投稿が深夜になってしまい、申し訳ありませんの!
「貴女を開放したのは、首席行政官かしら?」
「えぇ、所謂『超法規的措置』という奴ですね」
リオの問いに答えたカヤは、余りにも自然体であった。此処に来るまでのやり取りを思い出しているのか、やや辟易とした雰囲気を纏ったカヤは静かに肩を竦め云う。
「まぁ色々と面倒な事も云われましたが、かと云って私の代わりに首席行政官、総括室のトップが前線に立つ等どう考えてもあり得ないでしょう? 連邦生徒会そのものが動いていない、或いは圧倒的な武力でもあるのなら別ですが、別にリン首席行政官は武闘派でも何でもないですし」
と云うよりも、連邦生徒会に於いて武闘派で鳴らす生徒などまず憶えがない。多少心得があったり、体を動かす事が大好きな
「何より件の悪趣味な塔はD.U.にも存在しています、であればこれは防衛室の管轄範囲内、権限は一時的にですが全て返って来ています、機能不全に陥った防衛室をどんな形であれ再稼働させる、その為にリン行政官も私を開放した訳ですから」
「なら尚更だよカヤ、君が不在ではD.U.の防衛が疎かになる」
「――いいえ、それはありません」
先生の言に、カヤは薄らと笑みを湛えたまま否定を示した。もしその通りになるのであれば、そもそも自分がD.U.から動く筈もない。用意周到に、あらゆる権限を振るった後でD.U.を発ち、カイザーグループとの取引を終えこの場へとやって来たのだ。
防衛室は連邦生徒会とD.U.の安全を預かる以上、緊急時に於いては他室を超える権限を発揮出来る部署である。特に緊急命令による一部法的手続きの省略、云わば防衛特例法の発動や、委員会を通さず現地部隊に作戦指示を出せる権限は特有のもの。
連邦生徒会の保有する武力の指揮監督権限、武力行使に関する起案、緊急対応権限、軍備や作戦上発生する予算編成要求権限、大規模災害や事件への初動対応と主導権、非常対策委員会の発足権限や臨時統合指揮官となる権限など――それらの中で必要と思われる分を適切に行使し、彼女は先生の前に立っていた。
そして彼女は骨組みばかりであった足場を盤石なものとし、D.U.内部でヴァルキューレ及び各防衛戦力が動けるだけの環境を作り、統合指揮権を持ちながらそれを行使せず、必要が無ければ下手に介入しない形を取った。
それは現場の生徒を信頼しているからこその選択であった。
「何せ優秀な局長がヴァルキューレには在籍していますので、私はきちんと権限を振るった後に来ました、寧ろ下手に現場を知らぬ存在が出しゃばってしまう方が効率を落とすというもの、生活安全局も警備局も――そして公安局も、ね」
「………」
「アレでもう少し柔軟な思考が出来れば、公私共に重宝出来たのですがね」
まぁ、全ては過ぎた事です。
顎先を指でなぞりながら呟くカヤは、脳裏に浮かんだ狂犬の顔に溜息が零れる。真っ当な正義感を持ち、かと云って周囲を顧みない程吹っ切れる事も出来ず。性根は清廉でありながらも、しかし同時に周囲を守る為に泥に塗れる覚悟を秘めた存在。
最後は兎達に触発されたのか、見事に吹っ切れる形となったが――その粘り強さと能力の高さは、こういった状況では実に頼りになった。
「生憎と私はテクノラートではありませんので、そちらの方々と同様の活躍を期待されては困ります――ですがこれでも地位相応の能力は持っていると自負していますから、私の同行は皆さんにとって素晴らしい選択になるでしょう」
「………」
カヤはそう云ってリオやトキ、ホログラムモニタ越しに此方を見つめるチヒロとヒマリを指差す。リオは僅かな困惑を込めてホログラム越しにヒマリを見る、その所作にヒマリはそっと視線を逸らした。
まるで何か、悪徳セールスか何かを聞かされている様な気分だった。
事実と異なるのは別段彼女は粗悪品を売り込むつもりなど無く、そして彼女自身が決して無能でも何でもないという事だ。
「あぁ、それとアビドスの防備に関してはご心配なく、此処に来る道中、幸い『とても協力的な友人』を得られたので」
「協力的な、友人?」
「えぇ、今回はPMCという形で雇わせて頂きました、アビドスの主要都市、重要施設をカバー出来る程度の戦力は此方で揃えましたので、何でもアビドス対策委員会の方々とも顔見知りとの事でしたし、
「―――」
カヤの言葉に、先生の脳裏にとあるオートマタの姿が過った。アビドスでPMC、それも連邦生徒会の防衛室が直々に交渉する規模となると、流石に候補が絞られてくるというもの。彼が今、何処で何をしているのかは分からないが――もしかしたら、という思いがあった。
「多少の出費を強いられましたが、この非常時であれば
ふふんと、得意げに鼻を鳴らしながら胸を張るカヤ。一体どんな交渉術を使ったのかは分からないが、恐らく双方形振り構わないものとなったのは想像に難くない。
兎角、彼女が為せる事を為し、この場に辿り着いた事は理解した。
先生はその協力を有難く思う。
しかし――先生は眉間に皺を寄せたまま、やはり首を緩く横に振る。
「カヤ、事情は良く分かったよ、君の尽力にも心の底から感謝する――けれど、この先は本当に危険なんだ」
「相変わらず強情ですねぇ、先生の懸念は分かりますが今更一人二人増えた程度で何だと云うのです? 作戦概要は既に聞き及んでいます、敵の詳細は未だ不明、攻略作戦の勝算は低く、敵拠点に突入する部隊の生還率は傍から見ても絶望的……まぁ普通に考えて不可能でしょうね」
それでも為さねばならないという現状が、キヴォトスの状況を実に分かり易く表している。各々の自治区が絶望的な状況下の中で、それでも抗おうとしているのだ。カヤは現状を反芻し、その絶望的な作戦を前にして、しかし僅かな躊躇も懸念も見せず断言した。
「ですが――不可能を可能にしてこその超人ですので」
慎ましい胸を精一杯張り、悠然とした態度を崩さないカヤ。
不屈――不知火カヤという生徒を表現するのであれば、その言葉が似合うだろう。
追い詰められた状況では諦めもするし、折れもする。利益があると判断すれば前言を撤回する事も、卑劣な手段も厭わない。
だが幾ら失敗しようとも、或いは地面に這い蹲るような事になろうとも。彼女は何度でも這い上がろうとする。
故に不屈、彼女を支えるのはいつか見た憧れの背中、目指すべき自身の到達点――そしていつか其処に至るであろう、理想とする己の姿そのものであった。
「それとも、生徒が成りたい自分を目指す事を否定するのですか先生?」
「―――」
まるで鬼の首を取ったように、彼女は先生の顔を覗き込みながら微笑む。
この作戦参加もまた、彼女にとっては超人という目標に至る
彼女の言に先生は一瞬言葉を呑み、弱ったように苦笑を零した。
それを云われると、どうにも弱い。
それが明らかに間違った行いならば兎も角、曲がりなりにも世界を救う為の選択である。その願いを跳ね退ける言葉を、今の先生は持ち合わせていなかった。
『……まぁ、人手が増える事自体は歓迎すべきなのでしょうけれど』
『不知火カヤ防衛室長、か』
ホログラム越しにヒマリが呟き、チヒロは胡乱な目でカヤを見ていた。
『結構黒い噂が多い生徒だけれど、大丈夫なの?』
「おや、そちらのビッグシスターも中々の黒幕ぶりだった筈ですが、記憶違いだったでしょうか?」
「………」
棘を含んだカヤの言葉に、リオは気まずそうな表情と共に沈黙した。その背中を撫でつけながら、「リオ様、大丈夫です、私がついています、ピースピース」とトキが励ましの言葉を掛けていた。いや、あれは励ましなのだろうか、不明である。
ミレニアム内部の出来事とは云え、件の事件は連邦生徒会側も把握している。防衛室ならその特性上、尚の事。
『はぁ――図らずも、一度はシャーレと相対した面々のグループという事ですね』
リオとトキの様子に溜息を吐き出しながら、ヒマリはカヤに視線を向け呟く。彼女からすればちょっとした意趣返しのつもりであったが、寧ろカヤはパッと表情を明るく変化させ、微かな歓喜を滲ませながらリオを一瞥した。
「大変結構な事です、一度敵対した相手とでも手を組む、それが超人の度量というもの、その才覚が在る事を喜ぶべきですよ?」
「……それは、余り嬉しくはない評価ね」
「あら、それは失礼、ですがシャーレと一度敵対したグループと云うのであれば――まだ、揃ってはいないでしょう?」
カヤは何処か、確信している様な口ぶりで以て告げた。それは共に船に乗る人員はこれからまだまだ増えると云わんばかりの口調だった。先生の表情が僅かに翳り、シッテムの箱による制御が乱れ、その指先に力が籠る。
その僅かな所作、ほんの些細な乱れに気付いたカヤは、先生を硝子玉の様な瞳で以て見上げ問うた。
「先生ならご存知の筈です、違いますか?」
「――……あぁ」
彼女の問い掛けに、先生は暗澹たる感情を秘め頷く。出来得る限り、生徒を危険に晒したくはない。地上ならば兎も角、この船に乗る事は自身でさえ約束出来ない、予測不可能な未来への道連れを意味する。
その感情は、どんな状況であれ先生の心を苛む。
だが彼女達は――此方から助けを求めずとも、必ず駆け付けてくれるだろうという確信があった。
信頼と悲愴の混じった複雑な感情が湧き上がり、先生はそれを噛み締める様に呑み込み、云った。
「良く、知っているよ」
■
セーフハウス内部、薄らと照らされた廊下にて。
完全武装のまま出入り口へと向かう、一つの影があった。
彼女は決して音を立てないよう、愛銃を抱えたまま慎重な足取りで、帽子を目深く被り一歩一歩進む。愛用のマスクで口元を覆い、所々繕い跡の残る白い外套を羽織ったまま暗がりを進む彼女は、外へと通じる扉へと手を伸ばす。
「リーダー」
「っ……!」
しかし、まるでその行動を予期していたかのように――寸での所で背後から声が掛かる。
咄嗟に掛かった声に彼女、サオリの肩が意志に反し大きく跳ねた。爪先が床を蹴り、振り返った視線が廊下の奥へと向けられる。
暗がりの廊下、人目を気にして明かり一つさえ点灯しないその場所には、壁と床の繋ぎ目に沿って非常灯が点滅するばかり。其処には呆れたような視線と、どこか剣呑な気配を放つミサキが壁に肩を預け、佇んでいた。
彼女は愛用のパーカーを身に纏ったまま、腕を組んでサオリを睨みつける。
「そんなコソコソ隠れて、何処に行くつもり?」
「………」
「手に持った端末――もしかして、誰かから連絡でも来た?」
サオリの手の中に握られた、旧式の端末。
液晶は罅割れてこそいないものの、ブラックマーケットで購入した中古品は相応に使い込まれた跡が散見され、指摘されたサオリは咄嗟にそれを背に隠した。
「いや、これは、その……」
しかし、今更の事である。ミサキは既に端末を目視しており、サオリは息を詰まらせ弁明の言葉を思い浮かべたが、何一つ反駁の言葉が思い浮かばなかった。故に僅かな沈黙を経た後、気まずそうな表情と共にミサキから視線を逸らす。
「さ、サオリさん……」
「サッちゃん」
「ッ……! ヒヨリ、アツコ」
すると、此方を見ているミサキの背後から追加で二つの声が響いて来た。驚きと共に顔を上げれば、視界に寝床で休んでいた筈のヒヨリとアツコの顔が映る。彼女達もまた、何処か不安げな表情と共に此方を見ていた。
ミサキは自身の背中越しにサオリを見つめる二人を一瞥すると、これ見よがしに大きく溜息を吐き出す。
「大方、外の状況と関係あるんでしょう? 此処のセーフハウスはトリニティ自治区も近いし、何があるか分からないから暫く様子見と情報収集に専念しようとか云って、自分だけ外に出ようとするなんて」
「……それは」
「話してよ、リーダー」
腕を組み直し、サオリの前に立ち塞がったミサキは云った。
三人の瞳がサオリを捉える。
「すまない、皆が納得できない事は分かっている――だが、これは私の我儘だ」
苦渋の果て、選んだ答えは沈黙。
皆を巻き込む訳にはいかなかった。自身が口にした通り、これは他ならぬ自身の我儘だと。その一念が彼女の口を縫い付け、深く閉ざさせる。
そんなサオリの、如何にも何か理由があると云いたげな素振りに――スクワッドの面々は顔を見合わせ苦笑を零した。
「……えっと」
「サッちゃんって、偶にこういう風になるよね」
「はぁ……まぁ、仕方ないんじゃない? お手本にしていた大人が
「た、確かに、そうかもしれませんね、えへへっ」
詳細は分からない、だが
すると不意に、ミサキが大きく一歩を踏み出し、そのまま大股で距離を詰めて来る。その勢いに気圧され仰け反るサオリ。
「な、なにを――」
「サオリ姉さん」
肉薄し、伸ばしたミサキの指先が、サオリの胸元を強かに突いた。
ほんの十数センチ先の至近距離に、ミサキの瞳が存在する。退いたサオリの踵が扉を叩き、鈍い音が響いた。
「前に云った筈だよ、こんな酷い世界でも、それでも一緒に苦しんでいる人が居れば、少しはマシに思えるかもって……サオリ姉さんが私達を大事に思っている様にさ――」
そこまで口にして、ふとミサキの視線が後ろへと向けられる。いつの間にか、ヒヨリとアツコの二人も傍に立っていた。彼女達はミサキの言葉を継ぐようにして頷き、笑みを零す。
「わ、私達も、同じ位、サオリ姉さんが大事ですから……!」
「うん、そうだよサッちゃん」
皆の言葉に嘘は無い、ミサキも、ヒヨリも、アツコも、皆が心の底からそう思っているのだ。向けられる笑みには、瞳には、信頼が、親愛があった。幼き頃より苦楽を共にし、幸福とも呼べない様な、限られた些細な幸せを噛み締め、苦しみの只中に在って尚生きる事を諦めなかった彼女達には決して途切れない強い繋がりが存在する。
故にこそ、陽が差す場所に踏み出す時も。
もしまた、日陰に戻る時が来たとしても。
それでも――アツコはいつか日向へと踏み出した時の様に、何の憂いもなく笑って告げる。
「――
それは、アリウスでは決して見られなかった
サオリが噛み締めて来た、ただ皆で共に在れるという本当に些細な幸福。傷だらけになって、他の何を捧げてでも必死に守り抜こうとした小さな小さな奇跡。
そんな存在が今、そっと自分に手を差し伸べていた。
僅かな間言葉を失ったサオリは、それから自身を恥じる様に目を瞑り、唇を噛む。
「……すまない」
次いで口をついたのは、謝罪の言葉だった。
だがそれは、先程とは込められた意味が全く異なる。
サオリは自分達の過去を反芻し、意志を固めた。
彼女にとってスクワッドとは、家族とは、何物にも代えがたい大切なものだ。ずっとずっと守り続けた、どんな形であっても、どんな状況になっても、自分の全てを捧げてさえ失いたくなかった宝物。
けれど、スクワッドにとってサオリもまた、同じ位に大切で、守りたくて、失いたくない宝物なのだ。
大切なものは危険に晒したくない、どうか安寧であって欲しい――だが自分ひとりで出来る事など、高々知れている。
それならば。
「正直、私一人の力じゃどうしようもない事だった、だから――」
自分一人ではどうにも出来ない。
けれど、この四人でなら、きっと。
想い、サオリはゆっくりと顔を上げる。
一人一人の顔を見つめ、その瞳の奥に秘めた意志を確かめた彼女は、嘗て持つ事の出来なかった明日への希望を胸に、強く頷いて見せた。
「――皆の力を、貸して欲しい」
■
各々装備を整え、セーフハウスを後にしたスクワッドの四名はD.U.外郭地区から更に各自治区境界線――特にトリニティ方面へと進む市街地を突っ切り、足を進めていた。高密度行政・経済区画から外殻住宅・物流区画を抜けるとD.U.の最も外側に存在する旧市街、都市外延開発凍結帯、再生保留区画へと辿り着く。
これは一度拡張計画などが進められたが、予算や政治的混乱、災害、テロなどによって途中で放棄された区画となっており、あちこちに開発の痕跡が散見された。内部には整地途中の土地や未完成のビル、古びた資材などが其処らに混在し、中途半端な廃墟も混在し何とも異様な光景が広がっている。
そんな景色の中を慎重に周囲を伺いながら前進するスクワッド、隊列中程で身を縮こまらせるヒヨリは戦々恐々といった様子で巨大な背嚢を背負い直し、呟きを漏らした。
「こ、こんな所で、待ち合わせをしたんですか……?」
「あぁ、そうだ」
此処から更に進むと、緩衝区域、暫定封鎖区画に当たる。所謂スラムである。こういった自治区間の境界線には、両自治区で後ろめたい行為を行うならず者が良く集まる。緩衝区域であるが為に手が出し辛く、また似たような面々が流れ着くからだ。
スクワッドからすれば、そう云った場所もすっかり慣れたものだが、最初は戸惑ったものだと回顧する。特に現在、不気味な赤い空の影響もあり、薄暗い廃墟が更におどろおどろしい存在に見えた。
「……空が赤い分、いつもよりずっと暗くて、辺りが不気味に見えるね」
「追われている身からすれば、こっちの方が気楽で良いけれど」
「視認され辛いとは云え、気は抜くな」
アツコが被った自身のマスクを指先でなぞりながら呟けば、ミサキは抱えたセイントプレデターを揺らしながら答える。天候の影響もあり、光源の無い周囲はまるで夜の如く。しかし、サオリは一切の油断なく先頭を歩き、ふと手にしていた端末を点灯させマップを確認した。
「……指定は、この奥か」
表示された目的は、ほんの数十メートル先。
サオリが顔を上げると、建設途中のビル群の隙間、そこを真っ直ぐ通った先に開けた空間が存在した。埃を被った室外機や、建設途中の資材が積まれたバックヤードとでも表現すべき空間。
一列に並び、路地を行くスクワッド。サオリは帽子のつばを指先で押し上げると、その空間の奥で端末を弄る人物に声を掛けた。
「――すまない、待たせた」
声は四方に聳え立つ建物に反射し、良く響いた。
サオリの声に反応した人物は端末の電源を落とし、座っていた資材の上から飛び降りる。ふわりと靡いた白い制服が視界に踊り、数枚の白い羽根が周囲に散った。
「ううん、私もさっき到着したばっかりだから、そんなには待ってはいないよ」
場違いな、軽やかで弾んだ声が聞こえた。
その声に、聞き覚えがあった。
最初に気付いたのはサオリの直ぐ背後に立っていたミサキ、彼女は一瞬息を呑み、まさかという思いで顔を上げる。
そして靴音を鳴らしながら此方へと歩み寄って来る人物を視界に捉え、愕然とした声を発した。
「――……聖園ミカ?」
「うぇぇッ!?」
ミサキが彼女の名を呟いた途端、同じく視界にミカを捉えたヒヨリが仰け反り叫ぶ。それは周囲に反響し、ミカは顔を顰めながら鬱陶しいとばかりに翼を払った。閉所での自爆を嫌ったミサキが抱えていたセイントプレデターを下ろし、ブーツに固定したサイドアームに手を伸ばしながら思わず一歩、後退する。
その表情には隠しきれない緊張と戦慄が走っていた。
「何でこんな所に、あの女が――リーダー?」
「待ち合わせをしていたのは彼女だ、間違いない」
聖園ミカと、リーダーが?
サオリの返答に面食らったミサキは、一瞬意識に空白が生まれる。そしてそれは、ヒヨリやアツコも同様であった。
一体何故、聖園ミカがスクワッドに連絡を取る必要があるのか。過去の出来事を鑑みれば、碌な理由が思いつかない。自然警戒心が首を擡げ、身構えてしまうというもの。
「へぇ」
反し、ミカは何処か意外そうな声を上げていた。
彼女の視線がサオリからミサキ、ヒヨリ、アツコと順になぞり、警戒を露にする三名を他所に小首を傾げながら呟く。
「今回の件、てっきりサオリ一人で来ると思ったんだけれど、予想が外れちゃったな」
「……あぁ、私も最初はそのつもりだった」
サオリは隠す事無く、ミカの言葉を肯定する。セーフハウスを無言で抜け出そうとした事実は消えない、彼女は大事な仲間達を巻き込む事を良しとせず、自分ひとりだけで事を済まそうと考えていた。
しかし、結果としてスクワッド全員でこの場に立つ事となった。その事にサオリは、微かな歓喜と深い感謝の念を抱いていた。
「だが、私にとって皆が家族であるように――皆にとっても、私は家族なんだ」
「……ふぅん」
暖かな、それでいて嘗て見せる事のなかった柔らかく、自然な笑みを浮かべるサオリに、ミカは努めて平坦な声を返した。それは彼女の内に湧き上がった感情を噛み殺したが故の所作。
暫し、じっと彼女達を見つめるミカは、不意にその視線を逸らす。それから自身の胸中に湧き上がった感情を恥じ、それを誤魔化す様に口元を緩めた。
「まぁ、何だかんだ……元気そうでちょっと安心したよ、サオリ」
「――
微かな安堵と親しみを込めたミカの言葉に、横合いから刺す様な声が響いた。周囲に反響する声に全員が頭上を見上げれば、四方を囲んだ建物の屋上、その縁に足を掛けた何者かの影が落ちる。赤空に照らされ、逆光に浮かび上がるシルエット――長銃に両腕を絡ませ担ぎ上げる仕草、その特徴的な和装と狐の仮面は、決して忘れる事など出来ない。
「さ、災厄の……ッ!?」
「チッ!
狐坂ワカモ。
ある意味、聖園ミカよりも話の通じない相手が現れた。
ミサキは躊躇わずにブーツのサイドアームを抜き放ち、素早く弾倉を検める。本格的に嵌められたか、最悪周辺をトリニティの私兵か傭兵辺りが取り囲んでいてもおかしくはない。
ワカモは風に衣服を靡かせながら、ビルの外壁を蹴り飛ばしまるで重力を感じさせない動きで以て積み上げられた資材の上に着地を敢行した。重々しい金属音と共に、被せられたシートがぶわりと靡く。仮面越しに煌めく瞳が、暗がりの中でもハッキリとスクワッドを捉えていた。
「次に会う時は、必ず報いを――そう決意したつもりだったのですが、えぇ、えぇッ! 全く世界というものは儘ならない事ばかり……ッ!」
狐面越しに爪を立て、腹の底から響くような声で怨嗟を垂れ流すワカモ。溢れ出る敵愾心は留まる事を知らず、肌を刺す様な重圧に冷汗が流れた。
引き金に指を掛けながらアツコとヒヨリを背に押し込み、ワカモと対峙するミサキ。ワカモはまるで図ったかのようにミカとは反対方向へと着地し、スクワッドは両者に挟まれるような形となった。先程通って来た道はワカモの背後にあり、ミサキは顔を強張らせながら唇を噛む。
「リーダー、前後を挟まれた、これじゃ退路がない」
「……ミサキ、私達は戦いに来たんじゃない、銃口を向け合う必要は無いんだ」
「――その云い分が、向こうにも伝わっていれば良いけれどね」
あくまで武器を構えるつもりのないサオリに、ミサキは思わず悪態を吐いた。どう見ても、向こうは戦うつもりだろう。寧ろ、一秒後にはこちらに飛び掛かって来てもおかしくはない。それ程の気迫と憎悪が肌越しに感じられる。
サオリとミサキの背中に挟まれたアツコとヒヨリは、ミカとサオリを交互に見つめながら戦慄する。特にヒヨリはこの絶望的な状況に顔を蒼褪めさせ、その場に腰を抜かすと背嚢を抱えたまま涙ぐみ、人目も憚らず悲嘆に暮れ始めた。
「や、やっぱりこれは私達を一網打尽にする罠で、今まで幸せな生活だった分、辛くて苦しい清算の時が来たんだぁ……うわぁあんっ! こ、これならもっと沢山、雑誌に載っていた美味しいもの食べておくべきでしたぁ! せっ、せめて来月……! 特装版の雑誌が出る来月まで待ってくださぁい!」
「ヒヨリ、サッちゃんが大丈夫って云っているんだから、落ち着こう、きっと平気だよ」
「此処で戦うつもりはないけれど――清算の時っていうのは、強ち間違っていないかもね」
ヒヨリの悲鳴染みた言葉にアツコは落ち着くよう声を掛けるが、ミカは訳知り顔で頷きを返す。ふと手元に視線を落としたミカは、どんな時も肌身離さず指に嵌めた銀の指輪を口元に動かすと、小さく唇をつける。
「サオリ」
指先で隠れた唇で、サオリの名前を口ずさむ。
顔を上げ、見開かれる瞳。同時にゆっくりと前進し、軈て対峙する両名。二人の視線が交わり、その瞳の色が赤空の元反射した。
聖園ミカと錠前サオリ。
トリニティとアリウス。
二つの関係性は、過去に遡れば遡る程、一言では表現し難い。
限りなく遠く、限りなく近い。複雑怪奇で、互いが互いの罪悪の形を知り、歪でありながらも共に在る形を選んだ。
両者が抱えたその罪は消えない、きっとこれまでも、これからも。
だが――それでも明日を共に迎える道を選んだ聖園ミカは、錠前サオリに告げる。
「今度こそ、全部……貴女の大切な家族を含めて、文字通りの全部、失くしちゃうかもしれない」
「………」
ミカの視線が、彼女の背中に集う仲間達へと向けられる。
幼い頃より共に在り、地獄のような環境を生き抜いた家族。これから往く道は、そんな彼女の家族を危険に晒す選択に他ならない。
ミカは真剣な面持ちで、それを彼女に問い掛ける。
同じ罪悪を抱いたからこそ。
その罪を、赦したからこそ。
「それでも――良いんだね?」
「……覚悟の上だ」
返答に躊躇いは無かった。
絶望の中でしか、
「――だが、どちらも失いはしない」
先生も、
サオリは想う。幸福を知って、自身は少し贅沢になった。
それは日々のちょっとした事であったり、或いは自分達の状況そのものであったり。アリウスではただ生きる事が許される、家族と共に在る事が許される、ただそれだけで
その日食べる物が無くとも、理不尽な暴力に這い蹲っても、寒さに震え、ただ痛みと苦しみだけが齎される毎日だとしても――サオリはその、他者からすれば余りにも些細で、当たり前の様な
けれど今、日向へと足を踏み出した彼女はもっと大きな、大きくて暖かな、眩いばかりの奇跡を望む様になった。
暗くて辛い、苦しみと痛みの中に存在する
嘗て白洲アズサが掴み、手にしたような――そんな
vanitas vanitatum, et omnia vanitas,
全ては虚しく、儚く、無情で、無意味なのかもしれない。
だが――。
「どんな
一歩を踏み出し、ミカを真っ直ぐ見返しながらサオリは告げる。
足掻いて見せる、その最後の瞬間まで。
抗う事は、決して無意味ではない。
それを錠前サオリは、
アトラ・ハシース、サオリに先生を殺された反転ヒナ、突入するスクワッド、対峙する両名、何も起きない筈もなく……。