていた。ミユは愛銃を抱えたまま、自身の後方を指差し言葉を続ける。

 

「一応あっち側のテントも全部回って見たけれど、隠れている気配は無かったから、もう大丈夫だと思う」

「……ミユがそう断言してくれるのは、頼もしい限りですね」

 

 確かな実感を込めて、ミヤコは呟く。

 狙撃手として相手に見つからないよう潜伏し、任務を遂行する彼女の敵を察知する能力(嗅覚)はかなりのものだ。ミヤコやサキが察知出来ない存在であっても、彼女は朧げな感覚ながら、察知している事もあった。

 兎角、同じ部隊の仲間としてミユの持つ第六感、或いは索敵能力は信頼に値する代物という事だ。

 サキは二人の言葉に頷きながら、ゆっくりとキャンプの中へと足を踏み入れる。安全確認を終えた自分達の拠点は、SRTの頃と比べれは余りにも小さく、心許ない場所であったというのに、今では確かな安心感さえ抱いていた。

 自身の胸中に去来するその感情を自覚しながら、サキは目を細めながら薄らと笑う。

 

「しかし、こんな小規模な野営地が頼もしく見える日が来るなんて、夢にも思わなかった」

「確かに大規模な拠点とは云えませんが、一応ヴァルキューレ公安局を撃退するだけの底力はありますから、ただ市街地戦に身を投じるよりは余程安全でしょう」

「そうだな……まぁ、ヴァルキューレを撃退した後、先生に叩きのめされた苦いが記憶もあるが」

 

 サキの半笑いと共に告げられたそんな言葉に、ミヤコは当時を思い返し苦笑を浮かべる。あの時期は色々と、無茶をした自覚があった。尤もそれは、今も変わらないかもしれないが。

 

「モエは……戻っていませんか」

 

 ヘリポート代わりに使用していた広場へと視線を向ければ、肝心の機体は無く、モエ本人の姿もなかった。もしかしたら一度、キャンプに帰還しているかもしれないという淡い期待は、完全に外れた形になる。

 そうなるとまた上空で待機しているのか、大きく迂回して機会を伺っているのか、それとも――。

 脳裏を過る最悪の結末に、ミユは堪らず声を漏らす。

 

「……その、撃墜された訳じゃないよね?」

「恐らくは――やむを得ず外郭地区より離れたのかもしれません、無線範囲外であれば連絡が付かないのも不思議な事ではありませんし、シャーレ近辺で発生していたジャミングも、此処まで届くかどうかは不明ですから」

「それなら後でもう一度交信可能かどうか、試してみよう」

「えぇ、そうしましょう」

「公安局の人達も、心配……だよね」

 

 モエもそうだが、連絡が取れなくなったのは囮を請け負ったヴァルキューレ公安局の生徒達も同じだ。自分達が何とか追っ手を振り切り、脱出に成功したのは彼女達が正面戦闘を続けていてくれたからに他ならない。

 何らかの形で此方の脱出を察知し、撤退に成功していれば良いが――ミヤコはそう思案しながら、しかし今は目の前の事に集中するべきだと判断する。

 

「ですが今は、先生を安静にさせるのが先です」

「あぁ、その通りだ……っと」

 

 ミヤコの言葉に頷きながら、サキは抱えていた先生の身体を持ち直す。彼女の腕の中で昏々と眠る先生、その顔を見下ろしながら、サキは口を開いた。

 

「先生、もう少しだからな」

 

 ■

 

 天幕の中は、彼女達が出立した時のままであった。雑多な保管箱は左右に積み上げられ、愛銃を立て掛けていたガンラックは空になっている。サキは軽く天幕の中を見渡すと、それから自身の使用していたコットへと足を進めた。

 

「待たせて悪かった、今横にしてやるから」

 

 呟き、慎重に先生をコットの上に寝かせ、そのまま近くにあった毛布で身体を包む。触れると分かる、大きく体温を損なった先生の身体は、芯から冷え切っていた。

 低体温症は初期に激しいシバリングが生じ、体温が約三十度を下回ると静まり、そこから体温が急激に低下する。シバリングが止まるのは、体温が低下し続けた結果中枢神経機能が停止し、寒さ自体を感じなくなるからだ。つまり、肉体の機能が正常に働かなくなる。

 そうなると様々な症状が出て来る、幻覚を見たり、嗜眠状態になったり、そして最後は昏睡する。軈て呼吸や心拍が遅くなり、停止するのだ。

 サキが見た限り、先生の状態は重度ではなく、中度に入り掛けた所か。シバリングは無く、意識も覚醒と失神を繰り返している。

 こうなると受動的復温だけでは足りないと、彼女は判断した。

 サキは近くにあったミヤコやミユのブランケットを集めると、それを先生の胴体に巻き付けるようにして被せる。その際腕は外に出し、四肢はブランケットの外へと。

 確か、軽度ではない状態の低体温症では、先に四肢を温めると低下した心血管系に代謝要求が掛かった筈だと、サキは脳裏で記憶していた内容をなぞる。心血管虚脱を防ぐ為にも復温は胸部(深部体温)から行うのが最善であった。

 

「まさか最初に処置するのが同じ部隊の隊員ではなく、先生だなんてな――」

 

 奇妙な話だと、天幕内のヒーター、その電源を点けながらサキは呟きを漏らす。

 SRTとして活動する中で、寒冷地などでの作戦行動を想定した訓練も勿論存在している。そう云った場合、低体温症に陥った仲間を救うための処置なども訓練の内容には含まれていた。

 その他にも、戦場で負傷した仲間を助ける為に、最低限の知識は叩き込まれている。本来ならば衛生兵の分野であっても、SRTに所属する生徒は満遍なく修めていなければならない。

 尤も、こんな所で披露する事になるとは思っていなかったが――それでも今は、強度に差はあれど、生徒と先生の身体構造が同じである事にサキは内心で感謝した。

 座学や実習で学んだ事が、何とか活かせているのだから。

 

「―――……」

 

 部屋がじんわりと暖まると、深く、長くなっていた先生の呼吸が少しずつ普段の調子を取り戻し。深い隈と共に閉じていた瞼が、ゆっくりと上へ持ち上がった。光を宿さない瞳が緩慢な動作で周囲を伺い、それから横合いで何かを漁る人影、サキへと向けられる。

 

「サ、キ……」

 

 酷く乾き、罅割れた唇で紡がれる名前。サキは先生の簡単に掻き消えてしまいそうな、小さく弱々しい声を、しかし聞き逃す事は無かった。彼女はコットの脇へと置いた医療バッグを漁っていた手を止め、先生へと顔を向ける。

 目が覚めたか、彼女はそう呟いて、向き直った。

 

「安心しろ先生、此処は私達(RABBIT小隊)のキャンプだ」

「キャンプ……」

 

 サキの言葉を繰り返し、瞳だけを動かして周囲を伺う先生は、自身が今どのような状況にあるかを朧気ながら理解したらしい。顔を覗き込む様に身を近付けたサキは、先生を安心させる様に笑顔を浮かべると、努めて柔らかい口調で云った。

 

「そうだ、此処ならトラップもタレットもあるから、攻撃ヘリや戦車が来ても問題ない、追い返せるだけの装備は準備してある」

 

 先生が危険に晒されている事は、きっと各自治区に知られている筈だ。私達は救援部隊が駆け付けるまで、此処で籠城する事を選んだ。

 サキは未だ意識がはっきりしていないのだろう、どこかぼんやりとした様子で此方を見上げる先生に、此処に至るまでの過程を大まかに説明する。右目を覆う、血の滲む髪を軽く指先で払ってやると、先生の瞳が眩しそうに細く絞られた。

 

「兎に角、先生は私達が守ってやる――だから今は、此処で休んでいてくれ」

「………」

 

 そう云って頷いたサキが、先生の治療を行う為の諸々を準備しようと再び上体を起こせば、直ぐ横合いから衣擦れの音が響いた。一体何だと視線を向ければ、先生が身動ぎし、微かに顔が持ち上がっているのが分かった。震える先生の首筋が、薄らと赤みを増す。

 

「……先生?」

「――私も」

 

 毛布やブランケットを羽織ったまま、血の滲んだシャツを覗かせ、先生は身を起こそうとしていた。小刻みに震える右腕が自重を支え、ゆっくりと上半身が持ち上がった。それを見たサキは慌てて先生の肩を掴み、声を荒げる。

 

「お、おい、何をして――っ!」

「私も、戦う」

 

 サキを見上げる先生の瞳が、徐々に光を取り戻していた。サキの腕を掴み、その指先が彼女の袖に食い込む。それでも簡単に振り払える様な、弱々しい力だった。此方を見上げる先生の瞳からは、強い信念を感じられた。こんな所で寝ていられないと、そう全身で叫んでいる様だった。

 サキは一瞬その気迫に呑まれかけるも、ややあって肩を落とし、溜息を零す。

 

「……何を云っているんだ、先生」

 

 言葉には、呆れの感情が多分に含まれていた。

 

「こんな体で、出来る訳ないだろう?」

「ぅ、ぐッ……!」

 

 先生の腕を優しく引き剥がし、サキが軽い調子で、ほんの僅かな力で先生の肩を押してやれば、その上半身は簡単にコットの上へと転がった。抵抗するだけの力が、先生には残っていなかったのだ。

 それでも必死に起き上がろうとする先生を軽く押さえつけながら、サキは優し気な、それでいて酷く心配した様子で言葉を続けた。サキの押さえつける掌から、じんわりとした温度が伝わって来る。

 

「良いから此処で大人しくしていろ、キャンプなら私達だけでも十分戦えるって、そう伝えたばっかりだろうが」

「っ、けれど、サキ……!」

「先生」

 

 尚も何かを云い募ろうとする先生。

 その言葉を遮り、サキは仕方なさそうに微笑むと、告げた。

 

「――私達(RABBIT小隊)を信じろ」

 

 言葉は別段、力強く放たれた訳でも、糾弾するような語調で紡がれた訳でもなかった。日常の中で語られる様な、寧ろ穏やかで、何て事のない抑揚と共に告げられたものだ。

 けれどその言葉を投げかけられた先生は一瞬動きを止め、その瞳を見開く。その中には確かに、動揺の色が垣間見えた。

 

 信じている。

 信じているとも。

 

 胸中に湧き上がる想いは不変だ。遍く生徒に心を砕く先生は、無論RABBIT小隊の全員に全幅の信頼を置いている。そこに疑いは無く、腹の底からそうであると断言する事が出来た。

 

 だからこそ――先生の顔は、歪む。

 

 それは無力な自身に対する自責の念であり、後悔であり、遣る瀬無さの発露であり。バッテリー残量も残っていない己は正しく、ただ横たわる屍と大して変わらない。残った右手を握り締め、沈痛な面持ちで歯を食いしばる先生、その頬に優しく手を添えながら、サキは笑って云った。

 

「安心しろ、この場所には、一歩たりとも入れさせはしない」

 

 ■

 

「サキ」

 

 サキが愛銃を肩に提げ、天幕から外へと踏み出すと同時、直ぐ横合いから声が掛かった。見れば積み上げられた複数の保管箱から物資を取り出していたらしいミヤコが、此方に視線を向けている。

 

「ミヤコ?」

「これを」

 

 彼女の名を呼べば、ミヤコは何かを軽くこちらに向かって放った。咄嗟に飛来した影を受け取ると、それが最近購入した栄養食品である事が分かる。ゼリー状の飲料で、簡単に摂取出来る上に時間が掛からない。運良く安価で多く購入出来たので、作戦時口にするものとしてレーション代わりに保管していたものだった。

 

「今の内に、少しでも栄養補給を、次はいつ食べられるか分かりませんから」

「……あぁ、ありがとう」

 

 正直に云えば、あまり空腹は感じていなかった。しかし、次いつ食べられるか分からないという言葉は正しい。一度戦闘に突入してしまえば、悠長に食事をする時間など皆無だろう。たとえ空腹を感じていなくとも、腹に詰めておく事は重要だった。

 呟くように礼を告げ、サキは飲み口のキャップを親指で回す。見ればミヤコもゼリー飲料を咥えながら作業していたようで、その手には同じパッケージが握られていた。空になったそれをクシャリと握り潰しながらポケットに詰め、ミヤコは問いかける。

 

「それで、先生は――」

「大丈夫だ、体温は直戻るだろうし、傷の方は……殆ど乱暴に閉じただけだが、出血は大分マシになった」

 

 そう応えながら、天幕の中で行った処置を思い返しサキは眉間に皺を寄せる。現地では簡単な止血程度しか出来なかったが、キャンプにはある程度の治療器具や薬品が揃っている。勿論、きちんとした病院や医療施設と比較すれば大きく劣るが、取り敢えず傷口を閉じ、感染症対策をする程度の処置は可能だった。

 

「ヨード液は無かったけれど、生理食塩水で傷口の洗浄と目視で軽く弾丸の残留が無い事は確認した、後はステープラーで表面の傷口を閉じて、抗生物質軟膏を塗った後に滅菌ガーゼで覆って、その上に包帯を巻いて終わりだ」

「ステープラーですか? しかし、アレは……」

「分かっている、出血が多少でもマシになれば良い程度の気休めだ、本当ならちゃんと縫合してやりたかったが――」

 

 ミヤコの懸念に対し鉄帽を浮かせ、髪を搔くサキは口に咥えたパッケージを上下させながら云った。

 

「生憎と、筋肉層を縫合する吸収性縫合糸も無いし、ちゃんとした滅菌針も無い、それに目視で弾丸の有無を確認しただけだからな、傷口を閉じた後に実は弾丸が残っていました、なんて洒落にもならない――だったら後で簡単に抜鈎出来るこっちの方が良いだろう」

「……そうですね、私達はそもそも医師ではありませんから、きちんとした治療はこの一戦を凌いだ後に病院でお願いしましょう」

 

 出来る限りの事はやった、本格的な医学を修めた訳でもない自分からすれば、可能な範囲で手を尽くしたと云って良い。後は自分の本分であるSRTとしての役目を果たせば――そう考えながら、サキはゼリー飲料を啜る。

 既に空になったパッケージが、音を立てて萎んで行った。どこか憂いを帯びた瞳で俯くサキに、ミヤコは視線を向ける。彼女の色褪せた表情に、どこか懸念があった。

 

「……サキ?」

「麻酔」

 

 それを探る為に彼女の名を呼べば、ぽつりと。

 不意に、サキは言葉を漏らした。

 麻酔? とミヤコが聞き返せば、サキは視線を上げる事無く語り出す。

 

「ちゃんとした奴、無かったからさ……代わりに飴を先生に舐めさせようとしたんだ」

「飴――」

 

 唐突なそれに、ミヤコは僅かな間思考を巡らせる。彼女の云う麻酔代わりの飴が何を指しているのか、数秒程考え込んだミヤコの脳裏に一つの答えが浮かび上がった。

 

鎮痛飴(フェンタニルロリポップ)、ですか」

「あぁ」

 

 フェンタニルロリポップ――名前の通り非常に強力なオピオイド鎮痛薬が含まれている棒付き飴。脂溶性が高く、口腔内粘膜からすぐに吸収されるソレは、僅か数分程度で鎮痛効果を得る事が出来る優れ物だった。

 加えてフェンタニルはモルヒネの約百倍の鎮痛作用を持つとも云われており、極めて少量で強力な効果を得る事が出来る。

 特に戦場では少量で即効性のあるこの沈痛飴は重宝されており、負傷者の首にこれを下げておき、意識を失った場合勝手に口から零れ落ちる様に処置する事もままあった。

 兎角、この手のものはSRTでも用いられており、それ程多くは無いが備蓄物資の中にも幾つか存在していたのだ。

 彼女はそれを、麻酔代わりに先生へと与えようとした。

 

「でも先生、私が舐めさせようとすると、『必要ない』って云って突き返して来たんだ、私も処置に慣れている訳じゃないし、痛い思いをさせたくないから少しで良いから舐めておけって云っても、全然聞かなくて」

「………」

「結局傷口を洗っている時も、ステープラーで閉じている時も、呻き声一つ上げなかったよ」

 

 思い返し、サキは視線を足元で彷徨わせた。

 アレは我慢強いとか、という領域ではない様な気がしたのだ。

 どちらかと云えば、先生からは鎮痛効果よりも意識を失う事を嫌っている様な気配があった様に思う。

 勿論、それはあくまでサキの主観的なものに過ぎない、真実がどうかはまた別の話だ。

 サキは咥えていたパッケージを握り締めると、そのまま掌の中で潰しながら思いの丈を吐き出した。

 

「そもそも致命傷じゃないと云っても、傷の多さから見て出血量はかなりのものだった筈なんだ、顔の痣も、頭部の出血だって、何度も殴打されているのは明らかだろう? 左腕にだって……刃物か何かで、悪戯に切り付けられた様な痕跡があった」

 

 欠損していた左腕の、断面部分に、まるで皮膚を浅く何度も裂く様な切傷が幾つも。自然に出来る様な傷じゃない、逃走している途中に硝子で切ったとか、爆発の影響だとか、擦ったからとか、そういうモノではない事は確かだ。

 ぶつぶつと吐き出されるそれは、ミヤコに語り掛けると云うよりも、殆ど怨嗟を吐露するだけのものだった。サキの瞳になにか、淀んだ、粘り気のある、昏い感情が漂っている。

 そもそも、明らかに殴打された痕跡がある事自体おかしいではないか。自分達が辿り着いた時、先生は床を這って逃げようとしていた。爆発が起きて、そこからずっと逃げ続けたのなら、あんな全身に殴打された痕跡は出来ない。

 その事を想い、自然とサキの表情は険しさを帯びる。

 

「普通じゃない、あんなの、多分あの傷は――」

 

 恐らく先生は――。

 呟き、サキは言葉を呑み込む。

 その先を口にする事を、躊躇っている、或いは恐れている様な気配だった。

 

尋問(拷問)を受けた後、という事でしょうか」

 

 サキが濁らせた言葉の先、ミヤコはそれを無機質な声で以て口にして見せる。サキの視線が上がり、ミヤコへと向けられた。対照的な光を宿す瞳が、互いの双眸を直視していた。風に煽られた一層厚い曇が二人に暗い影を落とし、微かに差し込んでいた陽光が遮られる。

 宿る感情は、伺えない。

 

「……あぁ、多分、そういう傷だった」

 

 頷きながら、サキは唇を固く結ぶ。乾燥していた唇が割れ、微かな痛みを訴えていた。

 態々太い血管を避けて肉を削ぐ様な弾痕と云い、全身青痣だらけの顔や体と云い、ただ殺すだけならもっと簡単なやり方がある筈だった。全身に刻まれた幾つもの痣や切傷、銃創からは先生を苦しめてやろうという云う相手の怨念が確かに伝わって来たのだ。

 サキは自身の掌を広げ、未だ雪を降らせ続ける曇天に翳す。

 

「たった一発、たった一発の弾丸でも、先生にとっては致命傷になる――言葉で理解していても、正直今まで全く想像も出来なかった、けれど今回実際にこの眼で見て、理解出来たんだ、それがどれだけ危険で、恐ろしくて、怖くて、不安な事かって」

「………」

「そんな相手に、連中は、あんな傷を」

 

 ぐしゃりと、サキの手の中で空っぽのパッケージが潰された。

 この世に生を受けてから、キヴォトスという世界の中で生きて来た彼女にとって、脆弱な先生の肉体は余りにも想像の外にある。それがどれだけ儚い存在なのか、脆弱な身体なのか、知識として理解していても実感として腑に落ちるかどうかは別だった。

 彼女達にとって弾丸の一発や二発は、『痛い』で済む程度の話であり、手榴弾の爆発を受けたって死ぬことは無い。そもそもの話、『死』という概念が余りにも遠いのだ。

 

 死ぬという事――ヘイローを破壊されるという事。

 

 そこに至るまでの悪意を、或いは事象を、彼女達はまだ目にした事が無い。概念として理解していても、馴染みのないそれは決して血が通わず、漠然とした想像でしか補う事が出来なかった。

 まるで分厚い硝子越しに世界を眺めている様な、実感も無く、質感も無く。

 しかし、血に塗れた先生を抱えた時、サキ達の中には確かに、『死』という概念が確かな温度、匂い、感覚として去来したのだ。

 両手を握り締め、背を曲げて息を吐き出す彼女の掌は、震えていた。

 

(むご)過ぎるだろう……! あんな真似までして、連中は一体何をしようとしていたんだ? あんな風に痛めつけて、苦しめて、何が欲しいって云うんだよ――ッ!?」

 

 そして、それを理解した時、サキは恐ろしくなった。

 自分達にとって、一発の弾丸は危険足り得ない。けれど先生にとってはそうではない。

 そんな危険な世界で、ふとした瞬間に自分の命が終わってしまう世界に身を置く彼は、何を想っているのか、何故あんな風に平気な様子で振る舞う事が出来るのか。自分達よりもずっと、ずっと弱い身体で、傷に塗れて――苦しい事も、恐ろしい事も、痛みに呻いた経験だってきっと、何度も何度もあっただろうに。

 

 そして、そんな相手を苦しめてまで得られるものとは、一体何なのか。

 

 激情を吐き出す様に、絞り出した声を発する彼女には分からない。

 自身の中に存在する荒れ狂う感情を必死に抑えつけようと、その残滓を吐き出すサキを横目に、ミヤコは努めて冷静な態度を装い、口を開く。

 

「……少なくとも」

 

 ゆっくりと、含む様に声を発した。

 自分だけは、常に冷静でなくてはならないと、彼女は云い聞かせていたのだ。たとえどんな状況であっても、困難に直面しても。それがこの部隊を率いる己の責務であると。

 

「私達の知る所には、無いものなのでしょう」

 

 声は小さく、微かな無力感を覗かせていた。

 現状RABBIT小隊が把握している事は、精々が防衛室の不祥事と公安局周りの状況、そして防衛室と協力関係にあったカイザーコーポレーションの暴走だけだ。

 

「今、確実に分かっているのはカイザーコーポレーションが先生を狙っている、その事だけです」

 

 それ以外は全て、推測に過ぎない。詳細を先生に問う時間も残されてはいない、自分達に出来る事は限られている。

 ミヤコの掌に力が籠められ、指先が軋む音を立てた。

 

「そして、それを阻止出来るのは現状、私達――RABBIT小隊のみ」

 

 このままカイザーコーポレーションに先生を明け渡す事は、最悪の結末を生むだろう。それは予感ではない、最早確信だった。

 

 二人の間に沈黙が流れる。物事の是非を問うた所で、カイザーコーポレーションが答えるとも思わない。ならば指針は一つ、自分の中に存在する正義だ。

 少なくとも、彼等の行いが正しいとは絶対に思えなかった。

 ならばやるべき事は一つ――SRTとして、最後まで自分達の正義を貫く事。

 RABBIT小隊は、自分達の胸に秘めた正義を信じている。

 自分達は、先生の消失を望んでいない。

 

「……私達が、最後の盾か」

「えぇ」

 

 ぽつりと呟かれた言葉に、ミヤコは頷く。

 サキの俯いていた顔が上がり、ゆっくりと瞳が開かれた。曇天の中でも煌めく、強い意志の顕れ。ミヤコはそれを、正面から受け止める。

 それなら、是が非でも、先生を守らなくちゃいけないな。

 彼女のそんな言葉に、ミヤコは無言で肯定を示した。

 

「み、ミヤコちゃん!」

 

 そうこうしていると、遠方から此方に呼びかける声が聞こえた。

 二人が振り返れば、両脇に小さな保管箱を抱えたミユが覚束ない足取りで向かって来る所であった。彼女はミヤコとサキの傍まで駆け寄って来ると、白い息を弾ませながら抱えていた保管箱を足元に置く。

 

「これ、トラップとタレットの予備パーツ……!」

「ありがとうございます、ミユ」

 

 礼を告げ、ミヤコは屈み込むと手早く保管箱のロックを弾き、蓋を開ける。

 中を覗き込めば、細々としたパーツ、モーターやサーボ、ジャイロスタビライザー、バッテリーや接続ケーブルなどが小分けにして詰め込まれているのが見えた。

 それらを手に取りながら、ミヤコは顔を上げ二人に協力を求める。

 

「二人共、敷設を手伝って下さい」

「防衛陣地を拡充するのか?」

「はい、キャンプにある物資は次の一戦で全て出し尽くします」

 

 予備パーツまで引っ張り出して来たという事は、つまりそういう事だろう。

 文字通りこのキャンプに存在するあらゆる物資を費やし、カイザーコーポレーションと対峙するつもりだった。

 大雨で拠点が被害に遭った後、防衛陣地は僅かながら簡易化を余儀なくされていた、それを早急に補強する必要がある。

 

「使えるものは全て使って抵抗しなければ、恐らく簡単に突破されてしまうでしょうから」

 

 両手に握り締めたパーツを一瞥しながら、ミヤコは強い口調で告げる。後先を考えられる程、今のRABBIT小隊には余裕が存在しない。

 そして相手方も全力で挑んで来ると分かっているのだ。

 ならば、出し惜しみは無しだ。

 顔を上げたミヤコは、二人を見上げながら宣言した。

 

「救援が辿り着くまでの時間――何としても、先生の居る此処(キャンプ)を死守します」

「……あぁ!」

「う、うん!」

 


 

 という事で次回から絶望の防衛戦開始ですわ~! 物語序盤でヴァルキューレ相手にやっていた事の再演ですことよ! ただし今回は情報・火力支援抜き、装備弱体化、敵強化、ついでに敗北した場合は先生が大変な事になりましてよ! 

 うぅ、RABBIT小隊の皆頑張って……。

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