以前と異なり不定期更新となりますがご了承くださいませ!
遍く生徒を愛している。
――アトラ・ハシースを退け、平穏を取り戻した
多くのものを失った先生は、しかし
今日も今日とて彼は愛する生徒達に囲まれ、日々を仕事に忙殺される。
その日も、そうなる筈であった。
「セリナ! 助けてくれっ、セリナーッ!?」
しかし、そんな日常の中で唐突に悲鳴染みた叫びが木霊する。
シャーレオフィスに轟いたそれに、間髪入れずに反応したのは呼びかけられたセリナ、その人である。
別段オフィス内に待機していたとかシャーレに常駐している訳でもないのに、先生が切羽詰まった声で彼女を呼んだ瞬間、物影から何の前触れもなく彼女は飛び出した。
「はいっ、先生のセリナです! どうしました!? 大丈夫ですか!?」
医療品をこれでもかと詰め込んだ鞄を肩に掛け、瞬間移動さながらの速度で出現した彼女。普段よりもずっと真剣で剣呑な気配を纏ったセリナは愛銃を握り締めたまま周囲を伺い、床に座り込んだ先生の元へと駆け出した。
余程慌てていたのか、先生の傍にはあらぬ方向を向いた車椅子があった。
「もしかして、どこか体調が……!?」
先生の直ぐ傍で屈み込み、その顔色や呼吸を素早く入念に確かめる。先生の顔は若干紅潮しているが、血色は悪くない。
ならば、どこか見えない部分で――そう勘繰って益々表情が険しくなるセリナ。
「いや、私じゃなくて、彼女が――」
しかし、先生は自身の頬や首元に添えられるセリナの手に触れながら緩く首を振る。そしてその腕に抱え込んだ生徒に視線を向けた。
「今日の当番の子、ワカモが突然気を失っちゃって……!」
「えっ?」
どうやら、患者は先生ではなかったらしい。
口に出されて漸く気付いた。先生の腕の中にはずっと人影があった。
先生に抱き締められた生徒――ワカモをセリナは驚いた表情で見つめる。
「兎に角、診てくれないか!?」
「わ、分かりました、失礼します……!」
先生は自分の事ならば幾らでも我慢できるし虚勢も張るが、生徒の事となるとそうもいかない。
切羽詰まった先生の声に促され、セリナは慌てて様子を伺う。
確認してみれば確かに、ヘイローも感じられず完全に意識を失っている。
近くのソファへとワカモを運んだセリナは、なるべく仮面は取り払わず口元だけを露出させ、呼吸や脈拍、血色などを確かめた。
胸元も上下しているし呼気もある。ただ、心拍数が異様に高く感じられた。
「えっと、それらしい外傷は見当たりませんし、呼吸も正常、体温は少し高めですが――倒れるまではどのような様子でしたか?」
「えぇっと……」
一先ず鞄を下ろしワカモの制服に手を掛けたセリナは、直前まで様子を知っている先生に問い掛ける。
先生は不安げにワカモを見下ろしながら眉間に皺を寄せ、此処に至るまでの過程を思い返した。
■
「今日もありがとう、助かったよ」
「いえ、あなた様の為ならば、このワカモ――どのような事であっても喜んで」
今日の当番、ワカモはそう云って書類の束を抱えたまま身を捩って嫋やかに微笑んだ。そんな泰然とした姿勢に反し、背後の尻尾は常に左右へ忙しなく揺れ動いている。
仮面越しに覗く妖しげな瞳、本当ならば毎日でも先生の傍に侍り、おはようからおやすみまで共に在りたい。しかし、シャーレの先生は実に多忙の上、キヴォトス中の生徒から好意と信頼を寄せられている。
それは手足を失い、片目を失い、殆ど車椅子生活となった今でも変わらない。何なら義手義足を外した先生の私生活さえも万全にサポートする気満々の生徒など掃いて捨てる程存在する。
即ち当番を含めて先生の傍に侍るチャンス、その競争率の高さが尋常ではないのである――尤も、だからと云って諦める気など毛頭ないし、邪魔をするならば力づくでもねじ伏せる覚悟と決意がワカモにはある。
その辺りは先生本人が望まないので可能な限り自重しているが、その時になれば容赦はしないと心に誓っていた。
「あぁ、そうだワカモ」
「はい?」
身を捩らせ自身と愛しい人の未来に想いを馳せるワカモは、不意に名を呼ばれ頭上に疑問符を浮かべる。
振り向き視線を向ければ、車椅子を反転させた先生が此方を真っ直ぐ見つめていた。
その瞳を見返した時、ワカモは稲妻に打たれた様な衝撃を受けた。
「な、なんでしょう、その様な凛々しいお顔になって――」
普段も大抵精悍で凛々しい顔つきではあるが、じっとこちらを見つめる先生からは普段よりもずっと強い、何か気迫の様なものが伝わって来るような気がしたのだ。
そんな気配に気圧され思わず舌を縺れさせたワカモは息を呑む。
先生は一瞬何かを思い返す様に視線を手元に落とすと、五本の内二本が義指となった右手を緩く握り締め苦笑を零す。
「ほら、これまで色々な事があっただろう? 辛い事も、悲しい事も、苦しい事も、けれどそれを乗り越えた先に
そう云って顔を上げた先生に、ワカモは言葉に出来ないときめきの様なモノを覚えた。それは正しく初めてこの人を目にした時の様な、衝撃と熱情――そして予感。
軽く震えた指先が胸元を強く掴む。
「だから、やっぱり気持ちを伝える事は大事だと思って」
「き、気持ち……?」
ワカモの心臓が大きく跳ねた。
何やら蠱惑的なフレーズだと思ったのだ。
否が応でも体に熱が籠り、呼吸が弾む。紅潮した頬にバクバクと鳴り止まない心音が煩い。
「そ、それは、まさか――ッ!」
「ワカモ」
まさか、まさかと、胸中で期待と不安、歓喜が切り混じる。
先生の瞳が真っ直ぐワカモを貫いた。
瞬間、彼女の全身が硬直し石像の如く動かなくなった。
「私はこの世界に生きる遍く生徒を、
「―――」
「ワカモを、心の底から愛しているよ」
その一言が。
愛しているという言葉がワカモの鼓膜を揺らし、全身の細胞という細胞を駆け巡って
「――かふっ」
ワカモは手足を精神的な衝撃から雁字搦めにされたまま、直立不動でゆっくりと背後へと倒れた。
それは宛らスローモーションの如く、受け身を取れる筈もなく目の前で仰向けに転がったワカモを前に、先生は慌てて身を乗り出した。
「わっ、ワカモ!? ワカモッ!?」
「―――」
義足を起動し車椅子から立ち上がると、一心不乱にワカモの傍に駆け寄るも――ワカモは微動だにしない。普段であればどんな状況、状態であろうとも反応し、喜び勇んで反応を示すワカモが一切。
その事実は先生に対し、嘗てない程の衝撃と焦燥を齎した。
「セリナ! 助けてくれっ、セリナーッ!?」
■
「あー……」
状況を事細かに説明されたセリナは、何とも恥ずかしそうな、上擦った声を上げた。
実はこの状況、彼女にも覚えがあったのだ。
アトラ・ハシースを破壊し街の復興作業に追われる中、遂に退院した先生は多くの生徒の要望もあり殆どの時間を派遣された救護騎士団、救急医学部、ミレニアムの義肢調整チームと共に過ごした。
その中で先生は些細な事でも感謝を述べ、自分が此処まで辿り着けたのは多くの生徒達の協力と尽力があったからだと力説したのだ。
その中には生徒個人への感謝、そして先生自身が持つ確かな愛情についても含まれており、あろうことか彼は恥じる事もなく生徒の目を見て真正面から己の抱く感情を詳らかに明かし――それは最早、愛の告白と同義であった。
セリナもまた唐突に投げかけられたそれに面食らい、数秒程意識を飛ばし、先生との結婚生活から十年、二十年後の未来に想いを馳せ、眠れぬ夜を悶々と過ごした事もあった。
これは件の騒動を経て先生の周りに侍っていた医療チーム、及びエンジニアチームには周知の事実である。
実際、ある日凛々しく毅然としてどのような状況であっても自己を崩さない救護騎士団のミネ団長が、心ここに非ずといった様子で頬を紅潮させ、ふらふらと覚束ない足取りで壁に激突する姿を目撃した時などすわ天変地異の前触れかと戦慄したものだ。
その実、ミネ団長は先生から普段の感謝、及び愛の告白紛いの言葉をストレートに伝えられ浮つき、殆ど茫然自失になっていたというのが真実である。「救護騎士団の長として、い、いえ、しかし……この感情に、偽りなど――」何やらブツブツと険しい表情で悩む団長の姿が、以降数日に渡って目撃されている。
果たして、先生が愛の告白紛いの事をしたのは自分だけではない。
コレを知った時、セリナは大変――それはもう、大変落ち込んだり憤ったりしたものであるが、先生の性質を顧みた時そこに悪意や他意がある筈もなく、愚かしい程に純粋な善意と感謝、愛情だけが存在すると理解していた。
その事を自覚した時、セリナは泣く泣く己の中に渦巻く激情を何とか抑え込み、救護当番の日に無言で先生の背中をほんの少し、ちょっとだけ強めに小突いた過去があったりしたのだ。
そしてそれは他の医療チームやエンジニアチームも同様で、有形無形のあらゆる形で彼女達は己の感情を発散している。それも現在進行形で。
しかし、ある程度安定してシャーレが通常業務に戻りつつある今、その
その被害がどうなるのか、セリナは薄々感じ取っていた。
しかしそれをどう伝えたものか、セリナは被害者第一号を前にして大変苦悩する羽目になった。
「恐らくですが、心理的な衝撃によるものなので安静にすれば問題ないと思います、迷走神経反射と云いますか、一時的なものかと」
「もしかして、何か凄いストレスになるような事を?」
「いえ、ある意味逆……? いやでも、多角的な視点で見ればストレス……うぅん」
セリナはワカモの衣服をそれとなく整えながら、悩ましいと云わんばかりに唸り声を上げる。それをどのような意味に捉えたのか、先生は悲し気な表情を浮かべながらそっとワカモの髪を撫でつけ心から悔いる様に呟いた。
「当番が負担になっていたのかもしれない、今日も朝早くから来てくれたし、目が覚めたら少し休ませてあげないと……当番の回数を減らすとか、考えた方が良いかな」
「あっ、それはやめた方が良いと思います」
セリナは先生を見つめながら掌を押し出し即座に、力強く断言した。
そんな事を先生の口から伝えられてしまった場合、下手をすればもう一度気絶、最悪武力行使に発展しかねない。
だって、絶対に悪手であると確信しているのだ。
■
「って事があったんだ」
「うわぁ」
連邦生徒会――連邦生徒会長、執務室にて。
長らく留守にしていた主を迎え入れた部屋は、今や複数の書類が山のように積まれている。会話しながらも彼女の両手が休まる事は無く、視線でさっと紙面を撫でながらペンを動かす様は曲芸染みていた。
しかし彼女からすればこの程度呼吸に等しく、積み上がっていた書類は凄まじい速度で横へと払われていた。
連邦生徒会長不在による諸々は純粋な意思決定や精神的支柱に依るところが大きいと思っていたが、これを見ているとどうやら会長本人の処理能力の高さもあったらしいと実感する。
心なしか久方振りに訪れた連邦生徒会はタワー全体が明るく、慌ただしい空気が薄れたように思う。
それでも多忙である事に違いはないのだが。
「日々の感謝を伝える事は大事だと思うんだよ、ましてやあんな事があったからね、私自身思う所もあるし……」
「気持ちとしては十二分に理解出来ますが、先生の場合は色々と洒落にならないと云うか、変に誤解された場合こじれて大変な事になりそうな――」
「誤解なんてあるものか、私は心の底から生徒達を愛しているんだよ」
先生が腕を組みながら鼻息荒く返答すれば、それが一番の問題なのだと云わんばかりに連邦生徒会長は肩を竦めた。
それが単なるリップサービスや打算を含めた言葉であるのならば、生徒達も軽く受け流す事も出来ただろう。
しかし、目の前の大人は腹の底から本音を語っており、そこに打算や下心など入り込む余地はない。
彼の中に存在するのは、生徒達に対するどこまでも深い博愛と感謝である。
それはこれまで先生が辿って来た道が証明している。
文字通り生徒の為ならば身を惜しまず、心身を賭して困難に挑む大人であった。手足が捥げれば這ってでも、とは云うが現実に為した精神的な強靭さは驚嘆に値するだろう。
そんな背中を見ていた生徒達だからこそ、先生の愚直なまでに飾り気のない言葉に心を乱してしまうのだ。
それを彼女も理解していた。
そして先生の口にする愛しているという言葉が、女性的な一側面に向けられたものではなく、生徒個々人の存在そのものに向けられた博愛である事も。
「うーん、これは一波乱ありそうな予感……」
生徒会長は嘗てアロナとして活動していた時のように、何とも気の抜けた表情で口元をまごつかせる。本人に悪気は無いし、これまで自分達の辿って来た道を想えば「やめて下さい」とも云い難い。
アトラ・ハシースが墜ちたあの日――この世界の生徒達が起こした奇跡は、何度感謝を述べても足りない程に自分達が追い求め、全てを犠牲にして尚掴みたいと願っていた未来そのものだったのだ。
それを想えば先生の気持も理解出来るし、またその背景を踏まえて「もしも」を考えてしまうのも分かる。それは最早何度も世界を渡り歩いて来た末に沁みついた性質に近い。
さてはてどうしたものかと、難しい表情で視線を手元に落とした。
「会長、失礼します」
そんなやり取りをしていると、不意に部屋の扉がノックされた。
二人が同時に顔を向ければ、扉を肩で押して入室して来る生徒の姿。彼女は両手一杯に新しい書類の山を抱え、少しばかり血色の良くなった顔色を二人の前に晒した。
『あっ、リンちゃん』
連邦生徒会長と先生の声が重なった。
入室して来たのは首席行政官の七神リン、その人である。
先生が訪問している事は知っていたのだろう、彼女は投げかけられた親し気な呼び声に一瞬顔を顰める。
「誰が――」
リンちゃんですか。
そう云おうとして、しかし口を閉じた。
視線が先生と連邦生徒会長を行き来する。
先生は兎も角、連邦生徒会長も客人の前でそんなフランクな――そんな苦言が喉元までせり上がり、しかし口をついたのは溜息だけであった。
「……はぁ、もう何でも構いません」
『わぁい』
連邦生徒会長と先生は無邪気に喜んだ。
その姿が余りにも毒気が無さ過ぎて、リンは頭痛を堪える様に緩く首を振る。片側だけならば兎も角、この二人が揃うとまず手綱は握れない。
その事は此処数日で、嫌という程実感した。
根本的にこの二人は気質が似ているのだ。
「此方、追加の書類と――先日、頼まれていたものです」
「わっ、流石リンちゃん、仕事が早い!」
執務机に書類の山を追加し、次いで懐へと手を差し込んだリンは何かを連邦生徒会長へと手渡す。それを見た彼女は歓声を上げ、先生もまた手元を覗き込んだ。
「もしかして、それが今日呼ばれた用件?」
「はい、そうです! という事で――じゃじゃーん!」
連邦生徒会長が何かを両手で掲げ、先生に突き出す。一見普通のタブレット端末にしか見えないそれは――しかし、これまで幾つもの窮地を共に潜り抜けて来た相棒でもある。
先生は感慨深そうに口元を指先でなぞり呟いた。
「シッテムの箱」
「えぇ、外装と液晶を修理して見た目は新品同然です! 幸い内部に故障や損傷は見られなかったので、とても助かりました」
どこか安心した様にそう告げる連邦生徒会長に、先生は突き出されたシッテムの箱を様々な角度で確認する。己が使用していた時に散見された些細な傷、凹み、液晶の罅割れなどが全て綺麗に直されていた。
「凄いな、エンジニア部の皆でも修理は難しいって話だったのに」
「ふふん、それはもう頑張りました」
オーパーツであるシッテムの箱は、通常の部品による修理などが難しい。特にサンクトゥムタワーと同列に扱われるシッテムの箱について知っている者は連邦生徒会長を除いて一体どれ程存在するのか。
兎角、彼女の帰還によってシッテムの箱は外装の損傷、液晶の罅割れ、その他諸々を一新し以前の姿を取り戻していた。
「そしてこの子がアロナちゃん……じゃなかった、A.R.O.N.Aに代わる新しいメインOS」
連邦生徒会長がご機嫌な様子で画面をタップし、シッテムの箱が起動する。画面の暮明に青白い光が灯り、その奥に仏頂面で立つ見慣れた顔があった。
「プラナちゃんです!」
『………』
画面の奥に佇む白い髪の少女――見慣れた溌剌とした笑みを見せるアロナではなく、先生からすれば幾つもの世界を共に渡って来た見覚えのある白と黒の少女、A.R.O.N.Aそのもの。
しかし連邦生徒会長は彼女を【プラナ】と呼んだ。
「えっと……」
思わず、と云った風に言葉に詰まった。
先生は画面と連邦生徒会長を交互に見つめ、それからもう一度問いかけた。
「A.R.O.N.A、だよね?」
「プラナちゃんです!」
どうやら違うらしい。
いや、しかし外見は彼女がシッテムの箱に常駐する前のメインOS――
どう見てもA.R.O.N.Aだ、しかし彼女は否定を口にする。
「ねー、プラナちゃん?」
『………』
困惑する先生を他所に画面を自分に向け、無邪気に笑いかける連邦生徒会長。そんな彼女に対し、A.R.O.N.A――改めプラナは何とも表現し難い、複雑な感情を向けている様に見えた。
「えっと、A.R.O.N.Aのままでも良いと思うのだけれど……それじゃあ駄目なのかな?」
「うーん、アロナと呼ばれるとまだ私の方が反応してしまいそうになっちゃいますし、それに、何と云うか――」
シッテムの箱を抱えたまま眉間に皺を寄せた連邦生徒会長は、「アロナ」の部分だけリンに聞こえない様に声量を抑え、唸りながら体を左右に揺らす。
どうやらシッテムの箱に滞在していた彼女にしか分からない微細な情動があるらしい。暫し悩んだ素振りを見せた連邦生徒会長は、ふと指先を立て高らかに告げた。
「そう、これまでの思い出、先生と一緒に居た時間は私だけのものなんです! それだけは譲れません! なので彼女はA.R.O.N.Aちゃん改め――【プラナ】ちゃんなんですッ!」
ばばーん、と。
突き出したシッテムの箱を誇示しながら宣言するのは、アロナとして先生と共に過ごした時間を独り占めする為の言葉――の様に聞こえる。
しかし別段、彼女がプラナであろうとA.R.O.N.Aであろうと共に在った過去が変わる訳でもないと思うのだが、それでも彼女なりに譲れない一線があるらしい。
「プラナ、か」
「はい! 名前の由来は夜空に光る星々のように、儚く美しく、けれど眩く……プラネタリウムのように周囲の人々を暖かく照らす、そんな想いを込めて命名しました!」
「……そういう事なら、分かったよ」
彼女の主張は理解したし、プラナ本人も別段嫌がっている様子や言葉による反駁もない――様に思える。
どうやら不承不承であっても受け入れてはいるらしい。ならば自分から何か云う事は無いと、先生は連邦生徒会長の命名を受け入れた。
「でも良いのかい? 連邦生徒会長が戻って来た以上、シッテムの箱は――」
「先生の身に何かあったら大変です、身を守るという意味でもシッテムの箱は先生が持っていて下さい! それにこれは私からの、そして多くの生徒からの信頼の証でもあります」
そう云って彼女は真っ直ぐ、シッテムの箱を差し出す。画面の向こう側でプラナが此方を見上げていた。
「私が不在の間、キヴォトスを守り、導いて来たのは他ならぬ先生なんですから! 私はずっとそれを見て来ました――貴方の居ないこの世界は、もう絶対にあり得ないんです!」
勿論、そこに至るまでの過程では様々な生徒や学園が助力し、力添えをしてきた事もあるだろう。
しかし、その団結に至る為の要因には必ず先生が存在し彼が居なければもっと早くに世界は破綻を迎えていただろう。
それは誰が何と云おうと紛れもない真実だ。
この世界を云々する力、強大な力を預かると云うのであれば――先生以外にあり得ない。
彼女はそう信じる。
「ねっ、リンちゃんもそう思うでしょう?」
「……まぁ、そうですね、先生がキヴォトスに必要不可欠な存在というのであれば、概ねその通りかと」
連邦生徒会長から投げかけれた問い掛けにリンは静かに頷きを返す。
ただもう少し、普段から締め切りに余裕を持って仕事はして欲しいですが。
リンは淡々と嘆息する様に呟き、先生は思わず閉口し肩を落とした。その節については、いつも助力頂き大変助かっておりますと。
「なら、有難く受け取るよ」
先生は一度大きく息を吸い込み、差し出されたシッテムの箱に手を伸ばす。連邦生徒会長の指先から、先生の指先へ。拠り所を新たにしたシッテムの箱からプラナが顔を覗かせる。
先生は彼女を見下ろしながら笑みを浮かべた。
「よろしくね、プラナ」
『――生体情報の更新を行います、形式的なものですが、大切な事ですので』
何やら聞き覚えのある言葉であった。
同時にプラナが画面に指先を伸ばし、液晶に淡い波紋が揺れる。
『指きりの様に、指先を当てて下さい』
「うん、勿論」
プラナの突き出された指先に合わせ、先生も静かに指先を伸ばす。そうだ、確かいつの日かも同じようなやり取りがあった。
ほんの数秒、僅かな待機時間を経てプラナはゆっくりと指先を戻す。
『――認証完了、これからよろしくお願いします、先生』
「此方こそ、よろしくね」
プラナ、と。
先生がそう口ずさむと、彼女は無機質な表情に些細な笑みを浮かべた気がした。
「んんッ、先生、確か今日のスケジュールにはトリニティへの訪問が含まれていた筈ですが……お時間は大丈夫でしょうか?」
「えっ、あぁ、もうこんな時間か――」
シッテムの箱を隔てたやり取り――リンの目にはそれら一切が映ってはいないが、何やら重要な登録作業である事は察せられた。故に口を挟む事を躊躇っていたが、時計を確認したリンは事前に共有されていた先生のスケジュールが一杯一杯である事を思い出し声を掛ける。
先生はシッテムの箱に表示された時刻を一瞥し、慌てたように連邦生徒会長とリンに向き直った。
今はミレニアムの皆から提供された外出用の車椅子――もとい車椅子と云う名のホバーバイクが存在する為、以前と比べて足回りはとても快適である。
何なら生身の両足が残っていた頃よりも楽かもしれない。
「ごめん、そろそろ行くよ、また何かあったら呼んで欲しい、直ぐ駆け付けるから」
「はい勿論です! 先生も、何かあっても無くても、いつだって連絡して下さいね!」
「因みに明日中に提出頂く予定のものが三点程ありますのでお忘れなく」
「あはは……が、頑張ります」
リンが釘を刺した内容に覚えがある先生は苦笑と共に扉へと手を掛ける。
「あぁ、そうだ」
「?」
扉を潜る去り際、ふと足を止めた先生は佇む二人の方へ振り向く。二人が疑問符を浮かべれば、先生は表情を満面の笑みへと変え告げた。
「いつもありがとう二人共、愛しているよ!」
「―――」
伝えるだけ伝えて、そのまま颯爽と扉を閉め去っていく足音。
部屋の中には珍しく目を丸くしながら、面食らった様子で微動だにしないリン。
そして「これかぁ」と云わんばかりに口を一文字に結び、天を仰ぐ連邦生徒会長が取り残された。
「……最後のアレは何ですか」
再起動を果たしたリンは僅かにズレた眼鏡を指先で押し上げ、様々な感情が綯交ぜになった表情で連邦生徒会長を見る。
問われた連邦生徒会長は両腕を組んだまま唸りを上げ、嬉しいのやら恥ずかしいのやら未来を案じているのやら、赤くなったり青くなったり、一人百面相を披露した後指先を一本立て本人が捲し立てた内容をそのまま伝える。
「えーっと、今のは先生なりの感謝の表れで、愛情表現というか、純粋な先生の本心というか、うぅん」
「………はぁ」
まさか、今のを出会った生徒全員に見境なく伝えている訳ではないですよね、と。
リンは胡乱な目で連邦生徒会長を一瞥する。
「………」
連邦生徒会長は返答を避けた。
代わりに取り繕った表情を浮かべた。
莞爾とした一部の隙も無い笑みに、仄かに滲む焦りと後ろめたい気配。
この人が隠し事や何かを誤魔化す際に見せる、分かり易い癖だった。
リンは思わず腹の底から重々しい溜息を零し、眉間に皺を寄せた。
「これは、また面倒な事になりそうですね」
「あはは……」
この時ばかりは、連邦生徒会長さえも否定を口にしなかった。