ブルーアーカイブを、もう一度。   作:トクサン

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まさか次話投稿に二週間もかかるとは思っておりませんでしたわ…。


【ただ何て事の無い毎日が、何よりの幸運だったんだって】

 

【第五サンクトゥム ミレニアム 要塞都市エリドゥ近郊】

 

「ノア、残弾はッ!」

「予備のポーチ含め、残り九本です……!」

 

 乾いた銃声が連続して響き、空を覆う無数のドローンが火花を散らして墜落する。飛び散る残骸が周囲の鉄屑に跳ね、鈍い金属音を鳴らしていた。二人は射線を交差させ、互いの死角を埋めるように動きながら、短く言葉を交わした。

 火花を散らし撃ち落とさるドローン群、しかしそれでも尚、次の個体が即座に視界へと滑り込んで来る。空は常に騒がしく、赤いランプが尾を引き、銃声が止むことはない。

 ノアはポーチの中に並ぶ弾倉を指先の感覚だけで数えながら、詰み上がった残骸の壁に身を押し付け問いかける。

 

「ユウカちゃんの方は、どうですか?」

「こっちも似たようなものよ、弾薬もそうだけれど、防壁のバッテリーも――」

 

 答えながらユウカは一瞬だけ視線を落とし、身に着けたベルトのマガジンポーチを確認する。ずらりと並んでいたそれは既に殆どが空で、腰裏に身に着けていた予備ポーチの中にあと六本、弾倉を残すばかりである。

 未だ飛び交うドローン群を見上げれば、とても十分とは云い難い。

 加えてポケットに押し込んでいた防壁展開用の端末を意識する。既に何度、電磁防壁を展開し攻撃を防いだ事か――バッテリーの残量は、既に心許ない。

 

「……コユキ」

 

 周辺には、撃墜されたドローンの残骸が山のように積み上がり、即席の遮蔽として辛うじて役立っている。その陰に身を潜めながら、ユウカは苦々しい表情を浮かべた。

 そっと、背後を振り返る。

 

「っ、ぅ――ッ!」

 

 一帯のドローン、そのクラックを引き受けたコユキは、積み重なった鉄屑に身を寄せながら、瞬き一つせず、血走った眼で端末を睨みつけていた。

 ホログラム投影機能により、彼女の目前には電子コンソールと複数のモニタが投影されている。淡く発光する画面には高速で書き換わり続けるコードと解析ログが洪水のように流れ、彼女はそれを必死に目で追い続けている。

 

 ――手強い。

 

 コユキの両手は忙しなく電子コンソールの上を走り、彼女は内心で感嘆の息を吐いた。今まで破ってきたどんな相手よりも、対応の速度が段違いである。

 それもある種、当然の事なのかもしれない。向こう側の自分、異なる世界の黒崎コユキは自身が意識的に活用しようとしてこなかった才覚()を限界まで研ぎ澄まし鍛え続けた果ての者である。ましてやそれが、己の自儘の為であるとか、趣味だとか悪戯の為だとか小規模な使用用途ではない。鍛え続けなければ終わりを迎える、文字通り世界の全てから自身の居場所を守る為に血反吐を吐いて振るい続けた刃なのだ。

 その練度は最早、同じ黒崎コユキであっても別次元の領域に踏み込んでいると云って良い。

 

 現状は既に、『機能単位の奪い合い』へと縺れ込んでいた。

 操縦権限、映像フィード、兵装ロック、帰還判断、全てのドローンが此方を攻撃している訳ではなく、既に半分近いAMAS、ドローンは此方の命令と向こうの命令が衝突し、暗号エラーが多発、フェイルセーフ機能によって空中での旋回待機、AMASは武装をロックした上での待機状態へと移行している。

 

 しかし、それでも半分。

 

 黒崎コユキがなりふり構わず全力で挑み、味方に出来た訳でもなく、純粋に安全停止に持ち込んだ機体が半分なのだ。残りは未だ向こうの制御下にあり、同時に機能停止させたドローン群にも再起動の手が及んでいる。

 少しでも気を抜けば、メッシュ経由で権限が伝播し一気に再起動まで持っていかれるだろう。既に停止したドローンを防衛しながら、同時に稼働を続けるドローンの機能を奪取し無力化する為、コユキは打鍵を続ける他なかった。最悪フェイルセーフ機能を働かせられなくても兵装ロック権限や、映像フィードを奪う事が出来れば相手の戦力は大きく削れる。

 だが、それでも圧倒的に手が足りない。

 此方が十の作業を終える間に、向こうは二十、三十と手を進めていた。それが未だ残った稼働中のドローン、半数であり、自分達の実力差である。

 

 コユキは生まれて初めて、押し負けるかもしれないと思った。

 どんなセキュリティでも、防備であっても、指先一つで簡単にこじ開けて来た自分が、真正面からの解読速度で押し負ける等と。

 これまで自分の才覚や技能に何ら関心を寄せた事が無かった彼女であったが、対面した理不尽の権化とも思える速度は、正に彼女をして敗北を感じさせるには十分な代物だった。

 

「まっ――」

 

 血走った眼で、流れ続けるログを追い続ける。

 脳を限界まで酷使した代償か、コユキの鼻から赤色となって垂れた。頭蓋が軋む、目の奥がジクジクとした鈍痛を発し始めた。けれどそれは、この手を止める理由に足らない。

 周囲を弾丸や破片が飛び交っていようと、彼女は一切反応しなかった。世界が端末の向こう側にしか存在していないかのような集中力で以て、只管にホログラムコンソールを叩き続ける。

 

「まだッ……!」

 

 歯を食い縛り、コユキは低く唸る様に呟いた。

 指先の筋肉が熱を持ち、嫌に体が強張った。しかし、わずかな突破口を探り続ける為にも、彼女はまだ負けていない、勝ちの芽はあると、そう自分に云い聞かせ続ける。

 

「―――」

 

 ユウカとノアは、その鬼気迫る姿を一瞬だけ視界に捉え、すぐに前方へと意識を戻した。

 

「どうやら、こっちも腹を括らないと駄目みたいね」

「……えぇ、確かに」

 

 短く、二人は言葉を交わす。そこには態々口に出さずとも通じ合うものがあった。

 自分達の直ぐ後ろで、後輩が死力を尽くしている。

 その事実が、二人の背中にずっしりとした重みを齎した。

 ユウカは散発的に弾丸を撃ち込んで来るドローンに応射を行いながら、大きく息を吐き、自らの逃げ道を断つように覚悟を固めた。

 

「ノア、手を止めずに聞いて頂戴」

「……!」

 

 ノアは銃口を丁寧に動かし、空中を飛び回るドローンを一機ずつ撃ち落としながら耳を傾ける。乾いた銃声とマズルフラッシュの後、爆炎と衝撃が肌を撫で、直ぐ横を金属片が転がって行った。それを視界の端で追いながら、ユウカの真剣な横顔を一瞥する。

 

「多分この調子だと、ドローンを全てこっちの制御下に戻すのは難しいわ、無力化も同様に、当たり前だけれど向こうも私達の知るコユキなら、解析能力は同一以上の筈――そしてこのまま持久戦を続ける訳にもいかない、時間が経てば経つほど明確に私達にとって不利になるもの」

「……サンクトゥム攻略開始から既にそれなりの時間が経過しています、これ以上は作戦の足並みを崩しかねない、加えて此方の継続戦闘能力にも底が見えてきました、心理的な臨界点と敵戦力の可視化ライン、攻勢転換可能地点は直ぐそこという訳ですね」

「勿論、それもあるわ」

 

 けれどそれ以上に問題なのは、コユキの負担だった。

 相手の能力は、彼女と同等――いや、現状を鑑みればそれ以上の可能性が高い。

 コユキ自身も文字通り、死力を尽くして事に当たってくれているが、それでもその進捗は決して良好とは云い難い。

 既にそれなりの時間、このドローンの墓場とも云える場所で交戦を続けている。これ以上は作戦全体に致命的な遅れを生じかねない。

 故に、何らかの突破口が必要だった。

 

「この道」

 

 ユウカが顔を上げ、瓦礫と鉄屑が散乱する戦場の中に、一本の空白を見出した。ノアが彼女の視線を追い、空間を瞳でなぞる。

 

「この、向こうのコユキまで続く真っ直ぐなライン」

 

 視界の先、もう一人のコユキが佇む地点まで。

 ユウカが捉えた空白は、自分達が身を潜める遮蔽から積み上げた残骸を抜け、距離凡そ百メートル未満、七十メートル以上といった所。

 道中の遮蔽物は乏しく、盛り上がった鉄屑の小山が幾つか影を伸ばす程度。

 その道筋を瞳でなぞったノアは、何かに気付いた様に声を上げた。

 

「まさか、ユウカちゃん」

「……えぇ、そのまさかよ」

 

 短く頷き、ユウカは双銃――ロジック&リーズンを構え直した。

 銃身が静かに揃って天を仰ぎ、ユウカの双眸が細められる。

 

「――私が飛び込んで無力化するわ、その間コユキの護衛をお願い」

 

 単身で、向こう側のコユキを抑えに行くという選択。

 ユウカが提示したのは、そんな博打染みた賭けであった。

 

「単身で、切り込むつもりですか」

 

 唸る様に、ノアは声を発した。

 確かにドローンを全て撃墜するという選択が現実的ではない以上、その制御権を奪い返すか、或いは握る人物を物理的に無力化するというのは有効な選択肢である。

 問題は後者を選ぶ場合、確実に相手の意識を奪う為の火力が必要となり、それが無い場合はある程度接近して身を晒しながら撃ち合わなければならないと云う点である。

 この、ドローンの銃撃に塗れた道中を突破して接近し、決定打を叩き込む。

 遮蔽を使わず、殆ど身一つで。

 

 不可能だ。

 ノアはこれまでの戦況と相手の戦力、現在の装備、ユウカの力量を冷静に分析しながら胸中で断言した。

 いいや、確かに確率はゼロではない、しかし圧倒的に分の悪い賭けである事は確かであった。

 

「ユウカちゃん、流石にそれは賛成しかねます」

「これしか方法が無いの、これ以上時間は掛けられない、そしてコユキの負担が大きい以上、多少強引にでも突破口を開くのは合理的よ――大丈夫、既に最適動線の算出は終わっているわ、全てのドローンとAMASが稼働状態だったら万に一つも成功はあり得なかったけれど、この数ならまだ、防壁で逸らしながら進めば辿り着ける筈だから」

 

 何も出来なくなってからじゃ遅い、攻勢転換可能ラインを下回る前に。

 残り少ないバッテリー残量でも、足掻く余地は残っている。

 云い切り、ユウカは改めてノアへと視線を向ける。

 

「だからコユキをお願い、ノア」

「………」

 

 顔を傾け、此方を覗き込む双眸。

 ノアは一瞬、その瞳を真正面から見返しながら唇を薄らと歪めた。それは胸中に湧き上がった様々な心境、感情が綯い交ぜになって堪え切れない分が表出してしまった結果だった。

 数秒、銃声と閃光が瞬く戦場の只中で視線を交わした両者。思わずぽろりと、ノアの唇から言葉が漏れる。

 

「……先生か、或いは、会長の影響でしょうか」

「――?」

 

 呟きは、爆発と銃声に掻き消えユウカの耳には届かない。けれど、何かを呟いたのは分かった。

 けれど聞き取る事が出来なくて、「ノア?」とユウカは問いかける。けれどノアは肩を竦め、愛銃を揺らしながら仕方なさそうに首を振った。

 

「いいえ、分かりました……コユキちゃんの事は、私に任せて下さい」

「ノア、ありがとう」

「でも、ユウカちゃん」

 

 ノアの掌が、軽くユウカの肩を叩く。

 至近距離で、互いの目を覗き込む。

 

「――必ず、無事に帰って来て下さいね」

「……当然よ、私の計算はいつだって完璧(かんぺき)なんだから」

 

 お道化る様に、けれど言葉に迷いはなく、ユウカは短く息を整え、自信ありげに笑ってみせた。

 その表情は、状況の過酷さを一切感じさせない。だが、ノアには分かる。その裏で、どれほどの変数と危険を織り込んだ上での笑顔なのか。

 

「コユキッ!」

「……っ!」

 

 ユウカは即座に意識を切り替え、後方にいるコユキへ向けて鋭く声を投げる。戦場の喧騒の中でも、その呼びかけは真っ直ぐコユキの元へと届いた。ホログラムモニタを凝視していたコユキの肩が微かに震え、瞳だけが一瞬持ち上がる。

 

「後三分、三分だけで良いから、全力でドローンをこっち側に引っ張りなさいッ!」

「ゆ、ユウカ先輩……?」

 

 唐突な指示、同時に生まれる一瞬の戸惑い。

 一体、何をするつもりなのか、返答からは強い疑念の色が滲んでいた。しかし説明する時間は無い、そしてそもそも説明など彼女にとって不要だとユウカは判断していた。積み上がった残骸に肩を押し付けながら、深く、深く息を吸い込む。頭上を銃弾が掠め、ユウカの靴底がスクラップを踏み締めた。

 

「行くわよ、ノアッ!」

「いつでも、ユウカちゃん!」

 

 言葉を交わし、短く頷き合う。

 銃声、爆発音、ドローンの駆動音。そのすべてを背景に、互いの呼吸だけを感じ取り、踏み出す瞬間を伺う。その背中を目視し、コユキは咄嗟に顔を上げ声を発した。

 

「待っ……!?」

「コユキ!」

 

 地面を踏み締め飛び出す、その刹那。

 ユウカは積み上がった残骸を勢い良く飛び越えながら、素早く振り返った。

 一瞬だけ。

 一瞬だけ重なり合う、互いの瞳。

 その一瞬に込められた意志は明確で、力強く、鮮烈だった。

 

「――三分、絶対にしくじるんじゃないわよッ!」

 

 掛けられたそれは、命令ではない。

 叱責でも、無茶振りでもない。

 全てを預けるという、揺るぎない信頼。

 

「―――」

 

 コユキは息を呑む。ユウカの背中は直ぐに積み上がった残骸の小山に遮られ、向こう側へと消えた。響き渡る銃声は瞬く間に数を増やし、影は閃光に照らされる。一秒、たった一秒指が止まった。けれど次の瞬間には、先程よりも力強くホログラムコンソールを叩いた。

 胸の奥で何かが弾け、不安よりも先に覚悟が形を成す。

 

 応えねばならないと思った。

 応えられると、信じられているから。

 負けるもんか、と胸中で再び呟いた。向き直った画面の向こう側、ホログラムに映る無数の情報を、今度は逃さず、叩き潰すために指を動かす。

 

「さぁ、行くわよ……!」

 

 静かに、しかし確かな決意を込めて。

 遮蔽を飛び出し、戦場の中心へと踏み出したユウカは呟く。

 ユウカはもう、振り返る事をしなかった。近場のドローンを銃弾で薙ぎ払い、同時に鉄屑を踏み締め前だけを見据える。視界に映る一直線のライン、詰み上がった無数の残骸の先に立つのは、背後の後輩と同じ顔をした――異なる世界のコユキ。

 俯き、未だ何事かを不気味に口ずさみ続けるコユキを再び視界に捉えたユウカは、大きく息を吸い込むや否や、全力で叫んだ。

 

「コユキーッ!」

「―――」

 

 声は周囲の銃声、爆発音、駆動音に負ける事無く、彼女の耳へと届いた。

 反射的に顔を上げ、両者の瞳が赤空の元交差する。

 力強く地面を蹴飛ばし、ユウカはあらん限りの力で駆け出す。衝撃で無数の金属片が散らばり、粉々になったパーツが虚空に弾けた。

 

 迷いなく、矢の如き勢いで飛び込んで来るユウカ、彼女を目視した異なる世界のコユキは――その無謀に、面食らった様に目を見開いた。

 

「く、ははっ、あははッ……!」

 

 知らず、湧き上がる感情に身を任せ口元を歪める。

 哄笑――視界の先でユウカが双銃を突き出し、引き金を絞った。

 閃光が瞬き、連続した銃声と共に弾丸が降り注ぐ。佇むコユキ目掛けて遠方より放たれたそれは、しかし即座にAMASが前面に集結し、即席の盾となって悉くを弾いた。

 鋼鉄に阻まれ飛び散る火花、甲高い金属音、それらに彩られながら彼女は歪な口元を晒し叫ぶ。

 肌を伝う赤い血が、躍動と共に跳ねた。

 

「この状況で、これだけの数を前にして、それでも飛び込んで来るんですかぁユウカ先輩!? そんな合理性の欠片も無い、随分先輩らしくないじゃないですか! そんなんじゃ、私をどうこうするなんて、夢のまた夢ですよ……!」

「確率は、ゼロじゃないわ――ッ!」

 

 彼女を守る様に、赤いランプを灯したドローン群が一斉にユウカへと殺到する。

 遮蔽から飛び出した分、あらゆる方角からの射線が通った。

 視界に瞬く閃光、前後左右、飛び交う攻撃を紙一重で避けながら、ユウカは懸命に駆け続ける。足元を掠める銃弾、耳元を切り裂く金属片、それらを一瞥する事無く鋭角を描き走り続け、速度は決して落とさない。

 踏みつける地面が、鉄屑の墓場が、鈍い音を響かせ続ける。

 

「待っていなさいッ! 今、そっちに行って、とっ捕まえてやるんだからッ!」

「無理ですよぉッ!」

 

 コユキは、ユウカの叫びを冷たく切って捨てた。

 そこには嘲笑の色より、自嘲の色が灯っていた。

 足掻きの結末を知っているかのように、彼女は口元を大きく歪める。

 顔を覆う指先、その爪が皮膚に食い込み、薄らと表面を傷付けた。じわりと滲む赤が爪に張り付く。

 

「どうせ無理です、無理に決まっています……! そうだ、だって、そうじゃなきゃ――ッ!」

 

 そうでなければ。

 自分の選択も、ここまで積み重ねてきた行為も、失った多くのものも、何もかも――。

 だが、コユキの言葉は最後まで形にならない。

 

「っ、はッ!」

 

 ユウカは歯を食い縛り、全力疾走を続けながらドローン・AMASの銃撃を潜り続けた。空間を切り裂く弾幕、その僅かな隙間を読み切り、身体を滑り込ませるように前へ、ただ前へ。

 

 しかし百を超えるドローン群の弾幕を延々に回避し続ける事など不可能だ。時には回避不能な一撃を齎し、死角より放たれた弾丸が皮膚を強かに叩いた。

 脇腹に突き刺さった弾丸が防弾仕様の制服を貫通し、ユウカは歯を食い縛って苦悶の声を押し殺す。

 

「くぅ――ッ」

 

 鈍痛と衝撃に堪らず、顔が歪んだ。

 しかし衝撃に怯み、足を止める事はしなかった。代わりに握り締めた双銃を振るい、反射的に引き金を絞る。

 進路上で最も脅威となる、或いは障害となり得る機体を即座に判断し、弾丸を浴びせる。此方の進路を遮る様に滑り込んで来たAMASへと、ユウカは前進したまま引き金を引いた。

 銃口から飛び出す無数の弾丸が装甲を叩き、表面を凹ませ、関節に食い込む。

 火花を散らし、身を捩る様にして半回転したAMASをユウカは何の躊躇いもなく全力で蹴飛ばした。

 勢いそのままに地面へと転倒したAMASはジャンクの中へと転がり、火花と共に小規模な爆発を巻き起こす。爆風が背を押し、幾つかの金属片がユウカの肩を掠めた。

 ユウカは一切の反応を見せず、爆炎を背負い、ただ前だけを、コユキだけを注視し駆け続ける。

 

「―――」

 

 一瞬だけ呼吸を整え、先程の銃撃で空になった弾倉を切り離した。

 軽い音と共に、弾倉はスクラップの中に埋もれて見えなくなる。

 片方の愛銃を脇に挟み込み、駆けながら手慣れた動作で交互に弾倉を換装、途中視界の端でポーチを確認する。

 残りの弾倉は、四つ。

 実に心許ない残弾であった。

 

「うッ!?」

 

 他に意識を裂いていた、その間隙を突いた一撃。

 不意に視界の端で閃光が瞬き、足元で弾丸が弾けた。詰み上がった外装の破片が舞い、飛び散ったそれがユウカの膝元へと直撃、皮膚を裂く。

 痛みと衝撃にバランスを崩し、身体が大きく傾いた。

 

 一歩分――動作が遅れた。

 瞬間突きつけられた無数の銃口が火を噴き、無数の弾丸がユウカの身体を捉える。咄嗟に頭部を防御した両腕に数発の弾丸が食い込み、体を折り曲げたユウカは弾幕の勢いに押し切られ進路を大きく逸れた。

 腕越しに着弾した幾つもの弾丸が頭部を揺らし、ぐらりと視界が傾く感覚。胸が圧迫され息が詰まった、一瞬ユウカは呼吸を忘れる。

 

「ユウカちゃんッ!?」

 

 背後からノアの叫び声が聞こえた、けれど応えるだけの余裕が無かった。

 咄嗟に受け身を取ろうとして、しかし四肢は彼女の意識に反し踏ん張る事が出来ず、けたたましい金属音と共に鉄屑の小山へと突っ込む。

 

「かはッ……!」

 

 固く冷たい金属が全身を打ち据え、ユウカは積み上がった無数のドローン、その残骸の中に埋もれた。苦い血の味が口に広がって、ユウカは苦悶の吐息を繰り返しながら身を捩る。

 パラパラと落ちていく金属片が、ユウカの肌を無機質に撫でた。

 

「ま、まだ……ッ」

 

 歯を食い縛り、小山を肘で押し退けながら呟きを漏らす。

 だが、持ち上げた視線の先――前方向、駆動音を鳴らす幾つものドローンが視界を覆った。

 否、前方だけではない、突出したユウカを包囲する様にAMASが、ドローンが配置されつつある。

 空中で旋回し、陣形を組み、通路を塞ぐように密集していくドローン。ユウカが見出した空白を、一本のラインを閉じる様に整然と集結するAMAS群。

 まるで、ここで終わりだと告げる高壁の様に聳え立つそれに、ユウカは堪らず息を詰まらせる。

 

「……ッ」

 

 衝突の瞬間に切ったのか、薄らと額から流れる血を拭う事もせず、ユウカは甲鉄の残骸に身を預けながら唇を強く噛む。

 視界に瞬くレッドランプ、此方に銃口を向けるドローンの数は一体どれ程か。数える事が馬鹿らしく思える程度には、視界を埋める赤い光は数を揃えていた。

 

 この数のドローンを相手取って突破するには手持ち火力も手も足りない、そして次の一斉攻撃を防げるだけの余裕も、兵装もない。ポケットの中にある端末を意識する、電磁防壁の展開は出来て後一度か二度だろう、ましてやこれだけの数から撃ち込まれる弾丸を逸らせるだけのバッテリー残量は無かった。

 

 万事休すだ、ユウカの冷徹な理性が告げた。

 どう考えても此処からドローンを撃退し、目標の元へと辿り着けるわけがない。

 自身の進める道は、此処までだ。

 一瞬、僅かに滲み出た強烈な理性と合理が告げた。

 

 ――だが。

 

 諦観にユウカが呑まれかけた時、唐突に、何の前触れも無く赤空より青白い光が一条、ユウカ達の元へと到来した。

 何処までも広がる赤色を裂き、一直線に突き進むそれらはユウカを、ノアを、コユキを貫き、同時に包み込む。

 光が肌に触れた瞬間、全身が淡い光に覆われ、ヘイローにノイズが走り、四肢に微かな痺れを憶えた。

 これは――。

 ユウカは目を見開き、咄嗟に顔を上げる。赤空の向こう側は濁り、良く視認する事が出来ない。

 しかし、齎された感覚には覚えがあった。

 照準補正、被弾予測、射線、自身の死角と敵の予測、現状から目的地への最短突破ルート、無数の情報が一瞬で脳裏を駆け巡り、視界に瞬く。

 青のラインが、視界に沿って示していた。

 

 ここは、こう進めば大丈夫だよ、と。

 

「させる、もんかぁ――ッ!」

 

 後方から濁り、絞り出したような叫びが響いた。

 コユキがホログラムコンソールを叩きつけるように操作する。指先は最早目視も難しい程の速度で走り、ユウカを包囲したドローンを阻害せんと限界を超えて動いた。

 

 ユウカが口にした三分間、最早両手の指先が砕けても構わないという勢いで酷使する彼女は、先程よりも数割増しの速度で刻一刻と変化するログを視線で追い、一瞬、ほんの一瞬驚異的な処理能力を発揮する。

 

 濁流の如く流れるログと共に、周辺のドローンが異音を発し一斉に硬直。

 空中でホバリングしたまま動きを止めるドローン、中央のランプを点滅させ武装を収納するAMAS。

 銃声が一瞬止み、異様な静寂がユウカの周辺一帯を包み込んだ。

 その結果を見届け、鼻血を垂らしたままコユキはホログラムモニタを睨み付け叫ぶ。

 

「ユウカ先輩! 行って(進んで)下さいッ!」

 

 打鍵を続けながら彼女の名を呼ぶ。

 擦れた、必死な声色だった。

 未だ少なくない数のドローンに襲撃されながらも、コユキが稼いだ、ほんの一瞬。

 瞬きの間、僅かな時間。

 だが、それで十分だった。

 

「―――」

 

 導く様に伸びた、青いライン。

 ユウカの瞼に滴る赤が、目尻に滲んで頬に落ちた。

 先程までマズルフラッシュと鉛玉、赤いランプに彩られた視界、それが今や静寂と共に道が開けた。

 伸びた青い光が、先生が示してくれている。

 

 自分の、駆けるべき道を。

 

 そう思った瞬間、先程まで滲んでいた諦観の念は瞬く間に何処かへと消え、彼女の身体は勝手に動き出していた。ポケットに仕舞い込んでいた端末に触れ、彼女は血の混じった声で咆哮する。

 

防壁展開(Q.E.D)――ッ!」

 

 草臥れ、痛みを訴える身体に喝を入れ、ユウカは甲鉄の小山を蹴飛ばし、停止したAMASの機体へと我武者羅に突貫する。自身の道を塞ぐ様にして配置されたAMAS群、その先頭に立っていた機体を遠慮なく踏み台にして、ユウカは大きく跳び上がった。

 ガコン、と鈍い音がした。足場となったAMASの上部装甲が大きく凹み、反動で派手に転倒、隣り合う機体を巻き込みながらスクラップの中へと埋もれるのが見えた。

 

 空中、回避の余地が全くない姿勢。

 そこを遠方のドローンが一斉に捉え、銃口が火を噴く。

 しかし、弾丸がユウカの全身を打ちのめす寸前――青白い防壁が展開され、周辺を包み込んだ。

 薄い光の膜は飛来した弾丸を全て逸らし、そのままユウカの体は進路上のAMASを踏みつけ、縺れる様にしてスクラップの中へと突入する。

 

「っ!?」

 

 甲高い衝撃音と破砕音、飛び散った金属片が音を鳴らし、土埃が巻き起こる。

 異なる世界のコユキは飛び散った残骸から頭部を守りながら、薄らと巻き上がった土埃越しに立ち上がる人影を視認した。

 スクラップを踏み締める、甲高い音。金属同士の擦り合う不協和音。倒れ伏したAMASには目もくれず、薄ぼんやりとした影は一歩、また一歩と近付いて来る。

 

「ハァッ、ハッ……!」

「―――」

 

 荒い呼吸が止まらなかった。

 胸元が焼けるように痛み、体の彼方此方から汗と血が滲んでいる。

 此処に至るまでのダメージ、疲労は大きく、残弾は心許ない。

 虎の子の防壁も経ったバッテリー残量が底を突いた。

 これからが本番だというのに、此方の手札は余りにも少ない。

 

 だが、それでも辿り着いた。

 その事実が彼女の心を、身体を、奮い立たせる。

 

「説教を、しに来たわよ」

 

 血の混じった唾液を吐き捨て、口元を乱雑に拭い、影は改めて告げる。

 目の前に佇むコユキは、呆然と立ち尽くす他なかった。

 ただ、自分の良く知る彼女の様に、いつかの姿と同じように立ち上がる先輩の姿を見て――自身の胸元を強く、制服に皺が出来る程に強く握り締めていた。

 

「――コユキ」

 

 傷だらけの早瀬ユウカ(先輩)

 汗と血に塗れたまま放たれた言葉が、コユキの鼓膜を震わせた。

 

「……は、ははっ」

 

 一瞬の沈黙の後、乾いた笑い声が漏れる。

 コユキはユウカを見つめたまま、空虚な、それでいて何処か悲壮感を漂わせる笑い声を上げた。握り締めたマリ・ガンのグリップが軋み、錆び付いた外装が小刻みに震える。

 それから彼女は堰を切ったように声を張り上げ、嗤った。

 

「あははハハハ――ッ!」

「なに、笑っているのよ、あんたはッ!」

 

 対峙したユウカが怒声を上げ、勢い良く銃口を突きつけた。同時にコユキは脇に挟んでいたマリ・ガンを振り回す様に構え、その銃口をユウカへと突きつける。

 

 両者、ほぼ同時に引き金が絞られ、銃声が重なった。

 閃光が網膜を焼き、両者の手元が僅かにブレる。コユキの弾丸はユウカの頬を掠め赤空の向こう側へと抜けていった。反対にユウカの放った弾丸はコユキの首元を掠め、飛び散ったスクラップが鈍い音を立て弾ける。

 尾を引く残光に、両者の影が伸びる。

 

「こうやって嗤わなきゃ、やっていられないんですよぉッ!」

「ッ、良い加減にしなさいよ、コユキ!」

 

 連続する銃声、腰だめにマリ・ガンを構え狙いもつけずに弾をばら撒くコユキに対し、ユウカは薙ぎ払う様に放たれた弾丸を潜り抜けると、マリ・ガンの銃口を全力で蹴り上げた。

 銃口は上に跳ね上がり、コユキが数歩を蹈鞴を踏む。その分だけ、ユウカは更にコユキへと詰め寄った。

 

 長物故、懐に入り込めば対処は容易い。ましてや本来、黒崎コユキは逃げ足こそ速いが戦闘能力は然程でもない。

 何度も追いかけ回し、捕まえて来たのだ。

 その事は良く、知っていた。

 

「此処までよ、観念なさい! これだけ近付けば、ドローンの援護も受けられないんだからッ!」

「その光、その青色――ッ」

 

 投降を呼びかけるユウカに対し、コユキは一切の反応を示さない。彼女の瞳は、ユウカを包み込む青を捉えて離さなかった。そこには身を焼くような強い、強すぎる羨望と自責の念が籠っている。

 

「それが、正しい世界の力って事ですか!?」

「はぁ!?」

 

 至近距離で唐突に投げかけられる言葉。

 ユウカは、一体何の事だと顔を顰める。

 言葉の意図が理解出来なかった。

 

 しかし、目の前に迫るコユキの表情を改めて視界に捉え、思わず怯んだ。

 涙ぐみ、見開いた瞳の向こう側でコユキは真摯に訴える。

 口元は歪み、笑みを象っているだろう――しかし、痛々しい程に震える唇と濁り、血走った瞳は決して嘘を吐かない。

 

「間違った私達は、やっぱり消えるしかなくて……っ!」

 

 蹴りつけられたマリ・ガンを両腕で支え、そのまま頭上より全力で振り下ろす。ユウカは迫るマリ・ガンの影に気付き、咄嗟に半身になって躱した。

 頬をバレルが掠め、銃口がスクラップに埋もれた地面を強かに叩く。積み重なった金属片が周囲に飛び散り、光沢がユウカを包む青を反射した。

 

「どれだけ望んでも、求めても、結局は意味なんてなくて――ッ!」

 

 見開かれた瞳の向こう側、コユキの最奥に底知れぬ暗闇が覗く。ユウカはその深さと冷たさに、云い知れぬ怖気を憶えた。

 宛ら鈍器の如く愛銃を振り回すコユキ、理性などというものは既に存在していなかった。彼女と共に幾多もの修羅場を乗り越えたマリ・ガンは頑強そのもので、全力でスクラップの小山へと銃身を叩きつけてもビクともしない。

 今はその、ブリキの如く色褪せ錆び付いた外装が、途轍もなく強固な甲鉄そのものに見えた。

 

「ならっ、私は……!」

 

 二撃目、横合いから大ぶりの薙ぎ払い。凡そ汎用機関銃の扱いではなく、しかし無視できるほど軽い一撃でもない。ユウカは咄嗟に愛銃二つを盾代わりに構え、瞬きの間にマリ・ガンと正面からぶつかり合った。

 両腕に衝撃が走り、硬質的な音が鳴り響く。外装が擦れ合い、ユウカを包み込む淡く、青白い光が薄らとコユキの表情を照らしていた。

 

 そう、青白い光。

 コユキは、これを知っている。

 その温かさを忘れない。

 この光に何度も救われた。

 何度も力を借りた。

 

 そうだ、これは――先生(あの人)の力だ。

 

「私達は、一体何の為に――ッ!」

 

 コユキの悲哀を孕んだ叫びは、ユウカには届かない。

 彼女らしからぬ必死の声、感情を察する事は出来る。しかし、そこに至るまでの過程が余りにも異なるが故に。

 全力でマリ・ガンを押し込むコユキに対し、ユウカは足元のスクラップを擦りながら辛うじて堪えて見せた。

 額に汗が滲む、湧き上がる怖気を押し殺しながら彼女は自身を奮起させる。

 

「なに、訳の分からない事を、云っているのよっ!?」

 

 怒りと苛立ちを含んだユウカの両腕が、マリ・ガンを勢い良く跳ね退けた。愛銃を抱えたまま数歩蹈鞴を踏んだコユキはざっくばらんになった長髪を振り回しながら、引き攣り、歪な笑みを浮かべたまま顔を上げユウカを睨みつけた。

 

「ユウカ先輩ッ!」

「何よ!?」

 

 返答があった。

 勢い良く返されたそれに、コユキは懐かしさと物悲しさを覚えた。

 

 ――大いなる力には、大いなる責任が伴う。

 

 この言葉を最初に口にしたのは誰だったか。

 ユウカ先輩か、ノア先輩か、リオ会長か、それとも――先生だったか。

 コユキはもう憶えていない、憶えていないのに、その言葉だけは脳裏に張り付いて消えなかった。

 大きな力を自分が持っているなんて一度も想った事は無かったのに。

 その地位(瞬間)に自分が至った瞬間に、目に見えぬ重みを自覚するのだ。

 それは黒崎コユキにとって、余りにも苦しい現実だった。

 

「全部、全部、私のせい(責任)なんですッ!」

 

 唐突に、彼女は懺悔の如く己の罪悪をさらけ出した。

 そうするべきだと思った訳ではない。

 ただ、もう耐えられなかったのだ。

 

「はッ!?」

 

 吐き出された言葉に一瞬、対峙するユウカは面食らう。

 しかし間髪入れず振るわれるマリ・ガンを視界に捉え、咄嗟に半歩退き上半身を逸らす。

 目と鼻の先を、火薬の香りが掠め、風切り音が鳴った。

 バレルが振り抜かれ、その奥から鈍い光を放つローズカラーの瞳が覗いていた。

 表面に瞬いていた溌剌としていて、どんな時だって消える事のなかった一番星は、もう何処にも見えない。

 彼女の瞳はもう、ずっと前から暮明の中にある。

 

「ミレニアムが無くなったのも、先生が居なくなっちゃったのも!」

「――ッ」

「リオ会長が戻って来れなくなったのも、ノア先輩が消えちゃったのも、ユウカ先輩のヘイローが壊れちゃったのも……全部、全部ッ!」

 

 全て、己の責任であると彼女は声高に叫ぶ。

 叫びながら、嗤っていた。

 しかし、彼女からすれば――嗤ったという自覚さえなかった。

 虚勢ではない、ただ自身に対する失望と罪悪の念、自己嫌悪、この世界に対する羨望と嫉妬、目の前のユウカに対する懐かしさ、申し訳なさ、哀愁と惜別、そう云ったものがごちゃ混ぜになって、自分でもどんな顔をすれば良いのか分からなくなっていたのだ。

 血走った目から、涙と血の混じった雫が零れ落ちた。口元は綺麗な笑みを浮かべようとして失敗し、歪な、狂気的とさえ思える角度を保った。

 コユキただ胸中に渦巻く強烈な感情に呑まれまいと、腹の底から怨嗟に等しい声を絞り出し続けていた。

 その感情こそが、コユキを二本の足でこの場に立たせている。

 

「だから、どうか教えてくださいよッ!」

 

 ユウカ先輩。

 あの日、全てを失った黒崎コユキの前に現れた、あの頃と同じ顔を、声を、心を持つ存在。

 彼女は心から、真摯に、切実に、問いかける。

 

「―――」

 

 ユウカの攻め気が、削がれていた。

 嗤い、涙を流し、口元を歪ませ、懸命に叫ぶコユキを前にユウカは改めて銃口を向ける事が出来ない。自分の良く知る後輩と同じ顔、同じ声、だと云うのにその心は既に粉々に砕けてしまった様子で。

 応じる様にユウカの心が、呼応する様に軋んだ。

 

「くぅッ!」

 

 咄嗟に防御姿勢を取る、重ねた双銃にマリ・ガンのバレルが勢い良く衝突。足元のスクラップを三度擦りながら、ユウカの体は後方へと押し込まれる。

 マリ・ガンの外装と重ねた双銃の外装が擦れ合い、ギチギチと音を鳴らす。前のめりに、全体重を掛けて此方へと踏み込むコユキ。

 血と涙の混じった瞳、見開かれた瞳孔がすぐ目前へと迫る。互いの愛銃を押し合いながら、昏く、淀んだ瞳の表面に、ユウカの驚愕と困惑に彩られた表情が反射していた。

 

「私が悪いのに、全部私の責任なのにっ! どうしてユウカ先輩は、あの時、私に、わ、悪くなって……! 私は、悪くないってッ!」

「コユキ、あんた……ッ!」

 

 ■

 

 

【コユキ――貴女の責任(せい)じゃないわ】

 

 

 ■

 

「なんでっ、あんな風に云ったんですかぁッ!?」

 

 掠れ、絞り出された絶叫が、至近距離で視線を交わすユウカの総身を打った。

 血を吐き出す様な苦痛を伴った叫びだと思った。

 カタカタと、擦れ合う銃身が音を鳴らす。外装が軋み、見開かれたコユキの瞳がユウカを真正面から捉えて離さない。

 罅割れた唇、剥き出しの犬歯、渇いた肌、自らの爪で傷付けた頬、其処から滴る赤が涙に混じりマリ・ガンの上へと滴る。

 彼女は疾うの昔に――限界だった。

 

「だって、だってユウカ先輩、いっつも私のせいにするのにッ! 怒って、私が幾ら云い訳しても、全然聞いてくれなくって――!」

 

 ■

 

【立たなきゃ、立って……決算書と、ゲーム開発部の、部費】

 

 あの日の事は、いつまでも憶えている。

 恐らく黒崎コユキという存在が掻き消える、その瞬間までずっと。

 自身はこの記憶を忘れないのだと思う。

 

【違う、私は、セミナーとして……生徒会長(ビッグシスター)の代行として、生徒への避難勧告と、学園封鎖(ロックダウン)の実行を】

 

 鳴り止まない警告音、非常灯に照らされた長い廊下に続いていた何かを引き摺った様な、赤黒い血痕。

 それを追った先に見つけた、小さな人影。

 多分、ずっと一人で学園へと入り込んだ自律兵器と戦い続けていたのだろう。コユキがその姿を見つけた時、彼女は壁に肩を預けたまま白いリノリウムの床に座り込んでいた。

 足元の赤黒い血だまりが、非常灯を反射して不気味に煌めいているのを憶えている。周囲には弾痕の散らばった自律兵器の残骸とオイル、飛び散った外装破片と空薬莢が転がっていた。

 それらを器用に足先で避けながら、一歩、また一歩と暗がりの中へと足を踏み入れる。久々に歩いたような感覚があった、ずっと地下に籠って頭を抱え、耳を塞ぎ続けていたから。

 

【あの人に託された、この場所を――】

 

 ぼそぼそと、警告音に混じって呟きが聞こえたような気がした。

 廊下をゆっくりと歩く、足音を気にする必要は無かった。耳を劈くようなけたたましい警告音が鳴り止まないから。遠くから爆発音と、銃声が聞こえて、建物全体が僅かに揺れた。

 その時自分は、壁に手を突いたまま恐る恐る、座り込む背中に声を掛けたのだ。

 

【ゆ、ユウカ先輩……】

 

 久々に発した声。

 辛うじて絞り出した呼びかけは、当然の如く警告音(非日常)によって掻き消された。彼女は振り向かない、気付かない。直ぐ傍まで歩みを進めた小柄な()に。ただ俯いたまま、ぼそぼそと何事かを呟き続ける。

 コユキは息を呑み込み、掠れた声を咳払いで整える。

 

【ノアは、何処に……皆は、逃げ切れたのかしら】

【ユウカ先輩……!】

【連絡して、無事を、確かめて、それから……】

【ユウカ先輩ッ!?】

 

 三度、彼女の名を呼んだ。

 最後は殆ど、悲鳴交じりの絶叫だった。

 堪らず大きく一歩を踏み込み、座り込んだ彼女の肩を掴む。

 ずっと大きな背中だと思っていた、自分にとっては恐怖の象徴と云っても良かった。

 でも純白であったセミナーの外套を、似合わぬ赤に染める彼女の背中を間近で見た時、何故だかその背中が、とても小さく見えたのだ。

 ピクリと肩が小さく跳ねて、彼女はゆっくりと振り向く。青痣に塗れ、半分塞がった瞼に、爆炎に炙られ焼け付いた肌。黒ずんだ煤を拭う事も出来ず、彼女は呆然とした様子で此方を見上げた。

 

【―――……コユキ?】

 

 ■

 

「―――」

 

 ユウカは一瞬、体を硬直させ目を瞬かせた。

 様々な感情や知らない筈の記憶がコユキの言葉と共に脳裏へと氾濫していたのだ。

 殆ど立ったまま意識を喪失していたに等しい。

 ヘイローが瞬き、心臓が凄まじい勢いで早鐘を打っていた。

 

 それでも辛うじて二本の足で立っていられたのは、目の前に大粒の涙を零し、懸命に訴えるコユキ(後輩)の姿があったからだ。

 擦り合うマリ・ガンに込められる力が、体重が、重みが、そのまま目の前の彼女の執念を物語っていた。

 

 コユキ、と。

 ユウカの唇から、殆ど吐息の様な声が漏れた。

 

「いっつも、いっつも怒っていたのに! 私の名前を呼んでっ! コユキィって! さっきみたいにッ! お説教だってッ!」

 

 背中に、嫌な汗が滲む。

 痛みは、身体的なものでは決してなかった。両者の瞳は互いのみが世界に存在するかの如く前を見据え、言葉以上に様々な感情を吐き出し続ける。

 腰に巻き付けた自身(ユウカ)の私物に酷似したベルトポーチが、コユキの叫びに合わせ揺れていた。白く、表面に幾つもの傷が散見されるそれは、けれど丁寧に何度も何度も手入れしたような痕跡がある。

 彼女にとって最後の(よすが)、目の前の黒崎コユキが身に纏うものは、恐らく全て。

 

「いっつも、いっつも私が悪いんだって、そう云っていたのにッ!」

 

 唾を飛ばし、涙を零し、不格好にも鼻水すら垂らして、酷い顔を晒したまま懸命にコユキは訴え続ける。

 どうして、何で――。

 黒崎コユキは、溢れんばかりの哀切で以て一歩を踏み込んだ。

 

「なのに、なんでぇ、何であの時だけぇ――ッ!?」

 

 ■

 

【他の皆は、無事なの?】

【わっ、分かりません……わ、私ずっと、ミレニアムタワーの下層で――】

【……そう、そうだったわね】

 

 コユキに、外界の事など分からなかった。ずっと地下に籠って、頭を抱えて、耳を塞いで、唇を噛み締めて、己の所業に後悔ばかりを募らせていたからだ。他者に目を配る余裕など、当時の自分には存在しなかった。

 

 でも、コユキが無事でよかったと。

 俯き、しどろもどろに応える自身を見上げながら、彼女はそう云って薄らと笑った。

 とめどなく赤が流れていた。

 非常灯の赤と、彼女の黒く濁ったそれは影の様に伸びていて。蒼褪め、力ない表情さえ、照らされた赤を前には濁りに覆い隠されてしまう。

 彼女の愛銃、ロジック&リーズン、二丁合わせてユウカの得物と表現されるそれは、しかし今手元に一つしか存在しない。多分、消えたのはロジックの方だ。コユキはそれとなく周囲を見渡し探ったが、もう一丁が見つかる事は無かった。視界が悪く、床に散らばった残骸は殆ど影としか形容出来ない状態だった。

 

 セミナーの黒い制服は染み出る赤を隠して、ユウカは腹部を抑えたまま小さく喘ぐ様に息を漏らす。

 傷は、深い様だった。深く刻まれた隈と光のない瞳が印象的だった。小さく囁くような声量は、コユキにとって恐怖以外の何物でもない。

 不意に、ユウカが壁に側頭部を預け、力なく云った。

 

【ごめんなさい、少し、疲れたから、ちょっと休むわ……ちょっと休んだら、直ぐ、起きるから】

【っ、ゆ、ユウカ先輩!】

 

 ぎこちない笑みを浮かべたまま瞳を閉じようとしたユウカに、思わず声を荒げた。

 今その瞼が閉じてしまえば、もう一生開く事は無いのではないかと云う、途轍もない恐怖に襲われたから。

 

 伸ばした手が頬を掴んで、至近距離で彼女の名を呼べば、深く刻まれた隈と乾いた唇が視界一杯に映る。ずっとひとりで、ミレニアムを守ろうと奮闘していたのか。良く見ずとも、彼女の体はボロボロだった。非常灯の赤と薄暗い廊下が、その実態を隠していたのだ。

 制服は所々擦り切れ、痣と擦り傷、焦げ目の残る肌は普段の彼女からは想像も出来ない。疲労感もまた、酷かった。草臥れた様子はここ数日の内に蓄積されたものではない筈だ。

 痣を拵え、閉じかけていた瞼が、薄らと踏み止まっている。

 その微かな隙間から見える瞳が、覗き込むコユキの姿を映す。

 

【……コユキ】

【な、何ですか、ユウカ先輩】

 

 それでも理性的な煌めきは、どんな時だって失われる事は無かった。

 辛うじて開かれた瞼の向こう側に、コユキは食い入るように顔を近付けた。

 予感があった、これが彼女との今生の別れになる予感が。そんな最悪の予感を、しかしコユキは信じてやるものかと胸中で蹴飛ばす。胸騒ぎは、一度だけで十分だった。

 その一度を自身はずっと忘れられずに居ると云うのに。

 これ以上は、もう――耐えられない。

 

【あの一件は、誰にも予測出来なかった】

 

 頬を掴む掌に、ユウカの掌が重ねられた。黒いグローブ越しに、けれど薄らと感じられる人肌の暖かさ。

 頬は驚く程冷たかったのに、彼女の指先は暖かった。

 碌に手入れも出来なかった、結ぶ暇も無く、ただ真っ直ぐに広がるコユキの長髪が揺れる。

 

【事故、だったのよ】

【ッ……!】

 

 声は小さく、けれど確りと耳に届いた。

 リオ会長が秘密裏に防衛都市を建設していた事も。誰に相談する事無く、最悪の事態に備えていた事も。独断でアリスを誘拐しゲーム開発部と対立した事も。そこから転じて、多くの部活動を巻き込み救出作戦が組まれた事も。救出部隊とリオ会長陣営が激突し、アリスの元へと辿り着いたのも。

 

 その果てに、名もなき神々の王女が戴冠してしまった事も。

 

 アトラ・ハシースの箱舟、その顕現とサンクトゥムの建立。被害をエリドゥ周辺のみで留まらせる事が出来たのは、文字通り先生が死力を尽くし、自分達に全てを託したからだ。

 全員が全員、最善を尽くし戦った。

 誰にも予想出来るような事では無かった。

 だから。

 

【ち、違……】

 

 コユキは咄嗟に、否定を口にしようとした。

 視線が左右に揺れ動き、顔から血の気が引いた。それは違うと、断じるべきだった。

 ユウカの指先が伸び、優しくコユキの目元をなぞった。零れ落ちそうになった涙を拭い、一睡も出来なかった故、拵えた深い隈を撫でる様に。

 そして、彼女らしくも無い。

 黒崎コユキの知らぬ、優しい微笑みで以て、早瀬ユウカは最期に告げたのだ。

 

【コユキ――貴女の責任(せい)じゃないわ】

 

 ■

 

 

 ――そんな筈ないじゃないですか、ユウカ先輩。

 

 

 ■

 

「私が――ッ!」

 

 堪らず、嗚咽が漏れた。

 臓物が裏返るような、気持ち悪さと共に吐き出されるそれは、コユキが抱え続けた鬱屈とした感情そのものだった。

 後悔し続けていた、嘆き続けていた。

 自らを責め続け、懺悔し、残りの全てを彼女達の残したあらゆるものを守る為に費やした。

 それでもこの、胸の奥底に燻ったあらゆる感情を消化する事は出来なかった。

 

 一度重ねた罪悪(過去)は、決して消えない。

 

「私が悪いんです、わた、私の責任なんですよッ! 何もかも、はじまりも、終わりも……っ!」 

 

 今でも思い返す、自問自答する。

 黒崎コユキ(わたし)に、罪は無かったのか。

 いいや、そんな筈はない。

 そんな事は、決して――。

 

 最初は自らの騒動に乗じて資金調達を行ったリオ会長への意趣返しだった。

 転じてエリドゥ攻略作戦に於いて主要な目が全て監視から外れた点も大きかった。ユウカ先輩とノア先輩は作戦に集中していて、ヒマリ先輩はリオ会長に連れ去られて、ヴェリタスは作戦のバックアップに手一杯で。

 普段は必ず存在した監視の目は無く、誰の注意も向いていない今がチャンスだって、そんな風に思ってしまったのだ。

 

 ずっと地下(反省部屋)に籠っていた自分に外界の状況など知る由も無かった。ただ妙に静かな日だと、能天気に考えていたのだ。いつものように、何て事の無い日常の延長線上だと思った。

 自分の大切なものはずっとそこにあるのだと、無垢に信じ続けていた。

 そうだ、自分が――そもそも黒崎コユキが地下に籠ったままであったのなら。

 あの日、己が自らの意志で外に踏み出そうと考えなければ。

 もっと周りに目を向けていれば。

 

 或いはそもそもの話――自分に、こんな力が存在しなければ。

 

 予測出来なかったとしても、たとえそれが偶然の産物であったとしても、ただ自身の行動がきっかけに過ぎなかったとしても。

 転換点は、黒崎コユキだったのだ。

 己の介入が、全てを破綻させたのだ。

 託された全てを灰燼にしたのも、己の無力が原因だったのに。

 そうだ、それならば。

 

「全部、全部、全部全部全部――ッ! なのにッ、何で、どうしてッ!?」

「ッ、くぅ……!」

「責めてくれたら良かったのに! 全部あんたのせいよって、いつもみたいに怒ってくれた方が何倍も、何十倍も、何百倍も良かったのにッ! それが呪詛であっても、憎悪でも、悪態でも、失望でも、何であっても、私にとっては……っ! それなのになんで、先生も、ユウカ先輩も、皆、みんなぁ――ッ!」

 

 血の混じった大粒の涙が、とめどなく流れ落ちていた。

 逃げ場のない、感情の濁流。

 これまで腹の底に積み重ねて来た、淀み、濁り、どうしようもない程の罪悪の意識。

 それが真正面から、至近距離でユウカにぶつけられる。

 

 視界がチカチカと瞬いた、脳裏に何か、自分でも分からない映像が幾たびもフラッシュバックする。それが何であるのか、ユウカは直感的に理解していた。

 胸と腹に、熱い鉛を流し込まれた様な気分だった。ずっしりと、胃が重い、息が詰まる、最悪の気分だ。

 けれど目の前の彼女(コユキ)が味わってきたものは、もっと最悪で凄惨な光景だった事だろう。

 

 どうして彼女は、早瀬ユウカは。

 目の前のコユキが生きた世界の(ユウカ)は、最期にそんな言葉を遺したのか。

 こんな、自由奔放で自儘で、他人の迷惑など考えない彼女(コユキ)が自責の念に押し潰されてしまいそうになる様な言葉を。

 

 ――それは、きっと。

 

 想像でしかない。

 自分と同じ存在と云っても何から何まで理解出来るとは思っていない。

 けれど早瀬ユウカにとって、黒崎コユキがどういう存在であるかは痛い程に理解出来る。

 どれだけ憎たらしく思っていても、どれだけ思い通りに動いてくれなくても、どれだけ迷惑を掛けられて、普段からどうしようもない奴だと思っていたとしても。

 それでも黒崎コユキは、自身の守るべき後輩だったのだ。

 

 だから最期に残したそれは――希望だった。

 今にも途切れそうな意識の中で、朦朧とした思考の中で、残された彼女が抱いてしまうであろう、あらゆる罪悪を少しでも払い除けようと。

 自分の知っている黒崎コユキならば、常の振る舞いを是とする彼女ならば、きっと時間は掛かっても、いつかは立ち直って生きていける筈だと。

 彼女はただ、そう信じたかったのだ。

 

 けれど黒崎コユキにとって、失われた彼女達は、周囲の存在は。

 自分が思っていた以上に、ずっとずっと大切で。

 投げかけた希望は、罪悪を掻き立てる呪いとなって彼女を蝕み続けた。

 恐らく、この罪悪をずっと抱えて生き続けたのだ。

 

 ミレニアムが――或いはキヴォトスが崩壊する、その最後の瞬間まで。

 

「お願いです、お願いですから、教えて下さいよッ、ユウカ先輩……ッ!」

「コユキ……!」

「皆居なくなってから、精一杯、頑張ったんです、私なりに、必死に……! でも、それでも、駄目で、全部台無しにしちゃって、それで私、私は――ッ」

 

 何かを、誰かを守る方法なんて知らなかった。全てが手探りで、多くの失敗と後悔があった。全てが過ぎ去った後、自身の為した罪悪の大きさを知った、先輩達の偉大さを理解した。

 それはまるで遅効性の毒の如く、少しずつ心身を蝕んだ。

 

 一体、どれ程の苦痛だったのだろうか。

 艱難辛苦に満ちた道だったのだろうか。

 目の前の彼女を見れば、分かる。

 精神が摩耗し、自身の輪郭さら定まらぬ、最早人としての理性すら綻んだ姿。

 千年難題の探求を目的とする、ミレニアムの生徒とは思えぬ程に破綻した狂人の如き振る舞いが全てだ。

 コユキは最後に俯き、大粒の涙を足元に零しながら声を絞り出した。

 

「私は、どうすれば良かったんですか……?」

 

 一歩、コユキが前へと足を踏み出す。

 マリ・ガンを伝い両腕を押し込まんと掛かっていた力は、確かに重くなっている。だが、そこには敵意も、攻撃性も、相手を打ち倒そうとする意思も一切含まれていなかった。

 あるのはただ、答えを求める悲痛な叫びだけ。

 それはまるで、迷子になった幼子が、暗闇の中で誰かの手を探すような――か細く、縋るような声だった。

 

「知っているなら、教えてくださいよ、ユウカ先輩……」

 

 途端、支えていた糸が切れたかのように、コユキの身体から力が抜けた。

 ゆっくりと、凭れ掛かるように崩れ落ちていく身体。両膝は鉄屑の只中に沈み込み、乱雑な音を立てた。

 

「っ!」

 

 倒れ込むその身体を、ユウカは反射的に支えようとした。

 愛銃を手放し、崩れ落ちるコユキの腕を掴む。コユキのマリ・ガンとユウカのリーズンが地面に転がる。

 ユウカの腕に伝わる重みは、肉体のそれ以上に、心の重さだった。

 地面に座り込み、片腕を中途半端に握られたコユキを見下ろしながらユウカは二度、三度息を呑み込んで、それからゆっくりと言葉を選んだ。

 

「……コユキ、貴女は」

 

 声が、喉奥で詰まる。

 ぎゅっと、コユキを握り締めた指先に力が籠った。

 

「死にたいと、そう思っているの……?」

 

 項垂れ、膝を突いたままのコユキに向けて。

 ユウカは思い詰めた、影を帯びた表情で問いかけた。

 肌を合わせ、視線を通わせ、感情を互いにぶつけ合ったからこそ伝わって来た本質。声は静かだったが、どこか確信を孕んだような問い方だった。

 

「……死にたい、じゃないんです」

 

 ぼそりと、唇が震える。

 項垂れ、膝を突いたコユキはゆっくりと顔を上げた。

 血と涙で濡れた瞳が、揺れながらもユウカを捉える。ユウカに掴まれ、脱力した指先が小さく震えるのが分かった。

 黒崎コユキが抱いた、最も大きな(感情)

 それは。

 

「――もう、生きていたくないんです」

 

 そう云って、彼女(コユキ)はへらりと笑った。

 涙と鼻水に塗れた、どうしようもない顔だった。

 笑顔と呼ぶにはあまりにも歪で、軽薄で、朧気で、けれど本人は、それ以上の表情をもう作れなかった。

 長く続いた苦難の末に浮かべた、救いのない表情。ここまで抗い続けて、それでもなお報われる事の無い結末を悟った者だけが浮かべる色。

 

 見下ろすユウカは堪らず目を細め、くしゃりと口元を歪めた。

 見つめているだけで、胸元に穴が開くような心地だった。

 

「は、ははっ……もう嫌だ、何で、私、こんな――……」

 

 言葉は途中で崩れ、意味を成す前に喉の奥で潰れた。

 堪えていたものが遂に胸の奥底より溢れ、彼女はそのまま身体を丸める。縋るように伸ばされていた力は失われ、するりと、ユウカの掌からコユキの指先が抜け落ちた。

 コユキ、とユウカは名を呼んだ。

 呼べば、まだどこかで常の無邪気で天真爛漫な彼女が顔を覗かせる気がしたのだ。

 そんな筈は無いと、もう知っている筈だと云うのに。

 

 コユキは積み重なった鉄屑の上に蹲り、背を丸め、小さく、小さくなっていく。

 まるでこの世界から身を隠そうとするかのように。

 赤子の様に、ただ無力に、這い蹲った。

 同時に周囲から鳴り響く電子音、咄嗟にユウカが顔を上げれば、先程までレッドランプと共に周囲を舞っていたドローン群が一斉に動きを止め、点灯していたランプは点滅を繰り返していた。

 

「――ドローンが」

 

 その沈黙に、ユウカは辺りを見回しながら声を漏らす。戦いの終わりを告げる静寂、けれどそれは勝利を意味するものではない。

 ややあって、背後からスクラップを踏み鳴らす足音が聞こえて来た。

 振り返れば、突然の静寂に戸惑いながらも、ノアとコユキの両名が駆け寄って来る姿があった。

 

「はッ、はぁ、ユウカちゃんッ! 無事ですか!?」

「ユウカ先輩――ッ!」

 

 周囲の機能を停止したドローン群を警戒しながら、急ぎ足でユウカの元へと駆け寄って来た彼女達は、ユウカの無事をその目で確かめると胸を撫で下ろす。滲んだ汗と擦り傷、痣は長い防衛線の末に拵えたものだ。

 安堵は、長く続かなかった。視線は自然と、力なく蹲り、俯いた異なる世界のコユキへと吸い寄せられる。

 弾んだ吐息、重なる呼吸音だけが耳に届いていた。

 

「コユキちゃん……」

「―――」

 

 ノアが、そっと名を紡いだ。どこか気遣う様に、慎重に、壊れ物に触れるように。

 今目の前で蹲る彼女からは、最早敵愾心も、闘争心も、感じる事は出来ない。目の前の彼女は敵でも、脅威でもなかった――悲しみと絶望に押し潰され、立ち上がる力を失った、一人の後輩だ。

 

「あ、あの」

 

 何かを云い募ろうとしたノアの肩を掴み、一歩を踏み出したコユキが、垂れていた鼻血を袖で拭いながら恐る恐る声を上げた。彼女は異なる世界の自分自身にゆっくりと、慎重な所作で近付いて行くとポケットに手を差し込み、御守りの様に握り締めたそれを差し出す。

 

「こ、これ」

「………」

 

 そっと差し出されたのは、小さな栞だった。

 ラミネート加工された四葉のクローバー。

 折れないよう、失われないよう、大切に守られてきたものだ。フィルム越しに見えるクローバーは未だ瑞々しく、その緑色は欠片も失われていない。

 何を想ってそうするべきだと考えたのかは、コユキ自身分からなかった。

 けれど、幾ら言葉を重ねても目の前の自分には届かないと、何となくそう思ったのだ。それ程に彼女の失ったものは、大切にして来たものは、重く、大きく。

 今、コユキが握り締めた一番大切なものは、それ()だった。

 

「せ、先生と私が、拾った四葉のクローバーです」

 

 先生と、自分の思い出。

 いつか摘まんだ、幸福の証。

 何気ない日常(奇跡)(よすが)

 

 ぎこちなく、言葉に詰まりながら、けれど精一杯の勇気を込めて差し出されたソレ。

 異なる世界のコユキは這い蹲ったまま、ゆっくりと顔を上げ差し出された栞を見つめた。昏く淀んだ瞳に、微かな煌めきが戻る。

 だがそれは、決して希望に転じるものではない。

 瑞々しく、鮮やかな緑を見つめる瞳に、泥の如き淀みが走った。

 

「今更」

「……えっ」

 

 低く、感情を削ぎ落とした声が鼓膜を叩く。

 無造作に伸びた指先が、差し出された栞を荒々しく掴んだ。

 

「今更、こんなものを差し出されて、どうしろって云うんですか」

 

 問い掛けではない、突き放すような云い方だった。

 そもそもこの行為にどんな意味があるというのか。抱くのは憐れみか、同情か、それとも優越感か。

 どれだって良い、何だって構わないが――これが必要だったのは、今の己じゃないのだ。

 もっと、もっと前にコユキは幸運(正しさ)を求めたのに。

 今更、こんなものを手にしたとて。

 

「意味なんて、無いでしょ……!」

 

 吐き捨て、震える指で、力いっぱい栞を握り締めた。

 クシャリと、音を立てて栞は拉げる。「あっ」と小さく、驚きと困惑を孕んだ声が目の前から漏れた。だがそれを許さぬとばかりに、涙の滲んだ鋭い眼光が、真っ直ぐ自分自身を射貫いた。

 

「幸運が無かった私に、そんなもの渡して、自慢でもしたいんですか!?」

 

 吐き出された言葉は、鋭く、感情に任せたまま空気を裂いた。

 問いかけの形をしていながら、その実、答えなど求めていない。胸の奥に溜め込んできた鬱屈が、耐え切れず噴き出しただけだった。それは深くコユキ自身の胸を抉り、鈍い痛みを齎す。

 

「ち、ちがっ……! そんな、つもりじゃ――」

 

 咄嗟に紡がれた否定の声は、あまりにも弱々しく、必死さが先立った。けれどその必死さこそが、今の彼女の神経を逆撫でした。

 否定しようとする声を、堪え切れない怒りが押し潰す。感情の奔流は理性を容易く呑み込み、指先により一層力を齎す。握り締められ、くしゃくしゃになった栞。

 

 それは、彼女にとっては余りにも遅い救いで、希望であり――同時に、どうしようもなく眩しい正しさ(幸運)の象徴。

 

「こんなものぉッ!」

 

 異なる世界のコユキは、衝動のままに腕を振り上げ、その勢いを殺さず振り抜く。

 風切り音と共に乱雑に振るわれた指先。力任せに放られた栞は、拉げ、折れ曲がり、不格好な姿のまま地面へと叩きつけられる。

 あまりにも、軽い音が響いた。中途半端に丸まった栞はスクラップの残骸の只中に転がり、弾んでいく。

 それだけで済むはずの出来事が、やけに重く胸に響いた。

 

 折れ目がつき、歪み、草臥れた四葉のクローバーの栞。

 それを視界に収めた瞬間、ノアの前に呆然と佇んでいたコユキは我に返ったように息を呑み、慌てて拾い上げた。

 異なる世界の自分に背を向け、両手で包み込むように栞を持ち、壊れ物を扱うかのように、何度も、何度も、皺を伸ばした。

 

 その仕草は、悲し気で、悔し気で。

 けれどそこに怒りはなく、取り返しのつかないことをしてしまったという、遅すぎた後悔が滲んでいた。

 

「………」

 

 言葉は続かない。

 否定も、弁解も、謝罪も、どれ一つとして形にならない。

 少しの間、沈黙が流れた。

 爆音も、銃声もない。

 ただ、荒くなった呼吸と、互いの存在を意識させる静寂だけが、その場に残されていた。

 

「……私」

 

 背を向けたまま、コユキはぽつりぽつりと語り出す。

 口火の切り方は緩やかで、まるで独白のように響いた。

 

「……私、義務とか、責任とか、そういうの、良く分からなくって」

 

 視線は手元に落ちたまま。

 皺くちゃになった栞を見つめるその姿は小さく、けれど声は震えながらも弱々しさは感じられなかった。時折垂れて来る鼻血を啜り、彼女は背を丸めたままポツポツと続ける。

 

「別にこれ位良いじゃんって、何も悪い事していないのにって思っても、ユウカ先輩とか、ノア先輩とか、先生に怒られて……先生には、少しずつでも、きっと分かる日が来るよって――でも中々、そんな日が来なくて」

 

 言葉にするたび、胸の奥に溜まっていた記憶が引きずり出される感覚があった。

 理解できなかった叱責。

 納得できなかった正しさ。

 そういったものが記憶の奥底から引き上げられ、コユキの心を刺激する。喉の奥で、感情が絡まり、行き場を失っていた。

 それでも、そこで終わらせてしまうほど、彼女はもう幼くはなかった。

 

 たった今、この戦いを経て(異なる自分と邂逅して)気付いたからだ。

 

「でも今、あなたとこうして、戦って……ちょっとだけ分かった気がするんです」

 

 ゆっくりと立ち上がり、栞を胸元に握ったまま振り向き、異なる世界の自分と向き合う。真っ直ぐ、逃げずに、正面から。

 向けられた瞳は、未だ定まらず、揺れている。

 だが、瞳を逸らす事は無かった。

 逃げてはいけないという痛烈な意思が、彼女を己の足で立たせていた。

 

「私がこうやって、先輩達に囲まれて、曲がりなりにも先生が居て、毎日を過ごせているのは――私じゃない誰かが、幸運を見つけられなかった誰か()が、こんな風に苦しそうに、痛そうにしているからだって」

 

 自ら口にした言葉は重く、周囲に響く。

 無数に分岐した可能性。

 選ばれなかった世界。

 幸運を手に出来なかった自分自身。

 自分が今立っているこの場所(世界)は、その全ての上に積み重なっている。

 黒崎コユキは、それを理解した。

 

「だから、言葉にするのは難しいですけれど……えっと、私には貴女とか、もっと別の、此処に来られなかった様な私達の、想いとか、過程とか、その、色々な事を背負わなくちゃって」

 

 言葉は拙く、途切れ途切れだった。考えながら、自らの感情を探り、形にして、必死に紡ぐ事自体が初めてだった。そうやって懸命に絞り出される一つ一つの感情は、嘘のない重みを持っている。

 幾ら言葉を重ねても、届かないかもしれない。

 けれどそれは、無価値を意味しない。

 それは黒崎コユキが生まれて初めて差し出した、選ばれなかった未来を生きて自分自身に対しての誠意だ。

 

「私にとって退屈な日常は、貴女とっては――そんな風になってまで、欲しかったものだったんだって」

「―――」

「そう、思って」

 

 言葉は、しりすぼみに消えていく。

 愚直なまでに此方へと注がれていた視線が、力なく落ちる。それはコユキなりに、異なる世界の自分が辿って来たあらゆる経験を、積み重ねを、決して無駄にしないという宣言だったのかもしれない。

 だが、それにしては随分と頼りなく、あやふやで、曖昧なものだと自分で想った。

 

「……は、あはは」

 

 乾いた音が、喉の奥から零れ落ちる。

 それは笑おうとして出た声ではない。

 感情の行き場を完全に失った末に、勝手に形を取ってしまった、不格好な音だった。

 

「ははっ、ははハハ……!」

 

 抑えようとしても止まらない。

 胸の奥に溜まり続けていた澱が、決壊した堤防のように、一気に噴き出していく。座り込んだまま、腹を抱えてひとしきり笑い切ると、彼女はゆっくりと首を反らし赤く染まった空を仰いだ。

 

「――はぁ」

 

 長く、重い溜息。

 そこに込められていたのは、諦めと、疲労と、呆れと――ほんの僅かな安堵。

 漸く、自分の終着点を見つけたような、そんな。

 

 結局のところ、自分がこの世界で行ったのは単なる憂さ晴らしに過ぎない。

 嫉妬だ、羨望だ、自分が持てなかったものを、持っている相手に叩きつけただけだ。何と醜く、自儘で、無様で、不格好で、酷い話か。

 本当に、やっていられない。

 

「……こっちの私は」

 

 視線は空に向けたまま、ぽつりと呟く。

 地面に座り込みながら見上げる赤く染まった空は、どこまでも遠く、どこまでも無関心に思える。

 けれど、この赤空の向こう側で必死に、今なお世界を――生徒(子ども)を助けようと死力を尽くす大人を知っている。

 その人(あの人)の道を妨げる事は、本望じゃない。

 

「こっちの私は、元気ですか」

 

 問いの裏にあるのは、無関心を装った優しさ。間を置いて、こちらの世界のコユキは鼻先を拭いながら、遠慮がちに頷いた。

 

「……うん」

「毎日、ユウカ先輩とノア先輩に怒られて、先生に泣きついてますか」

「ちょっと前ですけれど、その時も怒られて、先生に助けてもらいました……へへっ」

 

 思い出すだけで気恥ずかしいのか、彼女は照れたように薄らと破顔した。

 その仕草は、あまりにも自然で、あまりにも普通だった。誰かに叱られて、誰かに頼って、そして果てに屈託なく笑える――たったそれだけのことが、どうしようもなく眩しく、羨ましい。

 

「……毎日、退屈ですか」

 

 一瞬、コユキは唇を閉じる。何気ない問い掛けだったが、それがどれ程重い意味を持っているのか、コユキには分かった。

 じっと、此方を見守るユウカとノアの、先輩達の視線を感じる。

 嘘を云うつもりは、無かった。

 それは自分自身に対する、裏切りになる。

 コユキは栞を握り締めたまま、一つ一つ丁寧に言葉を掬い上げる。

 

「ゆ、ユウカ先輩にはいっつも怒鳴られるし、ノア先輩は怖いし、リオ会長は何考えているのか良く分からないし、せ、先生はいっつも無茶ばっかりで、忙しいからあんまり遊べないですけれど」

 

 一息つき、そこで言葉を切る。

 不満を並べているはずなのに、その表情に暗さはない。

 表情は明るく、喜色が滲んでいて。

 

「それでも、私はこの場所が――」

 

 それが、何よりの答えだった。

 

「皆の居るこの場所が、大好きです」

 

 改めて、彼女と正面から視線を交わす。迷いのない目で、言葉を誤魔化さず、逃げ道を作らず。

 積み重ねてきた日々が、その一言に凝縮されていた。

 

「―――良いなぁ」

 

 漏れ出たそれは、羨望そのもの。

 飾る気も、誤魔化す気もない。

 こちらも本心だった。

 耳に届く言葉の一つ一つには、自分が辿れなかった日常の輪郭が滲んでいたから。

 そうだ嘗ては、自分もそんな風に日常を辿っていたのに。

 

「私もあの時、四つ葉のクローバーを見つけられたら――そんな風に、笑っていられる世界に……」

 

 あの日、あの時。

 何気ない日常の中で、不意に探そうと思い立った四葉のクローバー(幸運の証)

 もしも先生と一緒に、幸運を掴む事が出来たのなら。

 もしもほんの少しだけ、歯車が噛み合っていたなら。

 もしも自分が、もっと違う選択をしていたのなら。

 考えても仕方のない『もしも』が、胸の内で何度も反芻される。

 その度に、コユキは胸を掻き毟りたくなる様な衝動に駆られた。

 

「良いなぁ、酷いなぁ、何で私ばっかり、不公平じゃないですか、辛くて、苦しくて、痛くて、なのにこんな世界もあって、私に見せつけるみたいに……」

 

 吐き出すように並べられる感情、思うが儘、整理されていない言葉の羅列は、コユキの心の中身そのものだった。

 どうして自分は、自分達は、あんな風な結末を辿ってしまったのか。どうして自分は報われないのだ、どうして私の世界は幸福な結末を迎えられないのだ、どうして、何で――そんな恨みも、妬みも、否定しきれない本音に違いない。

 

 けれど、皆が幸せに過ごせる世界もあったんだって、そう思うと。

 

 コユキは、きつく目を閉じる。

 視界を遮り、胸の奥に残ったものだけを抱え込むように。

 伸ばした指先が、直ぐ傍に転がっていた愛銃を無造作に掴んだ。

 

「リオ会長、ユウカ先輩、ノア先輩、先生、一杯、一杯我儘云ってごめんなさい、悪い事してごめんなさい、沢山、沢山迷惑を掛けてごめんなさい……!」

 

 冷たく、色褪せ錆び付いた外装に額を擦り付け、強く願う。マリ・ガン(やり直し)を抱き締め、何度も何度も。

 

「だからもう一回、もう一回だけ、チャンスを下さい、私に、こんな私に、どうか、お願いします……!」

 

 閉じた瞼の裏から、涙が溢れ出した。今更こんな事をして、どれ程の意味があるだろうか。この祈りも、願いも、きっと意味を持たない。

 それでも、どれだけ無意味であったとしても、彼女は強く願い続ける。

 

「今度は、良い子にします、悪い事なんて、しません、ユウカ先輩の云う事も聞きます、ノア先輩にも、先生のお手伝いだって、沢山、沢山、頑張りますから……! だから、だからッ!」

 

 どうか。

 

 

 ――もう一度、私にやり直す機会(チャンス)を。

 

 

「……なんて」

 

 マリ・ガンを強く抱き締めたまま、力なく笑う。

 その笑みは、自分自身への嘲りと、諦めを含んでいた。

 再び開いた空は未だ赤く、やはり無関心な色を貫いていて。

 

「そんな都合の良い事、起きる筈、ないですよね……にははっ」

 

 その瞬間。

 彼女の輪郭が、静かに崩れ始めた。

 境界が曖昧になり、身体は光の粒子へと分解され、風に溶けるように散っていく。四肢が発光し消えていく現象に、ユウカ達は目を剥き、慌てて彼女の傍へと膝を突いた。スクラップを踏み締める音が響き、二人の顔が焦燥と共に異なる世界のコユキを覗き込む。

 

「ちょ、ちょっとコユキ!?」

「一体何が、コユキちゃん……!」

「良いんです」

 

 動揺する面々に向けて、彼女は努めて穏やかに微笑む。

 そこには恐れも、未練もない。自らの身に発生している現象に反し、彼女は余りにも落ち着きを払っていた。最初からこうなる事が分かっていたと云わんばかりに、彼女はマリ・ガンを手放し、地面に放る。

 光は、彼女の愛銃すらも緩やかに分解し始めていた。

 

「元居た場所に、還るだけですから――だからこれで、良いんです」

 

 これは、分かり切っていた結末だ。

 選ばれなかった世界の、当然の帰結。

 驚く事でも、悲しむ事でもない。

 

「ねぇ」

「……!」

 

 消えゆく光の中、異なる世界のコユキは最後に呼びかける。

 地面に座り込んだまま、その瞳はゆっくりと自分自身を捉える。

 持ち上がった指先が、突然の事に息を殺し硬直するコユキの手元を差した。

 

あなただけの(選ばれた世界の)四葉のクローバー(幸運の証)

 

 コユキの握り締める、四葉のクローバー。

 それはあらゆる世界に於いて、あらゆる黒崎コユキが求めた正しい未来の象徴。

 幸運と、未来の証。

 この世界の自分自身を見つめ、彼女は破顔する。

 

「絶対に、手放しちゃ駄目ですよ」

 

 

 ――どれだけ望んでも、それは私達に与えられなかったものだから。

 

 

 その言葉を最後に、彼女の姿は完全に光の中へと溶けていった。マリ・ガンも同時に、最初からそこには何も無かったかのように、跡形も無く。

 残されたのは無数のドローンの残骸と、ノア、ユウカ、コユキの三名。赤い空へと立ち昇る、細い光の軌跡。朧気に、儚げに、掻き消えていく光を見上げながらコユキは言葉を呑む。胸中から何か、表現する事の出来ない悲しみや、遣る瀬無さが湧き上がっていた。空を見上げていると、何故だか涙が込み上がり、一筋の涙が頬を伝った。

 

「……コユキ」

「っ」

 

 その光を呆然と見上げていたコユキの名を呼ぶユウカの声、彼女は目を見開くと、慌てて目元を拭った。零れそうになったものを、必死に押し留めるように、見つからない様に。ユウカとノアはそんなコユキを見つめながら、互いにそっと手を伸ばす。

 それぞれの掌が、コユキの肩と背中を優しく包んだ。

 

「だ、大丈夫です、平気ですよ、これ位!」

「……嘘、吐くんじゃないわよ」

 

 ユウカは握り締められた栞を一瞥し、そっとコユキの背中を撫でつけた。

 力を込めすぎず、離れすぎず。

 支えるというより、そこに居ることを伝えるように。

 

 ユウカはゆっくりと消えていく光の尾を追いながら、そっと呟いた。

 

「……もう、知っているんだから」

 

 コユキ(あんた)が、そんなに強くないって(寂しがり屋だって)

 




 お待たせしましたわ~!
 よもやこれ程時間が掛かろうとは、この私の目を以てしても……。
 ちょっと色々タイミングが悪く、執筆速度低下のデバフが掛かっている事も相まって一週間程度で仕上げる筈が倍の時間が掛かってしまいましたの! 申し訳ありませんわ!
 ともあれ、これでテラー生徒編は終わり、後は先生の最終決戦を残すばかりですわね!
 いよいよ終わりかぁ……何だか感慨深いですわねぇ。
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