ブルーアーカイブを、もう一度。   作:トクサン

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久方振りの朝投稿ですわ~!


【こうやってね、手を繋いで、一緒に歩きたかったの】

【第二サンクトゥム ミレニアム郊外 閉鎖地域】

 

 久々に。

 本当に、久方振りに。

 一ノ瀬アスナは爽快な気分であった。

 

 彼女の記憶は断続的で、それはまるで夢の中で漂う様な心地に似る。シミュレーションルームで点数を競っていた筈の自分達は、いつの間にか野外演習場と思われる場所へと移動していた。

 あやふやで、整合性など全くない記憶。

 しかし彼女からすれば、その程度の事は気に留める必要さえない。ふとした瞬間に場面が切り替わる事など良くある事だった。

 任務中に直感に任せ突っ走った果てに気付く事も、日常生活のふとした瞬間にさえ。

 一ノ瀬アスナにとって、それは日常だ。

 

「うんうん、まだまだ、も~っと行ける感じっ!」

 

 地面を強く蹴り、高く舞い上がった彼女は両手を広げながら、満面の笑みと共に告げた。

 今現在、彼女が見上げる空は青く、C&Cのみが使用する野外演習場は障害物が全く存在しない。

 

 此処に来た記憶は無いが、今日はそういうシチュエーションなのだろうか? 

 多分、そうなのだろう。

 

 視界に映るリーダー――ネルもまた、挑発的な笑みを浮かべながら鎖を鳴らす。

 此方が空中で身動きが取れないと見るや否や、彼女は双銃を下から振り抜く形で発砲した。乾いた銃声と閃光が瞬き、弾丸が地面を跳ねながら一直線に鞭の如くアスナを狙う。それを読んでいたとばかりに彼女は空中で身を捻り、下から抉る様に放たれる弾丸を紙一重で躱した。

 爆ぜた地面が砂を巻き上げ、アスナの頬を軽く叩いた。

 今はその微かな感覚さえ、楽し気に感じられた。

 

「何だかいつもよりスペースが広く感じちゃう! それなら、のびのび使わないと損だよね?」

 

 砂上を転がり受け身を取りながら、アスナは満面の笑みと共に告げた。

 こんな風に、C&C同士で野外演習を行うなんて、何時ぶりだろうか。記憶の中を探ろうとして、けれど靄が掛かったように思考が途切れる。

 でも今は、気にもならない。

 

 視界の先で、ネルが大きく腕を振るった。風切り音と共に視界外から、双銃に繋がれた鎖がアスナの側頭部を強襲した。

 しかし、彼女は超人的な直感によってその場に屈み込み、鎖の一撃を悠々と避ける。頭上を掠めた鎖が、大きな金属音を鳴らし通過。アスナの頭部を捉えられなかった鎖の先端は代わりに地面を叩き、砂利が爆ぜた。

 奇襲染みたそれを躱されたと見るや否や、ネルは一層その笑みを深くし大きく後退、そこから弧を描く様に凄まじい速度で駆け始める。

 砂塵が吹き荒れ、矮躯は影となって砂に紛れた。

 

「あはっ、リーダーもそう思うんだ!」

 

 フィールドを大きく使う、そうだ、その方が絶対に面白い。

 アスナは対峙するネルの影を瞳で追いながら胸を弾ませた。

 何故か、妙に気分が高揚する。

 楽しいと云う感情が、次々と其処から湧き上がって来る感覚。

 ただ、その感情に身を任せて銃口を突き出す。有り余る神秘を練り上げ、収斂し、自身の用意した弾丸に込める。

 ただ、それだけで良い。

 アスナは、良く知っていた。

 銃口が眩いばかりの光を放ち、その明るさに照らされながらアスナは嬉々として引き金を絞った。

 

「バーンッ!」

 

 ■

 

「――クソがぁッ!」

 

 視界全てを覆う光、回避不能な速度で放たれたレーザー染みた銃弾。

 自身目掛けて放たれた唐突なそれに、ネルの口から思わず罵倒が漏れた。

 直後、咄嗟に重ねた両腕を叩く凄まじく重い一撃。地面を抉りながら直進した濃密な神秘の込められた弾丸はネルの矮躯を軽々と打ち上げ、そのまま後方へと吹き飛ばす。

 

 地面を何度もバウンドし、砂塵を撒き散らしながら跳ねた彼女は、勢い良く地面に愛銃を擦り付け、辛うじて減速する。絡んだ鎖がけたたましい音を響かせ、後方で冷静に機を伺っていたカリンが焦燥と共に声を上げた。

 

「リーダーッ!?」

「問題ねぇッ……!」

 

 ネルは地面に膝を突いたまま荒い息と共に答える。問題ないと、そう口にしたネルであったが、焦げ付き肌の露出した両腕が小さく震えていた。

 今の一撃、衝撃が骨の奥まで浸透している、顔面に直撃を許していれば気絶こそせずとも、一瞬意識を飛ばしていたかもしれない。

 否、その分析さえ虚勢だろう。ネルは自分自身の理性が囁く結論に、思わず舌打ちを零したくなった。

 アスナはゆっくりと立ち上がり砂塵を払うネルを見つめながら、嬉しそうに破顔し指を一本立てる。

 

「あははッ! 防がれちゃったけれど、リーダーの身体に当たったから一点追加! 今って、私がリードだよね? このままだと、どんどん点が差開いちゃうよ?」

「……訳の分からねぇ事ばかり喚き散らしやがって」

 

 悪態を吐きながら、忙しなくステップを踏むアスナを睨みつけるネル。鎖を肩に掛け、愛銃を垂らしながら未だ鈍痛が響く腕をそれとなく摩った。響く鈍痛、肌を刺す様な痛み、何より芯にまで響くような衝撃。

 嘗て味わった事のない類の弾丸だった。どう考えても、普段のアスナよりも強力な一発。一体、どんな神秘濃度しているというのか。

 ネルは冷静に目前の彼女を観察しながら、ぽつりと呟く。

 

「まさか、例の搭から出ている光の影響って奴か……?」

 

 虚妄のサンクトゥム。

 そっと顔を上げれば、天高く聳え立つ異形の搭が視界に入る。周囲を照らす毒々しい光は、直視していると妙に胸騒ぎがして、不快感を覚えるものだ。詳細までは把握していないが、コレの放つ光はキヴォトスの生徒にとって毒に等しい代物だと。

 一ノ瀬アスナの変貌、この光に当てられた、という可能性も否定は出来ない。しかし、そうであると断定出来るだけの証拠も無い。

 そもそもからして、全くの同一人物らしき存在が現れる事自体が異常。

 

 どちらにせよ、此方の言葉は碌に届いていない。今目の前の彼女を無視して搭を破壊するっていうのも手ではあるが、これだけの戦闘能力を持つ相手を放置するなどあり得ない。何より、ネル自身が納得できない。

 故に、鼻を鳴らし彼女は愛銃を握り直す。

 

「うん、うん、この調子だと今日はハイスコア更新出来るかも……!」

「いつまでも調子に乗っているんじゃねぇぞ、アスナ――ッ!」

 

 どこまでも悠然と、未だ余裕を滲ませる彼女に対し、ネルは犬歯を剥き出しにして飛び出す。そうだ、退く事などあり得ない。どれだけの力を得ようとも、アスナはアスナである。そして今は、打倒すべき存在である。

 それ以上でも、以下でもない。

 少なくとも、ネルにとっては。

 

「ミレニアムのシミュレーション訓練スコアは、あたしの勝ち越しだっただろうがッ!」

「今日は、アスナがリーダーに勝っちゃうからっ!」

「ほざけッ!」

 

 駆けながら愛銃を突き出し、引き金を絞った。乾いた銃声が鳴り響き、アスナはひらりと身を揺らし、弾丸は残像を射貫く。

 

 動きを読もうとするな。

 ネルは自分自身に云い聞かせた。

 

 理詰めでどうこう出来る手合いではない、それは共に長い間過ごした自分が一番良く知っている。「何となく」でどんな策謀やフェイントさえ看破して来る相手に、アレコレ頭を捻った所で余計に消耗するだけだと。

 本能には本能を。

 勘には勘を。

 ただ衝動に身を任せ、只管に、死力を尽くせば良い。

 

 つまりは――地力勝負である。

 

「おらおらおら――ァッ!」

「あははッ! 良いね、リーダー! この空気、最高ッ!」

 

 互いに円を描く様に、逆方向へと駆けながら展開される銃撃の応酬。

 共に死線を潜り抜けて来たからだろうか、双方の戦闘スタイルはどことなく似通った部分がある。俊敏性に重きを置き、常に動き続け的を絞らせない。構えた銃口は常に相手の動きの先を読みながらも、しかし動きを制限するような軌跡を描く。

 互いの皮膚一枚を掠め、地面を跳ね、飛び交う銃弾の雨。その只中を恐れず、寧ろ嬉々として駆け抜けるアスナと、怒りを込めて咆哮するネル。

 

「まだまだ、もっといけるよねっ!」

「ッチ!」

 

 対面を駆け、喜色ばんだ声を上げるアスナは紅潮した頬を隠す事無く、飛び跳ねながら空中で弾丸をばら撒く。その悉くを躱し、被弾するコースを飛来するものは鎖で弾き、ネルは弾幕を払い除けながら胸中で苦々しい声を上げた。

 

 明らかに、少しずつではあるが、アスナの動きが良くなっていた。

 実に面倒な性質をした相手だ、時間が経てば経つほどギアが上がっていく様な。戦闘時間が長引けば長引く程、彼女は勝手に高揚し動きが鋭く、機敏になる。ネルの知るアスナは、そういう奴であった。

 戦う事が大好きと豪語する存在なだけはある。

 互いに手の内を知悉している、という点も大きい。彼女の超人的な直感に加え、積み重ねた経験が否が応でも戦闘時間を長引かせる。それはあらゆる面で、アスナにとって有利に働いた。

 しかし――。

 

「戦闘の癖を知っているのがてめぇだけだと思うなよ……!」

 

 互いに知悉しているという事は、此方もまた彼女(アスナ)の癖を読めるというもの。

 ネルは呟きと共に、双銃に繋がれた鎖を撓らせ、そのまま鋭く後方を叩いた。ネルの背後の砂が爆ぜ、鋭く二回、音が鳴る。

 

「――任せて」

 

 小さく、呟かれたそれはカリンの唇から漏れたものだった。

 スコープ越しに見える光景、忙しなく駆けまわる二つの影。交差する閃光の只中で、彼女は小さく、か細く、静かに肺を使い続けていた。二人の動きは余りにも機敏で、さもすれば残像を捉える事が精一杯の瞬間さえある。

 しかし人体構造上、絶対に避けられない瞬間というものは存在する。例外はあれど、例えば足場のない空中に身を置いた時、着地の瞬間、被撃のタイミング、近接攻撃に移る瞬間、事細かに数えればもっとだ。

 そういった瞬きの間、針を通す様な間隙を見定め、捉える事こそが己の役割。

 忙しなく動き回る影を、残像を、アスナを、ただじっとカリンは凝視する。連射等しない、ネルに釘を刺された通り『ここぞ』という瞬間のみを狙い撃つ。微動だにせず、まるで此処だけ時間が制止したかのように。

 カリンは瞬き一つ挟まず、その瞬間を待つ。

 

「一発で、吹っ飛ばす」

 

 対面するネルの放った弾丸が、アスナの右足、その爪先を掠めた。僅かに跳ねた土が飛び散り、ぐらりとつんのめったアスナの上体が泳ぐ。

 ほんの僅かな、瞬きの間に立て直される隙。

 しかし、カリンは見逃さなかった。

 

「―――」

 

 無音、しかして躊躇なく。

 トリガーを絞ったカリン、重低音と共に凄まじい閃光が瞬き、地面を抉りながら大口径の弾丸が銃口より発射される。

 それは一条の光となってネルの脇を通り抜け、僅かにつんのめったアスナの顔面へと直進した。

 眩い閃光が彼女の顔を照らし、驚愕に見開かれる瞳が爛々と光を反射する。

 完璧なタイミングだった、気付いた時には既に攻撃は届いているだろう。カリンが直撃すると、そう確信出来る手応え。

 

「っと!?」

 

 だが、彼女の超人的な直感は瞬きの間に迫ったソレさえも躱して見せた。

 光の如き線を引いて直進した弾丸は、恐ろしい反応速度で以て傾けられたアスナの頬を掠め、そのまま後方の長髪を抉り、遥か後方のクレーター内壁へと着弾する。爆音が鳴り響き、抉れた土と砂利がアスファルトの瓦礫片と共に打ち上がった。

 

「っ……!」

 

 その結果を見届け、カリンは息を呑む。

 必中の一撃だった筈だ。

 タイミングも、何もかも、自身の経験と直感に裏打ちされた一発だった。しかし、結果は命中せず。カリンは一瞬スコープを覗き込んでいた顔を上げ、悔し気にグリップを握り締める。

 

「あははッ、危なかった! ちょっと掠っちゃったよ!」

 

 後で、ご主人様に整えて貰おっと。

 彼女は弾丸に抉られ、ざっくばらんになった自身の長髪、そのひと房を指先で摘まみながら一切の怒りも、焦燥も見せずに笑って宣う。自身を打ち負かす可能性があった一射を前にして尚、彼女の態度は僅かも揺らがない。

 対面するネルが顔を顰め、纏う気配をより一層刺々しいものへと変えた。今のは、ネルから見ても完璧に近い一撃であった筈だ――それをこうも易々と。

 

「でも、凄く良い一撃だったよ! いつもだったら、一発貰っちゃっていたかも! うん、だから――」

 

 ぐっと、彼女は弾んでいた両足を地面につけ、身を沈ませる。

 

「今度は、アスナの番ねっ!」

「ッ!」

 

 眼光が、蒼い尾を引いた。

 ネルが咄嗟に反応し、発砲した瞬間、地面が爆ぜアスナの姿が掻き消えた。驚異的な脚力で以て地面を蹴飛ばし、跳躍。ネルの放った弾丸は一拍遅れて彼女の影を捉え、土埃を巻き起こした。

 抜かれる、ネルの本能が叫んだ。駆け抜ける影を追い、追撃に移ろうとして、カチン! と愛銃が音を鳴らす。

 弾切れだ、何と云うタイミングで。

 

「カリンッ!」

 

 振り向き、叫ぶ。

 カリンの視界から、アスナの姿が掻き消えていた。

 咄嗟にスコープから顔を離し、身を起こす。一体何処に、そう考えた彼女の耳に砂利を擦る音。顔は動かさず、瞳だけが辛うじて影を捉えた。

 極度の集中によって遅延する時間の中、片手を地面に擦り付けながら身を低く構える人影。

 

「―――」

 

 駆ける勢いを押し殺し、地面を踏み砕きながら片足を振り上げるアスナの姿が直ぐ傍にあった。

 掌を地面に擦り付け、弧を描く口元をそのままに足を薙ぐ様にして構えるアスナ。風切り音と共に迫る片足は、まるで巨大な斧の如く。

 カリンは硬直する体を自覚しながら、迫る攻撃を注視し高速で思考する。回避は不可能、せめて防御を――いや、間に合わない。

 直撃だ。

 

「っ、く……!」

 

 身を竦め、衝撃と痛みに備え目を閉じる。カリンに許されたのは、その程度の細やかな備えだった。一拍後、凄まじい轟音と衝撃、風圧が肌を打つ。カリンは身を強張らせ、身構えたまま一秒、二秒と時間を数える。

 しかし、予想した痛みも、衝撃も、到来しない。

 

「……あれ?」

 

 代わりに、ぽつりと疑問の声が耳に届いた。

 閉じていた瞳をゆっくりと開く、最初に落ちたのは黒い影、誰かの背中。微かに鼻腔を擽る良く知った香り。

 顔を上げると、見慣れた背中が自分の前に聳え立っていた。

 

「――アスナ先輩?」

 

 カリンの前に立ち塞がっていたのは、この世界のアスナ。アカネに連れられ、後退した筈の彼女が異なる世界の自分自身と対峙していた。振り抜かれた蹴撃に対し愛銃を盾代わりに、両腕で強引に押し殺している。凄まじい威力だった筈だ、愛銃のサプライズパーティーの外装が軋み、衝撃は彼女の両腕を僅かに痺れさせていた。

 彼女の姿を認識したネルは、額に青筋を浮かべ叫ぶ。

 

「馬鹿、何で戻って来たッ!?」

「申し訳ありません、アスナ先輩が突然――!」

 

 カリンの後方、クレーターの縁から滑り降りて来たアカネが大型のケースを担いだまま慌てて合流を果たす。どうやら、アスナが単身で戻って来たらしい。それを慌てて追って来た――という所か。

 カリンは愛銃を抱え直しながら素早く後退し、改めて身構える。額を一筋の冷汗が、音も無く伝った。

 

「っと!」

 

 対峙する二人のアスナ。辛うじて蹴撃を受け止めた彼女は腕を払い、再び距離を取る。フレームが破損していない事をそれとなく確かめ、グリップを握り締めた此方の世界のアスナは蒼褪め、冷汗を流したまま呟いた。

 

「私も、戦うから」

「そんな状態で何を云って……!」

 

 堪らず、ネルが言葉を詰まらせた。しかし今は云い合いをしている時ではない、舌打ちを零し間隙を埋める様にリロードを済ませた愛銃の引き金を絞り、異なる世界のアスナへ発砲。飛来する弾丸をひらり、ひらりと躱し距離を取っていく彼女を凝視し、未だカリンの前に立ち付けるアスナへ怒号を飛ばした。

 

「邪魔だ、てめぇは引っ込んでろ、アスナ!」

「ごめんリーダー、それでも、皆で戦わなきゃ駄目なの」

 

 ゆらりと、足を進める彼女は云った。

 C&Cの皆で。

 俯き、絞り出された声には奇妙な力強さがあった。強迫観念、否、彼女にとっては事実なのだろう。アスナにしか分からない事がある、感じられない事がある、俯いていた顔をぎこちなく上げ、アスナは重々しく口を開く。

 

「そんな、気がするから」

 

 直感。

 或いは、第六感。

 合理的でも、論理的でもない。

 けれど一ノ瀬アスナは、それが正しい事だと。

 そう信じる。

 

「あっ、そっか! 私がリードしているから集中攻撃って事だね!」

 

 反し、異なる世界のアスナはネルの銃撃を回避しながら、今しがた現れたアカネとアスナ(自身)を一瞥し、それを相手方の増援と受け取った。

 現在ポイントをリードしている自分を狙った一時的な協力体制、首位を独走している相手を積極的に狙う事は良くある事だ。

 少なくとも今、アスナから見える世界では――そういう風に、解釈出来る。

 

「じゃあ今日の訓練はアスナとリーダーチームっ!」

 

 ビッと、突き出した指先でネルとアスナ、カリンとアカネを順になぞる。四対一は初めての事かもしれない、しかしそれでも今の彼女は負ける気がしなかった。普通に考えれば非常に不利な条件、けれど何故だろう――内側から沸々と湧き上がって来る何かが、強烈に自分の背中を押していた。

 

「よぉし、じゃあ……」

 

 舌で唇を舐め、挑戦的な目つきと共に彼女は三度地面を蹴飛ばす。

 

「アスナ、いっくよーッ!」

 

 ドン、と鳴り響く爆音。跳ねた砂塵が周囲に飛び散り、C&Cは瞬く間に迫る影を前に身構えた。

 

「来るぞ、リーダー!」

「っ、仕方ねぇ、全員で掛かる! アカネ、カリン、アスナをサポートしろッ!」

「了解!」

 

 未だ本調子とは程遠い、血の気の失せた表情で幽鬼の如く佇むアスナを一瞥し、ネルは両名に彼女の支援を指示する。生憎と付きっ切りで見ていられる程、余裕のある相手ではない。

 だが、アスナの直感を無碍に出来るほど――これまで積み重ねて来た信頼も、薄くはない。

 

「やるって吐いたからには、後戻りは出来ねぇぞ、アスナ!?」

「大丈夫、だって、伝えなきゃ……」

 

 肩を並べ、呟くネルの声に反応せず。

 ただ小さく囁くように、彼女は独白を繰り返していた。

 

「これは、楽しい事じゃないよ――って」

 

 何としても、今尚屈託のない笑顔を浮かべる。

 向こうの私に、伝えなければならない。

 

 ■

 

 無数の弾丸が、自身を襲わんと飛来していた。

 次々と迫るそれらは地面を耕し、爆破は連鎖的に土砂を打ち上げ、パラパラと降り注ぐ砂塵を一身に受けながら駆ける彼女は視界不良の中でも足を止めない。

 だがやはり、手の内を知られていると云うのは大きい。

 逃げた先に、爆薬が投げ込まれていた。

 

「わっ、っと!」

 

 アカネのものだと、そう理解した瞬間には爆炎に網膜を焼かれていた。爆破直前で後方へと跳び、威力を大きく殺したものの衝撃全てを殺し切る事など出来ない。肌は炎に軽く炙られ、爆風に吹き飛ばされた身体はそのまま地面を二度、三度と転がる。

 砂利に塗れ、土に塗れ、ただですら薄汚れていた衣服は更に黒ずみ、悲惨な状態となる。

 しかし、アスナにとってはどうでも良かった。ただ追撃に放たれた弾丸が自身の肌に突き刺さり、弾けるような感覚に歓声を上げた。

 

「痛っ、あ痛ッ! あははっ、やったなぁ~! これでそっちのチームに、ポイントが二点追加だね!」

 

 左肩と右脇腹、響く鈍痛と赤らんだ肌に、アスナは相手のポイントをコールする。吹き荒れる土埃の向こう側で、機敏に動く影があった。ポイントを取っても攻め手は緩めない、いつも通りのコンビネーション。

 噴煙を裂くように飛来した狙撃が、直ぐ脇を掠めた。

 ほんの数センチ首を傾けていなければ、そのまま直撃を許しただろう。風切り音と共に後方へと流れる一条の光を眺めながら、しかし彼女は一切の恐れも怯えも無く、寧ろ嬉々として駆け出し全身で世界を感じる。

 

「うん、うん……! 何か、すっごく良い感じ!」

 

 地面を駆ければ駆ける程。

 銃火を交えれば、交える程。

 アスナは高揚していく精神を、肉体を自覚する。

 それは今まで鬱屈していた感情を発散させるような、或いは極限まで圧縮されたバネが弾けるような爆発力。

 銃弾が掠め、砂塵を裂く鉛をアスナの瞳は正確に捉える。ただ、躍る様に彼女はステップを踏んだ。右足、左足、ここでステップ、ジャンプ、身を翻し、引き金を絞る。

 考える必要は無かった、ただ本能に従って気の赴くままに振る舞えば良かった。それだけで全ての弾丸は彼女を捉える事が出来ず、虚空を射貫く。あまりにも恍惚と、爽快だと云わんばかりに笑う彼女は頭上を仰ぎ、広がる青空に向かって叫ぶ。

 

「朧気だけれど、憶えているの! 今までずっと出口の見えない暗闇を歩いていたみたいな気持ちだったから! 黒々としていて、陰鬱な感じで……!」

 

 全ての感覚があやふやで、まるで焼け焦げた映画フィルムを眺めている様な。連続性も何もない、切り取った一場面の連続、無機質で砂を噛むような記憶。鬱屈とした感情は胸中に降り積もり、延々とアスナの中へと蓄積し続けていた。

 

 そんなの、全然楽しくない。 

 

「だから、今凄く嬉しい! やっと全力で、楽しいって思えるから!」

 

 直ぐ傍に一緒に戦える仲間がいて。

 大事な大事な先生が居てくれて。

 自分の帰る学園があって。

 

 今のアスナは、満ち足りていた。

 それだけで良かった。

 幸福だった。

 

「やっぱり先生とC&C、そんな皆が居るミレニアムは……」

 

 弾丸の雨を潜り抜けながら、アスナは心の底から満面の笑みを浮かべ、云った。

 

「――最高の学園だよねっ!」

 

 ■

 

「ッ、動きが、更に……ッ!」

 

 最早彼女の動きをスコープ越しに捉えるのは困難であった。

 カリンは苦々しい表情で狙撃姿勢を解き、顔を上げる。視界には残像としか思えぬ程の影を引きながら、方々を駆け巡るアスナの姿がある。ステップ一つ、彼女が地面を蹴飛ばしたと理解した次の瞬間には、微かな土埃と衝撃音を残し、アスナの姿は掻き消える。

 それは、理外の挙動である。

 現状、コレに追従出来ているのは前衛を張るネルと、辛うじて食い下がっている此方の世界のアスナのみ。

 下手に爆薬を投げ込めば同士討ちになる為、経過を見守る事しか出来ないアカネと、狙撃による火力支援の機会を逸したカリンは距離を取ったまま臍を噛む。

 

「この反応速度と加速、最早未来予測の領域では……!」

 

 アカネの脳裏に過るのは、これと同等――或いは近しい動きをしていた存在。尤もそれは、生徒単体の能力ではなく強化外骨格と都市全ての演算処理機能を割り当てた上での戦闘能力であったが。

 アビ・エシュフ――今、目の前に存在する一ノ瀬アスナに一番近しい存在は、それだ。

 あらゆる攻撃を直前で回避し、悍ましい程の加減速、俊敏性を備えた存在。加速の瞬間は目で捉える事さえ困難である。

 

「はッ、未来を予測をしてくる相手なら、既に一回戦って勝っただろうがッ!」

 

 しかし二人が漏らした悲鳴染みた声に、ネルは決して動じず、寧ろ発破をかけるようにして応えた。マズルフラッシュによって瞬く影、異なる世界のアスナ、彼女の挙動に真っ向から挑むネルは息を弾ませながら怒号を響かせる。地面の上を転がり、無造作に放たれた薙ぐ様な銃撃を回避し、彼女は新たな弾倉を愛銃に嵌め込み叫ぶ。

 

「ビビッてんじゃねぇ、アイツが何処までもギアを上げて来るって話なら、こっちがその上を行けば良いだけの事だ!」

 

 一度同じような相手に勝っているのなら――ならば何故、もう一度勝てると思わないのか。

 少なくとも、ネルにとっては恐れるべき要素など一つも無い。戦いとはシンプルだ、最後に立っていた奴が勝つ。何度倒れようとも関係ない、一度退こうが関係ない、それはまだ勝っていないだけなのだから。

 

「アスナッ! まだ行けるな!?」

「……ッ!」

 

 方々を駆け巡り、的を絞らせない様に駆けていた此方のアスナに向けて、ネルは問いかける。放たれる弾丸を掻い潜り、応射を繰り返しながら地面を蹴る彼女は、返答をするだけの余裕が無い。彼女らしくも無い、苦悶の表情を浮かべながら無言を貫く。

 だが、その横顔を一瞥するだけでネルにとっては十分だった。

 

「全員、あたしに合わせろッ!」

「――!」

 

 その一言で、C&Cは意思疎通を図った。ネルが鎖を打ち鳴らし、これまで見せなかった直線的な動きで加速する。それを見た異なる世界のアスナは、不意に足を止め破顔した。

 

 仕掛けて来る――彼女の持つ第六感が、警鐘を鳴らしていた。

 

「ライン、セット……!」

 

 意図を察したアカネはネルの突貫に合わせ大型ケースより取り出した爆薬を複数、全力で投擲する。場所は彼女の動きをある程度予測し、異なる位置に三点。アカネは緩く弧を描いて飛んでいく爆発物を目で追いながら、手元の起爆スイッチを握り込んだ。

 

 瞬間、爆炎と衝撃波が巻き起こり、臓物が浮き上がるような振動が突き抜ける。広範囲に撒き散らされる火の粉、視界を覆う噴煙、フレンドリーファイアには十二分に留意した上での爆破であったが、アカネの表情には緊張が走る。

 不意に、立ち昇る噴煙の中から異なる世界のアスナが飛び出し、焼け焦げた衣服と長髪を靡かせながら地面の上を滑った。見た限り直撃はしていない、爆炎が僅かに表面を舐めた程度だろう。

 しかし、元より今の爆発で仕留められるとは考えていない。

 

「カリン!」

「―――」

 

 対象を視界に捉えたアカネが叫び、間髪入れず重低音が響き渡った。

 隣り合うカリンは既に狙撃姿勢へと移り、膝を突いたまま引き金を絞る。爆炎を射貫き、突き進む弾丸。それはアスナの胸元を確かに捉えた様に見え――しかし寸で身を傾けた彼女の胸元を掠めるに留まった。

 千切れた衣服の一部が虚空に舞い、衝撃にバランスを崩した彼女は砂上を転がって、今しがた掠めた胸元を手で抑えながら笑みを浮かべる。その双眸が、巻き上がった砂塵越しに二人を捉えていた。

 

「これすらも躱されるのか……ッ!」

 

 目視は出来なかった筈だ、完全な視界不良の中で行われた奇襲。この攻撃さえ回避されるとなれば、正に打つ手がない――苦々しい想いで吐き出される言葉に、しかし叫ぶ声があった。

 

「いいや、それで良いッ!」

 

 爆炎を裂き、飛び出す小柄な影。

 体勢を崩し、這い蹲るような姿勢で硬直するアスナの耳に、金属の擦れる音が届いた。

 

「――漸く」

「……!」

 

 爆炎の中より飛び出した影――ネルは獰猛な笑みと共に、手元の愛銃を大きく振り払う。

 ジャラリと、後方に伸びた鎖が音を鳴らした。あと数歩で目と鼻の先、手を伸ばせば届く距離へ。

 好戦的な赤い瞳が、爆発の閃光を伴って煌めいている。

 

「飛び込んだぞ、てめぇの(クロスレンジ)にッ!」

「あはッ!」

 

 瞬間、アスナは即座に構えを取った。膝立ちの状態で腰だめに構えた愛銃をトリガー、連続した銃声と閃光がネルを照らし、銃弾は彼女の全身目掛けて放たれる。

 しかしネルは比較的近距離で瞬く閃光に僅かも怯むことなく鎖を振り回し、寧ろ放たれた弾丸へと自ら踏み込んだ。展開された弾幕の悉くを弾き、逸らし、躱す。両者の間で瞬く火花、同時にネルは大きく腕を振り回し、弾丸を弾いていた鎖をそのままアスナ目掛けて振るう。

 風切り音と共に飛来したそれを屈んで躱した瞬間、目の前にネルの膝が迫っていた。

 

「わっ!」

 

 咄嗟にアスナは腕で防御し、肉を打つ鈍い打撃音が響く。ぐん、と上半身が跳ね上がり、骨に響くような一撃が腕を痺れさせた。衝撃は身体を貫き、堪える事も出来ず後方へと押し込まれる。屈んで避ける事を予測した上で、仕込んでいたのか。

 そのまま地面を滑って後退する彼女に、ネルは間髪入れず飛び上がり全力で蹴撃を重ねた。アスナの直感はそのまま防御を選択、突き出した腕の上から、全力で振り抜かれた爪先。被撃の瞬間、アスナの上半身が揺れ、骨が軋み、衝撃が足元を僅かに陥没させた。小柄な体躯からは想像も出来ない重撃。

 

「ぅ、ぐッ」

 

 跳ね上がった土煙が両者の周囲を覆い、指先に走る確かな痺れ。堪らずアスナの口から苦悶の吐息が漏れる。

 肌に残った青痣、アスナは齎されるソレに薄らと口の端を引き攣らせた。

 

「どうしたアスナ、そんなモンかッ!?」

「まだまだ、だよッ!」

 

 だが、その声色は決して歪まない。

 一気呵成に畳みかけるネルは器用に両足を使い、二発、三発、四発とアスナの防御を崩す為に打撃を重ねる。彼女の近接格闘は完全な我流であり、全身を使った打撃は勿論、至近距離でも取り回し易い愛銃による銃撃、双銃に繋がれた鎖による拘束、鞭打等も組み合わせて振るわれる。

 怒涛の勢いで放たれる攻撃にアスナは防御の姿勢を崩さず、腕で、足で、ただひたすらに猛攻を凌ぐ。

 

「そう、まだ、もっと――!」

 

 一秒の内に放たれた攻撃は三発。

 顔面を狙って放たれた銃撃、胸元に放たれた蹴撃、足元を薙ぐ様に撓った鎖。アスナの瞳が高速で動き、それぞれの攻撃を認識する。顔面目掛けて放たれた銃弾を紙一重で回避、胸元の蹴撃は腕を盾に受け勢いを殺す、足元の鎖は僅かに両足を浮かせる事で対処。

 ほぼ同時に放たれた攻撃を完全に受け流し、蹴撃の勢いを利用して距離を取ったアスナは、青痣と流血に染まった両腕を払いながら、土埃の中で爛々とその瞳を輝かせた。

 

「まだまだ、もっと、もっと高く跳べそうな、楽しくなれそうな気がするの……!」

「――!」

 

 一際強い重圧が、対峙するネルの肌を打った。

 正面に煌めく、深い青の瞳。

 煌めくアスナの双眸を直視した瞬間、ネルの脳裏に過る何か、知らない光景があった。

 

 ■

 

『……その感情には同意します、先生は、私達RABBIT小隊にとっても大切な方です』

『まぁ、そうだろうな、でなければこんな無謀な作戦は立てない、何処の自治区も同じだ、それ自体は私達も理解している、先生はキヴォトスになくてはならない存在だと』

『なら尚の事です、同じ想いを抱いている生徒が、何故争う必要があるというのですか』

『それは――』

『御託は良い』

 

 針の如くに肌を刺す豪雨の中、傘も差さずに対峙する複数の影があった。

 見慣れたメイド服を身に纏う一団、対峙するのは小柄な影一つ。その全身は薄暗い路地の影に覆われ、上手く視認する事が出来ない。けれど薄らと、その惨状が見て取れた。身に着けたボディアーマーは既に幾つもの弾痕が刻まれ、手足には大小様々な傷痕が残っている。満身創痍だ、手負いの相手を集団で囲む行為は、余り良い気はしない。

 しかし、視界の先に存在する自分は――美甘ネルは無造作に一歩を踏み出し、「時間稼ぎに付き合うつもりはねぇ」と吐き捨てる様に云った。返答に応じるカリンを、手で制しながら。

 そう、その場に立っていたのは美甘ネル、自分自身だった。

 

『コイツの仲間が先生を連れてエリドゥより逃げ出そうとしているって話だ、速攻で片付けて見つけ出すぞ、一秒でも早く、何としてもだ、最優先は先生の身柄の保護、それ以外は全て些事だと思え』

『――了解』

 

 視点は、いつもよりも幾分か高く感じた。何より自分自身を、その背中を見つめるこの視点は、誰のものか。

 疑問に思うと同時、僅かに滲んだ視界の中で、自分のものではない――けれど良く知った声が、すぐ口元から響いた。

 

「……うん」

 

 この声は、アスナ(あいつ)の――。

 

 ■

 

「……っ!?」

 

 沸々と、湧き上がるような熱情、灰色の記憶、色褪せた世界、次々と捲られる記憶の頁。

 唐突なそれにネルが顔を顰め、不自然な姿勢で体を硬直させる。

 その一瞬。

 瞬きの硬直が、明確な隙となった。

 

 気付けば即座に反転し、肉薄するアスナの姿。

 肩から体ごとぶつかって来るような姿勢と勢い、一拍後にネルの体とアスナの体は真正面から衝突し、ネルの矮躯は踏ん張る事も出来ず大きく弾き飛ばされる。両足が浮き、数秒の滞空を経て地面を削りながら着地したネルは衝撃を押し殺し、地面を削りながら減速、顔を上げ叫ぶ。

 その表情には、隠し切れない怒りと焦燥が滲んでいた。

 

「アスナ、てめぇは……ッ!」

この先(この感情の先)に何があるのか、どんな楽しい景色があるのか」

 

 アスナの構えたサプライズパーティー、その銃口に青白い光が収斂され、周囲を照らす。土煙越しに瞬くをそれを直視するネルは、苦々しい想いを辛うじて飲み込み、地面を思い切り踏み締め停止した。

 

「――私は、それを見てみたいッ!」

 

 光に照らされたアスナの表情は一切の曇りが無く、極限まで収斂された神秘は、ネル目掛けて放たれた。

 目視さえ困難な一撃、瞬きの間に肉薄する一条の光、それは地面を掻き分けながら直進し、進路上に存在するあらゆる存在を穿った。ネルはその一撃に込められた神秘濃度に顔を顰め、防御は不可能だと判断。しかし、回避に徹するには一歩出遅れた。

 咄嗟に身を捩り、直撃を避ける。しかし、撃ち込まれた弾丸はネルの肩を掠め、その瞬間ネルの体は凄まじい熱波と衝撃に襲われた。

 

「ぅッ!?」

 

 ぐん、と。

 両足が地面を離れ、ネルの矮躯は空中へと放り出される。

 掠めた余波だけで、体が持っていかれた。

 地面を両足が捉えていれば衝撃を押し殺し、堪える事も出来ただろう。しかし、踏ん張りの利かない空中に飛ばされてはどうしようもない。肌を焼く熱波に口元を歪め、衝撃に備え背を丸める。

 流れる視界の中、再び空いたアスナとの距離に苦々しい想いを抱き――代わりに、吹き飛ぶ自身の直ぐ横を突っ切って肉薄する影を捉え、思わず声を上げた。

 

「――アスナッ」

 

 突き放されたネルとすれ違う様に前進し、肉薄する影。

 それはこの世界のアスナ、その人。

 

 伸びた神秘砲が着弾し、中規模の爆発を巻き起こした。ネルは地面に叩きつけられ、何度も砂上を跳ねる。それを背に噴煙を払い、飛び込んだアスナは――異なる世界の自分自身目掛けて全力で蹴撃を放つ。

 風切り音、同時に駆ける勢いそのままに放たれた回し蹴りは、果たして視認もされず、無造作に突き出された掌に止められる。

 それは殆ど無意識の所作だったらしく、掌に走った衝撃、突き抜ける風圧に目を見開き、彼女は一拍遅れてアスナを見上げ、攻撃された事、そして自分がそれを防御した事を認識した。

 

「わっ! 今度はこっちの(アスナ)なんだ!」

「ッ……!」

「ふふっ、良いよ、どんどん行こうッ!」

 

 溌剌と、場違いにも煌めく瞳が此方を見据える。

 受けた腕を払い除け、互いに至近距離のまま拳を振り上げる。瞬きの間に繰り広げられる肉弾戦、二の腕を浅く打たれ、頬をバレルが掠める。目元を狙う素早く機敏で、しかし撫でるような指先を躱す。

 

 アスナが持つのはネルの様な経験に裏打ちされた実力、血の滲むような鍛練と、類い稀な克己心から来る精神力を元とした強さではない。

 ただ純粋に、本能が赴くままに振る舞う無造作な才覚。残酷なまでに研ぎ澄まされたソレは、第六の感覚器官としてあらゆる面で彼女を一つ上の段階に押し上げていた。

 

 互いの拳がぶつかり合い、腕は後方へと流れる。全く同じタイミング、同じ箇所、同じ軌道での打撃であった。通常であればあり得ない様な現象が、二人の間では当然の様に再現される。ひりつき、痺れる拳を握り直しながら、両者は顔を突き合わせる。

 

「これ以上、その先に踏み込んじゃ駄目だよ……!」

「どうして? こんなに楽しくて、面白いのに」

 

 アスナが叫び、アスナが答えた。

 両者の姿は瓜二つで、だと云うのに浮かぶ表情は余りにも異なる。

 片や悲痛な表情で、片や楽しくて仕方がないとばかりに笑みを浮かべて。

 

「楽しい事も、面白い事も、すっごく良い事でしょう? そっちのアスナだって、もっと、もーっと楽しまないと!」

「戦う事は、楽しい事かもしれない、でも、そうじゃない時だってあるから……!」

 

 血を吐くような思いで、彼女は云った。

 戦う事は、楽しい。

 弾幕を潜り抜ける、あの瞬間が好きだ。

 銃口を突きつけ、引き金を絞る瞬間が好きだ。

 互いに死力を尽くして対峙する瞬間が好きだ。

 その感情を否定はしない。

 一ノ瀬アスナは、そういう存在だから。

 けれど。

 

「その先はもっと、もっと苦しいから……ッ!」

 

 その戦いを楽しめなくなる瞬間は――必ず訪れる。

 

「苦しい? 私は楽しいから、こうやって――」

「違う、違うよ、今のアスナ(あなた)は……!」

「うーん」

 

 鏡合わせの様に突き出されたサプライズパーティー、その銃口が互いにかち合い、金属音と共に横合いへと逸れる。両者の肩がぶつかり、再び額を突き合わせた。一瞬、考え込む様にして思案の声を上げた異なる世界のアスナは、ややあって互いに押し込まんと力を籠める愛銃を見下ろし、呟いた。

 私は、苦しくないよ? と。

 カタカタと、擦り合う銃口が震え音を鳴らす。

 

「だって、さっきまでの何もかも朧気で、良く分からなくて……そんな、ぼんやりとした世界より、今はずっと鮮やかだもん! 大好きな人が傍に居て、退屈な事なんて何もない、それって凄く素敵な事だよね?」

 

 退屈な世界の冷たさは、良く知っている。

 温度も、匂いも、色彩も、何もかも存在しない、無の世界。すべてが朧気で、あやふやな世界には何かを楽しむ余地など存在しない。

 今は、違う。

 だから。

 

「ほら、アスナ(あなた)もこっちに――」

「私はッ!」

 

 しかし、出端を挫かれた。

 善意で掛けた声は、それ以上の声量と真摯な響きに掻き消される。同じ深く、青の瞳が目の前で瞬く。その目尻に、薄らと涙が滲んでいる事に気付いた。

 

「ずっと、ずっとモヤモヤしていた! ご主人様が傷付いた時から……ううん、もっと前から! ご主人様が色んな事に巻き込まれて、その度に何か、遠くを見て、此処じゃない何処かを、誰かを、(アスナ)を通して見ているみたいで――何だか苦しくて、辛くて、ずっと、ずっと……!」

 

 腹の底から、絞り出す声。

 アスナにとって、戦う事は楽しい事だった。割り振られた任務に臨む時も、道端で遭遇するちょっとした騒動に巻き込まれたも。上手く行く事もあれば、ちょっとだけ失敗する事もある、けれど最終的に勝っても負けても、アスナは満足して、「あぁ、楽しかった」と呟けるのだ。

 けれど、そうじゃない瞬間がやって来た。

 

「だから……!」

 

 これらの戦いは、負ければ自分の大切なものが奪われる。

 世界が、ミレニアムが、C&Cが、或いは――ご主人様(先生)(存在)が。

 その事実は凄まじい重荷となって、アスナの全身を押し潰さんとしていた。負けられないという重責、負けてはいけないという強迫観念。それはアスナから、戦いから、楽しむ余地の一切を奪う。

 

 一ノ瀬アスナは、是を非としても勝たなければならない。

 そこに、自分が望んだ『楽しさ』なんて存在しない。

 けれど、そこから目を逸らしてしまったら。

 

(狂気)に逃げるのは、苦しいよ……!」

 

 自分(世界)を偽ってしまったら。

 もっと、もっと苦しいから。

 

「―――」

 

 瞬間、異なる世界のアスナに視界に、強烈な閃光が瞬いた。

 それは青白く、稲妻の如き明滅を以て目の前の自分自身を包み込み、その手足を痺れさせる。

 ヘイローが瞬き、二人は殆ど同時に頭上を仰いだ。

 この世界のアスナにとっては、赤く染まった不気味な空。

 けれど異なる世界のアスナ、その視界には、何処までも広がる青空が映っている。

 天から飛来した光を目にした彼女は、殆ど無意識の内に呟きを漏らした。

 

「――先生?」

 

 その到来した光が誰の齎したものなのか。

 アスナは良く、知っている。

 

「アスナ先輩ッ!」

「――っ!?」

 

 不意に、横合いから声が響いた。同時に空気が抜けるような、独特な発砲音。異なる世界のアスナが上半身を逸らした瞬間、直ぐ目の前を弾丸が砂塵を裂きながら通過した。視界を向ければ、アカネが手元のサイレントソリューション、そのコッキングピースを引きながら叫んでいた。

 

「カリン、援護をッ!」

「分かっている……!」

 

 一拍置いて、再び響き渡る重低音。それがカリンの狙撃を知らせる音だと知っていた。異なる世界のアスナは直感に従って大きく身を捩り、そのまま目の前の自分自身より距離を取る。

 瞬間、大口径の弾丸が耳元を掠め、長髪がひと房千切れ飛んだ。

 

「っ」

 

 耳鳴りが響き、ぐらりと体が傾く。アカネは距離を詰めながら小刻みに発砲を繰り返し、僅かによろめいた彼女へと肉薄、携帯していた大型ケースを手放すと、その身体を拘束せんと腕を伸ばした。

 しかし、その指先が衣服を捉えるより早く、彼女の姿が掻き消える。

 残ったのは僅かに抉れた地面と、残像。アカネの視界の中で危険を知らせるアラートが瞬き、咄嗟にアカネは放った大型ケースを掴み取り、身を守る盾とする。

 間髪入れず甲高い金属音が響き、大型ケースの外装に幾つもの弾痕が刻まれた。潰れた弾頭がパラパラと地面に落ち、アカネは小さく息を吐き出しながら大型ケースを再びつかみ取る。

 支援が無ければ、対応出来なかった。

 アカネは内心で、繋がれた戦闘支援に感謝する。

 

「下がれ、アカネ!」

「っ、リーダー!」

 

 先程強烈な一撃を受けたネルが前線に飛び出し、改めて異なる世界のアスナと対峙した。立ち昇っていた砂塵はいつの間にか晴れ上がり、C&Cは数メートルの距離で見つめ合う。

 息荒く、その頬から一筋の涙を流す此方の世界のアスナ。そんな彼女の背中を軽く銃器越しに叩き、ネルは告げる。

 

「気圧されてんじゃねぇぞ」

 

 頬に付着した砂塵を拭う、何度も地面を転がり、銃火を交えたネルの姿は土と砂利に塗れ、所々から流血が見られた。しかし、彼女の気力は微塵も萎えず、衰えず。土砂に塗れて尚煌めくトレードマークのスカジャンを靡かせながら、銃口を前へ突き出し云った。

 

「腹を括れッ! これは、あたしらだけの戦いじゃねぇんだッ!」

「……!」

「受け取っただろう、今の光……!」

 

 彼女の突き出した銃口が、赤空を指し示す。宙より齎された一筋の光は、C&C全員を繋ぎ合わせた。

 一体どうやって。

 何故この瞬間に。

 そんな疑問は絶えない。

 しかし、一つだけ確かな事がある。

 

 先生はまだ、あの空の上で踏ん張っている。

 ならば、自分達が先に膝を突く事は許されない。

 

「気張れよ、C&C(テメェ等)! 全員で、目の前のコイツを止めるッ!」

 

 全力でだ。

 ネルの声が、周囲一帯に響き渡った。

 小柄な背を前にして、C&C全員が唇を固く結び、改めて愛銃を強く握りしめた。カリンが、アカネが、そして――アスナが、その身に沁みる暖かな感覚に意識を向ける。

 まるで先生が、そっと背中を押してくれている様な。

 

 だから恐れを持たず、一歩を踏み出せる。

 聳え立つサンクトゥムを仰ぎ、アスナはまた、目元を乱雑に拭い。

 精一杯、声を張り上げた。

 

了解(うん)――ッ!」

 

 ■

 

 アスナ(異なる世界の彼女)は、心の底から不思議に思った。

 対峙するC&C、久方振りの手合わせは実に心躍る事だと云うのに。飛来する弾丸を、鎖を、爆発物を、器用に、本能の赴くままに避け続ける彼女はしかし、先程までとは異なりどこか呆然と、心此処にあらずといった様子だった。

 

「―――……」

 

 紙一重で攻撃を避ける、目と鼻の先をネルの鎖が掠め、土と砂に塗れたネルは舌打ちを零す。鎖はそのまま地面を叩き、小さく砂を跳ねさせた。笑って、「相変わらず勘の良い」とか、「やりやがる」とか、そんな風に零すと思って。

 けれど、ネルの表情は真剣そのもの。

 汗を流し、血を流し。

 寧ろ、苦しそうに、辛そうに――それでも懸命に、此方に向かって来る。

 

 ずっと笑っていると思っていた。

 ずっと楽しんでいると思っていた。

 そんな彼女達の表情が――いつの間にか、苦悶の表情に変わっていて。

 

 ――ねぇ、どうして(アスナ)は、そんな退屈そうにしているの?

 

 アスナは、対面で駆け続ける自分自身を見つめ内心で問いかける。彼女だけではない、対峙する誰も、ネルも、アスナも、カリンも、アカネも、誰も楽しそうになど笑っていない。

 一体、いつからだろうか。 

 それとも、最初からそうだったのだろうか。

 自分はこんなに楽しいのに。

 向こうは私は、ちっとも楽しくなさそうで。

 ずっと、辛そうにしている。

 

「なんで――」

 

 なんで皆、そんな苦しそうに戦うの。

 

「―――……」

 

 問い掛けは、殆ど声にならなかった。

 ただ、必死の形相で、苦悶を押し殺した表情で猛攻を仕掛けて来るC&C(仲間達)の姿に、もう一人の自分自身に、彼女は息を詰まらせながら胸元に手を当てた。幾つもの爆炎と弾丸を潜り抜け、しかし片手にぶら下げた銃口(サプライズパーティー)は持ち上がらない。

 

 何だろう、皆とこうして戦えるのは楽しい事の筈なのに。

 C&Cの皆が、そんな風に辛そうに、苦しそうに戦っているのを見ると。

 どうにも――思考が鈍る。

 

「あっ……」

 

 不意に、誰かの放った弾丸が足を掠めた。つんのめって、そのまま蹈鞴を踏む。本能が、直感が、アスナの感情に合わせて分かり易く鈍り始めていた。

 其処から一発、二発と、続けて肩と脇腹に弾丸が突き刺さった。響く鈍痛と衝撃、よろけながら痛みに顔を顰めたアスナは、指先で痣になった箇所を摩りながら呟く。

 

「そうだ、ポイント――……」

 

 呟き、はたと思い返す。

 そう云えば今、何ポイントだっけ、と。

 得点コンソールを確認しようとして、周囲に重々しい銃声が鳴り響く。同時にアスナの視界が一気にブレ、抗えない強烈な衝撃に脳を揺すられ、背中から地面に倒れ込んだ。

 

「わっ」

 

 硬い地面に転がる、ジンとした痛みと痺れが額に走っていた。恐らくカリンのホークアイによる狙撃だ。首が引っこ抜かれるような衝撃は暫し彼女の視界を回し、アスナは地面に大の字に倒れたまま動かなかった。

 立ち上がろうと思えば、立ち上がれた。けれど何となく、そんな気分ではなかった。

 眩暈が収まると、何処までも透き通るような青空が視界一杯に映る。アスナは、この空が好きだった。こういう天気の良い日は、無性に外に出て散歩なんかをしたくなる。

 

「………」

 

 暫しそうやって空を眺めて、額を指先でそっと摩る。

 今日は、リーダーに勝てると思ったのにな、何て内心で零しながら。

 けれど、どうやら勝利の日は、今日ではないらしい。

 一杯動いてちょっと疲れちゃったから、今日はもうお仕舞い。

 苦しそうな表情で戦う皆は、もう見たくなかったから。

 想い、アスナは大きく息を吸い込み、吐き出した。

 

 

 ――お疲れ様、アスナ。

 

 

 砂利を擦る、誰かの足音が聞こえた気がした。

 地面に寝転がるアスナに歩み寄り、伸びる影。青空の陽光に照らされた先に、見慣れた顔があった。風にはためく純白の制服、腕に巻き付けた青の腕章、アスナは青空に重なって現れた人物に対し、目を瞬かせる。

 

「ご主人様?」

 

 目の前に現れたのは、シャーレの先生。此方を覗き込む彼の顔を見上げながら、アスナは緩慢な動作で上半身を起こした。ぼうっと見上げるアスナを、彼はただ柔らかに、いつも通り優し気に見守っていた。

 先生は薄らと笑って、此方に手を差し伸べる。アスナは呆然とそれを見つめ、それから慌てて自分の左手をスカートで拭って、差し出された大きな掌に指先を伸ばした。

 

 互いの手が触れる寸前、ふとアスナは思い出す。

 

「……そうだ、私」

 

 先生を見上げながら、彼女は喉を震わせる。指先から、青白い光が立ち昇っていた。キラキラと綺麗なそれは、アスナと先生を包み込む様に舞っている。

 この蒼穹に溶ける様に、或いはその向こう側へと進む為に。

 

 どうして、ずっと自身(アスナ)は色褪せたままだったのだろうか。

 あんな風に、世界は無味乾燥で、何かを感じる事が出来なかったのだろうか。

 自分はその理由を、憶えていない。

 けれど今、こうして先生の手を取り、暖かな温もりを感じる事で漸く思い出した。

 

 ぐっと、握り締めた先生の掌がアスナを引き起こす。

 その勢いに逆らう事無く立ち上がった彼女は、そのまま先生の胸元へと飛び込み、その額を擦りつけながら、莞爾として笑った。

 何となく、懐かしい香りがした。

 衣服を通して伝わる鼓動が、温もりが、泣きたくなる程に嬉しくて。

 

 そうだ、自分は。

 アスナはずっとこんな風に。

 

「――ご主人様に、会いたかったんだ」

 

 ■

 

「はぁ、ハァッ、はッ……」

 

 荒い呼吸と早鐘が、鳴り止む事は無かった。酷使した身体は疲労を訴え、額にはびっしりと汗がこびり付いている。そんなネルの前には、仰向けに転がったまま微動だにしない、異なる世界のアスナの姿がある。

 彼女は不意に動きを鈍らせ、カリンの狙撃を頭部に受けた瞬間、ピクリとも動く事をせず、ただ呆然と赤空を見上げたまま動かなくなった。

 

「と、止まった……?」

 

 直撃した事自体が信じられないとばかりに、カリンが半信半疑で呟き、アカネとネルは銃口を突きつけたまま慎重に、一歩一歩彼女の元へと歩み寄る。意識を失った訳ではあるまい、ヘイローの存在は感じ取れる、そして見開かれた双眸もまた、空を仰いでいた。

 ネルは一瞬、自分の直ぐ傍で身構えていたアスナを一瞥した。しかし彼女は倒れ伏した自分自身を前に、銃口を向ける事もせず、ただ何かを悟った様な表情で――唇を固く結び、沈黙を貫いていた。

 沈痛な面持ちにネルは一瞬言葉を呑み、それから改めて倒れ伏す彼女へと向き直る。弾んでいた息を整え、顎先を伝う汗をそのままに喉を震わせる。

 

「……おい」

 

 呼びかけ、彼女の顔を見下ろした。

 返答は無かった、ただ彼女はボロボロの姿のまま赤空を見上げ続けていた。

 

「――!」

 

 不意に、転がっていた彼女の手足から青白い光が漏れ出る。瞬間的に身構えたC&Cであったが、唯一アスナだけは何ら反応を見せなかった。

 煌めく粒子となって周囲を漂うそれは、仰向けに転がる異なる世界のアスナを四肢から、少しずつ掻き消していく。その光景に絶句するアカネとカリンを他所に、ネルは顔を僅かに歪めるだけに留め、静かに双銃を手放すと彼女の傍で膝を突いた。

 同じ顔の存在が現れた時点で、どんな事が起ころうとも最早動じる事は無い。「アスナ先輩!」とカリンとアカネが声を上げ、慌てて彼女の元へと駆け寄った。自分達は確かに彼女を止めようとした、けれど何も、こんな結末を望んだ訳ではない。アスナもまた、覚束ない足取りで自分自身の元へと歩み寄る。

 異なる世界のアスナを覗き込む四つの影、空を遮るそれらに彼女は目を細める。

 

「空は――」

「……?」

 

 ぽつりと、乾いた唇が何かを呟いた。ネルが顔を寄せ、呟きに耳を澄ませる。焦点の合わない瞳で、ただぼうっと空を仰ぐ異なる世界のアスナは力なく、どこか気の抜けた声で続けた。

 

「やっぱり、青くないと」

 

 掻き消え、薄らと消えゆく指先を緩慢な動作で空に向けて。

 それから彼女は、先程までと同じように――けれど明確に異なる、満面の笑みを浮かべながら云った。

 

「だって、そっちの方がきっと、お出掛けする時、気持ち良いよ」

「―――」

 

 ね、皆もそう思うでしょう? と。

 彼女は最後まで、そんな風に問いかけて。

 

 それから呆気なく、淡い光の中に消えた。

 

 立ち昇る青白い光はC&Cの体をすり抜け、赤空の向こう側へと消えていく。カリンが咄嗟に手を伸ばし、光を掴もうとした。けれど指先はするりと光を通り抜け、掌には何も残らない。

 ネルもまた、無造作に伸ばした掌から零れる光を見届け、拳を握り締める。

 相変わらず、こんな瞬間まで訳の分からない事を云う――その意図が何処にあるのか、何を意味していたのかは分からない。或いは最初から、そんなものは無かったのかもしれない。徹頭徹尾、夢現のまま口ずさんだ狂言であったのか。

 突拍子が無くて、予測不能で、理解し辛い。

 一ノ瀬アスナは、そういう人物であったから。

 

「……心配すんな」

 

 愛銃を手に、ゆっくりと立ち上がりながらネルは呟いた。身に纏ったスカジャンの裾を、そっと摘まむ指先がある事に気付いている。アスナが、俯いたままネルの裾を力なく掴んでいた。何かを云いたげに、けれど同時に唇は重々しく閉ざされ、その視線は自身の足元に固定されている。

 

 こんな様子のアスナを、ネルは長い付き合いの中で――初めて見た。

 

 だからネルは、振り返る事無く小さく吐息を零し、それから喉を震わせる。

 

「――空の青は、直ぐに取り戻してやるよ」

 

 それは、たった今消えて行った彼女(アスナ)に向けた言葉だったのか。

 それとも今尚、自分の背で俯く彼女(アスナ)に向けた言葉だったのか。

 

 見上げた空は未だ赤く染まり、しかし淡く光る青の粒子が、星の様に瞬いていた。

 




 大変遅くなりましたわ~!
 長時間モニタを見つめていると未だ体調を崩す事があったので、普段の執筆時間の半分を削って睡眠時間に充てておりましたの!
 おかげさまで少しずつ回復しまして、嘔吐するレベルでの眩暈は随分と減りましたわ!
 いやぁ、何だかんだ文字書く位なら大丈夫やろと高を括っておりましたが全然駄目でしたわね!
 頁をスクロールしたり、急激に視点を動かすと一気にぐらりと来るんですわ。
 元から三半規管が強いタイプでもないので、これは無理だと早い段階でペースを落として正解でしたの……!
 十二月中にはペースを戻したいと意気込んでおりましたが、まだちょっと先行き不透明ですわ~!
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