ブルーアーカイブを、もう一度。   作:トクサン

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誤字脱字報告、感謝致しますわ!
今回約二万九千字ですの!


あまねく希望(生徒)の物語

 

 ナラム・シンの玉座が大きく揺らいだ。

 轟音とともに迸った閃光が空間を白く灼き、次の瞬間、構造体そのものを内側から引き裂く衝撃が奔る。崩落する破片と火花が乱舞し、足場が僅かずつ傾いて行く感覚があった。重力の感覚が一瞬遅れて牙を剥き、アトラ・ハシースはその均衡を失いつつある。

 迫る崩壊――終幕の予感。

 

『先生、アトラ・ハシースが本格的に崩壊を始めたわ! 次元エンジン周辺のブロックが分離、脱落した事を確認、落下速度はほぼ真空落下に近い……! 空気密度が急増する中層までは一気に落ちるわよ!』

 

 通信越しの声は切迫し、声の背後では計測値の乱高下が混じり合っているのか、警告音が微かに混じっていた。アトラ・ハシースの高度は急速に失われ、外殻を擦る風圧はまだ薄い。

 だがそれも束の間、中層へ達すれば空気は文字通りの刃となって襲いかかるだろう。

 

『此方も全力で脱出準備に取り組んでいます、それまで何とか耐えて下さい……ッ!』

 

 別回線から重なるカヤの叫び。脱出の算段は進んでいる、だがその前に抗わなければならない存在が居る。

 未だ目前に立ち塞がるプレナパテス、彼に対する銃撃は絶えることなく続く。

 崩れゆく床を踏み締め、掲げた腕に悍ましい力を収斂し続ける彼は、数える事も馬鹿らしくなる程の弾丸をその身に受けながら、未だ膝を突く様子はない。

 空間に満ちる硝煙と焦げた金属の匂い、床に散らばった無数の空薬莢は傾く床に釣られ転がり、爆炎の向こう側へと消えて行く。

 

「いい加減、倒れてよッ!」

 

 叫び、放たれた弾丸がプレナパテスの身体に突き刺さる。人体に着弾したとは思えぬ程に硬質的な音とともに弾頭が弾け、その巨躯が衝撃に揺らぐ。肩部の外装が弾け、薄汚れたローブには遂に赤黒い色が滲み出した。銃撃の手応えはあった、通常の生徒であれば幾度昏倒し、或いはヘイローにさえ届き得る猛攻であると断言出来る。

 だというのに、目の前の異形(巨躯)は倒れない。

 

「本当に、どんな耐久力をしているんだか……ッ!?」

「口を動かす暇があるなら、一発でも多く撃ち込め!」

 

 思わずフブキが悪態を吐き、カンナが怒声を上げる。その叱咤が空気を震わせ、再び銃声が重なるがカンナ自身の顔色も優れない。その粘り強さには、狂犬の名を持つ彼女でさえ驚く程だったのだ。生徒達による一斉射撃は続く、弾倉が空になれば即座に交換し、アトラ・ハシース落下の揺れがどれだけ激しくなろうとも、誰一人として引き金を絞る指を止めなかった。

 

『目標の識別を完了、最終局面につき緊急対応――エネルギー充填、加速』

 

 罅割れ、激しいノイズが走るシッテムの箱越しにA.R.O.N.Aが告げる。

 途端、プレナパテスが掲げた手に収斂するエネルギー濃度が急上昇する。最早光が歪み、周囲の空間が捻じれて見えた。収束するそれは、単純な攻撃などという表現では済まされない程の脅威を孕んでいた。

 一秒毎に膨らみ続ける光に気圧される生徒達、束ねられる圧力が肌を刺し、呼吸が無意識に浅くなる。アトラ・ハシース落下の浮遊感と連鎖する爆発、眼前の破滅的光景が重なり、世界そのものがあやふやになっていく様な感覚さえあった。

 

「っ、あの攻撃、まだ規模が大きくなるというのですか……!?」

「火力が足りないとか、考えたくないけれどね――ッ!」

 

 極限状態でさえ冷静さを保つRABBIT小隊でさえ、言葉の端に焦りが滲む。

 最早、アトラ・ハシースごと吹き飛ばすどころの話ではない。それ以上の何かが引き起こされてしまう予感さえあった。

 もしあの収束が解き放たれれば、落下するアトラ・ハシースごとキヴォトスを抉り取る一撃となるかもしれない。そうでなくとも、都市一つ程度は吹き飛ばせるような悍ましさと圧力を感じる。

 撃たせてはならないと全力で本能が警鐘を鳴らしていた。

 だが、止められない。

 どれだけ弾丸を撃ち込もうとも、目の前の異形は膝を突かない。

 

 恐ろしい程の執念――目に見えない、強烈な意志が異形の四肢を支え続けている。

 

【この一撃を以て全てを屠る、この世界に終焉を齎し、運命は収束する】

 

 低く、重く、どこまでも冷たい宣告が空間を満たす。崩壊を続けるアトラ・ハシースの震動すら、その声の前では遥か遠く。

 無名の司祭がプレナパテスを囲い、告げていた。

 誰の目にも捉える事が出来ない、知覚出来るのは傀儡となったプレナパテスのみ。白い法衣がはためき、言祝ぎとも呪詛ともつかぬ声が重なり合う。中心に立つプレナパテスへと、無名の司祭達は無貌の面を向ける。

 

「この――ッ!」

「此方からの攻撃は確かに有効、だというのにこの頑強さは……!」

「こ、このままじゃ、本当にヤバいんじゃないですか、私達!?」

 

 怒号と悲鳴が入り混じる。慌ただしく愛銃の弾倉を切り替えるコユキが、顔を真っ青にしながら叫んだ。弾倉を掴む指先が震え、装填にわずかな遅延が生じる。普段の飄々とした態度は形を潜め、落下による激しい揺れと目前の破滅的な気配が、確実に精神を削っていた。

 

「ミドリ、弾薬はまだある!?」

「あ、あと二つだけ……! これを撃ち切ったら、もう――」

「ど、どうしよう……」

 

 ミドリが持ち込んだポーチから弾倉を取り出し、ゲーム開発部の誰よりも前で銃撃を続けていたモモイに投げ渡す。残弾は今投げ渡した分と、ポーチに残り一つだけ、それを撃ち切ったらもう銃床で殴りつけるか、文字通り身一つで突っ込むしかない。

 段々と鮮明になって来る絶望的な現実を前に、ゲーム開発部の面々も恐怖を隠し切れない。モモイは唇を噛み、視線を泳がせながら、それでも銃口だけは決して下げない。空になった弾倉を床に投げ捨て、投げ渡された弾倉を勢い良く嵌め込んだ。どちらにせよ退く事は出来ない、逃げる場所も、隠れる場所も、此処には存在しない。

 

「―――」

 

 そんなゲーム開発部の中で、ただ一人。

 アリスだけは目前のプレナパテスではない。

 その向こう側に感じる――【何か】を見つめていた。

 崩れゆくナラム・シンの玉座も、揺れ動く足元も、目前で収束する破滅の光も、今だけは遠く――。

 

 

 ―――『アリスは私にとって、いつだって勇者だったんだ』

 

 

 聞き覚えの無い声が、アリスの耳に届いた。

 記憶にも、記録にも存在しない声だった。

 だというのにアリスの胸が大きく跳ねた。どくん、と一際強い鼓動。機械仕掛けの筈のそれが、まるで本物の如く熱を帯びる。

 誰かに、背中を思い切り押された心地だった。

 その誰かの掌は、泣き無くなる程に暖かく、力強かった。

 

「っ、アリスちゃん!?」

「ちょ、アリス、どうしたのさ!?」

 

 仲間の戸惑いを背に受けながら、気付けば背中を押された勢いそのままに前へと踏み出していた。

 傾く床を蹴り、ゲーム開発部の面々を抜き、最前線へと躍り出る。困惑を口にしたゲーム開発部の面々であったが、彼女の姿を見て思わず口を噤んだ。

 その小さな背が、誰よりも大きく見えたのだ。

 

「今、理解しました、アリスの――勇者()の役割を」

 

 実に静かな声だった。しかし、声には揺ぎ無い力が宿っている。

 アリスは抱えた光の剣を構え、勢い良く床を踏み締める。同時にゆっくりと目を閉じた。

 アリスは理解していた。

 この状況、必要なのはあの【光】()に対抗出来るだけの、同じ『光』()

 破滅を齎す収束の輝きに対し、打ち消し得る同質の輝き。

 

 それは、名も無き神々の王女である――アリスにしか出来ない。

 

 今まで自分の中に存在し、けれどずっと目を背けて来た。皆と過ごす日々の中で、必要としない力だったから。それでも確かに存在するもう一つの可能性がある。望む、望まざる問わず、辿り着いたかもしれない未来がある。

 今、それを再び手にする必要があった。

 だから――。

 

「聞こえていたら、力を貸して下さい」

 

 アリスは目を閉じたまま自身の中で眠る『彼女』へと語り掛ける。意識の深淵へと潜り、境界の扉を叩く様に。

 だって、いつだって彼女は。

 アリス(AL-1S)を見守っているから。

 

「――ケイ(key)!」

 

 ■

 

『――いいえ、なりません!』

 

 鋭く、微かな震えを帯びた声が応じた。

 

 アリスが再び目を開いた時、場所はアリスとケイだけが佇む世界へと転じていた。

 現実の崩壊も落下の浮遊感も、絶望的な光さえ届かない、意識の最奥に沈んだ静謐な空間。いつか自身が目覚めた寂れた廃工場の最奥。天井の崩れたその場所、頭上から差し込む光は白く埃を照らし、生え揃った雑草は微かな緑を主張する。時が止まったまま散らばる瓦礫片、絡み合う配線、冷え切ったコンクリートの床。

 この場所は記憶の残骸、アリス(AL-1S)の分水嶺であり、二人だけの境界線だった。

 

 差し込む陽光に照らされ、佇むアリスは頭上を仰ぐ。眩い光が、彼女の全身を余すことなく照らしていた。

 その対面、光の届かぬ影に身を置き、アリスと同じ格好、同じ姿、異なる瞳をしたケイ(key)は必死の形相で叫ぶ。

 

『王女よ、その力は本来このアトラ・ハシースと同質のもの、然るべき手順を無視し、この様な状況下で箱舟のプロトコルを起動すれば、負荷と代価は必ずあなたを蝕んでいきます! その様な選択、私は決して……!』

 

 呼びかけに応じたケイの声はどこまでも真摯であった。そうだ、彼女は決してアリスの敵ではない。寧ろ誰よりも彼女に近い場所で見守り続けていた存在。(key)とは、そのために存在する。

 名も無き神々の力――それは祝福ではない。王女という器にのみ許された力は、同時に正しい形で行使せねば彼女自身を削る呪いとなるだろう。

 理解している筈だ。知識としてではない、名も無き神々の女王として生まれた彼女は、存在の根底に漠然とした本能にも近しい感覚で以て、それを知っている筈なのだ。

 そう在るべしと創られた。

 それこそがAL-1S(名も無き神々の女王)であり、その(key)

 だと云うのに。

 

「ケイ」

 

 尚も云い募ろうとするケイを遮って、アリスは口を開いた。

 頭上を仰ぎ、眩しそうに陽光を見つめていたアリスが視線を落とす。影になった彼女を、自分と瓜二つの姿をしたケイを視界に捉える。

 

「ずっと、あなたに謝りたかったんです」

『……王女?』

 

 実に、ゆるりとした口火の切り方。放たれたのは予想していた言葉ではなかった。

 どのような反駁が為されるのかと身構えていたケイの思考が、一瞬空白に染まる。向けられる真剣な眼差しに、せり上がっていた言葉が止まる。静謐な二人だけの世界でアリスの瞳は眩い煌めきを宿していた。

 

「アリスは、ケイを理解出来なかったから、拒絶して、目を背けました……ケイから逃げようとしました」

 

 自身の胸元に手を当て、アリスは吐露する。過去の記憶が、軋む骨組みのように胸の奥で音を鳴らす。知らない記憶、知らない感情、知らない自分。生まれ落ちた時より定められた道、望む未来とは異なる明日を生きるのだと、そう決めつけられて瞳を閉じた。

 本来の自分を受け入れることが怖くて、触れないまま蓋をした。

 

 そうするべきではなかったのだ。

 

「理解出来なくても、ケイと向き合うべきでした――そのタイミングは、幾らでもあった筈なんです」

『………』

 

 返答はなかった。

 ただ、二人の間に沈黙が落ちた。

 その沈黙は拒絶ではなく、純粋な戸惑いだった。

 ケイはアリスを凝視しながら、唇を二度、三度震わせる。何かを云おうとして、言葉が出なかった。ただ様々な感情が胸中に湧き上がり、綯交ぜになって広がっていた。

 

「だってアリスは、ケイの事をまだ、何も知りません」

 

 アリスは怖かったのだ。

 自分の知らない自分を知るケイが。

 自分の奥底を覗き込む存在が。

 自らを王女と定義し、魔王の如き役割を告げるその声が。

 

 だが、知らないからこそ知る努力をするべきだった。

 分からないからと遠ざけるのではなく、分からないままでも隣に立つべきだった。

 互いに理解しようと努める事、それこそが自らが踏み出す第一歩だった。

 

「――だから、ケイの立場になって考えてみたのです」

 

 もし自分がケイだったら。

 名も無き神々の王女を導く役割を持ち、しかし当の王女に拒まれ、大切な人から遠ざけられ、目を背けられてしまったのなら。

 その孤独は、苦痛は、どれ程のものだったのか。

 

「世界を滅亡に導く鍵である事が、ケイの存在理由ならば……今まできっと、苦しかったと思います」

 

 二人だけの世界に、アリスの言葉は静かに落ちた。

 ずっと、誰にも知られずに待ち続けた。起動の時を、名も無き神々の王女の覚醒を、定められた運命の収束を。

 生誕の歓声も祝福もない、ただそう在るべしと役割だけを与えられ、暗い最奥で独り。

 或いはゲーム開発部の皆と、先生と出会わなければ、アリス(AL-1S)もまた同じ道を辿っていたのかもしれない。

 

「魔王となるべく目覚めたアリスが勇者を志し、ケイから目を逸らしてしまったのですから」

 

 本来ならば破滅へと進むはずだった歯車が、逆回転を始めた。

 魔王として覚醒するはずの存在が、勇者を志した。

 それは奇跡の様な出来事であり、同時にケイにとっては裏切りでもあったのかもしれない。

 自らの役割を託した唯一の相手が、その自らを否定したのならば。

 それはどれ程の苦しみだろうか。

 どれ程の痛みだろうか。

 アリスには想像する事さえ難しい。

 

「だから、ずっと考えていたんです」

『王女よ、私は――!』

 

 ケイは胸元を掴み、辛うじて声を絞り出した。しかし、言葉が上手く続かない。口にしようとしたのは否定か、弁明か、それとも懇願か。自らの定義に従えば、ここで彼女を止めるべきなのだと思った。

 だが、彼女の瞳を見ていると言葉が力を失う。深い蒼、酷く澄んだその色がケイを捉えて離さない。姿形が同一であっても、その本質は余りにも異なる。

 

『私は……ッ!』

 

 アリスはケイが分からないという。

 だが、それはケイとて同じであった。

 

 己の本当の名を棄てる理由も、用意された道を外れ歩む理由も、勇者等と云う存在を目指す理由さえ、ケイには分からない。

 分からないけれど、ケイはアリスを恐れない。

 どれだけの痛みも、苦しみも、孤独も我慢できる。

 何故ならケイにとって、アリスこそが――。

 

「自分のなりたい存在は、自分で決めて良い」

 

 言葉を詰まらせるケイに、アリスは告げた。

 声は力強く、陽光の只中に響いた。

 

「先生は、そう教えてくれました」

 

 その言葉を口にするだけで、胸が温かくなる。

 生まれ持った役割も、与えられた使命も、絶対ではない。その在り方を、進む未来を変える事は出来る筈なのだと。

 先生は、そう云ってくれた。

 

「どんな存在でも、アリスも――そして、ケイも」

 

 アリスは、その言葉を信じる。

 

「誰かに許可を貰う必要はありません、アリスだってそうです」

『………』

「だからケイも、ケイが望む存在になる事は、いつだって出来るんです」

 

 自らの歩む道、それを決める権利は外側には存在しない。どんな偉い人にだって、世界にだって、天童アリスの歩む道は決められないのだと信じる。

 選ぶのは、いつだって自分だ。

 アリス自身で選び、進むのだ。

 

「――アリスは、勇者になりたいです」

 

 アリスは一歩を踏み出す。錆びついた床に靴音が響く。ケイ(暮明)との距離が縮まる。

 かつては自ら目を背けた存在へ、今は迷いなく歩み寄る。

 

『……王女』

 

 ケイの声が、か細く響いた。瞳が細く絞られる、頭上よりアリスを照らす陽光が嫌に眩く思えた。ただの心象風景だ、そこに物質的な光など存在しない。だというのに、ケイにとっては直視できぬ程に煌めいて見えたのだ。

 

 誰かに与えられた役割(定義)ではなく、自ら掴み取る役割(ジョブ)

 それが、アリスが望んだ未来。

 世界を終わらせ魔王としてではなく、世界を救う勇者として立つ未来。

 それはケイにとって、望ましくない未来の筈だ。

 用意された道の真逆を行き、全てを棄て去る愚行の筈だ。

 だというのに、何故こうも――。

 

「アリスはまだ見習い勇者です、アリスは、アリスが誰かを助けられるような存在なのか分かりません、誰かを助けられる力も、知恵も、技術も、まだまだ足りない事を知っています」

 

 その言葉に偽りはない。二人だけの空間で、アリスは自分の未熟さを隠そうとしなかった。純粋な強さも、賢さも、誰かを救う為に必要な力が自分にはまだ足りないと、はっきり理解している。

 

 アリスは、ネルの様に強くはなれない。

 どんな敵をも打倒するような、圧倒的な力を、成長を、今直ぐ果たす事は出来ない。

 またリオやヒマリの様に、どんな状況からでも盤面をひっくり返す様な知識や知恵を持たない。

 幾重にも思考を巡らせ、最適解を導き出すその頭脳の煌めきを自分はまだ持ち得ていない。

 エンジニア部の皆の様に、光の剣の如き素晴らしい存在を作り上げる事も。ヴェリタスの皆の様に、誰かを背後から支援し導く事も。

 この手で出来る事はあまりにも限られている。

 アリスはまだまだ未熟だ、見習い勇者だ。

 けれど、そんなアリスでも。

 未熟な勇者アリスでも、彼女達に負けないと胸を張れる事が一つだけある。

 

「でも、誰かの為に立ち上がれる人、誰かを助けたいと思う気持ちこそが――勇者の資格であると、アリスは信じています」

 

 それは胸の奥で灯る、小さくて、それでも確かな煌めき。

 立ち向かう勇気。

 誰かを助けたいと願う気持ち。

 その意思の強さだけは、決して負けないと断言できる。

 何度打ち砕かれても、誰かに否定されても、その意思だけは誰よりも強くアリスの中で輝き続けている。

 

 ――勇者アリスは、皆を助けたい。

 

 今なおアトラ・ハシースで戦う多くの仲間達を。

 恐怖を押し殺し、抗い続けるゲーム開発部の皆を。

 生徒の為に血に塗れ、懸命に戦い続ける先生を。

 

 そして――目の前にいる、彼女(ケイ)を。

 

「もう一度云います、ケイ」

 

 一歩、また一歩とアリスは歩みを進めた。錆びた床に映る二つの影が、重なりかける。

 アリスとケイ、陽光と影の境目、白と黒が重なるその場所で彼女は足を止める。

 目と鼻の先に瓜二つの顔が迫った。

 真っ直ぐ交差する瞳、片や何処までも真剣な面持ちで、片や今にも泣き出しそうな悲痛に歪んだ面持ちで。

 ただ真っ直ぐに、目の前の存在だけを注視する。

 

「アリスは、勇者になりたいです」

『…………』

「世界を滅亡させる魔王ではなく、世界を救う勇者に」

『それ、は』

「そして、出来る事なら」

 

 呟き、アリスはゆっくりと手を持ち上げる。

 拒まれるかもしれない。

 それは跳ね退けられて当然の願いなのかもしれない。

 それでも、アリスは伝えなければならないと思った。

 今度こそ、真っ直ぐに向き合わなければならないと思ったのだ。

 

「アリスは」

 

 ケイの目前に差し出される掌。

 あれ程綺麗に手入れされ、白かった肌が、もうボロボロだった。此処に至るまで彼女が懸命に生きて、抗い、戦い続けた結果だった。陽光に照らされたアリスが差し出した指先、それがケイの視界一杯に広がる。

 アリスは、優しく微笑み告げた。

 

「ケイと一緒に、勇者になりたいんです」

『―――』

 

 差し出された掌は、言葉の如く真っ直ぐで。

 差し込む陽光の向こう側で微笑む彼女。ケイは差し出された掌を凝視し、指先が反射的に跳ねる。この手を取る事の意味を理解していた、だと云うのに陽に照らされた場所から掌を差し出すアリスの姿が、余りにも眩しくて、美しくて。

 

 自分のなりたい存在は、自分で決めて良い。

 もし彼女の口にする言葉が真実ならば。

 定められた扉を開く(key)が、全く別の扉を開こうとも。

 

『――私は』

 

 それを決めるのは――(ケイ)自身であった。

 

 ■

 

「っ、支援要請――?」

 

 ウトナピシュティム内部、忙しなく動き続けるリオの視界、ホログラムモニタに表示される文字列があった。それを認識し、反射的に眉を顰めるリオ。戦況データ、アトラ・ハシースの落下軌道、内部構造損壊率、AMAS防衛線の負荷状況――幾重にも重なる情報層の最前面に緊急フラグ付きのリクエストが割り込んできたのだ。

 

 同様にそれは、重要度の高さから直ぐ横でコンソールを操作していたカヤの目にもとまる。自動優先度振り分けをすり抜け、最上位に躍り出た要求値である。ウィンドウの最前列に躍り出たリクエストに操作の指が一瞬止まる。それから素早く要請内容に目を通し、思わずカヤは声を上げた。

 

「な、何ですか、この桁違いのエネルギー要求量は! こんなもの承認すれば、ウトナピシュティムの殆どのリソースを持っていかれますよ!?」

 

 要求されたリクエストに表示されている数値は、常識的な戦術支援の範囲を遥かに逸脱していた。単独兵装などというレベルではない、文字通りの桁外れ、アビ・エシュフですら要塞都市の演算リソースを殆ど食いつぶして運用していたが、これはそれ以上。

 カヤの云う通り要請内容はウトナピシュティムの持つリソースの殆どを消費するレベルのものであり、流石のリオですら顔を顰めたくなる程の数値であった。

 これを通せば、AMASの防衛線構築維持すら危うくなる。

 だが――これ程の要求、伊達や酔狂で送り付けた訳ではあるまい。

 

「要請者は……」

 

 リオはコンソールを操作しながら、発信者の欄に目を動かす。恐らくナラム・シンの玉座にて戦っている誰かだろう。極限状態が続く最前線、一見無茶な要求が出ること自体は理解出来る。

 しかしその名前を目にした時、リオは静かに息を呑んだ。

 

「――アリス」

 

 短く、しかしはっきりと表示された名前。

 この支援要請を行ったのはアリス。

 リオの脳裏に、彼女の小さな背中がよぎる。同時に振り返り、真っ直ぐ此方を見つめる双眸。蒼穹の様な瞳をした、勇者を目指す少女を想起した。

 同時に現実的な思考が首を擡げる。

 これ程のエネルギー、要請して一体どうする。光の剣という他の生徒とは一線を画す火力を持つ彼女であるが、一体どのような運用をするというのか。

 単純な火力増強では説明がつかない、どれだけ莫大なエネルギーを得たとしても、それを撃ち出す土台が保持出来るとは思えないのだ。たとえエンジニア部謹製のレールガンであっても、ウトナピシュティムの持つ莫大なリソース、エネルギーを十全に撃ち出せるとは思えない。必ず、光の剣が先に崩壊する。

 

 いや、或いは逆なのか?

 既存兵装から撃ち出すのではなく、それを放つ土台を含め構築しようとしている可能性も、だがどうやって――いや、彼女には特別な力がある。しかし、それは彼女が否定した道であり相応の代償を伴う筈で。

 

「っ……」

 

 そこまで思考し、リオは首を横に振った。次々と鳴り響く警告音が、思考に没頭するだけの暇を与えなかった。

 現状、此処からナラム・シンの玉座の正確な状況は掴めない、アリスが何を考え、どのような想いでこのリクエストを送信したのかも。

 だが――。

 

「まさか、許可するつもりですか!?」

 

 先程までの作業を一時中断し、改めてコンソールを叩き始めたリオに対し、カヤは驚きの声を上げる。

 開かれる承認の表示、全系統再配分の準備は済ませた。それはウトナピシュティムの心臓部を一時的にでも空にする選択に等しい。だが、リオの瞳は揺らがない。ホログラムモニタ越しに表示されたアリスの名を、もう一度だけ見つめる。

 

「脱出シーケンスに必要なリソースは既に確保済み、最低限AMASに稼働なリソースも残っている、仮にここで要求されたリソースを譲渡しても先生と私達が脱出するまでは十分耐えられる筈よ」

 

 リオは最終確認として複数のウィンドウを同時にスライドし、エネルギー配分グラフと脱出シーケンスの進行状況を重ね合わせながら、冷静に、自身の思考をもう一度なぞる様に口ずさむ。

 既に裏で走らせていた最適化アルゴリズムは、脱出シーケンス分の出力を別系統に退避させ、動力負荷のピークを均し、最低限のAMAS稼働ラインを死守する形へと再構築されている。危険な綱渡りであることに変わりはない。だが、決して無策の衝動的な行動という訳でもない。

 それを調整する事こそが、調月リオに課された役割である。

 

「だからって、こんな状況で……!」

 

 カヤの声は僅かに震えていた。外部モニタには崩落するアトラ・ハシースの回廊、逼迫するAMAS防衛線、警告色に染まったアラート群が絶えず映し出されている。ナラム・シンの玉座も同様だろうが、余裕などどこにも存在しない。ほんの僅かな誤差がヘイローの損壊に繋がる局面である。

 理性が、常識が、生存本能が止めろと叫んでいた。

 

「こんな状況だからよッ!」

 

 だが、リオは敢えて強い口調で言葉を叩きつけた。

 その声は周囲の空気を震わせ、警告音すら一瞬遠のいたように感じられた。それはカヤに対して発したというよりも、自分自身に向けて投げつけた言葉だった。

 

「今度こそ、私はあの子を信じると決めたの……!」

 

 合理と奇跡の狭間。

 その差は、ほんの厚さ一ミリにさえ届かない様な差なのかもしれない。無謀と勇気は何が違う、合理を重んじるリオからすれば跳ね退けて然るべきリスクである。

 だが、合理を突き詰めた果てではなく、意地汚く、諦め悪く、這い蹲りながらも進み続けた先に奇跡を掴んだ姿をリオは知っている。

 切り捨てるべき一が、世界を救う未来を勝ち取った光景を憶えている。

 

 あの日の過ちを、悔いなかった日は無い。

 合理を信じ、確率を妄信し、最善と信じた結果が誰かの犠牲を生む結果など二度と。

 だが、その失敗から学んだことがある。

 

『誰か』を信じる事。

 自分の為せない何かを、託す事。

 ひとりでは切り開けない未来も、他者とならば切り開ける事。

 それは無謀かもしれない。破滅への引き金かもしれない。文字通り確率の向こう側、那由他の果ての可能性に等しいのかもしれない。

 

 だが、ゼロではない。

 

 過去を悔いたままでは終わらせないための。

 そこに、奇跡を起こす為の土台があると信じる。

 

「行きなさい――アリス」

 

 告げ、リオはコンソールを勢い良く叩く。

 アリスのリクエストを承認し、ウトナピシュティムへのアクセスを許可する。承認キーが赤から青へ反転し、制限ロックが次々と解除されていく。

 途端高出力ラインが開き、奔流のようなエネルギーが再配分回路へと流れ込む。警告表示が一斉に書き換わり、負荷グラフが跳ね上がるのが分かった。

 

「私達の未来、貴女に託すわッ!」

 

 ■

 

「―――ッ」

 

 空気が大きく震えた。

 落下を続けるアトラ・ハシースの轟音とも、プレナパテスが収束させるエネルギーの唸りとも違う、異質な力の波動だった。

 先生はアリスから、異様な気配を感じ取る。

 それは恐怖ではない、だが確実に何かが変わったという直感が働いた。

 彼女を中心に、薄らと風が吹いていた。意志の奔流のような、目には映らぬ力の流れが、確かに彼女の周囲で渦巻いている。

 

「アリス……!?」

 

 思わず名を呼ぶ。

 その変化が、アリスの変化が危険な賭けの前兆であると本能的に理解したからこそ、先生は無意識の内に身を乗り出し叫んでいた。

 

「――大丈夫です、先生」

 

 だがそんな先生に対し、アリスは平然と応える。

 落下の衝撃に揺れる足場の上、それでも僅かな揺らぎも無く声を張り上げる。蒼穹を思わせる瞳を見開き、小さな掌で勇者の証、光の剣を握り締める。

 どこまでも澄み切った青。迷いを振り払った空の色。

 それを煌めかせ、彼女は叫ぶのだ。

 

「アリスを、信じて下さい」

 

 声は、高らかに響いた。

 

「アリスと、ケイを、信じて下さい!」

 

 その名を、はっきりと告げる。

 先生が何事かを口にしようとして、けれど咄嗟に飲み込んだ。彼女の変化を、その内側を悟ったからだ。

 アリスは自らの内に秘める、彼女(ケイ)を感じ取る。今やそれは異物ではない。拒むべき影でもない。確かにそこに存在する、もう一人分の意志。

 

 ――二人で、光の剣(勇者の証)で、この絶望を切り開いてみせる。

 

 言葉にせずとも、その決意は伝わる筈だ。

 今尚収束する破滅の光に対抗する、もう一つの光。それは希望となり自分達の進むべき道を切り開く。

 滅びの鍵ではなく。

 未来を開く希望の鍵として。

 

 私達(アリスとケイ)は、二人でこの道を往くと決めた。

 

「それが――」

 

 アリスは光の剣――スーパーノヴァを構えた。

 砲口が眩く輝き、周囲の瓦礫と粉塵を白く照らす。その輝きはプレナパテスの禍々しい光とは違う。破壊の熱を持ちながらも、優しく包み込むような光だ。白と青、何処からか供給される恐ろしい程のエネルギーはプレナパテスのそれと比較しても見劣りしない。光はアリスを光の剣へと収束させ、その圧力を刻一刻と強めていく。

 それを力いっぱい握り締め、アリスは高らかに宣言した。

 

「それが、アリス(勇者)役割(使命)ですッ!」

 

 宣言と同時に風が爆ぜる。彼女の足元から放射状に走る光の亀裂、アリスが否定したもう一つの側面、それが内なる存在(ケイ)の導きによってひとつの目的の為に昇華されていく。

 その後ろ姿に、先生は覚悟を決め叫んだ。

 

「あぁ、信じているよ……!」

 

 絞り出された叫びは破壊の轟音にも、終末の唸りにも負けない。

 たとえそれが那由他の果ての可能性であっても。

 彼女達が望み、進みたいと願うのであれば。

 いつだって先生は信じて託すと。

 

「あ、アリスちゃん、何を……!?」

「あの光は、まさかスーパーノヴァで迎撃をするつもりで――」

「チビ、あいつ……ッ!」

 

 生徒達がアリスの異変に気付く。同時に彼女が何をするつもりなのか、大まかな輪郭を捉えた。

 アリスの搔き集める光は、凄まじい勢いでその規模を大きくしている。エネルギーの奔流は留まる事を知らない。だが先に収斂を行ったプレナパテスが確実に先手を打つだろう。

 ならば、アリスが準備を終えるまで。

 希望の光が満ちるまで――時間を稼ぐ事こそが、此方の役割。

 先生は唇を噛み締め、吹き荒れる突風に立ち向かう様に再びプレナパテスと対峙する。

 

『プレナパテスのエネルギー濃度、凄まじい勢いで上昇していきます……ッ!』

 

 アロナの声が、切迫した電子音と共に先生の中へと響き渡る。観測された数値は限界値を振り切り、アロナの表示したホログラムモニタの表示が赤く明滅する。アトラ・ハシース落下とは別種の、純粋な破滅の出力が一点へと収束していくのが分かる。

 最早、あの攻撃は止められない。

 プレナパテスの持つ不屈の精神が、ありとあらゆる阻止攻勢を跳ね退けている。

 恐らく、光の剣の攻撃は間に合わないだろう。

 

【裏切りの王女よ、未だ足掻くか】

【しかし遅い、この運命は変えられぬ】

【そうとも――この世界の終焉は既に決まっているのだ】

 

 プレナパテスを囲う無名の司祭が次々に告げる。重なり合う声は決して生徒達には届かず、同じ世界でありながら一つズレた解釈として機能する。絞り出される響きは呪詛であり、彼等の大望であり、鎖の如くプレナパテスの全身を雁字搦めにする。

 

【結末を】

【消滅を】

【追放を】

【終焉を】

 

 この世界に、我らと同じ運命を(永劫の苦しみと恐怖を)

 

 ゆっくりと両腕を掲げ、無名の司祭達はプレナパテスの収斂した極光を仰ぎ見る。極彩色の光が無貌の白を照らし、見上げる者に破滅的な未来を予感させた。

 自分達が味わった絶望を、痛みを、苦しみも、この世界にも。

 それこそが、選ばれず世界に取り残された者達、唯一の――。

 

【これで――運命は定まる】

 

 全員が腕を掲げたまま、プレナパテスを中心に光の先を睥睨する。其処には多くの生徒を引き連れ、今なおこの絶望的な光に抗おうとするちっぽけな人間の姿がある。

 どれ程暮明に呑まれようとも、圧倒的な力の差を見せつけても、未来なき世界を語ろうとも、その者は決して希望を手放さず先陣を切って困難に挑む。

 

 その姿が、醜く無様で矮小な存在が、何よりも力強く我らの大望を拒む。

 

 だが、それも此処までだ。

 運命は定まり、果たして結末は訪れた。

 これこそが世界の裁定、新たな理の幕開け。

 

【滅びよ、忌まわしき聖者(世界)!】

 

 叫び、怨嗟の合唱。

 同時にプレナパテスの腕が振り下ろされ、極限まで収斂された極光が無慈悲にも放たれた。

 

『駄目です、先生! 敵の攻撃が来ますッ!』

 

 アロナの悲鳴に近い警告。

 瞬間、世界が極彩色に塗り潰される。

 音が遅れて爆ぜ、空間そのものが裂けるような悲鳴が轟いた。

 熱が、風が、光が、全てを呑み込み唸るような破砕音を搔き鳴らし、熱波が頬を撫でた。

 

「ッ――」

 

 視界一杯に広がるエネルギーの奔流。

 それは先生にとって光というより、確かな質量を持った破壊そのものを具現化したような代物に見えた。極光は直線状に存在するあらゆる物質を呑み込み、一直線に、一切の容赦なく先生達へと襲い掛かる。

 空気が焼け焦げ、ナラム・シンの玉座そのものを飲み込みながら迫る絶対的な終焉。アロナの警告がシッテムの箱越しに響いている。内部回路さえ震わせるような声は、しかし殆どが極光の破砕音に飲み込まれていた。

 

「やばッ――!」

「くそがぁッ!」

「アル様ッ!」

「っ、皆、私の後ろにッ!」

「うわぁあああっ!?」

「皆さん、伏せて下さいッ!」

「コハル、ハナコ、ヒフミ――ッ!」

「先生の所に、早く……ッ!」

 

 悲鳴と怒号が入り乱れる。

 迫り来る眩い極光は、もはや避ける云々が通じる規模ではない。視界を埋め尽くす攻撃、触れるだけでも消し飛ぶ、真面に受ければヘイロー諸共粉砕――そんな確信が本能を震わせた。

 生徒達が各々の反応を示す。

 迫る光を睨み付け、最後まで弾丸を撃ち込む者。反射的に身を屈め、弾倉の空になった銃を握って歯を食いしばる者。仲間を庇うように腕を広げ胸に抱き込む者。足が竦み、その場を動けなくなる者。先生の元へと駆け出し、その身を盾にしようとする者。

 

 先生は咄嗟に身を乗り出し、自身を引き寄せようとする生徒達の腕の中から防壁を張ろうと息を吸い込む。シッテムの箱を意識し、既に限界の差し迫った大人のカードを使い潰すつもりで、アロナの名を叫ぼうとした。

 その刹那。

 

「先生、退避を――ッ!」

 

 それよりも早く、巨大な何かが隣を横切った。

 空気を裂き、床を蹴り穿ち、凄まじい勢いで視界に割り込んでくる鋼鉄の巨躯。先生が何か反応を示すより早く、それは両腕を交差させ、迫っていた極光へと真正面からぶつかっていった。

 

 衝突の瞬間、白光と火花が爆ぜ、凄まじい衝撃波が周囲を薙ぎ払う。

 熱風が肌を焼き、堪らずその場で背中から倒れ込む生徒達。先生もまた、その中に混じって巨大な影となった背中を呆然と見上げる。

 

「っ、アビ・エシュフ!?」

 

 特徴的な外装と背中に格納された二本の砲身を目視した時、先生は叫ぶ。見覚えのある形状、全体的に重ねられた増設装甲はエリドゥ時のスペックと比較し、演算能力が低下した分を補う為に追加されたもの。普段のアビ・エシュフと比較して幾分か重厚なシルエットとなった機体、それを駆る人物を、先生は一人しか知らない。

 

「――トキか!?」

 

 飛び散る眩い火花に顔を顰めながら、未だ膝を突かぬC&C、ネルが名を呼んだ。ウトナピシュティムの防衛に当たっていたトキの駆るアビ・エシュフ。

 その彼女が今、強化外骨格の装甲をそのまま盾として、極光を真正面から受け止めていた。

 

「トキ、てめぇッ!」

「リーダー、危険だ……!」

 

 ネルが堪らず身を乗り出す。怒りと焦燥が混ざった声だった。だが、飛び出すより早くカリンがその肩を掴み、強引に押さえつけた。流石のネルとはいえ、この破滅的な極光を前にすれば余りにも小さく、無謀に思えたのだ。

 現に単独で極光の前に立ち塞がり生徒達の防波堤となったアビ・エシュフは早々に電磁防壁を突破され、青白いスパークと共に全身の装甲板で極光を押し留めていた。

 

「電磁防壁崩壊、増設装甲、第一層、第二層融解、排熱処理が間に合わない、姿勢制御システム、マニュアル切り替え――ッ!」

 

 トキの視界を埋め尽くす警告表示、赤、赤、赤。目まぐるしく変化するアビ・エシュフのパラメータ。機体温度は急激に上昇し、各部装甲耐久値が秒単位で削られていく。アビ・エシュフの巨体が、ジリジリと後方へ押し込まれていく。床面が焼け溶け、金属の溶ける匂いが充満していた。

 トキは押し込まれそうになるアビ・エシュフを必死に制御する。両脚部アクチュエータは既に最大出力。姿勢制御を手動に切り替え、両足を踏ん張る。これはなまじアビ・エシュフに搭載されている姿勢制御システムが優秀な為、飛来した攻撃に対し最適な角度、方向で受け流そうとしてしまうからである。

 だがそれでは、背後の先生達を守れない。

 敢えて真正面から、この絶望的な攻撃を受けとめる必要があった。

 

「まだです、アビ・エシュフ! まだ、耐えなければ……ッ!」

 

 目の前でトライポッドを覆っていた装甲が融解を始めた。厚い複合装甲が赤熱し、やがて飴のように垂れ落ちる。内部フレームが露出し、火花を散らしながら軋みを上げた。腕部だけではない、肩部の展開装甲も、脚部外装も、順に赤熱し溶け落ちる。

 それでも、トキは退こうとしなかった。

 その背後にいる者達へ、決してこの光を通さないとでも言うかのように堪え続ける。

 

『トキッ!? 駄目――……今直ぐ――……脱出――なさいッ!』

 

 激しいノイズに引き裂かれながらも、耳元のインカムから声が響いた。途切れ、歪み、警告音と衝撃波に掻き消されそうになりながらも、確かに聞こえた声。トキはその声に、リオの声に応える。

 

「問題、ありません……!」

 

 余裕とは程遠い、切羽詰まった声だと思った。

 通信帯域は圧迫され、機体外装を叩き続ける極光のエネルギー干渉により、此方の音声もまた断続的に途切れている事だろう。視界の大半は白熱した光に染まり、各種警告表示が赤く点滅し続ける。あらゆる攻撃を逸らして来た電磁防壁は既に崩壊、外部温度は想定許容値を大幅に超過。

 それでも――極光を直視するトキの瞳は恐怖を宿さない。

 

「この機体は、リオ会長とヒマリ部長、それにエンジニア部、ヴェリタス、あらゆるミレニアムの生徒達が力を結集させ、作り上げたものです……ッ!」

 

 トキは叫ぶ。

 この機体の基礎となる部分を作り上げたリオは勿論。エリドゥの戦闘データと現在の実現可能なラインから数値を積み上げ続けたヒマリ。油と煤に塗れながらフレームを組み上げ、幾つものパッケージプランを提案し実現したエンジニア部。検証データと共にリオやヒマリと共に新たな戦闘システム・演算領域を考案、組み込んだヴェリタス。

 幾度も失敗し、幾度も改修を重ね、それでも諦めずに完成へと辿り着いた血と汗の結晶。それこそがこのアビ・エシュフである。

 機体性能としてはエリドゥにて戦っていた頃のスペックが勝るだろう、だが文字通りこの機体は背負っているものが違うのだ。

 

 アビ・エシュフは、トキにとってただの強化外骨格ではない。

 これは、ミレニアムそのものである。

 トキが紡いで来た、人と人との繋がりを証明するものである。

 故に全幅の信頼を置いている。

 この機体に、仲間達の技術に――。

 そして、それを託された自分自身に。

 

「それに、約束しました……!」

 

 瞬間、極光の圧力が増す。腕部装甲の一部が弾け飛び、火花と溶融金属が飛び散った。一瞬アビ・エシュフが上体を揺らし、同時に勢い良く床を踏み砕く。

 各部のスラスターを最大出力で噴かし、反動で後退しそうになる巨体を無理やり押し留めた。

 破滅の手は、トキ自身の身体にも手を伸ばす。

 身に着けていたバイザーに溶解金属が付着し、その表面が罅割れ、弾ける様に小さな爆発を起こした。顔面を跳ね上げ、しかし歯を食い縛ったトキは露になった両目を見開き叫ぶ。

 

「――先生は、私が守るとッ!」

 

 その叫びと同時に、トキは己が瞳で極光を直視した。

 融解が進む装甲越しに、灼熱が伝導してくるかのような錯覚。神秘に守られた肌が僅かずつ赤みを帯び、火傷の鈍い痛みが彼方此方から走る。だが己に発破をかけ、歯を噛み砕く気持ちで食い縛り、重い操縦桿を動かしアビ・エシュフの両腕を更に突き出す。

 

 しかし、想いだけではどうにもならない。

 

 出力には限界があり、冷却は追い付かず、フレーム応力は危険値を振り切っている。どれだけ闘志を燃やして、どれだけ意思を強固に持っても、世界の法則は覆らない。

 

「っ、アビ・エシュフの、防御性能を以てしても……!」

 

 歯を食いしばるトキの声が、震える機体フレームを通して響いた。

 設計上は戦車の正面装甲にすら勝り、増設装甲を含めた現在はネルの全力全開の神秘砲でさえ真正面から受け切れる。尤も、本人に告げれば全力で怒り嬉々として装甲を抜きに来るだろうが――文字通り量産品とは一線を画す、トキの為の機体。幾重にも重ねられた耐熱層、電磁偏向防壁、衝撃緩和フレーム。だがその全てを以てしても、尚抗いようのない一撃だった。

 

「っ、く――」

 

 トキの抗う意思に反し機体は後退を続け、同時に露出したフレームが剥離を始めた。

 溶断された外殻が赤熱した破片となって宙に舞い、床へと張り付くたび白煙と僅かな火花を散らす。踏み締めた足元は既に陥没し、巨体が床諸共削り取られるように押し込まれていく。

 

「アロナッ!」

 

 トキの勇姿を見つめていた先生の叫びは轟音を切り裂くように響いた。その声に含まれている意図を、アロナは十全に察する事が出来た。

 察する事が、出来てしまった。

 

『先生、この規模の攻撃を防げるだけの防壁は、もう……!』

 

 焦燥に滲むアロナの声。シッテムの箱、その演算処理領域より提示される解はどれも致命的な反動を伴うものばかりである。たった数秒、極光に晒されただけでアビ・エシュフは今、目の前で大破寸前となっている。

 虎の子の増設装甲は溶解し、機体本体のフレームさえ消滅する。当然だ、プレナパテスの放った一撃は文字通りアトラ・ハシースの全エネルギーを束ね、収斂し、作り出された最後の一撃。

 たった今目の前に迫っているのは、この巨大構造物を運用し複数のサンクトゥムを打ち立てる事が出来るだけの莫大な出力そのものである。

 寧ろ、触れた瞬間に消滅しなかた事こそが、アビ・エシュフがどれだけ優秀で堅牢な機体かを物語っている。

 

「どんな形でも、何を代価にしても構わない! あと一回、たった一度で良いッ!」

 

 先生はアビ・エシュフ、トキの背中を見つめながらシッテムの箱に向かって声を張り上げた。このままでは、アビ・エシュフ諸共トキが極光に呑まれる。それは一秒後の未来かもしれない、あるいは二秒か、三秒か。

 それだけは絶対に阻止しなければならない。

 

 先生の右手に青白い光が集う。薄らと淡く象る輪郭、それは大人のカードの顕現である。最早酷使されたそれは迫る極光の前には余りにも儚く、嘗て世界を煌めきで覆った力強さは何処にも存在しない。

 四隅の罅割れた大人のカードを見たアロナは、何度も首を横に振った。

 

『だ、駄目ですッ! これ以上の行使は、先生の体がもちません――ッ!』

 

 既に幾度も限界を超えた代価を支払った先生の肉体。シッテムの箱は勿論の事、この規模の攻撃を防ぐ強制行使は、生徒の顕現に比肩し得る負担を強いるだろう。

 爆炎と轟音。プレナパテスの放った極光によってナラム・シンの玉座が急激に崩壊を進める。内壁が次々と砕け、天井が崩落し、空間そのものが熱を帯びる。崩落する瓦礫と爆炎、極光の煌めきが入り混じり視界は混沌に呑まれていく。

 

『ナラム・シンの玉座は崩壊を始めています! 大規模な負荷は、先に先生の肉体が……ッ!』

「構うものか、今更何を惜しむ必要がある!?」

 

 床を掻き、身を竦め眩い光より顔を背ける生徒達の体温を感じながら叫ぶ。守るべきものが直ぐ傍にある、肉体は未だ朽ちず、精神は未だ折れず、ならば内に秘めた天秤は不動。

 躊躇う必要など何処にもなかった。

 しかし――アロナは違う。

 

『――生徒さん達と一緒に、地上に帰れなくなるんですよッ!?』

 

 涙と共に放たれた言葉が、刹那、先生の頭を揺さぶった。

 恐らく大人のカードは、最後の行使となるだろう。

 これ程の規模、文字通り灰さえ残らない可能性さえあった。肉体は完全に崩壊し、骸だけでも地上に還る事さえ叶わない。文字通り先生の肉体と精神は、この宙の上で散る事となる。

 

 せめて、ほんの僅かでも。

 僅かな時であっても、生徒達と共に地上で――。

 そう願うアロナの祈りは、貴いものだ。

 

 ――だが、此処で何もしなければ同じ末路を辿る。

 

 守るべき生徒を守れず、何もかもを奪われ、未来を失う。

 それこそを先生は恐れる。

 故に――。

 

「誰か、トキを頼むッ!」

 

 地面を搔いたまま、先生は勢い良く駆け出した。急激な動きに血が噴き出し、床に赤が撒き散らされる。だが痛みは無く、苦しみは無く、生徒達が必死に掴んでいた指先から先生の外套がするりと抜け落ちた。その感触に、ぎょっとした表情で周囲を固めていた生徒達が声を張り上げる。

 

「っ、先生――!?」

 

 背後から幾つもの声が上がる。

 だが振り返らない。たった数歩、数メートルの距離を進むのに莫大な体力と精神力を要した。吹き荒れる熱風が肌を焼き、衝撃は臓物を揺らし続ける。崩落する床を全力で蹴飛ばし、極光を防ぐトキの元へと一直線に。

 焼け付く熱風を裂き、先生は進む。

 

「リオッ!」

『――!』

 

 崩壊音と爆ぜる光の中、先生はシッテムの箱越しにリオへと叫ぶ。通信は乱れ、ノイズは声を掻き消す。それでも、彼女に届くと信じて先生は声を張り上げる。

 

「トキをアビ・エシュフから強制的に脱出させるんだ、今直ぐにッ!」

 

 指示は簡潔、あのままでは機体ごと焼き尽くされる。耐久限界は既に通り越した、残された時間は秒単位となる。リオならばきっと、その様な措置も取っている筈だ。常に最悪の事態を想定し、幾重にも保険を掛ける彼女の事だ。

 

 果たして、リオは応えた。

 

「っ、信号、脱出機構作動(ベイルアウト)!?」

 

 極光を懸命に抑え込むトキの視界一杯に広がる、緊急脱出の文字。赤く点滅する警告表示と共に、強制優先コードが操縦系統を上書きする。握り締めた操縦桿がロックされ、各部の爆装ボルトが点火、トキの両足を包んでいた外装、背部装甲を排除、圧縮ガスが炸裂し彼女の肉体を強制的に後方へと射出した。

 

「まさか、いけない! アビ・エシュフは、まだ――ッ!」

 

 まだ耐えられる。

 まだ戦える。

 まだ守らなければ――。

 後方へと投げ出されたトキが、流れる視界の中で叫び、手を伸ばす。そんな彼女の身体が床へと衝突するより早く、C&Cが即座に動き出した。

 衝突寸前のトキの身体を抱え込み、爆風から庇うようにアカネとカリンが抱き込む。ネルとアスナが飛来したアビ・エシュフの外装を蹴撃で弾き飛ばし、トキの安否を叫んだ。カリンが無事を告げ――その横を、先生が駆け抜ける。

 

「先生……ッ!」

 

 トキと入れ違う形で、先生が最前線へと躍り出る。吹き荒れる熱風が肌を焦がし、爆創の残る右目が嫌に痛んだ。目前で操縦者を失ったアビ・エシュフが極光に呑まれて行く。自動操縦となったアビ・エシュフは融解した装甲が崩れ落ち、全体的なシルエットがどんどん崩れていった。機体の合間合間から僅かずつ漏れ出る光、極光を押し止めていた最後の盾が、消える。

 

 その空白を埋めるように、先生が左腕を突き出した。

 

『制限解除・給電モード変更――最大送電(フルチャージ)

 

 義手内部よりぎこちない電子音声が鳴り、安全制御が一つ、また一つと解除されていく。剥がれ、拉げた外装が震え、唸る様な駆動音を搔き鳴らす。所々生まれた隙間から白煙と共に紫電が迸り、回路が無理やり活性化するのが分かった。繰り返されるスパーク、過負荷警告を無視して強制的に出力が引き上げられ、先生の皮膚が引き攣る。

 シッテムの箱、その演算領域の全てを費やし展開する防壁、其処に大人のカードを行使し無理矢理強度を跳ね上げる。この様な形での行使は初めての事であった、完全な賭けとなるが他に方法がない。

 

 ――生徒(アリス)が道を切り開くその瞬間まで、私達で極光を阻む。

 

 大きく息を吸い込み、最早原型を留めなくなったアビ・エシュフ――更にその向こう側を睨みつける。抱えたシッテムの箱を掴む指先に、否が応でも力が籠った。

 

「させないッ!」

 

 先生が腹を決め、防壁の展開を為そうとした刹那、直ぐ傍から叫び声が響いた。同時に凄まじい力で引き寄せられ、先生の体が揺らぐ。背後に転がりそうになり、寸での所で柔らかな掌が先生を掴んだ。

 

「あなた様ッ!」

「先生っ、下がって!」

「委員長、先生、危険ですッ!」

 

 背後から続々と放たれる声。振り向けばミカ、ワカモ、ヒナ、アコが吹き荒れる風に負けじと前傾姿勢を保ち、半ば這う様な形で先生の背中を掴んでいた。彼女達は今正に崩壊しようとしているアビ・エシュフの背中を見つめながら、険しい表情と共に叫ぶ。

 

「先生は後ろに! あの光は、私が受け止めるッ!」

「これ以上あなた様が傷付く姿など……! せめて、このワカモが!」

「人間の先生がどうこう出来るモノじゃないって、見れば分かるでしょう!?」

「全力で防御して、何とか、先生だけでも――ッ!」

 

 血に塗れた指先でシャーレの外套を必死に掴み、自らの体を盾にしようと叫ぶ生徒達。ミカが先生を背後へと押しやろうとし、ワカモは全力で此方の腕を掻き抱く。ヒナは翼を広げて即席の盾とし、アコはヒナの背を支え、先生の肩を握り締めていた。

 全員の掌が、決して離すまいと凄まじい力で先生の外套を、体を捉えていた。その力強さに、熱に、想いに、先生は歪み、掠れた視界の中で思わず口元を緩める。

 誰もが目の前の絶望を理解しながら、けれど一切の諦めを持たない。

 そうだ、こんな彼女達だからこそ――。

 

「守るんだよ、アロナ」

『―――』

「今度こそ、私達で……!」

 

 この子達の未来(明日)は、誰にも奪わせはしない。

 誰にも踏み躙らせなどしない。

 私に未来(明日)は無いのかもしれない。

 だが、未来(明日)を夢見て託すことは出来るのだと。

 

「それを今、証明する――ッ!」

 

 叫び、先生は全力で義手を突き出した。

 紫電が一瞬、周囲を包み込み、シッテムの箱が砂嵐にも似たノイズを発した。急速に巡る電力がなけなしの残量を底上げし、誰よりも先頭に立ったミカの目前に防壁を形成する。

 

 瞬間、アビ・エシュフが完全に融解し、その存在が極光の中へと完全に呑まれた。溶け落ち、抉れた床をそのままに再び迫る極光。ミカが両の翼を広げ、決死の表情で神秘を固め両腕を突き出す。

 だが、その指先が光に触れるよりも早く、展開された防壁が極光と衝突した。

 

「――ッ!?」

 

 世界が白に染まった。

 凄まじい衝撃と熱波が突き抜け、先生の突き出した義手が一気に自壊を開始する。あまりの衝撃に外装が弾け飛び、内部配線が飛び出し、フレームがけたたましい音と共に歪み折れ曲がる。千切れかけていた指先が消し飛び、遥か後方へと瞬く間に消えた。異音を発し、それでも尚シッテムの箱へと給電を続ける義手に、先生はこれを作り上げたマイスターの皆に心の底から感謝を告げる。

 たった数秒、ほんの僅かな黄金に勝る時間、それを稼いでくれたのはアビ・エシュフと同様、他ならぬ彼女達の血と汗の結晶であった。

 

「なっ、何が……委員長!?」

「まさか、これって――ッ!」

 

 最悪の瞬間を覚悟していた。

 瞳は決して閉じず、自らの体で極光を受けとめる覚悟であった生徒達。だがその瞬間が訪れる事は無く、目と鼻の先まで迫っていた筈の極光は衝撃と熱波を届けるばかりで、まるで見えない何かに遮られ四方へ散っていた。

 

 その現象を知っている。

 何故ならこれは――今なお、自分達を苦しめる元凶(プレナパテス)が用いていた現象だから。

 

「ぐ、ぅ――ッ!」

 

 極光を抑える防壁表面に亀裂が入る、硝子が罅割れる様な、甲高い音が鳴った。防壁が突破された、そう考えた次の瞬間には新たな防壁が生み出され、再び極光と衝突し押し戻す。

 赤熱し、最大送電を維持する義手は刻一刻と歪んだ形へと変わっていく。代わりにシッテムの箱と共に重ね持った大人のカードが、その光を僅かに強めた。足りない強度は己の生命で補う。

 後はこれを――大人のカードが砕け散る(この命尽きる)最期の瞬間まで維持するだけだった。

 

「なっ、先生、駄目っ! やめてよッ!? ねぇッ! 先生ってばッ!?」

「あなた様! どうか、おやめくださいッ! あなた様――ッ!」

 

 事の真実に気付き顔面蒼白となって振り返ったミカ、縋りつくワカモが必死の形相で叫ぶ。負荷が限界を超え義手の各部が遂に弾け飛び、飛び散った部品の一部が先生の皮膚を裂き、突き刺さる。代償により黒々しく染まった皮膚、白い亀裂が走り、裂けた白の向こう側から赤が迸っていた。

 崩壊しつつあるナラム・シンの玉座にて肉体は急速に死へと近付く。実に慣れ親しんだ感覚だ。

 酷く静かだった、視界は暗く、世界は冷たく、節々は痛みを発し、心は苦しい。

 

 だが、恐ろしくはなかった。

 

 抱き締めたシッテムの箱、指先に重ねた大人のカード、その輪郭が徐々に崩れ表面が剥がれていく。崩壊の前兆、最早四肢の感覚は奪われ、目、鼻、口からいつの間にか血が滴っていた。崩壊現象が臓腑や心臓(体の中心)に届いたのだろう。

 ナラム・シンの玉座による誤魔化しを含めても、肉体の完全崩壊まであと五分か、一分か、それとも三十秒か、或いはそれ以下か――。

 

 関係ない。

 先生は内心で断ずる。

 此処は絶対に通さない、何が何でも、どんな無様を晒そうとも。

 この身を盾にしてでも、肉体が灰燼に帰す最後の瞬間まで、絶対に退く事はない。

 大人のカードが淡い光を発し、遂にその四隅を砕いた。カードの内側から、眩いばかりの青が顔を覗かせる。文字通り底の底、取り繕う事さえ出来なくなった剥き出しの奇跡()が、目前の防壁を何度でも、何度でも再展開させる。

 先生が命が尽きるその瞬間まで、文字通り何度でも。

 

 血走った瞳で、決死の形相で以て、先生はそれを見つめ続ける。

 

【――何をしている】

 

 極光を制御するプレナパテスの傍から、唸るような問い掛けが響いた。

 プレナパテスを取り囲む無名の司祭達が、絶望を齎す一撃に対し死に物狂いで抵抗する先生を凝視していた。それは驚愕や憎々しさというよりも、強い疑念により零れた言葉であった。

 

 何故、彼奴はこの一撃を防ぐ事が出来る。

 最早抗う余地など残されていない筈だ。

 それだけの力が、絶望が、この光に込められているというのに。

 ひとえにそれが叶っていないのは、目の前のプレナパテスが収斂した極光を全力で解き放っていないからだ。

 

 このナラム・シンの玉座を一瞬で消滅させる程の、プレナパテスの存在諸共反動として崩壊する様な最大出力による一撃。それを為さないプレナパテスに対し、無名の司祭は疑問を呈する。

 

【既に運命は定まった、この程度ではない筈だ、彼の者に抗う力は殆ど残っていない】

【僅かに力を籠める、それだけで目の前の憎き者共は消滅する……何を躊躇う理由がある?】

【役目を果たせ、責任を果たせ、それこそがお前が此処に至った理由】

【――……よもや、この期に及んで抗っているのか?】

 

 無名の司祭の一人が、不意に呟くように云った。

 瞬間、まさかと無名の司祭達が互いに顔を見合わせ、僅かな沈黙が降りる。

 プレナパテスに意志など存在しない、我らの意志に操られた傀儡、それこそが彼の者の存在意義。だが他に理由が思い当たらない、今直ぐ目の前の憎き存在を自らと引き換えに消滅させる事こそが与えられた役割だというのに、プレナパテスはそれを為そうとしない。

 無名の司祭が纏う気配が、僅かな強張りを帯びた。

 それは明確な怒りと苛立ち。

 

【理解出来ぬ、力を手放し、我々無名の司祭の意志を代弁するだけの存在が】

【理解出来ぬ、ただの傀儡が、その様な意思を持つなど】

【理解出来ぬ】

【理解出来ぬ】

【理解出来ぬ】

 

 詰る様に、或いは嘲るように、無名の司祭はプレナパテスを囲んだまま波紋を重ねる様にして彼の行いを非難する。傀儡は意志を持たず、また仮に意志が介在したとしても運命を覆す事は出来ない。その行いは無力で、愚かで、無意味だ。

 だが突き出されたプレナパテスの指先は微動だにしない。罅割れ、砕け、青の覗いた鉄仮面、極光の極彩色に照らされた輪郭は、無名の司祭を捉えてはいない。

 

 ただ前を――この世界を生きる自分自身を、生徒達を捉える。

 そして、自身の背後で蹲る最後の生徒を想い続ける。

 

【理解、出来ぬ――ッ!】

 

 一向に反応を示さぬ、破滅を齎そうとしないプレナパテスに対し無名の司祭が叫んだ。取り囲んでいた者共が一歩を踏み出し、その巨躯を指差し声を絞り出す。極彩色を反射する白が、口々にプレナパテスの行いを貶し、否定し、糾弾した。

 

【何と、愚かなッ!】

【今更抗った所で何も変えられぬ、全ては消え去る、その道を選んだのはお前自身!】

【そうだ、全ては定まった、今更道を違える事などあり得ぬ!】

【お前は何も為し得なかった、お前の守りたかった生徒(子ども)は皆消えた! お前の世界と共に!】

【お前にはもう、守るべきものなど何もない! 何一つ!】

【貴様は既に、聖者たる資格を持たぬ者――『色彩の嚮導者(プレナパテス)』であろう!】

 

 或いは、未だ聖者のままで在ると錯覚したか。

 己の世界は救えずとも、この世界ならばと驕ったか。

 救世の資格は既に失われ、世界を云々するだけの力ははく奪された。箱の力でさえ、今や無名の司祭によって制御されている。残されたものは何もない、空っぽだ、傀儡(プレナパテス)に出来る事など何もないのだ。

 

【一体幾つの手を取りこぼした? 幾人見殺しにした?】

【お前には誰も守れぬ、誰も救えぬ!】

【なかった事になど出来ぬのだ!】

【これはお前の選んだ結末、お前の選んだ運命!】

【ただの人間、何の力も持たぬ、唯人よ!】

【我ら司祭の傀儡よ!】

偽りの先生(プレナパテス)よ!】

 

 無名の司祭が極光に照らされたまま無数の影となり、鉄仮面の中を覗き込む。

 傷付き、色褪せ、それでも尚輝きを失わない()と、無貌の面、その奥で濁り切った()が交差した。

 

 

【――お前の物語(ブルーアーカイブ)は、既に終わりを告げたのだッ!】

 

 

 鉄仮面の奥、極光を見つめる青が瞬いた。

 世界を救う事は出来ず。

 大切な生徒を守る事も出来ず。

 多くを喪い、傀儡に身を窶し。

 今なお、世界を滅ぼそうとする巨悪。

 それこそが、色彩の嚮導者(嘗て先生と呼ばれた成れの果て)

 

 あぁ――全く以て、その言葉は正しい。

 

 その通りだ、私の。

 先生(プレナパテス)の物語は既に終わりを告げたのだ。

 どれだけ否定を叫んでも、どれだけ違うと声高らかに主張しても、自らの世界は戻らず失われた希望は取り戻せない。その罪は消えない、過去を無かった事には出来ない。

 それは真実だ。

 どうしようもなく残酷で、悲しい真実である。

 

 ならば、こんな姿に成り果ててまで立ち続けた、その理由は何だ?

 己の存在は既に破綻している。命は無く、骸となり、世界の破滅を望む無名の司祭、その傀儡に成り果ててまで手に入れようとしたものは何だ。

 残そうとしたものは何だ。

 

 絶望に抗い続ける、傷に塗れたこの世界の自分(先生)を見る。

 彼を抱き締め何事かを叫ぶ生徒を見る。

 その背中に蹲る多くの子ども達を見る。

 

 今、私の背中に居る――最後の希望を見る。

 

 

 ――【お前にはもう、守るべきものなど何もない! 何一つ!】

 

 

 それは、違う。

 

 プレナパテスは、そう断言する。

 人間としての自身は失われた、持ち得た力も、あらゆる権限も。多くのものを失って、この掌は既に空っぽである。それを否定するつもりはない、きっとその言葉は正しい。

 けれどまだ、自身に残されたもの(最後の生徒)()る。

 私の背中に、直ぐ傍に。

 最後の希望が残っている。

 

 ならば――それならば。

 

 此処が、(先生)にとっての終着点(おわり)でも構わない。

 けれど、その終わりから続くものがある。

 そこから始まる物語がある。

 私が斃れる未来の先に、あの子が救われる物語があるのなら。

 私の終わりを経た先に、彼女達の笑う未来があるのなら。

 

 それこそが、子ども達にとっての始発点(はじまり)だと信じる。

 

 ■

 

『何も思い出せなくても、恐らくあなたは同じ状況で、同じ選択をされるでしょうから』

 

 遠い記憶の底から、静かに浮かび上がる光景。

 朧げな記憶、何処までも広がる水平線を走る列車の中。対面に座った彼女は静かに告げる。薄汚れた連邦生徒会の制服を身に纏い、赤を滴らせながら。

 窓の外には、終わりの見えない青が広がっている、ただ静かに続く水面の境界。

 私はただ、座席に身を預け項垂れながら耳を傾けていた。

 

「ですから……大事なのは経験ではなく、選択」

 

 列車は一定のリズムで揺れ、車輪の音が規則正しく響く。その音と彼女の声だけが、この世界のすべてだった

 向かいの席、その窓から差し込む陽光。眩いそれが私を照らし、思わず瞳を細める。血と砂利に塗れ、擦り切れ、長い旅路を物語るようにくたびれていた外套を指先で静かに擦る。元の青は何処にもない、身に着けた腕章が列車の振動に合わせて揺れていた。

 

「あなたにしか出来ない選択の数々」

 

 まるで、此処に至る全てを知っているかのように。

 逆光に遮られ、表情の見えない彼女は告げたのだ。

 

「――先生(あなた)ならば、きっと」

 

 辛うじて覗く口元の笑みは不思議なほど穏やかで。

 私は目元を指先で覆い影を作る。それから釣られた様に破顔し、呟いた。

 

 あぁ。

 その約束を、今度こそ果たすよ。

 だって――。

 

 ■

 

 

 私は、先生だからね。

 

 

 ■

 

 ――アリス

 

 光の剣を構えるアリスが、その身を大きく震わせた。渦巻く光と力の只中で、彼女は驚きの表情と共に真正面を捉える。

 今、知っている筈の誰か(プレナパテス)に名前を呼ばれた様な気がしたのだ。

 酷く優しく、背中を押されるように。

 視界を覆う極光の奔流、その向こう側、灼けつく光の奥に浮かぶ影。極光越しに、此方を捉える砕けた鉄仮面。

 一際強く、鼓動が鳴る。

 

『王女』

「……!」

 

 アリスが何かに気付くよりも早く、彼女の掌に薄らと淡い輪郭を持つ誰かの手が添えられる。触れているはずなのに、何の感覚も存在しない。だが不思議と知覚出来る、アリスにだけは分かる。

 それは、自分の内側にずっと存在していた気配だった。

 

『想像して下さい、あなたはそれだけで良い』

 

 アリスの掌に、そっと自分の掌を重ねたケイが告げる。その声は、これまでのどの時よりも穏やかで優しさに満ちていた。光の剣を握り締める掌、そこに重ねられる小さな熱。アリスは直ぐ隣に寄り添うケイを見つめ、それから唇を固く結ぶ。

 

『あなたが想像し、私が創造します』

「……ケイ」

『あなたが望んだ、未来への道を』

 

 ――勇者が進む、その道を

 

 言葉と同時に、自分の中で巨大な歯車が噛み合うような感覚があった。

 アリスを中心に渦巻いていた光、ウトナピシュティムより与えられた膨大なリソース、それらが一点へと収束していく。目に見えない力が、まるで星々へと引き寄せられるように、アリスの握り締める光の剣へと集まっていく。

 光が幾重にも折り重なり、収束し、巨大な輝きへと変わっていく。

 

『―――』

 

 ケイは想う。

 本当の事を云えば。

 本音を、吐露してしまえば。

 これが正しいのか、自身が選ぶべき道なのかは未だ分からない。こんな博打染みた真似を彼女にさせる事など、絶対にしたくなかった。ナラム・シンの玉座という事象の確定しない状況に於ける力の行使、これに加え負荷を『二人分』に分散させて、漸く活路が見えるかどうか。下手を打てば消滅、そうでなくとも最悪の事態に備える覚悟はある。

 だが鍵としての役割を考えるのであれば、余りにも愚かであろう。

 女王を失う選択を肯定するなど。

 だが彼女は、アリスは。

 

 ()と、勇者になりたいと云ったのだ。

 

『――王女は鍵を手に入れ、箱舟は用意された』

 

 ケイは掌を突き出し、荘厳な気配と共に告げる。

 まるで儀式を執り行う神官の如き宣誓が、世界に響き渡る。それは、古き神話の一節の如く。終焉を迎えようとする世界で、それでも尚進む意志を持つ者を導く言葉。

 アリスもまた、ケイに導かれるようにして口を開く。

 アリスが知らずとも、AL-1Sは憶えている。その身体が、ケイの助力によって望むがままに権能を行使する。

 

 それが、彼女の望みならば。

 ()はどこまでも付き従おう。

 

「――名も無き神々の王女、AL-1S(アリス)が承認します」

 

 言葉と共に、アリスの瞳が煌めいた。蒼穹のような青い光がその奥で燃え上がり、輪郭に赤が混じる。それはAL-1SとKeyの狭間、彼女(アリス)彼女(ケイ)の最初にして最後の共同行使。

 まるで世界そのものを映しているかのように輝く青は、アリスを中心として渦巻きながら光の剣を呑み込んでいく。

 

「此処に、新たな聖域(サンクトゥム)が舞い降りん――ッ!」

 

 アリスが告げ、構えた光の剣――スーパーノヴァに凄まじい輝きが宿る。幾度も弾丸を受け黒ずみ、破損した外装、一部剥がれ落ちた銃身が瞬く間に復元されて行く。それどころか構えていた光の剣は一回りも、二回りも巨大な火器へと昇華していく。

 

 強く、大きく、格好良く、彼女の想像する勇者の剣――どんな絶望も、恐怖も、困難でさえ真正面から打ち砕く希望の証。銃火器、というにはあまりに巨大で、まるで砲台をそのまま担ぎ上げたような質量の塊。

 物質の再構成、それこそは名も無き神の力で最も代表的なもの。それはただの武器ではない。星が生まれる瞬間のような輝きを秘め、夜を裂き、世界を照らす為の灯。

 それこそが、今目の前に迫る絶望を跳ね退ける、もう一つの希望。

 アリスは生まれ変わり、再び手の中へと戻って来た光の剣を強く、強く握り締める。先程までの数倍巨大となったジェネレータが唸りを上げていた、凄まじい回転と共に紫電を走らせ、重低音を打ち鳴らす銃身が外装を展開し、ゆっくりと開口する。

 砲身に集う光、風を生み、光を奔らせ、解放の時を待つ光の剣(スーパーノヴァ)

 

『行きなさい、王女よ』

 

 最早身の丈を超えるどころか、砲台とも表現出来る様な規模となった光の剣を難なく構え、砲口を迫る極光へと突き出すアリス。

 ケイの掌がアリスの肩にそっと添えられた。背中を支えるような、優しい感触だった。

 まるで長い旅路の果てに辿り着いた者を送り出すように、静かで、けれど確かなエールを込めた掌。

 その中には、僅かな惜別の念も籠っていただろう。

 王女と、そう口にしてから、けれどケイは徐に首を横に振った。

 

「――いいえ」

 

 そうではない。

 その呼び名は、適切ではない。

 王女と、かつて世界の終焉と結び付けられたその名は、今この瞬間の彼女を表す言葉ではなかった。

 

 彼女は終焉ではなく生誕を。

 過去ではなく未来を。

 絶望ではなく希望を。

 世界を壊す魔王ではなく、世界を救う勇者を望んだ。

 

 ならば、彼女を示すべき役割は女王ではなく――。

 

 ケイは静かに息を吸い、それから迷いを振り払うように表情を引き締める。涙は必要ない、彼女はいつだって勇ましく、笑顔と共に道を往った。

 ならば、それに付き従う()が浮かべる表情は一つ。

 

 それは、そっと添える程度の力ではなく。彼女の背中に添えた掌に力を籠める。これから先の、未来へと送り出すため。

 ケイは精一杯の笑みを浮かべ、この世で最も愛した存在の背中を全力で押し出した。

 

『行きなさい――勇者よ(アリス)ッ!』

 

 

 どうか、あなたの進むその道が、まだ見ぬ可能性で満たされますように。

 

 

「ッ、アリス!」

「アリスちゃん……ッ!」

「アリスちゃん!」

 

 直ぐ傍から、ゲーム開発部の、仲間達の声が響いた。重低音に掻き消され、風が逆巻く只中であっても確かに聞こえた。

 ゲーム開発部だけではない、セミナーのユウカも、ノアも、コユキも。C&Cのネルも、アカネも、アスナも、カリンも、トキも――多くの生徒が、この場に集った全ての生徒が、アリスの顕現させた巨大な光の剣を見つめ叫んでいた。

 その数多の声が、アリスを支える多くの声が。

 彼女の掴む掌に確かな熱と力を齎す。

 

 世界を滅ぼす、魔王ではない。

 

「アリス――ッ!」

 

 世界を救う(あなたがなりたい)勇者になりなさい(未来の自分に)

 

「――先生」

 

 誰よりも先頭で。

 誰よりも傷付き。

 誰よりもアリスを信じる先生(大人)が叫んでいた。

 極光を押し留め、総身を晒しながら振り返ることなく、ただ真っ直ぐに。

 その背中を、アリスは見ていた。

 

 応えなければならない。

 皆の声に。

 皆の想いに。

 皆の信頼に。

 皆の尽力に。

 

 二人分の勇気を、一つに束ねて。

 

「――ッ!」

 

 アリスはトリガーに指を掛ける。

 スーパーノヴァが太陽の如き輝きを放ち、淡い蒼色だったそれは内部の導線を走る稲妻のような電光となって光の剣全体を満たしていく。バチバチと空気が弾け、アリスの周囲が僅かずつ歪んでいった。

 一瞬の静寂、開かれた砲口に蒼白い光が集う。

 それはやがて一条の刃のように伸び、極光を押し留める先生の横を、微かな風と共に横切った。

 

 ガイドライン(砲撃の前兆)――ケイが示す、この様に進めば良いのだと。

 青く伸びた細い光を視線で追うアリス。

 彼女は笑みを浮かべ、腹の底から全力で声を轟かせた。

 

 

「光よ―――ッ!」

 

 

 轟音は、雷鳴の如く遅れてやって来た。

 

 アリスが叫び、トリガーを絞った瞬間、ウトナピシュティムより与えられたリソース全てが蒼い光束とって砲口から解き放たれる。

 空気が弾け、衝撃波が周囲の瓦礫や火の粉を吹き飛ばした。アリスの足元が衝撃で爆ぜ、破片が弾丸のように飛び散る。同時にアリスの矮躯が反動によって後方へと押し出され、床には巨大な電車道が刻まれた。

 放たれた青は、ナラム・シンの玉座を真っ直ぐに突き進み、解除された防壁をすり抜けプレナパテスの放った極光と真正面から衝突する。

 衝撃は凄まじく、近場に居たミカ、ワカモ、アコ、ヒナは先生の体を抱き締め横合いへと体を投げ、折り重なる様にして床に身を伏せた。

 

 視界を覆う極光、それに対しアリスの放った青の奔流は細く、真っ直ぐで、極限まで束ねられた一射である。それは純粋な破壊力ではなく、目の前の極光を貫通し、その奥に佇む者へ攻撃を届ける為のもの。

 競り合っていた二つの光は軈て極彩色が揺らぎ、一瞬の内に決着はついた。

 青の奔流は極光の中心を穿ち、霧散させ、捻じれ歪ませながら、瞬く間にプレナパテスの目と鼻の先にまで迫ったのだ。

 

 撃ち破られた極光、アトラ・ハシースの全リソースを賭けた最後の一撃。

 プレナパテスの巨躯を照らす青白い光、それを全身で浴びながら彼は静かに突き出していた指先を降ろす。

 そして徐に両腕でシッテムの箱を抱え込むと、背後のヒナを守る為に四肢へとなけなしの力を籠め、罅割れ零れた鉄仮面の最奥で――ほんの僅かに口元を緩めた。

 

 周囲を取り囲んでいた無名の司祭達は、迫る青を前にして愕然とした態度を晒す。終焉が定められていた世界。その運命を覆す事など、不可能であった筈なのに。

 

【理解、出来ぬ……!】

 

 その一言と共に、無名の司祭達とプレナパテスの体は青の光に包まれ。

 巨大な爆炎と噴煙が、彼等の姿を瞬く間に飲み込んで行った。

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