ブルーアーカイブを、もう一度。   作:トクサン

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誤字脱字に感謝ですわ~!


足掻き、捧げ、守る。

 

「っ――は……!」

 

 息が詰まった。

 まるで鉛の如く、あらゆるものが重く、鈍く感じられて仕方なかった。世界そのものから速度が失われ、温度が失われ、全身に圧し掛かる重々しい気配。それが両足を床に縫い付け、自身の鼓動だけが嫌に大きく聞こえる。

 しかし、目の前の光景をただ見ている訳にはいかなかった。

 面食らい、動転し、気圧され、理解出来なくとも――セナの腕は一直線に伸び、一際強く鳴り響いた鼓動が彼女の足を跳ねさせる。

 

「いけませんッ!」

 

 叫び、勢い良く伸ばされた指先が、ヒナの突き出した銃口を掴んだ。

 そのまま全力で押し込み、頭上へと逸らす。ヒナの矮躯が一歩、蹈鞴を踏んだ。引き攣った喉が痙攣し、流した冷汗が背中を伝う。

 

「ヒナ委員長ッ!」

 

 至近距離で交わされる視線。ヒナとセナの身体が重なり、銃口を掴む掌が軋みを上げる。

 片や悲壮と混乱に染まった表情で、片や全てを悟った様な暗がりの中で。二人は文字通り目と鼻の先で、視線と言葉を交わしていた。

 

「貴女は、一体何を――ッ!?」

「………」

 

 セナを見下ろす瞳は余りにも昏く、悍ましく、黒々としていて。まるで深淵を覗き込んでいる様な心地だった。

 本来そこにあった筈の色も、想いも、何もかも塗り潰されてしまったかのような。見つめていると恐怖に駆られ、立ち竦んでしまいそうになる。

 それでもセナは懸命に、必死に言葉を繰り返した。

 

「この方は、先生です……! シャーレの先生です!」

 

 分からない筈がないだろう、知っている筈だ、何度も言葉を交わした筈だ。

 そんな先生に対して、何故――。

 

「貴女はその先生に、一体何を向けているのですかッ!?」

 

 血を吐く様な想いで放たれた叫び、セナはヒナの行いを真正面から糾弾した。絶対にあってはならない、為してはいけない行為だ。

 全く以て理解出来ない、否、理解したくもない行動。

 その是非を問うセナの声に、ヒナはゆっくりと喉を震わせた。

 

「セナ」

「っ……?」

 

 耳に届いた声は、あまりにも普段通りで。

 いつものようにぶっきらぼうに、無機質で、何の抑揚も無く名を呼ばれて、一瞬気が緩んだ。見開かれた視界の先で、ヒナはゆっくりと左腕を翳す。それをセナは、緩慢な視線で追った。

 

「あぐッ!?」

 

 瞬間、頬に走る強烈な衝撃。

 頭蓋が軋み、首が捥げたのかと錯覚する程の。

 セナの身体が後方と吹き飛び、そのまま運転席と後部を隔てる内壁に衝突した。衝撃で車体が揺れ、散らばっていた硝子片が一斉にセナの頭上へと降り注ぐ。

 殴られたのだと、そう理解したのはヒナが軽く拳を突き出していたからだ。

 あまりにも無造作で、軽々しく、力の込められていない打撃。しかし、齎された影響は甚大で、セナは弾みで床に這い蹲り、視界が白黒に瞬いた。

 

「私の邪魔を、しないで」

「っ、ぃ――……」 

 

 ぽたぽたと、口元から血が滴り唇と口の中を盛大に切ったのだと分かった。

 脳を揺らされた、視界が定まらず四肢に力が籠められない。ジンとした痺れの残る顎先は言葉を発する事すら許さず、暫くの間セナは地面に這い蹲り、痛みを堪える事しか出来なかった。床に着いた掌から伸びる赤が、少しずつヒナの影へと広がっていく。

 

「……貴女は、知らないだけ」

「ぅ――」

「この先に、どんなに惨くて、絶望的で、終わらない苦しみが待っているのか」

 

 零れた声には確かな実感と確信が混じっている。

 だから今、此処で終わらせる。

 苦しみの連鎖を、絶望の繰り返しを、悲劇の運命を。

 眠っている間に、文字通り瞬きの間に。

 空崎ヒナは、それが最善だと断言していた。

 ぶら提げたホットショットの銃口が、差し込む赤色を反射し鈍く煌めく。

 

「駄目、です……」

 

 だがセナは、床に這い蹲りながらもヒナの言葉を否定する。血と唾液の滴る舌を辛うじて動かし、呟いた。

 不意に、懐からするりと一枚の封筒が滑り落ちた。

 床に音もなく落ちたそれはセナの顔、その直ぐ横合いで止まり、彼女の瞳がそれを捉える。

 僅かに、セナの鼓動が高鳴った。

 擦り切れ、皺が目立ち、何度も読み返したソレ。

 その手紙の内容を、憶えている。

 忘れる事など出来ない、だからこうして常に肌身離さず持ち歩いていた。

 

「そんな、結末は、決して……」

 

 そうだ、(それ)を肯定する事など。

 絶対に、あってはならない。

 

 床に張り付いた封筒に手を伸ばし、その表面に赤を塗りつける。痛い程に封筒を握り締めたセナは、ぎこちなく顔を上げ声を絞り出した。

 

「ヒナ、委員長――ッ!」

 

 ■

 

「――どうして、私なのでしょう?」

 

 未だ夏の気怠さが残る空気の中、湿った声で問いかけたソレは、茜色の中に溶けて来た。

 ゲヘナ自治区は眠らない、四六時中銃声やら爆発音が其処ら中で聞こえて来るし、静寂とは真反対の校風である。故に昼間だろうと夜だろうと、基本的に音が絶える事は無い。無論そうではない時もあるが、比率で云えば極稀と云い切ってしまっても良いだろう。

 

 その日は偶然、その極稀な幸運を引いたらしかった。広大なゲヘナ自治区校庭近辺、碌に手入れもされていないその場所は、下手をすると迷子になるとまで云われている。

 そんな場所の土手に寝転がり、空を見上げながら息を整える先生を見下ろし、セナは問うた。

 先生は綺麗に洗濯された純白の外套が汚れる事も厭わず、額に滲む汗、運動後のほてりを冷ましている。

 ややあって、上半身を起こした先生はセナに顔を向ける事無く云った。

 

「ごめんね、セナ、こうなる事は分かっていた筈なんだけれど……」

 

 呟きは小さいが、はっきりと聞こえた。

 そこには隠しきれない罪悪感と、後ろめたさがあったように思う。本来であれば生徒に任せる事ではない、もっと他の、それこそ大人に任せるべきであると。

 しかし、この件に於いて最も信が置け、信任出来る人物が彼女しか居なかった。

 たとえ、それが酷な事だと分かっていたとしても。

 その後の事を考えれば、下手な人物に頼む事は出来ない。

 下手をすればキヴォトスの今後に関わる問題だから。

 

「……他に、頼める人物が居ないんだ」

 

 風に揺られ、先生の髪と外套が揺れる。

 収めるモノの無くなった左袖が、セナの視界の中で寂しく靡いていた。

 未だ失って間もないそれに、先生自身も不慣れな様に思える。

 先生の口にするそれは信頼だろうか、それとも――。

 セナは湧き上がった疑問を呑み込み、そっと溜息を吐く。手渡された封筒を胸に抱いたまま、唇を動かした。

 

「トリニティで入院中の先生が突然救急医学部にやって来て、『セナ、一緒に外で遊ぼう!』と云い出した時は、突然過ぎて自分の頭がどうにかなってしまったのかと疑りました、最近は条約後の後始末もあり多忙でしたので」

「あ、あはは……」

 

 思い返し、苦り切った笑い声が漏れた。

 確かに突然で、先生がそう云い放った時詰めていた救急医学部の生徒達全員が、まるで面食らった様子で停止していたのを憶えている。セナ自身も例に漏れず、ついこの間エデン条約の場で大怪我を負ったシャーレの先生が突然にやって来て、外での遊びに誘うという意味不明な状況に目を瞬かせていた。

 あればかりは、本当に珍しい光景だったと思う。

 

「……先生の優しさは、理解しているつもりです」

 

 先生から目線を逸らし、同じ茜色の空を見上げたセナは呟いた。

 遠くに滲んだ夕陽が見える、背の高い丘からは夕陽が街に沈んでいく姿がよく見えた。鴉が空の向こう側にて列を為し、緩やかに飛んでいく。濃い影が二人の足元に伸び、云いようのない寂寥感が胸を襲った。

 唐突な誘いも、この行動の意味も、セナは理解している。自身の健在を、セナの胸中に降り積もった様々な感情、罪悪の色を取り除こうとしているのだ。その優しさをセナは理解していた。

 少しずつでも先生は回復している、確かに失われたものは戻って来ないかもしれない。だがそれでも、嘗ての状態に戻す事は不可能ではないのだ。今多くの自治区が、先生の助けになろうと各々異なる手段、方法で議論を重ねている。それは失った腕や瞳の事であったり、多忙極まるシャーレの業務回りの事であったり、根本的な健康面であったり。

 そう、だからこそ――。

 

「だからこそ分かりません、今この状況で何故、こんなものを――」

「私は」

 

 胸元に抱き締めた茶封筒を指先で撫でつけるセナに、先生は言葉を重ねた。

 

「私は、全力で万が一の時に備えているつもりだよ」

 

 芝生に腰掛けたまま、未だ生徒達の喧騒が絶えないゲヘナの街並みを見つめ先生は続ける。眩しそうに、懐かしそうに、残った左目で先生は空を、世界を見守り続ける。

 

「どんな事態が起こっても生徒達を守れるように、そうでなくとも最悪の状況は回避出来るように、沢山の準備をして計画を練って、色々な人と協力をして……」

 

 生徒達の未来が続くように、彼女達が望んだ未来を歩けるように、先生は全力で日々備えている。生半な覚悟ではない、この世界に足を踏み入れた瞬間からそうだ、己の人生は、この世界は、常に奈落と隣り合わせだと理解しているが故に。

 だが、それでも。

 

「――私の想像を遥かに超える悪意や、害意に晒される瞬間は、必ず訪れる」

 

 どれだけ備えても、どうにもならない状況に陥る可能性は存在する。

 それは確信だった。

 どこか、その瞬間が訪れると知っているような口ぶりだとセナは思った。

 隣り合う、自身を見下ろすセナの気配を感じながら、先生は徐に右腕を夕陽に伸ばした。美しい茜色に混じり、大小様々な傷が刻まれた指先が陽光に翳される。

 大きな手だ、生徒(子ども)と比べればずっと。

 けれど取りこぼしたものは余りにも多く、それ程多くのものを掴めない掌である事を先生自身は知っている。

 人は、手にしたものより失ったものを意識するという。正しくそうだ、一つたりとも取りこぼして良い光など存在しなかった。

 だからこそ、その罪悪が、責任が、重くその両肩に圧し掛かるのを先生は自覚する。

 

「私は決して最後まで諦めない、けれど私の身体は人間だ、多少は頑丈でも、皆の様に銃弾を受けて平気って訳にはいかない――だというのに、この身体は聊か以上に興味を惹くらしい」

 

 継ぎ接ぎだらけだろうと、或いは抜け殻だろうと、ただの肉片だろうと欲しがる存在は多い。もしソレが悪意を持つ者の手に渡れば、或いは何らかの形で利用され生徒達の未来に立ちはだかる可能性も否定出来ない。

 それを、自身は許容できない。

 感情を押し殺し、いっそ淡々と語られるそれは想像もしたくない様な未来の形。セナは俯いた表情に陰を落とし、先生の名を呼んだ。

 

「……先生」

「だから今回の様に、どうしようもない状況に陥ってしまったら」

 

 芝生を踏み締める、微かな音が耳に届いた。

 顔を上げると、立ち上がった先生が夕陽を背にセナの方へと顔を向けていた。

 逆光の眩さに、思わず目を細める。濃く、広がった影は彼女の視界を妨げ、先生の表情も覆い隠してしまっていた。

 

「情けない話だけれど、自分で自分の始末を付けられなくなってしまった、その時は――」

「………」

「セナ」

 

 背に煌めく夕陽、覆い被さる影の中で先生は告げる。

 目元に影を作る為に翳したセナの掌、その影が光を遮ると同時、彼女は目をゆっくりと見開く。

 夕陽の影に隠れ、悲し気に笑う先生の表情が、記憶に深く刻まれた。

 

「――頼むよ」

 

 ■

 

「ッ……!」

 

 嫌だ。

 嫌だ、嫌だ、嫌だ……!

 

 思い返し、湧き上がる感情は素直で、単純で、苛烈だった。

 歯を食い縛り、鼻や口から血を滴らせながらセナは額を床に擦り付ける。首を支えとし、僅かでも起き上がれるように。制御できない感情が、身体を芯から突き動かしていた。

 霞む視界に、靄のかかった思考に、軋む体に、喝を入れる様に全力で力み、肺から酸素を絞り出す。

 血走り、揺らぐ視界、その中心に空崎ヒナを捉えていた。

 冷徹に、悲し気に、諦観を滲ませ自身を見下ろす彼女を。

 

「もう、二度と」

 

 腹の底から絞り出した声は、唸る様な響きを伴う。

 先生の存在しない世界を考えるだけで、怖気が走る。

 彼の肉体が死に近づいているなんて、信じたくない。

 そんなのは嘘だと叫び、あらん限りの声で否定し、泣き叫びたかった。

 

 だが世界はこんなにも残酷で、苦しみに満ちていて、痛みに満ちていて。

 力が無ければ、何も為せはしないのだと。

 今日それをまた、身に沁みて実感した。

 この苦しみと悲劇に満ちた世界に於いて。

 

 

 弱さとは――罪悪(ツミ)である。

 

 

「……!」

 

 ピクリとヒナの瞼が震えた。

 それは床に這い蹲る、セナから放たれる気配に反応してのものだった。

 セナの纏う気配が、放つ雰囲気が一変していた。先程までの焦燥と困惑、糾弾の意を滲ませたものから――純粋な敵愾心へと。

 その気配に、全てを滅ぼさんと放たれる重厚で混じり気の無い害意に、ヒナは覚えがある。それは指向性を持たず、世界そのもに対する憎悪、否定の感情、対抗心の発露。体中から湧き上がる熱が、物理的な重圧を伴ってヒナの肌を刺していた。

 

「もう、二度と……ッ!」

 

 震え、立ち上がる事さえ拒んでいた両足が床を確りと踏み締める。殴り飛ばされた瞬間でさえ手放さなかった愛銃の引き金に、指が掛かった。

 軋む骨が、筋繊維がセナの中で悲鳴を上げている。しかし時に、肉体の限界を精神が上回り、鋼に勝る決意が新たな選択肢を生み出す事もある。

 氷室セナにとっては、それがこの瞬間だった。

 

 彼女は自問自答する。

 また、自分は失うのだろうかと。

 エデン条約の時と同じように、ただ目の前で失われる命を前にして悲しみ、己の無力を嘆き、涙を流し、後悔する事しか出来ないのかと。

 いいや、違う。

 そんな結末にはさせない。

 繰り返しなどさせない。

 先生は、絶対に助ける。

 あらゆる危険から、敵意から。

 その身を蝕む黒色(崩壊)からも。

 いずれ必ず、(セナ)自身の手で。

 だから今は、目の前に在る脅威を排除しなければならない。

 守らなければならない。

 

 ――先生を、空崎ヒナ(ゲヘナ最強)から。

 

 それは途轍もなく困難な事に思えた。今目の前に立ち塞がるこの人物から、未だ目覚めない先生を守り切るなど。

 それこそ、規格外の力を持った人物でもない限りは。

 しかし、この場で他に頼れる生徒は存在しない。此処に立っているのは自分ひとり、たった一人だけ。最強の足元にも及ばない、自分自身。

 ならば、やるしかないのだ。

 今、(セナ)が。

 この場に居る、私が。

 私が。

 私が……!

 私が――!

 私がッ!

 

 

 ――先生を、守らなくてはならない。(私が私が私が私が私が私が私が私が私が)

 

 

「――っ!」

 

 突然吹きすさぶ強烈な風。

 ヒナの身体が大きく押し退けられ、思わず蹈鞴を踏んだ。

 見開いた双眸の向こう側、ヒナと同じ白い髪を靡かせたセナが見覚えのある――極彩色を纏っていた。

 強大な力のうねり、遥か天上に存在するアトラ・ハシースを通じて感じられる異次元の力。

 それはたった今、次元を、空間を、時間軸を無視して目の前のセナより吹き上がっている。垂れ下がった両腕に握り締められた愛銃と封筒(手紙)。それを見下ろしていたセナの瞳が、黄金に煌めていた。

 

「……これは」

 

 ヒナの口から驚愕の色が零れる。

 微振動が起きる、それは二人の対峙する緊急車両を、それどころか周辺一帯を揺らし、その強さは徐々に増していく。

 目の前の光景が歪み、ヒナはゆっくりと手にしていたホットショットをホルスターへと戻した。

 代わりに手を伸ばすのは、肩に提げていた身の丈を超える愛銃――足先で銃口を蹴りつけ、軽く回転させた彼女は車内で器用に構えを見せた。

 初めて、空崎ヒナは目の前の氷室セナを脅威と見做す。

 

 セナの指先が徐に握り締め、皺だらけになった封筒を摘み、縦に裂いた。

 強烈な風がセナの破った紙片をバラバラに飛ばしていく。左右に散っていくそれを一瞥する事無く、ヒナは緩慢な動作で目を絞る。

 視界の中で、セナの瞳孔だけが煌めいていた。

 

「もう、二度とッ!」

 

 握り締めた愛銃に極彩の色が宿り、彼女のヘイローからピシリと音が聞こえる。硝子が割れるようなその音は、頭上に浮かぶヘイローが罅割れた音だ。

 規格外の存在に成り果てるには、規格外の力をその身に宿す必要がある。

 故に器は変容する、彼女の身体は変質する。

 その裏返った恐怖に、相応しい形へと。

 

「あんな結末を、辿らせはしないッ!」

 

 もし、先生を失う未来を跳ね退けられるのなら。

 その為ならば――氷室セナ()は。

 

 

 ――どんな代償だって、惜しくはない。(どんな姿に成り果てたとしても、後悔しない)

 

 

「……そう」

 

 血を吐く、否、文字通り命を削る様な咆哮(宣告)

 肌を打つそれに、根底より変質しつつあるセナを見つめながら、ヒナは呟いた。

 彼女を見つめる瞳には、微かな悲哀の色が滲み出す。構えた愛銃のグリップを握り締めたまま、風に靡く長髪を払うヒナ。

 

「貴女が彼女(銀狼)が口にした」

 

 そう、迫るこの気配、圧倒的な神秘の高まり。

 この世界を終焉へと導く為に、決して避けては通れない想定外の要因。

 その二つ目。

 

「――二人目のイレギュラー」

 

 呟きと共にヒナは勢い良く反転、銃口を背後へと向けた。

 

 彼女が本当の脅威と受け取ったのは、目の前の変貌せんと煌めくセナではない。

 緊急車両を覗く後部扉、その先に音もなく立つ人影だった。

 しかし、一拍行動が遅かった。

 影は既にヒナが銃口を向けるより早く肉薄しており、緊急車両の縁に足を掛けながら外部よりヒナの腕を掴んでいた。

 

「ッ……!」

 

 ミシリと、掴んだ指先が肌に食い込み、ヒナの顔が微かに強張る。

 

「その気持ち」

 

 不穏な、それでいて悍ましい気配を放つセナに対し、彼女は言葉を発する。

 戦闘によって僅かに煤け、解れた制服。しかし彼女本人に一切の負傷は見られず、丁寧に手入れされた長髪もまた美しく風に凪ぐ。左右に広がる純白の翼は吹きすさぶ風に数枚の羽根を散らし、その向こう側に夜空の星々の如く煌めく瞳が躍っていた。

 

「今だけは共感してあげるよ、ゲヘナ」

「ッ!?」

 

 グン、と。

 凄まじい力がヒナの矮躯を投げ飛ばした。

 それは抗う事が出来ない程に圧倒的で、ヒナは車内より強引に外側へと飛び出し、そのまま凄まじい勢いで横合いのビル外壁へと叩きつけられる。

 轟音と共に砂塵が吹き上げ、粉砕された瓦礫片が周辺に飛び散った。

 その様子をセナは、ただ驚きと共に見つめる。あまりにも一瞬、瞬きの間に全ては終わっていた。巻き上がる極彩色と黄金に瞬いていた瞳が、僅かに色を落とし、周囲を襲っていた微細な振動もまた形を潜める。

 あれ程周囲を押し潰さんと放たれていた力の奔流は、既に何処にも感じられない。

 現れた人影は愛銃を肩に担ぐと、まるで窘める様に肩を落とし云った。

 

「だから、『その力』に身を委ねるのは絶対にダメだよ、一度そっち側に踏み込んだら、もう二度と戻って来れなくなるから」

「――貴女、は……」

「……私が云える事じゃないけれどさ」

 

 これ以上先生に、背負わせたくないから。

 

 それだけを告げ、「さてと」と影は踵を返した。今しがた外壁に叩きつけたヒナと対峙する為に、コツコツと靴音を鳴らしながらアスファルトを進む足取りは淀みなく進む。その背中を、セナはただ呆然と見守っていた。

 

「………」

 

 パラパラと頭上より降り注ぐ破片を被りながら、半ば外壁に埋まっていたヒナは徐に腕を伸ばし、軽い様子で再び地面へと足を着く。羽織った外套に付着した破片と砂塵を払う所作からは、今しがた外壁を粉砕する勢いで叩きつけられたとは思えない程の余裕が感じられた。

 

「――私の先生にさぁ」

 

 鳴り響く靴音に、ヒナの瞳が砂塵を裂き現れる人影へと向けられる。

 砕け、飛び散った瓦礫片を踏み砕き、堂々と姿を現す彼女は空崎ヒナへと啖呵を切る。其処には今の一撃で僅かも動揺せず、負傷もしないヒナに対し、欠片も心を揺らさない圧倒的な存在感の塊が佇んでいた。

 

「そんな物騒なモノ、向けないでくれるかな?」

 

 告げ、ヒナの前で足を止めた彼女は周囲の砂塵を翼を払う事で一掃する。吹き抜ける突風が肌を撫で、身に纏ったケープが音を立てて靡いた。

 特徴的な白い制服、星々を象った装飾、何より先程から感じていた圧倒的な神秘の高まり、無視できない存在感。

 ヒナは彼女を真正面から見据えながら、静かに愛銃の引き金に指を添えると、確かな警戒心と共にその名を紡ぐ。

 

「聖園ミカ」

「……ハッ」

 

 名を呼ばれた彼女――聖園ミカは翼を勢い良く広げ銃口を突き出すと、空崎ヒナを睨み付けながら宣言した。

 

「――王子様のピンチに駆け付けるのは、お姫様の特権じゃん、ね?」

 


 

 色彩ちゃん

「えっ、大切な人を守る為に力が欲しい……? 良いよ良いよ、素敵だね! あげちゃうあげちゃう!」

 

 結局反転した生徒を止めるには、対抗可能な力を持つ『神聖』か、同様の『恐怖』に匹敵する『恐怖』でないとダメって本編で云われていますし……。反転した生徒に先生が殺されそうになった時、その場に居合わせた生徒が反転してパワーアップする胸熱展開やりたいなって思いましたの。

 でも先生からすると取りこぼした生徒がまた一人発生する事案なので駄目ですわ。

 アビドス三章実装当初のプロットでは出現した虚妄のサンクトゥム守護者(反転生徒)に対し、幾人かの生徒が反転して対抗するという案もありましたが、どう考えても地獄絵図になるので却下ですわ却下。

 という事でセナ反転化はキャンセルし、代わりにミカを投入する必要があったんですね。

 

 もうやめましょうよ! もうこれ以上反転するのは、やめましょうよ! 

 命がもったいないっ! 生徒一人一人を、先生は深く想いやっているのに!

 先生はただ皆が笑って過ごせるような、何て事の無い日常を望んでいただけなのに……! 意識の無い先生を追い詰めて! ただ先生を助けたい生徒達を傷付けて……! 

 その上にまだ先生から奪おうとするなんて、今から死体同然の身体を引き摺って子ども達の未来を守りに行く先生が、可哀想じゃないですかッ!?

 でもそんな、生徒達が笑って過ごせる未来を誰よりも望んでいるのに、嘗ての笑い方なんて疾うの昔に忘れていそうな先生がいっぱい好き♡

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