ブルーアーカイブを、もう一度。   作:トクサン

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誤字脱字報告ありがとうございますわ~!
遅くなり申し訳ありませんの! 
月末が過ぎたので次回からは通常の速度に戻れると思いますわ~!


この意志が挫けぬ限り(何度でも)

 

「ミヤコ、さっきのオートマタについてだが――」

 

 後退中のRABBIT小隊、主防衛陣地へと駆ける道中、ふとサキが徐に口を開いた。僅かに息を弾ませ駆ける両名は、片腕に愛銃を、もう片腕に弾薬箱を抱えながら懸命に足を動かす。額には血と汗が滲んでいたが、それを拭う素振りすら見せない。二人の脳裏を占めるのは、つい先程交戦したばかりのオートマタについてだ。

 サキは強張った表情のまま、重々しい口調で続ける。

 

「どう見ても違法改造された素体だった、あんなパーツ、ブラックマーケットにだって流通していない筈だろう」

「えぇ、確かに通常のPMCとは全く異なる素体、そして戦い方でした……あの驚異的な運動性能を市販のパーツで発揮するのはまず不可能でしょう、出力も、パーツの耐久性も、何もかも、特別製です」

「ならカイザーコーポレーションが独自に研究開発、製造でもした素体って事か?」

「……現状手元にある情報だけで考えるのならば、そうなります」

 

 極限まで軽量化された素体、レース用に開発されたオートマタの素体であれば、あの速度で駆ける事が可能なモノも存在するだろう。その場合、殆どフレームは剥き出しとなり、最大速度や加速性の観点から装備らしい装備など何も搭載されていないが。

 問題なのは、ソレを戦闘行動を含めた軍用素体で行っている事だった。

 驚異的な執念だ、或いは純粋な資本力と云うべきか。軽量化と最低限の防弾加工、その両立。銃火器や装甲分の何十キロという装備を抱えた上で、尚あの速度を発揮出来るパーツの耐久性、出力の高さ。生半可な技術とパーツで為し得る事ではない、相応の時間と資金が投入されている事が分かる素体だった。

 

『そ、そう云えば私達を探していた兵士の二人組が、そろそろ本隊が合流する、みたいな事を云っていた気が……』

「――本隊、ですか」

 

 耳元から聞こえて来るミユの言葉に、ミヤコは瞳を細める。

 

「そうなると、今のがカイザーコーポレーションの主力、という事になりますね」

「おいおい、あんな連中がまだ居るのか……」

 

 サキはどこか辟易とした様子で呟きを漏らした。少なくとも、半ば捨て石として投入しても問題ない程度には存在しているのだろう。態々一斉に投入せず、探りを入れる形で動いて来たのだ――ミヤコは相手の戦術に、二面性を感じ取っていた。

 片や数で真正面から圧殺するような戦い方。片や少数精鋭の部隊で確実に陣地の設備を破壊、情報を探りに来る様な戦い方。とても同一の指揮官が戦術指揮を執っている様には思えない。

 それとも、先の黒いオートマタとカイザーPMCは異なる所属なのか。あり得ないと、そう断じる事が出来る材料は、手元に存在していなかった。

 

「他のオートマタに混じってあんな奴らまで来たら、流石に対処出来るか怪しいぞ……?」

「……現状、火力で寄せ付けないようにする他ありません、幸い主防衛陣地には前方陣地の倍以上のタレットが備えてありますから」

「それしかない、か」

 

 火力を吐き出すという事は、つまりその分だけ弾薬の消費が激しくなるという事でもある。元々それ程備蓄が潤沢とは云えない現状、それは自分達の寿命を削る様な決断であった。しかし、他に具体的な手立ても無いと云うのも事実。人数が圧倒的に劣る上、早急に技量が上がる訳でもない以上、対処方法は限られている。

 

 そんな言葉を交わしながら駆けていれば、視界に主防衛陣地の土嚢が見えて来た。此方を向くタレットの銃口に、二重三重に敷かれた土嚢と柵、その奥には塹壕が掘られており、塹壕奥側には円型の土嚢で固められた銃架もあった。

 現状、RABBIT小隊が用意した防衛陣地の中で最も強固で、防御設備の充実した場所である。稼働している自動砲台(タレット)の数は十二機、土嚢に囲まれた備え付けの重機関銃は四つ。当然前方には地雷が埋め込まれており、正面から突破するならば相当な出血を強いられる事になるだろう。

 

「こんなに早く主防衛線に撤退する事になるなんてな、もう一時間か二時間、前方陣地で粘る予定だったっていうのに……全く、こんな筈じゃなかったって、最近はそんな事ばかりだ」

 

 吐き捨てる様に呟き、サキは一度塹壕の中に飛び込むと、持ち込んで来た弾薬を仮設保管場所へと置く。箱の表面に跳ねた泥に気付き、それを指先で拭った。雪が積もった地面は何度も往復している内に地面がぬかるみ、足場が悪くなる。しかし、それをどうこうするだけの時間も資材も人手もなく、そのまま運用されているのが現状だった。

 

「RABBIT2、防衛装置は?」

「正常に稼働中だ、幸いこっち方面から敵が来た痕跡は無い、タイムスタンプも確認したが記録は無かった」

「了解しました」

 

 土嚢と共に並べられたタレット、その端末を操作しながらサキは順次タレットの記録を確認していく。自分達が不在の間、カイザーコーポレーションの兵士がこの付近を取ったのならば、センサーデータや発砲ログで確認可能だ。それが無いという事は、襲撃は無かったのだと断言する事が出来る。

 

「RABBIT4、後退完了です、そちらも移動を」

『りょ、了解!』

 

 主防衛陣地へと後退を完了したミヤコは、援護と警戒の為に待機していたミユへと移動指示を出す。ミユの狙撃ポイントは此方の防衛地点によって幾つか設けられており、予備も含めてニ十ヶ所近く存在している。そのポイントそれぞれに偽装された補給品が茂みや土の中に埋め込まれており、中には少量の弾薬や医療品などが詰められていた。

 森林内部で戦闘する際、単独で活動可能な彼女の為に設けられたものだ。仮に彼女の元へと別動隊が仕向けられたとしても、その存在感も併せて容易に捉える事は出来まい。

 

「……!」

 

 ミヤコのポケットに仕舞い込んだ端末に振動があった。取り出せば、前方基地周辺に仕掛けたセンサーが反応した旨の通知が画面に踊っている。

 

「――思ったより、早かったですね」

 

 敵が既に動き始めていた、この様子を見ると残ったタレットも沈黙したのだろう。ミヤコは画面に落としていた視線を上げると、丁度サキが同じように此方を一瞥し、起爆装置を取り出す所であった。

 

「仕掛けたセンサーに反応アリ、敵が前方陣地に踏み込みました、RABBIT2、起爆を」

「分かった」

 

 頷き、サキは起爆装置に設けられたトリガーを二度、確りと握り込む。

 瞬間、遠くの空から鈍い、くぐもった爆発音が轟く。前方陣地、タレットの真下に浅く埋め込んでいた爆発物が起爆した音であった。

 同時に物資集積所や各所に仕掛けていた爆発物も起動し、放棄した少量の弾薬、装備に引火、一斉に火の手が上がる。

 暗がりの空の下、一瞬だけ緋色が地上を照らし、曇天を下から染め上げた。

 陣地全てを覆うような爆発ではないが、上手く行けば数十、百近いオートマタを戦闘不能に追い込めるだけの火薬量はある。泥と血の滲んだ口元を袖で拭い、彼女は僅かに明るさを取り戻した空を見上げる。

 

「これで、幾らか被害が出て敵の足が止まれば良いのですが――」

 

 呟き、端末をポケットへと仕舞い込む。生憎と今の爆発で索敵センサーの類は全滅した、どの程度の被害を相手が被ったのかは確認出来ない。本来ならば観測手段を残しておくべきなのだろうが、その準備すら今のRABBIT小隊には困難であった。

 

「RABBIT2、迎撃の準備を」

「既に整っている、そっちの銃架は頼んだぞ」

「えぇ、任せて下さい」

 

 起動したタレットの奥、神妙な顔つきで重機関銃のグリップを握るサキ。彼女は足元に並べた弾薬ケースを見下ろしながら、微かな不安と共に言葉を漏らす。

 

「……またあの黒いオートマタが出て来たら、早めに倒すべきだろうな」

「件のオートマタについては、優先的に狙撃を仕掛ける様RABBIT4に伝えましょう、内部に入り込まれてしまえば手が足りなくなります」

 

 サキと隣り合う銃架に付きながら、ミヤコは深く息を吐き出し、アイアンサイト越しに前方を睨みつける。まだ、敵の姿は見えてこない。けれどまた、件のオートマタは仕掛けて来るだろうという確信があった。

 此処を抜かれてしまえば、残っているのは予備陣地(リザーブベース)のみとなる。実質的な最終防衛ラインは予備陣地となるが、予備陣地は防衛設備や地雷の数が前方陣地にすら劣る。其処で敵の攻撃を受け止めるのは非常に困難と云わざるを得ない。

 この主防衛陣地で可能な限り耐えなければならない。

 それはRABBIT小隊、全員の総意であった。

 

「――何としても、この場所で敵の侵攻を食い止めます」

 

 ■

 

 揺蕩う意識を自覚する時、それはいつも唐突であった。

 水の中に沈む感覚、とでも云えば良いのだろうか。

 ゆっくりと体が浮き上がって、そこから節々が冷え込んでいく様な浸透感。先生は幾度となく経験して来たその、死に近づいて行く様な寒々しさに最早親しみすら覚えている。

 何も感じないというのはある種の安寧でもあり、自分が世界から切り離されて行く様な寂寥感と、同時に奇妙な温かさがあった。

 節々が冷え込みながら温かい等と、実に可笑しな話ではあるが、精神的に満ち足りた心地とも云い換えられるソレは、『諦観の温もり』であった。

 背に高く積まれた罪悪を下ろし、此処で足を止める事が許される安堵。

 傷に塗れながら這い蹲り、歯を食いしばって進む必要が無くなる安らぎ。

 精神が如何に不屈を誇ろうと、肉体が生物の限界を超えることは無く。あらゆる傷に塗れ、昏々と眠る先生の身体は、常に安寧を求めていた。

 沈み行くその冷たさに、肉体は(終わり)という安らぎを見出していたのだ。

 

「―――」

 

 先生がその重い瞼をゆっくりと押し上げた時、視界に映ったのは何処までも広がる水平線、そして夜空を映し出す水面であった。

 星々の煌めきが水面に反射し、周囲を彩る。傍には傷付き、朽ち果て、崩れた壁と瓦礫が散らばり、寂しそうな空っぽの教室が存在しているだけ。

 嘗て陽光に照らされ、暖かな日差しに包まれていた青い教室は、もう何処にも存在しない。

 

 ふと見上げた星空は、大層美しく感じられた。

 幻想的な星々の光が淡い白で世界を包み、水面は優しい光を満遍なく波及させる。足元から微かに伝わる波紋さえ、その美しさを際立たせる一つのピースとなって世界を輝かせる。

 暫くの間ぼうっと空を仰ぎ、静かに口を閉ざしていた先生は、背後から微かに響いた水音に、ゆっくりと振り向いた。

 

「先生」

「……アロナ」

 

 この、夜の帳が降りた教室に佇む存在はただ一人。

 乱雑に積み重ねられた机、崩壊した教室の片隅に腰掛け夜空と共に過ごす彼女は、深い悲しみを湛えた表情で此方を見つめていた。

 そんなアロナの表情に、先生は何事かを云い掛けて、それから口を噤む。

 数秒程自身の身体を見下ろした先生は、久方振りに感じるあらゆる感覚を堪能しながら、大きく右手を広げた。失われた左腕、その袖が風に靡き、微かな血の香りを先生の鼻腔は嗅ぎ取る。

 

 何かを感じられるというのは、いつぶりだろうか。この星空が美しく見えた理由が、今なら分かった。

 風が頬を撫でる感覚も、何かを香るという行為も、ただ明瞭な星空を見上げると云う事さえ、現実の己には許されていなかったから。

 思えば、この教室に足を踏み入れたのも、随分久し振りな事に感じた。

 

「……この場所に来るのも、本当に久方ぶりだね」

「………」

「でも、あまり悠長に喋っている時間は無い――そうだよね、アロナ」

 

 大きく伸びをした先生は、自身の右足を摩りながら呟いた。その、青色を取り戻した瞳がアロナを射貫く。

 

「外ではまだ、RABBIT小隊の皆が戦っている」

 

 先生の言葉に、アロナは口を噤んだまま頷きを返す。シッテムの箱越しに全てを見ていた彼女は、今がどの様な状況なのかを把握している筈だった。それこそ、昏々と眠っていた自分よりも、余程。

 

「……先生の云う通り、現在RABBIT小隊の皆さんはカイザーコーポレーションと戦闘状態にあります」

「戦況は?」

「生徒さんの奮戦もあり辛うじて戦線は維持出来ていますが、正直な所……」

 

 厳しいか。

 アロナの声色は余りにも弱々しく、先生は軽く唇を噛み締め、眉間に皺を寄せる。詳細を確認した訳ではない為、彼女達が具体的にどのような策を講じているかは分からない。理解しているのは、RABBIT小隊が子ウサギ公園に籠城しカイザーコーポレーションの部隊を迎え撃っているという事だけ。

 仮にカイザーコーポレーションが本腰を上げて攻め入っているのならば、それこそ戦況は絶望的と云えるだろう。RABBIT小隊の物資状態については、ある程度知らせている。とても大軍を相手に持ち堪えられるような備蓄は存在しなかった。

 

「外では戦闘開始から既に五時間が経過しています、RABBIT小隊は三つの防御陣地を築き、そこでカイザーコーポレーションを迎え撃っている形です」

「なら、今は持ちこたえているんだね?」

「はい、ですがシッテムの箱による演算結果によれば、その……」

 

 一瞬、アロナが言葉を呑み込む。数秒程、先生の顔を伺う様に見上げた彼女は、それを口にするべきかどうか迷っている様にも見えた。しかしややあって、緩く首を振ったアロナは、両手でスカートの裾を握り締めながら続けた。

 

「――これから一時間以内に、戦線が崩壊する可能性が極めて高い、と」

 

 その破滅を予期する言葉は、夜空に包まれた教室の中で、冷ややかな風と共に響き渡った。二人の間に、重々しい沈黙が流れる。

 現状を考えれば、寧ろあのカイザーコーポレーションを相手に、不完全な備蓄状況で六時間近く防衛出来た事が驚異的と云うべきか。

 しかし、演算結果が確かならばRABBIT小隊の敗北は刻一刻と近付いている。

 俯き、悲痛な様子で水面を見つめるアロナに反し、先生は空を仰ぐ。現実では失われた二つの空色()が、星々を見つめていた。

 

 夜空の星々、その輝きは決して色褪せることは無い。どんな曇天に覆われようと、陽光も、月光も、星々の煌めきも、必ずその先に存在している。

 例え、その光を目にする事が叶わなくなったとしても。

 確かに光は、そこに在るのだ。

 

「……私が眠っている間、肉体の補完進行はどうなった?」

 

 口調は、実に穏やかであった。

 けれどその中に、自分ではどうしようもない程の強い意思が秘められている事に気付き、アロナはびくりと肩を震わせる。

 彼女が恐る恐る顔を持ち上げた先に、空を見上げる先生の姿があった。彼は決して視線をアロナに落とさない、その薄暗い夜空、煌めく星々の先に何かを見出しているかの様に。

 答えたなくないと、アロナは思った。それは彼が次に何と云い出すのかを、薄々理解しているからだった。長年の付き合いは良い意味でも、悪い意味でも行動の先読みを可能とするが故に。

 どうか、と。

 アロナは内心で願いながら、喉を震わせる。

 

「……辛うじて、動ける程度には」

「なら、十分だ」

 

 十分――その言葉が何を意味しているのか、アロナには分かった。

 

「せ、先生!」

 

 自分の中に去来した認めがたい直感を前に、アロナは慌てて先生の衣服を掴むと、精一杯声を張り上げた。目を見開き、上擦った声を上げる彼女は、その掌に力を込めながら必死に言葉を紡ぐ。

 

「今なら、公園を脱出するという選択肢もあります!」

「………」

「カイザーコーポレーションの目は今、RABBIT小隊の皆さんに向けられています! 子ウサギ公園は現在包囲されていますが、三、四体のオートマタの基幹システムに侵入して、包囲網にほんの少し穴を空ければ……!」

「……アロナ」

「ば、バッテリー残量としてはギリギリになってしまいますが、大丈夫です! 付近で充電可能な場所の情報があります! 一時間以内に戦線が崩壊する可能性が高いと云いましたが、確定ではありません……! 先生さえ安全な場所に避難出来れば、RABBIT小隊の皆さんを後から助ける事も……そ、そうすれば、私が、私がきっと、何とか――ッ!」

「アロナ」

 

 アロナの小さな手を、先生の右手が握り締めた。

 途端、彼女の身体が跳ねる。

 アロナと、そう名を呼ぶ声は大きくもなければ、荒々しくも無い。

 寧ろ幼子に云い聞かせるような、優し気な響きだけがあった。

 衣服を掴む彼女の小さな手を、先生の黒ずみ、罅割れ、傷に塗れた掌が包み込む。掌は現実と違って暖かくて、アロナは涙が零れそうになった。

 

「私は、どんな理由があろうと、今傷付いている生徒達を見捨てる事は出来ない」

「ッ……」

 

 ぎこちない動作で顔を上げれば、此方を見下ろす先生の瞳と視線が交わった。どこまでも真剣な表情で、先生は云う。

 分かっていた。

 分かっていた事だった。

 けれど、どうにも堪え切れず、喉が引き攣って、悲鳴染みた唸り声が漏れた。食い縛った歯の隙間から吐息が漏れ、背が丸まる。

 

「で、でも、先生……!」

 

 項垂れ、身を竦めたアロナは、先生の腹部に額を擦りつけた。

 ぽろぽろと零れる涙が、彼女の頬を伝う。顎先から滴る雫は、水面に落ち、大きな波紋を広げた。

 

「これ以上は……これ以上は、もう、無理です」

 

 弱々しく絞り出された声には、懇願の色が宿っていた様に思う。先生の肉体、失われた生命活動の補完を任されている彼女は、良く理解していたのだ。

 彼の肉体が今、どのような状態にあるのかを。

 

「こんな状況では、私だけで、先生を守り切れません……」

 

 カイザーコーポレーションの軍を前に、現在のアロナに出来る事は限られている。

 バッテリーに余裕があれば、切り抜ける事も出来たかもしれない。しかし先生の肉体を補完し、生命活動を保障する電力を除けば、精々が数体のオートマタを機能停止させる程度のバッテリーしか残っていない。

 先生を守る防壁さえも、一度発動出来れば良い方だろう。加えて防壁を発動させた所で、何発弾丸を防げるかも怪しい所だ。

 こんな状態で一体何をするというのか。

 何が出来るというのか。

 先生を守護する最後の盾でさえ、こんな有様だというのに。

 

「ボロボロの体で、これ以上何を犠牲にするって云うんですか、何を代価に、支払うって云うんですか」

 

 アロナは擦り付けた額を、左右に緩く振った。擦りつけられた額が、先生の胸元に熱を生む。それは駄々をこねる様な、ただどうしようもない現実を前に逃げる事を懇願する、そんな彼女の不安と親愛から齎された所作だった。

 立ち向かわないでほしい、せめて、束の間の安らぎであっても構わない。分かり切った破滅に突き進もうとする大切な存在を、引き留めずにはいられない。

 

「空っぽです、もう先生には、何も……!」

 

 そうだ、先生が支払える代償など、もう――。

 

「何も、残っていないんですよ!?」

 

 顔を上げたアロナが、涙を弾きながら叫んだ。

 それは他ならぬ、アロナの悲痛な想いそのものだった。

 先生の肉体、その朽ちる速度は凄まじい勢いで加速している。

 RABBIT小隊のテントで一時的に視界を閉ざされた時と同じように、その速度は時間を経る毎に勢いを増し、最早アロナが制御出来ない領域に踏み込もうとしていた。

 先生が一時であっても視力を失ってしまったのは、アロナが予想していた以上の速度で肉体の崩壊が始まっているからだ。

 日を経る毎にシッテムの箱が補完する先生の領域は広くなり、深度は増していく。その進行速度を、メインOSであるアロナはあの日、見誤った。

 

「あと一度、あと一度だけでもカードを切れば(奇跡を起こせば)、ウトナピシュティムの本船を起動する負荷さえ、先生には――ッ!?」

 

 彼女は大粒の涙を零しながら、懸命に訴える。

 仮にこのまま、何とか平穏無事に過ごしたとしても、ひと月も過ぎれば必ず致命的な不調をきたすだろう、それは確定された未来だ。

 そこに、カイザーコーポレーションからの暴行があった。罅割れた器を、更に地面に叩きつける様な行為だ。器の中身が漏れ出さぬよう、アロナが必死に修繕(補完)し、辛うじて押し留めてはいるが――それも最早、限界に近い。

 

 二、三ヶ月前であれば、何度かカードを切るだけの猶予はあったかもしれない。

 しかし、今の先生にはもう、差し出せる代償が存在しない。

 肉体と精神を蝕む黒はその芯に迫り、小さな奇跡でさえも致命的な浸食を引き起こす事になるだろう。

 ましてや、ある程度の大きな奇跡を起こそうものならば――それは先生の存在、全てと引き換えになる。

 

「もし仮に」

 

 アロナの頬に、先生の右手が添えられた。

 零れ落ちた涙を拭う様に動いた親指が、彼女の目元を擦る。

 細められたアロナの瞳が、先生を捉えた。

 

「私が今日、此処で全てを使い果たしたとしても、まだ全てが終わった訳じゃない」

 

 先生はこんな状況でありながら、微笑みと共に告げた。

 彼はいつだって変わらない、泰然としていて、揺らぐ事が無い。秘める意思も、抱く信念も、何もかも。ずっと、ずっと前から変わりはしないのだ。

 内に存在する優先順位が入れ替わることは無く、背に積み上がった罪悪と向き合い、ただ今日まで走り続けた。

 その道程を、良く知っている。

 アロナはその道を、共に歩んで来たからこそ。

 

 だからこそ、アロナは先生の微笑みの裏に、確かな心苦しさを抱いている事も知っていた。こうする事しか出来ない自分に、ただ無力感に苛まれ、悲しみを生まない為に足掻いている自分自身が、他ならぬ悲しみを生んでいる事に。

 ただ、だからと云って振り切る事も出来なかった。

 不器用な人だった。

 アロナには見えていたのだ、ずっとずっと、先生の背中に張り付く、幾多もの生徒の影が。

 その声は、ずっと先生の背中を押し続けている。

 

「たとえ私の全てが失われる日が今日だとしても、その最期の瞬間に、私は必ず虹を結ぼう」

「せ、先生、でも……!」

 

 何かを告げようとしたアロナの口元を、先生の指先がそっと塞ぐ。

 その結末は、以前と変わらないものになるかもしれない。

 これまでそうだったように、未来がそう在った様に。

 けれど、それでも明日を諦める事はしたくなかった。

 その一念で、ずっと駆け続けて来たから。

 

 クラフトチェンバーが停止した今、物資を後から補充する事は出来ない。薬品による無理も効かない、予備のプランも機能しない。だが然るべき人物にシッテムの箱を託しさえすれば、制御権の復旧は可能だった。

 そうなれば、仮に自分が斃れたとしても――自身の備えは、誰かに受け継がれる。

 先生の目元が、ふっと下がった。どこか申し訳なさそうに、悲しみを帯びた瞳は、アロナにどうしようもない寂しさを齎した。

 

「ごめん、ごめんねアロナ、私はいつも、皆を悲しませてばっかりだ……」

 

 もっと、自分に力があれば。

 世界を変えられるような、何かがあれば。

 戦える力が、何かを決定する権能が、生み出す資格があれば。

 そう思わなかった日は無い、生徒の苦しむ姿を見る度に、強くそう願ってしまう。

 何度も、何度も、何度も、今までだってそうだった。

 けれど、自分はただの人間で。

 この両手を精一杯広げた所で、掴める掌は限られていて。

 だから限界を超えて、更にその先をも超えて。

 それでも足りなければもっと、もっと先まで歯を食いしばって手を伸ばして。

 足掻いて、足掻いて、足掻いて。

 そうして、漸くこの場所に辿り着いたのだ。

 だから――。

 

「アロナ、私達の理想は、此処までなのかな?」

「っ……」

 

 先生はアロナへと問いかける。自分達は此処までなのか? と。

 瞬間、アロナの身体が強張るのが分かった。それが酷な問いである事は分かり切っていた。それでも、先生は彼女に問う。問わなければならなかった。同じ道を歩んだ仲間として、嘗て異なる道を選んだ生徒として。

 

 この場所で自分達は、夢見た明日を投げ捨てるのかと。

 諦めるものかと、絶対にある筈だと。

 歯を食いしばり、傷に塗れ、願い、祈り、求め続けた明日へと続く道。生徒皆が笑い合える、誰も欠けていない未来。

 それを求め、抗い続けた。

 

 最善の道は(生徒と共に笑い合える未来は)既に閉ざされたかもしれない。(エデンに散ったかもしれない)

 けれど次善の道は――生徒達の未来を(彼女達の明日を)、繋ぐ事だけは。

 

「それは、違う筈だ」

 

 ――此処までなんかじゃない

 

 積み重ねて来た幾多もの悲劇は、この程度の苦難で足を止める事を許さない。先生の掌が、アロナの小さな手を強く握る。

 強く、強く。

 こんな所で、諦める訳にはいかない。後少し、ほんの一歩なのだ。自分の、自分達の夢見た未来まで。

 最善ではないかもしれない、けれど確かな明日が紡がれる未来まで。

 

 後一度、奇跡を起こせば肉体の崩壊が致命的になる。それは、百パーセント決まった事なのだろうか。もしそうではないのなら、一パーセントでも、或いはそれより遥かに低い確率であろうとも、はたまた那由他の果ての確率であろうとも構わない。

 自分は、その最期の瞬間まで足掻き続けて、異なる未来を掴んで見せる。骸同然の肉体であっても、腕一本、指先ひとつ、動き続けるのならば――文字通り何度でも。

 

 そうだ、此処までなんかじゃない。

 私達(二人)が夢見た、願った未来は。

 

「――此処からだよ」

 

 ■

 

「―――」

 

 目覚めた時、先生の視界に映ったのは一面の暗闇であった。

 薄らと見える、朧げな影。天幕の中は真っ暗であり、自分が何処に居るのかも分からなくなる程のもの。

 自身が此処で眠っている事を相手に悟られないよう、明かりは消して行ったのだろう。

 先生は小さく息を吐き出すと、緩慢な動作で右腕を動かし、握り、開く。体は動く、感覚は――相変わらず朧気だが。

 体の調子は、つい数時間前と比較すれば随分マシに思えた。サキの治療と、アロナの補完が効いている。多少動く程度ならば、何の問題もない。

 身を起こせば掛けられていた毛布がずり落ち、床へと音も無く滑っていく。右足は膝を立てる様にして折り曲げられ、シッテムの箱は自身の枕元に置かれていた。

 先生はシッテムの箱を手に取り、表面を軽く撫でつける。

 毛布が無くなると、シャツ一枚という薄着の為か、肌寒い気もした。しかし、最早寒暖差を感じる機能さえ失った先生にとっては、大事ではなかった。

 

「……ミヤコ」

 

 辛うじて、薄らと光を宿す先生の瞳が周囲を伺い、それから天幕の出入り口を捉える。

 ふと口ずさんだのは、大切な生徒の名前。

 自分を守る為に、今尚戦火に身を投じているだろう生徒達を想い、先生は寝台より足を投げ出す。

 

「サキ」

 

 強引に持ち上げた右足が軽く引き攣り、痙攣を起こすが表面を叩き、問答無用で地面を踏み締める。無くなった指先が地面を捉える事はないが、足全体を押し付ける様にして体重を掛け、ゆっくりと立ち上がる。

 皮膚表面に血管が浮き上がり、アロナの補助が働く。千切れてさえいなければ疑似的に筋肉の動きを再現し、動作を補助する事が叶った。右腕を寝台に掛けたまま、先生は一歩を踏み出す。

 

「モエ」

 

 踏み出した足取りは、あまりにもぎこちない動きだった。生まれたての小鹿の様な、覚束ない足取りだ。しかし、確かに一歩を踏み出せた。

 ならば、問題ない。

 動くのならば、それで良い。

 不格好だろうと、無茶をした足がどうなろうと、構いはしない。

 

「ミユ」

 

 じわりと、右足の指先に巻き付けられたガーゼと包帯に血が滲み、ミチミチと太腿から皮膚の裂ける音が聞こえる。簡単に閉じただけの傷口が、少しずつ開こうとしていた。

 一歩、二歩と、天幕の出入り口に向かって歩き出す先生。抱えたシッテムの箱が独りでに光を発し、先生の指先に、薄らと――青白い光が灯る。

 

 陽が落ち、暗闇に支配されたキャンプの中、天幕のフラップを肩で払い除けた先生は、静かに外へと踏み出した。

 月光に照らされたその(空色)が、遥か先で戦い続ける生徒を想う。

 

「――今、行くから」

 

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