ブルーアーカイブを、もう一度。   作:トクサン

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誤字脱字報告、感謝ですわ~!
暫くは週一投稿が続くかもしれませんが、ごめんあそばせ!
後遺症が全然引いてくれねぇんですの!


【私は此処に居ます、いつまでも、ずっと】

【第七サンクトゥム 乙種閉鎖区域中心部】

 

「来るぞッ!」

 

 半壊した柱が聳え立つ廃墟のホール。粉塵の漂うその只中を駆けるRABBIT小隊、周囲にサキの声が響き渡った。

 瞬間、空気を裂く甲高い音とともに、外壁を穿ちレールガンにも似た狙撃光が彼女の影を掠めて通過した。瓦礫が粉砕され、飛び散った噴煙に光が反射し、攻撃の残滓だけが淡く残る。

 身を屈め、足を止めずに振り返ったサキは弾丸の通過した位置と方角から狙撃予測地点を脳裏に浮かべる。

 

「――弾道確認、射撃ポイントはS(Sierra)!」

「予測ポイントの一つ、ビンゴだね……!」

 

 サキの報告に、背後に続くモエが唇の端を吊り上げる。繰り返される狙撃、弾道解析と予測点――それが確かに機能している事の証明。部屋の奥側へと走り、廊下の手前に転がり込んだRABBIT小隊は壁に背を預け全員の無事を確かめる。

 

「さて、狙撃ポイントを絞り込めたのは良いけれど……ッ!」

 

 迫る光条を避け何とか此処まで辿り着いた面々は、肩で息をしながら互いの顔を突き合わせるようにして言葉を交わす。

 

「それで、これからどうするの? 馬鹿正直にポイントへ近付いたら、当たり前だけれど手を変えられるだろうし、何かしらの作戦は必要でしょ?」

 

 モエが半ば崩れた外壁越しに外界を窺いながら呟く。ひび割れた壁には苔が生え揃い、蔦がびっしりと周囲を覆っていた。先ほどの狙撃痕が赤熱を残しており、微かに焦げ目の付いた葉がひらりひらりと落ちている。

 

「き、基本原則だと狙撃手は単独の射手じゃなく、情報・心理戦を含む脅威として扱って、撃ち合っちゃいけないって話だけれど……」

「はいはい、位置特定、戦術的隔離、制圧・排除ね、とは云っても今は相手は単独だって分かり切っているし、多教範共通の基本原則なんて当て嵌まらないでしょ」

「あぁ、業腹だが、何時までも受動的防御でどうにかなる相手じゃない、火力に依る制圧も出来ない以上、部隊を二つに分けるのには賛成だ」

 

 サキが教範を思い出すように呟き、しかし現状はそれに当て嵌まらないと首を横に振る。この閉鎖区域の中で相手が繰り返し瞬間的にポジションを変える以上、基本原則は通じない。

 モエの云う通り、変則的であっても異なる手段による対策が必須であった。

 

「……前面で敵の火力を受ける部隊と狙撃地点を強襲する部隊、前者が相手の注意を惹いている間に後者が狙撃手に接近、制圧するという形ですね」

「そうだ、シンプルだが、それしかない」

「まぁ、相手のポジション変更速度を考えるとRABBIT1の想定通り、完全に待ち伏せの形になるだろうね」

 

 モエが皆に視線を寄越しながら、半ば苦笑混じりに肩を竦める。少なくとも此方が相手のポジション変更に応じてどうにかする、というのはとても現実的ではない。先に予測して導き出した狙撃位置に待ち伏せ、移動した瞬間を攻撃する他ないだろう。

 

Decoy Induced Exposure(囮による露呈誘発)、問題なのは……」

 

 呟き、ミヤコは視線をRABBIT小隊全員へと巡らせる。

 その意図を察した皆は口を噤み、強張った表情を晒した。

 

「――誰が囮になって、相手の注意を惹くか」

 

 ミヤコの言葉に、小隊の誰もが沈黙を守る。瓦礫片の崩れる微かな音さえ、場の緊張をさらに際立たせるようだった。ほんの数秒、黙り込んだ彼女達は互いに視線を通わせながら、不意にサキが口を開く。

 

「……進言しておいて何だが、アイツ(RABBIT4)が分かり易い的に釣られるか?」

 

 思考の内に、不安が先行したのだろう。これだけの力を持つ相手である、此方の作戦を見越して相手にもされないという可能性だってある。サキが苦い表情で呟いたそれに、ミヤコは淡々とした様子で答えた。

 

「ただの的ならば、不可能でしょう――ですが相手が脅威に思える程の相手であれば、或いは」

 

 放たれたそれに、サキとモエは顔を見合わせる。脅威に思える相手、それはつまり――。

 

「何だ、それはつまり、キロ単位離れた位置でも撃ち合える様な相手(標的)、って事か?」

「もしくは一帯を耕せる大火力を持った相手って事だろうけれど、生憎と今の持ち合わせはそんな無いしなぁ……ハァ、これなら航空支援担当していた方が良かったかも」

「馬鹿、そんな事をしてみろ、あの馬鹿げた威力の狙撃で撃墜されて終わりだ」

「まぁ、そうだよねぇ――それはそれで破滅的だけれど」

 

 モエは壁に背を預けたまま、重々しい溜息を零す。狙撃でヘリを撃墜するとなれば、7.62mmでもパイロットをピンポイントで正確に撃ち抜けば可能だろう。或いは吸気部を撃ち抜いてタービンブレードを破損させるか、自分達の知っているRABBIT4ならばそんな芸当も可能だろう。

 しかし、あの砲撃染みた狙撃であれば、装甲の存在しない部分、キャノピー越しの貫通どころか、増設装甲の上から撃墜されてもおかしくはなかった。メインマストごと吹き飛ばされて、そのまま墜落、撃破という末路でさえ容易に想像がつく。或いはパイロット席丸ごと消滅か、およそ通常の狙撃の威力ではない。

 

「――RABBIT4」

 

 不意にミヤコがミユへと顔を向けた。自然小隊全員の視線が、ミユへ向けられる。

 

「………」

 

 ミユは肩を震わせ、強張った表情で沈黙していた。その手は愛銃を抱き締め、視線は足元に落ちたまま。分かり易く緊張し、憔悴している。先程のやり取りで何を求められているのかを察したのだろう。モエとサキもまたミヤコの意図を理解しながら、小さく頷きを返す。

 

「……まぁこの状況、長距離で撃ち合える役割ってなるとRABBIT4が適任か」

「あぁ、その通りなんだが――その、大丈夫かRABBIT4?」

「あんまりこういう事は云いたくないけれどさ、普段の立ち回りと全然違うし、かなり危険な役割だよ」

 

 思わずサキとモエが気遣い、問いかけてしまう程にミユは精神的に追い詰められている様に見えた。相手が相手な上、これから行われる作戦の要を担えと云っているのだから然もありなん、その両肩に圧し掛かる重みは想像に難くない。

 彼女たちの声には、仲間への真っ直ぐな心配が滲んでいた。

 

「わ、私は……」

 

 ミユは小さく呟く。喉の奥が細く震え、言葉が形を結ぶ前にほどけて落ちるような弱々しさ。

 胸の奥では鼓動が暴れ、握りしめた指先は冷たく汗ばんでいる。

 

「RABBIT4」

「っ……」

 

 呼ばれた瞬間、ミユはびくりと肩を揺らし、怯えにも似た反射で顔を上げた。

 その先で、ミヤコが静かに彼女を見つめていた。強くも弱くも無い──ただ状況を見据え、仲間を信じる者のまっすぐな瞳。

 

「この役目、任せても構いませんか?」

 

 声に命令の色は無かった。それは問い掛けだ、ミユと云う存在を信じながら投げかけられた。そうでなければ、こんな大役を任せようとはしないだろう。同時に、仲間全員の期待が、ひっそりと積み重なっている感覚もあった。

 強制ではない。だが仲間達が考える様にこの役目に適しているのは自分だ。それは誰の目から見ても明らかであった。

 

「私は――」

 

 自分自身に問い掛ける。

 自信はあるのか、あんな狙撃を飛ばして来る強大な狙撃手を相手取る自信が。

 ある筈がない、あらゆる面で自分を上回っているであろう彼女と対峙する自信など。

 仲間達が彼女を捉えるその瞬間まで、耐えきれるかどうか。RABBIT小隊の事は信頼している、誰よりも何よりも。きっと自分が耐え切れば、必ず向こうの自分を無力化してくれる事だろう。

 故に彼女が恐れているのは自らの失態で仲間達の足を引っ張る事、そして窮地に陥れてしまう事だった。

 自分ひとりが失敗するのは良い。けれど、それに仲間まで巻き込んでしまう事こそを彼女は恐れた。

 

「……!」

 

 その時だった。

 RABBIT小隊全員の身体に、ふっと青白い光が奔った。それは一瞬の出来事で、ヘイローが瞬き、身体の深部に染み込むような、電流めいた痺れが手足を一瞬だけ跳ねさせる。全員が唐突なそれに目を見開き、体を硬直させると同時――その馴染みのある感覚に、それから視界に滲み出すあらゆる数値に、驚きと共に呟いた。

 

「い、今のって」

「もしかして」

「……えぇ」

 

 各々が自身の掌を見つめながら、その瞳を瞬かせる。皮膚の下に薄い光の膜がまだ残っているような、淡い煌めき。それはほんの一瞬で消え失せてしまうが、肝心な部分は彼女達の内側に齎されている。ミヤコは拳を作り、握り締めながら頭上を仰ぐ。

 

「――先生からの、戦闘支援です」

 

 今正に、自分達が欲していた情報支援。ピンポイントで齎されたそれに、ミヤコの声に僅かな喜色が滲んだ。それはたった今齎された支援に関してもそうだが、間接的とは云え先生の無事が確認出来た事に対する喜びでもあった。

 

「これなら、ある程度離れていても相手の位置が分かります」

「うわ、最高に丁度良いタイミングじゃん! 先生、狙ってやった訳じゃないよね?」

「そんな器用な真似が出来る大人じゃないだろう、先生は」

 

 両腕を広げて燥ぐモエを前に、サキは鉄帽を指先で押し上げながら苦笑交じりの溜息をつく。だがそんな彼女でさえも、薄らと喜色を滲ませる程度には大きな出来事であった。

 どうやって先生はここに干渉してきたのか、それは分からない。彼もまた、空の上で戦っている筈だ。けれどきっと、あの人の事だ、どんな無茶でも通して見せたのだろう。「まだ病み上がりの筈なのに、まったく」とサキは目元を鉄帽で覆い呟いた。

 

「―――……先生」

 

 ミユもまた、頭上を仰ぎながら先生の名を呟く。胸の奥で、ほんの小さな灯りが瞬くような感覚。全身を包み込む微かな温もり、同時に胸に灯ったそれは熱く、けれど痛みはない。憧れにも似た何かが、そっと息を吹き返すような。

 

「……私も」

 

 呟き、ミユは唇を固く結びながら歯を食い縛った。

 ほんの数秒前まで迷っていた影が、瞳の奥で静かに霧散していく。ミユなら出来ると、先生に背中を押された気がしたのだ。それは幻想なのかもしれない、都合の良い妄想の類なのかもしれない。

 けれど今、この瞬間齎された青の光が、ミユの怯懦を払拭し立ち上がるだけの勇気をくれた事だけは事実だった。

 

「皆」

「……!」

 

 静かな、けれど決然とした声がミユの口をついた。RABBIT小隊の視線が一斉にミユの元へと集まり、彼女を捉える。ミユは小さく震えを残す掌を強く、強く握り締め、こびり付いた不安や恐怖を握り込む様に拳を作る。

 

「ごめん、もう、大丈夫だから」

 

 握り締めた恐怖も、不安も、掻き消えた訳ではない。その火種はいつだって胸の奥で燻っていた。RABBIT小隊を信じている、皆の事を信じている。

 けれど自分の事はとても、腹の底から信じる事が出来ない。

 それが霞沢ミユだ。

 それが弱い自分だ。

 けれど、そんな弱い自分でも――RABBIT小隊の仲間が、先生が手を差し伸べて、信じてくれるというのならば。

 

「――私に、任せて」

 

 絶対に、応えたいと想えるのだ。

 

 ■

 

「存在感の出し方?」

「は、はい……」

 

 子ウサギ公園、キャンプ。

 今日も街の巡廻を終え、ついでに訓練も追えた夕刻、緋色の夕陽が設置したテントを照らし、広げたシートの上で愛銃の整備を行っていた先輩――FOX小隊のオトギ。ミユは遠慮がちに彼女へと今日一日考えていた事を打ち明け、当の本人は目を瞬かせながら面食らった様に此方を見上げていた。

 数秒、何やら考えを巡らせていた様子のオトギは、ややあって小首を傾げる。

 

「いや、どうしたのさ、突然?」

「そ、その、私は先輩みたいに存在感が無くて、実際の任務中にも全然警戒されない事が多くて――」

 

 ミユは視線を泳がせ、袖の端を忙しなく摘まむ。声はたどたどしくどこか遠慮がちであったが、切実である様に感じられた。オトギは整備途中だった銃火器から一度手を離し、改めてミユと向き直る。

 

「いや、狙撃手としては全然それで良いでしょ? カモフラージュが機能しているって事だし、意識を向けられないって事は狙撃もし易いじゃん、結果的に標的をスムーズに無力化出来る訳だしさ」

「それは、そう、なんですけれど……」

 

 一体何が駄目なのだと訝し気な表情を浮かべるオトギに、ミユはまた言い淀む。彼女の小さな影が夕日に溶け、地面に長い影を作っていた。ミユは時折オトギに視線を寄越し、それから地面の影に目を落とすと、そんな事を何度か繰り返した後、ぽつぽつと呟きを漏らした。

 

「その分、皆の負担が大きくなっている気がして……そ、それに」

 

 指先を忙しなく擦り合わせながら、ミユは今にも泣きそうな表情で云った。

 

「普段から影が薄すぎて、敵どころか、皆や先輩方に気付かれない事も……」

「あ、あー……」

 

 オトギは思わず苦笑を零し、それから視線を逸らした。切実で、真剣で、何より余りにも身に覚えがある言葉だったから。俯き、沈黙するミユを一瞥し、それから自身の手元を行き来する瞳。後頭部を掻き、言葉を選びながらオトギは呟く。

 

「とは云ってもなぁ、FOX小隊(ウチ)とRABBIT小隊だと隊員の癖とか毛色が結構違うし、ミユはそのままで良いと思うんだけれど……というか、それだって立派な才能じゃん」

 

 彼女は慎重に、けれど本心からの素直な言葉を並べる。ミユの存在感の無さ、隠密性は最早天性のものである。それによって日常生活に少なくない影響が生まれているのは否定できないが――それでも戦場に於ける、発見されない、され難いというのは大きなアドバンテージなのである。

 潜入任務然り、味方の支援然り。

 

「ぶっちゃけ私は牽制・制圧タイプの狙撃手(スナイパー)な訳でさ、コイツ(愛銃)も敢えて大口径の火力重視にしているし、『スナイパーが居る、マズイ!』って相手に思わせて、遣り辛くさせるのが役割なの」

「は、はい、それは勿論……」

 

 オトギは手元の愛銃を軽く叩き、薄らと笑う。陽光に照らされ、その銃身は鈍い赤を帯びていた。

 大型のガンケースと共に持ち運ばれるそれは、50BMG弾を使用する対物ライフルである。重装甲の目標は勿論、一般的な生徒であれば胴体に一発喰らうだけで失神する。或いは、遮蔽越しに隠れた目標を撃ち抜く事も出来るだろう。

 大口径特有の重々しい銃声もまた、相手の恐怖を煽るに違いない。演習で何度も対峙したミユには分かる、オトギが居る戦場のやり辛さ、独特な威圧感が。「常に此方を向いている銃口が一つある、そのプレッシャーがちょっとした行動に手を伸び難くするんだ」とはサキの言葉である。

 つまり、オトギはその場にいるだけで抑止力になり得る。それこそが、ミユの望む在り方だった。

 

「なんだけれど、ミユの役割は逆、潜伏して気付かれずに一人ずつ確実に数を減らしていくタイプのスナイパー、相手は気付かない分のびのび戦えるかもしれないけれど、確実に戦力を削られて行くし、目の前で唐突に味方が倒れなんかしたら当然動揺もする、落差で判断能力も鈍る――正直な話、狙撃手としてはそっちの方が正道だと思うよ?」

 

 リスクも少ないしね、と。オトギは努めて柔らかな口調で告げた。

 元より狙撃手が目立つというのは正道とはかけ離れている。云ってしまえば、狙撃手としてはミユが理想で、オトギのスタイルが邪道なのである。どんな状況であっても、完璧に信頼出来る仲間がいる――地力でのぶつかり合いで絶対的に勝っているという前提の元、成り立っているスタイルであった。

 正直これを目標とするのは、おすすめ出来ない。

 

「そ、それでも……」

 

 しかし、ミユは俯いたまま、小さな声で訴え続けた。

 

「もしかしたら、私がそうしないといけない状況が、来るかもしれません……から」

「……」

「存在感で、相手の進行速度を遅らせたり、その、私に目を惹き付けたり――」

 

 言葉を詰まらせつつ、脳裏に思い浮かぶのは、かつて経験した絶望的な撤退戦。子ウサギ公園で先生を保護し、カイザーコーポレーションによる大規模侵攻を食い止めようと奮戦した一戦だ。

 大切な仲間が傷付き、どうしようもない絶望の中、恐怖と痛みを噛み殺し抗い続けた戦場。それはミユの中で、どれだけの時間が経過しようと色褪せる事無く残り続けている。

 あの光景を、経験を、二度と繰り返したくない。

 仲間を助けられるのなら、自分の努力で彼女達の負担が減るのであれば、ミユは出来る事の全てに全力を尽くしたい。それは後ろ向きな彼女が抱いた、真摯な願いである。

 その意図を悟ったのか、オトギは一瞬驚いたような表情でミユを見上げると――ふっと肩の力を抜いて、それから笑って云った。

 

「オッケー、分かったよ」

「あ……!」

 

 その返答に、ぱっと顔を上げるミユ。

 夕陽に照らされた表情は、分かり易く瞳が輝いて。

 オトギは手元の愛銃を手早く組み立てながら、何でもない事のように続けた。

 

「と云っても、私も全部が全部言語化出来る訳じゃないし、感覚でやっている所もあるけれど、それで良い?」

「はっ、はい! ありがとうございます……!」

 

 どんな形であっても、取っ掛かりだけであっても、今のミユにとっては有難い事だ。勢いよく頭を下げると、オトギはひらひらと手を振り、照れ隠しのように首を振った。

 

「ま、選択肢が増える事は良い事だからね」

 

 それに――と。

 彼女は深く頭を下げたままのミユ、その髪を掌で軽く撫でつけ、快活とした笑みを浮かべ云った。

 

「何より大事な後輩のお願いだし、頼れる先輩として、ひと肌脱いであげないとね!」

 

 ■

 

「―――」

 

 人影が、ゆっくりと遮蔽の無い十字路へと現れた。迅速に渡る訳でもなく、散乱する瓦礫片を一つ一つ足先で掻き分ける様な、余りにも緩慢な所作と共に。

 それをスコープ越しに捉えた時、地面に張り付くようにして狙撃姿勢を維持していた異なる世界のミユの指先は反射的にトリガーを引き絞ろうとした。

 けれど、絞り切る前に理性が反射を押し留め、発砲を遮る。

 あまりにも露骨な所作であった。後ろに続く影は無く、またこんな開けた場所で態々足を緩めるには何か理由があると思ったのだ。

 

「……単独?」

 

 単身公道へと歩み出たのはこの世界の自分自身(霞沢ミユ)、愛銃を両腕に抱えたまま十字路の中心へと立った彼女は方々へと視線を投げ、此方を探す様な素振りを見せた後――徐に、彼女が潜伏している廃墟の屋上へと目を向けた。

 

「……!」

 

 一瞬、ミユは身を震わせ息を詰まらせる。その双眸が、ハッキリと此方を捉えているように錯覚したのだ。

 しかし、即座に首を横に振る。いいや、あり得ない事だと。

 自分の視力が優れている事は良く知っている、しかし距離にして一キロ以上は離れている上、こんな死角塗れの都市部に於いてピンポイントに狙撃手を見つけ出す事など不可能に近い。ましてやミユは、存在感の無さで云えばキヴォトスでも指折りの実力者。その自分を、この荒廃した建物群の中から見つけ出す事など――。

 

「ッ!?」

 

 そう思考した瞬間だった。

 視界で微かな閃光が瞬き、同時に神秘の籠った弾丸が真っ直ぐ飛来、反応する間もなくミユの頬を掠めた。

 風切り音、同時に頬へと走る熱、背後にあった貯水槽が爆ぜ音を鳴らす。スコープ越しに捉えたこの世界のミユが、その場に膝を突き狙撃姿勢を取っていた。それを視界に捉え、漸く彼女は理解する。

 

「見つかった……!?」

 

 瞬間、咄嗟に愛銃を抱え込みその場から横合いに転がる。同時に第二射が放たれ、ミユの傍にあった柵が一瞬にして弾け飛んだ。飛び散った破片が虚空に煌めき、赤空の下で悲鳴を呑み込む。弾丸は辛うじて命中しなかったが、狙いは正確だった。

 この雑多な景色の中で、自分を見つけ出したと云うのか。

 一体、どうやって。

 

「―――」

 

 立ち上がり、屋上を駆けるミユの視界に、此方を凝視する彼女の姿が映る。スコープが無くても視認出来る、彼女の身体を薄らと包み込む青白い光。常人には分かるまい、この世界で生きる生徒には分かるまい、守護者としての特性を得たからこそ知覚できる微かな光、暖かな青。

 

 まさか――ミユは渇き、掠れた声で呟く。

 

「――先生の、戦闘支援」

 

 それしか考えられなかった、どうやってかは分からないが、先生は地上の彼女達と繋がったのだ。

 そうであるのならば納得出来る、どれだけ上手く隠れ潜もうと、カモフラージュを施そうと、全てを暴き生徒を支える箱の前では全てが無力。

 何故、彼女がこうして目の前に出て来たのか。

 射線が通り易い十字路等を選んだのか。

 ミユは漸く理解した。

 

「あぁ、そっか」

 

 ミユは床を蹴り、罅割れ陥没する程の力を込めながら跳躍する。赤空へと飛び上がったミユへと、三度目の銃声と閃光が瞬く。宙を舞う彼女を捉えんと放たれる弾丸、それを空中で姿勢を変え紙一重で躱し、彼女は隣接する廃ビルの屋上へと転がり着地する。荒廃したビル屋上は薄らと砂塵が積もり、錆びて外れかけたフェンスが垂れ下がっていた。

 立ち上がり、その縁に足を掛けながらミユは遥か遠く、此方を見上げ銃口を突きつける自分自身を見下ろす。

 

「私と、狙撃で――」

 

 分かり易く身を晒したミユに対し、しかし四発目が放たれる事が無かった。ただ屋上の外縁に立ち、自身を見下ろすミユを、彼女は静かに見つめ返していた。それは一種の、宣戦布告に近しい。

 

 赤空の下、遠目からでも分かる程に瞳が煌めている。

 あれは自信だ。

 彼女の全身から発せられる、強い存在感。

 

 叫んでいる訳でもない、何か大きな兵器を携えている訳でも、抱えているのは愛銃一本。それを扱うのは自らの技量のみ。キロ単位で離れた相手だと云うのに、肌を刺す様なプレッシャーが絶え間なく放たれている。

 その身体全体が、何よりも雄弁に叫んでいる様に感じられた。

 

 

 ――私は此処に居る、と。

 

 

「………」

 

 ミユは無意識の内に唇を噛み、小さく肩を震わせた。彼女が身に纏うそれは、自分には無かった勇気である。そして背景にあるのは、絶対的な信頼。

 それは自分が手放し、失った想い出に等しい。

 それがどうにも羨ましく、妬ましく思えた。

 取り繕う事は出来なかった。

 取り繕う必要さえ、無かった。

 たとえそれが仮初の虚勢であっても、今のミユにとっては劇薬に等しい代物だった。

 

「――そんな目で、見ないで」

 

 こんな、私を。

 言葉は最後まで形を為さなかった、零れ落ちたそれは虚空に消え、歪んだ瞳がこの世界の自分自身を映し出す。

 そんな風に立ち向かえるのは、RABBIT小隊の皆が傍に居るからだろうか。

 それとも根本的に、自分とは違う道を歩んだと云う事なのだろうか。

 いいや、そんな事はどうでも良い。

 今は唯、此方を真っ直ぐ見つめる、その瞳が。

 

「お願いだから、私を」

 

 爛々と煌めく、光を湛えた双眸が。

 

「そんな風に、見ないで――ッ!」

 

 只々恐ろしくて、仕方なかったのだ。

 

 ■

 

「始まったか――ッ!」

 

 遠くから聞こえる破砕音、差し込む強烈な光が戦闘の開始を知らせていた。

 小隊より離れて矢面に立ったRABBIT4(ミユ)目掛けて放たれたのだろうそれは、小隊の脇を通って十字路へと着弾し、砲弾でも振って来たのかと思う程の衝撃と爆音を響かせる。肌を打つそれに、廃墟裏を駆ける全員が冷汗を滲ませた。

 

「っ、余波だけで分かります、相変わらずとんでもない威力ですね……!」

「あぁ、掠めただけでも戦闘不能になりかねない、真面に受ければ一撃で意識を持っていかれるだろう、それが体の何処だろうがな……!」

「この感じ、演習でのオトギ先輩の狙撃を思い出すねぇ」

 

 FOX小隊のオトギ先輩も、視認が難しい距離から一撃必殺の狙撃を平然と放って来る相手だった。彼女が存在すると意識するだけで、下手に道を渡る事さえ出来ない。遮蔽越しであろうと問答無用でぶち抜いて来る所なんて、正に――という感じだ。

 

「それにしても、場所が分かる様になったって云うのに、直ぐ視界から消えるじゃん……マジの瞬間移動とか、どう考えても反則でしょ」

「発射される方角が分かっただけでも被弾の確率は大幅に抑えられる、贅沢を云うな」

「ですが、一体どんな原理で――」

 

 前を見据えるRABBIT小隊の視界には、戦闘支援による敵性反応が輪郭として表示されている。それは発砲から僅か数秒でノイズへと変化し、全く異なる場所から再び反応が生じるという奇妙な動作を繰り返していた。

 これならまだ、複数の敵に狙われていると云われた方が納得出来たが――どうやら彼女は本当に、瞬間移動か何かに等しい速度で狙撃位置を変えているらしい。あくまで、戦闘支援による反応消失、出現を信じるのならばであるが。

 兎角、ミヤコは反射的にその手段を探ろうとして、しかし即座に首を緩く横に振る。

 

「いえ、それを考えるのは後ですね、兎に角そういう手段があるものと分かっただけでも前進です」

「まぁ、そうだな――それでRABBIT1、私達は何処に張り込むんだ? それとも各々手分けして各予測狙撃ポイントに潜伏するのか?」

 

 先頭を駆けるサキが路地の角に身を寄せ、敵影が無い事を素早く確認しながら問いかける。中央にミヤコ、最後尾にモエという布陣で突き進む彼女達は視界の端に表示されるマップ情報を捉えながら言葉を交わす。相手が瞬間的にポイントを変える以上、追撃して云々という事は不可能だろう。

 自然、相手の出現地点を予測しての待ち伏せとなる。ならばそれぞれ手分けして、複数のポイントを抑えるのが定石ではあるが――。

 

「……いいえ、この作戦は一手目で決めなければなりません」

 

 ミヤコは慎重に、努めて冷静な声色で告げた。

 

「小隊を分散して誰かが目標を捉えたとしても、万が一逃げられてしまえばその時点で相手は対応を変えるでしょう、彼女の移動速度は私達のソレを遥かに上回っています、確実に無力化する為にも全員で一ヶ所に張り込むのが最善です」

「……なら、肝心の張り込むポイントは?」

 

 ミヤコは手元の端末を起動し、ホログラムモニタを起動する。立体的に表示される地図情報、その内予測地点としてマークしていた複数のポイントが赤く点灯した。背の高い廃ビル、崩れかかった大型施設の屋上、立体駐車場、実験場跡地の観測棟、郊外荒れ地にある高丘――現在RABBIT4が陣取った場所を狙撃可能なポイントは複数存在する。

 ましてや、彼女の様な高威力・高貫通の攻撃であれば尚の事、選択肢は増えるだろう。

 

「RABBIT4が誘導した場所を狙撃出来るポイントは一キロ圏内で絞り込んでも二十六ヶ所、相手は遮蔽越しにこっちをぶち抜けるだけの火力があるから、射線云々とか関係ないし」

「それでも、あれだけの狙撃だ、安定した地面は必須、室内なら反動と余波に耐えられる構造体、かつ角度は必要不可欠、移動パターンから絞り込んでも有力候補は内十二ヶ所、更に好条件で絞り込んでも四ヶ所が限界だった、その中の一ヶ所に賭けるとなると、かなり分が悪い」

「最低でも二十五パーセント、四分の一の確率、勿論それ以外のスポットで狙撃に移る可能性も大いにあるから、実際はもっと低いけれどね、そもそも相手がこっちの意図に気付いた時点でアウトだし」

「………」

 

 それでも、やるしかない。

 ミヤコは二人の言葉を聞きながら投影されたホログラムモニタを凝視する。本来二十六ヶ所という狙撃ポイントを、曲がりなりにも四ヶ所まで最有力候補として絞った。勿論既に使われたポイントも存在する、それらを除いて彼女が最も時間を掛け、『ここぞ』というタイミングで出現する場所を見極めなければならない。

 ミヤコは愛銃を胸の前で抱きかかえたまま、グローブ越しに唇を指先でなぞる。

 

「――RABBIT4(ミユ)ならば」

 

 呟き、咄嗟に胸中で否定する。

 いいや、そうではない。

 つい先程、ミユに伝えられたばかりではないか。

 

 

 ――ミヤコちゃんじゃないと。

 

 

「……RABBIT1()なら、どうするか」

 

 ミユに掛けられた言葉を脳内で反芻しながら、ミヤコは沈黙を通す。痛い程の静寂、狙撃による攻撃が無ければ実に静かな場所だ。封鎖区画なのだから当然と云えば当然ではあるが、自身の鼓動さえ聞こえてきそうなそれが、嫌に緊張を煽った。

 

「………」

「決まったか、RABBIT1」

 

 ミヤコの指先が持ち上がり、ホログラムの光を微かに遮った。周囲を警戒し続けるサキは、その所作に彼女の決心を見て取る。

 

「――はい」

 

 ホログラムモニタを傾け、彼女はモエとサキにマップ情報を翳す。一瞬揺らめいた指先が、マップの一ヶ所を指し示した。

 

「私達は、この場所で敵の狙撃を待ち伏せます」

「えぇっと、どれどれ……」

「了解した、なら直ぐに移動を――」

 

 二人が素早くマップを覗き込み、ミヤコの指示した場所を頭に叩き込もうと凝視する。二人はミヤコの指先を視線で追い、それから一瞬硬直した後、言葉を呑んだ。

 

「……おい、RABBIT1」

 

 絞り出された声は強張り、その表情は疑念に歪んでいる。ホログラムモニタからズレた瞳がミヤコを捉えた。サキも、モエも、抱いた感情は同じである。しかし、ミヤコだけは平然とその双眸を見返していた。

 

「この場所で、本当に合っているのか?」

「はい」

 

 念の為と。

 口に出されたそれに、RABBIT小隊のリーダーは肯定を返す。サキは思わずといった様子でしかめっ面を晒し、モエはマップ情報を視線でなぞったままグローブ越しに頭を掻いた。彼女の表情に浮かぶのは、困惑の色。

 

「ちょっと本気? 有力な候補地であるAlpha(一番)でも、Bravo(二番)でもない、ましてやEcho(五番)でも無い――こんな場所で待ち伏せするの?」

「そうです、私達はこの場所を選びます」

 

 そう云って、ミヤコはホログラムモニタの端――予測された狙撃地点の中で、最も遠く、郊外まで延びた高台を指差し告げた。

 

「三番――Charlieを」

 

 ■

 

「ふーッ、フーッ……」

 

 丁寧に、呼吸を数える。地面の上を転げまわり、幾つもの瓦礫片を被り、一秒たりとも緊張の糸を切らさないミユは方々に目を配りながら姿勢を低くし、次の攻撃に備える。

 こういった極限状況に於いて、実際の時間がどれ程経過したのかを意識する事に意味は無い。勿論、作戦行動上必要であれば留意すべきであるが、自身の体力と気力が続く限り戦わなければならない状況であるのならば、注意すべきは呼吸数であった。

 

 呼吸の数は、自身の身体状況に直結する。体力の消耗具合は勿論、普段のそれとどの程度変化しているかによって精神的な状態も客観視できる。どれだけ心を固めても、肉体は素直だ、過度な緊張とストレスは自覚のないまま想定以上の体力を奪っていく。

 

「――反応」 

 

 ミユの視界に赤色が瞬いた。

 それが相手の攻撃の前兆を知らせるアラートである事は理解していた。

 次の瞬間に敵の出現警告と同時に、凄まじい光がミユの身体を照らす。影が長く足元に伸び、遠方からの狙撃が空間を穿った。

 障害物など知った事かと、聳え立つビルさえ貫通し飛来する極光。ミユは全力で横合いへと体を投げ、辛うじて砲撃染みたそれを回避する。

 

「くぅッ!?」

 

 凄まじい熱が肌と網膜、そして肺を焼いた。通過したソレは地面へと着弾し、爆破。破片を撒き散らしながら爆炎を漂わせ、赤熱したクレーターを残す。

 二度、三度、愛銃を抱きかかえたまま爆風に吹き飛ばされたミユは碌に整備もされていない苔生した公道の上を転がり、這い蹲る様にして強引に停止、そこから愛銃を突き出して即座に狙撃姿勢へと移る。

 揺れる視界、張り詰めた呼吸、しかしスコープ越しに見える輪郭はハッキリとしている。先生の戦闘支援が彼女の背中を押し、一拍置いて鋭い銃声が鳴り響いた。

 

 カウンタースナイプ。

 かなり強引ではあるが、相手の一射を回避し、続けざまに移動前の相手を捉える一撃。相応の神秘を込め、放たれたそれは真っ直ぐ相手の穿った弾道を巻き戻す様に通り、目標の影へと吸い込まれるように直進した。

 その軌跡を視線で追い駆けるミユは、確かな手ごたえを感じ取る。

 しかし――。

 

「っ、外した……!?」

 

 地面に這い蹲ったまま、相手の動きを観察していたミユは、此方の狙撃後も微動だにしない相手を前にして自身のソレが届かなかった事を悟った。

 そして、お返しとばかりに視界の中で瞬く――眩い光。

 

「ッ……!」

 

 第二射。

 咄嗟に起き上がり、身を投げた直後であった。

 先程と全く同じ軌道、同じ弾速、威力の極光が先程までミユの転がっていた場所を粉砕した。

 瞬きの速度、気付いたらとしか表現できない速さで着弾した光は、そのまま中規模の爆発を起こし、ミユの矮躯を再度吹き飛ばす。

 比較的近距離で爆炎を浴びたミユは、全身を炎に舐められながら背中から地面に叩きつけられ、そのまま二度、三度と硬くざらついたアスファルトの上を転がっていく。それでも愛銃を手放さなかったのは、彼女の精神力によるものだった。

 

「ぁぐッ!?」

 

 錆び付き、捻じれ、歪んだガードレールに勢い良く叩きつけられたミユは大きく息を詰まらせ、そのまま前のめりになって額を地面に擦り付ける。

 ぽたぽたと、口元から赤が垂れ落ちた。飛び散った破片が全身を殴打し、内一つが頬に高速でぶつかっていた。口の中を切った、僅かに煤け解れた袖で口元を拭い、ミユは覚束ない足取りで立ち上がる。

 

「はっ、ハーッ、はぁ……ッ!」

 

 今ので確か、九発目だったか。

 再び顔を上げた時、既に標的の反応は何処にも無かった。

 再び姿を消し、新たな狙撃地点へと移ったのだろう。

 次に攻撃が来るのは数十秒後か、或いは数分後か、それとも数十分後か――この不規則で、いつ来るか分からない攻撃に対するプレッシャーが、容赦なくミユの精神と肉体を蝕んでいく。

 先程の狙撃も、先生の支援が無ければ避けられなかっただろう。それ程までに相手の狙撃の威力は規格外であり、最早砲撃と呼んで差し支えない規模である。

 しかし、これだけ撃ち込んで来るという事は少なくとも自分に目を向けている証左でもある。自分に目が向いている間は、RABBIT小隊の皆が自由に動ける筈だ。

 それこそが、この作戦の本懐。

 

「狙撃ポイントだって、無限じゃない……」

 

 痺れ、鈍い手足の感覚を叱咤しながら、ミユは視界に表示される予測狙撃ポイントを順に視線でなりながら自分に云い聞かせた。

 この内のどれかに、彼女は再び出現するだろう。それをいち早く察知し、初手の狙撃を何としても回避する――そして返す刃で一撃を入れ、自身を意識させ続けるのだ。

 相手の弾丸が通るという事は、即ち此方の弾もまた同じく通るという事でもある。

 決して不可能な話ではない。

 

「皆が、辿り着くまで」

 

 ゆっくりと愛銃を持ち上げながら、ミユは血の滴る唇で言葉を紡いだ。

 それは自分を鼓舞する為の言葉であったが、己が想っていた以上に効果を発揮していた。

 震え、ほんの少し気を抜けば今にも竦み上がりそうになる手足に力を入れて、歯を食い縛る。意識が落ちそうになる度に、自身の額を拳で叩いた。

 全身から鈍痛が響いていた、何度もアスファルト舗装の上を転がり、吹き飛ばされ、叩きつけられたミユの姿は酷いものだ。血と砂利に塗れ、痣と擦り傷だらけの全身は満身創痍と云って良い。

 けれど、その瞳だけは決して輝きを失わない。

 

「――何度だって」

 

 そう、何度無様に転げ回ろうとも。

 地面に這い蹲ろうとも。

 何度だろうと、立ち上がって。

 

「私が、相手になるから……!」

 

 ■

 

「――ッ」

 

 スコープ越しに見つめる、過去の自分。

 何度も攻撃の余波に晒され、転げまわり、吹き飛ばされ、砂塵と土埃に塗れながらも決して倒れない姿。血と痣を拵えながらも膝を突く様子の無い人影を前にして、異なる世界のミユは戦慄し息を呑んだ。

 もしあの場に立っていたのが自分であったのならば、既に這い蹲り、苦痛に膝を屈し、弱音を吐いて動けなくなっていただろう。

 或いは、もっと前の段階で逃げ出していたかもしれない。頭を抱えて廃墟の片隅に身を寄せ、恐怖と謝罪を延々と口にしながら。

 

 あの人物は、スコープの向こう側に佇む存在は――本当に自分自身なのかと疑いたくなる。

 

 特に、彼女の瞳だ。

 キラキラと煌めく、自分とは思えぬ程の光を湛えた瞳が、スコープ越しであっても分かってしまう程に真っ直ぐ此方を見つめて来るのだ。どれだけ傷付けられようとも、何度地面を舐めようとも。

 今のミユには、それが直視出来ない。

 余りにも眩しくて、強く在り過ぎて。怖い、逃げたい、恐ろしい、ただ対峙するだけで自分の矮小さが、弱さが浮き彫りになってしまいそうな煌めきに、その光の強さに、ミユは強烈な自己嫌悪と恐怖心を抱いてしまうのだ。

 

 それが過度な攻撃性として表面に滲み、異常なまでの集中砲火を彼女へと浴びせる結果に至った。一種の自己防衛反応、目の前の彼女を排除する事によって自身の安寧を得ようとしたのだ。

 怖いものを見なくて済む様に。

 恐ろしいものと対峙せずに済む様に。

 現在圧倒的優位に立っている彼女はしかし、精神面で云えばずっと追い詰め続けられていた。RABBIT小隊の前に姿を現した瞬間から、異なる世界の霞沢ミユは精神を擦り減らし続けている。

 その胸中に降り積もるのは罪悪感と自己嫌悪、そしてどうしようもない程の羨望である。

 

「っ、ぅ」

 

 ミユは気を抜けば直ぐにでも飲み込まれそうな感情の激流を辛うじて堪え、口元を抑えながら崩れ落ちた外壁から身を引っ込めた。

 彼女が今回選んだ狙撃ポイントは、崩落しかけた廃墟ビルの上層部分。屋上から三つほど階を降りた場所で、老朽化し、抉れ開放的になった会議室らしき大部屋の片隅に身を寄せていた。薄暗く、埃っぽく、蔦が生えた壁は陰気な自分の性根に良くあった。

 色褪せ、所々錆びた愛銃を抱き締めながら壁に背を預けたミユは、暫し自身の感情を落ち着かせるために瞼を下ろし深呼吸を繰り返す。

 カタカタと、愛銃を抱き締める腕が震えた。自分でも制御出来ないソレは、一秒毎に襲い掛かってミユ自身を責め立てる。

 

 堪らず薄汚れたグローブ越しに、指先を噛んだ。齎される鈍い痛みが、ほんの少しだけ自身の気持を楽にしてくれる気がした。

 

 ――私はこんな風に戦う為に、再会を願った訳じゃない。

 

 指先を噛み締めながら、ミユは胸中で嘆きを零す。

 ただ、もう一度だけ会いたかった。その顔を見たかった、彼女達の温もりに触れたかった。ミヤコちゃん、サキちゃん、モエちゃん、先生、失われた何よりも大切な存在に会えるのであれば、それだけで良かったのに。

 それを自ら傷付ける為に、銃を取る事など――。

 

「ぅ、うぅ……」

 

 考えれば考える程、ミユの精神は罅割れ、軋んでいく様だった。暫し壁に背を預け蹲っていたミユは、ややあって蒼褪めた表情のまま壁に手をつき、ふらふらと立ち上がった。頭が碌に働かない、強すぎる感情に支配された心は既に穴だらけになっている。

 故に彼女は今にも零れ落ちそうな涙を辛うじて堪え、掠れ、乾いた声で呟いた。

 

「……次で」

 

 そうだ、もう。

 

「次で、終わりにしよう」

 

 引き攣った薄ら笑い、陰鬱な影に覆われた表情で足元を見下ろしながら彼女は呟く。やはり自分には無理だ、こんな風に、異なる世界とは云えRABBIT小隊の仲間達と争うなどと。

 世界を破滅に導く為に、戦う事など。

 

 最初から願うべきではなかったのだ、こんな自分がもう一度、皆と会いたいなんて。

 その資格はなかった、どんな顔をして向き合えば良いのかさえ分からないと云うのに、ただの気の迷い――いいや、自分はただ弱かっただけ。

 自分ひとりでいる事に耐えられなくなった、孤独に膝を屈した、弱い自分こそが。

 霞沢ミユは、元よりSRTの名を背負う強さなど――最初から持ち合わせていなかったに違いない。

 

「これで、これで、終わり、だから……」

 

 壁に肩を擦りつけながら、虚空に向けて掌を翳す。

 瞬間、彼女の傍に黒々とした穴が音も無く出現する。揺らめくそれはプレナパテスと共に、空崎ヒナが使用した空間転移と同じ原理の代物――サンクトゥム防衛という任務の為に与えられた、リソースの一つ。

 

 彼女は覚束ない足取りで黒の中へと身を投げ、そのまま虚空へと消える。

 転移自体はものの数秒である、瞬きの間に視界は切り替わり、脳を揺さぶるような僅かな眩暈が起こるだけだった。

 瞼を固く下ろし、視界を閉じしてた彼女はふわりと地面に着地する

 

 彼女が最後に選んだ場所は、閉鎖区郊外に位置する高台であった。

 一部擁壁で補強されたその場所は、その殆どが手入れもされていない為に半ば雑木林の如き様相を呈していたが、今のミユにとっては好都合である。身を隠し易い上に、都市を外側から凡そ一望出来る高所というのが良い。

 その分、随分と距離は空いてしまうが――問題ない。

 通常であれば射程外となり得る狙撃距離さえも、今の自分ならば踏み倒せる。

 耳に葉が擦り合う音が届き、一陣の風が周囲を吹き抜けた。

 埃っぽさのない新鮮な空気が、肺を満たす。

 

「やはり此処に来ましたか、RABBIT4」

「――えっ?」

 

 風音に混じって、酷く懐かしい声が響いた気がした。

 幻聴だろうか? 一瞬彼女は自分自身に問い掛ける。否、そんな筈はない。

 確かに今、聞き覚えのある声がした。

 

「まさか、ピンポイントで当たるとはねぇ」

「あぁ、少し驚いたが――けれど実際に足を運んで、同時に納得も出来た」

「……まぁ、それはそうかも」

 

 ひとつ、ふとつと、自分の背後で交わされるソレ。

 異なる世界のミユは強張った体を自覚しながら、ぎこちない動作でゆっくりと背後を振り返る。どうか違いますように、間違いでありますようにと、内心で無意味にも祈りながら。

 しかし、それは決して叶わない。

 他ならぬ霞沢ミユが、聞き間違える筈などないのだ。

 最後の瞬間まで望んだ、大切な仲間の声を。

 

「な、なんで、皆……」

 

 愕然とした表情で振り返った彼女の視界に入った光景に、息を呑む。

 目前には、それぞれが愛銃を構えたまま此方を見据える三名の姿。ミヤコ、サキ、モエ、かなり無茶なルートを通って来たのか額や頬には汗が伝い、全員分かり易く息が上がっていた。

 それでも辿り着いた、自分がこの場所へと転移する瞬間に。

 この世界の、RABBIT小隊は。

 

「降伏を、RABBIT4――いえ」

 

 突き出された銃口を固定し、微塵も揺らす真似はせず。ミヤコが一瞬口を噤み、それから改めて告げた。

 

「ミユ」

「っ……」

 

 告げられたそれに、ミユは思わず一歩、二歩と後退る。

 抱えた愛銃を突き出す様な真似はしなかった、出来なかった。

 ただ恐ろしいものを見たと云わんばかりに彼女達の視線から顔を背け、血の気の失せた表情で目を瞑った。

 

 降伏? 否、そんな必要は無い。

 自分はこの距離で、スコープ越しでもないこの距離で、彼女達に銃口を向ける事など出来はしない。直視する事だって、耐えられない。軋む心がミユの喉を震わせ、辛うじてか細い声を絞り出した。

 

「……ごめん、ミヤコちゃん」

「――?」

 

 後退りながら、唐突に呟かれた謝罪の言葉。その意味を判じかねて、ミヤコは微かに眉を顰めた。抵抗する素振りを見せる訳でもない、両手は己の銃火器を握り締めながらポーチに伸びる所作もなし。

 ならば、その言葉の意図は何なのか。

 

「ごめん、サキちゃん、モエちゃん」

「……ミユ」

 

 土と雑草を足裏で擦る音だけが周囲に響いていた。喉奥から絞り出されるそれに、サキが一歩前に進む。

 この距離まで近付いて、漸く気付いた。

 ミユのその、あまりにも生気のない血色に。

 

 目の前の彼女が浮かべる苦悶の表情は、血の気の失せた青白い顔色は、とても演技だとは思えなかった。

 故に仲間として、同じRABBIT小隊として――少なくともそう感じられる相手だと認めた上で、改めて問いかけた。

 問わずにはいられなかった。

 

「一体、何があったんだ? 何があって、そんな……」

 

 サキの視線がミユの全身を細かく観察する。最初に邂逅した時もそうであったが、彼女の制服は碌に手入れもされていない、ブラックマーケットに屯する不良生徒よりも酷い惨状だった。

 土埃や靴跡もそうだが、銃撃戦で空いたのであろう穴や解れが彼方此方に散見され、爆発物によるものか焦げ付いた表面もそのままにしてある。彼女が愛用していた白いタイツは血や泥の色合いも混じり元の純白は見る影も無く、解れ避けた穴の向こう側から肌が覗いている、その青白い顔色も相まって最早幽鬼か何かだ。

 よく見れば、普段のミユよりも幾分か髪が伸びていた。切らずにずっと過ごしていたのだろう、瞳を覆い隠してしまう程に伸びた前髪が簾の様に影を作っている。

 総じて、ひと目で真面な環境で過ごしていた事は明らかであった。

 キャンプが残っているのであれば、こんな格好で過ごし続ける筈もなし。

 何があったのか、何がどうして、そんな風になったのか。先程までの異常な威力の神秘砲と云い、瞬間移動染みた転移と云い、疑問は尽きない。

 疑問は全員の総意であった。

 

「この場に現れたのがRABBIT4――ミユだけっていうのが解せないよね、良く分からないけれど、あの悪趣味な(サンクトゥム)絡みなんでしょう? それ位は、簡単に想像がつくしさ」

「えぇ、教えてください、ミユ」

 

 RABBIT小隊全員の視線が異なる世界のミユを捉える。真摯な光が、余りにも真っ直ぐな光が彼女の矮躯を照らしていた。

 

「貴女に――私達(RABBIT小隊)に、何があったのか」

 

 教範によれば、敵と言葉を交わすべきではない。

 その言葉に、耳を傾けるべきではない。

 しかし、あれ程の攻勢に晒されながらも――RABBIT小隊は目の前の彼女を問答無用で撃ち抜く事が出来なかった。対峙した相手に銃口を向ける事も出来ず、弱々しく肩を震わせながら顔を背ける、ミユを相手に。

 

「わっ……」

 

 震え、罅割れた唇が裏返った声を発した。

 

「わたっ、私ね、全然駄目だったんだ……」

「――?」

 

 唐突に放たれたのは独白であった。

 一瞬、何の事だと眉を顰めるサキであったが、何やら只ならぬ様子に口を挟む事は控える。ミユは力なく後退り、顔を背けたまま続けた。叩きつける様な、感情的なもの云いだと思った。

 

「私ひとりじゃ、何も出来なくて、が、頑張って、必死にやったの、私なりに、せ、精一杯……でも私には、ミヤコちゃんみたいに、サキちゃんみたいに、モエちゃんみたいに、全然上手く、出来なくて……っ!」

「お、おい、ミユ」

「託されたもの、全部、全部、台無しにして……せ、先生、だって! わたっ、私を信じて、くれたのにッ!」

 

 徐々に裏返り、血を吐くだすような苦悶の色が混じり始め、思わずサキが落ち着かせようと手を伸ばすが、ミユは狂乱した様子で声を荒げ続け、遂には抱えていた愛銃すら足元に放り投げた。

 軽い音を立てて地面を転がっていく銃火器に、「ちょ、ちょっと」と唖然とした表情でモエが声を零す。錯乱状態に陥っているのか、彼女からすれば余りにも理解出来ない行動。

 更に一歩踏み込もうとしたサキを、モエは咄嗟に腕で制した。

 モエ、とサキが咎める様に呟く。だがモエは一瞬口を堅く閉じ、目の前のミユを苦し気な表情で見つめていた。不用意に接近するのは、危険だと思ったのだ。

 

「う、うぅ、ぁああ……ッ!」

 

 そのまま両腕で頭を抱えたミユは、その場で身を丸め這い蹲る様に地面へと伏した。震え、解れたグローブ越しに自身の髪を掴む。世界全てから自身を守る様に、或いは拒絶する様に自身の殻へと籠る彼女の姿に、サキとモエは何も言葉を掛ける事も出来ず、サキは痛ましい表情で、モエは複雑な色を宿したまま口を噤んだ。

 

「………」

 

 ただひとり、ミヤコだけは構えていた銃口を逸らし、ゆっくりとミユの元へと歩み寄る。「RABBIT1」とモエが呼びかけた。コールサインであったのは、彼女なりの理性を保てという叱咤だったのかもしれない。

 けれど、ミヤコは足を止める様な真似はしなかった。

 出来なかった。

 

「お、お願い、お願いします、私を……こんな私を、見ないで」

「……ミユ」

「皆に、皆に合わせる、顔が無いの……や、やっぱり私は、塵屑で、皆と一緒に居られるような存在じゃなくて……! だ、だから、きっと間違いだったんだ……!」

「ミユ」

 

 ミヤコが彼女の名を呼びながら更に距離を詰める。

 足音は聞こえている筈だ、呼びかけも同様に。しかしミユはそれに気付いた様子は無く、今にも泣き出しそうな涙声で自身を責め立てる。大きく震え、額を土に擦り付け、何度も何度も呪詛の様に己を呪う言葉を繰り返す。

 そうしなければ、意識を保っていられないのだと云わんばかりに。

 

「私なんかが生き残るべきじゃなかった……! ミヤコちゃんが、サキちゃんが、モエちゃんが、先生が、他の皆がッ! 私の代わりに、生き残ってくれていたら――あんな、あんな未来になんて、きっとぉ……ッ!」

「ミユッ!」

「ッ!?」

 

 ミヤコの影がミユの身体を覆い隠し、伸ばされた掌が強くミユの肩を掴んだ。そのまま強引に引き起こされ、ミユは地面に座り込んだまま上半身だけが持ち上がる。直ぐ近くに、ミヤコの薄紫色の瞳があった。爛々と煌めくそれが、覗き込んでいると吸い込まれてしまいそうな瞳が、表面に矮小で醜い自分を反射させていた。

 

「貴女の知る私達は、今の貴女を責める様な仲間でしたか?」

 

 至近距離で放たれたそれに、何の言葉も返す事は出来なかった。ただミユは呼吸を詰まらせ、潤んだ瞳を左右に泳がせる事しか出来なかった。愛銃を肩に掛けたまま、両手でミユの肩を掴んだ彼女は頭の天辺からつま先まで、事細かにミユを観察しながら云う。

 

「今のミユを見れば、分かります」

 

 それは想像でしかない。

 けれど、想像であっても分かる事はある。

 ミユの肩に掛かった指先に、ぐっと力が込められた。

 

「本当に、頑張ったのでしょう……たった一人で」

「―――」

「そんな、ボロボロになるまで」

 

 事情は分からずとも、同じ霞沢ミユであるのならば。その内面に嘘が無いのであれば。そう断言するに足るだけの時間を、自分達は共に過ごして来たのだ。

 ミヤコの掌がミユの腕を掴み、そのまま強く引き上げた。二人同時に立ち上がり、蹈鞴を踏んだミユの身体を彼女は支える。風が二人の間をすり抜け、枯葉を飛ばしていた。ミユはただ、引き攣った呼吸を繰り返しながらミヤコを見上げていた。彼女は真っ直ぐ、ミユの瞳を見つめながら、不意に顔を横に背けた。

 

「……そう云えば、先程の質問に答えていませんでしたね」

 

 瞳を細めたミヤコが、荒廃し、廃れた封鎖区画の街並みを見つめながら云った。「し、質問」と呆然とした声で、ミユは殆ど反射的に言葉を繰り返した。

 

「えぇ、何故この場所が分かったのか、と」

 

 目の前の彼女は薄らと微笑みを浮かべながら告げた。此方を見つめるミヤコの瞳は、余りにも暖かかった。

 

 ミヤコ(自分)の考えだけでも、ミユの考えだけでも、駄目だったのだ。

 

「当然でしょう、だって」

 

 彼女の指先が、ミユの腕に巻き付けられた腕章に触れる。擦れ、色褪せ、表面が剥がれ落ちたそれは最早元の所属を読み取る事さえ困難である。けれど彼女はそれを手放そうと思わなかった、肌身離さず身に着け続けた。その資格は無いのだと自らを罵りながらも、けれどそれだけが唯一、彼女が縋り続けた(よすが)だったから。

 

「――同じ仲間(RABBIT小隊)の事なんですから」

 

 その言葉が、ミユの心を大きく揺らした。様々な感情や想い出、皆と過ごした記憶がミヤコの言葉に揺り動かされたように氾濫していた。

 堪え切れず、ミユは目を見開いたまま一筋の涙を零す。一度零せば、最早耐える事は出来なかった。

 涙は次々と溢れ出し、頬を伝って胸元を濡らした。

 

「此処は余白があって、良い眺めですから」

 

 退廃的で、けれど何処かノスタルジックで。

 崩れた街並みを眺めるミヤコは云う。

 背後で様子を伺っていたサキとモエもまた、互いに顔を見合わせ、それからゆっくりと握り締めていた愛銃を下げると苦笑とも、呆れとも取れる表情を浮かべ云った。

 

「あぁ、廃墟区画全体が見渡せる、良いスポットだ」

「まぁ、空の色だけは酷いけれどね? それ以外は絶景じゃん」

 

 二人の言葉に、ミユは俯いたまま口を噤む。目元を袖で乱雑に多い、ミヤコの視線を追う様に瞳を動かした。

 赤空に照らされる廃都市、人工的でありながらも自然に覆われた特殊な場所。半ば倒壊しかけている建物群に生え揃う蔦や生した苔はこの場所が疾うの昔に忘れられ、必要とされなくなった事を示しており、ミユはこの中で佇んでいると云い表す事の出来ない安らぎを覚えた。

 この場所に於いては、自身もまた同様であると感じていたのだ。

 

 いつも見上げる空は、視界を遮るものが多くて。

 街はビルが立ち並んでいるし、山は樹々が広がっている。

 自分が見て来た空は、いつもボヤけていた。

 でもこの場所は、定規で引いた様に真っ直ぐとはいかないけれど、遥か遠くまで見渡せるような空が広がっていて。

 こんな場所でなら、どんなターゲットも撃ち抜けそうだな、と。

 そんな風に思ったのだ。

 

「――あぁ」

 

 それを、憶えていてくれたんだ。

 こんな私をまだ、仲間だと。

 本気で、そんな風に――。

 

「……やっぱり、凄いなぁ」

 

 口からこぼれ出た言葉は、強い感謝と、羨望が混じっていた。脱力した身体は奇妙な倦怠感と、けれど安堵に包まれた。

 ミユは心の奥底で、彼女達に攻められる事を恐れた。想像上のRABBIT小隊はいつだって、己の為した罪悪を何度も何度も責め立てた。それこそが自分の恐怖心と弱さが生んだ虚像だったというのに。

 彼女達が、そんな風に振る舞う事などあり得ないと知っていたのに。

 ミユは、その弱さこそを恥じた。

 

「ミユ、私達は――」

 

 改めて此方を向き直り、何事かを口にしようとしたミヤコの口元を掌で遮る。唐突に突き出されたそれに面食らい、言葉を呑んだミヤコ。ミユは数秒程俯いたまま息を吸い込み、それから小さく呟いた。

 今は、顔を見られたくなかった。

 

「皆は、このままサンクトゥムを破壊して――(そら)で戦っている、『先生』の為に」

「……!」

「アレを壊せば、きっと箱舟にも影響が出る筈だから」

 

 ミユはそう云って優しく自身の両肩に掛かっていたミヤコの手を離し、目元を拭いながらゆっくりと転がっていた自身の愛銃の元へと足を進めた。土埃を被った表面を指先で払い、緩慢な手付きで持ち上げる。

 それをRABBIT小隊の三名は、ただじっと見つめていた。

 

「少なくとも演算領域を削れば、大きな行動はとれないと思う、から」

「何か、私達の知らない情報を持っているのですね」

「――うん」

 

 ちょっとだけ。

 背を向けたまま、ミユは掠れた声で云った。

 彼女は振り返ろうとしなかった。ただ吹き付ける風に身を任せながら、目前に広がる鈍色の景色を目に焼き付け続ける。

 

「でも、ごめん、ごめんなさい、話す事は出来ないの」

「それは、どうしてだ」

「……【先生】の為」

 

 サキの問い掛けに返って来たものは、想像の斜め上をいった。思わずサキとモエは顔を見合わせ、ミヤコもまた疑問符を浮かべる。

 

「『先生』?」

「うん、【先生】――でも皆の知っているあの人とは、ちょっとだけ違うと思う」

「………」

 

 要領を得ない、それではまるで自分達の知っている先生の他に、もうひとり先生がいるような口ぶりではないか、と。

 そんな馬鹿なと否定を浮かべ、けれど目前のミユの背中が彼女達の視界に映る。同じ存在、けれど少しだけ違う存在。この世界の生徒(ミユ)と酷似した存在が目の前にいると云うのに、どうして先生の『ソレ』が存在しないと断言できるのか。

 その可能性に気付いた時、全員の背筋に何か、冷たいものが走った。

 

「でも皆なら、きっと大丈夫」

 

 けれどミユは、そんな彼女達の内心を見透かしたように云った。彼女は背を向けたまま空を見上げる。声に偽りはない、きっとこの世界の皆ならば大丈夫なのだと、ミユは腹の底からそう信じていた。

 それに、実際に銃火を交えて分かった。この世界の自分(ミユ)は今の自分(ミユ)なんかより、勇敢で、自信に満ちていて――ずっと強い。

 力ではなく、心が。

 それは嘗ての自分がどれだけ望んでも得られなかった、唯一無二の強さだった。

 

 だからRABBIT小隊と共にある限り、きっと問題ない。

 どんな困難だって、皆なら乗り越えられる。

 

「……うん、きっと」

 

 そう信じ、ミユはゆっくりと振り返る。

 吹き付ける風が長髪を靡かせ、葉の擦れる乾いた音が木霊していた。ミユは何度も何度も解れた袖で目元を拭い、改めて顔を上げる。その奥に瞬くミユの瞳が、微かな光を灯し問いかけた。

 

「私達は、RABBIT小隊(SRT)……だよね?」

「――はい」

 

 持ち上がった顔に、真っ直ぐ伸びる視線。交差する双眸が互いに相手を捉え、問い掛けに対する返答は一切の迷いが無い。

 ミヤコの力強い頷きに、ミユは満足げに目を瞑った。薄らと口元に浮かぶ微笑みが、彼女にとって覚悟の顕れだった。

 抱き締めた愛銃の冷たさが、擦り切れたグローブ越しに良く分かる。

 

「SRTは――RABBIT小隊は正義を貫く」

 

 私達の信じた正義を。

 文字通り、最後の瞬間まで。

 

 うん、そうだ。

 そうだったね、と。

 ミユは言葉にする事無く、胸中で頷きを返す。

 RABBIT小隊は常にそう在った、SRTの掲げた正義をどこまでも信じ、戦い続けた。ミユの指先が腕章に触れ、閉じられていた瞳がゆっくりと見開かれる。

 恐怖は無かった。

 ただ、やるべきだと云う漠然とした意志だけが其処にはあった。

 

「――だから」

 

 するりと、ミユは身に着けたホルスターよりナイフを引き抜く。

 表面が僅かに錆び付き、鈍色を放つそれは彼女の掌によく馴染んだ。一番近くに立っていたミヤコが唐突なソレに目を見開き、サキやモエもまた、まさかと云った様子で身を強張らせ、次の瞬間には地面を蹴飛ばし駆け出した。

 時間が一瞬だけ遅く感じられるような集中。皆の慌てようから、これ(刃物)を目の前のミヤコに突き出すとでも思ったのだろうか。

 そんな筈はない、だってそれは、正しい行為ではないのだから。

 ミユは薄らとした笑みを浮かべたまま、くるりと腕の中にあった愛銃を反転させる。左手で銃身を握り締め、右手で掴んだナイフを精一杯伸ばす。

 

「きっと、これが正しい事(正解)

 

 愛銃の銃口は自身の胸元へ。

 伸ばした刃先は、逆さになった引き金へ。

 刃先は引き金を絞る為に、ほんの少し足りない指の長さを補ってくれる。

 その光景を見た瞬間、ミヤコは目を大きく見開き、一瞬でも疑り身構えてしまった己を責め、全力で腕を伸ばした。

 

「ミ――ッ!?」

 

 全ては、一瞬の出来事であった。

 ミユは一切の躊躇いなく引き金をナイフの切っ先で押し込み、金属の擦り合う様な金切り音と共に、発砲。

 凄まじい轟音、砲撃音染みた重低音が周囲に打ち鳴らされ、風圧と熱波が肌を焼く。RABBIT小隊全員が思わずその場で身を竦ませ、姿勢を低く防御する程の余波。

 あのRABBIT小隊を心胆寒からしめた狙撃は、たった今ミユの胸元を至近距離で直撃した。

 

 ボディアーマーも何も身に着けていないミユの矮躯は簡単に吹き飛び、極光は遥か彼方、雲を掻き消し赤空の向こう側へと伸びていく。

 ミユはそのまま、愛銃とナイフを虚空に手放しながら高台の向こう側――廃墟の街へと落ちていく。

 瞬く、鮮やかな赤と共に。

 

「っ、何て――」

 

 しかし、掠れ、暗転しかけた視界の中で必死に伸びる複数の掌があった。

 伸ばされたそれが噴煙を裂き、凄まじい力で今にも転げ落ち、消え行こうとしたミユの身体を捉える。腕を、胸元を、肩を、指先が掴み、辛うじて引き留める。

 咳き込み、口から唾液の混じった血が跳ねた。重力により自らの頬へと降り掛かったそれを気に求めず、ミユは脱力したまま目を細める。直ぐ横を、愛銃とナイフが擁壁に弾かれ、甲高い音と共に転がり落ちていった。

 

「何て、事を……ミユッ!?」

 

 目の前に、必死の形相で此方を掴み、睨みつけながらも歯を食い縛るミヤコの姿があった。

 彼女だけではない、今にも高台から落ちそうなミユの身体を、モエが、サキが、自らの危険も顧みずに全力で掴んでいた。サキが地面に指先を喰い込ませ、モエもまた縁を掴みながら額に青筋を浮かべ、叫ぶ。

 

「ミユお前っ!? 何をやっているんだ、この馬鹿ッ!?」

「目の前で自決とか、冗談じゃないっての――ッ!」

 

 全身に冷汗を滲ませ、三人は必死にミユの身体を何とか引き上げようと試みる。全員が両腕を伸ばし、確りとミユの身体を掴んだ。「引き上げますッ!」とミヤコが叫び、モエとサキが全力で歯を食い縛りながら頷いた。ぐん、と身体が持ち上げられる感覚。ミユの脱力した身体は少しずつ高台の上へと引き戻され、それから何とか地面にミユの身体を横たわらせる。彼女の身体を荒い息と共に見下ろし、三名は大きく顔を顰めた。

 極光は、ミユの胸元を完全な形で射貫いていた。

 込められた神秘濃度も、純粋な威力も、まともに受けて良い代物ではない。胸元の制服は焼け落ち、表面の皮膚は抉れ大量の出血が見られた。当然だ、下手な戦車の砲撃より威力のあるアレを受けて無事な筈がない。ヘイローこそ破壊されずとも、致命的な一撃である事に変わりはなかった。

 サキは狼狽を押し殺し、素早くミユの胸元、衣服を強引に引き裂き状態の確認を行う。その背後でモエは背嚢を掴み、ミヤコもまた腰のポーチに手を伸ばした。

 

「サキ、IFAK(応急処置キット)!」

「分かっている! クソ、まずは止血だが……胸部シール(HyFin Vent Chest Seal)をくれ! 開放性気胸を確認する!」 

「モエ、背嚢にTCCCキットが入っていた筈です、それを――っ!」

「大丈夫」

 

 RABBIT小隊全員が浮足立ち、各々が動き出そうとした瞬間。しかしミユは伸ばされたサキの掌を押し退け、仰向けに転がったまま力なく首を横に振った。血を浴び、青を通り越して白く変色した肌。涙で充血した瞳が、小刻みに揺れながら皆を見上げる。

 その一言に、全員が一瞬動きを止め、ミユを見下ろした。

 

「これで、良いの」

「ミユ……ッ!?」

 

 治療を拒否する彼女の姿に、サキは理解出来ないと声を詰まらせる。しかし、その理由は直ぐに分かった。サキの掌に重ねられていた彼女の指先が、徐々に青白い光となって霧散していったのだ。

 それを見た全員が、驚愕を露にする。

 

「っ、体が……!?」

「これは、何が起こって――」

「本当は」

 

 自ら青の中に消えていく掌を見つめながら、彼女は強い惜別の念と、それから罪悪の念を滲ませながら言葉を続けた。

 

「……本当は、私なんかが来ちゃいけない場所(世界)だったから」

 

 自分の様な、もう結末を迎えた生徒は。

 だから、これは唯の我儘で。

 叶う筈のない――贅沢な夢だったのだ。

 

 辿り着き、皆の姿を見て願うべきじゃなかったと、そう思った。

 間違いだったと、ただ皆を苦しめるだけに銃を取るなどと。

 もう一度会いたいと、ひと目見るだけでもと願ったのが過ちだったと痛感した。

 けれど。

 こうやってまた皆の顔が見れて。

 嘗ての温もりに触れられて。

 仲間だと、そう云って貰えて。

 

「……【先生】」

 

 異なる世界のミユは、堪らず嗚咽を零した。

 間違いだったのだろう、きっとそうだった。

 でもその過ちに、自分はどうしようもなく救われてしまったのだ。

 

「【先生】、ごめんなさい」

 

 零れた謝罪は、RABBIT小隊に向けたものではない。この世界に自分を呼び出した、他ならぬ【先生】を想って零れたものだ。

 これを己への罰だと云い聞かせた。

 積み上げた罪悪に対する報いなのだと納得した。

 でも、ミユはもう嫌だった。

 

 逃げる事も、正しいと知っている事を為せない事も。

 目の前で大切な人を――喪う事も。

 

「わ、私は――……」

 

 ミユは震え、掻き消えていく指先を必死に赤空へと向け伸ばした。あの宙に向こうで、目に見えない程に遥か遠くで戦っているあの人に、どうか届けと。

 もう一度だけ。

 ほんのひと目で構わない。

 虚ろに歪み、黒く染まっていく視界の中で吐息を零し、最早苦痛さえ感じられなくなった体で掌を伸ばし続ける。どれだけ手を伸ばしても、空の向こう側に手が届く事は無い。輝く一番星は掴めない。

 

 だから、その掌が何かを捉える事は無く。

 

「――ミユッ!」

 

 代わりに、三つの掌がミユの消えゆく手を握り締めた。

 方々から伸びたソレが折り重なり、ミユの青白い光に包まれた掌を強く、強く捉える。黒く濁り切った視界に、此方を覗き込み、瞳を大きく揺らす皆の姿が見えた。

 消えゆく自分の身体を不安げに、心配そうに、痛みを堪えるような表情で見下ろす仲間達の姿が。

 

 ――あぁ、皆が私を見ている。

 

 ミユは最早何も感じられず、暗転しつつある視界の中で、けれど思わず微笑みを零した。

 どうか見つけないでと願った。

 こんな姿を晒したくないと、知って欲しくないと思った。

 けれどやはり自分はどうしようもない程に寂しがり屋で。

 

「やっぱり、私の居場所は……」

 

 皆が握り締めた掌が徐々に、徐々に薄く、消えゆく。青く発光する光は赤空に吸い込まれるようにして舞い上がり、皆が思わず掌へと力を込めた瞬間、ミユの身体は崩壊し虚空の中へと飛び散った。

 ミヤコが、サキが、モエが、息を呑みミユの名前を叫ぶ。遠く響く声を最後に、薄らと、けれど満足げに笑っていた彼女の唇は、そっと音も無く言葉を紡いだ。

 

 ――いつだって、(RABBIT小隊)の傍に。




 本当はこの後、こっちの世界のミユの話がもう少し続くのですが、体力が尽きたので次回に持ち越しですわ……。
 日付超える前に投稿出来ると思ったのに、予想以上に手古摺りましたの。
 体力バーが常に半減されている様な気分ですわよ……。
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