今回約一万三千五百字ですの!
「っ、RABBIT2ッ!」
「!?」
絹を裂く様な、独特な落下音が聞こえた。しかし、それが耳に届いたのは、ミヤコの悲鳴染みた呼び声と同時。
反応が遅れたのは、耳にこびり付いた銃声と、長時間の戦闘によるものだろう。流石のSRTとは云え、正面からの撃ち合いを休憩も挟まず何時間と繰り広げていれば、疲労も蓄積されるというもの。
僅かな痺れの走る腕で銃架を振り回し、横合いから聞こえて来たミヤコの声に、一体何だと顔を上げた瞬間――サキの身体は、強烈な爆発に吹き飛ばされた。
「――ッ!?」
爆発は唐突で、受け身を取る暇さえなかった。凄まじい衝撃に視界が暗転、甲高い耳鳴りが木霊し、体中を熱波が突き抜ける。サキの身体は勢い良く後方へと投げ出され、そのまま積み重なった土嚢に背中から衝突し、土嚢を崩しながら諸共吹き飛んだ。
雪の混じった土煙を上げながら、冷たい地面に叩きつけられたサキは、自身の上に覆い被さった土嚢の重さに喘ぎながら辛うじて息をする。
「げほッ、ごほッ! こほっ……!」
肺が焼ける様だった、爆発は彼女の被っていた鉄帽を吹き飛ばし、提げていたバッグはスリングが千切れ、数メートル先に転がっている。呼吸を繰り返しながら、サキは無意識の内に胴体、腹部と順に震える両手で触れた。負傷した部位を確かめようとしたのだ。
飛び散った破片か、小石でも当たったのか、瞼の上から流血があり、どろりと流れ出した赤が彼女の片目を塞ぐ。しかし、幸いにして腹に穴が開く事も、皮膚が爛れる事もない。辛うじて、直撃は避けられた様だった。
「一体、何が――?」
大きく揺れ、白黒になった視界で、サキは先程まで自分の立っていた場所を一瞥する。すると、つい数秒前に握っていた重機関銃が木っ端みじんに拉げ、圧し折れ、鉄屑と化しているのが見えた。周辺の地面は大きく抉れ、円型に積み上げられた土嚢は軒並み崩れ去っている。表面に刻まれた黒々とした焦げ跡と裂け目、そして大きく抉れた地面が先程起きた爆発の威力を物語っていた。
「……砲撃を、喰らったのか」
その爆発跡を確認し、サキは漸く自分が何を食らったのかを理解した。個人携帯可能な砲の類ではない、恐らく迫撃砲か、後方から放たれた何かだろうと。
「RABBIT2! っ、確りして下さいッ!」
「……ぅ」
焦燥した表情を浮かべたミヤコが銃架を離れ、サキの傍へと駆け寄る。彼女の上に圧し掛かった土嚢を退かし、軽く出血などが無い事を確かめる。装備は焦げ付き、所々爆発の衝撃で裂け、解れてはいるが致命傷ではない。しかし爆発の衝撃は彼女の脳を揺らし、一時的に意識が混濁していた。
ミヤコはサキの襟元を掴み、脇に提げていた愛銃で周囲に制圧射撃を加えながら後退を開始する。すっかり日が落ち、暗がりに支配された視界の中で、直ぐ真上から瞬くマズルフラッシュが影を生み出していた。排出される空薬莢が、泥の中へと落ちていく。
「み、ミヤコ……」
「此処は危険です、一度後退しますッ!」
鳴り響く銃声の中、ミヤコが叫んだ。
引き摺られながら、サキは揺れる視界をそのままに崩れ落ちた土嚢の傍に落ちていた愛銃に手を伸ばす。スリングを掴み、そのまま胸元へと引き寄せると、付着した雪と泥を掌で払いそのまま視界の中で瞬く光目掛け、狙いもつけず兎に角弾をばら撒いた。適当に構えただけの銃口は簡単に跳ね、サキは懸命に愛銃を握り締める。痺れた指先には、力が入りにくかった。
次の瞬間、二人の直ぐ脇に砲弾が着弾する。
凄まじい衝撃と爆発音が肌を打ち、反射的に身を竦ませた。跳ねた土砂が全身に降り注ぎ、ぱらぱらと泥の混じった冷たい空気が全身を覆う。まるで頭上から巨大な隕石でも降り注いでいる様な心地だった。こんなものが直撃すれば、大抵の生徒であれば一発で意識を失うだろう。サキが辛うじて助かったのは、ほんの僅かな幸運と、常に着用していた鉄帽によるものだ。
「っ、RABBIT2、立てますか!?」
「なん、とか……ッ!」
前線よりある程度距離を取り、ミヤコはサキの脇に腕を差し込み、半ば強引に抱き起こす。サキは蹈鞴を踏みながらも震える膝を拳で何度も叩き、立ち上がった。
そうこうしている二人の耳に先程と同じ、奇妙な風切り音が届く。
はっと、二人は同時に頭上を仰ぎ、間髪入れず近場の土嚢裏に滑り込んだ。瞬間、次々と降り注ぐ砲弾の雨。独特な風切り音と共に飛来するそれらは、先程まで二人の立っていた場所周辺を一斉に耕し始めた。
地面が弾け、土柱が跳ね上がる。爆音が鼓膜を劈き、爆発の度に心臓を掴まれる様な不安と恐怖を覚えた。爆散したタレットが火を噴き、弾薬ケースに引火し乾いた発砲音が彼方此方から鳴り響いている。
「私達の、防衛陣地が――……」
半壊した土嚢裏に身を潜めながら、敵の砲撃により崩壊していく前線を呆然と見守る事しか出来ないサキ。彼女の泥と生傷に塗れた体が、火花によって照らされていた。
ミヤコもまた、サキと同じように降り注ぐ火砲が齎す結果を見つめながら、空になった愛銃の弾倉を切り替える。銃弾で切れた頬から、一筋の血が垂れていた。
「……つい先程陣地中央にあったCounter-RAMが大破したのが見えました、AN/TPQも機能していません、狙撃されたのか、はたまた流れ弾が運悪くウィークポイントにヒットしたのかは分かりませんが、機能を停止し敵の弾頭を迎撃出来なくなったようです」
「――ならもう、砲撃を防ぐ手段は無しか」
「はい」
防御陣地を攻略する上で、上空からの爆撃や迫撃砲による攻勢は非常に有効である。勿論、その為の備えも存在していた。それが彼女達が用意していたC-RAM、つまり迫撃砲やロケット弾に対する防空システムである。彼女達が前線に張り付き、敵を攻撃している間、この迎撃装置が頭上より降り注ぐ砲撃を撃墜していた。対空措置含め、この手の迎撃手段に抜かりはない。決して安い買い物でもなければ、弾薬の消費も激しいが、キャンプ防衛の為に大枚を叩いてこの手の装備を整えていたのである。
しかし、それが機能を停止した。これで敵は砲撃を防衛陣地に好き放題撃ち込める様になってしまった訳だ。ミヤコは疲労感の滲む顔色のまま、大きく息を吸い込む。このまま崩壊した防衛陣地に留まっても仕方ない、彼女視線を険しく変化させると、サキに目を向けながら告げた。
「RABBIT2、最終防衛ラインに後退しましょう」
「………」
ミヤコが下した決断は、最終防衛ラインへの後退。
戦闘開始から六時間、主防衛陣地の陥落を認める言葉であった。
身を隠した土嚢に降り注ぐ土や破片に体を震わせつつ、時折暗闇の向こう側から発せられるマズルフラッシュから敵の凡その位置を把握する。サーマルカメラやナイトビジョンでの索敵も可能ではあったが、前者は敵のオートマタが装甲表面に熱処理を施しているのか検知が難しく、後者は昼間からの継続戦闘の為か、敵のマズルフラッシュによる定期的な白飛びを嫌って使用していなかった。
オートゲイン機能による自動調整は存在するが、頻繁な発砲により調整が繰り返されると、暗視性能が一時的に低下し返って視認がし辛くなる。AN/PSQ辺りのマルチセンサーフュージョンであれば、単一のセンサーでは捉えきれない情報を補完してくれるだろうが、生憎と今手元には無い。ドローンによる偵察やバックアップも、モエが居ない以上期待は出来なかった。
「私が援護しますから、RABBIT2は先に退避を――」
「……いや」
愛銃を抱えたまま、反撃の為に身を乗り出そうとしたミヤコを、しかしサキが押し留めた。立ち上がろうとした彼女の腕を掴み、引っ張る。
唐突なそれに目を瞬かせたミヤコは、鳴り響く銃声や砲音の中でポツリと呟く。
「……RABBIT2?」
「RABBIT1」
妙に、改まった態度だと思った。
サキは抱えていた愛銃の弾倉、空っぽになったそれを震えた指でポーチに押し込むと、残った
「もう
「――それは」
サキのぽつり、ぽつりと呟かれる言葉に、ミヤコは思わず反論の声を飲み込んだ。
彼女の主張は正しいと、そう思ってしまったからだ。
敵の攻勢は苛烈で、容赦がない。恐らくRABBIT小隊三名で戦闘不能に追いやったオートマタの数は千近くに上るだろう。タレットや地雷等を含む防衛装置による助力があるとは云え、正に驚異的な戦果とも云えた。ましてや正面戦闘に特化した訳でもない部隊であるならば、尚更。
しかし、それでも敵の攻勢は全く以て衰えることは無く、五分、十分の時間を稼ぐだけでも死に物狂いの抵抗が必要であった。抗って、抗って、抗って、当初の十二時間という目標の約半分――六時間を耐え凌いだ。
だが、此処までだ。
これ以上は、もう守り切れないと、サキはそう云っていた。
「だから、此処から先は作戦に沿って動け」
「作戦――……」
「あぁ」
この絶望的な状況に於いての、作戦。
思わず呟いたそれに、一瞬疑念の声を上げたミヤコ。しかしその瞳に、少しずつ理解の色が宿る。
サキはそんなミヤコを見つめながら小さく頷きを返し、告げた。
「RABBIT1、お前が先生を連れて子ウサギ公園を脱出しろ」
「―――」
戦闘開始前に伝えられていた、最後の手段。
最早どうしようも無くなった状況に於いて、ほんの僅かな確率に賭ける――文字通りの博打行為。
しかし、その必要性に駆られているというのは、否定しようもない現実であった。
ガチャリと、サキがボルトを操作し薬室に初弾を送り込む音が響く。見れば弾倉を新しいものに切り替えたサキは、土嚢に寄り掛りながら薄らと笑っていた。疲労の滲む顔色で、それでも気丈に振る舞う彼女は、失った鉄帽の代わりに前髪を掻き上げながら、告げる。
「まだ余力がある内に、私とRABBIT4が反転攻勢を仕掛ける」
最早それ以外に選択肢は無いと、そう云わんばかりに話を進めるサキ。
幾つもの弾丸が土嚢に突き刺さり、ほんの十数メートル先でまた爆発が起きていた。砲撃はまばらに降り注ぎ、土嚢や設置した侵入防止柵が次々と吹き飛んで行く。この場所も、いつまで安全なのかも分からない。闇夜の中で弾丸を吐き出し、稼働していたタレットが一機、また一機と爆音と共に爆散し、暗闇に緋色の華が咲く。
それらを背に、ミヤコは沈黙を守った。
薄い紫がかった瞳が真っ直ぐサキを見つめる。
奥に宿る光が、明確に揺らいでいるのがサキには分かった。
「RABBIT2、いえ……サキ、私は――」
「ミヤコ、いや……RABBIT1」
震えた声で、ミヤコは言葉を紡ごうとした。
二人共、ボロボロだった。
何度も銃撃を受け、泥と雪の上を転がり回りながら戦い続けた彼女達は、肉体的にも精神的にも疲弊し切っている。治療らしい治療も出来ず、長時間寒さと戦いながら銃火器を握り続けた彼女達のグローブには、血と泥が沁み込み、ミヤコの白雪の様に輝いていた白髪は、最早見る影も無い。
そんな状態でどんな言葉を吐き出すか、サキは薄々分かっていた。だからこそ、彼女の言葉を遮ったのは他ならぬサキ自身だった。
サキの掌がトンと、ミヤコの胸元を軽く叩く。
それは突き放す訳でも、拒絶している訳でもない。
ただ、託すように――その掌は拳を象り、ミヤコを打った。
「――
サキの双眸が、ミヤコを射貫いていた。こんな状況であると云うのに、僅かな委縮も、恐怖も、後悔も見せずに。彼女はただ、自身のやるべき事を十全に理解していると、そう云わんばかりの眼光で此方を見ていたのだ。
ミヤコの口が小さく開き、喉を鳴らす。それからクシャリと顔を歪めた彼女は、唇を噛み締め、俯いた。
サキが敢えてコードネームで呼んだのは、優先順位をハッキリさせる為だ。
ミヤコが名前を呼んだのは、その逆であろう。あの瞬間、彼女はSRTとしてではなく、ただ月雪ミヤコとして、空井サキの友人としての顔を覗かせていた。
冷静な彼女を、RABBIT小隊の隊長としての月雪ミヤコを呼び起こす為に、敢えてサキはその様な態度を取った。それを自覚したからこそ、ミヤコは悲痛な面持ちで沈黙する。
しかし、時間は有限だ。
いつまでも迷い続ける訳にはいかない。
数秒、二人の間に沈黙が流れる。乾いた銃声、爆音、空を彩る炎が雪を溶かし、戦火は公園全体を包んでいる。
ゆっくりと、ミヤコが顔を上げた。
爆炎に照らされたその瞳に、もはや怯懦の色は無い。
「――分かりました、RABBIT2」
「……あぁ、それで良い」
ミヤコの返答を聞き届け、サキは安堵した様に破顔した。
そうと決まれば、行動は素早い。ミヤコはサキの肩を軽く叩き、自身の愛銃を抱えたまま後方へと一目散に駆け出す。一分一秒を争う中、彼女の行動は適切だ。
去り行くミヤコは一瞬、サキへと視線を送った。何かを口にしようとして、しかし結局それを言葉にする事は無く。
彼女は溢れそうになる感情を噛み締め、暗がりの向こうへと消えていった。
サキは夜の中に溶けていくミヤコの背を見送りながら、耳元のヘッドセットに指先を当てる。
「RABBIT4、聞こえるか?」
『此――……BBI―で……』
声を上げ、ミユへと通信を繋ぐもノイズが酷い。応答らしきものは微かに聞こえるが、とても聞き取れるものではなかった。先程の爆発で機器がイカれたか。或いは、もっと前に駄目になっていたのかもしれないが、それを把握するだけの余裕も無かった。
サキは溜息を零し、不快なノイズを発したままのヘッドセットに向けて口を開く。
「――聞こえているかどうかが分からない、だから簡潔に伝える」
最早これが彼女に通じている事を祈りつつ、話を進めるしかない。どの程度伝わるかも分からない為、言葉は簡潔に、要点だけを纏めた。手元の愛銃を引き寄せながら、彼女は瞼の上から流れ続ける血を拭う。
「これより
元々これはミユと二人で立案した作戦だ。尤も、これ自体作戦と呼べるかどうかは非常に怪しい所ではあるが、そもそも最初から無謀とも云える戦いだったのだから仕方がない。
雪と泥を被った愛銃、その表面を指先で撫でつけ、きちんと動作する事を祈る。どこか疲れ切った声色で、サキは吐露した。
「……作戦という作戦は、私には無い、こんな状況は教範にも載っていないしな、酷い話だが高度な柔軟性を保ちつつ臨機応変に対応――つまり、各々の奮戦に期待って所だろう」
サキはその様な事を自分で口にしながら、何と馬鹿馬鹿しいと思い笑い声を漏らした。丸投げな作戦だ、というよりも殆ど自分で何とかしろと云う無茶振りに近い。しかし、それ以外に取れる手段が無いと云うのが、実にどうしようもなかった。
「私達の最後の役目になる、だから――」
最後にサキは言葉を詰まらせ、一瞬沈黙する。それは自分達の末路を理解しているからだ。無謀、蛮勇、無茶、何だって良いが――最後は決まっている。しかし、諦めようと云う気持ちにはならなかった。キャンプを流された時の様な、どうしようもない遣る瀬無さは存在しない。
だから彼女は愛銃を握る手に力を籠め、断じた。
「
それを最後に、サキは通信を切った。
以降ヘッドセットが何か明確な音を発する事は無く、微かなノイズを発するばかり。遠くから響く銃声と砲火、爆発音、微かな緋色を視界に宿しながら、サキは草臥れた様子を隠す事無く、夜空を見上げた。
「………」
すっかり陽の落ちた子ウサギ公園は周囲に点灯する街灯がぽつぽつと明かりを宿す程度で、今や銃撃による明かりの方が眩い位だ。時折打ち上がる照明弾が広域を照らし、薄らと迫り来るオートマタ達の影を伸ばしている。連中は弾薬が潤沢にあるのか、銃声が止むことは無い。こうして寄り掛る土嚢にも、数発の弾丸が撃ち込まれ、軽い振動が背中に伝わっていた。
「……ホント、馬鹿だよな」
愛銃を抱えながら、サキは思わず吐き捨てた。それは自嘲だった。引き攣った口元が裂けた皮膚を刺激し、微かな痛みを齎す。貼り付けた様な笑顔でも、存外虚勢だとバレないらしい。
脇腹に鈍痛が走り、体を曲げ呻く。一時間か、二時間前に銃撃を受けた箇所だった。きっと全身、青痣だらけになっているに違いない。次ドラム缶風呂に入る時は地獄を見るだろう――そんな事を考えて、首を振る。
「包囲網に穴を空ける? どう見たって、無理だろ」
余力云々の問題ではない、迫り来るオートマタの影を見れば分かる。あんな数、たった三人でどうすると云うのだ。十や二十なら、恐ろしくはない、自分一人でも何とかしてやると奮起する事も出来るだろう。実際、どうにかする自信もある。
しかし、百や二百となれば別だ、多勢に無勢――如何に火力があろうと、限界は存在する。ましてや千を超えるオートマタを蹴散らして尚、まだ迫り来ると云うのであればどうしようもない。
加えて、今はその重要な火力すら無いと来た。無理だと判断するのは至極当然の判断だった。
そんな無謀な戦いに、今度は一人で赴こうとしているのだ。
サキは自身の正気を疑った。教範の何処に、そんな行動が最善だと書いてあるのか問い質したくなる。平時の自分が見れば、「何を考えているんだ」と一蹴するに違いない。
「――でも、これが正しい事だって、そう思ったんだ」
身丸め、目を瞑ったサキはひとり胸中を吐露した。
SRTが閉鎖になって、全部を失ったと思って、どう考えても理性的ではない行動を取った。ヴァルキューレへの編入を蹴ってデモ活動など、真面な生徒のする事ではない。
それを自分は理解していた筈だ。
サキは正しい事が好きだ。
規律が好きだ、毎日毎日、良くも飽きずにと云う者も居るが、それは違う。
丁寧に行う事、日々の反復、継続する事は心地良い。
教範には、規則には、正解がある。正しい事を為し、正しい結果を生む、その積み重ねが自分の中に自信を生む。本番に弱いと自覚する彼女自身が、自己を認める為に必要なプロセスと云っても良い。
勿論、其処に全ての正解がある訳ではないと知っている。盲目なのではない、ただ彼女は先人の知恵を、経験を、知識を、信頼しているのだ。
――砲撃が止み始めた。
タレットは既に、全て沈黙していた。砲撃や敵方の銃撃により外装は捲れ上がり、断線したコードが火花を散らしている。どうやら連中も、此方からの反撃が無い事に気付いた様だった。
銃声もまばらとなり、軈て完全に聞こえなくなる。あれ程銃声と爆音に満ちていた夜の公園に静寂が訪れた。
サキは土嚢の裏に身を潜めたまま、深く、深く息を吸う。吐き出した吐息は白く濁り、愛銃のグリップを二度、三度と握り直す。少しずつ、足音が聞こえて来た。敵が防衛陣地へと侵攻し始めたのだ。泥を踏み締め、跳ねる水音、連続するそれらは直ぐ向こう側から。
周囲で交差するフラッシュライト、暗闇と地面を照らすそれが幾つかの影を生む。潜む土嚢の傍に、光が差し込んだ。直ぐ目の前を、数体のオートマタが歩いて行く。
サキは頭上を睨みつける様にして構え、そして一息に飛び出した。
「はあァッ!」
「ッ!?」
土嚢に足を掛け、裂帛の気合と共に直ぐ近くに立っていたオートマタの顔面を蹴り飛ばす。ブーツの先端がオートマタのフェイスモニタを叩き割り、そこから透かさず後続のオートマタに銃撃を加える。
バキン、という金属音染みた銃声と共に、弾丸はオートマタの首元に着弾、貫通した。火花を散らし、ノイズを発しながら後方へと倒れ込むオートマタ。周囲を捜索していたオートマタ達が、一斉に振り向き、サキの姿を捉える。
「コイツ!?」
「居たぞッ、隠れていやがった!」
「特務に任せるまでも無い、此処で仕留めろッ!」
色めき立ち、次々と向けられる銃口。サキは地面を蹴飛ばし駆け出すと、直ぐ近くのオートマタに至近距離で発砲し、その胸部装甲を大きく凹ませる。甲高い金属音と悲鳴、肩口からオートマタへとぶち当たり、そのまま押し倒し、顔面を殴りつけた。拳と地面に挟まれ、弾けるフェイスモニタ。砂嵐を映す画面を睨み付け、サキは気炎を吐く。
「SRTを――ッ!」
向けられるフラッシュライトがサキの姿を浮かび上がらせ、数発の弾丸が肩を掠めた。勢いに負け地面に転がるサキ、しかし動きを止める事無く、雪と泥に塗れながら即座に立ち上がり、傍の遮蔽へと転がり込む。
乾いた銃声が幾つも鳴り響き、サキが身を隠す物資コンテナに弾丸が突き刺さった。その裏から、間髪入れず飛び出し、肉薄する。
兎に角、接近戦だと――近付けば、同士討ちを警戒して弾丸をばら撒く事は出来ない。逆に此方は、どこに撃っても当たる。
少しでも長く、一体でも多く、彼奴等を道連れにする。
「この――ッ!」
腰だめに構えられた銃口を発砲前に腕で押し上げ、そのがら空きの腹部に膝を叩き込む。サキの弾薬は、殆ど残っていなかった。故に体を折り曲げ、怯んだ相手の銃を掴み、引き金を絞らせながら矢鱈めったらと動かし、撃ちまくる。
周囲から悲鳴と、怒声が上がっていた。数発の弾丸は迫っていたオートマタの身体に着弾し、火花を散らす。そのまま銃火器を奪い取ろうとして、横合いからストックで殴り飛ばされた。
視界がブレ、鼻から血が噴き出る。しかしそれに怯むことなく、寧ろ勢いを利用し、頭突きで相手のフェイスモニタを叩き割った。額が割れ、フェイスモニタに血が付着する。膝を突き、崩れ落ちるオートマタを足蹴にしながら、サキは血を流し、周囲に向かって吼える。
「RABBIT小隊を、舐めるな――ッ!」
■
「……サキちゃん」
耳元のヘッドセットに手を添えながら、ひとり森林に潜むミユは小さく呟いた。
彼女の送った最後の通信は、確かに届いていたのだ。
ミヤコが単独で撤退し、先生を連れて脱出を試みる事。それを支援する為に、自分達が囮となって最大限時間を稼ぐ事。
包囲網突破は現実的ではないと、薄々彼女も勘付いていた。
そうでなくとも、既にミユにも長時間戦うだけの余裕が無くなっていた。ミヤコとサキが主防衛陣地へと撤退して以降、敵は狙撃手の排除を試み、現在では山狩り染みた状況にまで陥っている。
既に呑気に狙撃など出来る状態ではなく、木々や茂みの影に潜み、僅かずつであっても敵の数を削ぐのが精一杯の状況であった。
その証拠にミユの全身は泥や枯葉、青痣に塗れ、長時間地面に接している為か体温の低下も著しい。表情は蒼褪め、その肩は小刻みに震えていた。
しかし、これも敵の目を逃れるために必要な事。サーマルカメラ等を極力避ける為に、彼女は敢えて泥を被る事もあった。
夜の子ウサギ公園は、中々どうして寒さが厳しい。暗闇の中、敵の接近に怯え震えながら単独で行う戦闘は、心身ともにミユを確実に蝕んでいた。
きっと、いつもの自分なら一人なんて怖い、無理だ、非道な目に遭うと、泣き事を繰り返してその場に蹲って動けなくなっていただろう。
寒さと疲労で震え、擦り切れた唇を閉じながら、彼女は揺らぐ吐息を漏らす。
でも、今回ばかりは――。
「……うん、分かった」
ミユは既に切れた通信越しに、確りと頷きを返す。そうしてその場に屈み込むと、茂みの中に隠してあった小さなケースを取り出す。半分土に埋まり、カモフラージュネットに包まれているそれは、ミユがこの森林内部で戦闘を行う際に補給出来るよう、事前に用意していたものだ。
「弾薬、確認、残りは――」
既に今ある分は全て使い切ってしまった。ケースの中には少量の弾倉と、飴玉が二つ。ミユは手早く弾倉を自身のポーチに仕舞い込み、愛銃のソレも換装する。
飴玉は一つをポケットに、もう一つは包み紙を解き口の中に放った。
血の味で一杯だった口の中が、途端甘味に満たされる。
いつかモエがくれた飴玉だった。非常に高カロリーで、僅かだか鎮痛作用がある。任務中に大きな負傷をした訳ではないが、集中力が散る様な些細な傷を受けた時、狙撃手としては大きな問題であるが故に、この手のものは有難い。
「……うん」
カラコロ、と。
口の中で飴玉を転がしながら、ミユは何度も頷く。
不意にポロリと涙が零れた。ずっと食い縛っていた歯を飴玉を舐める為に浮かせた途端、何故だか堪え切れなくなったのだ。
本当は――本当の事を云えば。
逃げ出したくて仕方なかった。
怖いし、痛いし、寂しいし、寒いし、辛いし、苦しい。
きっとどれだけ頑張っても、恐ろしい結末が待っていると思うから。
でも、彼女は逃げ出そうとはしない。次々と零れ落ちる涙を拭い、鼻と唇にこびり付いた血を拭い、それから愛銃を抱えて立ち上がる。
背後から、草木の揺れる音がした。視界の悪い夜間とは云え、狙撃手として夜目は利く方だ。オートマタの部隊が直ぐ後方から迫っている事は気付いていた。
――誰かに忘れられてしまう事は、恐ろしい事だ。
「いたぞ! 敵の狙撃手だッ!」
「……っ!」
伸びたフラッシュライトが、ミユの足元を照らす。彼女は即座に駆け出すと、近場の茂みや樹々の影に紛れ、身を隠そうとした。即座に銃声が轟き、オートマタの放った弾丸が幾つもの枝を圧し折り、枯葉が舞った。樹皮に着弾した弾丸が表面を抉り、破片が飛び散る。
「ちょこまかと逃げ回りやがってッ……!」
「回り込め、此処で仕留める!」
今までこれ程に、誰かに忘れられる事を望んた事があっただろうか?
ミユは闇夜を駆けながら自問自答する。
いや、きっとないだろう。
自分のこの、存在感の無さを恥じ、責めた事は何度もあった。まるで最初から存在しないかのように、空気そのものになってしまったかのように、誰にも知られず、意識される事も無く。居ても居なくても同じで、そんな自分を好きになれる筈もなく、自信なんて微塵も無い。
ミユは、自分のこの性質を忌み嫌っている。
けれど今は――今だけは。
「よし、捉え――……」
回り込んでいたオートマタが、ミユの駆けていた進行方向を塞ぐ様に展開した。
しかし、彼が銃口を向け樹々の影より飛び出した瞬間、ライトに照らされた視界に広がるのは降り積もった雪と舞い散る枯葉のみ。
先程まで捉えていら小柄な人影は何処にもなく、まるで唐突に消えてしまったかのように姿を見せない。その結果に、飛び出したオートマタは目を白黒させる。
「っ、き、消えた?」
「馬鹿な、たった今目の前に……!」
――誰かに直ぐ、忘れられてしまうような矮小な存在で良かった。
フラッシュライトが周囲を巡り、複数のオートマタが困惑しながら辺りを見渡す。しかし幾ら探せど先程まで目視していた敵の姿は無く、まるで狐に化かされたかのように銃口は向け所を失う。
――この力で、皆の役に立てるのなら。
「ごッ!?」
「なっ――」
銃声が轟く。
音は、直ぐ傍から。
周囲を見渡していたオートマタの一体、その頭部が何の前兆も無く弾けた。
破片が飛び散り、ノイズの混じった電子音声と共に素体が地面に崩れ落ちる。
森林に木霊する銃声、咄嗟に音の聞こえた方向へと視線を向けるも、微かな足音が聞こえるばかり。暗がりにフラッシュライトを向けても――既に姿は無く。
正しく神出鬼没。暗がりから伸びる一撃必殺の手に、オートマタ達は存在しない肝を冷やす。
「どこだ、何処に居る……ッ!」
「焦るな、所詮は一人だ、数を活かせ――!」
RABBIT小隊の皆と、先生なら。
きっと、何処にいたって――私の事を見つけてくれる筈だから。
だから、怖くなんて無い。
「……一分、一秒でも長く、一体でも多く」
暗闇に潜み、自ら存在感を殺すミユは、白い吐息を漏らしながら小さな、ほんの小さな声で囁く。
操作するコッキングレバーが微かな金属音と共に次弾を装填し、赤い瞳が月光越しに敵を捉えていた。
「――私が、惹きつけるから」
■
「はァッ、はぁ――ッ!」
駆ける、駆ける。
夜の子ウサギ公園を一心不乱に駆け続けるミヤコは、全身に響く鈍痛を無視しながら懸命に足を動かし続けた。
冷気を吸い込んだ肺が悲鳴を上げ、歯茎が徐々に引き締まる様な鋭い痛みを発する。しかし、それでも足は止まらず、寧ろぐんぐんと加速していく。
視界は悪くとも、それなりの期間過ごしたキャンプの地図は頭の中に叩き込まれていた。今回の作戦にあたって、移動する際のルートも完璧だ。
その迷いのない足取りの中で、ミヤコが脳裏を占める感情は一つ。
「サキ……! ミユ……!」
苦しみ、喘ぐ呼吸の中で、ミヤコは戦場に残った仲間達の名前を呼んだ。
情けない気持ちで一杯だった。満身創痍の仲間を残し、自分だけ撤退する事の何と無様な事か、何と悔しい事か。
それが最も合理的で、正しい選択肢であると理解しておきながら、彼女の中にある感情が自身の冷淡を咎めていた。
しかし、足を止める事は出来ない。それは彼女達に対する裏切りだ。それだけは絶対にしてはいけないと、ミヤコの両足は最終防衛ライン――その更に後方にあるキャンプへと急ぐ。
先生さえいれば、彼女達を救助する事も叶う筈だ。
RABBIT小隊は確かに、追い詰められている。
だが、まだ負けた訳ではない。
自分達の任務は、先生の安全を確保する事。何処かの自治区が此処に到着さえすれば、或いは先生を安全な場所に託し、モエが帰還すればきっと逆転の芽はある。
それは夢物語でも何でもない、そう自分に云い聞かせる。
そう――まだ、私達は。
「ッ!?」
暗がりを駆けるミヤコの目が、不意に明かりを捉える。
公道に設置された外灯は薄らと光を放っており、時折打ち上がる照明弾もあり光自体は決して珍しくも無い。
しかし、その色が問題であった。
影の向こう側から齎されるそれに、ミヤコの駆ける足が徐々に――徐々に弱まっていく。
まさかと、そんな事はあり得ないと。
額に滲み出す疲労の汗とは異なるそれを滲ませながら、茂みを抜け、キャンプ手前の予備陣地へと足を進める。
踏み締める雪が小気味良い音を鳴らし、足跡を残していく。
「あ、ぁ――……」
そうして陣地に辿り着いた時。
目に映る光景を前に。
ミヤコの足は、完全に停止してしまった。
「――予備、陣地が」
呆然と、燃え盛る炎を反射する瞳。
予備陣地が、燃えていた。
集積していた物資、設置されていた天幕、重ねていた土嚢、タレット、銃架――何もかもが、全て。
その光景を前に、ミヤコは一歩も動けずに硬直する。
様々な感情や思考が巡り、彼女の肉体を目に見えない衝撃が襲い、その場に釘付けにしていたのだ。
火の粉が周辺の雪を溶かし、暗がりの中で煌々とした光を放っている。彼女にとっては絶望的な状況の中で、しかし炎の煌めきだけは陰る事無く、寧ろ徐々にその勢いを増している様にも思える。
夜空に立ち昇る炎の切っ先が月に手を伸ばし、ミヤコの影を塗りつぶした。
『―――』
そんな炎を背に、佇む複数の影。
それらは樹々の影から身を乗り出し、呆然と陣地を見つめるミヤコの姿を見つけ、ゆっくりと顔を上げる。
ミヤコもまた、炎に照らされた影に気付き、ぎこちなく視線を向けた。
影の様に黒い塗装、そして感情を排した無機質な緑色がミヤコを射貫く。
「例の、オートマタ部隊――」
予備陣地の傍に佇んでいた影は――カイザーコーポレーションの特務。
確認出来る限り、目視で十二体、等間隔で並んだ彼らは銃火器を抱えたまま、燃え盛る炎を背に直立不動を保っている。
陣地を破壊したのは彼等だろう。正面での戦闘に注意を裂き過ぎた、まんまと裏をかかれ、部隊が背後に回った事にさえ気付いていなかった。
きっと、モエが居れば勘付いていただろう。
しかし、今となってはもうどうしようもない。
「……ッ!」
ミヤコは一歩、二歩と後退しながら、ぎこちない動作で愛銃を構える。瞳は戦意を宿し、歯を食い縛って射撃体勢を取った。
しかし、精神は未だ揺らぎ追いつかず。
その動揺が、銃口の揺れとなって表れていた。
『対象目視、予測到達時刻より僅かに早い』
『他の隊員の姿が見えない、単独で後退した模様』
『……問題ない、この場で無力化する、二班は前進、一班は後方より援護』
『了解』
自分達の予測よりも早い到着に、オートマタ達はしかし微かな驚きも、動揺も無い。
ただ静かに一歩を踏み出し、十二体全員が一斉に銃口を構える。
いっそ不気味な程揃った所作は、彼等が群にして個を旨としているが故に。
中央に立つ一体がミヤコを指差し、燃え盛る炎が天幕を崩して、音を立てた。
突き出した指先、その金属特有の光沢が炎を反射する。
『――戦闘開始』
今回のストーリー更新、ケイちゃん復活、良かったですわね……! 名も無き神に関する情報だとか、デカグラマトンに関する云々だとか、あと多次元バリア回りだとか色々と収穫が多いですの! イベストも良かったですし、リオの色々な内面やら考えが分かったのも大きいですわね、和解感謝~!
ストーリーが進むごとに分かる、アリスのトンデモ存在感。透き通っている、透明なストーリーだ……。
やっぱりブルアカは青春の物語でなくてはならくてよ~ッ!