「ふぅ、さて、何とか帰って来れたけれど……」
時刻は既に夕刻を回っており、茜色に照らされたアビドス校舎、対策委員会部室。エリアルビークルで帰還した面々は、ビークルを校庭に着陸させ、一先ず一息入れていた。
全員が酷く疲れた様子で椅子に座り込み、砂に塗れた装備は部屋の角に纏めて積まれている。本当ならばシャワーを浴びて、食事を摂って、泥の様に眠りたい。しかし今は、それよりも優先して話し合うべき事が山ほどあった。
アヤネは椅子に座り込む皆を見渡し、それから先生へと視線を向けると、おずおずと問いかける。
「先生、本当に病院は――」
「大丈夫だよ、体調は万全……とは云えないけれど、無理をしなければ問題ない程度には回復したさ」
「……無理をしなければって云う割には、あの理事とか名乗った奴と殴り合いしそうな雰囲気だったけれど?」
「…………」
「先生、目を逸らさないで」
セリカとシロコのコンビネーションに、先生は無言で顔を逸らす。
仕方ないのだ、ついカッとなってという奴なのだ、ヤバいと思ったが怒りを抑えきれなかったのだ、反省はしている。先生はそう、心の中で思った。流石にオートマタと殴り合いに発展したら勝てる訳もなく、撲殺されるのがオチだろう。今度からはもう少し慎重に動く所存である。
そんな先生の様子を見ていたノノミとセリカが、溜息を吐きながら告げた。
「先生が生徒を大切にしているのは良く理解していますが、自分の体も大切にして下さいね?」
「そうよ、先生がまた倒れたら心ぱ――じゃなくて、また私達が病院に担いで行かないといけないんだからねッ!?」
「セリカちゃん、素直じゃないなぁ」
ノノミとセリカの台詞にけらけらと笑いながら、背凭れに身を預けるホシノ。いつも以上に体の力を抜いている彼女は、先生を見つめながらふっと意味深な表情を浮かべた。
「ま、先生の『大丈夫』は信用ならない事が前回の一件で分かったからね、少しでも駄目そうな雰囲気があったら、強制的に連行って事で~」
「ん、分かった」
「賛成!」
「そうですね、こればかりは譲れません」
「一応、直ぐに連絡出来る様に手配しておきますね」
「あはは……」
満場一致で決定される、先生の意思を無視した強制連行。心配されるのは悪くない心地なのだけれど、それはそれとしてキヴォトスの住人に力づくで連行されるとなると、本当に抵抗出来ないので手心を加えて欲しい。
幸い、体調は本当に悪くないので、精々気を付ける事にしようと、先生は頬を軽く張り気を引き締める。
「……それじゃ、取り敢えず手元の情報を纏めようか」
ホシノの一言に、対策委員会全員の背筋が伸びた。
「結局、カイザー・コーポレーションがあそこで何を企んでいるのかは分からなかった」
「確か、宝物を探している……と云っていましたが」
「あの砂漠には何も無い筈です、恐らくデタラメかと」
アヤネはノノミの発言に対し、首を横に振って否定を口にする。
アビドス自治区の交渉記録を探す序に、過去の生徒会の記録や財政状況の分かる目録、資料の類を探した事があった。その大部分は本校舎の引っ越しと共に失われていたが、残っていた少ない資料の中に、アビドス砂漠に関する調査記録があったのだ。
「石油や鉱石、ガスなど、お金になりそうな天然・地下資源は何一つ残っていません、アビドスが天災対策で金策に走った時、その辺りは徹底的に調べたと、そういう調査結果が出ているんです」
「だとすると、一体……?」
「いやいや、今はそれよりも借金の方でしょう? 確か、三千%とか云っていなかった?」
皆がカイザーコーポレーションの思惑と対策に頭を悩ませる中、徐にセリカが机を指先で叩きながら発言する。確かにカイザー側の行動に疑問は多々あるが、今すぐにどうにかしなければならない問題は、別にあった。
「確かに連中の思惑とか、何をやっているのかとかも気になるけれど、現実問題この借金を何とかしないと、本当に学校が差し押さえられちゃうよ!」
「確か……利息分だけで九千万円、でしたか」
「そう云えば保証金も要求してきましたね……あと一週間で、三億円――」
「改めて聞かされると、これはヘヴィだねぇ……」
突き付けられた莫大な金額を前に、対策委員会の皆の表情に陰が差す。七日間で三億、加えて利息分だけでも毎月九千万円――以前の利息分を支払うだけでも精一杯だったというのに、その何十倍もの金額だった。到底、払えるものではない。少なくとも、今までの様にバイトで何とかする、というのは不可能だった。
どうすれば良いのか、皆が思考を巡らせる中、不意にシロコが席を立つ。そして、ガンラックに立てかけてあった愛銃を手に取ると、溝に付着していた砂を軽く払い、隅に積み上げられた装備品からマガジンを抜き取った。
「し、シロコ先輩、何を?」
アヤネが思わず問いかければ、シロコは視線を向けることなく淡々とした口調で告げた。
「……借金はもう、真っ当なやり方じゃ返せない、なら、真っ当じゃない手段で用意する」
「だ、駄目ですよ! それではまた……っ!」
暗に強盗かそれに類する手段に手を染めると口にした彼女に、アヤネは思わず声を荒げる。しかし、そんなシロコに同調する声もあった。
「――私はシロコ先輩に賛成」
「セリカちゃん!?」
席に座ったまま、硬い表情でそう告げるのはセリカ。彼女は焦燥した様子で自身を見るアヤネに対し、焦りと怒りを含んだ口調で捲し立てる。
「三億とか、九千万とか……どう考えても真っ当な手段で用意出来る金額じゃないでしょう!? 学校が無くなったら全部終わりなんだから、もう形振り構っていられない! その時間は、もう過ぎたのッ! 相手が真っ当な手で来るならまだ良いよッ! でも、相手がこんな卑怯な手を使ってくるのに、何で私達が馬鹿正直に真っ当な方法で返さなきゃいけないの!?」
「そ、そんな……!」
「セリカちゃん待って! そんな事したら、あの時と同じだよ!?」
ノノミがセリカの形相に言葉を失えば、アヤネが席を立ち、その方法は駄目だと呼び止める。セリカも席を立つと、二人は顔を付き合わせながらお互いに主義主張を声高に叫んだ。
「あの時、ホシノ先輩が止めてくれたのに、自分から進んで犯罪者になるの!?」
「じゃあ、どうしろって云うのよッ!? このまま学校が無くなるのを指咥えて見てろって云うの!?」
「そうじゃないよッ! 私はただ、そんな行為に手を染めて学校を守っても――」
「だからその綺麗事を守れる時間は過ぎたのッ!? 具体的に、三億なんて金額を手に入れる方法はッ――!」
互いにヒートアップし、顔を赤らめながら声を張る。そんな二人の声が響く部屋に、誰かが手を打ち鳴らす音が木霊した。突然の音に二人が肩を跳ねさせ、音の方を見れば、ホシノが手を打ち鳴らした姿勢のまま微笑んでいるのが見えた。
「ほら、二人共熱くなりすぎ、一旦落ち着いて~」
「ッ……!」
「―――!」
宥められ、顔を突き合わせていた二人は気まずげに視線を反らす。そのままゆっくりと自身の席へと腰を下ろすと、目元を拭いながら呟く。
「す、すみません、ホシノ先輩」
「ご、ごめんなさい……」
「……ごめん、先輩、こんな風にしたい訳じゃなかった」
「うん、分かっているよ、皆が学校の事を想っているって事は、良~くね」
頷き、ホシノは深く息を吐き出す。学校の事を想っているが故の衝突――それを責めるつもりは毛頭ない。
「……先に云っておくと、犯罪行為に手を染める事はおすすめしないよ」
「それは――教職者として?」
先生がそう口にすると、空かさずシロコが問いかけた。倫理観や道徳、そして教師という立場から止めているのか? シロコの表情にはそんな懸念が透けて見えた。先生は緩く首を振りながら、努めてフラットな声色で告げる。
「いいや、相手の立場になって考えれば分かる事だ、賢しい大人の考えそうな事と言い換えても良い」
「………?」
「借金の金額を吊り上げて到底返せない額を吹っ掛ける、そんな法外な値段を提示された側はどういう思考になると思う」
「……そんなお金、返せる訳がない」
「その通り――けれど払えなければ大切なモノが奪われる、となれば取れる手段は多くない……そしてアビドスは存外、武力に自信がある、何度もカタカタヘルメット団を撃退しているのだから、向こうはそう考えるよね?」
そう先生が続ければ、ノノミがどこか訝し気な表情で呟いた。
「――私達が、犯罪に手を染める様、誘導している……って事ですか?」
「ッ……!」
その発言に、対策委員会の表情が分かり易く歪んだ。
「あくまで可能性の話だけれどね……もし失敗して対策委員会が不在になれば、向こうは無理矢理にでもこの校舎を接収するだろう、未だ連邦生徒会に認知されていないとは云え、アビドスの自治区は大半を向こうが所有している、此処を占拠でもされて関係書類を全て焼かれてしまえば、本当に手が無くなる――少なくとも、『アビドス自治区』という場所は消滅するだろう」
「っ、じゃあ、強盗は駄目って事……?」
「さっきも云ったけれど、犯罪行為全般、おすすめはしない」
上手く行けば、確かに大量の金銭は手に入るだろう。返済の目途も立つかもしれない。しかし、失敗すれば単なる矯正施設行きで終わる話でもないのだ、これは。失敗は、即アビドス失脚に繋がる。そう考えると安易に銀行強盗も計画出来ない。
現状は八方塞がりの様に思えた。少なくともアビドス対策委員会の面々は、これを打開する策を見いだせずにいる。
そんな中、不意にホシノが声を上げた。
「……まっ、取り敢えず今日はこの辺にしておこうか~」
「えっ、でも、ホシノ先輩……」
「解散、解散~、今日は砂漠に遠征して疲れたし、皆気持ちが先行し過ぎているんだと思うよ、幸いまだ期限までは一週間あるのだから、一回頭を冷やして、また明日集まる事にしようよ、ね? これは委員長命令って事で!」
手を二度、打ち鳴らしそう宣言する。
実際、疲労が募っているのは事実だった。疲労感が思考を鈍らせている可能性も否定は出来ない。或いは一度頭を冷やし、ゆっくりと休養すれば良い考えが浮かぶかもしれない。
そんな希望的観測ではあったが、現状のまま議論を重ねても良い案が出ないという意見に関しては、皆一様に納得出来るものではあった。
互いの顔を見合わせ、疲労の濃く残る表情を見つめた彼女達は、渋々とホシノの意見に頷く。
「……分かりました」
「……了解」
そうして一先ず、今日の会議は解散する事と相成った。
■
「ん~? シロコちゃん、まだ何かやる事がある感じ?」
「……先輩、ちょっと良い?」
対策委員会の部室。解散し、必要な装備の簡易清掃のみを済ませた皆は帰宅、残っているのは先生とホシノ、そしてシロコだった。ホシノは緩慢な動作で銃の分解清掃を行っており、シロコはそんな彼女を横合いから見つめながら、ふと声を上げる。
ホシノはシロコに目線を向けず、清掃を続けながら口を開いた。
「うへ、おじさんと話したい事があるの? 照れるなぁ」
「――私も、良いかい?」
「うへ、先生も? おじさんモテモテだ~」
同じく、パイプ椅子に座っていた先生もホシノに目を向ける。彼女は先生とシロコを互いに一瞥すると、手元のパーツを手早く組み立て愛銃を完成させ、何度か動作チェックを行いながら告げた。
「――でもさ、今日は疲れたし、色んな事があったじゃん? また明日話そう、大体どんな話かは分かっているから」
「……ん、分かった、先輩がそう云うなら」
シロコはホシノの言葉に、一瞬目を伏せながら頷いて見せる。そして部室の出入り口に足を向け、途中、先生へと視線を向けた。
「――先生」
その声に、先生は無言で頷く。
先生の頷きを見たシロコは、どこか安堵した様な顔を見せ――ひとり、対策委員会部室を後にした。
「……それじゃあ、また明日」
「またね、シロコちゃん~」
「帰り道、気を付けて」
二人の言葉を背に、シロコの姿が扉の向こう側に消える。
部室に残ったのはホシノと先生の二人のみ。ホシノは席を立ち、武器をガンラックに掛けると揶揄う様な表情で先生を見た。
「……うへ、先生やるねぇ、私の可愛いシロコちゃんと、いつの間に目と目で意思疎通が出来る仲になったの?」
「その気になれば、ホシノとだって出来るだろう?」
「いやいや、どうだろうなぁ、やっぱり先生は侮れない大人だよ~、おじさんは流れについて行けなくて、何だか寂しい~」
そう云って肩を竦ませると、黒ずみ、砂の付着した布を払う。その様子を見つめながら、先生は意図して真剣な様子で口を開いた。
「ホシノ、聞きたい事があるんだ」
「……ん~、何かな」
「――退部届の話」
そう云って先生が立ち上がり、懐から取り出したのは、皺が入り、折り畳まれた申請書。その紙面には『退部届』の文字が躍っている。ホシノは先生の取り出したそれを、少しだけ驚いたような顔で見つめると、ふっと口元を緩ませ、恥ずかしそうに頬を掻いた。
「うへ~……これ、シロコちゃんから?」
「うん、皆が居ない時にね」
「……全く、幾ら何でも先輩の鞄を漁るのはダメでしょ~」
そう云ったホシノは、先生の差し出したそれを緩慢な手つきで受け取る。そして刻まれた皺を指先でひとつひとつなぞると、どこか寂しそうな目つきで呟いた。
「先生、きちんとシロコちゃんを叱っておいてよ~? あのままじゃとんでもない大悪党になっちゃってもおかしくないから」
「追々ね、けれど今重要なのは、ホシノがアビドス対策委員会を抜けようとしている事だ」
「……そっかぁ」
二度、三度、頷き、ホシノは先生を見上げる。その視界に捉えた、先生の酷く真剣な様子にホシノは喉を鳴らし、それからふっと顔を背け、俯く。
「うーん、逃がしてくれそうには……ないよね~?」
「当然」
「……はぁ、仕方ないなぁ」
息を漏らし、苦笑とも、泣き笑いとも云える表情を見せるホシノ。
彼女は踵を返すと、部室のドアノブに手を掛けながら振り向き、云った。
「面と向かってっていうのも何だし……先生、ちょっと場所を変えよっか?」
■
陽が沈み、夜に支配された校内は酷く暗い。電気代が勿体ないという理由で電気を付けないホシノは、月明かりばかりが光源となる廊下を何の迷いもなく進む。勝手知ったる、というものなのだろう。先生は彼女の背中に続きながら、周囲を観察していた。
「そう云えばさ、先生」
「うん?」
ふと、ホシノが背後の先生に問い掛ける。
「アロナって名前の人から来たメール……あれって、先生の仕業?」
「……そうだよ、万が一私が動けなくなった時に、対策委員会の誰かに送信されるよう、予めプログラムしていたんだ」
「……なるほどね、流石先生だ」
「もしかして、予想していた?」
「ん~、半々かなぁ……でも先生がやって来た時、確信したよ、あのメールは先生からのだって」
呟き、背中越しに振り向いたホシノはへらっとした表情で笑っていた。
そしてもう暫く歩き、辿り着いたのは校舎裏のアビドス別館、木造一階建てのそれを見上げ、ホシノは手慣れた様子で扉を開錠、中へと踏み込む。確かに、此処なら誰かに話を聞かれる心配もないだろう。或いは、対策委員会の皆に聞かれたくない類の話なのか。先生はホシノに続き、扉を潜る。
「けほっ、けほッ……うわぁ、此処も砂が入り込んでいる……ま、仕方ないけれどねぇ、掃除をしようにも、そもそも人数に対して建物が大き過ぎるし」
出入口に薄らと積もった砂、木造と老朽化故に僅かな隙間から入り込んでしまうのだろう。それを足先で払いのけながら、ぎしぎしと鳴る床を踏みしめ、ホシノは進んだ。窓枠や、隅に積もるそれを見つめながらホシノは云う。
「砂嵐が減ってくれたら良いんだけれど、そう上手くはいかないよね」
「………」
砂嵐を止める研究を昔のアビドスは行っていたのだろう、しかしその成果も、データも、全て今は手元にない。或いは、あのアビドス砂漠のどこかに埋もれているのかもしれないが、それを探し出すための手段も時間も、アビドス高校には存在しなかった。
「折角の高校生活が全部砂色だなんて、ちょっと遣る瀬無いと思わない?」
「……ホシノは、本当にこの学校が好きなんだね」
肩を竦め、そんな言葉を口にするホシノに対し、先生は優し気な声色でそう云った。ホシノは振り向き、驚いた表情を見せると、それからどこか呆れたように笑う。
「……今の話の流れで、本当にそう思う? うへ、やっぱ先生は変な人だ」
「良く云われる」
誰も居ない別館、廊下の軋む音と話声、音がまるで夜に溶ける様だと思った。ホシノは時折、窓枠の砂を指先で擦りながら、ぽつぽつと話し始める。
「砂漠化が進む前、アビドスはかなり大きくて力のある学校だったって云われているけれど、そんな記憶も実感も……おじさんには全くないんだよね――私にとっては、最初から全部めちゃくちゃで、ちゃんとしたものなんて何一つない学校だった」
窓枠に凭れ掛かり空を見上げるホシノは、月明かりに照らされ酷く儚げに見えた。先生は彼女の傍に寄り添い、同じく夜空を見上げる。
月は、少しだけ欠けていた。待つ宵月、だったかな、先生は心の中で呟く。きっと明日は満月になるだろう。僅かに欠けて尚、月は力強く、このアビドスと世界を照らしている。
「おじさんが入学した時のアビドス本館は、今はもう砂漠の中に埋もれちゃったし、当時の先輩達だって、もう誰ひとり残っちゃいない――今いる此処は、砂漠化を避けて何度も引っ越した結果辿り着いた、ただの別館……本校からしたら、殆ど倉庫みたいなものだよ」
「この校舎だって必要なものは全部揃っているし、本校は、トリニティやゲヘナ並みに広かったのかもね」
「うへ、それはそれで掃除が大変そうだ」
そう云って、ホシノは笑った。
肩を揺らして優しく微笑む彼女は綺麗で――酷く悲しそうだった。
「ま、でも此処に来てシロコちゃんやノノミちゃん、アヤネちゃんにセリカちゃんと出会えたから――やっぱり、好きなのかもしれないなぁ~……」
告げ、窓枠に掛けた両手に、ホシノは額を押し付ける。何かを吟味するように、或いは覚悟を決めるように。先生はそんな彼女を横目に、ただじっと言葉を待った。
「――先生、正直に話すよ」
「……うん」
「私は二年前から、妙な連中から提案を受けていたんだ」
声は、確りとしていた。腕の中に顔を埋め、淡々とした口調で話すホシノは、自身の受けていた提案の内容を語る。
「カイザーコーポレーション……提案というかスカウトというか、アビドスに入学した直後からずっと、何回もね、アビドス高校を退学し、指定の企業に所属する……その条件を呑めばアビドスの背負っている借金の殆どを負担するって契約」
「……入学した直後からか」
「うん、私達からすると破格の条件だったけれど、でも当時は私がいなくなったらアビドス高校が崩壊するって思っていたからこそ、ずっと断っていたんだ……」
それは、何年も続いていた勧誘話。彼女が生徒会に在籍していた頃から続いていた――そう考えると二年、或いは三年近く続いているという事になる。ホシノは腕に埋めていた顔を上げると、再び夜空を見つめながら呟いた。
「……あいつら、PMCで使える人材を集めているみたい――私も連中の正体は知らない、ただ私は、黒服って呼んでいる」
「黒服――」
先生の瞳が、剣呑な光を帯びる。それに空を見上げているホシノは気付かない。
「何となくぞっとする奴で、キヴォトス広しと云えども、あぁいうタイプの奴は見た事がなかったし、怪しい奴だけれど、別に問題を起こしている訳でもないし……何だろうね、あのカイザー理事ですら、黒服の事は恐れている様に見えた」
「……なら、あの退部届は?」
「……まぁ、ほら、一ミリも悩んでいなかったって云ったらウソだし、ちょっとした気の迷いっていうか」
そう云ってポケットに入れていた退部届を取り出したホシノは、それを月に翳しながらぼうっと見つめる。暫くそうやって紙面を眺めていたホシノは、ふっと口元を緩めると、不意に退部届の両端を持ち、告げた。
「――棄てちゃおっか」
云うや否や、勢い良く退部届を破り捨てるホシノ。細々に引き裂いたそれを掌に乗せ、窓を開け放ち外へと散らす。風に乗って闇夜に消えていく白を見つめながら、ホシノは先生に目を向けた。
「余計な誤解を招いてごめんね、ただ、こんな話を皆にしたところで、心配させるだけで良い事は何もないからさ、でもまぁ、可愛い後輩にいつまでも隠し事をしたままっていうのも良くないか……明日、皆にちゃんと話すよ――聞かされた所で困っちゃうだろうけど、隠し事なんてないに越したことはないしね?」
そう云って片目を瞑るホシノ。その声に、嘘の気配はない。先生は彼女を見下ろしながら、小さく頷いて見せた。
「まー、実際の所、どうやって借金を返せば良いのか、具体的な方法については皆目見当もつかないんだけれどね~……ほんと、どうしようって――」
「――大丈夫だよ」
彼女の声に被せ、先生は断言する。
後頭部を掻き、苦笑を浮べていたホシノは先生を見上げる。
「必ず、何とかなるから」
「………」
彼女の視界に、真っ直ぐ己を見る先生の顔が映った。
真剣で、力強い瞳。それに映る自分を見た時、ホシノは酷く動揺した。
――何でこの人は、こうも力強く断言できるのだろう。
ホシノは不思議に思う。
未来を知っているから? 自分に自信があるから? 或いは生徒を信頼しているから?
けれどその未来が絶対ではない事を、ホシノは知っている。そうでなければ先生があんな負傷をする事はなかった。であるならば、既に先生の知っている未来と変化している可能性が高い。
自分に自信があるから……いや、本当に自信がある人ならば、こんな風な言葉は使わない。先生は常日頃、自身は凡人だと云って憚らない。きっと先生は、自分を腹の底から信じてなどいない。
生徒を信頼しているから? その、信頼している生徒がこの体たらくなのだ。これの、一体何を信頼するというのだ。ホシノは内心で自嘲する。
先生は、良く分からない大人だった。
ホシノの知る大人とは、違う大人だった。
先生は大人だけれど――【先生】だった。
「……そうだね、奇跡でも起きてくれたら良いのだけれど」
呟き、ホシノは思わず嘲笑う。
奇跡、奇跡か――それを否定し、子どもじみた願望だと云い放ったのは、どこの誰だったか。それに縋るしか出来なくなった今、その重みを、強く感じる。人は切羽詰まった時、何にでも縋りたくなる。それこそ、奇跡なんて魔法の様な言葉にも。
「――奇跡、かぁ」
月を見上げ、呟く。
そんなものがあれば――きっと、ユメ先輩だって。
「……さ~てと、この話はこれでおしまい!」
手を打ち鳴らし、同時にホシノは感情に蓋をした。
今その事を考えれば、きっと自分は人目も憚らずに涙を流すに違いない。或いは彼女も、こんな気持ちだったのだろうか? そう考えると、益々胸が痛くなる。あれは呪いだ、呪いだったのだ。その呪いが今、自分に返って来た。
ただ、それだけの事だった。
「じゃあ、私も帰るから――また明日、先生!」
告げ、ホシノは踵を返す。
軽い調子で廊下を駆けながら、振り向き、先生に笑顔を見せる。
「――さよなら!」
「ホシノ!」
去り行く彼女の背に、先生の声が届く。
再び振り向けば、月明かりに照らされた先生の顔が見えた。
その瞳の色は、分からなかった。
「な、なに……?」
「……私が大人として、先生として何とかする、絶対に――だから、信じて」
「………」
力強い言葉、奮い立たせる言葉――優しい言葉。
きっと先生は最後までアビドスの味方でいてくれる、それが分かっただけでも儲けものだ。ホシノは先生の言葉を、ゆっくりと噛み締める様に、胸の中に仕舞いこんで。
最後に、心からの笑みを零した。
「うん――ありがとう、先生」
■
『アビドス対策委員会のみんなへ――』
『まずは、こうやって手紙でお別れの挨拶をする事になったこと、許して欲しい、おじさんにはこういう、古いやり方が性にあっていてさ』
『皆には、ずっと話していなかった事があって――実は私、昔からずっとスカウトを受けていたんだ~、カイザーPMCの傭兵として働く、その代わりにアビドスが背負っている借金の大半を肩代わりする……そういう話でね?』
『うへ~、中々良い条件だと思わない? おじさんこう見えて、実は結構能力を買われていてさ~、凄いでしょ?』
『借金の事は、私がどうにかする、直ぐに全部を解決は出来ないけれど、まずはこれでそれなりに負担が減ると思う――ブラックマーケットでは急に生意気なことを云っちゃったけれど、あの言葉を私が守れなくてごめんね』
『でも、これで対策委員会も少しは楽になる筈だから』
『アビドス高校からも、キヴォトスからも離れる事になったけれど、私の事は気にしないで――勝手な事をしてごめんね』
『でもこれは全部、私が責任を取るべき事……私は、アビドス最後の生徒会だから』
『だから、此処でお別れ――じゃあね』
『先生へ――』
『実は私、大人が大嫌いだった、あんまり信じてなかった』
『シロコちゃんが先生をおんぶして来たあの時だって、なんか駄目な大人が来たなって思ったくらいだし?』
『でも、先生みたいな大人と最後に出会えて、私は……いや、照れくさい言葉はもう良いよね』
『先生、最後に我儘を云って悪いんだけれど、お願い、シロコちゃんは良い子だけれど、横で誰かが支えていないと、どうなっちゃうか分からない子だから、悪い道に逸れちゃったりしないように、支えてあげて欲しい』
『先生なら、きっと大丈夫だと思うから』
『シロコちゃん、ノノミちゃん、アヤネちゃん、セリカちゃん』
『お願い、私達の学校を守って欲しい、砂だらけのこんな場所だけれど……私に残された、唯一意味のある場所だから』
『それから、もしこの先どこかで万が一、敵として相対する事になったら』
『その時は、私のヘイローを壊して』
『――よろしくね』
早朝――まだ誰も来ていない、対策委員会の部室。朝の砂漠は寒く、冷たく、それはアビドス本校舎も変わらない。陽が漸く昇るか否かという時間帯に、先生は部室の中で佇んでいた。
そこには綺麗に書き直された退部届と、皆に宛てた手紙が一通。彼女らしい、丸っこい字で書き綴られたそれを見下ろしながら、先生は自身に宛てられた手紙を強く握り締め、呟いた。
「――行かせるものかよ」
声は、腹の底から絞り出したように、まるで獣の様だった。
「……アロナ」
『先生――』
片手に下げたタブレットに声を掛ければ、空かさずアロナが画面に顔を出す。先生は自分宛ての手紙を懐に仕舞いながら、淡々とした様子で指示を出した。
「アビドスプロトコルを起動してくれ、今から連絡の付く場所に、片っ端から」
『……分かりました!』
「――行こう、もう二度と、手放したりしない」
告げ、先生は踵を返す。
どれだけの困難が待っていようと。
どれだけの苦痛が降りかかろうと。
「私は、先生だからね」
先生は決して――歩みを止めない。
次回、アビドス編最終章。
今まで紡いで来た全てを賭けて、先生はゲマトリア一派と対峙します。
最終章は流石に後書きで純愛ぶちかますと雰囲気崩れそうなので、エピローグまでは頑張って我慢しますね。うぅ……その代わり感想返信で先生の四肢捥がないと……。んぎぃ! 後書きで捥げない分、本編で捥げろッ! 吐血! 悶絶! 入院!
前回のアンケート結果を見て、私は愕然とした。てっきり私は、こんな小説を好んで読む先生達の事だから、「手足もぎもぎ」か「臓器もぎもぎ」が殆どを占めるのだろうな、と思っていたのだ。寧ろ、午前に午後の紅茶花伝を飲むと云う原罪を犯しながら、「これでもし、『ヒャア! 我慢できねぇ!(尚、絶命)』が一位になったらどうしようかしら? 先生を達磨にして両目を潰せば大体死んだようなものですし、それでも許されるかしら……まぁそんな事になったら本編終わりますけれどねぇ、オホホ!」と高笑いまでしていたのだ。
それがどうだ、蓋を開けてみれば――軽傷・無傷が二位・三位という結果。
軽傷は分かる、臓器を捥ぐより指とか耳の外側だけとか、そういう喪っても、「見た目は影響あるけれど、まぁ、そこまでは……」みたいな部分を求めたのだろう。
しかし、無傷……無傷だと!? この小説を読む先生の中に、本編先生の体に負傷を求めない、そんな本物の光属性先生が存在するのか!? てっきり私は絶命・欠損・負傷がトップに来るのだとばかり思っていたのに! この小説を読む先生は須らく先生の手足を『もぎたてにーちゅ♡』したい人ばかりではなかったのかッ……!?
私は愕然とした、それは宛らキャベツ太郎のお菓子の中に、キャベツも太郎も入っていないと聞かされ、呆然としたような幼少期の心地に似ていた。
先生の負傷を求めない光属性の出現、その存在をまざまざと見せつけられた時、私は想ってしまったのだ。
――馬鹿な、これじゃまるで、私が先生の手足を捥ぎたくて仕方ない、性癖のやべぇ奴みたいに思われてしまうではないか……ッ! と。
それは断じて受け入れがたい風評被害であった、これに関しては日本人の伝家の宝刀、遺憾の意を強く示さねばと思った。
或いは、こうも思った。これはこの小説を読む全国五千兆万人の先生が、敢えて組織的に無傷を求めたのではないかと。もしくは、「でも~、周りの人に、『あの人、先生の手足捥ぎたいんですって!』って噂されると恥ずかしいし~」という思春期の少年少女特有の照れ隠しなのかもしれないと。はたまた、無傷に投票する事によって私に精神的な揺さぶりを仕掛け、最終的にエデン条約編で爆発させろという遠回しな
憶測だけならば幾らでも建てられた、可能性は先生の数だけ存在した。同じ無傷でも、『可哀そうだから無傷』の【無傷】と、『後から盛大に死んで欲しいので無傷』の【無傷】があった。私は純愛の奥深さを知った。結果は同じでも、過程は恐ろしい程に分岐していた。
まぁ最終的にエデンで四肢は飛ぶし、ままえやろ。
アビドス編は最初から一つ決めていた事があるんですけれど、ホシノは先生の生き方に対するアンチテーゼにしようと思ったんですよね。先生もホシノも、最終的に愛する存在の為に身を投げ出しますが、それに対する解答というか、結末というか。まぁ詳しくは次話かその次々話で出て来ると思うので多くは語りませんが。んぉ~、でもやっと此処までこれた感つよい。うぅホシノ、どうか幸せになって、アビドス復興して十年後位に砂祭りやる事になって、人で一杯の砂漠を見つめながら、人の輪から外れた隅っこで膝を抱えながら、「奇跡、起きちゃったね、先輩」って呟いて~! その間に先生の犠牲があるのならば尚よろしい。でも自分の身を擲って対策委員会を救っても、皆はきっと喜ばないと思うんだホシノ、残された人の気持ちをどうか考えて欲しい、例え借金が無くなっても、それでアビドスが救われても、残された生徒は心から喜ばないと思うんだ。先生には是非、その辺りを念頭にホシノを叱ってあげて欲しいね。だってアビドスの皆からすれば、ホシノだって救いたいアビドスの一員なんだから!
ホシノの笑顔の為だったら、先生は手足の一本や二本惜しくないよ、何なら命も惜しくないよ、喜んで捨ててくれるって信じているから。だから惜しまず先生を頼ってね。そして笑ってホシノ、笑顔のホシノは素敵だよ♡
話は変わらないんですけれど、アビドス対策委員会と行った戦闘行為で、流れ弾か何かに当たって記憶喪った先生に、「ごめん、誰だったかな……?」って云われた後に、それでも甲斐甲斐しく先生の世話をするアビドスの前で、汗を拭くために脱いで保護膜のない傷だらけの体を晒して絶句させて、その後アビドスと行った戦闘で追加された一際大きな手術痕を見つめながら、「これが一番痛むかも……」って何の含みもない苦笑いと共にトドメ刺して欲しい。
これは情緒ぐっちゃぐちゃになるでホンマ。先生を心配させない為に、病室では何でもない元気な様子で振る舞うんだけれど、一度外に出れば先生に対する罪悪感と、どうにも出来ない自分自身に対する憎悪、もう二度と自分の知っている先生が戻って来ない事に対する遣る瀬無さで暗澹たる気持ちを抱いて欲しい。多分セリカは暴走するだろうから、それをノノミとアヤネとホシノで必死に抑えて欲しい。でも心の中では彼女達もあらゆる感情を持て余しているんだろうな。それを呑み込んで先生の前で必死に笑顔を作ろうとしていると思うとな、涙が出ますよ……。
最終的に感情が決壊して、先生に掴み掛りながら、「ほ、本当にッ、ほんとに……何も、思い出せないんですかッ……!? 私達と過ごして来た、全部……消えちゃったんですか……ッ!?」って叫んで欲しい。
私思ったんですけどぉ、いつも四肢を捥いでばっかりで「物理的な喪失」に拘っていたのですが、記憶とか感情とか、そういう目に見えない『捥げる手足』があるって、そう思ってぇ~。先生が記憶を失って悲しい感情を覚えるという事は、その記憶を失う前の先生が大切だったって事じゃないですか? 体は無事なのに心は無事じゃないっていうのは陳腐ですけれど、確かに愛を感じる事は出来るんですよね。記憶は無くても先生は先生な訳で、性格が異なる訳でも心が捻じ曲がった訳でもない。生徒がピンチになれば我が身を顧みず飛び出すのはそのままですから、そういった部分を見て先生は変わらずに先生なのだと自覚して、徐々に今の先生と生きて行く覚悟を生徒達は決めていく訳ですね、素敵だなぁ。
しかも何が良いって、記憶を失っても先生は生きている訳ですから! 殺せるんですよ! もう一回! 先生を!!! 私は再三云っているのですが、先生を殺したいだけであって死んで欲しい訳ではないんですよね。という事は先生は(感情的に)殺せるけれど、(物理的に)死んでいない状況に持っていけるこれって凄く美味しいんですよね。この記憶喪失になる前に四肢欠損の負傷をしていれば尚宜しい。
血だらけの先生の状態に蒼褪めて、必死に処置を施して、何とか一命をとりとめたという報告に涙を流して喜んで。漸く目覚めて、「先生ッ……!」と感涙した所に、「誰?」な訳ですから、これはもう愛ですよ、愛。
仮に先生が記憶取り戻しても、自分の体の秘密とか、先生にあるまじき対応とかを自覚する訳ですから、それはもう苦悩するでしょうね。お詫びは手足一本で良いよ。時間あったらエデン条約後にズタボロになった先生が病院に運び込まれて、アビドス、トリニティ、ゲヘナの主要部活全員勢揃いしているところで目が覚めて、皆が喜びながら先生の顔を覗き込んだ後に、実は記憶喪失になっているって事が分かって、自分の無くなった手足の事とか、薬の副作用に苦しんで何が何だか分からないまま、唯々苦しむ先生を見る事しか出来ない生徒達の純愛話とか書きたいなぁ。うぅ、先生可哀そう……でも生徒泣かせるのは許せないからもっと苦しんで……。