ブルーアーカイブを、もう一度。   作:トクサン

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誤字脱字報告、感謝ですわ~!
ちょっとモンスターをハントする発売日だったので、一日お休みを頂きましたの!


満ちて、欠けて、朽ちる

 

「っ、ば、馬鹿な……」

 

 方々に視線を向け、その場で蹈鞴を踏んだプレジデントは焦燥と共に行き場を失う。右も左も、前も後ろも、此方を伺う影がある。頭上を仰げば十を超えるドローンが自身に狙いを定め、頼りの特務は沈黙し動かぬまま。ほんの数分、僅かな時間でプレジデントは死地へと追い込まれた。

 その事実に胸中を掻き乱され、プレジデントは自身の前に佇む矮躯を指差し告げる。

 

「何故、何故アビドスに居る筈の貴様が、こんな場所に……!」

「アビドスの襲撃なら、少し前に凌ぎ切った」

 

 プレジデントから放たれた声に対し、頬の汚れを拭いながらホシノは淡々とした口調で云った。そこには何の揺らぎも、迷いも無い。ただ事実だけを述べる力強さがあった。

 

「色んな人の協力があってね、宝探し……だっけ? その為の拠点にこっちから攻め入って、速攻で向こうの指揮官と装備、補給路、集積所を潰して回ったんだ」

「な、ぁ……っ」

 

 ホシノが行ったのは防衛ではない、寧ろ彼女は箱舟周りにドローンと僅かな防衛戦力だけを残し、主力メンバーを率いて周辺のカイザーコーポレーション拠点を片っ端から強襲して見せた。

 元々、攻撃自体は先生からの連絡で示唆されていた、それが初動に大きく影響した。攻撃姿勢を見せる相手程、仕掛けられたら脆いというもの。襲撃の可能性が高いと知った時点で、アビドス対策委員会は自分達の持つ伝手をフル活用。アビドスに事務所を構える便利屋68と補習授業部(ファウストとハナコ)に連絡を取り、雨雲号や校舎に少しずつ備蓄していた弾薬や爆薬、ドローン群を惜しまず放出。

 発見した件の本船周りに防衛拠点を構築、便利屋68及び雇った傭兵達と協力して電撃的な戦闘を仕掛けた。

 ファウストに関しては自治区が遠く離れている事から、実際の戦力としては参戦出来ないという事情があったが、ハナコの優秀な戦術眼と策略はアビドス対策委員会の優勢に大きく寄与した。

 

 ハナコは齎されたカイザーコーポレーションの拠点位置から、箱舟のある座標までの侵攻ルート、予測される補給線、集積所等のポイントを割り出し、疑似的に雇った傭兵達の指揮を執ったのだ。対策委員会と便利屋68の居ない、ドローンとタレット、自動操縦の雨雲号、及び傭兵だけで敵の攻勢を抑えられたのは、ハナコの作戦によるところが大きいだろう。

 兎角、凡そ半日近くに渡って行われた本船の防衛戦、及び強襲作戦はアビドス対策委員会が勝利し、今や本船の鎮座する遺跡周辺にカイザーコーポレーションの軍事拠点は存在しない。

 

「アビドス自治区にカイザーコーポレーション部隊は、もう誰一人残ってはいないよ」

 

 そう文字通り、誰一人。

 アビドスの用いる手札を全て切り尽くし、一掃した。

 

「ぜ、全滅……?」

 

 その結果を聞き、一瞬時が止まった。

 プレジデントの演算回路が齎された結果を処理し切れなかったのだ。呆然と呟きを漏らし、力なく蹈鞴を踏む彼は、震える指先でホシノを指す。

 

「全滅だと? 私の、私の選抜した者達が――馬鹿な、箱舟を確保させる為に、どれだけ動員したと思っている? それにD.U.からアビドスまでの距離はどれだけ急ごうとも、数時間程度では……!?」

「お前には理解出来ないよ、そもそも云うつもりもない」

 

 大きく声を張り、たじろぐプレジデントに対しホシノは冷たく切り捨てる。その視線は一瞬、後方に佇む銀狼を捉えたが、当のプレジデントがその些細な視線の変化に気付く事は無かった。

 

「それに、自分を高く見積もるのは結構だけれどさ」

 

 そう、大事なのはそんな事ではない。

 ふっと、口元を微かに釣り上げ、ホシノはプレジデントを見上げる。

 

「そんな言葉で良い訳?」

「な、なに……?」

「お前を守る便利な()は、もう何処にも居ない」

 

 そう、今のプレジデントは丸腰だ。

 頼みの綱であった特務は機能を停止し、彼自身が戦闘に特化した素体を誇る訳でもなし。銃火器を携帯している訳でもなければ、内蔵兵器がある訳でもない。

 文字通りの丸裸、自分を守る術もない。

 故に、その様な状況に陥ったプレジデントに対し、ホシノはありったけの憎悪と嫌悪を視線に込め告げる。

 突き出された銃口が、ぎらりと鈍い光を放った。

 

「――人生最後の言葉は、それで良いのかって聞いているんだよ」

 

 此方を見上げる瞳が、昏い光を秘めながら煌めいた。

 気圧され、一歩二歩とプレジデントが後退した分、ホシノはゆっくりとした足取りで距離を詰める。自身の胸元程度しかない小柄な影が、今は何よりも巨大な存在に見えた。

 重圧、全身を圧し潰さんと降り注ぐそれは、物理的な圧力さえ伴っている様に思えて仕方なかった。

 

「まぁ、元より生きて帰すつもりなど御座いません、無様に泣いて詫びるというのであればお好きに、それでも結末は変わりませんし、手心など微塵も加えませんが」

「えぇ、そうですね、事この段階に至って交渉の余地は無いでしょう」

 

 ホシノの言葉にワカモも、ハナコでさえ同意を示す。

 何の色も見せない瞳を向けていたハナコは、ふと何かに気付いた様に手元のタブレットを一瞥し、それから空を仰いだ。遠くから、羽音の様なものが聞こえていた。他の面々もそれに気付き、顔を上げる。

 

「あぁ、丁度到着した様です」

 

 ――D.U.上空での散布が始まります。

 

 ハナコの呟いたそれに釣られるようにしてプレジデントが夜空を見上げれば、星々と月明かりを遮るように、無数の影――まるで鳥の大群の如く空を覆う何かがあった。

 それらは甲高い駆動音を街中に響かせ、D.U.上空を揺れ動く。まるで生きているかのように捻じれ、流動し、四方へと影を伸ばしていく何か。一つ一つは小さく、地上からではまるで羽虫の如き黒点に過ぎない。然もすれば夜空の中で溶けてしまいそうな程に。

 しかし集合したそれは、空に蓋をする巨大な天蓋へと成り果てる。

 

「何だ、あれは……」

「ミレニアムのドローン群ですよ」

 

 プレジデントの零した疑問に、ハナコは事も無げに答えた。

 それは一機一機がほんの十数センチ程の大きさで、数千、数万という群れとなって空を覆うスウォーム型ドローン。それらを仰ぐハナコはタブレットを指先で操作しながら、その網膜に文字列を映す。

 

「詳しいスペックまでは開示されていませんが、ミレニアムのビッグシスターが考案し、マイスター達が創り上げ、ミレニアムに配備された新型だそうです、諜報活動、錯乱・陽動、妨害工作、監視、治安維持、環境調査、攻撃支援、あらゆる状況に対応出来るスウォーム運用を基本としたドローン――あぁ、それにしても凄い光景ですね、まるで全てを奪い去る蝗害のよう」

 

 それは正に、科学技術に重きを置くミレニアムだからこそ実現可能な光景。

 群体ドローンは量産に当たって、高度なセンサーや高性能CPUを搭載する事は出来ず、最小限の機能のみ搭載しなければならない。しかし、他校に於ける技術の最小限とミレニアムに於ける最小限は大きく水準が異なる。

 製造ラインを統一しモジュール化されたそれは、それでも尚キヴォトスで流通している一般的なドローンに劣らぬ性能を誇っていた。

 素材は兎に高価な金属部品を廃止し、AI制御はクラウドベースでドローン単体の演算負荷を抑える。膨大なドローンは群知能によって中央指令なしに自立行動が可能で、万が一ジャミングを受けたとしても自己完結型AIが行動を決定し、周囲に同型機が存在すれば連動して命令を遂行する。

 エネルギー問題に関しては各群体に対し等間隔でマザードローンと呼ばれる母機を配備、これは他のドローンと比較しそれなりのサイズを誇り、そこから空中給電によって長時間の活動を可能としていた。空中給電の順は作戦領域へと突入するUAV、マザードローン、そして子機。

 

「ステルスUAVにあの群体ドローンを搭載し、作戦領域に到達すると同時に編隊散布を開始、これにより航続距離の問題、及び展開速度を補い迅速な戦力投入を可能としているそうですが――実に合理的ですね、あれだけ離れたミレニアムから、たったこれだけの時間で展開を可能にしているのですから」

「………」

「元よりカイザーコーポレーションのネットワークは途絶していますが、これで無線や信号弾による連絡も不可能となるでしょう……徹底的ですね、ミレニアムは」

 

 まるで、この世の終わりの如き光景だと思った。

 月明かりを遮り、空を飛び交う無数のドローン。一体どれだけ居るのか、黒々とした黒点は数えるのが億劫になる。

 それらに対し四方から散発的な攻撃が浴びせられていた、各地のカイザーコーポレーションが不気味な影を追い払おうと対空砲火を始めたのだ。

 遠くから鳴り響く砲音、火走り、空に伸びる砲弾はしかし、ドローン群に効果的な被害を齎さない。

 まるで来る場所は分かっているとばかりにドローン群は隙間を空け、砲弾は夜空の向こう側へと消えていくのだ。そして、例え命中し何十機と撃墜する事が出来ても、その数は目減りしない。大海原に満たされる海水を一杯、コップで掬った所で何になろう? 

 確かに、ミレニアムは他自治区と比べ直接的な戦力に優れる部活動、生徒が少ない。しかしそれは軍事力に乏しい事を意味しなかった。彼女達ミレニアムにとって、戦いとは自分達が直接銃を取る事を意味しないだけなのだ。

 自分が戦えないのであれば、戦える何かを創り上げれば良い。

 でなければ、三大校の一角に数えられる事など無い。

 

「アレが空に蓋をした時点で、既に航空戦力が介入する余地は無く、貴方が自身の危機を他部隊に知らせる事も出来ない、あぁ、或いはその足で逃げ切る事が出来れば、この状況を打開出来るかもしれませんが……」

「ん、それは無理」

 

 ハナコが薄らと笑みを浮かべながらその様な事を口走れば、銀狼が緩く首を振りながら否定を返した。

 

「何処に逃げようとも、必ず見つけ出して、引き摺り出すから」

 

 地上であろうと、空であろうと、地下深くであろうと、或いは星の裏側だろうと。

 最早プレジデントに逃げ場は存在しない、趨勢は定まった、此処からカイザーコーポレーションが三大校の本隊を押し返し、撤退を成功させる事がどれ程困難か。

 

「………」

 

 プレジデントは黒点が覆う空を見上げたまま、重苦しい沈黙を守る。

 両手を緩く握り締めながら、軈てゆっくりと口を開いた。

 

「……好きな額を云え」

「――?」

 

 甲鉄の口から発せられたのは、予想だにしない言葉だった。

 響く電子音声に面食らい、訝し気に顔を見合わせる銀狼、ハナコ、ワカモ、ホシノの四名。ぐるりと自身を取り囲む影を睨みつけながら、プレジデントは自身の胸中でざわめく感情をコントロールし、慎重に言葉を続けた。

 

「身代金代わりだ、幾らでも出してやろう、それこそ自治区を丸ごと買い取れる額であろうとな、直ぐに用意させるとも」

 

 ――金が要るだろう、暁のホルス、特に君の所属するアビドスは。

 

 分かり易く、端的なプレジデントの言葉は、暫くの間周囲に沈黙を齎した。

 緊張を孕んだ瞳、コンパウンドアイが周囲の反応を伺い、短い言葉を紡いだ甲鉄の口は再び堅く結ばれる。

 囲う八つの瞳がプレジデントを射貫き、闇夜の中で暫し静寂を守った。

 

「……ふふっ、アハハハッ!」

 

 不意に、高らかに嗤う声が響いた。

 それはプレジデントの直ぐ脇、ワカモから漏れ出た声であった。

 まさに哄笑と呼ぶにふさわしい、引き攣った喉が漏らす音にプレジデントは向き直り、警護車両の上に立つワカモを見上げながら戦々恐々と云った様子で問う。

 

「……何がおかしい、災厄の狐」

「何がおかしい? それはもう、全てが!」

 

 問い掛けに返って来たのは、嘲りの感情。

 仮面越しに、まるで壊れた機械の如く身を揺らす彼女は、肩に担いだ愛銃を無造作に掴みながら警護車両の上より飛び降りる。音も無く着地した彼女はたじろぐプレジデントに緩慢な足取りで詰め寄ると、その顔を覗き込みながら告げた。

 

「つまり貴方はこう云っているのでしょう? 金銭を与えるから見逃して欲しいと!」

「―――」

「あぁ、何て浅ましい! この激情を、怒りを、金銭で解決できると? 本当にそう思われたのですか? これだけの事を仕出かしておいて? それはまぁ、随分と……」

 

 後半につれ、声色は徐々に険しく、厳しく変質していく。

 それは最初こそ余りの馬鹿馬鹿しさに笑いが勝ったが、時が経つにつれ溶岩の如くこびり付き、熱した感情が爆発するように。

 徐に俯き、首を振ったワカモは勢い良く身を反らし、その黄金の眼光を煌めかせながら絶叫した。

 

「私の情念も、大変安く見られたものですねぇッ!?」

「ぐぉォッ!?」

 

 金属の拉げる、けたたましい音が響いた。

 殆ど感知する事が出来なかった。気付いたら、と表現する他ないタイミングでプレジデントの顔面が爆ぜ、黒い外装の一部が凹み、千切れ飛ぶ。

 六つあった複眼の一つが罅割れ、光を失い、その素体はもんどりうって地面へと転がった。頭部を蹴飛ばされたのだと理解したのは、損傷報告が齎されてからであった。

 背から後頭部に掛けて配置された、小さな鰭の様な凹凸が地面に衝突し、センサーに不調を来す。ノイズの走る視界をそのままに指先を頬に当てれば、べっこりと凹んだ外装の様子が指先の感覚から伝わる。

 地面に背を付け辛うじて顔を上げれば、仮面越しに掌で顔を覆ったワカモが身を捩り、夜空を見上げながら悲嘆に暮れている姿が視界に映った。

 

「よりにも、よりにもよって私がお傍に居られない僅かな隙に、あの様な蛮行を、あの方にッ! 私のっ、身も心を捧げた、あのお方にッ!」

 

 全身を震わせ、血を吐くように声を発するその光景は、プレジデントにとって悍ましい代物だった。まるで話が通じない、怪物を相手にしている気分だ。

 自身が優位な状況で対応するならばまだしも、こんな状況で、この様な手合いに激昂させず話し合うなど。プレジデントは顔面の外装を手で覆いながら、愕然とした様子でワカモに指を向ける。

 

「き、貴様ッ……!」

「やはり幾ら言葉を重ねようと所詮は俗物、耳を傾ける価値などありません、今直ぐこの汚らわしい鉄屑を処分致しましょう!」

「そうだね、それには同意するよ」

 

 狂乱し、声高らかに主張するワカモに対し、隣り合ったホシノは賛同を示す。二つの影が地面に座り込んだプレジデントを見下ろし、思わず声が詰まった。

 ほんの少し、引き金に掛かった指にほんの少し力を込めれば、放たれた弾丸はプレジデントの外装をいとも容易く引き裂き、その内部フレームと機構をズタズタにするだろう。

 文字通りオートマタから、ただの鉄屑に成り果てる。

 その確かな質感を伴った現実が、自身の直ぐ横に存在する事に、プレジデントは恐怖した。

 

「プレジデント」

「っ、ぅ……!」

「お金じゃどうにも出来ない問題っていうのはあるよ、お前には分からないかもしれないけれど」

 

 ――私達の(執着)を、金銭なんかでどうこう出来ると思わない方が良い。

 

 真っ直ぐ放たれたそれはプレジデントの胸中に深く楔を打ち込む。今此処に集った彼女達にとって、どれだけ巨額の金銭も、或いは権力も、肩書も重要ではなく、関係ないのだ。

 先程ハナコが云った様に、交渉の余地は無い、既にテーブルに座す段階は過ぎた。

 ならば後は、銃火を以て交えるのみ。

 

「ごッ!?」

 

 再びプレジデントの顔面が大きく弾ける。

 視界に映ったのは分厚い靴底の裏側。また蹴飛ばされたのだと演算回路が導き出すと同時、額の外装が罅割れ、裂ける。

 最早抗う事も出来ない暴力の嵐がプレジデントの全身を打ち据え、穢れを知らなかった衣服は瞬く間に砂利と雪に塗れた。

 

「あの方にもこうやって暴力を振るったのですか? 何度も足蹴にして、殴りつけて? あぁ、自分は直接手を下していない等とふざけた事を仰らないで下さいね? あの方を害した塵は、あの例外共を除き、ひとり残らず、地獄の果てまで追いかけて報いを受けさせると決めているのでッ!」

 

 一切の容赦なく、躊躇なく、浴びせられる蹴撃はプレジデントの全身を穿ち、相応の頑強さを誇る筈の外装が次々と拉げ、凹み、変形していく。

 ブーツに甲鉄のプレートでも仕込んでいるのか、全身から響く金属と金属のぶつかり合う様な音、フレームの悲鳴。咄嗟に頭部を守る様に蹲り腕で防御しようとすれば、重々しい打撃音と共に受けた腕部の関節部(ジョイント)が弾け、外装が破損、アクチュエーターが露出した。

 弾かれた腕を見れば指先が一本圧し折れ、あらぬ方向へと折れ曲がっている。どんな力で蹴り飛ばしているのだと、プレジデントは内心で吐露した。ライフル弾でさえ貫通を許さない強度だというのに、対爆性能、耐衝撃性能、耐熱性能、耐錐性能、考え得る限り最高の素材で創り上げた素体と外装だった。

 それを、こうも簡単に。

 

 彼女の散々蓄積された鬱憤を晴らす様な猛攻は、凡そ数十秒に渡って続いた。腕部の外装が剥がれ落ち、防御する指が折れ曲がり、節々のフレームが軋み出した頃。彼女は不意に振り上げた足を下ろし、代わりのものを突き出す。

 

「さぁ、もうその顔を見るのも飽きました、このまま頭部に綺麗な風穴を開けて差し上げますッ!」

「待――ッ!?」

 

 散々蹴飛ばし、いたぶり、消耗したプレジデントが漸く腕の隙間から顔を上げれば、靴底の代わりに向けられたのは銃口であった。

 ほんの目と鼻の先に突き付けられたそれが、プレジデントの額を小突く。この状態で何発耐えられるか。否、耐えた所でどうにもならない、この素体が全壊するまで延々と撃ち込まれるだけだと理解していた。

 引き金に掛かった指が絞られ、プレジデントの視界の先で銃口が煌めく。

 

「ん」

「――あら?」

 

 しかし、その銃口が火を噴く事は無かった。

 それよりも早く、横合いから伸びた手が発砲を阻止したのだ。

 咄嗟に顔を背け、(きた)る一撃に身構えていたプレジデントは唖然とした様子で二人を見上げ、硬直する。

 

「……一体何のつもりでしょう、銀狼さん?」

 

 ワカモの突き出した銃口、そのバレルを握り締めていたのは――銀狼。

 怪訝な、それでいて怒りと困惑の滲んだワカモの声。すぐ横に立つ銀狼は静かに、けれどハッキリとした口調で答えた。

 

「これは、貴女達の役目じゃない」

 

 そこは銀狼なりの、この世界に生きる彼女達に対する想い(配慮)があった。

 憂いと悲しみを帯びた瞳が、ワカモを捉える。しかし、ワカモとて秘めたる感情は負けず劣らず。

 咄嗟に反駁しようと身を乗り出した彼女に対し、銀狼は続けて云った。

 

「先生はきっと、どんな存在であろうと、命を奪う事を良しとしないから」

「―――」

 

 どんな悪人であれ、或いは傷付けられた相手であっても。

 その一言に、ワカモは一瞬視線を尖らせ――しかし、突き出した銃口を静かに空へと向ける。引き金に掛かった指先はそのままに、視線は苛立ちと共に横合いへと向けられていた。納得した訳ではなかった、燻る感情は決して消えない。

 突き出された銃器を手放した銀狼の指先は虚空を切り、その瞳は隣り合うハナコへと向けられる。

 

「そうでしょう、浦和ハナコ?」

「……えぇ、そうですね」

 

 タブレットを胸元に抱えたまま目を瞑るハナコは、投げかけられた問い掛けに小さく頷きを返す。もしこの場でプレジデントの命を奪えば――その先は、想像に難くない。

 

「先生ならきっと、そんな事をさせてしまったのは自分自身だと、際限なく己を責めるでしょう、それは自身が抱えるべき罪悪であると、たとえ私達が幾らその心に訴えかけようとも」

 

 私達が一線を越えると決めた時、傷だらけの体を引き摺って、懸命に手を引いて止めて下さったのが――あの人ですから。

 嘗ての出来事を振り返り、ハナコは悲しみに塗れた呟きを漏らす。そこには確かな実感と歯痒さが込められていた。

 その言葉に頷いた銀狼は、先程とは打って変わって酷く穏やかな気配を纏っていた。

 

「ん、私もそう思う」

「………」

「貴女達は、こっち側(線の向こう側)に来てはいけない」

 

 線の向こう側――生命を踏み躙った者共の領域。

 その一線は、絶対だ。

 絶対で、決して消えない罪悪でもある。

 たとえ世界を跨ごうと、こびり付いた香りと、背中に積み上がった屍は決して消えない。

 それを銀狼は、良く知っている。

 

「ですが、それでは――」

「……コイツは絶対に野放しにしちゃいけない存在だよ、二人の主張は分かるけれど、此処で見逃す事は出来ない」

「ん、分かっている」

 

 ワカモとホシノは険しい視線のまま、プレジデントを見下ろし吐き捨てる。

 理屈では分かっているのだ、自分達の行いは善い事でもなければ、正しい事でもない。

 だが、それであらゆる感情を呑み込めるのであれば、最初からこの様な苦悩など生まれはしないだろう。

 理屈では消せない、此処から先は感情と、優先順位の話。

 

 ――未来に横たわる危険は、排除すべきだ。

 

 これからの事、全ての惨事を想えばこそ、例え罪悪を背負う事になったとしても線を越えるべきと云う主張は、ハナコからしても全てを否定する事が出来なかった。

 

「だから、私に任せて」

 

 故に、銀狼は云った。

 自身の胸元を軽く叩きながら、彼女は黒々とした影を背負い、続ける。

 

「――こういうのは(命を奪う行為は)私の役目(死神の役目)

 

 元より、それこそが自身の本質であると知るが故に。

 それこそが自身に課せられた使命だと、彼女は嘯く。

 銀狼はプレジデントを囲う三名の合間を抜け、一歩を踏み出した。

 

「な、何を……」

 

 自身を見下ろし、軽い足取りで近寄る銀狼に対し、プレジデントは戸惑いを滲ませた。

 向かって来るその瞳には何の色も見えなかった。

 これから起こる事に対する躊躇も、逡巡も、緊張も、期待も、文字通り何も。

 無機質であった、呼吸をする様な無造作で、自然体な。

 

「……本気で、私を消す(殺す)つもりか?」

「当然」

 

 返答は簡潔であった。

 まるで当たり前のように、銀狼は応える。

 自身に覆い被さる影、伸ばされた掌を見つめ返しながらプレジデントは甲鉄を震わせる。

 

「……出来るのか、貴様に」

「出来るよ」

 

 吐き捨てたそれは挑戦的な口調だった、しかしそれは虚勢に過ぎない。殺せる筈がないと、自身に云い聞かせていただけだ。

 理想と、現実は異なる。

 銀狼は色褪せた瞳を携え、能面の様な表情と共に告げる。

 

「――もう何回も経験()しているから」

 

 放たれた言葉はどこまでも色を感じさせない。

 身に纏う気配、背に蠢く無数の影が、何かを、誰かの生命を奪うという行為が、彼女にとってどれほど簡単で容易な事が、対峙する者にこれ以上ない程に分かり易く伝えていた。

 寧ろ、この程度で躊躇う事は許されないと云いたげに、彼女は語調を強める。

 銀狼の背景を想えば、当然の事でもある。

 己はこの世界へと辿り着く為に、文字通り全てを薪にくべて来た。それこそ、自分が大切に思う学校も、想い出も、仲間でさえ――例外なく、全て。

 

 その喪失を想えば、犠牲を考えれば、今更の他者の一人や二人、なんだと云うのか。

 踏み越えるべき線など既に存在しない、既に自身はそれを跨いだ領域の住民であるが故に。

 この穢れ切った(血に浸った)両手に、今更一人分の命を被せた所で、何も変わりはしないのだから。

 

「カイザーコーポレーションのトップなら、知っていると思うけれど」

「……?」

 

 伸びた銀狼の掌が、プレジデントの腕を掴んだ。最早抵抗する意思も、力もない彼は為されるがまま、強張った空気を纏い銀狼を見返す。

 

「――アビドス砂漠は、凄く広い」

 

 何の脈絡もなく放たれたそれに、プレジデントは一瞬怪訝な色を覗かせた。発言の意図が理解できなかったのだ。何故、此処でアビドスの砂漠が出て来るのか。

 ただ、彼以外は理解した。

 銀狼が今から、何をしようとしているのかを。

 

「コンパスや地図も持たずに出ると簡単に迷っちゃうし、遭難する、一度そうなったらもう助からない、磁気の狂いや、磁場の変質もあるし、砂嵐が発生すればGPS信号も届かないから、どれだけ高精度のデバイスを持っていても無駄」

 

 淡々と紡がれる言葉、流れる様に届くそれを前に、プレジデントは徐々に言葉の真意を理解する。制御出来ない感情が沸々と湧き上がり、呼応するように点滅する五つの光、複眼が銀狼を唖然とした様子で捉えた。

 尻餅をついたまま、プレジデントは後退しようとする。

 しかし、掴んだ銀狼がそれを許さない。

 

「ま、まさか……」

「私はただ、壊れた機械を棄てるだけ」

 

 此方を見下ろす銀狼の顔色は、やはり変わらない。

 ただ昏い色を宿す瞳が、真っ直ぐ向けられるばかりだった。

 

「――アビドスの広大な砂漠に、鉄屑(塵屑)をね」

 

 ただそれだけで良い。

 プレジデントの命脈を断つには、十全だ。

 

「これは私一人でやった事、此処に居る誰も関与していないし、見ていない――カイザーコーポレーションのトップ、プレジデントは戦闘の最中行方不明になる」

「………」

「それで良いでしょう?」

 

 振り向き、銀狼から投げかけられた言葉に、残った三名は顔を見合わせる。ワカモは僅かな不満を、ホシノは懸念を、ハナコは感情を伺わせず。

 ややあって互いの意志を確認しを得た彼女達は、粛々と頷きを返した。

 

「不承不承ですが、良いでしょう」

「……分かった」

「そう云う事であれば、その様に」

 

 各々がそれぞれの思惑と感情を胸に、小さく、しかし確かに同意を示す。その反応を見届けた銀狼はプレジデントの腕を掴んだ手とは反対の指先を虚空に翳した。

 途端、銀狼の目前に暗闇の中でもハッキリと分かる様な、黒く深い虚空が開く。次元の裂け目、或いは世界の奈落とも表現するべきか。向こう側の全く見えない、完全なる黒はゲマトリアが用いる技術の結晶である。それを見た時、プレジデントはどうやってこの四名が此処に現れたのかを、遅まきながら理解した。

 

「ねぇ、銀狼」

 

 徐に、ホシノが声を上げた

 プレジデントの腕を掴んだまま、生み出された黒の中へと歩き出そうとした銀狼、彼女は振り返り、視線をホシノに向ける。

 ホシノは彼女の名前を呼んでおきながら、胸中に奇妙な痛みがある事に気付いた。以前はそうではなかった、けれど今、久方振りの彼女と顔を合わせた時、何故か哀愁の念に駆られたのだ。

 それは奇妙な感覚だった、嘗ては敵対し、秘密を共有した果てに手を組み、互いに真意も知った。その上で異なる存在だと理解しておきながら、自身の中にある別の存在が芯を揺さぶっている様な。

 数秒程口元をまごつかせた彼女は、ややあって小さく息を吸い込み、感情のままに呟いた。

 

「いや……シロコちゃん」

「―――」

 

 ――シロコちゃんは、今、苦しくない?

 

 後半は、言葉にならなかった。そんな筈が無いと分かり切っていたからだ。ホシノは言葉を呑み込み、唇を噛み締める。故に銀狼からすれば、唐突にホシノが自身の名前を呼ぶだけに収まった。

 

 その一言を聞き届けた瞬間、銀狼は一瞬驚いた様に目を見開く。

 それは決して得られなかった筈のものを、唐突に、何の前触れもなく手渡されたかのように。

 銀狼は一瞬懐かしむ様に目を細め、それからふっと口元を緩めると、前を向き首を振った。

 

「違う」

「………」

「私は、銀狼」

 

 自分に云い聞かせる様な口調だと思った。

 実際、それはホシノと、そして自分自身に向けて放たれた言葉なのだろう。

 寂しそうに、微かな惜別の念を感じさせながら、けれどはっきりと彼女は言葉を続けた。

 

その名前(砂狼シロコ)は」

 

 そう、『シロコ』というその名前は。

 

「この世界に居る、(あの子)のものだから」

 

 目を瞑り、銀狼は断じた。

 それだけは変わらないと。

 その領域を自身が踏み越えてはならないと。

 自分の知っているアビドス対策委員会と、この世界の彼女達は、違う。

 同じだが――違うのだ。

 その肉体も、精神も同一なのかもしれない。本質も、辿った道さえも、或いは。

 けれど、銀狼だけはこの世界の彼女達と向き合う事を良しとしなかった。その資格が無いと彼女は思っていたのだ。

 対策委員会の皆に全てを託され世界を跨いだ、その想いも、願いも、祈りも、全て胸中(此処)にある。

 だからもし、その名前(シロコ)と、自身を呼ぶ事が出来る人が居るとすれば。

 それは――。

 

「お、おい、待て、本気か!?」

「………」

 

 銀狼は無言で足を進め、腕を掴まれたプレジデントはズルズルと雪と共に引き摺られて行く。一歩一歩、虚空にぽっかりと開いた黒の中へと進んでいく身体。掴まれた掌を払い除けようとしても、自身を捉えるそれは微動だにせず、まるで万力の如く外装を軋ませ離さない。

 視界に黒が近付くにつれ、プレジデントはより一層激しく捲し立てた。

 

「その力、貴様もあの組織(ゲマトリア)の一員だろうにっ! カイザーコーポレーションと貴様ら組織は、共同の――ッ!」 

「黙れ」

 

 何の予備動作も無く、風と共に振り返った銀狼は喚くプレジデントの顔面を鷲掴みにした。グン、とプレジデントの身体が仰け反り、勢い良く地面へと叩きつけられる。アスファルトの表面が砕け、鈍い破砕音が周囲に轟いた。

 視界が大きく揺れ、ノイズは更に激しさを増す。伸びた五本の指先が頭部に食い込み、その丸みを帯びた外装を凹ませていた。金属の拉げる音、同時に警告音がプレジデントの内部に響き渡り、光を灯していたコンパウンドアイが次々に罅割れ、点滅する。

 防御プログラムが銀狼の腕を掴み、引き剥がそうと足掻く。しかし、余りにも地力が違い過ぎた。伸びた指先の隙間から、此方を見下ろす濁り切った瞳が覗く。

 昏く、しかし煌めく瞳。

 罅割れ、喘ぐ様に電子音声を発する甲鉄の口元が戦慄く。

 

「ぐ、がッ、ぁ……!?」

「良く喚く塵屑が、アトラ・ハシースの対策に手を掛けている間に、本当に余計な事をしてくれた……お前に手を差し伸べる者はもう誰も居ない、最早生き残る道はないと知れ」

 

 纏う気配も、口調も、何もかもが異なる。風にそよぎ雪を被った銀の髪が、開いた黒の扉を前に映える。揺らぐ空間に、少しずつ身体は押し込まれて行く。

 この先に辿り着けば、墜ちてしまえば、自身はもう決して助からない。その確信があるからこそ、なりふり構わずプレジデントは腕を振り解こうとする。

 圧し折れた指を地面に擦り付け、両足で地面を捉え、飛び散った外装を手に銀狼の腕を殴りつける。だが、衣服に微かなほつれを生む所か、表面に小さな傷一つすら生まれはしない。

 

 ミシリ、ミシリと、瞳が罅割れ、視界が砂嵐に埋まっていく。破損した視界はエラーを吐き出し、思わず「やめろ」と叫んだ。

 響いたそれは自身の声だと認識できぬ程に罅割れ、雑音が混じっていた。

 ゆっくりと、体が黒に呑まれて行く。まるで底なし沼に沈む様に、浸食していく黒に抗おうとプレジデントは手を伸ばし。

 至近距離で自身を見下ろす、何よりも恐ろしい()を最後に見た。

 

「精々後悔しながら朽ち果てろ――鉄屑(プレジデント)

 

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