ブルーアーカイブを、もう一度。   作:トクサン

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誤字脱字報告、感謝ですの!
新イベのストーリーを見る為、一日お休みを頂きましたわ!


お互いに公平で(憎悪のその先で)幸福な結末(彼女はただ幸福を願った)

 アトラ・ハシース、箱舟内部。

 目前に広がる幅の広い回廊は金属質の光沢を放ち、無機質な壁面に走るライン照明が冷たく空間を照らす。まるで空想上の宇宙船内部を思わせる近未来的な造りのソレは、一見すればミレニアムに近しい感覚もあるが、根本的な部分では異なる。

 床には飛来するエネルギー弾によって刻まれた焦げ跡が散見され、漂う鉄の香りが緊張を煽っていた。

 側面に並ぶ巨大な窓からは赤く染まった空が目下に広がり、まるで現実と幻想の境界を踏み越えたような光景でもある。

 そんな薄暗い回廊を、全力で駆け抜ける影が複数。前傾姿勢を取り、先頭を駆けるワカモは愛銃を肩に担いだまま、鋭い眼光で前方を睨みつけ叫んだ。

 

「前方、敵影です、あなた様……!」

「後方からも敵が迫っている、もう直ぐ追いつかれるぞ、先生!」

 

 中央に先生とアコ、前方にミカとワカモ、後方にスクワッドという隊列を取り掛けていた先生は、放たれた鋭い報告に足を止める。アコが手にしていたタブレットを一瞥し、苦々しい表情と共に呟いた。

 

「っ、挟撃されましたか――!」

「分かっていた事だ……!」

 

 先生はシッテムの箱を一瞥する事も無く、側頭部に指先を添えたまま意識を集中させる。齎されるあらゆる情報が、敵の数と位置を明確にする。現状の戦力と後方より迫る自律兵器の総戦力、先生は素早くそれらを比較し後方を指差し、叫ぶ。

 

「後方はスクワッドで抑える、サオリ、敵の足を止めてくれッ!」

「了解ッ!」

 

 指示を受けたスクワッドは回廊の両脇に散開し、即座に迎撃の姿勢を取った。薄暗い回廊、奥から迫り来る幾つもの自律兵器。逃げ続ければどこまでも追跡して来る、ここらで一つ大きく退かせる必要があった。

 先頭に立つサオリは愛銃の突撃銃を右腕に抱え、左手で腰に提げていたナイフを抜き放つ。暗がりの中で蒼穹を思わせる瞳が煌めき、自律兵器を捉えた。

 

「アツコ、ヒヨリ、ミサキ、援護を頼む――私が切り込むッ!」

「うん、任せて」

「は、はいっ!」

「……了解」

 

 各々がポジションへと付き、サオリは大きく息を吸い込み地面を蹴る。一拍後、銃火と閃光が瞬時に回廊を満たし、ミサキのセイントプレデターによる爆撃が複数の自律兵器を吹き飛ばし、ヒヨリのアイデンティティが進路上の影を纏めて粉砕する。

 爆炎と閃光、その合間を駆け抜けサオリと先頭を駆ける自律兵器が接触した。

 

「――ッ!」

 

 まるで槍の如く突き出される複数の主腕。しかしサオリは凄まじい勢いで放たれるそれを確かに視認し、握り締めたナイフで危なげなく切り払い、弾き、懐に潜り込む。自律兵器の外装は相応に堅い、しかし外装を避け装甲の無い部位をピンポイントで撃ち抜けば、数発の消耗で済む。自身の弾丸ならば数を撃って無理矢理外装甲を貫通させる事も可能だろうが、弾薬の節約と急所を突く行為は、最早呼吸に等しい。

 引き金を絞ると同時、バキンッ! という甲高い金属音と共に飛び散る破片がサオリの頬を掠め、閃光が影を揺らめかせた。

 

「前方の敵は、このワカモにお任せを」

 

 静かに云い放ったワカモもまた、サオリと同じように一歩前に踏み出すや否や疾風の如く敵影に飛び込む。不気味な赤い光を放つ自律兵器の群れに、彼女は深紅の災厄を抱えたまま肉薄し、伸ばされる主腕を装着された銃剣で以て一太刀ごとに斬り払った。まるで身体の延長線上の様に、舞踊が如く淀みなく流れる動きは、迫り来る自律兵器の侵攻を押し留め、徐に姿勢を低くとるや否や、銃剣を突き出し自律兵器のカメラ部分を突き刺し――発砲。

 銃声と閃光が瞬き、自律兵器が内部から弾け、火花を散らす配線が周囲に飛び散る。それらを被りながら、仮面の奥で嘲笑う彼女は高らかに叫ぶ。

 

「さぁ、貫かれたい順にどうぞッ!」

 

 突き壊し、光を失った自律兵器を払い除け更に一歩踏み込む。彼女達の奮戦は正に一騎当千の力強さと実力を誇る、しかし流石のワカモであっても単独で百近い自律兵器を一度に相手取る事は出来ない。前後左右、敵の只中で砲撃を躱し、主腕を避け、切り払い、次々と外装甲を打ち据えるワカモは空中へ飛び上がり、目下に蠢く自律兵器の数に辟易とした声を漏らす。

 

「ッ、数だけは無駄に多いですね――ッ!」

「ミカ、頼む……!」

「任せて!」

 

 先生が前方を指差しながら叫べば、呼応する声と共に、ミカが全力で駆け出した。瞬間床が抉れ、凄まじい風圧が先生とアコの身体を打ち据える。それに一瞬息を詰まらせ、瞬きを挟んだ瞬間、彼女は既に自律兵器の目前へと肉薄していた。

 

「せーのッ!」

 

 大きく頬を膨らませ、一息に振り抜かれる無造作な拳。それは轟音を伴って先頭の自律兵器を直撃し、外装甲を容易く粉砕する。それだけではなく、発生した衝撃と吹き飛んだ自律兵器が後列の機体に衝突に、数十体という金属の塊がけたたましい音と共に壁に衝突、拉げる音を立てた。

 それを目視していたワカモは、「あら、お見事です」と感心した声を漏らしながら地面い降り立つ。アコもまた数十体の自律兵器を纏めて粉砕したミカの細腕を凝視しながら、引き攣った声を漏らす。

 

「さ、流石の突破力ですね……」

「まぁね、でもパテル分派の首長なら、これ位出来ないと駄目でしょ」

「……トリニティの各分派首長就任条件に、戦闘能力という項目は存在しないと認識していましたが」

 

 場合によっては、考えを改める必要があるかもしれない。そんな疑念がアコの胸中に湧き上がる。

 しかし、味方であるのならば心強い限りである。アコは気を取り直し、タブレットに表示される敵反応を観察する。前方と後方、それぞれ続々と集結しつつある自律兵器は自分達を圧殺せんと攻勢を続けている。前方とはワカモとミカが、後方はスクワッドが、それぞれ凄まじい勢いで自律兵器を処理しているが、それでも十全とは云い難い。

 

「全く、一体どれだけ数を用意しているのか、キリがありませんね」

「だが着実に進んではいる、一筋縄ではいかないかもしれないけれど、決して足踏みしている訳じゃない――アコ、ウトナピシュティムの防衛状況は?」

「AMASとアビ・エシュフによる防衛線は機能しています、船内への侵入は全て防いでいるとの報告がありました、まだ暫くは問題なく……ッ!」

 

 アコが言葉を云い終えるより早く、先生の背後に影が迫っていた。アコは咄嗟に愛銃を抜き放ち、先生の身体を肘で強引に横合いへと押し出す。

 

「先生、頭を下げていて下さい!」

「ッ!?」

 

 突然の事に目を白黒させていた先生だったが、遅れて自身の傍に接近していた自律兵器に気付く。情報を直接得られると云っても、全てに気が回る訳ではなく、万能とは程遠い。

 アコは迫る自律兵器に向けて連続で発砲、放たれた弾丸は火花を散らしながら敵の装甲を打ち据えた。耳障りな金属音と火花が散り、飛び込んで来た自律兵器の機体を強引に押し留める。しかし、弾丸が装甲を貫通する事は無く――相手は健在。

 その姿を見たアコは舌打ちを零し、目前に不気味な複眼が煌めく。

 

「成程、確かにその外装強度を私のホットショットで貫通させるのは難しそうですね」

「アコ、連中の狙うべき部位は……!」

「――ですが」

 

 先生の言葉を遮るように、アコは冷静な笑みを浮かべる。

 次の瞬間、アコの突き出したホットショットの銃口が僅かに傾き、狙い澄ました一発が自律兵器の砲口を捉えた。

 外装甲の存在しないケーブル部分でもない、エネルギー弾を発射する為の無防備な発射機構。

 内部と直通するその部位は、例え貧弱な火力しか持たない9mmであっても一発で機能停止に追い込む事が出来るだろう。その分析通り弾丸は砲口を貫通、火花と共に機体は痙攣し始め、地面を打ち据える主腕と共に自律兵器はその場へと崩れ落ちた。

 それを見届けたアコは油断なく銃口を突きつけたまま、超然とした姿勢で告げる。

 

「――生憎と、弱点は既に把握済みです」

 

 その的確な分析と判断、射撃精度に先生は感嘆の息を吐く。

 

「……流石、助言の必要は無かったか」

「当然、ヒナ委員長の隣に立つ行政官は伊達ではありませんので」

 

 ふふんと、鼻を鳴らしたアコは薄く笑い、愛銃の銃口を軽やかに跳ね上げて煙を払った。その余裕のある所作を、先生は心強く思う。

 

「兎も角、助かった、この先を真っ直ぐ進めば程なく第四エリア中央、最奥に到着する事が――」

 

 唐突に、言葉を遮るように鳴り響く銃声。

 鋭い衝撃が回廊を奔り、直ぐ脇を質量のある何かが掠めた。

 咄嗟に先生の身体は身を屈め、アコもまた飛来した影に目を見開く。

 

「ッ!?」

「っ、今のは、実弾!?」

 

 閃光ではなく、純粋な弾丸の軌跡が内壁を抉り金属片が飛び散る。

 味方の跳弾ではない、飛来した方向は前方の暗がりより。アコがタブレットへと視線を落とせば、今までとは異なる大型の反応が複数確認出来た。先生もまた、シッテムの箱が検知した熱源を暗がりの中より感じ取り、視線を鋭く尖らせ叫ぶ。

 

「前方より新しい反応だ、警戒を――ッ!」

 

 叫ぶと同時、ズンと重々しい足音が周囲に響き渡る。

 薄らと朧げな暗闇より進み出る六脚の巨躯、蠍か何かを想起させる独特のフォルムと分厚い外装甲、数多の自律兵器を引き連れ出現した大型のソレに、生徒達は驚愕を露にする。

 

「大型の自律兵器!?」

「今まで見た事の無いタイプか……!」

 

 巨大な機体を支える六つの足に、鋭利で巨大な尾、地上でも目にする事の無かったタイプの自律兵器。その出現にアコとサオリが叫ぶ。

 しかし、それだけではない。

 巨大な六脚に追従し、視界の先に浮かぶシルエット。その形状は、見間違えるはずもない。

 

「あの機体は、まさか……」

 

 先生の目が大きく見開かれる。暗がりに浮かび上がった輪郭は、余りにも見覚えがあった。確かな駆動音と、蠢く黒色。通常の自律兵器と比較して幾分か小型化されたその機体は、ゆっくりと銃口を震わせながら一行の前に立ち塞がった。

 

「――AMAS?」

 

 ■

 

 ウトナピシュティムの本船内部、デッキにて。

 

「バイタル正常、戦闘状況の変化は想定範囲内、AMASの消耗具合も――猶予を考えれば、許容範囲に留まるわね」

 

 モニタ群の青白い光がデッキを淡く染め、リオの指先がコンソールを叩く。各ホログラムモニタにはアトラ・ハシースの箱舟内部に存在する生徒と先生のバイタル状況、及び戦況が重なり合い、波形や数値が無機的に跳ねる。

 観測値は次々と更新され、若干の揺らぎを残しながらも総体として安定していることを示していた。

 

「トキ、そちらの状況は?」

『問題ありません、自律兵器の攻勢は全て押し返しています』

 

 声色より発せられる戦意の香りと、遠くで伝わる衝撃と振動を背に、リオは短く頷く。

 映像の一つでは現在進行形でアビ・エシュフが鋭い動きで自律兵器の群れを薙ぎ払い、油圧の唸りと金属音を伴って自律兵器を次々と銃火で粉砕していた。映像のフレームが揺れるたび数値も反応し、安堵を生む小さな赤の消滅がいくつも確認出来る。

 それらを横目にしながら、AMASの管理を行っているカヤが恍惚とした吐息を零す。

 

「しかし、このAMASという戦闘ドローンは優秀ですねぇ、可能ならば防衛室に直接か、ヴァルキューレにも幾つか融通して欲しい所ですが……」

「元々はミレニアムを防衛する為のガーディアン・ドローンとして設計したものよ、他自治区での運用や譲渡は基本的に想定していないわ――今回のD.U.派遣に関しては、特例中の特例」

 

 リオの視線が複数の情報レイヤーを横断する。浮かび上がるのはAMASに関するあらゆる情報、過去の展開ログ。カヤもまた、自身の投影するホログラムに細かく触れる。空間に浮いた画面の上を指が滑り、AMASの駆動源や武装モジュールが拡大され、カヤの視線は事細かにそれらを見つめていた。

 

「一輪駆動による加速性と旋回性能は市街地戦や狭路に強く、小型で低シルエットな機体サイズは一般的な生徒と随伴も可能、モジュール式設計だから状況に応じて追加武装やセンサーも搭載出来る――問題点を挙げるとすれば、幾ら追加武装を用意出来ると云っても火力上限は高くなく、装甲も軽量化優先で対小火器程度という点ね」

「おや、改善点が判明しているのなら、それを放っておく性分にも見えませんが」

「そこは用途の違いよ」

 

 リオの分析は淡々としているが、その言葉には技術者としての熱意が確かに滲んでいる様に思う。

 戦術と生産性の均衡をどこに取るか——リオの云う用途とは、そこに着地する。

 

「そもそもあらゆる状況に対応出来る万能機(マルチロール)は量産に向かない、要求の拡散、最適過不足による単位効果、整備と多機能コンポーネントによるコスト増加、性能とコストの非線形性は決して無視できない、共通部品(コモナリティ)での整備性向上を目指したとしても、辿り着ける性能には限界があるもの、重要な都市部を防衛するならば兎も角、ミレニアム全体をカバーする生産性を確保する事を優先したのが現在のAMASよ」

「――となると、その対極に存在するのが、あのアビ・エシュフと呼ばれた強化外骨格ですか」

「……そうね、アビ・エシュフは特別よ、元々はあの一機で都市一つを防衛し、あらゆる状況を打破する為の機体だから」

 

 その通り、アビ・エシュフはAMASとは対極に位置する存在だろう。本来、アビ・エシュフは世界の終焉を防ぐために存在し、リオが心血を注ぎ創り上げたオーパーツに近しい強化外骨格である。あの機体をAMASと同列に比べる事は出来ない、そもそも設計思想からして異なるのだから。 

 

「……AMASの火力や装甲でどうにも出来ない相手に関しては、元々別の機体や戦力を出動させる事を想定した設計なのよ」

「おや、となるとコレの改良型が既に存在しているのですか?」

「正確に云えば、異なるシチュエーションで運用を想定した機体が存在しているわ――それが、この機体」

 

 カヤの率直な問いかけに、リオは指先で新しいホログラムモニタを呼び出した。空中にスライドして現れたのは、現在もウトナピシュティムの格納庫で整備中の比較的大型の機体。そこに映る輪郭はAMASとは明らかに異なり、どこか人の骨格を想起させるラインを持っていた。

 カヤが画面を覗き込み、驚いた様に目を瞬かせる。

 

「――名を、アバンギャルド君よ」

「…………」

 

 カヤは画面を注視し、無意識の内に眉間へと皺を寄せた。機体の外装は無骨で、過度な装飾がない代わりに球体関節と大型履帯が目立つ。内部機構までは分からないが彼女の事だ、動力配線やフレームの配置など、実際に目で見れば整然とした合理性が感じられる事だろう。

 しかし、カヤの第一印象は決して洗練された機体とは呼べない代物だった。特に頭部、センサーの類が搭載されているのであろうソレ。

 一言で云えば――致命的なダサさであった。

 カヤの何とも云えぬ表情に気付かぬリオは、モニタに映ったアバンギャルド君を眺めながら自信に満ちた声を上げる。

 

「人型動作は柔軟だけれど効率性で非人型に劣る、けれど少数生産の限定機ならその点にも目を瞑れる、戦闘能力は折り紙付き、AMASよりもコスト自体は高いけれど、アビ・エシュフ程負担にはならない生産性とメンテナンス性がある、極小規模な自治区の戦力であれば、アバンギャルド君一機で制圧、防衛も可能な程よ、将来的にはミレニアムの重要施設にアバンギャルド君を一機ずつ配備する事が理想ね」

「……この見た目の機体を、各所に配備するのですか?」

「――見た目は関係ないわ」

 

 カヤの愕然とした声に、リオは努めて強い口調で答えた。その語気の強さにカヤは一瞬気圧され、口を噤む。

 ミレニアムのビッグシスター、彼女が意味も無くこんな壊滅的なデザインの兵器を用いる筈が無いとカヤは考えた。画面に映るアバンギャルドのプロポーションは、確かに機能優先の美学を示している――様な気もする。

 あくまで気がするだけだ。

 動作解析データも無く、実際の戦闘を目にした訳でもない状態では未知数ではあるが、小規模な自治区を制圧可能というスペックが本当ならば、中々に驚異的である様に思えた。

 だからこそ、あの奇妙な頭部のデザインが尚の事気になるのだが。

 そんなカヤの疑問と困惑を裂くように、通信が届く。

 

『リオ様』

「……!」

 

 トキの声が低めのトーンでインカムを震わせ、リオとカヤの間に流れていた空気が一瞬で締まる。

 遠隔から送られる映像ストリームに微細な変化が見えた。リオはコンソールに指を添えながら、険しい表情で問いかける。

 

「状況に変化が、トキ?」

『はい、どうやら、此方の演算結果通りの状況になりそうです』

 

 音声と共に送られる、アビ・エシュフ搭載のカメラが捉えた映像。画質は多少粗いが、その輪郭が際立つ。カヤとリオは、ほぼ同時に画面へと身を乗り出した。

 

「――これは」

「……そう、やはりこうなるのね」

 

 カヤが驚きの声を漏らし、反しリオは納得の色が強い。

 送信された映像に映ったのは、AMASと酷似した機体群。

 しかし、その外殻は黒光りする粘稠な物質で覆われ、光を吸い込むように鈍く艶めいていた。

 動きは既知のAMASよりもぎこちなく、どこか不気味さを伴っている。

 泥ともタールとも表現出来る何かに覆われたAMAS、それらが通常の自律兵器に混じってアビ・エシュフの前に立ちはだかっていた。

 

「此処に来て別種の自律兵器、というかAMASですよね、アレ? それに何です、あの、黒い泥の様なものは――」

「AMASの残骸を利用したものか、或いは再生産されたものか、回収して分析しない事には確かな事は云えないわね……尤も、回収する事自体がリスクに繋がる可能性も否定出来ないけれど」

 

 荒い映像の中、リオは冷静に現れたAMASらしき自律兵器を観察する。外装甲の隙間より蠢く黒い被膜は、薄らと装甲を覆い表面で乾燥しているかのように見えるが、断面では不規則な繊維状の構造が見え隠れしている。

 光学フィルタが適応され、断続的に反射する所作から素材の異常な電磁特性が示唆されている様にも見えるが、確かな事は何も云えない。リオはゆっくりと息を吐き、回収と解析のリスクを頭の中で天秤にかけ、首を横に振った。

 

「まさか、この状況を予期していたのですか?」

「――相手の技術レベルを考えれば、可能性の一つとしては当然、予測出来たわ」

 

 カヤの疑問に、リオは平然と頷きを返した。可能性の列挙は、勝利の為に必要な灯火である。そもそもからして、このアトラ・ハシースの箱舟も、地上に打ち込まれたサンクトゥムも、自分達の理解が及ばないオーパーツの類である。

 次元防壁に空間跳躍、未知の自律兵器の量産に使役、それらを平然と運用する相手に、自分達が科学的、技術的に優位である筈もなし。此方の情報やドローンが解析、或いは逆に利用される可能性は常に頭の片隅に存在した。

 

 それが現実のものとなった。

 リオにとってこれは、ただそれだけの話である。

 

「そもそもあの有線アーム型の自律兵器、立体的な機動力と云い、エネルギー兵装と云い、外装部分の強度も含めて明らかにオーパーツの類よ、アレを無尽蔵とも思える程に生み出せる相手、此方の主力ドローンを解析して模倣する程度、一日二日で出来ても可笑しくはない」

「……そうなると、アビ・エシュフを解析される可能性もあるのでは?」

「そうね――操縦者が存在するのならば、だけれど」

 

 自身の首元を摩りながら呟くリオは思考を巡らせる。アビ・エシュフに用いられた特殊技術は、単純なスキャンや部品の複製を遥かに超える。そもそもアビ・エシュフは自律兵器の類ではなく、着用者の居ない単独での運用は想定されていない。

 そして早々模倣出来るものでもない。だが名も無き神の技術と数多の遺物を考えれば――あり得ないと否定する事も出来なかった。

 正体不明の技術と、表現できない敵方の奇妙な執念深さを過小評価する訳にもいかず。その両端がリオの眉間に細い影を落とし、万が一の事態を考えさせる。

 

『リオ様、敵の数が増加傾向にあります、このままでは近い内に処理が追い付かなくなると、アビ・エシュフの演算結果が――』

「えぇ、分かっているわ」

 

 ディスプレイのグラフが赤い領域に触れ始める。数の増加は時間と共に速度を増しており、現在の防御ラインでは突破されかねない。

 画面の向こう側では両腕を突き出したアビ・エシュフが薙ぎ払う様にトライポッドを動かし、放たれる無数の弾丸がAMASらしき影と自律兵器を次々と撃ち抜いている。瞬く閃光は力強く、傍から見れば圧倒してる様にも見えるが――その分、弾薬の消費とトキの負担は大きくなる。

 それを見据えた上での決断は早かった。

 

「――アバンギャルド君の整備を急がせるわ、それまで耐えて頂戴」

『イエス・マム』

 

 リオの声が艦内に静かに響くと、格納庫内のブライトビーコンが順に点灯を始めた。整備用のAMAS達の動きは変わらず機敏で、アバンギャルド君を固定していたロックボルトが順に解放、最終調整へと移る。

 リオの目前に表示される整備状況と各AMASより齎される推定作業終了時間。彼女の視線が電子時計をなぞる。

 

「それで、間に合いますか?」

「間に合わせるわ」

 

 カヤの問い掛けに、リオはホログラムモニタを払いながら平然と答えた。

 そこには焦りも、不安も無い。

 純然たる事実と自信に裏打ちされた自負があった。

 

 ――優秀な従者には、優秀な主を

 

 胸中で零し、リオは力強く告げた。

 

「この場所を守る事が、私の役割だもの」

 

 ■

 

「くっ、どれだけ集まって来るんですか――ッ!」

 

 回廊一杯に金属音とノイズが渦巻く。

 薄らと走る蛍光が弾丸の閃光に反射し、地面を奔る影は千切れては集まるように蠢いていた。

 突如出現したAMASと、それに混じる自律兵器の大群が前方を埋め尽くし、一行が足を止めて迎え撃つ以外に選択肢が無い程、苛烈な攻勢を繰り出して来た自律兵器群。中には六本の脚を持ち、鈍重な動きで此方を打ち据える大型自律兵器の姿も見え、回廊は瞬く間に光弾と実弾の入り乱れる戦場と化した。

 

「あの六脚タイプの自律兵器、堅い上に火力もある、早めに処理しないと危険だよ、リーダー!」

「分かってはいる、だがこうも数を揃えられては……!」

 

 新たな弾頭をセイントプレデターに押し込みながら、ミサキは鋭い声を飛ばす。サオリは彼女の言葉に頷きながらも、額に汗を滲ませ苦悶の声を上げた。

 転がった自律兵器の残骸に身を隠し、弾倉を切り替えるサオリの頭の中では幾つかの戦術が回り続けるが、視界に押し寄せる黒い塊は理屈だけでは切り崩せない。

 火力、装甲共に強力な六脚タイプは周囲に自律兵器が纏わりつき、仮に飛び込んでも撃破に時間が掛かり、離脱が遅れてしまえば囲まれて逃げる袋叩きに遭う。先程と同じように切り込むのはリスクが大きい。

 此処はミサキのセイントプレデターによる爆撃か、ヒヨリのアイデンティティによる狙撃で数を減らすしかない。自分とアツコは他の自律兵器の牽制に留め、前線を維持する。

 その様に考えて――。

 

「ふん、堅いって云っても、さッ!」

 

 あまりにも無造作に、ミカが前へと踏み出した。動き出しは滑らかで、足取りには余裕すら感じさせる。

 ミカは飛来する実弾や光弾を真正面から受け、弾き、その悉くをそよ風の如く払う。そして六脚タイプの自律兵器に正面から踏み込むと、その足を思い切り振り抜いた。

 

 風切り音と共に放たれる爪先、外装甲へと着撃し、衝撃が周囲の空気を震わせ、全長四、五メートルはある筈の甲鉄の塊が浮き上がる。

 

 ミカの蹴りは無造作だったが、込められた力は凄まじいものがあった。

 六本脚の頭部を足裏が的確に捕らえ、下から掬い上げる様に蹴り上げた一撃は、機体の重心を崩し先頭部分を跳ね上げる。

 激しく打ち上げられた大型機体はそのまま頭上を仰ぎ、次の瞬間轟音と共にひっくり返った。

 まるで道端に打ち捨てられた虫の如く、蠢く六本脚は既に意味を為さず、露出した腹部からは駆動線が火花を散らし、ミカは反転した機体の腹部を踏み躙りながら告げる。

 

「こうやって蹴飛ばしてひっくり返しちゃえば、何も出来ないでしょ?」

 

 ミカは軽く肩をすくめ、倒れた機体にとどめを刺すようにトリガーを絞る。銃声が響き、外装を貫通、内部フレーム諸共砕ける音が低く響く。まるで簡単な事の様に宣う彼女の姿に、スクワッドの面々は驚愕や畏怖、呆れを露にした。

 

「け、蹴り一発で、あの巨体が簡単に――?」

「……それが出来るのは、私達の中でもあなた位でしょ」

 

 ヒヨリの瞳に畏怖と動揺が浮かび上がり、ミサキは半ば呆れた様に呟きを漏らした。あんな巨躯を容易く蹴飛ばしてひっくりかえせるような真似、キヴォトスの生徒であっても簡単に出来る筈もなし。

 ミカは彼女達の言葉を背に肩を竦めると、そのまま周囲の自律兵器を蹴散らしながら次の六脚タイプの機体を見つけ、肉薄する。前方の戦闘に関してはミカが圧倒している、だが戦況は未だ流動的で予断を許さない。

 先生を守る様に自律兵器の残骸を重ね、即席の遮蔽を創り出したアツコは、黒いタールの様な何かに包まれたAMASを視界に収めながら疑問を呈する。

 

「でも、どうして敵にAMASが……?」

「分かりません、機体が乗っ取られているのか、敵方が機体を模倣しているのか――どちらにせよ、厄介な状況に変わりはありませんが」

 

 アツコの直ぐ横で、アコは短く舌打ちをし新しい弾倉をホットショットに嵌め込む。もはやどんな事態が起こっても驚きはすまい。元より常識外の相手だ、一々反応を示す事自体が馬鹿らしくなる程に。

 

「さて、この六脚の自律兵器……」

 

 ワカモもまた、蠢く自律兵器を足場に宙を舞い、六脚タイプの背中へと着地する。蠍の如く反り返った尾が紫電を放ち、降り立ったワカモを振り払おうと駆動するが、それよりも早く彼女の銃剣が頭部の外装、その間隙を突き、銃弾が撃ち込まれた。

 銃声が鳴り響き、同時に黒々としたケーブルが千切れ飛ぶ。火花を散らした機体は大きく震え、そのまま地面へと沈んだ。周囲の自律兵器より放たれる幾つもの光弾を避け、弾き、再び虚空へと飛び上がった彼女は仮面を指先で抑えながら、機能停止した六脚を見下ろし告げた。

 

「対処自体は可能、外装が硬いとは云え、間隙を縫えば撃破は容易い――ですが」

「うん、私達の足が止まっちゃうね」

 

 平然とした様子で自律兵器を殴り飛ばし、その外装を拉げさせたミカは、ワカモと視線を交わしながら頷きを返す。新たに出現したAMASを模倣した何か、同時に鈍重でありながら火力と装甲に優れる六脚タイプの自律兵器。

 まるで自分達の進行を押し留めるかのような采配である。

 先生の視線はスクワッドとミカ、ワカモを超え、先へ先へと伸び、暗がりの更に向こう側を捉えていた。

 

 ――それが、相手の狙いか。

 

 純粋な時間稼ぎ。

 敵は数と装甲で押し込み、こちらの前進速度を削ぐ。既にウトナピシュティムを離れてから二十七分が経過し、息つく暇も無いまま局面は硬直の兆しを見せ始めている。胸元に肌身離さず抱き締めたシッテムの箱を一瞥しながら、先生は小さく問いかける。

 

「アロナ、作戦の進行状況は――」

アトラ・ハシース攻略作戦(ヴィア・ドロローサ)、現在の進行度は十四の内、凡そ五段階目に該当するかと……進行具合としては、あまり芳しくはありません』

 

 アロナの声は努めて冷静な色を保っていたが、口に出された数字は冷たく現実を告げる――事前計画の内、自分達はまだ半分にも達していない。

 その事実が、先生の胸中に鈍い痛みと共に浸透した。

 

「……ッ」

 

 口元が固く結ばれ、堪らず噛み締めた奥歯が軋みを上げる。時折流れ出る鼻血を拭うグローブの指先が、動揺に震えた。時間は敵である、足踏みをするだけの余裕が、自分達には残されていないというのに。

 こんな所で、足止めを食らっている場合ではない。しかし、敵の攻勢は此方の想定以上に苛烈であり、先生の瞳が徐々に深く危険な色味を帯びていく。

 

 切るべきか、此処で――大人のカード(切り札)を。

 

 先生の指先がシッテムの箱、その表面をなぞり、堪え切れないもどかしさが先生の表情を歪め、その背中を押した。ナラム・シンの玉座に辿り着けていない現状、今この身体状況でカードを切った場合の代償は予測出来ない。

 否、結末は分かり切っている。

 耐え切れる筈がない。

 ただ生存するだけで精一杯の己が――どうしてカードの使用に堪え得る等と考えられよう。

 次、大人のカードを切った時、その瞬間こそが己の崩壊を決定付ける筈だ。

 

 文字通り最後の一回。

 自身の消滅と引き換えの、たった一度だけ残された手段(奇跡)

 それを行使するべきは、本当に今なのか。

 疑念と迷いが、ただでさえ少ない時間を奪い去っていく。

 

「―――」

 

 その沈黙を、サオリは横合いからジッと見つめていた。

 周囲の銃声や金属摩擦の音が彼女の鼓動と同期するように、その視線は積み上げた自律兵器の残骸に身を潜めるアツコへ滑り、短い瞬間に意志が交錯する。気配の変化に気付いたミサキが、ヒヨリが、不意にサオリを見た。

 彼女達の瞳を見返し、僅かばかりの沈黙を守るサオリ。瞳の奥にきらりと光る、希望の色。それは嘗ての自分達には存在しなかった、明日を期待する可能性の色。

 それを見たスクワッドは目を瞬かせ、それから誰からという訳でもなく、ふっと恰好を崩した。

 

 ――私達の幸福は、家族(スクワッド)と共に在る。

 

 想いは同じだ。

 過去も、現在も。

 変わらないその唯一の感情は、戦場の雑踏の中で一つの静かな灯火となった。

 サオリはぐっと腹に力を籠めると、徐に顔を上げる。

 

「……先生」

「――?」

 

 短い呼び掛け。先生がサオリに視線を向け、その表情が、決意の色を帯びている事に気付いた。

 だがそれに触れるよりも早く、彼女は告げる。

 

「先に進んでくれ、この場所は私達――スクワッドが受け持とう」

「……!」

 

 驚きが、無言のまま口元に滲んだ。まさか、という思いがあった。

 自律兵器による挟撃、確かに片側を後方へ押し留められれば、突破の機会が生まれるだろう。

 しかしそれは、同時に盾となる者たちへの重い負担を意味する。

 その一言を耳にしたミカは、戦闘の只中であるにも関わらず目を見開き、後方へと顔を向けた。

 

「サオリ、貴女は――」

「心配は不要だ」

 

 ミカが声を上げようとすると、サオリが即座に遮った。彼女の声は柔らかくも揺るがなく、口元を覆っていたマスクを緩慢な動作で取り外したサオリは、薄らとした微笑を湛え呟く。

 

「こんな場所で命を擲つつもりは毛頭ない、大切な先生に貰った命だ、冷たい機械にくれてやれる程、軽いものではない」

「……サオリ」

 

 その言に、ミカの表情が引き締まる。並々ならぬ覚悟がそこにあると、その場にいる誰もが感じ取った。それはアコも、先生も同様に。放たれる光弾が掠め、サオリが積み上がった遮蔽代わりの残骸から手を伸ばし、反撃の応射を行う。マズルフラッシュに照らされた横顔を見つめていたミサキは、小さく吐息を零しブーツの横合いに取り付けたホルスターから、愛用のリボルバーを抜き放った。

 一発一発、装填されている弾丸を目視した彼女は、ぽつぽつと口を開く。

 

「……そうだね、リーダーの云う通り、現状だとそれが最適解かもしれない」

 

 戦術眼に長けた彼女の言葉には、感情を排した合理的な道筋が見えている様だった。ミサキは冷静に後方より迫る自律兵器群を見据えながら、銃口を突きつけ云った。

 

「態々相手の都合に付き合ってあげる意味なんてない、部隊を分けて片方が後続の戦力を押し留めて、突破力のあるもう片方が一気に深部まで駆け抜ける、この状況なら一番時間が掛からない、合理的な作戦だと思う」

「ですが、その作戦では……!」

「うん、殿を務める部隊は全滅するかもね――でも、この作戦に参加した時点で誰も似たようなものでしょ」

 

 アコの戸惑いを孕んだ声に、ミサキは淡々と言葉を返す。最悪の場合、自ら命を投げ捨てる様な行為に等しい。だが、彼女達の表情には不安も葛藤も見られなかった。元より生還率一桁の突入作戦、今更この程度の作戦の一つや二つ、どうという事も無い。

 

「大丈夫だよ」

 

 狼狽えるアコに対し、アツコは平然とした声で宣った。

 周囲の緊張と対照的なその明るさは、一体どのような根拠に依るものか。

 アツコは愛銃を抱えたまま自身のマスクを指先でなぞり、小首を傾げながら続ける。

 

「スクワッドは元から少数精鋭のチーム、私達だけなら、どれだけの戦力を相手取っても逃げられると思うから」

「ほ、本当は、ちょ、ちょっと不安ですけれど……に、逃げたり、隠れたりするのは得意ですし! 今まで、散々そういう生活でしたから! え、えへへ……!」

「まぁ、流石にいつまでも耐えるのは無理だけれど、少し押し返してウトナピシュティムに撤退する程度の余力はまだあるよ、決断するなら体力と弾薬に余裕がある内が良い」

「――あぁ、私達の実力は、知っているだろう?」

 

 スクワッドのメンバーが次々と声を掛け、その語気には変わらぬ自信と覚悟が込められていた。彼女達の言葉が先生の鼓膜を震わせ、依然として不安と危険を孕みながらも、確かな方針を作り出す。

 サオリの手が伸び、先生の胸元を指先でそっと押した。

 

「先生、此処は私達に任せて、先に進んでくれ」

「っ……!」

 

 サオリを見返し、その表情が揺れる。

 暗がりの回廊、その先には己が打倒すべき存在が横たわり、背後には守るべき生徒。その事実が先生の感情と理性を揺さぶり、一瞬言葉を呑む。

 

「――……分かった」

 

 だが、迷うだけの暇さえ自身には許されていない。

 数秒の重々しい沈黙を経て、先生はぎこちなく頷きを返した。軽い震えが声に混ざるが、その瞳に揺らぎは無い。銃弾の飛び交う最中、身を伏せたまま自律兵器の残骸より身を晒した先生は、スクワッドを振り返り、腹の底から声を絞り出す。

 

「ありがとう、皆――必ず、勝って来るから」

「……あぁ、信じているさ」

 

 アトラ・ハシースの制御権を手にして、彼女達を地上に帰す。それまで絶対に、自身は足を止めはしない。そう云い聞かせ、先生は大きく頷いて見せる。

 アコが先生とスクワッドを交互に見つめ、しかし言葉を呑んで愛銃を突き出し、前方へと駆けて行く。遥か先でワカモが躍る様に自律兵器を蹴散らしていた、その背中を追う様に駆け出す先生。

 振り返ることなく、ただ一心不乱に駆けて行くその姿を、サオリは静かに見送った。

 先生の背中に向けて、彼女はマスクで口元を覆い、小さく呟く。

 

「また後で、先生」

 

 声は、確かに先生に届いていた。

 ほんの囁くような声だったが、シッテムの箱による情報収集はサオリの小さな独白さえも拾い上げる。

 

 ――その声に応えられない事の(己に明日など存在しないと)どれ程罪深い事か(知っているのに)

 

 駆けながら、先生は生徒に分からぬよう顔を伏せ、般若の如く目元を歪め、己の皮膚に爪を立てた。

 握り締めた拳が軋みを上げ、痛みさえ奪われた身体が悲鳴を上げる。その信頼を裏切る事に、この様な道しか選べない無力な己に、どうしようもなく遣る瀬無い感情が沸き立つ。

 他に選択肢は無い事は理解していた。

 そうする他なかったのだと幾つもの言葉が浮かんだ。

 全力を尽くし得られた漸く機会がコレなのだと――自身の背中から滲み出る影が叫んでいた。

 だが、現実に横たわる光景は余りにも無情で。

 

「ミカ」

「……なぁに、サオリ」

 

 走り行く先生の道を切り開きながら、その背中に残った自律兵器を一掃するミカ。

 サオリは愛銃の弾倉を切り離し、空になったそれを放りながらミカの名を口ずさむ。

 互いに視線は交わさず、背中を突き合わせながら目前の敵だけを見据える。ほんの短い沈黙の後、サオリの口から言葉が零れる。

 

「云うまでもないと思うが」

 

 一拍置いてから、低く、しかし確かな声で彼女は云った。

 

「先生を、頼む」

「当然でしょ」

 

 返答は簡潔で、力強かった。

 油断ならない状況の中で交わされる、それだけのやり取り。互いの銃口が火を噴き、その度に金属が金切り音を上げる。けたたましい戦火の中で二人の声は搔き消されても全くおかしくはなかったが、何故か互いの声だけは、ハッキリと耳に届いていた。

 

「――嘗てお前は私を赦し、あまつさえ私の進む道を、身を挺して守ってくれたな」

 

 脳裏を過るのは、エデン条約の古い記憶。二人の間に静かに浮かぶ、憎悪と復讐、善意と悪意、祈りと願いの物語。

 学園だけの話ではない、同じ道を選び、同じ結末を望み、同じ未来を辿る筈だった彼女達は――今再び、その進むべき道を同じくしようとしている。

 

「あの時の選択、私は今でも深く感謝している、お前が選んだ道のお陰で、私達スクワッドは再び共に過ごす事が出来るようになった……伝える機会が無くて、ずっと口に出せずに居たから」

「………」

「だから今度は、私が――私達が、お前の往く道を守る番だ」

 

 飛来する光弾の最中、爆炎と閃光に彩られた背中。そこに込められた意志が、言葉以上の力を持ってミカの背を押し出した。目にせずと分かる、今サオリがどんな表情で、どんな瞳をしているのか。

 だからミカは振り返ることなく、呟きを返す。

 

「サオリ、それはちょっと、違うと思うよ」

「……?」

 

 ミカが務めて軽い口調で云った。

 いつもの無邪気さが、ほんの少し滲む声だと思った。

 彼女らしい軽妙で、率直で――偽りのない気持ち。

 

「これから進むこの道は、私と先生だけの道じゃないんだよ、サオリ」

「……何?」

「だってこの道は、私達の未来(幸福)へと続く道だもん」

 

 そうだ、この道は自分達だけのものではない。

 ミカの言葉は、戦火の血生臭い空気を柔らかく撫でた。場所に似合わない所作で、両手を広げながら純白の翼を広げる彼女。飛来する銃弾も、光弾も、爆発も閃光も、何もかもが今だけは彼女を彩るアクセントでしかない。

 まるで全ての攻撃が自分に当たらないと確信しているかのように、優雅に地面を踏み締めるミカ。そんな彼女が不意に踵を返し、サオリへと振り返った。

 

「――その中には、貴女達だって含まれているんだから」

 

 ふわりと、花の様な香りが鼻腔を擽る。

 宙を流れる長髪、舞い落ちる羽根、純白のそれらがミカの周囲を彩り、飛来する光の数々はまるで煌めく星々の如く。

 戦場に不釣り合いな程に幻想的で、美しい光景に、サオリは一瞬我を忘れた。爆炎が彼女に影を作り、大きな焔はミカの笑みを照らす。

 

一回失敗しちゃったからって(私には分かるよ)諦める必要なんてない(それでも諦める必要なんて無い)、他ならぬ貴女達がそれを証明した筈でしょう?」

「―――……」

「どんな絶望的な状況からでも、貴女は家族(大切な人)と共に在る事を願って、諦めなかった――それと同じだよ、トリニティだろうと、アリウスだろうと関係ない、私達の未来も、幸せも、これからの私達自身が決めるの」

 

 それが互いに公平で、不幸な結末なんかじゃない――互いに公平で、幸福な結末。

 

 ミカの指先が爆炎に照らされ、闇夜を切り裂いた行く先を示す。その只中を懸命に駆ける、大人の背中を。

 

「――私が目指すのは、そんな明日(未来)なんだから」

 

 ミカの確固たる意志を秘めた声が、サオリの鼓膜を揺らした。

 その言葉に、何と声を返さば良いのか分からなかった。

 ただ、その様な言葉を送られるとは思ってもいなくて、数秒程声に詰まる。

 その勢いそのままに、ミカは再び背を向けると軽やかに告げた。

 

「それじゃあ、また後でね! そんな鉄屑共に負けちゃ駄目だよ、サオリ!」

「――……あぁ」

 

 笑い混じりに駆け出し、先生の背中に追いつくミカ。その足取りは迷いなく、宙を舞う純白の姿は暗がりでも良く見えた。そんなミカに対し、スクワッドの面々は戦闘の手をほんの僅かに止め、声を漏らす。

 

「……相変わらず、能天気な女だね」

「でも、私達の事を気遣ってくれたんだと思うよ」

「そ、そう、ですね……以前の関係を想えば、ずっと」

 

 見えなくなった彼女の背を見送る者たちの表情は、嘗ての関係を想えば幾分か柔らかい。ミサキのどこか毒を孕んだ声さえ、サオリには僅かに暖かく聞こえた。

 サオリは、徐々に見えなくなる背中に視線を向けたまま、再び自律兵器の残骸に身を隠す。周囲を掠める光弾や実弾、飛び散る火花が今だけは気にならなかった。戦場の喧騒に身を浸しながら、彼女は胸中で呟きを零す。

 

 ――そうだ、私達の未来(幸福)は……。

 

 それは、誰かに従って得るものでも、強制されるものでもない。

 それを求める資格が無いのだと、求める事自体が罪であると、嘗てはそう信じていた。

 けれど、今は。

 陽の光を知り、異なる未来を思い描いた、今だけは――。

 

「リーダー、自律兵器との距離、かなり詰まって来たよ」

「……分かった、アツコ、ミサキ、私と一緒に白兵戦の用意を、ヒヨリは六脚タイプを集中して狙え」

「うん」

「りょ、了解です……!」

 

 湧き上がった言葉を呑み込みサオリは意識を切り替え、スクワッド全体の空気が一瞬にして引き締まる。ヒヨリが巨大なガンケースの上に愛銃を乗せ、再び狙撃姿勢を取る。視線の先で、自律兵器の群れが此方に飛び込もうとしていた。駆けるワカモやミカ、先生の背を追って。

 それを阻止する事こそが、己の役目。

 

「――悪いが、お前達がこの道を通る事は無い」

 

 先頭を駆ける自律兵器の外装を、サオリの蹴撃が容赦なく捉えた。

 衝撃と金属の拉げる音、遮蔽から飛び出し自律兵器の前へ姿を晒したサオリは蹴飛ばした自律兵器を壁に叩き付け、愛銃とナイフを油断なく構える。数えるのも億劫になる程の大群を前に、しかし悠然と立ち塞がる彼女。

 その隣にミサキとアツコが並び、背後から撃ち鳴らされる重低音が、今まさに飛び掛かろうとした自律兵器を纏めて吹き飛ばした。

 飛び散る金属片、けたたましい破砕音、ガコンと、アイデンティティのチャンバーから弾かれる空薬莢。

 噴き出す白煙が、スクワッドの背後に揺らめく。

 

「此処から先の道は――未来へと続く、この道は」

 

 サオリの声が低く、唸る様に響く。スクワッドの構えた銃口が自律兵器をなぞり、一拍後視界に幾つもの紫光が瞬いた。

 飛来する無数の光弾、サオリが号令を掛ける必要さえなく、スクワッドは即座に前方へと駆け出し、再び撃ち鳴らされる砲音の如き重低音。

 アツコが至近距離で外装甲の隙間へ銃弾を叩き込み、展開されたドローンが皆の視界に瞬く。ミサキがヒヨリへと近付く自律兵器をセイントプレデターとリボルバーを駆使し、火力で以て片っ端から吹き飛ばした。爆炎の中、ヒヨリはただ静かに呼吸を整え、等間隔で重々しい銃声を響かせ六脚を排除すれば良い。

 阿吽の呼吸、言葉に出さない彼女たちの覚悟は、飛来する無数の弾丸に挫かれる事無く――誰よりも先頭を駆け自律兵器へと肉薄したサオリは、頼もしい家族を背を預けながら、引き金を絞ると共に叫んだ。

 

「私達、スクワッドが死守するッ!」

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