「今日も良いお茶会日和ですね」
トリニティ、ティーパーティー・テラスにて。
普段と変わらぬ静かな午後、愛用の椅子に腰かけたナギサは実に清々しい気分で告げた。普段多忙な分、こういった誰にも邪魔されないティータイムこそが唯一の癒しであり、自身をあらゆる雑事から遠ざけてくれる貴重な息抜きである。
薄らと差し込む陽光に手を翳しながら、ナギサは嫋やかな笑みを浮かべる。
「麗らかな陽光、時折流れるそよ風、遠く聞こえる学び舎の喧騒――紅茶の風味を深く感じるには素晴らしい環境です」
「……ふぅむ」
しかし、そんなナギサの対面に座るセイアは何故か小難しい表情を崩さず、袖に乗せたシマエナガを撫でながら眉間に皺を寄せていた。よく見れば紅茶の手も進んでいない、用意されティースタンドの菓子を一つか二つ、摘まんだ程度か。
こんなにも良い天気でトラブルなど起きそうにないと云うのに、目の前のお茶会を楽しむ訳でもない彼女に対しナギサは小首を傾げながら心底不思議そうに問うた。
「あら、どうしました? こんな時に何か考え事ですか、セイアさん」
投げかけられた問い掛けにセイアはちらりとナギサを一瞥すると、それからどこか神妙な表情で辺りを伺った。それを追ってナギサも周囲を眺めるが、暖かな陽光に照らされた美しいトリニティの街並みと透き通った青空、そこに散りばめられた僅かな白ばかり目につく。
こんな晴れ晴れとした日に、一体何を憂う必要があるのかと。
「いやなに、経験則という奴だよ」
「経験則、ですか?」
「あぁ、私やナギサが漠然と『良い日和だ』なんて感じているとね、大抵は――」
碌な事が起きない。
そう呟いたセイアの声を掻き消す様に、淑女らしからぬ足音と共にテラスの扉が勢い良く開け放たれた。
「……!」
両開きの扉が弾け飛ぶようにして左右に分かれ、そこから飛び出す様にしてテラスへと踏み込んで来たのはパテル分派首長――聖園ミカその人。
通常ならば行政官か傍仕えの生徒に止められたであろうが、彼女もまたティーパーティーの一員。このお茶会に参加する資格は持ち得ている。
「えっと、ミカさん……?」
突然飛び込んで来たミカの姿に、驚きと困惑を以て迎えるナギサ。
普段であれば「はしたないですよ」と小言の一つも飛ばしたであろうが、彼女の姿を一瞥するや否や喉元まで出かかっていた言葉は引っ込んだ。
それ程までに、テラスへと飛び込んで来たミカの姿は切羽詰まって見えたのだ。
「ねぇナギちゃん、セイアちゃん……!」
ミカは紅潮した表情を隠す事無く、小刻みに震える翼をはためかせながら何かを堪える様に両手を握り締め、それから勢い良く顔を上げると友人二人に向かって叫んだ。
「け、結婚式の相場って幾らくらいかな!?」
「ぶぼほ――ッ!」
「むっ!?」
――そうだ、こういう厄介事が舞い込んで来るのだ。
分かっていたからこそ、セイアの第六感は問題なく発動した。
セイアが予感に従って大きく身を傾けると同時、ナギサが口に含んでいた紅茶を噴き出す。ナギサの口から噴き出された紅茶――ナギ茶はそのまま身を傾けたセイアの脇を突き抜け虚空に霧散し、磨き上げられた大理石の床を無残に汚した。
セイアは空中で虹を描くそれらを冷静に視線で追いながら、身を正すとナギサに非難の目を向ける。
「ナギサ、今の所作は聊か淑女として見苦しいのではないかな?」
「げほっ、ごほッ! んんッ! し、失礼しました、何分あまりにも突然過ぎる内容だったので……!」
用意していたハンカチで口元を丁寧に拭いながら、ナギサは淑女としてあるまじき行いを詫びる。だがしかし、これも致し方ないと思える程の衝撃が耳を突き抜けたのだ。
「すぅ、ふぅ――ッ」
ナギサは僅かに乱れた髪を手櫛で直しカップをソーサーへと戻す。それから二度、三度深呼吸を挟むと――努めて何でもない事の様に微笑みさえ浮かべ、今しがたテラスへと飛び込んで来たミカへ再度問いかけた。
「そ、それでミカさん、聞き間違いでしょうか? 今……なんと仰いましたか?」
「結婚式の相場って、幾らくらいかなっ!?」
「――あぁ、聞き間違いでは無かったのですね」
二度目があっても内容は変わらず。
ナギサは目から光を失い、どこか遠くを眺め始めた。何故だろう、あれ程青く澄んでいた筈の空が今は妙に濁って見える。現実逃避の前触れであった。
セイアはそんな彼女の心労を感じ取りつつ、呆れた態度を隠す事無くテーブルに頬杖を突きながら口を開いた。
「聞かなくても凡その事情は既に察せられるが、君のその聞いて欲しいと云わんばかりの気迫に免じて敢えて問おうか」
紅潮した頬、弾む呼吸、ばっさばっさと忙しない翼、僅かに跳ねた髪、どれもこれも今直ぐ聞いて欲しくて仕方ないと、故に全力で駆け込んで来たのだと、我らが友人ミカはそう全身で叫んでいる。
此方から敢えて問わずとも嬉々として語り出すだろうが、セイアは溜息を吐きたくなる気持ちをぐっと堪え、シマエナガを撫でつけながら努めて冷静に水を向けた。
「それでミカ、一体何があったのだい?」
「あのね! 今日ね、私……!」
ツカツカと靴音を鳴らし、テーブルへと早足で近付き身を乗り出すや否や瞳を煌めかせたミカは数舜言葉を詰まらせ――恐らくそれは興奮によるものだろうが――胸元を強く握り締めると、二人に向かって勢い良く云い放った。
「先生に、告白されたのっ!」
「―――」
「……ふむ」
その言葉は一体、どれ程の衝撃を以て迎えられただろうか。
数秒程沈黙が流れ、セイアはそれとなく対面に座るナギサへと視線を向けた。
目の前には白目を剥き、泡を吹く一歩手前の友人の姿があった。
あまりにも無残で、見るに堪えない光景であった。
「はぁー……」
辛うじて堪えていた溜息が口から漏れた。しかし、この様な醜態を晒してしまう気持ちも理解出来るというもの。出来る事ならば自分もナギサの様に夢の世界へと旅立ちたいが――いや、冗談にしても聊か縁起が悪いか。
頭を振り気を取り直す。
「さて、普段なら勘違いか、或いはいつもの暴走と切って捨てる所ではあるが……」
しかし、そうも断言できない情報が最近はセイアの耳にも届いている。
この所、シャーレの先生に関しては妙な噂が自治区問わず出回っていたのだ。
行政官や傍仕えを通してまことしやかに囁かれるそれは単なる噂と断ずるには奇妙で、セイアの第六感もまた嫌に反応を示していた。
火のない所に煙は立たぬ――か。
セイアは胸中で呟いた。
全てが全て真実であるとは思わないが、件のアトラ・ハシースより生還を果たした先生は以前と比べどこか纏う雰囲気が一変した様な気配があるのも事実である。
その変化に伴う胸の内を伺い知る事は叶わないが、推し量る事は出来る筈だ。
となれば――。
「ナギサ、ほら、意識を飛ばしている場合ではないよ」
「ハッ……!」
自分一人では聊か荷が重い、とまでは云わないが事に対応するのであれば三人でだろう。今にも意識を完全に手放そうとしていたナギサの手を握り、そのまま軽く揺さぶってやる。
すると瞳に光が戻り、ガタリと椅子を揺らしながら腰を浮かすナギサ。
彼女は目前のセイアとミカ、それから蒼穹を仰ぐテラスを慌ただしく見渡し、冷汗の滲む額を乱雑に拭って再び腰を下ろした。
「いま、何か、恐ろしい悪夢を……?」
「残念だが現在進行形の現実だよ、一人だけ夢の世界に逃避とは感心しないな、打つ手を間違えれば学園間の全面戦争か争奪戦待ったなしの状況だ、ミカの暴走具合は身を以て知っているだろう、根本からどうにかしなければ悪夢が現実になってしまうぞ」
「将来の事とか、あんまり具体的に考えた事とか無かったけれど、やっぱり結ばれるならちゃんとしなきゃって……! そ、その、子どもの名前とか、考えとかないとじゃん、ね!?」
未だ意識を混濁させ混乱状態のナギサと、暴走列車の如く先生との未来を思い描き背中に色とりどりの花を咲かせるミカ。
実に対照的な友人達を尻目にセイアは緩く首を振ると手元のカップを覗き込み、ソーサーから持ち上げ口を開く。
「落ち着き給えミカ、まずは君が告白だと認識するに至った経緯を――そうだね」
波打つ濁った紅茶の水面、それを見つめながらセイアは隣り合う椅子へと着席を促す。何せこんな良い日和で、折角三人が揃ったのだから。
「どうせお茶会の時間なんだ、じっくり話を聞こうじゃないか」
■
「最近の先生ブームが凄いっ!」
ゲーム開発部の部室の中で、モモイの唐突な叫び声が響いた。漫画や雑誌やらコントローラーやらカセットやら、乱雑に散らかった部室の中、これでも比較的整理整頓を終えた後ではあるのだが――彼女達からすれば、数日で元通りになるのは目に見えているので積極的に掃除をする事は無い。
尤も、最近は新しいメンバーの加入によりこういった小康状態が保たれる状況がままある。
そんな中で雑多に書き込まれた小さなホワイトボードを背に胸を張るモモイは、床に座って自分を見上げる部員達を鼻息荒く見渡した。
「せ、先生ブーム……?」
「いや、最近なんか先生人気が急上昇っていうか、ジメっとした空気が常に流れているっていうの? そんな感じしない?」
困惑したユズに対し、モモイは自信ありげに問いかけた。
昨今の先生人気は凄まじい、特にあの意味不明な宇宙船をどうにかして奇跡の生還を経て以降、連邦生徒会長の復帰も合わさり、その人気上昇率は天井知らずである。
「先生はキヴォトスのマスコットなので、常に大人気です!」
『不本意ですがあの大人が人気なのは事実ですね』
アリスがふんふんと両手を握り締めながら同意し、その傍で胡乱な目を向けていたAMAS――ケイの入った個体が不承不承で賛同する。彼女は部室内の散らかったゴミなどを一つ一つ拾い上げながら、片手に持ったビニール袋に手早く詰めていく。部室が小康状態を保っているのは、彼女のこういった行動が主な理由であった。
彼女曰く、どれだけ汚い部屋で堕落しようが勝手だが、大切なアリスにその様な場所で生活はさせられないとの事。因みにあまりにも度が過ぎた散らかり具合になると激昂し、ゲーム開発部全体を巻き込んでの大掃除に発展する。ケイが激おこモードに移行するとモモイはあれこれ云い訳を捲し立てながら正座する羽目になり、ユズは半泣きになり、ミドリは嘆息し、アリスはいつだって楽しそうだった。
「確かに最近、先生の人気がいつにも増して凄いのは分かるかも」
「うん、SNSとかでも先生の話題、良く目にするもんね……」
「ふっふっふ」
先生の人気が凄いという一点に於いてユズからも、ミドリからも反駁の声はない。実際問題、先生の人気は元より凄まじいものがあったが、何故か――そう何故か、此処に来て空前絶後の大爆発を起こしたのである。
あの空が赤く染まった事象がキヴォトス全域に影響を及ぼし、それを解決したのがシャーレの先生であると大々的に報じられたからだろうか。それとも帰還した連邦生徒会長によるところが大きいのか。はたまた火種は最初からあって、幾つかの要因が重なり偶発的に起こった事なのか――仔細はさっぱり分からない。
分からないが、モモイにとって理由は然程重要ではなかった。大切なのは、先生という存在がこれまでにない程注目を集めているという一点である。
ならばそれを利用しない手はない、というのがモモイの考えであった。
「お姉ちゃん……?」
『何だか、猛烈に嫌な予感がするのですけれど――アリスを変な事に巻き込まないで下さいね』
その思考を長年の付き合いから察したのだろう、ミドリはどこか疑わし気な表情で小首を傾げ、ケイは純粋な経験則と頭脳によりモモイの行動パターンを予測し辟易とした気配を纏った。
どうせ何かをやらかして各方面に怒られるのなら、自分一人でやって下さいと。
「変な事とは失礼な!」
二人の視線にモモイは憤慨した。これは決して変な事ではない、寧ろゲーム開発部をより高みに押し上げ、今後の開発環境を大幅にグレードアップ出来るかもしれない好機でもあるのだ。
何かと「実績」、「実績」と煩いセミナーとてきちんと売り上げを伸ばせば問題はない、それどころか知名度も上がれば部費もアップで最新ゲームだって買い放題。そんな夢のようなプランが自分の頭の中には眠っている――モモイはそう信じていた。
「普段はレトロゲームを扱う私達でも、ある程度は流行を参考にしないとだからね! これを見逃すのは、えーっと、きかいそんしつ……? って奴だよ!」
モモイは自身の頭を指先で何度も小突きながら、エア眼鏡を押し上げる。
正直難しい事は良く分からない、しかし今先生にビッグウェーブが来ている事は確かなのである。
ならば、乗るしかない――その先生ウェーブに!
「という事でぇ……」
■
「先生を題材にしたゲームを作ってみたいので追加の予算をなにとぞお願いします、ユウカ様!」
「はぁ?」
場所は変わってセミナー、白く無機質とも云える室内で整然と並んだデスクの中、ユウカのデスクにやって来たゲーム開発部の面々は部費の増額を嘆願していた。
モモイは床に張り付き、既に土下座の構えである。何としても予算を捥ぎ取ってやろうと云う気合と気迫が透けて見えた。
その気概は良し、だがアポも無く対面したユウカの表情は優れない。
『まぁ、こんな事だろうと思っていましたよ』
「あはは……」
モモイの背後に立つケイとユズが呆れたような、草臥れたような声を漏らす。ユウカは揃った面々を一瞥し、それからモモイをジッと見つめると最近また少しだけ――ほんの少しだけ逞しくなった足を組み直し、どこか詰る様な目線と共に口にを開いた。
「なによ突然、もう今期の予算は支給した筈でしょう? っていうか先生のゲームって本人に許可は取ったの?」
「勿論だよ!」
当然、本人に許可を取らずに好き放題やる程考えなしではない――多分。モモイは顔を勢い良く上げ、既に先生の許可は得ている事をアピールすべく部員達を一瞥する。その視線に含まれた意図を理解し、ゲーム開発部の面々はそれぞれ発言した。
「せ、先生に連絡したら、『それが皆の作りたいゲームなら、やってみると良いよ』って」
『相変わらず自分に無頓着というか、何と云うか』
「ジャンルはこれまで私達の挑戦した事の無い、育成シミュレーションです!」
「私は、先生のイラストを描く為に沢山参考資料、もとい写真を撮らせて貰えるって話だったので」
ユズはおずおずといった風に、ケイは先生の懐の深さに、或いは自身に関する事の無頓着さに呆れ、アリスは純粋に新しいゲームを作る喜びを、ミドリはそれに付随する素敵な副産物に喜びを示した。
各々方向性は微妙にズレていたり、或いは腹に抱えるものはあっても、内に宿した情熱に違いはない。
「……ふぅん、まぁ貴女達のやる気と熱意は伝わって来るけれど」
ユウカは目の前のゲーム開発部よりそういった諸々を感じ取りながらも、強硬な態度を崩さなかった。流石に、どんな内容かも分からないまま追加の予算など出せる筈もなく、モモイの様子を見るに理屈の通った開発プランの提示など望むべくもない。
いや、それは今に始まった事でもないが。
兎角、ただですら今はシャーレ復興支援で出費が嵩んでいるのだ。特に義手、義足の義肢回り、車椅子やら何やらの研究、開発に関してはミレニアムの金銭的、時間的負担が大きい。先生に伝えれば絶対に止められるので具体的な金額や計画を口にしてはいないが、連邦生徒会長主導で行われているそれらは現在最も優先すべき事柄であった。
ある程度外部組織や他校から支援があるとは云え、内側からの予算増額申請に多少見る目が厳しくなるのも当然の流れ。
「具体的に、何で今の予算で製作出来ないの? 以前の実績も踏まえて、ゲームの一本や二本は作れるだけの予算は支給されている筈よね」
そもそもの話、予算は活動実績に合わせてきちんと支給されている。額も決して少なくなく、現在のゲーム開発に不足しているとは思えない。それを問いかければ、モモイは分かり易く視線を泳がせた。
「あー、それは、そのぅ……」
支給された予算は既に参考資料の名目で新作ゲームを買い漁り、殆ど残っていなかった。だがそれを素直に告白すれば、「そんなんで追加予算申請が通る訳ないでしょうが~ッ!」と一喝されるのは目に見えていた。
故にモモイは話を逸らすべく、元より支給された額では然もゲームが完成しないかのように振る舞う事を決めた。
「だ、だって! 誰もが知っている、あのシャーレの先生を題材にしたゲームだよ!? そりゃあ勿論、ディティール? とかにも凄く拘りたいし……!」
「拘るのは分かるけれど、どうにか予算を掛けない方向で出来ない? そういう創意工夫もクリエイターなら大事でしょうに」
「下手なものを作ったら炎上しちゃうよ! どうしても必要な経費なの!」
あと取材とか! 先生の音声データとか、えーと、後は実際に色んな自治区の人から意見を聞いたりとか……!
指折り数えて、予算が必要になる理由を絞り出していくモモイ。先生というキヴォトスに於いて大きな題材を扱うにあたり、下手な真似は出来ないと云うモモイの主張は、ユウカをして一定の理解を示す程度には説得力があった。
ふぅんと、腕を組んで冷汗を流すモモイを見つめるユウカは、何かを思案する素振りを見せる。
「シャーレの活動範囲が広い事は理解しているけれど、ミレニアムだけじゃなく、そんな大規模に展開するつもりなのね」
「と、当然!」
作るからには、兎に角大きく。
それに今巻き起こっている先生ブームはミレニアムに限った話ではない。トリニティもゲヘナも、百鬼夜行もレッドウィンターも、クロノススクールだって注目しているのだ。
「ミレニアムだけじゃない、トリニティやゲヘナ、色々な自治区の生徒に遊んで貰えるような凄いゲームを作りたいんだよっ!」
「うーん」
両手を広げて瞳を輝かせるモモイに、ユウカは唸り声を上げた。
正直に云えば先生が許可した時点で条件の半分はクリアされている、もう一つの問題は予算であるが――とは云っても所詮はゲーム開発一本分、ミレニアム全体の予算と比較すれば決して大きな額ではない。勿論、だからといって粗雑に扱って良い筈もないが、その気になればユウカ個人の資産で軽く賄えてしまう程度であった。
「うぅ~ん……」
だというのに何故、ユウカがこうも渋るのか。
率直に云ってしまえば、ただ不安だった。
新しく予算を組んでゲーム開発部が先生を題材にした作品を作る、それ自体は良い。
だが何故だろう、碌な未来が見えなかった。
予算を使い果たして自分にまた泣きついて来る、この程度ならばまだ良い方だろう。先生の人気はユウカも知る所である、だからこそ扱いを間違えれば学園間の問題にさえ発展しかねない――尤も、本人たちにそんな危機感は欠片も存在しないだろうが。
変なゲームを作らないか、他の学園からクレームが殺到するような表現をしないか、そもそも先生に失礼になるような作品にならないか。不安の種は実に多種多様、そこら中に散りばめられていた。
腕を組んで唸り数秒、様々な可能性を脳内で案じるユウカの視界にふと、ひとり平然と佇むAMAS――ケイの姿が映った。
彼女は必死に此方を見上げるモモイや、神妙な表情で見守るゲーム開発部の面々とは異なり非常にフラットな態度を崩さず、努めて中立的な立場は泰然とした気配も含めてユウカの目には頼もしく映った。
「………」
『えっと、何故此方を見るのですか、ユウカ』
先程までうんうん唸っていたユウカが、突然自身を凝視し動きを止める。その事に何やら嫌な予感を抱いたケイであったが、数秒程経ってユウカは頷きを一つ零す。
「まぁケイちゃんも一緒だし、大丈夫か」
『何故でしょう、ユウカが私をどのような目で見ているのか不安になってきました』
一応特異現象捜査部預かりの身である筈なのだが、いつから自分はゲーム開発部のお守りをする立場になったのだろうか。アリスひとりならばまだしも、他の面々に関しては然程重要視していないというのに――まぁ、非常時は別であるが。
「安心して、これは信頼というものよ」
げんなりとした気配を滲ませるケイに、ユウカは深く頷いて見せた。
これ程嬉しくない信頼も珍しい。
というかそもそもの話、自分の出自を理解した上で発言しているのだろうか。ケイはその場で問いただしたくなったが、やめた。理解した上で発言しているのだと、問うまでもなく感じ取れたからだ。
直ぐ傍でアリスが無邪気に目を輝かせ自身を見ていた。ケイは無言で体を逸らし、それから湧き上がる様々な感情を基盤の奥底に沈めた。
結局の所――アリスが自らの意志でゲーム開発部に身を置いている時点で、自身の云々など論じるに値しないのだ。
「分かったわ、追加の予算は私の方で何とか捻出しておくから」
ユウカは溜息交じりに新しい申請用紙をデスクの引き出しから取り出すと、ペンを握り諭す様に告げた。その一言でゲーム開発部の面々はわっと沸き上がり、モモイは諸手を挙げて歓喜を爆発させる。
「やった~ッ!」
「その代わり大事に使うのよ? これ以上の追加申請はナシ、今期はびた一文も出さないから」
「勿論だよ!」
念の為釘を刺し、予算を大事に使う様に云い含める。モモイは床を這いながらユウカの元へと擦り寄り、申請書にサインする彼女の太腿を笑顔で軽く叩いた。
「さっすがユウカ太っ腿――じゃなかった、太っ腹!」
「モモイは残りなさい、後で話があるわ」