ブルーアーカイブを、もう一度。   作:トクサン

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今回も朝方投稿ですわ~!


暗がりに昇る(夜は深く煌めき)

 

 静謐な空間に淡々と響く靴音があった。

 シャーレの地下空間、限れた人物のみ出入りの許されるその場所には青白い光と共に浮遊する遺物――クラフトチェンバーが存在する。一見モノリスの様にも見える砕けた石片は表面に不可思議な模様を描き、長期間主が不在であったにも関わらず頭上より降り注ぐ照明に照らされ続けていた。

 

 その脇、靴音を鳴らしながら地上へと続く階段より降りて来る人影が一つ。

 仄暗い闇の中で揺らめく純白の外套に着慣れたシャツ、腕に通す腕章は深い青、両手を黒いグローブで覆った大柄な影は薄らとしたタブレットの明かりに照らされ、部屋の中へと足を進める。

 

 暗がりより現れたのは、シャーレの先生。

 ゆっくりと慎重に階段を降りていく彼は、身に着けた左腕の義手で以てシッテムの箱を抱え、右手で壁に触れ歩き続ける。足取りに淀みはないが、等間隔で響く靴音は間隔が長く、鈍い。

 其処には未だ不慣れな身体制御の弊害が垣間見え、よく観察すれば身体の様々な箇所に不自然な力が籠っている事が分かる。

 だが顔色や重心移動、其処に付随する姿勢の正しさに関して云えば、以前より余程胸を張り、健康的な見た目を保持していた。

 何時からか消えなくなった目元の隈はさっぱりと消え、傷痕こそどうしようもないものの肌の状態は艶やかで、残された右目には鷹の如き鋭い光と変わらぬ強靭な意思を秘めている。

 肉体の中身を考えない、純粋な身体能力状況(パフォーマンス)で云えば――全盛期に負けず劣らず。

 

 先生は生徒達の協力を経てシャーレに帰還し、生徒達に深く感謝を述べた後、今後の計画を相談する為に上層での待機を依頼。一先ず着替えと準備をするという名目でその場を離れ、付き添いを提案する彼女達の言葉を丁寧に断り、自室にて着替えを終え今に至る。

 現在もオフィスでは駆け付けてくれた生徒達が皆、自身の帰還を待っている事だろう。長時間の離席は、彼女達を不安にさせる事になると理解していた。踏み出す足に、微かに力が籠る。僅かずつではあるが、嘗ての先生の動き、肉体的な操作精度が向上している感覚があった。

 

 クラフトチェンバーの前へと佇んだ先生は浮遊するソレを一瞥し、それから周囲を見渡した。

 直近の騒動で戦場となったこの地下空間は、未だ完全に復旧している訳ではなく、クラフトチェンバーの傍に設置されていた作業用デスクや端末などは全て撤去されており、壁に刻まれた弾痕等は一部そのまま放置されている。破片などの残骸こそ片付けられてはいるものの、物が少なく空白が目立つ空間はまるで生活感がない。

 先生自身がずっとシャーレを留守にしていたという理由もあるのだろう。

 暫し沈黙を守った先生は不意にクラフトチェンバーより離れた部屋の片隅、その暗がりにて目線を止めると、徐に口を開いた。

 

「――黒服」

 

 口をついた名前は、到底この場に居るとは思えない者のモノだった。

 だが先生にとっては違う。肌を刺すその気配は独特で、余りにも分かり易い代物だった。

 呼びかけは薄暗い地下空間に良く響き、背後に広がる暗闇から先生とは異なる靴音が唐突に響いた。

 

「……お邪魔していますよ、先生」

 

 部屋の片隅にて、闇に溶ける様に佇んでいたのは黒いスーツを身に纏った異形、黒服。

 彼は白く罅割れた表情をそのままに、クツクツと笑みを零す。そこには先生が自身の存在に気付いていた事に対する驚きは全くなく、寧ろ何処か喜びを孕んだ色が滲み出ていた。

 黒服は揺らめく炎の様な眼孔を周囲に向けながら、興味深そうに言葉を続ける。

 

「申し訳ありません、この様な形での来訪は不躾であると理解しておりましたが、貴方と二人で言葉を交わせる場所を考えた時、シャーレ内部では此処しかないと、その様に考えまして」

「普段なら苦言を呈したかもしれないけれど、今はこんな状況だからね、寧ろさっきは助かったと礼を云っておくべきかな」

「ククッ! まさか、私などが呼びかけずとも、貴方はきっと独りでに意識を取り戻していた事でしょう」

 

 先生の謝辞に対し、黒服は大袈裟な程に両腕を広げその様に発言する。黒服からすれば結局のところ、先生の覚醒は遅いか早いかの違いでしかないのだ。きっと先生ならば、自らが促さずとも独りでに目を覚まし、立ち上がっていたと確信している。己はただその背中をほんの僅かに、指先で小突いた程度に過ぎないのだと。

 黒服は先生の佇む姿を爪先から頭の天辺まで見つめると、小さく、しかしハッキリと頷きを見せた。

 

「嗚呼、やはりそちらの恰好の方が貴方らしいですよ、先生」

「……正直に云うと、病院の患者衣も随分と着慣れていたんだけれど」

 

 黒服の言葉に、先生は苦笑とも自嘲とも取れる笑みを漏らす。最早、何度世話になったかも分からない恰好だった。ある種、自身にとってはこの恰好(シャーレの制服)の次に馴染みのある姿かもしれない。

 

「それで黒服、態々此処に来たのには理由があるのだろう?」

「えぇ、しかしその前に一つお聞きしたい事があります、もしやこのオーパーツが――」

 

 ふと、黒服の視線が先生の背後へと向けられる。この薄暗い部屋の中で、唯一明確な明かりに照らされた存在である。嫌でも目は惹くというもの。

 それだけで彼が何を問いたいのか、その意図を察する事が出来た。黒服に釣られるようにして振り向いた先生は、「あぁ」小さく声を漏らし、それから浮かび上がる石板を眩しそうに見つめる。

 

「これが、クラフトチェンバーだよ」

「……成程、これが例の」

 

 二人が見つめる先に存在する、特異な遺物――クラフトチェンバー。

 黒服からすれば存在こそ知っておきながらも、実際に目にするのは初めてであり、こうして自らの視界で改めて実物を捉えると実に興味深く、感じ入るものがあった。

 腕を組み、一歩一歩クラフトチェンバーへと近付く黒服は、見上げる先生の隣に立ち感嘆の息を吐く。

 

「何らかの物質を対価に、万物を創造可能な製造機――サンクトゥムタワーと対を為す存在ですか」

「……万物とまでは、流石にいかないけれどね」

 

 強ち間違っているとも云い切れないが、流石にクラフトチェンバーにも限度はある。この世に存在する全てを創造可能であれば、それは最早主の領域に届き得る。元となる物質が必要とされる以上、有限である事も重要な点だった。

 先生は徐にタブレットを持ち上げると、その画面を何度かタップしクラフトチェンバーの製造画面を展開する。画面に表示される幾つかのスロットは既に稼働済みであり、生成物の固定化を待機している状態にあった。

 

「此処に来た目的は義手でしょうか、もしやストックをこれの製造に?」

「勿論、それもある」

 

 先生は自身の義手を開閉させながら、横合いから投げかけれた黒服の疑問に肯定を示した。不測の事態に備え、先生が義手をいつでも製造、固定化出来るようにしている事は黒服も知っている。故に今回も、その目的を達する為に足を運んだのかと予測していた。

 答えは半分正解で、半分不正解。

 先生の視線はタブレットの残量充電に向けられ、僅かに減少したその緑色のランプを目視しながら続けた。

 

「――今の私は、頗る燃費が悪い」

 

 それは、補完強度上昇による弊害である。

 

「この状態の私は、云ってしまえば生存の為にシッテムの箱全ての演算機能を費やしているからね、自分で自分の身を守る事さえ難しい」

 

 指先を広げ、クラフトチェンバーより放たれる青白い光に翳しながら先生は告げる。

 以前の補完状態もそうであったが、現在の自身は更にシッテムの箱、そのリソースを大幅に消費し続ける存在へと成り果てた。

 優秀なアロナを以てしても補完強度最大を維持しての防壁展開は、たった数秒の展開さえ困難だろう。

 それは充電云々の話ではなく、純粋に演算処理が間に合わないのだ。

 仮にアロナがシッテムの箱が持つ演算機能の二割以上を他に割いた場合、その瞬間己の肉体は制御を失いその場に崩れ落ちる。この小さなタブレットに秘められた数多の演算機能をたった一人の人間を制御し、思うが儘に操る為に費やす。身体機能面で如何に全盛期のスペックを取り戻そうと、今の先生は文字通りただの人間に過ぎないのだ。

 無論、バッテリーの消耗も馬鹿にならない。恐らく充電無しの場合、シッテムの箱が誇る内蔵バッテリーは先生の補完だけでも六時間と続かない。義手による緊急充電、或いは予備バッテリーの常用は必須であった。

 

「では、保険の為と」

「そうだね、けれどそれ以上に」

 

 持ち上がった先生の顔がクラフトチェンバーを再び正面から捉える。

 確かに万が一に備え、義手(延命手段)の製造は重要である。

 しかし此処に訪れた目的には、それに勝るもう一つの理由があった。

 

「今回の戦いに於いては、クラフトチェンバーそのものの性質が重要になる筈だ」

「……クラフトチェンバーの性質?」

 

 黒服の口より、純粋な疑問が漏れた。

 先生は暫し口を噤み、それから降り注ぐ照明の光に手を翳しながら言葉を重ねた。

 

「黒服、先の話を聞いて何か思い当たる事は無いか」

「――?」

「キーストーン、文字通り鍵となる物質は必要だけれど、何らかの物質を対価として全く異なる何かを創造する力」

 

 そう、本来であれば自然界に存在し得ない様な。

 不可思議で、歪で、権能の如きソレ。

 瞳を細め、先生は記憶を反芻する。

 数多の世界を駆け抜けて来た中で、間接的に彼の者と対峙する事は非常に多い。名も無き神と忘れられた神々は相反する存在でありながら、同時に語る上では切っても切り離せない存在でもある。表があれば裏もある、何方か一方だけが存在する事は無い。

 両者の性質は全く異なった、だが奇妙な事に――その根底は似通っている様にも思える。

 

「そうだね、云い換えれば――」

 

 キーストーンという物質を対価に、新しい物質を創造する。

 そうだ、クラフトチェンバーの持つ性質は正に。

 

「【物質の再構成】とも表現出来る」

 

 何の感慨も無く放たれた一言に、黒服に灯る白い炎が揺れ動いた。それは動揺、或いは驚愕によるものだったのかもしれない。腕を組み、口元を指先でなぞった彼は頷きを返す。

 

「――名も無き神と、同じ性質()ですか」

 

 考えてみれば、確かにクラフトチェンバーと名もなき神、その有する力の性質は非常に似通っている様に思う。

 物質の再構成は、名も無き神の力の中で最も代表的なモノである。

 或いは、それこそがクラフトチェンバーの生まれた場所、その証左であるのか。記録を辿る事が出来ない以上、断言は出来ず推測する事しか出来ない。しかし、その様な権能がこの世に異なる根源を辿り生まれ落ちるとは考え難かった。

 

「あくまで推測に過ぎないけれどね、けれど知っている筈だ、もし私達の観測結果が正しいのであれば、この事態を引き起こした存在は箱舟を用いている――アレの防壁は、同じ性質でなければ突破出来ない」

「………」

「箱舟、アトラハシースについて知っている事は?」

「正直それ程多くはありません、私の研究に付随して入手した書籍に幾つか記載があった程度、加えて収集した遺物より解析出来た事はほんの一握りです、後は銀狼さんの知識を少々と云った所でしょうか」

 

 これより自分達が挑む事となるであろう宙の要塞――アトラ・ハシース。

 この大地に埋葬されし、古のキヴォトスの民、名も無き神の遺産。

 アレの基本概念は、周辺のデータを『収集』し、『変形』させる事にある。だが具体的な性能や内部情報に関しては、一切データが存在しない。

 ある種、この世界に生きる大部分の人々にとっては、正に御伽噺の様な存在だろう。

 

「それなら、次元防壁についてはどうだろう」

「……えぇ、それに関しては特に聞き及んでいます」

 

 先生の問い掛けに、黒服は重々しく頷きを返した。

 それを破らなければ、自分達に勝ち目はない事は重々承知の上。それこそ、世界がこうなる直前までその打開策を求めていたのだから。

 そして、こうして自身が先生の元へと足を運んだ理由でもあった。

 

「後出しになってしまいますが、ゴルコンダより託されたものがあります」

 

 これを、そう云って黒服が懐に手を差し込み取り出した代物。先生は差し出されたソレに目を向け、僅かな驚きを見せた。

 

「銀狼さんがゴルコンダに依頼し、製作されたものです」

 

 黒服の手に握られていた物体は、一見黒々としたキューブ状の何かであった。大きさは拳程で、表面には木目の様に波紋が散見され、見方によっては美術品の如き美麗さも感じる。しかし良く観察してみれば、そのキューブは無数の更に小さなキューブの集合体であり、目に見えぬ速度でそれらが組み代わり、蠢いていた。

 

「これを先生、貴方に」

 

 黒服が態々赴き、この場所で接触を試みた理由はコレにある。

 これこそが銀狼が望み、ゴルコンダが作り上げた次元防壁を攻略する為の糸口。完全なる対処法ではないかもしれない、だが確かにゼロではない可能性がそこには秘められていた。

 

「………」

 

 先生はゆっくりとキューブに手を伸ばし、それから徐に動きを止める。先程黒服の口にした言葉に、思う所があったのだ。

 脳裏に過るのは、これをゴルコンダに依頼したという銀狼(シロコ)の姿。

 彼女が今何処に居るのか、無事なのか、それすら自身には確かめる術がない。どうしようもない無力感に打ちひしがれるのは、これで一体何度目か。

 黒服は微かに表情を歪めた先生に気付き、努めて穏やかな口調で問いかけた。

 

「心配ですか、彼女が」

「……あぁ、当然だよ」

 

 返答は素早く、迷いはなかった。

 どんな姿になっても、どんな状態に在っても、どんな罪悪を背負っても。

 彼女は大切な生徒で――私が守るべき子どもなのだ(私の知る砂狼シロコなのだ)

 

「彼女の戦闘能力は良く知っています、通常であればどのような手合いであっても、互角以上に渡り合えるでしょう」

 

 ――しかし、今回ばかりは分が悪い。

 

 黒服は後に続く言葉を敢えて口にする様な真似はしなかった。

 ゲマトリアは銀狼に対し、異なる世界の知識は勿論、純粋な戦力としての側面も期待していた。そして実際、彼女は此方の期待に十二分に応えていた様に思う。銀狼の戦闘技能に対し黒服は強い信頼を抱いていた。

 

「――シロコ」

 

 ポツリと呟かれた銀狼の名。先生は大きく息を吸い込み、腹に力を籠める。壊れかけの肺が、僅かに膨らむ様な感覚があった。既に肺を使う意味すらないと云うのに、その所作は先生に僅かであっても気持ちを切り替える猶予を与えた。

 

「……急ごう、私達が動けば、向こうも対処しなければならない」

 

 告げ、黒服の手に在ったキューブを手に取る。

 キヴォトスという世界の被害を抑える為にも。

 現在進行形で戦い続けている【彼女】の為にも。

 この世界に生きる、全ての生徒達の為にも。

 

 先生はクラフトチェンバーへとキューブを捧げ、シッテムの箱をタップする。虚空に浮かんだキューブは青白い光に包まれ、そのままノイズと共に掻き消えた。クラフトチェンバーのスロットに設定され、製造が開始されたのだ。

 その光景に、黒服は興味深いとばかりに問い掛ける。

 

「ゴルコンダの作品を、クラフトチェンバーへと投じたのですか?」

「うん、ゴルコンダには悪いけれど、キーストーンとこれを核にして物質を再構成する……元々私も、ゼロから創り上げるつもりだったんだ」

 

 しかし、予想よりも早く彼らはキヴォトスへと到来してしまった。

 だからこそ、核となるオーパーツが存在する事は非常に助かる。元より存在するオーパーツ、遺物を取り込む事によって創造の方向性が定められる。ゴルコンダの創造性に、クラフトチェンバーの権能染みた力が合わさる事で、次元防壁を突破出来る確率は飛躍的に向上するだろう。

 創造するのはモジュールである、それも本船に接続可能な形での。

 もし完成すれば、その性能によっては生成物固定化せずとも、シッテムの箱と接続するウトナピシュティムの性質上、クラフトチェンバーを経由してそのまま本船と繋げる事も叶うかもしれない。

 

「完成は――まだ先だね」

 

 シッテムの箱に表示された製造時間を一瞥し、先生は呟く。

 流石にキーストーンに加えてオーパーツ染みた代物を投じただけはある。丸一日近い製造時間が画面には表示されており、先生は画面の電源を落とすと発光するクラフトチェンバーを見上げた。

 

「完成したものは遠隔でも呼び出せる、今の内に作戦を皆に説明しないといけない……私は上に戻るよ」

「その次は、どちらへ?」

 

 踵を返し、階段へと足を向けた先生の背中に向けて黒服は問いかける。足は止めた先生は背後を振り返る事無く、シッテムの箱を抱きかかえたまま答えた。

 

「今回は時間との勝負だ、クラフトチェンバーが装置を完成させ次第、アトラ・ハシースに突入する事になるだろう」

 

 だから作戦会議後は、アビドス砂漠にある本船の元へ。

 

 この状態となった自身は、一分一秒たりとも時間を無駄にする事は許されない。その様な事を口ずさむ先生を見つめながら、黒服は僅かな時間沈黙を守った。

 

「――ウトナ・ピシュティムを起動しますか、先生」

「あぁ」

 

 その言葉に、先生は力強く返答した。

 アトラ・ハシースに対抗するには、それしかない。

 その事実は黒服とて十二分に理解している筈だった。

 サンクトゥムタワーが機能を停止した今、超古代兵器の運用は不可能となった。

 サンクトゥムタワーに匹敵するオーパーツ――【シッテムの箱】の所有者以外には。

 

 現状アトラ・ハシースに対抗するには超古代兵器であるウトナピシュティムの本船を起動する他なく、そしてサンクトゥムタワーが機能を停止した今、その起動が可能なのはシッテムの箱を所有する先生のみ。

 それは理解してるし、必要な措置であろう。そこに黒服は反駁の余地はないと確信している。

 だが同時に、強い懸念も存在した。

 

「先生、アレはアトラ・ハシースの箱舟同様、キヴォトスの起源が込められた兵器の最終形態、遠い昔箱舟に対抗するべく生み出された対箱舟用の決戦兵器です、云わばあの船は現存する技術では解析する事の出来ない、太古の【恐怖】そのもの――既に理解しているかとは思いますが」

 

 一拍間を置き、黒服は低く、忠告するような色を秘め告げた。

 

「アレを起動すれば最後、二度と同じ状態に戻る事は叶いません」

 

 それは肉体的な話に留まらない。

 代償は目に見える形だけでなく、その本質にすら触れ得るだろう。

 太古の神秘とは異なるこの世界に於いてコインの裏側。

 それこそが、不可逆の【恐怖】――その性質が故に。

 

 ――裏返り、反転したモノ()を元に戻す術など存在しない。

 

 その法則(ルール)に例外はない。

 先生と云う存在、その本質を損なう事。

 それこそを黒服は恐れた。

 神秘も恐怖も持たない、先生が触れるのは本質ではなく、故にこれまでは肉体的な負荷のみに留まると考えていた。

 しかし、実際にアリウス自治区にて色彩の嚮導者(プレナパテス)と対峙した黒服には、払拭出来ない強い懸念が生まれた。

 

 先生の肉体は今、崩壊段階に達している。

 それは、あの色彩の嚮導者が辿った道と同様の状況であると考えられる。

 ならばどうして、その辿る末路が異なるモノであると断言出来よう?

 もし万が一、先生の肉体的な死に、生み出される苦痛に、色彩の嚮導者――或いは色彩そのものが反応してしまえば。

 その時は――。

 

「分かっている」

 

 背を向けたまま、彼は事も無げに云った。

「分かっている」と、もう一度小さく、囁くように。

 

 黒服はただじっと、立ち止まった先生の背中を見つめ続ける。先生は暗がりの中、自身の掌を見下ろし、それから無言で足を進めた。鳴り響く靴音、階段を登る背中は徐々に見えなくなっていく。

 その輪郭が暗闇に溶けるまで、ただ静かに黒服はその場に佇んでいた。

 

 ■

 

 ビルの外壁を蹴り上げ、虚空を舞う空崎ヒナ。

 その睨みつける先には地上から此方を仰ぎ、銃口を突きつける聖園ミカの姿がある。

 既に両者が戦闘を開始し、半刻近くが経過していた。その間にも周辺の建物の幾つかは既に倒壊し、撃ち込まれた幾つもの弾丸がアスファルトを砕き、街の景観を破滅的なモノへと変貌させている。

 しかし、両者の戦闘に介入できる者はこの場に存在せず。遠目からも分かる程に発生する爆発、破壊音は敵味方関係なく、周辺の人物を遠ざけるだけの効果があった。

 

「――ッ!」

 

 不意に、素早く動き回り的を絞らせない様注力していたヒナが、何かに気付いた様にこの戦いの最中、決して切る事の無かった目線をミカより逸らした。

 

「……A.R.O.N.A?」

 

 他の者には見えず、聞こえず、しかし常に外界を観測する存在。

 ヒナの脳裏に響く無機質で抑揚のない声、翼を使いフワリと地上へと着地した彼女は、耳元に指先を宛がいながら言葉に耳を傾ける。

 

「……先生(あの人)が動き出した事は把握しているわ」

 

 A.R.O.N.Aが齎した報告はシャーレ地下、クラフトチェンバーの活動を検知した事。同時にシャーレが機能を再開し、通信が復旧したという旨の報告であった。それはこの世界にとっての吉兆、反攻の狼煙、或いは望外の奇跡を呼び込むための第一歩。

 このまま見過す訳にはいかない、此方も相応の対処を取らなければならない。その様に語る彼女の言葉に、ヒナは淡々と反駁する。

 

「けれど、目の前の脅威もまた無視出来ない、聖園ミカは特異点となり得る存在、私が今此処で――」

「ちょっと、戦闘の途中でお喋り?」

 

 ほんの僅かな間、三秒に満たぬ空白。

 ヒナが声のした方向へと視線を向けた瞬間、その視界一杯にミカの好戦的な笑顔が映った。

 互いの距離は凡そ百メートルはあった。目を離したその僅かな間に、聖園ミカは百メートル近い彼我の距離を一瞬で詰め、既に拳を振り被っていた。

 力強く踏み込んだミカの両足がアスファルトを砕き、靴型の跡を残している。抜け落ちた白い羽が周囲に舞い、固く握り締めた彼女の拳からミシリと骨の軋む音が鳴った。

 

「随分と余裕じゃん、ねッ!」

 

 両足から膝、膝から腰、腰から肩、そして腕と伝わる強大なエネルギー。重力を感じさせない圧倒的な加速により生み出された破壊力を纏めて拳に乗せ、全力で振り抜く。濃密な神秘が籠ったそれは空崎ヒナの顔面目掛けて飛来し、ヒナは鳴り響く支援システムのアラートに導かれるまま、咄嗟に腕を立て防御の姿勢を見せた。

 

 着撃――大気が震え、衝撃が骨を突き抜ける。

 つっかえ棒のように堪えようとしたヒナの両足は一瞬で地面を離れ、浮き上がった矮躯はそのまま地面と水平に後方へと吹き飛ぶ。背後に存在した乗り捨てられた乗用車へと衝突し、衝撃で車体が拉げ、圧壊した。

 無残に歪んだ外装に埋まったヒナはしかし、それでも尚勢いを殺し切る事は出来ず、残骸に身を埋めたまま甲高い金属音を鳴り響かせアスファルトの上を滑る。緋色の火花が散りばめられ、数十メートル程後退した地点で漸く停止した。

 全損した硝子片がパラパラと彼女の身体に降り注ぎ、聖園ミカの一撃を防いだ右腕をヒナは開閉させ、動きに支障がない事を確かめる。

 衣服が衝撃で引き裂かれ、皮膚が僅かに赤らんでいた。

 しかし、空崎ヒナの表情は変わらず、能面の如く冷静さを保つ。

 

「――それは、あの人からの指示?」

 

 他者が見れば唖然とするような打撃を受けて尚、ヒナは平然とA.R.O.N.Aとの意思疎通を続行した。所詮は打撃技、望外の威力を秘めても尚、自身の防御を抜く一撃ではない事を彼女は知っている。雨の如く打たれるのであれば別だが、互いの全力が致命傷にならない以上、それ以下の攻撃など論ずる必要もなく。

 

「……分かった」

 

 A.R.O.N.Aの口にする言葉を全て聞き届けたヒナは、拉げ圧縮され、運転席と後部座席が完全に一つに押し込まれた嘗て乗用車であった鉄塊より軽々と脱出する。外装から足、腕と抜き放ち、埋もれた体を外気に晒す。肩に積もった硝子片を払いながら立ち上がった彼女は、悠然と歩み寄る影を視界に収めたまま告げた。

 

「此処は、一度退く」

「は?」

 

 立ち上がる事は分かっていた、先の攻撃が致命打にならない事も。しかし、ヒナの口から出た言葉は彼女の予想だにしなかったもので。一瞬、彼女は呆気に取られた様に目を瞬かせる。

 

「……何、もしかして逃げる気?」

「どう思われても構いはしない」

 

 ヒナは呟き、二度その場で踵を鳴らす。

 ヒールとコンバットブーツ、二種の特徴を併せ持つ靴は硬質的な音を響かせ、その所作と同時に彼女の背後にあった空間が大きく捻じれ歪み、黒々とした深淵が顔を覗かせた。

 まるで奈落の如くぽっかりと空いた黒、そこにヒナは躊躇する事無く身を浸していく。

 背後から黒色に呑まれるヒナは、最後まで対峙するミカを注視していた。

 

「確かに貴女は今、この場で始末しておきたかった、けれど貴女よりも優先するべき事が出来た――そういう演算結果が出たのなら、それに従うだけ」

 

 だから、次こそ決着を付けましょう。

 

「聖園ミカ」

「……ふん」

 

 徐々に黒へと浸食されていく身体、昏い光を灯す瞳が完全に闇へと呑まれるまでミカがその場から動く事無く。

 歪んだ黒色が彼女を呑み込み、空崎ヒナの影も形も無くなるまで、ミカは身構えたまま微動だにする事は無かった。

 

 軈て気配が完全に消え去り、その場に佇む者が自分ひとりだけになった時、ミカは大きく息を吐いて銃口を下げる。戦闘の興奮が引いて来ると、腕が軋み傷が妙に痛んだ。顔を顰め、呻き声を呑み込み、血の滴る腕を一瞥したミカは羽の汚れを軽く払いながら踵を返す。

 自身が対処すべき脅威が撤退した今、一秒でも早く先生の元に戻らなければならない。あらゆる危険から、苦難から、あの人を守る為に。

 だと云うのに――。

 

「――それで、次はこの我楽多(ガラクタ)?」

 

 振り返ったミカの視界に、続々と集合しつつある自律兵器の姿が映った。今まで何処に隠れていたというのか、或いは自分達の戦いに巻き込まれない様、離れた地点で息を潜めていたのか。

 耳に届く金属音、唸る駆動音、戦闘によって彼方此方が破損し、陥没した公道に数えるのも面倒になる程の自律兵器が這い寄って来る。

 空崎ヒナが去った今、圧倒的な個ではなく数の暴力で対抗しようという事か。ミカは大きく溜息を吐き、面倒そうに髪を掻く。危機感はない、ただ先生の元へと駆け付ける道中に取るに足らない小石が山の様に積み上げられた様な感覚だけがあった。

 

 しかし、幾ら積み上げようとも所詮は小石に過ぎない。

 聖園ミカにとって、脅威にはなり得ない。

 故に愛銃をぶら提げたまま、ゆっくりと拳を握り締めたミカは、その口元を不機嫌そうに歪ませ吐き捨てた。

 

「ホント、退屈しないね」

 

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