ブルーアーカイブを、もう一度。   作:トクサン

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誤字脱字報告、ありがとうございますわ~ッ!


信念(不壊)

 

「――い」

 

 誰かの声が聞こえた気がした。

 直ぐ傍から、確かに。

 しかし、それは水の中で音を聞いている様なくぐもった音であり、彼女――ミヤコの意識を覚醒させるには至らず。

 まるで全身が薄い膜に包まれたかのように、あらゆる感覚が朧気で、鈍い。

 全身にこびり付いた疲労感は彼女の瞼を常の数段重いモノにしており、多少の衝撃や音では、最早微動だにすることは無かった。

 

 何だか、妙に良い心地だった。外界から切り離された意識の隙間、何も感じる事無く水の上を揺蕩う様に、暗闇の中を泳いでいたいと思ってしまう。

 

「――おい」

 

 再度、声が響いた。

 今度は微かに体が揺すられ、ほんの僅かであっても意識が浮上しかける。

 だが、それでも疲労に肩まで浸かった肉体は声と振動を無視し、暗がりの中を揺蕩い続ける。二度、三度、続けざまに与えられる刺激は強くなり、まるで急いているかのように力は強まる。

 そして一瞬、加えられていた振動は収まり。

 

「おい、起きろ」

「ッ……!」

 

 ガツン、と。

 硬質的な何かが、ミヤコの頬を横合いから殴りつけた。

 

 ぐらりと、その衝撃でミヤコの身体は横合いに傾き、無視できない痛みと危機に急速に意識が覚醒する。身体は受け身も取れず、冷たい地面に転がり泥が頬に跳ねた。

 目を白黒させ、思い出したように呼吸を再開する。最初に視界へと飛び込んで来たのは踏み荒らされ、無数の靴跡が残る地面。それから地面を這うライトの光だ。

 周囲には照明が設置されているのか、夜空の下であっても視界はハッキリとしており、同時に多くの気配があった。

 

 冷たい地面に横たわる身体、その彼方此方から鈍痛が響く。思わず顔を顰め、悲鳴を呑み込んだ。まるで陸に上がった魚の様に大きく、小刻みに息を吸い込み、身を捩る。

 途絶していたあらゆる感覚が蘇り、一斉に痛みを発する体に対し額には脂汗が滲む。

 横たわった自身の身体を確認すれば、制服の上に着込んだ装備は軒並み破損し、表面に血が滲んでいた。

 防弾繊維の縫い込まれたSRTの制服が、見るも無残な姿になっている。いつの間に、どれだけの銃火を受けたのか、一瞬困惑し。

 

 ――そうだ、自分は確か……。

 

 そこまでして、漸くミヤコは直前の記憶を取り戻す。

 ミユとサキを囮役とし、単身でキャンプへと向かっていた事。その道中、通過する予定であった予備陣地が破壊され――件の黒いオートマタ達と戦闘になった事。

 そして、既に満身創痍となっていた自分は、ほんの十分足らずの戦闘で意識を失った事。

 十二体のオートマタに囲まれ、四体目まで食らい付いた事は憶えている。しかし、半数の六体、加えて防衛設備等も含めた数的有利な状態で何とか勝利を拾った相手である。単独で、それも援護も無い状態で抗う事は出来ず。

 ミヤコが最後に見た光景は、後方から自分に向けられる幾つもの銃口、それが煌めいた瞬間だった。

 恐らく、集中砲火を浴びた自分は意識を手放し、虜囚となったのだ。その事を自覚し、ミヤコは静かに唇を噛む。

 

「………」

 

 辺りを睨みつける様にして見渡すと、件の黒いオートマタが二体、此方を見下ろしていた。

 恐らく自分と戦っていた部隊の者だろう、その傍には異なる格好の兵士がずらりと並び、最早式典会場か何かの様相を呈している。

 場所は焼け落ちた予備陣地の傍だった。黒く焦げた資材の残影が、薄らと遠目に見えた。

 自分が意識を失って、どれだけの時間が経過したのだろう? 少なくとも、これだけの兵力を此処に招集する程度には過ぎ去っている様だ。

 設置された小型の照明が辺りを照らし、並んだ兵士達の向こう側から足音が響く。地面に横たわったミヤコが顔を上げ、音のする方向へと視線を向ければ――整列した他のオートマタとは異なる、妙な気配を放つ人影が歩いて来る所であった。

 人影は一歩一歩白雪を踏み締め、地面を照らす光の元へと姿を晒す。

 

「――お目覚めかね、小隊長」

 

 実に、ゆるりとした口火の切り方であった。

 慇懃でいながら軽妙で、しかしその中には微かに此方を嘲る様な響きがあった。気品を感じさせる雰囲気とは別に、どこか傲慢で嫌味のある口調だとも。

 黒いスーツに、派手な赤いシャツ、手には杖を一本携え雪を踏み締める靴は黄金に輝いている。他のオートマタと比較しても特徴的な外装と、素体を用いていた。暗闇の中、薄ぼんやりと浮かび上がる六つの瞳がミヤコを見下ろす。

 

「プレジデント」

「あぁ、御苦労」

 

 その呼びかけに周囲のオートマタ達が一斉に姿勢を正し、彼の前に足を揃える。

 影――プレジデントと呼ばれたオートマタが一歩、また一歩とミヤコへと近寄って来る。

 彼は手に持った杖で雪を突き、右手を軽く掲げて見せた。

 

「十分だ、控えろ」

「ハッ」

 

 ミヤコの両隣に立っていた黒いオートマタが返答し、左右に距離を取る。ミヤコは地面に這い蹲ったまま無意識の内に胸元へと手を伸ばし、武器を探した。

 しかし愛銃は直ぐ傍のオートマタが肩に提げ、サイドアームとナイフの類は見当たらない。手榴弾や弾倉も同じく、どうやら武装解除には余念が無いらしい。

 それにしては手足を自由にしている事に疑問が残るが、最早自分一人では脅威にもならないと云う余裕の表れか。

 ミヤコは視線を細め、ゆっくりとプレジデントと呼ばれたオートマタを見上げた。

 

「……あな、たは」

「そうだな、まずは良く抗ったと、その健闘を称えよう」

 

 健闘と、RABBIT小隊の戦いを、彼はそう称した。

 周囲の兵士達、その対応から目の前の存在が彼らの上官か、或いはカイザーコーポレーションの重役である事は察せられる。プレジデントと、ミヤコは口の中でもう一度呟く。

 確か、その名前は――カイザーコーポレーション、そのトップの名前だった。

 

「防衛室が君達RABBIT小隊に拘っていた理由が少し理解出来た、我がカイザーコーポレーションの戦力を相手に、たった三名で此処まで粘るとは、賞賛に値する」

「………」

「流石は、彼の連邦生徒会長が率いる予定であった部隊、という訳だ」

 

 カイザーコーポレーションの部隊、少なくとも中小自治区と正面から殴り合いが可能で、勝利を拾える戦力があるとプレジデントは自負している。或いは、三大校とさえ条件次第では渡り合えるだろうとも。

 そんなカイザーコーポレーションの戦力を、地上部隊かつ僅か一部分だけとは云え相手取り、少なくない時間を稼いだ。これはプレジデントからすれば掛け値なしに賞賛に値する行為であり、実力であった。

 その一点に於いて、RABBIT小隊はプレジデントの予測を超えたと云っても良い。

 しかし――。

 

「だが、その健闘も此処までだ、もう諦め給え」

 

 彼は肩を竦め、羽織った上着を揺らしながら事も無げに告げる。

 そう、確かに彼女達は健闘した。

 素晴らしい奮戦であったと、カイザーコーポレーションのトップ自ら認めよう。

 だが、どれだけ良く戦ったとしても――結末を変える事は出来ない。

 

「これ以上の抵抗は無意味だ、理解しているかどうかは知らないが、我がカイザーコーポレーションは既にサンクトゥムタワーを掌握している、つまりD.U.全域は全て我々の支配下にあるという事だ、逃げる場所も、隠れる場所さえもう、このD.U.には存在しない――文字通りこれ以上の戦闘は、無駄な足掻きと云うものだよ」

 

 意味なく傷付く必要は無い、違うかね?

 プレジデントは敢えて優し気な口調を保ち、そう云った。それは自身の圧倒的優位な立場から来る、傲慢な慈悲であった。

 じっと此方を見上げ、睥睨するミヤコを見下ろしながら、彼は杖で二度、雪を叩く。

 

「――君のお仲間も、きっとそう望んでいる事だろう」

 

 それが何かの合図だと、ミヤコがそう気付いた時――プレジデントの後方から、別の人影が現れた。

 影はミヤコの傍に立つ黒いオートマタと同じ外装、装備をした兵士だった。

 そしてオートマタ達に連れられた、もう一つの影に気付いた時、ミヤコは思わず目を見開き、喉を震わせる。

 

「ミユ……ッ!?」

「ぅ、ぁ――」

 

 オートマタが引き摺っていたのは、枝葉に塗れ、全身を泥と雪に包んだミユ。

 被った白の中に赤が混じり、その顔色は最早青を通り越して白くさえある。彼女を引き摺る様にして運んでいたオートマタは、乱雑にその矮躯を地面に放る。力なく雪と泥の境目に転がり、横たわる身体。薄らと開いた瞼の上には痣があり、背や肩には蹴り飛ばされた様な足跡が幾つも残っていた。

 

「み、ミヤ、コちゃ……」

 

 擦り切れ、血の滲む唇を動かし、ミユはか細い声を上げる。ぴくりとも指先は動かせず、彼女は地面に転がったまま半分塞がった瞳でミヤコを見ていた。

 しかし、それで終わりではない。

 ミユを連れたオートマタ、その奥から更に別の人影が姿を現していた。

 予感はあった、故に見覚えのある輪郭を捉えた時点で、ミヤコはその表情をくしゃりと歪める。

 

「さ、サキ……!」

「ぅ、ぐッ――!」

 

 彼女もまた、ミユと同様力尽きていた。

 肩に担がれたサキはトレードマークの鉄帽すら失い、力なく四肢を垂らしている。そして同じように地面に放られ、最早抵抗するだけの体力が無いのか、受け身も取れず雪の上を転がった。額から流れていた血が飛び散り、周囲に赤い斑点を生む。

 

「悪い、ミヤコ……」

 

 うつ伏せに倒れたサキはミヤコと同じように地面を這い、頬を泥で汚す。両手を握り締め、震えながら首を擡げた彼女は、悔し気に歯を食い縛り声を漏らした。

 

「あんな、大見栄を切って……結局、大した時間も、稼げなかった……!」

 

 あの後、どれだけの戦闘を繰り広げたのかは分からない。しかし、彼女の制服は最早襤褸布の如く破損し、爆発跡もあった。ポーチは千切れたのか存在せず、片眼は出血により完全に塞がっている。

 総じて、満身創痍だ。

 最後の最後まで抗ったのだと、そう分かる状態だった。

 ミヤコも、ミユも、サキも――全員が。

 

「もう一度、告げよう」

 

 直ぐ傍に立つプレジデントが、RABBIT小隊を見下ろしながら声を発する。

 全員の瞳が緩慢な動作で彼を捉えていた。

 

「――諦めろ、君達(RABBIT小隊)は既に敗北したのだ」

 

 プレジデントの言葉が、まるで質量を持った重しの様に、ズシリとRABBIT小隊全員の体と心に圧し掛かる。

 ミヤコは倒れ伏した仲間を前に、ただ歯を食い縛り、目の前の大人を睨みつける事しか出来なかった。その様子を冷徹に観察するプレジデントは、満足げに笑みを零す。甲鉄の口元が開閉し、歪な笑い声を漏らしていた。

 

「ふむ、無用に喚き立てない所は大変素晴らしい、喧しい輩を相手にするのは煩わしいからな」

「っ」

「さて、これで現状は理解出来たかね? 沈黙は肯定と受け取ろう」

 

 どこまでも余裕を滲ませ、泰然と佇むプレジデントは緩く頷きを返す。その纏う気配は、余りにも無機質。彼は泥になった部分を避け、積もった雪の上をゆっくりと歩きながら地を這うRABBIT小隊へ懇々と語りかける。

 

「それでは改めて君達に――チャンスをやろう」

「……チャン、ス?」

「そうだ、あくまでRABBIT小隊は我々カイザーコーポレーションにとって第三者に過ぎない、云わば不幸なすれ違い、或いは陣営の問題とでも云うのか……兎角、私の目的は君達を排除する事ではない、もっと奥、別にあるのだよ」

 

 既に理解していると思うが、ね。

 プレジデントの声が僅かに跳ねる。電子音声のソレは微かなノイズを孕んでいるが、内側に沸いた感情が手に取る様に分かった。カイザーコーポレーションにとって、今回戦闘に縺れ込んだRABBIT小隊は特段、重要な存在ではないのだ。

 謂わば唐突に湧いて出た障害の一部の様な――少し面倒だと、そう思う程度の小石。

 

 彼等がこのキャンプに攻め込んで来た理由は唯一つ。

 

 プレジデントは徐に一歩を踏み出し、ミヤコの這う泥の一歩手前で足を止め、そのコンパウンドアイを煌めかせ、云った。

 

「――シャーレの先生を差し出し給え、そうすれば君達の安全は保障しよう」

 

 此方を覗き込み、煌々と光を発する瞳は、黄金色。

 それがミヤコを高圧的に睨み付け、何方が上位者であるかを語りかけてくるようだった。

 ミヤコは痛みを発する口元をぎゅっと結んだまま、数秒程視線を交差させる。腰を曲げ、此方を見下す大人――プレジデントをじっと見つめていると、何だか奇妙な感情が湧いて来た。覚えのある感情だ、ミヤコは持ち上げていた首を下げ、思わず脱力する。

 

「ふっ」

 

 唐突に、笑みが漏れた。

 血と汗と泥に塗れ、余裕など欠片も存在しないミヤコから漏れた、予想外の笑みだった。

 

「ふふっ……あぁ、なるほど」

「――?」

 

 肩を震わせ、緩く首を振るミヤコは呟きを漏らす。どこか納得したように、或いは自身も理解していなかった何かを、たった今理解したかのように。

 ミヤコは虚ろな瞳でプレジデントを再度見上げ、目を細める。

 

「何か可笑しな事でもあったかね?」

「いえ、何も……ただ」

 

 緩く首を振り、小さく息を吐き出しながら、ミヤコは呟く。

 

「漸く、理解しただけです」

 

 それは自分の中にある感情の話だ。

 突然の事で、向こうからすれば零した笑みの意味さえ分からないだろう。

 しかしこの、自分の知る存在とはまた、大きく異なる人の形を見せつけられた時、ミヤコの中にストンと何かが落ちて来た様な感覚があったのだ。

 自分にはまだ知らない事がある。

 その好悪の底すら、自分は把握していなかったのだと。

 下には下が、上には上があるんだって。

 

「本当の意味で、好悪には底が無いんだって……あの瞬間、確かに一番嫌っていたものは、もうどこにも無いんだって、そう思ったんです」

「ふむ、発言の意図が理解出来んな、聊か抽象的過ぎる――何が云いたい?」

「あぁ、そうですよね……なら分かり易く云い換えます」

 

 そう云って、ミヤコは目の前のオートマタ、カイザーコーポレーションのトップに立つ人物を見上げる。

 その薄紫色の瞳に、少しずつ光が戻った。

 

「私は、あなたの様な――」

 

 プレジデントは不可解に思った。

 RABBIT小隊は既に敗北した、それは確かに揺ぎ無い事実だろう。最早この戦況を覆せる何かは存在せず、結末は定まった。

 だというのに彼女の瞳には、何か底知れぬ光が宿り始めている。キラキラと奥底に輝く希望。この様な状況に於いて諦観も、後悔も、屈辱も、卑屈も存在しない。

 その輝きが、プレジデントには理解出来なかった。

 

「傲慢で、卑劣で、横暴で、陰湿で、強欲で、狭量で、不誠実で、格好の悪い大人が」

 

 震え、穴の空いたグローブで地面を掴むミヤコ。傷口に沁み込む痛みは、しかし湧き上がる感情に上塗りされる。彼女は掴んだそれを思い切り握り締め、這い蹲ったまま、ぎこちなく腕を振り上げた。

 食い縛った歯が軋みを上げ、その瞳が大きく見開かれる。

 

「――この世で一ッ番! 大嫌いなんですッ!」

 

 叫び、ミヤコは握り締めた泥を目の前のプレジデント、その如何にも悪趣味な靴とスラックス目掛けて、投げつけた。

 びしゃりと、水音を立てて跳ねた泥はプレジデントの足元を汚し、真っ白な雪に点々と跡を残す。力なく投擲された泥は大した威力も、意味もない、ただ彼女の抗議の意思を伝えるだけの一投であった。

 

「………」

 

 公園中に響いたミヤコの血を吐く様な叫び、そして足元に飛び散った泥を見下ろしながら、プレジデントは沈黙を貫いた。付着した泥は黄金の靴を覆い隠し、跳ねた一部は裾を汚している。

 ただ、六つの瞳だけが爛々と輝き、周囲の兵士達は予想だにしない蛮行に身を強張らせていた。

 怒っているのか、呆れているのか、それとも驚いているのか。傍目には何も分からない、彼の態度はどこまでも無機質であった。

 

「ふ、へへ……っ」

 

 冷たい雪に頬を擦りつけ、顔を埋めていたミユが、ふと掠れた笑い声を漏らした。

 混濁した意識で、しかし双方のやり取りを耳にしていたミユは、ミヤコの言葉に同意するかのように、そしてその様な問いかけをしたプレジデントを小馬鹿にしたように、笑ったのだ。

 それは普段の彼女らしからぬ所作だったかもしれない。しかし、それが今のミユにとっての精一杯の抵抗であり、意思表示だった。

 

「……聊か、予想していた返答とは異なるが」

 

 あくまで淡々と、肩を竦めるプレジデント。ふと踵を返した彼はミヤコから視線を逸らし、直ぐ横合いに足を進める。ミヤコと同じように地面に這い蹲ったサキ、彼女の元へと足を進めたプレジデントは先程と同じ問い掛けを繰り返す。

 

「君はどうかね? 作戦だったとは云え、ひとり陣地に取り残され、奮戦したと報告を受けている」

「……私か?」

 

 先程ミヤコにそうした様に、此方を覗き込んで来る六つの瞳。サキは自身を見下ろすその黄金色に対し、「ハッ」と鼻を鳴らす。

 そして地面に這い蹲ったまま一瞬、此方を見つめるミヤコを確認すると、最早微塵も動かない体に鞭打ち、地面を指先で払った。

 跳ねた泥がプレジデントの爪先を汚し、サキの口元が嘲りに歪む。

 その瞳が力強く煌めき、目の前の大人を罵った。

 

「――地獄の底に堕ちろ、高慢ちきなクソッタレ」

「………」

 

 RABBIT小隊の意思は、既に固まっている。

 プレジデントは泥に塗れた靴と裾を一瞥し、それから杖を握り締める手に力を込めた。関節部位が軋みを上げ、らしくもなく駆動系が唸りを上げる。

 

「随分と、躾のなっていない連中だ」

 

 呟き、唐突に振り向いたプレジデントは足を振り上げ――その泥の付着した靴で、ミヤコの顔面を踏み抜いた。

 ゴッ、という鈍い音と共に地面へ叩きつけられる顔面。

 

「あぐッ……!?」

 

 頭上から飛来した蹴撃に、ミヤコは抗う事も出来ず地面に顔を押し付けられる。脳が揺れ、頭蓋が軋む。頬を泥に押し付けられるように、息が止まり顔の半分が泥の中に沈んだ。頭部を靴底で何度も踏み躙られ、彼女の身体がその度に跳ねる。

 

「み、ミヤ――がッ!?」

「ぅぁッ……!」

「理解出来ないかね、RABBIT小隊の諸君?」

 

 声を上げたサキ、そしてミユもまた、傍に立っていたオートマタに背を踏みつけられ、立ち上がる事も許されない。そうでなくとも抗うだけの体力は無く、銃さえ奪われている。踏みつけられた背が軋み、肺が萎む、意図せず悲鳴が口から漏れ出た。全身を襲う鈍痛、暴力の香りに、肉体が委縮してしまう。

 

 プレジデントは何度もミヤコの頭部を踏みつけながら、朗々と謳う様に言葉を続けた。そこには子どもを足蹴にする事に対する罪悪感も、後ろめたさもありはしない。ただ当然の事をしているのだと云いたげな、超然とした態度があった。

 

「これは温情だよ、兵士達を使ってキャンプ内部を数十分捜索させれば、先生の身柄など直ぐに確保出来る――その手間を省く代わりに助命してやろうと、この私が善意から手を差し伸べているのだ、素直に受け取るのが利口な行動だろうに、何故そうしない?」

「……何が、善意、ですか――ッ!」

 

 何度も踏みつけられ、半ば泥に溺れながら、ミヤコは両腕で体を支え辛うじて声を発する。鈍く、震えたそれは瞳を交差させずとも強烈な意思に支えられたものだと分かった。白い髪を血と泥に汚し、何度も足蹴にされながら、ミヤコは必死に抗う。

 

「こんな、事が――正しい、行いの筈が、ありません……!」

「正しい行い?」

 

 ぴくりと、プレジデントの指が跳ねた。踏みつけた足をそのままに、彼は思案する様に顎先を撫でつける。

 

「正しい、正しいか……試みに問うが、それは、善悪とは、それ程までに重要かね?」

「……っ!」

「所詮そんなものは、勝者が紡ぐものだろう、時代の情勢で左右されるあやふやで輪郭の無い代物に拘る理由など、ありはしない」

 

 それこそ無駄というものだ。

 吐き捨て、ミヤコの信念を嘲笑うプレジデントに対し、彼女は拳で地面を打った。

 

「ち、がう……ッ!」

 

 腹の底から出た、心からの否定だった。

 踏みつけたプレジデントの足先に、少しずつ震えが伝わって来る。微かに持ち上がったミヤコの上半身が、その足裏を擦りながら顔を動かす。

 

「それは、絶対に、違います……!」

 

 持ち上がる首元。

 靴裏から、微かに覗く眼光。

 踏みつけたプレジデントを睨みつける様に、薄紫の瞳が煌めく。

 

「う、うん……っ!」

「あぁ、その、通りだ――ッ!」

 

 賛同の声が、後方より上がった。

 ミユも、サキも、苦痛に塗れ、痛みに顔を歪めながら、しかしミヤコの声に応えていた。両手の指が地面を掻き、彼女達は満身創痍の身体に鞭打つ。

 

 ――正義とは、理にかなった正しい道理の事。

 

 その道理は真理に基づくもの、であるならば相手や状況によって変わるものではない。それは異なる時代であろうと、情勢であろうと、問題にはならない。

 時と場所を選ばず、相手が誰であっても同じ基準で、掲げられた一つの、絶対的な正義を信じて動く。

 それが自身に利益を齎す存在であろうと、どんな素晴らしい肩書の相手であろうと。一定の基準で、唯一にして絶対的な正義を掲げ、任務を遂行する存在。

 

 それがSRTだ。

 それがRABBIT小隊だ。

 

 ――それが、私達だ。

 

「それが、私達の……RABBIT小隊(SRT特殊学園)の、正義です――ッ!」

 

 両手を握り締め、ミヤコは叫ぶ。

 自分達が正しいと思った事を為す。どの様な状況、時世、相手だろうと関係ない。

 今此処で自分達の命惜しさに先生を明け渡す事は、絶対に正しい事ではないから。

 だから、プレジデントの要求は呑めない。

 どれだけ自分達に苦痛が齎されようと、どれだけ悲惨な末路を辿ろうと。

 

 ――RABBIT小隊の正義(屈強な正義)は、決して折れ曲がらない。

 

「……くだらんな」

 

 此方を見上げる瞳、爛々と輝く光を前にしてプレジデントは吐き捨てる。その六つの瞳は気怠い色を帯び、再びミヤコを踏みつける足に力を込めた。駆動音が鳴り、震えながら拮抗していた顔面が、再び地面に叩きつけられる。血管の浮き上がった額が地面に押し付けられ、頭蓋が軋んだ。

 

「ぅ、ぐ――ぁッ!?」

「声高に理想を叫ぶだけならば凡愚にでも出来る、ただ一つ叫んだソレすら果たせず、実現出来ぬのなら所詮絵空事、ただ力を持た子どもの駄々と変わりはしない、確かに実力はあるのだろうが……精神は未だ幼いと見える」

 

 まぁ仕方あるまい、あの防衛室のトップも所詮は子どもなのだ。相応の器、という事だろう。

 プレジデントは呟き、その杖の先端でミヤコの首を軽く叩く。必死に伸ばした掌はプレジデントの爪先を掻くが、最早力ない。血の滲んだ指先が微かに裾を汚すのみで、そこに込められた力はあまりにも弱々しかった。

 ミヤコの身体は、疾うに限界を迎えていたのだ。

 

「だが何、心配は不要だとも、我がカイザーコーポレーションの矯正施設は優秀だ、半年もすれば、君達も立派な兵士になってくれる事だろう」

「だ、誰が……そ、んなッ、事」

「もしそれでも矯正出来ないのであれば、残念だが――処分(ヘイローを破壊)する事になる」

 

 ――カイザーコーポレーションの理念を理解しない獣には、相応の末路だ。

 

 薄らと笑みを浮かべたプレジデントは、そう宣う。

 彼からすればどちらでも良い事だ。箱舟さえ手中に収めれば、それ以外の戦力など在っても無くても問題にはならない。上手く行けば儲けもの、便利な手駒が増える。そうでなくともマイナスにはならず、代替可能な兵士を創れば良い。

 自身の目的の為に命を奪う事など、今更だ。

 

「さて、では拘束し収容を――」

 

 プレジデントはミヤコを踏みつけたまま視線を後方に飛ばし、立ち並ぶ部下の一人に軽い様子で声を掛けようとした。彼女達を拘束し、輸送車に詰め矯正施設へと送る。後はゆっくりとキャンプを捜索し、先生の身柄とオーパーツを確保すれば良い。

 そんな風に、思考を巡らせた直後。

 

「――おい」

 

 低く、敵意に満ちた声を聴覚センサーが捉える。

 それはプレジデントの立つ場所、その奥に広がる暗闇から響いていた。

 薄らと煌めく、青白い光。

 ゆらり、ゆらりと揺れ動くそれに気付いた時、背後から電子音が轟く。

 

『ッ!? 基幹システムに、何者かの侵入を検知――!?』

 

 甲高いビープ音、それが鳴り響くと同時、ミユとサキを踏みつけていた二体の特務、その素体の首元から円型のデバイスが弾け飛んだ。

 それは外部からのクラックを一度だけ肩代わりする、身代わり防壁。それが弾け飛び、咄嗟に首筋に手を当てた瞬間――一秒足らずでフェイスモニタに灯っていたグリーンランプが消失し、二体の特務がゆっくりと後方へと倒れた。

 粉雪が舞い、水音と共に沈む甲鉄の身体は、雪の中に埋もれる。

 

「ぅ……ッ?」

「な、なん、だ……?」

 

 サキとミユは背中に感じていた強い圧迫感が消失し、驚きと共にオートマタの倒れる音を聞く。さしものプレジデントも唐突なそれに面食い、思わず身構える様にして現れる人影に警戒の視線を向けた。

 

「プレジデントッ!?」

 

 周囲のオートマタ達が一斉に動き出し、プレジデントを守る様に左右を固め、揺らめく青白い光に銃口を突き出した。

 倒れ伏したミヤコはプレジデントに足蹴にされたまま、半分閉じかけた瞳で、薄らと映る青白い光を追う。

 

「……その、汚い足を」

 

 ズリ、ズリ、と。

 何かを引き摺る様な音が響いていた。

 闇夜を照らす照明、その光が届く場所へと少しずつ近付く誰か。

 一秒経る毎に、暗闇を照らす青の光は輝きを増している。

 音は徐々に大きく、その血と泥に塗れ、変色した爪先が眩い光の下に一歩を踏み出した。

 

「私の、生徒の上から退けろ」

 

 夜の闇から現れる、人の輪郭。

 

 それは罅割れ、血痕の滲むタブレットを抱え、襤褸布の様なシャツ一枚を纏った大人の姿だった。

 左肩と右脇腹、そして雪の上を引き摺る様にして動かしていた右足から赤を垂れ流し、夥しい傷を刻んだ肉体を晒しながら現れた――シャーレの先生。

 背を曲げ、血と雪に塗れ、シッテムの箱を抱きかかえた彼の姿は、土気色の顔色も合わさり最早幽鬼に近い。

 否、幽鬼よりも更に生気を失った、動く何かであった。

 

「っ、シャーレの、先生……?」

 

 悍ましい程の強烈な重圧を感じたプレジデントは、その姿も相まって、素体を小さく震わせ慄いた。

 到底、動けるような傷ではない、恰好も不適切だ、そんな状態で此処まで歩いて来たのか。見れば彼の後ろには点々と続く血痕が雪に刻まれており、引き摺った右足が一本線のように道を創っていた。

 一歩踏み出すだけでも、激痛が走るだろう。しかし常人を遥かに凌駕した驚異的な精神力が肉体を突き動かし、一歩、また一歩と先生は雪と泥を踏み締め、歩き続ける。

 その姿にサキも、ミユも、ミヤコでさえ絶句する。

 

 雪に塗れ、深い隈の刻まれた先生の瞳がプレジデントを捉える。薄らと青白い光を放つタブレット、それに触れる指先が、周囲を淡く照らしていた。

 

「――プレジデント」

 

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