ブルーアーカイブを、もう一度。   作:トクサン

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誤字脱字報告感謝ですわ~!
一日エルデン休暇を頂きましたの!


私の大切な人(第二の古則)貴女の大切な人(合理と感情)

 

「ナギサ」

 

 セイアはただ静かに彼女の、友人の名前を呼んだ。挑発的とも呼べるナギサの発言は、一時会議室内に静寂を齎す。たった今ナギサの口にした発言は、ゲヘナとトリニティの関係を更に悪化させるには十分な一言である様に思えた。

 しかし、トリニティ側の心情として間違いではないというのが事態を複雑にさせている。ゲヘナを信頼する事は可能か? という問い掛けに対し、この場に集うトリニティの代表者、そうでなくとも自治区に存在する大多数の一般生徒達が喜んで頷く事は無いのだ。

 だがそれを鑑みても聊か直截的な表現だと思った。

 

「先生の事は私にお任せを、セイアさんはティーパーティー代表として、救護騎士団、シスターフッドと協力し自治区の防衛をお願い致します」

 

 決然とした態度と共に、真っ直ぐマコトを見つめながら云い放つ彼女に対しセイアは暫し沈黙を通す。此方に視線を一切返さないナギサの姿勢は、彼女が時折見せる潜在的な政敵、或いは不穏分子が顔を覗かせた時の対応そのものだった。

 それ程までに、ゲヘナに対して不信感を抱いているのか。

 或いは――。

 

「………」

 

 セイアはじっと彼女の横顔を観察し、第六感の手ごたえを探ろうとする。

 もしこれが自分達の運命を左右し得る程に重要な一幕であるのならば、何かしらの予感がある筈だと。

 しかし、期待していた感覚は何時まで経っても齎される事が無い。

 ならば桐藤ナギサのこの選択は正しいのだろうか? 状況を考えれば悪手だろう、しかし此方が譲歩したとてゲヘナが協力的な姿勢を見せるのか。セイアは自問自答する、答えは否であった。

 そもそも肝心な時に発動しない事もある代物だ。精度は保障するが、前提として発動しないのならば意味も無し。

 現状、ティーパーティーの百合園セイアとして打てる手は限られている。ナギサとてフィリウス分派を率いる首長、そして自分達の中で最も政戦に長けている人物である。日常や学問に於ける舌戦ならば兎も角、こういった公の場に於けるソレは自身に勝るだろう。

 となれば、後は――。

 

「……分かった、信じよう」

 

 百合園セイアが桐藤ナギサを信頼するかどうか、その一点のみ。

 

 ならば迷う必要はなく、セイアはゆっくりと頷きを返した。

 そもそもの話、こうなった彼女は梃子でも動かない。

 それをセイアは実体験としてよく知っていた。

 ゲヘナが協力せずとも、最悪ミレニアム、連邦生徒会と手を組むという選択肢がある。無論、そうすんなりと話が進むとは思えないが――ナギサとて何も無策という事はあるまい。そう云った意味でも、セイアはナギサを信任していた。

 

「セイアさん」

「悪いが、この場は私の友人に預けてくれ」

 

 横合いから注がれる視線、サクラコの呼びかけに対しセイアは緩く首を振った。悪い予感はしない、少なくとも――今の私には視えていない。

 その意志は伝わったのだろう、自身の持つ第六感に関しては各分派代表に説明済みである。サクラコがそれ以上言及する事は無く、代わりにミネが指先で何度かテーブルを叩きながら口を開いた。

 

「……もし先生をトリニティで保護するのであれば、総合病院で救急医学部の手を止める必要があるでしょう、元より万が一の際は救護騎士団本部に移送する計画もありましたから、情報さえ伝えれば直ぐに受け入れ準備も整う筈です」

「であるのなら、直ぐに出立して現状を伝えて下さい、此方も出来得る限り急ぎますので」

「分かりました、それがティーパーティーとしての決定ならば――先生の身柄をトリニティ自治区で保護出来るのならば、生徒達も安心する筈です」

 

 ナギサの言葉にセイア、ミネ、サクラコ、セリナの四名は顔を見合わせ、それから静かに席を立つ。セリナだけは不安げに周囲の様子を伺っていたが、主要分派のトップが合意したのであれば口を出す事も憚られる。そんな彼女達のやり取りを見ていたモモカは、分かり易く狼狽えながら横合いに座すリンに視線を移した。

 

「えぇっと、コレどうしよう、リン先輩……?」

「―――」

 

 売り言葉に買い言葉、とでも云えば良いのか。

 リンは無言で眼鏡を外し、自身の眉間を揉み解した。それは彼女がどうしようもない事態に陥った際、つい見せてしまう所作だった。

 事この状況に至って、トリニティ・ゲヘナに対し連邦生徒会側から何を云っても聞く耳など持つまい。その場に蔓延する空気が、何よりも雄弁にそう語っている。既に連邦生徒会は蚊帳の外に置かれたのだ、非常対策委員会とは名ばかりの烏合の衆、それが現在の姿であった。

 

「これはまた、随分な状況ですね……」

「ユウカ、ノア」

 

 ゲヘナとトリニティの対立意識はこうも深いのか。ヒマリが思わず辟易とした声を漏らせば、中央に座すリオが徐に声を上げる。彼女と隣り合ったセミナー組、ユウカとノアはリオへと顔を向け、疑問符を浮かべた。

 

「二人はミレニアムに一度帰還して頂戴」

「えっ、ミレニアムに帰還って」

「会長? 突然何を――」

「ヒマリ」

 

 二人の漏らした疑問に応える事無く、リオは続けてヒマリの名を呼ぶ。平坦で、抑揚が無く、しかし何かを秘めたような響き。

 何となく、予感があった。

 ヒマリはその感覚に口元を歪めながら、ゆっくりとリオへと視線を向ける。

 

「……何でしょう、リオ?」

「この場で貴女に、ミレニアムに於けるビッグシスターとしての権限を一時的に譲渡するわ」

「――!」

 

 それは、予想だにしない一言であった。

 リオの冷徹な瞳がヒマリのそれと混じり、互いの胸中を探る様な色が交差する。セミナーの二人が唖然とした気配を纏い、エイミがでさえも驚愕の色を見せ硬直する中、リオは努めて淡々とした口調で続けた。

 

「必要があればその権限を用いて、ユウカ達と一緒にミレニアムの防衛、及び塔の対策をお願い、貴女の要請ならヴェリタスやエンジニア部も快く動いてくれる筈よ、特異現象捜査部にはその実績がある」

 

 勿論、その他の部活動も。

 調月リオが出来ない事であっても(持たない繋がりも)、明星ヒマリならば可能である(持ち得ている)

 それは彼女が滅多に見せる事のない他者に頼る姿であった。件の騒動を経てから度々人に頼る姿勢を見せていた彼女であるが、こうも全面的に信任する事はまず無かった。以前のリオであれば絶対に選択肢しないであろう道、それをたった今彼女は何の臆面もなく口にして見せた。

 その事に少なくない驚きと衝撃がある。

 

「私には、やらなくてはならない事がある」

 

 それだけを口にしてリオは再び会議室の中央、いがみ合うトリニティとゲヘナの面々へと視線を向けた。会議室より退出していくセイア、ミネ、サクラコ、セリナの四名。彼女達はトリニティの近衛隊と合流し扉の向こう側へと消えていく。トリニティとゲヘナは既に代表者一名を除き全員が自治区へと帰還を始めた。

 連邦生徒会が主導し招集されたこの会議の場は、既に本来の趣旨を既に失っている。

 

「………」

 

 しかし、リオの言葉は余りにも端的で簡素だった。

 他者に頼るという選択肢を取る様になってからも、自己の中で計画の全ては完結してしまっているのだろう。そこには他者に対する思いやりや説明が一切存在しない。

 それともコレは、ヒマリという存在を高く買っているが故だろうか。

 しかし、それでも最低限果たすべき誠意というものがあるだろうに。ヒマリは小さく溜息を零し、自身の膝元を指先で軽く叩きながら声を発した。

 

「リオ、この私の能力を高く見積もった上でビッグシスターの権限を譲渡するのは理解出来ますが、聊か言葉が簡潔過ぎます、そういう所もまた貴女の悪癖――」

「ヒマリ」

 

 苦言を呈す素振りを見せたヒマリに対し、リオは重々しく言葉を重ねた。

 

「――お願い」

 

 一瞬、ヒマリの息が詰まる。

 それは本当に、時が止まってしまったかのような感覚だった。

 お願い、お願いだと? 放たれた一言は青天の霹靂に等しい。

 あの調月リオが、独善的で自分勝手で了見が狭く頑なで、最近は多少マシになって来たとは云え未だに下水道の(ドブ)――いや、雨上がりの泥水程度にはなった、あの調月リオが。

 合理性や理屈ではなく、感情に訴える様な言葉を口にしたのか。

 声には真摯な響きがあった。思わず目を見開きリオを真正面から見つめれば、視線を逸らす訳でもなく、対峙する事から逃れる訳でもない。

 ただ此方をじっと見つめる、力強い赤色が目の前にはあった。

 

「―――……」

 

 暫し、無言で視線を交わし合う両名。それなりに付き合いの長い二人だからこそ、視線だけでも推し量れるものがある。

 先に瞳を逸らし、目を伏せたのはヒマリの方であった。

 車椅子に深く背を預け、彼女は指先を組む。

 

「リオ、以前の貴女なら――」

「………」

「以前の貴女であったのなら、合理だ何だと理屈を捏ねて、上から押し付ける様に命令していた事でしょうね」

 

 呟き、ヒマリは胸中で想う。

 正しいから問題ないだろうと他者の意見に耳を貸さずに、独善的で自分勝手、それを考えれば今の変化は好ましいものに映る。

 しかしある意味、人情に訴えかける様になったのは性質が悪いとも云えた。自分が云えた事ではないが、それは視方によれば卑怯な行いにもなり得る。特に自分とリオの関係を考えれば、尚の事。

 しかし。

 

「ですが――まぁ、良いでしょう」

 

 今の貴女ならば、構わない。

 そう云ってヒマリは、分かり易く口元を緩めた。今の調月リオならば、信頼に足る。

 こんな事は口が裂けても云えないが、少なくとも以前ほど明星ヒマリは、調月リオの事が嫌いではない。

 内に秘めた感情にそっと蓋をして、ヒマリはいつも通りに姿勢を正すと自身の胸元を軽く叩き宣言する。

 

「ミレニアムの防衛はこの天才病弱美少女が何とかしてみせます、どのような状況に陥っても、必ず守り通す事を約束しましょう――ですが余りにも有能が過ぎて、貴女の肩身が狭くなっても知りませんよ、リオ?」

「……ありがとう、ヒマリ」

 

 何処までも自信と矜持に満ちた台詞に、リオもまた釣られるように破顔した。

 珍しい程に柔らかく、温かみに満ちた微笑みだった。

 感謝の言葉は、ごく自然に口をついた。それはリオが心からそう思っているが故に出た言葉だったのだろう。

 

「―――」

 

 ぐっと、リオは背筋を正す。

 自身に比肩し得る存在、背中を預けられる仲間、その力強さは身体的にも、精神的にもリオの助けとなり、何か目に見えない力が満ちていく様な感覚がある。

 リオは椅子を引き立ち上がると、沈黙する会議室の中で声を張り上げた。

 

「少し、良いかしら?」

 

 良く通る声だった、ナギサとマコトの両名がリオへと視線を向ける。連邦生徒会の面々も同様に。横合いから放たれたソレに、マコトは訝し気な表情と共に問うた。

 

「……一体何だ、ミレニアム?」

「今の話、此方としても看過できない問題よ」

 

 今の話。

 つまり先生の身柄保護、及び自治区の防衛方針を巡った対立。リオがそう言及すると、此方を訝し気に見つめていたナギサの瞳が僅かに見開かれた。それはこの様な場に慣れ親しんだ、経験故の嗅覚だったのだろう。

 

「……調月リオさん、貴女はまさか」

「そのまさかよ、貴女達がその様に主張するのであれば、此方も同様の手を打たせて貰うだけ」

 

 今から為される発言に見当がついたのだろう。

 彼女の表情を視界に捉えながら、リオは自身の端末に指を添えながら宣言した。

 

「――先生の身柄は、私達ミレニアム・サイエンススクールが保護させて貰う」

 

 三大校による、明確な対立構造。

 彼女の宣言は会議室内に於いて、少なくない衝撃を以て受け入れられた。リンは思わず漏れそうになった呻き声を噛み殺し、モモカは完全にお手上げ状態と背凭れに身を預ける。アユムは項垂れたリンの背中に手を添えながら、今まさに睨み合う三者を不安げに見つめていた。

 

「キキッ! なるほど、なるほど!」

 

 険しく、苦々しい表情を浮かべるナギサとは対照的に、ゲヘナの代表であるマコトは自身の手を軽く叩きながら笑い声を上げていた。

 それは正に嘲笑であった。

 深くずり落ちた帽子を指先で弾き、目元を覗かせたマコトは心底愉快だと云わんばかりに口元を曲げる。

 

「つまりは何だ、緊急招集と銘打ったあの場でさえ、最初から結束など望むべくも無かったと――そういう事か!」

「……そうですか、ミレニアムも同様に」

「ちょ、ちょっと会長! あんな火に油を注ぐ云い方、絶対に当てつけだって思われますよ!?」

「いつもの事ですよ、気にしても仕方ありません」

 

 堂々とした立ち姿に、しかし発言は余りにも敵対的。

 一体どうするつもりだと戦々恐々するユウカを前に、ヒマリは慣れた様子で彼女の肩を叩いた。言動はユウカの云う通り火に油を注ぐに等しいが、現状三大校全てが対立する事がどの様な結果を生むかなど目に見えている。

 それが分からないビッグシスターではない筈だ。であるのなら狙いがあるのだろう、一度三校の立場を同値に戻し、再び腰を据える場を作ったのか。それとも一度強硬な態度を見せて譲歩を引き出す心積もりか――兎角、無策という訳ではあるまい。

 

「私達はミレニアムに帰還します、お二人共ご協力を、エイミ、移動手段の手配は?」

「うん、もう済んでいるよ」

「結構、流石ですね」

「……本当に良いの、部長?」

「えぇ」

 

 ほんの僅かに、しかし分かる程度には懸念を示すエイミに対しヒマリは何ら憂いを見せない。リオが任せると云ったのだ、であるのならばこの場は彼女の担当である。他者に役割を預けながら、自身が請け負った役割を果たせない事など、あってはならない。自身が立場と能力を持つ者と自負しているのならば尚の事、その選択には責任が伴う。

 

「ヒマリ先輩、で、でも先生は――」

「シャーレの先生に関しては有事の際、保安部と連携してC&Cが動く手筈になっているわ、だから今はD.U.の情報をミレニアムに持ち帰る事を優先して」

 

 ユウカの揺らぐ声に、リオは視線を向ける事無く断じる。

 ユウカとノア、セミナーに所属する両名の視線が彼女の背中に注がれていた。

 

「私達の学校を、お願い」

 

 常よりも真剣に、力強く放たれた言葉は周囲の彼女達へと確かに届いた。

 ノアは静かにユウカの背中に手を添え、頷いて見せる。ユウカはリオをじっと見つめた後、無言でテーブルに乗せていた端末を手に取り立ち上がった。思う所はある、不安もまた同様に、しかしそれを言葉にする事は無く、彼女はその一切を呑み込み踵を返した。

 エイミはヒマリの車椅子をそっと押しながら扉に向かい、ミレニアムより四名が大会議室を後にする。

 残されたリオは彼女達の背中を見送る事もせず、ただ真っ直ぐ会場の中心を睨みつける様に佇み続けた。

 

 両開きの扉が締まる音、それが再び会議室内に木霊する。最後の瞬間、閉ざされる扉越しにヒマリがリオを一瞥したが、視界に映ったのは一心に前を見据える彼女の姿だった。

 完全に閉ざされる扉、計十一名の退出した大会議室は余りにも閑散としている。ギシリと、椅子を鳴らしながら身を反らしたマコトは、人の消えた会議室を見渡しながら嘆息する様に云った。

 

「――さて、これで文字通り各校代表のみの場となったか」

 

 大会議室に残ったのは三大校のトップが三名、後は連邦生徒会を代表したリン、モモカ、アユムのみ。当初と比較すれば余りにも物寂しく、現状を分かり易く表している様に思う。

 

「えぇ、代表者は一名、各校が意志表明を行った上での最終討論――今この場に於いて私達の立場は平等よ」

「キキッ、随分と結末の分かり切った討論じゃないか? この時間に、然程意味などあるまい」

「その前に……先の発言、どういったおつもりでしょう、調月リオさん?」

 

 ゆっくりと椅子に腰かけ直すリオ。

 三者が互いの間合いを図る様に言葉を交わす中で、ふとナギサが軽く挙手を行いながら問いかけ、鋭い視線寄越した。

 

「どうもこうもないわ、これは理屈の話であり、同時に感情の話でもある」

 

 ナギサの問い掛けに強い口調で答えるリオ。自身でその様に発言しておきながら、しかしリオは思わず胸中で苦笑を零した。

 感情の話などと、以前の自分であれば一蹴していただろうに。公の為に私を押し殺す事は当然の事。行為の正しさは、それがもたらす結果としての幸福や利益の総量で判断されるべきだと。

 調月リオに出来る事は、合理を追求し最大効率を齎す事。そして最大多数の最大幸福を目指す事。

 だが万人が合理に生きる者ではなく、時には全く合理的ではない選択が最善の結果を生む事さえある。

 感情とはその引き金を絞る為の、重要な要因だ。

 それを彼女は、良く知っている。

 

 ならばその真似事だけでも――足掻く程度の事は、出来る筈だと。

 リオは自身にそう云い聞かせた。

 

「そもそも、こんな状況で対立する事が合理的である筈がない、そんな事は私が態々発言せずとも、トリニティ、ゲヘナ双方理解している事でしょう? そうでなければ、この場に招集される事もなかった筈、自治区を云々するだけの能力がある事は貴女達の立場が証明している」

 

 そうだ、感情を一切抜きにした最善手などこの場に居る全員が理解している。

 そして現連邦生徒会に三大校を制御出来るだけの力がない事も。

 故にこの場に於いて重要なのは、各校が歩み寄り『自主的に協力関係を築く事』である。

 一切の敵愾心を棄て、対立意識を封じ、過去を水に流し、一時だけでもキヴォトスという世界の為に手を取り合う。

 

 ――それがどれ程困難な事か、そんな事は重々承知だ。

 

 或いは、強引に取りまとめる事が出来るだけの圧倒的カリスマを持つ人物(連邦生徒会長)か、積み上げた信頼を以て多方面に顔が利く人物(シャーレの先生)が居れば別だろうが、現状それは望めない。

 

 何故、たった一歩を踏み出す事が出来ないのか。

 両校の歴史、積み重ねて来た過去、生徒達の対立意識、それも勿論存在する。

 しかし、それ以上に――。

 リオは神妙な顔つきで手元に視線を落とし、そっと息を吸い込む。

 

「私達がお互い譲歩出来ないのは、その合理に勝る相応の理由があるから、過去の事もそう、敵対していた歴史も、そこから付随する憎悪や敵愾心も、そして――私達にとっての先生と云う存在、彼はキヴォトスに於いて唯一無二、執着する理由はあらゆる観点で理解出来る」

「……見解の相違ですね」

 

 その達観した物云いに、ナギサは即座に反駁した。既に冷め切って久しい紅茶をそのままに、彼女はリオを一点に見つめる。その態度は刺々しく、瞳に不快感が覗いていた。

 

「私達は先生(あの人)を肩書や能力で見ている訳ではありません、必要だから手放す事を恐れていると思われているのであれば、心外です」

「……気分を害したのであれば謝罪するわ、出来る限り直截的な表現を控えたつもりだったのだけれど、逆効果だった様ね」

 

 極めて強い口調で放たれるそれに、リオは緩く首を振る。他者の機微を汲み取る事は、苦手であった。多少なりとも配慮して遠回しに伝えようとしても逆効果になる事が多い。今回もそうだ、つくづく自分は言葉選びが悪いのだと実感する。

 テーブルに肘を突きながらリオは数秒程沈黙を守り、瞼で視界を遮ると、微かな感傷に浸ったまま続ける。

 

「そう、そうね……私達が退けない理由があるとすれば、それは」

 

 ――罪悪感。

 

 きっと、この言葉が相応しい。

 放たれた一言を耳にした瞬間、ナギサとマコトの瞳が僅かに揺らぎ、リオは確かにその揺らぎを視界に捉えた。それはほんの僅かな変化であったが、リオだけは気付いていた。彼女達の中に存在する、自身と酷似した色に。

 

「各々が、あの人に返し切れない恩、或いは情念、罪の意識を抱いている」

「……ふん、随分と知った風に云うじゃないか」

「事実よ、私自身――あの人には返し切れない恩と、罪悪の意識を抱えているもの」

「………」

 

 目を伏せたまま彼女は独白する。

 そう独白だ。それは二人に語り掛けているというよりもリオ自身の感情、その輪郭をなぞる行為だった。

 

「――理解できないものを通じて、私たちは理解することができるのか」

「……!」

 

 唐突に、リオはその様な言葉を口走った。

 思わずといった様子で、苦悶の表情で思考を回し続けていたリンが伏せていた顔を上げた。それはキヴォトスに古くから伝わる七つの問い、その一つである。そして同時に、いつか彼女の友人が、連邦生徒会長が口ずさんだ問い掛けでもあった。

 

 第二の古則――【理解できないものを通じて、私たちは理解することができるのか】

 

 リオは大きく息を吸い込みマコト、ナギサ、リンの三者を視線でなぞりながら思う。この問いかけは不完全だ、しかし自分なりに解釈し、一定の解を導き出す事は出来る。

 学園同士が自主的に手を取り合う事は難しいかもしれない。互いを理解する事も、確執を呑み込む事も、たった一歩を譲歩する事さえ。

 自分達はそれぞれが違う存在で、だからこそ見えないものがある。

 或いは自分自身の内側に、思わず目を逸らしてしまいたいと思う何かを見出してしまう可能性もある筈だ。

 

 何せ、他ならぬ調月リオがそうだ。

 自身は過去に他者の理解を必要とせず、そもそも理解する事さえも拒んでいた。それ自体を合理的ではないものと、排除してしまった。

 その瞬間、その一時理解されずとも、結果を以て正しさを証明する事は可能であると信じていたからだ。

 だがそれでは駄目なのだ。

 圧倒的な劣勢の中、自分に立ち向かうあの子達を見た時。

 そして敗れ、新たな居場所を得た自分の周囲を見渡した時。

 リオは漸く理解した。

 

 理解出来るか、出来ないのか――その結果は然程、重要ではない。

 

 大切なのは向き合う事。

 自分自身と、或いは理解出来ないもの(己ではない他者)と。

 真剣に、目を逸らす事無く、正面から。

 

 それを自分は、新しい居場所で得た多くの人々(友人達)に教えられた。

 だから――。

 

「お互いに理解出来なくとも良い、感情を押し殺す必要もない、心の底から協力せずとも構わない――ただ私達の間に共通の、『代替不能な存在』(大切な人)が居るのであれば」

 

 大切であるという感情が同じであるのならば、それが何よりも代えがたい存在ならば。

 あの人を助ける為に、各校の代表が、この招集に応じた様に。

 私達は――。

 

「私達は、互いに手を取り合う事も出来る筈(その一歩を踏み出す事が出来る筈)よ」

 

 ■

 

【緊急招集より数時間後――D.U.総合病院】

 

「ねぇ予備の弾は無い? 私の銃、7.62を使っているんだけれど……!」

「予備の弾って、此処は病院ですよ? 銃弾の備蓄なんて、ある訳ないでしょう!」

「大丈夫、私が持っているよ! コンビニで買った奴、箱詰めの奴だけれど使って!」

「ごめん、ありがとう……!」

 

 空薬莢の転がるロビーの床、その上を滑り届けられた弾薬の詰められた紙箱。空になった弾倉を愛銃より取り外し、手早く梱包紙を払いながら銃弾を込める。

 直ぐ横で絶え間ない銃声が鼓膜を刺激し、偶然この場に居合わせた事を彼女――一般生徒は深く後悔していた。

 こんな事になるなら、気軽に足を運ぶんじゃなかったと。

 シャーレの先生が此処に入院していると聞いて、ちょっとひと目会えたら、あわよくば少しお話出来たらなんて、そんな風に思って足を運んだ結果がコレだった。

 D.U.外郭のシャーレ本棟近辺は、先生本人が気付いているかどうかは分からないが魔境である。何とかお近づきになろうと機会を狙う生徒は数知れず、巨大な自治区の生徒会集団が頻繁に目撃され、時には黒い噂の絶えない集団さえ顔を出す。名の知られていない一般生徒など、近付く事さえ恐ろしくて出来はしない。先生本人はどんな生徒であれ困ったら訪ねて欲しいと公言しているが、実際に一般生徒が顔を出せるかどうかは別問題だ。

 

 そんな先生が何処かの自治区内部ではない、D.U.の病院に入院する事になった――自然、人が集まるというもの。

 普段各自治区の有名人たちがガードしているシャーレには近付けなくとも、病院という環境は万人が利用する可能性が存在するのだ。何となく具合が悪くて、ちょっと怪我をして、定期健診で――理由はなんだって良い。

 この病院を訪れる理由を作って、ついで自然に面会の予約を取り付けたり、もしくはちょっと病棟をうろついたり。少し顔を合わせられたら、会話が出来たら、そんな思惑を持った生徒は掃いて捨てる程存在した。

 彼女自身もその一人、しかしその結果、まさかこんな事態に巻き込まれるなんて予想だにしなかったのだ。

 そして現在、似たような境遇の生徒達がこの場に集っている。

 今自身の弾倉に弾丸を詰める生徒の他にも、同じように泣きそうな顔をして戦い続ける生徒はそれなりの人数散見された。

 

「数が多い、一体何処から湧いて来るんだ?」

「コイツ等、倒しても倒してもキリがないよ……!」

「というか、周囲から段々集まって来てるような――」

 

 割れた窓硝子越しに、或いは積み重ねた障害物越しに外を覗き込み悪態を吐く。

 自律兵器自体は街の中でも暴れ回っている様子だが、この病院に関しては襲撃に来る数が異常である。敷地の外に積み上がった自律兵器の数は数えるのが億劫になる程で、ちょっとした小山が出来上がる程。

 ロビーに集まった生徒で一体何発の弾丸を消費しただろうか。この場には百名近い人員が詰めているが、それでも手が足りているとは云い難い。自律兵器の大きさはそれなりだが、それでも侵入出来る箇所が余りにも多いのだ。

 

「そう云えば、あのトリニティのお偉いさんは……?」

 

 ふと暫くの間、トリニティの生徒達を取り纏め勇猛果敢に自律兵器へと躍りかかっていた生徒の姿が見えなくなっている事に気付いた。如何にもお姫様然としていて、白く綺麗な翼まで持っていたのに、その見た目に反して銃を使わず素手で自律兵器を粉砕していた人物である。

 彼女の姿は言動や力強さは勿論、容姿も含め良く目立ち、このロビーで戦闘に身を投じる者達に微かな希望を抱かせていた。

 

「ミカ様の事でしょうか?」

「えっ? あー……多分、そうかも」

「あの方は現在、単身で敵中深くに突撃し、多くの自律兵器を釘付けにしています」

 

 丁度隣り合ったトリニティの生徒に問い掛けると、彼女は淀みない口調で以て答えた。つまり単身突撃を敢行したまま帰って来ないという事だろうか? 敵の攻撃がより苛烈になっている今、それ以上の砲火に身を晒しているという。

 積み重なり、所々焦げ目の残る長椅子の隙間から外を覗き見、生徒は息を呑む。飛び交う弾丸、紫色の砲撃、周囲のアスファルトが砲撃で砕け破片が彼方此方に飛び散っており、大破炎上した車両が駐車場に何台も横転しているのが見える。病院内の窓硝子は殆ど全損で、絶え間ない爆発音と銃声轟く外界は正に地獄のような光景だ。

 それらを一瞥もする事無く、不気味な光を放ちながら集結する自律兵器達。

 この、数えるのも億劫になる様な自律兵器の中にひとりで飛び込んだのか? 想像して、思わず背中に氷柱を突っ込まれた心地になった。

 

「……えっと、大丈夫なのソレ?」

「問題ありません」

 

 思わずそんな言葉が口をつく。どう考えても自殺行為だ、何処かで既に戦闘不能に陥っているのではないかと疑った。

 しかし、横合いから耳に届いた返答はあまりにも自信に満ち溢れていた。トリニティの生徒は手にしていた愛銃の弾倉を換装し、コッキングレバーを操作しながら恍惚とした表情さえ浮かべ告げる。

 

「あの方は、特別ですから」

 

 声には心底、喜びの色が灯っている。

 そう、彼女達にとって聖園ミカが敗北する姿など想像も出来ない。

 パテルの首長にして圧倒的な強さを誇り、あの正義実現委員会の長とさえ真正面から殴り合えるフィジカルは唯一無二。何より彼女の誇る神秘濃度は広大なトリニティに於いて正しく比肩し得る者はない。自分達の首長、聖園ミカならばこの地獄のような戦場でさえ当然の様に生還すると信じているのだ。

 その盲信とも、狂信とも取れる態度に対し、生徒はやや身を引きながらも「……そうなんだ」と答えるので精一杯であった。

 キヴォトスは広い、常識はずれの強さを誇る人物が居ても驚きはしない、彼女もまたその中の一人という事なのだろう。

 

「おい、あっちのバリケードが破られそうだぞ!?」

「人手が足りない! 誰か、応援を……!」

「西側の人員を回しましょう、兎に角院内には入れないように――」

「……!」

 

 奥の方から銃声とは異なる、誰かの焦燥に満ちた声が響いていた。一拍遅れて悲鳴染みた声が上がり、自律兵器が主腕を伸ばし積み上げたバリケードを引っ搔いている姿が見えた。防災シャッターが破られたのだ、貫通した隙間より器用に腕を伸ばし、蠢く姿はホラー映画さながらの不気味さがある。

 

「こいつッ!」

 

 空かさず周囲の生徒達が発砲し、銃声と共に自律兵器の外装、その表面が弾け火花が散った。空薬莢の弾む甲高い音が幾つも響き、押し入ろうとしていた自律兵器は銃撃の勢いに押され後退。

 そのままオートマタの職員が待合スペースより追加の長椅子を数人がかりで運び込み、シャッターの空いた穴へと追加し補強。再び自律兵器の姿は障害物の向こう側へと消える。オートマタの職員たちはそのままバリケードに張り付くと、即座に鈍い打撃音が響き始めた。自律兵器が再びシャッター越しにバリケードを攻撃し始めたのだ。

 

 戦況は徐々に傾きつつあった。

 今のところは全員が協力し自律兵器の侵入阻止に成功している。しかし、そもそもが戦闘に不慣れな人員が殆どであり、加えてきちんとした命令系統も存在しない。所属も武装も不揃いの即席防衛チームで数時間と持ち堪えた事自体凄まじい結果と云えるだろう。

 自分達は善戦した――しかしこれ以上は、もう時間の問題だ。

 そう遠くない内に此処は突破される、全員が薄々その現実に気付き始めていた。

 

「ん? なに、この音――……」

 

 ふと、生徒の一人が外側より響く音に気付く。

 それは金属同士がぶつかり合い、拉げるような騒々しい音だった。音は病院内ではなく、外側から響いている様に思う。

 恐る恐る生徒がバリケード越しに顔を上げれば、病院前の公道に蠢いていた自律兵器が宙を舞い、周辺に飛び散っている光景が目に入った。

 何事かと目を瞬かせれば、凄まじい勢いで接近する黒い影。次々と自律兵器を跳ね飛ばしながら直進する影は、軈てロータリー内に転がっていた車両に追突し、そのまま横合いへと跳ね飛ばしながら急停止。

 甲高いブレーキ音と共にタイヤより白煙を立ち昇らせ、何体もの自律兵器をスクラップにしたフロント部分はしかし大きく凹む事もなく健在。咄嗟に頭を下げながら身を竦めていた生徒は、出現した影を見上げながら叫んだ。

 

「な、何、装甲車両!?」

「そ、装甲車って、もしかして何処かの自治区が応援に……!?」

「――いいえ、緊急車両です」

 

 生徒達の困惑と驚愕に満ちた声に対し、平坦で抑揚のない声が返って来る。

 数多の傷を外装に拵え、分厚い装甲板を身に纏った車両の扉が開き、中より青を基調としたクラシックナース姿の生徒が現れた。

 彼女はこの様な状況でさえも一切表情を乱す事無く、手にした救急バッグを手に提げたまま凛とした瞳と共に告げた。

 

「ゲヘナ学園、救急医学部のセナです――シャーレの先生はどちらに?」

 

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