【第二サンクトゥム ミレニアム郊外・閉鎖地域】
砂埃を巻き上げる突風が、頬を撫でた。
閉鎖地域中央、破棄された研究施設群の更に奥。ひび割れたアスファルトの隙間からは、かすかに焦げた匂いが立ち上っていた。恐らく工場跡地や研究所周辺の非常用電源が微かに残っているのだろう。太陽光パネルや蓄電池、独自の発電設備が辛うじて動作している場所があっても可笑しくは無い。時折ノイズを放つ電光掲示板や、瞬くホログラムボードが周辺を照らし、地面に複数の影が伸びる。
「………」
地面に突きたったサンクトゥム、めくれ上がり壁の如く隆起したクレーターの外側から、アスナが恐る恐る顔を覗かせた。
巨大なサンクトゥムが顕現した際の衝撃は凄まじいもので、サンクトゥム周辺は数キロメートルに渡って巨大なクレーターが出来上がっている。倒壊した建築物や瓦礫片を踏み締め、殆ど登山の如く過程を経てクレーターの頂点部分に到着したC&Cのメンバー達は、斜面に体を隠しながら内側を覗き込んでいた。
「おい」
「むぐっ」
一歩、また一歩と少しずつ内側に身を乗り出すアスナの頭を、すかさずネルが押し戻す。
彼女は呆れた様子で吐息を零し、握り締めた愛銃のグリップでアスナの額を小突いた。
「戦えねぇ奴が顔を出し過ぎだ、馬鹿、気付かれんだろうが」
横合いから離れた言葉に、彼女――異なる世界のアスナは自身の額を擦りながら肩を竦める。
C&Cの目の前には、天高く聳え立つ巨大なサンクトゥムと、雲を押し退け広がる赤空、巨大な円環が広がっている。その根元には、百を超える自律兵器が整然と並び待機していた。どれもこれもレンズに光は灯らず、項垂れる様にして沈黙しているが、此方が仕掛ければ即座に起動し襲い掛かって来るだろう。
視界でざっと自律兵器の群れをなぞったカリンは、斜面に張り付いたまま愛銃の弾倉を検め、嘆息する。
「どうやら、周辺の自律兵器を軒並みサンクトゥム周辺に集結させたみたいだな、これを殲滅するには骨が折れる」
「とは云え、此処に集まった連中をぶっ飛ばさないと爆薬で吹っ飛ばす事も出来ねぇ、確か、支給された奴は直接貼り付けて起爆しないと壊せねぇんだろう?」
ネルが指先で目元に影を作り、低く呟く。百を超える自律兵器、撃破するだけならば可能だろうが、流石に楽勝とはいかない。ある程度の時間と、弾薬・体力の消費は覚悟しなければならない筈だ。
「えぇ、遠方からの砲撃や爆撃を遮断する件の防壁と同様のものかは分かりませんが、万全を期すなら塔に直接仕掛けるべきかと――これだけの巨大建造物です、質量と剛性を考えれば、外部の一部を破壊するだけでは致命的な損傷になり得ません」
「配置場所と手順は既に分かっているから良いとして、問題は設置と爆破のタイミングか」
「はい、私がこれを仕掛けている間――自律兵器がまた襲って来ないとも限りませんから」
問い掛けに、アカネは落ち着いた口調で答えた。持ち運んでいた巨大なケースを開き、手際良く中身を確認していく。アカネの指先は幾つかの爆薬を掴み、それを皆の前に差し出した。
外見は通常のプラスチック爆弾に酷似しているが、中身はサンクトゥムを破棄・爆破処理する為に先生が用意、クラフトチェンバーで複製、連邦生徒会を通じて支給された特製爆弾である。
コレをサンクトゥムの根元に複数仕掛け、同時に起爆、構造的に不利な状況を作り出し自壊を狙う。同期の難しさが難点だが、その点に関しては各々のサンクトゥムにそれぞれ爆薬や爆発、その手の知識を持つ者が同行、或いはサポートチームに付いている。
ネルは差し出された爆薬を一瞥するや否や頷き、短く息を吸う。
「なら、策は一つだな」
その声に、全員が顔を上げた。表情には若干の苦笑、まるで慣れた事だと云わんばかりの親しみが滲んでいる。
「……真正面からぶっ飛ばす、ですか?」
アカネの静かな問いかけに、ネルはニヤリと口角を上げた。
「分かってんじゃねぇか」
絶対的な自信と自負。目下の自律兵器を見据えながら、全く恐怖や不安を抱かない強者特有の笑みを湛え、ネルはジャラリと握り締めた双銃、そこに繋がれた鎖を鳴らした。
今にも飛び出しそうなリーダーの姿に、アカネとカリンは顔を見合わせるや否や吐息を零し、各々が手早く正面戦闘に備え準備を済ませる。
「純粋な力戦、ですね」
「あぁ、いつも通りと」
カリンとアカネは肩を並べ、互いに軽く頷き合う。彼女たちにとって、こういった作戦とも云えぬ真正面からの衝突は、もはや日常の一部である。寧ろ、こういった点に於いては事前計画があったとしても、そんなものは知らぬアスナが嬉々として駆け出す事が殆どであったが――二人の視線が、斜面に身を隠したまま沈黙を守る二つの影を捉える。
この世界の
彼女らしくないと思ってしまう程に、沈黙を守る二人は、片や純真無垢で何も変わらぬ瞳を、片や何処か苦しそうな、息苦しそうな表情で皆を見つめている。
此方の世界に存在するアスナの方が、苦悶の表情を浮かべているのはどういった理由からか。何も分からない、忘却しているからこそ、異なる世界のアスナは無垢で純粋な瞳を見せているのか。
ネルは暫し二人を見つめ、鼻を鳴らす。
「……行くぞ、さっさとあの気色悪い塔を圧し折る」
「了解」
カリンとアカネが頷きを返し、斜面に伏せていた身体を起こして戦闘態勢に入る。銃器のスライド音、ブーツが地面を踏み締める音――聞き慣れている筈のそれが、嫌に耳にこびり付く。
「アスナ、てめぇはソイツを見ておけ、絶対目を離すなよ!」
「あっ――」
てっきり、戦闘の際は自分も数に入っているのだと思っていた。
しかしアスナがスリングを外して、愛銃のサプライズパーティーを構えるより早く、ネルはいの一番に飛び出し、背を向けざまに叫んだ。
アスナを除くC&C総員が砂煙を上げて飛び出し、クレーターの斜面を滑り落ちていく。
立ち昇る砂埃が、一瞬アスナの視界を遮った。
「開戦の花火だ、派手にブチ上げろッ!」
「優雅に排除します、爆炎にはご注意を――!」
「火力支援を開始する!」
斜面を滑りながらアカネは握り締めていた爆弾を広範囲にばら撒き、一斉に起爆。瞬間緋色の爆炎が視界を覆い、整列していた自律兵器の一角が丸々吹き飛んだ。
金属片や火花が飛び散り、その中を裂いて突撃していくネル。斜面を滑り降り、ホークアイを振り回して射撃姿勢を取ったカリンは、起動する自律兵器を一列に射貫く。
静寂は瞬きの間に爆発と銃声に掻き消され、取り残されたアスナは、爆発と銃撃に彩られる仲間達、その背を見つめながらぐっと唇を一文字に結び――それから無言で再び遮蔽に身を伏せた。
伸ばした掌が、異なる世界の自分、その肩を掴む。
ふと、隣り合う彼女の頬に土埃が付着している事に気付き、アスナは指先でその汚れを拭った。ロンググローブ越しにでも薄らと伝わる体温。自分より幾分か冷たく感じる肌に、砂塵が沁みる。
「……あの捻じれた塔、あんまり見ない方が良いよ、ご主人様がそう云っていたから」
じっとC&Cを凝視している彼女に、アスナはそう告げた。
視界をほんの少し上にズラせば、周辺を煌々と照らし続けているサンクトゥムが嫌でも視界に入る。じっと見つめていると不安になるし、何だか嫌な感じがする。頭痛や吐き気を訴える生徒もいたという話だ。
「――ご主人様?」
異なる世界のアスナが、ぴくりと肩を振るわせた。ジッとクレーターの内側を覗き込んでいた、硝子玉の様な瞳が此方を向く。その表面に、アスナの顔が反射していた。
「うん……あっ、先生って云った方が通じるかも」
その一言に、彼女は暫し目を瞬かせた。
乾いた唇をまごつかせ、「先生」と「ご主人様」を繰り返す。それはまるで、自分の中にある何かを確かめる様に。
「先生は、今何処に……」
「えっと、先生は――」
アスナは一瞬言葉に詰まり、それから静かに宙を見上げた。
その視線の先には、裂けるように染まった赤い空が広がっている。円形に押しやられた雲が薄らと周囲を彩り、遥か遠く紫が伸びた空の彼方では、時折閃光が弾けていた。赤の更に向こう側、黒く染まった空はしかし、それでも星々が瞬いている。
悍ましくも幻想的な光景、それが今のキヴォトスである。
「あの、赤い空の向こう側」
遥か彼方、空の上で、同じように戦っている。
空を指差し、口ずさんだ呟きは風に靡き、火の粉と砂塵を巻き上げながら二人の合間を突き抜けた。
彼女は、その赤をじっと見つめる。
空の色は、サンクトゥムが放つ煌めきと酷似してる。ずっと見つめていると吸い込まれそうになる、胸がジクジクと痛み、何かを訴えようとしている気がした。
それが何か分からない、分からないまま彼女は――ただ自身の胸元を掴み、大きく息を吸いこんで。
「―――」
それから、そっと瞳を閉じた。
■
「……あれ」
ふと、懐かしい香りがした。
それが何であるのか、理解するよりも早く目を開く。
気付けば、砂埃の鬱陶しい感触は何処にも無く、廃墟も、クレーターも、巨大な赤く聳え立つ塔も、視界には存在しない。
そこは最初に感じた通り――妙に懐かしい空間だった。
白く塗られた内壁、整然と並ぶホログラムターゲット。規則的に点滅する天井の照明が、弾痕と爆破痕の残る乾いた床を明滅させている。息を吸い込むと、火薬と硝煙、微かな汗の香り、それと僅かな薬品の匂い。
自分はそれを記憶している、知っている。
「此処、は」
呆然と呟き、彼女――アスナは緩慢な動作で辺りを見渡す。
視界に入ったのは大型のスクリーン、そこには現在行われている訓練内容とスコアが記録され、傍には訓練設定用の端末、そして壁に掛けられた几帳面な注意書きと、弾薬弾倉、銃火器に爆発物。一部はキッチリと整理整頓されているのに、手前にはバラけた銃弾と空の弾倉が幾つか放置されている。
その癖を覚えている、どれもこれも、かつての記憶そのまま。
「そうだ、確か、ミレニアム……」
額を摩り、呟く。
ミレニアム、自分で口にしておきながら、妙な引っ掛かりを覚えた。しかし、知っている――知っている筈なのだ、自分は。
記憶の輪郭は霞がかっている、だが確かに形を整えつつある。
「……っ!」
不意に、鼓膜を劈く銃声が鳴り響いた。
アスナの肩が跳ね、慌てて背後を振り向く。
「……リーダー?」
声が出た瞬間、直ぐ傍にはネルが立っていた。余りにも無造作な姿勢で愛銃を構え、片手を突き出したまま投影されたホログラムターゲットを打ち抜く姿。
スクリーンに次々と着弾箇所、スコアが刻まれて行き、ネルは結果を見届けながらどうだと云わんばかりに破顔する。
「……アカネ」
間髪入れず、反対側からは爆音と、熱風が頬を撫でた。
振り向けば、普段通り複数の爆弾を吟味するかのように大型のケースに並べ、落ち着いた手付きで威力の程を確かめるアカネの姿もあった。彼女はアスナに視線を向けると、嫋やかな微笑みと共に小首を傾げる。
「……カリン」
その更に奥から響く、臓物を震わす様な一撃、重低音。
音のする方へ顔を覗かせ、射撃姿勢を全く崩さず、鋭い視線で一瞬たりとも的から目を逸らさないカリンの姿を捉える。どれ程の時間、その姿勢で射撃を続けているのか、彼女の傍には幾つもの空薬莢が転がり、彼女のレーンだけは鋭く肌を突く冷気が放たれている様な気がする。カリンが集中して訓練に当たる時は、いつもこうだった。
どの姿も、アスナの記憶の中にあるまま、良く見知ったC&Cの仲間達だった。
そして――。
「――
その人は、硝子越しの向こう側に居た。
C&Cのエージェントが訓練する為のこの場所で、万が一でも事故が起きない様にと分厚い防弾・防爆硝子越しに此方を見つめる人影。
薄らとした光を背に受けて、表情は判然としない。だが、きっと微笑みを浮かべ此方を見守っているに違いない。その表情がまるで今この瞬間そうであるかのように、アスナの脳裏に思い浮かんだのだ。
「―――……」
アスナは暫し、ぼうっとその姿を見つめていた。
何だか、胸が一杯一杯だった。
ふとした瞬間に、何かが零れ落ちてしまいそうな。それを堪えるのに、必死だった。
そんな事も知らず、直ぐ傍に立っていたネルが、肘で自分を小突く。
一体何をぼうっとしてンだよ、と。
放たれたのは小言だった。折角先生が見学に来たってのに、突っ立って終わりか? ネルの口元が、への字を描いていた。
「あっ、うん、今、私も……」
咄嗟に返事をし、アスナは自分の手元を見る。両腕には、見慣れた銃火器。自分の愛銃――サプライズパーティー。握り締めたグリップは良く馴染み、トリガーに指を掛ければピッタリと吸い付くよう。
だが、その使い方がまるで思い出せない。
「これ、どうやって――……」
焦りと混乱で、咄嗟に口をついた。
どうって、いつも通りこうすりゃ良いだろうが。
そう云ってネルは、先程と同じように銃口を突きつけ、引き金を引いた。乾いた銃声が連続し、放たれた弾丸が投影されたホログラムターゲットを一気に撃ち抜く。閃光が網膜を焼き、スクリーンに頭部、胸部にそれぞれ着弾した結果が表示された。
アスナはそれを横目に、見よう見まねで構え、ストックに肩を押し付ける。後は引き金に指をかけ、絞る。しかし引き金は下がらず、よく見れば安全装置が掛かったままである事が分かった。
二度、三度、自分の手元をよく確認し、セレクターを弾く。キャリングハンドルを掴んで思い切り手前に引くと、ボルトが一度小刻みに引かれて、独特の金属音を搔き鳴らした。もう一度愛銃を肩に押し付け構えると、何となく体にフィットする感覚。何度か位置を微調整し、サイト越しに目標を狙う。
円型の中心、重なる目標、少しずつ指先に力が籠る。
「そうだ、そう、こんな感じで……」
呟き、無意識の内に引き金を絞った瞬間、銃身が暴れ、衝撃が腕を伝った。
バキン! という金属が弾けるような音、銃声と共に閃光が瞬き、身体全体を突き抜けた衝撃と反動に――懐かしさが蘇った。
「――あはッ」
アスナの顔に、鮮やかな血色が戻る。色褪せていた視界が、徐々に色彩を取り戻す様な。
胸の奥で何かが弾けたように、全身に力が満ちていく感覚があった。
これだと、アスナの胸中で何かが叫ぶ。
一度弾ければ、後は雪崩の如く。
二度、三度、引き金を絞る度に走る衝撃が、閃光が、銃声が、放たれた弾丸が的を射貫く光景が、彼女の中に確かな充足感を与える。
「そうだ、戦う事って、襲撃って、こんな感じだった――……!」
繰り返される感覚に、心が躍る。
まるで幼い頃からずっと夢中で続けていた、遊戯の延長の如く。彼女は堪らずシューティングレストを飛び越え、次々と出現するホログラムターゲットの中へと飛び込んだ。
訓練場内部は広く、純粋なシューティングレンジから模擬戦闘まで対応している、飛び出したアスナを見たネルはまたかと云わんばかりに溜息を零し、アカネとカリンもまた射撃の手を止め、飛び出したアスナの背中を見守った。
「見て見てご主人様! アスナ、全部思い出したよ!
壁を、地面を蹴飛ばし、縦横無尽に駆け回る彼女は、次々とターゲットを撃ち抜き叫ぶ。スクリーンに表示されるスコアが次々と更新され、硝子越しの先生に向かって、満面の笑みを浮かべる。
身体が妙に軽く感じた、今なら空だって飛べそうな程だった。先程まで鉛の如く、鈍重で気怠かった身体が嘘のように。肉体も、精神も、生まれ変わったみたいに。
「何だか力が湧いて来る、この感覚、好きかもっ! これならも~っと楽しく、長く遊べるねっ!」
感情は、止まらない。
それは純粋な歓喜と興奮。ずっと色褪せていた世界が色彩を取り戻し、身体に熱が湧き上がる。或いは今まで抑制されていた分の反動が、そのまま彼女の身体と心を突き動かし、常以上の爆発力を生んでいたのか。
地面を蹴り、高く舞い上がった彼女は銃口をターゲットに向けスライドさせる。銃口と的が重なった瞬間にトリガーを絞り、複数の銃声が木霊する。
「ご主人様の事は、私が守るからねッ! だから……!」
間髪入れずの連続射撃。不安定な空中で、あまりにも無造作に行われた曲芸染みた射撃は、しかしターゲットの頭部を寸分の狂いも無く撃ち抜き、一気に五つの得点が刻まれた。ブザーが鳴り、新たなホログラムターゲットが投影される。
地面に舞い降り、熱気を発するバレルを持ち上げながら破顔する彼女は、冷たく無機質な硝子に手を当て、その向こう側に立つ彼へと満面の笑みと共に告げる。
「――ずっと、ず~っと一緒だよ!」
■
「――おいッ、そいつを止めろッ!」
放たれた怒声が、鳴り響く銃声と爆発音に掻き消された。
縦横無尽に空を舞う人影、同時に爆散する幾つもの自律兵器。弾痕を穿たれ、火花を散らし、配線を外部に晒しながら踊り狂う機械達。零れ落ちる空薬莢が地面を跳ね、連続する爆発は周囲に濃い影を投影する。
「あはははッ! 凄い凄い、また当たった! アスナが先に当てたから、こっちの得点だよ、リーダーッ!」
哄笑。
そう、それは紛れもなく
つい先程まで静寂と共にあった彼女の姿は何処にも存在せず、吹っ切れたような、心から晴れやかなその声は場違いな程に何の含みも持たない。爆炎とマズルフラッシュに照らされ、浮かび上がる満面の笑みはどこか刃のようで、砂塵と硝煙に彩られた自律兵器の中でも一層目立った。
一体彼女には何が見えているのか、得点とは何のことなのか。薄汚れた衣服を身に纏ったまま身を翻し、飛び跳ねる彼女の弾丸が着弾する度――異なる世界のアスナ、彼女の瞳がきらりと光る。
その無邪気で、何処までも毒気の無い姿に、ネルは困惑に顔を歪めながら吐き捨てた。
「チッ、聞こえてねぇのか……ッ!」
「アスナ先輩、一体何が!?」
臍を噛むネルを他所に、カリンは唖然とした表情で自律兵器を蹂躙する影を凝視し、アカネは冷静に状況を分析しようと今しがた斜面を滑り落ちて来たアスナに視線を走らせた。
だが、愛銃を抱えたまま砂埃を起こし滑り落ちて来たアスナは、どこか憔悴しきった表情で首を横に振った。彼女自身にも分からなかった、ただ暫くの間赤空をじっと見つめていたと思ったら、突然砂埃を被っていた銃火器を構えだし、一発、二発と自律兵器に撃ち込むや否や歓喜の声を上げ、満面の笑みを浮かべて飛び出して行ったのだ。
彼女の中で一体何が起こったのか、どんな変化があったのか――それを察するには、余りにも突然が過ぎる。アスナは飛び出していく自分自身に酷似した背中を、見送る事しか出来なかった。
それは彼女にとって、初めての事であった。何となく嫌な感じがするから、その方が良い気がするから、そんな曖昧で朧げな、しかし彼女にとっては確かな感覚によって行われた前向きな判断ではない。
何もかもが鈍く、色褪せた感覚の中で、どうする事も出来ずにただ見ている事しか出来ない事など、今まで無かった。その事実がアスナの中で、大きな衝撃と痛みを伴って胸元を突く。
眉が顰められ、彼女らしくも無く唇を固く結ぶ。
目前からは、変わらず無邪気に暴走するような哄笑が響いている。
戦闘を唖然とした表情で見守っていたカリンが唾を飲み、トリガーからそっと指を離して呟きを漏らした。
「だが、今の所被害は無い、一方的に自律兵器を撃っているだけで、私達を敵と認識している様子は――」
「あんな状態で、真面に判断出来ている筈がねぇだろうが! 直ぐにこっちへ意識が向くぞ……!」
ネルの強張った声がC&C全員の鼓膜を叩いた。誰の目から見ても、正気ではない事は確かだ。行動だけを見るならば、常のアスナと大して変わらない様にも想えるが――本質的には全く異なる。普段の行動が第六感と本能によって引き起こされる前向きかつ歓喜を含むものであるならば、これは抑圧された感情と行き場のない破壊衝動によって生まれる、無差別かつ破滅的な悦楽から齎されるものだ。
どう考えても、碌な結末は辿るまい。何があったのかは分からない、しかしいっそ狂気的とさえ表現出来るほどに深い笑みを湛えた彼女の姿を凝視していると、嫌に胸がざわつく。
長年共に在った仲間の顔をしているのだから、当然か。しかし、それとは別の部分で此方の胸を掻き乱す何かがあるような気がした。
ネルは咄嗟にその出所を探ろうとして、しかし彼女の哄笑が耳にこびり付き、邪魔をする。
「仕方ねぇ――ッ!」
逡巡、しかしそれも長くは続かない。
迷う奴は、弱い。
結局最後に立っているのは、何かを腹の底から信じている奴だ。
ネルは己の信条に基づき、啖呵を切る。ジャラリと音を立てたネルの双銃、そこから素早く弾倉を切り離した彼女は、地面に跳ねた空の弾倉を一瞥し、そのままスカジャンの裏側から新たな弾倉を虚空に放る。ゆっくりと落下する二つの弾倉を視界に捉え、交差する様に振り抜いた愛銃へ、放った弾倉は音を立てて装填される。撓った鎖が地面を叩き、土埃を上げた。
「アイツが周りの自律兵器を片付け次第、こっちから仕掛ける!」
「っ、本気ですか、部長!?」
「話が通じねぇんだ、力づくで制圧するしかねぇだろうがッ!」
「そうかもしれないが、けれどリーダー、相手は……!」
動揺は伝播し、アカネとカリンはネルの判断に疑問を呈した。例え多くの疑念があるとは云え、アスナと同じ姿、顔、記憶を持つ存在――この状況下、仮定とは云え仲間に本気で銃口を向ける事に、誰もが抵抗感を抱いていた。
しかし、ネルは彼女達の声を黙殺した。ブーツが砂利を擦る音が低く鳴り、ネルは銃口を突き出し、今しがた最後の自律兵器を撃ち抜き足を止めた――異なる世界のアスナへと呼びかける。
「おい、
「っ……!」
その一喝でアスナの動きが止まった。怒りと牽制、本気度合いが分かる声量と威圧感に、彼女の目が見開かれる。向けられた銃口の意味は理解している筈だ、しかし彼女はそれでも尚、瞳を輝かせて逆に挑発するように笑った。
否、彼女にそんな意識など無いだろう。
表情の中には無邪気さと危うさが同居している。裏を返せば、悪意など微塵も存在しないのだ。
彼女は唯、自身の在るがままに振る舞っているに過ぎない。
「好き勝手に戦ってんじゃねぇぞ、オイ」
「?」
「それ以上動くな、次勝手に動いたら――その瞬間、遠慮なく急所にブチ当てる」
ネルは視線を尖らせ、引き金に指を掛けたまま宣言する。空気が凍るように、引き締まっていくのが分かった。言葉にはまだ容赦がある、何の宣言もせずに弾丸を放たなかったのはネルなりの譲歩だ。アカネとカリンの緊張は瞬時にピークへと達した。自律兵器の残骸が撒き散らされる中、誰もが目の前の彼女の動向に注目していた。
そして胸元を掴みながら、蒼褪めた表情で苦悶の吐息を繰り返す
その深い青、瞳を真っ直ぐ見据えながら――彼女はより一層、笑みを深くする。
「あはっ、分かった、
「は、的だと?」
「もしかして、自律兵器の事でしょうか……?」
要領を得ない、彼女にしか理解出来ない言葉。アスナの返答はまるで戯れか、或いはゲームの延長線上の如く。眉を寄せ、アカネは銃を構えたまま困惑の声を漏らす。しかし戸惑いに答えが返って来る事は無く、彼女は自律兵器の残骸から飛び降りるや否や、ふわりと長髪を靡かせ云った。
「うんうん、分かった! なら沢山楽しもっかッ!」
「チッ! 少しはこっちが理解出来る話をしろってンだよ……!」
ネルは盛大に顔を歪め、唇を噛む。異なる世界のアスナ、彼女の薄汚れた銃口が不意に持ち上がり、何の躊躇いも無く引き金が絞られる。瞬間乾いた銃声が連続し、マズルフラッシュが瞬いた。弾丸はネルのバイタルラインに真っ直ぐ飛来し、それを圧倒的な反射速度で回避、幾つかは鎖を振り回す事で弾き返す。火花が目前に散り、視線に険しさが増した。
「アカネッ! カリンッ!」
「仕方ありません……っ!」
「くっ――支援する!」
こうなってしまったのならば、最早躊躇いは不要である。
アカネとカリンの声は短く、だが確かな力強さと共にネルの耳を打った。アカネは愛銃による牽制を加えながら、ケースを地面に打ち付け、内部より複数の爆弾を手に取る。カリンは意識を切り替え、即座に照準を目前の彼女へと切り替えた。
切り替えは素早く、装填の所作に無駄はない。冷静さを保とうとする意識が、彼女達のエージェントとしての矜持を無理矢理呼び起こした。
「オラァッ!」
「ふふっ、全然当たらないよっ!」
爆発と銃声が連なり、幾つもの弾丸が虚空を切る。自律兵器の残骸を足場に、まるで猛獣の如く飛び掛かるネルの猛攻を、彼女は同様に予測不可能な三次元機動によって捌いて行く。飛び跳ね、駆け、転がり、時には残骸を蹴り上げ盾にして。殆ど即興でありながら、次々と飛来する攻撃を防ぎ、逸らし、捌くその姿は舞踏の如く。
重低音、着地の間隙を狙ったカリンの狙撃を、彼女は超人的な直感で嗅ぎ取り、直前で身を捩る。ほんの数センチ横を掠める大口径、数本の髪が千切れ飛び、アカネの巻き起こす爆炎とネルの操る鎖の金属音が肌を打った。
その度にアスナの高揚はより深く、強く刻まれ、対面するネルの表情は比例して苦々しさを帯びていく。
「相変わらず、勘の良い――ッ!」
悪態は、同時に賞賛でもあった。普段であれば、実に心躍る戦いでもあっただろう。模擬戦闘であれば、どれ程良かった事か。
しかし目の前の彼女は、こんな状況であっても楽しげに身を翻し、自分を縛るものなど何もないと高らかに叫び、時折大袈裟な所作で弾丸を躱しては宙を仰ぐ。その所作の、何と場違いな事か、狂気的な事か。
自覚など、微塵もありはすまい。
「――アスナッ!」
ネルは目前の彼女を睨みつけながら、銃声に負けじと名を呼んだ。瞬間、対峙する異なる世界のアスナが、満面の笑みを浮かべたまま飛び跳ね、小首を傾げる。
「なぁに、リーダー!?」
「てめぇじゃねぇッ!」
少なくともネルが口にした名前は、自身の背後に居るであろう、未だ飛び込んで来ない仲間の事だ。不調とは云え、此処まで一切手出しをしない彼女に発破をかけるつもりで、ネルは名を呼んだ。
返答は弾丸か、それとも短く簡素な声か。
「っ、ぅ――」
「……!」
正解は、どちらでもなかった。
言葉にならぬ息遣いが漏れ、血の気の失せた表情のまま力なく身を竦ませるアスナ。辛うじて抱えている愛銃の銃口は地面を向き、指先は微かに震えてさえいた。
振り返り、そんな状態の彼女を視界に捉えた時、ネルは信じられないという心地で言葉を呑んだ。絶不調――否、そんな言葉では表現できない程に衝撃的な光景だ。何度か呆然とし、抜け殻の如く佇むアスナの姿は目にした事があったが、こんな風に苦悶の表情を浮かべ、項垂れる姿は初めて見た。
やはり、何かあるのか――目の前の、アスナに酷似した存在と。
目に見えない、知覚出来ない、何かが。
アスナの第六感とは異なる、ネルの戦闘勘、合理や論理を超えた直感が囁いていた。
「おいアカネ、アスナを下がらせろッ!」
「――分かりましたッ!」
「っ、リーダー……!」
遅れて、アスナの状況に気付いたアカネは一時支援の手を止め、ケースをそのままに背後のアスナを押し込む様にして後退を始めた。咄嗟に制服の裾を掴むようにして抵抗し、ネルを呼ぶアスナ。その顔には、苦悶の中であっても仲間を案じる色があった。しかし、現状の彼女にこの戦場は余りにも荷が重い。訳が分からない中で、自分と同じ顔の存在と撃ち合う等――ネル自身、想像するだけで気が滅入る。
アカネに押し込まれ、徐々に後退する自分の顔を遠目に見つめながら、異なる世界のアスナは一度銃撃の手を止め、意外そうに目を瞬かせる。
「あれっ、こっちの私は不参加なんだ?」
「……全く訳が分からねぇが、アスナの不調はコイツに連動しているみてぇだな」
「突然戦闘のスイッチが入ったように見えたのも、何か、原因が――?」
「さぁな、それは大人しくさせてから
尤も、此方の言葉が届くのであれば――であるが。
低く呟き、ネルは再び構えを取る。両腕を垂らし、鎖を地面に放る様にして撓らせながら相手を見据える。
構えとも云えぬ構え、しかしそれで良い、彼女の戦闘スタイルは型に囚われない喧嘩殺法とも云える代物。
そして奇しくも、一ノ瀬アスナも同様であった。自身の直感や『楽しそうな事』に重点を置き、スタイルや型など遠い彼方。それでも驚異的な命中精度とここぞという時の勝負所を間違えないのだから堪らない。
愛銃を腰だめに構え、締まりのない表情で此方を見据えるアスナに、ネルは鋭く、深く、息を吐く。
状況の解釈は難解である。故にこういった場合、ネルは酷く状況をシンプルに考える様にしていた。
事前プランが崩壊した時、潜入任務で存在が露呈した時、或いは事前情報がアテにならなくなった時。
まずは、目の前の一つを片付ける。
ただ、それだけに集中するのだ。
「――!」
再び目を見開いたネルを直視した時、アスナの身体が無意識の内にぶるりと震えた。見れば肌が粟立ち、彼女はそれを見下ろしながら屈託なく笑う。
「あははっ……! 凄いねリーダー、プレッシャーって云うの? 何だか、肌がビリビリする感じ!」
「カリン、支援は最低限で構わねぇ――仕留められると思った瞬間だけ、ぶっ放せ」
「……了解」
グリップを握り直し、異様な気配を放ち始めたネルの姿に、カリンはぎこちなく頷きを返す。どちらにせよ、相手は超人的な直感を持つアスナである。此方の狙撃を、理不尽な『何となく』で回避してくる手合いだ。
教科書通りの間隙を通すやり方も、或いは絶対的な好機でさえ、彼女はものともせず捌き切るだろう。
無駄弾を出さないという話であれば支援は最低限、それどころか殆ど無いに等しい状況になる。
だが――そんな超人的な第六感を持ちながら、彼女はミス犯した。
「――喧嘩を売る相手を、間違えたな」
吐き捨て、ネルは大きく一歩を踏み込む。その矮躯に似合わぬ、重厚な気配を纏って踏み出した彼女に対し、しかしアスナの笑みは消えない。変わらず、口元から漏れる楽しげな声が不協和音となって場に残響し、ネルの心をざわめかせる。
「ふふっ、まだまだいける感じ? じゃあ、もっとスピード上げていこっか!」
「あぁ、速攻で終わらせるぞ」
終わらせる、その言葉に込められた決意が、周囲に重く響いた。だが彼女には分からない、伝わらない。どこまでも異なる視点で世界を解釈する彼女に、ネルの決然とした言葉は届かない。
同時に踏み出す影、散乱した外装を踏み砕き、金属音が鳴る。徐々に歩みは大きく、素早くなり、全く同じタイミングで両者は地面を踏み抜く。地面が爆発した様に抉れ、二つの影が高速で肉薄し、突き出したバレル同士が擦れ、火花を散らした。
片や笑みも無く、歪んだ口元と睨みつけるような鋭さを以て。
片や心の底から戦う事を喜びとし、夢想の如き甘い笑顔を以て。
至近距離で顔を突き合わせる両者は、叫ぶ。
「それじゃあリーダー、今度こそ、始めよっかッ!」
「はッ! 久々の喧嘩だ、ぶっ飛ばしてやるよッ!」