ブルーアーカイブを、もう一度。   作:トクサン

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誤字脱字報告に感謝ですわ~!
今回約一万八千字ですの!


ありのままの私(全てを脱ぎ去って)偽りの私(仮面を重ねて)

 

【■■■■■の記憶】

 

 何者にもなれるからこそ、何者にもならないことを選んだ筈だった。

 けれど世界は、そう在る事を許さなかったらしい。

 この、人ひとり分が収まる小さな席に腰掛ける度、その事を強く実感する。

 

「――これより評議を執り行います、まずは出欠の確認を」

 

 トリニティ自治区、中央議事堂。

 嘗て議会が存在し、大多数の生徒で以て運営されていた荘厳な議場は、今や僅かな生徒のみがその席に座り、巨大な四角形のテーブルを寂しく囲み合っていた。

 豪華絢爛な内装も、その権威を示為の煌めく校章、並べられた数多の座席さえ、今やその輝きは随分と失せてしまった様に思う。

 頭上に掲げられたトリニティ校章、その真下である中央最奥に座し、一切の感情を排した声色で評議開始の宣言を行った生徒は、そのまま議事堂に集った生徒達を緩慢な動作で一瞥し、徐に右手を掲げた。

 

「ティーパーティー所属、フィリウス分派首長、此処に」

「同じく、パテル分派首長、評議参加を表明する」

「一名――サンクトゥス分派の首長は都合により欠席する事を報告します」

 

 開始を宣言した生徒自身、そしてその隣に座った小柄な生徒。ティーパーティーのみが纏う事を許される制服、その純白()を身に纏った両名は、慎ましやかに挙手を行い出席を表明する。

 小柄な生徒の傍には使い古され、所々傷の目立つ愛銃が用心深く立てかけており、その視線は油断なく常に周囲を伺っていた。

 同時にサンクトゥス分派首長の欠席も伝えられたが、議事堂に戸惑いや疑問の声は上がらない。サンクトゥスの欠席は、常の事であったが故に。

 

「正義実現委員会、委員長、此処に」

「ふ、副委員長、同じく此処に」

 

 ティーパーティー傘下、正義実現委員会の委員長、及び副委員長が続けて挙手を行う。比較的ティーパーティーと近い位置に座した二名は、片方は冷然とした態度で、もう片方は何処か緊張した面持ちを隠せず声を上げた。

 委員長とお揃いの特徴的な黒い制服、小さな黒い翼を持った副委員長は、どこか居心地が悪そうに何度か椅子へと座り直す素振りを見せ、頭部に生えた小さな翼で時折目元を覆う。

 正直に言って、彼女はこの場の空気が苦手であった。張り詰めていて、味方である筈なのに何処か刺々しい。否、実際そんな事は無い筈なのだ、しかしそう感じてしまう理由が確かにあった。

 

「シスターフッド代表、此処に」

「救護騎士団団長、此処に」

「トリニティ自警団代表、此処に」

 

 ティーパーティーと対面する様に、テーブルを二つ挟んだ先。

 トリニティに於いて相応の勢力を持つ組織の代表、一つずつ間隔を空けて座った三名は、同じように淡々と挙手を行う。

 シスターフッド代表はウィンプルを垂らし敬虔な信徒を思わせる静粛さで、救護騎士団もまた同様の温厚さと柔らかな気配を以て。ひとり灰色の制服を身に纏う自警団代表は、真剣な面持ちで背筋を正し、議事堂に集う生徒達――特にティーパーティーの両名を見つめている。

 

 用意された巨大な議事堂、揃えられた椅子の数、それに反し集った人員は余りにも少ない。

 しかし、これで場は揃ったとばかりに彼女達の出席表明を確認したフィリウス分派首長は、一つ頷きを零し静かに立ち上がると、肩に纏ったケープをを指先で払い、その黄金の長髪を靡かせ開会を宣言した。

 

「――確認しました、以上七名により評議を執り行う事を、ティーパーティー現ホスト、フィリウス分派首長、【阿慈谷ヒフミ】の名で宣言します」

 

 議事堂に超然とした声が響き渡り、フィリウス分派首長、そして現ティーパーティーホストであるヒフミの声が全員の耳に届いた。

 各々が椅子に背を預け、或いは姿勢を正し、閉じていた目を開き、議事堂の中で様々な感情と思惑が交錯する。

 

 フィリウス分派首長 阿慈谷ヒフミ

 パテル分派首長 白洲アズサ

 正義実現委員会・委員長 仲正イチカ

 正義実現委員会・副委員長 下江コハル

 シスターフッド代表 浦和ハナコ

 救護騎士団・団長 鷲見セリナ

 トリニティ自警団代表 守月スズミ

 

 以上、出席者七名。

 ヒフミは椅子へと再び腰を下ろし、手元の名簿に視線を落としながら紙面をなぞる。常の評議会と同じ顔触れである、招集した上での欠席はサンクトゥス分派首長のみ。尤もそれは想定の範囲内、感慨は何も無かった。

 

「……いつ見ても変な感じっすね、非公認の部活がこの席に居るっていうのは」

 

 正義実現委員会の委員長として出席していたイチカは、ふと斜め前に座る自警団代表、スズミを一瞥しながら所感を零した。

 そこにはこれと云った意図はなく、単純な違和から漏れた言葉だった。

 元々彼女達自警団は公認の部活動でもなければ、公に認められる事を求めていた訳でもない。寧ろそういった束縛や制限を、煩わしいと感じていた集団だった。明確な所属と縛りを持たないからこそ、自由な立場から状況に依らぬ正しさを追求出来る。その様に考え、活動する者が少なくなかったからだろう。

 イチカの言葉に微かに眉を顰めたスズミは、緩く首を振って答えて見せた。

 

「非公認だろうと何だろうと、一定以上の戦力を有する組織ならば出席は必須、そうでなければ今のトリニティは成り立ちません、違いますか?」

「……まぁ、それはそうっすね」

 

 確かにこういった場に非公認の部活動、それも確固たる権限を持った本当の意味での代表者(トップ)ではない者が出席する事は異例とも云える。しかし、現在はそうも云っていられない状況にあった。イチカ自身もそれを理解しているからこそ、スズミの冷静な言葉に肯定を返す他ない。

 ふと、救護騎士団団長であるセリナが恐る恐る挙手を行い、自警団代表として出席するスズミを見つめながら発言した。

 

「えっと、これを機に自警団の皆さんを正式に部活動として認可するというのはどうでしょうか? そうすれば手続きの都合上も何かと話が通し易くなりますし、救護騎士団としては、必要とあれば推挙を行う準備もありますが……」

「いえ、それには及びません――自警団はあくまで自由意思を持った個人が集まった上で行われる活動だと思っています、どんな形であれ、私はそれを強制したくはないのです」

「……そう、ですか」

 

 ご厚意は有難くと、セリナの言葉に首を振るスズミ。セリナはそれ以上踏み込むことなく、そっと身を引いた。

 現在でも自警団は半ば公認の扱いを受けている、それは周知の事実であった。今更上の認可があろうとなかろうと、やるべき事は変わらない。しかし、彼女達にとっては公認か、非公認か、そこに大きな意味がある様だった。最低限の自由を担保する為にも、自警団にとっては譲れない一線なのだろう。

 

「雑談は結構、時間は有限です」

「――!」

 

 コン、と。

 テーブルを指先で叩く音がした。

 皆が視線を向ければ、シスターフッド代表であるハナコがウィンプルを揺らし、気怠そうな気配と共に告げた。

 彼女特注のそれは通常のウィンプルとは異なり、宛らブラックヴェールの様に透明で、目元までをすっぽりと覆ってしまっている。薄らと透けた薄布の向こう側に、光を失った瞳が覗いていた。

 それらが周囲の生徒達を順に睥睨し、所在なさげに用意された資料を指先で擦る。

 

「各々多忙の身でしょう――そろそろ本題を、ヒフミちゃん」

 

 彼女の言葉には棘があった、或いは威圧感と云い換えても良い。口にされたその呼び名こそかつてと同じであったが、響は余りにも冷たく、無機質であった。

 

「えぇ、ハナコさん」

「………」

 

 ヒフミが頷き、手元の資料を引き寄せる。

 嘗て補習授業部として共に屈託なく笑い合った日々、その二人が呼び合う余りにも色のない響きに、隣り合ったアズサは沈痛な面持ちで唇を噛む。たとえそれが対外的な仮面であると理解していても、アズサにはどうにも耐え難い現実であった。

 

「今回の議題はいつも通り、現トリニティの防衛状況、及び各委員会の現状共有となります」

 

 事前に用意された資料に目を落としながら、全員がヒフミの声に耳を傾ける。現在多くの自治区と交戦状態にあるトリニティ自治区、その土地の広さも相まって戦況の把握は常に必要となる。

 この様な場は既に何度も設けられていた。今の彼女達からすれば、実に聞き慣れたやり取りであった。

 

「防衛状況ついては、まず正義実現委員会の方から報告を」

「そうですね、お願いします、イチカ委員長」

 

 ヒフミがイチカへと水を向け、隣り合うセリナが頷きを返せば、皆の視線を一身に受けたイチカはどこか居心地が悪そうに頬を搔きながら緩慢な動作で立ち上がった。

 

「あー、基本的に戦線は依然変わりなく膠着状態っすね、他所の自治区も一枚岩とは云えないんで、こっちとばかりドンパチしている訳でもないっすから、変化自体はあんまり……強いて云うなら、一番多く突撃してくるのはゲヘナ、次いでミレニアムから来る例の機械群、レッドウィンターや百鬼夜行の連中もチラホラって感じっす」

 

 目元に拵えた隈をそのままに手元の資料を広げるイチカは紙面の文字をなぞりながら、ここ最近変わる事の無い報告を読み上げる。その口調には、隠しきれない疲労感が滲み出ていた。

 トリニティの現状もそうであるが、どこの自治区も苦しい事に変わりはない。複数の敵を抱えているのはトリニティのみならず、現在のキヴォトスは何処もかしこも似たような状況にあった。

 隣り合うスズミが挙手し、イチカの報告に言葉を付け加える。

 

「それに付随して自治区内の治安についてですが、現在ある程度落ち着いて来ている事が確認されています、一時は派閥間の対立や武力衝突が散見されましたが、外部との戦闘激化に比例して減少傾向にある様です、一応自警団の方でも見回りや声掛けをこれまで通り行っていますが、この調子なら一部の人員を外部戦力に充てられるかと」

「本当ですか? それは――大変素晴らしい報告です」

「えぇ、正義実現委員会としては、どこもカツカツで人手が足りていないっすから、有難い話っすよ、ホント」

 

 正直、正義実現委員会全体で、そろそろ纏まった休みが欲しい所っす。

 零された呟きには、切実な思いが籠っていた。

 

 告げられた自治区内治安、それはヒフミをして頭痛の種の一つであった。それが改善傾向にあるという報告に、ヒフミの表情が分かり易く綻ぶ。

 自警団の手が空けば、治安維持に回していた兵力を各地の戦線に向かわせる事も叶うだろう。捕らぬ狸の皮算用ではあるが、希望を持てる事自体が素晴らしい。上手く事が運べば、現在酷使されている正義実現委員会の面々に多少の休養期間が設けられる可能性さえあった。

 

「えっと、救護騎士団からの報告です、此方はあまり良い報告ではないのですけれど……」

 

 しかし変わらぬ報告、良い報告もあれば、当然悪い報告も存在する。

 恐る恐る、遠慮がちに挙げられた掌、救護騎士団のセリナは申し訳なさそうな表情を浮かべ、それから力なく紙面を掌で覆った。

 

「以前よりお伝えしていた通り、現在本部を含めた救護騎士団全体での物資不足が懸念されています、もう暫くは何とか通常通りの処置を続けられる見通しですが、現在の状況が続けば器具の代替、薬品の代用、滅菌処理による再利用、薬剤の分割の必要性が生まれてしまいます」

「っ……そうか、遂にそこまで」

「はい、ただですら戦闘が長引いていますから、薬品や医療品がどうしても足りなくなってしまって、抗生物質やワクチン、麻酔薬に鎮痛薬、輸血用製剤、必要なものは多く、しかし殆どはトリニティ自治区単独で賄う事が出来ません、それに身体的にも勿論、その、心の方に問題を抱えてしまう生徒も多く――」

「それも仕方ない事でしょう、こうも泥沼化してしまっては……」

 

 救護騎士団、セリナが訴える現状の報告にアズサとスズミは険しい表情で黙り込む。

 補給の無い苦しさは、アリウスで生まれ育ったアズサが一番良く理解していた。

 満足な補給が受けられなければ、当然ながら戦線維持はできない。身体の前に、心がまず挫ける。万全な補給は大前提、それさえ疎かになってしまった時、最早トリニティの地盤は脆くも崩れ去るだろう。

 

 自治区内でどうにか工面するにも限度があった、特定の化学原料や技術に依存するものは、そもそも外部からの輸入に頼るほかない。自治区内で全品目を製造する事自体非効率的であり、コストが非常に高くなる事は分かり切っている。

 終わりの見えない戦況の中でそれらの代替手段、その開拓は必須であった。

 

「え、えっと、私から、じゃない――正義実現委員会からも、備蓄に関して少し報告があります」

 

 皆が突きつけられた現実に頭を悩ませる中、身を竦ませたコハルが挙手し、手元の資料を忙しなく確認しながらたどたどしく言葉を紡ぐ。

 

「その、救護騎士団の医療品もそうだと思うけれど、学園全体で弾薬とか、装備品の備蓄もちょっと不足気味で、そっちも何か手を打たないと拙いかも……」

「そうか、確か補給管理はそっちの担当だったな、コハル」

「う、うん、部活動総括本部の方と連携して、正義実現委員会とティーパーティー主要三分派の補給に関しては、半年前に統合されたから、一応最近は私も担当してる」

「……それで、現在の備蓄で後どれくらい戦えるんだ?」

 

 アズサの問い掛けに、コハルは何枚もの資料をテーブルの上に並べ、順に目を通した。それは此処数ヶ月の物資状況とその消耗具合を示したリストである、彼女は指先で上から数字をなぞり、予め算出していた猶予時間を指差す。紙面には何度も赤線で訂正された痕跡があり、彼女の苦心と苦悩が目に見える形で残されていた。

 

「えぇと、前だったら余裕で数年戦えるって断言出来たのだけれど、い、今の調子で戦い続けると――正直、一年か、もう少し短いかも」

「……あと一年、ですか」

「う、うん、戦線が膠着状態って云っても散発的な撃ち合いはあるし、相手が攻勢を仕掛けてきたら、押し返す為にこっちも備蓄を吐き出さないといけない、特にミレニアムから入り込んで来る自律兵器は途絶える様子が無いし、そっちの戦線は弾薬とか装備の消費がかなり激しくて、最初に予定されていた分よりずっと備蓄の減りが早いの……」

 

 手にした資料で口元を覆い、周囲を恐る恐る伺いながら力なく呟くコハル。その報告に、議事堂全体が静寂に包まれる。

 一年、それが現トリニティ自治区が交戦を続けられる限界点だと、補給を任せられたコハルは告げた。

 それは皆が薄々感じていた事実でもあった。

 この状況がいつまでも続けられる訳ではない、如何にキヴォトスに於いて強大な力と自治区を擁していても、必ず限界は存在する。それを察知しておきながら、有効な手立てを模索できずにいた結果が評議会の背景に存在した。

 

 七名全員、目に見えない明日を憂い口を噤む中、不意にアズサがポツリと呟きを漏らした。それは過去を懐かしむ様な、それでいてこんな状況に於いて、唯一打開策を編み出してくれそうな人物に対する惜別の念だった。

 

「先生が目を覚まさなくなってから、もう、どれくらい……」

「――アズサさん」

 

 横合いから聞こえた声に対し、即座に咎めるような声をヒフミは発した。

 議事堂の中に響く、彼女らしからぬ棘のある声。

 びくりと震えたアズサの肩、彼女が隣を見れば、色のない瞳で手元を注視するヒフミの姿が見えた。昏く粘つくような気配と、胸が締め付けられるような圧迫感に、アズサは咄嗟に謝罪を口にする。

 

「っ――すまない、ヒフミ」

「いえ……こんなやり取りはもう何度もしたと理解していますが、そうですね」

 

 形式的であったとしても、確認は必要かもしれません。

 小さく溜息を吐き、額を指先で解しながら告げるヒフミ。その報告は、確かにまだ済ませていなかった。

 彼女は暫し気を落ち着ける様に深呼吸を繰り返すと、それからセリナに視線を向けた。

 

「セリナ団長、改めて聞かせて下さい、先生の容態は――」

「……容態は、以前と変わりません」

 

 ヒフミの問い掛けに、セリナは努めて感情を押し殺しながら答えた。目を伏せ、一切の色を表に出す事無く、淡々と、セリナは両手の指を組みながら続ける。

 

「生きてはいます、ただこれまでお伝えした通り、これは延命治療に過ぎず、根治は現在の医療技術では不可能です、例え目を覚ましたとしても――いえ、今後目を覚ますかどうかさえ、分からないんです」

「……そうですか」

 

 その返答は、この場に居る誰もが予測出来ていた事だった。

 もし彼が目覚めたのであれば、その知らせは各派閥の代表者たる七名に即座に共有されるだろう。その報告が齎されていない時点で、先生が目覚めたと云う事実は何処にも存在しない。

 もうずっと、変わりない。

 彼は目覚めず、眠り続けている。

 

「延命治療は、継続して下さい」

 

 ヒフミは、もう何度この言葉を口にしたかも憶えていない。

 だが、そうする他にないのもまた事実であった。

 

「どんな手段を使ってでも、どんな困難であろうとも、それは諦める理由にはなりません」

 

 ヒフミは両手を握り締め、胸中に湧き上がる様々な感情を呑み下し、噛み殺し、断固とした口調で以て宣言する。

 

「――私達はこの場所(トリニティ)で、戦い続けるんです」

 

 

 例えその先に、希望が見えずとも。

 自分達の意識が続く、その最後の瞬間まで。

 

 

「……時間ですね」

 

 一人、評議の内容に耳を傾けながら、寂れた懐中時計を手にしていたハナコは時計の針が指し示した時刻を一瞥し、勢い良く蓋を閉じる。金属音が周囲に響き、続けて音を立てて後退する椅子、皆が立ち上がった彼女を見上げ、ハナコは手元の資料を手早く纏めながら言葉を紡いだ。

 

「トリニティ全体としての現状は凡そ把握しました、シスターフッドはこれまで通り、独自の行動を取らせて頂きます」

「ハナコちゃ――さん」

 

 咄嗟に口をついた、彼女の名前。

 ヒフミの表情に覗く、心配の色。先程まで超然とした態度で振る舞っていた彼女が見せた人間味、それは確かにハナコの身を案じるものであった。

 しかし、立ち上がったハナコが鋭い目つきで以てヒフミを一瞥すれば、彼女は咄嗟に表情を改め口を噤む。まるで今、その仮面を取るなと云わんばかりに威圧的な視線であった。

 両者の間で目に見えぬ、確かな意思疎通を経て、ハナコは沈黙を破り喉を震わせる。

 

「ご心配なさらず、大規模な戦闘が勃発した場合は大聖堂に詰めている部隊が対応致しますので、私が不在の場合は代理指揮権をマリーさん――シスター・マリーに委任しております」

「……また裏工作か、ハナコ」

 

 どこか突き放す様な、それでいて無感情な振る舞いを徹底するハナコに対し、アズサは苦り切った表情で苦言を呈する。しかしハナコはアズサの表情を一瞥するのみに留め、当然の様に頷きを返した。

 

「えぇ、各学園のパワーバランス、そして戦力を削ぐ為にも必要な事です、上手く行けばもう少しばかり、前線の負担も減らせるでしょう、弾薬も医療品も、無いのならば他所から奪うまで――目途は既に付いています」

「で、でも、何もハナコが自分から動かなくても……」

「二人共」

 

 思わずと云った風にコハルが口を挟めば、ハナコは指先でテールブルを強かに突いた。

 コン、という硬質的な音が議事堂に響く。意識の間隙を突くには、その一音で十分であった。口を噤んだ両名、アズサとコハルに、ハナコは色の消えた瞳を向け懇々と告げる。

 

「分かっている筈です、最早手段を選んでいられる状況ではないと、その段階は疾うの昔に過ぎ去ったのです、優しさを見せれば、今度は私達の学園が蹂躙されるかもしれない、これは守る為にも必要な措置でしょう」

「……それは、そうかもしれないが」

「元よりこの手の裏工作は前ユスティナ聖徒会の流れを汲むシスターフッドの役割、血なまぐさい歴史の一つや二つ、最早被った所でどうなる訳でもありません、先程も云いましたが、心配は不要です」

 

 ――トリニティの暗部は、私が引き受けます。

 

 淀みなく、そして躊躇いなく。

 ハナコは一切の反駁を許さない語調で、そのまま裾を翻し議事堂を後にする。真っ直ぐ去り行く彼女の背中を、議事堂に集った六名が異なる感情と共に見送っていた。

 

「では、失礼します」

 

 議事堂の巨大な扉、両開きの扉のそれを開き潜る直前、常と同じ抑揚のない声色で一礼しその場を辞すハナコ。

 そして後ろ手に扉を締め切るや否や、一拍、その冷たい表面に手を這わせ、寄り掛り、身を預けながら重々しい吐息を零した。

 扉一枚を隔てた向こうに、嘗て共に笑い合った友人達が居る。その事実を噛み締めながら、ハナコはゆっくりと目を閉じる。

 

「――……そう、これは必要な事なのですから」

 

 自分に云い聞かせる様に、ハナコはあらゆる感情を押し殺し、呟いた。

 この評議会もそうだ、必要だから場を設けているに過ぎない。元より評議の内容で目新しい事は無く、どれも情報部を用いれば簡単に分かる事をなぞっているだけ。

 しかし、こうして各組織のトップが集い定期的に話し合いの場を設ける事は、内外に於いて良いアピールになった。学園の上層部が一致団結し、協力している姿勢を見せる事は、各分派の結束をより促す形となるだろう。

 

 だが同時に、互いのトップが近すぎる事は要らぬ詮索を生む。

 そもそもからして異なる信念、心情、思想、思考の持ち主、分派が分かれている事には相応の理由がある。ましてや現在のトップは、それぞれハナコが裏から手を回した結果とも云える。大多数が納得していても、必ず目に見えない火種は燻っている。

 外部が敵に塗れた現状に於いて、内部に新たな対立を生む事程間抜けな事は無い。重要なのは近すぎず、遠すぎず、適切な距離と仮面()を使い分ける事。

 

 故に現状の接し方として、これで良い――これがベストだ。

 

 ハナコは僅かな間扉に額を預け、大きく息を吸い込み腹に力を籠めると、踵を返して大聖堂へと戻る道を歩き始める。それは自身に纏わりつこうとする、感慨に沈みたくなる欲求を振り払うような所作であった。

 

 トリニティの回廊は何処も長く、煌びやかである。薄らと青を覆う雲が陽光を遮って影を作り、長い回廊を行くハナコの表情に陰を作った。靡くウィンプルが肌を擽り、全身を黒で統一したシスターフッドの制服は熱が籠り易い。

 だが、今のハナコにはそれら一切が気にならなかった。身体の暖かさ以前に、精神的な冷たさが彼女のあらゆる熱を凍り付かせているのだ。

 

「……あぁ」

 

 ――何て、憎たらしい程の蒼穹(青色)

 

 白いリボンの代わりに身に着けた、黒い薄布越しに見上げる青空は、自分達がどれ程の絶望に沈められていても、ずっと変わらず世界を照らし続けている。それがどうにも憎々しく感じられて、ハナコはひとり誰に向ける訳でもない悪態を胸中に零した。

 

「――ハナコ様」

 

 しかし、その感傷を途切れさせる、冷水の如き声。

 議事堂を辞して百歩も行かぬ間に、ハナコはまた新たな仮面を被る事を強いられた。

 足を止め、振り返ったハナコの視界に入る黒いシスター服。彼女はハナコに向けて深々と一礼し、その目元に影を作る。

 胸元に抱き寄せた黒い手帳、ハナコはそれを確認し、視線で同行を促した。

 ややあって回廊に響く二つの足音、ハナコの斜め後ろに付き従ったシスターは、囁くような声色でハナコに告げる。

 

「……急ぎ、御報告が」

「外部で何か、動きがありましたか」

「はい、ゲヘナ自治区に潜伏していた諜報班よりつい先程、緊急通信にて」

 

 耳元に齎された報告に対し、ハナコの反応は実に冷ややかであった。

 シスターは一歩、ハナコの元へと踏み込み、その肩口付近で何事かを呟く。報告自体は二言、三言程度。だが僅かに細められたハナコの瞳が、彼女の中に生まれた確かな驚愕を表現していた。

 沈黙を守ったハナコは、そのまま何事かを思案する様に目を閉じ、改めて問いかける。

 

「――その情報は確かですか?」

「はい、少なくとも複数の生徒が現地に向かう姿を目撃したと報告がありました、現在の万魔殿や前風紀委員会の体制を考えれば、聊か唐突ではありますが……内部で何らかの方針転換があったのかもしれません」

「詳細は」

「既に、個人端末の方に」

 

 ハナコは制服のポケットに仕舞い込んでいた端末に触れる。

 流石に自治区中枢の情報ともなると、入手するには手段が限られる。なによりゲヘナは混沌を好む。一枚岩云々の話ではなく、そもそもからして数多の思惑が渦巻く自治区こそがゲヘナであった。

 故にその予測は困難を極め、ハナコをして今回の動きを読む事は出来なかった。その事に小さく内心で悪態を吐き、彼女はそっと拳を握り締める。

 

「よもや、ゲヘナが雷帝の遺産に手を出すとは――」

 

 そこまで切羽詰まった状況に陥ったのか、或いは単なる戯れか。

 否、戯れで手を出すには余りにも危険な代物である事は周知の事実である。それを理解していない万魔殿ではない筈だと、ならばその様な決断に至った要因がある筈だった。

 考えられる仮定としては、裏で万魔殿の議長が切り替わった、自治区内のパワーバランスが崩れた、はたまたトリニティ以外の自治区と致命的な対立に至ったのか、一部の独断専行か。

 どちらにせよ、この件は他者に預けるには余りにも重要度が高すぎる。ハナコは即座に自身の取るべき行動をその場で組み立て、判断を下した。

 

「分かりました、この件は以降、私の端末にのみ連絡を入れて下さい、私が直接ゲヘナに赴き処理します」

「ハナコ様自ら、ですか?」

「えぇ、四十八時間以内に私が帰還、または連絡が取れなかった場合は緊急事態条項に従って行動して下さい、判断が難しい場合はシスターマリーか、シスターヒナタに指示を仰ぐように」

「……承知致しました」

 

 ハナコの指示に対し深々と一礼し、そのまま足を止め見送るシスター。ハナコが回廊の角を曲がり、大聖堂へと続く廊下に踏み込むまで、彼女はその場を動かなかった。

 ハナコは屋外から屋内へ、薄らと日陰に覆われた廊下を歩きながら、今しがた交わした会話、議事堂での出来事を反芻し、その表情を大きく歪めた。

 風に揺られたウィンプルが、彼女の目元を遮る。

 

「――何て、無様な」

 

 こうして世界はまた一歩、無理解への道を歩んだ。

 それは現状の世界に対する、学園に対する、そして己に対する失望そのものだった。

 それ程までに、憎いのか。

 それ程までに、恐ろしいのか。

 それ程までに、許し難いのか。

 雷帝の遺産等と云う分かり切った破滅に手を伸ばし、全てを滅ぼさんと動く程に、他者の存在は、この世界は、全ての繋がりは。

 

「これが先生(あの人)が信じ、託された未来だというのですか? こんな、悪意と憎悪、自己中心的で無自覚で、無遠慮で無理解で、互いが互いを蹴落とし、憎み、敵意に満ちた現在(未来)が――?」

 

 ひとり、トリニティの廊下を往く彼女は不意に足を止め、吐き捨てる。

 忌々し気に、嘗ての清廉さなど忘れたかのように、黒を身に纏った彼女は窓硝子越しに蒼穹を睨みつける。

 この両手は既に取り返しのつかない程に血に染まり、夢見た明日は程遠い。どれだけ平和を、平穏を、日常を願おうとも、この世界はそれを許さない。

 理想と解離した現実、容易く実現出来る等と思っていた訳ではない。それが困難である事は、茨の道である事は、ずっと前から理解していた筈だった。

 

 だが世界は、現実は、あの日の自分が思い描いていたよりもずっと愚かで、下劣で、醜悪で。

 広がる蒼穹、硝子に映る己の形相に、彼女はより一層表情を強張らせる。握り締めた拳が、彼女の心を表すが如く軋みを上げた。

 何て、何て醜い。

 ()も、この世界も――何もかも。

 

「先生……こんな世界に、貴方が身を捧げた価値なんて――」

 

 無かったのではないか。

 

「――ッ」 

 

 そんな言葉が口から零れそうになって、思わずハナコは奥歯を噛み締めた。それだけは、どれだけ心が荒み傷付こうと、口にする事を躊躇ったのだ。

 脳裏に過るのは補習授業部の仲間達、ありふれた日常の中で零した、嘗ての笑顔の数々。

 

 ヒフミちゃん。

 アズサちゃん。

 コハルちゃん。

 

 自分の大切な友人、何を置いても守りたかった居場所。

 あの人に託された、浦和ハナコの唯一無二。

 未だこの、愚かで、下劣で、醜悪なる世界で生きる彼女達を守りたかった。彼女達が望まないと理解しておきながら、各分派でトップの座に就かせるために随分と無茶もした。戦場から遠ざける為に、ほんの僅かでも安全を買う為に、彼女は多くのものを捧げた。自身の信念や矜持を曲げて尚、絶対に無くしたくないと願った大切な人達だったから。

 

 皆の顔が、嘗て抱き締め、今や打ち捨てられたオネストウィッシュ(純真なる願い)を想起させる。

 心の片隅に残った一片、ほんの小さな暖かな欠片。

 それを握り締め、彼女は目を閉じ、腹の底から声を絞り出した。

 

「――……いいえ」

 

 脳裏に刻まれた思い出をそのままに、ハナコは鉛の如く重い足を引き摺り、再び歩みを再開する。

 大聖堂へと続く道は人気が無く、シスターフッドの秘匿性と歴史を証明するかの如く、光が差し込まず薄暗い。

 しかし彼女は、その道へと何の躊躇もなく踏み出し、往く。

 暗がりに、ハナコの歩み続ける靴音だけが木霊していた。

 

「それは、駄目です……先生の、あの人の犠牲が、無駄になる事だけは、絶対に」

 

 ウィンプルで目元を隠したまま、彼女は独白する。

 この世界を否定する事は許されない、誰にも否定などさせはしない。

 それは、あの人(先生)の犠牲が無意味である事を証明してしまう。

 それは駄目だ。

 それだけは、駄目だ。

 彼女は託された多くの願いと祈りを思い返し、踏み出す一歩に力を籠める。薄布一枚を隔てた向こう側で、ハナコの鈍色に光る瞳が瞬いた。

 

「――(犠牲)に、報いなければ」

 

 自身は彼に託されたのだ、故にこの世界にどれだけ失望しようとも、或いは絶望しようとも、諦める事は許されない。

 この世界にはまだ、大切な人たちが居る。

 この世界にはまだ、守らなければならないものが在る。

 この世界にはまだ、価値がある。

 あの人がその身を擲ち、命を捧げただけの価値が。

 そう思わなければ。

 この世界には、あの人以上の価値が存在すると信じなければ――。

 

 そうで、なければ。

 

「そうですよね」

 

 ハナコは周囲に木霊する靴音に耳を傾けながら、陽光の遮られた暗がりで口ずさむ。それは願いであり、祈りであり、彼女にとっては――戦い続ける為の、絶対不変の真実でなければならなかった。

 

「――先生」

 

 ■

 

【第四サンクトゥム トリニティ自治区・カタコンベ】

 

「――予定ではもう少しで、落下したサンクトゥムのクレーター地帯に入る頃ですが」

 

 先頭を歩くサクラコが、手元の端末を見つめながらポツリと呟いた。

 カタコンベは全体的に薄暗く、握り締めた端末から放たれる光がぼうっとサクラコの輪郭を浮かび上がらせる。

 彼女が背後を振り向けば、同じように歩いていたハナコが頷き、薄暗い前方を指差しながら言葉を継いだ。

 

「えぇ、事前情報が正しければ後二百メートルも進めば陥没した外郭部分に到達出来る筈です、そこからサンクトゥムの全貌が視認出来るかと」

 

 現在部隊の進行速度は、概ね予測通り。事前計画を考えれば随分順調なものだと云える。後続のシスター達も脱落者等無く、自律兵器との戦闘も数名の軽傷者を出すに留まっていた。自律兵器との遭遇率、部隊の消耗具合、全てハナコの立てた予測の範囲内。

 

「部隊の弾薬は十分残っています、自律兵器による襲撃もカタコンベ内部の複雑な地形では散発的でしたし、地下を通って進行するという計画は正しかった様ですね」

「このまま順調に作戦が進めば、消耗も少なく万全の状態でサンクトゥムの破壊を達成出来そうです、流石ですね、ハナコさん」

「買い被り過ぎですよ、サクラコさん」

 

 愛銃を肩から提げ、意味深に微笑むハナコに対し、サクラコは率直な賛辞を送る。解被り等と本人は嘯くが、実際問題ハナコの作戦立案能力は非常に高く、少なくとも此処までサンクトゥスに接近出来た時点で、彼女の作戦が良く機能している事が証明されていた。

 やはり、彼女を攻略作戦に登用したのは正解であったと、サクラコは内心で零す。もしシスターフッド単体で攻略作戦を推し進めていれば、辿り着けない事は無いにしろ、相応の消耗を強いられていた事は間違いない。

 

「……うぅ」

「大丈夫か、ヒフミ?」

 

 黙々と足を進めるシスター達の一団、そこから少し遅れて進む補習授業部の面々。自身の二の腕を摩りながら震えるヒフミに、ふと前を歩いていたアズサが気付き声を掛けた。ヒフミは唇を震わせながら周囲を伺い、身を縮こまらせ呟く。

 

「いえ、その、最初は平気だったのですが、進めば進む程、何だか肌寒くなってきたような気がして――」

「ある程度深度のある地下空間は年間を通して一定の温度を保っている筈だが……どこか崩落したのか、大きな穴でも空いて外気が入り込んでいるのかもしれないな」

「あ、えっと、一応タオルケットとかは持ってきているけれど、ヒフミ、これ使う?」

「だ、大丈夫です、ありがとうございます、コハルちゃん」

 

 コハルが慌てて提げていた鞄から折り畳まれたタオルケットを取り出せば、ヒフミはやんわりと首を横に振る。コハルの取り出したそれは出血多量などで体温の低下の低下した患者を包む為のものだが、こういった状況でも使い道はある。

 コハルの鞄は以前と比べ、一回りから二回りほど大きなサイズとなっており、中には医療品やそれに付随する道具がこれでもかと云う程に詰め込まれていた。

 これはアズサの普段の言動やアドバイスを受けてのものではあるが、補習授業部として様々なトラブルに巻き込まれて以降、彼女はあらゆる事態に備えてこういったものを常備するようになった。それはある意味、彼女の心の奥底に根付いた恐怖心や、トラウマの裏返しなのかもしれない。

 

「気のせいかもしれませんが、何となく周囲の空気が重く、淀んでいる様な気がします、この場所(カタコンベ)の性質上、そう感じる事自体はあまり不自然ではありませんが――」

「はい、何が起きても大丈夫な様に、気を引き締めていかないと……ですね」

 

 慎重な足取りで補習授業部の前を歩くヒナタとマリーもまた、手にしたライトで足元を照らしながら言葉を交わす。暗がりの中では互いの距離感も掴みづらく、自律兵器に対する警戒は常に必要であった。警護のシスターに挟まれ、迷いなく進むサクラコとハナコを視界に捉えながら、一行はまた暫く無言での行進を続けた。

 

「……この先は」

 

 ふとサクラコが足を止め、前方に視線を飛ばす。ライトの光で照らした先は左右に分かれており、天井も高く、かなり広い空間になっている事が分かった。ハナコもまた端末の地図を改めて確認し、後列のシスター達に向けて指先で合図を出す。

 

「地図を確認した限り、大広間の様ですね――安全確保をお願いします」

「はい」

 

 ハナコの指示に従い、先行したシスター達が地下回廊を抜け大広間へと踏み込む。四隅を警戒する様に銃口でなぞり、十名程のシスターが内部の安全を確認した。最後に踏み込んだシスターが銃口を下に降ろし、サクラコとハナコに頷きを返せば、彼女達もまた慎重な足取りで内部へと進む。

 薄暗い回廊とは異なり、頭上より光が差し込む大広間は確かな解放感に包まれていた。半地下聖堂の様な形で用いられていたのか、等間隔で並んだ柱は所々細工が施されており、壁面には所々埋葬窪み(ロクルス)が散見された。サクラコ達は周囲の光景を見渡し、そっと吐息を零す。

 

「これは、随分と大きな空間ですね」

「各主要通路と枝道、副通路の繋がり方を見ると、恐らく大人数での儀式や集会の他、区画間を隔てる集積所や合流地点に用いられていたのでしょう、この辺りだと埋葬室や骨蔵エリアも近いですから」

 

 端末の地図を確認しながら大広間中央へと足を進めるハナコは、周辺の構造から嘗てどのように用いられていたのかを推測する。瓦礫片を踏み締め天井を見上げると、彼女は頭上より降り注ぐ赤い光に目を細めた。近寄れば分かる、頬を撫でる冷風は外より入り込んで来るものであり、赤い光も相まって体感温度は更に寒々しいものに感じられた。

 

「――成程、ヒフミちゃんが感じていた寒気はコレですか」

「天井の崩落、それにしては随分と大きな穴だ、余程強力な爆発でも起きたのだろうか?」

「元々老朽化している場所です、何処がいつ、どのように崩れても不思議はありませんよ」

 

 彼女達が見上げる先、大広間の中央には、巨大な穴が開いていた。

 サクラコの云う通り、カタコンベは既に人が出入りしなくなって久しい。数百年という時間が経過し老朽化した構造物は、ちょっとした嵐や地震などで崩落を引き起こしても不思議は無かった。

 吹き込む冷風に身を震わせたハナコは、差し込む赤い光を避ける様に数歩後退り、握り締めた端末を再び見下ろす。目に悪い色ではあるが、幸い大広間は光源が確保出来ている為、行動はし易い。

 崩落し積み重なった残骸の向こう、暗がりを指差しながらハナコは振り向き告げた。

 

「この広間を抜けて、直進を続ければサンクトゥムの生み出したクレーター地帯に出る筈です、作戦自体は順調ですが、他のサンクトゥム攻略部隊の状況は依然不明、どのようなタイミングでも余裕を持って爆破出来るよう、私達は少し急ぎ目に――」

「あぁ、成程」

 

 ハナコの声を遮る様に。

 唐突に、冷たく、人間味のない声が大広間に響いた。

 

「――此処は、そういう世界ですか」

 

 ハナコは咄嗟に振り向き、視線を正面に戻す。

 其処には、暗がりの中で薄らと輪郭を保つ、何者かの姿があった。

 ふと、気付いたら。

 正にそう表現する他ない程に、自然に、いつの間にか、その声の主は一行の前に現れていたのだ。

 暗がりで姿は良く視認出来ない、しかし対峙した瞬間肌が粟立ち、産毛が逆立つ。全身に何か、云い表す事の出来ない怖気の様なものが走った。

 

「ッ!?」

「マリー、ヒナタッ!」

「っ、はい!」

「ま、前に出ますッ!」

「コハルちゃん、ヒフミちゃん、私の後ろにッ! アズサちゃん、二人を!」

「了解……!」

「え、えっと、銃、銃……っ!」

 

 一瞬で整えられる迎撃準備、ひりついた神経が彼女達の身体を突き動かし瞬きの間に戦闘態勢を整える。ハナコとサクラコの前に数十名というシスター達が雪崩れ込み、文字通り壁となって整列、前列がその場で膝を突き、後列は立射で一斉に銃口を影に向ける。

 多くのシスター達に守られながら、身構えたまま暗がりに溶ける影を睨みつけるハナコは、隣り合ったサクラコと小声で言葉を交わした。

 

「……自律兵器ではありませんね、今のは確かに肉声でした」

「地上の生徒や市民が迷い込んだという可能性は?」

「都市部より遠く離れた、このカタコンベに偶然ですか? その可能性は、限りなく低いでしょう」

「……それもそうですね」

 

 市民や生徒が迷い込んだ、勿論その可能性はゼロではない。この崩落部分に足を取られてこのカタコンベに転がり落ちて来たという線も考えられる。

 しかし、それにしては第一声が余りにも不気味で、理解出来ないものであった。

 サクラコは前面に立つシスターの肩に手を置きながら、静かに浄化の織り手(愛銃)の引き金に指を掛ける。

 

「――どなたかは存じ上げませんが、もし偶然この場所に迷い込んでしまった方ならば、ゆっくりと両手を挙げて顔の見える位置まで進んで下さい、攻撃の意志を見せなければ此方も貴女を保護する用意があります、しかしそうではないのならば、即座に反撃させて頂きますので、そのおつもりで」

 

 サクラコの警告は大広間の中で残響し、対峙する人影の耳にも届いていた筈だった。警告は済ませた、これでも尚敵意を見せると云うのであれば、躊躇なく引き金を絞る事になるだろう。現在はサンクトゥム攻略作戦の最中、多少のトラブルで計画が遅延する事は許されない。

 

「――ッ」

 

 全員が全員、固唾を呑んで反応を見守る中。

 不意に、人影の爪先が地面を擦った。

 砂利を擦る音、靴音が響き、一歩、また一歩と歩み寄る影。散乱した瓦礫を踏み締め、崩落した天井の下、赤い光の下身を晒す何者か。

 

 或いは、本当にただ迷い込んだ市民なのか――相手方の行動から、その様に判断した生徒達の視界に、黒く靡くウィンプル、そして酷く馴染みのある格好が目に入った。

 

「っ、その衣服は――……」

 

 徐々に赤い光に照らされる、人影の姿。

 背後は腰から下まで、前方は目元までを覆うウィンプル。体のラインがハッキリと出るタイトなドレスに、左右にスリットの入ったシスター服。添えられた装飾は最低限、厳粛で、慎み深く、それは修道服というよりも、最早喪服の如き静けさがあった。

 その黒を前にして、シスターフッドの生徒達は思わず浮足立つ。外見だけを見れば、自分達と同胞、或いは同種の存在。戸惑いの中、思わず銃口を降ろす者さえ現れ始める。

 並んだシスター達が顔を見合わせ、口々に呟きを漏らした。

 

「あれって、シスターフッドの制服――?」

「いえ、あの形式、確かユスティナ聖徒会の礼装では……」

「まさか、また複製(ミメシス)の……!」

「――いいえ、違いますッ!」

 

 咄嗟に、ハナコが叫んだ。

 その声は大広間全体に響き渡り、シスター達の意識を横合いから強烈に殴り飛ばす。隣り合ったサクラコが唐突な絶叫に目を見開き、ハナコを見つめる。暗がりに差し込む赤色、そこに煌めく一筋の汗がハナコの顎先を伝うのが見えた。

 

「貴女は――ッ」

 

 驚きと動揺、焦燥と困惑――それらを湛えたハナコが、ただ目前の人影を凝視していた。顔からは血の気が引き、呼吸が乱れていた。ひと目で、只ならぬ様子であると分かった。

 常に冷静さを保つ彼女が、一体何をそこまで動揺しているのか。

 目の前の存在に何故そこまで――怯えているのか。

 

「……ハナコさん?」

 

 横合いから放たれたサクラコの問い掛けに、ハナコは答える事が出来なかった。

 それだけの余裕が存在しなかったのだ。

 ただ彼女は目を見開き、早鐘を打つ心臓を感じながら、凍えるような怖気を噛み殺す事しか出来なかった。

 

「ハナコちゃん、大丈夫ですか!?」

「は、ハナコ……ッ!」

「落ち着けハナコ、他に敵影は確認出来なかった、この戦力ならきっと――」

 

 ハナコの悲鳴染みた声を聞いた補習授業部は、慌ててシスター達を押し退けハナコの元へと駆け付ける。その様子を伺いながら、赤に照らされた影は緩慢な動作で目元を覆うウィンプルを摘まんだ。

 駆け付けた三名もまた、今まさに暴かれようとする影と対峙し、その視線が交差する。

 

「御機嫌よう、この世界の皆様方」

 

 凛とした、それでいてわざとらしい程に柔らかな声が聞こえた。

 サクラコが、マリーが、ヒナタが、ヒフミが、アズサが、コハルが――暴かれた影の素顔に絶句する。

 ただハナコだけは、まるでその正体を悟っていたかのように顔を歪め、零れそうになった声を腹の底に押し込んだ。

 

「えっ、あ……?」

「な、何で――」

 

 ヒフミとアズサ、両名の口から困惑とも疑念とも取れる、形を為していない言葉が漏れた。

 黒のベールを取り払った先にあったのは、彼女達もまた良く知る姿。

 鮮やかな髪色に、透き通るような肌。理知的な瞳の煌めきはそのままに、だが絶望的なまでに無機質。貼り付けたような、いっそ悪辣とも云える微笑みが、目前に並ぶ生徒達を一望していた。

 

「――……ハナコ?」

 

 愛銃を両腕で抱えたまま、呆然と彼女の名前を呼んだのはコハルだった。

 その場に立ち尽くし、脱力した様に佇むコハルは、目前の人物を凝視する。

 身に纏った衣服は異なる、放つ気配も、その表情さえも。けれど彼女は確かに、目の前の人物は間違いなく、共に長い時間を過ごした友人――浦和ハナコのものであった。

 

 コハルの呼び声に、ハナコと酷似した彼女は浮かべた微笑みを深くした。それがどの様な感情の発露なのか、対峙した面々には分からない。ただ、彼女と同じ存在だけが全てを理解する。纏った心の仮面は深く肌に張り付き、決して外れる事は無いのだと。

 

「シスターフッド代表、浦和ハナコ」

「……っ!」

 

 ふわりと裾を靡かせ、胸元に手を当てたまま慎ましやかな所作で一礼して見せる彼女。その視線が対峙する、浦和ハナコ(この世界の自分)に向けられた。

 下から覗き込む様な、色褪せ、感情の灯らない、昏い瞳。

 気圧され、怯み、両腕に抱えた銃口を咄嗟に影へ向けるハナコは息を呑んだ。視界に映る嘗ての愛銃――白を基調としたそれは、自身の望んだ祈りと願いにより生まれたもの。

 

 反し、崩落した大穴より降り注ぐ赤に照らされた浦和ハナコ(異なる世界の彼女)が肩より提げた愛銃は、全てを黒く塗りつぶし、暗がりの中でこそ役割を果たせるもの。

 銃火器だけではなく、衣服を含め全身を黒一色で統一した彼女は、文字通り暗闇と同化し、白を纏う浦和ハナコ(この世界の自分)に微笑みかける。

 優し気に、嫋やかに、微かな憂愁の念を込めて。

 或いは、それは嘲笑だったのかもしれない。

 

 携えた彼女の愛銃、その名を――フォルスウィッシュ(偽り)と云う。

 

「――これより、皆様のお相手を務めさせて頂きます」

 

 深く、深く、頭を下げたまま。

 浦和ハナコ(もう一人の自分)は一切の感傷を排し、大広間に良く響く声で、平然と宣言して見せた。

 

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