ブルーアーカイブを、もう一度。   作:トクサン

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誤字脱字報告に感謝ですわ!
プロットの都合上、一日遅れて申し訳ありませんの!
今回約一万五千字ですわ~!


生きて(立ち上がり)苦しむ(足掻け)その最後の瞬間まで(己の全てを賭して)

 

 嫌な沈黙があった。

 黒く染め上げられた空間、酷く限定的な夢の中で意思を交差させる二人。黒服は横たわる先生を見下ろしたまま口を噤み続ける。

 ややあって、黒服は自身の襟元を指先で擦りながら重い口を開いた。

 

「太古の昔」

 

 沈黙を破り、黒服は低く落ち着いた声色で語り出す。視界に捉えられずとも、微かに揺らぐ白色が黒服の表情、その感情の変化を示していた。

 

「まだ、この世界に記録が残されるよりも前、当時存在していた原始の神秘、サンクトゥム――それが地表へと複数、撃ち込まれた事を確認しております」

 

 既にご存知の事でしょうが、あの塔は遠くない内に、世界に存在する全ての神秘を恐怖へと反転させるでしょう。

 厳粛な気配さえ纏い、重々しく口にされるそれは現キヴォトスの状況に他ならない。

 

 ――虚妄のサンクトゥム

 

 嘗て対峙し、自分達がそう呼んだ存在。

 それ一つで世界全てを塗り潰し、神秘を恐怖へと反転させる最悪のサンクトゥムタワー(オーパーツ)。それが現実に、キヴォトスの地表へと撃ち込まれた。

 その事実は、何よりも重くズシリと両名の胸中に圧し掛かる。状況は最悪であり、既に分水嶺を超えてしまっている様に思えた。

 

「初動を察知出来なかった事が致命的でした、アレが顕現した時点で対抗する手段は限られる、残念ですが手遅れです……キヴォトスの崩壊は、既に確定された未来となりました」

 

 本来であれば、アレを撃ち込まれる前に何とかしなければならなかった。

 アトラ・ハシースがこの世界に出現した際の揺らぎ、或いは前兆を察知出来れば先手を打つ事も不可能では無かった筈なのだ。現に一度、色彩の嚮導者(プレナパテス)を退けた時と同じように。

 対抗手段は用意していた、不完全であろうとこうも一方的に侵攻を許さぬ程度には。

 しかし彼・彼女の行動は余りにも迅速で、電撃的で、果断であった。アトラ・ハシースの出現より前、或いは殆ど同時にゲマトリアの本拠地へと出現、攻勢を仕掛けたのである。

 黒服は弾丸が掠めた事による、肩の僅かな解れに触れながら険しい声で続けた。

 

「ゲマトリアも襲撃に遭い、予定していた迎撃計画は中断、銀狼さんが身を挺して私達を外界へと逃がしてくれたお陰で、どうにか先生を此処に呼び込む手立ては整いました、しかし――」

 

 銀狼が身を挺してゲマトリアを逃がした。

 その事実を告げられた先生は、ほんの僅かに呼吸を乱し、胸中で呟く。

 

 ――彼女は無事なのか。

 

 空間を伝い、投げかけられる疑問の意志に黒服は灯した白を向ける。

 

「正直に云いますと、私にも分かりません」

 

 黒服の言葉に、先生の濁った瞳が揺らいだ。

 未だ銀狼からの連絡はなく、彼女が生きているかどうかも不明。仮に生きて逃げ出せたのなら、此方に合流していてもおかしくはない。

 或いは未だ戦闘の最中なのか、それとも此方に連絡できない程に消耗しているのか、それとも――既に器が破壊されたか(ヘイローを破壊されたか)

 

「慰めになるかは分かりませんが、幸い彼女の奮闘によりゲマトリアの研究成果を奪われる事だけは回避しました、ゴルコンダとデカルコマニー、マエストロも、現在は各々の領域で中断していた計画を違う形で動かさんと、決戦に備えています」

 

 不幸中の幸いがあるとすれば、それはゲマトリアの研究成果、及び襲来に備えていたあらゆる戦力を奪取されなかった事だろう。銀狼の献身は決して無駄ではなかった、これでゲマトリアの秘術や研究成果が奪われていれば、キヴォトスは今以上の混乱と混沌に叩き落とされていたに違いない。

 それだけはハッキリしている。

 

「……それでも尚、キヴォトスの崩壊は揺るがないでしょう、遅いか早いかの違いでしかない、ですがもし打開の可能性があるとすれば、先生、それは貴方が――」

 

 黒服が言葉を切り、期待を込めた視線を先生に送る。ゲマトリアの全員が理解していた、既に運命は一定の流れに沿い始めている。定められたソレに逆らう事は、決して許されず、その資格を自分達は持たない。

 だが、或いは――先生ならば。

 数多の奇跡を起こし、あらゆる困難を跳ね退けた体現者であれば。

 この滅びの運命さえも、変えられるのではないかと。

 

 ――分かっている。

 

 先生は胸中で答えながら、小さく小刻みに、唇を震わせ啄む様に息を吸い込む。

 それは自身の身体を動かす為の呼吸であった、鈍いどころか何一つ感じられない静寂の中で、呼吸すら意識しなければ真面に出来はしない。

 先生はゆっくりと全身の骨や筋肉を意識し、横たわる身体を起こそうと試みる。

 

 ――……!

 

 しかし、幾ら身体に力を込めようと、微かに反応した指先が地面を力なく掻くばかりで、起き上がるどころか精々が瞼を震わせるだけであった。

 黒々と染まった指先、罅割れた爪が地面を浅く引っ掻く。詰まった吐息は弱々しく唇から漏れ、先生の表情が苦悶に染まった。

 最早、嘗ての五体満足であった頃など見る影もない。黒く染まった四肢、代償に蝕まれた肉体は崩壊の最中にあり、今出せる全力は指先を云々する程度。

 その肉体は本人の意思に反し鉛の如く鈍い。

 黒服はそんな先生を見下ろしながら、沈痛な気配と共に首を横に振った。

 

「……身体は、動きませんか」

 

 幾ら足掻き、力を尽くそうと肉体の限界を超える事は出来ない。

 人間は脆く、弱く、物事には限度がある。

 数多の無茶を通し、危険に身を置いた代償、それは今この瞬間に清算されたのだ。

 

「声すら出せぬ、その有様では、最早――」

 

 黒服が言葉を呑み、ゆっくりと息を吐き出した。

 もし先生が動けぬのならば、この絶望的な状況を覆す事は叶わず、運命もまた同様に破滅の道を辿るだろう。

 最後の切り札、この世界の未来を切り開ける唯一無二の存在、それが彼であった。

 

 ――……私は。

 

 世界を覆い隠す黒を見上げながら、先生は渇き切った口を開き、再度息を吸い込む。温かさも、冷たさもない、痛みも何も、あらゆる感覚が遮断された身体には生命の息吹が感じられない。

 右目を覆う醜い傷痕、抉れ、引き攣る皮膚、数多の銃創、爆創、切創、全身に刻まれたそれらが熱を帯び始めた気がした。失われた左腕、潰された両足の指先、欠損した肉体が鈍痛を発する。幻肢痛だ、しかし今の先生にとっては泣きたくなる程に懐かしい感覚であった。

 

 ――私は。

 

 微かに届く自身の呼吸音、辛うじて鼓動を刻む心臓、それだけを感じながら先生は想う。

 脳裏に過るのは嘗ての記憶、取りこぼした世界の光、可能性の星々。

 どれだけ備えようと、決意を秘めようと、全てを捧げても。

 結局、こうなってしまう定めなのか。

 また私は、この世界でも多くの生徒を傷付け。

 彼女達の光を、未来を、可能性を――守る事が出来ないのか。

 

 

 いいや、違う。

 

 

「……あ、ぁ――」

「……!」

 

 先生の喉が震え、白く濁った舌が声を発した。

 地面を掻いていた指先、残された右腕が緩慢な動作で、ゆっくりと持ち上がる。何て事の無い動作だ、ただ腕を持ち上げ伸ばすだけの。

 しかし、たったそれだけの動作で身体は軋み、奥歯を強く噛み締め、渾身の力を振り絞る必要があった。

 それは最早光を映さない先生の瞳、その向こう側へと震えながら伸び、黒く変色し、罅割れた指先が何かを探す様に虚空を掻いた。

 先生の身体が何かを求める、蒼褪めた唇が言葉を紡ぐ。

 

 この身体は、もう直ぐその役目を終えるだろう。

 けれどまだ、心臓は動いている。

 私が私だと考える頭も。

 子ども達に差し伸べる手も、駆け付ける足だって。

 例え全てが終わりを迎えるとしても、その意識の一片が潰えるその瞬間まで足掻き続けると誓った。

 ならば。

 それならば。

 

 

 やり遂げなければ。

 

 

「――アロナ」

 

 掠れ、肺の底から絞り出された、小さく囁く様な声。必死に伸ばされた指先から広がる認証(波紋)、四角形のアイコン。

 その向こう側に、細く白い(アロナの)指先が重なった。

 

 ■

 

先生(大人)』として、最後(最期)責任(義務)果たす(全うする)

 

 ■

 

『……生体認証、指示を確認しました』

 

 先生。

 アロナは誰も居ない教室の中で、寂し気に呟いた。

 唇を噛み、ふと頭上を仰ぐ。

 既に陽の沈んだ薄暗い教室の頭上には、数多の星々が光り輝いている。自分達を見守るその輝きには、美しさと同時に残酷な冷たさが含まれている様に思えた。

 差し出した指先の向こう側に、黒々と染められた先生の指先が見える。画面越しに触れる小さく、細く、弱々しい己の指先。

 

『ッ……!』

 

 本当に。

 本当にこれで良いのか、この選択肢しか存在しないのか。

 アロナは何度も自問自答する、今だけではない、先生とこの世界で再会した時からずっと悩み続けていた事だ。

 だが、既に賽は投げられた。

 後戻りする事は出来ず、躊躇えばそれは世界の破滅を意味する。積み重ねて来た数多の世界、可能性、選択肢、それらを顧みるのならば足を止めてはならない。

 

 あの日誓った(私と先生の交わした)約束の為にも、私達は。

 

『補完強度、変更』

 

 アロナの唇が、そっと言葉を紡いだ。

 

『出力限定、フォーカスポイント指定、演算処理中のあらゆる部位(臓器)強制終了(シャットダウン)――先生(所有者)は身体制御を、シッテムの箱に委ねる事に対し同意済み、権限確認、処理を実行……!』

 

 ズラリと、目前に展開された数多の画面、それらを一斉に操作しながらアロナは備えていた最後の処理を実行する。

 それは本来、ウトナピシュティムの本船を稼働させる為に備えていた再起動プロトコル。

 これを行えば、実行すればどうなるのか、二人は何度も話し合いを重ね理解していた。

 先生が眠り続けた二週間――アロナは何もずっとこの夜空に包まれた教室で手を拱ていた訳ではない。

 ずっと、ずっと前から決めていた事だった。

 

 もし、先生の肉体が先に限界を迎えたのならば。

 もし、アトラ・ハシースに辿り着く事が困難であると判断されたのであれば。

 もし、補完による身体補助が追いつかなくなってしまったのならば。

 

『先生』

 

 アロナは先生の名を呼び、震える指先でホログラムモニタをタップする。幾つもの文字列が流れ、青白い光が彼女の足元を照らした。モニタに表示される人型の模型、上下するあらゆる数値、周囲に並んだそれらを睨みつけながらアロナは喉を鳴らす。

 後戻りはもう、出来ない。

 此処から先は、文字通り時間との勝負。

 一分、一秒たりとも無駄には出来ないのだから。

 

『――これよりアロナが、先生の目と耳、そして足となります』

 

 ■

 

「先生、貴方は――」

 

 黒服は、目の前で起きた事実に対し驚愕の声を漏らした。

 先程まで地面に横たわり、指先一本、腕一つを伸ばす事さえ困難であった先生が、ゆっくりと身を起こし始めたのだ。

 ミシミシと、何かが軋む音がする。

 それは先生の肉体から発せられる音だった。長らく使用されていなかったあらゆる筋肉、部位が悲鳴を上げ、音を鳴らしていた。先生の背が仰け反り、まるで時間を巻き戻したかのように立ち上がる。

 余りにも不気味で、不自然な動きであった。

 それは生物というより、機械染みた所作故に。

 

「わ、たし、を――……」

 

 血の絡んだ、歪な声が響く。

 声帯を無理矢理震わせたような、渇き、濁り切った声。

 起き上がり、背を丸めた先生が自身の右腕を伸ばし、動作を確かめる様に何度も開閉させる姿が見えた。それは今、動き出した肉体を再確認するような。

 

「私を、見くびる、な、黒服」

 

 蠢き、瞳孔の開き切った先生の瞳が黒服を捉えた。

 

 ――足掻き方(新しい形)は、直ぐ傍(プレナパテス)にあった。

 

 いつか、『こうなる』事は分かっていたのだ。

 五感の消失、徐々に失われる生命の残滓、自身の肉体が徐々に朽ちている現状。そしてウトナピシュティムの負荷に自身の肉体が耐えられない事も、以前アロナと語り合いで明らかとなっていた。

 だからこそ備えた。

 

 絶対に立ち上がらなくてはならない、その瞬間の為に。

 

「少しずつ、少しずつ、なんだ……」

「―――」

「シッテムの箱、その補完機能を保ちつつ、身体の機能を『外部』に移し、制御する」

 

 ゆっくりと直立する先生の肉体は、そのまま黒服を指差し語る。

 不自然な程に途切れていた舌の動きは、時を経る程流暢に、違和感なく機能を果たし始めた。

 シッテムの箱はその演算機能を用いて、今の今まで崩壊を続ける先生の肉体、生命維持活動を助けていた。補完とは即ち、先生の肉体に仮初の臓器や機能を植え付け、欺瞞する行為に他ならない。破損した臓器、パーツを取り繕い、騙し騙し運用し続ける為の措置。あくまで人の形を保ち、人間らしさを損なわない範囲で先生を助ける為の。 

 

 ――しかし、これより行う補完は異なる。

 

 より正確に云えば、コレは最早補完(補うモノ)ではない。

 失われたあらゆる機能、臓器、部位を全て切り捨て――『シッテムの箱』という外部装置を用いて一切の身体機能・生命活動を制御(管理)する。

 今まで自発的に行っていた動作でさえも、シッテムの箱という演算装置を用いて身体に出力する。

 それは一種の緊急手段、云ってしまえば操り人形。

 騙し騙し運用していた肉体が崩れ墜ちる前に、中にオーパーツと云う名の情報を埋め込み、アロナという名のOSで操縦する。延命措置ですらない、寧ろ先生の肉体、そこに残った生命力さえ消費して、僅かな間身体を動かす為の。

 

 ウトナピシュティムの本船を稼働させるには肉体が持たないという結論に達した時、先生はこれが必要な措置であると考え、入院中も少しずつ、ほんの少しずつ機能を削ぎ落し、意図して身体の活動を抑制し、生命の輪郭を整え、備えていた。

 

 院内で()を失った時、先生は真っ先に自身がアトラ・ハシースに辿り着けない可能性を疑ったのだ。

 ただでさえ崩壊の始まった肉体、それを幾ら補完機能に頼り長引かせようと、対峙すべき存在の前にすら辿り着けないなど論外である。

 本船を動かす事は絶対に避けては通れない。しかし、自身の肉体が根本的な負担に耐えられない可能性が浮上した。

 ならば、『どんな形であれ耐えられる身体にする』という結論に達するのは、自然である。

 それがこの、補完とも呼べぬ補完。

 

 当然ながら、その効果は極短期的なものとなる。

 切り捨てたあらゆる要素が身体を蝕み、秘められた生命が全て尽きた時、その活動は永遠に失われるだろう。加えて本来であれば活動不可能な肉体を、無理矢理動かす事によって生じる負担、歪さは決して無視出来ない。

 最低限の生命維持にのみ注力し、身体機能の完全制御を為し得るのであれば、肉体の残り時間(耐用年数)は大幅に圧縮される。

 

 シッテムの箱がその演算機能を用いて導き出した、この状態の最大生存可能時間は凡そ【七十二時間】。

 嘗てアロナの口にしていた、ウトナピシュティムの本船を起動し、補完強度最大で支援した場合の生命活動の限界は、凡そ『十二時間』。

 そして現在の状況、最低限の生命維持と身体制御を受け入れた状態でウトナピシュティムの本船を稼働した場合、そのタイムリミットは。

 

 ――約三時間(本来の四分の一)

 

 文字通り、先生に残された時間全てを費やす。

 最後の抵抗(ラストスタンド)である。

 

「……そこまで、器の機能を切り捨ててしまっては」

 

 黒服はオーパーツと遺物に関する知見から、先生がどの様にして活動可能な状態にまで身体を修復――否、補強させたのかを即座に理解した。

 シッテムの箱(オーパーツ)による生命活動の欺瞞を投げ捨て、不要な部分(人体の大半)を完全に切り捨てる事により生命活動に不可欠な部位の補完強度を高める。その上で動かない身体の制御を全て明け渡し、間接的な活動を可能にする。

 余りにも歪で、負担が大き過ぎる。必ずどこかでしわ寄せが来る、それも今までの様に緩やかな崩壊ではない、それは迅速に、目に見える形で先生を蝕むだろう。

 

「もって一週間――いいえ、数日の命です」

「それで、良い」

 

 黒服の驚愕と畏怖、それらの籠った言葉に、先生は何ら躊躇いを見せる事無く返答した。

 数日動けるのなら、何の問題も無いと。

 

「数ヶ月寝た切りで居るだけならば、数日の内に朽ちようと、大した違いはない――大事な時に動けない事の方が、問題なんだ」

「……先生」

「脳と心臓さえ動けば、早々、死にはしない」

 

 数日間、肉体を生存させるだけであれば長期的な臓器の維持や完全なる身体機能の回復を前提とせず、生命維持に必須な要素だけを保てば良い。

 生命の最小単位――自律呼吸、心拍、血圧の制御、基本的な反射活動を担う脳幹(延髄)。そして血液循環の為に必要となる心臓。

 今現在、先生の肉体に於いて正しい意味で稼働しているのは、この二つのみである。

 肺も、肝臓も、腎臓も、胃も腸も、感覚機器の全て、先生は自らの意志で切り捨てシッテムの箱というオーパーツでの代替制御を受け入れた。

 オーパーツを用いて外部から酸素を供給出来るのであれば肺は必要とせず、短期間であれば代謝や毒素の分解も不要、栄養補給はせず、故に消化吸収機能も無し。突発的な代謝異常、感染症、電解質バランスの崩壊、それら一切のリスクは最早論ずるに値せず。

 

 数日、たった数日生きるだけならば――人としての体裁すら不要だった(身体の大部分は切り捨てられる)

 

 こうなった以上、先生の肉体は急速に死へ近づく。もって数日という黒服の言葉は、全く以て正しい。

 だが、それで構わない。

 何を犠牲にしても、どれ程の代償を支払おうとも、或いは人としての形を擲ってでも。

 先生は今、立ち上がらなければならない。

 

「……先生」

 

 壮絶な覚悟、最早身投げに等しい行為に言葉を失いながら、黒服は徐に先生の名を呼ぶ。

 

「今一度、私は貴方に問い掛けたい」

 

 ――何故、と。

 

 問い掛けは重く、暗澹たる気配を孕んでいた。

 先生は黒服の表情に灯る白い炎を一瞥しながら、改めて対峙する。その瞳は嘗ての様に黒服を捉えているが、目が見えている訳ではない。あらゆる情報をシッテムの箱が収拾し、『再現』しているに過ぎなかった。

 故に正しく表現するのであれば、見えているのではなく、知っている。

 

「……実を云えば、こうなる事は薄々予感していたのです」

 

 先生が、この様な結末を選ぶ事さえ。

 黒服は未来の一つとして、こうなる事を予測していた。何せ明確な手本が、その末路(プレナパテス)が目の前に存在したではないか。

 しかし、同時に僅かな期待も持っていた。そうならない未来が、異なる選択肢があるのではないかと。

 だがそれも、彼の者の奇襲によって脆くも崩れ去った。

 

「これは個人的な我儘に過ぎません、先生、私は最後にあなたと……話したかった、ありのままの、あなたと」

 

 珍しく。

 本当に珍しく、彼にしては言葉に躊躇いがあった。まるでどう口にしたものかと思案するような、或いは自身の中に存在する感情に戸惑う様な。それは冷徹で合理的、神出鬼没で掴みどころのない黒服からは本来見られない様な所作だった。

 

「あなたは今、変質する世界で苦しむ生徒(子ども)の為に全てを擲った、文字通り全てを――あなたは常、先生だからと、そう口ずさみ、どのような困難も乗り越えて見せる、その原動力に関して私は僅かとは云え、理解したと自負しております」

 

 黒服には誰よりも、何よりも、先生という人間の芯に迫ったという実感がある。

 この一年、たった一年足らずの間に経て来た彼の閃光の様な、一瞬の煌めきをずっと観察し続けて来た。

 

 それは夜空の遥か向こう側に煌めく、一等美しく、輝く星(ベツレヘムの星)を眺めるに等しい。

 

 だからこそ知りたい。理解せずとも良いと囁く合理を跳ね退け、その内側に触れたいと願ってしまう。それが単純な傍観者としての知識的欲求なのか、それとも全く異なる感情の衝動なのか、それすらも分からぬままに。

 黒服は問いを重ねる。

 

「救世の器足るあなた、人間としてのあなた、崇高に至るあなた、先生としてのあなた――最後の苦難に挑む前に、どうかお聞かせ願いたい」

 

 真摯な、どこまでも純粋な色。

 様々な世界、選択肢、未来を辿った人間。苦しみと痛み、責任と信念に殉じた大人。黒服の表情、眼球の様に窪んだ白が大きく蠢き、走る罅割れが広がった。

 

「もし、あなたの生徒達が、これから先訪れるであろう苦難(最後の嘆き)を乗り越えたのならば――その時、先生、あなたは一体どうするのですか?」

 

 そう、全部終わったのなら。

 世界を救い、崇高に至った己を否定し、先生(大人)としての役割を、使命を、全て終えたのなら。

 ただの(人間)となった貴方は、一体どうするのか。

 

「――待つんだよ」

 

 返答は小さく、穏やかであった。

 先生は目を伏せ、その先を思い描く様に柔らかく、微笑みさえ湛えながら答えた。

 生徒達(子ども達)が軈て辿り着く場所で。

 蒼と白が広がる、静謐な世界で。

 自分達が楽園(エデン)と信じる、その先で。

 

「何百年でも、何千年でも、何万年だろうと――いつかきっと辿り着くと信じて」

「……子ども達だけで、辿り着けると?」

「あぁ、芽吹きは見届けた、出来得る限りの手も尽くした、何より一人でない事を知った――それに信じないと思うのかい? 前も云ったけれど」

 

 告げ、黒服に向けた表情は余りにも透明で。澄んだ青空を想起させるような、穏やかで、儚げで、一切の疑念を持たない。

 そんな美しくも、内に秘めた真理(信念)を感じさせる、唇の端に浮かんだもの。

 それは決して脳裏に思い描いただけではない、先生が覚えた感情そのものだった。

 

「私はただの人であっても、生徒達が居る限り、先生なんだよ」 

「―――」

 

 黒服は想う。

 ただの人間として。

 全ての使命を果たして尚、貴方は――。

 

(まさ)しく……ククッ!」

 

 返答に、黒服は思わず笑った。

 それは答えを知っていて尚、問いかけていた自身に対する失笑か。それとも余りにも突き抜けた存在が故に、最早自身でも手が届かぬと悟ったが故の笑みか。どのような感情なのか、単なる敬服の念なのか、黒服自身にも把握する事は出来なかった。しかし、一つ、たった一つだけ確かな事がある。

 

 嗚呼、あなたはやはり腹の底から『そう』なのですね。

 私は信仰など欠片も抱かぬ存在ではありますが。

 

 ――あなたと出会えた事に、心より感謝を。

 

 決して言葉にする事は無い、しかし黒服は胸中で言葉を紡いだ。顔を掌で覆い隠し、踵を返す。気付けば黒く染まった空間が僅かに振動し、罅割れ始めていた。どうやらこの空間も、既に察知され始めた様だった。

 黒服は背後に佇む先生に向け、口を開く。

 

「参りましょう先生、此処が崩れるのも時間の問題です」

「……手を、貸してくれるのかい?」

「我々ゲマトリアは、世界の崩壊を望みません」

 

 それは黒服のみならずゴルコンダ・デカルコマニー、マエストロも同様に。「ククッ!」という、彼独特の笑い声が周囲に響いた。指先を立てた彼は、歪に弧を描く自身の口元にそっと添える。

 

「それ以上は、無粋というものですよ」

「――そうかい」

 

 なら、頼むよ。

 先生の言葉に、黒服は肩を竦める事で答えとした。踏み出される一歩、崩壊する黒の中で二人は夢の中を脱していく。

 行こう、アロナ。

 小さく呟かれた言葉、先生と黒服の影は、軈て周囲を覆い尽くす白の中に包まれ消えた。

 

 ■

 

「―――」

 

 ストレッチャーに横たわる先生の肉体、それが僅かに震えた。

 振動がストレッチャーを揺らし、ガタリと音を鳴らす。同時にずっと閉じられていた瞼、それがゆっくりと押し上げられた。

 僅かに濁りを残す瞳は暫くの間周囲を伺う様に動き、それから自身が車内に横たわっている事を確認すると、ゆっくりと身を起こす。

 しかし起き上がろうとした瞬間、彼方此方に装着されたケーブルやベルトが動きを阻害し、グンと引っ張られる感覚があった。

 

「………」

 

 自身の口元には気管チューブ、両腕から複数の点滴ラインが差し込まれ、右首筋には太いカテーテルが一本、脈動と共に稼働していた。体中に管とコードが伸び、機器と繋がれたその姿はまるで生命を保つだけの装置そのもの。

 先生は暫くの間自身から伸びるコード類を観察すると、徐に右腕を折り畳みストレッチャーの固定ベルトを外そうと試みた。

 しかし指先の動きが余りにもぎこちなく、その表面を滑らせるばかり。肉体の制御、特に細かな操作が上手く行かない、全ての動作が一拍遅れる感覚があった。反射的な行動は出来ず、思考による動作が反映される。

 

 擦り合わせろ、と先生は自身に云い聞かせた。

 

 自身の動く身体のイメージと、現実の動作を近付ける。

 先に差し込まれていた気管チューブを抜き放ち、深く、意識して息を吸い込んだ。

 肺を使う、その感覚を覚え込む。無論、それは単なるポーズに過ぎない。既に肺は本来通りの機能を果たせず、その維持と機能はシッテムの箱が代替している。故にそれは人としての名残、癖の様なものだ。

 ずるりと引き抜いた気管チューブに、嘔吐反射は存在しなかった。差し込まれた何本のケーブルを無造作に引き抜くと、突然横合いのモニターがアラームを一斉に鳴らし始めた。心電図の波形が途切れ、赤く点滅するし【LEAD OFF】の警告文字。

 パルスオキシメーターは【CIRCUIT DISCONNECT】 の表示が液晶に滲み、指先に巻かれていたセンサーは床に転がる。人工呼吸器もまた機械的な呼吸音の代わりに、持続的なビープ音を鳴らし続けていた。

 

 それら一切を顧みる事無く、先生は最後に固定ベルトの留め具を弾く。降ろした素足は冷たい床を捉え、一歩、二歩と踏み締める様に自重を支える。そのまま先生は何かを探す様な素振りで周囲に視線を向け、それからストレッチャー脇に差し込まれていたシッテムの箱に気付いた。

 壁に手を添えながらシッテムの箱へと手を伸ばし、割れた液晶を指先で撫でつける先生。自身の生命線であるソレを懐に仕舞い込んだ先生は、後部扉へと触れ体ごと押し開ける様にして外へと踏み出した。

 

「……っ」

 

 途端、ぬるりとした風が全身を襲った。赤く染まった空が先生を見下ろし、嘗ての青色など何処にも存在しない世界。不気味な、それでいて異様な光景だった、もう二度と目にしたくないと願っていた空の色。

 先生は暫し空を見上げ、口を堅く閉ざす。黒服の言葉に間違いはなく、自身が眠り続けていた間に様々な事が起きたのだと嫌でも実感させられた。

 

「――セナ」

 

 不意に先生が身を乗り出し、その名を呟く。

 視界に映る誰かの影、緊急車両の周辺に散乱する機械群――自律兵器の残骸に混じり、寄り掛る様にして項垂れる生徒の姿があった。

 先生の声は小さかったが、それでもセナの耳には届いた様だった。

 常の清潔で凛とした立ち姿は何処にもなく、体の彼方此方から血を流す彼女は、解れ焦げ目の残る制服を纏いながら、声に反応して肩を震わせる。

 それから塞がった左目をそのままに、ゆっくりと項垂れていた顔を上げるセナは、その視界に先生の姿を捉えた。

 着の身着のまま、停車した緊急車両の後部扉より身を乗り出す大人の姿。二週間以上意識が無く、ずっと眠るだけであったシャーレの先生が、自力で立ち上がり此方を見ている。

 

「……先生?」

 

 傷と痣に塗れ、煤を被った彼女の表情が、大きく変化した。一歩一歩、ぎこちなく歩み寄る先生に対し、セナは呆然と、半ば這う様にして先生の元へと腕を伸ばす。顎先から滴る血が、点々と地面に痕跡を残した。

 

「目を、覚まして――……?」

「うん、遅くなって、ごめん」

 

 伸ばされた指先を、先生は必死に掴み抱き寄せた。握り締めた彼女の指先は、常身に付けられていたグローブが破け、血が滴っている。拳で自律兵器の外装を打ったのか、皮膚が擦り切れ、捲れてしまっているのが見えた。

 だというのにセナは全く痛がる素振りを見せなかった。彼女にとっては苦痛よりも、衝撃が勝った。切れた唇、青痣の残る頬、切れた額から滴る赤色、それらが全く気にならない。

 まさかこれは、限界状態に至った自分が見せる都合の良い幻か何かかと理性が疑る。しかし掌から伝わる先生の感触は本物で、確かめる様に腕を回し、ゆっくりと頬を先生の胸元に押し付けた。

 大きく息を吸い込めば、肺一杯に満たされる先生の香り。ほんのりと甘く、少しだけアルコールの様な匂いが混じった。

 同時に背中へと回る先生の大きな腕、それを感じた瞬間セナは堪え切れず、一筋の涙を零した。

 

「いいえ……――いいえ」

 

 絞り出した声は震えていた。

 そんな事は無いと。

 ただ目覚めてくれただけで、十分すぎるのだと。

 セナはただ言葉にせず、先生を強く抱き締める事で答えとする。

 

「……此処は危険だ、離れよう、私に捕まって」

 

 互いの無事を喜び合い、セナの負傷を気に掛ける先生は腕を彼女の腰に回し、自身の膝を曲げる。停車した緊急車両もそうだが散乱した自律兵器の残骸と云い、明らかに周辺は安全とは云い難い状況にある。

 彼女を連れてこの場を離れるが最優先だと、先生の理性が叫んでいた。

 その視線がふと足元に落ち、切り落とされた筈の両足、その指先を見た。地面を踏み締める先生の両足は素足のまま、しかしその指先は義指に代わっていた。通りで問題なく歩ける筈だと、先生はふっと目元を緩める。

 

「――ミレニアムの皆に、感謝しないとね」

 

 呟き、セナに肩を貸しながら先生は立ち上がる。微かな呻き声と共に、セナの身体が持ち上がった。本当なら背負って動きたい所ではあるが、それには物理的な意味で手が足りない。

 

「せん、せい」

「喋らないで、セナ」

「ヒナ、委員長、が――」

 

 擦れた声で何かを伝えようとするセナに、先生は声を遮る。しかし、セナはそれでも尚言葉を続けた。

 

「連邦生徒会の、緊急招集……会議室で、正体不明の人物に、攫われて」

「――!」

「今は、トリニティの、パテル分派首長と……戦闘、に」

 

 息も絶え絶えに、途切れ途切れの言葉で紡がれるそれは、先生にとって非常に重要な意味を持つ代物だった。今にも閉じられそうな瞼の向こう側で、セナは懇願の色を覗かせる。

 

「どうか、彼女を……」

「あぁ」

 

 そうか、ヒナが――。

 答え、先生は様々な感情が胸中に湧き上がった。だがその動揺を表に出す事は無い。ほんの僅かに、セナの腰に回した腕に力が籠った。

 

「大丈夫」

 

 寸分の狂いなく制御された声が、セナの耳に届く。緩慢な動作で持ち上がった瞳、その向こう側に先生の精悍な横顔が映った。

 

「私が絶対に、何とかする」

 

 力強く放たれた一言。大人として、先生として、絶対に譲れない一線を約束する声。

 それを聞き届けたセナは痛みに歪めていた表情をふっと安堵に緩め、そのまま音もなく項垂れ意識を失った。

 ズシリと一気に重みを増す体、先生は彼女をより強く抱え、それから奥歯を噛み締める。胸中に苦々しい感情が蘇った、もっと早く目覚めていれば――或いは、これほどまでに生徒達が傷付く事もなかったかもしれないというのに。

 周囲の状況と破損した緊急車両、そして孤軍奮闘していたセナ。彼女が自身を守る為に、死力を尽くしていた事は明らかであった。

 

『そのまま眠っていれば、何も知らぬ内に全てを終わらせたというのに』

「……!」

 

 兎角、この場から逃れる為の一歩を踏み出そうとした瞬間、ノイズ混じりの、不快な電子音声が耳に届いた。

 それは周囲に散らばった、破壊された筈の自律兵器から響いている。地表に打ち立てられたというサンクトゥムの守護者、外装が爆ぜ、内部機構を露出しながら震えるそれは前面に備え付けられたカメラを点滅させ、不気味に言葉を続ける。

 先生は声の背後に――無貌の面を被った司祭達の姿(無名の司祭)を幻視した。

 

『だが今更目覚めた所で、全ては手遅れだろう』

『然様、所詮は崇高、神秘、恐怖、そのいずれも有さぬ無価値な存在が故に』

『神秘すら持ち得ぬ、あの我楽多共と同じように、世界の片隅で隠れ潜んでいれば良かったのだ』

 

 呼応する様に、四方より声が響く。細い路地から、ビルの屋上から、隣り合う外壁から、主腕で壁を、地面を穿ち緩慢な動作で姿を現す自律兵器の群れ。そのどれもが壊れかけて、殆ど機能していないように思えた。恐らくセナの奮闘によって、既に撃退されたのだろう。しかし不気味な紫色が暗がりに灯り、迫る様は何とも云い表せぬ威圧感がある。先生はセナを支えたまま周囲に素早く視線を向けた。

 懐に差し込んでいたシッテムの箱、その画面が独りでに点灯するのが分かった。

 

『己の無力を嘆き、忘れられた神々が消えていく様を目に焼き付けるが良い』

『箱の力は我らが手中にある、最早奇跡も起こせぬその器では、抗う事も出来まい』

『流れ出した運命からは逃れられぬ――先生(人間)

 

 自律兵器――無名の司祭は先生と満身創痍のセナを取り囲み、口々に告げた。自分達の大願成就、それを確信しているような口ぶりであった。

 否、事実そうなのだろう。見上げる空は赤く染まり、打ち立てられたサンクトゥムはキヴォトスを塗り替え、抗う事の出来ない破滅へと導こうとしている。この状況に陥った時点で、彼奴等の優勢は揺ぎ無い。

 対する己は既に抜け殻同然で、不可逆の奇跡(大人のカード)を行使する余裕すら存在しない。

 この状態で切り札を切れば、ただの一度で肉体は即座に完全崩壊するだろう。

 しかし。

 

「そんな事は、させない」

 

 先生はセナを抱き寄せたまま、群がる壊れかけの自律兵器を睨みつけ断言した。

 一片の余裕すら存在しない肉体で、しかし一歩も譲る事は無い。周囲に鎮座する自律兵器の残骸を見回しながら、先生はセナを掴む指先に力を込めた。

 

宙の上(赤空の上)で待っていろ、無名の司祭」

『……!』

「直ぐ、取り戻して見せる」

 

 世界の青色は(子ども達の世界は)

 

 ――それを、私は証明する。

 

「救護ォオッ!」

 

 唐突に、何の前触れもなく。

 雷鳴の如き叫びが頭上より飛来した。

 それは宛らロケット砲染みた速度で地面に着弾し、自律兵器を粉砕。そのままアスファルトをも踏み砕くと凄まじい轟音と衝撃を打ち鳴らした。地面が抉れ、紫電が周囲に走り、足裏に在った自律兵器は衝撃によって大きく拉げ、ただですら破損していた機体がバラバラに吹き飛び、スパークしながら無数の配線を露出させる。

 

「ッぅ――!」

 

 地面を陥没させ、今しがた強烈なストンプをお見舞いした人影、ミネは足裏で粉砕された自律兵器の破片、打ち上がる残骸に視界を覆われながら、素早く周囲の自律兵器を睨み付け叫ぶ。

 

「セリナ、先生の保護をッ! 残敵は私が掃討しますっ!」

「はいっ!」

 

 盾を地面に打ち付け、愛銃を構えるミネの声に応え即座に飛び出す影。現れたそれはセナを抱き寄せる先生の前に立ち塞がると、背中で先生を胸元を庇いながら懸命に告げた。

 

「先生、私の後ろに!」

「――ミネ、セリナ」

 

 セリナとミネ、救護騎士団の二人だ。セリナは未だ蠢く自律兵器の残骸を警戒し、ミネは自身の愛銃と盾を用いて一つ一つを丁寧に潰していく。先生は驚愕と共に二人の名を呼んだ、どうやって此処まで――そんな疑念を掻き消す様に新たな人影が視界に躍り出る。

 

「ユウカちゃん、電磁防壁(Q.E.D)の展開を!」

「えぇ、カバーお願いっ!」

 

 見慣れた制服に聞き慣れた声、気付いた時には青白い防壁が先生の周囲に展開され、端末を翳したミレニアムの生徒――ユウカとノアが両脇を固める様にして駆け込んで来た。ユウカは方々を険しい視線で伺いながら、片手で端末を操作し、もう片腕で愛銃を残骸に突き付ける。ノアは失われた先生の左腕を補助するように、そっと先生の背に手を添え支えた。

 

「先生、目を覚ましたのですね? 良かった……!」

「ホントにもう、沢山心配したんですからね!?」

「……ユウカに、ノアまで」

 

 ミレニアムからも、人を出してくれていたのか。涙ぐみ、怒っているのか、安堵しているのか、叫ぶユウカと目尻を下げるノアを見つめながら、先生は想う。

 

「全く、我ながら何と確実性に欠ける()だろうね」

 

 どこか飄々とした、同時に柔らかな声が響いていた。

 コツコツと鳴り響く靴音、そちらに顔を向ければ小柄で大きな耳のある、特徴的なシルエットが赤空の下に浮かび上がる。

 

 ――予知と比べれば心理的負担に隔絶した差があるとは云え、少々肝が冷える。

 

 そう云って耳を跳ねさせる彼女は、ゆっくりとした足取りで進みながら自身の腕に巻き付けた髪を払った。

 その額に滲んだ汗を隠して、影は悠然とした佇まいを崩さない。

 

「けれど今はこの不確実な力に感謝するとしよう――そうだろう、ゲヘナの戦車長?」

「……えぇ、まぁ」

 

 問い掛けは、先生に向けたものではなかった。

 虎丸、前進と。

 その掛け声と共に、近くの外壁を突き破って巨大な戦車が姿を現す。

 飛び散った瓦礫片を踏み潰し、破損しつつも蠢いていた幾つもの自律兵器を粉砕しながらけたたましい金属音と共にドリフトを見せる巨影。風圧が先生を襲い、ユウカの展開した電磁防壁が飛来した幾つかの破片を弾いた。そのキューポラから身を乗り出し、無造作に伸びた髪を靡かせる彼女は緩く被った帽子を押さえつけたまま、呆然と自身を見上げる先生を見つけ答える。

 

「そうですね、今回だけは感謝しますよ、ホント」

 

 風に乱れ、少しだけズレた帽子を指先で押し上げたイロハは、安堵の微笑みと共に告げた。

 

「……イロハ」

 

 望外の増援、それこそ予想だにしなかった生徒達の集結。驚きに支配され、言葉を無くす先生にゆったりと歩み寄る影は得意げに笑みを見せると、肩に乗ったシマエナガを撫でつけながら云った。

 

「久方ぶりの邂逅、とは云っても君からすれば正に一瞬だろう、目覚めて直ぐにこんな状況ではね、語り合う為の席すら用意出来ていない――それでも私は、敢えてこう告げよう」

 

 視界に映る純白の、汚れを知らぬトリニティの制服。しかしよく見れば所々が砂埃に汚れ、足元には隠しきれない焦燥の跡が見えた。左足に備え付けたホルスター、其処に彼女の愛銃、鋭き光彩を差し込み、代わりに先生へと手を差し伸べる小柄な影――百合園セイアの姿が、そこにはあった。

 

「――君の目覚めを待ちわびたよ、先生」

 

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