【現在 ゲマトリア拠点】
「逃げろッ!」
「っ!?」
銀狼の鋭い声が、目の前の威容に呑まれていたゲマトリアの意識を痛烈に叩いた。
同時に突き出された銃口――
「ちぃッ!」
その弾丸がゲマトリアの面々に突き刺さるより早く、銀狼は地面を蹴って一気に肉薄し、突き出された銃口を蹴り上げた。
衝撃で天井を向いた銃口は幾つもの弾丸を吐き出し、頭上より削り、穿たれた瓦礫が降り注ぐ。それらを気にも留めず銀狼は更に前進、押し戻さんと振り下ろされたバレルを掴み、銃口を抑え込んだ。
「銀狼さん――!」
「お前が死んだら全部おしまいなんだよ、ゴルコンダッ!」
「っ!」
背後に立っていたゲマトリア、特にゴルコンダを睨み付け、銀狼は叫ぶ。
全力で押し上げるバレル、その向こう側に立つ矮躯――空崎ヒナが冷徹な瞳で此方を見つめていた。
無理矢理銃口を逸らす為に力比べの状況に持ち込んだが、銀狼はバレルを支える右腕と自身の両足が軋むのを自覚する。空崎ヒナが全力でデヴァステーターを押し込み、再び狙いを付けようとしているのだ。
そうはさせるかと全力で押し込むものの、一秒ごとに恐ろしい程の力が加えられ、彼我の身体能力の差を浮き彫りにするばかり。そう長い間、拮抗状態を演じる事は出来ないと銀狼は悟った。
故に、僅かな焦燥感を滲ませながら叫ぶ。
「コイツは私が抑える、行けッ!」
押し上げた銃口は徐々に、銀狼の方へと押し込まれて行く。彼女の額に冷汗が滲んだ。少なくとも足手纏いを抱えた状態で戦える相手ではない。それは誰の目から見ても明らかであった。
「黒服、此処は」
「……えぇ」
その光景を目の当たりにし、数歩後退ったゲマトリアの面々は言葉少なく行動を決定する。今この場で反転した空崎ヒナと矛を交える事がどれだけの無謀か、分からぬ彼等ではない。最悪自分達の備えた全てが奪取される可能性さえあった。それを考えれば、彼女に一任する事は決して間違いではない。
「申し訳ありません、銀狼さん」
この場より逃走する事に否はない。
何より自分達に直接的な戦闘能力がない事は十分に理解している。
黒服は即座に腕を払い空間の一部分を黒に染める。間髪入れず出現する転移用のゲート、黒服、マエストロ、ゴルコンダ・デカルコマニーの三名は出現した黒の中に身を沈め、この空間からの脱出を敢行した。
自分達が逃げ切れば、銀狼もまた単独で落ち延びる事も叶う筈だと。彼女の実力は良く知っている、故に黒服は黒に身を浸しながら確かな信頼と共に告げる。
「――ご武運を」
背中より消えていく三名、黒服が小さくその様に口ずさめば、拮抗状態を演じていたヒナが銀狼を勢い良く跳ね飛ばした。
デヴァステーターを引き戻し、勢い良く銀狼の腹部を蹴飛ばしたのだ。
「ぐッ!?」
凄まじい力と衝撃が銀狼の身体を突き抜け、勢い良く壁に叩きつけられる。それを一瞥する事無く、ヒナは消えていくゲートに向かって再び銃口を突きつけた。
「逃がさない」
引き金に指が掛かり、青白い光が覗く。
「させるかッ……!」
だが彼女が引き金を絞るより早く、銃声が轟いた。蹴飛ばされた銀狼が壁に寄り掛りながら狙いをつけ、銃撃を敢行したのだ。
甲高い金属音、数発の弾丸が彼女のデヴァステーターを直撃。無視できない衝撃がヒナの手元を襲い、銃身が大きく揺らいだ。
結果、ヒナの放った弾丸はゲマトリアの沈むゲートの脇に逸れ、壁に幾つかの弾痕を刻むに留まる。
「―――」
そうこうしている間にもゲートは縮小し、三名の姿は何処にも見えなくなった。
その結果を見送ったヒナは瞳を閉じ、淡々とした口調で呟く。
「……あんな存在を態々庇うのね、貴女は」
「……あぁ、当然だろう」
衣服に付着した靴跡を払い、ゆっくりと背筋を正す銀狼。中々に強烈な一撃を腹に受けたが、この程度は挨拶代わりにもならない。世界を跨いだ存在からすれば、尚の事。
対峙した両名は互いに視線を交わらせ、銀狼は愛銃の引き金に指を添える。その間にもヒナは銃を構える所か、あくまで自然体のまま佇んでいた。
「私達の計画にとって、どんな変数になるか想定出来なかった存在」
ヒナの瞳は、まるで値踏みするかのように銀狼へと注がれる。冷徹で、無感動で、まるで機械染みた瞳だと思った。しかしその奥に煮え滾る様な、『何か』がある。それが何であるかは、分からなかったが。
「世界を終焉に導く崇高は、一つの世界に一つしか存在出来ない」
「……私は所詮【贋作】だ、この肉体は造り物、決して正規の道を辿った訳じゃない」
油断なく構えながら、銀狼もまた彼女の言葉に応じる。
「ただ、嘗て秘めていた神秘の輪郭をなぞっただけ、崇高としての資格は喪われている――いいや」
喪った訳ではない。
想い、銀狼は緩く首を振る。
「棄てた、というのが正しい」
「……だと云うのに貴女は、私とは違う道を選ぶのね」
「あぁ」
辿った道は似ているのかもしれない。
そもそもからして、両者この世界の住人ですらない存在なのだ。そんな者同士がこうして対峙している事自体、運命の悪戯に他ならない。
こうして互いに顔を突き合わせ、瞳を覗いたからこそ分かる事もある。
対峙する目の前の存在とは、決して相容れないと。
「お前は運命を受け入れ」
「貴女は運命を拒んだ」
己の本質、その道から辿る運命、訪れる結末。
それを受け入れるか、拒み抗うか。
青と紫、深く濁った両者の瞳が互いの姿を映す。
数呼吸分の間、嘆息する様に息を零したヒナは口を開いた。
「砂狼シロコ」
彼女――空崎ヒナは静かに銀狼の名を呼ぶ。
ピクリと、銀狼の眉が跳ねた。それは彼女が名前を呼んだことに対する反応か、それとも銀狼以外の呼称によるものか。
微かに震えた銀狼の指先が、愛銃の引き金に触れた。
「私と、『あの人』の邪魔をするのなら――」
告げ、ヒナはぶら提げていた愛銃、そのバレルを蹴飛ばし縦回転させた。
自身の体躯を凌駕する長物を手足のように操り、まるで無重力の如く一切の重さを感じさせない。
装填されていた大型弾倉を一瞬で切り離すと、古び、解れた外套の裏より弾倉を取り出し、慣れた手つきで再装填を済ませる。ガコンと、重々しい金属音が鳴り響き、ボルト代わりの大型バーを引き下ろし、再び銃口が銀狼へと向けられた。
一切の無駄が存在しない、僅か数秒に満たない所作。
そして、何処までも昏い瞳と共にヒナは告げる。
「殺すわ、貴女を」
冷徹で、容赦のない宣告。
同時に周囲へと放たれる強烈な威圧、圧倒的な暴力の香り。対峙するだけで肌が焼けるような熱を持ち、同時に芯から凍えるような矛盾を孕む。
それに対し銀狼は薄らと挑発的な笑みすら浮かべ、吐き捨てた。
「やってみろ」
■
【連邦生徒会 会議室】
「――なんだ、コイツは」
会議の場に現れた、明らかな異形。
それを前にマコトは驚愕と警戒を滲ませた呟きを漏らした。
二メートルを超える巨躯、両肩には鎧とも取れる奇妙な装飾。床に広がる襤褸布は単なる間に合わせか、それとも法衣か。灰銀のそれは昏く、薄汚れ、肩の飾緒のような紅も合わさり名状しがたい威圧感を放っていた。
何より目を惹くのは錆の残った鉄仮面。
どことなく宗教的な背景を想起させるが、感情の一片すらも許されない無機の面は一切の人間味を見る者に感じさせない。唯一覗く細長い包帯に包まれた指先だけが、僅かな人間性の残滓を伺わせる。
不気味で、威圧的で、静謐な影の如く。
見つめていると自然に背筋が凍るような、そんな存在だ。
「ヒナ委員長ッ!」
「くっ!?」
その異形が、細長く、薄汚れた包帯に包まれた指先でヒナを掴んでいた。
肩口を掴まれたヒナは咄嗟に振り解こうと払うも、ヒナの腕が異形の腕に触れた瞬間、彼女の目が大きく見開かれた。
まるで微動だにしない、此方を捉える指先に対して力が込められていない筈なのに、実に奇妙な現象であった。
「な、なにコイツ、一体どこから侵入して――?」
「今はそんな事重要じゃないでしょ……っ! 代行!」
「発砲を許可しますッ! 各々自衛を!」
「り、リン先輩!?」
正体不明の異形、その侵入を許した今、対処は必須。ユウカが自身の愛銃を懐から抜き放つと同時、リンは即座に応戦の許可を発した。動揺するモモカ、その指示に驚愕するアユム。
「――ッ!」
ヒナは応戦許可を耳にした瞬間、テーブル下に用意していた愛銃を足先で跳ね上げ、即座に掴む。
そして銃口を自身の背後に向け回転させると、まるで担ぐ様に構え、上下逆さまの状態で異形に突きつけた。背を向けたままの射撃体勢、しかし掴まれている分狙いは正確。
伸ばした親指を引き金に掛け、息を吸い込む。
「アコ、離れてッ!」
「っ!?」
直ぐ傍に立っていたアコに注意を促し、トリガーを引き絞る。
途端、会議室内に響き渡る銃声、全員の臓物を震わせる重低音が連続した。
至近距離での弾幕展開、銃口は殆ど異形の目と鼻の先で弾丸を吐き出し、凄まじい火花とマズルフラッシュが瞬いていた。
反動と衝撃は深く腰を落とし、圧倒的な身体能力によって強引に抑え込む。異形に掴まれた状態からの至近距離のカウンターショット。長物故に懐へ入り込んでしまえばどうも出来ない、その様に考える輩は今まで掃いて捨てる程存在した。しかし、そんな分かり易い弱点を空崎ヒナが放置する筈も無し。
愛銃を鈍器として振り回す事もあるが、コンパクトに応射する方法も勿論心得ている。
三秒、四秒、五秒――装填されていた弾丸全てを吐き出し、圧倒的な火力で以て対象を粉砕する。
通常の生徒ならば、空崎ヒナの銃撃をこれだけ喰らって立っている事など出来ない。その圧倒的な神秘濃度と連射による弾幕は各自治区が保有する装甲車、戦車でさえスクラップに出来るだろう。
ヒナの傍から退避し、距離を取っていたアコもまたいつも通り彼女の勝利を疑っていなかった。
だが――。
「なッ!?」
赤く赤熱したバレル、装填された弾丸全てを吐き出したデストロイヤー。立ち昇る白煙を前にして、殆どの生徒はアコと同様に対象の沈黙を確信していた。
あれだけの弾丸、至近距離で浴びて尚、無事である筈がないと。
しかし徐々に白煙が晴れ、その向こう側に薄らと覗く影を目にした時、その場に立っていた全員、ヒナに敵愾心を抱くマコトでさえも驚愕の表情を浮かべ叫んだ。
「な、何ぃ!? 馬鹿な、無傷だと!?」
「あの距離で、まさか……!」
周囲の壁に穿たれた無数の弾痕、圧倒的な破壊跡はその威力を物語っている。
回避出来る距離ではなかった筈だ、それどころか彼奴は殆ど棒立ちで殆どの弾丸を受け切っていた様に見えた。
ならば、純粋な耐久力のみで今の弾幕を全て耐え切ったというのか?
到底、信じられるようなものではなかった。特に空崎ヒナの戦闘能力を良く知っている者であれば、尚の事。
ハッと、ユウカが何かに気付いた様に息を呑み、それから自身の胸元に入れたままの端末に目を向ける。
「もしかして、電磁防壁で防御を……!?」
「いいえ、少なくとも私達の用いる技術とは違います、あんな至近距離で弾丸を無力化する防壁など――」
ユウカの言葉に否定を返すヒマリ。その瞳は絞られ、訝し気に異形を捉えている。
当然の話ではあるが、電磁防壁は力場の内側より発砲されてしまえば効果はない。ましてや、あれ程接近した状態であれば――それこそ自身の肉体に寸分の狂いなく展開しない限りは、あのような芸当は不可能だ。
「……チッ! どうせ当たった所で大した怪我にはならん!」
マコトは信じられない様な光景に数秒程気圧され身を竦めていたが、ややあってそれを掻き消す様に大声を発し、壁に立て掛けていた自身の愛銃を手に取った。
そして銃口を空崎ヒナ、ひいては彼女を捕らえた異形へと突き出し叫ぶ。
「空崎ヒナごと、全員で撃ち抜けッ!」
「なっ、そんな暴挙――ッ!?」
「構わない、やって!」
「ヒナ委員長!?」
マコトの非情な決断に対し、アコが思わず否定的な声を発するが、当の本人であるヒナは即座に肯定を返した。葛藤も無くその決定を下したヒナに対し、アコは悲鳴とも焦燥とも取れる声を上げる。
相手の正体は不明、目的も不明、ならばこれ以上動きを見せる前に鎮圧するのは道理である。少なくとも空崎ヒナは、この場にてそう判断した。
「ナギサ様、セイア様、私の後ろに!」
「こ、こんな所で、まさか銃を抜く事になるなんて……!」
「ですが明らかに異常な相手です、セリナさん、今は手心を加えるべきではありません!」
「構えろ、イロハ!」
「っ、分かっていますよ……!」
「ノア!」
「えぇ、ユウカちゃん!」
「部長、下がっていて……!」
「アユム、モモカ!」
「えっ、あ、えっと……!」
「私、銃はデスクに置きっぱなしなんだけれど!?」
「ならテーブルの裏に、頭を下げて!」
会議室内の殆どが各々の愛銃を抜き放ち、即座に射撃姿勢を取る。生徒ごと撃ち抜く事に思う所がない訳ではないが、今は正体不明の脅威が勝った。
戦闘に不慣れなナギサ、セイアの前にはミネが立ち、盾を構え跳弾を警戒。その両脇よりサクラコとセリナが銃口を突き出し、狙いを定める。
ゲヘナ側はマコトとイロハが銃を構え、アコはセナに肩を掴まれ後方へと強引に下げられた。グレネードランチャーである救急用突入キットを愛銃とするセナは、爆発を引き起こすが故に攻撃には参加せず、大会議室の円型テーブルを引き倒し即席の盾とした。
ミレニアム側はリオとヒマリが異形を凝視し観察に徹する。エイミ、ユウカ、ノアの三名は前へと繰り出し、テーブル越しに愛銃を構えた。
連邦生徒会はリンだけが愛銃を抜き放ち、モモカとアユムは円型テーブルの下に身を隠す。
そうして突き出される幾つもの銃口――それを巨躯の異形は、ただじっと見つめていた。
「代行!」
「ッ、発砲を!」
ヒナが叫び、それに応えたリンの号令が大会議室に響いた。
「っ――?」
瞬間、ぐんとヒナの肩が強く引かれる。
見れば異形はヒナの身体を抱き寄せる様にして自身の襤褸布の中へと押し込み、自らを盾にするように一歩を踏み出したのだ。
間髪入れず轟く銃声、室内に反響するそれらが鼓膜を叩き、絶え間ないマズルフラッシュが網膜を焼く。暗がりの中で放たれる光は生徒達の影を浮かび上がらせ、降り注ぐ弾丸が火花を散らしていた。
ヒナは異形の懐で身を竦め衝撃に備える。両目を固く閉じ、抱えていた銃を抱き締め身を丸くして。
しかし、幾ら待てども想像した痛みも、衝撃も、何一つ齎される事は無い。
射撃の時間は十秒足らず、全員が弾倉内の弾丸全てを打ち出し、軈て静寂が訪れる。
甲高い空薬莢の跳ねる音、誰かが踵を擦る音、先程までの銃声から一転、痛い程の静けさが肌を刺す。
立ち昇る白煙、それを凝視しながら固唾を呑む面々。
「――……どうなっている」
今度こそ、マコトは絶句した。
白煙を掻き分け、ゆっくりと姿を現す影。放たれた弾丸は百発所の話ではない、だというのに件の異形には傷らしい傷が一つたりとも見当たらなかった。
最早、理解出来ない存在を見つめるような瞳には、若干の畏敬の念すら籠っていた。異形は地面に転がった幾つかの弾丸を足先で払い、ゆっくりと鉄仮面を持ち上げる。
襤褸布にはどこにも弾痕は存在せず、光沢を放つ鎧のような装飾も然り、銃撃による凹みも、黒ずみ一つなく。
これだけ銃弾を撃ち込んで、傷一つ付かない等と。
それはマコトのみならず、その部屋にいる生徒の殆どが同様の感情を抱いていた。
普通ではない、理解不能な何か。彼奴の背後には無数の弾痕が刻まれ、最早壁であったソレは凹凸の富んだ廃墟の如く様相を呈しているというのに。
「ヒマリ」
だが、そんな面々の中に理知的な瞳で以て異形を見つめる影が二つ。リオは端末を手にしながら隣り合うヒマリを一瞥し、口を開いた。
「今の防御、確認したわね?」
「……えぇ、確かに」
リオとヒマリ、その両名は攻撃に参加する事無く、銃撃を受けた際に発生した現象を肉眼でつぶさに観察していた。
先程、ユウカは電磁防壁を用いたのではないかと疑問を抱いた。自身はそれを否定した、しかし純粋な肉体で防御したというのには痕跡が無さ過ぎる。表面に潰れた弾頭が付着している訳でもなければ、衣服に解れ一つ生まれていないのだから。
何よりあの異形が立つ場所、その周囲。跳弾によるものか、はたまた単に狙いが逸れたのか、彼方此方に弾痕が散見される。
だが、その数が異常だった。
まるで異形を避けるように弾痕が散らばっている。
「……あの現象には、心当たりがあるわ」
「えぇ、ですがまだ、確かな事は云えません」
言葉を交わさずとも、二人の見解は一致していた。
そもそも、あの異形に弾丸は一発たりとも着弾していない。恐らく身体に弾頭が触れる瞬間、まるで見えない力が働いたかのように弾道が捻じ曲がっている。
弾丸が対象を避けるように、不自然な程に。
「あの銃撃を捌き切る防御力、恐らく弾丸に何らかの力が作用し軌道が曲がったのでしょうが、あれだけの弾丸を瞬時に、悉く認識し、操作するなど……」
「えぇ、私が知る限り、あれは――」
リオとヒマリ、双方の表情が翳り、強張る。
何度も目にした訳ではない、しかし調査の過程で得られた情報を基に導き出された解の一つでもあった。
それと目の前の芸当が、余りにも合致する。
二人の脳裏に今回の議題ともなった大人の姿が浮かび上がった。
「――この現象は、先生と同様の」
「ッ、こ、この……!」
リオの声を遮るように、異形に抱きかかえられたヒナが力づくで脱しようと足掻いた。
しかし、それよりも早く周囲に暗闇が生まれ、まるで空間にぽっかりと穴が開いたかのように極黒が顔を覗かせる。異形はヒナを抱えたまま、ゆっくりと後退り深淵を想起させる黒へと身を沈めていく。
「委員長ッ!」
「っ、来ないで、アコ!」
咄嗟にアコが救助の為に駆け出そうとすれば、ヒナは即座に彼女に制止を呼び掛けた。アコはその場で踏み止まり、不安げな表情を隠さずヒナを凝視する。感情は焦りに支配されていた、しかし彼女の声には無条件に従ってしまう。
ヒナは黒に半ば身を浸しながら言葉を続ける。
「風紀委員会に戦闘準備を……! 私が不在の間は貴女に指揮権を預けるわ、イオリとチナツにもそれぞれ部隊を任せて――」
「そ、そんなッ!?」
彼女の口から出たのは、空崎ヒナがこの場から消えた後の方針。
鉄仮面の異形は未だ何を考えているか読めず、ただ自身を掴んだまま共に沈んでいくばかり。銃撃は無意味、救出しようにも下手に手出しをした場合どうなるか分からない。故にヒナは犠牲者を増やす事を良しとせず、自身を切り捨て指揮権の譲渡と今後の方針の伝達に注力した。
全力で足掻き、振り払おうとするも黒は彼女の身体を呑み込み、虚空へと浸す。
「アコ、私が居なくなった後は、貴女が――ッ」
「駄目です、委員長ッ!?」
「っ、アコ行政官!」
セナに掴まれた肩を振り解き、堪らず駆け出すアコ。
今だけはヒナ本人の指示よりも、彼女自身を案ずる感情が勝った。
しかし、僅かに遅かった。
伸ばした手がヒナを捉えるよりも早く、彼女の姿は完全に極黒の中に沈み、そのまま掻き消える。アコの指先は虚空を掻き、ヒナに触れる事は無かった。
「き、消えた……?」
後に残るのは弾痕の刻まれ、崩れかけの内壁と空薬莢ばかり。
視界には僅かな残影すら見えず、アコは暫くの間伸ばした掌、その先を見つめ呆然と立ち尽くした。
「今のは、一体」
「……分かりません」
構えていた銃を下ろし、険しい表情のまま言葉を交わすミネとサクラコ。まさに神出鬼没、意図も、背景も、何もかもが分からない手合いであった。シスターフッドの長として様々な秘めたる情報を有するサクラコですら、初めて目にする存在。
この場にはただ、空崎ヒナを誘拐されたという結果だけが残る。
セナが呆然と立ち尽くすアコの肩に手を掛け、何事かを問いかける。
しかし、当の本人は何ら反応を示す事無く。
「今の、もしかしてあの黒色の物質を通して此処にやって来たって事……?」
「その様ですね、物質の転送――量子テレポーテーションならば兎も角、物質そのものを転送する技術なんて、ミレニアムでさえ構想段階にさえ至っていないというのに」
ユウカとノアは互いに顔を見合わせ、あの異形が掻き消えた空間に言及する。初めて見る現象であった、しかしどの様なものか予測する事は出来る。唐突に現れた巨躯、あれが扉を潜って大会議室に現れたのならば直ぐに誰かが気付いた筈だ。
しかし、実際問題異形が風紀委員長の背後に立つまで誰も察知出来なかった。空間を超越して来たと考えれば、それも納得出来る。
「あの不可解な力、せめてもう少し人手があれば、突破の糸口を掴む事も出来たかもしれませんが……」
「――ふん、馬鹿め」
難しい表情でサクラコが呟けば、沈黙していたマコトが唐突に反駁した。この様な状況に陥って尚、マコトは超然とした態度を崩さず、サクラコを指差し告げる。
「空崎ヒナは風紀委員会の戦力、その半分を占める存在だぞ? アイツがこの場に居た時点で、この部屋には風紀委員会の半分が詰めているも同然――それを期待して、この場に立つ事を許してやったというのに」
マコトは両腕を組み、苛立ちを隠さずに言葉を続ける。
「癪だが、
「………」
不承不承といった様子でヒナの評価を口にするマコトの表情は苦々しい。だがその存在を快く思っていなくとも、実力自体は十二分に評価しているのだ。寧ろ普段何かと衝突するかららこそ、嫌でも意識せざるを得ないというもの。
「兎も角、ゲヘナの風紀委員長が目の前で誘拐されたのです、これは相応の対処が必要でしょう……首席行政官?」
「――えぇ、その通りです」
倒れた椅子を起こし、リンへと水を向けたのはナギサ。彼女の言葉にリンは手にしていた愛銃をホルスターへと戻し、頷きを返す。事が起きたのはサンクトゥムタワー、連邦生徒会も無関係を貫く訳にはいかない。加えてこの場が極秘会議であるという事実もあった、状況は非常に複雑で、致命的でさえある。普段よりも数倍、慎重な対応を求められるだろう。
リンは大会議室へと飛び込み報告を口にして以降、壁に背を預け硬直していた一般行政官を一瞥し、小さく吐息を零した。同時に円型テーブルの後ろに隠れていたアユムとモモカに視線を移し、指示を口にする。
「今の存在が何なのかまずは正体を突き止め、その後風紀委員長の所在を明らかにしなければなりません――モモカ、サンクトゥムタワー内外周辺のカメラ映像の確認を、アユムは各室長に招集……」
「――ッ!?」
リンが今後を憂い、険しい表情で端末に手を伸ばした瞬間、事の成り行きを見守っていたセイアが耳を震わせると、
いつも通りの街並み、あの異形が去ってから幾分か光を取り戻した視界。
だが、彼女の
ぶわりと、全身の毛が逆立った。
「拙い、全員床に伏せたまえ!」
「はっ……?」
唐突に、何の前触れもなくセイアが声を荒げた。
彼女らしからぬ切羽詰まった声だった、その事に驚きと困惑に包まれる一同。だがセイアは傍にいたナギサを強引に掴むと、「せ、セイアさん!?」という困惑を多分に含んだ声に応える事無く、そのまま床に蹲った。
「空が落ちて来るッ!」
瞬間、サンクトゥムタワーを襲う強烈な振動。大会議室に居た全ての生徒が一瞬方向感覚を失い、宙に浮きあがる様な衝撃。
遅れて凄まじい轟音が鳴り響き。
世界が裏返った。
■
【D.U.中央区画 メインストリート】
「あいたた……」
「だ、大丈夫?」
何の前触れもなく、突然大きな振動が世界を襲った。
D.U.中央区画、街中を歩いていた二人組の生徒は唐突なそれに足を取られ転倒し、痛みに呻く。一緒に歩いていた友人も転倒こそ免れた様子だったが、その場で屈み込み暫くの間動く事が出来なかった。
数秒程してようやく収まった揺れに安堵した生徒は、地面に投げ捨ててしまった自身の愛銃と鞄を掴み、転んだ拍子に打った膝を撫でつける。幸い怪我等は無かったが、彼女は困惑した様子で隣り合う友人に問い掛けた。
「な、何、今の凄い揺れ……?」
「わ、分かんない」
揺れは、随分と大きかった様に思う。立っていられない程の強さなんて、余程の事だろう。砲撃や爆弾の爆発によるものではない揺れなど、随分と珍しい事だと思った。
「うわ、車とか横転しているじゃん!」
「看板も落ちてきているし、凄く大きな地震だったみたいだね……」
周囲の様子を伺えば、傍に見える公道には事故を起こした車が幾つか停車し、駐車していた車両も左右に車体がズレ、歩道には落下した看板や硝子片などが彼方此方に散らばっていた。それだけで揺れの大きさも分かるというもの。喧騒が辺りを支配し、皆が皆困惑と驚きを露にしていた。
「……ん?」
周囲を珍し気に指差しながら確認すれば、ふと周りの人々が一様に空を見上げているのに気付いた。
妙に、辺りが薄暗く感じる。
時刻はまだ昼を幾つか過ぎたばかり、彼女もまた釣られるように空を見上げ、厚い雲が陽光を遮っているのかと思えば。
「なに、これ」
同じように、隣りあって空を見上げた友人が声を漏らす。
視界に入った光景に、知らず知らずの内に息を呑む。
慣れ親しんだ青空はどこ存在せず。
ただ。
「――赤い、空?」
赤に染まった世界だけが、頭上に広がっていた。
早く先生の出番が欲しいですわねぇ……。
でも、もう少し先の事なんですの。先生はまだベッドの上でグッスリですから、まずは叩き起こしませんと!