ブルーアーカイブを、もう一度。   作:トクサン

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誤字脱字報告、感謝ですわ!
遂にブルアカにも魔法少女が来ましたわね……。


彼はただ、彼女達に幸福で在って欲しかった(喜びを以て希望を抱き、苦難に耐える道)

【第五サンクトゥム ミレニアム・要塞都市エリドゥ近郊】

 

 炎に炙られた、熱気が肺を満たす。

 硝煙と鉄の入り混じった、濃い香りが鼻腔を満たしていた。要塞都市正面を埋め尽くさんと集った無数のドローンが、赤い光を放ちながら周囲を取り囲む。弾道軌跡が交錯し、銃声とノイズの混じった電子音が響く。

 

「ノア、頭を下げてッ!」

「ッ!?」

 

 ユウカの叫びに、ノアが咄嗟に身を沈めた直後、頭上を弾丸が掠めた。積み上がったドローンの残骸、その外装が弾け破片が飛び散り、屑山の一角が一瞬で穿たれる。残骸を遮蔽代わりに身を潜める一行は、頭上を飛び交う無数の弾丸を仰ぎ見ながら臍を噛んだ。

 

「ドローンの攻撃が激しすぎる、これじゃあ反撃どころか、顔を出す事さえ出来ないじゃない……!」

 

 起動する無数のドローンは既に端末で確認する限り百を超える。マップ情報を拡大しなければ、此処一帯が赤い敵性反応で埋め尽くされる程だった。耳障りな飛行音が鳴り響き、ユウカが咄嗟に愛銃を構えた瞬間、残骸の上を飛び抜ける飛行型ドローン。その移動ルートを読んでいた彼女は素早くトリガーを引き、マズルフラッシュと共に放たれた弾丸はドローンの中心を撃ち抜いた。小さな火花を散らし、急速に高度を落としたドローンは墜落、破砕音と共に残骸の中に埋もれる。

 この状況で不幸中の幸いと云える事は、ドローン達の動きは規則的で、一つ一つの戦闘能力は然程高くないという点であった。

 ミレニアムが用いている群体としての連携機能、性能は著しく低下している。ドローン同士を繋いでいたネットワークから隔離されているのだ。故に個体個体がそれぞれ、シンプルな命令に基づいて再起動している。防衛戦力をそのまま取り込まれたと思っていたが、全部が全部乗っ取られている訳ではないらしい。少なくとも有機的な連携は不可能。

 尤も、だから何だと云う話ではあるのだが――たった三名で、この数える事も億劫となるドローンを相手に戦える筈もなし。

 

「この状況では近付くどころか、真面に撃ち合う事さえ難しいですね、飛び込んで来た個体を狙い撃ちするのが精一杯です……完全に周囲の環境は向こうの制御下にありますし、増援は――」

 

 ノアが胸元に抱いた端末を冷静に操作する。その声に焦燥はなかったが、確実に緊張の色が滲んでいた。画面に表示される、【SIGNAL LOST】の文字列。分かり切っていた事ではあるが、通信は繋がらない。

 小さく溜息を零し、端末を再びポケットに押し込んだノアは、薄らと油汚れの付着した自身の長髪を指先で払い、直ぐ隣で遮蔽に身を預けるユウカへと問いかける。

 

「ユウカちゃん、一度場所を移して立て直しを図るというのはどうでしょう?」

「ちょっと本気? この銃火の中、遮蔽を切って移動するなんて、自殺行為よ!?」

「電磁防壁で一時的に攻撃を逸らせれば、或いは脱出出来る可能性も……」

 

 ノアがそう口にした次の瞬間、近場のドローン残骸が吹き飛んだ。連続する炸裂音、遠方のAMAS辺りが集中砲火を開始したのか。金属音が弾け、ユウカは身を低く、遮蔽代わりの鉄屑山に頬を押し付けながら叫んだ。

 

「私の電磁防壁で逸らせる攻撃にも限度があるわ、あれだけの数に一斉に撃たれたら数秒で突破される、まず演算処理が追い付かない――変数が多すぎる!」

「……そうなると、通信も繋がらない今、打つ手がありませんね」

 

 沈痛な表情を浮かべ、唇を噛むノア。増援を恃もうにも、そもそも通信が繋がらないならば意味は無く。仮に此方の状況を予測して予備のドローンを飛ばしたとしても、向こうにクラックされて敵の戦力になる事が目に見えている。

 そうなれば更に此方の状況は悪化する訳で、最善の策は生徒による増援だが――残念ながらこのエリドゥ近郊は一時封鎖区域として指定されており、今回の作戦にあたり生徒等の立ち入りは厳しく制限されている。

 すなわち、それが意味するところは孤立無援。ドローンではないバックアップチームが凄まじい幸運の果てに辿り着いたとしても、一般的な戦闘能力の生徒では状況打開にも繋がらないだろう。

 こういった状況で頼りになるC&Cは別のサンクトゥム担当、保安部の主力部隊はミレニアム自治区の防衛中、考えれば考える程、絶望的な状況が浮き彫りになるばかり。

 ユウカの表情は焦燥に強張り、愛銃を握り締める手に力が籠った。

 

「――一つだけ、手があるとすれば」

 

 ユウカの瞳に、一瞬の閃光が宿る。

 戦場の喧噪の中、その声だけが鋭く、明確に響いた。ノアが顔を上げ、未だ遮蔽越しに向こう側を睥睨するユウカを見る。

 

「あっちのコユキがクラックした機体を、もう一度クラックし返して、此方の制御下に置く位ね」

「――リクラック、という事ですか」

 

 放たれた言葉に、ノアの眉が僅かに上がった。

 相手に奪われたドローン制御権限を、もう一度奪い返す。理論上の話ではあるが、可能か不可能かで論ずるのであれば、可能である。

 実際此方の戦力を敵方がクラックして運用している以上、取り返せば状況は一転する。単純明快で、シンプルな話ではある。これが出来れば、直ぐにでもこの場を制圧しサンクトゥム破壊に向かう事さえ可能だろう。

 問題は――碌な電子戦装備も持ち込んでいない自分達に、それが出来るかどうかという話だ。

 

「でもユウカちゃん、現状それが出来るのは……」

「えぇ」

 

 ユウカの視線が、自身の端末に落ちる。ドローンへのアクセス自体は、元々はミレニアムの機体である、此方からの端末からでも可能であった。此方に制御信号を阻害、或いは相殺させる様な装備はない。となると必要なのは侵入経路の封鎖、認証情報のローテンション、機体制御権の回復と再認証――碌な装備を用いず、極短時間でそれが可能な人材は今、この場で一人しか存在しない。

 二人の視線は、自然と自分達の後方へと回った。

 

「コユキ」

「………」

 

 呼びかけは、銃声と破裂音の中でも良く通った。

 飛び散ったドローンの残骸、鉄屑に埋もれ、名を呼ばれたコユキはひとり震えていた。彼女の顔は青ざめ、視線は赤空の遥か向こう側、彼女にしか見えない何かを凝視しているようにも見える。積み上がった無数のドローン、その残骸越しに自分を見ているのか、あるは感じているのか、ユウカには分からない。

 ただ彼女は口を噤み、何ら反応らしい反応を返さない。それに苛立ったように地面へと手を突きながら彼女の傍ににじり寄ったユウカは、コユキの肩を強く掴み、揺すった。

 

「コユキッ! あんた、確りしなさい……!」

「うぁ!?」

 

 喝を入れるかのように、至近距離で響き渡る怒声。肩を強く掴まれ、現実へと引き戻されたコユキは、身を竦めながら大きく肩を跳ねさせた。恐怖と困惑に滲んた瞳が、ゆっくりとユウカへと向けられる。

 

「ゆ、ユウカ先輩……?」

「こんな時に、何ボヤっとしているのよ!?」

「だ、だって」

 

 喉の奥で、妙に掠れた声が漏れた。コユキはユウカに肩を掴まれたまま、項垂れる様にして這い蹲り、自身の掌を見下ろす。赤空と、自身の影に覆われた掌は小さく、漏れ出たオイルに塗れ、薄汚れていた。

 

「と、突然過ぎて、訳が分からないじゃないですか……あ、あんな、私ソックリの、ドッペルゲンガーみたいなのが出て来て、突然ドローンの集中砲火に遭って」

 

 声が震えながらも、確かに続いていた。

 コユキの脳裏に過る、もう一人の自分自身。強烈な感情と言葉を浴びせ、一方的に攻撃を仕掛けて来た彼女は、とても冷静に言葉を交わせるような精神状態ではなく、その狂気的な振る舞いと、耳を塞ぎたくなる様な叫びはコユキの全身から気力と云う気力を根こそぎ奪い取っていた。

 彼女自身の姿形、声、仕草――全てが同一。だが、その瞳の奥と抱く感情、破滅的とさえ云える言動と所作は、余りにも自身とかけ離れていた。

 

「わ、私、何でかは分かりませんけれど――あの、向こうの私が、どういう経験を経て、どういう感情を抱いて、あぁなったのか……ぼ、ぼんやりと、ですけれど、伝わって来るんです」

「……コユキちゃん」

「先輩達には分からないと思います、でも胸が、何か、きゅってなって――今まで感じたことが無い様な、痛みとか、苦しみとか、悲しみが、濁流みたいに、一杯、一杯……!」

 

 言葉にして、口に出した瞬間、コユキの目尻から一滴の涙が零れた。彼女は頬を伝それを自覚し、驚いた様に目元を拭う。そして自分が涙を流したという事実に目を瞬かせながら、指先が震え、次々と涙が頬を伝いだした。

 今まで味わった事が無い様な激情、感情の変化、痛みさえ伴うそれはコユキにとって到底制御出来るものでもなく、どうすれば解消できるのかすら皆目見当がつかない。ただ自分は悪くない、何でこんな目に遭わなくちゃならないのだと、そう喚き散らすだけの気力すら根こそぎ奪われるような、深く重い冷たさだけが体の芯まで浸透していくのだ。

 

「う、うぅ――……」

 

 これは自分の感情ではない、そう必死に云い聞かせた。けれど何度胸中で叫ぼうとも、何かが、何かを通して自分の中に注ぎ込まれ続ける。ソレは恐ろしく、不快で、悍ましく、どうしようもない現象であった。

 その場に蹲り、自身を掻き抱きながら嗚咽を零していたコユキを見下ろしていたユウカは、今度は幾分か優し気な所作で彼女の肩を掴んだ。

 

「……コユキ、顔を上げなさい」

「ゆ、ユウカせんぱ――」

 

 顔を上げた瞬間、涙と鼻水に塗れたコユキの視界の中に、ユウカの瞳が映り込んだ。強い光を放つ瞳だと思った、注がれる冷徹で、しかし力強い視線は、涙を許さない。愛銃を地面に転がし、両腕でコユキの肩を掴んだユウカは、彼女の身体を強引に引き起こしながら告げる。

 

「気持ちは分かる、何て云うつもりは無いわ、あのコユキが何なのか、どうやって此処に現れたのか、どんな過去を辿って来たのか、私には分からない、予測する事だって難しい――でも、今此処で下すべき合理的な判断は、明確な筈よ」

 

 その言葉に、空気が張り詰めるのが分かった。銃声と爆発音、吹き抜ける熱風が三人の髪を揺らす。照らす閃光と爆炎の緋色が、コユキの輪郭を淡く煌めかせた。僅かに渇き、罅割れたユウカの唇が言葉を紡ぐ。

 

「戦うのよ、コユキ――今向こうに居る、自分自身と」

「っ、でも……」

「コユキッ!」

 

 尚も反駁を口にしようとする彼女に、ユウカの叱咤が鋭く響いた。聞き慣れた声だった、今まで散々耳にしてきた怒声である。けれど同時に、いまだ嘗てない程に真剣で、遊びの無い声だと思った。

 びくりと跳ねたコユキの全身が、ユウカの両腕によって抑えつけられる。視線を逸らす事は許さないと、そう云わんばかりの真っ直ぐな瞳が、此方を捉えていた。

 

「アンタがやるの、やらなくちゃいけないの! 今直ぐに、此処で……!」

 

 コユキの胸元に、薄らと土埃を被った小型端末が押し付けられた。ユウカが愛用している個人端末だった、此処から周辺のドローンにアクセスできる。コユキの所持する個人端末は普段の素行から、そういった権限がセミナーより与えられていない。

 半ば強引に握らされた端末が、微かに光を放つ。ユウカらしい機能美に溢れ、装飾のあまりない、飾らない端末だと思った。

 

「っ、ぅ」

 

 端末を握り締める指先が、微かに震える。押し付けられたそれが、嫌に重く感じられた。それは責任たとか、使命感だとか、自分とは全く無縁の存在が両肩や背中に圧し掛かったからだ。

 

 こんなの柄じゃないと、コユキの心の内に潜む自分が囁く。どうしようもなくなったら、本当に嫌気が差したら、自分だけでもさっさと逃げ出して後の事など知らないと放り投げるのが普段の自分だ。

 歯を食い縛って、痛みや苦しみに馬鹿正直に耐えて、死力を尽くして何かを成し遂げるなんて――そんな事。

 巡る感情の最中、ユウカの指先が自身の肌に食い込む。直ぐ傍、目と鼻の先までユウカの瞳が、此方をじっと覗き込んでいた。

 

「此処だけじゃない、今他のサンクトゥムでも、大勢の生徒が戦っていて、キヴォトス全域で大規模な戦闘が続いているのよ!? 私達は失敗出来ない、この作戦は絶対に成功させなくちゃいけないの!」

「ゆ、ユウカせんぱ……」

「この空の上でッ!」

 

 雷鳴の如き轟音。頭上を通過した複数のドローンがノアによって撃ち落とされ、一斉に火を噴き、火花が降り注ぐ。何も知らなければ幻想的と表現出来る緋色と閃光が、周囲に飛び散って行った。ユウカの指先が、解れ、薄汚れたグローブが赤空を指差す。

 真剣で、イノセントで、切実な表情と共に(ソラ)を指差したユウカは叫んだ。

 

「先生だって、戦っているのッ!」

 

 その言葉を聞いた瞬間、コユキの瞳が大きく見開かれる。

 そうだ、先生もまた、この騒動を収束させようと必死に抗っている。

 大事に大事に、懐へと仕舞い込んでいた四葉のクローバー。栞へと閉じ込めた思い出へと、コユキは無意識の内に触れていた。

 

「これは、アンタにしか出来ない事なんだからッ!」

「―――」

 

 爆発、銃声、電子音。ユウカの懸命な説得は、僅かな沈黙を齎す。

 コユキは蒼褪めた表情のまま唇を震わせ、二度、三度、空気を口に含む様にまごつかせた。

 しかし意を決し、一度歯を食い縛ると、大きく息を吸い込む。

 火と白煙に包まれた戦場の中で、瞳の奥に微かな煌めきが宿った。

 

「私にしか、出来ない事――……」

 

 両の手が、静かに端末の縁を握る。

 その言葉が、コユキの中にある怯懦を僅かに、ほんの僅かに払拭し、何かを訴えかけた。

 

「ユウカ先輩、ノア先輩、もしかして……」

 

 震え、掠れた、小さな声。

 僅かに俯いていた視線がゆっくりと持ち上がり、改めてユウカを、ノアを見つめる。信じられないと云わんばかりに瞬くそれは、疑念と困惑、そして微かな期待と共に問いかけた。

 

「――私の事、信じてくれるんですか」

 

 唐突に投げかけられたそれに、ユウカとノアは一瞬面食らったように視線を合わせる。

 信じられる要素など何一つない、自分で云うのも何だが己は問題児だ。少なくともユウカやノアに叱られたり、折檻されたり、反省部屋に叩き込まれた回数で云えばミレニアム一の自信がある。

 自分では何が悪いのか分からなかったり、そもそも反省などしていないと声高らかに叫べる程度には理不尽に思える事もあるが――客観的に見て、普段の自分を信じられる要素など、先輩達の中に存在していなくても何の不思議はない筈だった。

 だから、思わず零れたその言葉は、コユキにとっては腹の底から出た疑問と困惑である。

 散々迷惑を掛けて、任せられても誰にでも出来るような雑用の仕事ばかりで、隙あらば何事かを起こすから、きっと信頼なんて自分とは縁遠い言葉だとばかり思っていた。

 そんな自分を、黒崎コユキを。

 二人は。

 

 ――本当に、腹の底から信じてくれますか。

 

「当たり前でしょうがっ!」

「えぇ、当然です」

 

 返答は余りにも力強く、そして端的であった。

 ユウカは半ば怒りと共に、何故そんな事をこんな状況で問うてくるのかと云わんばかりに。ノアは空になった弾倉を切り替えながら、普段通りの悠然とした微笑みと共に頷いている。

 その内心は分からない、表面通りに受け通る訳にはいかない、だって笑顔を浮かべたまま平気で怒りを撒き散らす二人だ――けれど今だけは、嘘ではないと信じたかった。

 否、信じられた。

 ユウカの掌が、コユキの胸元を突く。トンと、走った微かな衝撃が、呆然とするコユキの意識を揺さぶった。

 

「――この状況を打破出来るのは、アンタだけよ、コユキ」

 

 その瞬間、一際強い爆炎が周囲を照らした。砕け散った金属片が光を反射し、コユキの髪が風に靡き舞う。

 端末を握る彼女の指は、もう震えていなかった。熱風が突き抜け、遠方にドローン群の赤い目が一斉に瞬くのが見える。攻勢は徐々に勢いを増している、時間的な猶予は存在しない。手渡された重責を想えば、今にも逃げ出したいと云う想いが再燃する。

 

「―――……にははッ」

 

 だが、想いとは反対に笑みが漏れた。

 それは普段の彼女らしい、快活とした笑みだった。血の気の失せた顔で、しかし恐怖を呑み込んだ彼女は、自分らしくないと自覚しながらも腹を据える。

 ユウカに手渡された端末、その画面を点灯させ近場の残骸へと改めて身を寄せた彼女は、手慣れた様子で画面をタップしながら舌で唇を湿らせた。下から発せられる青白い光が、コユキの瞳に液晶を反射させる。

 

「分かりました、やってやりますよ……! 私にしか、出来ない事!」

「コユキ……!」

「だからその間、死ぬ気で私の事、守って下さいねッ!?」

 

 その言葉にユウカは鼻を鳴らし、誰にモノを云っているのよと軽口を叩く。

 銃声が傍で再び轟く、爆炎と熱風、閃光、だが飛来するそれらを一切顧みず、コユキは砂塵に塗れた指先で端末を操作し続ける。視線は一切ブレず、画面に流れる文字列と数字を追い続ける。

 計算や解読は好きじゃない、こんなの誰にだって出来る事で、雑用とかわらない。

 でも、それが今、自分にしか出来ないというのであれば――コユキは積み上げられた無数の残骸、鉄屑の向こう側で未だ慟哭する己を想い、歯を食い縛りながら呟いた。

 

(自分)が相手だろうと、負けられないんですよ……ッ!」

 

 ■

 

【アトラ・ハシース ナラム・シンの玉座前回廊】

 

「―――」

 

 赤熱し、溶け落ちた道が僅かずつ、僅かずつ自律兵器の姿に埋もれて見えなくなっていく。ゆっくりと消えていく道の光景は、アコの精神を揺さぶるには十分な威力を持っていた。

 溶解した床から吹き上がる蒸気が、視界を白く染める。熱気で喉が焼けつくようだった。一つ、二つ、呼吸を挟む間に刻一刻と変化する状況、ぬるりと水気を含んだ指先が、アコの腕を掴んだまま微動だにしない。

 

 葛藤、迷い、苦悶――そして決断。

 

「ッ……!」

 

 一度決断したアコは迷わなかった。

 既に表面が溶け落ち、盾として辛うじて昨日していた自律兵器の外装を振り払うように投げ捨てると愛銃をホルスターに収め、無様に両足を震わせ、立ち上がっていた先生の身体を躊躇なく肩に担ぎ上げた。

 衝撃で肩口に温い血が滴り、鉄の匂いが鼻腔を刺す。だがそれを顧みる余裕も、時間も無い。乱雑であっても今は素早く、一秒でも早く――足を踏み出す事こそが重要だった。

 

「っ、アコ……ッ!」

「黙っていて下さいッ!」

 

 唐突に担ぎ上げられた先生の声には、戸惑いと苦悶が滲んでいた。しかしアコは、耳に届いたそれに声を被せ、今にも閉じ行く活路へと躊躇いなく飛び込む。

 左右の自律兵器、その隙間を縫う様にして躱し、身を低くして駆ける、駆け続ける。息を弾ませ、先生を守る様に両腕で抱えた彼女は、ただ真っ直ぐ前だけを見据えていた。

 

「口を動かす体力があるのなら、一歩でも前に進めるように、準備しておいて下さい……っ! ゲートの前までは、私が何としても運んで見せますからッ!」

 

 焼け焦げ、溶け落ちる内装。散乱した残骸を踏み越え、自律兵器の合間を抜ける。幾つもの影が壁を這い、光を覆い隠していた。視界に瞬く紫のレンズ、ミカとワカモが大部分を受け持っている筈だというのに、一度蹴散らされた自律兵器がこちらを一斉に向いた瞬間、世界が敵意で満たされた気がした。

 並みの生徒であれば気圧され、怯み、足を止めたかもしれない。

 しかしアコは視界全てに瞬く敵意に晒されながら、歯を食い縛り、恐れず更に踏み込む足を力強く、大きく変えた。

 

「生徒を、私を、ヒナ委員長を――必ず、助けてくれるのでしょう!?」

 

 喉が裂けても構わないと、全力で張り上げられる声。

 その叫びは彼女が文字通り腹の底から絞り出した願いであり、祈りであり、先生に対する信頼だった。

 担がれたままの先生は、自身の内側から響く心臓の鼓動を自覚した。血流一つ一つが分かるような、そんな強張りと変化。先生の残された左目が見開かれ、血に塗れた顔が持ち上がる。

 

 ――信じて。

 

「……私を、信じてくれるのか」

 

 瞬間、先生の身体を支える腕が、いっそう強く肌に食い込んだ。言葉はない、代わりに伝わる力強さが彼女の内心をこれ以上ない程に物語っていた。

 先生の背中が、ズシリと一段重くなる―――それは積み重なる、信頼の重み。

 絶対に果たさなければならない、約定の気配。

 

「ぎッ――!?」

 

 刹那、横合いから自律兵器の主腕が叩きつけられる。鞭のように撓った影が、アコの身体を打ち据えた。打撃は彼女の肩を強かに捉え、紫電が散ると同時に衣服が弾け、皮膚が黒ずみ、骨の軋む音が聞こえた。

 思わず漏れ出た苦悶の声、視界が白く弾け、一瞬身体が硬直する。

 

「くッ、ああァアア――ッ!」

 

 それでも、彼女は止まらない。

 苦痛に顔を歪めながら、両足を必死に動かし、先生を守り抱えたまま駆け抜ける。行く手を遮る様に殺到する自律兵器の群れ、伸びた主腕が幾つも彼女目掛けて振るわれ、アコは全ての攻撃を回避する事は不可能と判断。先生を両腕で庇い、背を丸め、滑る様に駆け続ける。顔面を、肩を、腕を、腹部を、一斉に放たれる鞭打が全身に降り注ぐ。

 焦げた床を踏みしめ、駆ける彼女の姿は、ほんの一分と経たぬ内に血と痣に塗れ、衣服は焦げ目に塗れた。首元に身に着けていたベルが音を鳴らし、表面が削れ赤が沁みる。だがその分だけ、確実に、着実に、終着点(ゲート)は近付いて行く。

 

「アコ……ッ!?」

「黙って、と、云ったでしょう――……ッ!」

 

 先生が思わず、声を荒げた。しかし血が零れ落ち、半分塞がった瞼を押し上げ、アコは尚も前進する。正面に見える巨大なゲート、未だ閉ざされたそれが直ぐ傍まで近付いているのだ。

 先生の抱えたタブレットより青白い光が奔り、瞬間轟音と共にゲートがゆっくりと開放された。緩慢な動作で開かれるソレ、向こう側に広がるのは薄暗い空間、どこまでも続く暗闇――見ていると吸い込まれそうな、恐怖心を煽る闇だと思った。

 

 その向こう側に何があるのか、アコは知らない。

 しかし、先生はその先にこそ希望があると語った。

 ならば迷う事は無い、アコは抱えていた先生を掴む手に力を籠め、正面の自律兵器を蹴飛ばし、虚空へと飛び上がる。

 

「先生、受け身の準備をッ!」

「……!」

 

 叫び、先生はアコの意図を察する。次の瞬間、血を撒き散らし、一瞬の浮遊感に身を任せたアコは、力任せに先生をゲートの向こう側へと投げ入れた。風切り音と共に、全力で放り投げられる先生の身体。自律兵器の真上を通過し、暗がりの中へと吸い込まれるようにして先生は地面へ叩きつけられた。

 

「――ぐぅッ!?」

 

 宙を舞い、堅い床に叩きつけられ、二度、三度転がりながらシッテムの箱を掻き抱く。衝撃に苦悶の声を漏らし、数秒程咳き込んだ先生は、地面に這い蹲ったまま自身を投げ入れたアコを咄嗟に見上げた。

 視界の端で、地面に転がるアコの姿が見えた。

 

「ゲートを閉じて下さい、早くッ!」

 

 ゲートの向こう側で、素早く受け身を取ったアコは転がり起き、間髪入れず群がる自律兵器を蹴飛ばした。今にもゲートの中へと殺到しようとする自律兵器はアコを押し退け、今しがたゲートに到達した先生の元へと殺到しようとする。それを腕で押し留め、抜き放った愛銃を至近距離で撃ち込み阻止する。アコの周囲で火花が咲き乱れ、無数の自律兵器の中に身を投じながら、血の混じった声で彼女は叫ぶ。

 

「此処から先は、私達が死守しますッ!」

 

 叫びは鋭く、強く。

 向けられた背中に、決して揺らがぬ覚悟が秘められている。

 

「あの二人も一緒です、そう簡単には、やられません……ッ! 風紀委員会の底力、見せてやりますよ!」

「ッ……!」

 

 先生には、分かっていた。

 放たれた声の奥に、虚勢が含まれている事を。

 それでも、同様に彼女の決意が本物であることも分かっていた。

 必死に地面を掻き、小鹿の如く震える両足を叱咤しながら、上半身を辛うじて起こした先生は、鉛の如く重く、鈍い身体に怒りを覚えながら喉を震わせる。

 

「だから委員長を――ヒナ委員長を、絶対に助け出して下さい!」

「アコ……ッ!」

 

 再び、彼女の名を呼んだ。

 その呼びかけを最後に、再びシッテムの箱が青白く点滅、アロナの操作によりなナラム・シンと回廊を隔てるゲートが閉鎖される。

 

 ゆっくりと、緩慢な動作で閉じ行くゲートはアコと先生を遮り、自律兵器と彼女の背中は、分厚い暗がりの影、その向こう側へと消えていく。先生は咄嗟に手を伸ばそうとした、しかし力なく震え、ほんの僅かな前進さえ拒む両の足は、たった数歩前進しただけで膝が折れ、その場に崩れ落ちる。再び地面に這い蹲った先生は、アコの背中を見つめながら歯を食い縛る。

 

「失敗したら、承知しませんからねッ!? 本当に、頼みましたよ……!」

 

 ゲートが完全に閉じられる寸前。

 自律兵器を押し留める、アコが最後に振り返った。額から流れる血、半分塞がった瞼をそのままに、けれど表情を僅かに笑みで歪めながら、アコは最後の声を届ける。

 

「――先生ッ!」

 

 ズン、と。

 分厚い障壁が、重々しい音と共に世界を隔てた。

 

 姿が消え、音が消え、周囲に存在する影は一つのみ。世界全てから、存在が断たれてしまったかのような静寂。

 先生は這い蹲ったまま、暫し閉ざされたゲートの先を凝視し、それから地に塗れた両手を強く、強く握り締め、地面に血痕を残した。

 握り込まれた義手が軋みを上げ、凹み、亀裂の走ったフレームから異音が発せられる。

 

『……せ、先生』

「っ、くッ、ぁ――……」

 

 血走った瞳で自身の影を睨み付け、額を床に打ち付ける。飛び散った赤が頬を濡らし、あらゆる感情が、胸の奥で煮え滾り、今にも溢れ出そうだった。

 悔恨、怒り、悲しみ、無力感、自責の念、だがそれに浸り嘆く権利など、自分には存在しない。全てを腹の奥底へと押し込み、ただ一つの言葉を胸に刻む―――進め、と。

 

 そうだ、進め。

 私が足を止める訳には、いかない。

 

 無様に震える足に力を籠め、何度も何度も膝を殴りつけ、立ち上がろうとする。不格好だろうと何だろうと、這ってでも進まなければならない。手足全てを捥がれたとしても、或いはこの首一つ転がる事になろうと。

 倒れることは許されない。

 立ち止まる事は許されない。

 彼女たちの願いを、祈りを、想いを繋ぐ為に。

 

 繰り返して来た旅路に、意味を与える為に。

 

 ふらつき、覚束ない足取りで先生はゲートに背を向け、血痕を残しながら少しずつ、しかし着実に暗がりへと向けて歩き出す。顎先から、指先から滴り落ちる血痕を踏み締め、靴跡で擦り消しながら。

 

 アトラ・ハシースの箱舟、その中心に存在するナラム・シンの玉座は、巨大なドーム状の空間となっている。大きさはアトラ・ハシース内部でも最大規模を誇り、傍から見れば際限のない暗闇がどこまでも広がっている様にも見える。

 しかし、内装や広さに意味など無い。何故なら、この空間はそういった物理的な法則に囚われていないのだから。所有者の意思と適切な権限さえあれば、どの様な風景にも、内装にも、世界にも作り変える事が出来る。

 

 次元、時間、実在の有無が確定されずに混ざり合う唯一の場所。

 それこそが、ナラム・シンの玉座であるが故に。

 

「はッ、はっ――」

 

 息を弾ませ、先生は暗がりの中を歩き続ける。身体制御が緩み、呼吸を体が求めていた。必要が無くとも、生命というものは生前の行いを覚えているらしい。朧げな情報の輪郭、微かに開いた瞳が薄らと瞬きを繰り返す。

 滴る赤を踏み締めながら歩き続ける事暫く――暗がりの中に、薄らとした白い輪郭を目にした。

 

「―――」

 

 力なく床に横たわる誰か、地面に広がった白い色が、彼女の長髪であると気付いた瞬間、先生は一際強く足を前に踏み出す。

 速足で影の元へと辿り着いた先生は、タブレットを横合いに置き、崩れ落ちる様にしてその場で膝を突くや否や、両腕でその矮躯を抱き上げる。

 

「――……ヒナ」

 

 ナラム・シンの玉座、その中心には、倒れ伏したヒナの姿があった。

 怪我らしい怪我は無く、見る限り小さな傷一つない。ただ眠る様に目を瞑り、呼吸を繰り返す姿。その事に先生は安堵し、薄らと微笑みを零しながら、震え血に汚れた指先で彼女の前髪を優しく払う。

 額に僅かな赤が付着し、ヒナの白い肌を汚した。

 

「漸く」

 

 呟かれた声は、ほとんど吐息に等しい程に、力なく。

 温度を失った指先が、彼女の頬を慈しむ様に繰り返し撫でる。

 

「……漸く、此処に辿り着いた」

 

 ヒナ()の居る、この場所へ。

 絶望の果てか。

 それとも、希望の座か。

 それは、今に分かる。

 

 

 ――ゆっくりと、伸びる影があった。

 

 

 それはヒナを抱きかかえる先生を覆う様に、いつの間にか、音も無く現れた大柄な影。

 否、彼は最初からその場に立っていたのだろう。ただ暗がりに紛れ、認識出来なかっただけに過ぎない。この空間特有の現象、目に見える揺らぎが、存在そのものを曖昧なものへと変えている。この場に於いては、アロナによる情報補完でさえ完璧なものにはなり得ない。

 

「……あぁ」

 

 ヒナを腕の中に抱えたまま、先生は緩慢な動作で顔を上げる。血に張り付いた前髪、古傷に塗れた顔面を晒しながら、暗闇の中で大きく目を見開く。

 大柄な影は微動だにせず、ただ無機質で色のない視線をただ此方に投げかけるのみ。

 

 薄汚れ、擦れたローブが微かに揺れ動く。

 細く、最早異形と化した指先が暗がりに覗き、罅割れ、点滅を繰り返す一つのタブレットを取り出した。

 親しみのあるソレ、暗闇の中で薄らと煌めく青白い光が、鉄仮面を照らす。

 

 シッテムの箱。

 その所有者は、数多の世界に於いて――ただのひとり。

 先生は彼の者の姿を視界に捉えながら、深く、深く吐息を零す。

 

 あと何千の苦痛を味わえば。

 あと何万の慟哭を響かせれば。

 あと何億の涙を流せば―――。

 子どもたちの未来を、守ることが叶うのだろうか。

 

 

 ――その答えが今、此処(目の前)に。

 

 

「……始めよう(終わらせよう)

 

 こうして顔を合わせるのは、二度目だった。

 ヒナの小さな体を抱き締めたまま、横合いに置いていたシッテムの箱に手を伸ばし、その表面に軽く触れる。それだけで画面は点灯し、即座に二人の間に光が差し込み、周囲を照らした。

 煌めく青は周囲の暗がりを払い、柔らかな風を生む。

 対峙する両名。

 血を啜って尚、未だその純白を失わない制服が揺れ靡く。

 同じ色の瞳が瞬き、ただ真っ直ぐ――目前に立ち塞がる、先生(自分自身)だけを見つめていた。

 

「――プレナパテス(色彩の嚮導者)

 

 背負った数多の願いの為に。

 繰り返し、歩み続けた苦難の道。

 その旅路は今、結実の時を迎える。

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