「本当に、もう外に出て大丈夫なんですか?」
「うん、だいぶ良くなったよ」
お医者さんも、少しなら問題ないって。
先生はそう云って笑った、今までとは異なる憑き物が取れたような――含みの無い晴れやかな笑みだった。
カラカラと音が鳴る。
先生の腰掛けた簡素な車椅子、その車輪が回る音。病院前のロータリー、大きな駐車場を横切って二人は歩道を進む。
実に良い日和であった。
陽射しが降り注ぐ空は青く、嘗ての赤色は何処にも見えない。頬を撫でる風は柔らかく、吸い込む空気は何処までも新鮮に感じられた。先生は右手を空に翳し、自分達を照らす陽光を遮って目元に影を作る。細く絞られた瞳は明確に広がる青と光を捉え、肌は陽光の暖かさを十二分に感じられた。
「何より皆が折角用意してくれた席なんだから、ちゃんと出ないと」
「それはそうなのですが、無理に出席して悪化したら元も子もないと云うか……せめてミレニアムに頼んでいた車椅子が届いてからの外出であれば、私も少しは安心出来たのですけれど」
車椅子を押す彼女――連邦生徒会長は小さく溜息を零し、握り締める車椅子のグリップを複雑な心境で見つめていた。
どうにも、この外出に於いて彼女の不安は拭えないらしい。目覚めた時よりも幾分か隈を薄くした彼女ではあるが、胸中には先生でさえも察する事の出来ない様々な感情が渦巻いているのだろう。
彼女の云うミレニアムに頼んでいた車椅子とは、何でも搭乗者の生命維持やら防衛装置やら、これでもかという程にカスタムされた一品らしい。病室で何度か耳にする機会があった。勿論発案、及び原型となったのはヒマリが普段用いている車椅子である。
彼女達はそれを元に魔改造された車椅子をシャーレ、もとい己に届ける予定らしかった。
ただ参加者が膨れ上がった影響か、少しばかり開発が遅れ気味らしい。
聞くところによるとセミナー、特異現象捜査部、ヴェリタス、エンジニア部他を中心とした各種部活動が集結し、通常の自治区であれば年間の運営費用にすら匹敵する予算を投じたとか何とか。
とは云っても、それだけの開発費用をミレニアムだけが負担した訳ではなく――連邦生徒会長が復帰した連邦生徒会を中心とした、『連邦捜査部シャーレ支援金』として自然と集まったものだと聞いた。
勿論、連邦生徒会が各自治区に声を掛けた訳ではない。中立性を保つ為にも、体裁というものは必要であるが故に。
だからこそ、三大校を中心として集まった莫大な予算及び、支援金とやらは悉くがシャーレの復興、及び防衛機能の強化、先生個人の身体的欠損を補う車椅子やら義足やら義手やら義眼やら、再生治療を含めた様々な分野に投じられたらしい。
病室で横たわる傍ら、彼女に聞かされた内容は鮮明に記憶している。全く以て、頭が上がらないとはこの事だろう。自分の知らない間に生徒達が力を合わせ、手を差し伸べようとしてくれている。
己は、本当に多くの生徒に救われているのだと実感した。
「心配し過ぎだよ、本当に駄目な時はちゃんと報告するから」
「――先生には無理をする実績があり過ぎるんです、全部見て来たんですから」
この道中に不安など無い。何て事の無いように云い放てば、唇を尖らせた連邦生徒会長が小さく肩を小突いて来た。
衝撃は小さかったが、そこに含まれた意図を先生は十全に察する。思わず苦笑を零し、申し訳なさそうに身を縮めた。
心当たりがあり過ぎた、その辺りに関しては反駁の余地は無し、全面的に降伏せざるを得ない。
「それに体の方も、その……」
歯切れ悪く、そっと肩に手を置かれる。
先生は自身の右手を持ち上げ、もう一度目前に翳した。欠損した指先から陽光が差し込み、三本指の影が目元に切れ目を作る。
「確かに右腕一本しか残らなかったけれど、それでも生きているだけ儲けものさ」
己に残された四肢は右腕が一本、指差が三本。
黒ずみ、根元から消えてしまった小指と薬指は歪な黒色だけを残した。車椅子から伸びた両足は太腿の中程から砕け、今回の外出に合わせ世話をして貰った衣服は裾が丁寧に結ばれている。
あれ程着慣れたシャーレの制服が、今や威厳の『い』の字もない。燃え散った制服の代わりに新品を下ろしたからだろうか? 右腕に巻き付けた、真新しいシャーレの腕章を一瞥する。
いや、きっとそうではないのだろう。
だが悲観的にはならなかった。
寧ろ、先生の胸中と表情には歓喜にも似た色がある。
本当ならあの空の上で消えて無くなる命だった、それがどんな形であれこうして続いている。
それに勝る喜びなど存在しない。
「物も見える、耳も聞こえる、匂いも、味も分かる、誰かに触れられる感覚だって――それなら、十分過ぎる」
生きているのなら、この世界に存在しているのならば。
それだけで価値がある、と。
先生の実感の籠った口ぶりに連邦生徒会長はそれ以上言葉を重ねなかった。何よりも、誰よりもこの未来を望み足掻いて来た大人の言葉である。その道程を想えば、決して踏み込む事の出来ない重みがあった。
「そう云えば、街の復興は順調?」
「えぇ、皆一丸となってんでいます、尤も働き続けるのも大変ですから偶には息抜きをしないと……なので今日は一日、お休みです」
「そっか、折角の休みなのに何だか悪いね」
「今回の事は皆がやりたくて発案したものですから、そんな事を想う必要はありませんよ、これまで先生が紡ぎ築き上げて来た事の結果です」
勿論、私もその一人です。
彼女はそう云って、車椅子を押す手に力を込めた。
遠くから喧騒が聞こえて来た、街行く人々の生活はあの事件を経ても乱れなく。
時折、連邦生徒会長と先生を見て声を掛けてくれる人々が居た、「これから会場入りですか?」と。その負傷を労わる声も、先生は朗らかに笑って応え、少しずつ人の流れと声が大きくなっていった。
「先生」
「ん?」
今日の目的地である会場が近付いている。
けれどその少し手前で、彼女は車椅子を押す足を止めた。背後から伸びる影が先生を覆う。
「これを」
身を乗り出しながら不意に肩越しに差し出される何か、先生は何の疑いも無く差し出されたソレを受け取る。指先に何か、ざらついた感触があった。陽光を遮った、影の中で妖しく煌めく黒色。
「――
手渡されたのは――
擦り切れ、焼け焦げ、ボロボロのそれはあの日、己が目にした時のままだ。ほんの少し力を込めれば砕けてしまいそうなそれは、本来の機能を辛うじて保持している。先生は少しだけ驚いたような表情で大人のカードを傾け、確りと摘まんだ。
「先生の持っていた大人のカードは最後の使用で砕けてしまいましたから、これからはこのカードが先生の存在を担保してくれる、新たな拠り所になります」
「―――……そうか、彼の」
暫し間を置き、先生は納得と共に小さく頷きを返す。何故自分は崩壊を免れたのか、こうして再び生徒達と共に世界に留まる事を許されたのか。
その答えが今、此処にあった。
親指でカードの表面をそっと撫でつける。ざらつき、指先に付着する煤は彼のこれまでの戦いを感じさせた。元を辿れば自分達は同じ存在、同じ本質を持つ、当然ながら大人のカードもまた根源を同じとする。砕け散った己のカードの代替手段としては至極真っ当な選択であった。
これを託されたのは幸運だった。
或いは、己が彼を信じ託した様に――彼もまた、己を信じ託したのだろうか。
生徒を、希望を。
その先の未来を。
「恐らく、
「………」
「そうなれば、このカードと繋がった先生の肉体もまた」
徐々に小さくなっていく連邦生徒会長の声に、先生はカードを静かに懐へと差し込んだ。指先から離れると同時、大人のカードは淡い光となって消えて往く。光は先生の中へと静かに取り込まれ、影も形も見えなくなった。必要な時に顕現させる事は出来る、けれどその機会が訪れる事はないだろう。
もしこれ切る瞬間が訪れたならば、その時こそが――。
「それなら実質、もう二度と【大人のカード】は使えないね」
先生は何でもない事のように云い放った。込められた奇跡は恐らく、生徒を一度顕現させる事が精一杯。
ほんの、ほんの僅かな力の残滓である。
奇跡を起こす大人のカードはその役目を終え、この器を保つ最後の
ある意味、その事自体が奇跡なのかもしれない。
いや、きっとそうなのだろう。
つまりはこれより先、己は文字通り――『ただの人間』という事だ。
「そんな顔をしないでよ、アロナ」
「――っ」
不意に見上げた彼女の表情に、思わずそんな声が口を突いた。俯いた彼女の表情が余りにも沈痛で、此方が胸を痛めてしまう程に悲壮感に溢れていたから。声を掛けずには居られなかった。
アロナと、そう呼ばれた連邦生徒会長は咄嗟に顔を上げ目を瞬かせると、周囲を見渡し表情に様々な色を滲ませながら慌てて囁く。
「先生、今はその――っ!」
「あっと、そうだよね、ごめん……ついね」
アロナと、そう呼んだことがまずかったのだろう。
少なくとも今、こうして傍に寄り添ってくれる彼女は連邦生徒会長である。
彼女と共に過ごして来た時間は決して短くない、だからこそ口に馴染んだ名前が出て来てしまったのは咄嗟の事だった。先生は改めて視線を前に戻すと、車椅子に背を預けながら自分達の前に続く道を眺める。
「心配する必要は無いんだよ、私は確かに多くのものを失ったかもしれない……それは疑いようのない事実だ」
それは自由に動かせる手足であったり、空を仰ぐ瞳であったり、運命を覆す奇跡を起こす大人のカードであったり、目に見えるものから見えないものまで。
多くの人からすれば替えの効かない大切なものなのだろう。
「――でもね」
失った数多の代償を想い、それでも尚、先生は屈託のない笑みを浮かべ云い放った。
「
想うのは、このキヴォトスに生きる多くの子ども達。
何を賭しても守りたいと願った彼女達は、今も尚この青空の下で日常を送れている。
その事が先生にとって、何よりも嬉しいのだ。
だから後悔なんて少しもない。
たとえ何十、何百、何千、何万と世界を繰り返しても――きっと私は、同じ状況で、同じ選択をするだろうから。
「……先生らしいですね」
「そりゃあね、私は先生だからね」
「ふふっ」
少しお道化たように答えれば、連邦生徒会長は少しだけ笑った。今日初めて見せた、何の含みも無い純粋な笑みだった。
「っと、見えてきましたね――会場が」
ふと足を止め、先生の視線が前へと戻る。風が吹き先生は一瞬目を閉じた。入院していた総合病院から徒歩で十五分前後、D.U.セントラルプラザに隣接した中央広場は、その広さに反し今や数多の人で埋め尽くされ、先生は感心した様に辺りを見回した。
「これはまた、壮観だな」
「えぇ、多くの学園と生徒が呼びかけに応えてくれました、復興作業が想定よりもずっと早く進んでいるのは、各学園、各生徒達の協力があってこそです」
彼女が云う通り、視界の中には様々な学園の制服を身に纏った生徒達が集まっていた。空を飛ぶ飛行船に垂れ幕、ズラリと並んだ屋台にステージ。先生は車椅子より身を乗り出し、その喧騒に耳を傾ける。
■
『アリスっ! 危ないですから大量の料理を両手に持って走り回るのはやめて下さいッ!』
「でもレアな
「アリスちゃん、流石にそんな山盛りの食事は摂れないと思うよ? 先生、まだ病み上がりだし……あと、夜にそんなに沢山食べたら太っちゃう」
「あっ、でもアレとかすっごく美味しそう! ユズ、まだ予算ってあったよね? 足りなかったら次のゲームの取材費用って事でユウカに貰いに行こっか!」
「さ、流石に駄目な気もするけれど……でも、確かに美味しそうな料理が一杯だね、ケイちゃん、まだAMASに乗せられたりするかな?」
『くっ……! 私はウェイターじゃないんですよ!?』
「それで、また『ケイ』にプロトタイプの義体を繋げてフィードバックを得ていたのかい、リオ会長?」
「えぇ、失ってしまった手足よりも自由な義肢の開発、前回貴女達エンジニア部が中心となって製作した義手もそうだけれど、今回は生身である右腕を除いた――つまり、補助脳を使用した各義肢の制御をリアルタイムで補佐するシステムを開発中よ、これが完成すれば先生の日常生活も以前と変わらないレベルまで向上する筈だから」
「生体脳と義肢群の間に介在して、各義肢の動作同期、補正、負荷分散を行う補助演算装置ですか……! 複数の義肢をリンクさせる考えは此方にもありましたが、中々纏まらなくて――」
「うん、仮に義肢を統合する演算装置を付けるなら脊椎基部か、腹腔内とかになるのかな――そう云えば、車椅子の仕上げの方はどう?」
「順調ですよ、此方には元々ノウハウがありますし、この森羅万象に愛されし才能の持ち主である超天才美少女が扱う車椅子は元より完璧ではありますが……先生にお渡しする『子』にはより一層素敵な機能を付けなければ思いまして」
「それのせいで凄い勢いで予算が消えていくけれどね、というか多分部長が完成したって云う頃には、また別な所から『機能を追加したい』ってなると思うよ――前も、その前もそうだったし、一つ前はヴェリタスが担当していたんだっけ?」
「あれは――元々搭載予定だった機能の他にどう考えても余分どころか問題になりそうな諸々をうちの子達が秘密裏に取り付けていたから、慌てて解除、分解していただけで……」
「余計な機能とは聞き捨てなりませんね副部長、あれは先生の素敵な生活音を盗ちょ――もとい録音し私の生活に大きな潤いと幸福感を与える為に必要な機能でした、先生の声は私にとって音楽と同じです、心を高揚させ生活を豊かにする為の……」
「だってアレって先生が普段使いする車椅子なんでしょ? 折角なんだからさ、もうちょっとこう、色鮮やかな感じっていうか、『此処に先生がいるぞっ!』って自己主張するような色があっても良いじゃん!」
「いや、私は別にやろうと思ってやった訳じゃなくて、いつの間にかアテナ三号が知らない内に同タイプの人工知能を仕込もうとしていたというか、確かに先生といつでもどこでも話せて、場所とかも直ぐに特定出来たら便利だなぁ~……とか、夜中の作業中に漏らしちゃったけれど」
「どちらにせよ暫くはまたリハビリが必要な期間でしょう、その際はお任せください、トレーナー……もとい先生のトレーニングメニューはばっちりと考えてありますから、代償運動による負荷と脳の再学習、全力を尽くしましょうレイさん!」
「えっと、私に手伝える事があれば喜んでお手伝いしますけれど、その、スミレ先輩の考案したトレーニングメニューだとリハビリというより、これはもう身体改造の領域じゃあ――い、いえ、何でもないです!」
「ユウカちゃん、今日は凄く食欲旺盛ですね、前は余り食事も摂らずに思い詰めていたので少し安心しました」
「食べないとやっていられないのよ……ッ! リオ会長もそうだけれど、皆開発費用の上乗せをポンポン申請し過ぎなの! こっちはアレコレ考えて削れるところから削って、その上で身銭まで出して何とか開発費用を捻出しているって云うのに! それを湯水の如く三日、四日で全部使い果たして! ちょっとは気後れしたり、申し訳なさそうに申請したって……! 確かに先生の事を想えば多少の無茶は黙認するけれど、モノには限度ってものが――ちょっと聞いているのコユキッ!?」
「うわぁぁああ! 何で私なんですかぁ!? 今回は私、なんにもしてないのにぃぃ! 先生のお見舞い品にちょっとだけ高いボードゲームを買っただけじゃないですかぁっ!? セミナーの予算からすればほんの……あだっ、あ痛っ! な、何でそんなに怒るんですかぁ!?」
「おいアスナ! あっちこっち走り回って満喫しているんじゃねぇぞ!? 一応C&Cの警護任務として来てんだからな!? ちったぁ見回りもしろ!」
「あはははっ! 大丈夫だよリーダー! 今日は何だか調子が良いし、悪い事が起きそうな感じとかも全然ないから! 悪い人も見当たらないし、折角ならこのイベントを楽しまないとっ!」
「はぁ、先生の安否確認が取れるまでのアスナ先輩を知っていればこそ、今の状態を喜ぶべきなのでしょうが……元気過ぎるのも考えものかもしれませんね」
「まぁ幸い警備は私達と保安部だけじゃないし、少しくらいは息抜きをしても問題ないと思う、これだけの戦力が揃っている事なんて滅多にないし、各学園の主力が勢揃いだ――アスナ先輩の云う通り、こういう時に楽しむ事も大切だと思うから」
「……FOX小隊、また私の邪魔をしに来ましたか」
「……災厄の、その傍若無人振りは健在か」
「ちょ、ちょ~っと待って! ワカモも最近はすっごく頑張ってくれて! ほんの一ヶ月前とかヘイローがどうにかなっちゃうんじゃないかってくらい落ち込んで、今日先生に会えるってなって漸く元気になったところでぇッ!」
「そ、そうです、部長の云う通りです! そのぅ、色々過激な事を過去にしてしまったというのは知っているのですが……! ワカモ殿も主殿を守る為に必死で……!」
「ど、どうか! どうか此処は穏便にっ! お、お願い、お願いします! お願いします!」
「うわっ、凄い形相じゃない――それで、どうするのFOX2? このままだと直ぐにも銃撃戦に発展しそうな感じだけれど、やるなら周辺の被害はある程度覚悟しないと、アイツ相手はキツイわよ」
「民間人の避難も難しい中、流石にそんな無茶はしないと思うよ? 今回の任務は連邦生徒会長と先生の護衛――ワカモの捕縛は命じられていないし、何よりこういう場だから、精々が釘を刺す位かな」
「オッケー、そういう感じね、了解、了解、私もそういう事なら賛成、もし本格的に事を構えるって流れになっても、今はちゃんと私達に命令出来る人がいる訳だし、ね?」
「RABBIT2、今のところ異常なし、このまま巡廻と監視を続ける……とは云え、こうも出店が多いと嫌でも空腹が刺激されるな、最近は期限が迫っていたレーションばっかりだったから尚更――環境が戻っても食える物は大して変わらないのは、何とも皮肉だな」
「ぶっちゃけ舌が肥えちゃったんじゃない? って云うかRABBIT1、結構な時間此処に留まる事になるんでしょう? 長期待機に備えてゴミ箱にスタンバイしていたミユは早々に本物のゴミ箱に間違えられて悲鳴を上げる羽目になったし、溶け込むならちょっと位楽しんでいた方が自然じゃな~い?」
「うぅ……で、でも私、お店の人に声を掛けても気付いて貰えないから、や、やっぱり私だけ誰も居ない隅っこで監視任務を続けた方が――」
「……そうですね、先輩方も先生が到着するまでは待機中ですし、私達も少し肩の力を抜いても良いのかもしれません、RABBIT4、一緒に巡廻しましょう――出店には私が声を掛けますから」
「救護騎士団のテントは此方です! 具合の悪い方、怪我をした方は遠慮なくご利用下さーい! あっ、セナさん、お疲れ様です!」
「お疲れ様ですハナエさん、セリナさんも、緊急車両の配備と予備テントの設営が完了しましたのでご報告に、緊急車両の内一台は万が一先生に何かあった際、迅速に対応出来る様完全専用車両として件のテントに横付けしてあります――それと、ミネさんはどちらに?」
「ありがとうございます、備えあれば憂いなしですね! ミネ団長は、えーっと……その、少しシスターフッドの皆さんと話し合いの場を設けている最中でして――」
「サクラコ様、舞台の設営が終わりました! 聖歌隊の皆さんも先程到着した様で、後はイベントステージの……あ、えっ、えっと――?」
「見損ないましたよサクラコさん! 己が立場を自覚しながらこの様な衣装を聖歌隊の皆さんに着用を強制しよう等と、恥を知って下さい! これの何処に清純かつ敬虔な祈りが見て取れると云うのですか!? この布面積、ましてや鼠径部の角度など……なんと破廉恥なっ!」
「ち、違います、誤解ですミネ団長! この衣装は由緒あるユスティナ聖徒会の流れを汲む礼装、件の作戦では私自らが着用し先生の奇跡の生還へと繋がった『覚悟の証』なのです! 確かに現代のシスターフッドが着用しているものと比較すれば幾分か布面積が少なく感じるかもしれませんが、決して仰るような破廉恥なものでは――そっ、そうですよね、マリー!?」
「えっ!? あっ、その、確かにサクラコ様の仰る通りその衣装はユスティナ聖徒会の伝統的な礼装ですが……! えっと、こう云った場で着用するとなると、は、破廉恥かどうかは、その――……あぅ」
「はーい、此方ゲヘナ給食部の炊き出しでーす! 量は沢山あるので喧嘩せずに、仲良く並んでくださいね! 今日は先生の為のイベントなんですから、銃弾の一発でも撃ったら即座に追い出しますからね、そのつもりで!」
「はい、此方でも受け取り出来ますので順番、順番に! あっ、ちょ、待って下さい!? そちらのパンケーキは失敗したもので、廃棄予定の……! あっ、ちょ、ちょっと!?」
「これだけの数を揃えながら、このお味……フウカさんまた腕を上げられましたね、とは云えあまり食べ過ぎては他の出店の品が入らなくなってしまいます、そろそろ他に移りましょうか、残ったストリートグルメを堪能しなくては」
「うんうん、そうですね~! 私としては幾らでも食べられちゃいますけれど、色々あって目移りしちゃいますし――先生にも栄養を沢山摂って貰いたいので、と~っても味が濃い目の料理を一杯買い込んじゃいましょう!」
「先生はそんな一杯食べられないでしょ、病み上がり相手に無茶云い過ぎ……っていうかイズミ、アンタそれ何食べているのよ? 何か、パンの間に挟まっている具材、気のせいかもしれないけれど動いてない?」
「ん、これ? 給食部の隣で配給していたパンケーキ! 何か見たことが無い色をしているけれど、とってもおいしーよ! 噛むと口の中でぴちぴち動いて、すっごく新鮮なんだ~!」
「よぉし、これでお仕事完了っと! お疲れ様、部長! すごい大変だったけれど一生懸命やれば意外と何とかなったね! 会場も人が一杯いてわちゃわちゃしていて、凄く良いじゃん! 温泉はー……掘れなかったけれど!」
「ハーハッハッハッ! 温泉ポイントが此処ら一帯に無い事は事前に調査済みだ! 所かまわず掘る訳にもいくまい! 温泉開発にも資金は必要だからな、今回の仕事で十分な報酬が期待出来る! 先生の湯治も兼ねて、また近い内に大規模な温泉開発を――ひえッ!?」
「会場周辺の残った瓦礫撤去と整備、温泉開発部が車両に載せたアレで最後、完了ですね……とは云え随分と物騒な話をしていましたが、放置して宜しいのですか委員長?」
「アレでも建築と瓦礫撤去の腕は確か、仕事はきちんと果たしたみたいだし、祝いの席だから今日は見逃してあげる、目に余る様だったら容赦はしないけれど――それよりも周辺の警備状況は? 先生が来る以上、僅かな危険も見逃せない」
「そっちは万魔殿と連携して東側を中心に並べている所、こっちの担当には抜かりはない、一応他の学園が担当している区画にも目を配っているけれど、どこも警備は本気って感じだから心配はないかな」
「万魔殿と連携と云っても、対応しているのは殆どイロハさんですが……因みに件の銅像の残骸は積み込みを完了し、既に処理施設に走っている最中との事です、こんな事に予算を使うくらいなら他所に回して欲しいですね、本当に」
「キキッ! やはりこの会場を選んで正解だった、このマコトさまの偉大さを知らしめるのに十分な規模と豪華絢爛な品々! 各学園の首脳部が一堂に会す場所だからこそ、ゲヘナの、万魔殿の、このマコトさまの素晴らしさをこれでもかと誇示せねばなぁ! ――ところでこのマコトさま直々に発注した銅像は何処だ? この広場の中心、一番目立つところに昨夜の内に設営しておけと命じた筈だが……?」
「えっ、あの銅像ってマコトちゃんだったの? 確かヒナ委員長が会場入りして直ぐに破壊してたわよ? 私が見た時にはもう残骸だけだったから、もしかしたら別の銅像だったのかもしれないけれど……」
「会場に他の銅像が設置されていたという話は聞いていませんし、十中八九その銅像がマコト先輩の銅像だと思いますよ! うーん、もうちょっと早く到着出来たら週刊
「はぁ、巡廻のルート指示と会場周辺の警備配置が終わりましたよー……って、何ですかマコト先輩、そんな馬鹿みたいな顔して、あぁ、いえ、ある意味ではいつも通りですけれど」
「こうした場所で嗜む紅茶もまた、普段とは少し異なる風味で大変宜しいものですね、特に桜の風情がまた、トリニティでは味わえない類の趣深さです――或いは区画の一つに桜を植林するというのも良いかもしれません」
「やめたまえナギサ、こういうものは直接足を運びその場で楽しむからこそ粋と云うものだよ――まぁ、お茶会と呼ぶには少々騒がしい気もするが、悪い気はしない……それとミカ、いい加減その翼を揺するのはやめて欲しい、乙女としての情緒は理解するが落ち着きが足りない、
「う、うん、それは分かっているんだけれど、最近までずっとお肌の手入れとか翼の手入れとかサボり気味だったから、ちょっと自信ないっていうか……あっ、ナギちゃん、セイアちゃん、今の私、前髪とか変じゃないよね!? うぅ、隈とか出来てたらどうしよう……!」
「ひっ、人が、人が多い……ただでさえ外は苦手なのに、屋外行動に加えてこんな人混みなんて、うぅ、吐き気がしてきた、動悸と眩暈も、こ、古書館に帰りたい――い、いえ、せめて先生をひと目、出来れば一言、二言、お話して……っ」
「こういったイベントだとあまり知られていない新しい本に出会える事がありますし、後でこの手のお店は可能な限り回っておきたいですね、先生にお渡しするものも――ほら委員長、しっかりして下さい! もう少しで人の少ない休憩所ですから!」
「遂にこの時が来た、我々放課後スイーツ部、決戦の時……一世一代、二度と手の届かないロマンを追い求める瞬間――!」
「やってやろうじゃない! 今日だけ特別、マーベラス・スイーツ出張店の数量限定販売……! 絶対に、ぜーったいに負ける訳にはいかないっ!」
「他の出張店が出した粗方のスイーツは確保したけれど、本命の数量限定販売はこれからだからね、気合入れないと――先生には最高に美味しいスイーツを食べて元気になって貰う予定だし」
「うん、私達で一つ、先生の分を一つ、最低でも二つは確保しないと――だよねっ! 頑張ろう皆! 美味しいスイーツと、先生の元気の為にっ!」
「ふぅ、こうも人が多いと見回りだけでも一苦労ですね、先生や連邦生徒会長が登壇する以上、予想出来た事ではありましたが――他の方々もトラブルなく動けていると良いのですけれど……レイサさん、そちらは問題ありませんか?」
「はいっ! 特に生徒が暴れたとか、発砲やら爆発があったとかそういう話は全く! えっと、こんな事を云うのも変かもしれませんが、トリニティとゲヘナの生徒が一緒になってもトラブルが起きていないのはある意味新鮮というか何と云うか……あっ、お疲れ様です、正義実現委員会の皆さん!」
「あーっと、お疲れ様で~す! いやぁ、自警団の方々にも手伝って貰っちゃって悪いっすねぇ……っと、ツルギ先輩とハスミ先輩もお疲れ様っす! 私とマシロの方は特に問題なく、警備部隊も担当区画にバッチリっす」
「はい、担当区画の狙撃可能な場所は全て潰しましたし、私もこの後は指示通り待機地点で監視予定です、人々の平和と先生の安全を守る、これもまた立派な正義ですね」
「お疲れ様ですマシロ、イチカ、自警団の方々も、順調そうで何よりです――此方も特に問題なく、そもそもこれだけの規模で、かつ各学園から警備部隊が出されている状況ですから悪事を働くような輩は出ないと思いますが……とは云え、ですよねツルギ?」
「あぁ、調印式の時もそうだった、どれだけ強固に見える守りであっても油断は許されない、二度と、二度とだ――きひっ!」
「こっ、この焼きそば美味しそうですね……! あっ、あっちにはたこ焼きもありますよ!? タイ焼きにりんご飴、わ、綿あめも――ッ! う、うわぁあん! 終わりです! きっと今日が命日になるんです! なら全部買って全部食べてから最後の時を迎えますっ!」
「ヒヨリ、そんなに急がなくても食べ物は逃げないよ、今日の為に沢山お金は貯めて来たから皆でゆっくり食べよう? あっ、でも、食べるときは誰も見ていない所でね? マスクを脱がないといけないから」
「……買う物を買って、先生をひと目見たらすぐに戻った方が良いかもね、これだけの人混みだしそう簡単にバレるとは思わないけれど、正直顔を合わせたら拙い連中ばっかり、あっちには正義実現委員会、向こうにはゲヘナの風紀委員会、真正面からやり合ったら勝ち目がないよ、リーダー」
「大丈夫だ、マスクやヘルメットを被った生徒は多い、校章の見えるものも今回は着用して来なかったからな、そもそも戦う為に来た訳ではないのだし、下手に目立たなければ問題ない筈だ――それに、懐かしい顔も見れた」
「はっ、はぁッ、あ、アズサちゃん、どうしたんですかそんなに慌てて!? こんなに強く引っ張って、走って来なくても――」
「見てくれヒフミ! これ、此処の屋台! モモフレンズで一杯の屋台だっ! こっちはペロロ、ウェーブキャットにスカルマンまで……! きっと此処でしか買えない限定品だ、全部だ、全部買おう!」
「いやアズサ、全部買うとか無理に決まっているでしょ? これ全部で何種類あると思って――ちょちょ、ヒフミ!? その財布って補習授業部の予算が入っている奴よね!? 何こんな所で使おうとしているのよ!? 先生のお見舞い品に使うって話はどこにいったの!?」
「ふふっ、でも折角ですし思い出になるかもしれませんよ? 先生から頂いたモノと同じように、皆さんで一つずつというのも良いかもしれません、今回は私も奮発して軍資金を沢山用意して来ましたから――因みに私としてはあっちの、ほら、あの埴輪型の棒飴なんて素敵だと思うのですが♡」
「キリノ、ちょっと歩くの早いって、もう少しゆっくり行こうよ……! おっ、ドーナッツも売っているじゃん、丁度良いや、これ三つ貰える? そうそう、あ、キリノも食べる? いやいや、栄養補給だって、いざって云う時に力が出なかったら困るでしょ? だからちょーっと休憩して、向こうで一緒に――げぇっ!?」
「何だ、私の顔を見るなり随分とご挨拶だなフブキ? キリノも、パトロールは順調そうで何よりだ――その手に持っているモノを見るに、イベントの方も随分と楽しんでいる様じゃないか」
「お、お疲れ様です、カンナ局長! 副局長も! これは、えぇっと、円滑な巡廻の為の栄養補給と云いますか、何と云いますか――そ、それより今回のイベントは公安局の皆さんも駆り出されているのですか!? てっきり生活安全局の本官や警備局の皆さんだけだとばかり……!」
「あー、まぁ今回は規模が規模って事で参加する学園の数も凄いし、人手は幾らあっても困らないっしょ? 何より防衛室から直々に、『また何処かに消えたりしないよう、良く見張っておいて下さい』と命令されちゃったんすよねぇ、まぁこんな凄い面子が集まった場所で馬鹿やる奴は居ないと思うけれど……そっすよね、姉御?」
「うーん、あっちの屋台だとコレが五百円、でも向こうだと四百五十円……あ、でも少し量が多いかしら? 四人で食べるなら――いやでも大将のお店と比べると見劣りするし、何よりアウトローっぽくないわね? 此処はもっとこう、画になるような一品を吟味して……」
「アルちゃ~ん、もう何でも良いから食べようよぉ、歩き回っているだけだとお腹が減るだけだし、こんな匂いの中で空腹とか拷問でしょ~! っていうか本当のアウトローなら絶対値段を気にしたりしないってぇ~……」
「わ、私はアル様が宜しければそれで……き、決まらなかった大将のお店もありますし! あっ、わ、私なんかが意見するのもおかしいですよね!? すっ、すみません、すみませんっ!」
「はぁ、ムツキの云う通りそろそろ決めて食べようアル、時間的に先生が到着する頃だし、いつまでも迷っていたら日が暮れるよ? ただですら先生と話すのは競争率高いんだからさ」
「いらっしゃい、紫関ラーメン出張店――って、こりゃ良いタイミングだ、おーいセリカちゃん!」
「あっ、皆来たのね! それじゃあ大将、一回バイト抜けるわね? お昼過ぎにはまた戻って来る予定だから! ってホシノ先輩、めちゃくちゃ眠そうじゃない……何でこんな賑やかな場所で眠そうなのよ? 折角皆で遠出して来たのに」
「うへぇ~……こんな陽気でぽかぽかした天気だと、おじさん力が抜けて眠くなっちゃうんだよぉ、あとさっき皆で美味しそうなお菓子を沢山買っちゃって食べたから――あっ、ちゃんとセリカちゃんの分もあるから安心してね?」
「あはは……まぁ、気持ちは凄く良く分かります、こっちはアビドスの陽射しと違って強すぎませんし、何だか気持ち良い位ですから――柴大将、セリカちゃんもお疲れ様です、出張店も好評みたいで何よりです」
「ん、柴大将のラーメンは自治区外から態々食べに来る人が居る位だから、こういったイベントは儲け時、後で差し入れも持って来る、こういう時にしか売ってない様なものも沢山あるし、予算は――」
「予算の心配はいりません! ホシノ先輩、シコロちゃん、セリカちゃん、アヤネちゃん、必要なものは全部買って帰っちゃいましょう! こういう旅行では我慢しないのが一番なんです! ついでに、先生へのお土産も用意しちゃいましょうか♪」
「い、いらっしゃいませ! エンジェル24出張店へようこそ! えっと、何をお求めでしょうか……?」
「ククッ、それでは先生が良く愛飲しているという此方のエナジードリンクを一つと、アンドロイド用の補給液を一つ――しかしまた懐かしい顔ですね、まさかこの様な場所で再会するとは思ってもおりませんでしたが」
「ふん、他人の空似だろうよ、このフレームは特注品だが最近何かと真似する輩が多い――それに勘違いするな、私は出資者の一人としてこのイベントを見届けに来ただけだ、それ以上でも以下でもない」
「隊長、ラブ隊長! こっちの屋台はかなり安く売ってますよ! 他の店より量も多めだし、前の報奨金で全員お腹一杯食べられそうです!」
「本当に!? よくやったわ! やっぱりこういう日の屋台は狙い目ね……! 買えるだけ買って残りはアジトで食べるわよ! 後は――あんまり高く無くて、贈り物として良さそうなヤツを探しなさい! 先生に渡す用にね!」
■
「皆さん、ずっと先生を待っていてくれたみたいですね」
車椅子をそっと支える、連邦生徒会長の声が耳に届いた。
視界の先で多くの――本当に多くの生徒達が、学園や所属を問わず笑い合っていた。
先生は暫しその光景を凝視し、残された指先が車椅子のひじ掛けを強く握る。
「―――」
心臓の鼓動が一際強く胸を打った、込み上げて来る様々な感情があった。己の背に募っていた数多の想いが、願いが、辿って来た長い長い道が漸く繋がった様な。
願い求め続けていた未来に漸く辿り着けたと、そう実感できる光景に。
先生は唇を力いっぱい噛み締め、眩しそうに瞳を細めた。
連邦生徒会長はそんな先生の姿を優し気に見守り、それから静かに呟いた。
「賑やかで、素敵な光景です」
「……あぁ」
辛うじて口から出た声は掠れていて。
先生は咄嗟に目元を袖で拭った。零れそうになったそれを見せる訳にはいかなかった。乱雑に拭った視界の先にひらりひらりとチラつく何か。
先生が顔を上げると桜の無数の花びらが風に揺られ宙を舞っている。
「――桜」
「えぇ、もう一年になりますから」
降り注ぐ陽光に紛れ目前に散っていく桜。先生はそれに手を伸ばし、掌に一片の花弁を掴む。会場全体に植えられた並木は一帯を覆うように桜色を咲き誇らせている。
澄み渡った空の青を彩るそれは間違いなく春の訪れを告げるもので、鼻腔を擽る桜の香りと、どこか懐かしい昔日の面影に先生は吐息を漏らした。
「……そうか」
いつか自分は云った――春になったら、と。
自分が迎える事の無い
どうかその未来に幸福があって欲しい、眩いばかりの笑顔があって欲しい。それこそが今、この世界を必死に生きた己に許された唯一の道であると疑わなかったからだ。
けれど今、自分はその道の先に立っている。
訪れる事が無かった筈の、最善の未来に。
「――そうか」
それは一体、どれ程の奇跡だろうか。
最初はどこか呆然と、それから滲むような歓喜を噛み締めて。
先生はゆっくりと一片の花弁を握り締めた。
今日この瞬間、己の本懐は果たされた、大願は成就した。これまでに積み上げて来た数多の犠牲と代価に相応しい未来を掴んだのだ。
一年、そう、たったの一年。
けれど先生にとっては何よりも長く険しく、何度も繰り返された、困難な
「………」
だが、どうしてだろう。
いざこうして胸中にて振り返った過去は、永遠に感じた当時に反してあっという間の事のようにも思える。
喉元過ぎれば何とやらか、しかし消えない傷と共に刻まれた記憶は決して色褪せない。先生の血肉として流れるそれらは、今尚先生の中に息づいている。
だからこそ今、この瞬間を生きる
それを見透かされたのだろう。
「もしかして、もう一年が過ぎた、なんて考えていましたか?」
「―――」
唐突に落ちた影、連邦生徒会長が横合いより先生を覗き込み云った。
長い髪が風に舞い、先生の頬を擽る。思わず口を噤み、困ったように視線を逸らした。
図星だった。
「先生、まだ一年ですよ」
彼女は此方の内心を全て察しながら、楽しそうにそう云った。己からすれば余りにも長い、濃密で永遠にも思える様な時間。幾度も、幾度も幾度も繰り返して来た弊害もあるのだろう――けれど、彼女の云う通り。
「……そうだね、『まだ』か」
思い直し、先生は答えた。
まだ一年だ。
嘗ては過去しかなかった、けれどこれからはそうじゃない。
眩いばかりの輝きを放つ、未来がある。
彼女達が歩むこれからの時間に比べればとても短く、そして眩く煌めく一年間。それはこれからも続いて行く、それこそが自分達が死に物狂いで勝ち取った結末。
是を非としても掴みたかった明日だから。
「ずっと、ずっと大変な道のりでした」
先生に寄り添う連邦生徒会長は、集った数多の生徒達を見渡しながら呟く。車椅子から手を離し、一歩、一歩と進んでいく彼女の背を視線で追う。純白の制服が桜色に紛れ、青に差し込む陽光が白の輪郭をなぞった。
穢れを知らない白は光を良く反射する。先生の目には、彼女と背後の生徒達が酷く眩しく見えた。
「先生が仰る通り、色々なモノを失ってしまいました、辛い事も、悲しい事も沢山経験して――だから改めて、此処から始めましょう」
アロナとしてシッテムの箱に留まっていた彼女にもまた、当然ながら秘めた想いが存在する。此処に至るまでの道には数多の苦難があった、闇があり、絶望があり、多くの記憶の終わりは悲しみに満ちている。
けれど、悲劇を乗り越えた先には喜劇がある。
絶望の先には希望が、暗闇の向こう側には光が。
夜を過ぎれば、必ず陽は昇る。
「皆が笑い合える未来――先生と、私達の青春を」
ゆっくりと振り向いた彼女は満面の笑みと共に、そう云って手を差し伸べる。
青春――青春、か。
「気持ちは嬉しいけれど……」
先生は差し出された掌と彼女を見守ったまま、少しだけ考えて苦笑を零した。表情には少しだけ気恥ずかしそうな、何とも面はゆい色が宿っている。
彼女の言葉は素直に嬉しい、その手を取る事に迷いはない。
けれど一つだけ。
青春、それはきっと子ども達の特権だから。
「私はもう、良い歳をした大人だよ」
「大人は青春しちゃいけないって、そんな法律はありませんよ?」
先生がその様な事を宣えば、悪戯っぽく目を細めた連邦生徒会長は答えた。
予想出来なかった返答に、先生は暫し面食らう。
「――少なくとも、このキヴォトスでは、ね」
告げ、彼女は素早い身のこなしで先生の後ろへと回った。車椅子を掴み、力強く地面を蹴る。何かを反駁する隙も無かった。車輪がゆっくりと回り出す。
「さぁ、行きますよ先生!」
「っと」
ぐん、と。
車椅子が動き出し二人は会場の入り口へと進んでいく。
周囲の生徒達が二人の姿に気付き、俄かに声が上がり始めた。
先生に気付いた幾多もの生徒達が名前を呼び、手を振って駆け寄って来る。背後の連邦生徒会長はそんな彼女達の姿に楽しいのやら嬉しいのやら、車椅子を押したまま笑い声を上げて人の波へと真っ直ぐ進んでいった。
その先頭で風を感じながら、先生は薄らと笑みを浮かべる。
「……あぁ、そうだね」
車椅子に背を預けたまま、誰にも聞かれない様小さく囁いた。
外の世界ではどうかなど関係ない。
何故なら此処は学園都市キヴォトス。
今日を生きる多くの子ども達が学び、笑い、遊び、一歩ずつ成長していく世界――子ども達の
その世界こそを楽園と定め、少なくともただ一人、そう信じ続けた先生は駆け寄る数多の生徒達へと手を伸ばした。
今度こそ、愛する
「始めよう、私の、私達の」
伸ばされた幾つもの手が、先生の手へと触れる。
飛び込んで来る人影、多くの温かさを感じ、途端涙と笑顔が周囲に溢れる。
先生は泣き笑いの様な、心底嬉しそうな笑みで以て彼女達を迎え。
「
澄んだ青空から降り注ぐ陽光が、皆の眩い笑顔をいつまでも照らしていた。
ブルーアーカイブを、もう一度。 完。
【完結を迎えて】
此処まで来れた事に深い感謝を。
自給自足の為に書き始めたこの作品が、四年近くに渡って続けられたのは私だけの力では不可能だった。多くの人々に支えられたからこそ、完結まで走り切る事が出来た。
最終編に至っては丸一年以上を要した、去年の五月に始まり、今年の五月で終わる。一章につき短ければ三ヶ月、長くとも半年程度で終えていた事を考えれば非常に長い間書き続けていた。
あまねく
この作品のタイトルは、本編に用いられている『Aoharu』という楽曲がとても好みで、なら題名はそれに因んだものにしようと考えた所から始まった。そこから転じて生まれた題名が『Re; Aoharu』――【ブルーアーカイブを、もう一度。】だった。
結局、私が完結する前に公式で『Re.Aoharu』が生まれてしまった訳だが……当時は何とも云えぬシンパシーを感じていた。
因みに最終回のタイトル自体は、エデン条約後編2のサブタイトルで既に使用している。目次で見れば一目瞭然で、百四十話の■でボカしたものがそれである。
これだけの長い間、書き続けた作品が完結したのならさぞかし大きな喜びや達成感があるだろうと、昔の私はそう思っていた。しかしいざ、全てを書き終えて天井を仰いだ時、浮かんだ考えは「さて、次は何を書こうか」だった。
連邦生徒会長が帰還し、先生も生還したキヴォトスの中で漸く訪れた平穏を享受する話、そこから百鬼夜行に繋げるのも悪くない。
以前口にした、過去に戻ったつもりが気付けばキヴォトス動乱の後で、各自治区が敵対状態にあり先生は既に死亡、そんな中に嘗ての先生が唐突に現れ、学園同士での争奪戦が勃発――という話も憶えている。
テラー化してしまった生徒達の過去、バッドエンドを迎えてしまった各部活動、ハッピーエンドへと繋がる為の世界を書くのも良いだろう。
はたまた先生を性的に襲おうとする事案が多発し、月の暴行未遂が三ケタ台に突入、日々の業務に影響が出始め連邦生徒会が事態を重く見た結果、恋愛促進法案なるものが可決されかけて大変な事になる、なんてギャグのテイストのものも思い浮かんだ。
兎にも角にも、書きたいものは沢山あった。
そして恐らく、私はそう遠くない内に書くのだろう。それが文字なのか絵なのかは分からないが、それだけは確かである。
第五の古則、楽園に辿り着きし者の真実を、証明することはできるのか。
これは私がこの作品を書くきっかけにもなった古則である。
目に見えないものを証明する事は難しい、感情を、愛を証明する事は難しい。目に見えないのならば、証明できないのならば、それを信じる事は難しい。
けれど不可能ではない筈だと、嘗て私が生徒の流す涙に愛を見出したように、私がこれまでに綴った手元にある四百六十九万五千字に及ぶ文字列こそは、ブルーアーカイブという作品に捧ぐ愛である。
私の人生に於いて、此処まで深く長く一つのコンテンツを追い続けた事は初めての経験だった。
あの頃とは何もかもが変わって随分と時間が経ってしまったけれど、内に秘めた熱情は全く消えていない。「楽しい、楽しい」と笑いながら無邪気に書き続ける事が出来たのは、この素晴らしい世界と生徒達、そして先生が居てくれたからだ。
ありがとう、ブルーアーカイブ。
私はいつだって、あなたに夢中だ。