ブルーアーカイブを、もう一度。   作:トクサン

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誤字脱字報告、感謝ですわ~!
前半は前話入れられなかったユズ・テラー部分ですの!
今回二万二千字ですわ!


【柄じゃないけれど、それでも知って欲しかったんだ】

 

「か、カイザーッ!?」

「御無事ですか、カイザーッ!」

 

 崩壊した街並みに響く無数の足音、そして自身を呼ぶ声。溶解し、殆ど消滅したゴリアテの残骸とも呼べぬ鉄塊の中から、オートマタ達が必死に一つの影を引っ張り出す。

 それはコックピットに搭乗していたカイザー、その素体上部である。

 溶け落ちた装甲がコックピット内部の内装と一体化し、砲撃を受けた機体、素体共に原型を残していない。辛うじて残ったのは、あの堅牢な素体の頭部周辺、僅かばかりであった。

 それでも辛うじて稼働し続けている。頭部と首回りだけとは云え、溶け落ちた装甲は既に固形化し、罅割れた赤いアイラインが点滅を繰り返していた。

 

「う、ぐ、ぬぅッ……」

「お、おい、早く車を回せッ!」

「よ、良くご無事でッ……!」

 

 最早鉄屑と称する他ない程、損傷したカイザーの素体を機外に引っ張りだしながら、オートマタ達は驚嘆と安堵を込めた声を漏らす。カイザーそんな部下達を見上げながら、罅割れ、ノイズ塗れの声を発した。

 

「ふん、そうなる様に、目も眩むような大金を積んで仕上げた素体なのだ、この程度は耐えて貰わねばな……!」

 

 恐らく、自身の素体でなければ耐えられない程の威力であった。並みの素体であればコックピットと同じ様に、ドロドロに溶解し其処らの鉄屑と見分けがつかない状態になっていただろう。頭部回りのみとは云え、辛うじて形を保てたのは徹底的に生存能力を高めた素体性能に依る所が大きい。

 特注の素体とゴリアテ、それを失った損失は大きいが――しかしカイザーは自身の為した結果に満足げに唸ると、アイラインを点滅させながら告げる。

 

「特注の素体を失ったのは中々痛いが、修繕費用とゴリアテ一機の代金を差し引いても、本社ビルを守れたのならお釣りが来る」

「流石です、ボス……ッ!」

「カイザーと呼べ!」

 

 咄嗟に出た嘗ての呼び名に、頭部だけの状態で勢い良く叫ぶ。どんな状態であろうとも、例え首だけの素体であろうとも、それは彼の持つ拘りであった。

 続々と集結するオートマタ達、唸りを上げて走行する装甲車両が直ぐ傍に停車する。銃火器を携えたオートマタが何十体とカイザーを守る様に布陣し、その素体は丁寧に持ち上げられ装甲車両の中へと搬入されていった。その間、大体数のオートマタがサンクトゥムと共に崩れ落ちた甲鉄の巨人を見つめ、剣呑な空気を纏う。

 内、カイザーの傍に控えるオートマタの一体が告げた。

 

「カイザー、あの機体の搭乗者、今なら制圧する事も叶いますが――」

「やめろ」

 

 しかし、返って来た言葉は冷ややかで、素早かった。

 カイザーは最早七割以上がノイズに覆われた視界の中で、倒れ伏した甲鉄の巨人とその残骸に駆けて行く小さな影を無言で見送る。それから感情を押し殺す様に唸ると、努めて冷静な口調で続けた。

 

「連邦生徒会、延いては防衛室への義理はこれで果たした――何せ中央区へと届き得る砲撃を、身を挺して防ぎ切ったのだからな、活躍としては十分だろう」

「……はっ」

「無粋はよせ、何よりこんな状況の私を後回しにするつもりか? 一刻も早く予備の素体を用意しろ、これ以上私を待たせるな」

「も、申し訳ありませんッ!」

「……ふん」

 

 カイザーの言葉に、慌てて散っていくオートマタ達。装甲車両の中に運び込まれ、即席のベルトで次々と固定されていくカイザーは崩壊した街の中、ビルに凭れ掛かったまま機能を停止したもう一機の巨人を車内より見上げる。

 そして改めて項垂れる様にして沈黙する巨人の頭部を見た時、彼は吐き捨てる様に云い放った。

 

「――全く、無様なデザインだな」

 

 ■

 

「っ、ぅ――……」

 

 世界が、ぐるりと反転したような心地だった。朧げな視界に走る火花、溶解した内装がそのまま液体となって流れ込んでいく様な、自身の胸元を抑えながら緩く首を振り、周囲の景色を確かめる。溶け落ちたコンソール、飛び出す配線、拉げた装甲。その隙間から差し込む、朧げな光。

 垂れ落ちた赤が瞼を覆い、震える指先で目元を拭いながら記憶を掘り返す。

 

 そうだ、自分は――。

 

 何が起こったのかを理解し、歯を食い縛る。気を抜けば意識を失いそうな鈍痛と息苦しさの中で、彼女――異なる世界のユズは、崩壊し辛うじて原型を留めていたコックピットから這い出そうとした。

 血が滲み、火傷痕の残る指先で、裂け、溶解した装甲を必死にこじ開ける。

 

「み、みんな……!」

 

 モモイは、ミドリは、アリスちゃんは、先生は――皆は、無事だろうか。

 ユズはその一心で、自身の身体すら顧みず脱出を図る。もしかしたらまだ、機体の中に取り残されているかもしれない。衝撃で外に吹き飛ばされてしまったかもしれない。皆の無事を確かめないといけない、彼女は本気でそう思っていた。

 

「ふっ、ぐぅ……ッ!」

 

 懸命に、必死に拉げた装甲を押し退けようとする。しかし、非力な彼女が出来る事と云えば、溶解し罅割れた装甲を数センチ広げる程度の事であった。息を荒げ、歯を食い縛り、爪先に血が滲む程の力を入れても――装甲は未だ、ひと一人入る隙間さえ作れず。

 ただ、焦りばかりが募り、滴る血が腕を伝って彼女の膝を汚す。

 

「だっ……」

 

 こうしている間にも、皆が大変な目に遭っているかもしれない。

 自分に助けを求めているかもしれない。

 そう考えると、呼吸が早まり心臓が早鐘を鳴らした。嫌な記憶が、光景が、脳裏に次々と過っていく。血の気が引き、腹の奥底から叫びたくなる様な衝動が湧き上がった。

 皮膚が装甲に食い込み、ミチミチと音を鳴らした。滴る血は徐々に勢いを増し、しかし瞳を大きく見開いた彼女はそんな事はどうでも良いとばかりに力を籠め、装甲をこじ開けようとする。

 

「誰か――」

 

 唇が、無意識に助けを求めていた。無力な自分が、何も出来ない自分が、腹立たしくて、情けなくて、仕方なかった。見開いた瞳から、ポロポロと涙が零れ落ちる。懸命に息を吸い込みながら、必死に腕に力を込めながら、彼女は内心で祈る。

 どうか、お願いします。

 仲間を、ゲーム開発部の皆を、大切な人を。

 

 ――助けて。

 

「ユズッ!」

「――……ぁ」

 

 差し込んでいた光が、不意に遮られた。

 俯ていた顔を上げた瞬間、自分ではない誰かの指先が、罅割れた装甲の隙間に差し込まれる。そして一息に、いとも簡単に、金切り音と共に装甲を引き裂き、外界と隔てられたコックピットを白日の下に晒した。

 差し込む光に、彼女は思わず瞳を細める。光を背に立つ、誰かの影――否、誰かなんて考えるまでもない。

 

「ユズ、無事ですか!?」

 

 掌が差し出される。

 擦り切れ、薄汚れ、か細い――けれど力強い掌。

 勇者の掌。

 天童アリス(大切な仲間)が、目の前には立っていた。

 蒼く、澄んだ瞳。不安げに瞬くそれは、自分を案じている証左で。

 

「良かった、大丈夫だったよ!」

「はぁ、本当に、本当に良かった……!」

 

 彼女の背後からモモイが、ミドリが駆け付け、コックピットの中を覗き込み安堵の声を漏らす。多少の傷はあれど、五体満足でシートに背を預けるユズ。彼女は自分を覗き込む仲間達の姿に目を瞬かせ、二度、三度、唇を震わせた。

 

「――ぁ、あ」

 

 無意識の内に、ユズは手を伸ばそうとした。

 伸ばされたアリスの掌を、何の疑いもなく取ろうとした。

 それは殆ど、反射的な所作だった。自分の仲間が、大切な人が目の前にいる。その事実が彼女の精神を大きく震わせ、何ら疑問を抱く事無く指先はアリスの掌に触れようとした。

 けれど。

 

「―――」

 

 視界に映る、四人目の影。

 最奥に立つ、自分自身(花岡ユズ)に気付く。

 その瞬間、彼女は自身の頭を鈍器で思い切り殴りつけられた様な衝撃を感じた。

 自分は今、何をしようとしたのか、何を想ったのか――。

 そうだ、彼女達は。

 目の前に立つ、仲間達は。

 

 花岡ユズ(彼女)の仲間であって、(花岡ユズ)の知る仲間ではないのに。

 

「……ぅ」

 

 強烈な自己嫌悪と、孤独感が胸を貫いた。

 中途半端に伸ばされた指先は、即座に行き場を失う。彷徨う指先を握り締め、彼女は唇を噛み締める。「ユズ……?」と、アリスの放つ疑問の声が耳に響いた。途端、脳裏に過る様々な記憶。目を背け、耳を塞ぎ、懸命に守っていた心に罅が入ような。彼女の背は再びシートへと戻り、足を畳み丸まって、頭を抱えながら震える唇を開く。

 

「ごめん、なさい……」

 

 呟かれたのは、謝罪の言葉。

 

「ごめん、ごめん、ごめんなさい……ッ!」

 

 それは、誰に向けての謝罪だったのか。

 目の間の彼女達に向けてか、それとも元の世界で失ってしまった仲間達に向けての言葉だったのか。

 或いは――自分の心を守る為に生み出した、ゲーム開発部(機械人形)に向けたものだったのか。

 

 彼女自身にも分からなかった、或いはその全てを内包した感情の吐露だったのかもしれない。

 大粒の涙を流しながら自身の身体を掻き抱き、一心不乱に、只管に謝罪を繰り返す彼女の姿に――アリスは慌ててコックピット内部に踏み込み、手を伸ばそうとした。

 けれど、それを制止する影があった。

 伸ばした手を掴み、「アリス」と名を呼ぶ影。

 

「……モモイ?」

 

 踏み込もうとしたアリスを押し留め、モモイは緩く首を振る。それから外界とコックピットの境界線に立ったまま、彼女は顔を上げ、名を呼んだ。

 

「――ねぇ、ユズ」

「っ……!」

 

 びくりと、その肩が震える。

 その声で、声色で名を呼ばれたのは何時ぶりの事だろうか。脳内で再現した声ではない、確かな肉声。それに強く意識を引かれながらも、彼女は自身を守る様に張り付いた両腕を開く事が出来ない。

 ただ、怖かったのだ。

 恐ろしかったのだ。

 

「ごめんッ!」

「……えっ?」

 

 だが、予想外の声が彼女の鼓膜を叩いた。身を丸めたまま、自身の空に籠ったまま――聞こえて来たソレに、ユズは目を見開く。

 

「今のユズの事、私は何も知らない、どんな事が起きて、どうしてこんな事になっちゃったのか、全然分からなくて……! 分からないん、だけれど――」

 

 どこか歯切れ悪く、自分の中の感情を上手く言葉に出来なくて。モモイはぽつり、ぽつりと声を途切れさせながら懸命に言葉を紡ぐ。それは不器用ながらも、彼女なりに嘘偽りなく、腹の底から湧き上がった本心を伝えようとしていたから。

 

「私が、もし『そっちの私』がユズともう一回話せるなら、何て云っただろうって考えたら、やっぱり最初に、謝らなくちゃって思って……!」

「な、なんで――」

 

 震えた両腕が、ゆっくりと隙間を作る。影に覆われた隙間から、ユズの驚きに見開かれた瞳が覗いた。差し込む光、それを背に佇むモモイを、彼女は呆然と見上げる。

 

「何でモモイが、謝るの……?」

「だって、ユズが凄く苦しそうで、辛そうだから……!」

 

 当然の疑問だった。寧ろ罵倒され、軽蔑され、嫌悪されても仕方ないと思っていた。当然だ、自分はどんな理由があったにせよ彼女達に銃口を向け、あまつさえ世界を滅ぼそうとしたのだ。それは勇者の道とは、程遠い。どんな言葉を投げかけられても、視線を向けられても、反駁出来る余地など存在しない。

 だというのに、モモイは云う。

 コックピットの暗がりに一歩を踏み込み、必死の形相で言葉を叩きつける。

 

「ユズは精一杯頑張ったんでしょ!? そんなに、ボロボロになるまで、色んな事を背負ってさぁ……!」

「ぁ――」

「だから、私はッ」

 

 勢いに任せ、拳を握り締めながら声を荒げたモモイは。

 けれど一瞬言葉を呑み込み、それから俯き声を震わせる。

 

「そんなユズに一杯、色々な事を背負わせちゃって、何も出来なくて、ごめんって――云わなくちゃって、そう思って……!」

「―――……」

 

 モモイらしい、純粋で、愚直と云えるまでに真っ直ぐで、偽らない心の在り方。恐らく彼女なりに精一杯考えた結果なのだろう、残された仲間がこんな風になって、もし自分が彼女の世界に存在した――モモイであったのならば。

 考えて、考えて、考えて、その果てに絞り出した言葉がコレなのだ。

 ユズは暫く何も云わず、シートに背を預けたまま口を噤んだ。ただ眩しそうに、差し込む光の向こう側に立つモモイを、ゲーム開発部を見つめていた。

 

「ユズちゃん」

「ユズ……」

 

 ミドリが、アリスが、そっと口を開く。沈痛な表情で、けれど確かに、変わらない親愛を込めて。

 

「私達もお姉ちゃんと同じ気持ちだよ、きっと、簡単に口に出来るような経験じゃなかったと、そう思うけれど……それでも」

「はい、どんな場所であっても、世界でも、ユズはユズです! アリスの大切なパーティメンバーで、仲間で……だからっ!」

 

 懸命に。

 身を乗り出した語り掛ける彼女達の姿に、ユズは小さく吐息を零す。それは彼女達が消えてからずっと、抱く事が出来なかった感情の欠片。胸元を強く握り締めながら、ユズは呟く。

 

「……皆に」

 

 渇き、罅割れ、薄らと血の滲む唇を震わせ、彼女は云った。

 

「皆に、相応しい私になりたかったの」

 

 モモイみたいに、自らの道を切り開く力を。

 ミドリみたいに、誰かを支えられる知恵を。

 アリスみたいに、決して挫けぬ眩いばかりの勇気を。

 

「……強くなりたかった」

 

 草臥れた様に、凭れ掛かったまま彼女は呆然と光を見上げながら呟く。ただの感傷だ、全てが過ぎ去った今、吐露するそれは虚空に浮かんでは消えるばかり。自らの頬に爪を立て、薄らと滴る血を引きながら力なく垂れ落ちる両腕。その瞳が、影を伸ばすゲーム開発部の背後へと向けられる。

 

「――この世界の、貴女(わたし)みたいに」

「………」

 

 ただ口を一文字に引き締め、無言を貫く影に――この世界の花岡ユズに、彼女は語り掛ける。

 そこにあるのは羨望だ、焦げ付いてしまう様な羨望、強く在れた自分自身に対する隠し切れない劣等感と己に対する失望が混じった。

 けれどユズは異なる世界の自分自身を見下ろしながら、ゆっくりと息を吸い込むと、首を横に振った。

 

「私は、そんなに強くないよ」

 

 声は小さく、けれど良く響いた。

 嘘ではない、謙遜でもない、彼女にとっては紛れもない真実である。

 花岡ユズは、彼女が想う程強くも無ければ、羨望を抱かれるような人物ではない。薄汚れた衣服の前で指先を擦り合わせながら、ユズはぽつり、ぽつりと言葉を落とす。

 

「ただ少しだけ、ほんの少しだけ――皆の強さを、分けて貰えただけ」

 

 そうだ、自分ひとりの力などちっぽけなものだ。

 自分は仲間達に支えられ、その強さを分けて貰っただけに過ぎない。

 モモイの力強さを。

 ミドリの知恵を。

 アリスの勇気を。

 ほんの少しずつ。

 だから自分はこうして、この場に立っている事が出来る。

 

「ひとりぼっちの苦しみも、寂しさも、全部……全部分かるから」

「………」

「だから――」

 

 声を震わせ、ユズは顔を上げる。瓜二つの視線が混じり、光を背に立つ彼女は異なる世界の自分を見つめる。影を背にした、異なる世界のユズは暫し沈黙を守り、言葉の続きを瞳の奥から察した。

 

「――それなら、私も」

 

 思わず、開いた掌を伸ばした。先程は掴めなかったそれが、虚空にゆっくりと伸びる。血と傷に塗れ、見るも無残なそれ。

 

「私も、そんな風に強く、なれたのかな?」

「……うん」

 

 ユズは、伸ばされた掌を何の躊躇いも無く握り締めた。力強く、痛い程に、握り締められた掌は暖かな体温に覆われる。見開かれた瞳の向こう側で、煌めく光を宿しながら、何度も頷くユズの姿見えた。

 

「きっと」

 

 返答は迷いなく、力強かった。

 

「……そっか」

 

 呟きは、暮明の中に掻き消える。

 

「ねぇ」

「な、何?」

 

 ぐん、と。

 ユズに引っ張られる彼女は、コックピットの縁に足を掛ける。ゲーム開発部の皆が崩れ落ち、動かなくなった機体の外へと滑り降り、異なる世界のユズは自分自身に手を引かれたまま外の世界へと踏み出した。

 赤空に覆われた世界は不気味で、薄暗くて、けれど差し込む光は暗がりに覆われたコックピットよりもずっと明るい。

 眩しそうに目を細めた彼女は全身を包む外の空気を久方振りに感じながら、傷だらけの身体のままユズへと、ゲーム開発部へと問いかける。空を見上げていた双眸はゆっくりと彼女達へと戻り、薄らと微笑みを浮かべたまま問うた。

 

「この世界の私は……ゲーム開発部(みんな)は」

 

 横たわった機体の傍に佇むゲーム開発部の三名が、隣に立つユズが、此方を見つめる。

 

「――幸せ(幸福)、ですか?」

 

 問い掛けは端的で、何気なかった。

 まるで日常の中で、何と無しに投げかけるような。

 けれどそこに込められた感情は察して余りある。

 互いに顔を見つあったゲーム開発部は、一拍の間を置いて――満面の笑みを浮かべながら答えた。

 

『勿論!』

 

 声は周囲に響き渡り、残響が耳に木霊する。

 それを感じながら、異なる世界のユズは静かに目を閉じ再び空を仰いだ。

 

 私達の世界は、凄惨な結末を辿った。

 悲しみと痛み、苦しみと後悔しか存在しないような場所だった。

 けれど、そんな世界だけじゃない、そんな結末だけじゃない。

 こんな風に、皆が笑える世界があるのなら。

 こんな風に――幸福で在れる結末が存在するのなら。

 

「――良かったぁ」

 

 花岡ユズは、心の底から安心した様に笑った。

 それだけで、彼女は救われた気がした。

 

 気がしただけで、良かったのだ。

 

 途端、その輪郭が、彼女の足元にある甲鉄の巨人が、青白い光に包まれ始める。咄嗟に驚きの声を飲み込むゲーム開発部、けれど彼女達が何かを口にするよりも早く、その足元は崩れ、次々と光の粒となって消えて行った。「ゆ、ユズ!」と皆が叫んだ、隣に立つユズもまた、消えゆく自分自身を掴もうと咄嗟に手を伸ばす。

 

「あっ!?」

 

 けれど彼女がその肩を掴んだ瞬間、異なる世界のユズ、その身体は砕ける様に霧散した。目を見開き、掴んだ指先を凝視する。光は彼女の掌をすり抜ける様にして浮かび上がり、空高く舞い上がっていく。

 

「危ないッ!」

 

 そうこうしている内に、彼女の足元にあった甲鉄の巨人も霧散し、ユズの身体は足場を失い空中へと投げ出された。瞬間、駆け出したアリスが落下するユズの身体を受け止め、辛うじて転落を防ぐ。

 アリスの腕の中で、呆然と空へと消えていく光を見上げるユズ。他のゲーム開発部、アリスも、モモイも、ミドリも、全員が周囲を淡く照らす青白い光を視線で追った。

 光はぐんぐんと、赤空に吸い込まれて行くように消えていく。ユズは無意識の内に光へと手を伸ばした、けれど何度それを掴もうとしても、するりと抜け落ちてしまう。

 

「………」

 

 誰も、何も話す事が出来なかった。

 胸中に湧き上がる感情を、どう表現すれば良いのか分からなかった。ただ何か、云い表す事の出来ない深い悲しみと、遣る瀬無さが胸中に燻った。

 ふとした瞬間に泣き喚きたくなる様な、そんな衝動に駆られて。

 けれど。

 ぐっと、湧き上がる感情を呑み下し、彼女達は唇を固く結ぶ。誰からという事もなく、隣り合った仲間の掌を握り締め、ゲーム開発部は自然と空を見上げながら手を繋いだ。触れ合う指先から、大切な仲間の体温を感じた。ユズはアリスの掌を握り締めながら、彼女の表情を仰ぎ見た。

 今にも泣き出しそうな、くしゃりとした表情だった。固く結んだ口元が皺くちゃになって、懸命に溢れ出しそうな感情を堪えているのだと分かった。

 ユズもまた、それを見て大きく息を吸い込み、唇を固く閉じた。

 掌に力を籠めると、同じ位力強く、暖かな感触が返って来た。

 じっと、ゲーム開発部はその場で空を見上げながら互いの温もりを感じ合う。

 

 ――涙を流すのは、違う気がした。

 

 ■

 

【第六サンクトゥム D.U.雲掛け通り】

 

「かは――ッ……!」

 

 乾いた衝撃音が街中に響く。弾かれた様に吹き飛ばされたフブキの身体は地面を転がり、罅割れ、荒れたアスファルトの上を何度も跳ねた。頬に刻まれた傷が擦れ、青痣に重なる擦過傷、鈍い痛みが全身に波及する。やがて力なく停止した彼女は、震える指先で地面を捉えながらゆっくりとうつ伏せに転がる。

 辛うじて愛銃を抱きかかえ、手放さなかったのは――彼女のなけなしの精神力が勝った結果だった。

 

「はッ、はーッ、ハァー……ッ!」

 

 肺が、焼けるように痛みを発した。酸素を取り込もうとして、勢い良く呼吸を繰り返す。押し返して来る地面の硬さが良く分かる。口から垂れた血の混じった唾液が手元に広がり、薄汚れた掌が視界に映った。瞳は一向に定まらず、何もかもがあやふやで、身体に残された力なんてものはほんの僅かに過ぎない。

 

「っ、ぅ」

「ぐぅ……!」

 

 耳に届く呻き声、ぎこちなく顔を上げれば、自分と同じように何度も打ち据えられ、容赦のない攻勢に晒されたカンナとキリノも、数多の傷を拵えながら地面を這っていた。何かが焦げつくような匂いと、血の匂いが入り混じった不快な香り。

 

「か、カンナ、局長、キリノ……」

 

 掠れた声で、彼女達の名を呼ぶ。

 結局、自分(フブキ)未来の自分(異なる世界の自分)が打ち合えたのは、五分に満たない時間であった。

 いいや、打ち合えたという表現さえ正しくは無い。

 ただ一方的に嬲られ、サンドバッグの様に打ち据えられていただけだ。見かねて飛び出したキリノと、復帰したカンナ局長も含め――一体、どれ程の攻撃をこの身に受けただろうか? 数え切れない打撲痕と擦り傷、響く鈍痛が答えだ。

 

「――手を出さないで、何て云っておきながら、この体たらく?」

「ッ……!」

 

 頭上から投げかけられた声に、フブキは思わず唇を噛み締め、震える顔を必死に上げた。

 軽い足音が一つ、二つ、乾いた空気を踏みしめる。

 持ち上げた視界の先に、異なる世界の自分自身(フブキ)が佇む。

 纏う空気は冷たい刃のようで、自分達とは異なり多少の被弾や負傷は見られるものの、疲労感は全くなく。

 此方を値踏みする様に、その瞳は微動だにしない。

 

「それで――」

 

 垂れ提げた愛銃を突きつける事もせず、彼女は空になった弾倉を地面に放りながら、億劫そうに問いかける。

 

「まだ、戦えるの?」

「たた、かえる……ッ!」

 

 辛うじて、這い蹲りながらも声を荒げた。

 声を発した喉が焼け付くように痛む、それでも声を搾り出さずにはいられなかった。フブキは青痣になり、半分落ちかけた瞼を押し上げながら、震える両腕で自身の身体を支える。

 

「これだけ、御膳立てされてッ、立ち上がれなきゃ、わ、私は――ぅぐッ!」

 

 だが、その細腕に力は入らず、折れて再び頬を地面に叩きつけた。

 掌に、頬に触れる冷たい地面の感触が、現実の厳しさを突き付けて来る様で。

 血に染まった歯を剥き出しに呼吸を繰り返しながら、フブキは涙を零した。それは痛みや苦しみから来るものではない、ただ自分が情けなかったのだ。

 無様で、無力で、何と恰好の悪い。

 

 それでも――負けたくなかった。

 

「こ、これから先、未来永劫……!」

 

 何度も、何度も掌を冷たい地面に押し付けながら。

 彼女は懸命に立ち上がろうとする。

 そうだ、自分には確信がある。

 合歓垣フブキという自分自身を、知悉しているからこそ。

 この瞬間に立てなければ、自分という存在そのものの根幹が崩れてしまう様な。

 そんな、確信がある。

 

「私自身を、信じられなくなる、から――……ッ!」

 

 地面に這い蹲りながら、何度も、何度も立ち上がろうと足掻くこの世界の自分を、異なる世界のフブキは静かに見下ろす。既に何度打ちのめしただろう、何度地面に転がしただろう。既に数える事を止めたその行為は、しかし砂利と血に塗れ、擦り傷と青痣に塗れた目の前の自分を見れば凡そ見当がつく。

 注がれる視線に感情はなく、まるで壊れかけた機械を観察するような冷酷さがある。

 しかし、注がれる冷ややかな瞳の中に。

 まだほんの僅かな、微かな期待の色があった。

 

「……まだ、だ」

「――!」

 

 静寂を破るように、低く唸るような声が街中に響く。見れば満身創痍のカンナが、その脚を震わせながら立ち上がり、背を丸めたまま此方を睨みつけていた。自身の腹部を抑え、鼻から伝う血を拭う事もせず。下から覗き込む様に放たれる眼光は、しかしどれだけ打ちのめされようとも決して衰える事が無い。

 

「カンナ局長」

 

 少し驚いた様に、異なる世界のフブキが呟きを漏らした。そう、驚きだ。純粋に立ち上がったカンナの姿に、彼女は敬意と驚愕を覚えた。たとえカンナ局長とは云え、一時間は昏倒する程度には打ち込んだ筈だった。

 しかし今、彼女は一分と意識を飛ばす事無く、再び立ち上がった。

 

「その傷で、まだ戦うんですね」

「当然だ……狂犬の異名は、伊達ではないッ!」

 

 額を伝う血が顎先から滴る。痛みは相当の筈だった、普通の生徒ならば既に失神してヘイローを飛ばしている。

 だと云うのに彼女は、不屈の精神のみで身体を突き動かしていた。並々ならぬ信念、覚悟、それをひしひしと感じられる。

 

「食らいついたのなら決して離さん、たとえ四肢が捥がれようともだ……ッ!」

 

 その立ち姿は荒々しくも、美しく感じられた。眩しそうに瞳を細めた異なる世界のフブキは、小さく感嘆の吐息を零す。

 狂気にも似た執念――だが、その元は正義という名の信念であるが故に。

 それこそが彼女の在り方。その背中に続いた自身は、決して間違いではなかったのだと今更ながら思う。

 

「そう、です……ッ!」

「―――」

 

 ふらつき、何度も蹈鞴を踏みながら立ち上がる二つ目の影。視線を向けると、白く美しかった髪を地面に擦り付けながら、必死に身を起こすキリノの姿があった。膝を突き、地面に這い蹲りながらも少しずつ立ち上がる姿。顔を顰め、苦痛に歪め、しかし動きを止めない彼女に――異なる世界のフブキを目を細める。

 

「キリノまで」

「まだ、負けていません……!」

 

 ふらつきながら、しかし力強く地面を踏み締めた彼女は、愛銃の第三号ヴァルキューレ制式拳銃を両手で握り締める。腰にぶら下げていたスモークやフラッシュは既に使い果たし、腰裏のポーチには後いくつ弾丸が残っているだろうか。恐らく、殆ど残っていない筈である。最早彼女に出来る事など限られていた、彼女自身そう理解しているだろう。

 それでも尚、挑むような瞳で此方を睥睨するキリノに、異なる世界のフブキは問いかける。

 

「心が挫けなくても、体は限界でしょうに」

「痛い事も、苦しい事も、耐えられます……ッ!」

 

 だって――と。

 キリノは苦痛に歪んだ顔を背一杯上げ、叫ぶ。

 

「大切な人が傷付く姿を見るのは、自分が傷付くより、もっと苦しくて、辛い事だから――!」

「………」

 

 その叫びに、思わず顔を顰めた。

 あぁ、その通りだ、と。

 そう思ってしまったから。

 放たれた言葉は、自身の心の奥に沈めていた何かを無理矢理抉り出してくるような切実な響きがある。

 そうだ、良く分かるとも。

 他ならぬ、自分がそうだった。

 

「フブキ……ッ!」

「立て、フブキッ!」

 

 立ち上がった両名、その直ぐ傍で未だ足掻くフブキは、鼓膜を震わせる声に、必死になって応えようと足掻く。まだ、カンナ局長が、キリノが立っている。その事実が、フブキの泥の様な四肢に微かな力を齎した。

 

「く、ッ、あぁアアア――ッ!」

 

 喉を裂くような叫びと共に、フブキは自身の膝を打ち付け遂に立ち上がる。小刻みに震える両足が地面を踏み締め、見開かれた瞳の焦点は定まらない。既に限界だ、真っ直ぐ銃を撃つ所か、引き金を絞る事さえ困難だろう。

 それでも、確かに――彼女は立った。

 その姿を、異なる世界のフブキは見つめる。

 

「……誰もかれも満身創痍だね、合歓垣フブキ()

 

 わずかに唇を歪め、彼女は云った。

 立ち塞がる三名は、今にも崩れ落ちそうな程傷付き、疲労している。対峙する此方は、弾薬こそ多少消耗したが、戦闘には一切支障がない。垂れ提げた第十四号ヴァルキューレ制式ライフル、その引き金に指を掛けながら彼女は思案する。

 僅かに降り注いでいた小雨が、本格的に勢いを増し始めた。

 

「だから、これで最後にしよっか」

 

 雨音の中、無造作に放たれる声。

 空気が張り詰めたような気がした。顔を上げた瞬間、肌を刺す重圧。これ以上、長引かせる理由はないとばかりに、彼女は唇を吊り上げ宣言する。露悪的にさえ見える表情が、雨粒の向こう側でハッキリと陽に照らされていた。

 

「貴女は此処で死んで(消えて)、この世界は破滅を迎える」

「……ッ!」

 

 ズン、と。

 臓物が軋むような、全身に走る怖気。降りしきる雨の冷たさではない。それ以上の何か、全身を覆う氷の様なそれに、思わず全員が口を噤んだ。放たれるおどろおどろしい戦意が、彼女が遂に本腰を入れ始めたのだと証明していた。

 

「――それが貴女が辿る、最悪の結末だよッ!」

 

 叫び、異なる世界のフブキは銃口を突きつける。色褪せ、塗装の剥げた黒い銃口が、曇天の下で鈍く光った。

 

「援護しろ、キリノッ!」

「っ、はい……!」

 

 カンナは即座に反応し、満身創痍の身体を顧みず全力で地を蹴る。血と砂利に濡れた手を握り直し、一直線に敵へ突っ込んだ。

 フブキもそれに続こうとして、しかし手足が動ない。微かに震える指先、覚束ない両足が辛うじて一歩、前に踏み出すだけで精一杯だった。

 大きく顔を歪め、雨に打たれながら顔を上げるフブキの視界に、一人突貫していくカンナの背中が映る。

 

「ふざけるなよ、その様な結末など……!」

 

 口ずさむ言葉は、カンナ自身を鼓舞した。気温が下がり、薄らとした白が口元から漏れる。血を滲ませる四肢を懸命に振りながら、彼女は冷え込んでいく周囲とは異なり、徐々に熱を帯びる身体を自覚していた。

 それは正に、腹の底から煮え滾るような――使命感(正義感)

 

「認めるものかァ――ッ!」

 

 湧き上がる感情を咆哮に変え、カンナは駆けながら愛銃を突き出した。第十七号ヴァルキューレ制式拳銃、軽量でコンパクトなそれは疲労と苦痛に肉体が悲鳴を上げて尚、決してブレる事無くピタリと、前方の標的へと吸い付く様に照準を合わせた。

 引き金を絞り、発砲。

 乾いた銃声が連続し、閃光が一瞬、周囲を明るく照らす。

 

「ははッ、外れですよ局長ッ!」

 

 しかし発砲の瞬間、彼女は弾丸が飛来する箇所を予測していたかのように、最低限の所作で攻撃を躱して見せる。靡いた髪が弾丸に穿たれ、千切れ飛んで尚、その皮膚一枚削る事も出来ない。直ぐ横を削り取っていく弾丸を一瞥する事も無く、彼女は余裕の笑みを湛えたままカンナを見つめていた。

 

「っ、く……!」

 

 カチリ、と。

 引き絞ったトリガーが音を鳴らす。

 弾倉が空になった音だ、これほど肉薄して尚一発も当てられないとは。

 いいや、この場合は自分の射撃能力云々ではなく、相手の回避能力の特異さを称賛するべきか。カンナは拳銃をホルスターに素早く戻しながら、両手の拳を握り締める。

 残された手段は、肉弾戦のみ。

 しかし、果たしてこの体で競り勝てるのか。一瞬の疑念と不安が、胸中を過った。ずきりと、掌打を打ち込まれた胸元が痛みを発した。骨が軋み、臓物が裏返るような一撃だった。無意識に思い返したそれが、彼女の中で肥大化し痛みを強調する。純粋な肉体の強度に於いて、目の前の彼女は自身の数段上を行っていると断言出来るだろう。

 しかし――。

 

「それが、どうしたッ」

 

 カンナは足を緩める事をしなかった。寧ろ自分の胸中に湧き上がった怯懦を恥じる様に、それ以上の戦意と使命感で以て容易く塗り潰す。一歩経る毎に地面を踏み締める足は力強く、その瞳は剣呑な色を帯びていく。

 

 ――他ならぬ、お前が云った事だよ、合歓垣フブキ。

 

 カンナは目の前で悠然と構える、まるで待ち構えるような姿勢を見せる異なる世界のフブキを睥睨し、胸中で高らかに叫ぶ。

 

 日々努力を積み重ね、誰かの為に、そんな想いと共に過ごす善人。

 そんな人々が報われて欲しいと。

 その努力と苦労に見合うだけの未来が、幸福がありますようにと。

 そう願う事、そう在れるように努める事。

 そんな当たり前で、奇跡のような毎日を。

 何気ない、平凡な日常(日々)を。

 そうだとも――。

 

「――平和(平穏)を守るのが、私達ヴァルキューレだろうがッ!」

 

 腹の底から絞り出された叫びが、彼女自身の肌を打つ。

 声に応じるかのように、大きく踏み出された一歩が水たまりを踏み抜き、泥水が周囲に弾け虚空に舞った。飛び散る飛沫を纏い、カンナは一心不乱に邁進する。

 その背中越しに、銃口を突きつける影があった。

 

「お願い、当たって……!」

 

 キリノは両足を開き、愛銃を確りと構える。しかし、グリップを握り締める指先は小刻みに震え、浅く乱れた呼吸は一向に落ち着く気配が無い。蒼褪めた表情で片目を瞑り照準器を覗き込むが、その向こう側に見える標的の姿は何重にもブレて見えた。

 銃身がカタカタと震え、滴る雨粒が引き金を濡らす。脳裏に過る、何度も学習した正しい射撃姿勢――しかし、それが自分に応えてくれた事など、数える程しかない。

 だからキリノは、祈るような心地で呟いた。

 

「フブキの道を、私達の未来を――っ!」

 

 強く歯を食いしばり、必死に照準を合わせようとする。グリップを何度も、何度も握り直した。指先の感覚が麻痺してしまう程に、強く、強く。

 

「どうか、切り開く為にッ!」

 

 願い、祈る。

 その言葉を口にした瞬間、青白い光が空高くより自分達を照らし、貫いた。

 閃光の奔流、或いは一瞬の稲妻とでも表現すべきソレ。三名のヘイローにノイズが走り、手足に一瞬の痺れが生まれる。同時に瞬く視界、身体全体を包み込むような――暖かさ。

 

「ッ――!」

 

 カンナを、キリノを、フブキを貫いた青白い光は、彼女達の全身に確かな充足感を齎す。視界に瞬く数多の情報、先程まで泥の様に重かった身体が僅かに、その力を取り戻す様な。

 

「まさか――」

 

 ――先生の戦闘支援?

 

 目前の光景に、異なる世界のフブキは驚きと共に宙を見上げる。それは決して届かないと思っていた筈の光が、唐突に差し込んだかの如く。

 絶望的な戦場に、一筋の希望が生まれる。

 あの空の向こう側から、どうやって此処まで支援を届かせたのか。生徒達との繋がりを結んだのか、それは分からない。

 分からないが、ただ力尽きかけていた彼女達の身体に、再び力が戻ったのは事実であった。

 

「――先生」

 

 カンナが血に濡れた唇でその名を呼ぶ、握り締めた拳が軋み、その口元は薄らと笑みを浮かべた。

 そうだ、貴方はいつもそうだった。

 生徒が膝を折りそうになると、どうしようもない困難に、高い壁に直面すると、何処からともなく現れて導いてくれる、力を貸してくれる。

 どんな時だって。

 自らが苦境の只中に在ろうとも。

 

「やれ、キリノッ!」

「っ!」

 

 今しかない、カンナの培ってきた勝負勘が全力で叫んでいた。

 先生の戦闘支援による射撃補助、唐突なソレに面食らった目の前の異なる世界のフブキ、生まれた一瞬の間隙――此処だ、此処しかない。

 声に、再び前を見据えたキリノは息を呑み、しかし瞬時に構えを取る。

 先程まで胸中を覆っていた不安、恐怖、焦燥――それら一切は気付けば影も形もなく。

 突き出された愛銃を握る手の震えは、もう止まっていた。

 呼吸を止め、一瞬だけ世界全ての音が消える。

 

 視線を通る照準器、そこから伸びる線が――キリノを導く様に、先へ先へと伸びていた。

 

 先生が直ぐ傍に居て、自身の腕を掴み、共に狙いを定めてくれるような感覚。ただ伸びた線に沿って銃口を動かし、力を込めず、柔らかな指先で引き金を絞るだけで良い。当たるかどうか、そんな不安は無く、指先はごく自然に動いた。

 直後――銃口は火を噴き、乾いた銃声が連続して鳴り響く。

 放たれた銃弾は四発。空を裂き、雨粒を弾きながら直進するそれは、異なる世界のフブキ、その手元へと吸い込まれるように進んでいく。

 そして、着弾。

 

「っ!?」

 

 甲高い音と共に弾ける銃火器。火花を散らし、大きく腕を振るって愛銃を手放す標的の姿。雨音に混じって軽い音を立て、滑っていく第十四号ヴァルキューレ制式ライフルを見て、キリノは信じられないと云った様子で驚愕と歓喜の声を上げる。

 

「あ、当たった――ッ!」

「良くやった!」

 

 カンナはその結果を視界に捉えながら、賞賛の声を張り上げた。

 良く当ててくれた、自分でも出来なかった芸当を――本当に良く。

 弾き飛ばされた愛銃を一瞥しながら、異なる世界のフブキはしかし、静かに口元を緩める。

 

「……流石」

 

 キリノも、カンナ局長も。

 積み重ねて来た努力の結実、例え先生の戦闘支援があったとしても、その血と汗の結晶には敬意を払う他ない。生半な訓練では駄目だった筈だ、不屈の精神力が無ければこうして立ち向かうどころか、立ち上がる事さえ出来なかった。たった今成し遂げた射撃も、今まさに肉薄せんとする局長の意気さえ。

 けれど――。

 

「私の――」

「っ!?」

 

 愛銃を弾き飛ばされて尚、彼女は一切の動揺を見せなかった。即座に前を向き、両手を握り締め、駆けるカンナを迎え撃つように大きく一歩を踏み出す。その一瞬の切り替え、素早さにカンナは目を見張る。

 だが、動揺を押し殺す事に関して云えばカンナとて負けてはいない。一瞬で迎撃姿勢を取った相手を認識しながら、しかし一切の躊躇を見せず減速もしない。

 

「合歓垣フブキの、文字通り血の滲む様な努力(毎日)は――」

 

 その声に、冷ややかな鋼の如き強固さが宿る。

 脳裏を過るのは、血肉に刻まれた数え切れぬ戦いの記録。血反吐を吐きながら、痛みと苦しみを繰り返して得た技術と精神力。理想とかけ離れた世界の濁流に飲み込まれまいと、必死に抗った彼女の力は追い詰められて尚、輝きを増す。

 

「この程度じゃあ、越えられないよッ!」

「――ッ!」

 

 地面を踏み砕く音。

 それが目の前のフブキが一歩を踏み込んだ際の余波であると、そう気付いた時には既に拳が放たれていた。互いの爪先が相手の懐に踏み込み、大きく引き絞られた腕が風切り音を鳴らす。

 互いの手が届く距離、近距離戦闘――影の輪郭さえ捉えられない様な、一瞬の交差。

 

 カンナがその一撃に反応出来たのは、本能的な回避勘と、先生の戦闘支援による攻撃予測の結果だった。

 カンナとフブキ、両者の拳が互いの頬を掠め、虚空を穿つ。空気の壁を殴りつけるような破裂音。拳が空を裂き、風圧で雨が一瞬掻き消される。

 カンナの頬に一文字の傷痕が刻まれ、一拍置いて互いの身体は弾かれた様に吹き飛ばされた。

 

「ッ、ぐぅ!?」

 

 凄まじい衝撃、先程までの攻撃はまるで本気で無かったと云わんばかりの、強烈な一撃。カンナは頭部を庇いながら二度、三度、地面を転がりながらも素早く体勢を整える。「カンナ局長!」と背後からキリノの声が聞こえた。しかし、それに応えるだけの余裕もない。泥の混じった雨水に身体を浸しながら、カンナは大きく息を吸い込み再び顔を上げる。

 自身も既に銃火器は手にしていない、しかしそれは相手とて同じである。もう一度距離を詰めて、何とか突破口を開いて見せる――。

 

「―――」

 

 そう考えていたカンナの視界に飛び込んで来る、黒々とした銃口。雨水を滴らせ、突き出されたそれに一瞬、呆気に取られる。異なる世界のフブキは半身で身構えたまま、此方を呆然と見上げるカンナに向け、悪辣とした笑みを向ける。

 

「奥の手は、最後まで取っておかないと、ね?」

 

 瞬間、閃光がカンナの網膜を焼く。彼女が肌身離さず持ち歩き、上着の裏に仕込んでいたサイドアーム――第三号ヴァルキューレ制式拳銃(大切な友人の愛銃)

 高速連射の閃光が闇を切り裂き、反動が空気を震わせる。弾丸は硬直し、目を見開いたカンナのバイタルラインを正確に捉えた。

 額、喉元、胸、鳩尾、連射したにも関わらず狙いは余りにも精密であり、放たれた弾丸はカンナ頭部を弾き、仰け反った上半身が虚空を泳ぐ。

 

「ッ、ぎ――」

 

 血煙が舞い、カンナは悲鳴を漏らす事さえ出来ず、そのまま背後へと倒れ込む。水飛沫が舞い、ヘイローが明滅し、その意識が急速に失われて行くのが分かった。

 

「さぁ、最終ラウンドだよッ!」

 

 カンナを打倒した彼女は叫ぶ。見開かれ、爛々と煌めく瞳に宿るのは、ありったけの悪意に覆われた決意。まるで鏡の中を覗き込んだもう一人の自分が運命を告げるように、彼女は突き出した銃口をこの世界の自分自身へと向けた。

 

「――合歓垣フブキ()ッ!」

 

 銃声、叫びと殆ど同時に放たれたソレに、フブキは反応する事が出来なかった。泥の如く曖昧な意識が、鈍い手足の感覚が、放たれる弾丸を避けるだけの猶予を彼女に与えなかった。

 ただ、あらゆる物事が一瞬で起こった。

 

「フブキ――ッ!」

 

 乾いた銃声と同時に、キリノが横合いから飛び込んで来た。フブキの前へ、迷いなど一片もなく身体を投げ出し、その射線を塞ぐ。導き出された弾道予測線の上に自らの身体を盾とするように投げ出した彼女は、当然の如く放たれた二発の弾丸の直撃を受けた。

 胸部と腹部に一発ずつ、肉を叩くような鈍い音と、苦悶の声。キリノの身体が折れ曲がり、バランスを崩して派手に地面へと叩きつけられる。

 

「あぐ、ッぅ」

「キリノ……ッ!?」

 

 咄嗟に、キリノに手を伸ばした。泥水を被り血を滴らせる彼女は、伸ばされたフブキの掌を見つめ、顔を歪めたまま力なく地面に身体を横たえる。

 

「フ、ブキ――……」

 

 血に染まった口元で、ただ懸命に自身の名を呼ぶ友人の姿。彼女は震える手を伸ばし、自身の握り締めていた愛銃をフブキへと放った。カラカラと音を鳴らし、自身の足元へと滑って来るそれ。

 雨の中、痛みに歪みながらも此方を捉える彼女の双眸。瞳の奥に煌めく意志の光、言葉にせずとも、それは確かに伝わって来る。

 

「ッ……!」

 

 フブキの肺が、焼けるような熱を持つ。身体は悲鳴を上げていた、最早限界は疾うの向かに超えているのに。

 

 だが――フブキの両足はいつの間にか、大きく前へと踏み出していた。

 

 衝動に突き動かされる身体、疲労や痛みを超える意思の力。

 キリノの放った第三号ヴァルキューレ制式拳銃を拾い上げ、地面を蹴飛ばし矢のように飛び出す。水飛沫を上げ走る、走る、前傾視線になって、一心不乱に――一度止まれば最早、その足は二度と走り始める事が出来ないから。

 血が滴る両足を無理矢理動かし、意思の力だけで身体を前へ前へと押し出す。

 カラカラと、空薬莢がアスファルトの上で弾む音がした。異なる世界のフブキは一発一発、指先で弾丸をシリンダーに押し込みながら迫るフブキを見つめ、仄暗い笑みを浮かべ呟いた。

 

「近付いて来るんだね、そんな状態で――ッ!」

「負けるか……っ」

 

 異なる世界の自分が放つ、挑発にも似た言葉。それは既に、フブキの耳に届いていなかった。

 朦朧とした意識の中、フブキは自身の愛銃である第十四号ヴァルキューレ制式ライフルを片腕で突き出し、駆けながら引き金を絞る。

 連続した銃声が轟き、閃光が周囲に瞬いた。

 しかし、放たれた弾丸は悠然とリロードを挟む標的の直ぐ傍を掠めるのみで、背後の瓦礫山やビル外壁に突き刺さるばかり。不安定な姿勢、疲弊した肉体、片腕での強引な射撃、当然ながら碌に命中する筈も無く――それが分かっているからなのか、目の前の自分は微動だにしない。まるで涼しい顔で、飛来する弾丸を一瞥する事さえなく。

 視界に瞬く無数の数値、戦闘支援通りに狙いを付ける事も出来ず、フブキは自身の愛銃を一切の躊躇いも無く投げ捨てた。軽い音を立てて転がっていく自身の愛銃、それを顧みる事無く前だけを見据える。

 

「負ける、もんかぁッ……!」

 

 残ったキリノの愛銃――第三号ヴァルキューレ制式拳銃を血の滲む指先で握り締め、叫ぶ。

 ただ、自分自身に言い聞かせるように。

 湧き上がる恐れに、負けないように。

 

「私がっ」

 

 青痣に覆われた瞼を押し上げながら、フブキの両足は懸命に地面を蹴り続ける。刻一刻と迫る異なる世界の自分自身、その表情。

 カチンと、弾丸を装填し終えた彼女がシリンダーを戻し、ゆっくりと顔を上げる。

 互いの握り締める第三号ヴァルキューレ制式拳銃に、濃密な神秘の気配を感じられた。神秘を練り上げ、たった一発の弾丸に注ぐ。そうでなければ打ち倒せないと互いが理解しているが故に。

 必死の形相で駆けるフブキは、視界の端で変動する命中率と伸びた射撃線を凝視しながら、大きく息を吸い込む。グリップを握る指先が滑る、指先は小刻みに震え、視界は半ば黒ずみ焦点が合わない。

 だから、当てられる距離に近付くしかない。

 相討ち覚悟で――決死の意思で。

 

 退く訳にはいかなかった、立ち止まる訳にはいかなかった。

 キリノに、託された。

 カンナ局長に、託された。

 そして――先生に、託された。

 だから。

 

「私が、他ならぬ――私自身(合歓垣フブキ)がっ!」

 

 キリノの。

 カンナの。

 そして、先生の――。

 

(世界)日常(奇跡)を、守るんだ――ッ!」

 

 血を吐くような咆哮、視界に捉えた相手との距離は、ほんの二、三メートル。

 視界の命中率が限りなく百に近付いた時、フブキは突き出した第三号ヴァルキューレ制式拳銃の引き金を絞った。同時に此方を捉えていた異なる世界のフブキ、彼女が構えていた第三号ヴァルキューレ制式拳銃もまた、その引き金に指が掛かる。

 交差する視線、対照的な姿。

 片や懸命に、必死の形相で。

 片や悠然と、余裕の笑みすら湛え。

 それでも、最後の一歩を踏み出した時――フブキに迷いは無かった。

 最後に踏み込んだ水溜りが、大きく飛沫を上げる。

 

 

 ――銃声が轟く。

 

 

 耳を裂く乾いた破裂音が、雨に濁る空気を震わせた。一瞬の静寂、同時に雨音が戻って来るような錯覚を覚える。

 銃口から微かに揺らめいた白煙と熱気が、一瞬の内に雨へと消え、二つの影は対峙したまま微動だにしない。跳ねた雨水が地面を叩き、フブキの足元を盛大に汚した。

 

「なっ」

 

 不意に、声が漏れた。

 それは、フブキの口から漏れたもの。

 彼女はその場に固まり、目を見開いていた。

 ただ目の前に存在する光景、その理由を理解できないまま。

 

「なんで――」

 

 呆然と、キリノに託された銃口を突き出したまま問いかける。

 その先に立つ自分(彼女)は、薄ら笑いを浮かべたまま一度、唇を一文字に結んだ。痛みや苦しみではなく――僅かな呆れと、それから達成感を滲ませた口元が薄らと開く。

 

「はっ」

 

 最初に零れた吐息は、どこか自嘲めいていた。

 

「私達はさ、腐ってもヴァルキューレ(正義の味方)なんだよ?」

 

 異なる世界のフブキはそう云って、静かに銃口を下げる。

 途端ジワリと胸元に広がる赤色。

 それを見下ろしながら彼女は一歩、二歩と背後に蹈鞴を踏む。神秘を極限まで練り込んだ一撃は、確かに異なる世界のフブキ、彼女の胸部へと着弾していた。

 けれど、鳴り響いた銃声は一つだけ。

 

 放たれた弾丸は、一発(フブキの弾丸)だけだった。

 

「――それが世界を滅ぼすとか、普通に考えて、ダメでしょ」

 

 ニヒルな、それでいて嘲るような笑み。浮かび上がった表情の裏に、長い年月の疲労と後悔が透けて見える様な気がした。彼女だけが味わって来た、後悔と悲愴。それらを抱き締めたまま、雨に総身を打たれ俯く。

 

「コレに懲りたら、ちょっとは、真面目にやりなよ……色々と」

「――ぁ」

 

 数歩、後退ったまま、背中から雨の滴る地面へ大の字に倒れ込む身体。冷たい水しぶきが跳ね、赤空を映す路面に少しずつ赤が広がっていく。

 フブキの口から意図せず、情けない声が漏れた。微かに持ち上がり、伸ばされた指先は虚空を掻く。

 

 最初から。

 彼女は最初から、撃つ気などなかったのか。

 

「……ごめん、先生、やっぱり私、こういうの向いていないよ」

 

 血の気の失せた表情で立ち竦み、呆然と異なる世界の自分を見下ろすフブキを一瞥もせず――曇天に覆われた赤空を見上げた彼女は、微かに笑いながら云った。その声色は、少しだけ晴れやかなものに聞こえた。

 

「でも、良いよね、ずっとあの頃の私に云ってやりたい事、全部、全部云えたんだし」

 

 満足は、している。

 世界を滅ぼすのは兎も角、過去の自分には不満が山ほど積もっていたのだから。それを真正面から一つ残らず叩きつけられた事は、実に爽快で清々しい心地だった。

 しかし、浮かべる笑みにはどこか寂しさが混じっていて。

 ゆっくりと目を閉じた彼女は、地面の冷たさを感じながら肩を竦める。

 

「ふふっ、私の事だから、あんまり効果はないかもしれないけれど、さ」

 

 喉元過ぎれば熱さを忘れる、とでも云うべきか。自分の事は誰よりも、自分が一番良く知っていると云いたげに、彼女は口元を緩める。

 

「……あぁ」

 

 呟き、大きく、大きく――息を吸った。

 これまで呼吸を忘れていたと云わんばかりに、何度も、何度も。

 

「疲れたぁ」

 

 心の奥底から搾り出したような、何年も何年も詰め込んだような、そんな溜息。

 虚空へ伸びた白い吐息が、雨に溶けて消える。

 

「ふ、フブキ……」

 

 満身創痍のカンナが、キリノが、覚束ない足取りのまま彼女の元へと近付いて来る。

 目の前の結末に、唐突に訪れた決着に、ただ呆然とした視線で、強い困惑を滲ませたまま。

 横たわった異なる世界のフブキは、そんな二人を仰ぎ見て、それから何を口にする事も出来ず、ただその場に立ち竦む自分自身を見つめながら。

 ごく自然な、彼女らしい柔らかな笑みを浮かべ、告げた。

 

「――やっと、サボれる」

 

 それは、世界の結末に納得出来ず。

 たった一人であっても、抗い続けて来た。

 怠惰な合歓垣フブキの、心の底から零れた本音だった。

 

「っ!」

 

 横たえられた体が淡く光り始め、輪郭が揺らぎ始める。

 脚の爪先から、頭の天辺まで――順に存在を失い、雨に溶ける様にして掻き消えていく存在。その現象に三名は声を失いながら、ただ黙って彼女の消滅を見つめ続けた。彼女の身体も、衣服も、愛銃も、何もかも。全てが最初から存在していなかったかのように、失われて行く。

 フブキはただ、その場で沈黙を守り続けた。

 もう一人の自分が、完全に溶けて消えてしまう、その瞬間まで。

 

「―――……」

 

 気付けば、どれだけの時間そうしていただろうか。

 霧散した青白い光は天へと還り、あれ程強まっていた雨脚も徐々にその勢いを落としていた。ぽつりぽつりと頬を叩く雨粒、滴る赤が混じったそれが地面に跳ねる。

 視界にはもう、あの自分自身の姿は、何処にもない。

 握り締めたキリノの愛銃が妙に重く、冷たく感じられた。

 余りにも呆気なく、予想外の幕切れであった。

 胸中に燻っていたあらゆる感情が、戦意が、行き場を無くして燻ってしまうような。

 

「フブキ」

 

 不意に、背後から声を掛けられた。呆然と立ち尽くしたまま、微動だにしなかった彼女は、小さく肩を揺らし緩慢な動作で振り向く。

 

「……き、キリノ、カンナ局長」

 

 口から漏れた声は掠れ、余りにも弱々しかった。視線が足元を彷徨い、力なく垂れた指先が時折、小さく跳ねる。雨に濡れた唇が何か言葉を発しようとしては開き、ややあっては力なく閉じる。そんな事を何度か繰り返すフブキに、カンナは無言で歩み寄った。

 

「わ、私は……」

「何も云わなくて良い」

 

 静かに、けれど確かな優しさを以て遮られた言葉。カンナの掌が、フブキの背中をそっと叩いた。

 感じられた温もりが、逆に胸を締め付けた気がした。

 それから間を置き突き出される影、良く見ればそれは自身が投げ捨てた愛銃――第十四号ヴァルキューレ制式ライフル。

 フブキは押し付けられたそれを咄嗟に抱え込み、目を伏せた。

 

「最後に、叫んでいたな」

「えっ……?」

「奴の懐に飛び込む瞬間、叫んでいただろう」

 

 擦れ違い、直ぐ横に立つカンナの低い声が耳に響く。彼女は足元を見つめたまま立ち竦むフブキを横目に、告げた。

 

「あれが、お前の底に眠っていた、本心なのだと私は信じる」

「―――」

 

 フブキは思わず、息を呑んだ。ハッとした表情で顔を上げたフブキは、目を見開いたまま暫くの間隣り合うカンナを見つめた。投げかけられた視線を見返し、薄らと笑ったカンナは拳を作り、フブキの胸元を叩く。

 

「お前にもあるんだろう、正義の心って奴が」

「……ぁ」

 

 そうでなければ、あの、合歓垣フブキ(異なる世界の彼女)は――こんな結末を選ばなかった筈だ。

 彼女の言葉に、世界を異にしたフブキの言葉(正義)に、少なくとも嘘は無かった。

 

 カンナは浮かんだそれを言葉にする事無く、そのままフブキの脇を通り過ぎ覚束ない足取りで歩き出す。負傷した身体を引き摺る様に、しかし一切の躊躇なく。

 

「フブキ、キリノ」

「は、はいっ」

 

 不意に足を止め、振り返った彼女は痣だらけの顔で投げかける。キリノは咄嗟に返事を返し、フブキは緩慢な動作で顔を上げた。

 

「――もし転属したくなったら、推薦位はしてやる」

 

 唐突なその言葉に、フブキとキリノは目を見開く。それは彼女達からすれば絶対にあり得ない様な事であり、常に向上心を抱くキリノからすれば正に願ったり叶ったりの言葉であった。

 しかしキリノは即座に声を返す事はせず、隣り合うフブキを一瞥し、それから小さく首を振り口を噤んだ。

 ただ、フブキの返答を待つべきだと思ったのだ。

 その意図を察したカンナは視線をフブキへと移す。

 両者の視線を感じながら暫し沈黙を守ったフブキは、視線を暫し足元で彷徨わせ――それからふっと恰好を崩すと、ゆるく首を振った。

 

「……いえ、柄じゃ、ないですし」

 

 そう云うと、隣に立ったキリノが静かに微笑んだ気がした。俯いたフブキの視点からでは分からない、けれどそんな気がしたのだ。

 それに、と。

 フブキは顔を上げ、億劫そうに言葉を続ける。

 

「市民の日常(何気ない日々)を守るには……」

 

 そこまで口にして、フブキは恥ずかしそうに一度言葉を切って。それから痛みに顔を顰めながらも、彼女らしい力のぬけた、へらりとした笑みを浮かべ云った。

 

「……サボるには、生活安全局(ここ)が一番ですから」

「――そうか」

 

 カンナはそれ以上何も云わなかった。小さく呟き、再び前を向く。

 ただ、再び歩き出したカンナの背中は、どこか満足そうにも見えた。

 

「時間を掛け過ぎた、急ぎサンクトゥムを爆破するぞ、他のグループに遅れる訳にはいかない」

「りょ、了解……!」

 

 満身創痍だと云うのに、キリノは掠れた声を張り上げカンナの背に続こうとする。しかし歩み出した友の腕を引き、フブキは小さく名を呼んだ。

 

「キリノ」

 

 くっと、退かれた衣服に気付き彼女は振り返る。突き出した掌、その中には彼女の愛銃が握られている。「助かったよ、これ」と呟かれたそれに、キリノはそっと首を振った。

 

「その、帰ったら、一緒にさ」

「……?」

 

 拳銃を受け取ろうとしたキリノの指先が止まり、視線がフブキを捉える。至近距離で交差する視線、何方も痣と擦り傷に塗れ、酷い顔だと思った。腫れあがった頬も、瞼も、けれど不思議と今だけは痛みが気にならなくて。

 恰好を崩したフブキは、昼食に誘う様な気軽さで、それでいて何処か強い意志を秘め告げた。

 

「訓練、付き合ってよ」

 

 彼女らしくない言葉。その一言にキリノは一瞬驚いた様に目を見開いた。だってそんな言葉、普段のフブキからは絶対に出ない様な代物だったから。

 けれどキリノは一瞬の硬直を経た後、目を煌めかせながら微笑みを浮かべ、差し出された愛銃を確りと掴むや否や、力強く返答する。

 

「――勿論です!」

 

 変化は、ある。

 それは彼女自身が云う様に、ほんの一時的なものかもしれない。

 数日、或いは数週間、数ヶ月、長くとも数年で忘れ去られてしまうような。

 けれど怠惰な自分が、死に物狂いで未来から届けてくれた教訓だけは。

 それだけは決して――忘れない様に、と。

 フブキは痛む体を引き摺って、先を行く二人の背中に続く。

 

 その瞳は、空を舞う青白い光を――いつまでも追っていた。

 

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