ブルーアーカイブを、もう一度。   作:トクサン

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投稿少々遅れ気味で申し訳ありませんの!
今回約二万字ですわ~!


明日の私は(この暗闇の先に)信じていた(正しき未来があるのだと)

【月雪ミヤコの記憶】

 

「はぁッ、は――ッ!」

 

 耳奥に、雨音が木霊する。

 細い路地を懸命に駆ける影は、体に食い込むレスキューハーネスの重みを噛み締めながら、両腕に抱えた短機関銃を振り両足を動かし続ける。

 近代的な景観を持つ都市部は複雑に入り組み、ビル群の隙間を縫う様にして設計されたスカイウェイは彼方此方に影を落とす。遠くから走行するAMAS(自律兵器)の音と、警告音が曇り空に響き渡っていた。

 侵入者と襲撃を知らせるその音は、不協和音として都市部全体を包んでいる。赤い警告灯が彼方此方で水たまりに反射し、視界に瞬きチラついた。

 そんな中、水たまりを踏み締め駆け続ける彼女――ミヤコは身に沁みる寒さと疲労感を堪えながら、端末に表示されるポイントを一心不乱に目指していた。

 

「―――……」

「っ、先生?」

 

 不意に、レスキューハーネスに繋がれ、ミヤコに背負われた彼の身体が揺れた気がした。ほんの僅かな、吐息と共に。

 しかし、ミヤコが名を呼んでも答える事は無く、垂れ下がった右腕はピクリとも動かない。ミヤコは駆ける足を緩め先生の名を呼んだが、背後から声が返って来る事は無かった。

 

「……いえ、気のせいですね」

 

 垣間見える落胆、しかし目覚める筈がないと頭の片隅では理解していた。緩く首を振り、弾んだ息をそのままにミヤコは薄暗い路地を再び駆け始める。跳ねた雨水がビルの外壁を汚し、靴音が路地に反響した。

 

「もし、この声が聞こえているのなら、先生、どうか状況だけ把握しておいて下さい」

 

 駆けながら、殆ど独り言になる事を承知の上で、ミヤコは背後に向けて話しかけた。意識が無い事は重々承知の上だ、しかし口を開けず、体も動かせずとも、意識だけが覚醒しているという可能性も存在するだろう。

 尤も、今はそれを確かめる暇は無い。本当の所を云えば、ミヤコはただ複雑な心境を整える為の相手が必要だったのだ。

 

「現在先生は真面に話せる状態にありません、口を開く事だって危険です、どうか話そうとはしないでください」

「………」

「それと顔には触れないように――プレートが外れると、崩れます」

 

 声は呼吸音に混じり、小さく、囁くように放たれた。

 背負った先生の顔面を覆うプレートがミヤコの首筋に触れ、雨水の何倍も冷たく感じる。

 本来、内固定術と呼ばれるそれは、自然な回復やギプスでの固定が不可能な場合に用いられるものであり、プレートを皮膚の下に埋め込み支えるものである。

 だが先生の場合は少々様子が異なった。皮膚の損傷が激しく、また骨そのものが欠損している部分もあり、失った顔面の一部がプレートそのものが担っていたのだ。

 それを取り外す事は出来ない。顔面の支持機構が壊れてしまった今の状態では、呼吸すらままならないのだから。

 

 顔面もそうだが、身体も相応に――『軽い』

 ミヤコの肩に回された右腕はか細く、いつか見た面影は何処にも存在しない。露出した皮膚部分も長い手術痕と古傷が残り、傷痕は赤黒く盛り上がって縫合の跡が目立つ。

 残されたこの一本の腕だけは、どうにか切除せずに済む様にと苦心した痕跡が見て分かる様だった。

 

 それでも生きている、見た目がどれだけ変化しても、或いは多くのものが失われてしまっても。

 今はそれが全てであった。

 

「此方RABBIT1、重要目標(先生)を奪還、残り五キロ程でポイントS(シエラ)に到着予定、回収の用意を」

 

 雨粒の滴る端末を見下ろせば、現在地から幾らか前方に点滅するポイントが出現した。合流予定の地点が近い、ミヤコは耳元に装着したタクティカルヘッドセットに手を当てながら、仲間と通信を繋ぐ。

 予定よりも幾分か手間取った形となったが、幸い目標自体の確保には成功した。

 後は敵に発見されない様、慎重にポイントまで撤退し逃走するのみ。

 一拍後、返答は直ぐにあった。

 

『こちらRABBIT3、位置情報は機能しているからそっちの事はドローンで上空からも追跡出来ているよ、ポイントS前にRABBIT4が待機しているから、後三キロ位で合流出来る筈、脱出用の車両は準備万端、直ぐに向かうから』

「分かりました、それまで何とか――」

 

 発見されないよう、慎重に進行します。

 そう返答しようとして、不意に悲鳴染みた声が割り込んで来た。

 

『こちらRABBIT2ッ! RABBIT1、今直ぐポイントSに急行しろッ! 背後から追っ手が迫っているぞッ!』

「っ、RABBIT2?」

 

 声はRABBIT2――サキのものだ。

 通信越しであっても分かる焦燥、唐突なそれに面食らうミヤコの耳に、続けて彼女の声が響く。

 

『こっちの作戦が看破された! RABBIT4の現在位置も露呈している! 連中、勘でこっちの位置を――……ッ!?』

「……RABBIT2? 応答を、RABBIT2!」

 

 ミヤコはタクティカルヘッドセットに手を当てたままコールサインを呼ぶ、しかし返答は無かった。「RABBIT3、RABBIT4応答を」、続けて他の隊員に呼びかけるが、これも無反応。ミヤコの背中に、薄ら寒い怖気が走った。

 まさか、潜伏していたRABBIT4が見つかったとでも云うのか。その事実に彼女は戦慄する。気配を消したミユを見つけられる手練れなど、一体どれ程の存在か。

 

「――よぉ」

「っ!?」

 

 路地に低く、唸るような声が響いた。

 意識の間隙を突く一声、周囲に鳴り響いていた雨音が、一斉に鮮明さを取り戻した。

 声は前方から。ミヤコは握り締めていた端末をそのままに、緩慢な動作で顔を上げる。

 視界に、赤い警告灯に照らされた小柄な影が映った。

 点滅する赤い光の中、浮かび上がる輪郭。だらりと伸びた両腕に、握り締めた双銃。体躯に反し放たれる重圧は自身を追跡する自律兵器とは比較にもならないだろう。

 暗がりで煌めく、血の様に赤い瞳がミヤコを捉えて離さない。

 無意識の内に、ミヤコの喉が鳴った。本能的に、対峙した相手の力量を悟ったのだ。

 

「わりぃが、背中の先生、降ろしてくれねぇか?」

「………」

「万が一にでも、弾を当てたくねぇからよ」

 

 まるで軽い頼みごとをする様な口調だと思った。

 しかし、実際は異なる。それは命令であり、ミヤコに拒否権はない。

 同時に、ミヤコとしても先生を戦闘に巻き込むことは本意ではなかった。

 ミヤコは相手の瞳から目を離す事無く、ゆっくりと後退し、身に着けていたハーネスに指を掛ける。万が一の場合、即座に先生だけでも避難させられるように、二ヶ所のロックを外すだけで背負った先生の身体はミヤコのハーネスより切り離される。

 跳弾が当たらない様、また地面の雨水に触れない様、路地の物陰にそっと先生を降ろしたミヤコは、項垂れ、ピクリともしない彼の肩に手を置きながら呟く。

 

「少しだけ待っていて下さい、先生」

 

 その間も、立ち塞がる影から目を離す事は無かった。

 息を吸い込み、腹を込める。愛銃のグリップを強く握り締め、改めて対峙したミヤコは警告灯の赤に照らされた横顔を確認し、呟いた。

 

「C&C、コールサイン――ダブルオー(約束された勝利)

「……はっ、こっち側(ミレニアム)の戦力はバッチリ把握済みってか」

 

 ミレニアム・サイエンススクール――C&Cの誇る最高戦力。

 メイド服に特徴的なスカジャン、鎖に繋がれたSMGを扱うミレニアムの生徒となれば、キヴォトス広しと云えど一名しか該当しない。その威圧的な気配、小柄な体格に見合わぬ重圧、身動ぎする度に鳴り響く鎖の金属音が彼女の存在感をこれ以上ない程に示す。

 まさかよりにもよって彼女に見つかるとは、実に運がない。

 ミヤコは身構えたまま愛銃のトリガーに指を伸ばし、白く濁った息を吐き出す。

 

「ミレニアムの特記戦力として認識していました、恐らく一番の障害となるのは貴女だと」

「そうかい」

 

 そいつは、実にご苦労なこった。

 吐き捨てる様に目前の生徒、ネルは云った。口調に柔らかさは欠片も無く、ただ怨敵を追い詰める様な敵愾心だけがあった。

 

「知っていてやっているのか、知らねぇでやっているのかは分からねぇが――いや、知らねぇって筈はねぇか、そんな状態の先生を見りゃ、どんな馬鹿だって分かる」

「………」

「シャーレの先生はもう、生命維持装置(此処の技術)と繋がれていなきゃ生きていけねぇ、こんな状況で連れ出して良い体じゃねぇんだよ」

 

 どういう仕組みかは知らない。だが、先生と繋がれたタブレット(シッテムの箱)が、ギリギリのところで命を繋いでいる。

 ネルはそう云って、先生の胸元に専用のケースと共に固定されたタブレットを示すかのように、自身の胸を指先で叩きながら云った。

 

「だから、さっさとテメェをぶちのめして、先生を連れて帰らなきゃならねぇんだよ」

「そうは、いきません」

 

 胸を張り、口元を歪めながら告げるネルに対し、ミヤコは否定を突きつけた。互いを隔てる様に降り注ぐ雨、乱反射する赤に目を細めながら、彼女は言葉を重ねる。

 

「先生の身柄は、私達RABBIT小隊――SRT特殊学園が預かります」

「……SRT」

 

 ピクリと、ネルの眉が跳ねるのが分かった。

 連邦生徒会直属の特殊学園、リオの報告していた通りだ、今更連邦生徒会が一体何の用か。ネルの脳裏に様々な思考が過る、しかしそれを深堀りする事無く、即座に彼女は思考を打ち切った。

 ゴチャゴチャ考える事は性に合っていないと、そう判断したのだ。今の自身が為すべき事は絶対的で、明瞭であった。

 背後関係や策謀、思惑を探る事は後から出来る。ネルの両腕が無造作に振るわれ、握られた愛銃、ツイン・ドラゴンに繋がれた鎖が撓った。

 

「――テメェみたいな奴は、大勢いたよ」

 

 ジャラリ、と。

 路地に木霊する金属音。彼女の到来を知らせるその音が、ミヤコの身体に無視できない圧迫感を齎し、雨とは異なる汗が背中に滲み出す。

 

「トリニティも、ゲヘナも、百鬼夜行も、山海経も――何処もかしこも、キヴォトス中のあらゆる自治区が、先生の身柄を明け渡せと喚きながらミレニアムに雪崩れ込んで来やがる、くだらねぇ有象無象を引き連れてな」

「………」

「このエリドゥが無きゃ、疾うの昔に奪われていてもおかしくなかったかもしれねぇ」

 

 だが、そうはならなかった。

 

「素直に褒めてやるよ、RABBIT小隊(SRT)

「ッ……!」

 

 一歩、ネルが路地に踏み込む様にして歩みを進めた。

 ズン、と地面を踏み砕く様な重々しい足取り。

 瞬間、ミヤコは反射的に半身になりながら腰を落とす。

 たった一歩、踏み込まれただけだと云うのに、彼女が感じた重圧は只ならぬものがあった。感じられるのは、強い怒り。彼女自身でさえ制御出来ないそれが、ネルの身体に纏わりついて、ミヤコの肌を突き刺していた。

 

「他所の学園襲撃に便乗したとは云え、ミレニアムが構築したエリドゥの防衛網を潜り抜けて、こうなっちまった先生の身体に触れたのは、テメェが初めてだ」

 

 その一点に於いて、RABBIT小隊の能力の高さは伺い知れるというもの。

 故に慢心は無く、油断は無く、確かな心構えと戦意の下に彼女はミヤコを正面より見据える。

 

「その努力と、先生を盾にしない心意気は認めてやる……だから」

 

 ダラリと垂れた両腕、地面に伸びた鎖が揺れ動き地面と擦れ合う。その雨音に紛れる微かな音に耳を傾けながら、ミヤコは歯を食い縛る。衝突は避けられない、一見無防備にも見える脱力姿勢、しかしソレこれが無形の戦闘スタイル、美甘ネルの才能に裏打ちされた戦闘技法であると理解しているが故に。

 

「構えろ、その程度は待ってやる」

 

 両腕を垂らし、銃口を突き出す事さえなく、ネルは云った。それは油断でもなければ慢心でもない、少なくとも彼女自身が感じた敬意の顕れ。卑怯な手段に頼らなかったRABBIT小隊に対する、最後の慈悲でもある。

 

「……その前に一つ、聞かせて下さい」

「あ?」

 

 ミヤコは慎重に愛銃を握り締め、そのスリングを肩から外しながら、銃口をゆっくりとネルへと向ける。戦いは避けられない、それは事実だろう。しかし会話が通じない相手だとは思わなかった。

 唐突に放たれたソレに、ネルは一瞬顔を顰めながら瞳を絞る。この期に及んで、一体何だと疑念の色が見えた。

 

「これ以上の回復は見込めない、延命治療は無意味だと、ミレニアムはキヴォトス全域に向けて公表しました」

「あぁ」

「ですが先生はずっと、こうして生かされている、公表後、何ヶ月経過しても」

「……その通りだ」

 

 ミヤコの投げかける問い掛けに、ネルは淡々と肯定を示した。彼女の言葉に偽りはない、ミレニアムは先生の回復は絶望的であるとの結論に早い段階で達していた。

 どれだけ治療を施したとしても、嘗ての様な日常を生活を送るどころか、目覚める事さえ奇跡の様な出来事であると。何度演算を繰り返しても、その結論は変わらない。

 ならば、延命治療に意味は無く、ただ悪戯に苦痛を引き延ばすだけではないかと、ミレニアム内部でも繰り返し議論された。

 医療倫理の四原則。

 自律の尊重、善行、無害、公正。

 生命の尊厳と医療的無益性、残された生徒の意思とエゴ。

 先生の姿は、それらが重なり合った結果に他ならない。

 

「確かに回復は見込めず、延命治療は無意味だとミレニアム(学園)は判断した、それはセミナーを含めた自治区安全保障会議、選抜された各部活動代表の総意でもある――だがな」

 

 そう、これはエゴである。

 残された生徒(子ども)にとっての。

 どんな形であれ、どんな結末であれ。

 先生に、生きていて欲しいという。

 

「たとえ無意味であっても、先生は絶対に死なせはしねぇ」

「ならば――」

 

 真っ直ぐ目を見て、何ら躊躇なく云い切る彼女に対し、ミヤコは思わずグリップを握る手に力を籠めた。

 

「ならば何故、最初に他者の助けを借りようとしなかったのですか?」

 

 ミレニアムだけではどうにも出来ない事でも。或いは、他の自治区の助けを借りればどうにかなる未来があったかもしれない。

 他者を信じ、手を取り合えば。

 そうでなくとも一歩、たった一歩でも良い、歩み寄って理解し合おうと努力すれば。

 その姿勢を見せるだけであっても――。

 

「先生は、遍く自治区が手を取り合えると、そう信じて――ッ」

「信じた結果が【アレ】だろうがッ!?」

 

 ぐわん、と鼓膜を震わす声。路地に響き渡ったそれに、ミヤコの身体が反射的に跳ねた。目を見開き面食らうミヤコの前に、表情を大きく歪め、犬歯を剥き出しにして反駁するネルの姿があった。彼女は軋む程に掌へと力を籠め、雨に晒された髪を震わせながら食って掛かる様に前傾姿勢を取り、叫ぶ。

 

「テメェで先生をこんな目に遭わせた連中と手を組んで、一体何をしろって云いやがるッ、あァッ!? そんな理想が現実になってンなら、こんなクソみてぇな結果にはなっていなかっただろうがッ!?」

『――ネル、そこまでよ』

 

 強い怒気を表に出し、語気を荒げるネルの耳元から、冷然とした声が響いた。

 ピクリと彼女の開いていた口が震え、そのままゆっくりと閉じていく。

 怒り一色に染まっていた瞳が微かな冷静さを取り戻し、彼女は手の甲で額を二度、三度叩き、舌打ちを零した。

 

『侵入者と態々言葉を交わす必要は無いわ、今は一分一秒が惜しいの、先生の肉体は長時間雨に晒して良い状態に無い、早急に保護を』

「チッ――あぁ、分かっているっての、直ぐに終わらせてやるよ」

 

 怒りで我を忘れていた、感情の爆発は決して戦闘に不利益を齎すものではない。少なくとも美甘ネルにとってはそうだ、負の感情も、正の感情も、ネルにとっては等しく戦う原動力になり得る。

 しかし、今必要なモノではない。横合いから冷や水を掛けられた様な心地だった。

 

『なら、疾く役目を果たして頂戴』

 

 今の貴女に、負ける事は許されない。

 

 耳元から響く気に入らない声、リオの言葉にネルは不承不承と云った様子で頷きを返す。

 当然だ、今の彼女と過去の彼女では、勝利と敗北の重さが違う。どんな任務でも負ける事は許されない、それは当然の事であったが――今は命一つ分、彼女の肩に圧し掛かっている。

 

 大きく息を吐き出し、濁った白が虚空に消えた。瞬く深紅の瞳が、ミヤコを射貫き、その足が再び踏み出される。地面と鎖が擦れる音、ミヤコが唾を飲み込み、引き金に掛けた指へと力を籠めると同時。

 ネルは湧き上がる感情に蓋をするように、銃口を持ち上げた。

 

その称号(約束された勝利に)に恥じぬ戦いを、ネル(ダブルオー)

「――了解」

 

 ■

 

「はぁ、ハッ、ハァ……っ!」

 

 息が上がっていた。

 想像していたよりもずっと疲労感と寒さはミヤコの身体と精神を蝕み、気力を根こそぎ刈り取っていく。

 背負った先生の身体が重く感じる、右腕以外の四肢を全て欠損した彼の身体は、体重が四十キロ前後と非常に軽くなっている筈なのに、今はハーネスの食い込みさえ痛みに感じられる程だった。

 

 ――先生を盾にしない度胸は認めてやるよ。

 

 先生を保護していなければ、負けていた。

 追撃から逃れるミヤコは、先程の戦闘を反芻し断言した。彼女の見せた僅かな隙を突いてフラッシュとスモークによる攪乱に徹し、視界妨害からの雨音に紛れ離脱、だがその程度で諦める彼女ではない。

 視界不良の中、矢鱈めったらに銃口を振り回して発砲しなかったのは、先生の身を案じたが故の判断だろう。

 その僅かな隙が存在しなければ、あの場から逃走する事さえ叶わなかった筈だと、ミヤコは冷静に分析する。

 

 自身単独での戦闘で、彼女(ネル)には勝てない。

 少なくとも、今はまだ。

 

「大丈夫です、先生」

 

 所々に刻まれた弾痕、滲む血をそのままに懸命に駆ける彼女は、背負った先生に向けて独白する。

 痛みがある間は、耐えられる。この苦痛が、ミヤコの意識が途切れる事を防いでくれる。だから彼女は引き攣った口元をそのままに、歪であっても笑みを浮かべた。

 それは虚勢だった、しかしその虚勢が彼女に僅かな勇気と活力を与えてくれる。偽りであっても、精神的な支えは必要だった。

 

「貴方の信じ、託した生徒(世界)は、きっと――」

 

 言葉は最後まで続かず、唐突に現れた人影に中断される。

 進行方向へと飛び出した影に、ミヤコは咄嗟に銃口を突きつけ、即座に射撃姿勢に移った。地面を滑る靴底が水滴を飛ばし、水音が響く。

 

「み、ミヤコちゃん……!」

「ッ!」

 

 だが、引き金を絞るよりも早く声が彼女の意識を叩いた。

 ハッとした表情で人影を凝視すれば、そこには見慣れた顔の人物が佇んでいる。所々解れ、泥の滲んだ制服を身に纏うミユ。彼女は愛銃を抱えたままミヤコを驚いた表情で見つめ、それから咄嗟に背後を確認し、追手が無い事を目視した。

 

「RABBIT4」

「ひ、酷い怪我……! 直ぐに、手当をしないと――」

 

 ミヤコの姿を一瞥した彼女は、慌ててベルトポーチに手を掛ける。持ち込んだ医療品を取り出そうとしたのだろう。しかし、ミヤコは彼女の伸ばした指先に掌を重ね、ゆっくりと首を横に振った。

 

「必要ありません、今は――この人を」

 

 そう云って背負った先生のハーネスに指を伸ばし、留め具を弾く。ミユの視線が、ミヤコの背後へと向けられ、息を呑んだ。

 

「せ、先生――」

「酷い状態ですが、生きています」

 

 顔面を金属プレートで覆われ、彼方此方を保護膜で覆われた先生を目視したミユは言葉を失う。様々な手術痕と古傷に塗れた先生の身体は、最早生者のそれではない。

 胸元に固定されたタブレットは時折点灯と消灯を繰り返しており、罅割れた液晶はノイズを発している。最初は位置情報を発信しているのかと危惧したものだが、相手の動きを見るにそういう訳ではないらしい。

 兎角、両腕で抱き直した先生の身体を支えながら、ミヤコはミユに背中を向ける様指示する。

 

「ハーネスの準備は万全ですね?」

「う、うん、ちゃんと装着して、チェックも……!」

「なら、此処からはミユが先生を」

「りょ、了解」

 

 背を向け、屈み込んだミユの背中に先生を慎重に乗せ、そのまま互いのハーネスを接続する。留め具でタイを固定しながら、ミヤコは努めて冷静な口調で云った。

 

「現在RABBIT2、RABBIT3共に連絡が取れません、恐らく相手方の電子妨害――エリドゥに於ける電子戦担当、ヴェリタスによるものでしょう」

「……私達の装備だと、通信の復旧は難しいかな」

「恐らくは、それも仕方ありません、このエリドゥは文字通りの要塞都市、その実力の程は潜入して良く分かりました」

 

 最後の留め具を弾き、ミヤコはミユの肩を軽く叩く。固定完了の合図を受け取ったミユは先生を背負ったまま立ち上がり、二度、三度、その場で固定具合を確かめる様にして肩を揺らした。ハーネスはきちんと機能している、行動に支障はない。

 それを確認し振り返ったミユは、座り込んだまま自身の左足を抑え冷汗を流すミヤコに気付いた。どろりと流れ出したが赤が、雨水に混じって溶ける。

 

「RABBIT1……?」

「……先程の戦闘で足を負傷しました、鎮痛剤を投与したのでまだ暫くは走れますが、全力での移動は困難でしょう」

 

 よく見れば、ミヤコの全身は打撲痕や擦過傷が散見され、かなり激しい戦闘を行ったのだと分かった。防弾ベストの表面にも弾痕が見て取れる、余程の手練れと交戦したのか、それとも集中砲火を受けたのか。

 どちらにせよ、彼女の状態は万全より程遠く、本人の云う通り全力疾走など不可能だろう。数秒程沈黙し、思考を巡らせたミヤコは覚悟を決めた様子でミユを見上げる。

 

「――撤退プランを、切り替えます」

 

 声には只ならぬ緊迫感があった。愛銃の弾倉を取り外し、中身を検めたミヤコはハーネスに取り付けていた予備の弾倉を取り出し、換装する。持ち込んだ予備弾倉は四つ、装弾数は豊富だがドラム型マガジン故に嵩張り数を持ち込めない。しかし少数精鋭で活動するSRTにとって、個人火力の有無は重要だった。

 この様な状況に於いては、尚の事。

 

「ど、どうするの、RABBIT1?」

「私はこの場で追っ手の目を惹きます」

 

 カチン、と。

 弾倉をマガジンハウジングに差し込む音が響いた。問い掛けに答えながら、ミヤコはボルトが後退位置で止まっている事を確認する。彼女はミユに視線を向けぬまま、何でもない事の様に告げた。

 

「RABBIT4は先生を連れ、単独でエリドゥ(作戦区域)より脱出を行ってください」

「――……えっ」

 

 下された指示は、予想だにしなかったもの。

 思わず、呆気に取られた様な声が漏れた。

 ミユはこのまま、ミヤコと共闘してエリドゥ脱出を図るものとばかり思っていた。しかし、彼女の下した決断はミユ単独での脱出、隠密に特化した彼女ならば先生を連れての脱出が可能だと判断したのだ。

 その間、他所で騒ぎが起こっているのならば尚宜しい。ミユは遅れて、彼女の意図を察した。握り締めたRABBIT-三十一式短機関銃がその証拠だ。

 ミヤコはミユと先生を逃がす為、この場に残る腹積もりだった。

 

「わ、私、ひとりで脱出するの?」

「はい」

「先生を、連れて……?」

「そうです」

 

 淡々と、ミヤコは頷きを返した。

 ジワリと広がる赤が、雨水を伝ってミユの爪先に触れた。ぶわりと、彼女の背中に寒気と恐怖が奔る。ミユは咄嗟に首を振って、反駁した。

 遂行出来る自信が、何処にもなかった。

 

「む、無理だよ、私には、出来ないよ……!」

「RABBIT4、他に選択肢はありません」

「で、でもっ、それならサキちゃんとか、モエちゃんの合流を待って――」

「事前に決めていたポイントから、既に私達は逸れています、恐らくRABBIT2との合流は絶望的、RABBIT3は通信途絶し規定時間を過ぎても私達が現れない場合、一度撤退する様云い含めています、私達とミレニアムの戦力差は圧倒的です、救援は望めません――独力で敵中を突破するのであれば、これが最善でしょう」

 

 片方が騒ぎを起こして敵を惹き付け、片方がその間に身を隠し、脱出する。そしてその役割は、既に足を潰されかけている自身こそが適任だと。ミヤコは言葉にする事もなく、淡々と事実のみを語った。

 

「わ、私は……っ」

 

 横たわる残酷な作戦。何かを云い返そうとして、ミユは口を開閉させる。そもそもからして、ミヤコの作戦に反対する事自体、彼女にとっては初めての経験だった。

 きっと今回も彼女が正しい、頭では分かっていた。理性はミヤコの合理的な選択を尊重している。しかし感情が、本能が、恐怖が、ミユの身体を縛り付けていた。

 

「私はっ……皆が居ないと、何も出来ないっ!」

 

 咄嗟に口をつき、零れたのは本心だった。

 ミユが抱えていた、自身に対する絶対的な自信の無さ、劣等感、口に出した瞬間腹の奥底から噴き出した負の感情は、とめどなくミユの精神と肉体を揺さぶった。

 ハーネスから伝わる先生の重み、命の重さに押し潰されそうだった。自分一人では耐えられない、この重さに、重圧に。

 

「私には、ミヤコちゃんみたいな勇気も、サキちゃんみたいな知識も、モエちゃんみたいな技術も、何もない!」

 

 雨中で蒼褪め、血の気の失せた顔で必死に叫ぶミユは、ミヤコを見つめる訳でもなく、両手を握り締め、俯きながら叫んでいた。吐き出される声は無様に震え、雨とは異なる理由で血が凍っていく様だった。

 

「皆が、先生が居なくちゃ、私は……私ひとりじゃ!」

「RABBIT4」

 

 ミヤコの伸ばした指先が、ミユの首筋を撫でた。雨水が滴り、張り付いた髪を丁寧に払いながら、小さな肩を叩く。

 

「――いいえ、ミユ」

「っ……!」

 

 息を呑む。

 厳格で公正、作戦行動中であれば尚の事、そう在るべきだと頑なに自身を律していた彼女が、コールサインではない、ミユの名前を口にした。その事に、ミユは微かに驚きを覚えた。

 

 確かにこれは、残酷な選択かもしれない。本来であれば決して褒められた作戦ではないだろう。隊員の犠牲を前提にした作戦など、それを選択しなければならない時点で落第ものだ。

 だが――。

 

「それでも、やらねばなりません」

 

 今この場で先生を託せるのは、ミユだけだ。

 ミヤコの口にした言葉が、彼女の心胆を奥底から揺さぶった。

 

「おい、何時まで逃げ回ってやがるッ!?」

「っ、ひ」

 

 表通りから、怒声が響き渡った。

 同時に雨音に混じって聞こえて来るチェーンを引き摺る音、それに覚えがあったミヤコは思わず顔を顰め、ミユの肩から手を離す。

 

「……どうやら此処も、嗅ぎつけられるのは時間の問題ですね」

「み、ミヤコちゃ――」

「行って下さい、ミユ」

 

 壁に肩を預けたまま、申し訳なさそうに笑うミヤコは、ミユの胸元をそっと押した。一歩蹈鞴を踏み、愛銃を抱えたまま呆然とミヤコを見下ろすミユは、唇を震わせる。それは決して寒さによるものではない。

 

「先生を、お願いします」

 

 その言葉が、ミユの両肩にズシリと圧し掛かった。

 重く、重く、地面に這い蹲ってしまいそうになる程。

 雨音が響く、誰かの叫び声、自分達を探すエリドゥの尖兵。一歩、二歩と後ろへと足を進める、その分だけミヤコが遠くなる。何をするべきかは分かっていた、その一秒がどれ程に貴重なものであるかを理解していた。

 けれど確信があった。

 此処で彼女と別れてしまえば、もう二度と――二度と再会出来ないだろうという確信が。

 

「ぅ、うぅぅうッ……!」

 

 口元から、唸り声とも、苦悶の声とも取れる声が漏れる。喉がひりつき、目元から涙とも雨とも分からない雫が次々と伝う。「ミユ」とミヤコが重ねて名を呼んだ、優し気に、その背中を押す為に。

 二歩、三歩、四歩、雨水を踏み締め後退するミユは、ややあって先生を背負ったまま踵を返し、針の如く肌を刺す雨中、全力で暗がりへと駆け出した。踏み締めた雨水が弾け、音を鳴らす。

 

「ぁ、あぐ、ぅ……!」

 

 声を噛み殺し、去り行く背中。それをミヤコはただ見守り、暗がりに彼女の影が溶けるまで、決して視線を逸らす事は無かった。

 

 ■

 

「……オイ」

 

 果たして、追跡の手は直ぐ傍まで迫っていた。

 ほんの僅かな休息、ミユがこの場を去ってから数分と経過していない。ビルの外壁に背を預け、ただ静かにその時を待っていたミヤコは耳に届いた声に対し、ただ薄らと微笑みを浮かべ立ち上がった。

 負傷した足に巻き付けた止血帯、しかし痛みと違和感ばかりはどうしようもなく、外壁に手を突きながら緩慢な動作で立ち上がる。ずっと雨に打たれ続けた髪は肌に張り付き、雫がとめどなく頬を伝った。

 

「少し、遅かったですね」

「先生を何処にやった」

 

 怒りを滲ませる問い掛けに、ミヤコは鼻を鳴らす。意趣返しという訳ではない、ただ彼女の意識を自分に集中させる為に、敢えて煽る様な口調で以て告げた。

 

「既に、私の仲間が脱出させました」

「―――」

 

 ぶわりと、目の前に立つネルの髪が靡いた。産毛が逆立ち、怒気が全身の穴という穴から噴き出している様な錯覚。

 明らかに様子の変わったネルを眺めながら、ミヤコは小さく吐息を零す。先程の戦闘、こちらもそれなりに弾丸を浴びせた記憶がある。しかし目前の美甘ネルは全く動じた様子を見せず、負傷など知らんとばかりに確りと両足で立っていた。そのメイド服には僅かばかりの被弾痕があるが、そのどれも致命傷には程遠い。

 自分とは正反対だと、ミヤコは胸中で苦笑と共に呟いた。

 ネルは暫しミヤコを睨みつけた後、耳元に装着したインカムに向かって声を投げる。

 

「リオ」

『既に都市内外問わず、AMASと保安部による包囲網を敷いているわ、この状況から逃げ切れる筈が無い』

 

 返答は素早く、的確であった。

 風切り音が耳に届き、ミヤコが頭上を見上げれば無数の群体ドローンが飛び交い、都市全体に捜索の手が伸びているのが分かる。

 数多のカメラ(レンズ)とセンサーから逃れるのは不可能だ。リオはそう断言していた。

 

『……とは云え、僅かな不安要素でさえ残すべきではないわね、特異現象捜査部、及びセミナーの手を借りて対象を確実に捕捉、確保するわ』

「分かった、頼むぞ」

『えぇ、元はと云えばエリドゥの防衛網を突破された私の失態』

 

『――二度目は無いわ』

 

 その一言に、ネルは無言で通信を切った。

 彼女がそう云ったのであれば、事実そうなるのだろうという確信があったのである。少なくとも自身の失態に関して手を抜く程、甘い存在ではない。その点に関してネルはリオを信用している。

 

「リーダー」

 

 通信を終えた瞬間、背後から声が響いた。ネルはその声に僅かな反応を見せ、それから振り向く事も無く淡々と応える。

 

「随分と遅かったな」

「……うん」

「申し訳ありません、何分、高壁の向こう側での戦闘が長引いたもので、どうやら今回は本気で此方から先生を奪う為の攻勢だった様です、外壁の一部が破壊されそちらの対処に追われていました」

「でも、結果的に自治区の攻勢は全部凌いだ、破壊された外壁の封鎖も完了したし、これで漸く【内側の問題】に集中出来る」

 

 靴音、水の跳ねる音、同時に到来する複数の影。ネルの背後から歩み寄る三つの影はビルの外壁に設置された電子掲示板の淡い光に照らされ、それを視認したミヤコの視線が険しさを帯びる。数は三名、統一されたメイド服、使用火器は狙撃銃、突撃銃、拳銃、しかし約一名は大型のケースを所持し特殊兵装の使用可能性あり。

 冷静に面々を見据えたミヤコは、ひとりひとりを視線でなぞりながら、此方を値踏みする様に見定める生徒達と対峙した。

 

「成程、彼女が都市に入り込んだという例の兎ですか」

「既に手負いだな……確か内部に潜入した敵性反応は三つだった筈、内一つ(RABBIT2)は捕捉済み、目の前の彼女がもう一つ(RABBIT1)なら、最後の一つは?」

「そいつは――」

 

 ネルが答えようとした瞬間、雨音を吹き飛ばす様な轟音が周囲に鳴り響いた。

 それは何か、航空機のエンジン音に似た響きを伴い、一筋の閃光が上空を過ったと思った瞬間、影は外壁に衝突。強烈な衝撃波が周囲の雨を吹き飛ばし、ミヤコは咄嗟に飛び散った瓦礫から身を守った。

 続けて瓦礫片を撒き散らしながら落下する巨大な影、それは両腕でビルの外壁を削りながら減速し、ミヤコの背後へと着地を敢行した。

 ズン、という重々しい何かが地面と衝突する轟音、衝撃。パラパラと降り注ぐ破片を払いながら落下した影を注視すれば、コンクリートで固められた地面が粉砕され、飛び散った破片を踏み砕きながら立ち上がる何かがあった。

 

「――アビ・エシュフ(コールサイン・ゼロフォー)、現着」

 

 流星の如く、ビルの外壁を粉砕しながら落下した巨大な影は、強化外骨格(パワードスーツ)。両腕に装着したトライポッドは今しがた着地に際し無理な扱い方をしたというのに、未だ健在。変形も無く、問題なく回転する事を確認したトキは改めてミヤコ、その背後に立つC&Cの先輩方に目を向ける。ネルは現れたトキに対し、呆れたように鼻を鳴らした。

 

「随分と派手な登場じゃねぇか、トキ」

「緊急事態でしたので、現地への急行を優先しました」

 

 まるで悪びれる様子もなく、目前に立つミヤコを改めて見下ろす甲鉄の巨人。前後を強敵に挟まれたミヤコは絶望的な戦況を理解し、しかし膝を屈する事無く両者に対応出来るよう壁側に身を寄せ、身構える。

 誰もかれも、事前に収集したデータに存在する生徒ばかり。

 

「特記戦力のC&Cが勢揃い……ですか」

「えぇ、それ程までに重要な方なのです、私達のご主人様は」

 

 ミヤコの独白に、アカネは飄々とした口調で以て答えた。態度はいつも通り悠然としているが、その視線は険しい。

 恐らくミレニアムの誇る最高戦力、それが軒並みこの場に揃っている。それは先程彼女達が口にした通り、エリドゥを襲っていた自治区の攻勢を跳ね退けたという事であり、対自治区防衛戦力として宛がっていた人員が全て此方に牙を剥くという事でもある。

 最早、脱出はおろかこの場から離脱する事さえ困難だろう。ミヤコの理性が冷静な結論を下す。

 

「……その感情には同意します、先生は、私達RABBIT小隊にとっても大切な方です」

「まぁ、そうだろうな、でなければこんな無謀な作戦は立てない、何処の自治区も同じだ、それ自体は私達も理解している、先生はキヴォトスになくてはならない存在だと」

「なら尚の事です、同じ想いを抱いている生徒が、何故争う必要があるというのですか」

「それは――」

「御託は良い」

 

 時間稼ぎに付き合うつもりはねぇ。

 首を鳴らし、返答に応じるカリンを手で制しながら、一歩を踏み出したネルは吐き捨てる様に云った。そちらの目論見は全てお見通しだと、そう云わんばかりに銃口を突きつけた彼女は、一文字に唇を結んだミヤコを睨みつける。

 

「コイツの仲間が先生を連れてエリドゥより逃げ出そうとしているって話だ、速攻で片付けて見つけ出すぞ、一秒でも早く、何としてもだ、最優先は先生の身柄の保護、それ以外は全て些事だと思え」

「――了解」

「……うん」

 

 指示は簡潔で、目標はただ一つ。

 ネルの言葉に一瞬言葉を呑み、しかし頷きを返したC&Cのメンバーは、手慣れた様子で各々の愛銃を構え始める。ただ一人、アスナだけが何処か虚ろな表情、気のない返答を寄越したが、誰も反応を示す事は無かった。先頭に立ち、ゆったりとした動作で歩み寄るネルは、未だ己の足で立つミヤコに対し険しい口調で投げかける。

 

「複数人で手負いを囲んで叩くなんざ、本当は気乗りはしねぇ、だが今はてめぇの都合でどうこう云っていられる状況じゃねぇからな」

 

 気が乗らない、だがそれだけで投げ捨てられる程、奪われた存在は軽いものではもない。

 警告灯の赤い光、電光掲示板の青白いライト、そこから伸びるネルの影がミヤコを覆う。揺れ動き、擦れた鎖が音を鳴らしていた。ミヤコにとって、それは終焉の予兆でもあった。

 ミヤコの腕がゆっくりと銃口を持ち上げ、目前のネルへと突きつける。それは紛れもない抵抗の意思。それを突きつけられたネルは仏頂面のまま、何の感慨も見せずに告げた。

 

「足掻くな、今更一人で戦ったって結末は変わらねぇ、もう此処で負けを認めろ――そうすりゃ、一瞬で終わらせてやる」

「……お断りです」

 

 それはきっと、彼女なりの慈悲でもあったのだろう。

 しかし、ミヤコはそれを正面から跳ね退けて見せた。痣の残る口元を拭いながら、挑発的な笑みを貼り付けた彼女は真正面から問いかける。

 

「――逆の立場でしたら、貴女は負けを認めますか?」

「……ハッ」

 

 云われて、ネルは思わず破顔した。

 それは、あり得ない事だ。

 分かっているからこそ、ネルは目の前の生徒に心地良いものを感じた。

 ただの感傷だ、しかし最近感じる事の出来なかった代物でもあった。

 その事をネルは、少しだけ惜しく思う。

 

「――こんな世界じゃなきゃ、隣に座ってゲームでも一緒に遊んでいたかもな」

 

 僅かに、ほんの僅かに柔らかな響きを含んだ言葉。

 それが合図だった。

 世界が一瞬速度を失い、引き金に掛けられた指に力が籠るのが分かった。落ちる雨粒一つ一つが分かる程の、極限の集中。それはミヤコが置かれたこの状況で発揮した、才能の開花。

 C&Cのコールサイン持ちが全員揃った状況、これに負傷した月雪ミヤコ(自分自身)が単独で抗える可能性は皆無だろう。力なく震え、今にも折れ曲がりそうになる膝を拳で二度、三度、叩きながら彼女は立ち塞がる彼女達を睥睨する。

 

「絶対に諦めませんよ、私は」

 

 それは彼女の中に残った、僅かな戦意を鼓舞する為の言葉だった。だが言葉に効果は無かった、降りしきる冷たい雨の中、突き出される無数の銃口、或いは立ち塞がる甲鉄の巨人(アビ・エシュフ)だけでも、彼女の戦意を挫くには十分すぎる程だった。

 だが、ミヤコはそれでも尚、足掻く事をやめない。一分、一秒でも良い、ミレニアム最高戦力と想定されるC&Cをこの場に拘束出来るのであれば、それで構わなかった。

 どれだけ無様であろうと、戦い抜いて見せる。

 その気概と覚悟が、途切れぬ限り。

 

「私は……いいえ、私達は」

 

 顎先を伝う雨粒を払い、彼女は最後まで笑みを浮かべる。

 それから大きく息を吸い込むと、立ち塞がるC&Cに立ち向かう為、力強く一歩を踏み出した。

 

「――SRTですから」

 

 ■

 

 ただ、大切な皆と共に過ごせる時間があれば良かった。

 共に何て事の無い日常を送れるのならば、それで良かったのだ。

 けれど、その大切な人を守る為に、仲間に苦しみを強いる選択は果たして正しいのだろうか。

 誰かの犠牲を前提とした生還とは、正しいのだろうか。

 そうでないのならば、皆と共に消える事こそが――正しかったのだろうか。

 あの時、雨に打たれた私は、どうすれば良かったのだろう。

 本当の正しき選択(正義)とは。

 もう一度、皆と日常を過ごせたかもしれない、正しい道は。

 

 今はもう、分からない。

 

 ■

 

【第七サンクトゥム 乙種閉鎖区域中心部】

 

 乙種閉鎖区域は、長年誰の手も入っていない為か荒れ果てていた。

 老朽化した建築物の外壁が剥がれ落ち、雑草に塗れた道の彼方此方に散乱している。見渡す限りの廃墟、色褪せ寂れ、苔むした人工物の数々。

 薄暗く、陰鬱とした雰囲気を持つ中心部は、特に建物が密集している為死角が多い。無造作に転がっていた雑草や石ころを踏み締めながら進むRABBIT小隊は、暫くの間奇襲を警戒し慎重な足取りでサンクトゥムへと近付いていた。しかし結局想定していたポイントに到着するまで、散発的な遭遇戦が何度かあった程度で、碌な戦闘らしい戦闘は発生しなかった。

 

 戦闘が余り発生しなかったのは彼女達がこういった潜入任務に慣れていたから、という点もあるのだろう。

 しかしそれ以上に不気味だった、何かに手招きされている様な、或いは相手の環境に自ら足を運んでいる様な――そんな不安が拭えなかったのだ。

 

 会話らしい会話も無く、最低限の身振り手振りで意思疎通を図る。変わらず張り詰めた神経を保つRABBIT小隊はサンクトゥムの創り出したクレーター付近まで足を進め、不意に足を止めた。

 

「……?」

 

 首筋の裏に、何か奇妙な感覚が走った。同時にきゅっと、胸を締め付ける様な妙な感覚。

 それを感じたのは、ミユだった。

 彼女は自身の胸元を掌で何度か摩り、見下ろしながら困惑した様子で頻りに辺りを見回す。

 

「どうした、RABBIT4」

「な、何だか、視線を感じた様な気がして――」

 

 先頭を歩いていたサキが振り返り、外壁に身を寄せたまま困惑した様子のミユに問い掛ける。ミユもまた彼女と同じように身を寄せながら、周囲の建物を順に確認した。しかし、視線の主らしきものは何処にも見つからない。

 

「視線だと?」

「それってつまり、狙撃って事? もしそうなら、かなり拙いじゃん」

「う、ううん、違くて、そういう感じじゃ――」

 

 狙撃される感覚とは、少し違う。

 彼女自身が狙撃手だからこそ、言語化できない微細な感覚によって、視線に敵意や害意というものが含まれていない事に気付いた。ならば一体何なのか、気のせいなのだろうか? ミユは自身の感覚に自信を持てないからこそ、この奇妙で、胸を締め付ける様な痛みに顔を顰めたまま、肩を落とした。

 

 

 視線の主はRABBIT小隊の背後、至近距離で彼女達を凝視していた。

 

 

「――ッ、コンタクトっ!」

「!?」

 

 最初に視認したミヤコが、咄嗟に叫んだ。

 声は周囲に響き渡り、RABBIT小隊全員が即座にミヤコの向いている方向を確認、人影を目視、射撃姿勢を取り引き金に指を掛ける。姿勢変更、標的確認、トリガーを絞るまで凡そ一秒足らず、驚異的な速度で以て訓練通りの成果を叩き出したRABBIT小隊は、そのまま影に向かって銃撃を敢行しようとして。

 

「……っ!?」

 

 全員の指先が震え、硬直した。

 それは、廃墟に囲まれた薄暗い世界の中であっても、判別できる程度には見知った顔だったからだ。

 

 いつの間にか、と表現する他ない程に、音もなく背後に現れた人影。

 ボロボロの制服、泥と砂利に塗れ、枯葉を貼り付けた姿には見覚えがある。

 擦り切れた運動靴に、首から提げた双眼鏡はレンズに罅が入っていた。

 部隊間で共通して着用していた、特徴的な兎耳のヘッドセットは何処にも見当たらず、肩に装着した腕章は――校章の部分だけが乱雑に削り取られている。

 代わりに胸元にぶら下がった、傷に塗れ、包帯を巻きつけられたまま涙を流す兎ワッペン。

 襤褸布を巻きつけられた愛銃を抱え、虚ろな目で此方を見つめる彼女と対峙したRABBIT小隊は、言葉を失った。

 

「――貴女は」

 

 自身の前に立つ、見知った顔。

 その顔を見た時、佇む人影の胸を過ったのは懐かしさでも、歓喜でもない。

 

 強い――罪悪感だった。

 

 どれだけの時間、一人で生きて来たのだろう? 何度、その顔を思い浮かべただろう? 記憶が擦り切れる程に、日常的に思い返していた。その度に涙を流し、惰弱な己に失望し、自身の心の弱さを呪った。会えるのならば会いたかった、もう一度皆に出会えたらと、何度も夢に見た程だ。空っぽのテントの中で目覚めるのは、寒くて、辛くて、寂しかったから。

 だが、いざ目の前に彼女達が現れた瞬間、胸中に湧き上がったのは抗えない罪悪感だった。

 それは自身に託されたあらゆる物事を果たせなかった事に対する感情なのか。

 それとも、今から自分が為す事に対する感情なのか。

 彼女自身にも、分からなかった。

 

「お、おい、まさか」

「……うっそぉ」

 

 サキとモエが思わず銃口を逸らし、唖然とした様子で声を漏らす。最後尾に立っていたミユは、一番近くで人影と対峙する。殆ど変わらない背丈、けれどひと目で分かる程に草臥れ、憔悴し、傷付いた姿。見慣れ、親しんだ制服。

 暗がりに沈んだ、色のない瞳。

 

「……わ」

 

 ゆっくりと指先を目前の影に向け、ミユは喉を震わせる。

 

「私……?」

「―――」

 

 RABBIT小隊の前に現れたのは、ボロボロの姿の霞沢ミユ。

 彼女の瞳は呆然と此方を見つめる、自分自身を捉えていた。

 

「………」

 

 異なる世界のミユは想う。過去の私、ちっとも変わらない小さな背丈に自信なさげな表情。

 靴跡や枯葉の張り付いた制服は、いつ見ても小汚い。だがそれが、何とも自分らしくて親しみが湧く。

 だが、今はどうでも良い。

 彼女の――異なる世界のミユの意識は、残ったRABBIT小隊の面々へとのみ向けられる。

 

「サキちゃん」

 

 見慣れた鉄帽に、あらゆる状況に対応出来るようにと常に持ち歩いている大型のポーチとバッグ。驚きの中にある、確かな困惑。彼女はこういう、自身の想定もしていなかった状況に少しだけ弱かった。

 その事を、今でも良く憶えている。

 

「モエちゃん」

 

 武装と弾薬の詰まった大きな背嚢を背負い、愛銃を提げながらも油断なく此方を見据えるモエの瞳には、驚きの中にもサキとは異なる観察する様な色がある。彼女はオペレーター業務をこなす事が多く、それ故にどんな時であっても打開策の模索と情報分析を怠らない。部隊員と瓜二つの顔が出て来たとしても、その冷静さは健在だった。

 そして。

 

「――ミヤコちゃん」

 

 虚ろな光を放つミユの瞳が、最後の一人に向けられる。

 あの時、自分に全てを託して消えてしまったRABBIT1(大切な友達)

 目を見開いたまま、無言で瞳を揺らす彼女の胸中は手に取る様に分かる。周りからは不愛想だと思われているが、そんな事は無い。彼女はいつだってRABBIT小隊の仲間を想い、気遣い、大切にしていた。

 あらゆる可能性を考えているのだろう、擬態の可能性は高く、現にこの世界のミユは彼女達の直ぐ傍に存在する。感情を抜きすれば、発砲する事に躊躇など必要ない筈だ。しかし、自身の身近な存在に、友人の顔をした存在を簡単に撃ち抜けるほど、彼女は冷酷になれない。只ならぬ様子の友人、それに酷似した存在は、ミヤコの身体を強固な鎖で雁字搦めにしていた。

 

 その優しさこそが、彼女の長所であり、短所でもあった。

 

「……あぁ」

 

 自分とは違う道、異なる結末を辿ったRABBIT小隊。彼女達を見渡したミユは大きく息を吐き出す。そこには様々な感情が詰まっていた。

 こんな未来を辿れた自分自身に対する妬心や羨望は、当然存在する。しかし、それ以上に彼女の胸には自身を責める感情が渦巻いていた。

 

 こうなる未来だって存在したのだ、そう在る事も出来たのだと。

 彼女達の存在が、全身から叫んでいる様に感じられて。

 見ていると余りにも眩しくて、苦しくて、痛くて、昏くて――。

 

 だから、きっと。

 

「……これは、私に対する罰なんだ」

 

 呟き、ふらりと一歩、異なる世界のミユは後ろに下がった。

 廃墟に囲まれた暗がり、雑草と撒き散らされた瓦礫の影、そこに浸る様にして一歩、また一歩と後退していく。その様子をRABBIT小隊の面々は、焦燥と困惑、そして疑念と共に見守る事しか出来ない。

 

「お、おい、何処に行く!? っていうか、どうなっているんだよコレは!? 何でミユが二人もいるんだ!?」

「いやいや、此処までソックリな存在とか、オートマタの人工皮膚で作った擬態? それとも、生き別れの姉妹とか? 後を追うのは、ちょっとリスキーじゃない?」

「そ、そんな、生き別れの姉妹なんて、わ、私、聞いた事も……」

「――お願い、皆」

 

 口々に叫び合う仲間達に向かって、異なる世界のミユは掌で顔を覆い、零れ落ちそうになる涙を堪え暗がりに沈んでいく。

 ミユは元から存在感の薄い生徒であった、彼女はそんな自身の体質を疎み、嫌っていた。誰にも見つけられない事を、皆に忘れ去られてしまう事を恐れていた。

 

 けれど彼女は、異なる世界のミユは――そんな自分を、完全に受け入れている。

 寧ろ、そう在る事を願っていた。

 故に、その身体は確かに目視出来ている筈なのに、輪郭が、気配が、伸びた廃墟の影の中に溶けて消えていく様な錯覚を覚える。自ら気配を殺し、視線を逃れようとするからこそ、彼女の存在感はより一層希薄に、完全に遮断され、暗がりに沈んでいく。

 

「……ミユ?」

 

 ミヤコは咄嗟に、彼女の名前を呼び手を伸ばそうとした。

 けれどその指先は虚空を掠め、ミユは最後に薄らと微笑み、完全な暗がりの中、微かな残響と共に告げた。

 

「私を、見ないで(見つけないで)

 

 やっぱり、私は(その暗がりと孤独だけが)――一人じゃ何も出来ない存在だから(今の私にとって優しいものだから)

 

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