ブルーアーカイブを、もう一度。   作:トクサン

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ブルアカ五周年、めでたいですわ~ッ!


怒りの日(罪悪に報いを)

 閃光と火花が、視界に躍る。

 放たれた一条の弾丸()、神秘を纏った弾幕を異なる世界のヒナは懸命に捌いた。

 翼で払い、受け、回避し、どうしようもない攻撃に関しては愛銃の外装で防御する。目前で緋色が咲き、彼女の身体は大きく後方へと押し込まれた。

 

「っ、く――ッ!」

 

 床を滑り、大きく距離を放す。衝撃を押し殺し、耐え切れず数歩、蹈鞴を踏んだ。

 

「ッ、はぁ、はッ……!」

 

 息が荒い、鈍痛が全身を支配する。肌から熱気が立ち昇り、肺から空気が漏れると同時に堪らず膝を突いた。

 音を立てて愛銃が地面に銃口を弾ませ、掌が床を掴む。

 どれだけの時間、戦闘に意識を費やしていただろう。肉体の消耗具合から凡そ推測する事は可能であったが、大人のカードによる強化を含めれば体感時間以上に現実時間が経過している可能性の方が高い。

 あれ程感じられていたアトラ・ハシースとの繋がりが、今となってはか細い一本の糸の如く。A.R.O.N.Aに問わずとも分かった、地上のサンクトゥムが全て破壊されたのだと。

 最早当初の計画とは似ても似つかない、余りにも不出来で不格好な状況、彼女は歪めた表情をそのままに乾いた唇で声を発する。

 

「――まだ」

 

 俯いた視界にぽつり、ぽつりと滴る赤色。頬を伝い足元から力が抜け落ちていく感覚。嘗て経験した事のない疲労感だった、視界の端が白く滲み熱さと寒さが同居する。

 大人のカードによって身体、及び神秘の限界を引き上げられて尚、刻まれた無数の傷。飛来する弾丸は肉体も、神秘も、意志すらも削り取っていく様だった。

 

 空崎ヒナと天雨アコの組み合わせは、想定を遥かに上回る強度を誇っていた。

 特に、互いの癖や間合いを完全に把握したアコの呼吸は、無駄が無く、此方も彼女の癖や動きを理解しているからこそやり難さがある。リロードの間隙、足運びの妨害、一呼吸の隙間に差し込まれる的確な銃撃とサポート、それこそが長年積み重ねてきた信頼の結晶とでも云うべき代物。

 口元が、固く結ばれる。

 よもや、一人が二人になった程度で、此処まで押し込まれるとは――。

 

「はッ、は……ッ!」

「ヒナ、委員長……!」

 

 だが、彼女達とて無傷ではない。

 アコとヒナもまた、同様に死力を尽くして戦闘に望んでいる事に違いは無い。

 両者既に、武器を構えたまま此方を睥睨するものの体力は底を突いている。肉体は悲鳴を上げ、集中力は限界に近い。ヒナの支援射撃に徹していたアコでさえ、その負荷は尋常ではなく、額には大粒の汗と血を流し、特に大人のカードによる強化を受けていない彼女はまともに一発でも攻撃を受ければ耐えきれないという事実に必要以上に神経を尖らせていた。

 余波だけでもダメージは相当なものだ、ましてや道中相手をしていた自律兵器に刻まれた負傷もある。顔色は最早蒼白を通り越して土気色に近く、引き金に掛かった指先は小さく痙攣を繰り返していた。

 それを一瞥したヒナは、息を詰まらせながら言葉を絞り出す。

 

「アコ、此処から私に任せて、貴女はもう下がって良い――」

「いいえ、平気です……!」

 

 疲労困憊のアコを庇おうとするヒナの声を遮り、彼女は勇んで叫んだ。震える右腕を何度も拳で打ち付け、歯を食いしばって虚勢を張る。先生も、ヒナ委員長も、まだ立っている――だと云うのに自分だけ先に根を上げるなど、彼女の矜持が許さなかった。

 

「まだ、戦えますッ!」

 

 鋭く放たれた声に、ヒナは一瞬声を詰まらせる。どう見ても彼女は限界を超えている、人の事を云える様な状況ではないが、それでもヒナの身体には大人のカードを通して強力な力が流れ込んでいる為、普段以上に無理が利いた。

 が、アコはそうではない。

 これ以上は危険だ、そう理解していた。

 

「分かったわ」

 

 それでも、齎された返答にヒナは小さく微笑む。

 頼もしさと同時に、胸を締め付けるような感情を覚えながら、彼女は改めて前へと向き直る。

 

「最後までお願い、アコ」

「えぇ、ヒナ委員長……!」

 

 あと少し、いやそれ以上であっても。

 二人は互いに肩を並べ、困難に立ち向かう。

 

「――此処まで、ですね」

 

 戦場を冷静に見定めていたA.R.O.N.Aが、淡々と呟きを漏らした。

 先生を守る為に展開していた黒傘を静かに閉じ、その無機質な瞳が音も無く伏せられる。異なる世界のヒナは背後から漏れた呟きを耳にし、震える膝を掌で押し込みながら応えた。よろめき、揺らぐ身体は影を作り、A.R.O.N.Aの矮躯を覆い隠す。

 

「……私は、まだ」

「想定していた稼働限界時間を超過しています、これ以上の戦闘継続は危険と判断しました」

 

 折り畳んだ傘を持ち、徐に床を突く。A.R.O.N.Aの声には、感情的な揺らぎが一切無い。それは冷酷なまでに正確で客観的な視点から齎された結論であり、反駁の余地を残さなかった。

 

 それに、と。

 A.R.O.N.Aの視線が自身の背後に向けられる。

 

「たとえ貴女(空崎ヒナ)がまだ戦えたとしても、先生が既に限界です」

 

 その言葉と同時に、巨躯を支え、照らしていた青い光が微かに揺らぐ。

 薄汚れたシッテムの箱と共に構えられた大人のカードはより一層罅割れ、焦げ付き、その存在を弱々しく示していた。

 異なる世界のヒナはその光を驚愕と共に直視し、それから何かを堪える様に息を呑み込み、音も無く顔を伏せた。

 

「……そう」

 

 一瞬だけ、苦々しい表情が漏れた。諦観とも、或いは安堵ともつかない表情だった。

 決着だ、勝負はついた。

 その結末が、空崎ヒナの腹部に音も無く落ちて来た。

 

接続(リンク)解除、戦闘支援を終了します」

 

 A.R.O.N.Aが宣言し、指先を静かに払う。その宣言と同時に、プレナパテスの巨躯が勢い良く崩れ落ち膝を突いた。支えを失った巨躯は影に覆われ、重々しい音と共に金属の擦れる音が響く。

 唐突に響くその音は、終焉を告げる鐘の如く。

 異なる世界のヒナはプレナパテスの崩れ落ちる音を耳にしながら、そっと宙を仰いだ。薄暗い暗闇に浮かび上がる微かな赤、そこにかつて夢見た未来の残滓を重ねて、絞り出す様に声を発する。

 

「……此処で、終わりなのね」

 

 戦場に残る熱と硝煙の残り香に混じって、空崎ヒナの声は掻き消えた。

 

「ッ、と、止まった――?」

「………」

 

 対峙するアコとヒナは大人のカードから放たれていた光が唐突に、まるで息を引き取るかのように掻き消えた事に驚きを見せる。次いでプレナパテスが膝を突く、その瞬間眩い輝きが失われ、周囲に満ちていた圧迫感が嘘のように薄れた。

 青白い光は最早、先生から淡く、微かに放たれるだけである。二人は警戒を解かないまま、力なく項垂れたプレナパテスと異なる世界のヒナを見つめていた。

 

 果たしてこれは、勝利なのか。

 それとも、嵐の前の静けさか。

 

『か、勝った……のでしょうか』

 

 先生の抱えたシッテムの箱、その中で戦況を見守るアロナが恐る恐る声を発した。確信には程遠く、言葉の端が揺れていた。

 先生は問い掛けに答える事無く、シッテムの箱と大人のカードを構えたまま一歩、また一歩と慎重に足を進める。

 床に響く足音が、やけに大きく聞こえた。

 

「どうして、かしら」

 

 異なる世界のヒナは、頭上を仰いだまま問いかける。力の抜けた、覇気の無い声だと思った。滲むのは疑念と未練、そして強い諦観の念。愛銃に触れた指先は、微動だにしなかった。

 

「まだ、足りなかったというの――?」

 

 まだ、自分(空崎ヒナ)には弱さが残っていたとでも云うのか。

 それを捨て切れなかった、その一点が敗因だとでも。

 あらゆる点に於いて、己はこの世界の自分自身(空崎ヒナ)に勝っていたというのに。

 胸の奥に沈んでいた想いが、形を持って浮かび上がる。

 

「………」

 

 二人のヒナ、その視線は交わらず、互いに互いを意識しながら奥底に通じるまでは至っていない。呆然と宙を見上げる自分自身に、ヒナは徐に口を開いた。

 

「私ひとりじゃ、きっと貴女には勝てなかった」

 

 ヒナは、満身創痍で隣に立つアコを一瞥する。そして自身の背後から響く微かな足音。

 その瞳には、強い信頼と感謝が宿っていた。

 

「皆が一緒だから、勝てたの」

 

 此処に居るアコと先生だけではない。今この瞬間も地上で戦い続けているという仲間達。それぞれの場所で、同じ未来を信じて抗っている全ての存在が、この結果に至るまでの道中を支えてくれているのだ。

 

 確かに、想いだけで困難を打ち破る事は出来ないのかもしれない。

 願いだけで、祈りだけで乗り越える事は現実的ではないのかもしれない。

 けれど、願いも、祈りも、想いも、必要なのだ。

 知恵を絞って、技術を尽くして、経験を積み重ねて、それでも最後の最後に越えられない壁が立ち塞がった時。

 

 その背中を押し出してくれるのは、強い想い(祈り・願い)だ。

 

「貴女は……」

 

 だから――。

 ヒナは、傷だらけの、もう一人の自分を真っ直ぐに見つめながら言葉を紡ぐ。

 

弱さ(それ)を、棄てるべきじゃなかったのよ」

「―――……」

 

 苦し気な、顰められた表情と共に絞り出された言葉は、確かに彼女の耳に届いた。

 その言葉を何度も胸の内で反芻する。だが、心の底から認める事は出来なかった。己にとって弱さとは罪悪そのものだったのだ。

 挫け、項垂れ、縋り、守れなかったあらゆるもの、全てを喪った原因は、確かにそこにあると己に云い聞かせて来たから。

 だと云うのに今更、それを否定する事など――。

 

「ヒナ」

 

 沈黙を破り、先生が口を開いた。

 その声は、この場に似つかわしくないほど穏やかだった。

 

「……先生」

「大丈夫だよ、二人共」

 

 ヒナとアコは、前へと踏み出す先生を案じ声を上げる。しかし先生は、そっと手を挙げながら異なる世界のヒナへと、ゆっくりと近付いていった。その足を止めるつもりはない。

 

「ただ、話がしたいんだ」

 

 呟きにアコとヒナは乗り出した身を引き、そっと口を噤んだ。

 警戒も、敵意も見せず、ただ一人の大人として向き合う為に、先生は進む。

 そうでなければならない。

 異なる世界のヒナは迷いのない足取りで向かって来る彼に対し、静かに視線を落とした。

 脳裏に、先程の言葉が過った。

 

「……伝えたい事があるって、云っていたよね、先生」

「あぁ」

 

 投げかけれた問いかけに、先生は頷きを返す。最早空崎ヒナ(彼女)に抗う気力はない。ただ、諦観と疲労が滲んだ、濁り切った瞳だけがある。この場に至るまでに重ねてきた選択と後悔が、瞳の裏に沈んでいる様だった。

 澄み切った瞳と、濁り淀んだ瞳、両者の視線が重なった。こんな状況になって尚、先生の瞳は煌めきを喪っていないと気付いた。

 その事がどうにも可笑しく思えて、彼女は堪らず口を緩める。

 

「こんな事になっても、まだ、そんな目で私を見るのね」

 

 それは、自嘲であった。

 先生(あなた)は、まだ信じているのか。

 瞳を見れば分かる。疑いも、拒絶も、怒りも、憎しみさえない。

 ただ真っ直ぐに、愚直なまでに真っ直ぐ人を見る目だと。

 空崎ヒナにはどうにも、その瞳が眩しくて仕方なかった。直視出来ない程に、それは自分が失ってしまったものを全て映す鏡の様な煌めきだったから。

 

「私は、世界を滅ぼす為に、その為に、貴方を――」

 

 言葉が途中で詰まった。続く言葉の重さを、彼女自身が誰より理解しているからこそ。

 自分は先生を傷付け、殺そうとしたというのに。唯一無二の存在に銃口を向け、引き返せない所まで踏み込んだというのに。

 それでも、貴方(先生)は――。

 

「そんな私に、どうしてまだ、そんな目を向けられるの、先生……?」

「ヒナ」

 

 声が、短く彼女の名を呼んだ。日常を想起させる、柔らかな色さえ孕んだ呼びかけ。

 先生にとってはただ、呼ぶという行為そのものに意味があった。

 血の滲んだ空色の瞳、その奥に瞬く光。

 

「今、君が呼んだ通りだよ」

 

 カツン、と。

 靴底が一際強く床を打った。刻一刻と迫る先生の影が、空崎ヒナの視界を覆う。

 

「私は、先生だから」

 

 その一言で、事足りる。

 

 それこそが己の在り方。立場でも称号でもなく、先生と云う生き方そのものだ。

 たとえ裏切られても。

 たとえ傷付けられても。

 その果てに、命を奪われたとしても。

 

「どんな時だって私は、生徒(君達)の味方だ」

 

 それは、他でもない――プレナパテス(私自身)が証明している。

 

「守るべき生徒がいる限り、私は、幾らだって頑張れるんだ」

 

 先生はそう云って、恥ずかしそうに笑った。傷と血と汗に塗れて尚、日常の下で浮かべるような、屈託のない笑顔だった。

 その笑顔の裏には、数え切れない苦痛と後悔、選び歩み続けた信念によって形作られた想いがある。空崎ヒナには分かった、他ならぬ彼女にだけは――破滅の結末を迎えた異なる世界のヒナには、ハッキリと。

 

「―――……」

 

 暫し、沈黙を守った。ただ彼の想いが、その在り方が、胸の奥に重く落ちていく感覚。そういう人だと知っていた、知っていたから尚――胸に燻る感情は滾り濁る様に蠢いた。

 

「それに、ヒナの事は良く知っているから」

 

 良い面も、悪い面も。

 強さも、弱さも。

 その全てを含めて――知っているから。

 それこそが、彼が積み重ねて来た全て。

 

「だから、教えて欲しい」

 

 先生はそう云って、項垂れた彼女の前でゆっくりと膝を突く。垂れ落ちた汗の混じった血が、床に跳ねた。

 武器を構える事もしない、シッテムの箱と共に身構える事もしない。

 ただ言葉を交わすだけだと、言外にそう訴えるような姿勢。空崎ヒナの瞳を先生は静かに覗き込む。

 

「君に、皆に――一体何があったのか」

 

 視線が、一瞬だけ目の前の彼女から逸れた。

 向けられた先は異なる世界のヒナ、彼女の背後。

 同様に膝を突き、沈黙を守るプレナパテス。そして彼を守る様に寄り添う黒衣の制服を身に纏ったA.R.O.N.A。同じ身体、同じ心、同じ存在でありながら、辿ってきた道の果てが異なる自分自身。

 そんな彼と、彼女達の辿って来た道。

 それを、己は知らなければならない。

 知らずに終わる事など出来ない。

 

 理解する事も、向き合う事も、その先の選択も――全ては、そこから始まる筈だから。

 

「……それは」

 

 異なる世界のヒナは、僅かに視線を揺らし唇を震わせた。

 葛藤があった、少なくとも口を閉ざすだけの迷いと感情が。

 重く沈んだ沈黙、しかしややあって彼女は何かを決心した様に小さく、そして静かに頷きを返した。打ち明けるべきなのだろう。少なくともその義務が、責任が、この世界を滅ぼそうとした自分にはあると。

 

 しかし――彼女が口を開こうとした瞬間。

 

「――ッ!?」

「先生っ!」

 

 背後から、凄まじい衝撃と爆音が鳴り響いた。

 空気そのものが炸裂し、弾けたような感覚。衝撃波がナラム・シンの玉座を容赦なく揺さぶって、反射的に身構えたアコとヒナは即座に先生の背中を守った。熱風が肌を撫でつけ、火の粉が周囲に舞う。

 爆破したのはナラム・シンと他区画を隔てる隔壁(ゲート)の一つ、砕けた外装破片が床に飛び散り、濃密な噴煙が一斉に舞い上がった。

 耳鳴りと衝撃に顔を顰める中、瓦礫が降り注ぐのを腕で庇い、先生を背に爆風が過ぎ去るのを耐えるアコとヒナ。二人は立ち昇る噴煙を睥睨し、泥の様な疲労を押して愛銃を油断なく構える。

 否が応でも、緊張で身体が強張るのが分かった。

 

「――あなた様ッ!」

 

 その煙を裂き切羽詰まった、悲鳴のような叫びが周囲に響き渡った。

 粉砕された隔壁の向こう側から、抉れ溶け落ちた内部をこじ開けるように飛び出す影がある。凄まじい速度と勢い、赤熱し溶解した穴に何ら躊躇く飛び込む胆力と狂気。しかし彼女を駆り立てているのは純粋な破壊衝動ではなく、切実すぎる程の執着と情愛である。

 

「あなた様、ワカモが、ワカモが参りましたッ! どうか、御返事をッ!」

 

 噴煙を文字通り引き裂いて現れたのは、幾度もの攻撃によって擦り切れ、焦げ付いた和服を身に纏い、喉が潰れるほどの声量で呼びかけるワカモの姿だった。

 顔を隠す狐面は所々が欠け、表面の塗装が剥がれてしまっている。上部の耳を象った一部に関しては、遠目でも分かる程に折れ焦げ付いていた。

 しかし、彼女は自身の装いになど微塵も注意を払う事無く、その視線はナラム・シンの玉座を満遍なく、ただ一人――この場にいるはずの存在だけを必死に探し続ける。

 

「……ワカモ」

 

 先生がゆっくりと腰を浮かし、呟きを漏らした。

 それはほんの囁くような声量であったが、他ならぬ彼女だけは正確に声を聞き取った。

 特徴的な耳が大きく震え、勢い良く首を動かしたワカモは暗闇の中でも中心で腰を浮かせる先生の姿を捉える。距離は離れていたが、見間違う筈も無かった。

 大きな尻尾がぶわりと膨らみ、両肩が震える。

 

「っ、あなた様!」

 

 大声でその名を呼び、彼女の表情は仮面の奥で一気に崩れ落ちる。張り詰めていたものが決壊したかのように、安堵と歓喜が溢れ出すのが気配からも分かった。返答を確認するより早く、彼女は全力で床を蹴飛ばし駆け出していた。

 

「けほっ、ケホッ! あの女、相変わらず無茶苦茶な真似を――」

 

 その背後、赤熱し粉砕された穴を潜るようにして、さらに複数の影が続く。穿たれた穴の大きさに驚き、その強引さと力量に呆れながら潜り抜ける彼女は、背後に続く仲間達に注意を促しながらナラム・シンの玉座へと踏み込んだ。

 

「で、でも、ゲートは破壊出来ましたし、通り道も確保出来て、結果オーライかもしれません……」

「だからってこんな力業、万が一の事を考えたら悪手でしょ、先生が近くに居たら一緒に吹き飛ぶ可能性だって――」

「それよりミサキ、先生は?」

 

 穿たれた隔壁を潜り抜け現れたのはミサキ、ヒヨリ、アツコの三名。散った火の子と噴煙を手で払いながら、咳き込みつつ姿を現す。衣服や装備には戦闘の痕跡が生々しく刻まれ、全員が隠し切れない疲労を抱えている。だが見た目に反して彼女達の視線は力強く、真っ先に一人の人物を探し始めた。

 

「大丈夫、一応無事みたい」

 

 噴煙に紛れ視認し辛いが、気配は確かだった。ミサキは肩に担いだセイントプレデターを押し上げながら、安堵の息を漏らす。それから改めて煙を手で払い、滲んだ隙間から先生の姿を注視し、その口元を僅かに強張らせた。

 

「……相変わらず、ボロボロだけれど」

「――でも、無事なら良かった」

 

 無事と表現出来るのかどうかは分からないが、それでも一番大切なもの()は失っていない。

 深く、胸の奥まで空気を入れ直すように息を吐く。まずは、生きていることを確認出来たこと、それを素直に喜ぶべきだ。具体的な状況、戦況、これから考えるべきことは山ほどあるだろう。

 だが今この瞬間に限っては、それ以上の言葉は必要なかった。

 

「弾薬も、道中で殆ど吐き出しちゃいましたけれど、まだ敵は残っていますよね……?」

「予備を含めれば後少しなら何とかなる筈、先生を連れて逃げる位なら、何とか持つよ」

「うん、きっと大丈夫」

 

 ヒヨリは背負った背嚢、随分と中身の減って重さが消えたそれを感じながら呟く。道中の守りは堅く、此処に辿り着くまでに相応の消耗があった。弾薬然り、体力然り、しかしこの場に集った全員が同じ結論に辿り着いている。

 先生はまだ立って此処に居て、自分達も戦える。

 それだけで自らを奮い立たせるには充分なのだ。

 

「味方の、増援……?」

「はい、どうやら、間に合ったみたいですね」

 

 ヒナはナラム・シンの玉座に踏み込む人影を見つめながら、愛銃の銃口を下げ暫し呆然とその光景を見つめていた。

 爆発と銃撃で荒んだ空間、その瓦礫と噴煙の向こう側に見える確かな影。敵意を帯びたものではない、アコは胸の奥に溜め込んでいた息をようやく吐き出した。

 疲労や緊張、燻っていた使命感といった、胸の奥がひりつくほど張り詰めていたそれらがゆっくりと解けていく。

 純粋に味方の数が増えて歓喜している訳ではない。無論それも含むが、彼女達が生き延び、防衛線を突破し、ここまで辿り着いたという事実そのものが既に決しつつある戦況を証明しているのだ。

 これで、敗北の可能性は限りなく薄まった。

 少なくとも――この場で一方的に押し潰されるような未来はなくなった筈だ。

 

「……彼女達は」

 

 異なる世界のヒナは、先生の影に覆われたまま視線を上げる。背後のA.R.O.N.Aは微かに視線を細め、膝を突いたプレナパテスの肩に手を添えながら応えた。

 

「アトラ・ハシース内部の防衛戦力を突破し辿り着いたものと推測出来ます、防衛戦力の大部分は既に喪失、残されたリソースでは再顕現、及び防衛線の構築は不可能と判断」

「……そっか」

 

 A.R.O.N.Aの抑揚のない報告は、事実だけを切り出し個人的な感情を一切交えない。それを受けて異なる世界のヒナは小さく頷いた。そこに驚きはなく、落胆は無く、事実を真っ直ぐ咀嚼する。

 

「これでもう、私達は――」

 

 言葉の続きを、敢えて口にする様な真似はしなかった。

 それ以上語る必要はないのだ。

 戦略的にも、戦力的にも、そして定まった運命としても。最早自分達に逆転の芽は無い。

 この結末は分水嶺を超え、もはや揺るがない地点にまで到達したのだ。

 空崎ヒナ(異なる世界の彼女)は、そう判断した。

 

 駆け寄るワカモ、その背後に続く仲間達。彼女達を見つめながら立ち上がる先生の背中を感じ、異なる世界のヒナは結末を受け入れようと瞼を閉じた。

 忸怩たる思いがある、だが同時に少しだけ胸が軽くなった様な気がした。全てが無に帰す、その事自体に後悔は無い。元より正しさなど無く、全ては己の私情と怨恨に端を発した道であるが故に。

 否定を叫ぶ権利を、己は有していないのだから。

 ただ。

 

 

 唯一後悔があるとすれば、それは――。

 

 

「リーダー、こっち」

 

 ナラム・シンの玉座に響いた声が、思考の流れを断ち切った。声には聞き覚えがあった、閉じかけていた空崎ヒナの瞼がピクリと震える。落ちていた視線がゆっくりと持ち上がり、徐々に薄れつつある噴煙の向こう側――蠢く人影を凝視する。

 

「―――」

 

 視線が自然と、人影の方向へ引き寄せられていた。

 何故か、胸騒ぎがあった。

 理屈ではない、感情の奥に直接触れてくるようなざわめき。記憶の底を掠める、遠い過去の残響が、静かに波紋を広げる様な。指先が強張り、自身の胸元を掴んだ。

 心臓が、一際強く跳ねる。

 

「ほら、あと少しだよ……!」

「あぁ――」

 

 隔壁の向こう側から、最後の人影が現れた。

 二人組だ。一方がもう一方に肩を貸し、歩調を合わせながら重い足取りでナラム・シンの玉座へと進んで来る。隔壁周辺を覆っていた煙が徐々に掻き消える、遠目であっても顔立ちがはっきりとしてきた。

 

 片方は白を基調とした制服、所々焦げ付きささくれ立った翼に僅かな赤色を纏ったトリニティの生徒。激戦を潜り抜けて尚その悠然とした立ち姿は余裕を感じさせる。

 あれは、聖園ミカだ。

 一度銃火を交えた、彼女もまたアトラ・ハシースに入り込んでいたのか。成程確かに、聖園ミカの力があればアトラ・ハシースの防衛戦力を突破する事は可能だろう。内心で納得しながら、もう一方の影へと視線を向ける。

 彼女の力は自身も認める所だ。けれど妙な胸騒ぎは、彼女から発せられるものではない。

 不意に聖園ミカが肩を貸した生徒に視線を向け、その名を呟いた。

 

「――サオリ」

 

 時が止まった様な衝撃。

 その名前を耳にして、噴煙に隠れた朧げな姿を目にした瞬間。

 異なる世界のヒナは一切の動きを止めた。殆ど立ったまま意識を喪失していたに等しい。

 呼吸すら一拍遅れ、零れる吐息が、生じる熱気により白く濁る。

 今、彼女は、何と――。

 

「それで、あれが今回の黒幕?」

「か、かなり見た目が凶悪なんですけれど……っ!?」

「その前に、向こうの人影は、ゲヘナの――?」

 

 彼女達のざわめきが耳へと届いていた。疑問と警戒、困惑が入り混じった空気。

 だが異なる世界のヒナの意識は、それら一切を切り捨ててしまう。彼女の視線と意識はただ一点に縫い止められているが故に。

 

 そうだ、噴煙に遮られていようとも分かる。

 たとえ世界を隔てようとも、見紛う筈も無し。

 仕草、立ち姿、そして何より――その存在が放つ、殺伐とした気配。

 異なる道を歩もうとも、本質は変わらない。

 変えられない。

 

「……もう大丈夫だ、ミカ、私も、戦える」

 

 肩を貸されていた人影は、そう告げて一歩踏み出す。ミカの腕からそっと離れ、数歩蹈鞴を踏みながらも自らの足で立った彼女は、額を伝う血と汗を強引に拭った。誰よりも先頭に立ち戦い続けたのか、その消耗は他の生徒と比べても一段と深刻である様に思う。身に纏った外套は光弾に焦がされたのか煤に塗れ、露出した肌は血と生傷、そして痣が散りばめられていた。あまりにも、痛々しい姿だ。

 

「全員、戦闘態勢を解くな」

 

 だが、声に一切の乱れはない。先行した味方に指示を出しながら、愛銃を改めて抱え込み二歩、三歩と煙を払いながらナラム・シンの玉座へと踏み込んでいく。持ち上がった視線が、中央で佇む先生の影を捉えた。

 

「……先生」

 

 表面が罅割れ、薄汚れたマスクを指先で支える。彼女の背後には、本人が家族と呼んだ一団が揃っている。人の本質は変わらない、きっと辿った道さえ――だが彼女は深い蒼の瞳を煌めかせ、決然と宣うのだ。

 

「――今、助けるからな」

 

 ■

 

【錠前サオリ、他ならぬ貴女が(貴女は)どうして(苦しまなくちゃ)――そんな(だとういうのに)満足そうな顔で(こんな最期なんて)……】

 

 ■

 

「……ぁ」

 

 助ける、だと。

 

 床を掴んでいた指先が、強烈な力と共に握り込まれた。骨が軋み、筋繊維の一本一本が全力で引き締まる感覚。視界が遠のき、強烈なフラッシュバックが異なる世界のヒナを襲った。

 全て全て、憶えている。あの日の雨の冷たさ、喉の奥に残った鉄の味、肌の上を走る痛み、息苦しさ、目の奥が焼けるような熱さ。忘れる事など出来はしない。忘れてしまっては、皆に顔向けできないと思っていた。

 

 だから今日まで、今日この瞬間に至るまで――空崎ヒナは彼女の顔を、一度たりとも忘れた事などない。

 

 そのお前が、錠前サオリが助けるだと。

 誰を――『先生』(この人)を?

 

 ■

 

【アコ行政官主導で実行されたアリウス自治区侵攻作戦は、自治区侵入より二十六時間が経過した時点で、先遣隊・本隊共に連絡が途絶しました】

 

 ■

 

 誰が、どの口で語るか。

 その名を呼ぶか。

 

「あ……リ――……」

 

 唇が戦慄き、掠れ、無様に震える声が漏れた。

 その姿を見た時から。

 その顔を視界に捉えた時から。

 即座に精神の奥底が反応した、抑え込んでいたあらゆる感情が、音を立てて沸き立ち煮え滾る感覚が抑えられなかった。胸の奥を貫く、鋭利で暴力的な衝動。理性など何の役にも立たない、鬱屈し積み重なった負の感情は余りにも天高く重ねられ過ぎた。

 衝動と激情は瞬く間に身体を駆け巡り、あらゆる主導権を支配する。

 最早、彼女の視界には件の一団のみが映っている。

 

 目前で佇む先生の姿すら――今の空崎ヒナにとっては、朧げな影同然で。

 

 ■

 

【ゲヘナなどを信じた、私が愚かでした……ッ!】

 

 ■

 

「――……アリ、ウス」

 

 辛うじて形を保ったまま吐き出された言葉は、呪詛に近い。

 限界だと思っていた身体の奥底から、大人のカードとは異なる出所不明の力が湧き上がり、空崎ヒナの身体は問答無用で再起動を果たす。負傷も、疲労も、何もかもを置き去りにして、空崎ヒナは再び立ち上がる。

 

「――!」

 

 擦れた愛銃が金属音を鳴らし、先生がその音に気付いて振り返った。全てがまるでスローモーションのように見えた。シッテムの箱が瞬き、先生の片目が異なる世界のヒナを捉える。その瞳が見開かれ、唇が何事かを紡ごうとする。

 だが、遅い。

 最早、止める事など出来ない。

 空崎ヒナを突き動かす原動力は、ただ一つ。

 世界を跨ぎ、線を超えようとも燃え尽きる事のない圧倒的な衝動であり原初の感情。

 ただ一つの純粋な――。

 

 憎悪(殺意)

 

 ■

 

【――シャーレの先生は射殺(死亡)、風紀委員長は戦闘不能(再起不能)と】

 

 ■

 

「アリ、ウス――ッ!」

 

 喉奥から唸るような重低音。あの日、あの瞬間、刻まれた過去の断片が現在と重なり合う。グリップを握り締める指先に血管が浮かび上がり、瞳孔が大きく開く。ぶわりと全身の産毛が逆立ち、空崎ヒナの全身から悍ましい色を帯びた神秘が吹き上がった。

 紫がかった、鈍色のそれは空間を押し潰す様な重圧を以て、直ぐ傍に立っていた先生を吹き飛ばした。

 先程までの冷徹で、無機質で、色のない圧力ではない。

 憎悪と怒りに彩られた、純粋な破壊を伴う波動。

 先生の体は堪える事も出来ずに吹き飛び、背後に立っていたこの世界のヒナとアコを巻き込み、そのまま駆け寄るワカモの傍まで転がった。悲鳴と怒声、それらが一瞬の内に響き渡り、異なる世界のヒナは全力で床を踏み砕く。獣の様な前傾姿勢を取り、血の張り付いた犬歯を剥き出しにして吼える。

 

「ヒナ――ッ!」

「なりませんッ!」

 

 床に転がった先生は義手でシッテムの箱を守りながら、全力で身を乗り出し右手を伸ばした。彼女を止めようとしたのだ。必死の形相でヒナの名を呼ぶ彼は、しかしワカモの全力の制止で以て抑え込まれる。伸ばした指先は空を切り、空崎ヒナに届かなかった。

 

「スクワッドォオオ――ッ!」

 

 咆哮染みた声が、周囲に木霊した。同時に床を蹴飛ばし粉砕、恐ろしい速度で以て錠前サオリに肉薄する。目に映る一団、スクワッドと聖園ミカが驚愕と共に身構えるのが分かった。

 今自身の目の前に存在するのは己から全てを奪った者共だ。

 友人も、日常も、未来も、学園も、世界も――愛した人も。

 何一つ、何一つ残らず。

 

 放たれた叫びは、もはや言葉以上の意味を持っていた。喉を裂き、肺を震わせ、魂そのものを叩きつける様な訴え。

 そうだとも、全てが無に帰す、その事自体に後悔は無い。元より正しさなど無く、全ては己の私情と怨恨に端を発した道であるが故に。否定を叫ぶ権利を、己は有していないのだから。

 それは間違いない。

 間違いである筈がない。

 ただ、空崎ヒナという存在に、唯一後悔があるとすれば

 それは。

 

 ――怨敵()である錠前サオリ(スクワッド)を、この手で屠れなかった事だけだった。

 




新ストーリー実装! 新衣装、ケイちゃん実装!
おめでたいですわ~! 素晴らしいですわ~ッ! 新キャラ六人でえらい出費になりますが、そんな事は関係ねぇんですわよ~! 問答無用で全員お迎えするんですわよ!
これは此方も全力を尽くさねば、無作法と云うものですもの……ッ!
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