ブルーアーカイブを、もう一度。   作:トクサン

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誤字脱字報告に感謝ですわ~!
文字数の関係で一日遅らせましたの、今回約一万九千字ですわ~!


色褪せない正義の為に。(私達の信じた未来の為に)

 

「シャーレの、先生」

 

 プレジデントは目の前に現れた先生を前にして、無意識の内に一歩後退していた。彼から放たれている重圧とも呼べるそれが、物理的な衝撃となってプレジデントの精神を揺さぶり、気圧されていたのだ。

 ミヤコを足蹴にしていた靴裏が雪を踏み締め、音を立てる。そして遅れて、ハッとプレジデントは自身の足元を見下ろす。

 後退した足を一瞥し、自身が後退したのだという現実を認識した瞬間、彼は恥じる様に杖を握り締め、その場に踏み止まった。

 そうしなければもう一歩か二歩、退いていたに違いない。

 それは決して認める事の出来ない現実であった。

 こんな、死にかけ同然の人間一人に――自分が圧倒される等と。

 

「せ――っ……」

 

 這い蹲るミヤコが、泥と血に塗れた顔を上げ、喉を引き攣らせる。視界に映るのは、テントで安静にしていた筈の先生の姿。予備陣地とテントはそれなりに距離がある、そんな雪道をその身体で歩いて来たのか――今の先生では、十メートル歩行するだけでも血を吐く様な苦痛を伴う筈なのに。

 だと云うのに、彼は。

 

「先生、どうして……」

「良く、頑張ったね」

 

 呆然と、或いは愕然と呟かされたそれに、先生は微かに口元を緩め、告げる。

 どうしてという言葉の中には、様々な問いかけが含まれていた。

 何故此処に来たのか、何故逃げなかったのか、何故そんな状態で――様々な疑問を孕む言葉、しかし先生は彼女達を一瞥し、皆の傷、その一つ一つを目に焼き付ける様にして、唇を一文字に結ぶ。

 その輪郭が、微かに揺らいだような気がした。

 

「助けてくれて、ありがとう」

 

 ぽつりと呟き。

 それからゆっくりと前を向き、先生は視線を尖らせた。

 

「――此処からは、私の番だ」

 

 ずり、ずり、と。

 再び、足を引き摺ったまま進む先生。

 その青白い光に覆われた指先が、暗闇の中で淡い輪郭を保つ。周囲の空気が引き締まり、敵意が満ちるのをミヤコは感じていた。

 

「プレジデント……!」

「構わん、下がれ」

 

 ゆっくりと、しかし着実に距離を詰めるシャーレの先生。それに対し、プレジデントを守る様に展開したオートマタ達が色めき立つ。突き出した銃火器、その引き金には既に指が掛かっている。号令一つあれば即座に発砲可能だ、此処に集う百名以上のオートマタ――その全員から集中砲火を受ければ、流石の先生とは云えひとたまりもないだろう。

 そんな思考の元プレジデントの名を呼べば、しかし彼は小さく手を挙げ、控える様指示した。

 唐突なそれに、驚きを見せるオートマタ達。

 

「で、ですが……」

「構わんと云った」

 

 だがプレジデントが前言を撤回することは無く、オートマタ達は互いに顔を見合わせながら困惑した様子でゆっくりと一歩、二歩と後方へと下がっていく。

 代わりプレジデントは一歩前へと踏み出し、そこから二歩、三歩と先生へ向かって行った。まるで自身が先程退いた事実を塗り替える様に、この場の主が誰であるかを誇示する様に、その歩みは淀みなく、堂々としている。

 歩みを進めながら、プレジデントは意図して平然とした声を上げた。

 

「よもや本当に生きて逃れていたとは、此方としてはジェネラルがしくじる公算は低いと踏んでいたのだがね、此処まで長引く事自体、想定外だよ」

 

 だが、まぁ良い。

 双方の歩みは止まらず、互いの距離はどんどん詰まる。周囲のオートマタが身を強張らせる中、二つの影が照らされた照明の元対峙する。

 片やカイザーコーポレーションのトップ。

 片や独立連邦捜査部シャーレの主。

 血に彩られた白と、穢れなき黒が視線を交わしていた。

 

「その手腕を称賛しよう、シャーレの先生」

「……私は、何もしていない」

 

 手を伸ばせば届く、そこまで距離を詰めた双方は足を止め、先生は小さく吐息を零す。微かに上がった息は疲労によるものか、それともそれ以外の何かか。しかし吐き出される息が白く濁る事は無く、その瞳は何処か虚ろに見えた。

 そんな瞳が、地面に這ったまま此方を見上げるRABBIT小隊を捉えていた。

 

「私がこの場に立っていられるのは、多くの人々の助力と、この子達のお陰だ」

 

 だから彼女達の奮戦は、決して無駄な足掻きなどではなかった。

 この瞬間まで、未来を繋いでくれた事に大きな意味がある。

 そう云いたげな先生の言葉に、プレジデントは小さく肩を竦めた。

 

「貴方がこうして態々姿を現したという事は、覚悟が決まったという事かね?」

「……何の、覚悟だろうか」

「そんなもの、決まっている」

 

 まるで当たり前の事を話す様に、プレジデントは云った。

 

「此処で、命を散らす覚悟だよ(斃れる覚悟だよ)

 

 淡々と、機械的に聞こえる声色だ。寧ろ、それ以外の何があるのかと、プレジデントは甲鉄の口元を歪め電子音声を紡ぐ。

 態々こんな状況で姿を見せたのだ、それ以外には考えられない。

 

「我々の望みは知っているだろう? 何せ、貴方は我々の協力を拒んだのだ」

「……ウトナピシュティムの本船」

「その通り」

 

 カイザーコーポレーションの狙いはそれ一つ。そしてアレを動かすにはサンクトゥムタワーの制御権が要る。その為にこの様な大規模作戦を実行したのだ、最早止まる事など出来はしない。そして先生がこの場に現れたのであれば好都合だ、態々探す手間が省けるというもの。

 

「等価交換だ、貴方が情報を潔く渡すと云うのであれば――彼女達(RABBIT小隊)は見逃そう」

 

 杖で雪を突き、ポケットに突き入れていた掌で地面に転がる三名の生徒を示すプレジデント。彼女達の安否は、先生として決して無視できない代物だろう、彼はそれを良く理解していた。

 ぴくりと、先生の眉が微かに震える。

 

「……制御権を渡せば、彼女達を助命すると?」

「あぁ、そうだとも」

 

 プレジデントからすれば、生徒三名の命等どうでも良い。それが例えSRTという特殊な環境で育った生徒であっても、同様だ。大きな違いなど存在しない。必要な物が手に入ると云うのであれば、喜んで見逃すとも。

 だが――。

 

「しかし、貴方は別だ、シャーレの先生」

 

 プレジデントの指先が、今度は先生を示した。その黒々とした金属の指先が光を反射し、先生の空色の瞳に影を落とす。

 

「貴方の持つ影響力は計り知れない、その意思、信念、肩書、我々カイザーコーポレーションが形作るキヴォトスに於いて、先生、貴方は異物なのだ」

「……異物」

「あぁ、そうだ、故に然るべき情報を手に入れた後は――確実に排除させて貰う」

 

 その言葉に、先生は僅かな驚きさえ見せなかった。眉一つ動かさず、ただ粛々と、淡々と放たれた言葉を受け入れる。その態度は寧ろ、そうなる事を見越している様にも思えた。

 反対にRABBIT小隊の三名は、露骨な動揺と焦燥を露にする。「なッ……!?」と声を上げたサキは、プレジデントと先生を交互に見つめた。そこには万が一でも、その提案を受け入れるつもりではないだろうなという不安と恐怖が見え隠れしていた。

 

「だが安心したまえ、私は(ジェネラル)の様に苦痛を与える気はない、一瞬で楽にするとも、そちらの方が貴方も快く頷けるというものだ」

 

 そうとも、生徒(子ども)が大事であると豪語するのならば、是非もない。

 プレジデントの纏う気配が、威圧的な代物へと切り替わる。

 

子ども達(傷付いた生徒)の為に、その命――諦めて貰おう」

 

 暫くの間、二人の間に沈黙が降りた。

 この絶望的な状況に於いて、その命一つと制御権を対価に、生徒の助命は叶う。

 生徒だけでも、確実な生を拾えるだけ温情の筈。彼にコレを蹴飛ばす選択肢は無い、そんなプレジデントの思惑を前にして先生は大きく、息を吸い込む。

 

「断る」

 

 だが、先生の口から絞り出された返答は全く予想と異なるものだった。

 響く声を、プレジデントのセンサーは確かに拾った。一瞬故障を勘ぐったプレジデントは無言で掌を頭部に伸ばし、指先で外装を軽く叩く。軽い金属音と共に記憶領域を再度読み込むが、発言に間違いは無かった。

 真っ直ぐ此方を睥睨する瞳に、プレジデントは首を緩く振る。

 

「……ふむ、その発言の意図を聞いても?」

生徒達(子ども達)が、まだ諦めていない」

 

 返答は単純であった。

 RABBIT小隊は最後まで抗おうとした、どんなに絶望的な状況であっても、屈服する事を良しとしなかったのだ。

 もし、そうであるのなら。

 

「――なら、大人の私が先に諦めてどうする」

「……ふっ、随分と綺麗事を口にするじゃないか、シャーレの先生」

 

 あくまで気丈に振る舞う先生に対し、プレジデントの胸元から駆動音が鳴った。それは彼の感情の高ぶりを示している。滅多にない事であった。

 そんな襤褸布の様な姿で、良くも威勢の良い言葉を口に出来ると感心すらした。

 だが、それも所詮は虚勢に過ぎない、それは明らかだ。プレジデントは両手を緩く広げ、指先に杖を掛けたまま高らかに謳う。

 

「嗚呼、素晴らしい姿勢だとも、実に教職者らしいじゃないか、感動的ですらある」

「………」

「しかし、現実はそう都合良くいかない」

 

 見給え、先生。

 告げ、プレジデントは踵を返した。

 彼の六つの瞳、コンパウンドアイに映るのはこの子ウサギ公園に募った軍勢。カイザーコーポレーションの一部とは云え、彼の手足となって動くカイザーコーポレーションの戦力、その結晶である。

 

 カイザー・インダストリー

 カイザー・ローン

 カイザー・コンストラクション

 カイザー・コンビニエンス

 カイザー・PMC

 

 カイザーグループの総力を結集させたそれらは、周囲を照らす光の下にずらりと並び、先生へと銃口を突きつけている。整然と隊列を組み、プレジデントの背後に蠢くオートマタはこの場だけでも数百、そのまた背後には数千、D.U.内部でも数万――そして自治区を超えれば数十万という規模に膨れ上がる。

 少しずつ、少しずつ、だが着実に力を蓄えこの日を夢見ていた。たった一つの野望を叶える為に搔き集めた、プレジデントの全てだ。

 その夢の結晶が今、先生の前に立ちはだかっている。

 プレジデントはそれを誇る様に両腕を掲げ、先生へと振り向いて見せた。

 

「これが抗えない現実というものだよ、シャーレの先生」

「………」

「貴方が対峙しているのはカイザー・コーポレーションの総力(すべて)、このキヴォトスに於いて企業が持つ絶対的な力そのものだ」

 

 千や二千、或いは万を超えるオートマタが倒れた所で、次の代替駒(兵士)が来るだけだ。先生にどれだけの策略が、戦略が、奥の手が在るのかは知らない――だが一万で足りぬならば二万、二万で足りぬのなら三万、十万、二十万、三十万、その手が尽きるまで幾らでも兵を投じよう。

 この日の為だけに準備して来た、必要ならば幾らであっても代償を支払う用意はある。故にプレジデントにとって、この戦いは――最早勝利以外あり得ぬのだ。

 

「私はこの力を以てキヴォトスに君臨する、連邦生徒会の全権限、サンクトゥムタワーのコントロールを掌握し学園都市を――企業都市として創り替えよう」

 

 ぎらりと、その瞳が煌めく。

 黄金色のそれが先生を照らし、杖を握る指先が軋みを上げた。

 

「件の古代兵器さえ手中に収めれば、事は為ったも同然……その為にも先生、貴方の存在は邪魔なのだ」

 

 ――故に消えて貰う、是が非でも、今、この場所で。

 

 プレジデントの声が、寒々しく周囲に響く。それは絶対的な意思と執念を以て、先生の耳へと届いた。

 彼は確信している、果たしてこの世界を統べる力に足る力――先生は立ち向かう事が出来るのか?

 否、既に結果は出ている。

 

「逃れるのは不可能だよ」

 

 力は、より大きな力に屈する。

 それこそが、この世界(社会)の真理が故。

 

「貴方は、此処で斃れる運命なのだ」

「……運命、か」

 

 運命、その言葉を何度耳にしただろうか。

 先生は瞼を閉じ、ゆっくりと俯く。暗闇に身を委ねれば、あらゆる感情と記憶が脳裏に蘇った。

 様々な困難があった、乗り越え難い苦難があった、足を止めたくなる慟哭があった、蹲りたくなる苦痛があった。

 痛みも、苦しみも、後悔も、涙も、数え切れない流し、体感し、味わった。それを一身に浴びる事が、定められた運命だと云うのなら――それを変えようと足掻き続けたのが自分だ。

 それを変える為に此処に居ると、何度も叫び続けて来た。

 悲しみを生まない為に、その先の未来へと辿り着く為に。

 けれど、どうやら運命とやらは、余程強固らしい。今こうして再び聳え立つ困難を突き立てた事が、何よりの証左であった。

 

「あぁ、驚異的だとも、どうやら私への対策は万全らしい、此処まで追い詰められたのは確かに、その手腕によるものだ――そこは、素直に認める」

 

 彼女達がこんな風に傷付いて、苦しんで、痛みに喘いでいるのは自分の責任だ。この苦しみも、痛みも、涙も、全ては己の行動に帰結する。それを想えば胸が張り裂けそうになる、自分の不甲斐なさに声を張り上げたくなる。己の体たらく、何と無様で、無能で、無力か――しかし幾ら自身を貶めようと、世界は変わらず、事態は好転せず、未来は閉ざされたまま。

 同じような道を何度と辿って来た。こんな困難に、苦難に、幾度となくぶち当たって来た。その度に自身の無力を嘆いた。

 あらゆる手を尽くしたとも、あらゆる道を模索したとも、どうしようもなくなって、どうにもならない状況でも、それでも諦めきれないと足掻いた果てに、命を落とした事もある。

 その時に響いた声を、慟哭を、悲鳴を、叫びを――先生は全て、全て憶えている。

 

「けれど」

「む……?」

 

 想い返し――先生はゆっくりと、俯いていた顔を上げた。

 その表情を直視した時、対峙するプレジデントは意外そうに呟いた。

 

「この状況で尚、その様な瞳を向けるか、シャーレの先生(人間)

 

 プレジデントが直視した瞳は、鮮烈な光を灯していた。

 とても諦観の念など見当たらない。

 どこまでも深い、広い、希望の光。

 (蒼穹)を想起させる色が、其処には広がっていた。

 

「私を見くびるな、プレジデント――この背中に募る願い(祈り)は、こんな程度じゃないんだ」

 

 この程度で阻まれる歩みならば、私は最初から、この場所に立ってなどいない。

 たとえどれ程高く積まれた壁であろうと、突破不可能に思える分厚い壁であろうと、先生にとっては関係ないのだ。

 ただその先にある未来を、世界を、自分の掴む事の出来なかった――明日を見つめているが為に。

 背負った数多の可能性、取りこぼした彼女達の想いが、そうさせていた。

 それを見つめるプレジデントは、その瞳を点滅させ告げた。

 

「傲慢だな――いや、それは自負か?」

「どうとでも捉えろ、私の選択は変わらない」

 

 プレジデントの言葉に、先生は冷淡を返す。

 たとえ百度繰り返そうとも。

 自身は百度、その困難に挑むだろう。

 

「……そんな体で、今更何が出来る?」

「私一人では確かに困難だ、私自身に戦う力はない、私はただの人間で、先生だ、それ以上でも、以下でもない」

 

 プレジデントが苛立ちを乗せ、一歩を踏み込む。合わせる形で死に体の先生がゆらりと体を揺らしながら、此方も一歩を踏み込んだ。

 ほんの少し手を前に翳せば、相手の胸元に触れる距離。至近距離で睨み合う空色と黄金色が重なり、雪の合間にぶつかる。

 

「ならば尚の事だ、力ない者に世界を変える資格は無い」

「力の有無は関係ない、目の前で生徒が苦しんでいるのなら」

 

 シッテムの箱から放たれる青白い光が、黒ずみ、血に濡れた指先を包んでいた。

 

「――私は己の全てを賭して、その不条理に抗うと誓った」

 

 握り締めた青の光が、先生の表情を照らす。

 この命が(つい)える最期の瞬間まで。

 否、この命が潰えた後でさえも。

 それこそが、先生()の責任であり――使命である。

 

「せ、先生……」

 

 ふと、先生の衣服が引っ張られる。地面を這うミヤコが懸命に手を伸ばし、先生の裾を掴んでいた。下から覗き込む瞳には、懇願の色が見え隠れしている。

 本人の云う通り先生に戦う術はない、こんな場所に来るべきではなかったのだ。今となってはもう、RABBIT小隊で彼を守る事さえ出来ないというのに。

 

「だ、駄目です、に、逃げて、下さい……っ!」

「逃げないよ」

 

 ――皆を置いて逃げるなんて、そんな事、私には出来ない。

 

 息も絶え絶えに吐き出されたミヤコの言葉に、しかし先生は首を縦に振らない。たとえ誰に、どのような言葉を、どんな状況で、幾千幾万と積み重ねようとも変わらない。

 これだけは、変えられない。

 

「ですが……っ!」

「信じて、ミヤコ」

 

 血の滲む指先が、先生のシャツに赤を刻む。とても立っていられるような状態ではない筈だった、耐えがたい苦痛が今も尚襲い掛かっている筈だった。

 けれど、彼はそんな素振りを微塵も見せない。

 涙ぐみ、悲鳴のような声を上げるミヤコに対し、先生は断固とした口調で告げる。

 

「絶対に、大丈夫」

 

 先生はただ前を向き、断言する。

 自分の恰好はボロボロだろう、信じろと云われても難しいのは当たり前だ。こんな傷に塗れ、血を流し、一歩前に進むだけでも覚束ない様な死に体で何をと思うかもしれない。ましてや己は何の力も持たない人間で、全てを救済する様な圧倒的な権能も、あらゆる困難を蹴散らす武力もない。

 けれど、それでも尚先生は彼女に言葉を重ねる。

 

(生徒)が、君達(生徒達)が諦めない限り」

 

 血と汗の滲んだ、大きな背中。傷に塗れて尚、その背はミヤコを守る様に無数のオートマタの前に立ち塞がる。

 力の有無など関係ない、肉体の脆弱さなど関係ない、己は先生で、背後には苦痛に倒れた生徒(子ども)が居る。

 それならば。

 

「――私は決して、斃れはしない」

 

 無数の()と共に、両足で地面を踏み締めた先生は断言する。声は決して大きくなかった、しかし絶対的な意思を秘めた声は、万人に確かに届いた。

 たとえこの命が潰えたとしても、絶対に、この背を地に着けはしない(エデンの時と同じように)

 

 その一念は、何者にも勝る。

 

「……なんで、ですか」

 

 その後ろ姿を見上げながら、ミヤコは力なく声を漏らした。今にも掻き消えてしまいそうな、か細い声だった。皺だらけのスラックス、その裾を掴む指先に力が籠る。堪えていた涙が一粒、頬に流れ落ちた。

 

「なんで、そんなになってまで、頑張るんですか……?」

 

 ミヤコには分からない、理解出来ない。

 どうして先生は、そんな姿になってまで頑張るのか。

 どうして傷に塗れて尚、立ち上がるのか。

 

「なんで、信じられるのですか」

 

 どうして先生が自分達を、そんな風に信じられるのか。

 

「どうして、私達が、前に向かって進めるって……」

 

 だって――だって、未来は誰にも分からないではないか。

 途中で折れて、挫けて、蹲って動けなくなるかもしれないのに。

 全てを投げ出して、逃げてしまうかもしれないのに。 

 もう二度と、立ち上がる事は無いのかもしれないのに。

 

「歩いた道の先に、明るい、希望に満ちた未来があるんだって……!」

 

 明日は今日よりも、もっと悪い日になるかもしれない。

 夢が砕けるかもしれない、理想を捨てる日が来るかもしれない。

 だと云うのに、目の前の大人は。

 

「諦めずに、何度だって立ち上がれるんだって――ッ!?」

「……ミヤコ、前にも伝えた筈だよ」

 

 涙を流し、訴えるそれに、柔らかな声が応えた。

 問いに対する返答は、一つしかない。

 

「私は、先生だから」

 

 小さく、けれど確かに呟かれた言葉。

 放たれたそれには、様々な意味が込められている。

 先生とは生徒を守る存在であり、寄り添う存在であり、最後の最後まで、子ども達の味方になるべき存在だ。その立場は絶対的で、先生にとっては何よりも大きな意味を持つ。

 

「そして君達は、私の――大切な生徒だから」

 

 だから、信じられる。

 先生は生徒を信じる。

 それは、当たり前の事で。

 疑問を挟む余地など存在しない。

 

「どうか憶えていて、私は、いつだって君達の直ぐ傍に居る」

 

 転んだって良い、躓いて蹲っても良い、或いは余りの苦痛に歩けなくなる事もあるかもしれない。

 それは決して恥じる様な事じゃない、誰にだって存在する弱さで、否定出来るものではないから。

 誰も彼もが強く在れる訳じゃないだろう、今直ぐ立ち上がれる訳じゃないだろう。それは当たり前の事で、悲観する事ではない。

 故にどれだけ時間が掛かったって構わない、そのチャンスを、時間を創るのは他ならぬ己の役目なのだ。

 

 ――だから。

 

「立ち止まった時は、どうか隣を見て欲しい、苦しい時も、嬉しい時も、辛い時も、楽しい時だって、ずっと」

 

 生徒達の直ぐ隣に、(先生)は居る。

 生徒(子ども)が笑ったのなら一緒に笑って。

 生徒(子ども)が涙を流すのなら、一緒に涙を流して。

 些細な喜びも、大きな悲しみも、困難に阻まれる苦しさも、誰かと共に過ごす楽しさも。

 全てを分け合い、共有し、共に歩む。

 その道が苦難に満ち溢れたものであっても、或いは後悔と慟哭に塗れたものであっても――その先にきっと、笑顔になれる未来があると信じて。

 

 ――なんで、信じられるのですか

 

 その疑問に対する答えは、とても簡単で、当たり前の事なのだ。

 

「私は、知っているんだ」

 

 先生は黒ずみ、感覚の無い指先で自身の胸元をなぞる。青白い光が残滓を漂わせ、傷に塗れた胸元を晒した。幾多もの古傷、幾多もの記憶。

 祈り(呪い)の刻まれた肌の表面を、そっと。

 そうだ、私だけは知っている。

 知って居なければならない。

 忘れる事(忘却)は、許されない。

 

「――君達()の、強さを」

「……強さ?」

「あぁ」

 

 それは、物理的なものなんかじゃない。

 腕っぷしだとか、射撃の腕だとか、神秘の云々であるとか、そういう事ではないのだ。勿論、RABBIT小隊の皆が優秀な生徒で、素晴らしい能力を持っている事は理解しているとも。

 けれど先生が知っているRABBIT小隊の――彼女達の強さ、その本質というのは。

 

「自分の進むと決めた道を、自分達の夢見た、憧れた正義を掲げ続ける――どんな困難を前にしても、諦めずに進み続ける、その(強さ)

 

 ■

 

 ――私達(SRT)の正義は、如何なる状況でも揺るぎはしません

 

 ■

 

 先生は強く思う。

 そうだ、彼女達の強さは。

 

「その強さ(憧れ)は、ずっと前から、君達の胸に宿っている筈だ」

「――ぁ」

 

 ――その掲げた正義を、信じ(貫き)続ける強さだ。

 

「……そうやって、耳障りの良い言葉を並べるか、シャーレの先生」

「彼女達は、こんな所で立ち止まる子達じゃないんだ、プレジデント」

 

 プレジデントが顔を逸らし、背の曲がった先生を見下す様に吐き捨てる。双方は決して相容れない。片側は己が為の世界を切望し、片側は子どもの為の世界を切望した。

 今ある世界の中で、未来を求めているという一点のみは共通している――ただその結末が、余りにも異なるだけで。

 

「人は簡単に屈する、痛みは絶対だ、力なき者は力ある者に淘汰される、弱者(子ども)強者(大人)に搾取される、その真理は決して覆らない……!」

「今は、苦しいかもしれない、痛くて、辛くて、仕方ないかもしれない」

 

 二人の視線が交わる、込められる意志は絶対不変――それはプレジデントも、先生も同じだ。互いが互いの主張を譲らない、その芯だけは決してブレない。

 先生は子どもの未来を信じ、プレジデントは己の未来を信じていた。

 

「どれだけ足掻こうと無駄だ、運命を受け入れろ、貴様達は既に敗北したのだ――ッ!」

「けれど、此処が彼女達の終着点(終わり)じゃない――ッ!」

 

 大きく踏み出した一歩が、泥の滲んだ雪を踏み締めた。

 互いが額を突き合わせる勢いで肉薄し、その額が勢い良くぶつかり合う。硬い外装と脆い肉体、骨の軋む音が響き、先生の皮膚が裂け、血が滲み出した。

 互いに前傾姿勢になり、ゼロ距離で睨み合う。

 一拍後、衝撃で弾かれた様に蹈鞴を踏み、後退する両名。プレジデントは顔面に張り付いた赤色を拭い、杖で地面を打つ。先生も数歩後退しながら、しかし力強く地面を踏み締めた。

 

「貴様は、どこまでも、この私を苛立たせる……ッ!」

「【此処まで】じゃない……!」

 

 RABBIT小隊は――彼女達は。

 自分達の信じる、本当の正義というものを、その困難に満ちた道を、憧れと共に進むと決めた子ども達なのだ。

 そんな彼女達の未来が、こんな場所で閉ざされる筈がない。

 そんな結末を、先生は決して認めない、認める訳にはいかない。

 その為に自分は歩み続けた、あらゆる涙に塗れた結末を見届けて来た。それら全て、積み重ねて来たあらゆる未来を、無駄になどさせない。

 させて堪るものか。

 想い、先生は歯を食い縛る。

 強く、強く。

 

「『此処から』なんだッ!」

 

 そうだとも、此処が終わりじゃない。

 もっとだ、もっと先がある筈なのだ。

 こんな苦痛に塗れた終わりではなく。

 慟哭に満ちた結末などではなく。

 曇天を裂く様な。

 夜の闇を払う様な。

 そんな鮮烈で、劇的で、透き通る様な――()が。

 

「ずっと、ずっと未来にまで続く、希望の明日は――ッ!」

 

 ――彼女達の、本当の道は。

 

 先生はゆっくりと掌を掲げる。懐に差し込んだシッテムの箱が独りでに煌めき、突き出した掌に青を纏わせていた。それは周囲を明るく照らし、設置された照明の数倍、数十倍の煌めきを放っている。

 遥か遠くの夜空からでも、良く見えるように、先生は手を掲げ続ける。

 青白い光は先生を包み込み、緩やかな風を巻き起こしていた。

 プレジデントは手で顔に影を作りながら、その不可解な光に身構える。

 何かを――何かを起こそうとしている。

 しかし、それが何であるかが分からない。故に最大限の警戒を保ちながら、プレジデントは一歩、二歩と光より退いて行った。

 

「……そうだよね」

 

 掲げた掌に秘められた光は先生を、RABBIT小隊の皆を、プレジデントを、オートマタの軍勢を照らす。先生はこの闇夜の中で打ち立てられた光を見上げながら、大きく息を吸い込み、叫んだ。

 

SRTの先輩方(FOX小隊の皆)――ッ!」

『――その通りだ』

 

 声が聞こえた。

 この場に居ない筈の、懐かしい声だと思った。

 それは先生の持つタブレットから響き、同時にぶわりと、周囲に吹き荒れる突風。

 

「ッ!?」

 

 粉雪が舞い、ミヤコは咄嗟に顔を伏せた。遠くから空気を打つローター音が聞こえて来る。プレジデントも何かを感じ取ったのか、素早く頭上を仰いだ。照らされた光の向こう側、未だ昏い夜空の向こう側に何かが見えた様な気がした。

 途端周囲から水の弾ける音、オートマタ達が何やら慌てふためき、プレジデントの元へと駆け寄る。

 

「プレジデント! 上空より一機、突入して来る機影が……!」

「……突入だと? 迎撃はどうした!?」

「す、既に実行しています、ですが敵機は、凄まじい速度で此方に――」

 

 公園外周から次々と聞こえて来る爆音、煌めく緋色、それが遥か頭上の夜空を彩り、先生の掲げた光も合わさって周囲が昼間の明るさを取り戻していく。

 騒然としていく世界を他所に、ミヤコは痛む首を擡げ空を仰ぎ見た。

 深い夜空、厚い雲に覆われた星々に混じり飛来する弾丸、砲弾――それらを裂き、真っ直ぐ此方に向かって来る何か。

 

『どうせ迎撃されるって云うならさぁ――ッ!』

 

 耳元の無線機が、ノイズ混じりの声を拾う。

 それは先生奪還の折、敵の対空防御に為す術無く撤退を強いられた仲間の声だった。ハッと、ミヤコが、サキが、ミユが少しずつ大きくなっていく機影を捉える。

 それは幾つかの被弾を許しながら、所々火を噴き、それでも致命的な一撃を避け此方へと突っ込んで来る。

 目の良いミユは、霞む視界の中で操縦席で前のめりになり、満面の笑みを浮かべるモエ(RABBIT3)の姿を捉えた。

 罅割れた硝子の向こう側で、彼女は嗤い、全力で操縦桿を倒す。

 

『諸共突っ込めば、そんなの関係ないよね(最高に破滅的だよね)ェッ!?』

「敵機、正面から……こ、こっちに突貫して来ます!?」

「――正気かッ!?」

 

 さしものプレジデントさえ、これには思わず浮足立った。炎の尾を引き、フレアを連射砲の如く焚き続けながら突っ込んで来る機影。後退り、頭上を仰ぐプレジデントに周囲のオートマタが殺到する。

 そこまで行動を許しながら、はっと何かに気付いた様にプレジデントは先生を見た。彼は変わらず残った右腕を掲げ、青白い光で周囲を照らし続けている。

 その空色の瞳が、じっとプレジデントを射貫いていた。

 

 ――目印だ、コレはあの機体に対する目印であり、合図だったのだ。

 

 そう気付いた時には遅かった。阻止するには、敵の接近を許し過ぎた。

 

「プレジデントッ! 退避をッ!」

「私の事は構わん、後方部隊を散開させろッ! 被害を軽減するのだッ!」

「で、ですがそれでは――っ!」

「馬鹿め、あの光は目印だ! 此処にはシャーレの先生が居るんだぞ!? こんな場所に墜ちる筈がないだろうッ!」

 

 相手が此方の対空防御を抜き、突貫して来たと云うのであれば、目的は明らかである。先生の居場所は分かり切っている、これだけ目立つ光だ、見間違う筈もない。そんな場所に相手が機体を堕とす筈もなく。

 その予測見通り、夜空の中で炎を纏い、勢い良く突っ込んで来る機影はそのままプレジデント達の頭上を素通りし、その後方に展開していた部隊に向かって突っ込んで行った。

 凄まじい風圧と衝撃に近くのオートマタ達は地面に転がり、プレジデントもまたその場で蹲る。

 噴き出した噴煙に紛れ、幾つかの影が夜の闇と共にヘリより飛び出すのが見えた。

 そして機体はそのまま並んだ装甲車やオートマタ達の中に墜落し――爆散。

 

 金属の拉げる音、それからオートマタ達の悲鳴、続く爆音。圧し折れたローターが周囲に飛び出し、内部に搭載されていた火器に引火したのか、連鎖的に起きる爆発が地面を耕す。凄まじい爆音と衝撃、撒き散らされる緋色と共にオートマタが宙を舞い、装甲車が横転するのが遠目に見えた。

 肌を打つ凄まじい熱波に、先生もその場で屈み込み、身を守る様に腕でシッテムの箱を庇い、身を丸める。衣服が靡き、雪に混じって確かな熱風が頬を撫でた。掌を覆っていた光が徐々に形を潜め、消えていく。

 

「い、今のは――」

「ゲホッ! げほっ! 痛ったぁ……!?」

 

 ミヤコが呆然と墜落したヘリの残骸を見つめながら呟くと同時、直ぐ傍から聞き慣れた声が響いた。咄嗟に視線を向ければ、茂みの中から枯れ枝や葉を体中に付着させ、やや煤けたモエが顔を覗かせていた。

 身に着けた眼鏡は片方が罅割れ、その頬には落下の際に傷付けたのか、幾つかの切傷が刻まれている。彼女は割れた眼鏡を指先で押し上げながら、茂みに身を預け燃え盛る炎に目を向けた。

 

「うっわ、すっごい燃えたじゃん、あと一瞬脱出が遅れていたらヤバかったかも……! くひひっ、それはそれで、最高にゾクゾクしたから良いけれど! 相手の対空砲火を掻い潜って突っ込むなんて、もう二度と出来ないだろうし!」

「も、モエ……?」

 

 頬を紅潮させ、頬から流す血も気に留めず恍惚とした笑みを浮かべる彼女に対し、ミヤコは目を瞬かせながら声を掛ける。モエは這い蹲り、傷に塗れた仲間の姿を視界に捉えると、強引に体を起こし茂みの中から脱する。引っ張る枝を腕で払い、押し退けながら地面に立った彼女は持ち出した背嚢を回収し、軽く流れた血を拭いながら云った。

 

「遅くなってごめん、ミヤコ、サキ、ミユ――でも代わりに最高の助っ人、連れて来たから!」

 

 声色には僅かに、皆が奮戦している間何も出来なかった事に対する後ろめたさが滲んでいた。しかし、それに負けない位、強い希望が見えた。こんな状況に陥っても尚、何とか出来ると、そうモエは心底信じているのだ。

 その理由を明かす様に、炎に照らされたミヤコの背後から、雪を踏み締める音が響く。

 

「何をしている、月雪小隊長」

「……っ!」

 

 毅然とした、良く通る声だった。

 その声を耳にしたのは本当に久しぶりで、まだSRT特殊学園を離れる前に聞いたのが最後だった。信じられないという思いがある、その感情が身体を縛り付け、ぎこちなく、ゆっくりと、視線を声の響いた方向へと向ける。

 

「――ユキノ、先輩?」

 

 そこにはずっと探し続けていた、SRTの先輩である――七度ユキノの姿があった。

 作戦用に携帯しているスクールバッグに、武骨なデザインのヘッドセット。彼女用にカスタマイズされた銃口は周囲のオートマタに向けられ、視線はミヤコに合わせながらも滲む気配は周囲を油断なく捉えている。

 彼女だけではない、その背後には同じFOX小隊である部隊員の姿もあった。

 

「その程度でヘバるような教え方、したつもりはないけれど?」

「く、クルミ、先輩……!?」

「ほら立って、まだもう少しだけ、頑張らないとね!」

「ぉ、オトギ、先輩、まで……?」

 

 盾を片腕で構えながら、サキの傍に屈み込むクルミ。ミユの傍には、同じ狙撃手であるオトギが、巨大なガンラックを提げたまま佇んでいた。

 全員が全員周囲を油断なく警戒し、RABBIT小隊を支援できる立ち位置に移動している。唯一ニコだけは爆風で地面に這い蹲った先生に手を貸し、腕を掴んで引き起こしていた。

 

「先生、遅くなり申し訳ありません……!」

「――いや、十分早かったよ、助かった」

「御無事――……には、とても見えませんね」

 

 慌てて駆け寄った彼女であるが、先生の姿を見て息を呑む。「無事ですか」なんてとても口に出来る様な姿ではなかった。しかし先生は緩く首を振り、感謝を述べる。

 

「平気だよ、これ位」

「い、いえ、流石にその姿で、その様な事を仰っても説得力が……」

「寧ろ、私としては良くあんな無茶を通したなって思うのだけれど」

 

 そう云って先生は自身の故に跳ねた泥を拭い、燃え盛る炎を一瞥する。モエとFOX小隊の行った破滅的なエントリーは、周囲のオートマタ達を浮足立たせ、此方から一時意識を逸らす事に成功していた。

 先生は爆発の衝撃波を全て地面に這ってやり過ごしたが、爆薬か何か搭載していたのか、ヘリの墜落によるカイザーコーポレーションの被害は甚大で、飛び散った破片の類も、かなり広範囲にばら撒かれていた。見ればローターが直撃したのか、胴体の中心がべっこりと凹み、裂け、周囲の兵士に慌てて回収されていくオートマタの姿も見える。

 

「あ、えっと、あの特攻はモエちゃんの発案です、どうせ地上から迎撃されるなら、爆薬を搭載したヘリで特攻して一気に削ってやろうって――三十メートル前後の高さなら、ラペリング降下なしの自由落下でも着地は簡単ですので、脱出も容易ですから」

「はは……流石」

 

 ニコの手を借り、何とか立ち上がった先生は彼女の言葉に思わず苦笑を零す。通常ならあり得ない話であっても、彼女達ならば確かにと思ってしまう。どうやらヘリを突貫させる手前で全員が飛び降り、脱出したらしい。何とも大胆で、凄まじいものだと感想を零した。

 

「此処に来るまで、災厄の狐の協力がありました、本来であれば現地での防衛に参加する予定だったのですが――」

「アビドスの方は大丈夫、あの狐が上手くやっているでしょ、業腹だけれど腕っぷしは凄いし、いざとなったら逃げ足も速いから」

「以前捕まえた相手と、こんな形で協力するとは夢にも思わなかったねよねぇ、でもまぁ、今は――」

「……うん、そうだね」

 

 FOX小隊全員が先生の生存を確認し、表情を一斉に切り替える。先生の負傷に対する動揺はある、しかし彼女達は決してそれを表に出さない。

 感情の揺らぎは必要ない、悲しむ事は後から出来る、今はただ最善を尽くす――体に沁み込ませたあらゆる教訓、血と汗の結晶が、文字通りFOX小隊を特務たらしめていた。

 

「立つんだ、月雪小隊長」

「―――……」

「SRTの一員として、こんな所で膝を突く事は、決して認められない」

 

 地面に這ったまま、呆然と此方を見上げるミヤコに対し、ユキノは告げる。その口調は冷淡であったが、同時に自身の後輩に対する強い信頼が滲んでいた。

 倒れ伏した彼女に背を向け、未だ混乱の渦中にあるオートマタ部隊を注視しながら、彼女は言葉を続ける。

 

「それとも」

 

 ゆらゆらと、炎に照らされた先輩の影が、自分を覆っていた。

 先生と比べれば小さな、けれど確かに大きな背中だった。

 憧れであったそれは、いつしか目標となり、SRTの門を潜った時、自分は漸くスタートラインに立てたのだと思った。

 必死に追いつこうと努力した、画面越しに見た彼女達の語った正義に導かれ、此処まで来た。

 そんな彼女(ユキノ)の背中が、自分に問いかけて来る。

 

「SRTの正義は、こんな連中に阻まれるのか?」

「――ッ!?」

 

 放たれた一言に、ミヤコの肩が跳ねた。その振動が溶けた雪の水面を揺らし、泥に浸された体に熱が生じる。

 微かであっても、決して消えない――確かな(憧れ)、その再燃だった。

 

「お前の信じた屈強な正義は(色褪せない正義は)――今、目の前の困難に屈し、朽ちてしまうのか?」

 

 あの日憧れた正義の在り方。

 RABBIT小隊の信じた正義。

 月雪ミヤコの原点。

 その煌めきを、彼女は問う。

 ゆっくりと、炎に照らされるユキノが振り向いた。深紅の様に赤い瞳が、ミヤコの奥底を射貫き、言葉も無く問いかける。

 

 ――私達の信じた(SRTの)正義は、此処までなのか?

 

「ッ……!」

 

 ギチリと、体中が悲鳴を上げ、筋肉が軋んだ。

 立ち上がる気力など無かった。

 体力も底を突いていた。

 だというのにミヤコの四肢に、腹の底から湧き上がる何かが、ほんの僅かな活力を齎す。項垂れ、額を地面に擦り付けたミヤコが叫ぶ。

 

「……違い、ますッ!」

 

 腹の奥底、芯から声を絞り出した。地面に擦り付けた指先が泥を掻き、彼女の身体を上へ、上へと押し上げていく。震える腕が懸命に役割を果たし、ミヤコはゆっくりと顔を上げた。

 

「私の……いいえッ!」

 

 額から流れる血が頬を辿り、汗と泥に混じって流れていく。顎先から滴るそれを拭いもせずに、ミヤコは先輩の顔を仰いだ。

 (ミヤコ)だけではないのだ。

 自分だけではなく、共に戦い、過ごし、絆を育んだ仲間達と信じた正義は。

 

「――私達(RABBIT小隊)信じた(憧れた)屈強な正義(色褪せない正義)はッ!」

 

 血を吐く様な想いで叫び、地面を踏み締めるミヤコ。彼女の足が力強く地を捉え、苦痛に塗れた表情を浮かべながら、けれど必死に叫ぶ。

 

「ど、どんな、時、でもッ――!」

 

 ミヤコの声に呼応する様に、倒れ伏していたミユもまた、立ち上がろうと足掻く。

 傷付き、痣の散りばめられた手足が体を起こし、寒さと疲労で震える手足で体を支える。ガクガクと震え、今にも折れ曲がりそうなそれはしかし、決して挫けない。

 

「どん、な、相手で、あってもぉ……ッ!」

 

 歯を食い縛り、肩を地面に擦り付けながら、サキもまた声を張る。

 先輩達は決して彼女達に手を差し伸べず、ただ真剣な表情でその姿を見守るのみ。

 彼女達もまた、知っているのだ。RABBIT小隊が、自分達の後輩がどの様な道を辿り、此処に辿り着いたのかを――内に秘める正義の心、その強さを、輝きを。

 FOX小隊の四人は、ずっと見守って来た。

 

「そう、絶対に――ッ!」

 

 震える両足で立ち上がり、前を見据えるミヤコ。

 その小刻みに震える両膝が不意に折れ、再び地面へと崩れ落ちそうになった瞬間、背後から支える手があった。

 見れば直ぐ傍にモエが居た、彼女は傷だらけのミヤコの腕を掴みながら、犬歯を剥き出しにして笑い、その背中を支える。

 ミヤコが、サキが、ミユが、モエが、互いの顔を見合わせ、破顔した。

 苦痛に引き攣った、不格好で、歪で、泥と血に塗れた顔だった。けれど確かに、互いの心を通わせた笑みだった。

 

 それだけで、十分だった。

 

 そうだ、私達は。

 RABBIT小隊は、どんな状況、どんな相手であっても。

 自分達の信じた正しさを、私達の掲げた正義を。

 絶対に。

 

『諦めたりしないッ!』

 

 RABBIT小隊全員の声は、夜空の遥か遠くまで響き渡る。

 それは彼女達の世界に対する宣言、胸に秘めた信念を声高に叫んだ瞬間だった。

 背中から響くそれに、ユキノは微かに――薄らと微笑みを浮かべ、力強く頷く。

 

「――あぁ、その通りだ」

 

 この程度の困難で折れてなるものか。相手が誰であろうと、どんな状況であろうと、関係ない。自分達の正義は、SRTの正義は絶対にして唯一無二。

 その志は、決して失われる事は無い。

 最初にFOX小隊(彼女達)が抱いた信念は、確かに後輩(RABBIT小隊)へと受け継がれていた。

 

「ならば証明するぞ、私達の(SRTの)正義を」

 

 ユキノは地面に落ちていたミヤコの愛銃を拾い上げると、それを立ち上がった彼女へと突き出した。雪と泥を被って尚、その表面は輝きを失っていない。

 ミヤコはモエの手を離れ、一歩一歩歩き出す。そして傷付き、震える指先を愛銃へと伸ばし、掴んだ。

 腕の中へと抱えたそれは、普段よりもずっと重く、ずっしりとしていた。

 けれど、取りこぼすことは無い。銃を胸の中に掻き抱いたまま、ミヤコはユキノを見上げる。

 屈強な正義を胸に秘めた彼女の瞳、自信と自負に煌めくソレが、ミヤコに告げる。

 

「私達が諦めない限り、SRT(正義)は消えない、終わらないのだと、奴らに思い知らせてやろうッ!」

「……はいッ!」

 

 その一言と共に、FOX小隊とRABBIT小隊は動き出す。奪われた武装を回収していたFOX小隊の面々は、サキとミユにもそれを手渡しながら、先生を守る様に素早く整列する。

 体は痛みと疲労を訴えていた、けれど今だけは体の奥底から、どんどん力が湧いて来るような気がした。恐れが勇気に、不安が安堵に塗り替わる。それは初めてSRTで、彼女達の隣に並んだ時のように。

 

「ふふっ、久し振りじゃん、こんな風に合同で作戦遂行なんてさ」

「せ、先輩方と、肩を並べる日が……こんな形で、来るなんて」

「サキ、訓練サボってないでしょうね? その程度の『掠り傷』で動けませんなんて云ったら、承知しないわよ」

「当ぉ然……ッ!」

「良くもまぁ、これだけ皆をボロボロにしてくれたよねぇ? これなら、遠慮なく思いっきり爆破出来そうだよ、全員破滅にご招待ってね!」

「……念の為云っておくけれど、モエちゃん、残弾確認は怠らないようにね?」

 

 両隊の面々が並び、自然とフォーメーションを組む。モエは脱出の際に掴んでいた背嚢の中から爆薬やグレネードを取り出し、深い笑みを浮かべていた。

 SRTで共に過ごした時間は決して長くはないが、その密度は余りにも濃く、記憶に確りと刻まれている。合同訓練を経た経験と知識は体を自然と最適な位置へと導き、チームとして動く準備は万全だった。

 その様子を確認したユキノは静かに手を掲げる。

 

「行くぞ、月雪小隊長――いや」

 

 炎に煽られ、靡く黒髪。一歩、彼女達より先に立っていたユキノはミヤコへと視線を送り、力強く告げる。

 それはRABBIT小隊を率いる彼女が、隊長であると認める所作だった。

 

「ミヤコ小隊長!」

「はい、ユキノ先輩……!」

 

 その声に背を押され、ミヤコもまた一歩、力強く前へと踏み出した。

 

「プレジデント、御無事で……っ!」

「ぐッ――どこまでも、無駄な足掻きを……!」

 

 爆発の余波で地面を転がっていたプレジデントは、周囲に飛び散った外装の破片を足蹴にしながら、オートマタの手を借り立ち上がる。同時に差し出された杖を手に取ると、忌々し気に此方に銃口を向けるRABBIT小隊とFOX小隊――そして先生を睨みつけた。

 何故理解出来ない? 大勢は決した、最早数人の増援がやって来た所でどうにもならないだろうに。

 

「もう良い、交渉は決裂だ、全員纏めて排除しろ――ただし、シャーレの先生だけは生け捕りだ」

「ハッ!」

 

 その一言に、周囲のオートマタ達がプレジデントの前へと駆け出し、包囲網を作り出す。並んだオートマタ達はそのままプレジデントを守る甲鉄の壁となり、幾つもの銃口が此方を捉えていた。数えるのも億劫になる程の軍勢だった、プレジデントの言葉が本当ならばこの奥にも千、万という兵士達が待ち構えている。

 しかし対峙する彼女達には、恐怖も、不安も無かった。

 

「み、見ていて下さい、先生……!」

「あぁ、RABBIT小隊……」

「うん、私達の正義――」

 

 ミユが、サキが、モエが云う。

 傷付いた体で、擦り切れそうになった心で、けれど希望を絶やさない、煌めく瞳と共に。

 そんな彼女達(RABBIT小隊)を背に、先頭に立つミヤコが振り向き、先生を見つめながら叫んだ。

 

「私達の、進む(未来)をッ!」

「――あぁ!」

 

 勿論だとも。

 

「アロナッ!」

『ッ、はい……!』

 

 先生もまた、彼女達の声に応えるようにタブレットを掲げる。

 残された僅かなバッテリーを費やし、彼女達のヘイローに触れる。青白い光が周囲に満ち、先生と生徒達との間に光が繋がった。僅かな痛み(痺れ)と共に到来する、暖かな光――世界全てを覗き見る様な、情報の洪水とバックアップ。

 ノイズの走るヘイローが確かな輪郭を取り戻し、彼女達は目を見開き前を向く。

 準備は十全とは云い難い、肉体も疲労と負傷に限界、弾薬だって心許ない。敵の数は膨大で、此方の数は先生を除きたったの八名。傍から見れば絶望的な状況。

 けれど、諦める事はしない。

 何故なら。

 

 ――RABBIT1(FOX1)正義(理想)をこの眼に。

 

 ――RABBIT2(FOX2)未来(規範)はこの脚に。

 

 ――RABBIT3(FOX3)信念(計算)をこの胸に。

 

 ――RABBIT4(FOX4)真理(証明)はこの手に。

 

 それが、SRT(私達)の正義だからだ。

 

「RABBIT小隊、各位」

「FOX小隊、各位」

 

 一歩先に進む両隊の隊長が掌を掲げる。

 そこには学年の差がある、練度の差がある、積み上げた経験の差がある。けれど内に秘めた信念は、掲げた正義を信じる心だけは全く同じで。

 並び立つ彼女達は静かな、けれど鮮烈な意思と共に息を吸い込んだ。

 その口に元には、笑みを携えて。

 そう。

 

「全ては――ッ!」

 

 曇天に覆われ、雪の降る空に微かな切れ目が走る。

 星々に彩られ、顔を覗かせた月光が彼女達の頭上に降り注ぎ。

 その姿を――その行く道を、優しく照らしていた。

 

「――色褪せない正義の為に!(SRT特殊学園の為に!)

 


 

 カルバノグの兎編で私が見たかった光景(性癖)、全部ぶち込みましたわ。

 この先生や生徒達の放つ一瞬、けれど閃光の様に眩い輝きを見たいが為に、わたくしは書き続けるのです。

 やはりブルーアーカイブは、青春の物語です事よ~ッ!

 

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