「えぇと、リン先輩……?」
シャーレ上層廊下にて、そこを歩く三人の影。周囲に響く足音に、先頭を速足で進むリンは背後から恐る恐る掛けられる声に振り向く事もない。
リンの後に続くアユム、そしてモモカは抱えた資料と端末を一瞥しながら、無言で進むリンの背中を不安そうに見つめていた。
「さっきの会議の内容もそうだけれどさ、この状況って、結構拙いんじゃあ……?」
「えぇ、分かっています」
モモカの問い掛けに、リンは端的に答えた。この状況というのが現在の連邦生徒会の状況を指しているのは明確である。
各自治区との関係性、及び先生の提示した『攻略作戦』の概要。
それらを照らし合わせ、彼女達は現在進行形で頭を悩ませている。アユムは俯き加減にリンの背中を伺うと、ぼそぼそと囁く様な声で問うた。
「その、本当に実行するつもりなのでしょうか、先生は?」
「……あの人は、そういう人です」
返答は迷いが無かった。やるかやらないかで云えば、躊躇いなく実行するだろう。それだけの実績をあの人は積み上げて来た。淡々と無表情で廊下を進むリンは、硝子越しに見える赤空を見上げながら確信を持って告げた。
「恐らく、本気で敵の拠点に攻め込むつもりでしょう」
必要があれば、例え単身であろうとも。
■
「――先生自ら、敵本拠地に直接乗り込む、か」
先生の発言に対し、静寂を切って言葉を発したのはマコトであった。
椅子に背を預け、腕を組んだまま尊大に振るう舞う彼女は思案するように虚空を見上げ、それから対面に座すナギサ達へと視線を投げる。唇を固く結び、沈黙する一行を見つめながらマコトは何気なく問いかけた。
「どう見る、トリニティ?」
「……どうもこうもありません」
カタリと、カップとソーサーのぶつかる音がした。少しばかり大きなそれは部屋の中に響き、ナギサらしくない乱暴な所作であった。
彼女は席に座したまま、深く頭を下げる先生を睨みつける。
「――危険過ぎます、少なくとも先生が直接出向くべきではありません」
「キキッ、珍しく意見が合致したな」
特徴的な笑い声を漏らし、マコトは瞳を細める。態々口に出して問わずとも、部屋の中に居る大半の生徒が同意しているのが肌で分かった。
しかし、さてどうしたものかと、マコトは内心で零す。こればかりは引っ掛かる情報が無い。
マコトは思考を巡らせる、アトラ・ハシース、そして先生が用意したという宇宙戦艦。シャーレが何やら砂漠で遺跡発掘を始めたという話は小耳に挟んでいたが、その詳細は一切不明だった。今から情報部なり何なりに探らせるにしても遅きに失した――ならば連邦生徒会としては何か把握していないのか。
そんな思いと共に連邦生徒会長代行たるリンへと視線を向けるが、意図に気付いたリンは無言で首を横に振った。言葉を介さない意志疎通、しかし得られるものは何もなく、マコトは小さく肩を竦める事を返答とする。
「私としても、先生が危険な場所に自ら出向くのは反対です! これ以上先生に負担を掛ける訳には……!」
「そ、そうですよ! 宇宙戦艦がどんな物かは分かりませんが、操縦だったらミレニアムにも出来そうな生徒が居ますし! メンテナンスや情報解析だって、何も先生が直接乗り込まなくても……!」
「れ、連邦生徒会、調停室としても、皆さんの意見に賛成です、技師と操縦手、純粋な戦闘員などを分けて乗り込む生徒を募る方が安全で、その、確実かと」
「――いいや」
口々に発せられるのは先生の安全を不安視した声。セリナ、ユウカ、アユムと放たれたそれに、しかし先生はゆっくりと顔を上げると緩く首を振って見せた。
「皆の気持は嬉しい、けれどこの船は私の権限がなければ動かせない、そして権限を持つ者が搭乗しない限り、船は百パーセントの機能を発揮出来ないんだ」
「……権限と云うのであれば、鍵はその
冷静に場を観察していたリオは、徐に先生の手にしていたタブレットを指差し云い放った。
シッテムの箱、連邦生徒会長が先生に託したと云うオーパーツ。その詳細は謎に包まれているが、並大抵の代物ではない事は確かである。先生はシッテムの箱を撫でつけながら、彼女の言葉に肯定を示した。
「本来なら、サンクトゥムタワーを介した稼働も可能だった、けれど――」
「サンクトゥムタワーは現在、その機能の大部分を失っている、その代わりが先生の持つ、その
「そうだ」
「失礼ですが、その
マコトの言葉に先生が頷けば、透かさずナギサが代替案を提示した。権限を持つ者、シッテムの箱が無ければ船が十全に動かないというのであれば、その鍵を譲渡してしまえば良い。云う程簡単ではないだろうが、それでも先生が敵の本拠地に自ら攻め入るよりはずっとマシな提案に思えた。
しかし、ナギサが言葉を終えるよりも早く「残念ですが」とリンが口を挟む。
「それは難しいでしょう、シッテムの箱は失踪した連邦生徒会長が先生の為だけに用意したオーパーツです、少なくとも先生がキヴォトスにやって来るまで、私達は起動すら出来ませんでしたから」
「……つまり先生でなければ、運用どころか起動も不可能と?」
「はい」
「な、なら本当に――」
それしか、選択肢は無いのか。
「……先生、質問があるわ」
再び部屋に沈黙が訪れた時、リオがそっと挙手し声を上げた。彼女は指先で自身の額を押し解しながら、険しい表情を崩さずに続ける。
「直接乗り込むと云うけれど私達は敵の拠点、アトラ・ハシースの詳細な観測データすら持っていない、内部に待ち構えているであろう敵の数も、種類も、防衛システムも、装備も、船体内部の構造も、何もかもが不透明なのよ、そんな状態でどうやって――」
「勿論、真正面から戦うつもりはない」
敵拠点の制圧、制御の奪取にどれだけの戦力が必要かも分からず、内部構造が解析できない以上具体的なルートの構築も不可能。そうなれば自然、戦闘は長引く筈だ。そんな未知数の場所にどうして人間である先生の突貫を許せると云うのか。
リオの問い掛けに、先生は努めて冷静に声を返した。モニタに表示される船、ウトナピシュティムの本船を横目に先生は割愛した情報の一部を開示する。
「アトラ・ハシースに乗り込む際に使用する宇宙戦艦、コレは船体の七十五パーセントが論理演算装置として構成されている」
「――船体の七十五パーセントが、論理演算装置ですって?」
「先生、それは最早、宇宙戦艦とは呼べないのでは……?」
「そうかもしれないね、云ってしまえば空飛ぶ量子コンピューターの類だ」
だが、だからこそアトラ・ハシースに接触し中枢システムに食い込めれば、直接弾丸を交わさずとも拠点の制圧は叶う。カイザーコーポレーションをして、単体でキヴォトス全てを支配出来る可能性を秘めた船は伊達でも何でもない。
最初から銃火を交わし制圧する事を先生は考えていなかった。無論、道中の危険は決して無視出来ないが、逃げるだけならば先生単独であっても可能性はある。
何より突入が成功した時点で、目的の九割は達成出来る。
最後の一割は、空に囚われている――【彼女達】に手を伸ばす事。
「私が仕掛けるのは銃撃戦じゃない、『電子戦』だ」
■
「仮に先生の提案した計画通りに動いたとしても、D.U.に落下したと思われる搭は二つ、加えて近郊である封鎖区画に一つ、他のどの自治区よりも数が多い訳ですから、連邦生徒会側から先生率いる攻略部隊に戦力を回す余裕は……」
「他自治区からの増援を取り付けるしかないでしょう、一先ず次回の作戦会議の際に協力を要請します、一度連邦生徒会で話し合いの場を設け、行政委員会と統括室総出で各区画防衛、及び搭攻略に必要な戦力を算出、防衛戦力運用と増援要請の承認を得ます、総力を挙げて臨まなければ勝てない戦いです」
廊下を歩きながら、リンは先の会議内容を思い返す。
個人としては先生が行うという敵本拠地への突貫攻撃、これを不安視しており可能であれば幾つかの部隊を随伴させたい所であった。
だが今目の前にある問題としてD.U.内部にも塔は落下しており、そちらの対処に戦力を割かねばならない。しかも他自治区より搭の落下数は多い、市民の避難誘導や地区防衛、搭攻略の戦力と指折り数えていくと、どう考えても戦力が不足していた。
本来ならリンの一存の元、迅速に動きたいところではあるが、残念ながら本来こういった区画防衛や戦力運用に関しては防衛室の管轄である。しかもタイミングの悪い事に、その防衛室は現在機能を停止している。
加えて連邦生徒会全体、及び統括室の指揮と同時に防衛作戦に関する指揮など、どう考えても自身のキャパシティを超えていた。
本来の生徒会長であれば何とかなったかもしれない、SRTが機能していれば、或いは最低限防衛室が機能していれば――ぐるぐると胸中を巡る思考と感情に、リンの表情はどんどん険しさを増していく。
「それはそうだけれどさぁ、それだけでぶっちゃけ足りる? 無い袖は振れないし、どう考えてもリン先輩の負担ヤバ過ぎでしょ」
「通信網も復旧しましたし、各室長にも緊急招集の連絡は届いている筈ですが、恐らく行政委員会の過半数が揃うにはまだまだ時間が必要かと……」
果たして、作戦開始までに間に合うかどうか。
間に合ったとして、連邦生徒会は十全に機能するのか。
アユムとモモカの口から漏れる言葉に、リンは速足で動いていた足を止めた。
カツンと音が鳴り、急に立ち止まったリンに対し一歩前に進んだ両名は慌てて振り返る。
「リン先輩?」
「モモカ、矯正局に連絡を」
「……えっ、矯正局?」
「はい、アユムは防衛室の方に」
「ぼ、防衛室ですか?」
突然の指示に目を白黒させる二人に対し、リンは大きく息を吸い込みあらゆる感情を吞み下す。
そして数秒程沈黙を守り、再び目を見開いたリンは代行としての決断を下した。
「――不知火カヤを解放します」
■
その日、不知火カヤにとっては正に激動の一日であった。
凄まじく濃密で、人生の絶頂にあった自身の肩書や地位から呆気なく転げ落ちて、どれ程の時間が経過しただろう。元連邦生徒会の室長と云う扱い辛い存在は、公的な処分が決定するまで連邦矯正局にて勾留され続け、日がな一日灰色の壁を眺めながら思案を巡らせる日々。
尤もそんな事を続けても何になる訳もなし、助けも無ければ面会も無い。既に形式的処分として防衛室長としての権限、公職をはく奪された自身に加担する利など存在しない。加えて殺風景な部屋は、日にちや昼夜の存在を酷く曖昧にした。
不知火カヤという一個人に関して、今後政治的影響力を排除する意味でも、再び立候補する資格は永久にはく奪されるだろう。つまり連邦生徒会に返り咲く道は遥か遠く、連邦生徒会長という自身が目指した夢は遠く潰えた訳である。
それを想えば、景色が色褪せるのも当然と云うもの。
だが、それで心折れる不知火カヤではない。
自身の復帰が絶望的な道である事を理解しておきながら、彼女は齎された時間の多くを費やし新たに超人へと至る為の道筋を牢の中で想い描いた。
幸い時間だけは幾らでもある、腐っても防衛室長という行政委員会の一部門、そのトップに上り詰めた手腕、能力、知略は健在。
外道、悪辣、手段を問わなければ再び権力を握る為の道など幾らでも存在する筈だと、彼女は日夜自身に云い聞かせた。
そう、最終的に自身の大願を成就させる為ならば、どれ程の犠牲、法や道徳に背を向ける行為であろうと構わない。
この牢を出た後に、幾らでもやり直す道は存在する。
しかし、その様に考えると必ずと云って良い程、脳裏に
想像の中の先生はいつも襤褸雑巾の様で、仕事に忙殺され、クタクタになっていて、それでも常に笑顔を絶やさなかった。夢の中で満面の笑みを浮かべ、「カヤ~!」と能天気に自身の名を呼び全力で手を振る先生の姿を見た時など、思わず冷汗と共に飛び起きた程だ。
その顔がチラつくと、急に意欲が削がれてしまう。
先程まで考えていたあらゆる手段、悪辣、外道な策が悉く枯れ果て、具体的な道筋を立てる気力が消え失せるのだ。
その度にカヤは舌打ちを零し、抱え込んだ自身の膝に顔を埋めた。
それは最早呪いだった、まさかあの大人に感化されたのかと絶望した夜もあった。しかしそんな風に感じられたのも最初の内で、自分が為した策の果てにあの大人が悲しそうに俯く姿を想像すると、とても実行しようという気は全く起きなくなってしまった。
結局、カヤは牢の中で無為に時間を過ごす事が多くなった。
カヤはその日も、ただぼうっと用意された寝床に座り込み壁を眺めているだけであった。しかし突然大きな揺れが矯正局を襲い、一体何だと混乱している間に矯正局全体が喧騒に包まれ、漸く多少落ち着いたかと思えば、今度は刑務官と連邦生徒会の行政官に連れられ、もう踏み入れる事は無いだろうと思っていた連邦生徒会――サンクトゥムタワーへと移送される事となる。
両手を拘束され、移動中は顔も覆われる徹底ぶり。道中が妙に騒がしい気もしたが、音だけで全てを把握するには無理がある。行政委員会及び公的施設への出入りは既に制限されている筈だが、一体何だと云うのかとカヤは目を白黒させた。
サンクトゥムタワーの片隅にある談話室へと通された彼女は、拘束された両手を見下ろしながら自身の場違いな恰好に顔を顰め、ただ状況に流される他なかった。
「―――……?」
談話室で待機する事暫く。
背後に立つ行政官に時折疑念の視線を送りながら所在なさそうに座っていると、部屋の扉をゆっくりと押し開き踏み込んで来る影があった。扉の軋む音に伸びる人影、そちらに顔を向けた瞬間飛び込んで来た人物の顔に、カヤは思わず息を呑む。
「……首席行政官」
「不知火室長」
現れたのは連邦生徒会長代行、七神リン。
いつも通り仏頂面で、凛とした立ち姿。しかし過去の彼女よりもやや疲弊している様にも見える。単なる見間違いだろうか。
リンを目にした瞬間、カヤの胸中に湧き上がったのは嫌悪と憎悪、嫉妬と悔恨、同時に僅かな懐かしさであった。
片や未だ連邦生徒会の代表として白と青の美しい制服を身に纏っており、片や矯正局の囚人としてデザイン性の欠片もないみすぼらしい囚人服を身に纏う自分。互いの恰好が現在の両名の距離を、越えられない壁を表している様で、カヤは口元を歪めながら吐き捨てる様に云った。
「ふふっ、らしくないですね、皮肉のつもりですか?」
ソファに背を預けながら、カヤは佇むリンを見上げる。
先程、彼女は自身を不知火室長と呼んだ。不知火カヤではなく、態々嘗ての役職名を付けて。それはカヤにとって、最早単なる皮肉か、嫌がらせの類にしか思えなかった。
故にカヤは精一杯嫌味ったらしく、張り付いた笑みをそのままに問う。
「――『元』、室長の間違いでしょう?」
「いいえ、間違いではありません」
しかし、カヤの言葉をリンは即座に否定して見せた。
思わず面食らい、「は?」と声を漏らすカヤ。リンは眼鏡を指先で押し上げ、端末の時計を確認しながら言葉を続けた。
「一時的にではありますが、防衛室長としての貴女の権限は再付与されています、制服も用意していますので、別室で着替えを済ませて下さい」
「……一体、どういう事でしょう、あの大きな揺れと何か関係が?」
「詳しい事は歩きながら――今は兎に角、時間がありませんので」
余りにも突然過ぎる状況の変化、自ら超人を自称するカヤと云えど暫しの間硬直し、言葉を吞み込む為の時間が必要となる。しかし、そんな醜態をいつまでもこの七神リンの前で晒す事に抵抗があった。
逡巡は一瞬、額に滲む冷汗をそのままにカヤは両足で床を思い切り踏み締めると、努めて何でもない様にソファから立ち上がった。背後の行政官が俄かに強張った気配を放つが、関係ない。
「……まぁ、良いでしょう、世界にとっては不運かもしれませんが」
緩慢な動作でリンの前へと足を運び、彼女と対峙する。身長の差から相変わらず此方を見下ろす様な瞳を寄越すリン、否が応でも視界に入るその忌々しい二つの
カヤは薄らとした笑みを浮かべたまま両腕を差し出し、絡みつく手錠を鳴らしながら告げた。
「どうやら、
■
「以上が現在の状況です」
「……これは、また」
サンクトゥムタワー上層、その廊下を速足で進む複数の影。その先頭を行くのは現連邦生徒会の代表である七神リン。そしてつい先程、一時的とは云え防衛室長としての公職、権限を再付与された不知火カヤ。
連邦生徒会特有の白い制服、青いスリット、伸びた飾緒を揺らしながら進む彼女達は手にした端末の画面を一瞥しながら言葉を交わす。その背後には統括室の行政官が続き、幾つもの書類を抱えリンの後を必死に追っていた。
――まさか、この制服に再び袖を通す時が来るとは。
カヤは自らの四肢を覆い隠すその白い制服を揺らしながら、満足げに鼻を鳴らす。まだこの場所を追われ一ヶ月と経過していない筈だったが、それでも随分昔の事の様に思えて仕方なかった。
「私が少し留守にしている間に、随分と混沌とした状況になっていますねぇ」
「えぇ、現在は各自治区の代表者が指示出しの最中かと、此方も行政委員会に緊急招集を掛け非常対策委員会を設置していますが、例の塔が飛来して負傷者も多く出ています、目下連携して事に当たらなければならないのは塔の破壊、そして迫り来る自律兵器への対処、及び市民の避難誘導と保護です――ご覧の通りサンクトゥムタワーの機能復旧も試していますが、今の所目途も立っていません」
端末に表示されるのは現在のD.U.被害状況、及び現連邦生徒会と各自治区の動き、情報。カヤは手渡されたその画面を指先でなぞりながら、次々と表示される文字を咀嚼し防衛室としての立ち回りを構築していく。長い間築いて来た行政官としての勘や知識は鈍っていない、まるで呼吸をするように思考は巡り、道筋は明瞭であった。
「現在
「
「過半数未満、そうなると今すぐ連邦生徒会全体で動くのは難しそうですね……あぁ成程、私を復帰させたのはその為ですか」
「えぇ、先生は三日という短期間で事態の収拾を付けると仰っていますが、連邦生徒会としては正直――」
そこまで口にして、リンは言葉を呑む。聡いカヤは彼女の言葉から凡そ何故自身を態々解放したのかを察した。防衛室として最低限動けるようにする為の措置、連邦生徒会全体としての動きが鈍いのであれば、せめて防衛戦力運用の権限が集中している防衛室だけでも――という考えの元であろう。
それでも行政委員会全体の承認は得ていまい、殆ど独断での解放である事は明らかであった。
その証拠に、自分達の背後に続く行政官の顔は引き攣り、戦々恐々とした目でカヤを捉えている。苦肉の策とは云え、一度裏切った己を良くも再びこの場所に据えたものだ。その胆力と決断力だけは、カヤをして感心せざるを得ない。
寝首を掻くような相手と、再び手を取る――思考し、カヤは一瞬顔を顰めた。
連邦生徒会代行の権限があれば、防衛室と統括室という管轄を超えた指示、防衛戦力運用も可能であった筈だが、自分自身の指揮能力を低く見積もっているのか、それとも此方の能力を高く買っているのか、単純に人手が不足しているが故か。
恐らく七神リンという生徒の抱えられる
まぁ、そんな事はどうでも良い、と。
カヤは思考を打ち切り、端末の画面を閉じた。凡そ状況を把握する為の情報は入手した、後はこれからどのように動くか、その選択である。折角手にした好機、世界にとっては酷い状況のようだが、精々点数を稼いで再びのし上がる為の土台を作らせて貰おう。
自身の前髪を払ったカヤは薄らと笑みを浮かべ、ゆるりとした口調で口火を切った。
「それで代行、貴女の考える今後の方針は?」
「……まずは可能な限り避難指示を徹底し、D.U.内部に於ける市民の保護を、加えて連邦生徒会内外で動かせる人員の確認、それから行政委員会の各室長の集合を待ちます、準備は兎も角として計画の始動には行政委員会による最低過半数の承認が無ければなりません」
「随分と悠長な話ですね」
リンからの返答に、カヤは分かり易く顔を顰めた。自身の復帰により防衛室が最低限機能するとは云え、結局は自治区内の市民保護や自律兵器の撃退、その目途が立ったに過ぎない。それだけでは他自治区の動きに一歩も二歩も遅れる事となるだろう。攻略作戦の実行など夢のまた夢。事は今起きているのだ、必要なモノを必要な時に動かせない組織に何の意味があるというのか。
「それで先生の希望する時刻に間に合うのですか?」
「……どうにか、間に合わせるしかないでしょう」
「無理ですね」
希望的観測だ、カヤはリンの言葉を無情にも切って捨てた。鳴り響く靴音が、二人の間に流れる冷ややかな空気を際立たせる。だが両者の瞳は真剣であり、視線を交わさずとも意識は言葉を交わす相手にのみ注力していた。
「いつか云いましたよ、貴女には状況を動かす権威があると、私をこうして復帰させたように、正しいと思った形で振るえば良いではありませんか」
「――えぇ、憶えています、ですが以前伝えた通り権威とは毒の入った聖杯の様なもの、便利な切り札であっても、使えば使う程自身の身を滅ぼします」
「首席行政官」
重ねて、カヤは彼女を呼んだ。
声には冷ややかだが、どこか常と異なる色が含まれていた。リンの瞳が隣を歩くカヤを捉え、その横顔を視界に映す。
「貴女のその、
そう云って一度言葉を切り、カヤはゆっくりと横目にリンを視線で射貫いた。両者の瞳が交わり、その奥に煌めく光が反射する。
「緊急時に於いて己の器量も弁えず、全てを守ろうとすれば、逆に全てを失いますよ」
言葉には確かな実感が伴っていた。事実、それは彼女が
遍く全てを手に入れる等、土台無理な話なのだ。
何かを犠牲にしなければ、もう片方は
この世界はそういう風に出来ている。
残酷で、冷酷で、過酷。それこそが過去から現在にまで続く、絶対不変の真実なのだと。
「
その言葉は、酷い説得力を伴って廊下に響いた。
ぐっと、リンの掌に力が籠る。細められたリンの瞳を一瞥したカヤは、再び顔を前へ戻し足を進めた。
「ましてや連邦生徒会長でさえ成し遂げられなかった事を、その影を追う私達が何故出来ると思うのですか?」
「………」
「それは驕りですよ、遍く全てを守りたいならば、この世界の『主』になる他ない」
――凡人に許されているのは、何を捨て、何を抱えるのか、それを選択する事だけだ。
カヤは胸中に湧き上がるそれを言葉にする訳でもなく、そっと飲み込んだ。世界には、その選択さえ許されない人々が存在する。それを考えれば選ぶ事が出来るだけまだ恵まれている立場と云えるだろう。
「……さて、くだらない話をしている間にも到着しましたね」
その様な思考を巡らせている内に、カヤの足は目的地へと辿り着いていた。
目前に映るのは見慣れた扉、プレートに刻まれた『防衛室』の文字。カヤはそのプレートを見上げながら、重厚な両開きの扉、そのドアノブを確り掴む。
そのまま背後で此方を見つめるリンを一瞥したカヤは、辟易とした様子で云った。
「一先ず私は私の仕事を熟しましょう、D.U.の防衛はお任せを、信じるかどうかはお任せますが、連邦生徒会を背後から刺す様な真似はしないと約束しましょう、牢から出された分は確り働きますよ」
「……不知火室長」
「ですので七神リン行政官、貴女も貴女の仕事を全うして下さい、誰を救い、誰を切り捨てるか、何を選び、何を選ばないのか」
――それぞれの責任に於いて、ね。
それだけを告げ再び扉と向き合ったカヤは、自身こそがこの部屋の主であると云いたげに、堂々とした佇まいで扉を潜った。
軋む音を立てて開く両開きの扉、その向こう側に佇む複数の影、カヤの張り付いたような笑み、その瞳が薄らと顔を覗かせる。
「――あぁ、お久しぶりです、皆さん」
「か、カヤ室長」
嘗て自身が座していた防衛室の執務机。その両脇に並ぶのは嘗て共に働いた同胞達、彼女達の表情は何とも云えぬ、恐怖と気まずさと後ろめたさが混じり合った、歪なものであった。
中にはそう云った感情に屈さず、敵愾心や怒りと云った感情をぶつけて来る者も存在する。
しかし去来するそれらを凪の様に受け流しながら、一歩一歩進むカヤは丁度執務机の隣、極めてフラットな感情で以て佇む生徒へと目を向けた。
少し草臥れた上着に、特徴的な耳、鷹の如く鋭い眼光、身に纏う気配は威圧的。普段も激務も相まって、その目力は実に分かり易い。
彼女は歩み寄るカヤに対し、怒りも憎しみも、敵愾心も見せなかった。そしてそれは、カヤも同様である。驚くほどに感情は平坦で、フラットであった。互いに為すべき事が分かっているからだ。
その関係が、嘗て自身が語って聞かせた在り方が何となく心地良く、カヤは思わず笑みを零した。
「……一ヶ月も経っていない筈ですが、随分と懐かしく感じますね、カンナさん?」
「えぇ、そうですね」
両手を後ろに回したまま、公安局局長のカンナは直立不動で告げた。
口調は平坦で、無機質でさえあった。今はその返答が実に頼もしく感じられる。執務机へと端末を放ったカヤは、カンナに視線を向ける事無く机に高く積まれた書類を手早く広げ、その紙面を視線でなぞる傍ら問いかける。
「それで、準備の程はどうですか?」
「公安局はいつ如何なる時も万全です、指示があれば直ぐにでも動けます」
「結構、ならばカイザーインダストリーの武器も各隊に配備済みですね?」
「えぇ、本来であれば少々気後れする所ですが、
「ただでさえ人手が足りないのですから、使えるものは全て使わなければ、折角手を回した甲斐がありません」
「んんっ!」
あっけらかんと嘗ての汚職に言及する室長に、思わず隣り合った行政官が咳払いを零した。わざとらしいソレにカヤは小首を傾げると、広げた書類を軽く払いながら告げる。
「一体何を恥じる必要がありますか? 清濁併せ吞んでこそ、大願は為せるというのに」
「……随分と変わりましたね、防衛室長、いえ本質は相変わらずですが」
「あら、そうですか?」
「えぇ、誤解を恐れずに云うのであれば、取り繕う事が無くなりました」
「それは当然でしょう、為した事が為した事です、今更猫を被ってどうするというのですか? 私がやらかした事など連邦生徒会に所属している者なら、全員の知る所でしょうに」
カヤは自嘲交じりの溜息を零し、緩く首を振った。
しおらしく顔色を窺って対応する? 謙虚に無難に指揮を執る? 今度こそ品行方正、清廉潔白に? 何と馬鹿馬鹿しい。カヤはそれら一切を鼻で笑い、胸中で蹴飛ばし踏み躙る。そのどれもこれも、不知火カヤと云う存在の理想とは程遠い。
今求められているのは、自身の罪悪と向き合い一人一人の行政官の顔色伺って、形式通りで清廉潔白で、混沌とした状況でも他者を慮れるリーダーではない。
どれだけ一人一人の生徒に負担が掛かろうと、後ろめたい事情から入手した武装を使おうと、厚顔無恥で唯我独尊と云わんばかりの態度を取ろうと――この混沌とした状況を打破出来る存在である。
そして、
積み上がった資料を確認し、端末を叩く彼女はホログラムモニタにD.U.区画マップを表示させ、その場にいる全員の視界に届く場所へと移動させる。マップ上に表示させる赤い円。それが現在唐突に顕現したという搭の位置を示していた。
「さて、それでは自律兵器の撃退、及び攻略作戦に先駆け例の塔を中心に防衛線を引きましょうか、現場の指揮は任せますよカンナ?」
「はッ!」
「それとヘリを一機用意して下さい、戦力の拡充と補給の確保は重要ですからね」
「ヘリって、室長はどちらに?」
「カイザーコーポレーションです」
行政官の問い掛けに、カヤは微笑みと共に告げた。その一言に、分かり易く室内が凍り付く。カイザーコーポレーションと云えば、以前不知火カヤが秘密裏に手を組み共に暗躍していた企業であるが故に。
それがカヤの口から出たと云う事実、よもやまた良からぬ事を考えているのではと勘繰ってしまうのは無理からぬ事であった。しかしカヤは肩を竦めると、硬直する行政官の面々に対し面倒そうに云い放った。
「先程伝えたでしょう? こんな状況なのですから使えるものは何でも使うと、それは人だろうがモノだろうが変わりはありません、幸いカイザーコーポレーションに対する交渉材料は腐る程あるのですから、使わない理由がありません、精々
減刑を餌に釣り上げても良し、或いは厳罰を盾に脅しても良し。
この私を裏切って泥を塗りたくったのですから、当然の報いです。幸いトップのプレジデントは
上機嫌に語って聞かせるカヤは本気だった。戦力が無いならば他所から持ってくれば良い、ついでに弾薬やら食糧やら補給の目途が立って一石二鳥。渋るならば渋るで構わない、精々行政委員会なり何なりである事ない事喚き散らし、連中の厳罰を確かなものにしてやる、最早死なば諸共である。
そもそもの話、カイザー側からすれば失脚した
そうでなくともキヴォトスの危機、いざとなったらヴァルキューレの生徒を使って自律兵器を大量に引き連れ、連中の本社に逃げ込んでやろうとカヤは脳内で画策する。後から喚かれても不可抗力とシラを切る所存である。
一度全てを失った不知火カヤに、怖いものなど何もなかった。
「それと首席行政官の話では確か、アビドスにも例の塔がひとつ、発生していましたね?」
「え、えぇ、その筈ですが――あの自治区は現在、大規模な砂嵐で連絡が付かなくなっているとの事で……」
「ふむ」
行政官からの返答に、カヤは頬に指を添え考え込む。リンが会議室で耳にしたという先生の言葉が確かならば、彼は宙に上がる手段を持っているとの事。それが遥か空の上に浮かぶ敵拠点へと攻め込む鍵であり、そしてカイザーより秘密裏に入手した情報を示し合わせれば、その場所は。
カヤは幾つかの情報をパズルのように組み立て、カンナを含めた行政官を見渡すと、自信に満ち溢れた不敵な笑みと共に告げた。
「――であればついでに、
リオだって大活躍するのですから、カヤだって活躍しなければ不公平ですわよねぇ~ッ!? カヤの物語はね、最終編を経てようやく完成に至るんですわよ。
カヤが未だリンの事を一度も『代行』と呼ばず、「リン行政官」だとか「首席行政官」と呼称している事実。「お前が