ブルーアーカイブを、もう一度。   作:トクサン

44 / 195
誤字脱字報告は人類の生んだ文化だよ。


残照

 

 鳴り響く銃声、先生の叫びとそれが重なり――。

 そのマズルフラッシュが先生の網膜を焼くと同時、影が弾丸を遮った。

 

「っ――……!」

「危なかったね、先生」

 

 声は、直ぐ傍から聞こえた。

 ホシノを覆う様に庇い、(きた)る衝撃に備えていた先生は、強く瞑った瞳を開く。

 

「――遅くなって、ごめん」

 

 そこには、ホシノの防弾盾を構えたシロコ(この世界の彼女)が立っていた。心配そうに先生とホシノを見つめ、柔らかく微笑む彼女。かなり急いで駆けつけたのだろう、その額には汗が滲んでいる。

 銃を構えたまま、先生との間に割り込んで来た自分(シロコ)を見た彼女は、その表情を分かり易く歪めた。

 

「アビドス、対策委員会――」

 

 吐き捨てられた声は、様々な感情を孕んでいた。

 

「委員長ッ、先生っ! 大丈夫!? 無事!?」

「し、シロコ先輩、走るの、早すぎます……ッ!」

「ん、ギリギリの所だったけれど、間に合った」

「先生、ホシノ先輩! 良かった……!」

 

 遅れて部屋の中へと突入してくるアビドス対策委員会の面々。

 彼女達は先生と、先生の腕の中にいるホシノを見て、一度安堵の息を漏らす。そして、対峙した人影――シロコに酷似した彼女に目を向け、思わず目を見開いた。

 

「あんたがっ、ホシノ先輩を唆して――……って、あれ、シロコ先輩?」

 

 セリカが思わず困惑した声を上げ、対策委員会の面々も思わず言葉を失くす。

 確かに顔立ちや目の色、髪色などは一致している。しかし、体格や纏う雰囲気が余りにも乖離しているのだ。砂狼シロコという少女は、果たしてあのような目をするのだろうか? 銀色に靡く長髪に、正面を穿つ鋭い視線、それは宛ら砂漠の銀狼。どこか寒々しい気配は、普段の彼女と似ても似つかなかった。

 

「ちょ、ちょっと、状況が分からないのだけれど……あの人誰よ? 何か、シロコ先輩にそっくりじゃない? 先輩、お姉さんとか居たの……?」

「そっくりというか、大人になったシロコちゃんみたいですね」

「……でも、雰囲気は全く違います」

「―――ッ」

 

 アビドスを見る彼女の顔が歪む。

 そのやり取りを見ているだけで――胸がざわついた。自身を見送った、仲間たちの顔がちらつくのだ。それは哀愁や、懐古の念ではない。まだ何も知らない、無垢で純粋で、ただ未来ある明日の希望を信じられた時代の自分達を見せつけられ、遣る瀬無い感情が燻るのだ。それはまだ、罅割れもしなければ汚れもない、真新しい鏡を見せられている様な心地だった。

 

「あなたは――誰?」

「………」

 

 無知で純真な、汚れのない鏡が問いかける。

 彼女(汚れた鏡)は何も語らない。ただ銀狼は、物言わぬ、酷く冷たい瞳で睥睨するのみ。

 

「……アヤネ、ホシノを後ろに」

「あ、は、はい!」

「う、ぐっ、せ、せんせ……!」

 

 先生はアヤネに抱きしめていたホシノを預け、治療を指示する。アヤネはホシノの脇の下に手を差し込むと、引き摺って部屋の外まで搬送を開始した。ホシノは痺れる体に鞭打って、必死に手を伸ばす。自身に何も出来はしないと理解していながら、みすみす先生と仲間をこのような状況に陥れた自身の責任に、身体が突き動かされていた。

 そんな彼女を見送りながら、先生は笑う。

 

「――後は任せて、ホシノ」

「あ………」

 

 その笑顔を最後に――ホシノの姿はアヤネと共に、扉の向こうへと消えた。

 アビドス対策委員会と並び、大人となったシロコ(銀狼)と対峙する先生。

 彼女の表情は、苦り切っている。

 

「……最初から、こうするつもりだったの、先生?」

「まさか、もし君が居る事を知っていたら、是が非でも対策委員会は動かさなかった――けれど此処まで進んでしまったからには仕方ない、本筋も、バタフライエフェクトも、何もかも……もう関係ない」

 

 告げ、先生はタブレットを構えた。

 別世界のシロコによる介入、そんな事を想定などしていなかった。ならば、最早辿るべきルートも、守るべき道筋も、存在しない。

 それならば。

 

「ここからは――私も好きにやらせて貰う……!」

「ッ……!」

 

 心に従い、ただ――救うだけだ。

 その宣言を聞いたシロコ(銀狼)は、くしゃりと顔を歪め、再び銃口を向けた。

 

「――お願いだから、大人しくしてッ!」

「やらせないッ!」

 

 銃を構えた銀狼に、盾を構えたシロコが突撃する。

 構えた防弾盾は鈍い音と共に先生を狙っていた銃口を逸らし、銀狼の手から拳銃が滑り落ちる。

 そのまま盾を捨て、近接格闘へと移行したシロコは、目前に見える己と瓜二つの女性へと殴りかかった。二人の白銀が縺れ合い、同じ色の瞳が交差する。

 

「先生を、絶対に撃たせたりしないッ!」

「このっ、ただ諾々と従うだけの木偶がッ!」

 

 叫び、伸びた手足を器用に絡め、目前の憎き過去の己、その腕を取る。そして一瞬の浮遊感の後、銀狼は全力で彼女を投げ飛ばした。

 投げ飛ばされたシロコは来客用のデスクに背中から突っ込み、甲高い音を立てて床に転がる。

 

「ぐぅッ!」

「シロコ先輩!? このっ! アンタは敵って事で良いのねッ!?」

 

 セリカが投げ飛ばされた仲間に驚愕し、怒りを込めた視線を目前の敵に向ける。そして徐に愛銃を構えると、標的に向かって引き金を絞った。

 放たれる弾丸、網膜を焼くマズルフラッシュ、セリカは銀狼に着弾する弾丸を幻視する。しかし、飛来した弾丸を彼女は目視し、まるでステップを踏むかのようにその悉くを回避して見せた。床に跳弾し、硝子を穿つ弾丸、しかし――目標にだけは当たらない。

 その事実に思わず愕然とする。

 

「嘘ッ!? どんな身体能力――あぐッ!?」

 

 弾丸を避けられた事実に気を取られ、射撃を中断したセリカ。そんな彼女に向かって、銀狼は背負っていたライフルを向ける。射撃音は三つ、バーストで放たれた弾丸は綺麗にセリカの腹部を撃ち抜いた。

 衝撃で後退り、思わずセリカは腹を抑えながら蹲る。

 

「セリカッ!? ノノミ、援護を!」

「はいっ!」

 

 先生はセリカの元へ駆け寄りながら、ノノミへと援護を指示。腰だめに愛銃(ミニガン)を構えたノノミは、酷く冷たい瞳で此方を睥睨する彼女に向けて弾丸の雨を放った。

 銀狼はノノミが銃を構えた瞬間、素早く黒服の傍に駆け寄ると、一息でデスクを乗り越え呟く。

 

「頭を下げていろ」

「――仰る通りに」

 

 そして徐にデスクを蹴り倒し、即席の盾とする。腐ってもゲマトリア、襲撃に備えられたそれは戦車の正面装甲までとは云わないものの、ライフル弾程度の弾丸ならば悉くを弾き、防いで見せる。飛び散る火花、甲高い着弾音、強烈な反動と轟音を撒き散らしながら放たれるノノミの射撃を、黒服のデスクは完璧に防ぎ切った。そして一向に止む様子のない射撃の雨を、何ともない様な表情でやり過ごす銀狼は、ポケットに常備している手榴弾の一つを取り出すと、テーブル越しにそれを投げつける。

 強烈なマズルフラッシュと銃声の中、彼女の動向を注視していたノノミはテーブルの向こう側から、何かが飛んで来る事にいち早く気付いた。

 そして、それが何であるか理解すると同時に叫び、愛銃のトリガーから指を離す。

 

「ッ、手榴――」

 

 落下地点は、先生とノノミの間。ノノミは素早く駆け出し、先生の盾になるべく手榴弾と先生の射線に割り込む。

 

「――間抜け」

 

 しかし、手榴弾が爆発するより早く、ノノミの脳天を銃弾が撃ち抜いた。

 ノノミの顔面が弾かれ、まるで糸の切れた人形の如く、その体が床へと倒れ込む。

 見れば、デスクに銃身を乗せた銀狼がノノミに銃口を向けていた。立ち上る硝煙を吐息で掻き消し、銀狼は立ち上がる。

 

 ――あっという間の出来事だった。正に電光石火、如何に先生のサポートが無かったとは云え条件は同じ、決して弱いなどとは口に出来ないアビドス対策委員会の三名が、こうも簡単に。

 

「……先生が居る場所で、私が手榴弾何て投げる筈ない」

 

 デスクを乗り越え、ピンが刺さったままの手榴弾を拾い上げながら、銀狼は呟いた。黒いドレスに付着した僅かな埃を払い、彼女は斃れたノノミを見下ろす。

 

「――キヴォトス動乱を経験していないアビドスなら、この程度か」

「っ、私はッ、まだ!」

 

 叫び、巻き込んだテーブルを押し退けながらシロコが叫び、飛び掛かる。

 

「……まだ、分からないのか」

「はァッ!」

 

 素早く踏み込んだ姿勢から放たれる掌打、顎先目掛けて放たれたそれを手の甲で捌き、至近距離でシロコの頭部目掛けて発砲。それを潜る様にして抜けたシロコは、そのまま銀狼目掛けて蹴撃を放つ。

 しかし、それすらも銀狼は予期し、真正面から容易く受け止めて見せた。

 肉を打つ乾いた音が、周囲に響く。

 

「っ……!?」

「身体能力で、お前が、私にッ――」

 

 銀狼は掴んだ足をそのままに、軸足を払う。それだけでシロコの体は支えを失い、その状態で足を思い切り引っ張ると、抵抗できないシロコの体は無防備に宙を漂った。その顔面目掛けて、銀狼は全力で拳を叩きつける。

 

「勝てるものかァッ!」

「いッ!?」

 

 顔面を全力で殴り飛ばされたシロコは、そのまま床に叩きつけられ、肺から空気が漏れる。痛みと衝撃で息を詰まらせたシロコは、喘ぐように呼吸を求めた。その胸を無情にも足で押さえつけ、苦しむ嘗ての自分自身(シロコ)を見下ろし、銀狼は吐き捨てる。

 

「脆弱、薄弱、惰弱――弱い、弱い、弱すぎる……! 良い加減理解しろ、お前たちはその程度だ、その程度で先生を守れる等と驕っていたんだ! 将来、その驕りが先生を殺すとも知らずにッ!」

「っ、わ、たし、達は――っ!」 

 

 自身を押さえつける足を掴み、苦悶の表情を浮かべながら口を開くシロコ。先生は銀狼を睨みつけながら、静かにタブレットを起動する。シロコの額に愛銃を突き付けていた銀狼はその動きに気付き、先生を横目で一瞥した。

 

「――今更サポートを行っても遅いですよ先生、此処から状況を打開するには動かせる駒が……」

「いいや」

 

 先生は首を横に振る。確かに今から三人に戦術サポートを行っても、勝ち目は薄いだろう。目の前のシロコは、現在のシロコの完成系だ。身体が完成し、精神が良くも悪くも成熟し、正しく容赦がない。取捨選択の判断に迷いがなく、戦闘技術も一級品。恐らくこのシロコは、単純な戦闘能力で云えばヒナやツルギすら凌ぎ得る。

 だからこそ反則なのだ――彼女の存在は。

 

「――云っただろう、好きにやらせて貰うと」

 

 そう口にした瞬間、先生のタブレットが青白い光を放ち、銀狼のヘイローが点滅する。そして、唐突に銀狼の視界にノイズが奔った。

 

「ッ、痛!?」

 

 まるで頭部に釘か何かを打ち込まれた様な痛み、唐突なそれに思わず後退り、シロコの上から足を退かす。頭を抱えてふらつく彼女は、愛銃を掴んだ腕を垂らしながら、もう片方の腕で顔を覆った。

 

「っ、ぐ、こ、れは――何、頭痛、いや、平衡、感覚が――い、しき……」

 

 思考が纏まらない、痛みと、気怠さと、気持ち悪さ。それらが混在し、思考をかき乱す。苦悶に満ちた表情で先生を見れば、僅かに青白い光を放つタブレットの存在。

 その奥に――憎き顔を見た。

 

「お、まえかッ……――連邦生徒会長ぉォッ!?」

 

 絶叫し、愛銃を向け発砲。しかし曇った視界と思考では狙いが定まらず、弾丸はあらぬ方向へと飛んだ。これ以上は、先生に当たりかねない。歯を食いしばり、憎悪と憤怒を剥き出しにした表情でタブレットを睨みつける。先生は銃撃に怯む事なく、ただ淡々とした様子で声を上げた。

 

「生徒のヘイローに干渉出来る私が、サポート以外でこの力を使う事はない、それは『大人げない行為』だ、世界にはルールがある、守るべき規範がある、それを逸脱する事を私は好まない――しかし、悪いが反則には反則で対応させて貰う」

「ぐ、ぅ……ッ! 先、生ッ……!」

 

 頭を抱え、手を伸ばす銀狼。

 その姿に、先生は嘗ての彼女を幻視した。

 ――砂漠と、炎と、銀の髪の彼女。

 

「ッ……意識は十分にかき乱した、ラインを切断――戦術指揮を執る、アロナ!」

『はい、先生! 個別パターン承認、回路形成、先生から生徒へ、相互パス構築――完了! 情報転送開始しますッ!』

 

 アロナの言葉と共に、アビドス対策委員会、ノノミ、シロコ、セリカの三人にラインが繋がる。ヘイローが光輝き、斃れていたアビドスの皆がゆっくりと立ち上がった。シロコは鼻から流れた血を拭い、セリカは唾を吐き捨て、ノノミは血の滲んだ頭部を擦り、銀狼と対峙する。

 

「皆、すまない、私に力を貸してくれ……!」

「当ぉ然ッ……! やられっぱなしは、性に合わないのよッ!」

「悪い事をした子には、お仕置き、ですよね……!」

「――私は、あなたを知らない、でも」

 

 シロコが一歩踏み出し、銀狼を睨みつける。

 輝く色の異なる瞳――そこには敵意や怒り以上の、何か、大事な色が秘められていた。

 

「あなたにだけは、負けちゃいけない気がする……ッ!」

「戯言を……ッ!」

 

 叫び、震える腕で先生の前に立ち塞がる嘗ての仲間――その残影に愛銃を突きつける。コンディションは最悪、かき乱された精神と思考が未だ纏まらない、当然だ、ヘイローに直接干渉されたのだ。寧ろ、未だ立っていられる彼女が異常だった。

 それ程までに、彼女は先生に拘泥している。

 顔を歪め、殺意すら滲ませた声色で彼女は云う。

 

「先生に守られてばかりで、何も知らない子どもが……ッ、私の前に、立つなッ!」

「……諦める事が、大人になるって事なら、私は大人になんてなれなくて良い」

 

 呟き、シロコは真っ直ぐ彼女を見つめた。

 

「諦めない背中を、私は先生から学んだ」

「……ッ!」

 

 その。

 穢れを知らぬ、無垢な心こそが。

 最初に捨てねばならぬものだったのだ。

 

 嘗ての残照、抱いた希望、思い描いた明日。

 綺麗で綺麗で堪らない、大切なものだった筈の我楽多(思い出)

 もう存在しない、無垢だった頃の自分自身。純白(先生)の傍にいられた、黒ではない自分。

 

 ――それが、妬ましくて羨ましくて堪らない。

 

「これ以上……ッ」

 

 眩く輝き、心から笑えた、幸せに満ちた自分を。

 

「私にッ、魅せるなァッ!」

 

 

「ほう、それがあなたの――先生の力か」

 

 

 声は、唐突に現れた。

 誰も、何も感じなかった。ただ何もない空間から、唐突に、気が付けばとしか云いようのないタイミングでそれは響いた。

 全員が振り向けば、丁度黒服の傍に佇む形で小首を傾げる人影。

 赤い肌、連なる瞳、床に届きそうなほど伸びた黒髪、そして花嫁を連想させる白いドレス。その異様な風貌と禍々しい気配に、アビドス対策委員会は息を呑む。

 そして、それ以上の反応を見せたのが――今しがた先生達と対峙していた銀狼だった。

 

「ベアトリーチェ……!」

 

 忌々しそうに、或いは憎悪を込めて、彼女の名を呼ぶ。

 その反応を横目に、ベアトリーチェと呼ばれた彼女は手に持った扇子を口元に添え、笑みを隠す。そんな彼女をどこか呆れたような雰囲気で眺めていた黒服は、肩を竦めながら問いかけた。

 

「……ふむ、ベアトリーチェ、何故此処に? この場所はあなたの管轄ではないでしょう、自治区の侵犯は感心しませんね」

「侵犯も何も、所詮仮初の自治区でしょう、アビドス自治区は『まだ』あなた自身の領域ではありません、それに――」

 

 言葉を一度切り、対峙する先生へと視線を向けるベアトリーチェ。

 その視線には何か、底知れぬ悍ましさが含まれている。

 

「件の先生と相まみえる等と、私は聞き及んでいませんでしたが?」

「………」

 

 その言葉に、黒服は沈黙を返す。

 仮に話したところで、彼女はそれを受け入れないだろうと云う確信があったのだ。だからこそ他のゲマトリアとは異なり、自身の行動を漏らすような事はしなかった。しかし、どうやら独自の情報網でこの事態を察知したらしい。内心で辟易としながら、黒服は説得の言葉を重ねる。

 

「先生は私達の仲間と成り得る存在です、その神秘性、精神性、存在そのものが――非常に興味深い」

「いいえ、先生は即刻排除すべき存在です」

 

 しかし、黒服の言葉を正面から切って捨てた彼女は、冷ややかな視線を先生に向けた。

 

「お前――ッ!」

「……躾のなっていない狼だ事」

 

 その発言に激昂したのは銀狼だ。アビドスに向けていた銃口をベアトリーチェに向け、今にも引き金を絞りそうな形相で唸る。その様子に幾つもある目を細めた彼女は、そっと扇子を銀狼へと向ける。しかし、それを遮るように手で制したのは黒服だった。

 

「――ベアトリーチェ、彼女は私の客人です、正式な契約を結んでいる以上、害せばあなたとてルールを逸脱する」

「………はぁ」

 

 その言葉に、差し向けた扇子を下ろす。同時に黒服はどこか諌める様な視線を銀狼に向けた。

 

「まぁ、良いでしょう、ともあれ助けてあげますよ、黒服」

「……その様な事、頼んでおりませんが?」

「気にせずとも、私達は同胞なのでしょう? なら肩を持つ程度、やってさしあげましょう、仲間同士で争うのは愚策――そうでしょう?」

「………」

 

 取ってつけたような理論だった。しかし、ゲマトリア同士は互いの行動に関知しない。助け合いや協力を要請、申し出る事はあれど、互いが互いの方法・技法・手段で以て崇高へと手を伸ばしている。そして彼女の行動もまた、黒服にとって縛る理由は存在しない。その『権利』がないのだ。

 黒服の沈黙を肯定と受け取ったのか、ベアトリーチェは一歩踏み出しアビドス対策委員会、そして先生と対峙する。しかし、彼女にとって対策委員会など眼中にない、視界に存在するのは只一人――己と同じ純白を纏う、先生のみ。

 

「――さて、先生、あなたは色々知っているとの事ですが、自己紹介は必要でしょうか?」

「要らないよ……あなたがどういう存在かは、良く知っている」

「それは結構、ならば私が此処に来る事は読めていましたか? それとも、よもや事を起こす前に現れるとは予想しておりませんでしたか?」

「………半々、かな」

 

 先生がそう答えれば、ベアトリーチェは興味深そうに扇子を開いた。

 

「ほう、半分は予測していたと?」

「と云っても、確信したのは彼女(銀狼)が出て来た時だ、遅きに失したよ、もし未来の情報があなたに伝わっているとすれば――」

「えぇ、私が敗北する未来を聞いたならば……その芽は早急に摘むに限る」

「……セリカ誘拐にアリウスを動かしたのは、あなたの指示か」

「小手調べ、という所でしょうか? あなたがどの程度の脅威なのか、彼女達ならば測定機としては十分でしょうし、ましてや伝え聞く先生ならば、生徒をみすみす殺したりはしないでしょう?」

「ッ――」

 

 その、生徒を道具としか見做していない言動に。

 ぎちりと、先生は歯を食いしばった。

 知ってはいた、理解はしていた。

 しかしこの女は、どこまでも生徒を弄ぶ。

 先生の怒りの視線を微風の様に受け流しながら、ベアトリーチェは朗々と唄うように告げる。

 

「シャーレの基盤はまだ盤石とは言い難い、これから時間を掛ければ掛けるほど、あなたは生徒達と絆を紡ぎ、強大な力を得て行く、であるならば早急に排除せねばなりません」

「っ――!」

 

 ベアトリーチェの言葉に、ノノミ、セリカ、シロコは顔を顰め、先生の前に立ち塞がった。同時に、横から睨みつけていた銀狼が声を荒げる。

 

「ッ、お前、私の先生に……!」

「銀狼さん、御下がりを」

「私に指図するなァッ!」

 

 黒服が彼女の肩に手を掛けるも、それを乱雑に振り払う。しかし、それだけで彼女の体は揺らいでいた。足元が覚束ない、そんな銀狼に黒服は語り掛ける。

 

「その体では無謀でしょう、ましてや――」

 

 呟き、窓ガラスの向こう側に視線を向ける。釣られるようにしてアビドス対策委員会が視線の方に顔を向ければ、ビルを包囲するように続々と募る見覚えのある影――オートマタとドローン。空を飛び周囲を旋回するドローン、その外装に描かれたマークを見て、思わずセリカが声を上げた。

 

「あれって……もしかして、カイザーコーポレーション!?」

「……ふむ、あの企業を動かしましたか、ベアトリーチェ」

「黒服の策に便乗しただけですよ、別段、潰れてしまっても困らない木っ端でしょう? エデン条約に向けて動いている今、アリウスを動かす訳にもいきませんから……代表の理事には随分と渋られましたが、契約は契約、そうでしょう?」

「えぇ、それは構いませんよ、しかし……動くならばせめて一言欲しいものですね」

「お互い様です――さて」

 

 黒服の苦言を一蹴し、ベアトリーチェは勢い良く扇子を閉じる。

 その音に意識を引っ張られたアビドスは、目の前のベアトリーチェを改めて見据えた。

 彼女はそんなアビドスと先生を一瞥し、笑みを浮べながら宣言する。

 

「では、神の子羊(小さな犠牲)を始めましょうか……先生?」

 


 

「――それじゃあ、後はお願い、シロコちゃん」

「ん、任せて、ホシノ先輩」

 

 世界は、酷く静かだった。(世界)の弾ける音と、静かな呼吸音。それらを耳にしながらアビドス対策委員会は空を見上げる。暗く、綺麗な夜空に映える炎。

 ふと、星に手を伸ばしてみるけれど、届く筈もなく。

 瓦礫に凭れ掛かった皆は傷だらけの体をそのままに、同じような格好の仲間を見つめ、苦笑を零した。ズタボロの制服に、残る弾痕、砂と血塗れの愛銃、転がる空薬莢。小さく痙攣する指先は、もう疾うの昔に限界だった。

 

「ごめんなさい、こんな重い役目を……」

「気にしないで、私が云いだした事だから」

 

 寄り掛った瓦礫に血痕を残しながら、シロコは笑う。

 愛銃を立て掛け、ぼうっと空を見上げるシロコは儚い。アヤネは罅割れた眼鏡を外し、そっと目を伏せた。もう、何の情報も映さなくなったディスプレイ、傍には無惨に破壊され、羽の捥げた彼女のドローンが転がっている。最後まで戦った相棒だった。今はもう、最後の役割を終え沈黙していた。

 

「先生を、お願いします、シロコ先輩」

「もし会えたら、あの間抜け面にガツンと云ってやってよ?」

「……ん」

 

 ノノミとセリカ、同じように傷だらけの彼女達の言葉に頷きながら、シロコはアビドス対策委員会を見渡した。瓦礫と炎、夜空に蓋をされたこの世界。最後に見納めとなる光景を脳裏に焼き付けながら。

 

「絶対に先生を救って見せる――そう、約束するから」

 

 そう云って、小指を立てる。

 その言葉を聞き、アビドス対策委員会の皆は吐息を零し、笑った。

 痛みで腹が引き攣って尚、穏やかに。

 

「うへ、こうやって皆で過ごせるのも最期かぁ~」

「わっ、その口調のホシノ先輩、久々に聞きました☆」

「染みついた癖というのは、意図せず出ちゃうものなんだよ~」

「何よ先輩、今までずっと一緒だったじゃない?」

「まぁほら、だからこそちょっと寂しい的な?」

「でも、一番寂しいのはこれから一人になってしまうシロコ先輩かと……」

 

 アヤネが申し訳なさそうにそう口にすれば、シロコは首を横に振って、欠片も悲しみや寂しさの色を見せずに、強い口調で告げた。

 

「大丈夫――私達は誰が欠けても駄目(皆でひとつ)……でしょ、先輩?」

「うへ……また懐かしい事を」

 

 シロコが片目を閉じながらそう口にすれば、ホシノは照れたように頬を掻き、そっぽを向いた。アビドス対策委員会は皆ひとつ、だから例え此処で別れる事になったとしても、全員の(想い)だけは――シロコが持っていく。

 シロコはひとりだけれど、ひとりぼっちじゃない。

 常にアビドスの仲間達と共に在る。

 

 ホシが皆を見下ろす。

 炎は、世界を包もうとしている。

 流れ出る赤が、そっとホシノの手を染めた。

 残された時間は、多くなかった。

 

「……さて、そろそろ体の方も限界だし、最後にあの台詞、いっちゃいますかぁ~」

「えっ、あの台詞って何?」

 

 ホシノがふと、そう声を上げれば、セリカが驚いた様に目を瞬かせて云った。

 その様子にホシノは短くなった髪を指先で弾き、にやついた笑みを浮べる。

 あの台詞と云ったら――一つしかないだろう。

 

「うへ、セリカちゃん、毎度戦う前に云っているじゃーん」

「あぁ、あの台詞ですね☆」

「あ、あはは、ずっと戦いっぱなしでしたから、云う暇もなくてちょっと忘れていました」

「え……あ、あぁ、アレね! も、勿論憶えているわよ! 所謂、フリって奴だから!」

「嘘、実は忘れていた」

「そ、そんな事ないから!」

 

 シロコの突っ込みに、思わず否定の声を上げるセリカ。その様子にカラカラと笑い声を上げ、皆が手を前に出す。

 想いは一つだった。

 ずっと前から、そうだった。

 

「よーし――それじゃあ、皆、準備は良い?」

「はい!」

「いつでも☆」

「おっけー!」

「ん」

 

 ホシノが皆を見渡し、ノノミが、シロコが、アヤネが、セリカが、強く頷いて見せる。

 その様子を確認したホシノは、最後に一番奥の空白の空間を見た。全員で輪になって座って尚、皆を見守れるような位置、円の一番上の場所――先生がいた場所。

 アビドス対策委員会の部室で、先生の定位置だった席。

 今はもう、空席になって久しい。

 皆がその、何もない瓦礫だけの空間に目を向け、ふっと――口元を緩める。

 

 そして最後に、ホシノは告げた。

 

「――アビドス、出撃!」

「おーっ!」

 

 突き上げた拳が、星に届かなくとも。

 

 

 この位の後書きなら許されるやろ(満面の笑み)

 次回、ゲマトリアとの決戦、そろそろ大人のカードを抜く準備は出来ましたか。

 想いを背負ってね先生? 背負って背負って背負って、背負い切れない程の量を背負って、潰れそうになりながらも、這い蹲ってでも進んでね。腕が捥げようとも、足が捥げようとも、「それでも」って云って進んでね。それが先生にとっての、生徒に対する愛の証明だから。生徒を愛して、甘やかして、教え導き、その最後にあなたは斃れる事を許されるべきなんだ。だからまだだよ、まだ斃れちゃ駄目だ先生。もっと大勢の生徒に愛されて、信頼されて、好意を抱かれてから盛大に血を撒き散らしてくれ。

 イヒーッ! もう六日も先生の手足を捥いでいないッ! 六日!? 六日も!? 自分で書いといて吃驚したわ! 

 先生の手足捥ぎたいよ~~! いじわるしないでよ~~! やだよ~~! 先生血を吐いてよ~~! 本編ひと段落したら覚悟しろよ先生。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。