ブルーアーカイブを、もう一度。   作:トクサン

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誤字脱字報告に感謝ですわ~!
今回約一万六千字ですの!


最後の号令

 

「っ――!」

 

 砂煙を上げ、砂漠を走行するアビ・エシュフ。

 強烈な風圧が全身を撫でつけ、アビ・エシュフ、延いてはトキにしがみ付く先生の肉体には想像を絶する負荷が掛かっていた。通常の車両を凌駕する速度、しかし先生の状態を鑑みてトップスピードの半分も出てはいない。砂嵐と云う視界不良状況と、不安定な相乗り姿勢が想像以上の体感速度を先生に与え、意志に反し身体は強い強張りを見せていた。

 

「――先生、対象を目視しました」

「……!」

 

 不意に耳元から発せられたトキの言葉、先生は振り返り自身で状況を確認する余裕もなく、トキの身体を抱き締めたまま耳元で辛うじて舌を震わせる。

 

「戦況は、分かるかい?」

「ハッキリとは……しかし銃声も聞こえませんし、視覚情報に映る自律兵器は全て破損しています、既に戦闘自体、終了している可能性が高いかと」

「――!」

 

 現場に到着するまで、それ程時間は掛かっていない。だと云うのに自律兵器を蹴散らした後だというのか。先生がアロナの助けを借り周囲を探る様に意識を集中すれば、確かに稼働している自律兵器は確認出来なかった。動体反応が一切見られない、その事に驚きと不信感を抱きながら状況を把握した先生は、トキの肩を軽く叩き意図を知らせる。

 

「少し離れた場所で止まろう、警戒を怠らずに」

「了解」

 

 先生の指示に従ったトキは、交戦の痕跡が見える場所から少し離れた位置でアビ・エシュフを停止させる。砂嵐の中、静かに速度を落とすアビ・エシュフ、風除け代わりとしていた腕を解き先生を地面に降ろすと、先生は砂を踏み締め数歩蹈鞴を踏む。

 

「これは――」

 

 シッテムの箱を通じ、齎されるあらゆる情報。砂塵越しに広がる光景は、破損し散らばった自律兵器の数々。穿たれた内部機構が砂に埋もれ、飛び散った破片は方々に散乱し、残骸も嵐の影響で既に地面の中に覆い隠されてしまっている。一体や二体ではない、何十、何百という自律兵器だったモノが、自分達の到着するものの十数分という間に量産されていた。

 これだけの規模を相手に出来る戦力、どこかの自治区がアビドスを支援する為に部隊を送り込んだのか。しかし、そんな情報は一切耳にしていない――だとすれば、一体誰が。

 

「先生!」

 

 不意に先生の身体を大きな影が覆った。トキだ、彼女がアビ・エシュフを操縦し先生の前へと躍り出たのだ。巨体でありながら一切のぎこちなさを感じさせない、素早い動きで飛び出した彼女は、先生の右斜め方向へと両腕を突きつける。装着されているトライポッドが機械音を鳴らし、その黒いバレルが鈍い光沢を発した。

 トキの視界に表示される動体反応、砂塵の向こう側に影があった。自分達に接近する何者か、その輪郭を険しい瞳で以て睨み付け――。

 

「あっ、やっぱり先生だ! やっほ~☆」

「……ミカ?」

 

 果たして、現れたのは自律兵器などではなく、白い外套を靡かせ破顔する聖園ミカ、その人であった。

 砂嵐対策か、普段よりやや色味の薄い、白く大きなケープを靡かせる彼女は、今しがた五百の自律兵器を殲滅した後とは思えぬ程に溌剌とした笑みを浮かべながら手を振って見せる。

 

「先生の強力な助っ人、登場! なんてね」

 

 散らばった自律兵器の残骸を跨ぎ、踏み締めながら何て事のないように告げるミカ。彼女の姿に驚きの表情を見せる先生であったが、同時に納得もあった。彼女ならば確かに、この短時間であっても自律兵器群を一蹴してしまっても不思議はない。

 だとしても少々、手際が良すぎる気もするが――兎角、先生はアビ・エシュフの腕に手を添えながら胸を撫で下ろす。

 

「……ミカが無事で良かった、本当に」

「ふふっ、私がこんな連中に後れを取る訳ないじゃん? 分かり切っている事だとは思うけれどさ!」

 

 ふふんと鼻を鳴らし、自信満々に宣う彼女。しかし、先生の言葉はこの自律兵器との戦闘に関して向けられたものではない。色彩の嚮導者と共に暗躍する、この世界とは異なる道を辿った空崎ヒナ。

 彼女との戦闘を含めた安堵であった。彼女が健在である事は既に知っていたが、それでも実際にこうして言葉を交わし、漸く安心する事が出来たのだ。そんな先生の内心を見透かしていたミカは仕方なさそうに、けれど確かな信頼を込めた微笑みを浮かべ、それから先生の横に佇むアビ・エシュフへと視線を移す。

 

「えっと、それでそっちの子は――」

「……貴女は、確かティーパーティーの」

 

 アビ・エシュフを身に纏うトキに対し、ミカは小首を傾げて見せる。彼女からすれば、ドローンやアンドロイド、自律兵器の類ならば兎も角、この手の強化外骨格を目にする機会など余りないだろう。その瞳は実に珍しいものを見るような色が秘められており、トキは徐にバイザーを押し上げると、普段通りの平坦な口調で以て告げる。

 

「ミレニアム・サイエンススクール、C&C所属、コールサイン『ゼロフォー』、飛鳥馬トキです」

「C&Cって、確かミレニアムのエージェントだっけ? あぁそっか、なら今は先生を護衛している最中って感じ?」

「はい、その通りです」

「ふぅん――ねぇ先生、この子と一緒に宙の上、アトラ・ハシースまで行くの?」

 

 トキを一瞥し、何かを感じ取ったミカはあくまで軽い調子で問いかけた。アトラ・ハシース、その名称をナギサやセイアから聞き及んでいたのか、或いは。先生は問い掛けに答えようと一瞬口を開き、ややあって言葉を呑む。この場合その所作は、なによりも雄弁な回答であった。

 

「……だったら、私達も連れていってよ」

 

 ぶら提げた愛銃を肩に担ぎ、ミカは云った。

 口調はあまりにも軽く、その笑みは崩れない。

 私達、と。

 目の前のミカはそう云った。

 先生がその意図に気付くと同時、ミカの背後、吹きすさぶ砂塵の向こう側に人影が滲んだ。

 特徴的な狐面に靡く和服、その上から羽織ったミカとお揃いの白いケープは、普段の彼女を想えば珍しい装いであった。尻尾に付着する砂塵を嫌ってか、普段よりも幾分か揺れの少ない黒を纏い、彼女はゆっくりと先生の前に姿を現す。

 

「ワカモ」

「――あなた様」

 

 彼女は仮面の縁を指先で擦り、真っ直ぐ先生を見つめていた。足元を見れば、彼女愛用のブーツは砂に塗れている。

 何の為に此処に来たのか、そんな事は言葉にせずとも伝わっていた。先生は唇を緩く噛み閉め、視線に険しさを纏う。

 

「あっ、因みに駄目って云われても無理矢理ついていっちゃうから! それこそ、船の外装にしがみ付いてでも絶対に! 実際にそうなったら結構大変かもしれないけれど、今の私なら何か出来そうな気がするし――」

「私は」

 

 捲し立てる様に言葉を続けるミカを前にして、先生は思わず声を挟んだ。現にこうしてこの場に現れた彼女達の事だ、確かにそれだけの行動力を持っている、行ってもおかしくはないという妙な信頼があった。

 しかし、その言葉を簡単に呑み下せるかどうかは別の話である。トキを背にしたまま、先生は沈痛な面持ちで心情を吐露した。

 

「……私は、出来る事なら、君達には地上に留まって欲しいと思っている」

 

 それは、先生の偽らざる本音である。

 彼女達の厚意を、その想いを、嬉しく思う。

 だが同時に、個人的な願いを口にするのであれば。

 その厚意や想いを無碍にする行為であると理解していても。

 放たれた言葉を、彼女達の想いを、素直に受け取る事を良しと出来ない。その行いこそが、先生の背と心に少なくない重圧と罪悪感を齎すからだ。

 口ずさむ返答、苦心と共に先生の口から絞り出された声に、ワカモは覚束ない足取りで一歩を踏み出すと、仮面越しにでも分かるような昏い気配を纏い、問いかける。

 

「あなた様、それはつまり、このワカモでは力不足と――?」

「違う……そうじゃない、そうじゃないんだ、ワカモ」

 

 全身が沈み込んでしまう様な、強い悲壮感を漂わせるワカモに対し、先生は即座に否定を口にし、言葉を重ねた。これは何もミカやワカモに限った話ではないのだと。実力云々は関係ない、たとえ彼女が一騎当千の猛者だとしても――そして実際、それだけの実力を有している生徒だと理解してなお、先生は彼女達と共にこの先へと踏み出す事を恐れているのだ。

 本当の事を口にすればリオやトキ、カヤにだって、この地上に残って欲しいと思っている。ウトナピシュティムの本船に搭乗などして欲しくない、その戦いを先生は望んでいない。

 その理由は、単純にして明解だった。

 先生は足元に落としていた視線を持ち上げ、ミカとワカモ、そして横合いに佇むトキにさえ向け、告げた。

 

「――大切なんだ、君達が」

 

 遍く生徒達が。

 この世界に生きる、子ども達が。

 自身の目の前で危険な目に遭う事を、先生は厭う。

 

「本来ならば、私一人で立ち向かうべき相手だった、正直に云えば、今からでもそうしたいと思ってしまう――それ程までに、危険で、強大な相手だ」

 

 先生は想う。

 これは、このアトラ・ハシース攻略作戦だけは、これまでのあらゆる戦闘と異なる。

 地上であっても確かに危険自体は避けられないだろう。虚妄のサンクトゥム然り、守護者然り、自律兵器然り。しかしアトラ・ハシースに自ら突入するよりは、余程良い。逃げ場のない宙の上、生徒の神秘を秘めた肉体で尚、生還率三パーセントというのは大袈裟でもな何でもない事を先生は知っている。

 己ひとりだけならば構わない、最悪諸共爆破しようとも失われるのは自身の命ひとつ。

 だが、彼女達を巻き込む事は許されない――先生の許容出来る犠牲は、己ひとり。

 

「地上にも、君達にとって大切な人達がいる筈だ、ミカにはナギサやセイア、ワカモにはミチルやイズナ、ツクヨ達が、だからどうか――彼女達を守ってあげて欲しい」

 

 大切な人、友人、どうか今この瞬間に自分を必要としてくれる人の元へ。そうする事がきっと、明日に繋がる筈だと。その様に促す先生に対して、ミカやワカモ、トキはじっと沈黙を守った。

 

「ねぇ、先生」

 

 唐突に、ミカが先生の名を呼び、一歩を踏み出した。愛銃をそのままに、両腕を後ろに回した彼女は散歩に赴く様な、努めて軽い様子で問いかける。

 

「私にさ、幸せになる資格ってあると思う?」

「……ミカ、突然何を」

「良いから」

 

 背を丸め、下から覗き込む様に問いかける彼女。突然のそれに面食らう先生であったが、ミカの薄らと浮かんだ笑みの向こう側、瞳の奥にある真剣な色に言葉を詰まらせた。

 

「私ってさ、我儘で、考えなしで、誰の目から見ても、どうしようもない生徒でしょ? これまで沢山、褒められない様な事をしてきたし、大勢の人を傷付けて、取り返しのつかない過ちだって犯して来た――そんな私がさ、幸せになりたいとか大勢の前で口にしたら、怒る人だって沢山出て来ると思うんだよね」

 

 目を閉じ、過去を反芻する彼女はポツポツと告げる。それは彼女の記憶と記録、この世界の『聖園ミカ』でもあり、異なる道を辿った【聖園ミカ】でもある彼女の、偽らざる本音。多くを犠牲にした、自身の為に費やした、その道中と犯した罪悪、それを想えば自身の末路など凄惨な代物であっても驚きはしない。

 寧ろ、そうなる事が正しい事なのではないかとさえ思ってしまう。

 

 ――だって、それで平等なのだから。

 

 奪ったのならば、奪われなければならない。

 傷付けたのなら、傷付けられなければならない。

 それで漸くつり合いが取れる。畢竟、奪ったのならば幸せになどなってはいけないのではないか。傷付けたのならば幸せになる資格がないのではないか。

 彼女は問う、酷く真剣な面持ちで。

 

 聖園ミカは此処に至る過程で、多くの過ちを犯した。

 それはきっと、取り返しのつかない事だ。

 燃え尽きた世界は既に取り戻す術を持たず、彼女が後日修正を加える余地は存在しない。

 多くの悲鳴と怒号、呪いの言葉を覚えている。

 自分を責め立てる声、破滅を望む声、自身を魔女と呼ぶ声さえも。

 それでも――。

 聖園ミカは、今目の前に佇む先生を見つめる。

 

「それでも、私は幸せになって良いと思う?」

「――当然だ」

 

 返答には、一寸の迷いさえ無かった。

 それは先生の胸に秘めた、絶対的な信念であったから。

 

「幸せになっちゃいけない生徒なんて、この世に存在しない」

「……うん、先生ならそう云ってくれるって、そう思ってた」

 

 ミカが先生に向けた、何倍もの強い想い。打てば響くような絶対的な自信と自負、鋼に勝る信念が先生の言葉を形作っていた。

 その返答にミカは満足そうに、知っていたと云わんばかりに微笑んで見せる。

 アリウスの地下廊で自身に叫んで見せた様に。

 或いは、『彼女達』にそう伝えた様に。

 先生ならそう云ってくれると分かっていたのだ。卑怯な問いかけだろう、狡いと糾弾されても仕方ない。

 けれど――否、だからこそ。

 ミカは薄らとした笑みをそのままに、言葉を続ける。

 

「私は、先生と一緒に幸せになりたいの」

 

 一緒じゃなければ、駄目なのだ。

 それがどれだけ残酷で、先生にとって罪悪を齎す言葉なのかを知らずに。

 

「そして――そう思っているのはきっと、私だけじゃない」

 

 ふわりと、ケープを靡かせ背を向けるミカ。それは誰かにバトンを渡すような、或いは寄り添う様な所作であった。肩越しに先生を見た彼女は、どこか悪戯っぽく唇に指先を添える。

 

「それが、【私達】の幸せなんだよ」

 

 その言葉と同時、砂を踏み締める複数の音が響いた。咄嗟の事にトキが顔を跳ねさせ、身構える。しかし飛び出すよりも早く、先生がトキの前に腕を差し込んだ。現れた人物が誰であるのか、既に知覚していたからだ。

 先生の瞳が一歩一歩、砂漠を踏み締める影を捉える。

 

「――アリウス・スクワッド」

 

 先生が呟きを漏らすと同時、流れる砂塵を裂き現れる四名。

 先頭に立つサオリ、その背後に続くミサキ、ヒヨリ、アツコの三名。

 それは、本来此処には現れなかった生徒達である。先生が連絡を取った訳でも、助けを求めた訳でもない。茶色がかった古いケープを身に纏った彼女達は、ただ粛々と歩みを進め、ミカの隣へと進み出る。

 

「……どうして、此処に」

「聖園ミカより連絡を受け、加勢に来た」

「うん、私が協力をお願いしたの、先生と私を助けて欲しいって」

「………」

 

 ミカは悪びれる様子もなくサオリの肩に手を乗せ、対するワカモは不機嫌そうに沈黙する。本来であれば決して交わる事の無い様な、確執を持つ間柄。そこには対立と和解があった、互いに理解し、許し許されたとしても、介在する感情は複雑怪奇で素直に手を取る事も難しいだろう。

 それでも、聖園ミカはスクワッドに助けを求め、スクワッドはそれに応え、ワカモは三度激情を呑み下した。

 全ては、たった一人を助ける為に。

 

私達(スクワッド)の命は先生(貴方)に救われた、先生に受けた恩は、まだまだ返し切れていない」

「サオリ、私は――私は、こんな事の為に君達を助けた訳じゃない」

「あぁ、知っている、先生(貴方)はそういう人だと」

 

 先生が思わず苦心と共に首を振って見せれば、サオリもまた目を伏せながら頷いて見せた。元より先生は、何の見返りも求めてはいないのだと。助けて欲しいから助けたのではない、何かが必要だから手を差し伸べたのではない。

 ただ目の前で、生徒が、子どもが苦しそうにしていたから。

 助けを求めていたから、涙を流していたから。

 そういう理由で、一心不乱に手を伸ばす人だと――知っていた。

 

「サオリ、何度も君達には助けられた、スクワッドの力を借りた、だからもう十分だ、十分すぎる」

「……先生」

「今更こんな事を云う立場ではない事は分かっているよ、けれど漸く、漸く違う生き方を選べたんだ」

 

 彼女達の力を、助力を恃んだ事は一度や二度ではない。そんな心を抱いた上で何をと、そう思うかもしれない。けれど彼女達の生きる道は戦いだけではない筈なのだ。もっとの別の道も、可能性も、必ず存在する。

 だから、今此処で彼女達の未来そのものを危険に晒す事こそを、先生は恐れた。

 

「――どうか君の大切な仲間を、家族を守る為に生きてくれ」

 

 握り締めた指先を震わせ、腹の底から訴える。それは先生の、本心からの言葉なのだろう。サオリは一瞬沈黙を守り、それから自身の背後に立つ家族の気配を感じた。それを噛み締める様に受け入れ、ぽつりと声を漏らす。

 

「私にとってスクワッドは……家族は、先生の云う通り、何よりも大事な存在だ」

 

 それはサオリにとって、生涯不変の感情だろう。幼い頃より共に在り、彼女にとって希望そのものであった存在。そして、サオリにとってそうであるように、ヒヨリやミサキ、アツコにとってもそうであると信じている。

 家族、どんな苦境であっても守りたかった、錠前サオリの唯一(希望)

 

「だがな、先生」

 

 そんな感情を抱くのは自然な事だろう。共に過ごした年月は嘘をつかない、共に過ごした苦境の時は、重苦しい感情と共に互いの繋がりをこれ以上ない程強固に浮き彫りにするのだから。

 けれど、時間だけが絶対的な指標ではないのだ。

 大切だと思う心は。

 その感情は。

 

「同じ位、先生(あなた)も大切なんだ」

 

 顔を上げ、力強い口調でサオリは告げる。

 大切なものは、一つだけじゃない。

 

「せ、先生!」

 

 サオリの背に隠れたヒヨリが、咄嗟に声を上げた。

 

「じ、人生は辛い事ばかりで、絶望的な事ばかり起きて、苦して、どんなに頑張ってもダメな事も多くて――で、でも、だからこそ、そんな世界で生き続ける為にも、本当に大切な事は諦めちゃ駄目なんだって、学んだんです! 楽しい事とか、喜べるような事は、幾つあったって、良いんですから……!」

 

 巨大な背嚢を揺らし、両腕でストラップを握り締めるヒヨリは精一杯叫ぶ。世界は苦しい、辛い、上手く行かない事ばかりだ。彼女はその不幸を憂い、嘆き、きっとこれからも似たような事が続くのだと悲観する。

 だからこそ――そんな辛く苦しく、どうしようもない世界だからこそ。

 本当に大切な事だけは、喜びは、両手一杯に抱え、力いっぱい抱き締めなければ(大切にしなければ)ならないのだと、彼女はそう想っていた。

 

「世界は残酷じゃないとか、きっと明日は希望が持てるだとか、そんな馬鹿みたいに信じられたら、きっと楽なんだろうね――私はそんな風に生きられない、どれだけ時間が進んでも、陽の下に進んでも、きっと」

 

 けれど。

 ミサキは云う、自身の首元に巻き付けられた包帯に指先を這わせながら、口元を覆い隠した黒いマスクをそっとズラし、素顔を晒したまま。

 薄らと、淡い微笑みさえ浮かべて。

 

「信じられるようになりたいって――そんな風に思えたのは、この陽の当たる世界に踏み出してからなんだよ、先生」

 

 それはミサキからすれば、あり得ないと思っていた様な事で。

 痛みと絶望だけが支配していたアリウスに居た頃からは、考えられない様な変化だった。

 その事にミサキは嘲るような、そんな楽観的で馬鹿馬鹿しい自分自身を冷笑するような心地と共に、けれど確かな希望を抱いた。

 大きな、とても大きな変化だった。

 そしてそれを齎してくれたのは、自分の命を此処まで繋いで来てくれたのは、家族(スクワッド)と――先生だ。

 

「うん、辛い事も、大変な事も、沢山あったよ、多分これからも、大変だなって思う事が沢山あるんだと思う、それでも私は絶望なんてしない、私が居て、ヒヨリが居て、ミサキが居て、サッちゃんが居て――先生が居る」

 

 アツコは嘗ての全てを覆うマスクではない、奇妙な、それでいて愉快なスマイルマークの刻印されたマスクを両手の指先で抑え、彼女達の言葉に賛同するように頷いて見せる。彼女にとってその笑顔を象ったマスクは、新たな世界で生きる事を決めた証明。そして家族が共に在る事の象徴でもある。

 自分達の居るこの世界は辛く、苦しく、大変な事ばかりで。

 けれど、生きている限り――笑顔で居たい。

 陽の当たる場所でも、日陰であっても。

 サオリが居て、ミサキが居て、ヒヨリが居て、先生が居るのなら。

 

「きっと大丈夫」

 

 彼女はマスクの奥で笑みを浮かべる。

 きっと、どんな困難でも。

 どんな苦しみでも。

 どんな未来だったとしても。

 

 皆と一緒なら、きっと乗り越えられるから。

 

「そうだよね、サッちゃん?」

「――あぁ」

 

 アツコの問い掛けに、サオリは力強く頷いて見せた。それはスクワッドの総意である。一人では難しくとも、皆が一緒ならば乗り越えられると信じている。

 犯した罪悪も、償いも。

 これまで(過去)も、これから(未来)も。

 だから、どうか。

 

「頼む、先生」

「お、お願いします、先生!」

「先生」

「……ね、先生」

 

 スクワッドの皆が、先生に訴えかける。先頭に立ったサオリは、いつかアツコを救うと決めた時と同じように、家族を救うと決意した煌めきを瞳に宿して告げるのだ。

 

「私達に、先生(貴方)を救わせてくれ」

「――……」

 

 その酷く真剣な瞳に、真摯な想いに、先生は言葉を呑み込んだ。

 返す言葉が、見つからなかった。

 報いなければと、そう思った。これを跳ね退けるのは余りにも心苦しく、同時に凄まじい葛藤を胸中に生み出す。どれだけの想いを秘めているのだろう、どれだけの覚悟を以て、口にしている事か。並大抵のものではない筈だ、感覚を喪っていようとも、心がそれを理解した。

 理解したからこそ、その善意を、何よりも大切で貴いものを、失いたくないと願ってしまう。

 

「――ふん」

 

 対峙するスクワッドを一瞥し、鼻を鳴らしたワカモは彼女達に並び、先生と対峙する。その心意気に、想いに共感した訳ではない。自身にとって一等大事な存在を傷付けた、唯一無二を汚した罪悪は消えない。機会さえあれば、彼女は目前の者共を何ら感慨もなく踏み躙る事が出来る。

 けれどそれは、この御方(先生)の前で行うべき事ではない。優しい御方だ、どんな生きる価値のない存在にさえ、真摯に向き合い手を差し伸べてしまう。その想いを、健気さを、純粋さを見れば、それを目前で無為にしてしまう事の何と罪深い事か。

 無論、それを呑み下す覚悟はある。だが今一時、この一時だけは再び目を瞑ろう。

 彼女は他の生徒に見えない角度で狐面をズラし、その奥に煌めく瞳を先生に向け覗かせた。

 

「元より私の全ては、貴方様の為に」

 

 ワカモの行動原理は変わらない、己のすべては愛する一人の為に。あの日、あの時、シャーレの地下で先生(運命)と出会ったあの瞬間から、ワカモの世界に色が付いたのだ。ならば、どのような状況、世界であろうと、己の進むべき道(いるべき場所)は一つ。

 

「その為に気に喰わない相手と手を組む事になるのは非常に、非常に気に入らない事ではありますが、それでも今は、今この一時だけは、この激情も呑み下しましょう――尤も、邪魔をするのなら全員屠れば済む話」

「……ワカモ」

「例え地獄の底であろうと、このワカモ」

 

 仮面の奥、色褪せる事の無い黄金色の瞳が煌めく。その奥に、絶対的な意思を孕んだ光が宿っていた。

 

永久(とわ)に、貴方様のお傍へと」

 

 躊躇いは無く、戸惑いも無く、存在するのは岩をも穿つ一念のみ。立ち塞がるもの全てを粉砕し、想い人の願いを果たさんとする厄災そのもの。

 ワカモにとってはそれが全て――それだけが全てだった。

 

『――受け入れるべきよ、先生』

「……!」

「リオ様」

 

 未だ沈痛な面持ちで黙り込む先生の耳に、聞き覚えのある声が響く。振り返れば、トキの装着したアビ・エシュフの外部投影装置よりリオの姿がホログラムモニタ越しに映し出されていた。彼女はたった今行われたやり取りを聞いていたのだろう。砂嵐の中、ノイズの走る映像越しに此方を見せるリオはしかし、ハッキリとした口調で断じた。

 

『アトラ・ハシース船内の戦力は未だ不透明、実際に突入するまでどれ程の規模の敵が待ち構えているのかも分からない、AMASとアビ・エシュフがあるとは云え、自由に動かせる戦力が多いに越した事は無いわ、彼女達は貴重な戦力となってくれる筈よ』

「だがリオ、彼女達は――」

『云ったはずよ、先生』

 

 咄嗟に反論を口にしようとして、しかしリオは即座にそれを遮った。冷然とした瞳、或いは敢えてその様に振る舞っているのだろう。彼女からすれば、今目の前に存在する生徒達の戦力は決して無視できない要因となり得る。

 

『私は、ほんの僅かでも生還率を上げられるのなら、あらゆる手を尽くすと』

 

 それが調月リオの判断、感傷は必要ない、詳細不明のアトラ・ハシースに突入するのであれば戦力など幾らあっても困りはしないのだから。先生、延いてはアトラ・ハシース攻略の可能性を僅かでも高められるのであれば、その方法を取る事にリオは何の躊躇いも無い。

 それでも、先生は返答に窮した。

 数人だけならば、自分一人の力で逃す事も可能だった。その秘策を準備を秘密裏に進めて来た、万が一どうしようもない事態に陥ったとしても、リオとトキ、カヤを宙の上から安全に地上へと戻す腹案が存在したのだ。

 だが、これ程の人数となっては、最早自分一人だけでは――。

 

「あぁもう、黙って聞いていれば……!」

 

 先生が沈黙を決め込む中、不意に砂塵を裂き、接近する影があった。

 人影は大股で先生の元へと接近すると、制止する間もなく先生の胸元を指先で突き、至近距離で顔を覗き込み叫んだ。先生の視界に、淡い青の髪が靡く。

 

「一体何をウジウジ悩んでいるのですか、貴方はッ!」

「……あ、アコ?」

 

 それは、ゲヘナ風紀委員会所属、天雨アコ。

 普段と同じ格好に、青みがかった外套を羽織った彼女は、目深く被ったフードを乱雑に払い除け額に青筋を浮かべながら力一杯叫んでいた。

 何故、彼女が此処に。

 そんな疑問を抱くよりも早く、アコの肩を掴んだミカが強引に先生と引き離す。蹈鞴を踏み、「ちょっと、何ですか!?」と悪態を吐くアコに対し、ミカは不機嫌そうな顔を隠さず唇を尖らせ告げた。

 

「この子、途中で偶然合流しちゃってね、ゲヘナだし最初は放っておこうと思ったんだけれど、砂漠で遭難されても寝覚めが悪いし?」

「……生憎ですが、座標情報はきちんと収集した上で向かっていますので、遭難などする余地はありません!」

 

 食って掛かるアコに、あくまで悠然とした態度を取るミカ。互いにお世辞にも友好的とは云えない様子だが、それでも此処まで同行してきたという事実に驚きが勝る。先生は呆然とした様子でアコを凝視し、それから脳内の情報を擦り合わせを行いながら問いかけた。

 

「……アコ、風紀委員会は?」

「チナツとイオリに任せて来ました、何よりこの天雨アコが、ヒナ委員長を目の前で攫われて黙っていられる訳がないでしょう? あぁ、因みにそこの四名(スクワッド)に関しては見て見ぬふりをしますので、そのつもりで! 風紀委員会、並びにヒナ委員長に調印式で行った蛮行に関してはどれだけ文句を重ねても足りません! ですが現在の最優先事項はヒナ委員長の救出――その為に必要な事であれば、怨敵だろうが何だろうが利用してみせますよッ! えぇッ!」

 

 苛立ち(半ギレ)――というよりは、激昂(全ギレ)

 自身の内に秘めた感情やら合流理由やら都合やら、一息に捲し立てた彼女は全身か怒りとも戦意とも取れる気配を滲ませ地団駄を踏む。

 アコに指差され、過去を糾弾されたサオリは帽子のつばを下げ、「当然だな」と静かに言葉を漏らした。それが自分の背負うべき罪悪である事を、サオリはこれ以上ない程に自覚している。今更反駁する気など殊更無く、そしてその様な態度を取るからこそ、アコもまた積極的に敵対する態度を見せず、一時共に並ぶ事を呑み下していた。

 何より今は、彼女自身が云う通りヒナの安全が最優先事項。

 彼女がどうにかされるとは思っていない、しかし相手が得体のしれない存在である事も事実。ならば使えるものは何でも使う、それが万魔殿だろうがアリウスだろうが、彼女にはそんな強かさがあった。

 

「既に話は聞きました、敵の拠点が宙の向こう側にある事、ヒナ委員長を誘拐した犯人がそこに陣取っている可能性が高い事、ならば迷う必要は欠片もありません! ヒナ委員長を攫ったあの怪物を徹底的に叩きのめして、一刻も早く委員長を救出します!」

 

 瞳孔を開き、ミカ相手に全く怯む様子を見せず、先生に対し身を乗り出しながら叫ぶ彼女からは凄まじい気迫が放たれていた。それに気圧され、思わず仰け反る先生は目を瞬かせる。

 

「勿論、先生にも手伝って貰いますからね!? 拒否権はありませんので、そのつもりで!」

「……アコ、ヒナに関しては私が責任を持って助け出す、だからアコは地上であの子の帰りを――」

「だからッ! それでは、この天雨アコが、納得できないと、そう云っているんですよッ!」

 

 先生が尚も云い募ろうとすれば、普段の三倍は強い口調で、それでいて狂乱状態とでも表現出来る勢いで彼女は指を突き出し、先生に突き付けた。青筋を浮かべ、両目を見開き、それでいて決して意志を曲げはしないと全身で表現する彼女は砂塵の中であっても力いっぱい宣言する。

 

「ヒナ委員長も助け出し、ついでにっ、そう、ついでにッ! あくまでついでにですよ!? 先生、貴方も助けて差し上げます! 双方にとって何の損もない取引でしょう!? 私の作戦参加は既に決定事項です! 良いですか? 良いですねッ!?」

「―――」

 

 ■

 

【――ヒナ委員長】

【大丈夫です、私は知っていますから】

【貴女はこんな場所で終わる人ではありません、どんな絶望的な状況であったとしても、どんな苦境に陥ろうとも、決して折れる事無く立ち上がれる方だと】

【世界の誰かが、全てが委員長を否定しようと】

【或いは委員長自身が自分を信じられなくなったとしても】

【それでも、委員長】

【この天雨アコは――私だけは、ヒナ委員長(空崎ヒナ)を信じています】

 

 ■

 

「以上、お話は終わりですッ! さぁ先生、敵の拠点に攻め込む為の宇宙戦艦だか何だか知りませんが、その場所まで案内して頂きますよっ! ほら早く、一分一秒も無駄に出来ないんですからッ!」

「………」

 

 目前で、怒り心頭と云わんばかりに捲し立てるアコ。その姿に先生は一瞬、『誰か』の姿を重ねた。それは記憶、或いは記録だろうか。けれど先生の持つソレではない、先生が体験して来た世界ではない。

 少なくともそれは、シャーレの先生の記憶ではない。

 だと云うのに一瞬、その姿は先生の脳裏に焼き付いた。アトラ・ハシースが出現し、サンクトゥムが打ち立てられた影響だろうか。或いは守護者の誰かを通じて、流入した感情の欠片なのか。それとも、宙に待つ色彩の嚮導者によるものか。

 答えを導き出す事は出来なかった、けれどそこに込められた、深く強い想いだけは痛い程に感じられた。それこそ幾ら跳ね退けようと、否定しようと、幾らでも、何度でも食い下がってみせるという気概と勇気。

 文字通り、石に齧りついてでも彼女は諦める事をしない。

 

「参ったな」

 

 思わず、口をついた言葉。

 それに懇々と何事かを語っていたアコの口が止まった。先生が俯いていた顔を上げ、その口元を薄らと緩める。それから、「分かった」と呟いた。その言葉を耳にしたアコやミカ、スクワッドの面々は驚いた様に目を瞬かせ。

 一瞬、ほんの一瞬だけ、砂塵の風が止んだように思えた。

 

「――頼むよ、皆」

 

 ■

 

「……本当にこんな短時間で、オペレーターマニュアルを記憶したのね」

 

 ウトナピシュティムの本船、オペレーションルーム。

 合流した生徒達を連れ、再び船内へと戻って来た一同は、特に適性の高い生徒をオペレーターとして選出し、作成したマニュアルのデータの読み込みと実践を行っていた。リオは端末を片手に複数のホログラムモニタを睨みつけるアコに対し感心した様子で声を掛ける。

 

「一般的な生徒を基準とした予測時間よりも随分と早いわ」

「当然です、風紀委員会の行政官として、この程度のマニュアルを記憶する事なんて造作もありません」

 

 時折マニュアルをスクロールしながら、アコは真剣な面持ちでコンソールを叩く。流石に十全とは云い難いが、それでも驚異的な学習能力と応用力である事に変わりはない。万魔殿に敵視され、有形無形の嫌がらせを行いながらゲヘナの風紀を堅守する、風紀委員会の行政官、ヒナの右腕たる彼女のスペックは相当に高いのだ。

 リオのAMASに負けず劣らず、どころか複数のオペレーター業務を兼任しても尚問題ないと思えるレベルの処理能力。航路の微調整、座標演算、操舵全般、船体全体の状況把握はリオの担当であるが、アコは地上間通信の維持と交信、搭載されたセンサー情報の分析と表示、航行経路上の障害物探知、動力炉監視パネルや損害制御システムなど、手渡されたマニュアルから自身の可能な役割を正確に読み取りモノにしていた。

 そんな彼女の背後にはケープを脱ぎ、普段通りの恰好となったミカやワカモの姿がある。リオがそちらに視線を向けると、へらりと笑みを浮かべたミカは緩く手を振って見せる。

 

「あ、因みに私達は純粋な戦力としてカウントしてね? オペレーターも、まぁやったら出来なくはないと思うけれど、正直そういうのってあんまり得意じゃないし、代わり大抵の相手なら一発で沈めちゃうから!」

「私も、船や装甲車の操縦程度であれば問題なく、しかしこれほどの規模となると聊か不安が残りますので――」

 

 ミカの場合はそもそも自分で何かを操縦するような機会など無く、ワカモの場合は一般的な操縦を知るが故の発言である。

 得手でない事に首を突っ込み、全体の足を引っ張る事は避けなければならない。それが絶対に失敗出来ない作戦ならば、尚の事。

 

「……うん、何となく、大まかにだけれど理解は出来たと思う」

 

 同時に、アコとは反対側のコンソールを操作していたミサキは、ぎこちないながらもホログラムモニタをスライドさせ、頷いて見せる。

 アリウス・スクワッドもまた、一般的な車両程度であれば運転や操作も可能であったが、残念ながら船のオペレーターなど経験がない。それでも誰かがやらなければならないのならと、ミサキは渡されたマニュアルの中で防御管制の役割に手を挙げた。

 モニタに表示されるのは船全体の立体図と、現在の電磁防壁状況。古代兵器であるウトナピシュティムの本船には、本船稼働中に限り電磁防壁が展開される。アトラ・ハシースの次元防壁と比較すれば余りにも心許なく、通常兵器でも突破可能な出力ではあるが、それでも強固な守りである事に変わりはない。

 彼女の役割はその出力分配、及び攻撃を受けた場合は被弾箇所への適切なアプローチ、即ち緊急時隔離措置などによるダメージコントロールである。

 

「ほ、本当ですか!?」

「凄いね、ミサキ」

「あぁ、流石だ」

「……別に、リーダー達だってやろうと思えば出来るでしょ、これくらいで大袈裟」

 

 横合いから画面を覗き込み、純真な笑みと共に賞賛を送る仲間達を前にして、ミサキは思わず羞恥を隠す様にして呟く。ミサキからすれば、優秀なAMASが現在の被害状況、相手の攻撃方法を分析し、最も効率的な出力分配を提案してくれる上、隔壁封鎖など半自動である。自身がする事など隔壁封鎖の最終承認、及び被害状況などに間違いが無いかの精査、追加で必要な措置があればリオに提案する、それ位の事だ。

 しかし隣に佇むサオリは腕を組んだまま訳知り顔で何度も頷き、ミサキの肩を誇らし気に叩いて見せた。

 

「いいや、こういった事はミサキが適任だろう、ミサキは常に冷静で、物覚えが良い、加えて周りを良く見ているからな」

「そうですね、ミサキさんなら安心です……!」

「専用の衣装とかあったら、きっともっと映えると思う――ミサキ、興味ある?」

「……冗談」

「はぁ、全く、手柄を独占するつもりだったのですが、随分と大所帯になって――」

 

 状況に似合わず、和気藹々とコンソールを囲むスクワッドを前にしてカヤは思わず悪態を吐く。少数精鋭、何なら先生と己だけで手柄を独占した方がその名声はキヴォトス全土を覆う程に轟くと考えていたが、どうやらそう上手くはいかないらしい。気が付けばウトナピシュティムの本船には少なくない生徒が詰めかけ、静謐なオペレーションルームにも声が溢れるようになった。

 

 先生もまた、そんな彼女達の背中を見守りながら唇を一文字に結ぶ。

 本当は全て、ひとりで片付けるつもりであった。しかし現在、ウトナピシュティムには想定してたよりもずっと多くの生徒が搭乗している。

 調月リオ、飛鳥馬トキ、不知火カヤ、狐坂ワカモ、聖園ミカ、天雨アコ、錠前サオリ、戒野ミサキ、槌永ヒヨリ、秤アツコ。

 所属も、信念も、何もかもが異なる生徒達。

 本来ならば交わらない道を歩んだかもしれない彼女達、そんな皆が再びこの地上の土を踏み締める事が出来るか否か、それは全て――己の手に委ねられた。

 

 成し遂げられるのか、そんな疑念が胸に湧き上がった。

 しかし、即座に先生は胸中で返答する。

 いいや、成し遂げるのだ、と。

 是を非としても。

 

 必ず勝つ、勝って見せる。

 この子達の、未来の為に。

 

「――時間だ」

 

 先生の抱えたタブレット、シッテムの箱より電子音が鳴った。作戦開始時刻直前を知らせるアラームである。途端、周囲に響いていた生徒達の声は形を潜め、全員が先生へと視線を向けた。

 オペレーションルームにて、静かに天を仰いだ先生はあらゆる感情を抑え込み、耳元に装着したインカムに指先を添える。

 

「此方ウトナピシュティムの本船、作戦担当はシャーレの先生、リンちゃん聞こえる?」

『――誰がリンちゃんですか』

 

 先生が通信を繋げた瞬間、耳元から普段通り、いや少しだけ強張った声が聞こえた。連邦生徒会、代行の七神リン。攻略作戦を進行するにあたり中心となる彼女は先生の通信に即座に応答し、それから咳払いを挟んだ。

 

『んんッ! 此方コントロール(作戦本部)、通信状態良好、問題ありません』

「良かった、作戦開始時刻一分前、これよりウトナピシュティムの本船を起動してアトラ・ハシース攻略作戦を開始する、同時攻撃の為にサンクトゥム攻略部隊に合図をお願い」

『確認しました』

 

 事前に決めていた段取り通り、これより各地に分散したサンクトゥムに対し各攻略部隊は攻撃を仕掛ける。そして自分達、アトラ・ハシース突入部隊もまたウトナピシュティムの本船を起動し、突貫する事になる。

 一世一代の大勝負、正しくキヴォトス全土の命運を賭けた戦い――否が応でも身体が強張り、神経が研ぎ澄まされる。

 

『先生』

「何だい?」

 

 耳元から、リンの声が響いた。彼女は何かを云い淀み、僅かな沈黙を経た後、様々な感情を押し殺した声で告げた。

 

『……ご武運を』

「――うん」

 

 答え、先生はインカムの通信を切る。

 多くは語らず、肝要なのは内に秘める事。

 先生は指先を伸ばし、自身の首元にそっと這わせる。衣服で隠れた首元、其処には誰にも見られない様に、目に付かない様に、薄らと皮膚に浮かび上がる赤いリング状のラインがあった。

 打ち込み、内部に潜り込んだナノマシンが、ぐるりと先生の首を覆っている証明。

 

 SDC(Self Determination Cell)――それはいつか、ミカの前で己の身体に打ち込んだ自決用のナノマシン。

 

 先生からすれば、単なる願掛け。

 しかし万が一にでも、自身が利用されるような事があれば――躊躇せず、己はこの肉体を崩壊前に消滅させるだろう。

 その覚悟がなければ、色彩の嚮導者の前に立つ事は出来ない。何せ、その末路が色彩の嚮導者そのものなのだから。

 同じ轍を踏む事は、決して許されなかった。

 ゆっくりと首元を撫でつけ、先生は大きく息を吸い込む。

 

「始めよう」

 

 先生がそう告げると同時、リオが頷き、カヤ、ミサキ、アコと続きコンソールを操作し始める。薄暗かったオペレーションルームが一斉に光に溢れ、投影されるホログラムモニタが一帯を埋め尽くす。空間そのものに響くような駆動音、古代兵器が唸りを上げ振動が肌を打つ。正面の巨大なビュースクリーンに外の映像が表示され、外側から見れば黒い船体部分に白いラインが浮かび上がるのが分かった筈だ。

 先生はオペレーションルーム中央に佇んだまま、正面を見据え言葉を続ける。

 

「ウトナピシュティムの本船」

 

 格納された地下空間全体を揺らす振動、船体の頭上に巨大なヘイローとも取れる円環が出現し、ウトナピシュティムの本船が僅かずつ浮上する。地上に通じる都合の良い開閉ハッチなどは存在しない、電磁防壁にモノを云わせ地上の岩盤、砂塵を諸共粉砕し外へと飛び出す事になるだろう。

 その瞬間に備え、コンソールに手を添えたまま、先生は周囲の生徒達に目を向ける。その瞳を見返し、皆が力強く頷いて見せた。

 覚悟は決まっている。

 もう、後戻りは出来ない。

 これから始めるのだ。

 

 私達の、最後の戦いを。

 

 先生の突き出した指先が行く先を示し、その乾いた唇が、最後の号令を発した。

 

「――発進」

 


 

 次話から各サンクトゥムでの守護者と邂逅ですの!

 そこからウトナピシュティムの本船によるアトラ・ハシース突入フェーズ、ナラム・シン侵入と各守護者との総力戦、それから反転ヒナとの決戦、それを終えてプレナパテス大決戦の流れになりますわ~!

 

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